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reestablishment_of_english - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-27 09:58

2022-11-26 Sat

#4961. 『グリーン・ナイト』と英語の復権 [sggk][reestablishment_of_english][voicy][heldio][notice]

 昨日映画『グリーン・ナイト』が全国ロードショーとなりました.原作は中英語アーサー王ロマンスの傑作とされる『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight,略して SGGK) です.この映画公開を念頭に,ここ数ヶ月の間,この hellog でも,Voicy の heldio でも,そして大学(院)の授業でも(!),この中英語テキスト (sggk) に注目してきました.
 この SGGK の盛り上がり(私の勝手な盛り上げ?)のタイミングで,本日午前10:00--11:00に映画『グリーン・ナイト』の字幕監修を務められた立命館大学の岡本広毅先生Voicy 生放送での対談をお届けします(すでに「#4957. heldio 生放送(岡本&堀田の対談)のお知らせ! 11月26日(土)午前10:00--11:00「ヴァナキュラーな『グリーン・ナイト』」」 ([2022-11-22-1]) でお知らせした通りです).

heldio_live_20221126



 生放送中に岡本先生への質問も受け付けたいと思いますので,Voicy アプリよりお寄せください.ただし,生放送でお聴きできない方も心配無用です.収録の様子は,明朝の heldio にて配信する予定です.いずれにせよ映画鑑賞に出かける前の「予習」としてお聴きください(ただし少々のネタバレはあるかもしれませんので要注意).
 さて,映画の予習となるはずの本日の対談生放送それ自体の予習として,14世紀後半に SGGK が「英語で」書かれた歴史的背景について,今朝レギュラー回の heldio で配信しました.「#544. 1/3ミレニアムにおよぶ英語の屈辱の時代」です,まずはこちらをお聴きください.



 今でこそ英語は世界語とみなされる存在ですが,中英語期 (1100--1500年)には英語はイングランドの国語としてすら半ば認められていない弱小言語にすぎませんでした.では,なぜ14世紀後半にそのような言語で SGGK が書かれたのでしょうか.それは,この時期までにようやく英語が「復権」を遂げつつあったからです.1066年のノルマン征服によりフランス語による支配というくびきの下に入った英語は,時間をかけてゆっくりと威信を回復していき,14世紀後半に再び頭をもたげてきたのです.英語の屈辱の時期は,333年ほど,つまり1千年紀の1/3という長きにわたりました.
 つまり,14世紀後半は英語にとって再び日の目を見ることになった瑞々しい時期なのです.無名の詩人によって今回注目している SGGK が著わされ,そして中英語文学の最高傑作であるジェフリー・チョーサーによる『カンタベリ物語』も著わされました.スゴい時代です.
 ぜひ,以上の英語史的な背景を踏まえた上で映画『グリーン・ナイト』をご鑑賞いただければと思います.

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2021-07-03 Sat

#4450. 中英語期は,英語とフランス語が共存・接触した時代 [french][contact][anglo-norman][bilingualism][reestablishment_of_english][historiography][language_myth][linguistic_ideology]

 伝統的な英語史記述では,中英語期は英語が(アングロ)フランス語のくびきの下にあった時代として描かれる.1066年のノルマン征服の結果,英語はイングランド社会において自律性を失い,代わってフランス語が「公用語」となった.しかし,12世紀以降,英語の復権はゆっくりではあるが着実に進み,14世紀後半には自律性を回復するに至った.このように,中英語期に関しては,浮かんでいた英語がいったん沈み,再び浮かび上がる物語として叙述されるのが常である.
 しかし,Trotter (1782) は,このような中英語期の描き方は神話に近いものだと考えている.当時の英語と(アングロ)フランス語の関係は,浮き沈みの関係,あるいは時間軸に沿って交替した関係ではなく,むしろ共存・接触の関係とみるべきだと主張する.この時代にフランス語が英語に与えた言語的影響を考察する上でも,共存・接触関係を前提とすることが肝要だと説く.

In much which is still being written on the history of medieval English, the specialist scholarship from the Anglo-French perspective has not been taken into account. Even in quite recent publications, Middle English scholarship continues to recycle a history of Anglo-French to which Anglo-French specialists would no longer subscribe. A particular example in the persistence of the traditional "serial monolingualism" model . . ., according to which Anglo-Saxon gives way to Anglo-French, pending the revival of Middle English, with each language succeeding the other. Born out of the 19th-century nationalist ideology which accompanied and prompted the emergence of philology in England and elsewhere . . ., this model ignores the reality of the long-term coexistence of languages, and of language contact . . . . Prominent amongst the areas in which language contact, going far beyond the limited "cultural borrowing" model, is evident, are (a) wholesale lexical transfer, (b) language mixing, (c) morphosyntactic hybridization, and (d) syntactic/idiomatic influences.


 確かに中英語期にフランス語が英語に与えた言語的影響の話題を導入する場合,まずもって文化語の借用から話しを始めるのが定番だろう.典型的には「#1210. 中英語のフランス借用語の一覧」 ([2012-08-19-1]) や「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1]) などを提示するということだ.しかし,そこで止まってしまうと,両言語の接触に関して表面的な理解しか得られずに終わることになる.一歩進んで,引用の (a), (b), (c), (d) のような,より深い言語的影響があったことまで踏み込みたいし,さらに一歩進んで両言語の関係が長期にわたる共存・接触の関係だったことに言及したい.

 ・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.

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2021-03-22 Mon

#4347. 講座「英語の歴史と語源」の第9回「百年戦争と黒死病」を終えました [asacul][notice][history][hundred_years_war][black_death][reestablishment_of_english][covid][link][slide]

 先日の記事「#4338. 講座「英語の歴史と語源」の第9回「百年戦争と黒死病」のご案内」 ([2021-03-13-1]) でお知らせしたように,3月20日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・9 百年戦争と黒死病」を開講しました.数ヶ月に一度,ゆっくり続けているシリーズですが,いよいよ中世も終わりに近づいて来ました.
 今回も厳しいコロナ禍の状況のなかで参加していただいた皆さんには感謝致します.熱心な質問やコメントもたくさんのいただき,ありがとうございました.
 今回は,黒死病が重要テーマの1つということもあり,タイムリーを狙って「[特別編]コロナ禍と英語」という話題から始めました.その後,14--15世紀の2大事件ともいえる百年戦争 (hundred_years_war) と黒死病 (black_death) を取り上げ,その英語史上の意義を論じました.このような歴史上の大事件は,確かに後世の私たちにも強烈な印象を与えますが,その時代までに醸成されていた歴史の潮流を後押しする促進剤にすぎず,必ずしも事件そのものが本質的で決定的な役割を果たすわけではないと議論しました.現在のコロナ禍も大きな社会変化を引き起こしていると言われますが,本当のところは,既存の潮流を促進しているという点にこそ歴史上の意義があるのかもしれません.
 今回の講座で用いたスライドをこちらに公開しておきます.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきます.

   1. 英語の歴史と語源・9 「百年戦争と黒死病」
   2. 第9回 百年戦争と黒死病
   3. 目次
   4. 1. [特別編]コロナ禍と英語
   5. OED の特集記事
   6. 2. 英語の地位の低下と復権(1066?1500年)
   7. 英語の復権の歩み (#131)
   8. 3. 百年戦争 (Hundred Years War)
   9. 百年戦争前後の略年表
   10. 百年戦争と英語の復権
   11. 4. 黒死病 (Black Death)
   12. 黒死病の社会(言語学)的影響 (1)
   13. 黒死病と社会(言語学)的影響 (2)
   14. 英語による教育の始まり (#1206)
   15. 実は当時の英語(中英語)は繁栄していた
   16. 黒死病は英語の復権に拍車をかけたにすぎない
   17. まとめ
   18. 参考文献

 次回のシリーズ第10回は2021年5月29日(土)の15:30?18:45を予定しています.印欧祖語から始まった講座も,いよいよ近代に突入します.お題は「大航海時代と活版印刷術」です.この話題について,再び皆さんと議論できればと思います.講座の詳細はこちらからどうぞ.

Referrer (Inside): [2022-03-12-1]

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2021-03-13 Sat

#4338. 講座「英語の歴史と語源」の第9回「百年戦争と黒死病」のご案内 [asacul][notice][history][hundred_years_war][black_death][reestablishment_of_english][covid]

 来週3月20日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・9 百年戦争と黒死病」と題してお話しします.関心のある方は是非お申し込みください.趣旨は以下の通りです.

14世紀のイングランドは,英仏百年戦争 (1337--1453年) の勃発と,それに続く黒死病の蔓延(1348年の第一波)など数々の困難に見舞われました.これらの社会的な事件は,ノルマン征服以来定着していたフランス語による支配を転換させ,英語の復権を強く促す契機となりました.いよいよ英語はイングランドの国語という地位へと返り咲き,近代にかけて勢いを増していくことになります.標題の歴史的大事件のもつ英語史上の意義を考えてみたいと思います.


 とりわけ黒死病が英語に与えたインパクトという問題に注目します.目下,新型コロナウィルスにより世界中の政治,経済,社会が大きな影響を受けていますが,英語をはじめとする諸言語もまたその影響下にあり,変容を余儀なくされています.疫病と言語の関わりは一般に思われているよりもずっと深いのです.650年ほど前にヨーロッパを襲った疫病は,いかにして英語とその歴史に衝撃を与えたのか.この問題について,一緒に検討していきたいと思います.同時に,目下の新型コロナウィルスと英語に関する話題も盛り込む予定です.
 本ブログでも百年戦争 (hundred_years_war) や黒死病 (black_death) について幅広く扱ってきましたので,各記事をご覧ください.

Referrer (Inside): [2021-03-22-1]

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2021-02-10 Wed

#4307. 最初のフランス語文法書はイングランド発 [french][reestablishment_of_english]

 昨日の記事「#4306. 12--13世紀のフランス語の栄光」 ([2021-02-09-1]) の最後で触れたが,フランス語の社会的影響力がとりわけ強かったイングランドですら,14世紀には「フランス語力」のない社会へと変質していた.当時のイングランドでフランス語の能力があるということは,現代の日本で英語ができるのと同様に,1つの「たしなみ」となっていたのである.逆にいえば,14世紀以降,フランス語は懸命に学習すべき対象となっていたのだ.
 この状況は様々な証拠から確かめられる.例えば「#2622. 15世紀にイングランド人がフランス語を学んだ理由」 ([2016-07-01-1]) で触れた通り,15世紀初頭に John Barton が Donet François なる文法書を書いたが,これは実に最初のフランス語文法書なのである.アジェージュ (120--21) より,関連する記述を引用する.

フランス語の勢力がたいへん強かった国,たとえばイギリスにおいては,ある出来事がフランス語の地位の後退を逆説的なかたちで物語っている.フランス語の文法書が生まれたのは,ほかならぬイギリスにおいてである.それは一四〇〇年に出版された『フランス語のドナトゥス (Donat françois)』 である(この教科書にドナトゥスの名前が冠せられているのにはわけがある.四世紀の有名なラテン語の文法化ドナトゥスは,中世には文法のモデルとみなされていたからである).著者〔ジョン・バートン〕はこの本をこう紹介している.

 イギリス王国の優れたひとびとは,フランス語を読み書き聞き話すことを熱烈に望んでいる.それは,彼らの隣人であるフランス王国のひとびとと親しく会話するためであり,また,イギリスの法律や多くの重要な事どもはフランス語で言いあらわされるからであり,さらには,イギリス王国においてさえほとんどすべての紳士淑女たちはフランス語でたがいに手紙を書くからである.だからこそ,私は思うのだが,フランス語の正しい性質を知ることは,イギリス人にとって絶対に必要なのである.(François 1959, t.I, p.100 に引用)


 フランス語の知識がしだいに衰えつつあったことがここからわかる.というのは,何冊かの最初のフランス語の文法書は,イギリスでフランス語を忘れつつあったひとびとのために書かれたからである.


 Donet François はフランス語で書かれていたが,あくまでイングランド人によるイングランド人のためのフランス語文法書だった.これが本格的なフランス語文法書の第1号である.この後,1530年に John Palsgrave が英語による初のフランス語文法書 Lesclarcissement de la Langue Francoyse を上梓したが,このように,当時フランス語学習熱はかなり盛り上がっていた(cf. 「#4173. Palsgrave のフランス語文典」 ([2020-09-29-1])).いな,文法書は別にしても,フランス語の単語集や会話集は,その多くが早くも13世紀以来イギリスの地で作成されてきたことも明記しておきたい (武井,p. 162) .

 ・ グロード・アジェージュ(著),糟谷 啓介・佐野 直子(訳) 『共通語の世界史 --- ヨーロッパ諸語をめぐる地政学』 白水社,2018年.
 ・ 武井 由紀 「最古のフランス語文法書,Donait françois について」『名古屋外国語大学外国語学部紀要』第44巻,2013年.161--81頁.

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2020-12-31 Thu

#4266. 講座「英語の歴史と語源」の第8回「ジョン失地王とマグナカルタ」を終えました [asacul][notice][monarch][french][history][reestablishment_of_english][magna_carta][link][slide]

 「#4254. 講座「英語の歴史と語源」の第8回「ジョン失地王とマグナカルタ」のご案内」 ([2020-12-19-1]) でお知らせしたように,12月26日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・8 ジョン失地王とマグナカルタ」と題して話しました.ゆっくりと続けているシリーズですが,毎回,参加者の皆さんから熱心な質問やコメントをいただきながら,楽しく進めています.ありがとうございます.
 今回は英語史としてもイングランド史としても地味な13世紀に注目してみました.歴代イングランド王のなかで最も不人気なジョン王と,ジョンが諸侯らに呑まされたマグナカルタを軸に,続くヘンリー3世までの時代背景を概観した上で,当時の英語を位置づけてみようと試みました.そして最後には,同世紀の初期と後期を代表する中英語の原文を堪能しました.難しかったでしょうか,どうだったでしょうか.私自身も,資料を作成しながら,地味な13世紀も見方を変えてみれば英語史的に非常におもしろい時代となることを確認できました.
 講座で用いたスライドをこちらに公開しておきます.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきます.

   1. 英語の歴史と語源・8 「ジョン失地王とマグナカルタ」
   2. 第8回 ジョン失地王とマグナカルタ
   3. 目次
   4. 1. ジョン失地王
   5. 関連略年表
   6. 2. マグナカルタ
   7. マグナカルタの当時および後世の評価
   8. Carta or Charter
   9. Magna or Great
   10. ヘンリー3世
   11. 3. 国家と言語の方向づけの13世紀
   12. 4. 13世紀の英語
   13. The Owl and the Nightingale 『梟とナイチンゲール』の冒頭12行
   14. "The Proclamation of Henry III" 「ヘンリー3世の宣言書」
   15. まとめ
   16. 参考文献

 次回のシリーズ第9回は2021年3月20日(土)の15:30?18:45を予定しています.話題は,不運にもタイムリーとなってしまった「百年戦争と黒死病」です.戦争や疫病が,いかにして言語の運命を変えるか,じっくり議論していきたいと思います.詳細はこちらからどうぞ.

Referrer (Inside): [2022-03-12-1]

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2020-12-19 Sat

#4254. 講座「英語の歴史と語源」の第8回「ジョン失地王とマグナカルタ」のご案内 [asacul][notice][monarch][french][history][reestablishment_of_english][magna_carta]

 来週12月26日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・8 ジョン失地王とマグナカルタ」と題する講演を行ないます.関心のある方は是非お申し込みください.趣旨は以下の通りです.

1204年,ジョン王は父祖の地ノルマンディを喪失し,さらに1215年には,貴族たちにより王権を制限するマグナカルタを呑まされます.英語史的にみれば,この事件は (1) 英語がフランス語から独立する契機を作り,(2) フランス話者である王侯貴族の権力をそぎ,英語話者である庶民の立場を持ち上げた,という点で重要でした.この後2世紀ほどをかけて英語はフランス語のくびきから脱していきます.本講座では,この英語の復活劇を活写します.


 イングランドの歴代君主のなかでも最も人気のないジョン王.フランスに大敗し,ウィリアム征服王以来の故地ともいえるノルマンディを1204年に失ってしまいました.さらに,1215年には,後に英国の憲法に相当するものとして神聖視されることになるマグナカルタを承認せざるを得なくなりました.この13世紀の歴史的状況は,英語の行く末にも大きな影響を及ぼしました.この後,英語はゆっくりとではありますが着実に「復権」していくことになります.
 関連する当時の英語(中英語)の原文も紹介しながら,ゆかりの英単語の語源も味わっていく予定です.

Referrer (Inside): [2020-12-31-1]

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2020-03-16 Mon

#3976. 英語史における黒死病の意義 [black_death][link][reestablishment_of_english]

 新型コロナウィルス (COVID-19) が世界中で大流行しています.一刻も早く事態が終息することを願っています.英語史ブログ運営者としては,この時節に及んで中世ヨーロッパにもたらされた災禍である黒死病 (black_death) に触れないわけにはいきません.あえてこの話題を取り上げる次第です.
 とはいえ,新しいことは何もありません.本ブログでは,英語史における黒死病の意義についてすでに多くの記事で検討してきました.以下にリンクを張りましたので,ぜひ関連する記事をご一読ください.とりわけお薦めは「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]) です.これは,2017年9月2日に朝日カルチャーセンター新宿教室で開いた「講座 歴史の動きと英語の変化」の第3回として「黒死病と英語」の題目の下で話した内容にもとづいています.エッセンスのみを記載していますが,ポイントは押さえているはずです.

 ・ 「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1])
 ・ 「#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考」 ([2009-09-13-1])
 ・ 「#144. 隔離は40日」 ([2009-09-18-1])
 ・ 「#1206. 中世イングランドにおける英語による教育の始まり」 ([2012-08-15-1])
 ・ 「#2990. Black Death」 ([2017-07-04-1])
 ・ 「#3053. 黒死病により農奴制から自由農民制へ」 ([2017-09-05-1])
 ・ 「#3054. 黒死病による社会の流動化と諸方言の水平化」 ([2017-09-06-1])
 ・ 「#3055. 黒死病による聖職者の大量死」 ([2017-09-07-1])
 ・ 「#3056. 黒死病による人口減少と技術革新」 ([2017-09-08-1])
 ・ 「#3057. "The Pardoner's Tale" にみる黒死病」 ([2017-09-09-1])
 ・ 「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1])
 ・ 「#3061. 誤用と正用という観念の発現について」 ([2017-09-13-1])
 ・ 「#3062. 1665年のペストに関する Samuel Pepys の記録」 ([2017-09-14-1])
 ・ 「#3065. 都市化,疫病,言語交替」 ([2017-09-17-1])
 ・ 「#3196. 中英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-26-1])
 ・ 「#3212. 黒死病,死の舞踏,memento mori」 ([2018-02-11-1])
 ・ 「#3780. Foley による「標準英語の発展」の記述」 ([2019-09-02-1])

 1348年に初めてイギリスに飛び火した黒死病は,1066年のノルマン征服により下落していた英語の地位を回復するのにあずかって大きかったとするのが英語史の通説です.逆にいえば,もし黒死病が起こらなかったらば,英語は近代の入り口までにイングランドの国語としての地位を回復できなかった,あるいは回復したとしてももっと遅かっただろうという結論になります.さらに想像力をたくましくすれば,後の英語の世界的展開もなかった,あるいは遅れた,あるいは異なる形をとっていた,ということにもなり得ます.そうであれば,読者の皆さんも英語など学んでいなかったかもしれませんし,この英語史ブログも存在しなかったかもしれません.
 上記の通説は英語史の一面を正しくとらえた説であると私も考えています.一方で黒死病の流行は世界史上著名な事件としてあまりによく知られているだけに,その効果や意義が過大評価されやすいという側面もあるのではないかと(自戒を込めて)考えています.英語復権 (reestablishment_of_english) の歩みは,ノルマン征服直後より始まっており,その後ゆっくりとではあるものの着実に進んでいたというのが歴史的事実です.黒死病はそのような従来の緩慢な傾向に,14世紀半ばというタイミングで拍車をかけたということでしょう.黒死病は英語の復権に一役買ったとはいえ,あくまで多数の要因の1つだったという解釈が妥当でしょう.
 では,その他の多数の要因とは何でしょうか.これについては,英語の復権に関する reestablishment_of_english の記事群を読んでいただければと思います.そのなかでとりわけ重要な記事にのみ,以下にリンクを張っておきます.

 ・ 「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1])
 ・ 「#138. 黒死病と英語復権の関係について再考」 ([2009-09-12-1])
 ・ 「#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考」 ([2009-09-13-1])
 ・ 「#706. 14世紀,英語の復権は徐ろに」 ([2011-04-03-1])
 ・ 「#1207. 英語の書き言葉の復権」 ([2012-08-16-1])
 ・ 「#1821. フランス語の復権と英語の復権」 ([2014-04-22-1])
 ・ 「#2334. 英語の復権と議会の発展」 ([2015-09-17-1])
 ・ 「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1])
 ・ 「#3894. 「英語復権にプラス・マイナスに貢献した要因」の議論がおもしろかった」 ([2019-12-25-1])

Referrer (Inside): [2021-01-01-1]

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2019-12-25 Wed

#3894. 「英語復権にプラス・マイナスに貢献した要因」の議論がおもしろかった [reestablishment_of_english][history][hel_education]

 今学期の英語学演習の授業では,英語史の古典的名著の1つ Baugh and Cable を読みつつ,グループでの議論を繰り広げてきた.とりわけ議論として盛り上がって楽しかったのは,ノルマン征服によって地下に潜った英語が13世紀以降徐々に復権していく過程にあって,英語の復権に最も貢献したのは具体的にどの事件・出来事・潮流だったと考えるかというディスカッションである.
 Baugh and Cable の6章 "The Reestablishment of English, 1200--1500" を読んでいたところで,以下の節のタイトルを「英語復権にプラス・マイナスに貢献した要因」として掲げ,みなで各要因の効き具合を議論した上で,最強の要因を決定するという趣旨だった.様々な意見が出て,なかなかおもしろかった.

 94. The Loss of Normandy
 95. Separation of the French and English Nobility
 96. French Reinforcements
 97. The Reaction against Foreigners and the Growth of National Feeling
 98. French Cultural Ascendancy in Europe
 100. Attempts to Arrest the Decline of French
 101. Provincial Character of French in England
 102. The Hundred Years' War
 103. The Rise of the Middle Class

 英語の復権にプラスに作用した要因としては 94, 95, 97, 101, 102, 103 が挙げられ,議論の対象となった.一方,英語の復権にマイナスに働いた要因(あるいは相対的にフランス語の威信の高揚に作用した要因)としては 96, 98, 100 が指摘された.「#3096. 中英語期,英語の復権は徐ろに」 ([2017-10-18-1]) でも取り上げたようにこの評価はもっともなのだが,そこに様々な意見が飛び交うのがおもしろい.
 たとえば,「96. French Reinforcements」では,Henry III がフランス人とフランス語を重用し,相対的に英語を軽視したという記述がみられるが,「#2567. 13世紀のイングランド人と英語の結びつき」 ([2016-05-07-1]) でも述べたように,むしろその後の反動「98. French Cultural Ascendancy in Europe」を考えれば,英語復権のための呼び水になったともいえ,間接的には英語復権にとってプラスに作用したと穿った解釈をすることもできる.
 また,2歩進んで1歩下がるかのような数世紀にわたる緩慢な英語復権の歩みに関して,一連の要因の皮切りである「94. The Loss of Normandy」が起こらなかったなら,そもそも英語の復権が緒に就くことはなかったという点で,これこそが最重要という見方が出た一方で,むしろ一連の要因の締めくくりである「102. The Hundred Years' War」が最重要という意見も飛び出した.さらに,地味ではあるが「103. The Rise of the Middle Class」が決定的ではないかという見解も出た.参加者それぞれが一家言もっているようで,実に実りある議論となった.
 各要因の効き具合を検討するということは,その要因がなかったら英語の復権はならなかった(あるいは遅れた)のではないかという可能性を考察するということであり,すなわち「歴史の if」のシミュレーションでもある.しばしば妄想が入り込むにせよ,英語史においても「歴史の if」の思考実験は必要であると実感した.
 「歴史の if」については「#3097. ヤツメウナギがいなかったら英語の復権は遅くなっていたか,早くなっていたか」 ([2017-10-19-1]),「#3108. ノルマン征服がなかったら,英語は・・・?」 ([2017-10-30-1]) の記事も参照.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

Referrer (Inside): [2020-03-16-1] [2019-12-26-1]

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2018-10-28 Sun

#3471. 百年戦争による英語の復権 [hundred_years_war][reestablishment_of_english][monitoring]

 指 (30) は,百年戦争による英語の復権の過程と関連して,イングランド軍隊でフランス語使用が禁止されていた点に触れている.

この戦争によってもたらされた注目すべき変化に、英語の「復権」がある.ノルマン系の王族や貴族たちは,フランス語を常用語とし,宮廷内や公の文書にもフランス語が用いられていた.大陸領土を失っても,フランス語使用の習慣は続いていたが,百年戦争に際し,英語使用への積極的な転換がみられた.敵国の言葉を使うことによる士気の低下を恐れ,エドワード三世は軍隊でのフランス語使用を禁止したのである.これを契機に英語が公の言葉として復活することになったが,二世紀もの間,表舞台から駆逐されていた英語は,その間「書き言葉」としては使用されなかったため,以前の古英語とはかなり異なったものになっていた.


 なるほど,エドワード3世や彼に仕える取り巻きたちは,実のところフランス語シンパだったのだろうが,前線で戦う兵士の大半は英語しか知らないイングランド人である.イングランド軍隊の内部で敵兵の言語であるフランス語が飛び交っていたら,兵士たちの士気は上がらないだろう.王とて,兵卒の一人ひとりに協力してもらわなければ首尾よく戦いを進められない.そこで,自軍の兵卒とその母語たる英語に対して「妥協」する必要が生じる.このような論理で,百年戦争は英語の復権に着実な貢献をなしたのだろう.
 また,指は,古英語から中英語への言語的な大変化の原因について「『書き言葉』としては使用されなかったため」としている.言語学的には屈折の衰退や語順の確立などを含め,ほかに言うべきこともあるが,社会言語学的な立場からは,この見解は確かに正しい.英語が地位の低い言語に下落したために,公式な書き言葉の世界から排除され,結果として話し言葉の世界に閉じ込められることになった.しかし,それは英語が書き言葉に特有の規制や monitoring の圧力から解放されたことを意味し,そのような圧力の存在しない話し言葉の世界において,英語が融通無碍に変異し,変化し得る条件が整えられたことを意味するのだ.
 百年戦争と英語の復権の関係については,「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1]),「#706. 14世紀,英語の復権は徐ろに」 ([2011-04-03-1]),「#2334. 英語の復権と議会の発展」 ([2015-09-17-1]),「#3096. 中英語期,英語の復権は徐ろに」 ([2017-10-18-1]) を参照.

 ・ 指 昭博 『図説イギリスの歴史』 河出書房新社,2002年.

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2018-09-21 Fri

#3434. 近代英語期までもつれこんだ英語の公用語化 [reestablishment_of_english][me][french][latin][law_french][norman_conquest]

 ノルマン征服により,イングランドの公用語はフランス語およびラテン語となった.英語は非公式の言語として地下に潜ったわけだが,その後の数世紀をかけてゆっくりと,しかし着実に復権を遂げていった.この経緯については,reestablishment_of_english の数々の記事で取り上げてきたが,とりわけ以下の記事を挙げておこう.

 ・ 「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1])
 ・ 「#324. 議会と法廷で英語使用が公認された年」 ([2010-03-17-1])
 ・ 「#336. Law French」 ([2010-03-29-1])
 ・ 「#1207. 英語の書き言葉の復権」 ([2012-08-16-1])
 ・ 「#3096. 中英語期,英語の復権は徐ろに」 ([2017-10-18-1])
 ・ 「#3265. 中世から初期近代まで行政の書き言葉標準はずっとラテン語だった」 ([2018-04-05-1])

 君塚 (134--35) は,公用語としての英語の復権を13世紀以降の流れのなかで描いているが,その終点はといえば,近代に入った1649年である.

 なお,「ノルマン征服」以後,イングランド貴族の日常言語はフランス語であり,公式の文書などにはラテン語が用いられてきた.これがジョンによる「ノルマン喪失」以降,貴族間でも英語が日常的に使われ,エドワード3世治世下の一三六三年からは議会での日常語は正式に英語と定められた.庶民院にはフランス語ができない層が数多くいたこととも関わっていた.
 議会の公式文書のほうは,一五世紀前半まではラテン語とともにフランス語が使われていたが,一四八九年からは法令の草稿も英語となった(議会制定法自体はラテン語のまま).最終的に法として認められる「国王による裁可」(ロイヤル・アセント)も,一七世紀前半まではフランス語が使われていたが,共和制の到来(一六四九年)とともに英語に直され,以後今日まで続いている.


 だが,さらに後の話題もある.法律を含めた公文書が英語で書かれなければならなくなる,いわゆる「ラテン語の全廃」は,ハノーヴァー朝の1713年のことである.イングランドは,ノルマン征服以降,英語を公的な場に完全に取り戻すのに,ざっと650年を要したことになる.

 ・ 君塚 直隆 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』 中央公論新社〈中公新書〉,2015年.

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2018-04-05 Thu

#3265. 中世から初期近代まで行政の書き言葉標準はずっとラテン語だった [latin][french][standardisation][chancery_standard][reestablishment_of_english][statute_of_pleading]

 15世紀前半に Chancery Standard という書き言葉英語の変種が芽生えたことについて,「#3214. 1410年代から30年代にかけての Chancery English の萌芽」 ([2018-02-13-1]) をはじめとする chancery_standard の記事で述べてきた.これは行政上の文書を記すために用いられた英語変種を指すが,行政の書き言葉標準ということでいえば,イングランド(及びその後の英国)におけるそれは18世紀前半に至るまでラテン語であり続けたという事実は押さえておく必要がある.つまり,真の "Chancery Standard" とは,英語の1変種のことなどではなく,ラテン語のことなのである.Schaefer (214) が次のように書いている.

English was not the language of the administration, but rather the minor partner of French and Latin. As Benskin (2004: 38) unmistakably states: "Chancery Standard was Latin, and save for nine years during the Commonwealth, it remained so until 1731, when for official purposes it was abolished altogether by Act of Parliament.


 英語の書き言葉標準の元祖といわれる Chancery Standard は,"Standard" と呼ばれこそすれ,実際にはより威信の高いラテン語やフランス語の書き言葉に比べれば,マイナーな位置づけにすぎなかったという指摘がおもしろい.
 このように中世から初期近代にかけてのイングランドの公的な書き言葉を巡る状況を俯瞰的に眺めると,しばしば英語の復権 (reestablishment_of_english) を象徴するとみなされている1362年の "Statute of Pleading" (裁判所における訴訟手続の英語化を定めた法律)も,所詮はラテン語とフランス語の盤石な権威に対する小さな抵抗にすぎないとも見えてくる(cf. 「#324. 議会と法廷で英語使用が公認された年」 ([2010-03-17-1])).Schaefer (217) より,関連する言及を引く.

The so-called "Statute of Pleading" of 1362 --- which is so often judged as having considerably raised the status of English --- indeed mandates that English be the (spoken) language of pleading at court. Yet it does so in French --- and in the complicated left-branching syntax of "courtly style" --- because, at the time, French was the language in which royal statutes where (sic) published; and it also regulates that the pleas be "entered and enrolled" in Latin, because this was the language of permanent record.


 ・ Schaefer, Ursula. "Standardization." Chapter 11 of The History of English. Vol. 3. Ed. Laurel J. Brinton and Alexander Bergs. Berlin/Boston: De Gruyter, 2017. 205--23.
 ・ Benskin, Michael. "Chancery Standard." New Perspectives on English Historical Linguistics. Selected Papers from 12 ICEHL, Glasgow, 21--26 August 2002. Vol. 2. Lexis and Transmission. Ed. Christian Kay, Carole Hough, and Irené Wotherspoon. Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins, 2004. 1--40.

Referrer (Inside): [2018-09-21-1]

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2018-03-12 Mon

#3241. 1422年,ロンドン醸造組合の英語化 [chancery_standard][reestablishment_of_english][language_shift][monarch][standardisation][politics][lancastrian]

 「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1]),「#2562. Mugglestone (編)の英語史年表」 ([2016-05-02-1]),「#3214. 1410年代から30年代にかけての Chancery English の萌芽」 ([2018-02-13-1]) で触れた通り,1422年にロンドン醸造組合 (Brewers' Guild of London) が,議事録と経理文書における言語をラテン語から英語へと切り替えた.この決定自体はラテン語で記録されているが,趣旨は以下のようなものだった.Fisher (22--23) からの孫引きだが,Chambers and Daunt の英訳を引用する.

Whereas our mother-tongue, to wit the English tongue, hath in modern days begun to be honorably enlarged and adorned, for that our most excellent lord, King Henry V, hath in his letters missive and divers affairs touching his own person, more willingly chosen to declare the secrets of his will, for the better understanding of his people, hath with a diligent mind procured the common idiom (setting aside others) to be commended by the exercise of writing; and there are many of our craft of Brewers who have the knowledge of writing and reading in the said english idiom, but in others, to wit, the Latin and French, before these times used, they do not in any wise understand. For which causes with many others, it being considered how that the greater part of the Lords and trusty Commons have begun to make their matters to be noted down in our mother tongue, so we also in our craft, following in some manner their steps, have decreed to commit to memory the needful things which concern us [in English]. (Chambers and Daunt 139)


 Henry V に言及していることからも推測される通り,この頃すでに,トップダウンで書き言葉の英語化路線がスタートしていたらしい.折しも国王のお膝元の Chancery において,後に "Chancery Standard" と名付けられることになる標準英語の書き言葉の萌芽のようなものも出現していたと思われる.書き言葉の英語化を巡って,王権による政治と庶民の生活とがどのような関係にあったのかは興味深い問題だが,いずれにせよ1422年は,15世紀前半の英語史上の転換期において象徴的な意味をもつ年といえるだろう.関連して,「#3225. ランカスター朝の英語国語化のもくろみと Chancery Standard」 ([2018-02-24-1]) も参照.

 ・ Fisher, John H. "A Language Policy for Lancastrian England." Chapter 2 of The Emergence of Standard English. John H. Fisher. Lexington: UP of Kentucky, 1996. 16--35.
 ・ Chambers, R. W. and Marjorie Daunt, eds. A Book of London English. Oxford: Clarendon-Oxford UP, 1931.

Referrer (Inside): [2018-03-13-1]

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2018-02-17 Sat

#3218. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第3回「515通りの through --- 中英語のスペリング」 [slide][spelling][spelling_pronunciation_gap][norman_conquest][chaucer][manuscript][reestablishment_of_english][timeline][me_dialect][minim][orthography][standardisation][digraph][hel_education][link][asacul]

 朝日カルチャーセンター新宿教室で開講している講座「スペリングでたどる英語の歴史」も,全5回中の3回を終えました.2月10日(土)に開かれた第3回「515通りの through --- 中英語のスペリング」で用いたスライド資料を,こちらにアップしておきました.
 今回は,中英語の乱立する方言スペリングの話題を中心に据え,なぜそのような乱立状態が生じ,どのようにそれが後の時代にかけて解消されていくことになったかを議論しました.ポイントとして以下の3点を指摘しました.

 ・ ノルマン征服による標準綴字の崩壊 → 方言スペリングの繁栄
 ・ 主として実用性に基づくスペリングの様々な改変
 ・ 中英語後期,スペリング再標準化の兆しが

 全体として,標準的スペリングや正書法という発想が,きわめて近現代的なものであることが確認できるのではないかと思います.以下,スライドのページごとにリンクを張っておきました.その先からのジャンプも含めて,リンク集としてどうぞ.

   1. 講座『スペリングでたどる英語の歴史』第3回 515通りの through--- 中英語のスペリング
   2. 要点
   3. (1) ノルマン征服と方言スペリング
   4. ノルマン征服から英語の復権までの略史
   5. 515通りの through (#53, #54), 134通りの such
   6. 6単語でみる中英語の方言スペリング
   7. busy, bury, merry
   8. Chaucer, The Canterbury Tales の冒頭より
   9. 第7行目の写本間比較 (#2788)
   10. (2) スペリングの様々な改変
   11. (3) スペリングの再標準化の兆し
   12. まとめ
   13. 参考文献

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2018-02-13 Tue

#3214. 1410年代から30年代にかけての Chancery English の萌芽 [standardisation][chancery_standard][reestablishment_of_english][monarch][hundred_years_war][spelling][koine]

 1410年代から30年代にかけて,標準英語に直接つながっていくとされる Chancery English の萌芽が見出される.標準英語の形成を考える上で,無視することのできない重要な時期である.
 英語の完全な復権と新しい標準変種の形成の潮流は,1413年に Henry IV がイングランド君主として初めて英語で遺書を残したことから始まる.1417年には玉璽局 (Signet Office) が Henry V の手紙を英語で発行し始めた.一方,1422年に,巷ではロンドンの醸造組合が会計上の言語として英語を採用するようになった.国会の議事録が英語で書かれるようになるのも,ほぼ同時期の1423年である.そして,1430年に,大法官庁が玉璽局の英語変種の流れを汲んで,East Midland 方言に基盤をもつコイネー (koine) を公的な書き言葉に採用したのである(Lancaster 朝の君主の英語使用については,「#1207. 英語の書き言葉の復権」 ([2012-08-16-1]) も参照).
 この時代の潮流において,後に Chancery Standard と呼ばれることになる変種(の卵)を採用したのが,社会的影響力をもつ君主自身やその周辺であった点が大きい.Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade (274) も次のように述べている.

Chancery English has a precursor in the form of English used by Henry V's Signet Office, the king's private secretariat which travelled with him on his foreign campaigns. It is significant that the selection of the variety which was to develop into what is generally referred to as the Chancery Standard originated with the king and his secretariat: the implementation of a standard variety can only be successful when it has institutional support.


 もう1つ,Henry V が積極的に英語を使用した背景に,政治的な目論見があったのではないかという見解に注目すべきである (Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade 274) .

. . . the case of Henry V possibly reflects not so much a decision made by an enlightened monarch and his council as political and practical motives: by writing in English, Henry first and foremost identified himself as an Englishman at war with France, while at the same time seeking to curry favour with the the English-speaking merchants, who might be prevailed upon to finance his campaigns.


 1410年代から1430年代にかけての英語の公用化,さらには標準英語形成の背景には,社会的な力を巡る動きがおそらく関与していたと思われる.後の時代に標準的なものとして採用されていくことになる多くの綴字や形態が,上記のような政治性に彩られていた可能性があるということは知っておく必要があるだろう.
 綴字からの例を挙げれば,lightknight にみられる <gh> の2重字 (digraph),過去(分詞)形の語尾として <t> ではなく <d> を用いる習慣,1人称単数代名詞にみられる I の大文字使用,その他 which, should, such, much, but, ask などは Chancery English の特徴を保持している.形態については,2人称単数代名詞としての ye/you,3人称複数代名詞としての they, them, their,再帰代名詞語尾としての self/selves,指示代名詞の複数形 thosetho の代わりに),副詞語尾の -ly(-liche の代わりに),過去分詞語尾の -n の使用や,動詞の現在複数の無語尾(-n 語尾の代わりに)など,多数挙げることができる.

 ・ Nevalainen, Terttu and Ingrid Tieken-Boon van Ostade. "Standardisation." Chapter 5 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 271--311.

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2018-02-08 Thu

#3209. 言語標準化の7つの側面 [standardisation][sociolinguistics][terminology][language_planning][reestablishment_of_english][spelling_reform][genbunicchi]

 言語の標準化の問題を考えるに当たって,1つ枠組みを紹介しておきたい.Milroy and Milroy (27) にとって,standardisation とは言語において任意の変異可能性が抑制されることにほかならず,その過程には7つの段階が認められるという.selection, acceptance, diffusion, maintenance, elaboration of function, codification, prescription である.これは古典的な「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1]) に基づいて,さらに精密化したものとみることができる.Haugen は,selection, codification, elaboration, acceptance の4段階を区別していた.
 Milroy and Milroy の7段階という枠組みを用いて標準英語の形成を歴史的に分析・解説したものとしては,Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade の論考が優れている.そこではもっぱら現代標準英語の発達の歴史が扱われているが,同じ方法で英語史における大小様々な「標準化」を切ることができるだろうと述べている.かぎ括弧つきの「標準化」は,何らかの意味で個人や集団による人為的な要素が認められる言語改革風の営みを指している.具体的には,10世紀のアルフレッド大王による土着語たる古英語の公的な採用(ラテン語に代わって)や,Chaucer 以降の書き言葉としての英語の採用(フランス語やラテン語に代わって)や,12世紀末の Orm の綴字改革や,19世紀の William Barnes による母方言たる Dorset dialect を重用する試みや,アメリカ独立革命期以降の Noah Webster による「アメリカ語」普及の努力などを含む (Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade 273) .互いに質や規模は異なるものの,これらのちょっとした言語計画 (language_planning) というべきものを,「標準化」の試みの事例として Milroy and Milroy 流の枠組みで切ってしまおうという発想は,斬新である.
 日本語史でいえば,現代標準語の形成という中心的な話題のみならず,仮名遣いの変遷,言文一致運動,常用漢字問題,ローマ字問題などの様々な事例も,広い意味での標準化の問題としてカテゴライズされ得るということになろう.

 ・ Milroy, Lesley and James Milroy. Authority in Language: Investigating Language Prescription and Standardisation. 2nd ed. London and New York: Routledge, 1991.
 ・ Nevalainen, Terttu and Ingrid Tieken-Boon van Ostade. "Standardisation." Chapter 5 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 271--311.

Referrer (Inside): [2018-03-31-1]

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2018-01-26 Fri

#3196. 中英語期の主要な出来事の年表 [timeline][me][history][chronology][norman_conquest][reestablishment_of_english][monarch][hundred_years_war][black_death][wycliffe][chaucer][caxton]

 「#3193. 古英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-23-1]) に引き続き,中英語期の主要な出来事の年表を,Algeo and Pyles (123--24) に拠って示したい,

1066The Normans conquered England, replacing the native English nobility with Anglo-Normans and introducing Norman French as the language of government in England.
1204King John lost Normandy to the French, beginning the loosening of ties between England and the Continent.
1258King Henry III was forced by his barons to accept the Provisions of Oxford, which established a Privy Council to oversee the administration of the government, beginning the growth of the English constitution and parliament.
1337The Hundred Years' War with France began and lasted until 1453, promoting English nationalism
1348--50The Black Death killed an estimated one-third of England's population, and continued to plague the country for much of the rest of the century
1362The Statute of Pleadings was enacted, requiring all court proceedings to be conducted in English.
1381The Peasants' Revolt led by Wat Tyler was the first rebellion of working-class people against their exploitation; although it failed in most of its immediate aims, it marks the beginning of popular protest.
1384John Wycliffe died, having promoted the first complete translation of scripture into the English language (the Wycliffite Bible).
1400Geoffrey Chaucer died, having produced a highly influential body of English poetry.
1476William Caxton, the first English printer, established his press at Westminster, thus beginning the widespread dissemination of English literature and the stabilization of the written standard.
1485Henry Tudor became king of England, ending thirty years of civil strife and initiating the Tudor dynasty.


 中英語の外面史は,まさに英語の社会的地位の没落とその後の復権に特徴づけられていることがよくわかる.

 ・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.

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2017-10-19 Thu

#3097. ヤツメウナギがいなかったら英語の復権は遅くなっていたか,早くなっていたか [reestablishment_of_english][monarch][history][norman_conquest][hundred_years_war]

 昨日の記事「#3096. 中英語期,英語の復権は徐ろに」 ([2017-10-18-1]) に引き続き,英語の復権のスピードについての話題.
 William I が1066年のノルマン征服で開いたノルマン朝は,英語とフランス語の接触をもたらした.続いて,Henry I から Stephen の時代の政治的混乱を経た後に,1154年に Henry II が開いたプランタジネット朝は,イングランド全体とフランスの広大な部分からなるアンジュー帝国を出現させた.英仏海峡をまたいで両側に領土をもつという複雑な統治形態により,イングランドの言語を巡る状況も複雑化した.それ以降,英語は,フランス語と密接な関係を持ち続けずに存在することがもはやできなくなったといえるからだ.その後も14--15世紀の百年戦争に至るまで厄介な英仏関係が続いたが,関係の泥沼化がこのように進んでいなければ,英語とフランス語の関係も,そしてイングランドにおける英語の復権も,別のコースをたどっていた可能性が高い.
 このようなことを考えていたところに,Henry I と Stephen の息子 Eustace がヤツメウナギ (lamprey) を食して亡くなったという逸話を読んだ(石井,p. 41).歴史の if の妄想ということで,ツイッターで独りごちた.以下,ツイッター口調で(実際にツイートなので)再現してみたい.

同じ食用魚でもヤツメウナギ (lamprey) とウナギ (eel) は生物学的にはまったくの無関係.名前や姿形でだまされてはいけない.


ヤツメウナギ (lamprey) を食し,中毒でポックリ逝ったノルマン朝の King Henry I と,King Stephen の息子 Eustace の2人.ノルマン朝の王族って,そんなにヤツメウナギ好きだったの?


ヤツメウナギ (lamprey) で Eustace がやられなかったら,Henry II に王位が渡らず,プランタジネット朝が開かれなかったかも.すると,イングランドはフランスとさほど摩擦せず,国内の英語の復権はもっと早かったかも.その後の英語史はどうなっていたことか?


プランタジネット朝の開祖 Henry II のフランスの領土保有により,フランスとの泥沼の関係が持続したわけで,それで国内の英語の復権が遅くなった.後に,英語はその遅れの焦りによる「火事場の馬鹿力」的な瞬発力で国内での復権を一気になしとげ,さらに国外へ飛躍できたと考えられる.


結論として,ヤツメウナギがいなかったら,むしろ英語はもう少し長く停滞していたかも!? そして,後に世界語となる機会を逸していたかも!!?? 以上.


「ヤツメウナギが英語を世界語にした」張りの「ハッタリの英語史?歴史の if シリーズ(仮称)」より,「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1]) もどうぞ.


 Henry II は医者の再三の注意を無視してヤツメウナギを大量に食べ続けたというから,相当の好物だったのだろう.歴史は,たやすく偶然に左右されるものかもしれない.
 こちらからツイッターもどうぞ.フォローは

 ・ 石井 美樹子 『図説 イギリスの王室』 河出書房,2007年.

Referrer (Inside): [2019-12-25-1] [2017-10-30-1]

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2017-10-18 Wed

#3096. 中英語期,英語の復権は徐ろに [reestablishment_of_english][history][toc][hundred_years_war]

 似たようなタイトルの記事「#706. 14世紀,英語の復権は徐ろに」 ([2011-04-03-1]) を以前に本ブログで書いているが,「14世紀」を今回のタイトルのように「中英語期」(1100--1500年)と入れ替えても,さして問題はない.「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1]) で示した年表や,その他の reestablishment_of_english の記事で論じてきたように,イングランドにおける英語の地位の回復は,3世紀ほどのスパンでとらえるべき長々とした過程だった.
 Baugh and Cable の英語史概説書の第6章は "The Reestablishment of English, 1200--1500" と題されており,この長々とした過程を扱っているのだが,最初にこの箇所を初めて読んだときに,なんてダラダラとして読みにくい章かと思ったものである.1200--1500年のイングランドにおける英語とフランス語を巡る言語事情とその変化が説明されていくのだが,英語の復権がようやく2歩ほど進んだかと思えば,フランス語のしぶとい権威保持のもとで今度は1歩下がるといった,複雑な記述が続くのだ.英語の復権とフランス語の権威保持という2つの相反する流れが並行して走っており,実にわかりづらい.
 改めて Baugh and Cable の第6章を読みなおしたところ,結局のところ同章の冒頭に近い文章が,この時代の内容を最もよくとらえているということが分かった.

As long as England held its continental territory and the nobility of England were united to the continent by ties of property and kindred, a real reason existed for the continued use of French among the governing class in the island. If the English had permanently retained control over the two-thirds of France that they once held, French might have remained permanently in use in England. But shortly after 1200, conditions changed. England lost an important part of its possessions abroad. The nobility gradually relinquished their continental estates. A feeling of rivalry developed between the two countries, accompanied by an antiforeign movement in England and culminating in the Hundred Years' War. During the century and a half following the Norman Conquest, French had been not only natural but also more or less necessary to the English upper class; in the thirteenth and fourteenth centuries, its maintenance became increasingly artificial. For a time, certain new factors helped it to hold its ground, socially and officially. Meanwhile, however, social and economic changes affecting the English-speaking part of the population were taking place, and in the end numbers told. In the fourteenth century, English won its way back into universal use, and in the fifteenth century, French all but disappeared. (122)


 先に,この時代の英語の復権は2歩進んで1歩下がるかのようだと表現したが,Baugh and Cable の第6章を構成する第93--110節のいくつかのタイトルを「英語の復権を後押しした要因」と「フランス語の権威を保持した要因」とに粗く,緩く2分すると,次のようになる.



[ 英語の復権を後押しした要因 ]

 94. The Loss of Normandy
 95. Separation of the French and English Nobility
 97. The Reaction against Foreigners and the Growth of National Feeling
 101. Provincial Character of French in England
 102. The Hundred Years' War
 103. The Rise of the Middle Class
 104. General Adoption of English in the Fourteenth Century
 105. English in the Law Courts
 106. English in the Schools
 107. Increasing Ignorance of French in the Fifteenth Century
 109. The Use of English in Writing

[ フランス語の権威を保持した要因 ]

 96. French Reinforcements
 98. French Cultural Ascendancy in Europe
 100. Attempts to Arrest the Decline of French
 108. French as a Language of Culture and Fashion



 節の数の比からいえば,英語の復権は3歩進んで1歩下がるほどのスピードで推移したことになろうか.
 Baugh and Cable の目次については,「#2089. Baugh and Cable の英語史概説書の目次」 ([2015-01-15-1]),「#3091. Baugh and Cable の英語史概説書の目次よりランダムにクイズを作成」 ([2017-10-13-1]) を参照.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2017-09-10 Sun

#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド [black_death][reestablishment_of_english][history][sociolinguistics][slide][link][map][hel_education][asacul]

 ここ数日,集中的に英語史における黒死病の意義を考えてきた.これまで書きためてきた black_death の記事を総括する意味で「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド (HTML) を作ってみたので,こちらよりご覧ください.
 13枚からなるスライドで,目次は以下の通り.

 1. 英語史における黒死病の意義
 2. 要点
 3. 黒死病 (Black Death) とは?
 4. ノルマン征服による英語の地位の低下
 5. 英語の復権の歩み (#131)
 6. 黒死病の社会(言語学)的影響 (1)
 7. 黒死病と社会(言語学)的影響 (2)
 8. 英語による教育の始まり (#1206)
 9. 実は中英語は常に繁栄していた
 10. 黒死病は英語の復権に拍車をかけたにすぎない
 11. 村上,pp. 176--77
 12. まとめ
 13. 参考文献

 HTML スライドなので,そのまま hellog 記事にリンクを張ったり辿ったりでき,とても便利.英語史スライドシリーズとして,ほかにも作っていきたい.  *  *

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