01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
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2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
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2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
多くの辞書で industry という語の第1語義は「産業;工業」である.heavy industry (重工業),the steel industry (鉄鋼業)の如くだ.そして,第2語義として「勤勉」がくる.a man of great industry (非常な勤勉家)という表現や,Poverty is a stranger to industry. 「稼ぐに追い付く貧乏なし」という諺もある.2つの語義は「勤労,労働」という概念で結びつけられそうだということはわかるが,明らかに独立した語義であり,industry は典型的な多義語ということになる.実際,形容詞は分かれており,「産業の」は industrial,「勤勉な」は industrious である.
語源を遡ると,ラテン語 industria (勤勉)に行き着く.これは indu- (in) + struere (to build) という語形成であり,「内部で造る」こと,すなわち個人的な自己研鑽や知識・技能の修養という意味合いがあった.原義は職人に求められる「器用さ」や「腕の達者」だったのである.この単語がこの原義を携えて,フランス語経由で15世紀後半の英語に入ってきた.そして,すでに15世紀末までには,原義から「勤勉」の語義も発達していた.
16世紀になると,これまでの個人的な職業と結びつけられていた語義が,より集合的な含意を得て「産業」の新語義が生じる.しかし,この新語義が本格的に用いられるようになったのは18世紀後期のことである.1771年にフランス語 industrie がこの語義で用いられたのに倣って,英語での使用が促進されたという.この年代は,後に Industrial Revolution (産業革命)と命名された社会の一大潮流の開始時期とおよそ符合する.
対応する形容詞の歴史を追っていくと,原義に近い「達者な,器用な」「勤勉な」の意味で industrious がすでに15世紀後期に現われている.実は「産業の」を意味する industrial も同じ15世紀後期には現われており,その点ではさして時間差はない.しかし,industrial (産業の)が本格的に用いられるようになったのは,18世紀に対応するフランス語 industriel の影響を受けてからであり,主として19世紀以降である.
名詞形も形容詞形も,18世紀後期が用法の点でのターニングポイントとなっているが,これは上でも触れたとおり Industrial Revolution の社会的・言語的な影響力に負っている.なお,Industrial Revolution という用語は,1840年に初出するが,1848年に John Stuart Mill (1806--73) によって導入されたといってよく,それが歴史学者 Arnold Toynbee (1852--83) によって広められたという経緯をもつ.
(陸軍)大佐を意味する colonel は,この綴字で /ˈkəːnəl/ と発音される.別の単語 kernel (核心)と同じ発音である.l が黙字 (silent_letter) であるばかりか,その前後の母音字も,発音との対応があるのかないのかわからないほどに不規則である.これはなぜだろうか.
この単語の英語での初出は1548年のことであり,そのときの綴字は coronell だった.l ではなく r が現われていたのである.これは対応するフランス語からの借用語で,そちらで coronnel, coronel, couronnel などと綴られていたものが,およそそのまま英語に入ってきたことになる.このフランス単語自体はイタリア語からの借用で,イタリア語では colonnello, colonello のように綴られていた.つまり,イタリア語からフランス語へ渡ったときに,最初の流音が元来の l から r へすり替えられたのである.これはロマンス諸語ではよくある異化 (dissimilation) の作用の結果である (cf. Sp. coronel) .語中に l 音が2度現われることを嫌っての音変化だ(英語に関する類例は「#72. /r/ と /l/ は間違えて当然!?」 ([2009-07-09-1]),「#1597. star と stella」 ([2013-09-10-1]),「#1614. 英語 title に対してフランス語 titre であるのはなぜか?」 ([2013-09-27-1]) を参照).
さらに語源を遡ればラテン語 columnam (円柱)に行き着き,「兵士たちの柱(リーダー)」ほどの意味で用いられるようになった.フランス語で変化した coronnel の綴字についていえば,民間語源 (folk_etymology) により corona, couronne "crown" と関係づけられて保たれた.しかし,フランス語でも16世紀後半には l が綴字に戻され,colonnel として現在に至る.
英語では,当初の綴字に基づき l ではなく r をもつ発音がその後も用いられ続けたが,綴字に関しては早くも16世紀後半に元来の綴字を参照して l が戻されることになった.フランス語における l の復活も同時に参照したものと思われる.18世紀前半までは古い coronel も存続していたが,徐々に消えていき現在の colonel が唯一の綴字となった.発音は古いものに据えおかれ,綴字だけが変化したがゆえに,現在にまで続く綴字と発音のギャップが生じてしまったというわけだ.
しかし,実際の経緯は,上の段落で述べたほど単純ではなかったようだ.綴字に l が戻されたのに呼応して発音でも l が戻されたと確認される例はあり,/ˌkɔləˈnɛl/ などの発音が19世紀初めまで用いられていたという.発音される音節数についても通時的に変化がみられ,本来は3音節語だったが17世紀半ばより2音節語として発音される例が現われ,19世紀の入り口までにはそれが一般化しつつあった.
<colonel> = /ˈkəːnəl/ は,綴字と発音の関係が複雑な歴史を経て,結果的に不規則に固まってきた数々の事例の1つである.
「#2993. 後期近代英語への関心の高まり」 ([2017-07-07-1]) で,近年,後期近代英語期の研究が盛り上がってきていることに触れた.その理由は様々に説明できるように思われるが,Kytö et al. (4--5) の指摘している4点に耳を傾けよう.19世紀の英語が研究に値する理由として,先の記事で触れたものと合わせて確認しておきたい.
(1) 19世紀中に識字率が上がったことにより,多種多様なテキストが豊富に生み出された.とりわけ性差と言語変化の関係がよく調査できるようになった.
(2) Brown Family のような現代英語のコーパスによる研究の成果として,数十年ほどの短期間における言語変化に注目が集まった.ここから,後期近代英語期の社会的・政治的な出来事と,当時の言語変化の関係を探る研究が試みられるようになった.
(3) この時期にジャンルの広がりが見られた.特に,私信,新聞,小説,科学の言説など,現代にかけて重要性を増すことになる諸ジャンルが開拓された時期として重要である.
(4) 19世紀は,イギリス以外の英語変種の多くにとって形成期に相当する.
いずれの項目も,後期近代英語期に特有の特殊な歴史事情を反映していることはいうまでもないが,それ以上に近年のコーパス言語学,社会言語学,語用論といったアプローチが興隆してきた学史的な背景と連動していることが重要である.もとより歴史的な分野であるとはいえ,いま歴史のどの側面に関心を寄せやすいのか,関心があるのかという現在的な動機こそが,歴史研究を駆動していくものだとわかる.
・ Kytö, Merja, Mats Rydén, and Erik Smitterberg. "Introduction: Exploring Nineteenth-Century English --- Past and Present Perspective." Nineteenth-Century English: Stability and Change. Ed. Merja Kytö, Mats Rydén, and Erik Smitterberg. Cambridge: CUP, 2006. 1--16.
昨日の記事「#3013. 19世紀に非難された新古典主義的複合語」 ([2017-07-27-1]) でも触れたように,19世紀は専門用語の造語のために,古典語に由来する要素が連結形 (combining_form) としておおいに利用された時代である.古典語とはラテン語とギリシア語を指す.前者は英語史を通じて多大な影響を及ぼしてきたものの,後者の存在感は中英語まではほとんど感じられない.ようやく初期近代英語期に入って,直接の語彙借用がなされるようになってきたにすぎず,その後もしばらく特に目立つところもなかった (cf. 「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1]),「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1])) .
しかし,「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1]) のグラフや「#2357. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計」 ([2015-10-10-1]) の要約からわかるとおり,19世紀にギリシア語要素が著しく存在感を増した.通時的にみると,ギリシア語由来の英単語の圧倒的過半数が,19世紀以降の導入である.Beal (26) のコメントを参照しよう.
Whilst Greek had been recognized as a language of learning for centuries, it was not until the nineteenth century that large numbers of neologisms were formed from etymologically Greek words and elements. Indeed, Bailey (1996: 144 [= Bailey, R. W. Nineteenth-Century English. Ann Arbor: U of Michigan P, 1996]) points out that 70 per cent of the Greek words in the 80,000-word core vocabulary of English appeared after 1800.
具体例としては当時の専門用語が多いが,現在までに一般化したものも含まれている.cyclosis (細胞質環流), creosote (防腐用・医療用クレオソート), eclecticism (折衷技法), ideograph (表意文字), phonograph (蓄音機), telephone (電話機)などだ.
なお,これらの単語の多くは,厳密にいえばギリシア語からの借用語というよりもギリシア語に由来する要素による造語とみなすのが適切だろう.「#1694. 科学語彙においてギリシア語要素が繁栄した理由」 ([2013-12-16-1]) も参照されたい.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
英語の豊かな語彙史について「#756. 世界からの借用語」 ([2011-05-23-1]), 「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]),「#2966. 英語語彙の世界性 (2)」 ([2017-06-10-1]),「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) などで取り上げてきた.しかし,豊かであるがゆえに,歴史上,むやみに借りすぎだ,作りすぎだという批判が繰り返されてきた.
最も有名なのは16世紀後半の「インク壺語」 (inkhorn_term) 論争であり,「#576. inkhorn term と英語辞書」 ([2010-11-24-1]) などで紹介してきた.しかし,ほかにも「#2147. 中英語期のフランス借用語批判」 ([2015-03-14-1]),「#2813. Bokenham の純粋主義」 ([2017-01-08-1]),「#1411. 初期近代英語に入った "oversea language"」 ([2013-03-08-1]) のように,あまり目立たないところで語彙批判は繰り返されてきた.
もう1つ付け加えるべきは,後期近代英語期の造語法の特徴ともいえる新古典主義的複合語 (neo-classical compounds) に向けられた批判である.主にラテン語やギリシア語の連結形 (combining_form) を用いて造語するもので,neo-Latin compounds や neo-Hellenic compounds とも呼ばれる.この造語法は,19世紀に科学用語などの専門用語が大量に必要となった際に利用された方法である (cf. 「#1694. 科学語彙においてギリシア語要素が繁栄した理由」 ([2013-12-16-1])) .
Beal (22--23) は19世紀の新古典主義的複合語への批判と,かつての「インク壺語」の論争がよく似ている点を指摘している.
If we look at comments on language in the nineteenth century, we find a range of opinions remarkably similar to those expressed during the 'inkhorn' controversy of the late sixteenth/early seventeenth centuries. On the one hand, there were complaints about the number of new words coined from Latin and Greek. Richard Grant White writes:
In no way is our language more wronged than by a weak readiness with which many of those who, having neither a hearty love nor a ready mastery of it, or lacking both, fly readily to the Latin tongue or to the Greek for help in naming a new thought or thing, or the partial concealment of an old one . . . By doing so they help to deface the characteristic traits of our mother tongue, and to mar and stunt its kindly growth (1872; 22, cited in Bailey, 1996: 141--2 [= Bailey, R. W. Nineteenth-Century English. Ann Arbor: U of Michigan P, 1996]).
Others objected to the profusion of technical and scientific vocabulary, again mainly from Greek and Latin sources. R. Chenevix Trench wrote (1860: 57--8) that these were 'not, for the most part, except by an abuse of language, words at all, but signs: having been deliberately invented as the nomenclature and, so to speak, the algebraic notation of some special art or science'.
新古典主義的複合語は,数と質の両方の点において(少なくとも一部の論者にとって)批判の対象となっていたことがわかる.
ついでながら,日本語の明治期における「チンプン漢語」批判や現在の「カタカナ語」の氾濫問題も,英語史からの上記のケースとよく似ている.これについては,「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1]),「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]),「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) で解説・論評しているので是非ご参照を.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
連日取り上げているが,『中央公論』8月号の特集「英語1強時代,日本語は生き残るか」より話題を追加.三上喜尊による「日本語は普遍語になりうるか データが示す世界の中の日本語」という記事で,世界における日本(語)のプレゼンスを高めるために,多言語による情報受発信を推進すべきだという提案がなされている.
「英語の世紀」に危機感を覚える者は,英語以外の言語による情報発信にもっと真剣に取り組まなければならないし,英語以外の言語によって発信される情報に対してもっと敏感にならなければならない.世界中の多くの言語の話者に対して,彼らの言葉で語りかけることは,日本に対する共感を呼び覚ます効果が大きい.また,彼らの言語で発せられる情報には,英語あるいは英語話者によるスクリーニングを経ていない重みがある.(57)
最後にある「英語あるいは英語話者によるスクリーニング」という見方が非常に意味深長である.リンガ・フランカ (lingua_franca) としての英語 (elf) を論じる場合には,当然ながら英語が諸言語(話者)の「橋渡し」の役を果たしているということが前提とされている.ポジティヴな英語観だ.
しかし,「スクリーニング」という見方は,ネガティヴな英語観を表わす.英語という第三者を経由することで,本来の意図や意味が遮られたり歪められてしまうという含意がある.さらに,権力による検閲という言語帝国主義な含みすら感じられる (cf. native_speaker_problem) .このように英語を見る視点からは,"English as a Language of Censorship" (= ELC) などの呼称が提案されるようになるかもしれない.これは英語を意地悪くとらえているというわけではなく,英語に限らず普遍語の地位にある言語であれば,必ずリンガ・フランカとしての側面と ELC 的な側面を合わせもつものだろうと指摘しているにすぎない.
昨日の記事「#3010. 「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」」 ([2017-07-24-1]) で,『中央公論』8月号の「英語1強時代,日本語は生き残るか」と題する特集について触れた.その特集で,宇野重規と会田弘継による対談「“ポスト真実”時代の言語と政治」が掲載されている.ここでも,昨日引用した水村美苗と同じように,日本語が言語の植民地化を免れたのがいかに稀なことであるかが論じられている (37) .
会田 日本は英語国の植民地になったわけではありませんから,英語を使わなければできない何かがあるわけではない.近代に統一された国民国家の言語によって,ほとんどすべてのことを賄える国民というのは,世界でも稀なのですから,これほど幸福な国民はいないとも言えます.一億を超える人たちがすべてのことを自分の国語で,そして高等教育まで賄える.これができる国家は,英米を除けば,フランス,ドイツ,イタリア,スペインぐらいではないでしょうか.ヨーロッパでも小国は,高等教育は英語で行っているところが多い.スウェーデンの友人に,「君たちは英語ができていいねとあんたは言うかもしれないけれど,悲しいよ.大学の教科書は採算が合わないからスウェーデン語では作れない.英語の教科書を使うから,結局授業は英語になっちまう」ってぼやかれた.みんな,自ら求めて英語化しているわけではないのです.
ここで例として出されているスウェーデンはまだ状況がよいほうで,アフリカやアジアの旧植民地の国々では,自国語で高等教育の教科書が書かれているところなど,ほとんどあり得ないのである.
宇野 (40) も同じ趣旨で次のように述べている.
近代語は,先祖からの伝承や物語を語れるだけでは不十分で,政治も経済も哲学も技術も,すべて語れなければならない.こうした言語は,実は世界にそれほどありません.僕たちは教科書が,高校でも大学でも日本語で書かれていることを当たり前だと思っているけれど,こんなに恵まれていることは珍しいのです.英語以外ではフランス語だって微妙なところです.
日本語の未来や,それと関連して英語帝国主義を論じ始める前に,まずはこのような事実を確認しておきたい.
『中央公論』8月号で「英語1強時代,日本語は生き残るか」と題する特集が組まれている.特集のなかで,問題作『日本語が亡びるとき』の著者である水村美苗が,著書よりもさらに強い警戒心をもって,日本語の行く先を憂えている.その見出しに「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」とあるが,これは私もその通りだと思っている.別の角度から見れば,日本がこれまで言語の植民地化を免れてきた歴史が十分に評価されていない,ともいえる.だからこそ,日本人は,世界的な言語である英語にいともたやすく無防備になびくことができるのだろう.まずは,この歴史の理解を促さなければならない.
水村 (28--29) は,次のように述べている.
世界を見回せば,インテリが読む言語は英語で,それ以外の人が読むのが現地語だという国がいかに多いことでしょう.この一〇年のあいだにいろいろな国をまわりましたが,自国語が植民地化を免れたことに日本ほど自覚を持たない国も,自国語が亡びることに危機感を持たない国も珍しいと感じます.
私は最近いよいよ,ごく少数を除けば,日本人は日本語が堪能であればよいのではと考えるようになっています.非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しいのです.エリートも庶民も,全員当然のように日本語で読み書きしているという,この状況を守ること自体が,日本という国の使命なのではないかとすら思います.
水村は,このように日本語の価値が軽視されている傾向を批判的に指摘する一方で,世界語となった英語に関して抱かれやすい誤ったイメージについても論難している (32) .
いくら強調してもし足りないのは,英語そのものに普遍語となった要素があるわけではないことです.英語は,さまざまな歴史的偶然が重なって普遍語として流通するようになった言葉でしかない.でもいったん普遍語として流通し始めると,普遍語で世界を見る人間の尊大さが,英語圏の人にはしばしばつきまとうようになります.それでいて,英語を普遍語たらしめた条件そのものは過去のものとなってしまっている.
この憂いを吹き飛ばすために存在するのが,英語史という分野である.英語が世界でもっとも影響力のある言語になったのは,英語に内在するいかなる特質ゆえでもなく,単純に歴史の偶然である.このことは,確かに何度強調してもし足りない.私も以下の記事で繰り返してきたので,ご参照ください.
・ 「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1])
・ 「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1])
・ 「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1])
・ 「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1])
・ 「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1])
・ 「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1])
・ 「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1])
・ 「#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」」 ([2017-05-10-1])
「#397. 母語話者数による世界トップ25言語」 ([2010-05-29-1]) を書いてから7年の年月が経った.Ethnologue (20th ed) の最新版が出たので,Summary by language size の表3により,母語話者数による世界トップ23言語の最新ランキングを示したい.
Rank | Language | Primary Country | Countries | Speakers (20th ed, 2017) | Speakers (16th ed, 2009) | (13th ed, 1996) |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | Chinese | China | 37 | 1,284 million | 1,213 | 1,123 |
2 | Spanish | Spain | 31 | 437 | 329 | 266 |
3 | English | United Kingdom | 106 | 372 | 328 | 322 |
4 | Arabic | Saudi Arabia | 57 | 295 | 221 | 202 |
5 | Hindi | India | 5 | 260 | 182 (242.6 with Urdu) | (236 with Urdu) |
6 | Bengali | Bangladesh | 4 | 242 | 181 | 189 |
7 | Portuguese | Portugal | 13 | 219 | 178 | 170 |
8 | Russian | Russian Federation | 19 | 154 | 144 | 288 |
9 | Japanese | Japan | 2 | 128 | 122 | 125 |
10 | Lahnda | Pakistan | 6 | 119 | 78.3 | |
11 | Javanese | Indonesia | 3 | 84.4 | 84.6 | |
12 | Korean | Korea | 7 | 77.2 | 66.3 | |
13 | German | Germany | 27 | 76.8 | 90.3 | 98 |
14 | French | France | 53 | 76.1 | 67.8 | 72 |
15 | Telugu | India | 2 | 74.2 | 69.8 | |
16 | Marathi | India | 1 | 71.8 | 68.1 | |
17 | Turkish | Turkey | 8 | 71.1 | 50.8 | |
18 | Urdu | Pakistan | 6 | 69.1 | 60.6 | |
19 | Vietnamese | Viet Nam | 3 | 68.1 | 68.6 | |
20 | Tamil | India | 7 | 68.0 | 65.7 | |
21 | Italian | Italy | 13 | 63.4 | 61.7 | 63 |
22 | Persian | Iran | 30 | 61.9 | ||
23 | Malay | Malaysia | 16 | 60.8 | 39.1 | 47 |
先日大学の授業で,言語における借用 borrowing とは何かという問題について,特に借用語 (loan_word) を念頭に置きつつディスカッションしてみた.以前にも同じようなディスカッションをしたことがあり,本ブログでも「#44. 「借用」にみる言語の性質」 ([2009-06-11-1]),「#2010. 借用は言語項の複製か模倣か」 ([2014-10-28-1]) などで論じてきた.今回あらためて受講生の知恵を借りて考えたところ,新しい洞察が得られたので報告したい.
語の借用を考えるとき,そこで起こっていることは厳密にいえば「借りる」過程ではなく,したがって「借用」という表現はふさわしくない,ということはよく知られていた.そこで,以前の記事では「複製」 (copying),「模倣」 (imitation),「再創造」 (re-creation) 等の別の概念を持ち出して,現実と用語のギャップを埋めようとした.今回のディスカッションで学生から飛び出した洞察は,これらを上手く組み合わせた「参考にした上での造語」という見解である.単純に借りるわけでも,コピーするわけでも,模倣するわけでもない.相手言語におけるモデルを参考にした上で,自言語において新たに造語する,という見方だ.これは言語使用者の主体的で積極的な言語活動を重んじる,新言語学派 (neolinguistics) の路線に沿った言語観を表わしている.
主体性や積極性というのは,もちろん程度の問題である.それがゼロに近ければ事実上の「複製」や「模倣」とみなせるだろうし,最大限に発揮されれば「造語」や「創造」と表現すべきだろう.用語や概念は包括的なほうが便利なので「参考にした上での造語」という「借用」の定義は適切だと思うが,説明的で長いのが,若干玉に瑕である.
いずれにせよ非常に有益なディスカッションだった.
昨日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第7回の記事「接尾辞 -ish の歴史的展開」が公開されました.
今回の話題は,普段注目されることの少ない小さな接尾辞の知られざる歴史です.-ish のような目立たない接尾辞1つを取ってみても,豊かな歴史が詰まっていることを示めそうとしました.chaque mot a son histoire "every word has its own history" ([2012-10-21-1]) ならぬ,"every affix has its own history" というわけです.
この考え方をさらに小さい単位へと延長すれば,"every phoneme has its own history" ともなりますし,これもまた真実です.言語を構成する大小あらゆる単位が常に変化と変異にさらされており,同時にそれらの無数の単位が共時的に秩序だった体系を構成しており,言語として機能しているというのは,驚くべきことではないでしょうか.
連載記事のなかで触れた接辞の生産性 (productivity) については理論的に活発な議論が繰り広げられていますので,以下の関連記事をご覧ください.
・ 「#935. 語形成の生産性 (1)」 ([2011-11-18-1])
・ 「#936. 語形成の生産性 (2)」 ([2011-11-19-1])
・ 「#937. 語形成の生産性 (3)」 ([2011-11-20-1])
・ 「#938. 語形成の生産性 (4)」 ([2011-11-21-1])
・ 「#940. 語形成の生産性と創造性」 ([2011-11-23-1])
・ 「#2706. 接辞の生産性」 ([2016-09-23-1])
今回の連載記事の内容は,「#133. 形容詞をつくる接尾辞 -ish の拡大の経路」 ([2009-09-07-1]) で簡略に紹介しているので,そちらもご覧ください.同接尾辞の詳細な歴史については,以下の拙論で論じていますので,専門的な関心のある方はご参照ください.
■ "The Suffix -ish and Its Derogatory Connotation: An OED Based Historical Study." Journal of the Faculty of Letters: Language, Literature and Culture 108 (2011): 107--32. *
古英語を学習・研究する上で有用な辞書をいくつか紹介する.
(1) Bosworth, Joseph. A Compendious Anglo-Saxon and English Dictionary. London: J. R. Smith, 1848.
(2) Bosworth, Joseph and Thomas N. Toller. Anglo-Saxon Dictionary. Oxford: OUP, 1973. 1898. (Online version available at http://lexicon.ff.cuni.cz/texts/oe_bosworthtoller_about.html.)
(3) Hall, John R. C. A Concise Anglo-Saxon Dictionary. Rev. ed. by Herbert T. Merritt. Toronto: U of Toronto P, 1996. 1896. (Online version available at http://lexicon.ff.cuni.cz/texts/oe_clarkhall_about.html.)
(4) Healey, Antonette diPaolo, Ashley C. Amos and Angus Cameron, eds. The Dictionary of Old English in Electronic Form A--G. Toronto: Dictionary of Old English Project, Centre for Medieval Studies, U of Toronto, 2008. (see The Dictionary of Old English (DOE) and Dictionary of Old English Corpus (DOEC).)
(5) Sweet, Henry. The Student's Dictionary of Anglo-Saxon. Cambridge: CUP, 1976. 1896.
おのおのタイトルからも想像されるとおり,詳しさや編纂方針はまちまちである.入門用の Sweet に始まり,簡略辞書の Hall から,専門的な Bosworth and Toller を経て,最新の Healey et al. による電子版 DOE に至る.DOE を除いて,古英語辞書の定番がおよそ19世紀末の産物であることは注目に値する.この時期に,様々なレベルの古英語辞書が,独自の規範・記述意識をもって編纂され,出版されたのである.
現代風の書き言葉の標準が明確に定まっていない古英語の辞書編纂では,見出し語をどのような綴字で立てるかが悩ましい問題となる.使用者は,たいてい適切な綴字を見出せないか,あるいは異綴りの間をたらい回しにされるかである.大雑把にいえば,入門的な Sweet の立てる見出しの綴字は "critical" で規範主義的であり,最も専門的な DOE は "diplomatic" で記述主義的である.その間に,緩やかに "critical" な Hall と緩やかに "diplomatic" な Bosworth and Toller が位置づけられる.
合わせて古英語語彙の学習には,以下の2点を挙げておこう.
・ Barney, Stephen A. Word-Hoard: An Introduction to Old English Vocabulary. 2nd ed. New Haven: Yale UP, 1985.
・ Holthausen, Ferdinand. Altenglisches etymologisches Wōrterbuch. Heidelberg: Carl Winter Universitätsverlag, 1963.
Holthausen の辞書は,古英語語源辞書として専門的かつ特異な地位を占めているが,語源から語彙を学ぼうとする際には役立つ.Barney は,同じ趣旨で,かつ読んで楽しめる古英語単語リストである.
接続詞 or は初期中英語に初出する,意外と古くはない接続詞である.古英語では類義で oþþe, oþþa が用いられており,その起源は *ef þau (if or) の短縮形と考えられている(Old Saxon に eftho が文証される).これらの古英語形は1225年頃に消失し,1200年頃から代わって台頭してきたのが語尾に r を付加した oþer である.この r の付加は,outher (OE āþer, ǣġhwæþer "either"), whether (OE hwæþer) からの類推 (analogy) によるものと説明される.似たような類推作用は,古高地ドイツ語 aber, weder の影響下で odo, eedo に r が付加された現代高地ドイツ語の oder にも見受けられる.
oþer は間もなく弱化して中間子音が落ち,短い語形 or へと発展した.これは,ever から e'er への弱化・短化とも比較される.しかし,南部方言では16世紀後半まで強形の other がよく保存されていたことに注意を要する.現代英語の相関表現 (either) A or B は,古くは other A other B や other A or B とも言われ,さらに or A or B へと発展した.この最後の表現は Shakespeare でも頻出するが,その後すたれた.
なお,「他の」を表わす other は,上記と直接語源的に関連しない.こちらは「#1162. もう1つの比較級接尾辞 -ther」 ([2012-07-02-1]),「#1107. farther and further」 ([2012-05-08-1]) で触れたように,either, neither, whether, after, nether, bresbyter, further などと同じ接尾辞に由来する.もっとも,上述の通り "or" の意味の other の r が,これらの語の語尾に影響されたらしいという事情を考えれば,起源を共有するとはいえずとも,間接的な関係はあったとみなせる.
英語史を,1民族言語だった英語が偉大な世界語へと成長していく成功物語であると見る向きは少なくない.中世にはイングランドという一国のなかですらフランス語のもとで卑しい身分の言語にすぎなかったものが,近代以降に一気に世界に躍り出ていったという経緯を知れば,まさにシンデレラ・ストーリーに思えてくるかもしれない.
しかし,Romaine (54--55) によれば,この物語には3つの大きな皮肉と逆説がある.第1に,英語の母国であるイングランドは,大英帝国を築きあげ,世界中に英語を拡散させたものの,足下にあるともいえるアイルランド,スコットランド,ウェールズで今なお100%の英語化を果たしていないという現実がある.話者人口は少ないとはいえ,そこではケルト系諸語が話されているのだ.灯台下暗し,というべき皮肉だ.
第2に,英語が公用語として制定されているのは,Outer Circle の地域ばかりであり,Inner Circle の地域ではない(「#217. 英語話者の同心円モデル」 ([2009-11-30-1]),「#427. 英語話者の泡ぶくモデル」 ([2010-06-28-1])).このことは,英語を母語とする Inner Circle の地域(典型的には英米)において英語は事実上の公用語であり,ことさらに公言する必要もないからと説明されるが,アメリカでは,「#1657. アメリカの英語公用語化運動」 ([2013-11-09-1]) や「#256. 米国の Hispanification」 ([2010-01-08-1]) の記事で見た通り,現実的に英語公用語化という社会問題が持ち上がっている.英語を話す筆頭国において,これまで自明だった言語状況が変化してきているというのは,逆説的である.
第3に,英米をはじめとする主要な英語母語国において,標準英語を巡る "insecurity" が絶えないことが挙げられる.要するに,正用と誤用を巡る "complaint tradition" や "linguistic complaint literature" が今なお産出され続けていることだ.英語が世界的に「成功」したというのであれば,お膝元の英米などにおいて,言語としての基盤が揺らいでいるというのは,皮肉であり逆説でもある.
一見するところ華やかな「成功物語」の裏には,大いなる陰がある.
・ Romaine, Suzanne. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998. 1--56.
昨日の記事 ([2017-07-16-1]) に引き続き,標題の第4弾.後期近代英語期に対する関心と注目が本格的に増してきたのは,「#2993. 後期近代英語への関心の高まり」 ([2017-07-07-1]) で見たとおり,今世紀に入ってからといっても過言ではない.しかし,それ以前にもこの時代に関心を寄せる個々の研究者はいた.早いところでは,英語史の名著の1つを著わした Strang も,少なからぬ関心をもって後期近代英語期を記述した.Strang は,この時代に体系的な音変化が生じていない点を指摘し,同時代が軽視されてきた一因だとしながらも,だからといって語るべき変化がないということにはならないと論じている.
Some short histories of English give the impression that changes in pronunciation stopped dead in the 18c, a development which would be quite inexplicable for a language in everyday use. It is true that the sweeping systematic changes we can detect in earlier periods are missing, but the amount of change is no less. Rather, its location has changed: in the past two hundred years changes in pronunciation are predominantly due, not, as in the past, to evolution of the system, but to what, in a very broad sense, we may call the interplay of different varieties, and to the complex analogical relationship between different parts of the language. (78--79)
(音)変化の現場が変わった,という言い方がおもしろい.では,現場はどこに移動したかといえば,変種間の接触という社会言語学的な領域であり,体系内の複雑な類推作用という領域だという.
ここで Strang に質問できるならば,では,中世や初期近代における言語変化は,このような領域と無縁だったのか,と問いたい.おそらく無縁ということはなく,かつても後期近代と同様に,変種間の相互作用や体系内の類推作用はおおいに関与していただろう.ただ異なるのは,かつての時代の言語を巡る情報は後期近代英語期よりもアクセスしにくく,本来の複雑さも見えにくいということではないか.後期近代英語期は,ある程度の社会言語学的な状況も復元することができてしまうがゆえに,問題の複雑さも実感しやすいということだろう.解像度が高いだけに汚れが目立つ,とでも言おうか.つまり,変化の現場が変わったというよりは,最初からあったにもかかわらず見えにくかった現場が,よく見えるようになってきたと表現するのが妥当かもしれない.もちろん,現代英語期については,なおさらよく見えることは言うまでもない.
・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.
標題に関して「#319. 英語話者人口の銀杏の葉モデル」 ([2010-03-12-1]),「#339. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由」 ([2010-04-01-1]),「#386. 現代英語に起こっている変化は大きいか小さいか」 ([2010-05-18-1]),「#622. 現代英語の文法変化は統計的・文体的な問題」 ([2011-01-09-1]),「#1430. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由 (2)」 ([2013-03-27-1]) で取り上げてきたが,もう1つ議論の材料を追加したい.
近代英語末期から現代英語期にかけての時代を扱った Cambridge 英語史シリーズ第4巻の編者 Romaine は,序章でこの時代を次のように特徴づけている (1) .
The final decades of the eighteenth century provide the starting point for this volume --- a time when arguably less was happening to shape the structure of the English language than to shape attitudes towards it in a social climate that became increasingly prescriptive. . . . The most radical changes to English grammar had already taken place over the roughly one thousand years preceding the starting year of this volume.
この時期には,言語体系に影響するような変化はさほど起こっておらず,むしろ話者の態度における変化(主として規範主義的言語観の定着)が顕著に見られるのだという.言い換えれば,言語学的な変化というよりは社会言語学的な変化に特徴づけられる時代ということであり,歴史社会言語学的な側面がクローズアップされる時代ということになる.
この時期,特に文法の分野で大規模な変化として見るべきものがないことは,「#622. 現代英語の文法変化は統計的・文体的な問題」 ([2011-01-09-1]) で触れた通りだが,Romaine (2) も同じ趣旨で次のように論じている.
The immediately preceding period dealt with in Volume III (1476--1776) of this series, the Early Modern Period, has often been described as the formative period in the history of Modern Standard English. By the end of the seventeenth century what we might call the present-day 'core' grammar of Standard English was already firmly established. As pointed out by Denison in his chapter on syntax, relatively few categorical innovations or losses occurred. The syntactic changes during the period covered in this volume have been mainly statistical in nature, with certain construction types becoming more frequent.
もちろん,(後期)近代英語期に英語史の流れが本当に止まったわけではない.言語内的な変化は,先行する時代に比して確かに目立たないと言えそうだが,言語外的な変化は激しく生じている.英語史が内的な歴史(内面史)と外的な歴史(外面史)の和である以上,その流れが止まることは決してない.
・ Romaine, Suzanne. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998. 1--56.
アングロサクソン人とヴァイキングとの戦いが勢いを増した9世紀末,アルフレッド大王はよく防戦したものの,イングランド北東部をヴァイキングに明け渡すことになった.その領土は Danelaw と呼ばれ,以降数世紀にわたって両民族および両言語(古英語と古ノルド語)が共存し,混合する場となった(関連する地図として「#818. イングランドに残る古ノルド語地名」 ([2011-07-24-1]) や「#1937. 連結形 -son による父称は古ノルド語由来」 ([2014-08-16-1]) を参照).
しかし,数世紀後の中英語の北部・東部方言を観察してみると,両言語の共存と混合の結果は明らかに英語の保存であり,古ノルド語による英語の置換ではなかった.確かに古ノルド語の影響はここかしこに見られるが (cf. 「#1253. 古ノルド語の影響があり得る言語項目」 ([2012-10-01-1])) ,結果としての言語は「変化した英語」であり「変化した古ノルド語」ではなかったのである.
なぜ逆の方向の言語交替 (language_shift) が起こらなかったのだろうか.単純に Danelaw における民族構成の人口統計的な問題に帰すことができるのだろうか.あるいは,他の社会的な要因に帰すべきだろうか.決定的な答えを与えることは難しいが,1つ考慮に入れるべき重要な要素がある.Gooden (38--39) より,関連する文章を引こう.
In the long run, . . . it was the Old Norse speakers who ceded to the English language. There was still a large proportion of native speakers in Danelaw, and within a few years of King Alfred's death in 899 his son Edward had begun a campaign to restore English rule over the whole country. For most of the tenth century under leaders such as Athelstan --- the first ruler who could justifiably be referred to as the king of all of England --- the Vikings were defeated or kept at bay. Additionally, the fact that Old Norse was an oral rather than written culture would have weakened its chances in the 'battle' with English.
引用の最後の部分からわかるように,アングロサクソン人の間に定着していた文字文化の重み,もう少し仰々しくいえば独自の文学伝統の存在が,古ノルド語に対して英語を勝ち残らせた要因の1つである,という主張だ.この見解は,正鵠を射ていると思う.考えてみれば,それほど時間の隔たっていない11世紀半ばのノルマン征服 (norman_conquest) においても,英語はノルマン・フレンチ (norman_french) に置き換えられることがなかった.ここでも人口統計や種々の社会的な要因を考慮に入れなければならないことは言うまでもないが,「#1461. William's writ」 ([2013-04-27-1]) で指摘したように,征服者側にも「すでに長い書き言葉の伝統をもった言語への一種のリスペクト」があったのではないか.文明の何たるかをかりそめにも知っている者たちは,確固たる書き言葉の伝統を有する民族と言語には一目を置かざるを得ないように思われる.
・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
古ローマ暦では春分を年の始まりとしたため,現在の暦よりも2ヶ月ずれていた.したがって,現在の7月はかつての5月に対応し,これはラテン語で Quinctilis (第5の月)と称されていた.しかし,Marcus Antonius (83?--30 B.C.) が,帝政開始前の最後の支配者であり友人でもあった Julius Caesar (100--44 B.C.) の死後,神格化すべく,その出生月にちなんで,この月の名前を Jūlius (mēnsis) へと変更した.これが後に古フランス語 jule や古ノルマン・フランス語 julie を経由して,初期中英語期に juil, iulie 等の綴字で借用された.なお,Julius は *Jovilios の短縮形であり,Jove や Jupiter と語根を共有する.Julius Caesar は,したがって,Jupiter の血を引く正統な家系に属するとみなされた.
古英語末期には直接ラテン語形が用いられたが,7月を表わす本来的な表現としては,līþa se æfterra (the later līþa) と呼ばれた.これについては,「#2983. 6月,June,水無月」 ([2017-06-27-1]) の記事も参照.
July の標準的な発音は /ʤʊˈlaɪ/ だが,18世紀には第1音節に強勢が置かれる /ˈʤuːli/ という発音が行なわれており,現在でも米国南部で聞かれる.標準発音は,おそらく June との混同を避けるための異化 (dissimilation) によるものと考えられる(cf. 「いちがつ」と区別するための「なながつ」(7月)という読み方).
日本語の7月の別称「文月」は,稲の穂のフフミヅキ(含月)に由来するとも,七夕に詩歌の文を添えることに由来するとも言われる.
月名シリーズの記事として「#2910. 月名の由来」 ([2017-04-15-1]),「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]),「#2896. 4月,April,卯月」 ([2017-04-01-1]),「#2939. 5月,May,皐月」 ([2017-05-14-1]),「#2983. 6月,June,水無月」 ([2017-06-27-1]) を参照.
標準英語の規範文法 (prescriptive_grammar) では,二重否定 (double negative) が忌避される.「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) のランキングにも入り込んでいる項目であり,誤用の悪玉のようにみなされている.古い英語では二重否定ばかりか多重否定がごく普通に用いられてきた事実があり,それはこの語法に言語学的な効用が確かにあることを物語っているように思われるが,規範主義の立場からはダメの一点張りである(「#549. 多重否定の効用」 ([2010-10-28-1]) を参照).
標準英語における二重否定は,このように18世紀の規範文法の強力な影響下で忌避されるに至り,現在まで敵視されているというのが通常の見方だが,この見方は必ずしも正確ではないようだ.先行研究を参照しつつ Tieken-Boon van Ostade (81) が,次のように指摘している.
Many scholars believe that the disappearance of double negation from standard English was due to the influence of the normative grammarians, but Nevalainen and Raumolin-Brunberg . . . have shown that double negation was already on the way out during the EModE period. The same is true for another 'double' construction, the use of double comparatives and superlatives, no longer in general use either when first condemned by the grammarians (González-Díaz 2008)
言及されている先行研究に戻って確かめていないが,もしこの見方がより正確なものだとすれば,先に自然の言語使用において二重否定(や二重比較級・最上級)が廃れ出し,その事実を受けて18世紀の文法家がすでに劣勢だった件の構造に駄目を出した,という順序だったことになる.
二重否定については,double negative の外部記事を,また二重比較級については「#195. Shakespeare に関する Web resources」 ([2009-11-08-1]) の hellog 記事を参照.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
昨日の記事「#2997. 1800年を境に印刷から消えた long <s>」 ([2017-07-11-1]) の最後に触れたように,十分に現代英語に近いと感じられる18世紀でも(そして部分的に19世紀ですら),印刷と手書きは,文字や綴字の規範に関して,2つの異なる世界を構成していたといってよい.換言すれば,2つの正書法が存在していた(しかも,各々は現代的な意味での水も漏らさぬ強固な規範というわけではなかった).印刷はおよそ「公」であり,手書きは「私」であるから,正書法は公私で使い分けるべき二重基準となっていたのである.
この差異が最も印象的に見られるのは,Johnson の辞書での綴字と,Johnson の私的書簡での綴字である.例えば,Johnson は辞書での綴字とは異なり,書簡では companiable, enervaiting, Fryday, obviateing, occurences, peny, pouns, stiched, chappel, diner, dos (= does) 等の綴字を書いている (Tieken-Boon van Ostade 42) .このような状況は他の作家についても同様に見られることから,Johnson が綴り下手だったとか,自己矛盾を起こしているなどという結論にはならない.むしろ,公的な印刷と私的な手書きとで異なる綴字の基準があり,それが当然視されていた,ということである.
このような状況は,現代の我々にとっては理解しにくいかもしれないが,当時の綴字教育の現状を考えてみれば自然のことである.後期近代英語期には綴字の教科書は多く出版されたが,それは子供たちに印刷されたテキストを読めるようにするための教科書であり,子供たちが自ら綴字を書くことを訓練する教科書ではなかった.印刷テキストの綴字は,印刷業者によって慣習的に定められた正書法が反映されており,子供たちはその体系的な綴字を「読む」訓練こそ受けたが,「書く」訓練は特に受けていなかった.そのような子供たちが手書きで書簡を認める段には,当然ながら印刷テキストに表わされている正書法に則って綴ることはできない.しかし,だからといって単語をまったく綴れないということにはならないし,書簡の受け手に誤解されることもほとんどないだろう.
そして,この状況は,綴字を学んでいる子供たちのみならず,文字を読み書きする大人たちにも一般に当てはまった.印刷と手書きの対立は,公私の対立のみならず,綴字を読む能力と書く能力の対立でもあったのだ.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
18世紀の印刷本のテキストを読んでいると,中世から続く <s> の異字体 (allograph) である <<ʃ>> がいまだ頻繁に現われることに気づく.この字体は "long <s>" と呼ばれており,現代までに廃れてしまったものの,英語史の長きにわたって活躍してきた異字体だった.Tieken-Boon van Ostade (40) に引かれている ECCO からの例文により,<<ʃ>> の使われ方を見てみよう.
. . . WHEREIN / THE CHAPTERS are ʃumm'd up in Contents; the Sacred Text inʃerted at large, in Paragraphs, or Verʃes; and each Paragraph, or Verʃe, reduc'd to its proper Heads; the Senʃe given, and largely illuʃtrated, / WITH / Practical Remarks and Obʃervations
見てわかる通り,すべての <s> が <<ʃ>> で印刷されているわけではない.基本的には語頭か語中の <s> が <<ʃ>> で印刷され,語末では通常の <<s>> しか現われない.また,語頭でも大文字の場合には <<S>> が用いられる.ほかに,Idleneʃs や Busineʃs のように,<ss> の環境では1文字目が long <s> となる.
しかし,この long <s> もやがて廃用に帰することとなった.印刷においては18世紀末に消えていったことが指摘されている.
Long <s> disappeared as a printing device towards the end of the eighteenth century, and its presence or absence is today used by antiquarians to date books that lack a publication date as dating from either before or after 1800. (Tieken-Boon van Ostade 40)
注意すべきは,1800年を境に long <s> が消えたのは印刷という媒体においてであり,手書き (handwriting) においては,もうしばらく long <s> が使用され続けたということである.「#584. long <s> と graphemics」 ([2010-12-02-1]) で触れたように,手書きでは1850年代まで使われ続けた.印刷と手書きとで使用分布が異なっていたことは long <s> に限らず,他の異字体や異綴字にも当てはまる.現代の感覚では,印刷にせよ手書きにせよ,1つの共通した正書法があると考えるのが当然だが,少なくとも1800年頃までは,そのような感覚は稀薄だったとみなすべきである.
long <s> について,「#1152. sneeze の語源」 ([2012-06-22-1]),「#1732. Shakespeare の綴り方 (2)」 ([2014-01-23-1]) も参照されたい.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
Tieken-Boon van Ostade (138) による後期近代英語の概説書を読んでいて,英文法書とレシピ本に見られる思いも寄らない共通点を教えられた.
Between 1500 and 1850, the number of such books [= cooking recipes] increased dramatically, which, interestingly, shows a parallel with the steep rise in the publication of English grammars since the 1760s . . . . Their reading public was also similar: people who desired access to the 'polite' middle classes, and who needed tools for this, even cookery books. Another similarity is that writers of cookery books often 'copy from existing collections so that such compilations tend to be "improvements" of earlier cookery books' (Görlach 1992: 750).
まず,両テキストタイプともに,近代期を通じて出版が伸び続けており,とりわけ18世紀後半に増加したという.また,その需要はいずれも上昇志向の強い中流階級に支えられていたという点が指摘されている.いずれも,気品ある紳士淑女にとって「たしなみ」と捉えられていたのである.さらに,著者たちが「改善」と称して,既刊書からのコピペを当たり前のように行なっていたということも共通点だ.現在であれば明らかに剽窃として罰せられるところだが,当時は珍しいことではなかったのだろう.とはいえ,18世紀後半には,顰蹙を買うに足る行為と認識されるようになっていたようである.
昨今の日本では,結婚相手として男女ともに料理のたしなみが求められるようになってきているようだが,特に日本語文法の知識は求められていない.これはある意味でほっとするところである.18世紀のイギリス社会は, "social climbers" にとって生きるのも楽ではなかったのだなあと考えさせる意外な共通点だった.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
17世紀後半から18世紀にかけて語彙の増加が比較的低迷した時期がある.この事実は「#203. 1500--1900年における英語語彙の増加」 ([2009-11-16-1]),「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1]) のグラフより,一目瞭然だろう.英国史では,一般に1700年に前後する時代は保守的で渋好みの新古典主義時代(Augustan Age) と称されており,その傾向が言語上に新語彙導入の低迷というかたちで反映していると解釈することができる(関連して,「#2650. 17世紀末の質素好みから18世紀半ばの華美好みへ」 ([2016-07-29-1]),「#2782. 18世紀のフランス借用語への「反感」」 ([2016-12-08-1]) を参照).
この時代の語彙的保守性には歴史的背景がある.1つは,先立つ時代,特に16世紀後半から17世紀前半に,ラテン語やギリシア語といった古典語から大量の語彙が流入したという事実がある.「インク壺用語」 (inkhorn_term) と揶揄されるほどの,鼻につくような外国語の洪水に特徴づけられた時代である.このような大量借用は,確かに部分的には必要だった.科学,宗教,医学,哲学などの媒介言語がラテン語から英語へと急激に切り替わる時代にあって,英語は多くの語彙を確かに必要とした.しかし,短期集中で語彙を借用した結果,早々と英語の「語彙の必要」は満たされ,続く時代にはそれ以上借用するものがなくなってきた.Augustan Age で相対的に語彙借用が減ったのは,先立つ時代の「借用しすぎ」によるところも大きかったと思われる.語彙史も,ピークばかりでは疲れてしまうということか.
もう1つの歴史的背景としては,Augustan Age は,前時代の「借用しすぎ」を差し引いても,やはり保守的な言語観に支配されていた時代だったという事実がある.例えば,Jonathan Swift (1667--1745) や Joseph Addison (1672--1719) は当時を代表する保守派の論客であり,英語の堕落を嘆き,その改善・洗練・固定化を目指すために活発な執筆活動を行なっていた.「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) や「#1948. Addison の clipping 批判」 ([2014-08-27-1]),「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) に見られるように,時代の雰囲気は,華美を避け,質実剛健を求める保守主義だったのである.
Augustan Age の全体的な言語的傾向としては上記の通りだが,個々の年でいえば,例外的に新語彙導入の目立つ年もあった.例えば,1740年代から50年代にかけては,全体として語彙増加が最も低調な時代ではあるが,1753年には Chambers' Cyclopaedia が出版されており,そこに多くの科学用語が含まれていたために,例外的に語彙の生産力が高まった年として記録されている (Beal 21) .具体例を挙げれば,ラテン語およびギリシア語から adarticulation, aeronautics, azalea, ballistics, hydrangea, primula, sphagnum, trifoliate; anthropomorphism, eczema, mnemonic, urology 等が,この年に記録されている.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
昨日の記事「#2993. 後期近代英語への関心の高まり」 ([2017-07-07-1]) で,近年の後期近代英語研究の興隆について紹介した.後期近代英語 (Late Modern English) とは,いつからいつまでを指すのかという問題は,英語史あるいは言語史一般における時代区分 (periodisation) という歴史哲学的な問題に直結しており,究極的な答えを与えることはできない(比較的最近では「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]),「#2774. 時代区分について議論してみた」 ([2016-11-30-1]),「#2960. 歴史研究における時代区分の意義」 ([2017-06-04-1]) で議論したので参照).
ややこしい問題を抜きにすれば,後期近代英語期は1700--1900年の時期,すなわち18--19世紀を指すと考えてよい.もちろん,1700年や1900年という区切りのわかりやすさは,時代区分の恣意性を示しているものと解釈すべきである.ここに社会史に沿った観点から細かい修正を施せば,英国史における「長い18世紀」と「長い19世紀」を加味して,後期近代とは王政復古の1660年から第1次世界大戦終了の1918年までの期間を指すものと捉えるのも妥当かもしれない.特に社会史と言語史の密接な関係に注目する歴史社会言語学の立場からは,この「長い後期近代英語期」の解釈は,適切だろう.Beal (2) の説明を引く.
Of course, it would be foolish to suggest that any such period could be homogeneous or that the boundaries would not be fuzzy. The starting-point of 1700 is particularly arbitrary, especially since . . . the obvious political turning-point which might mark the Early/Later Modern English boundary is the restoration of the monarchy in 1660. This coincides with the view of historians that the 'long' eighteenth century extends roughly from the restoration of the English monarchy (1660) to the fall of Napoleon (1815). On the other hand, the 'long' nineteenth-century in European history is generally acknowledged as beginning with . . . 'the great bourgeois French Revolution' of 1789 . . . and concluding with the end of World War I in 1918 . . . .
終点をさらに少しく延ばして第2次世界大戦の終了の1945年にまで押し下げて,「非常に長い後期近代英語期」を考えることもできるかもしれない.このように見てくると,この約3世紀に及ぶ期間が,いまや世界的な言語である英語の歴史を論じるにあたって,極めて重要な時代であることは自明のように思われる.しかし,この時期に本格的な焦点が当たり始めたのは,今世紀に入ってからなのである.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
この20年ほどの間,特に21世紀に入ってから,英語史の分野では後期近代英語 (Late Modern English; 18--19世紀の英語) への関心が高まってきている.逆にいえば,現代英語に接続する最も「近い」時代の英語が,これまで正当に評価されてこなかったという見方もできるだろう.この見方は,18--19世紀の英語研究を表現する Charles Jones の有名な句 "the Cinderellas of English historical linguistic study" に端的に表わされている (Jones, Charles. A History of English Phonology. London: Longman, 1989. p. 279) .
後期近代英語に関する本格的な研究書は1990年代から現れ始め,2001年にはエディンバラ大学でこの時代に焦点を当てた初めての国際学会が開かれるなど,にわかに活況を呈してきた.この近年の英語史研究の潮流は,いったい何に起因するのだろうか.
Beal (xi--xii) によれば,2つの理由があるという.1つはミレニアム,もう1つは歴史社会言語学とコーパス言語学の発達と熟成である.前者について,次のように述べられている.
Perhaps the most obvious clue is in the millennium itself: the nineteenth century is no longer 'the last century', so that there is the perception that a 'safe' distance now exists between the 'Later Modern' period the the present day.
要するに,研究者が19世紀を「歴史」として捉えられるだけの時間差と心の余裕を得たということになろう.完全かつ安全に過去のものとなった,という認識である.2点目の言語学史的な潮流に関しては,Beal (xii) は次のように指摘している.
A second explanation for the recent upsurge in interest in this period lies in the change of emphasis within historical linguistics from the purely theoretical to socio-historical and corpus-based approaches to the study of language.
"socio-historical" や "historical sociolinguistic" と表わされる「歴史社会言語学」という表現自体が比較的新しいものであり,いまだ定着しつつ過程にあるにすぎないが,1つの有望な領域であるとは私も確信している (cf. 「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1])) .また,コーパス言語学の手法の発達とあらゆるテキストの電子可は,英語史研究者が時代を自由にまたいで越えていくことを可能にし,結果として比較的手薄だった近代英語研究の間口を広げることに貢献したといえる(「#368. コーパスは研究の可能性を広げた」 ([2010-04-30-1]) を参照).近代英語には,中世と現代の双方から歩み寄ることのできる「出会いの場」としての役割も期待されている.
英語史研究で盛り上がりをみせている後期近代英語期に,今後も要注目である.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
中英語期では,不定詞補文が著しく発達した.Los (Los, Bettelou. The Rise of the to-Infinitive. Oxford: OUP, 2005.) を参照した Sawada (28) に簡潔にまとめられているように,その発達には,(1) 原形不定詞の生起する環境が狭まる一方で to 不定詞の頻度が顕著に増したという側面と,(2) 古英語では見られなかった種々の新しい不定詞構造が現われたという側面がある.(2) については,5種類の新構造が指摘される.以下に,現代英語からの例文とともに示そう.
(a) 受動態の to 不定詞: The clothes need to be washed.
(b) 完了の have を伴う to 不定詞: He expected to have finished last Wednesday.
(c) 独立して否定される to 不定詞: They motioned to her not to come any further.
(d) いわゆる不定詞付き対格構文における to 不定詞: They believed John to be a liar.
(e) 分離不定詞 (split infinitive): to boldly go where no one has gone before.
このような近現代的な to 不定詞構造が生まれた背景には,対応する that 節による補語の衰退も関与している.というよりは,結果的には that 節の果たした節として種々の機能が,複雑な構造をもつ to 不定詞に取って代わられた過程と理解すべきだろう.しかし,この置換は一気に生じたわけではなく,受動態などの複雑な意味・構造が関わる場合には that 節の補文がしばらく保たれたことに注意すべきである.
・ Sawada, Mayumi. "The Development of a New Infinitival Construction in Late Middle English: The Passive Infinitive after Suffer." Studies in Middle and Modern English: Historical Variation. Ed. Akinobu Tani and Jennifer Smith. Tokyo: Kaitakusha, 2017. 27--47.
ルーン文字について,「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) を始め runic の記事で話題としてきた.現代において,ルーン文字はしばしば秘術と結びつけられ,神秘的なイメージをもってとらえられることが多いが,アングロサクソン文化で使用されていた様子に鑑みると,そのイメージは必ずしも当たっていないかもしれない.5--6世紀のルーン文字で書かれたアングロサクソン碑文は武器,宝石,記念碑などの工芸品に刻まれている例が多い.墓碑銘ではたいてい "X raised this stone in memory of Y" のような短い定型句が書かれているにすぎず,文体のヴァリエーションが少ないというのもルーン文字使用の特徴である.ルーン文字が主として秘術に利用されたという積極的な証拠は,実は乏しい.
しかし,「#1009. ルーン文字文化と関係の深い語源」 ([2012-01-31-1]) でみたように語源的にもオカルト的なオーラは感じられるし,「#1897. "futhorc" の acrostic」 ([2014-07-07-1]) で紹介した言葉遊びの背後には,ルーン文字に宿る言霊の思想のようなものが想定されているようにも思われる.
文字における言霊といえば,表語文字である漢字が思い浮かぶ.漢字は原則として1文字で特定の語に対応しているので,特定の意味を直接的に想起させやすい.この点,アルファベットなどの表音文字とは性質が異なっている.
アルファベットは,ローマン・アルファベットにせよギリシア・アルファベットにせよ,各文字は単音を表わすのみであり,具体的な意味を伴うわけではない.確かにローマン・アルファベットの各文字には「エイ」「ビー」などの名前がついているが,まるで無意味である(「#1831. アルファベットの子音文字の名称」 ([2014-05-02-1]) を参照).また,ギリシア・アルファベットでは各文字に alpha, beta などの有意味とおぼしき名前がつけられているが,その名前を表わしている単語は,あくまでセム語レベルで有意味だったのであり,ギリシア人にとって共時的には無意味だったろう(「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]),「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]) を参照).
ところが,ルーン文字については,各文字に,母語たるゲルマン語において共時的に有意味な名前が付されていた.つまり,漢字と同様に,各文字が直接に語と意味を想起させるのである.それゆえ,後に置き換えられていくローマン・アルファベットと比べて,言霊的な力を担いやすかったという事情はあったのではないか.Crystal (180) より,各ルーン文字と対応する語の一覧を示そう(Wikipedia より Runes の一覧表も参照).
Rune | Anglo-Saxon | Name | Meaning (where known) |
---|---|---|---|
ᚠ | f | feoh | cattle, wealth |
ᚢ | u | ūr | bison (aurochs) |
ᚦ | þ | þorn | thorn |
ᚩ | o | ōs | god/mouth |
ᚱ | r | rād | journey/riding |
ᚳ | c | cen | torch |
ᚷ | g [j] | giefu | gift |
ᚹ | w | wyn | joy |
ᚻ | h | hægl | hail |
ᚾ | n | nied | necessity/trouble |
ᛁ | i | is | ice |
ᛡ | j | gear | year |
ᛇ | ȝ | ēoh | yew |
ᛈ | p | peor | ? |
ᛉ | x | eolh | ?sedge |
ᛋ | s | sigel | sun |
ᛏ | t | tiw/tir | Tiw (a god) |
ᛒ | b | beorc | birch |
ᛖ | e | eoh | horse |
ᛗ | m | man | man |
ᛚ | l | lagu | water/sea |
ᛝ | ng | ing | Ing (a hero) |
ᛟ | oe | eþel | land/estate |
ᛞ | d | dæg | day |
ᚪ | a | ac | oak |
ᚫ | æ | æsc | ash |
ᚤ | y | yr | bow |
ᛠ | ea | ear | ?earth |
ᚸ | g [ɣ] | gar | spear |
ᛦ | k | calc | ?sandal/chalice/chalk |
ᛤ | k~ | (name unknown) |
14世紀半ばにイングランド(のみならずヨーロッパ全域)を襲った Black Death (黒死病; black_death)の英語史上の意義については,「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1]),「#138. 黒死病と英語復権の関係について再考」 ([2009-09-12-1]),「#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考」 ([2009-09-13-1]) で論じてきた.
この世界史上悪名高い疫病につけられた Black Death という名前は,実は後世の造語である.『英語語源辞典』によると,英語での初例は1758年と意外に遅く,ドイツ語のder schwarze Tod のなぞり (loan_translation) とされる.16世紀よりスウェーデン語で swarta dödhen が,デンマーク語で den sorte död がすでに用いられており,それがドイツ語でなぞられたものが,一般的な疫病の意味でヨーロッパ諸語に借用されたものらしい.14世紀半ばのイギリス史上の疫病を指す用語としての Black Death は,1823年に "Mrs Markham" (Mrs Penrose) が導入し,1833年には医学書で上述のようにドイツ語を参照して使われ出したとされ,それ以前には the pestilence, the plague, great pestilence, great death などと呼ばれていた.
なぜ「黒」なのかという点については,この病気にかかると体が黒くなることに由来すると言われるが,詳細は必ずしも明らかではない.参考までに,Gooden (68) には次のように解説されている.
The term 'Black Death' came into use after the Middle Ages. It was so called either because of the black lumps or because in the Latin phrase atra mors, which means 'terrible death', atra can also carry the sense of 'black'.
・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
英語に作用する求心力と遠心力の問題(cf. 「#2073. 現代の言語変種に作用する求心力と遠心力」 ([2014-12-30-1]))を議論する際には,英語史の知識がおおいに役立つ.英語の歴史において,英語は常に複数形の Englishes だったのであり,単数形 English の発想が生まれたのは,近代以降に標準化 (standardisation) という社会言語学的なプロセスが生じてから後のことである.そして,その近代以降ですら,実際には諸変種は存在し続けたし,むしろ英語が世界中に拡散するにつれて変種が著しく増加してきた.その意味において,English とはある種の虚構であり,英語の実態は過去も現在も Englishes だったのである.
では,21世紀の英語,未来の英語についてはどうだろうか.求心力と遠心力がともに働いていくとおぼしき21世紀において,私たちは English を語るべきなのか,Englishes を語るべきなのか.この問題を議論するにあたって,Gooden (230--31) の文章を引こう.
After undergoing many changes at the hands of the Angles and Saxons, the Norman French, and a host of other important but lesser influences, English itself has now spread to become the world's first super-language. While this is a process that may be gratifying to native speakers in Britain, North America, Australia and elsewhere, it is also one that raises certain anxieties. The language is no longer 'ours' but everybody's. The centre of gravity has shifted. Until well into the 19th century it was firmly in Britain. Then, as foreseen by the second US president John Adams ('English is destined to be in the next and succeeding centuries [ . . . ] the language of the world'), the centre shifted to America. Now there is no centre, or at least not one that is readily acknowledged as such.
English is emerging in pidgin forms such as Singlish which may be scarcely recognizable to non-users. Even the abbreviated, technical and idiosyncratic forms of the language employed in, say, air-traffic control or texting may be perceived as a threat to some idea of linguistic purity.
If these new forms of non-standard English are a threat, then they are merely the latest in a centuries-long line of threats to linguistic integrity. What were the feelings of the successive inhabitants of the British Isles as armies, marauders and settlers arrived in the thousand years that followed the first landing by Julius Caesar? History does not often record them, although we know that, say, the Anglo-Saxons were deeply troubled by the Viking incursions which began in the north towards the end of the eighth century. Among their responses would surely have been a fear of 'foreign' tongues, and a later resistance to having to learn the vocabulary and constructions of outsiders. Yet many new words and structures were absorbed, just as the outsiders, whether Viking or Norman French, assimilated much of the language already used by the occupants of the country they had overrun or settled.
With hindsight we can see what those who lived through each upheaval could not see, that each fresh wave of arrivals has helped to develop the English language as it is today. Similarly, the language will develop in the future in ways that cannot be foreseen, let alone controlled. It will change both internally, as it were, among native speakers, and externally at the hands of the millions in Asia and elsewhere who are already adopting it for their own use.
ここでは言語的純粋性 (linguistic purity; purism) についても触れられているが,いったい正統な英語というものは,単数形で表現される English というものは,存在するのだろうか.存在するとすれば,具体的に何を指すのだろうか.あるいは,存在しないとすれば,「英語」とは諸変種の集合体につけられた抽象的な名前にすぎず,意味上は Englishes に相当する集合名詞に等しいのだろうか.
これは英語の現在と未来を論じるにあたって,実にエキサイティングな論題である.「#2986. 世界における英語使用のジレンマ」 ([2017-06-30-1]) の問題と合わせて,ディスカッション用に.
・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
14世紀後半の Wycliffe (一門)による聖書英訳は,英国史や聖書翻訳史のみならず英語史においても重要なできごとである.ラテン語原典から完訳した英訳聖書として初のものであり,時代をはるかに先取りした「宗教改革」ののろしだった.
Wycliffe は,いかにして聖書の英訳を正当化しようとしたか.その口上が,Wyclif's Treatise, De Officio Pastorali (Chapter 15) に見られる.中英語テキストの講読に適している箇所と思うので,Crystal (198) に掲載されている校訂テキストを引用しよう.
Also the worthy reume of Fraunse, notwithstondinge alle lettingis, hath translated the Bible and the Gospels, with othere trewe sentensis of doctours, out of Lateyn into Freynsch. Why shulden not Engliyschemen do so? As lordis of Englond han the Bible in Freynsch, so it were not aghenus resoun that they hadden the same sentense in Engliysch; for thus Goddis lawe wolde be betere knowun, and more trowid, for onehed of wit, and more acord be bitwixe reumes.
And herfore freris han taught in Englond the Paternoster in Engliysch tunge, as men seyen in the pley of York, and in many othere cuntreys. Sithen the Paternoster is part of Matheus Gospel, as clerkis knowen, why may not al be turnyd to Engliysch trewely, as is this part? Specialy sithen alle Cristen men, lerid and lewid, that shulen be sauyd, moten algatis sue Crist, and knowe His lore and His lif. But the comyns of Engliyschmen knowen it best in ther modir tunge; and thus it were al oon to lette siche knowing of the Gospel and to lette Engliyschmen to sue Crist and come to heuene.
骨子は明確である.お隣のフランスでも翻訳がなされているではないか.また,イングランド庶民にとっても,英語の聖書のほうが理解しやすいではないか.現代の我々にとっては実に明快な理由づけだが,14世紀のイングランドでは,この考え方は異端も異端だった.
さらに,この時代には,宗教的な異端性もさることながら,高尚なテキストを執筆するのに英語をもってするということ自体が,いまだ確立した慣習とはなっていなかった.もちろん同時代のチョーサーも文学を英語で書いたわけだが,それ自体一種の冒険であり,実験だったとも考えられる.ジャンルにもよるが,「英語で書く」という行為が当然でなかったことは,先立つ初期中英語でもそうだったし,後続する初期近代英語でも然り.関連して,「#2861. Cursor Mundi の著者が英語で書いた理由」 ([2017-02-25-1]),「#2612. 14世紀にフランス語ではなく英語で書こうとしたわけ」 ([2016-06-21-1]),「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]),「#2580. 初期近代英語の国語意識の段階」 ([2016-05-20-1]) も参照されたい.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
英語は歴史を通じて様々な言語から数多くの単語を借用してきた.この事実について,最近では「#2966. 英語語彙の世界性 (2)」 ([2017-06-10-1]) で総括した.しかし,現代世界において,英語は語彙の借り入れ側というよりも,むしろ貸し出し側としての役割のほうが目立っている.近年,日本語にも無数の英単語がカタカナ語として流入しているし,世界の諸言語を見渡しても,英語から何らかの語彙的影響を被っていない言語はほぼ皆無だろう(カタカナ語問題については,「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]) を参照).
独自の標準語が安定的に確立しているヨーロッパ諸国ですら,英語の語彙的影響は著しい.以下は,ヨーロッパの多くの言語でそのまま通用する英語語句の例である (Crystal 272) .
[ Sport ]
baseball, bobsleigh, clinch, comeback, deuce, football, goalie, jockey, offside, photo-finish, semi-final, volley, walkover
[ Tourism, transport etc. ]
antifreeze, camping, hijack, hitch-hike, jeep, joy-ride, motel, parking, picnic, runway, scooter, sightseeing, stewardess, stop (sign), tanker, taxi
[ Politics, commerce ]
big business, boom, briefing, dollar, good-will, marketing, new deal, senator, sterling, top secret
[ Culture, entertainment ]
cowboy, group, happy ending, heavy metal, hi-fi, jam session, jazz, juke-box, Miss World (etc.), musical, night-club, pimp, ping-pong, pop, rock, showbiz, soul, striptease, top twenty, Western, yeah-yeah-yeah
[ People and behaviour ]
AIDS, angry young man, baby-sitter, boy friend, boy scout, callgirl, cool, cover girl, crack (drugs), crazy, dancing, gangster, hash, hold-up, jogging, mob, OK, pin-up, reporter, sex-appeal, sexy, smart, snob, snow, teenager
[ Consumer society ]
air conditioner, all rights reserved, aspirin, bar, best-seller, bulldozer, camera, chewing gum, Coca Cola, cocktail, coke, drive-in, eye-liner, film, hamburger, hoover, jumper, ketchup, kingsize, Kleenex, layout, Levis, LP, make-up, sandwich, science fiction, Scrabble, self-service, smoking, snackbar, supermarket, tape, thriller, up-to-date, WC, weekend
これらの語句には,ヨーロッパのみならず日本語でもカタカナ語として通用しているものが多い.その意味では,世界的な語彙 (cosmopolitan vocabulary) に接近していると言えるかもしれない.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
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