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hellog〜英語史ブログ

堀田隆一による,英語史に関する話題を広く長く提供し続けるブログです."History of the English Language Blog" ということで,略して "hellog".英語史と関連する英語学・言語学一般の話題も扱っています.まずは,アクセス・ランキング (access ranking) のトップ500記事あるいは全記事の標題の一覧 (Archives)をご覧下さい.

お知らせ 朝日カルチャーセンター新宿教室にて,4月から6月にかけて「英語のなぜに答える」と題する講座を開講します.詳細はこちらをご覧ください.2017/04/05(Wed)

お知らせ 掲示板がスパム投稿で潰されたようです.すみませんが,当面,停止します.2017/03/27(Mon)

お知らせ 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』に関連する連載企画が始まりました.こちらのページをどうぞ.2017/01/20(Fri)

お知らせ 本ブログの内容を多く取り込んだ拙著『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』が研究社より出版されました.本の趣旨や補足情報のために,コンパニオン・サイト (naze) を用意していますので,そちらも是非ご覧ください.また,本ブログ内の「#2764. 拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』が出版されました」にも紹介があります.2016/11/21(Mon)

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お知らせ 本ブログベースの拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』が増刷されました.本書のコンパニオン・ページ及び著者による紹介ページをご覧ください.また,本書の内容に沿ったブログ記事へのリンク (hogusu) はおすすめです.2016/08/31(Wed)hogusu_front_cover_small

お知らせ 本ブログ(の記事)に関するコメントや,英語に関する素朴な疑問などを,こちらの掲示板より投稿できるようにしました.皆さまからの声をお待ちしています.2015/07/26(Sun)


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2017-04-30 Sun

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2925. autumn vs fall, zed vs zee [ame_bre][z]

 「#2916. 連載第4回「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」」 ([2017-04-21-1]) で紹介した連載記事で,語彙の英米差の代表として autumn vs fall,そして追加的に zed vs zee のペアを取り上げた.その記事をまとめるにあたって,いくつかの文献を参照したので,ここに備忘録的に記しておきたい.
 まず,Burchfield (282) の fall の項目には,autumn との使い分け,及びその略史が端的に要約されていた.

fall. The third season for the year was called the autumn from the 14c. onwards, and also, in the British Isles, the fall of the leaf or simply the fall from the 16c. until about 1800. As time passed, autumn settled down as the regular term in Britain, whereas the fall of the leaf (less frequently the fall of the year) and then fall by itself gradually became standard in America from the late 17c. onwards. Autumn and fall are familiar names to everyone in each of the two countries, but in day-to-day speech autumn is the only standard from in BrE and fall is equally standard in AmE.


 小西 (486) では,アメリカ英語での autumn の用法について,次のように記述されている.

fall 季節の「秋」という意味での用法は,米国英語の用法で英国英語では autumn を用いる.なお米国でも autumn はまだ使われているが,文学的色彩を帯びている…….


 そして,記事を書く上でおおいにインスピレーションを得ることになったのは,Cassidy and Hall (190) の English redistributed と題する節である.

These four chief migrations [Virginia, Massachusetts, Pennsylvania, and Appalachia] shared English as their common language, but it was never homogeneous. Even the members of leading classes differed in geographical origin and the "commons" spoke their various home dialects. The London type of English accepted and required in education was probably "more [often] honored in the breach than the observance." Especially in the rural areas of America, old terms continued in use after they had fallen out of use in Britain; later English visitors heard them first in America and took them to be "Americanisms." By our definition they are indeed synchronic Americanisms, though historically survivals rather than innovations.
   For example, in England autumn --- a French word based on Latin --- had been introduced by at least the fourteenth century for what was popularly the fall of the leaf (recorded from the sixteenth century but probably much older). That English popular form became established in America --- characteristically abbreviated to simple fall --- and is now the regular spoken form throughout the United States though autumn has some formal written use. Thus a split developed: since autumn grew to be the term favored in England, fall, though British in origin, can be taken as a synchronic Americanism.
   The same kind of development may be seen in the name for the last letter of the alphabet, z. Though zed is now the regular English form, z had also been pronounced zee from the seventeenth century in England. Both forms were taken to America, but evidently New Englanders favored zee. When, in his American Dictionary of the English Language (1828), Noah Webster wrote flatly, "It is pronounced zee," he was not merely flouting English preference for zed but accepting an American fait accompli. The split had already come about and continues today.


 連載記事で用いた「複線的思考」というフレーズは,この "English redistributed" という表現の別の言い方にすぎない.英語を構成する多種多様なリソースは大西洋の両側で共有されていたのであり,異なっていたのは,どれとどれが組み合わさり,特にどれが優勢だったのか,というような細かな「分布」にすぎないのである.

 ・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.
 ・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
 ・ Cassidy, Frederic G. and Joan Houston Hall. "Americanisms." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. Cambridge: CUP, 2001. 184--218.

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2017-04-29 Sat

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2924. 「カステラ」の語源 [etymology][portuguese][spanish][loan_word]

 「カステラ」という語は,ポルトガル借用語の典型として,しばしば取り上げられる(「#1896. 日本語に入った西洋語」 ([2014-07-06-1]) を参照).語源辞典をひもとけば詳しく説明が載っている.例えば,『学研 日本語「語源」辞典』によれば,

もとは,スペインの「カステリア王国で作られたパン」の意のポルトガル語.室町末期にポルトガル人によって長崎に伝えられ,略して「カステイラ」と呼ばれた.江戸時代以降,「カステラ」という言い方も普及した.


とある.『世界大百科事典第2版』では,

カスティリャ地方の菓子の意であるポルトガル語のボロ・デ・カステラ bolo de Castella に出た語で,加須底羅,粕底羅などとも書かれた.長崎では寛永 (1624--44) 初年からつくられたといい,しだいに各地にひろまった.


と説明書きがある.さらに,『日本語源大辞典』を引用すると,

pão de Castella (カスティーリャ王国のパン)と教えられたのを,日本人が「カステイラ」と略したらしい.また,オランダ語 Castiliansh brood の略という説もある.中世末から近世にかけては,カステイラの形が一般的だったが,やがてカステラの形も現れた.


 およそ「カステラ」の借用ルートについては以上の通りだが,1つ素朴な疑問が残る.なぜスペインのカスティリャ地方のお菓子が,ポルトガル語にその名前を残しているのかということだ.スペイン(語)とポルトガル(語)は,国としても言語としても互いに近親の関係にあるということは前提としつつも,カステラというお菓子という具体的な事例に関して,両者がいかなる関係にあったのか.
 1ヶ月前のことになるが,3月29日の読売新聞朝刊に「カステラの名称 王室の結婚由来」という見出しの記事が掲載された.それによると,17世紀にポルトガル宮廷料理人の書いたレシピ本『料理法』のなかに,カステラと製法がほぼ同じ「ビスコウト・デ・ラ・レイナ」という名のお菓子が確認されたという.ラ・レイナとは「女王・王妃」を意味するスペイン語である.当時,ポルトガル王室はスペイン王室から王妃を迎えており,その婚姻を通じてそのお菓子もスペインからポルトガルへ伝わったものと考えられる.それが,スペインの政治的中心地の名前を冠して「ボーロ・デ・カステーラ」とポルトガル(語)でリネームされたというわけだ.そして,それからしばらく時間は経過したが,そのロイヤルウェディングのお菓子が,はるばる日本に伝わったということになる.
 以上は,東京大学史料編纂所の日欧交渉史を専門とする岡美穗子氏の調査により明らかにされたという.「カステラ」の語源の詰めが完成した感があり,気持ちよい.

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2017-04-28 Fri

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2923. 左と右の周辺部 [pragmatics][grammaticalisation][syntax][grammaticalisation][subjectification][intersubjectification][implicature]

 近年,語用論では,「周辺部」 (periphery) 周辺の研究が注目されてきている.先月も青山学院大学の研究プロジェクトをベースとした周辺部に関する小野寺(編)の論考集『発話のはじめと終わり』が出版された(ご献本ありがとうございます).
 理論的導入となる第1章に「周辺部」の定義や研究史についての解説がある.作業上の定義を確認しておこう (9) .

周辺部とは談話ユニットの最初あるいは最後の位置であり,そこではメタテクスト的ならびに/ないしはメタ語用論的構文が好まれ,ユニット全体を作用域とする


 周辺部には最初の位置(すなわち左)と最後の位置(右)の2つがあることになるが,両者の間には働きの違いがあるのではないかと考えられている.先行研究によれば,「左と右の周辺部の言語形式の使用」として,次のような役割分担が仮説され得るという (25) .

左の周辺部 (LP)右の周辺部 (RP)
対話的 (dialogual)二者の視点的 (dialogic)
話順を取る/注意を引く (turn-taking/attention-getting)話順を(譲り,次の話順を)生み出す/終結を標示する (turn-yielding/end-marking)
前の談話につなげる (link to previous discourse)後続の談話を予測する (anticipation of forthcoming discourse)
返答を標示する (response-marking)返答を促す (response-inviting)
焦点化・話題化・フレーム化 (focalizing/topicalizing/framing)モーダル化 (modalizing)
主観的 (subjective)間主観的 (intersubjective)


 周辺部の問題は,語用論と統語論の接点をなすばかりでなく,文法化 (grammaticalisation),主観化 (subjectification),間主観化 (intersubjectification),慣習的含意 (conventional implicature) の形成など広く言語変化の事象にも関与する.今後の展開が楽しみな領域である.

 ・ 小野寺 典子(編) 『発話のはじめと終わり ―― 語用論的調整のなされる場所』 ひつじ書房,2017年.

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2017-04-27 Thu

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2922. 他の社会的差別のすりかえとしての言語差別 [linguistic_ideology][language_myth][sociolinguistics][function_of_language][aave]

 言語は,コミュニケーションの道具であるとともに,アイデンティティの指標でもある.言語のこの2つの機能は,言及指示的機能 (referential function) と社会指標的機能 (socio-indexical function) とも呼ばれる. 特に後者の機能は社会言語学における最重要のテーゼとして強調されるが,一般には広く認識されているとは言いがたい.多くの人が,言語はひとえにコミュニケーションの道具として機能していると思い込んでいる.
 しかし,「言語=コミュニケーションの道具」のみの発想にとらわれていると,狭い視野に閉じ込められるばかりではなく,現実にある社会的な問題を助長する可能性すらある.言語は道具であるから政治的には中立である,と無邪気にみなしてしまうと,言語を政治的に悪用する社会の不正にも気づきにくくなるからだ.言語は,コミュニケーションの道具であるにとどまらず,恐るべき政治的なツールへと容易に化けることができるのである.小山 (137) によるアメリカの黒人英語や英語公用語化を巡る問題についての評説が,言語の政治的な側面をよくあぶり出しているので,引用したい.

公的な場では人種差別の表明がタブーと化しているアメリカのような社会に生きる人種差別主義者たちは,たとえば1996年から97年に起こったエボニクス論争にみられたように,黒人を批判するのではなく黒人英語を批判したり,あるいはイングリッシュ・オンリー(英語公用語化)運動にみられるように,ヒスパニックを批判するのではなくスペイン語を喋ることを批判したりしている.つまり現代アメリカでは人種の問題が言語(および文化)の問題に置き換えられて語られているのであり,これは,上でみたような,アメリカ標準語としてのジェネラル・アメリカンの勃興にまつわる排外主義的,人種論的背景を,「中西部」や「西部」の発音などと,地域的な範疇にすりかえて語るという修辞とも共鳴する.
 なお,合衆国の法制度では,人種,宗教,性,出生国などと違い言語は差別の根拠となる範疇 ("suspect category") とはみなされておらず,これが,より一般的な公的言説における人種のタブー化とともに,言語が人種について語るための「コード・ワード」となっていることと関係していることは明らかである.Sonntag (2003) は,このような法的言説における言語の位置づけは,アメリカのリベラル民主主義の伝統,つまりジョン・ロック的な伝統においては,言語がアイデンティティの指標ではなくコミュニケーションのための中性的な道具であると考えられていることに由来する面があることを正しく指摘している.


 社会言語学者の大家 Peter Trudgill も,人種や性など多くの範疇での差別が消えていくなかで,言語は最後の最後まで差別の拠り所として根強く残っていくだろうと述べている.残念ながら,私もこの意見に同感せざるを得ない.言語の社会指標的機能について力説していくほかない.

 ・ 小山 亘 「第7章 社会語用論」『社会言語学』井上 逸兵(編),朝倉書店,2017年.125--45頁.

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2017-04-26 Wed

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2921. ジェスチャーの分類 [gesture][paralinguistics]

 言語使用において同期するイントネーション,プロソディ,休止,視線,ジェスチャーなどのパラ言語的要素 (paralinguistics) を,統合的に観察し研究する方法論として「マルティモーダル分析」 (multimodal analysis) が提案されている.そのなかでもジェスチャーの研究が近年盛り上がりを見せているようだ.
 ジェスチャーは,以下のように分類されている(以下の図と説明は,片岡,p. 85 を参照した).

                 ┌── エンブレム                   
ジェスチャー ──┤                            ┌── 拍子(ビート)
                 └── 自発的ジェスチャー ──┤                            ┌── 直示的ジェスチャー
                                               └── 表象的ジェスチャー ──┤                            ┌── 映像的ジェスチャー
                                                                             └── 描写的ジェスチャー ──┤
                                                                                                           └── 暗喩的ジェスチャー

 まず「エンブレム」とは,Vサイン,お辞儀,アッカンベー,ハイタッチなどの社会的に慣習化した記号を指す.言語における単語に近い.これに対して,完全に慣習化しているとはみなせない,発話に伴って自発的に表出する身振りが「自発的ジェスチャー」である.
 自発的ジェスチャーのうちの「拍子(ビート)」は,指で拍子を取るような動きに代表されるもので,談話構築的機能を有しているとされる.「表象的ジェスチャー」は,時空間の類似性・隣接性に基づくものであり,「直示的ジェスチャー」と「描写的ジェスチャー」に下位区分される.
 直示的ジェスチャーの代表は指差しである.描写的ジェスチャーは,指示対象の形態,動作,位置関係などを再現しようとする「映像的ジェスチャー」と,抽象的な内容を空間上に視覚化して描写する「暗喩的ジェスチャー」に分けられる.例えば,「山」を表わすのに両手で山の形を作るのは映像的 (iconic) であり,時間の経過を示すのに手を何らかの方向に動かすのは暗喩的 (metaphoric) である.

 ・ 片岡 邦好 「第5章 マルティモーダルの社会言語学 ――日・英対照による空間ジェスチャー分析の試み――」『社会言語学』井上 逸兵(編),朝倉書店,2017年.82--106頁.

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2017-04-25 Tue

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2920. Gibraltar English [world_englishes][variety][history][spanish]

 Gibraltar は,スペインの南西岸,地中海と大西洋が出会うジブラルタル海峡 (the Strait of Gibraltar) を臨む半島である.イギリスの海外領であり,軍事基地となっている.芦ノ湖とほぼ同じ6.8平方キロメートルの面積に約3万人がほど住んでおり,その3分の1がイギリス人(主として軍事関係者),3分の2が南ヨーロッパ,北アフリカ,イギリスの混合ルーツをもつ人々である.住民の大多数が英語を母語としており,「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1]) でも示したように,ENL (English as a Native Language) 地域に数えられる.ただし,英語を公用語としているものの,スペイン語も広く話され,ほとんどの人々がバイリンガルである.

Map of Gibraltar

 ジブラルタルの領土は,1713年,スペイン継承戦争の戦後処理を通じてスペインからイギリスへ割譲され,1830年に英植民地とされた.スペインはジブラルタルの領有権を主張し続けてきたが,ジブラルタル人は一般に自らをイギリス人とみなしている.
 ジブラルタル英語は,RP の発音をもつ標準イギリス英語であり,non-rhotic である.しかし,労働者の話す変種はスペイン語の影響を受けており,例えば語頭の /s/ の前に母音が挿入されて espoon (for spoon), estreet (for street) のように発音される (McArthur 440--41) .スペイン語のほか,イタリア語ジェノバ方言やヘブライ語からの影響も混じっており,その英語変種は Yanito (Llanito) と呼ばれることもある.
 目下,イギリスのEU離脱に関連してEUが発表している指針の草案について,ジブラルタルが猛反発を示しているという.草案ではイギリス離脱後のジブラルタルの地位について「スペインと英国の合意」が必要である旨が明記されており,その草案作成の背後にスペインの要望と圧力があったと考えられているからだ.
 イギリスがジブラルタルを獲得することになった1713年のユトレヒト条約は,旧大国スペインの退潮と新大国イギリスの飛躍を決定づけた.イギリスが地中海と大西洋に睨みを利かせられるようになり,世界の海を股に掛ける大英帝国への本格的展開の端緒ともなった.英語の世界的拡大におおいに貢献することになった点で,英語史上にも意義の深い年である.

 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.

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2017-04-24 Mon

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 のこの日

#2919. 日本語の同音語の問題 [homonymy][homophony][kanji][japanese][antonymy]

 日本語に漢字を用いた同音語があまたあることは,「#285. 英語の綴字と漢字の共通点 (2)」 ([2010-02-06-1]),「#539. 同音異義衝突」 ([2010-10-18-1]),「#717. 同音異義衝突に関するメモ」 ([2011-04-14-1]),「#2914. 「日本語は畸型的な言語である」」 ([2017-04-19-1]) で話題にしたが,とりわけ混乱のもととなるのは,同じ文脈で用いられ得る同音語である.私立と市立,偏在と遍在,好天と荒天などは,むしろ反意語ともいうべき同音語のペアであり,ヒントとなる文脈がない限り,頼りとなるのは漢字のみである.ここでは,音声メディアでの識別は諦めて,書記メディアに任せることが前提とされている.日本語が,「ラジオ型言語」ではなく「テレビ型言語」と称される所以だ(「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]) を参照).
 しかし,実はもう1つの方法がある.例えば私立と市立のペアについては,訓読みを活用して「わたくしりつ」と「いちりつ」と音読し分けることができる.偏在と遍在,好天と荒天のペアではこのような読み分けの慣用は育っていないが,慣用があるものも少なくない.では,慣用があれば便利だから問題がないかといえば,高島 (154--55) はそうは考えていない.むしろ,そのような慣用の発達のもとにある,テレビ型の同音語の存在そのものが問題であると論じている.

 たとえば「ワタクシリツ(私立)の学校」と「イチリツ(市立)の学校」,「モジテン(字典)」と「コトバテン(辞典)」と「コトテン(事典)」,「エコーギョー(工業)」と「ヤマコーギョー(鉱業)」と「オコシコーギョー(興業),「イトノセーシ(製糸)」と「カミノセーシ(製紙)」,「ワタクシノシアン(私案)と「ココロミノシアン(試案)」等々.
 おもしろいのは,日本人がこういう言いかえや注釈つけをめんどうがらず,むしろたのしげにやっていることさえあることだ.まぎらわしいし,誤解のもとだからこういうことばは廃止しよう,と言う人はめったにいない.むしろ,わざわざまぎらわしい同音の語をあらたにつくる.「字典」「辞典」があるところへもう一つ「事典」をつくる.高等学校の略語「高校」がすでにあるのに,工業高等学校も「工高」と略称する.「排外思想」ということばがすでにあるのに,「拝外思想」ということばをまたつくる.すでに「企業」があるのに,さらにもうひとつ「起業」をつくる(もともと「企業」の意がいま言う「起業」とおなじことなのである.またもしあらたに事業をおこすという特に重点をおいて言いたいのならすでに「創業」という語がある).まぎらわしい同音の語がふえるのをたのしんでいるかのようである.
 音がおなじでも文字がちがえば別,というのが,日本人にとっては,わざわざ言うまでもない当然のことなのである.だから,いくら同音の語ができても平気なのだ.


 日本語母語話者は,日本語がテレビ型言語であることを受け入れ,その問題点にも気づかず,むしろそれを楽しむかのように利用している.多くの人は,指摘されるまで気にしたこともないだろう.確かに,これは驚くべき特異な言語習慣である.

 ・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.

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