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2026-10-16 Fri
■ #6381. hellog は新サイト helhoard.com へ引っ越します [notice][hellog][helhub][heldio][helkatsu][helhoard][link]
本ブログ「hellog~英語史ブログ」は,本日より新しいサイト https://helhoard.com/ を正式な住所とすることになりました.
2009年5月1日の「#1. 英語史ブログを開始」 ([2009-05-01-1]) 以来,17年半にわたって,本ブログは所属大学のHP公開サービスのもとで運営してきました.しかし,長らくお世話になってきたこのサービスが運用終了となり,2027年4月以降は読み取り専用となった後,いずれ完全に停止される予定です.そこで,この機に新しい住所を構えることにしました.
新サイトで変わるのは URL の前半部分だけです.例えば,冒頭で触れた第1号記事の URL は,次のように変わります.
・ 旧:http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2009-05-01-1.html
・ 新:https://helhoard.com/2009-05-01-1.html
記事の番号や日付,カテゴリ,URL の後半部分はこれまでと同じです.6,000本を超える過去記事も,すべてそのまま新サイトで読むことができます.
旧 URL にアクセスした場合も,自動的に新サイトの同じページへ転送されるように設定しています.これまでに張られたリンクや,拙著資料などに記載した URL からも,当面はそのまま辿り着けます.ただし,旧サーバーが2027年の夏以降などに完全に停止すると,この転送も働かなくなります.お手数ですが,ブックマークやリンクは新しい URL に更新していただけますと幸いです.
RSS で本ブログを購読している方は,新しいフィード https://helhoard.com/cl.rdf への切り替えをお願いいたします.また,英語史関連の各種メディアの更新情報を一覧できる「The HEL Hub」も,https://helhoard.com/helhub/ に移転しています.
住所は変わりますが,毎日英語史の話題をお届けするという本ブログのスタイルは,これからも変わりません.むしろ,新サイトへの移転を機に,「hel活」をさらに拡充していく予定です.新サイト helhoard.com の hellog,そして拡充版のhel活も,応援のほど,よろしくお願いいたします.
新サイトのドメイン名に含まれる "helhoard" は,"The History of the English Language as a Hoard" ほどの意図があります.英語史は,知識の蓄積であり宝庫ですので!
2026-10-15 Thu
■ #6380. 月刊誌『英語教育』の「いのほた連載」第8回 --- 英語は1つではない [inohota][ippeiinoue][youtube][inohota_rensai][sociolinguistics][accommodation_theory][audience_design][style][notice][hel_education][inohotanaze]

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月刊誌『英語教育』(大修館書店)にて,同僚の井上逸兵さん(慶應義塾大学教授)とともに「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点」を連載しています.10月14日発売の11月号に,第8回記事「英語は1つではない ―― 相手と場面で変わる「話し方」」が掲載されました.今回のメイン執筆者は井上逸兵さんです.
電話に出た瞬間,相手が家族から上司に変わった途端に声のトーンまで変わる,というだれもが経験する現象を入り口に,井上さんは,「英語が話せるようになりたい」というときの「英語」が,まるで1種類しかないかのように扱われがちであることに注意を促しています.私たちは日本語を話すときでさえ,先生と話すとき,友人と話すとき,家族と話すときとで,語彙も文の長さも声の高さも巧みに使い分けています(社会言語学でいう style-shifting).ところが外国語となると,教科書で覚えた1つの話し方をどの相手にも使い続けてしまい,妙に浮いてしまうことが起こりやすいという指摘には膝を打ちました.
議論の軸となるのは,2つの社会言語学の理論です.1つは Howard Giles らのコミュニケーション適応理論(Communication Accommodation Theory.cf. 「#1935. accommodation theory」 ([2014-08-14-1]))で,相手との距離を縮めたいときにはことばを相手に近づけ(convergence),逆に距離を置きたいときにはあえて離す(divergence)という話し方の調整を説明するものです.もう1つは Allan Bell のオーディエンス・デザイン(audience_design.cf. 「#1934. audience design」 ([2014-08-13-1]))で,直接話しかけている相手だけでなく,傍らで聞いている第3者の存在までもが話し方を左右し得ることを教えてくれます.
「英語には日本語のような敬語がないのではないか」という誤解にも言及があります.英語にも Could you...? や Would you mind...? のような丁寧表現はありますが,それだけではありません.声の高さ・速さ・強さ・間の取り方といったプロソディ (prosody) が丁寧さの重要な担い手になっている点は,日本語母語話者にはかえって気づきにくい盲点でしょう.「英語ができる」とは,1種類の正しい英語をいつも同じように出せることではなく,相手や場面を見ながら少しずつことばを動かしていける能力そのものだ,と締めくくられています.
記事の末尾には,恒例の相方からの一言として,私もコメントしています.
ぜひ全国の書店やオンライン書店にて,『英語教育』11月号を手にとっていただければと思います.
・ 井上 逸兵・堀田 隆一 「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点 第8回 「英語は1つではない ―― 相手と場面で変わる「話し方」」『英語教育』2026年11月号,大修館書店,2026年10月14日.60--61頁.
2026-10-14 Wed
■ #6379. B&C の第66節 "The Extent of the Influence" (1) --- Taku さんとの超精読会 [bchel][oe][vocabulary][lexicology][latin][loan_word][borrowing][link][voicy][heldio][helwa]
今回の超精読会は,450,100,350という3つの数字をめぐる読み解きから始まりました.Baugh and Cable の A History of the English Language, 6th ed. は,6回にわたって精読してきた第65節を終え,いよいよ第66節 "The Extent of the Influence" に入ります.キリスト教の伝来によるラテン語の影響は,結局のところ「どれほどの規模」だったのか.その総括にあたる節です.配信回は「#1963. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (66-1) with Taku さん --- オンラインオフ会より」.今回も,Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)と1文ずつ読み進めています.まずは今回精読した英文を掲げます (Baugh and Cable, p. 87) .
To be sure, the extent of a foreign influence is most readily seen in the number of words borrowed. As a result of the Christianizing of Britain, some 450 Latin words appear in English writings before the close of the Old English period. This number does not include derivatives or proper names, which in the case of biblical names are very numerous. But about 100 of these were purely learned or retained so much of their foreign character as hardly to be considered part of the English vocabulary. Of the 350 words that have a right to be so considered, some did not make their way into general use until later --- were, in fact, reintroduced later. On the other hand, a large number of them were fully accepted and thoroughly incorporated into the language. The real test of a foreign influence is the degree to which the words that it brought in were assimilated.
古英語期の終わりまでに英語の文献に現われたラテン借用語は,およそ450語.ここには派生語や固有名詞は含まれていません.聖書由来の人名などを数え入れれば膨大な数になるはずですが,それは除外されています.さらに,そのうち約100語は学術的な語にとどまるか,外来語としての性格をあまりに強く残していたため,英語の語彙の一部とは見なしがたいものです.残る350語こそが,英語の語彙として認めてよい語ということになります.
しかし,その350語も一枚岩ではありません.一般に広まるのが後の時代までずれ込み,実質的には中英語期以降に「再借用」されたものも含まれているからです.古英語期に一度入ったからといって,その語が現代まで途切れずに使われ続けてきたとは限らない.借用語の数を数えるという一見単純な作業が,実は語の借用のされ方の質を問う作業と切り離せないことがよく分かります.古英語のラテン借用語の数そのものについては,「#5564. 古英語のラテン語からの借用語はせいぜい数百語」 ([2024-07-21-1]) や「#3789. 古英語語彙におけるラテン借用語比率は1.75%」 ([2019-09-11-1]) もご参照ください.中英語期以降の怒濤の借用と比べれば,規模としてはつつましいものです.
そして段落の最後の1文で,B&C は議論の軸を数から質へと切り替えていきます.外国語の影響を測る本当の試金石は,持ち込まれた語がどの程度「同化」されたかにある,と.では,同化したとはどういう状態を指すのか.その具体的な中身は,次回の精読で明らかになります.
この B&C 超精読シリーズの過去回へのリンクは,「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) にまとまっています.新しい節の始まりは,途中から参加するのにちょうどよいタイミングです.原書を手元に,音声を副読本としてお付き合いいただければ.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
2026-10-13 Tue
■ #6378. ハドリアヌスの長城と英語史 [hadrians_wall][roman_britain][tabihel][tabihel_scotland][helwa][history][scots]

1900年前の壁は,英語をイングランドに閉じ込めることになる壁だったのだろうか? 今では何もない草原に立って,そんなことを考えてみた.
「旅hel」 (tabihel) シリーズのスコットランド編より.この8月,イングランドからスコットランドへと北上するドライブの途中で(cf. 「#6322. スコットランドの入り口,駆け落ち婚の名所 Gretna Green のトイレ」 ([2026-08-18-1])),Hadrian's Wall (ハドリアヌスの長城)の跡地の1つに立ち寄った.たどり着く直前の最後のストレッチは,ひなびた田舎道である.1マイルほど真っ直ぐに続く道には車も人影もなく,時速100キロ以上で走れてしまうほどだった.着いたところは,何もない丘陵地.ここが壁の跡地の1つだという.夕方だったので visitor centre はすでに閉まっていた.すれ違ったのは,少数のハイカーのみ.ビデオを回し,写真を撮った.上の写真には壁の痕跡すら見えない.かつて壁があったはずの平原が広がっているだけだ.このひなびた何もない感じが哀愁を誘う.
ハドリアヌスの長城は,ローマ皇帝 Hadrian の命により,122年頃から建設が始まった防壁である.ブリテン島の東の Tyne 川河口付近から西の Solway 湾まで,島を横断するように約120キロにわたって築かれた.ローマ軍のブリテン島北方への進出は,おおむねこのラインで止まったことになる(その後,一時はさらに北に Antonine Wall が築かれたが,長くは維持されなかった).ローマン・ブリテン (roman_britain) の概略については「#3786. ローマン・ブリテンの略年表と地図」 ([2019-09-08-1]) を参照されたい.
このことは,後の英語史との関係でも興味深い.長城は現在のイングランドとスコットランドの国境線にほど近いところを走っており,南側の影響力が,この地点より北側へは及びにくかったことは,その後の1800年の歴史が証明している.ここから北はピクト人の地であり,後のスコットランドの領域である.5世紀以降に大陸から渡ってきたアングロサクソン人の言語,すなわち英語は,やがてこの線を越えて北へも入り込みはした.しかし,そこで発達したのは,結局のところ English ではなく Scots だった.Scots と English の関係については「#6216. Scots は English とは別の言語なのか,あるいは1方言か」 ([2026-05-04-1]) や「#6205. Scots の歴史に注目すべき理由」 ([2026-04-23-1]) で取り上げた通りである.
もちろん,ローマ人が去ってから英語がブリテン島にやってくるまでには時間差があり,長城そのものが英語の北進を物理的に阻んだわけではない.それでも,約1900年前の侵略の北限と,現在のブリテン島における English と Scots の分布とが,おおよそ重なり合って見えるのは興味深い.地理の制約,政治の境界,そして言語の境界が,長い時間をかけて同じあたりに落ち着いてきたかのようだ.
何もない平原だが,ここがかつて国境だったのか.いや,今でも何らかの境なのだな,と思いながら平原を眺めた.
このテーマについては,3年前に helwa (helwa) でも語っていたことを思い出した.「【英語史の輪 #36】ハドリアヌスの長城と英語史」(2023年10月3日配信)もあわせてどうぞ.
2026-10-12 Mon
■ #6377. 『ケルズの書』とともに味わいたい至宝 --- Tara Brooch と Ardagh Chalice [dublin][tabihel][ireland][christianity][bchel][oe][latin][anglo-saxon][history][tabihel_dublin]
ダブリンの英語史に関連する場所を訪ねて歩く「旅hel」 (tabihel) シリーズ.「#6373. アイルランドの至宝『ケルズの書』を訪ねて --- The Book of Kells」 ([2026-10-08-1]) に続き,先月ダブリンで訪ねてきた至宝を取り上げたい.ダブリン中心部の Kildare Street に面したアイルランド国立博物館(考古学館)の至宝といえば,Tara Brooch と Ardagh Chalice の2つが挙げられる.

まずは Tara Brooch.外套を留めるための装飾ブローチで,紀元700年前後の作とされる.19世紀半ばに Meath 州の海岸近くで発見されたもので,実はアイルランド上王の座として名高い Tara の丘とは直接の関係はない.由緒ありげな名前を付けて売り出そうという動機で命名されたものだという.銀をベースに,金線細工,琥珀,ガラスで飾られた小さな円環のなかに,渦巻文様,組紐模様,動物文様がぎっしりと詰め込まれている.身につけたときには見えないはずの裏面にまで精緻な装飾が施されており,オシャレの極致だ.

続いて Ardagh Chalice.8世紀の作とされるミサ用の聖杯で,19世紀後半に Limerick 州 Ardagh 近郊の環状砦跡から発見された.銀の器に金線細工,七宝の装飾が配され,鉢の周りにはラテン語が刻まれている.簡素で端正な器形と,細部の贅を尽くした装飾との対比が見所だ.
2つの至宝は,時代的にも意匠的にも,『ケルズの書』と同じ文脈で鑑賞することができる.ケルト古来の渦巻文様,アングロサクソン的な組紐模様と動物文様,そして地中海世界のキリスト教的モチーフが各々の作品のなかで融合し完結しているのだ.いずれも,アイルランド・キリスト教が様々な文化の影響を受けて最も輝いていた,8世紀を中心とする時期の産物である.『ケルズの書』ではフォリオの上で展開されていた繊細な美意識が,金属細工にもそのまま息づいていることが分かる.
英語史にとって重要なのは,アイルランド・キリスト教の伝統がアイルランドに閉じていなかったことである.アイルランド系の修道士たちは Iona を拠点とし,さらにブリテン島北部の Lindisfarne へと進出した.Northumbria を中心とするブリテン島北部はこの島嶼キリスト教の流れを受け継ぎ,前回の記事でも触れた Lindisfarne Gospels に代表される古英語期のキリスト教文化を育んでいった.南から入った Augustine 以来のローマ系の伝道と並んで,この北からの流れが,アングロサクソン人のキリスト教化を支えたのである.
そして,アングロサクソンのキリスト教化はそのままラテン語の英語への流入を意味した.ラテン語はキリスト教という文化の乗り物だったのである.キリスト教とともに古英語に流れ込んだラテン借用語の数々,そしてラテン語のインスピレーションを受けつつも直接的な借用に頼らず本来語を駆使して新概念を表現した古英語の創造性については,目下 Baugh and Cable の超精読会で読み進めているところである.以下の記事などを参照.
・ 「#5686. B&C の第60節 "Latin Influence of the Second Period" の第1段落を対談精読実況生中継しました」 ([2024-11-20-1])
・ 「#5962. B&C の第62節 "The Earlier Influence of Christianity on the Vocabulary" (1) --- Taku さんとの超精読会」 ([2025-08-23-1]
・ 「#6262. B&C の第64節 "Influence of The Benedictine Reform on English" (1) --- Taku さんとの超精読会」 ([2026-06-19-1])
・ 「#6300. B&C の第65節 "The Application of Native Words to New Concepts" (1) --- Taku さんとの超精読会」 ([2026-07-27-1])
ブローチと聖杯を眺めながら,千数百年前の島嶼世界の芸術的熱量が,めぐりめぐって間接的に現代の英語の語彙にも刻み込まれているのを感じていた.
2026-10-11 Sun
■ #6376. 形容詞,食事,時間,語順にまつわるクイズ --- sorami さんの『英語語源ハンドブック』クイズ第19弾 [note][hee][helkatsu][hel_education][quiz][collocation][word_order][voicy][heldio]
隔週土曜日という決まったリズムで届けられる sorami さんの語源クイズシリーズ,10月3日に第19弾「授業で使える! 中学生向け英語語源クイズ#19~英語の朝昼晩・語順その2~」が公開されました.気づけばシリーズも20回目が目前です.
今回は全9問.形容詞に始まり,食事と時間の言葉を経て,最後は語順の話題へと着地する構成です.ネタバレにならない範囲で,いくつかの問いを紹介しましょう.
冒頭は形容詞を答える軽ジャブ問題です.通時的な意味変化 (semantic_change) の話題も復習的に取り上げられます.
続いて,クイズは1日の食事と時間をめぐる語彙へと進みます.それぞれお馴染みの単語ですが,意外な語源をもっていることがわかります.朝昼晩の言葉を並べてみると,日々の暮らしの言葉にこそ歴史の層が厚く積み重なっていることに気づかされますね.この話題には,皆さん興味を抱くのではないでしょうか
time と結びつく動詞を選ばせる問題も勉強になります.例えば kill time のように,同じ time でも組み合わせる動詞によって表現の性格ががらりと変わるのがおもしろいところです.語彙を点ではなく,コロケーションという線で捉える感覚が養われます.
そして最後は,副題にある通り「語順その2」です.前回第18弾の語順の問題を受けて,今回はコスタリカやプエルトリコといったスペイン語地名を入口に,名詞と形容詞の並び順を世界の言語のなかで比べてみるという趣向です.英語の「形容詞+名詞」の順は,実は世界的に見れば当たり前ではない.そんな気づきを中高生が得られるとすれば,これほど贅沢なクイズはありません.
いつもの通り,sorami さんの note 記事では,「授業の小ネタ,ウォームアップ,グループ活動などに自由に使っていただければ幸いです.ALTの先生を巻き込むのもありですね!」と述べられています.問題版と解答版の PDF も用意されていますので,全国の英語教員の皆さん,ぜひ授業で活用してみてください.
sorami さんのクイズ・シリーズの主な典拠となっているのは,刊行から1年4ヶ月ほどが経つ『英語語源ハンドブック』(研究社)です.ご好評いただき,先日第4刷が出来したところです.今年の6月30日には物書堂より『英語語源ハンドブック』アプリ版 (iOS) も発売されていますので,ぜひこちらよりチェックしてみてください.今回のクイズをきっかけに,毎日口にする「朝昼晩」の英単語の語源にも興味を持っていただければ幸いです.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.
2026-10-10 Sat
■ #6375. Pittsburgh か Pittsburg か --- 地名の綴字論争 [ame][borough][spelling][standardisation][onomastics][toponymy][spelling_reform][orthography][gh][academy]
「#6371. 少なく見積もって80通りの綴字 --- borough」 ([2026-10-06-1]) や「#6372. 道路標識における Peterborough の省略綴字」 ([2026-10-07-1]) を書きながら思い出した話題の1つに,米国 Pennsylvania 州の都市 Pittsburgh の綴字をめぐるかつての論争がある.この地名の前半部分の Pitt は英国首相を務めた William Pitt (the Elder) にちなんだものだが,問題は後半要素の -burgh である.
拙訳『スペリングの英語史』の第7章「アメリカ式スペリング」に記述がある通り,米国の地名の綴字には,独立後の19世紀中もかなりの揺れがみられた.この状況を受けて,政府は地名の正書法を確立しようと「地理的名称に関する合衆国委員会」を設立した.当時の地名綴字をめぐる状況は,拙訳より少々長く引用するが,次の通りである(pp. 209--10) .
政府がスペリングを規制しようとする試みが成功を収めた一領域として,外来語をアメリカ式スペリングへ翻字したということがあった.これは地理的名称の場合には特に急を要することだった.地名においては,元来の形態がしばしば外国語に由来しており,固定したスペリングを採用することが実際的に必要とされたからだ.1890年には当時のベンジャミン・ハリソン大統領が地理的名称に関する合衆国委員会を設立し,その権限により政府官庁のなかでおよび地図類において統一した地名のスペリングを確定しようとした.この委員会の重要な機能は,アメリカ市民にとって発音の適切な案内役となるような地名のスペリングにすることだった.異綴りの問題,とりわけ外国語のスペリング習慣を用いた異綴りについては,ノア・ウェブスターが1803年のスペリング教本の序文で焦点を当てていたが,そこでは Ouisconsin (ウィスコンシン)や Ouabasche (ウォバッシュ)のような地名のフランス語のスペリングを保持することへの異論が唱えられた.
無学のアメリカ人は,このようにフランスの装いをした Ouisconsin や Ouabasche という名前の発音をどうして知りえようか.この発音が, Wisconsin や Waubash だと思うことがありえようか.われわれの市民は知りもしない正書法に,このように悩まされるべきではない.
1822年の地図で Wisconsin のスペリングが採用され,1845年の決議文ではこのスペリングが正しいと宣言されたものの,地理的名称に関する合衆国委員会が1901年に公刊した報告書でも,ウィスコンシン川について 'Wisconsin; river in Wisconsin (Not Ouisconsin, nor Wiskonsin)' (ウィスコンシン --- ウィスコンシンの川〔Ouisconsin でも Wiskonsinでもない〕)と注記されている.アメリカ先住民の言語からとられた名前もアメリカ化の過程を経て,より慣れたスペリング習慣に従うことになった.たとえば,Unéaukara(ナイアガラ) は現在では Niagara であり,Mauwauwaming (ワイオミング)は Wyoming となった一方で,Machihiganing (ミシガン)は Michigan となった.そのような名前がすべてこのようにアメリカ化したわけではなかった.多くのアメリカ先住民の名前は生き残っており,不注意な人が罠にはまってしまうような豊かで複雑怪奇な子音字の組み合わせを保存している.Tallahassee (タラハシー),Susquehanna (サスケハナ),Mississippi (ミシシッピ),Allegheny (アレゲーニー),Massachusetts (マサチューセッツ)などである.
このように,委員会の力は必ずしも強くなかったようだ.この辺りの事情は,英語圏において言葉の標準を定めるアカデミーが設立された試しが歴史上ないという事実にも通じており,興味深い.
そして,問題の Pittsburgh について,続く箇所を引用したい (p. 210) .
同委員会は, 今日のアメリカの地名にいまだ影響力の見られるような他の改革の導入にも功績があった.たとえば,borough (市)という語は boro と省略され,イギリス地名 Marlborough(マールボロ)とアメリカ地名 Marlboro の対比を生み出した.さらなる変化としては, burgh の語末の <h> を落として,Gettysburg(ゲティスバーグ) や Williamsburg(ウィリアムズバーグ) のような名前を生み出しもした.しかし,Pittsburgh (ピッツバーグ)は例外であり,語末の <h> を伴って綴らなければならない.これは,ピッツバーグ市民たちが故郷の町のスペリングを変えるのを拒んだからである.委員会はついに 1911年に態度を軟化させ,伝統的なスペリングを保存することを許可したが,同時にアメリカの地名のなかで最もよく綴り間違えられるスペリングとなってしまった.
この論争を知ってしまってからというもの,(いなそれ以前から?)私は borough 系の要素をもつ地名を綴る際には常に自信がなくなってしまった.
・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.
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| 最終更新時間 | 2026-10-16 05:00 |
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