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singular_they - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-12-21 12:40

2023-10-15 Sun

#5284. 単数の we --- royal we, authorial we, editorial we [personal_pronoun][pronoun][singular_they][royal_we][monarch][number]

 昨今,英文法では「単数の they」 (singular_they) が話題に上ることが多いが,「単数の we」については聞いたことがあるだろうか.伝統的な英文法で "royal we", "authorial we", "editorial we" などとして知られてきた用法である.
 OED, we, pron., n., adj. の I.2 に関係する2つの語義と例文が記されている.いずれも古英語から確認される(と議論しうる)古い用法である.最初期の数例とともに引用する.

I.2. Used by a single person to denote himself or herself.

I.2.a. Used by a sovereign or ruler. Frequently defined by the name or title added.
The apparent Old English instances of this use are uncertain, and may rather show an inclusive plural use of the pronoun; see further B. Mitchell Old Eng. Syntax (1985) §252.

OE Witodlice we beorgað þinre ylde, gehyrsuma urum bebodum & geoffra þam undeadlicum godum. (Ælfric, Catholic Homilies: 1st Series (Royal MS.) (1997) xxix. 420)
OE Beowulf maþelode..: 'We þæt ellenweorc estum miclum, feohtan fremedon.' (Beowulf (2008) 958)
1258 We hoaten all vre treowe in þe treowþe þet heo vs oȝen þet heo stedefesteliche healden and swerien. (Proclam. Henry III (Bodleian MS.) in Transactions of Philological Society 1880-1 (1883) *173 (Middle English Dictionary))
. . . .

I.2.b. Used by a speaker or writer, in order to secure an impersonal style and tone, or to avoid the obtrusive repetition of 'I'.
N.E.D. (1926) states: 'Regularly so used in editorial and unsigned articles in newspapers and other periodicals, where the writer is understood to be supported in his opinions and statements by the editorial staff collectively.' This practice has become less usual during the 20th cent. and is limited to self-conscious and humorous contexts.

eOE Nu hæbbe we scortlice gesæd ymbe Asia londgemæro. (translation of Orosius, History (British Library MS. Add.) (1980) i. i. 12)
OE We mihton þas halgan rædinge menigfealdlicor trahtnian. (Ælfric, Catholic Homilies: 1st Series (Royal MS.) (1997) xxxvi. 495)
?a1160 Nu we willen sægen sum del wat belamp on Stephnes kinges time. (Anglo-Saxon Chronicle (Laud MS.) (Peterborough contin.) anno 1137)


 we の指示対象は何か,あるいは含意対象は何か,という問題になってくるだろう.この点では昨日の記事「#5283. we の総称的用法は古英語から」 ([2023-10-14-1]) で取り上げた we の用法に関する問題にもつながってくる.
 今回取り上げた we の単数用法については,「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1]),「#3468. 人称とは何か? (2)」 ([2018-10-25-1]),「#3480. 人称とは何か? (3)」 ([2018-11-06-1]) でも少し触れているので参考まで.

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2023-02-25 Sat

#5052. none は単数扱いか複数扱いか? [sobokunagimon][pronoun][indefinite_pronoun][number][agreement][negative][proverb][shakespeare][oe][singular_they][link]

 不定人称代名詞 (indefinite_pronoun) の none は「誰も~ない」を意味するが,動詞とは単数にも複数にも一致し得る.None but the brave deserve(s) the fair. 「勇者以外は美人を得るに値せず」の諺では,動詞は3単現の -s を取ることもできるし,ゼロでも可である.規範的には単数扱いすべしと言われることが多いが,実際にはむしろ複数として扱われることが多い (cf. 「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1])) .
 none は語源的には no one の約まった形であり one を内包するが,数としてはゼロである.分かち書きされた no one は同義で常に単数扱いだから,none も数の一致に関して同様に振る舞うかと思いきや,そうでもないのが不思議である.
 しかし,American Heritage の注によると,none の複数一致は9世紀からみられ,King James Bible, Shakespeare, Dryden, Burke などに連綿と文証されてきた.現代では,どちらの数に一致するかは文法的な問題というよりは文体的な問題といってよさそうだ.
 Visser (I, § 86; pp. 75--76) には,古英語から近代英語に至るまでの複数一致と単数一致の各々の例が多く挙げられている.最古のものから Shakespeare 辺りまででいくつか拾い出してみよう.

86---None Plural.
   Ælfred, Boeth. xxvii §1, þæt þær nane oðre an ne sæton buton þa weorðestan. | c1200 Trin. Coll. Hom. 31, Ne doð hit none swa ofte se þe hodede. | a1300 Curs. M. 11396, bi-yond þam ar wonnand nan. | 1534 St. Th. More (Wks) 1279 F10, none of them go to hell. | 1557 North, Gueuaia's Diall. Pr. 4, None of these two were as yet feftene yeares olde (OED). | 1588 Shakesp., L.L.L. IV, iii, 126, none offend where all alike do dote. | Idem V, ii, 69, none are so surely caught . . ., as wit turn'd fool. . . .

Singular.
   Ælfric, Hom. i, 284, i, Ne nan heora an nis na læsse ðonne eall seo þrynnys. | Ælfred, Boeth. 33. 4, Nan mihtigra ðe nis ne nan ðin gelica. | Charter 41, in: O. E. Texts 448, ȝif þæt ȝesele . . . ðæt ðer ðeara nan ne sie ðe londes weorðe sie. | a1122 O. E. Chron. (Laud Ms) an. 1066, He dyde swa mycel to gode . . . swa nefre nan oðre ne dyde toforen him. | a1175 Cott. Hom. 217, ȝif non of him ne spece, non hine ne lufede (OED). | c1250 Gen. & Ex. 223, Ne was ðor non lik adam. | c1450 St. Cuthbert (Surtees) 4981, Nane of þair bodys . . . Was neuir after sene. | c1489 Caxton, Blanchardyn xxxix, 148, Noon was there, . . . that myghte recomforte her. | 1588 A. King, tr. Canisius' Catch., App., To defende the pure mans cause, quhen thair is nan to take it in hadn by him (OED). | 1592 Shakesp., Venus 970, That every present sorrow seemeth chief, But none is best.


 none の音韻,形態,語源,意味などについては以下の記事も参照.

 ・ 「#1297. does, done の母音」 ([2012-11-14-1])
 ・ 「#1904. 形容詞の no と副詞の no は異なる語源」 ([2014-07-14-1])
 ・ 「#2723. 前置詞 on における n の脱落」 ([2016-10-10-1])
 ・ 「#2697. fewa few の意味の差」 ([2016-09-14-1])
 ・ 「#3536. one, once, none, nothing の第1音節母音の問題」 ([2019-01-01-1])
 ・ 「#4227. なぜ否定を表わす語には n- で始まるものが多いのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-22-1])

 また,数の不一致についても,これまで何度か取り上げてきた.英語史的には singular_they の問題も関与してくる.

 ・ 「#1144. 現代英語における数の不一致の例」 ([2012-06-14-1])
 ・ 「#1334. 中英語における名詞と動詞の数の不一致」 ([2012-12-21-1])
 ・ 「#1355. 20世紀イギリス英語で集合名詞の単数一致は増加したか?」 ([2013-01-11-1])
 ・ 「#1356. 20世紀イギリス英語での government の数の一致」 ([2013-01-12-1])

 ・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.

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2022-11-15 Tue

#4950. 最近の英語の変化のうねり --- 『ジーニアス英和辞典』第6版のまえがきより [notice][language_change][neologism][word_formation][shortening][gvs][singular_they][net_speak][genius6]

 「#4892. 今秋出版予定の『ジーニアス英和辞典』第6版の新設コラム「英語史Q&A」の紹介」 ([2022-09-18-1]) でお知らせしましたが,8年ぶりの改訂版となる『ジーニアス英和辞典』第6版が,11月8日に発売となりました.36の単語のもとでコラム「英語史Q&A」を寄稿させていただいています.よろしくお願いいたします.

『ジーニアス英和辞典』第6版の特設ページ



 第6版まえがきの冒頭に,この8年間ほどの英語を取り巻く状況に「変化のうねり」があったことが触れられています.

『ジーニアス英和辞典』第5版が発行された2014年以降,デジタル化の拡大,インターネットの浸透,長引くコロナ禍,ジェンダーに関わる社会状況の変化などを反映して,英語の語彙・文法・文体等の面で変化のうねりが絶えなかった.語彙の面では上記の社会事象を反映する新語(特に SDGs, LGBTQ などの略語)が激増した.変化の波は文法面にも押し寄せた.顕著な例は,「総称の he」の衰退,「単数の they」の台頭である.これは中期英語(1400年代初頭)から,近代英語期(1600年代前半)にかけて起こった「大母音推移」 (The Great Vowel Shift) になぞらえて時に「The Great Pronoun Shift (大代名詞推移)」とも呼ばれ,将来代名詞の枠組みが書き換えられるかもしれないほどの大変化である.文体(スピーチレベル)に関していうと,これまでは書きことば=((正式)),話しことば=((略式)) という既成概念があったが,インターネットの SNS やブログなどでは「話すように書く」というのが主流で,この「話すように書く」スタイルがインターネット以外の書きことばにも拡大して,全体としてみれば,書きことばのインフォーマル化が進んでいる.


 ここには,近年の英語の変化のうねりが要領よくまとめられている.確かに新語形成,大代名詞推移,書きことばのインフォーマル化のいずれの指摘も,歴史社会言語学や歴史語用論の立場から論じられるタイムリーな話題である,また,このような傾向が,以前からくすぶっていたとはいえ,このわずか数年ほどの間に著しく顕在化してきたことには改めて驚きを禁じ得ない.それほど言語変化の世界もスピードが速いのだ.
 『ジーニアス英和辞典』の新版は,上記のような英語(および英語学習)を取り巻く最近の変化に鑑み,大きく8つの側面において改訂を加えたという.要約すると (1) 収録語彙の見直し,(2) コーパスを用いた語のランクの見直し,(3) 発音表記の見直し,(4) 語・語義に関する全体的な見直し,(5) 語法欄の充実とアップデート,(6) 「つなぎ語(句)」という新範疇の導入,(7) コラム「英語史Q&A」と「語のしくみ」の新設,(8) 紙面デザインの一新,の8点である.
 私が執筆させていただいたコラム「英語史Q&A」の新設は,最近の英語の変化のうねりとの観点からみれば,辞典改訂における周辺的なポイントにみえるかもしれない.しかし,上記のように昨今英語はきわめて短期間の間にいくつもの大変化を遂げており,今後もこの流れは続いていくことが予想される.つまり,英語学習者はこのような言語変化の波に必死でくらいついていくことを余儀なくされるのである.現代の言語変化の速度,種類,規模の著しさに気づき,対応するためには,参照点として現代に先立つ時代の英語に生じてきた言語変化の速度,種類,規模を理解しておくことが役に立つ.
 現代の英語を巡る変化は確かに著しい.しかし,それは過去の英語で生じてきた変化の延長線上にあることも確かである.英語史に親しむことは,現代を相対化することに貢献し,また歴史を現代的に捉えることをも可能にしてくれるだろう.
 小さなコラムではありますが,「英語史Q&A」をそのような観点からも味わっていただければ幸いです.

 ・ 南出 康世・中邑 光男(編集主幹) 『ジーニアス英和辞典』第6版,大修館書店,2023年.

Referrer (Inside): [2023-01-22-1]

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2022-02-15 Tue

#4677. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第12回「単数の they って何?」 [notice][sobokunagimon][rensai][singular_they][number][agreement][personal_pronoun][gender]

 NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の3月号のテキストが発売されました.今回で連載「英語のソボクな疑問」も第12回となります.この1年間で読者の皆さんからも反響をいただきました.ありがとうございます.年度の締めとして,少々変わり種の話題を用意しました.「単数の they って何?」です.
 「みんな,自分が正しいと思っている」という意味で Everyone thinks they are right. という英文は可能ですが,何か違和感を感じませんか? そう,everyone は意味こそ「みんな」でも,文法的には単数扱いと習いましたね.とすれば,Everyone thinks he is right. とすればよいでしょうか.しかし,「みんな」は男性だけではないはずですので,he の使用にも違和感があります.であれば,Everyone thinks he or she is right. ほどが妥当でしょうか.ただ,まどろっこしくて舌をかみそうですね.結局,単複の問題は残りますが,ぐるっと一周して Everyone thinks they are right. 辺りに戻るのがよいのでは,という方向で落ち着きつつあります.「単数の they」 (singular_they) と呼ばれる用法です.

『中高生の基礎英語 in English』2022年3月号



 連載記事では,この「単数の they」について英語史の観点からできるかぎり分かりやすく解説しました.単なる文法の問題にとどまらず,社会的なテーマであり歴史的なトピックでもあることが理解ます.言葉の話題は,思いのほか広くて深いのですね.
 「単数の they」を深掘りしたいという方は,singular "they" に関する一連の記事セットをご参照ください.

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2021-11-10 Wed

#4580. eachtheir で受ける中英語の数の不一致の例 [me_text][number][agreement][singular_they][hellog_entry_set]

 英文法には,数の不一致という問題がある.形式的には単数形である名詞句が,意味的に複数と解釈されるなどして,後続する動詞や代名詞において複数で受けられるという現象だ.規範文法に照らせばダメ出しされることになるが,英語史上ごく普通に見られ,古い用例から新しい用例まで枚挙にいとまがない (cf. 「#1144. 現代英語における数の不一致の例」 ([2012-06-14-1]),「#1334. 中英語における名詞と動詞の数の不一致」 ([2012-12-21-1])) .
 Bennett and Smithers 版の The Land of Cokaygne (ll. 151--65) を読んでいて,典型的な例をみつけたので備忘のために控えておきたい.現代英語風にいえば "each monk" を主語としながらも,同じ文のなかで所有格 "their" として受けている例だ.楽園で修道女たちが戯れているところに修道士たちがやってくるという愉快なシーンより,現代英語の拙訳つきでどうぞ.

Whan þe someris dai is hote,When the summer's day is hot,
Þe ȝung nunnes takiþ a boteThe young nuns take a boat
And doþ ham forþ in þat riuer,And betake themselves forth in that river,
Boþe wiþ oris and wiþ stere.Both with oars and with a rudder.
Whan hi beþ fur fram þe abbei,When they are far from the abbey,
Hi makiþ ham nakid forto plei,They make themselves naked to play,
And lepiþ dune into þe brimmeAnd leap down into the water
And doþ ham sleilich forto swimme.And betake themselves to swim skillfully.
Þe ȝung monkes þat hi seeþ:The young monks that see them:
Hi doþ ham vp and forþ hi fleeþ,They betake themselves up and they fly forth,
And commiþ to þe nunnes anon,And come to the nuns at once,
And euch monke him takeþ on,And each monk takes one for himself,
And snellich beriþ forþ har preiAnd quickly carries forth their prey
To þe mochil grei abbei,To the great grey abbey,


 har が現代英語の their に相当する3人称複数代名詞の属格(所有格)形であり,単数主語のはずの euch monk を複数受けしていることになる.なお,この主語の直後の him は再帰的に "for himself" ほどの意味で用いられており,これは3人称単数代名詞の与格形であるからあくまで単数受けだ.個々の修道士に注目して文を始めてはいるものの,文脈としては複数の修道士がいることが前提となっており,それに意識が引っ張られて har で複数受けしたという次第だろう.中英語でも他の時代でも普通に見られることである.
 英語史においてこのような数の不一致が珍しくなかったことは,singular_they の問題を論じる上でも重要である.規範文法の立場から singular "they" の使用を非難する論者は,しばしば数の不一致を論拠としてきたからだ.これについては singular "they" に関する一連の記事セットを参照.

 ・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.

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2017-11-27 Mon

#3136. singular you は疑わないのに singular they には注目が集まる [personal_pronoun][gender][singular_they]

 singular they の話題について,以下の記事で扱ってきた.

 ・ 「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」 ([2010-01-27-1])
 ・ 「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1])
 ・ 「#1887. 言語における性を考える際の4つの視点」 ([2014-06-27-1])
 ・ 「#1920. singular they を取り締まる規範文法 (1)」 ([2014-07-30-1])
 ・ 「#1921. singular they を取り締まる規範文法 (2)」 ([2014-07-31-1])
 ・ 「#1922. singular they を取り締まる規範文法 (3)」 ([2014-08-01-1])
 ・ 「#2455. 2015年の英語流行語大賞」 ([2016-01-16-1])

 先日,Merriam-Webster の辞書サイトのコラムで,Singular 'They' に関する記事を見つけた.1881年に Emily Dickinson が singular they の用例を提供してくれていること,男女という性別の二分法そのものに疑問を呈するシンボルとしての用法が現われてきていることなど興味深い内容を含んだ記事だが,読みながらとりわけなるほどと膝を打ったのが,次のくだりである.

. . . the development of singular they mirrors the development of the singular you from the plural you, yet we don't complain that singular you is ungrammatical . . . .


 互いに近すぎるために,これまで気づかなかった.人称代名詞の複数系列では,2人称と3人称においてともに,形態上の数の区別が中和され(得)るということだ.英語史上,人称代名詞体系はちょこちょこ変化してきたが,その伝統は21世紀へも着実に受け継がれており,今も変化と変異を生み出し続けている.
 単複兼用の2人称代名詞 you については,「#3099. 連載第10回「なぜ you は「あなた」でもあり「あなたがた」でもあるのか?」」 ([2017-10-21-1]) 及びそこに張ったリンク先を参照されたい.

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2016-01-16 Sat

#2455. 2015年の英語流行語大賞 [lexicology][ads][woy][personal_pronoun][gender][link][singular_they]

 今年もこの時期がやってきた.American Dialect Society による 2015年の The Word of the Year が1月8日に発表された.今年の受賞は,singular "they" である.

They was recognized by the society for its emerging use as a pronoun to refer to a known person, often as a conscious choice by a person rejecting the traditional gender binary of he and she.
    . . . .
   The use of singular they builds on centuries of usage, appearing in the work of writers such as Chaucer, Shakespeare, and Jane Austen. In 2015, singular they was embraced by the Washington Post style guide. Bill Walsh, copy editor for the Post, described it as "the only sensible solution to English's lack of a gender-neutral third-person singular personal pronoun."
   While editors have increasingly moved to accepting singular they when used in a generic fashion, voters in the Word of the Year proceedings singled out its newer usage as an identifier for someone who may identify as "non-binary" in gender terms.
   "In the past year, new expressions of gender identity have generated a deal of discussion, and singular they has become a particularly significant element of that conversation," Zimmer said. "While many novel gender-neutral pronouns have been proposed, they has the advantage of already being part of the language."


 なぜ今さら singular they がという気がしないでもなかったが,上の記事と合わせて Wordorigins.org: ADS Word of the Year for 2015 の記事を読んでみて合点がいった.単に性別を問わない単数の一般人称代名詞としての they の用法はここ数十年間で確かに認知されてきており,とりわけ2015年を特徴づける語法というわけではないが,男女という性別の二分法そのものに疑問を呈するシンボル (nonbinary identifier) として,昨年,焦点が当てられたという.テレビ番組などで transgender の話題が多く取り上げられ,"nonbinary identifier" としての they の使用が目立ったということだ.なお,singular they は,MOST USEFUL カテゴリーでも受賞している.時代のキーワードであることが,特によくわかる受賞だった.
 singular_they については,本ブログでも何度か扱ってきたので,以下にリンクを張っておきたい.
 
 ・ 「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」 ([2010-01-27-1])
 ・ 「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1])
 ・ 「#1887. 言語における性を考える際の4つの視点」 ([2014-06-27-1])
 ・ 「#1920. singular they を取り締まる規範文法 (1)」 ([2014-07-30-1])
 ・ 「#1921. singular they を取り締まる規範文法 (2)」 ([2014-07-31-1])
 ・ 「#1922. singular they を取り締まる規範文法 (3)」 ([2014-08-01-1])

 過去の WOY の受賞については,woy を参照.

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2014-08-08 Fri

#1929. 言語学の立場から規範主義的言語観をどう見るべきか [prescriptive_grammar][singular_they]

 英語でも日本語でも,言語における規範主義 (prescriptivism) は健在であり,それに基づいた文法書や語法書が書店の一角を賑わせている.テレビや新聞などのメディアでも,正用と誤用の解説は人気コーナーであり,視聴者・読者からの賛否の投稿もしばしば目にする.これらはまとめて "linguistic complaint literature" (Millar 106) と呼ばれているが,特にイギリスでは数世紀をかけて培われてきたメディアの伝統的なジャンルといってよい.また,学校の語学教育では規範主義は幾分緩んできたとも言われるが,マルかバツかを要求する試験を前提とする教育である限り,基本的には規範の威信は絶大である.近代言語学は,従来の規範的な言語観から脱し,記述的な言語観を手に入れることにより発展してきた.その意味では,言語学と規範主義言語観とは真っ向から対立するものであり,言語学者と規範主義的な語学教師・評論家もまた鋭く対立する敵対者同士である.このことは,「#747. 記述規範」 ([2011-05-14-1]) で見たように Martinet も明言していた.
 しかし,英語史や歴史言語学を研究して言語変化を探っていると,その原因が規範主義的な言語観に基づくものだったり,あるいはそれへの反発の結果だったりすることがある.例えば,最近の記事 (##1920,1921,1922) で,近代英語以降の singular they の衰退と復活を巡る動きについて見たが,その衰退も復活も,人々の言語の規範に対する態度が時代によって移り変わってきた様子と連動していることがわかる.そうすると,言語学者(特に歴史社会言語学者)にとって,規範主義的言語観とは,決して敵対するものではなく,むしろその性質を追究すべきひとかどの研究対象ということにならないだろうか.
 この見方について,Millar (105) は,Verbal Hygiene を著わした Cameron の意見に賛意を表しながら,次のように述べている.

Cameron (1995) makes the persuasive point that the difference between description and prescription may not be as great as linguists think: after all, a description by its nature encourages a sense of what is 'normal' within a system. More importantly, she suggests that it is a good idea for linguistics to listen to what people interested in language have to say about it, primarily so that we can understand why they hold views which, from an insiders' viewpoint, appear ill-conceived or even meaningless.


 私も規範主義言語観に対するこのような見方に賛成である.言語学者も,この話題に立ち合う必要があると考える.ただし,言語学者がどこまで実際の個々の言語問題に介入すべきなのか,してよいのか,できるのかは,難しい問題である.Cameron は言語問題を一歩引いたところから静観している風であり,Crystal はやや介入型のように感じる.言語学者は規範主義的言語観をどう見るべきか――これは言語学者の間で真面目に論じてもよい話題ではないだろうか.

 ・ Millar, Robert McColl. English Historical Sociolinguistics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2012.

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2014-08-01 Fri

#1922. singular they を取り締まる規範文法 (3) [singular_they][prescriptive_grammar][gender][number][personal_pronoun][language_myth]

 一昨日 ([2014-07-30-1]) ,昨日 ([2014-07-31-1]) と続いての話題.口語において中英語期より普通に用いられてきた不定一般人称に対する singular they は,18世紀の規範文法の隆盛に従って,公に非難されるようになった.しかし,すでに早く16世紀より,性を問わない he の用法を妥当とする考え方は芽生えていた.Bodine (134) によると,T. Wilson は1553年の Arte of rhetorique で男性形を優勢とする見解を明示している.

Some will set the Carte before the horse, as thus. My mother and my father are both at home, even as thoughe the good man of the house ware no breaches, or that the graye Mare were the better Horse. And what thoughe it often so happeneth (God wotte the more pitte) yet in speaking at the leaste, let us kepe a natural order, and set the man before the woman for maners Sake. (1560 ed.: 189)


 同様に,Bodine (134) によると,7世紀には J. Pool が English accidence (1646: 21) で同様の見解を示している.

The Relative agrees with the Antecedent in gender, number, and person. . . The Relative shall agree in gender with the Antecedent of the more worthy gender: as, the King and the Queen whom I honor. The Masculine gender is more worthy than the Feminine.


 しかし,Bodine (135) は,不定一般人称の he の本格的な擁護の事例として最初期のものは Kirby の A new English grammar (1746) であると見ている.Kirby は88の統語規則を規範として掲げたが,その Rule 21 が問題の箇所である.

The masculine Person answers to the general Name, which comprehends both Male and Female; as Any Person, who knows what he says. (117)


 以降,この見解は広く喧伝されることになる.L. Murray の English grammar (1795) をはじめとする後の規範文法家たちはこぞって he を支持し,they をこき下ろしてきた.その潮流の絶頂が,Act of Parliament (1850) だろう.これは,he or shehe で置き換えるべしとした法的な言及である.
 さて,Kirby の Rule 21 に続く Rule 22 は,性ではなく数の問題を扱っているが,今回の議論とも関わってくるので紹介しておく.これは一般不定人称において単数と複数はお互いに交換することができるというルールであり,例えば "The Life of Man" と "The Lives of Men" は同値であるとするものだ.しかし,Bodine (136) は,Kirby の Rule 21, 22 や Act of Parliament には議論上の欠陥があると指摘する.

Thus, the 1850 Act of Parliament and Kirby's Rules 21-2 manifest their underlying androcentric values and world-view in two ways. First, linguistically analogous phenomena (number and gender) are handled very differently (singular or plural as generic vs. masculine only as generic). Second, the precept just being established is itself violated in not allowing singular 'they', since if the plural 'shall be deemed and taken' to include the singular, then surely 'they' includes 'she' and 'he' and 'she or he'.


 これは,昨日の記事 ([2014-07-31-1]) で取り上げた議論にも通じる.不定一般人称の he の用法とは,近代という時代によって作られ,守られてきた一種の神話であるといってもよいかもしれない.

 ・ Bodine, Ann. "Androcentrism in Prescriptive Grammar: Singular 'they', Sex-Indefinite 'he,' and 'he or she'." Language in Society 4 (1975): 129--46.

Referrer (Inside): [2017-11-27-1] [2016-01-16-1]

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2014-07-31 Thu

#1921. singular they を取り締まる規範文法 (2) [singular_they][prescriptive_grammar][gender][number][personal_pronoun][political_correctness][t/v_distinction]

 昨日の記事「#1920. singular they を取り締まる規範文法 (1)」 ([2014-07-30-1]) に引き続いての話題.singular they を巡る議論は様々あるが,実際にはこれは文法的な問題である以上に性に関する社会的な問題であると考える理由がある.このことを理解するためには,英語で不定一般人称を既存の人称代名詞で表現しようとする際に,性と数に関わる問題が生じざるを得ないことを了解しておく必要がある.
 「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」 ([2010-01-27-1]) や「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1]) でもいくつか例文を示したが,"If anyone is interested in this blog, (   ) can always contact me." のような文において,if 節の主語 anyone を照応する人称代名詞を括弧の箇所に補おうとすると,英語では既存の人称代名詞として he, she, he or she, they のいずれかが候補となる.しかし,いずれも性あるいは数の一致に関する問題が生じ,完璧な解決策はない.単数人称代名詞 he あるいは she にすると,単数 anyone との照応にはふさわしいが,不定であるはずの性に,男性あるいは女性のいずれかを割り当ててしまうことになり,性の問題が残る.he or she (あるいは s/he などの類似表現)は性と数の両方の問題を解決できるが,不自然でぎこちない表現とならざるをえない.一方,they は男性か女性かを明示しない点で有利だが,一方で数の不一致という問題が残る.つまり,heshe は性の問題を残し,he or she は表現としてのぎこちなさの問題を残し,they は数の問題を残す.
 だが,性か数のいずれかを尊重すれば他方が犠牲にならざるを得ない状況下で,どちらの選択肢を採用するかという問題が生じる.はたして,どちらの解決策も同じ程度に妥当と考えられるだろうか.一見すると両解決策の質は同じように見えるが,実は重要な差異がある.数は社会性を帯びていないが,性は社会性を帯びているということだ (cf. social gender) .単数と複数の区別は原則として指示対象のモノ関する属性であり,自然で論理的な区別である.単数を複数で置き換えようが,複数を単数で置き換えようが,特に社会的な影響はない(数の犠牲ということでいえば,元来の thou の領域に ye/you が侵入してきた T/V distinction の事例も参照されたい).ところが,性は原則として指示対象のヒトの属性であり,男性を女性で代表させたり,女性を男性で代表させたりすることには,社会的な不均衡や不平等が含意される.Bodine (133) のいうように,"the two [number and sex] . . . are not socially analogous, since number lacks social significance" である.
 不定一般人称を he で代表させるということは,(1) 社会性を含意しない数よりも社会性を含意する性を標示することをあえて選び,(2) その際に女性形でなく男性形をあえて選ぶ,という2つの意図的な選択の結果としてしかありえない.18世紀以来の規範文法家は,この2つの「あえて」を冒し,he の使用を公然と推挙してきたのである.逆に,口語において歴史上普通に行われていた不定一般人称を they で代表させるやり方は,(1) 社会性を含意しない数の厳密な区別を犠牲にし,(1) 社会性を含意する性を標示しないことを選んだ結果である.どちらの解決法が社会的により無難であるかは明らかだろう.
 he or she がぎこちないという問題については,確かにぎこちないかもしれないが,対応する数の範疇についても同じくらいぎこちない表現として one or moreperson or persons などがあり,これらは普通に使用されている.したがって,he or she だけを取りあげて「ぎこちない」と評するのは妥当ではない.
 英語話者は,民衆の知恵として,より無難な解決法 (= singular they) を選択してきた.一方,規範文法家は,あまりに人工的,意図的,不自然なやり方 (he) に訴えてきたのである.

 ・ Bodine, Ann. "Androcentrism in Prescriptive Grammar: Singular 'they', Sex-Indefinite 'he,' and 'he or she'." Language in Society 4 (1975): 129--46.

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2014-07-30 Wed

#1920. singular they を取り締まる規範文法 (1) [singular_they][prescriptive_grammar][gender][number][personal_pronoun][paradigm]

 伝統的に規範文法によって忌避されてきた singular they が,近年,市民権を得てきたことについて,「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」 ([2010-01-27-1]),「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1]),またその他 singular_they の記事で触れてきた.英語史的には,singular they の使用は近代以前から確認されており,18世紀の規範文法家によって非難されたものの,その影響の及ばない非標準的な変種や口語においては,現在に至るまで連綿と使用され続けてきた.要するに,非規範的な変種に関する限り,singular they を巡る状況は,この500年以上の間,何も変わっていないのである.この変化のない平穏な歴史の最後の200年ほどに,singular they を取り締まる規範文法が現われたが,ここ数十年の間にその介入の勢いがようやく弱まってきた,という歴史である.Bodine (131) 曰く,

. . . despite almost two centuries of vigorous attempts to analyze and regulate it out of existence, singular 'they' is alive and well. Its survival is all the more remarkable considering that the weight of virtually the entire educational and publishing establishment has been behind the attempt to eradicate it.


 18世紀以降に話を絞ると,性を問わない単数の一般人称を既存のどの人称代名詞で表わすかという問題を巡って,(1) 新興の規範文法パラダイム (Prescriptive Paradigm) と,(2) 従来の非規範文法パラダイム (Non-Prescriptive Paradigm) とが対立してきた.Bodine (132) が,それぞれの人称代名詞のパラダイムを示しているので,再現しよう.

Singular 'They' in Prescriptive and Non-Prescriptive Paradigms

 Non-Prescriptive Paradigm における YOU や WE の拡張は別の話題なのでおいておくとし,THEY が SHE, HE の領域に食い込んでいる部分が singular they の用法に相当する.比較すると,Prescriptive Paradigm の人工的な整然さがよくわかるだろう.後者のもつ問題点について,明日の記事で話題にする.

 ・ Bodine, Ann. "Androcentrism in Prescriptive Grammar: Singular 'they', Sex-Indefinite 'he,' and 'he or she'." Language in Society 4 (1975): 129--46.

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2014-06-27 Fri

#1887. 言語における性を考える際の4つの視点 [gender][gender_difference][terminology][sociolinguistics][semantics][singular_they]

 「#1883. 言語における性,その問題点の概観」 ([2014-06-23-1]) で,Hellinger and Bussmann の著書を参照した.そこで,言語における性の見方を整理したが,とりわけ感心したのが,性を話題にするときに数種類の性を区別すべきだという知見である.具体的には grammatical gender, lexical gender, referential gender, social gender の4種を区別する必要がある.以下,Hellinger and Bussmann (7--11) を参照しながら概説する.

 言語における性という場合に,まず思い浮かぶのは grammatical gender だろう.古英語では男性・女性・中性の3性があり,すべての名詞が原則的にはいずれかの性に割り振られていた.名詞のクラスの一種として,通常は2?3種類ほどが区別され,統語的な一致を伴うなどの特徴がある.The World Atlas of Language Structures Online より Number of Genders, Sex-based and Non-sex-based Gender Systems, Systems of Gender Assignment などで世界の言語の分布を見渡しても,性というカテゴリーは,印欧語族などの特定の語族に限定されず,世界各地に点在している.
 次に,lexical gender という区分がある.言語外の属性である自然性や生物学的性を参照するが,本質的には語彙的・意味的に規定される性である.例えば,fathermother は,それぞれ [+male] と [+female] という意味素性をもち,"gender-specific" な語とされる.一方で,citizen, patient, individual などにおいて,lexical gender は "gender-indefinite" あるいは "gender-neutral" とされる.gender-specific な語は,代名詞で受けるときに he あるいは she が意味素性にしたがって選択されるのが普通である.grammatical gender と lexical gender はたいてい一致するが,ドイツ語 Individuum (n), Person (f) のように両者が一致しないものも散見される.このような場合,常にそうというわけではないが,代名詞の選択は grammatical gender によってなされる.
 3つ目は,referential gender である.これは,ある語が現実世界で指示する対象の生物学的性である.例えば,先に挙げたドイツ語 Person は grammatical gender は女性,lexical gender は性不定だが,この語が実際の文脈においてある男性を指示していれば,referential gender は男性ということになる.同様に,ドイツ語で Mädchaen für alles "girl for everything" (何でも屋,便利屋)は男性についても用いられるが,その場合 Mädchaen は grammatical gender は中性,lexical gender は女性,referential gender は男性ということになる.これを代名詞で受ける際には,grammatical gender による場合と referential gender による場合がある.
 最後に,social gender とは,社会的な役割・特性として負わされる男女の二分法である.人を表わす名詞,特に職業に関わる名詞は,男女いずれかの social gender を負わされていることが多い.例えば英米では,lawyer, surgeon, scientist はしばしば男性であることが期待され,secretary, nurse, schoolteacher は女性であることが期待される.一方,pedestrian, consumer, patient などの一般的な名詞は,代名詞 he で照応することが伝統的な慣習であることから,その social gender は男性であると解釈できる.social gender には,その社会における性のステレオタイプがよく表わされる.

 英語史における言語上の性の話題としては,文法性の消失という問題がある.文法性が自然性へ置換されたというような場合に関与するのは,grammatical gender, lexical gender, referential gender の3種だろう.一方,generic 'he' や singular they の問題が関係するのは,lexical gender, referential gender, social gender の3種だろう.ともに「言語の性」にまつわる問題だが,注目する「性」は異なっているということになる.

 ・ Hellinger, Marlis and Hadumod Bussmann, eds. Gender across Languages: The Linguistic Representation of Women and Men. Vol. 1. Amsterdam: John Benjamins, 2001.

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2014-06-24 Tue

#1884. フランス語は中英語の文法性消失に関与したか [personal_pronoun][gender][prescriptive_grammar][norman_french][norman_conquest][bilingualism][french][contact][inflection][singular_they]

 昨日の記事「#1883. 言語における性,その問題点の概観」 ([2014-06-23-1]) に関連して,英語では generic 'he' の問題,そしてその解決策として市民権を得てきている「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1]) の話題が思い出される.singular they について,最近ウェブ上で A Linguist On the Story of Gendered Pronouns という記事を見つけたので紹介したい.singular they の例が Chaucer など中英語期からみられること,generic 'he' の伝統は18世紀後半の規範文法家により作り出されたものであることなど,この問題に英語史的な観点から迫っており,一読の価値がある.
 しかし,記事の後半にある一節で,フランス語が中英語期の文法性の消失に部分的に関与していると示唆している箇所について疑問が生じた.記事の筆者によれば,当時のイングランドにおける英語と Norman French との2言語使用状況が2つの異なる文法性体系を衝突させ,これが一因となって英語の文法性体系が崩壊することになったという.もっとも屈折語尾の崩壊が性の崩壊の主たる原因と考えているようではあるが,上のような議論は一般的に受け入れられているわけではない(ただし,「#1252. Bailey and Maroldt による「フランス語の影響があり得る言語項目」」 ([2012-09-30-1]) や,中英語が古英語とフランス語の混成言語であるとするクレオール語仮説の議論 ##1223,1249,1250,1251 を参照されたい).

So what you really have is an extended period of several centuries in which many people were more-or-less proficient in both Norman French and Anglo Saxon, which in actual fact meant speaking the highly intermingled versions known as Anglo-Norman and Middle English. But words that belong to one gender in one language don't necessarily belong to the same gender in the other. To use a modern example, the word for "bridge" in French, pont, is masculine, but the word for "bridge" in German, ''Brücke, is feminine. If you couple this with the fact that people had begun to stop pronouncing altogether the endings that indicate a word窶冱 gender and case, you can see how these features became irrelevant for the language in general.


 まず,当時のイングランドの多くの人が程度の差はあれ2言語話者だったということが,どの程度事実と合っているのかという疑問がある.貴族階級のフランス系イングランド人や知識階級の人々は多かれ少なかれバイリンガルだった可能性は高いが,大多数の庶民は英語のモノリンガルだった(「#338. Norman Conquest 後のイングランドのフランス語母語話者の割合」 ([2010-03-31-1]) および「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) の記事を参照).英語の言語変化の潮流を決したのはこの大多数のモノリンガル英語話者だったに違いなく,社会的な権力はあるにせよ少数のバイリンガルがいかに彼らに言語的影響を及ぼしうるのか,はなはだ疑問である.
 次に,「#1223. 中英語はクレオール語か?」 ([2012-09-01-1]) でみたように,一般にフランス語の英語への直接的な言語的影響は些細であるという説得力のある議論がある.語彙や綴字習慣を除けば,フランス語が英語に体系的に影響を与えた言語項目は数少ない.ただし,間接的な影響,社会言語学的な影響は甚大だったと評価している.それは,「#1171. フランス語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-11-1]) や「#1208. フランス語の英文法への影響を評価する」 ([2012-08-17-1]) で論じた通りである.
 今回の性の消失という問題に対するには,フランス語によるこの間接的な効果,屈折語尾の消失を間接的に促したという効果を指摘するだけで十分ではないだろうか,

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2012-06-14 Thu

#1144. 現代英語における数の不一致の例 [number][agreement][prescriptive_grammar][syntax][singular_they]

 主語となる名詞の示す数と,対応する動詞の示す数が一致しない例は,古い段階の英語にも現代英語にも数多く認められる.現代英語におけるこの問題の代表としては,[2012-03-16-1]の記事で取り上げた singular they などが挙げられよう.Reid に基づいた武藤 (85--86) によれば,数の不一致の例は,3種類に分けられる.以下,各例文で,不一致の部分を赤で示した.

(A型) 実体の焦点は単数;数の焦点は複数

 ・ At ADT (security systems) 98 years' experience have taught us that no one alarm device will foil a determined burglar.
 ・ Five years ago 5 per cent of tax returns were subject to review. Today, only one per cent are subject to review.
 ・ The whole process of learning a first and second language are so completely different. (Laura Holland)
 ・ Rudolph is especially effective in crowd scenes like the opening, where movement of people and camera are delicately braided, where odd characters flutter through the background unemphasized. (Stanley Kauffman, The New Republic)

(B型) 実体の焦点は複数;数の焦点は単数

 ・ The sex lives of Roman Catholic nuns does not, at first blush, seem like promising material for a book. (Newsweek)
 ・ Two million dollars comes from corporations and foundations, but almost $400,000 from private gifts. (The New York Times)
 ・ Two drops deodorizes anything in your home. (Air freshner advertisement)
 ・ For one thing, the player is much closer to the instrument than the listener, and the sounds he hears is thus a different sound. (John Holt, Instead of Education)

(C型) and で連結された2個の実体;数の焦点は単数

 ・ Gas and excess acid in your stomach is what we call Gasid Indigestion. (Alka-Seltzer commercial)
 ・ We know that the company's destiny and ours is the same.
 ・ Galloping horses and thousands of cattle is not necessary to cinema; I call that photography. (Alfred Hitchcock, radio interview)
 ・ I just want you to know that this whole Watergate situation and the other opportunities was a concerted effort by a number of people. (Jeb Magruder, Newsweek)

 以上の例は,いずれも実体の数と,観念の上で焦点化される数との不一致として説明される.A型の各例文でいえば,主語となる名詞句の主要部が指している実体は単数だが,共起している 98 years', tax returns, a first and second language, people and camera が複数を喚起するため,それに引かれて動詞も複数で呼応しているということである.
 言語の社会的,規範遵守的,論理的な側面と,個人的,規範逸脱的,文体的な側面とのせめぎ合いと言ったらよいだろうか.武藤 (87) のことばを借りれば,次のようになる.

名詞形の数の話者が置く焦点によって動詞との呼応が何れかに分れるのはそれなりの根拠が存在している点を考えると,この呼応は話者の idiosyncratic な言語感覚,stylistic な好みによっているとも思われるが,もっと大きな言語行為として把えると,話者が形態上の呼応にとらわれずに自由に,単数あるいは複数の呼応を決めて行こうとする言語表現の1つの傾向だと思われる.


 ・ 武藤 光太 「英語の単数形対複数形について」『プール学院短期大学研究紀要』33,1993年,69--88頁.
 ・ Reid, Wallis. Verb and Noun Number in English: A Functional Explanation. London: Longman, 1991.

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2012-03-16 Fri

#1054. singular they [personal_pronoun][gender][political_correctness][number][agreement][prescriptive_grammar][singular_they]

 現代英語の問題としてしばしば取り上げられる singular they について.「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」の記事 ([2010-01-27-1]) でも取り上げたが,現代英語には any, each, every, no などで修飾された形態的に単数である人を表わす名詞を,後で受けるための適切な代名詞がない.he で代表させようとすると男尊女卑と言われかねず,かといって she で代表させるのもしっくりこない.it だとモノ扱いのようで具合が悪い.性を問わない they を用いれば,伝統主義の規範文法家の大好きな数の一致 (agreement) という規則に抵触し,槍玉にあげられかねない.現実の語法としては,最後に挙げた singular they が勢力を得ているが,そのような問題の生じないように文を改めよという助言もよく聞かれる.
 このような現代的とされる語法上の問題は,実は現代英語で生じたものではなく,古い歴史をもっているものが多い.OED の "they, pers. pron." B. 2. によると,"Often used in reference to a singular noun made universal by every, any, no, etc., or applicable to one of either sex (= 'he or she'). See Jespersen Progress in Lang. §24." とあり,その初例は1526年である.細江 (254--56) には,近代英語からの例がいろいろと挙げられている.いくつかを抜き出そう.

 ・ Let each esteem others better than themselves.---Philippians, ii. 3.
 ・ Each was swayed by the emotion within them, much as the candle-flame was swayed by the tempest without.---Hardy.
 ・ Nobody knows what it is to lose a friend till they have lost him.---Fielding.
 ・ Everyone must judge of their feelings.---Byron.
 ・ No one in their senses could doubt.---Dickens.
 ・ Nobody will come in, will they?---Priestley.


 each などが先行しない単数名詞が they で受けられている例もある.

 ・ The feelings of the parent upon committing the cherished object of their cares and affections to the stormy sea of life.---S. Ferrier.
 ・ A person can't help their birth.---Thackeray


 they の数の不一致の問題は,英語の代名詞体系が否応なく内包する問題である.フランス語では,このような場合に便利な soi, son などの語が用意されており,問題とはならない.英語にとっての解決法は,問題の語法をまったく使わないという回避策を採らないとするのであれば,代名詞体系を改変するか,既存の体系内の運用で対処するかである.前者については,[2010-01-27-1]の記事で示したように,様々な語が提案されたが,文書で時折見られる s/he でさえ好まれているとは言い難い.後者の有力候補である singular they は,歴史的にも連綿と行なわれてきたし,その苦肉の策たることは誰しもが理解しているのであり,共感を誘う.その苦肉は,以下の例のなかにも見て取ることができる.

 ・ If an ox gore a man or a woman, that they die; then the ox shall be surely stoned.---Exodus, xxi. 28.


 Burchfield も認めている通り,すでに大勢は決せられているといってよい.
 関連して,愚痴を一つ.英語で論文執筆の際に,引用している著者の性別の見当がつかず,代名詞を用いるのをためらわざるをえない状況に困ることがある.日本語であれば「著者は」を繰り返してもそれほどおかしくないが,英語では the author を何度も繰り返すわけにもいかない・・・.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
 ・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.

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2010-01-27 Wed

#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞 [personal_pronoun][gender][grammatical_change][political_correctness][singular_they]

 現代英語に起こっている文法変化としてよく取り上げられる話題の一つに,人を表す三人称単数代名詞がある.標準英語には人を表す三人称単数代名詞として he (男性)と she (女性)の二つがあるが,性を含意せずに使うことのできる代名詞は存在しない.一方,複数では性にかかわらず使うことのできる they が存在する.(人称代名詞体系の非対称性については,[2009-11-09-1], [2009-10-24-1]を参照.)

If anyone is interested in this blog, he can always contact me.


のような文を発する場合,伝統的な英語ではここにあるように he が使われてきた.だが,anyone は女性の可能性も半分あるわけで,それを受ける人称代名詞は he では不適切であるという議論が成り立つ.そこで,言語における男女平等を達成しようと,heshe の代わりとなる共生代名詞が様々な形で提案されてきた.Crystal (46) などから列挙すると:

 ・ co (used in some American communes)
 ・ E
 ・ et
 ・ he or she
 ・ heesh
 ・ hesh
 ・ hir
 ・ ho
 ・ jhe
 ・ mon
 ・ na (used by some novelists)
 ・ ne
 ・ per (used by some novelists)
 ・ person
 ・ po
 ・ s/he
 ・ tey
 ・ they (as a singular pronoun)
 ・ thon
 ・ xe

 どう発音するのか不明な例も含めて代案は乱立しているが,どれもしっくりこないということで広く支持されているものはない.当面の現実的な提案として,heshe を使わないですむように書き換えるべし,といわれることも多い.上の文であれば,If you are interested in this blog, you can always contact me.Those who are interested in this blog can always contact me. などがあるだろうか.
 どのように決着をみるかはわからない.いずれかの代案が採用されるのか,書き換え strategy で問題を回避するのか.前者であれば,(1) 複数の選択肢が提案され (variation),(2) いずれかが選ばれ (potential for change),(3) 文法体系のなかに定着し (implementation),(4) 人々のあいだに広まる (diffusion),という言語変化の一般的なステップ (Smith 7) を踏むことになるのだろう.

 ・Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997.
 ・Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

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