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2026-09-19 Sat
■ #6354. 英語綴字史に足跡を残した Shaw --- ダブリンの生家を訪ねて [shaw][dublin][tabihel][ireland][spelling][spelling_pronunciation_gap][orthography][spelling_reform]

ダブリン滞在中の早朝ジョギングで出会った1コマをお伝えする,ダブリンの「旅hel」 (tabihel) シリーズ.市南部の Synge Street まで足を延ばし,George Bernard Shaw (1856--1950) の生家とされる建物を訪ねてみた.今ではごく普通に誰かが暮らしている住宅で,うっかり通り過ぎてしまいそうなほど何の変哲もない建物なのだが,玄関脇にはダブリン市による銘板がしっかりと掲げられており,ここが Shaw の生誕地であることを物語っていた.
Shaw の面影は,ダブリン市内の別の場所でも拝むことができる.Merrion Square West に面するアイルランド国立美術館 (National Gallery of Ireland) のホールに足を踏み入れると,Shaw その人がオーディオの案内とともに出迎えてくれるのだ.少年時代にこの美術館へ足繁く通って絵画を通じた美的感覚を養い,後年,自作の版権収入の一部を遺贈したのも Shaw 自身だった.生家の慎ましさとは対照的な,故郷ダブリンにおける Shaw のもう1つの居場所である.

Shaw といえば,綴字と発音の乖離 (spelling_pronunciation_gap) を痛烈に皮肉った ghoti = fish の小咄で広く知られている.もっとも,この例を発案したのは Shaw 自身ではなく,ある綴字改革者が挙げた例を Shaw が擁護したというのが実際の経緯らしいことは,「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」 ([2009-05-13-1]) で見た通りである.だが,Shaw にとって英語綴字の不合理は単なるジョークの種にとどまらず,生涯にわたる本気の問題意識だった.遺言のなかにまで綴字改革への企図を書き残し,多くの候補者から選ばれた Kingsley Read の手による新アルファベット Shavian Alphabet の考案を後押ししたことは,「#605. Shavian Alphabet」 ([2010-12-23-1]) で紹介した通りである.
しかし,Shavian Alphabet は,後世にほとんど影響力を及ぼさなかった.一般の英語使用者の綴字習慣を変えるには至らず,今では英語綴字改革史上の1エピソードとして記憶されるにとどまっている(「#5030. 英語史における4種の綴字改革」 ([2023-02-03-1]),「#5009. なぜバーナード・ショーの綴字ネタ「ghoti = fish」は強引に感じられるのか?」 ([2023-01-13-1]) も参照).
一方,本気ではなく皮肉として放たれた "ghoti" のほうは,時代を超えて今もなお世界中で語り継がれ,英語学習者が綴字と発音のギャップに感じる困惑を,多少誇張気味にではあるが,見事に代弁し続けている.
真剣に企てた改革案よりも,軽い皮肉のほうが長く生き延びる.綴字と発音のいたちごっこを長年見つめてきた身として,このねじれもまた,英語史のおもしろいところだなと思う.
2026-09-18 Fri
■ #6353. medium 「媒体」の語源は「真ん中のもの」 --- アウトリーチ活動における媒体の2つの意味 [outreach][helkatsu][etymology][semantic_change][borrowing][latin][medium]
私は長らく「英語史をお茶の間に」をモットーに英語史のアウトリーチ活動,「hel活」(helkatsu) を続けてきている.活動を始めた当初は,このブログが事実上唯一の発信の媒体 (medium) だったが,やがて書籍,雑誌,音声配信,動画配信,講演会などの様々な媒体 (media) で発信するようになった.今回は medium という単語の語源に注目してみる.
この単語は,ラテン語の形容詞 medius 「真ん中の」の中性形が名詞化したものに遡る.つまり「真ん中のもの」を意味した.このラテン単語は,ルネサンス期の16世紀後半に時代に似つかわしく学術用語として英語に入ってきた.幾何学用語として「平均」を,論理学用語として「中名辞」を意味し,堅めの語感をもっていたことが分かる.しかし,時を置かずに,すぐに非学術的な語義が展開していった.「真ん中」「媒体」「(情報伝達の)手段」などである.19世紀にはこの世とあの世を結びつける「霊媒(師)」の語義が加わり,20世紀にかけては新聞・ラジオ・テレビなどの大衆伝達手段が発達するに及んで,特に複数形 media が「マスメディア」を意味するようになった.
私がhel活で日々頼っている様々な媒体 (media) は,発信者である私と受信者である人々の「真ん中」に立つもろもろの道具である,という見方ができる.しかし,別の見方をすれば,私自身が英語史の世界やその知見と世の中の人々の中間に入って,両者を結びつけようとしている1つの媒体 (medium) として位置づけられることに気付いた(英語史界のいたこか!).
アウトリーチ活動において,その発信手段をブログにするのか YouTube にするのか,といった第1の意味での媒体について考えることは,もちろん大事である.しかし,どの手段でアウトリーチ活動を行なうかにかかわらず,発信している人自身が,実は第2の意味での媒体なのだ.自分自身が medium であることを認識し,その上で自分に合った media を見つければよいのではないか.ただし,「真ん中」というと華々しいセンターのイメージがあるものの,逆に「中途半端;良くも悪くもない,凡庸な」にも通じるので注意が必要である.
なお,今回の単語は印欧語根としては *medhyo- に遡り,ここから様々に派生して,amid, middle; mean, mediaeval, median, mediocre, Mediterranean, meridian, intermediate; mse(o)- などの「真ん中」に関する単語が英語語彙に収まっている.
2026-09-17 Thu
■ #6352. 比較級・最上級 の英語史 --- sorami さんの『英語語源ハンドブック』クイズ第17弾 [note][hee][helkatsu][hel_education][quiz][comparison][superlative][voicy][heldio]
heldio/helwa コアリスナーの sorami さんによる,『英語語源ハンドブック』(研究社)に基づいた英語語源クイズ・シリーズが,隔週土曜日のペースで着実に更新を重ねています.9月5日に公開された最新回は,「授業で使える! 中学生向け英語語源クイズ#17~比較級・最上級~」と題する第17弾です.今回は比較級という,英文法の授業で必ず扱われる基本文法事項を切り口にした構成になっています.
全7問というボリュームです.早速中身に触れてみましょう.冒頭を飾るのは,near と next の語源的な関係を問う問題です.near はもともと nigh「近い」の比較級でした.現代英語の私たちが単純な原級として使っている near は,実は由来をたどれば比較級だったのですね.そして next はその最上級形にあたります.同じ発想は,first と last にも見られます.両語とも,古い時代には別語幹の最上級として機能していたものが,のちに独立した基本語として定着しました.
中盤では,ラテン語由来の比較級表現に焦点が当てられます.senior や major ,minor ,junior といった語は,形こそ現代英語のなかでは原級のように使われていますが,もとをたどればラテン語の比較級語尾 -ior を伴う正真正銘の比較級です.また,音楽用語として日本語にもすっかり定着している fortissimo や pianissimo は,イタリア語の最上級語尾 -issimo を伴う語形であることも紹介されています.「とても強く」「とても弱く」という意味は,実は文法的には最上級だったというわけです.普段何気なく使っている外来語のなかに,比較級・最上級の化石が埋め込まれているとは,なんとも興味深い話ですね.
後半では,Health is better than wealth. のような比較級を含むことわざの穴埋め問題や,futon ,hibachi ,satsuma といった,英語にそのまま取り込まれた日本語由来の語彙を扱う問題が並びます.日本語話者にとっては見慣れた単語が英語の辞書にそのまま載っているという事実に,改めて驚かされます.
そして締めくくりには,「現代の不規則動詞は,かつては規則動詞だった」という,英語史ならではの逆説的な事実に触れる問いが用意されています! 規則・不規則という現代の分類は,あくまで現代英語の断面を切り取った結果に過ぎず,通時的にみれば,むしろ多くの「不規則」のほうが,古い規則性の生き残りであることも少なくないのです.
sorami さんは今回も,「これからも『英語語源ハンドブック』をもとにした英語クイズを少しずつ投稿していきます.(隔週土曜日更新予定)」と結ばれています.全国の英語教員の皆さん,ぜひこのクイズを授業の小ネタやウォームアップにご活用ください.比較級・最上級という身近な文法事項の背後に,これほど豊かな歴史が眠っているとわかれば,生徒たちの英文法に対する見方もきっと変わるのではないでしょうか.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.
2026-09-16 Wed
■ #6351. 英語史でも著名な Jonathan Swift --- St Patrick's Cathedral のお墓を訪ねて [swift][tabihel][dublin][academy][prescriptive_grammar][shortening][prescriptivism][lmode][history][ireland][clipping][complaint_tradition]

ダブリンにゆかりのある文人を取り上げる「旅hel」 (tabihel) シリーズ.今回は,文人,政治家,そして主席司祭でもあった Jonathan Swift (1667--1745) に注目する.Gulliver's Travels 『ガリバー旅行記』の著者として世界的に知られる人物だが,英語史上重要なのは,むしろ別の顔のほうである.
一雨さっと降ったあと,急に日差しが戻ってポカポカ陽気になった午後,ダブリンの St Patrick's Cathedral に隣接する公園のベンチに腰掛けながら,この建築物の威容を眺めていた.この大聖堂は,アイルランドを代表する "National" を冠された,アイルランド国教会のなかでも別格の位置づけを与えられている教会だ.
名前の由来である St Patrick は5世紀にアイルランドへキリスト教をもたらした聖人で,アイルランドで最も愛され,尊ばれている人物である.大聖堂そのものは,1190年に,彼の布教にゆかりのあるダブリンのこの地に建てられた.すでに800年以上の歴史を数える.
この大聖堂と結びつけられる著名人が,もう1人いる.Jonathan Swift である.1713年に,この大聖堂の主任司祭に就任した.イギリス政界に深く関わっていた Swift が聖職者としてこの座に収まることには反対の声もあったというが,最終的にはこの職を務め上げた.大聖堂のなかには彼の墓があり,彼との関係がいまだ謎に包まれたままの女性 Stella とともに眠っている.大聖堂内は半ば Swift 博物館のような様相を呈しており,オーディオガイド付きの展示となっていた.
Swift は英語史の観点からも位置づけられる人物だ.英語史的には,1712年に英語アカデミーの設立を提案した政治家としての顔が重要である.すでにイタリアやフランスでは早々と母語を統制するアカデミーが設立されていたのに対し,イギリスにはいまだ存在しなかった.Swift は A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue と題する提案書を著し,英語を統制する公的機関の設立を訴えた.これは17世紀以来くすぶり続けてきたイギリスにおけるアカデミー設立運動の,事実上最後にして最大の試みだったといってよい(「#134. 英語が民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2009-09-08-1]),「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1]) を参照).
だが,この提案は結局は通らなかった.政敵による反発に加え,提案の理解者だった Anne 女王が1714年に急逝し,後ろ盾を失ってしまったことが大きいとわれる(「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]),「#3602. アン女王と英語史」 ([2019-03-08-1]) を参照).結果として,英語はついに中央集権的なアカデミーをもたない言語となったのである.フランス語における l'Académie française のような「上から」の統制機関が存在しないまま,18世紀後半にかけては文人・知識人による「下から」の慣用重視の規範が形成されていくことになる.18世紀初頭の時点では,英語はまだ国際的にはフランス語の後塵を拝していたが,後に世界中に広がっていく英語が,ついぞ1つの機関に統制されることのない野放しの言語として育っていく分岐点が,まさにこの1712年にあったのだと思うと感慨深い.
なお,Swift には英語史上もう1つのおもしろい顔がある.大の「短縮語」嫌いで,clipping を非難する文章まで書いているのだ(「#1947. Swift の clipping 批判」 ([2014-08-26-1]) を参照).
大聖堂のすぐ裏手にはアイルランド最古の公開図書館 Marsh's Library (1701年)があり,そこへは Swift, Joyce, Stoker もかつて通ったという.私が図書館に訪れたとき,そこでも Swift 展が開かれていた.大聖堂と図書館を合わせて「Swift 博物館」をめぐった感がある.Gulliver's Travels の作者,大聖堂の主任司祭,という以外の顔として,英語史における Swift の存在感を,多くの方に知っていただきたい.
2026-09-15 Tue
■ #6350. routine は「切り開かれた後に踏み固められていった道」 --- 日課ということ [outreach][helkatsu][etymology][semantic_change][french]
アウトリーチ活動に関連する英単語について語源小咄を展開するシリーズ.hel活として日々 hellog を更新し,heldio を配信する.これはすっかり私の routine 「日課,日常業務」となっている.今回は「ルーチン」として日本語でも使われるようになった英単語の語源に迫る.
routine は17世紀半ばにフランス語から借用された語で,route 「道,ルート」に接尾辞 -ine が付いた語形成である.route 自体は,さらにラテン語の rupta (via) 「切り開かれた(道)」に行き着く.rupta は動詞 rumpere 「破る,切り開く」の過去分詞(rupture 「破裂」や bankrupt 「破産した」にも同根が見える)であり,route とは,「(森や荒れ地を)切り開いてできた(道)」を意味したようだ.
今回注目している routine は,この「切り開かれた」道がたどった末路を体現している語と考えられる.当初は切り開かなければならない道だっが,いったん切り開かれると,そこは人々が頻繁に便利に行き交う道に化ける.むしろ,踏み固められた道,決められた道になくのだ.荒々しくも勇ましい原初の rupta の語感が,すっかり牙を抜かれてしまったかのようだ.
この routine の語源は,日課,そしてそれを身につけることの本質を表わしているように思われる.あることを日課として習慣化することは,道を切り開くがごとき困難を伴う.しかし,一旦最初の困難を乗り越えれば,むしろ水や空気のような存在に近づき,さほどの困難を感じずにこなせるようになる.しかし,だからといって大幅に楽になるかというと,必ずしもそうでもない.半ば自然にできるようになるかもしれないが,おもしろいかどうかば別問題だからだ.ルーチンワークは,えてして,つまらない,味気ない,甲斐がない.踏み固められた道であっても,少なくとも「歩く」ことはしなければならないが,歩く行為はたいていの場合それ自体が愉快なわけでもない.
私は,いくつかのhel活を日課として定着させようとしてきたが,そのたびごとに最初は道を切り開く困難を感じた.今では踏み固められた道を歩むことができるようになり,ぐんと困難は減ったように思う.しかし,歩みを続けていくこと自体は,それはそれで大変なことである.油断すればすぐに荒れ地に戻ってしまうのではないかという懸念がある.
2026-09-14 Mon
■ #6349. Samuel Beckett Bridge とアイルランドの箴言 [tabihel][dublin][ireland][beckett][literature][translation][harp][heldio]

先日の記事「#6341. ha'penny 「半ペニー」 --- ダブリンの Ha'penny Bridge より」 ([2026-09-06-1]) で「明日も明後日もこの橋を渡ることにしよう」と書いたが,実際には毎朝のジョギングのコースは日によって変わる.すでに定番コースの1つでもあるのだが,今朝は Ha'penny Bridge からさらに下流方面に走り,Liffey 川が海へと近づいていく Docklands 地区で,異彩を放つ橋を横目に走った.Samuel Beckett Bridge である.2009年に竣工の比較的新しい橋だ.アイルランドの国章でもあるアイリッシュ・ハープ (Irish harp) を横倒しにした形そのものの橋だ.橋は北岸と南岸の通りを結ぶ交差点も兼ねており,信号待ちがてら,ここでひと息つくことが多い.
この橋の形が象るハープは,アイルランド共和国の紋章やギネスビールのロゴにも用いられる国民的な象徴だが,橋のたもとに立つと,その意匠の大胆さに見とれる.ちなみに,最近の heldio は,この早朝ジョギングの復路にて,この橋の付近で屋外収録を行なうことが増えている.川の風にあおられながらの収録は,臨場感があってなかなか気に入っている.
さて,この橋の名の由来となった Samuel Beckett (1906--89) は,ダブリン近郊 Foxrock の生まれ.Waiting for Godot (原題は仏語 En attendant Godot, 1952年)をはじめとする不条理演劇の傑作で知られ,1969年にノーベル文学賞を受賞したアイルランド出身の作家である.英語史の観点からも見逃せないのは,Beckett はフランス在住作家だったが,英語とフランス語の両言語で創作し,しかも自作を自ら他方の言語へと訳し直す自己翻訳を生涯にわたって実践した稀有な作家だという点だ.削ぎ落とすように言葉を切り詰めていく彼の作風は,2つの言語のあいだを往還するなかで,いっそう研ぎ澄まされていったのだろうか.
Beckett のよく知られた箴言の1つに,次の文句がある.晩年の散文作品 Worstward Ho (1983) の冒頭の表現だ.
Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.
「やってみた.失敗した.それがどうした.また挑戦せよ.また失敗せよ.もっとうまく失敗せよ.」今日では Fail better. の部分だけが自己啓発やビジネスの文脈で独り歩きし,すっかり紋切り型のスローガンと化している.しかし,やはり味わいがある.
この教訓は,あらゆる失敗に等しく当てはまるわけではないだろう.取り返しのつかないほど大きな失敗をしてしまうと,そう簡単には次の挑戦に向けて立ち上がれないものだ.しかし,やり直しのきく小さな失敗であれば,この箴言はそのまま生きた指針になる.失敗そのものをいちいち気に病まず,成功するまで淡々と続けよ,ということだ.
ただし,実践する側にとって本当に難しいのは,まさにそこである.次の挑戦が実るのが1週間後なのか,1ヶ月後なのか,1年後なのか,それとも10年後なのか,誰にも前もっては分からない.No matter. と割り切れるだけの余裕は,見通しの立たない時間の長さの前で,しばしば試される.
思えば,アイルランド出身の作家には,Beckett にせよ Swift にせよ,寸鉄人を刺す箴言の名手が数多く出ている.先日立ち寄った土産物屋の店先にも,アイルランド出身作家たちの箴言をあしらった「箴言マグネット」なるものがたくさん並んでいた.1つ1つ手にとって読むたびに思わずウームとうなってしまい,買って帰って冷蔵庫にでも貼ろうかと,本気で悩んでしまうほどだ.
2026-09-13 Sun
■ #6348. B&C の第65節 "The Application of Native Words to New Concepts" (4) --- Taku さんとの超精読会 [bchel][oe][borrowing][semantic_change][christianity][lexicology][latin][loan_word][link][voicy][heldio][anglo-saxon][history][helmate][helwa][loan_translation]
キリスト教の中核をなす概念を,ラテン語からの借用に頼らず,本来語の意味を巧みに転用することで表現していく.そんな古英語期の言語的創意工夫を物語るテーマを,Baugh and Cable の名著 A History of the English Language, 6th ed. を通じて Taku さんと読み進める「超精読会」の最新回でお届けします.
今朝の heldio 最新回は,「#1932. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (65-4) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」です.今回もナビゲーターは,helwa/heldio ではお馴染みの Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)が務めてくださいました.
今回は前回に引き続きキリスト教に関連する動詞や名詞が本来語で表現される例が挙げられています.具体的には「洗礼」「聖餐」「捧げ物」という,キリスト教の教義の核心に触れる単語群です.借用語ではなく,本来語の意味の拡張・応用によってどう表現されたかが読みどころです.
fullian(清める)から派生した fulluht(洗礼)は,fulluht-bæþ(洗礼盤)や fulluht-fæder(名付け親)など,数々の複合語を生み出しました.また,ゲルマン語本来の hūsl(聖餐)や lāc(捧げ物)が,キリスト教の儀式を指す語として転用されている点も要注目です.異教の語彙が新しい宗教的な意味の器として再利用される --- ここに,古英語話者たちの言語的な戦略が見て取れます.今回精読した英文を以下に掲げましょう (Baugh and Cable, p. 86) .
For baptize (L. baptizāre), the English adapted a native word fullian (to consecrate), while its derivative fulluht renders the noun baptism. The latter word enters into numerous compounds, such as fulluht-bæþ (font), fulwere (baptist), fulluht-fæder (baptizer), fulluht-hād (baptismal vow), fulluht-nama (Christian name), fulluht-stōw (baptistry), fulluht-tīd (baptism time), and others. Even so individual a feature of the Christian faith as the sacrament of the Lord's Supper was expressed by the Germanic word hūsl (modern housel), while lāc, the general word for sacrifice to the gods, was also sometimes applied to the Sacrifice to the Mass.
1文ずつ丁寧に読み解いていくこの営みは,地味に見えて,実は英語史のおもしろさの核心に触れる時間でもあります.過去回のアーカイブは「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) からたどれます.ご興味を持たれた方は,Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪 (helwa)」へもぜひ.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
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| 最終更新時間 | 2026-09-19 05:00 |
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