hellog_icon.ico hellog〜英語史ブログ     アーカイブ (Archives)     掲示板 (board)     旧掲示板アーカイブ     イメージ集 (Images)     参考文献リスト (Bibliography)     ランダム表示 (Random display)     検索ページ (Search)     feed_icon.svg このブログを購読 (Subscribe)     授業のページ (Courses)     勉強会 (Study group)     リンク (Links)     著書のページ (My books)     パスワードページ (Password)     Google    

hellog〜英語史ブログ

堀田隆一による,英語史に関する話題を広く長く提供し続けるブログです."History of the English Language Blog" ということで,略して "hellog".英語史と関連する英語学・言語学一般の話題も扱っています.まずは,アクセス・ランキング (access ranking) のトップ500記事あるいは全記事の標題の一覧 (Archives)をご覧下さい.

お知らせ 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』に関連する連載企画が始まりました.こちらのページをどうぞ.2017/01/20(Fri)

お知らせ 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』の重版ができました.2017/01/20(Fri)

お知らせ 本ブログの内容を多く取り込んだ拙著『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』が研究社より出版されました.本の趣旨や補足情報のために,コンパニオン・サイト (naze) を用意していますので,そちらも是非ご覧ください.また,本ブログ内の「#2764. 拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』が出版されました」にも紹介があります.2016/11/21(Mon)

naze_front_cover_small


お知らせ 本ブログベースの拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』が増刷されました.本書のコンパニオン・ページ及び著者による紹介ページをご覧ください.また,本書の内容に沿ったブログ記事へのリンク (hogusu) はおすすめです.2016/08/31(Wed)hogusu_front_cover_small

お知らせ 本ブログ(の記事)に関するコメントや,英語に関する素朴な疑問などを,こちらの掲示板より投稿できるようにしました.皆さまからの声をお待ちしています.2015/07/26(Sun)


2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12

2017-03 / 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

最近 7 日分を以下に表示中 / 今月の一覧

2017-03-27 Mon

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2891. フランス語 bleu に対して英語 blue なのはなぜか [yod-dropping][vowel][spelling][french][mulcaster]

 3月17日付の掲示板で,フランス語の bleu という綴字に対して,英語では blue となっているのはなぜか,という質問が寄せられた.eu の転換がどのように起こったか,という疑問である.
 これには少々ややこしい歴史的経緯がある.古フランス語の bleu が中英語期にこの綴字で英語に借用され,後に2字の位置が交替して blue となった,という直線的な説明で済むものではないようだ.以下,発音と綴字を分けて歴史を追ってみよう.
 まず,発音から.問題の母音の中英語での発音は [iʊ] に近かったと想定されるが,これが初期近代英語にかけて強勢推移により上昇2重母音 [juː] となり,さらに現代にかけて yod-dropping が生じて [uː] となった(「#1727. /ju:/ の起源」 ([2014-01-18-1]),「#841. yod-dropping」 ([2011-08-16-1]),「#1562. 韻律音韻論からみる yod-dropping」 ([2013-08-06-1]) を参照).
 次に,ややこしい綴字の事情について.まず,この語は中英語では,当然ながら借用元のフランス語での綴字にならって bleu と綴られていた.しかし,実際のところ,<blew>, <blewe> などの異綴字として現われていることも多かった(MED bleu (adj.) を参照.関連して,「#2227. なぜ <u> で終わる単語がないのか」 ([2015-06-02-1]) も参照)).一方,現代的な blue という綴字として現われることは,中英語期中はもとより17世紀まで稀だった.Jespersen (101) が,この点に少し触れている.

In blue /iu/ is from F eu; in ME generally spelt bleu or blew; the spelling blue is "hardly known in 16th--17th c.; it became common under French influence (?) only after 1700" (NED)


 引用にもある通り,中英語では bleu と並んで blew の綴字もごく一般的だった.実際,[iʊ] の発音に対しては,フランス借用語のみならず本来語であっても,<ew> で綴られることが多かった.例えば vertew (< OF vertu), clew (< OE cleowen), trew (< OE trēowe), Tewisday (< OE Tīwesdæȝ のごとくである.
 しかし,初期近代英語期にかけて,同じ [iʊ] の発音に対して <ue> というライバル綴字が現われてきた.この綴字自体はフランス語やラテン語に由来するものだったが,いったんはやり出すと,語源にかかわらず多くの単語に適用されるようになった.つまり,同じ [iʊ] に対して,より古くて英語らしい <ew> と,より新しくてフランス語風味の <ue> が競合するようになったのである.その結果,近代英語では argue/argew, dew/due, screw/skrue, sue/sew, virtue/virtew などの揺れが多く見られた(各ペアにおいて前者が現代の標準的綴字).そして,blue/blew もそのような揺れを示すペアの1つだったのである.
 このような揺れが,後にいずれの方向で解消したのかは単語によって異なっており,およそ恣意的であるとしか言いようがない.初期近代英語期に <ew> を贔屓する Mulcaster のような論者もいたが,それが一般に適用される規則として発展することはなかったのである.現代の正書法において blew ではなく blue であること,eschue ではなく eschew であることは,きれいに説明することはできない.
 さて,もともとの疑問に戻ってみよう.当初の問題意識としては,現代のフランス語と英語を比べる限り,<eu> と <ue> が文字転換したように見えただろう.しかし,歴史的には,<eu> の文字がひっくり返って <ue> となったわけではない.<eu> と関連していたとは思われるが中英語期に独自に発達したとみなすべき英語的な <ew> と,初期近代英語期にかけて勢力を伸ばしてきた外来の <ue> との対立が,blue という単語に関する限り,たまたま後者の方向で解消し,標準化して現代に至る,ということである.
 以上,Upward and Davidson (61--62, 113, 161, 163, 166) を参照した.

 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spelling. 1954. London: Routledge, 2007.
 ・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.

[ 固定リンク | 印刷用ページ | コメント ]

2017-03-26 Sun

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2890. 3月,March,弥生 [calendar][etymology]

 3月も早下旬となり,卒業式と新年度準備のシーズンである.3月を指す英語の March は,ラテン語で同月を指す Mārtius mēnsis,つまり「マルス神の月」の最初の語「マルス」(ラテン語主格単数形 Mārs)に由来する.マルスはローマを建国したロムルスの父でもあり,軍神でもあり,農耕・牧畜の神でもある.3月は冬が終わり,陽気が暖かくなり始め,軍事行動を再会すべき時期であり,農耕の開始の時期でもある(梅田, pp. 345--46).古代ローマ暦では,1年は春分より始まったため,Mārtius mēensis こそが1年の最初の月だった.
 英語へは,初期中英語期にフランス語を通じてこの語が入り,march(e) などと綴られた(MEDmarch(e (n.(1)) を参照).それ以前,アングロサクソン人はこの月のことを hrēþ-mōnaþ と呼んでいたが,第1要素の意味は不詳である.
 さて,福音伝道者の1人の名前である Mark は,ラテン語では Mārcus となるが,これは借用元のギリシア語形 *Mārt-cos の短縮された形態に由来するものと考えられ,究極的には「マルス」に遡るとされる.
 ちなみに,我が国の陰暦3月の旧称「弥生」(やよい)については,「いやおひ」の変化したものとされる.草木がいよいよ花葉を生じる意である.また,古来用いられている雑記の1つ「節分」は,「節季を分ける」の意で,立春をもって新たな年を迎えるという暦の考え方が元になっている.
 日本でもイギリスでも,新たな年の始まりが3月や2月などの時期に位置づけられているというのは,必ずしも偶然ではない.希望の時期は,4月より数週間早くに訪れているのだ.

 ・ 梅田 修 『英語の語源事典』 大修館書店,1990年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ | コメント ]

2017-03-25 Sat

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2889. ヴァイキングの移動の原動力 [old_norse][hel_education][history][map]

 3月号の『National Geographic 日本版』「バイキング 大会の覇者の素顔」と題する特集を組んでいる.特製付録として,ヴァイキング (Vikings) の足跡と行動範囲を示した地図が付いていた.説明書きには,「古くは8世紀末にブリテン諸島を荒らし回った記録が残るバイキング.11世紀までには,北半球の広い範囲で襲撃や交易,探検を行うようになった」とある.  *  *
 対応サイトからはフォトギャラリーも閲覧可能で,現在もシェトランド諸島やポーランドで行なわれているヴァイキングの歴史にちなんだ祭りの様子や,ヴァイキングの武具や装身具などの遺物,オスロの文化史博物館に所蔵の有名な Viking ship,そしてスウェーデン南部の墳墓のルーン文字石碑などを見ることができる.英語史で古ノルド語の影響などを紹介する際ののビジュアル資料として重宝しそうである.
 ヴァイキングの移動の原動力は何だったのか,という歴史上の問いには様々な回答がありうる.「#2854. 紀元前3000年以降の寒冷化と民族移動」 ([2017-02-18-1]) で少し触れたように,気候変動との関係も,ヴァイキングの大移動の1要因と考えられるかもしれない.「バイキング 大会の覇者の素顔」の記事で挙げられている要因としては,以下のようなものがある (46--47) .

 ・ 536年の彗星か隕石の落下と,その結果としての日照不足に起因する飢饉(スカンディナヴィアは農耕の北限であることに注意)
 ・ 放棄された土地を巡っての,勇猛さや攻撃性に特徴づけられた軍事的社会の形成
 ・ 7世紀の帆走技術や造船技術の発展
 ・ 独身の若い戦士が大勢いたとおぼしき状況

 なお,6世紀半ばの大災害の結果として,陰鬱たる北欧神話「ラグナロク」が生まれたとされる.それは,「世界の創造が終わり,最終戦争が起きて,すべての神々,人間,生き物が死に絶える」死の季節で始まる神話である.このような暗さのなかで育まれた精神が,8世紀半ばに外へ向かって爆発した,と考えることができるのではないか.
 ヴァイキングのブリテン島への侵攻については,「#1611. 入り江から内海,そして大海原へ」 ([2013-09-24-1]) の記事も要参照.

[ 固定リンク | 印刷用ページ | コメント ]

2017-03-24 Fri

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2888. 文字史におけるフェニキア文字の重要性 [alphabet][writing][grammatology][map][timeline]

 昨日の記事 ([2017-03-23-1]) で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」を紹介した.その記事を読むにあたって,文字史やアルファベット史におけるフェニキア文字の重要性を理解していると,よりおもしろくなると思われるので,ここに補足しておきたい.
 フェニキア文字は,それ自身が紀元前2千年紀前半に遡るシナイ文字や原カナン文字などから発展した文字体系であり,前1000年頃に使われていた子音文字体系である.このフェニキア文字から,現在まで広く使用されている多種多様なアルファベット文字体系が生じたという点で,まさにアルファベットの母というにふさわしい(以下,『世界の文字の物語』 (8--9) のタイムラインの一部を掲載).

フェニキア文字以降の発展  *  *

 フェニキア文字の影響を受けた各種の文字体系は,地理的にはユーラシア大陸全域に及んでおり,東アジアの漢字系統の文字体系を別とすれば,少なくともこの2千年間,地球上で最も影響力のある文字グループを形成してきたといえる.
 私たちが英語を書き記すのに用いているアルファベットは「ローマン・アルファベット」あるいは「ラテン文字」(正確には,その変種というべきか)だが,それが文字体系としてもっている本質的な特徴の多くは,フェニキア文字のもっていた特徴に由来するといってよい.したがって,英語の文字や綴字について深く考察していくと,否応なしにフェニキア文字やそれ以前にまで遡るアルファベットの歴史を参照せざるを得ない.
 フェニキア人とその文字に関しては,昨日挙げたリンク先のほか,以下の記事も参照されたい.

 ・ 「#2105. 英語アルファベットの配列」 ([2015-01-31-1])
 ・ 「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1])
 ・ 「#2482. 書字方向 (3)」 ([2016-02-12-1])

 ・ 古代オリエント博物館(編)『世界の文字の物語 ―ユーラシア 文字のかたち――』古代オリエント博物館,2016年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ | コメント ]

2017-03-23 Thu

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2887. 連載第3回「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」 [notice][link][vowel][diphthong][consonant][alphabet][writing][grapheme][history][spelling_pronunciation_gap][grammatology]

 3月21日付で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」が公開されました.今回は,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の第2章「発音と綴字に関する素朴な疑問」で取り上げた話題と関連して,特に「母音の表記の仕方」に注目し,掘り下げて考えています.現代英語の母音(音声)と母音字(綴字)の関係が複雑であることに関して,音韻論や文字史の観点から論じています.この問題の背景には,実に3千年を優に超える歴史物語があるという驚愕の事実を味わってもらえればと思います.
 以下に,第3回の記事と関連する本ブログ内の話題へのリンクを張っておきます.合わせてご参照ください.

 ・ 「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」 ([2010-09-12-1])
 ・ 「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1])
 ・ 「#2405. 綴字と発音の乖離 --- 英語綴字の不規則性の種類と歴史的要因の整理」 ([2015-11-27-1])
 ・ 「#1021. 英語と日本語の音素の種類と数」 ([2012-02-12-1])
 ・ 「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1])
 ・ 「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1])
 ・ 「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1])
 ・ 「#1837. ローマ字とギリシア文字の字形の差異」 ([2014-05-08-1])
 ・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
 ・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])

Referrer (Inside): [2017-03-24-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ | コメント ]

2017-03-22 Wed

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2886. なぜ「前置詞+関係代名詞 that」がダメなのか (2) [relative_pronoun][preposition][pied-piping][word_order][syntax][determiner]

 昨日の記事[2017-03-21-1]に続いて,寄せられた標題の質問について.昨日は中英語の状況を簡単に見たが,今回は古英語ではどうだったのかを垣間見よう.
 古英語には大きく3種類(細分化すると4種類)の関係代名詞があった.宇賀治 (248--49) よりまとめると,次の通りである.

(1) 無変化詞 þe
(2) 決定詞 se の転用.se は関係詞節内の格に屈折する(「#154. 古英語の決定詞 se の屈折」 ([2009-09-28-1]) を参照).
(3) 上記2つを組み合わせた複合関係詞 se þese は (3a) 関係詞節内の格に屈折する場合と,(3b) 先行詞と同じ格に屈折する場合がある.

 さて,問題の関係代名詞支配の前置詞の位置は,上記の関係代名詞の種類に応じて異なることが知られている.宇賀治 (249) の趣旨を要約すると,(1) と (3b) については,前置詞は関係詞節内に残留するが,(2) と (3a) については前置詞は関係詞の直前に置かれる.しかし,(2) の屈折形の1つである þæt (元来,中性単数主格・対格の屈折形)が用いられる場合には,前置詞は関係詞節内に残留することが多いという.つまり,古英語より,標題の構文が避けられていたということである.
 この理由は定かではないが,本来は1屈折形にすぎない þæt が,古英語の終わりまでに,先行詞の性・数と無関係に用いられる無変化の関係詞となっていたことが関与しているのではないか(その特徴は現代まで引き継がれている).関係詞 þæt が無変化であることと,前置詞がその目的語に何らかの有標な格形を要求するという性質との相性がよくないために,少なくとも隣接させることは望ましくないと感じられたのかもしれない.
 ただし,「前置詞+ þæt」の例も皆無というわけではない.以下に挙げる2つの文例のうち,1つ目はそのような例である(宇賀治,p. 249).

 ・ . . . fram ðam godcundum worde, ðurh þæt ðe ealle þing sind geworhte. (= from the divine word, through which all things are made) (c1000 Ælfric CHom II. 364. 14--15)
 ・ he forgiet ðæt grin ðæt he mid awierged wirð; (= he forgets the snare that he is accursed with) (c897 CP 331. 18--19)


 ・ 宇賀治 正朋 『英語史』 開拓社,2000年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ | コメント ]

2017-03-21 Tue

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2885. なぜ「前置詞+関係代名詞 that」がダメなのか (1) [relative_pronoun][preposition][pied-piping][word_order][syntax]

 3月13日付の掲示板で,標題の質問を受けた.掲示板では,この統語上の問題は,見栄えとしては同じ「前置詞+接続詞 that」が,in that . . .except that . . . などを除いて広くはみられないことと関連しているのだろうか,という趣旨のコメントも付されていた.「前置詞+関係代名詞 that」と「前置詞+接続詞 that」は,見栄えこそ同じではあるが,統語構造がまったく異なるので,当面はまったく別の現象ととらえるべきだろうと考えている.「前置詞+接続詞 that」については,「#2314. 従属接続詞を作る虚辞としての that」 ([2015-08-28-1]) を参照されたい.
 さて,本題の「前置詞+関係代名詞 that」(いわゆる pied-piping 「先導」と呼ばれる統語現象)が許容されない件については,英語史的にはどのように考えればよいのだろうか.
 事例としては,実は,古英語からある.しかし,稀だったことは確かであり,一般的には忌避されてきた構文であるといってよい.それが,後の歴史のなかで完全に立ち消えになり,現代英語での不使用につながっている.
 Mustanoja (196--97) は,中英語期の関係代名詞 thatwhich の使い分けについて論じている箇所で,後者の使用について次のような特徴を指摘している.

Which, on the other hand, is preferred in connection with prepositions (this folk of which I telle you soo, RRose 743), and also when the antecedent is a clause or a whole sentence.


 その理由として注で次のようにも述べている.

Evidently because of the somewhat clumsy arrangement of the preposition in that-clauses. Prepositions occurring in connection with that are placed immediately before the verb (þet ilke uniseli gile þet ich of seide, Ancr. 30; the place that I of spake, Ch. PF 296), particularly in early ME. Less frequently in early ME, but commonly in late ME, the preposition is placed at the end of the clause (preciouse stanes þat he myght by a kingdom with, RRolle EWr. 112).


 ここから,「前置詞+関係代名詞 that」の構造が,関係代名詞 that が定着してきた初期中英語期にはすでに避けられていたらしいことが示唆されるが,なぜそうなのかという問題は残る.関係詞の絡む従節構造に限らず,通常の主節構造においても,かつては前置詞が必ずしも目的語の前に置かれるとは限らなかったことを考えると,前置詞と関係詞の問題というよりは,より一般的に前置詞の位置に関する問題としてとらえる必要があるのかもしれない.

 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

Referrer (Inside): [2017-03-22-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ | コメント ]


このページへのアクセス数
最終更新時間2017-03-27 05:22

Copyright (c) Ryuichi Hotta, 2009--