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sign_language - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2018-09-20 10:34

2016-10-23 Sun

#2736. 点字の普及の歴史 [writing][braille][sign_language][hiragana][direction_of_writing][medium][history][japanese]

 「#2717. 暗号から始まった点字」 ([2016-10-04-1]) の記事で見たように,ブライユ点字は,シャルル・バルビエの考案した「夜間文字」の応用である12点点字を,ブライユが6点点字に改良したことに端を発する.19世紀始めには,目の不自由な人々にとっての読み書きは,紙に文字を浮き出させた「凸文字」によるものだった.しかし,指で触って理解するには難しく,広く習得されることはなかった.そのような時代に,ブライユが読みやすく理解しやすい点字を考案したことは,画期的な出来事だった.音楽の得意だったブライユは,さらに点字音符表を作成し,点字による楽譜表記をも可能にした.
 その後,19世紀後半から20世紀にかけて,ブライユ点字は諸言語に応用され,世界に広がっていく.1854年にフランス政府から公式に認められた後,イギリスでは英国王立盲人協会を設立したトーマス・アーミテージがブライユ点字を採用し,改良しつつ広めた.アメリカでは,ニューヨーク盲学校のウィリアム・ウエイトらがやはりブライユ点字に基づく点字を採用した.1915年に標準米国点字が合意されると,1932年には英米の合議により英語共通の点字も定まった(この点では,アメリカとイギリスで異なる体系を用いている手話の置かれている状況とは一線を画する;see 「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1])).
 我が国でも,1887年に東京の盲学校に勤めていた小西信八がブライユ点字を持ち込み,日本語への応用の道を探った.そして,1890年(明治23年)11月1日に石川倉次(=日本点字の父)の案が採用されるに至った.この日は,日本点字制定記念日とされている.
 点字を書くための道具に,板,定規,点筆がセットになった「点字盤」がある.板の上に紙をのせた状態で,穴の空いた定規を用いて点筆で右から左へを点を打っていくものである.通常の文字と異なり,点字は紙の裏側から打っていく必要があり,したがって,発信者の書きと受信者の読みの方向が逆となる.これは点字の読み書きに関する顕著な特徴といってよいだろう.また,日本語点字はかな書きで書かれるため,分かち書きをする必要がある点でも,通常の日本語書記と異なる (see 「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1])) .現代では,伝統的な点字盤のほか,点字タイプライターやコンピュータにより,簡便に点字を書くことができるようになっている.
 日本でも身近なところで点字に出会う機会は増えてきている.電化製品,缶飲料,食品の瓶や容器など,多くの場所で点字が見られるようになった.

 ・ 高橋 昌巳 『調べる学習百科 ルイ・ブライユと点字をつくった人びと』 岩崎書店,2016年.

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2014-11-12 Wed

#2025. イングランドは常に多言語国だった [history][bilingualism][sign_language]

 「#1494. multilingualism は世界の常態である」 ([2013-05-30-1]),「#1608. multilingualism は世界の常態である (2)」 ([2013-09-21-1]),「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) で見てきたように,現代世界のほぼすべての地域で複数の言語が使用されている.このことは多かれ少なかれ歴史的にも当てはまる.
 英国でも英語のほかケルト諸語が話されてきたし,とりわけ近現代では世界各地からの移民集団がそれぞれの言語を用いて生活してきた.さらに地域を絞ってイングランドに限っても,5世紀以来英語が優勢であることは疑いないとはいえ,やはり歴史的には多くの他の言語が行われてきたし,今も行われている.例えば,現在ロンドンのみならず様々な町で,Panjabi, Gujerati, Bengali, Italian, Greek, Maltese, Chinese, Turkish を含む多数の言語が広く話されている.また,British Sign Language のような手話言語もイングランドの言語多様性に貢献している.
 現代にとどまらず古代から中世を経て近代に至るまでのイングランドの言語史を振り返ってみると,この国がいかに多言語使用国であったかがわかる.ケルト諸語が話されていたイングランドの地に言語多様性を歴史上初めて本格的に導入したのは,ローマ人だった.彼らはイングランドにラテン語をもたらし,そこに2言語使用状況が生まれた.次に,5世紀半ば,英語がもたらされた.8世紀半ばからはヴァイキングにより古ノルド語が持ち込まれ,11世紀半ばにはノルマン征服を受けて,イングランドでは当初はノルマン・フランス語が,継いで中央フランス語が話されるようになる.
 しかし,中世や近代には,このような歴史の表舞台に顔を出すような主流派の言語にとどまらず,中小の言語もまたイングランド領内で用いられていた.例えば12世紀の Norwich には,相当の規模の外国人社会が確立しており,英語と並んでフランス語,デンマーク語,オランダ語,また Ladino と呼ばれるユダヤ人の用いたスペイン語変種が行われていた.特に16世紀の Norwich では人口の1/3がオランダ語話者であり,その状況が200年以上も持続したという.
 また,中世後期にはロマニー語 (Romany) を話すいわゆるジプシー (the Gypsies) が流入した.現在,イングランドにおけるその影響は Anglo-Romany と呼ばれる英語変種に見られるにすぎないが,ウェールズやヨーロッパ諸国や北米では Romany はいまだ生き残っている.
 近代に入ると,宗教的難民としてオランダ語話者やフランス語話者がイングランドに大量に流入し,後に言語的に徐々に同化していったものの,しばらくの間は多くの町に住み込んだ.Cornwall ではケルト系の Cornish が古来話されていたが,16世紀以来,英語の浸透により衰微し,18世紀後半には消滅した.20世紀初めのロンドンの East End には非常に多くのユダヤ系 Yiddish 話者が集住していたが,この言語は現在でもイングランドで健在である.
 以上,Trudgill (18--19) を参考に記述した.現代イギリスの多言語状況については,Britain 編の論文集が本格的である.

 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
 ・ Britain, David, ed. Language in the British Isles. Cambridge: CUP, 2007.

Referrer (Inside): [2015-09-11-1] [2015-05-25-1]

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2013-11-15 Fri

#1663. 手話は言語である (2) [sign_language][linguistics][pidgin][medium]

 昨日の記事「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1]) に引き続き,Crystal (164--70) を参照しながら,言語としての手話の話題を取り上げる.古今東西,多くの異なる音声言語が存在してきたように,手話言語にも多くの異なる種類が認められる.初期の歴史はほとんど知られていないが,古代ギリシアや古代ローマの文献に手話への言及がある.近代における手話の研究は,1775年にフランスの教育者 Abbé Charles Michel de l'Epée (1712--89) が,パリの聾学校のために手話体系を開発したことに端を発する.彼の手話が何に基づいているのかはよく分かっていないが,世界各地からの教育者が彼の学校でそれを学び,世界に広めることになった.例えば,アメリカの教育者 Thomas Gallaudet (1787--1851) と Laurent Clerc (1785--1869) はその手話をアメリカに導入し,これが後に American Sign Language へと発展する.
 しかし,これは手話の発生と発展の1つの特殊な例にすぎない.世界各地では多くの手話が自然発生してきた.手話には音声言語と同様に,共時的な変異もあれば通時的な変化もある.手話共同体ごとに方言が発達するし,世代間の変異も認められる.この点でも,手話言語と音声言語とは異なるところがない.
 一方で,手話に特有の発展の仕方があることもまた事実である.音声言語や文字言語からの影響という側面である.手話には,音声言語や文字言語とはほぼ無関係に自然に発生したものも多いが,それらの影響を受けて発展したもの,あるいは意図的に発展させたものも多い.後者では,とりわけ語順における関与が見られる.音声言語・文字言語という異なる媒体から影響を被った手話という意味で,これは手話のピジン語ということができるだろう.
 音声言語に近づける形で既存の手話に変更を加えるという試みが教育者によってなされてきたが,とりわけ英語共同体における事例が豊富である.1960年代後半からの数年間で,音声言語としての英語への歩み寄りを示す計画的な (contrived) 手話言語が続々と現れた.Seeing Essential English (1966) (及びそこから派生した Linguistics of Visual English (1971) と Signing Exact English (1972)),Signed English (1969), Manual English (1972) のごとくである.
 Paget-Gorman Sign System (PGSS) も広く採用された初期の試みである.これは,1951年に Richard Paget が提案し,Pierre Gorman が発展させたもので,片方の手で意味領域を表わし,別の手で識別詞を表わすことで1つの記号を表現するという体系である.漢字の偏と旁をそれぞれの手に対応させるとでも言えば,比喩的に理解しやすいだろうか.
 他の種類の手話としては,北米インディアンの間で共有されてきた Amer-Ind なる比較的簡易な体系がある.また,文字を手話記号に対応させる Finger-spelling という体系は,少なくとも補助的には手話使用者の間で広く採用されている.読唇術・視話法において発音の「読み」を助ける目的での Cued speech という体系も利用されている.
 上記のように計画的に音声言語や文字言語に接近させた手話があるのは事実だとしても,手話がそれ自身で独立した言語の媒体であることは明らかだろう.

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

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2013-09-21 Sat

#1608. multilingualism は世界の常態である (2) [bilingualism][japanese][world_languages][sign_language]

 [2013-05-30-1]の記事の続編.多言語使用が世界の常態であるという事実について,Crystal (409--10) に言及を見つけたので,追加したい.

[M]ultilingualism is the normal human condition. It is a principle which often takes people by surprise. If you have lived your whole life in a monolingual environment, you could easily come to believe that this is the regular way of life around the world, and that people who speak more than one language are the exceptions. Exactly the reverse is the case.
   Speaking two or more languages is the natural way of life for three-quarters of the human race. There are no official statistics, but with over 6,000 languages co-existing in fewer than 200 countries . . . it is obvious that an enormous amount of language contact must be taking place; and the inevitable result of languages in contact is multilingualism, which is most commonly found in an individual speaker as bilingualism.
      There is no such thing as a totally monolingual country. Even in countries that have a single language used by the majority of the population, such as Britain, the USA, France, and Japan, there exist sizeable groups that use other languages. In the USA, around 10% of the population regularly speak a language other than English. In Britain, over 350 minority languages are in routine use. In Japan, one of the most monolingual of countries, there are substantial groups of Chinese and Korean speakers. In Ghana, Nigeria, and many other African countries that have a single official language, as many as 90% of the population may be regularly using more than one language. (409--10)


 引用にもあるとおり,日本は世界でも最も典型的な単一言語国家とみなされるがちだ.しかし,少数言語としてアイヌ語や,朝鮮・韓国語その他の移民言語,日本手話などの手話言語も行われている.また,琉球語なのか琉球方言なのかという問いの答えいかんによっては,その話者のすべてが標準日本語を理解するという意味において,2言語使用者と呼びうる.また,ビジネスなどで英語や中国語などを常用する多くの日本語母語話者の日本人も,日本国内外の多言語使用に貢献している人々であるとみなすことができる.程度の差こそあれ,日本も世界の他の地域と同様に多言語使用地域であるという認識は重要だろう.
 日本の多言語使用状況については,EthnologueJapan を参照されたい.

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

Referrer (Inside): [2016-01-08-1] [2014-11-12-1]

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2012-03-26 Mon

#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2) [linguistics][linearity][speech_organ][sign_language]

 昨日の話題 ([2012-03-25-1]) の続きで,言語はなぜ音声に依存しているのか,という問題を考えたい.まず,音声依存の長所は何か.1つには,発信者にとって発信が楽だということが挙げられる.人間には発音のための器官が適切に備わっているということは昨日の記事でも触れた(他に ##160,544 の記事も参照).だが,そのこと以上に,あまり余計なエネルギーを使わず,それでいて意のままに発音できるということが重要である.人間にとって,匂いや味を意のままに生み出すことは難しいが,音を生み出すことは容易である.容易さという点では,確かに,触覚に訴える「さすり」や「たたき」,視覚に訴える身振りや表情を作り出すのも同じくらい造作ないように思われるかもしれないが,いずれも発音に比べればエネルギー消費は大きい.一方,発音は,鈴木 (25) のいうように「廃物利用」の上に成り立っているという特徴を有する.発音に用いる呼気は,生存に必要な本能としての呼吸活動の一環として実現できるし,調音に用いる唇,舌,歯などの運動も,やはり生存に必要な本能としての摂食活動の一環として実現できる.「ついで」の利用なので,無駄がないし,減りもしない.通常,物理信号を発するには相当のエネルギーが必要とされるものだが,最小限の追加的なエネルギーのみで発することができる音声というものを信号として選んだのは,人間の賢い選択,いや必然的な選択だったのかもしれない.
 音声依存の長所の2つ目は,嗅覚や味覚の場合に起こりうる「混じり合い」の心配が少ないことだ.匂いや味は,放っておけばその場に停滞するために,2種類,3種類と混じり合ってしまい,それぞれを区別することが難しくなる.したがって,複数の匂いメッセージ,味メッセージが混じり合わないようにするには,逐一,場所を替えて発信しなければならない.これでは面倒だし,意思疎通の即時性が損なわれる.では,それだからといって,匂いや味の停滞しにくい風通しの良い場所を選ぶと,今度は匂いや味が受信者に届く前に風に吹き払われてしまうという不便が生じる.
 ところが,音声は空気中に停滞するものでもないし,多少の風であれば吹き飛ばされることもないという両方の利点がある.ラテン語で uerba uolant, scripta manent 「話し言葉は飛び去り,書き言葉は残る」という通り,音声言語は放たれたそばから消えて行くため,その場に停滞もしなければ混じり合いもしないと同時に,風に吹き飛ばされるほど頼りない存在でもない.場所を替えずに機関銃のように話し続けることができるのは,言語が音声を用いているからだ.
 音声依存の言語は,上記のように大きな長所をもつが,欠点もある.2つ目の長所の裏返しなのだが,メッセージを持続させたい場合には,音の即座に消えゆく性質は仇となる.繰り返し同じことを言い続けるというような解決策が考えられるが,5分間ならともかく,5年間は続けていられない.しかし,文明は文字という視覚に訴える重要な補助手段を生みだし,音声言語の欠点を見事に補ってきたことは注目に値するだろう.
 また,音声依存の言語は,音声の発信が不可能だったり,音声信号がかき乱されたりするような物理的な状況においては,機能しないという欠点もある.例えばスキューバダイビング中には音声メッセージを発しにくいし,発したとしても相手に届きにくいので,有効な伝達手段とはならない.身振りや筆談のほうが適切である.同じく,騒音のやかましい地下鉄内や,雑踏のパーティにおいては,音声言語はしばしば非力である ([2009-07-17-1]の記事「#80. 地下鉄内のコミュニケーションには手話が最適かも」を参照).このような状況で頑張って声を張り上げる様子は,嗅覚に訴えかける言語の発信者が,頑張って作り出した匂いが風に吹き払われそうになる危機に際して,もっと頑張って強いにおいを発しようと力む姿に比較される.
 音声依存のもう1つの欠点としては,人間の発音器官の構造上,発音の音源が1つに限られるという事実がある.もっとも音源が複数あればあったで,複雑な音声の組み合わせが実現できるかもしれないが,受信側にとってみれば,さすがの人間の聴覚でも複数音源の聞き取りに対応するのは負担が大きいだろう.したがって,発音の音源が1つであること自体が欠点というわけではない.音源が1つであることによって必然的に生じる音の特性,宿命としての線状性 (linearity) のもたらす欠点が,ここでの問題である(「#766. 言語の線状性」については[2011-06-02-1]の記事を参照).言語の線上性とは言語記号が時間軸に沿って線上に並ばざるを得ないという言語に働く重力のようなもので,これにより,発信者も受信者も,継起する記号と記号のあいだの関係を常に記憶していなければならないという記憶上の負担を強いられる.時間軸に沿って発せられた複数の記号は,決して一望することはできず,1つ1つ順番に記憶して,脳内で処理するほかない.複雑な入れ子型の統語構造が理解されにくいということはよく知られているが,それは主として音声言語による聴解の話しで,文字で表わされれば,あるいは統語ツリーで関係が視覚的に示されれば,一目瞭然ということも多い.
 音声依存の言語の長所と欠点はそれぞれコインの表裏であるという側面はあるが,天秤にかければ長所のほうが断然に大きいと考えられる.細かく分化された音声信号を楽に産出することができ,それを高い精度で聴解することができ,かつメッセージの連続的な即時伝達という要求を満たすことができる.原理的には接触や身振りでも同様の機能を果たすことができるかもしれないが,効率の点からは,音声に圧倒的に分がある.音声を土台として文字や手話が派生し,音声言語を補助するものとして接触や身振りが用いられることからも示唆される通り,音声は人間にとって唯一絶対の伝達手段ではないものの,多くの点で他の手段の上に立つ有効な意思疎通の方式なのである.

 ・ 鈴木 孝夫 『教養としての言語学』 岩波書店,1996年.

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2012-03-25 Sun

#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1) [linguistics][sign_language][writing][medium][origin_of_language][speech_organ][anthropology][semiotics][evolution]

 言語は音声に基づいている.文明においては文字が重視されるが,言語の基本が音声であることは間違いない.このことは[2011-05-15-1]の記事「#748. 話し言葉書き言葉」で論じているので,繰り返さない.今回は,言語という記号体系がなぜ音声に基づいているのか,なぜ音声に基づいていなければならないのかという問題について考える.
 まず,意思疎通のためには,テレパシーのような超自然の手段に訴えるのでないかぎり,何らかの物理的手段に訴えざるをえない.ところが,人間の生物としての能力には限界があるため,人間が発信かつ受信することのできる物理的な信号の種類は,おのずから限られている.具体的には,受信者の立場からすれば,視・聴・嗅・味・触の五感のいずれか,あるいはその組み合わせに訴えかけてくる物理信号でなければならない.発信者の立場からすれば,五感に刺激を与える物理信号を産出しなければならない.当然,後者のほうが負担は重い.
 さて,嗅覚に訴える言語というものを想像してみよう.発信者は意思疎通のたびに匂いを作り出す必要があるが,人間は意志によって匂いを作り出すことは得意ではないし,作り出せたとしても時間がかかるだろう.あまり時間がかかるようだと即時的な意思疎通は不可能であり,「会話」のキャッチボールは望めない.また,匂いを作り出せたとしても,その種類は限られているだろう.手にニンニク,魚,納豆を常にたずさえているという方法はあるが,それならばニンニク,魚,納豆の現物をそのまま記号として用いるほうが早い.仮に頑張って3種類の匂いを作り出すことができたと仮定しても,それはちょうどワー,オー,キャーの3語しか備わっていない言語と同じことであり,複雑な意志疎通は不可能である.3種類を組み合わせれば複雑な意思疎通が可能になるかもしれないが,匂いは互いに混じり合ってしまうという大きな欠点がある.受信者の側にそれを嗅ぎ分ける能力があればよいが,受信者は残念ながら犬ではなく人間であり,嗅ぎ分けは難しいと言わざるを得ない.風が吹かずに空気が停滞している場所で,古い匂いメッセージと区別して新しい匂いメッセージを送りたいとき,発信者・受信者ともに匂いの混じらない安全な場所に移動しなければならないという不便もある(だが,逆にメッセージを残存させたいときには,匂いの残存しやすい性質はメリットとなる).風が吹いていれば,それはそれで問題で,受信者が感じ取るより先ににおいが流されてしまう恐れがある.発信者が体調不良で匂いを発することができない場合や,受信者が風邪で鼻がつまっている場合には,匂いによる「会話」は不可能である(もっとも,類似した事情は音声言語にもあり,声帯が炎症を起こしている場合や,耳が何らかの事情で聞こえない場合には機能しない).人間にとって,嗅覚に訴えかける言語というものは発達しそうにない.
 次に味覚である.こちらも産出が難しいという点では,嗅覚に匹敵する.発信者が意志によって体から辛み成分や苦み成分を分泌し,受信者に「ほれ,なめろ」とかいうことは考えにくい.激しい運動により体に汗をかかせて塩気を帯びさせるなどという方法は可能かもしれないが,即時性の点で不満が残るし,不当に体力を消耗するだろう.受信者の側でも,味覚により何種類の記号を識別できるかという問題が残る.味覚は個人差が大きいし,体調に影響されやすいことも,経験から知られている.さらに,匂いの場合と同様に,味は混じりやすいという欠点がある.味覚依存の言語も,効率という点では採用できないだろう.
 触覚.これは嗅覚や味覚に比べれば期待がもてる.触るという行為は,発信も受信も容易だ.発信者は,触り方(さする,突く,掻く,たたく,つねる等々),触る強度,触る持続時間,触る体の部位などを選ぶことができ,それぞれのパラメータの組み合わせによって複雑な記号表現を作り出すことができそうだ.たたくリズムやテンポを体系化すれば,音楽に匹敵する表現力を得ることもできるかもしれない.複数部位の同時タッチも可能である.ただし,受信者側にとっては触覚の感度が問題になる.人間の識別できるタッチの種類には限界があるし,掻く,たたく,つねるなどの結果,痛くなったり痒くなったりしては困る.痛みや痒みは持続するので,匂いの残存と同じような不都合も生じかねない.触覚に依存する言語というものは十分に考えられるが,より効率の良い手段が手に入るのであれば,積極的に採用されることはないのではないか.さする,なでる,握手する,抱き合うなどのスキンシップは実際に人間のコミュニケーションの一種ではあるが,複雑な記号体系を構成しているわけではなく,主役の音声言語に対して補助的に機能することが多い.
 人間において触覚よりもよく発達しており,意思伝達におおいに利用できそうな感覚は,視覚である.実際に有効に機能している視覚記号として,身振りや絵画がある.特に身振りは発信が容易であり,即時性もある.文字や手話も視覚に訴える有効な手段だが,これらは身振りと異なり,原則として音声言語を視覚へ写し取ったものである.あくまで派生的な手段であり,補助や代役とみなすべきものだ.しかし,補助や代役とはいえ,いくつかの点で,音声言語の限界を超える働きすら示すことも確かである(##748,849,1001).このように音声言語の補助や代役として視覚が選ばれているのは,人間の視覚がことに鋭敏であるからであり,偶然ではない.視覚依存の欠点として,目の利かない暗闇や濃霧のなかでは利用できないことなどが挙げられるが,他の感覚に比べて欠点は少なく,長所は多い.[2009-07-16-1]の記事「#79. 手話言語学からの inspiration 」も参照.
 最後に残ったのが,人間の実際の言語が依存している聴覚である.聴覚に訴えるということは,受信者は音声を聴解する必要があり,発信者は音声を産出する必要があるということである.まず受信者の立場を考えてみよう.人間の聴覚は視覚と同様に非常に鋭敏であり,他の感覚よりも優れている.したがって,この感覚を複雑な意思疎通の手段のために利用するというのは,能力的には理にかなっている.音の質や量の微妙な違いを聞き分けられるのであるから,それを記号間の差に対応させることで膨大な情報を区別できるこはずだからだ.
 次に発信者の立場を考えてみよう.発信者は多様な音声を産出する必要があるが,人間にはそのために必要な器官が進化の過程で適切に備わってきた([2009-10-04-1]の記事「#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど」,[2010-10-23-1]の記事「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」を参照).人間の唇,歯,舌,声帯,肺などの発音に関わる器官がこのような状態で備わっているのは,言語の発達にとって理想であったし,奇跡とすらいえる.これにより,微妙な音の差を識別できる聴覚のきめ細かさに対応する,きめ細かな発音が可能になったのである.音声に依存する言語が発達する条件は,進化の過程で整えられてきた.
 では,他の感覚ではなく聴覚に訴える手段が,音声に依存する言語が,特に発達してきたのはなぜだろうか.それは,上で各感覚について述べてきたように,聴覚依存,音声依存の伝達の長所と欠点を天秤にかけたとき,長所が欠点を補って余りあるからである.その各点については,明日の記事で.

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2009-07-17 Fri

#80. 地下鉄内のコミュニケーションには手話が最適かも [sign_language]

 昨日の記事[2009-07-16-1]で手話言語について言及したが,それとの関連で,先日,興味深い出来事に遭遇したので報告しよう.
 地下鉄で座席に座っていたときのこと.隣の席に,男性が座った.そして,ちょうどその向かいの席に連れと思われる女性が座った.そして,二人が手話で会話を始めたのである.それ自体は珍しいことではないかも知れないが,地下鉄の騒音(特にその路線はうるさかった)のなかで,二人が音を立てずに完璧なコミュニケーションを取っていることに驚嘆した.音を立てずに即時的にコミュニケーションを取ることができるということは,新鮮な発見だった.
 音を立てずに轟音のなかでコミュニケーションをとる他の方法としては,筆談や lip reading などがあり得ようが,いずれにせよ聴覚媒体でなく視覚媒体によるコミュニケーション機能の広い可能性に気づいた.手話は筆談と同様,雑音で声が聞こえない環境,あるいは静寂を保たなければならない環境においてコミュニケーションをとる際に,汎用的に利用できる「言語」ではないだろうか.
 地下鉄の話はまだ続く.さらに驚いたことに,途中駅で向かいの女性の隣席が空いたのだが,私の隣の男性はその空いた席に移らなかったのである.通常は,連れとおしゃべりをするのに席を移動するだろう.だが,この二人にとっては,むしろ対面に座っていた方が互いの正面が見えて,手話の会話には都合が良かったのだろう.結局その男性は移動せず,その空いた席には別の駅で乗ってきた乗客が座ってしまった.地下鉄の対面座席は十分に視認できる距離であり,二人にとってはまさにうってつけの「おしゃべり環境」だったわけである.
 この出来事からひらめきを得て,何か新しいコミュニケーション方法を開発できないだろうか.

Referrer (Inside): [2012-03-26-1]

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