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biology - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-06-19 06:45

2019-03-05 Tue

#3599. 言語と人種 (2) [comparative_linguistics][indo-european][family_tree][biology][race][language_myth]

 「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1]) の続編.先の記事では「言語=人種」という「俗説」に光を当てた.言語と人種を同一視することはできないと主張したわけだが,もっと正確にいえば,両者を「常に」同一視することはできない,というべきだろう.常に同一視する見方に警鐘を鳴らしたのであって,イコール関係が成り立つ場合もあるし,実際には決して少なくないと思われる.少なくないからこそ,一般化され俗説へと発展しやすいのだろう.
 近年の遺伝学や人類学の発展により,ホモ・サピエンスの数万年にわたるヨーロッパなどでの移動の様子がつかめるようになってきたが,それと関係づける形で印欧語の派生や展開を解釈しようという動きも出てきた.このような研究は,上記のような俗説に警鐘を鳴らす陣営からは批判の的となるが,言語と人種をペアで考えてもよい事例をたくさん挙げることにより,この批判をそらそうとしている.
 McMahon and McMahon (19--20) もそのような論客である.一般的にいって,遺伝子と言語の間に相関関係がないと考えるほうが不自然ではないかという議論だ.

. . . since we are talking here about the histories of populations, which consist of people who both carry genes and use languages, it might be more surprising if there were no correlations between genetic and linguistic configurations. The observation of this correlation, like so many others, goes back to Darwin . . . , who suggested that, 'If we possessed a perfect pedigree of mankind, a genealogical arrangement of the races of man would afford the best classification of the various languages now spoken throughout the world'. The norm today is to accept a slight tempering of this hypothesis, such that, 'The correlation between genes and languages cannot be perfect . . .', because both languages and genes can be replaced independently, but, 'Nevertheless . . . remains positive and statistically significant' . . . . This correlation is supported by a range of recent studies. For instance, Barbujani . . . reports that, 'In Europe, for example, . . . several inheritable diseases differ, in their incidence, between geographically close but linguistically distant populations', while Poloni et al. . . . show that a group of individuals fell into four non-overlapping classes on the basis of their genetic characteristics and whether they spoke an Indo-European, Khoisan, Niger-Congo or Afro-Asiatic language. In other words, there is a general and telling statistical correlation between genetic and linguistic features, which reflects interesting and investigable parallelism rather than determinism. Genetic and linguistic commonality now therefore suggests ancestral identity at an earlier stage: as Barbujani . . . observes, 'Population admixture and linguistic assimilation should have weakened the correspondence between patterns of genetic and linguistic diversity. The fact that such patterns are, on the contrary, well correlated at the allele-frequency level . . . suggests that parallel linguistic and allele-frequency change were not the exception, but the rule.


 McMahon and McMahon とて,言語と人種の相関係数が1であるとはまったく述べていない.0というわけはない,そこそこ高い値と考えるのが自然なのではないか,というほどのスタンスだろう.それはそれで間違っていないと思うが,「常に言語=人種」の俗説たることを押さえた上での上級者向けの議論ととらえる必要があるだろう.

 ・ McMahon, April and Robert McMahon. "Finding Families: Quantitative Methods in Language Classification." Transactions of the Philological Society 101 (2003): 7--55.

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2018-12-31 Mon

#3535. 「ざんねんな言語」という見方もあってよい [language_change][evolution][biology]

 今泉 忠明 (監修)『「おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』(高橋書店,2016年)などの,ちょっと間抜けな生物を扱った本が受けているようだ.最近,宣伝が出ていて気になったのが,芝原 暁彦(監修)・土屋 健(著)『おしい!ざんねん!!会いたかった!!!あぁ,愛しき古生物たち --- 無念にも滅びてしまった彼ら ---』(笠倉出版社,2018年)である.
 うならせるほどの奇妙な形態のオパビニア,背中の帆の役割が今もってはっきりしないディメトロドン,宇宙人さながらのマルレラなど,どうしてこんな風に進化したのだろうと想像すると興味がつきない.120種類の古生物が,愛らしいイラストと笑えるコメントをもって紹介されている.
 サイエンスライターの著者が「おわりに」 (pp. 156--67) で次のように述べているのが目を引いた.

 そもそも「進化」とは,どのようなものなのでしょうか?
 簡単に言えば,それはこういうものです.
 「変化が世代を超えて受け継がれていくこと」
 もっと簡単に言えば,「進化とは変化」です.そこにはポジティブな意味も,ネガティブな意味もありません.ただ単純な「変化」なのです.
 さまざまな変化が受け継がれることで,生命は多様化していき,「ちょっ!なんで,こんな生き物になったの!」とも思える愛すべき生物をたくさん生み出してきたのです.


 この文章は,「生物」を「言語」に変えても,ほぼそのまま理解することができる.

 そもそも「(言語の)進化」とは,どのようなものなのでしょうか?
 簡単に言えば,それはこういうものです.
 「変化が世代を超えて受け継がれていくこと」
 もっと簡単に言えば,「進化とは変化」です.そこにはポジティブな意味も,ネガティブな意味もありません.ただ単純な「変化」なのです.
 さまざまな変化が受け継がれることで,言語は多様化していき,「ちょっ!なんで,こんな言葉になったの!」とも思える愛すべき言語をたくさん生み出してきたのです.


 「変化が世代を超えて受け継がれていく」という部分については,生成文法の子供基盤仮説の立場からは反論や修正意見が出されるかもしれないが,緩く解釈すれば,このまま理解できる.言語変化は価値観を伴わないただの変化であり,その結果として多種多様な,ときに驚異的な特徴をもつ愛すべき諸言語が生まれてきたのである.
 「ざんねんな言語」と名指ししたら,その話者に怒られそうだが,この「ざんねんな」は生物の場合と同じように相対主義を前提としての愛情と敬意のこもった修飾語であり,むしろ賛辞だと信じている.日本語も英語も,いろいろと「ざんねんな」部分はあるのだろうが,そこがまた愛しいのだろう.言語の「ざんねん」本もいろいろ出てくるとおもしろそうだなあと夢想する.
 言語変化の価値中立性については「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]),「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]),「#2544. 言語変化に対する三つの考え方 (3)」 ([2016-04-14-1]),「#3354. 「言語変化はオフィスの整理である」」 ([2018-07-03-1]),「#3529. 言語は進歩しているのか,堕落しているのか?」 ([2018-12-25-1]) を参照.

 ・ 芝原 暁彦(監修)・土屋 健(著)『おしい!ざんねん!!会いたかった!!!あぁ,愛しき古生物たち --- 無念にも滅びてしまった彼ら ---』(笠倉出版社,2018年)

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2018-02-16 Fri

#3217. ドーキンスと言語変化論 (3) [evolution][biology][language_change][semantic_change][bleaching][meme][lexicology]

 この2日間の記事 ([2018-02-14-1], [2018-02-15-1]) に続き,ドーキンスの『盲目の時計職人』より,生物進化と言語変化の類似点や相違点について考える.同著には,時間とともに強意語から強意が失われていき,それを埋め合わせる新たな強意語が生まれる現象,すなわち「強意逓減の法則」と呼ぶべき話題を取りあげている箇所がある (349--50) .「花形役者」を意味する英単語 star にまつわる強意逓減に触れている.

〔言語には〕純粋に抽象的で価値観に縛られない意味あいで前進的な,進化のような傾向を探り当てることができる.そして,意味のエスカレーションというかたちで(あるいは別の角度からそれを見れば,退化ということになる)正のフィードバックの証拠が見いだされさえするだろう.たとえば,「スター」という単語は,まったく類まれな名声を得た映画俳優を意味するものとして使われていた.それからその単語は,ある映画で主要登場人物の一人を演じるくいらいの普通の俳優を意味するように退化した.したがって,類まれな名声というもとの意味を取り戻すために,その単語は「スーパースター」にエスカレートしなければならなかった.そのうち映画スタジオの宣伝が「スーパースター」という単語をみんなの聞いたこともないような俳優にまで使いだしたので,「メガスター」へのさらなるエスカレーションがあった.さていまでは,多くの売出し中の「メガスター」がいるが,少なくとも私がこれまで聞いたこともない人物なので,たぶんそろそろ次のエスカレーションがあるだろう.われわれはもうじき「ハイパースター」の噂を聞くことになるのだろうか? それと似たような正のフィードバックは,「シェフ」という単語の価値をおとしめてしまった.むろん,この単語はフランス語のシェフ・ド・キュイジーヌから来ており,厨房のチーフあるいは長を意味している.これはオックスフォード辞典に載っている意味である.つまり定義上は厨房あたり一人のシェフしかいないはずだ.ところが,おそらく対面を保つためだろう,通常の(男の)コックが,いやかけだしのハンバーガー番でさえもが,自分たちのことを「シェフ」と呼び出した.その結果,いまでは「シェフ長」なる同義反復的な言いまわしがしばしば聞かれるようになっている.


 ドーキンスは,ここで「スター」や「シェフ」のもともとの意味をミーム (meme) としてとらえているのかもしれない(関連して,「#3188. ミームとしての言語 (1)」 ([2018-01-18-1]),「#3189. ミームとしての言語 (2)」 ([2018-01-19-1])).いずれにせよ,変化の方向性に価値観を含めないという点で,ドーキンスは徹頭徹尾ダーウィニストである.
 強意の逓減に関する話題としては,「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]),「#2190. 原義の弱まった強意語」 ([2015-04-26-1]) などを参照されたい.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.

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2018-02-15 Thu

#3216. ドーキンスと言語変化論 (2) [glottochronology][evolution][biology][language_change][comparative_linguistics][history_of_linguistics][speed_of_change][statistics]

 昨日の記事 ([2018-02-14-1]) に引き続き,ドーキンスの『盲目の時計職人』で言語について言及している箇所に注目する.今回は,ドーキンスが,言語の分岐と分類について,生物の場合との異同を指摘しながら論じている部分を取りあげよう (348--49) .

言語は何らかの傾向を示し,分岐し,そして分岐してから何世紀か経つにつれて,だんだんと相互に理解できなくなってしまうので,あきらかに進化すると言える.太平洋に浮かぶ多くの島々は,言語進化の研究のための格好の材料を提供している.異なる島の言語はあきらかに似通っており,島のあいだで違っている単語の数によってそれらがどれだけ違っているかを正確に測ることができよう.この物差しは,〔中略〕分子分類学の物差しとたいへんよく似ている.分岐した単語の数で測られる言語間の違いは,マイル数で測られる島間の距離に対してグラフ上のプロットされうる.グラフ上にプロットされた点はある曲線を描き,その曲線が数学的にどんな形をしているかによって,島から島へ(単語)が拡散していく速度について何ごとかがわかるはずだ.単語はカヌーによって移動し,当の島と島とがどの程度離れているかによってそれに比例した間隔で島に跳び移っていくだろう.一つの島のなかでは,遺伝子がときおり突然変異を起こすのとほとんと同じようにして,単語は一定の速度で変化する.もしある島が完全に隔離されていれば,その島の言語は時間が経つにつれて何らかの進化的な変化を示し,したがって他の島の言語からなにがしか分岐していくだろう.近くにある島どうしは,遠くにある島どうしに比べて,カヌーによる単語の交流速度があきらかに速い.またそれらの島の言語は,遠く離れた島の言語よりも新しい共通の祖先をもっている.こうした現象は,あちこちの島のあいだで観察される類似性のパターンを説明するものであり,もとはと言えばチャールズ・ダーウィンにインスピレーションを与えた,ガラパゴス諸島の異なった島にいるフィンチに関する事実と密接なアナロジーが成り立つ.ちょうど単語がカヌーによって島から島へ跳び移っていくように,遺伝子は鳥の体によって島から島へ跳び移っていく.


 実際,太平洋の島々の諸言語間の関係を探るのに,統計的な手法を用いる研究は盛んである.太平洋から離れて印欧語族の研究を覗いても,ときに数学的な手法が適用されてきた(「#1129. 印欧祖語の分岐は紀元前5800--7800年?」 ([2012-05-30-1]) を参照).Swadesh による言語年代学も,おおいに批判を受けてきたものの,その洞察の魅力は完全には失われていないように見受けられる(「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1]) や glottochronology の各記事を参照).近年のコーパス言語学の発展やコンピュータの計算力の向上により,語彙統計学 (lexicostatistics) という分野も育ってきている.生物学の方法論を言語学にも応用するというドーキンスの発想は,素直でもあるし,実際にいくつかの方法で応用されてきてもいるのである.
 関連して,もう1箇所,ドーキンスが同著内で言語の分岐を生物の分岐になぞらえている箇所がある.しかしそこでは,言語は分岐するだけではなく混合することもあるという点で,生物と著しく相違すると指摘している (412) .

言語は分岐するだけではなく,混じり合ってしまうこともある.英語は,はるか以前に分岐したゲルマン語とロマンス語の雑種であり,したがってどのような階層的な入れ子の図式にもきっちり収まってくれない.英語を囲む輪はどこかで交差したり,部分的に重複したりすることがわかるだろう.生物学的分類の輪の方は,絶対にそのように交差したりしない.主のレベル以上の生物進化はつねに分岐する一方だからである.


 生物には混合はあり得ないという主張だが,生物進化において,もともと原核細胞だったミトコンドリアや葉緑体が共生化して真核細胞が生じたとする共生説が唱えられていることに注意しておきたい.これは諸言語の混合に比較される現象かもしれない.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.

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2018-02-14 Wed

#3215. ドーキンスと言語変化論 (1) [teleology][evolution][biology][language_change]

 ドーキンスの名著『盲目の時計職人』(原題 The Blind Watchmaker (1986))は,(ネオ)ダーウィニズムの最右翼の書である.言語変化論にとって生物の進化と言語の進化・変化の比喩がどこまで有効かという問題は決定的な重要性をもっており,私も興味津々なのだが,比喩の有用性と限界の境目を見定めるのは難しい.
 ドーキンスの上掲書を通読するかぎり,言語に直接・間接に応用可能な箇所を指摘すれば,3点あるように思われる.(1) 非目的論 (teleology) の原理,(2) 言語の分岐と分類,(3) 意味の漂白化と語彙的充填だ.今回は (1) の非目的論について考えてみたい.
 ドーキンス (24--25) は,生物進化の無目的性,すなわち「盲目の時計職人」性について次のように明言している.言語の進化・変化についても,そのまま当てはまると考える.

自然界の唯一の時計職人は,きわめて特別なはたらき方ではあるものの,盲目の物理的な諸力なのだ.本物の時計職人の方は先の見通しをもっている.心の内なる眼で将来の目的を見すえて歯車やバネをデザインし,それらを相互にどう組み合わせるかを思い描く.ところが,あらゆる生命がなぜ存在するか,それがなぜ見かけ上目的をもっているように見えるかを説明するものとして,ダーウィンが発見しいまや周知の自然淘汰は,盲目の,意識をもたない自動的過程であり,何の目的ももっていないのだ.自然淘汰には心もなければ心の内なる眼もありはしない.将来計画もなければ,視野も,見通しも,展望も何もない.もし自然淘汰が自然界の時計職人の役割を演じていると言ってよいなら,それは盲目の時計職人なのだ.


 言語変化も,その言語の話者が担っているには違いないが,その話者の演じるところはあくまで無目的の「盲目の時計職人」であると考えられる.確かに,話者はその時々の最善のコミュニケーションのために思考し,言葉を選び,それを実際に発しているかもしれない.それはその通りなのだが,後にそれが帰結するかもしれない言語変化について,すでにその段階で話者が何かを目論んでいるとは思えない.言語変化はそのように予定されているものではなく,その意味において無目的であり,盲目なのである.本当は,個々の話者は「盲目の時計職人」すら演じているわけではなく,結果的に「時計職人」ぽく,しかも「盲目の時計職人」ぽく見えるにすぎないのだろう.
 言語変化における目的論に関わる諸問題については,teleology の各記事を参照されたい.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.

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2018-01-19 Fri

#3189. ミームとしての言語 (2) [anthropology][biology][meme][teleology]

 昨日の記事 ([2018-01-18-1]) に引き続き,ドーキンスのミーム論について.先の記事で言語をミームと捉える視点を導入したが,注意すべきは,ここに目的論 (teleology) は一切含まれていないことだ.ドーキンスの説を目的論と結びつけるのは,「利己的な遺伝子」 (selfish genes) というキーワードがしばしば引き起こしてきた誤解である.同説を言語に応用する場合にも,この点には気をつけておかなければならない.ドーキンスも何度となく念押ししているが,ミームに関する箇所から引用しよう (303--04) .

ミームと遺伝子の類似点をもっと調べてみることにしよう.本書の全体を通じて私は,遺伝子を,意識をもつ目的志向的な存在と考えてはならないと強調してきた.しかし,遺伝子は,盲目的な自然淘汰のはたらきによって,あたかも目的をもって行動する存在であるかのように仕立てられている.そこで,ことばの節約という立場からは,目的意識を前提にした表現を遺伝子に当てはめてしまったほうが便利だというわけだった.たとえば,「遺伝子は,将来の遺伝子プールの中における自分のコピーの数を増やそうと努力している」と表現した場合,実際の意味は「われわれが自然界においてその効果を目にすることができる遺伝子は,将来の遺伝子プール中における自分の数を結果的に増加させることのできるような挙動を示す遺伝子だろう」ということなのだ.自己の生存のために目的志向的にはたらく能動的な存在として遺伝子を考えることが便利だったのとまったく同様に,ミームに関しても同じように考えれば便利なのではあるまいか.いずれの場合も,表現を神秘的に解釈されては困る.目的の観念はいずれにおいても単なる比喩にすぎないのだ.しかし,遺伝子の場合にこの比喩がどんなに有用だったかはすでに見たとおりである.われわれは,それが単なる比喩であることを十分承知した上で,遺伝子に対して,「利己的な」とか「残忍な」とかいう形容詞をさえ用いたほどである.これらの場合とまったく同じ心構えで,利己的なミームや残忍なミームを物色することができるだろうか.


 ドーキンスは最後の自問に,Yes だろうと答えている.ミームは意識も先見能力ももたない自己複製子であり,あくまで非目的論的な存在である.したがって,ミームとしての言語を想定するならば,それもまた非目的論的に振る舞うだろうと推測される.
 言語変化における teleology については,「#835. 機能主義的な言語変化観への批判」 ([2011-08-10-1]),「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]),「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]),「#1979. 言語変化の目的論について再考」 ([2014-09-27-1]),「#2837. 人類史と言語史の非目的論」 ([2017-02-01-1]) などを参照.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),日高 敏隆・岸 由二・羽田 節子・垂水 雄二(訳) 『利己的な遺伝子』増補新装版 紀伊國屋書店,2006年.

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2018-01-18 Thu

#3188. ミームとしての言語 (1) [anthropology][biology][meme][teleology]

 生物観に革命を起こしたリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』 (1976年)は,生物における遺伝子 (gene) に対応するものが,人間の文化にも存在するとして,人文科学にも強烈なインパクトを与えてきた.言語は文化の最たるものであるから,ドーキンスの説は言語観にも影響を及ぼしている.実際,ドーキンスには言語について触れている箇所がある (291--92) .

人間をめぐる特異性は,「文化」という一つのことばにほぼ要約できる.もちろん,私は,このことばを通俗的な意味でではなく,科学者が用いるさいの意味で使用しているのだ.基本的には保守的でありながら,ある種の進化を生じうる点で,文化的伝達は遺伝的伝達と類似している.ジェフリー・チョーサーは,連綿と続く約二〇世代ほどの英国人を仲立ちとして,現代英国人と結びつきをもっている.仲立ちとなっているそれぞれの世代の人々は,ごく身近な世代の人々となら,息子が父親と話をする場合のように互いに話ができたはずだ.しかし,チョーサーと現代英国人との間で会話を交すのは不可能にちがいない.言語は,非遺伝的な手段によって「進化」するように思われ,しかも,その速度は,遺伝的進化より格段に速いのである.


 ドーキンスは,言語を一例とするこのような文化における利己的な自己複製子をミーム (meme) と名付けた.ドーキンスより,この名付けに関する重要な箇所を引用しよう (10) .

私の考えるところでは,新種の自己複製子が最近まさにこの惑星上に登場しているのである.私たちはそれと現に鼻をつき合わせているのだ.それはまだ未発達な状態にあり,依然としてその原始スープの中に不器用に漂っている.しかしすでにそれはかなりの速度で進化的変化を達成しており,遺伝子という古参の自己複製子ははるか後方に遅れてあえいでいるありさまである.
 新登場のスープは,人間の文化というスープである.新登場の自己複製子にも名前が必要だ.文化伝達の単位,あるいは模倣の単位という概念を伝える名詞である.模倣に相当するギリシャ語の語根をとれば <mimeme> ということになるが,私のほしいのは <ジーン(遺伝子)> ということばと発音の似ている単音節の単語だ.そこで,このギリシャ語の語根を <ミーム (meme)> と縮めてしまうことにする.私の友人の古典学者諸氏には御寛容を乞う次第だ.もし慰めがあるとすれば,ミームという単語は <記憶 (memory)>,あるいはこれに相当するフランス語の <même> という単語に掛けることができるということだろう.なお,この単語は,「クリーム」と同じ韻を踏ませて発音していただきたい.


 言語も(その他の文化現象も)遺伝子と同じく利己的に(しかし非目的論的に)自己複製して進化する実体というわけだ.そして,遺伝子が生物を遺伝子機械たらしめているように,言語というミームも話者である人間をミーム機械たらしめているということになるだろうか.そうすると,言語は確かに人類史上かなり成功しているミームといってよさそうだ.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),日高 敏隆・岸 由二・羽田 節子・垂水 雄二(訳) 『利己的な遺伝子』増補新装版 紀伊國屋書店,2006年.

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