歴史的に,アングロサクソン人とケルト人の関係は征服者と被征服者の関係である.通常,水が下から上に流れることがないように,原則としてケルト語から英語への語彙の流入もなかった.小規模な語彙の流入があったとしても,あくまで例外的とみるべきである.
「#1216. 古英語期のケルト借用語」 ([2012-08-25-1]) で示したものと重なるが,大槻・大槻 (58) より,アングロサクソン時代に英語に借用され,かつ現在まで生き残っているものを挙げると,bin (basket), dun (gray), ass (ass < Latin asinus) 程度のものである.また,ケルトのキリスト教を経由して英語に入ってきたものとしては clugge (bell), drȳ (magician) などがある.
中英語期以降にも散発的にケルト諸語からの借用がみられた.以下,世紀別にいくつか挙げてみよう(W = Welsh, G = Scottish Gaelic, Ir = Irish) .質も量も地味である.
・ 14世紀: crag 絶壁 (G/Ir), flannel フランネル (W), loch 湖 (G).
・ 15世紀: bard 吟遊詩人 (G), brog 小錐 (Ir), clan 氏族 (G), glen 峡谷 (G).
・ 16世紀: brogue 地方訛り (Ir/G), caber 丸太棒 (G), cairn ケルン (G), coracle かご船 (W), gillie 高地族長の従者 (G), plaid 格子縞の肩掛け (G), shamrock シロツメクサ (Ir), slogan スローガン (G), whisky ウィスキー (G), usquebaugh ウィスキー.
・ 17世紀: dun こげ茶の (G/Ir), tory トーリー党 (Ir), leprechaun レプレホーン (Ir).
・ 18世紀: claymore 諸刃の剣 (G).
・ 19世紀: colleen 少女 (Ir), ceilidh 集い (Ir/G), hooligan ちんぴら(Ir).
・ 20世紀: corgi コーギー犬 (W).
(W).
以上,大槻・大槻 (58--59) に拠った.関連して「#2443. イングランドにおけるケルト語地名の分布」 ([2016-01-04-1]),「#2578. ケルト語を通じて英語へ借用された一握りのラテン単語」 ([2016-05-18-1]) を参照.
・ 大槻 博,大槻 きょう子 『英語史概説』 燃焼社,2007年.
スコットランド高地や島嶼部では,ケルト系の言語である Scottish Gaelic が現在も行なわれている(系統については「#774. ケルト語の分布」 ([2011-06-10-1]) を参照).Ethnologue の Scottish Gaelic によると,2011年の統計で57,400人ほどの話者がいるという.話者人口がわずかなのは Irish や Breton などの他のケルト系諸語とも比較され,絶対数としていえば「赤信号」であることは間違いない.スコットランドでは教育や言語景観について当該言語の振興も進められているが,予断を許さない状況である.
「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) で見たとおり,スコットランドの低地では,11世紀という歴史の早い段階から英語が浸透していたが,高地では近代に至るまで Scottish Gaelic が日常的に行なわれていた.この地域が強い英語化の波に洗われるのは,18世紀の2度にわたるジャコバイトの反乱(1715年と1745年)の後に,この地に徹底的な弾圧が加えられた Highland Clearances (ハイランド放逐)ゆえである.これは「スコットランド高地地方の一定の地域から人々を立ち退かせ牧羊地とした囲い込み運動」であり,多くのスコットランド人が立ち退きを余儀なくされ,アメリカへ渡っていった.
1745年の反乱 "the Forty-five" により,イギリス政府は,現地の人々にゲール語使用を禁止させる強行策に出た.指 (103) の解説を引用する.
一六八八年の名誉革命の際に大陸へ亡命したブリテン王ジェイムズ七世(二世)の支持者たちは,王の名のラテン語に由来してジャコバイトと呼ばれるようになった.彼らは,一七一五年,一七四五年(以下,フォーティファイヴと呼ぶ)に,ジェイムズの子孫を正統なスコットランド王として擁立して,グレートブリテン政府と戦った.二度のジャコバイトの反乱では,反乱が生じた背景やそれを支持した者たちの動機は異なっていたが,当時,ハイランドの人びと全体がグレートブリテン政府に抵抗しているように見なされた.フォーティファイヴの後,政府は反乱に加担したハイランドの氏族長たちの財産を没収し,私兵をもつ権利や世襲的な司法権を剥奪した.そして,ハイランド人の衣装とされていたタータン柄のキルトなどを身につけることを禁止し,彼らの文化であるバグパイプやゲール語の使用も禁じた.違反者は保釈なしの六か月の投獄,再犯者は七年間の流刑という処罰となった.
同じ18世紀の後半には,これらは解禁されたものの,以降,ハイランドにおける Scottish Gaelic の衰退は免れなかった.指 (105) 曰く,
一八世紀に一時使用禁止となっていたゲール語ではあるが,二〇〇一年時点でのスコットランドでは,約六万人の人びとがゲール語を話すといわれており,同語は「ヨーロッパ地域少数言語憲章」にも含まれている.島嶼地域のスカイ島にはゲール語を学ぶコレッジが設立され,スコットランド本当でもゲール語のラジオ放送やテレビ番組も放映されており,今日,日常的にゲール語に触れる環境が整いつつある.
確かに Scottish Gaelic は,近年少しずつ「復活」しつつあるようだが,依然として危機的状況にあることは間違いない.決して楽観視はできないだろう.「#2006. 近現代ヨーロッパで自律化してきた言語」 ([2014-10-24-1]) を参照.
・ 指 昭博(編著) 『はじめて学ぶイギリスの歴史と文化』 ミネルヴァ書房,2012年.
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