著名なグリムの法則 (grimms_law) には,提案された当時より,様々な例外があることが気づかれていた.最も有名なのはヴェルネルの法則 (verners_law) に関する例外だが,もう1つグラスマンの法則 (grassmanns_law) というものがある.『新英語学辞典』 '(209--300) より,該当の解説を引く.
次に発見された例外は,通常グラスマンの法則 (Grassmann's law) と呼ばれるものである.ある系列の印欧語の対応は Grimm が設定した型に合致せず,説明が困難であったが,Herman Grassmann (1809--77) はギリシア語やサンスクリットのデータを調べ,これらの言語では例外的に不規則な対応を発達させたことを明らかにした.例えば
Goth. Skt -biudan 'offer' bódhāmi 'notice' dauhtar 'daughter' duhitā' gagg 'street' jánghā 'leg'
等の対応において,グリムの法則によればゲルマン語の b, d, g に対応するサンスクリットの語頭は帯気音 (bh, dh, gh) でなければならないのに非帯気音である.Grassmann は,これはギリシア語およびサンスクリットにおいて,二つの隣接する音節で帯気音が続いたとき,どちらか一つは異化 (DISSIMILATION) によって非帯気音になる現象のせいであることを発見した.ここにおいて言語学者は,単音の特徴や音声環境だけでなく,相接する音節との関係にも注意しなければならないことを知ったのである.
Bussmann の用語辞典からも引いておこう (198--99) .
Grassmann's law (also dissimilation of aspirates)
Discovered by Grassmann (1863), sound change occurring independently in Sanskrit and Greek which consistently results in a dissimilation of aspirated stops. If at least two aspirated stops occur in a single word, then only the last stop retains its aspiration, all preceding aspirates are deaspirated; cf. IE *bhebhoṷdhe > Skt bubodha 'had awakened,' IE *dhidhēhmi > Grk títhēmi 'I set, I put.' This law, which was discovered through internal reconstruction, turned a putative 'exception' to the Germanic sound shift (⇒ 'Grimm's law). . . into a law.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics''. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.
以前に「#1511. 古英語期の sc の口蓋化・歯擦化」 ([2013-06-16-1]) で取り上げた話題.古英語の2重字 (digraph) である <sc> について,依拠する文献を Prins に変え,そこで何が述べられているかを確認し,理解を深めたい.Prins (203--04) より引用する.
7.16 PG sk
PG sk was palatalized:
1. In initial position before all vowels and consonants:
OE Du sčēap 'sheep' schaap WS sčield A scčeld 'shield' schild sčēawian 'to show' schouwen G schauen sčendan 'to damage' schenden sčrud 'shroud'
2. Medially between palatal vowels and especially when followed originally by i(:) or j:
þrysče 'thrush'
wysčean 'to wish'
3. Finally after palatal vowels:
æsč 'ash'
disč 'dish'
Englisč 'English'
古英語研究では通常,口蓋化した <sc> の音価は [ʃ] とされているが,Prins (204) の注によると,本当に [ʃ] だったかどうかはわからないという.むしろ [sx] だったのではないかと議論されている.
Note 2. In reading OE we generally read sc(e) as [ʃ], but there is no definite proof that this was the pronunciation before the ME period (when the French spelling s, ss is found, and the spelling sh is introduced).
In Ælfric sc alliterates with sp, and st. So s must have been the first element. The second element cannot have been k, since Scandinavian loanwords (which must have been adopted in lOE) still have sk: skin, skill.
The pronunciation in OE was probably [sx]. Cf. Dutch schoon [sxo:n], schip [sxip], which in the transition period to eME or in eME itself, must have become [ʃ].
・ Prins, A. A. A History of English Phonemes. 2nd ed. Leiden: Leiden UP, 1974.
father という単語は,比較言語学でよく引き合いにだされる語の代表格だ.ところがなのか,だからこそなのか,この語形を音韻論・形態論的に説明するとなるとかなり難しい.現在の語形は音変化の結果なのか,あるいは類推の結果なのか.おそらく両方が複雑に入り交じった,ハイブリッドの例なのか.基本語ほど,語源解説の難しいものはない.
ここでは Fertig (78) の contamination 説を引用しよう.ただし,これは1つの説にすぎない.
The d > ð change in English father (<OE fæder is a popular example of contamination). (The parallel case of mother is cited less often in this context, for reasons that are not entirely clear to me.) The claim is that, by regular sound change, this word should have -d- rather than -ð- both in Old English (as it apparently did) and in Modern English (as is clearly does not). The -ð- in Modern English is thus attributed to contaminating from the semantically related word brother, which has had -ð- throughout the history of English . . . .
father の第2子音を説明するというのは,英語史上最も難しい問題の1つといってよい.なぜ father が father なのか,その答えはまだ出ていない.以下,関連する記事を参照.
・ 「#480. father とヴェルネルの法則」 ([2010-08-20-1])
・ 「#481. father に起こった摩擦音化」 ([2010-08-21-1])
・ 「#698. father, mother, brother, sister, daughter の歯音 (1)」 ([2011-03-26-1])
・ 「#699. father, mother, brother, sister, daughter の歯音 (2)」 ([2011-03-27-1])
・ 「#703. 古英語の親族名詞の屈折表」 ([2011-03-31-1])
・ 「#2204. d と th の交替・変化」 ([2015-05-10-1])
・ 「#4230. なぜ father, mother, brother では -th- があるのに sister にはないのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-25-1])
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
新年度より,朝日カルチャーセンター新宿教室にてシリーズ講座「語源辞典でたどる英語史」を月に一度のペースで開講しています.
これまでに第1回「語源辞典でたどる英語史」を4月27日(土)に,第2回「英語語彙の歴史を概観する」を5月8日(土)に開講しましたが,それぞれ驚くほど多くの方にご参加いただき盛会となりました.ご関心をお寄せいただき,たいへん嬉しく思います.
第3回「英単語と「グリムの法則」」は来週末,6月8日(土)の 17:30--1900 に開講されます.シリーズを通じて,対面・オンラインによるハイブリッド形式での開講となり,講義後の1週間の「見逃し配信」サービスもご利用可能です.シリーズ講座ではありますが,各回はおおむね独立していますし,「復習」が必要な部分は補いますので,シリーズ途中からの参加でも問題ありません.ご関心のある方は,こちらよりお申し込みください.
2回かけてのイントロを終え,次回第3回は,いよいよ英語語彙史の各論に入っていきます.今回のキーワードはグリムの法則 (grimms_law) です.この著名な音規則 (sound law) を理解することで,英語語彙史のある魅力的な側面に気づく機会が増すでしょう.グリムの法則の英語語彙史上の意義は,思いのほか長大で深遠です.英語語彙学習に役立つことはもちろん,印欧語族の他言語の語彙への関心も湧いてくるだろうと思います.『英語語源辞典』(研究社,1997年)をはじめとする語源辞典や,一般の英語辞典も含め,その使い方や読み方が確実に変わってくるはずです.
講座ではグリムの法則の関わる多くの語源辞典で引き,記述を読み解きながら,実践的に同法則の理解を深めていく予定です.どんな単語が取り上げられるかを予想しつつ講座に臨んでいただけますと,ますます楽しくなるはずです.『英語語源辞典』をお持ちの方は,巻末の「語源学解説」の 3.4.1. Grimm の法則,および 3.4.2. Verner の法則 を読んで予習しておくことをお薦めします.
参考までに,本シリーズに関する hellog の過去記事へのリンクを以下に張っておきます.第3回講座も,多くの皆さんのご参加をお待ちしております.
・ 「#5453. 朝カル講座の新シリーズ「語源辞典でたどる英語史」が4月27日より始まります」 ([2024-04-01-1])
・ 「#5481. 朝カル講座の新シリーズ「語源辞典でたどる英語史」の第1回が終了しました」 ([2024-04-29-1])
・ 「#5486. 5月18日(土)の朝カル新シリーズ講座第2回「英語語彙の歴史を概観する」のご案内」 ([2024-05-04-1])
(以下,後記:2024/05/30(Thu))
・ 寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
現代日本語の慣習によれば,平仮名の「か」に対して「が」,「さ」にたいして「ざ」,「た」に対して「だ」のように濁音には濁点が付される.阻害音について,清音に対して濁音ヴァージョンを明示するための発音区別符(号) (diacritical_mark) だ.ハ行子音を例外として,原則として無声音に対して有声音を明示するための記号といえる.濁点のこの使用方針はほぼ一貫しており,体系的である.
一方,英語の摩擦音3対 [f]/[v], [s]/[z], [θ]/[ð] については,正書法上どのような書き分けがなされているだろうか.この問題については,1ヶ月ほど前に Mond に寄せられた目の覚めるような質問を受け,それへの回答のなかで部分的に議論した.
・ boss ってなんで s がふたつなの?と8歳娘に質問されました.なんでですか?
[f] と [v] については,それぞれ <f> と <v> で綴られるのが大原則であり,ほぼ一貫している.of [əv] のような語はあるが,きわめて例外的だ.
[s] と [z] の書き分けに関しては,上記の回答でも,かなり厄介な問題であることを指摘した.<s>, <ss>, <se>, <ce>; <z>, <zz>, <ze> などの綴字が複雑に絡み合ってくるのだ.なるべく書き分けたいという風味はあるが,そこに一貫性があるとは言いがたい.
[θ] と [ð] に至っては,いずれも <th> という1種類の綴字で書き表わされ,書き分ける術はない.歴史的にいえば,書き分けようという意図も努力も感じられなかったとすらいえる.
以上より序列をつければ,
・ 仮名の濁点を利用した書き分けは「トップ合格」
・ [f]/[v] の書き分けは「合格」
・ [s]/[z] の書き分けは「ギリギリ及第」
・ [θ]/[ð] の書き分けは「落第」
となる.この序列づけのインスピレーションを与えてくれたのは Daniels (64) の次の1文である,
Phonemic split sometimes brings new letters or spellings (e.g. Middle English <v> alongside <f> when French loans caused voicing to become significant; cf. also <vision> vs <mission>), sometimes not---English used <ð> and <þ> indifferently, even in a single manuscript, for both the voiced and voiceless interdentals, a situation persisting with Modern English <th> due to low functional load. Japanese, on the other hand, uses diacritics on certain kana for the same purpose.
なお,今回の話題については,先行して Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) の配信回「【英語史の輪 #95】boss ってなんで s が2つなの?」(2月17日配信)で取り上げている.
・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.
一昨日配信した YouTube の「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の最新回は「#169. なぜ Z はアルファベットの最後に追いやられたのか? --- 時代に翻弄された日陰者 Z の物語」です.歴史的に「日陰者 Z」と称されてきたかわいそうな文字にスポットライトを当て,12分ほど集中して語りました.これで Z が多少なりとも汚名返上できればよいのですが.
z の文字については,この hellog,および Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」等の媒体でも,様々に取り上げてきました.Z の汚名返上のために助力してきた次第ですが,さすがに Z に関する話題はこれ以上見つからなくなってきましたので,ネタとしてはいったん打ち切りになりそうです.
これまでの Z の推し活の履歴を列挙します.
[ hellog ]
・ 「#305. -ise か -ize か」 ([2010-02-26-1])
・ 「#314. -ise か -ize か (2)」 ([2010-03-07-1])
・ 「#446. しぶとく生き残ってきた <z>」 ([2010-07-17-1])
・ 「#447. Dalziel, MacKenzie, Menzies の <z>」 ([2010-07-18-1])
・ 「#799. 海賊複数の <z>」 ([2011-07-05-1])
・ 「#964. z の文字の発音 (1)」 ([2011-12-17-1])
・ 「#965. z の文字の発音 (2)」 ([2011-12-18-1])
・ 「#1914. <g> の仲間たち」 ([2014-07-24-1])
・ 「#2916. 連載第4回「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」」 ([2017-04-21-1])
・ 「#2925. autumn vs fall, zed vs zee」 ([2017-04-30-1])
・ 「#4990. 動詞を作る -ize/-ise 接尾辞の歴史」 ([2022-12-25-1])
・ 「#4991. -ise か -ize か問題 --- 2つの論点」 ([2022-12-26-1])
・ 「#5042. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第24回(最終回)「アルファベット最後の文字 Z のミステリー」」 ([2023-02-15-1])
[ heldio (Voicy) ]
・ 「#171. z と r の発音は意外と似ていた!」 (2021/11/18)
・ 「#540. Z について語ります」 (2022/11/22)
・ 「#541. Z は zee か zed か問題」 (2022/11/23)
[ helsta (stand.fm) ←数日前に始めました ]
・ 「#3. 動詞を作る接尾辞 -ize の裏話」 (2023/10/08)
ただし,いずれ Z に関する新ネタを仕込むことができれば,もちろん Z の汚名返上活動に速やかに戻るつもりです.皆様,これからも Z にはぜひとも優しく接してあげてくださいね.
「#5268. 大石晴美(編)『World Englishes 入門』(昭和堂,2023年)」 ([2023-09-29-1]) で紹介したこちらの本の序章において,標準英語で用いられる子音や母音の音素が,世界英語の諸変種では母語からの影響を受けて異なる発音で代用される例が挙げられている.
まず「子音が母語からの影響を受ける例」を挙げてみよう (12) .
子音の変容 | 英語変種 |
---|---|
[θ] [ð] を [t] [d] で代用(歯摩擦音が歯茎閉鎖音になる) | インド英語 [th],ガーナ英語,フィリピン英語,シンガポール英語,マレーシア英語,日本の英語,モンゴルの英語,ミャンマーの英語 |
[θ] [ð] を [s] [z] で代用(歯摩擦音が歯茎摩擦音になる) | ドイツの英語,スロベニアの英語,韓国の英語 [s],日本の英語,モンゴルの英語 |
[f] を [p] で代用(唇歯摩擦音が両唇閉鎖音になる) | フィリピン英語,韓国の英語 [ph],モンゴルの英語,ミャンマーの英語 |
[v] と [w] の区別をしない | ドイツの英語,フィンランドの英語,インド英語,中国語母語話者の英語,モンゴルの英語 |
母音の変容・添加 | 英語変種 |
---|---|
二重母音が長母音になる | ジャマイカ英語,インド英語 |
二重母音が短い単母音になる | ガーナ英語,フィリピン英語,シンガポール英語,マレーシア英語 |
子音の後に母音が入る | 韓国の英語,日本の英語,モンゴルの〔英〕語 |
長母音と短母音の区別をしない | フィリピン英語,シンガポール英語,マレーシア英語,韓国の英語,スロベニアの英語 |
・ 大石 晴美(編) 『World Englishes 入門』 昭和堂,2023年.
古英語の人名の愛称 (hypocorism) の特徴は何か,という好奇心をくするぐる問いに対して,Clark (459--60) が先行研究を参考にしつつ,おもしろいヒントを与えてくれている.主に音形に関する指摘だが,重子音 (geminate) が目立つのだという.
Clearly documented hypocoristics often show modified consonant-patterns . . . . Thus, the familiar form Saba (variant: Sæba) by which the sons of the early-seventh-century King Sǣbeorht (Saberctus) of Essex called their father showed the first element of the full name extended by the initial consonant of the second, in a way perhaps implying that medial consonants following a stressed syllable may have been ambisyllabic . . . . In the Germanic languages generally, a consonant-cluster formed at the element-junction of a compound name was often simplified in the hypocoristic form to a geminate, Old English examples including the masc. Totta < Torhthelm, the fem. Cille < Cēolswīð, and also the masc. Beoffa apparently derived from Beornfrið . . . .
重子音化や子音群の単純化といえば,日本語の「さっちゃん」「よっちゃん」「もっくん」「まっさん」等々を想起させる.日本語の音韻論では重子音(促音)そのものの生起が比較的限定されているといってよいが,名前やその愛称などにはとりわけ多く用いられているような印象がある.音象徴 (sound_symbolism) の観点から,何らかの普遍的な説明は可能なのだろうか.
・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 452--89.
形容詞 high と名詞 height は,それぞれ /haɪ/, /haɪt/ と発音されます.綴字と発音の関係について,前者は規則通りと考えられますが,後者は例外的です.これはなぜでしょうか.
まず high の綴字と発音の発達を振り返ってみましょう.古英語 hēah は中英語にかけて hēh > hēih > heih/hīh と発達しました.最後の段階で異形が2つ現われますが,後者の hīh が大母音推移を経て現代英語の high /haɪ/ に至ります.前者の heih は中英語ではむしろ有力でしたが,後に high に首席を明け渡しました.
ちなみに,古英語 nēah "near" もまったく同じ発達を遂げています.中英語にかけて nēh > nēih > neih/nīh と変化しました.最終段階の異形のうち前者は neighbour の第1要素に現われており,後者は nigh に連なります.
さて,名詞 height の古英語の形態は hēhþu でした.これは形容詞 hēah と歩調を揃えて中英語にかけて語形を発達させていき,hēhþ > hēihþ > heiht に帰着しました.ただし,形容詞と異なり,最後の段階に予想される異形 *hīht はありませんでした.名詞接尾辞に含まれる þ が後続する環境では,形容詞には生じた音変化が抑止されたからです.
こうして,名詞の綴字については,その後に綴字の若干の変化を経つつも height に落ち着きました.ところが,発音のほうは形容詞に引きつけられるようにして /haɪt/ で定着しました.こうして発音と綴字の複雑な発達過程と類推作用の結果, height ≡ /haɪt/ というちぐはぐな関係になってしまったのです.
以上,Prins (97) を参照して執筆しました.関連して,heldio より「#595. heah/hih/high --- 「ゆる言語学ラジオ」から飛び出した通時的パラダイム」をご参照ください.
・ Prins, A. A. A History of English Phonemes. 2nd ed. Leiden: Leiden UP, 1974.
標題の3語の発音は各々次のようになる.語末子音に注目されたい.
・ knowledge [ˈnɑlɪʤ]
・ Greenwich [ˈgrɪnɪʤ, ˈgrɛnɪʤ, ˈgrɛnɪʧ]
・ spinach [ˈspɪnɪʧ, ˈspɪnɪʤ]
通常の綴字と発音の関係でいえば <dge> ≡ [ʤ],<ch> ≡ [ʧ] が普通である.knowledge は予想通りだが,Greenwich, spinach については <ch> ≡ [ʤ] の発音もあり得るという点でやや異質である.
これらの語における語末の有声破擦音 [ʤ] は,本来の無声破擦音が近代英語期に有声化したものである.英語史内での Verner's Law として知られる音変化だ (cf. 「#858. Verner's Law と子音の有声化」 ([2011-09-02-1])).「アクセントが子音の直前にないとき,その子音は有声化する」という規則を示す音変化で,例としてよく挙げられるのは ˈabsolute -- abˈsolve, ˈanxious -- anxˈiety, ˈexecute -- exˈecutive, exhiˈbition -- exˈhibit, ˈluxury -- luxˈurious, ˈoff -- of など摩擦音 [s, z, ks, gz, ʃ, ʒ, f, v] が関わるペアだが,標題の語のように破擦音 [[ʧ, ʤ]] が関わるものもある.
Prins (225) より,後者の例とその説明を引こう.
5. ʧ > ʤ
ME knowleche > MoE knowledge partriche > partridge spinach > spinach ['spinidʒ]
and in the suffix -wich in place-names: Norwich [noridʒ], Greenwich [grinidʒ], Woolwich [wulidʒ], Harwich [hæridʒ], Bromwich [brʌmidʒ]
Instead of the obsolete old pronunciation Ipswich [ipsidʒ] we find now [ipswitʃ].
The voicing is also found in MoE ajar < Scots and Nth dialect achar < on char-e (OE čerr, 'turn').
引用の最後にある通り,ajar が古英語 on cierre に遡るというのが興味深い.
・ Prins, A. A. A History of English Phonemes. 2nd ed. Leiden: Leiden UP, 1974.
「ゆる言語学ラジオ」からこちらの「hellog~英語史ブログ」に飛んでこられた皆さん,ぜひ
(1) 本ブログのアクセス・ランキングのトップ500記事,および
(2) note 記事,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の人気放送回50選
(3) note 記事,「ゆる言井堀コラボ ー 「ゆる言語学ラジオ」×「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」×「Voicy 英語の語源が身につくラジオ (heldio)」」
(4) 「ゆる言語学ラジオ」に関係するこちらの記事群
をご覧ください.
昨秋出版された『ジーニアス英和辞典』第6版にて,新設コラム「英語史Q&A」を執筆させていただきました(同辞典に関連する hellog 記事は genius6 よりどうぞ).今回の出演はその関連でお招きいただいた次第です.水野さん,堀元さんとともに同辞典をペラペラめくっていき,何かおもしろい項目に気づいたら,各々がやおら発言し,そのままおしゃべりを展開するという「ゆる言語学ラジオ」らしい企画です.雑談的に触れた話題は多岐にわたりますが,hellog や heldio などで取り上げてきたトピックも多いので,関連リンクを張っておきます.
[ 接尾辞 -esque (e.g. Rubenesque, Kafkaesque) ]
・ hellog 「#216. 人名から形容詞を派生させる -esque の特徴」 ([2009-11-29-1])
・ hellog 「#935. 語形成の生産性 (1)」 ([2011-11-18-1])
・ hellog 「#3716. 強勢位置に影響を及ぼす接尾辞」 ([2019-06-30-1])
[ 否定の接頭辞 un- (un- ゾーンの語彙) ]
・ hellog 「#4227. なぜ否定を表わす語には n- で始まるものが多いのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-22-1])
・ 大学院生による英語史コンテンツ 「#36. 語源の向こう側へ ~ in- と un- と a- って何が違うの?~」(目下 khelf で展開中の「英語史コンテンツ50」より)
[ カ行子音を表わす3つの文字 <k, c, q> ]
・ hellog 「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1])
・ heldio 「#255. カ行子音は c, k, q のどれ?」 (2022/02/10)
[ 日本語からの借用語 (e.g. karaoke, karate, kamikaze) ]
・ hellog 「#4391. kamikaze と bikini --- 心がザワザワする語の意味変化」 ([2021-05-05-1])
・ hellog 「#142. 英語に借用された日本語の分布」 ([2009-09-16-1])
・ hellog 「#3872. 英語に借用された主な日本語の借用年代」 ([2019-12-03-1])
・ hellog 「#4140. 英語に借用された日本語の「いつ」と「どのくらい」」 ([2020-08-27-1])
・ heldio 「#60. 英語に入った日本語たち」 (2021/07/31)
[ 動詞を作る en- と -en (e.g. enlighten, strengthen) ]
・ 「#1877. 動詞を作る接頭辞 en- と接尾辞 -en」 ([2014-06-17-1])
・ 「#3510. 接頭辞 en- をもつ動詞は品詞転換の仲間?」 ([2018-12-06-1])
・ 「#4241. なぜ語頭や語末に en をつけると動詞になるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-12-06-1])
・ heldio 「#62. enlighten ー 頭にもお尻にも en がつく!」 (2021/08/02)
[ 文法用語の謎:tense, voice, gender ]
・ heldio 「#644. 「時制」の tense と「緊張した」の tense は同語源?」 (2023/03/06)
・ heldio 「#643. なぜ受動態・能動態の「態」が "voice" なの?」 (2023/03/05)
・ hellog 「#1520. なぜ受動態の「態」が voice なのか」 ([2013-06-25-1])
・ hellog 「#1449. 言語における「範疇」」 ([2013-04-15-1])
[ minister の語源 ]
・ 「#4209. なぜ minister は mini- なのに「大臣」なのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-04-1])
[ コラム「英語史Q&A」 ]
・ hellog 「#4892. 今秋出版予定の『ジーニアス英和辞典』第6版の新設コラム「英語史Q&A」の紹介」 ([2022-09-18-1])
・ heldio 「#532. 『ジーニアス英和辞典』第6版の出版記念に「英語史Q&A」コラムより spring の話しをします」 (2022/11/14)
・ hellog 「#4971. often の t は発音するのかしないのか」 ([2022-12-06-1])
この GW 中は毎日のように Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて khelf(慶應英語史フォーラム)メンバーとの対談回をお届けしています.一方,khelf では「英語史コンテンツ50」も開催中です.そこで両者を掛け合わせた形でコンテンツの紹介をするのもおもしろそうだ思い,先日「#5115. アルファベットの起源と発達についての2つのコンテンツ」 ([2023-04-29-1]) を紹介しました.
今回も英語史コンテンツと heldio を引っかけた話題です.4月20日に大学院生により公開されたコンテンツ「#7. consumption の p はどこから?」に注目します.
今回,このコンテンツの heldio 版を作りました.作成者の藤原郁弥さんとの対談回です.「#700. consumption の p はどこから? --- 藤原郁弥さんの再登場」として配信していますので,ぜひお聴きください.発音に関する話題なのでラジオとの相性は抜群です.
コンテンツや対談で触れられている語中音添加 (epenthesis) は,古今東西でよく生じる音変化の1種です.今回の consumption, assumption, resumption の /p/ のほかに epenthesis が関わる英単語を挙げてみます.
・ September, November, December, number の /b/
・ Hampshire, Thompson, empty の /p/
・ passenger, messenger, nightingale の /n/
そのほか she の語形の起源をめぐる仮説の1つでは,epenthesis の関与が議論されています(cf. 「#4769. she の語源説 --- Laing and Lass による "Yod Epenthesis" 説の紹介」 ([2022-05-18-1])).
epenthesis と関連するその他の音変化については「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1]) もご参照ください.
対談中に私が披露した「両唇をくっつけずに /m/ を発音する裏技」は,ラジオでは通じにくかったので,こちらの動画を作成しましたのでご覧ください(YouTube 版はこちら).音声学的に味わっていただければ.
現代英語において有声軟口蓋鼻音 [ŋ] は /ŋ/ として1つの音素と認められている.一方,[ŋ] は別の音素 /n/ の異音としての顔ももつ.英語の音韻体系において [ŋ] も /ŋ/ も中途半端な位置づけを与えられている.この音(素)の位置づけにくさは,それが英語の歴史の比較的新しい段階で確立したことと関係する.過去の関連する記事として以下を挙げておきたい.
・ 「#1508. 英語における軟口蓋鼻音の音素化」 ([2013-06-13-1])
・ 「#3482. 語頭・語末の子音連鎖が単純化してきた歴史」 ([2018-11-08-1])
・ 「#3855. なぜ「新小岩」(しんこいわ)のローマ字表記は *Shingkoiwa とならず Shinkoiwa となるのですか?」 ([2019-11-16-1])
・ 「#4344. -in' は -ing の省略形ではない」 ([2021-03-19-1])
Minkova (138) によると,音素 /ŋ/ には2つの特異性がある.1つは,この音素が音節の coda にしか現われないこと.2つには,それに加えて domain-final にしか現われないことである.前者は音節ベースの制約で,後者は形態・語彙ベースの制約と考えてよい.後者は有り体にいえば,単語ごとに実現が /ŋ/ か /ŋg/ かが異なるので注意,と述べているのと同義である.
The distribution of contrastive /ŋ/ prompts some interesting phonological questions. Like PDF /h-/, which can appear only in onsets, /ŋ/ is a 'defectively distributed' phoneme: it can be distinctive only in coda position. The restriction reflects its historical origin since it is only through the loss of the voiced velar stop in the coda that /ŋ/ became contrastive: kin--king, ban--bang, run--rung. Before /k/, as in plank, sink, hunk, [-ŋ] remains a positional allophone followed by the voiceless stop. Thus, we get a three-way opposition in pin [pɪn]--ping [pɪŋ]--pink [pɪŋk], sin, sing, sink, and so on.
Another peculiarity of contrastive /ŋ/ is that it has to be domain-final, that is, the [-g-] is preserved stem-internally, rendering [-ŋ-] allophonic, as in Bangor, bingo, tango, single, hungry, Hungary, all with [-ŋg-]. Note that the preservation of [-g-] does not depend only on syllabification, because in forms derived with -ing or the agentive suffix -er, the [-g-] of the stem is not realised, and the derived form copies the shape of the base form: singing, singer with just [-ŋ-]. In addition to the most frequent -ing and -er, the majority of the native suffixes such as -y, -dom, -hood, -ness, -ish, -less, -ling, also -let (OFr), preserve the shape of the base: slangy, kingdom, thinghood, youngness, strongish, fangless, kingling, ringlet have [-ŋ-]. The addition of a comparative suffix, -er or -est, as in longer, strongest, youngly, however, results in heterosyllabic [ŋ].[g]. The addition of Latinate suffixes generally preserves the [g], as in fungation, diphthongal, but not always, as in ringette, nothingism. Then there is vacillation with some derivatives: prolong and prolonging are always just [-ŋ], prolongation varies between [-ŋ-] and [-ŋg-], and prolongate is always [-ŋg-]. There are some idiosyncrasies: dinghy, hangar allow both pronunciations, and so do English and England. The behaviour of [-ŋ] in clitic groups and phrases is also variable; the variability of [-ŋ] is of continuous theoretical interest. In our diachronic context, the deletion of the [g] and the possibility of phonemic [ŋ] in narrowly defined contexts in late ME and EModE is most notable as an addition to the inventory of contrastive sounds in English.
近代英語期以降 [ŋ] は音素化 (phonemicisation) を経たが,歴史の浅さと分布の不徹底さゆえに,理論的な扱いは今に至るまで常に難しい.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
動詞を作る接尾辞 -ize/-ise について,いずれのスペリングを用いるかという観点から,「#305. -ise か -ize か」 ([2010-02-26-1]),「#314. -ise か -ize か (2)」 ([2010-03-07-1]) で話題にしてきた.今回は OED の記述を要約しながら,この接尾辞の歴史を概説する.
-ize/-ise はギリシア語の動詞を作る接尾辞 -ίζειν に遡る.人や民族を表わす名詞について「~人(民族)として(のように)振る舞う」の意味の動詞を作ることが多かった.現代英語の対応語でいえば barbarianize, tyrannize, Atticize, Hellenize のような例だ.
この接尾辞は3,4世紀にはラテン語に -izāre として取り込まれ,そこで生産力が向上していった.キリスト教や哲学の用語として baptizāre, euangelizāre, catechiizāre, canōnizāre, daemonizāre などが生み出された.やがて,ギリシア語の動詞を借用したり,模倣して動詞を造語する際の一般的な型として定着した.
この接尾辞は,中世ラテン語やヴァナキュラーにおいて,やがて一般的にラテン語の形容詞や名詞から動詞を作る機能をも発達させた.この機能の一般化はおそらくフランス語において最初に生じ,そこでは -iser と綴られるようになった.civiliser, cicatriser, humaniser などである.
英語は中英語期よりフランス語から -iser 動詞を借用する際に,接尾辞をフランス語式に基づいて -ise と綴ることが多かった.この接尾辞は,後に英語でも独自に生産性を高めたが,その際にラテン語やフランス語の要素を基体として動詞を作る場合には -ise を,ギリシア語の要素に基づく場合にはギリシア語源形を尊重して -ize を用いるなどの傾向も現われた.しかし,この傾向はあくまで中途半端なものだったために,-ize か -ise かのややこしい問題が生じ,現代に至る.OED の方針としては,語源的であり,かつ /z/ 音を文字通りに表わすスペリングとして -ize に統一しているという.
なお,英語のこの接尾辞に2重母音が現われることについて,OED は次のように述べている.
In the Greek -ιζ-, the i was short, so originally in Latin, but the double consonant z (= dz, ts) made the syllable long; when the z became a simple consonant, /-idz/ became īz, whence English /-aɪz/.
<wh> という2重字 (digraph) は疑問詞のような高頻度語に現われるので馴染み深い.しかし,この2重字に対応する発音についてよく理解している英語学習者は多くない.
what, which を「ホワット」「フィッチ」とカタカナ書きしたり発音したりする人は多いかもしれないが,イギリス標準英語においては「ワット」「ウィッチ」である.つまり,Watt, witch とまったく同じ発音となる.音声学的にいえば無声の [ʍ] ではなく,あくまで有声の [w] ということだ.
上記はイギリス標準英語の話しであり,アメリカ英語はその限りではなく what, which は各々 [ʍɑt], [ʍɪtʃ] が規範的といわれることもある.しかし,実際上は有声の [w] での発音が広まってきているようだ.
<wh> の表わす子音の現状について Cruttenden を参照してみよう.
In CGB (= Conspicuous General British) and in GB speech in a more formal style (e.g. in verse-speaking), words such as when are pronounced with the voiceless labial-velar fricative [ʍ]. In such speech, which contains oppositions of the kind wine, whine, . . . /ʍ/ has phonemic status. Among GB speakers the use of /ʍ/ as a phoneme has declined rapidly. Even if /ʍ/ does occur distinctively in any idiolect, it may nevertheless be interpreted phonemically as /h/ + /w/ . . . . (Cruttenden 233)
ちなみに上記引用文中の "CGB (= Conspicuous General British)" は Cruttenden (81) によると,"that type of GB which is commonly considered to be 'posh', to be associated with upper-class families, with public schools and with professions which have traditionally recruited from such families, e.g. officers in the navy and in some army regiments" とされる.いわゆる "RP" (= Received Pronunciation) に近いものと捉えてよいが,様々な理由から RP と呼ぶべきでないという立場があり,このような用語遣いをしているのである.
他変種については,次の引用が参考になるだろう.
The only regional variation concerns the more regular use of [ʍ] in words with <wh> in the spelling. This happens in Standard Scottish English, in most varieties of Irish English and is often presented as the norm in the U.S., although the change from [ʍ] to /w/ seems to be more common than is thought by some. (Cruttenden 234)
手元にあった Longman Pronunciation Dictionary (3rd ed.) の "wh Spelling-to-sound" も覗いてみた.
Where the spelling is the digraph wh, the pronunciation in most cases is w, as in white waɪt. An alternative pronunciation, depending on regional, social and stylistic factors, is hw, thus hwaɪt. This h pronunciation is usual in Scottish and Irish English, and decreasingly so in AmE, but not otherwise. (Among those who pronounce simple w, the pronunciation with hw tends to be considered 'better', and so is used by some people in formal styles only.) Learners of EFL are recommended to use plain w.
引用の最後にある通り,私たち英語学習者は一般に <wh> ≡ /w/ と理解しておいてさしつかえないだろう.
<wh> と関連して「#3870. 中英語の北部方言における wh- ならぬ q- の綴字」 ([2019-12-01-1]),「#3871. スコットランド英語において wh- ではなく quh- の綴字を擁護した Alexander Hume」 ([2019-12-02-1]) の記事も参照.
・ Cruttenden, Alan. Gimson's Pronunciation of English. 8th ed. Abingdon: Routledge, 2014.
・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
学生から <ch> が黙字 (silent_letter) となる珍しい英単語が4つあるということを教えてもらった(貴重な情報をありがとう!).drachm /dræm/, fuchsia /ˈfjuːʃə/, schism /sɪzm/, yacht /jɑt/ である.典拠は「#2518. 子音字の黙字」 ([2016-03-19-1]) で取り上げた磯部 (7) である.
今回は4語のうち yacht に注目してみたい.この語は16世紀のオランダ語 jaght(e) を借用したもので,OED によると初例は以下の文である(cf. 「#4444. オランダ借用語の絶頂期は15世紀」 ([2021-06-27-1])).初例で t の子音字がみられないのが気になるところではある.
a1584 S. Borough in R. Hakluyt Princ. Navigations (1589) ii. 330 A barke which was of Dronton, and three or foure Norway yeaghes, belonging to Northbarne.
英語での初期の綴字(おそらく発音も)は,原語の gh の発音をどのようにして取り込むかに揺れがあったらしく,様々だったようだ.OED の解説によると,
Owing to the presence in the Dutch word of the unfamiliar guttural spirant denoted by g(h), the English spellings have been various and erratic; how far they represent varieties of pronunciation it is difficult to say. That a pronunciation /jɔtʃ/ or /jatʃ/, denoted by yatch, once existed seems to be indicated by the plural yatches; it may have been suggested by catch, ketch.
<t> と <ch> が反転した yatch とその複数形の綴字を EEBO で検索してみると,1670年代から1690年代までに50例ほど上がってきた.ちなみに,このような綴字の反転は中英語では珍しくなく,とりわけ "guttural spirant" が関わる場合にはよく見られたので,ある意味ではその癖が初期近代英語期にまではみ出してきた,とみることもできるかもしれない.
yatch の発音と綴字については,Dobson (371) が次のように言及している.
Yawt or yatch 'yacht' are two variant pronunciations which are well evidenced by OED; the former is due to the identification of the Dutch spirant [χ] with ME [χ], of which traces still remained when yacht was adopted in the sixteenth century, so that it was accommodated to the model of, for example, fraught and developed with it, while OED suggests that the latter is due to analogy with catch and ketch---it is certainly due to some sort of corrupt spelling-pronunciation, in the attempt to accommodate the word to native models.
<t> と <ch> の綴字上の反転と,それに続く綴字発音 (spelling_pronunciation) の結果生み出された yacht の妙な異形ということになる.
・ 磯部 薫 「Silent Consonant Letter の分析―特に英語史の観点から見た場合を中心として―」『福岡大学人文論叢』第5巻第1号, 1973年.117--45頁.
・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500--1700. 2nd ed. 2 vols. Oxford: OUP, 1968.
学生から <ch> が黙字 (silent_letter) となる珍しい英単語が4つあるということを教えてもらった(貴重な情報をありがとう!).drachm /dræm/, fuchsia /ˈfjuːʃə/, schism /sɪzm/, yacht /jɑt/ である.典拠は「#2518. 子音字の黙字」 ([2016-03-19-1]) で取り上げた磯部 (7) である.
今回は4語のうち yacht に注目してみたい.この語は16世紀のオランダ語 jaght(e) を借用したもので,OED によると初例は以下の文である(cf. 「#4444. オランダ借用語の絶頂期は15世紀」 ([2021-06-27-1])).初例で t の子音字がみられないのが気になるところではある.
a1584 S. Borough in R. Hakluyt Princ. Navigations (1589) ii. 330 A barke which was of Dronton, and three or foure Norway yeaghes, belonging to Northbarne.
英語での初期の綴字(おそらく発音も)は,原語の gh の発音をどのようにして取り込むかに揺れがあったらしく,様々だったようだ.OED の解説によると,
Owing to the presence in the Dutch word of the unfamiliar guttural spirant denoted by g(h), the English spellings have been various and erratic; how far they represent varieties of pronunciation it is difficult to say. That a pronunciation /jɔtʃ/ or /jatʃ/, denoted by yatch, once existed seems to be indicated by the plural yatches; it may have been suggested by catch, ketch.
<t> と <ch> が反転した yatch とその複数形の綴字を EEBO で検索してみると,1670年代から1690年代までに50例ほど上がってきた.ちなみに,このような綴字の反転は中英語では珍しくなく,とりわけ "guttural spirant" が関わる場合にはよく見られたので,ある意味ではその癖が初期近代英語期にまではみ出してきた,とみることもできるかもしれない.
yatch の発音と綴字については,Dobson (371) が次のように言及している.
Yawt or yatch 'yacht' are two variant pronunciations which are well evidenced by OED; the former is due to the identification of the Dutch spirant [χ] with ME [χ], of which traces still remained when yacht was adopted in the sixteenth century, so that it was accommodated to the model of, for example, fraught and developed with it, while OED suggests that the latter is due to analogy with catch and ketch---it is certainly due to some sort of corrupt spelling-pronunciation, in the attempt to accommodate the word to native models.
<t> と <ch> の綴字上の反転と,それに続く綴字発音 (spelling_pronunciation) の結果生み出された yacht の妙な異形ということになる.
・ 磯部 薫 「Silent Consonant Letter の分析―特に英語史の観点から見た場合を中心として―」『福岡大学人文論叢』第5巻第1号, 1973年.117--45頁.
・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500--1700. 2nd ed. 2 vols. Oxford: OUP, 1968.
日本語の五十音図における母音の並びの基本は,言うまでもなく [a, i, u, e, o] である(cf. 「#2104. 五十音図」 ([2015-01-30-1])).動詞の5段活用でも「行かない」「行きます」「行く」「行くとき」「行けば」「行け」「行こう」と唱えるように,[a, i, u, e, o] の並びとなっている.なぜこの並びなのだろうか.
答えは,この並びが音声学的に無標 (unmarked) から有標 (marked) への順序に沿っているからである.
窪薗 (6) によれば,世界の言語を見渡すと,3母音体系の言語には [a, i, u] が最も多く,4母音体系では [a, i, u, e] が,5母音体系では [a, i, u, e, o] が最も多いという.つまり,類型論的にいって,母音の有標性 (markedness) は,低い方から高い方へ [a, i, u] → [e] → [o] という順序のようなのである.
子音にも同様の有標性の序列がある.窪薗 (9) は,類型論のみならず言語習得の早さも念頭におきつつ,無標な子音と有標な子音の序列を次のように与えている.以下で A > B は,A が B よりも相対的に無標であることを示す.
a. 調音点:両唇,歯茎 > 軟口蓋
b. 調音法:閉鎖音 > 摩擦音
c. 閉鎖音・摩擦音・破擦音: 無声 > 有声
d. 閉鎖音・摩擦音・破擦音以外:有声 > 無声
この子音の有標性を念頭において五十音図の「あかさたなはまやらわ」の並びを眺めると,必ずしも恣意的な順序ではない事実が浮かび上がってくる(「は」の子音は古くは [p] だったことに注意).
ただし,有標性とは言語学においてもなかなか難しい概念である.「#550. markedness」 ([2010-10-29-1]),「#551. 有標・無標と不規則・規則」 ([2010-10-30-1]),「#3723. 音韻の有標性」 ([2019-07-07-1]),「#4745. markedness について再考」 ([2022-04-24-1]) などの議論を参照されたい.
・ 窪薗 晴夫 「第1章 音韻論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.
古英語を含む西ゲルマン諸語,北ゲルマン諸語語,そしてラテン語などの歴史にも観察されてきた rhotacism は,母音間で [s] や [z] などが [r] に変化する音変化である.自鳴音化 (sonorisation) の特殊な例とみることもできるし,広く "lenition" の1種ともみなすことができる(cf. 「#4684. 脱口音化」 ([2022-02-22-1])).Bybee (32) がこのことに言及している.
Another form of sonorization is rhotacism, a change by which an [s] or [z] becomes an [r]. Such a change occurred in Latin as exemplified by the alternation corpus, corpora 'body, nom./acc.sg. and pl.', opus, opera 'work, nom./acc.sg. and pl.' and In Germanic where Old English infinitive cēosan 'to choose' has a past participle coren, and wæs alternates with wǣre/wǣren 'were'. This change involves voicing and loss of fricative closure; it takes place intervocalically.
英語史においても,また現代英語の語彙を考える上でも,古英語やラテン語での rhotacism の効果を認識しておくことは重要である.引用にも was/were にとどまらず,us/our, lose/lorn, raise/rear, そして究極的には is/are の関係も,rhotacism の仕業である.
ラテン借用語からは,引用にみえる opus/opera, corpus/corpora の単数形・複数形の例のほか,corpus/corporal, Venus/venereal, virus/viral のような名詞・形容詞の関係にも rhotacism の効果がみてとれる.
rhotacism の理解をさらに深めるには,次の記事などを参照.
・ 「#36. rhotacism」 ([2009-06-03-1])
・ 「#393. Venus は欲望の権化」 ([2010-05-25-1])
・ 「#3192. 西,北,東ゲルマン語群の間にみられる音韻・形態・統語上の主要な差違」 ([2018-01-22-1])
・ 「#3812. was と were の関係」 ([2019-10-04-1])
・ Bybee, Joan. Language Change. Cambridge: CUP, 2015.
あまり聞き慣れないが,脱口音化 (debuccalisation) という音変化がある.調音点が口腔内から腔外に移ることだ.より具体的には,調音点が喉の奥に移った場合にいわれることが多い.Crystal (130) の言語学用語辞典より debuccalized の項を引用する.
debuccalized (adj.) A term used in some models of non-linear phonology to refer to consonants which lack an oral place feature, such as glottal stop or [h]. The process through which such consonants are formed is called debuccalization) (also deoralization): examples include [t] > [ʡ] and [s] > [h].
これは通言語的に一般的な音変化のようで,英語史や日本語史を参照するだけでも,例がいくつか挙がってくる.まずグリムの法則 (grimms_law) の軟口蓋系列の無声子音の変化を一覧してみると [kh] > [k] > [x] > [h] のような経路が想定される.最終到達点は "debuccalised" な声門摩擦音 [h] である.
上記引用にもあるが,コックニー (cockney) などの特徴とされる,[t] が声門閉鎖音 [ʡ] で代用される現象も脱口音化の例となるだろう.
日本語史において知られる「唇音退化」 ([p] > [ɸ] > [h]) も脱口音化の典型的な1例となる(cf. 「#1271. 日本語の唇音退化とその原因」 ([2012-10-19-1])).
その他,Bybee (27) によれば,スペイン語の /s, f/ > /h/ の例が挙げられている.また,ウガンダで話されるバンツー系の Lumasaaba 語において,音環境に応じて [p] > [h] が確認される事例も紹介されている.
以上の例では主に [p] のような唇音の脱口音化が話題とされてきたが,歯茎音の [t] や軟口蓋音の [k] など,他の調音点の子音についても,事情は同じである.ある意味ではどんな口音も,弱化して脱口音化してしまえば,最終到達点は [h],さらには無音となるというわけだ.その点では,脱口音化というのは,"lenition" というより大きな過程の一部としてとらえるのがよいのかもしれない.Bybee の "Path of lenition for voiceless stops" の表を掲げておこう (29) .
Voiceless stop | > | Affricate | > | Fricative | > | Voiclessness | > | Zero |
p | > | pf | > | f | > | h | > | ø |
t | > | ts/tθ | > | s/θ | > | h | > | ø |
k | > | kx | > | x | > | h | > | ø |
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