「#5542. 「ゼロから学ぶはじめての古英語」 Part 9 with 小河舜さん,まさにゃん,村岡宗一郎さん」 ([2024-06-29-1]) では,Voicy heldio の人気シリーズの最新回となる「#1124. 「はじめての古英語」第9弾 with 小河舜さん&まさにゃん&村岡宗一郎さん」を紹介しました.その配信回では,小河さんによって取り上げられた Beowulf からの1文が話題となりました.
Wyrd oft nereð/ unfǣgne eorl, þonne his ellen dēah. (ll. 572b--73)
"Fate often saves an undoomed earl, when his courage avails."
「運命はしばしば死すべき運命にない勇士を救う,彼の勇気が役立つ時に」
引用の最後の語 dēah は, "to be good, to be strong, to avail" 意味する dugan という動詞の3単現の形です.妙な形態ですが,それもそのはず,歴史的には過去現在動詞 (preterite-present_verb) と呼ばれる特殊な型の動詞でした(cf. 「#66. 過去現在動詞」 ([2009-07-03-1])).
Sweet's Anglo-Saxon Primer (37) より,この動詞の活用表を,もう1つのよく似た仲間の動詞 āgan "to own, possess" と並べて掲げましょう.
Infin. | dugan 'avail' | āgan 'own' | ||
Pres. | sing. | 1, 3. | dēah | āh |
Pres. | sing. | 2. | āhst | |
Pres. | pl. | dugon | āgon | |
Pres. | subj. | dyge, duge | āge | |
Pret. | dohte | āhte | ||
Past | part. | āgen (only as adj.) |
先週の木曜日,6月20日(木)の夜に,堀田研究室に4名の英語史学徒が集結しました.そこで Voicy heldio にて「はじめての古英語」シリーズの第9弾を収録し,それを一昨日「#1124. 「はじめての古英語」第9弾 with 小河舜さん&まさにゃん&村岡宗一郎さん」としてお届けしました.生配信ではありませんでしたが,ライヴ感のある充実した内容となっているかと思います.ぜひお聴きいただければ.
今回の収録は,レギュラーメンバーの小河舜さん(上智大学),「まさにゃん」こと森田真登さん(武蔵野学院大学)に加え,村岡宗一郎さん(日本大学)をお呼びして収録しました.今回は古英語のある1文に集中しましたが,それだけで十分に堪能することができました.
上記のシリーズ回の翌日には「#1125. 「はじめての古英語」第9弾のアフタートーク」で,さらに4人が盛り上がる様子をお届けしています.個々のメンバーによる音読もあり,こちらも必聴です.
シリーズを重ねるにつれ,お聴きの皆さんの古英語への関心が高まってきているように感じます.さらにいえば,hel活 (helkatsu) 全般が活気づいてきています.リスナーの Grace さんによる A to Z の「英語史研究者紹介」というべき note,lacolaco さんによる「英語語源辞典通読ノート」,Lilimi さんによる古英語ファンアートを含む「Lilimiのオト」,り~みんさんによる X 上での古英語音読の試みなど,さまざまに盛り上がってきています
「はじめての古英語」シリーズ (hajimeteno_koeigo),これからも続けていければと思います.
英語史や言語変化の研究において,法助動詞 (modal verb) の発達の問題は,とりわけ生成文法 (generative_grammar) や文法化 (grammaticalisation) などの理論的な観点から注目されてきた.古英語期やそれ以前から存在した過去現在動詞 (preterite-present_verb) に端を発し,中英語期には文法化を通じて各種の法助動詞が生まれ,そして近現代英語期に至っても準助動詞と称される仲間たちが続々と誕生している.主として注目される時期は文法化が進行していた後期中英語から初期近代英語にかけてだが,その前後を含めれば相当に息の長い言語変化である.本ブログでは以下の記事などで取り上げてきた.
・ 「#1670. 法助動詞の発達と V-to-I movement」 ([2013-11-22-1])
・ 「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1])
・ 「#3528. 法助動詞を重ねられた時代」 ([2018-12-24-1])
・ 「#64. 法助動詞の代用品が続々と」 ([2009-07-01-1])
最初の2つの記事で触れたように,Lightfoot によると,多くの法助動詞は短期間に生じ,その過程は16世紀初期までに完了していたという.しかし,この見方には異論がある.Bergs (1640--41) によれば,むしろ各法助動詞は時期的にバラバラに発達しているし,法助動詞的な諸特徴が一斉に獲得されたわけでもなかった,というのだ.
時期的にバラバラに発達した件について,Bergs は次のように述べる.法助動詞化の嚆矢となったのは,おそらく motan, magan である.両者ともにすでに古英語期に法助動詞的な特徴を示していた.次に,初期中英語で cunnan が,後期中英語で willan が発達した.過去形の should, would, could, might も各々バラバラの時期に法助動詞化しており,対応する現在形より早かったケースもある.さらに,法助動詞化の過程において新旧の形態が共存していた "layering" の事実も確認されている.つまり,すべてが徐々にゆっくり進行していたというわけだ.
また,法助動詞的な諸特徴が一斉に獲得されたわけではないという件についても,Bergs は次のように述べる.直接目的語を取らないという法助動詞の特徴は,あるとき一夜にして生じたものではなく,あくまで徐々に獲得されてきたものである.また,形態的無屈折という特徴についても同様.
Bergs は,法助動詞化の問題を,構文文法 (construction_grammar) の枠組みでとらえようとしている.構文文法は,言語体系を構文間のネットワークととらえ,言語変化をそのネットワークの変化ととらえる.したがって,法助動詞化という言語変化は,問題の動詞の形式・機能的特徴が,それまでの他の構文との関わり方を変化させ,ネットワークの組み替えを行なったということにほかならない.そして,そのネットワークの組み替えは,あくまで徐々にゆっくりと起こったものであると説く.
法助動詞の発達は,文法化の典型例として紹介されることが多いが,構文文法の枠組みにあっては上記のように構文化 (constructionalization) の典型例として解釈されるのである.
・ Lightfoot, David W. "Cuing a New Grammar." Chapter 2 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 24--44.
・ Bergs, Alexander. "New Perspectives, Theories and Methods: Construction Grammar." Chapter 103 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1631--46.
3単現の -s というのは,英語の初学者が最初につまずく文法事項の代表格です.主語が3人称かつ単数であり,文の時制が現在のときに,動詞には -(e)s を付けなければならないという,一見すると何の意味があるのか分からない,厄介な決まりです.ただでさえ厄介な代物ですが,さらにひどいことに,3単現 (3sp) の条件を満たしているにもかかわらず -s を付け(てはいけ)ない動詞というのがあります.can, may, shall のような助動詞 (auxiliary_verb) です.He can swim., She may say so., The truth shall be told. などでは,3単現を満たしているようにみえますが,決して *cans, *mays, *shalls のような形を用いません.英語では,そのような形は存在しないのです.いったい,なぜでしょうか.音声の解説をお聴きください.
そう,驚くべきことに問題の助動詞は,起源が過去形なのです! can, may, shall などが表わしている意味は確かに現在(少なくとも過去ではない)というべきですが,いずれも語源的には過去形です.もともと過去形なのですから,3単「現」に特有の -s 語尾が付くなどということは歴史上一度もなかったのです.
では,なぜ起源としては過去形なのに意味は現在となっているのでしょうか.これはなかなか難しい問題ですが,助動詞においては過去形が現在の意味を帯びるという意味変化が歴史的に繰り返し起こってきたようなのです.もともとの過去形 can, may, shall が本来の過去の意味を失い,現在の意味を帯びるようになると,新たに過去を表わす形が必要となり,-t/d 語尾を付して could, might, should という新過去形が生み出されました.確かにこれらは現代英語でも助動詞の過去形と称されますが,実際には Could it be true?, She might be in London by now., We should apologize. のように,意味的には現在として用いられることが多いのです.助動詞の過去形には,このように現在の意味を帯びるようになる傾向がみられます.
今回取り上げたような助動詞は,専門的には「過去現在動詞」 (preterite-present_verb) という妙な名前がついています.この不思議な問題については##3648,58,66,3504の記事セットをご覧ください.
昨日の記事「#4110. dare --- 助動詞なのか動詞なのかハッキリしなさい」 ([2020-07-28-1]) に引き続き,法助動詞とも一般動詞ともいえない中途半端な振る舞いを示す dare について.Shakespeare の Macbeth より,I dare do all that may become a man, Who dares do more, is none. という文を参照したが,この語法は現代でも確認される.Partridge (87) は,これを明らかに誤用とみている.
dare is used in two ways: as a full verb (dares to, dared to, didn't dare to) and as an auxiliary like can or must. The latter occurs correctly only in negatives ('I daren't go'), in questions, and in subordinate clauses ('whether I dared go'). The two patterns are not to be mixed. Write either 'whether she dares to go' or 'whether she dare go' but not 'whether she dares go'.
一方,小西 (363) は次のように述べている.
本動詞用法で後に続く不定詞の to は省略することができる: Nobody dares (to) criticize his decision.---OALD5 (だれひとりとして彼の決定にとやかく言おうとしない).これは助動詞用法と混交した型なので,例えば Partridge-Whitcut (1994) などは誤用と見なしているが,今では標準的な語法 [Benson et al. (1997); Quirk et al. (1985: 138)].類例: I wouldn't dare have a party in my flat in case the neighbours complain.---CIDE (隣近所から苦情があるといけないので,僕のアパートでパーティーをやろうとは思わない).なお Eastwood (1994: 128) は,米国人は概して to を伴う方の型を用いると述べている.
つまり,論者にもよるとはいえ,共時的には2つの構文の混交 (contamination) であるとして,特に stigma が付されているわけではないようだ.BNCweb で "dares _V?I" などと検索してみると17例がヒットしたが,確かにすべてがインフォーマルという文脈でもない.
通時的な観点からいえば,法助動詞から一般動詞へと転身しつつある最中の中途半端な状況ということになろうか.目下変化している最中とはいえ,遅くとも16世紀に始まった変化であることを考えると,すでにかれこれ500年ほどの時間が流れていることになる.構文の変化も,なかなか息が長い.
直3単現などでしっかり人称屈折し,かつ原形不定詞を従える(助)動詞というのは,現代英語ではいくつかのイディオムを別にすれば,dare(s) のほかには do(es) と help(s) くらいだろうか.いずれにせよレアである.
・ Partridge, Eric. Usage and Abusage. 3rd ed. Rev. Janet Whitcut. London: Penguin Books, 1999.
・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
法助動詞 dare は,現代の法助動詞のなかでも need や used to と並んで影の薄い存在である.歴史的にみれば非常に古い過去現在動詞 (preterite-present_verb) であり,その点では can, may, shall などの仲間ともいえるのだが,比較すると圧倒的に忘れられがちな日陰者である.
もともとは過去現在動詞であるから,古英語でも直説法3単現形では現在の -s に相当するような子音語尾をいっさい取らなかった.実際,不定形 durran に対して,直3単現では dear(r) などの形態を示した.また,直後に別の動詞の目的語が続く場合には,そちらは動詞の不定形(いわゆる現代英語の原形不定詞に相当する形)を取った (ex. c1000 Ælfric Genesis xliv. 34 Ne dear ic ham faran. (= "I dare not go home.")) .つまり,can, may, shall などとまったく同じ振る舞いを示していたのであり,厳密にはアナクロな言い方かもしれないが,現代英語的な観点から言えば純然たる法助動詞だったのである.
しかし,16世紀以降,直3単現で daryth や dares のような,法助動詞らしからぬ「3単現の -s」を示す形態が現われ,一般動詞へと部分的に転身していく.たとえば,OED によると Shakespeare の Macbeth (1623) の i. vii. 46--7 に,I dare do all that may become a man, Who dares do more, is none. のような事例が確認される.「部分的に転身」といったのは,現代でも dare は一般動詞でもあるし,特に否定文や疑問文では法助動詞としての用法も保っているからだ.
この Shakespeare からの例文でおもしろいのは,「3単現の -s」の存在が示唆するように法助動詞から一般動詞へと転身を遂げていたかのようにみえるものの,続く目的語としての動詞の形態はあくまで原形不定詞 do であり,to 不定詞 to do ではないことだ.つまり,dare は形態的には一般動詞化しているが,統語的にはいまだ法助動詞の性質を保っていたということである.
そして,驚くことにその状況は現代でも大きく異ならない.現代英語では一般動詞としての He dares to do . . . が普通であることはもとより,法助動詞としての He dare do . . . も稀だがあり得る.しかし,それに加えて Shakespeare 張りの中途半端な He dares do . . . も可能なのである.
『ジーニアス大辞典』の dare の項から引用した下図の中間列を参照されたい.共時的には文法的 contamination というべき例なのだろうが,いやはや不思議な(助)動詞である.
昨日の記事「#3647. 船や国名を受ける she は古英語にあった文法性の名残ですか?」 ([2019-04-22-1]) に引き続き,学生から寄せられた素朴な疑問を1つ.
私たちは3単現の -s については英文法の時間にうるさく習うわけですが,その割には主語が3人称・単数,時制が現在であっても can, may, shall, must をはじめとする助動詞 (auxiliary_verb) には -s が付くことはありません.これをいぶかるのも無理はありません.標題のような *He cans swim. ではダメで,He can swim. としなければならないのです(文法的に許容されない文は,言語学では「非文」と呼ばれ,頭に * 記号を付す慣習があります).これはどういったわけでしょうか.
たいていの説明では,can は本動詞ではなく,あくまで助動詞というものであり,助動詞は語形が無変化であることが特徴なのだと説かれます.しかし,このような解説は,英文法はそういうものなのだと言っているにすぎず,私たちが知りたい真の説明にはなっていません.
英語史の観点からすれば,答えは簡単に出ます.can を含む上記のような典型的な助動詞は,語源的には過去形だからです.3人称かつ単数かつ「現在」の場合にのみ付けられる -s が,語源的に「過去形」である can に付くわけがないのです.*He cans swim. がダメなのは,ちょうど *He swams. や *He walkeds. がダメなのと同じ理由です.同様に,may, shall, must なども語源的には過去形だからこそ -s が付かないわけです.
これらの助動詞が起源的に過去形であるということは,当初は当然ながら過去の意味をもっていたはずです.ところが,歴史の過程で現在の意味を有するように変化し,形態は過去形ながらも意味は現在というチグハグの状況になってしまいました.このようなチグハグな動詞は,英語史上,過去現在動詞 (preterite-present_verb) と名付けられています.より詳しくは,「#58. 助動詞の現在形と過去形」 ([2009-06-25-1]) と「#66. 過去現在動詞」 ([2009-07-03-1]) をご参照ください.
どうも法助動詞という語類には,本来過去の意味を表わしていたものが現在の意味を帯びるようになる傾向があるようです.can, may, shall が現在の意味を帯びるようになると,あらたに過去を意味すべく別の過去形が必要となり,実際に could, might, should なる新過去形が生み出されました(簡単にいえば,それぞれの元の助動詞に -ed を付けて,さらに少し変形しただけの形態です).ところが,これら新過去形も,今となっては Could it be true?, She might be in London by now. We should apologize. などのように実際には過去というよりも現在の意味で用いられることが多いのです.
なお,もう1つの典型的な助動詞 will については上では触れませんでした.というのは,この語は過去現在動詞ではなく,厳密にいえば上記の can などとは同列に議論できないからです.ここでは,will も歴史の過程で can を含む過去現在動詞のグループに取り込まれていき,統語形態上,それらと同じ振る舞いを示すことになったとだけ述べておきましょう.
昨日の記事「3562. may 祈願文の生産性」 ([2019-01-27-1]) を含め起源の may については may の各記事で取り上げてきたが,歴史的には法助動詞を用いた祈願文として,mote (「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]) を参照)や might (「#3423. 祈願の might (1)」 ([2018-09-10-1]),「#3424. 祈願の might (2)」 ([2018-09-11-1]) を参照)の例がある(ただし,後者は may と異なり非現実的祈願).
もう1つ歴史的にも非常に稀なのだが,mote の過去形に相当する most(e (形態的に現代英語の must に連なる)を用いた祈願文が存在した.Visser (1800) に,少数の例が挙げられている.
・ 13.. Curs. Mundi 25387, "Amen," þat es "Sua most it be." (But cf. 25294, þi nam mot halud be).
・ c1425 Chester Pageant of Abraham, Melchisedec & Isaac, Everym. Libr. p. 41, 12, Abraham, welcome must thou be . . . Blessed must thou be.
・ c1450 Chester Pl., Noah's Flood (in: Pollard, Eng. Mir. Pl.) 284, Ah lord honoured most thou be!
・ c1475 Siege of Rouen (ed. Gairdner; Camb. Soc.) p. 25, Hym wanted no thynge þat a prynce shulde have: Almyghty God moste [v.r. mote] hym save!
Visser は,祈願の most(e の例があまりに少ないことから,写字生が mote を書き誤ったものではないかとも示唆しており,また2人称単数主語の場合について most は古英語の現在形を保持しているものではないかとも述べている.真正な祈願の must が存在していたのか,怪しいというわけだ.確かに少ない例文を眺めていると,mote との混同という気がしないでもない.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
be, do, have などの1次助動詞はもとより may, must, can, will, shall, ought (to), need, dare, used to などの法助動詞も含めたすべての助動詞には,共通する4つの統語・形態・音韻的特徴がある.頭文字をとって NICE features と称される.Coates (1983: 4) を参照している Gramley (186) より引用しよう.
N direct Negation (should > shouldn't)
I Inversion in questions (I will > Will I?)
C Code or reduced forms (I may go > so may you, i.e. without repeating the main verb go)
E Emphatic affirmation (Must we run? Yes, we múst)
統語的にはほかにも,伝統的な助動詞は後ろに to 不定詞を従えないという特徴もある.
形態的にも類似点が多い.may, can, will, shall からは,新しい弱変化過去形が作られてきたという共通点がある (cf. 「#66. 過去現在動詞」 ([2009-07-03-1])).また,いずれも不定詞,現在分詞,過去分詞の形態を欠いている.
意味的には多種多様ではあるが,話者の態度や判断,いわゆる modality に関わるものが多い.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
・ Coates, J. The Semantics of the Modal Auxiliaries. London: Croom Helm, 1983.
現代英語における動詞の過去(分詞)形を作る接尾辞 -ed は "dental suffix" とも呼ばれ,その付加はゲルマン語に特有の形態過程である(「#182. ゲルマン語派の特徴」 ([2009-10-26-1]) を参照).これによってゲルマン諸語は,語幹母音を変化させて過去時制を作る印欧語型の強変化動詞(不規則変化動詞)と,件の dental suffix を付加する弱変化動詞(規則変化動詞)とに2分されることになった.後者は「規則的」なために後に多くの動詞へ広がっていき,現代英語の動詞形態論にも大きな影響を及ぼしてきた(「#178. 動詞の規則活用化の略歴」 ([2009-10-22-1]),「#764. 現代英語動詞活用の3つの分類法」 ([2011-05-31-1]) を参照).
現代英語の -ed のゲルマン語における起源については諸説あり,決着がついていない.しかし,ある有力な説によると,この接尾辞は動詞 do と同根ではないかという.しかし,do 自体が補助動詞的な役割を果たすということは認めるにせよ,過去(分詞)の意味がどこから出てくるのかは自明ではない.同説によると,ゲルマン語において do に相当する語幹が,過去時制を作るのに重複 (reduplication) という古い形態過程をもってしたために,同じ子音が2度現われる *dēd- などの形態となった.やがて中間母音が消失して問題の子音が合わさって重子音となったが,後に脱重子音化して,結局のところ *d- に収まった.つまり,-ed の子音は,do の語幹子音に対応すると同時に,それが過去時制のために重複した同子音にも対応することになる.
では,この説は何らかの文献上の例により支持されるのだろうか.ゴート語に上記の形態過程をうかがわせる例が見つかるという.Lass (164) の説明を引こう.
The origin of the weak preterite is a perennial source of controversy. The main problem is that it is a uniquely Germanic invention, which is difficult to connect firmly with any single IE antecedent. Observing the old dictum ex nihilo nihil fit (nothing is made out of nothing), scholars have proposed numerous sources, none of which is without its difficulties. The main problem is that there are at least three consonantisms: /d/ (Go nasida 'I saved', inf. nasjan), /t/ (Go baúhta 'I bought', inf. bugjan), and /s/ (Go wissa 'I knew', inf *witan).
But even given this complexity, the most likely primary source seems to be compounding of an original verbal noun of some sort with the verb */dhe:-/ 'put, place, do' (OHG tuon, OE dōn, OCS dějati 'do', Skr dádhati 'he places', L fēci 'I made, did').
This leads to a useful analysis of a Gothic pret 3 ppl like nasidēdun 'they saved':
(7.18) nas - i -dē - d - un
SAVE-theme-reduplication-DO-3 pl
I.e. a verbal root followed by a thematic connective followed by the reduplicated perfect plural of 'do'. This gives a periphrastic construction with a sense like 'did V-ing'; with, significantly, Object-Verb order . . ., i.e. (7.18) has the form of an OV clause 'NP-pl sav(ing) did'. An extended form also existed, in which a nominalizing suffix */-ti/ or */-tu/ was intercalated between the root and the 'do' form, e.g. in Go faúrhtidēdun 'they feared', which can be analysed as {faúrh-ti-dē-d-un}. This suffix was in many cases later weakened; first the vowel dropped, so that */-ti-d-/ > */-td-/; this led to assimilation */-tt-/, and then eventual reinterpretation of the /t/-initial portion as a suffix itself, and loss of the 'do' part from verbs of this type . . . . The problematic /s(s)/ forms may go back to a different (earlier) development also involving */-ti/, in which the sequence */tt/ > /s(s)/ . . . but this is not clear.
要するに,-ed 付加の原型は次の通りだ.まず動詞語幹に名詞化する形態操作を施し,いわば動名詞のようなものを作る.その直後に,do の過去形 did のようなものを置いて,全体として「(動詞)の動作を行なった」とする.このようにもともとはOV型の迂言的な統語構造として始まったが,やがて全体がつづまって複合語のようなものとしてとらえられるようになり,形態的な過程へと移行した.この段階に至って,-ed に相当する部分は,語彙的な要素というよりは接尾辞,すなわち拘束形態素と解釈された.一種の文法化 (grammaticalisation) の例とみてよいだろう.
上の引用で Lass は Go wissa に言及するとともに,最後に /s(s)/ を巡る問題に言い及んでいるが,対応する古英語にも過去現在動詞 wāt の過去形として wiste/wisse があり,音韻形態的に難しい課題を投げかけている.これについては,「#2231. 過去現在動詞の過去形に現われる -st-」 ([2015-06-06-1]) を参照されたい.
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
中英語では「神にかけて」「キリストにかけて」に相当する各種表現が誓言として常用される.その1変種として,God (hit) wot という表現がある.現代英語でいえば (as) God knows (it) ほどに相当する形式だ.wot という形態は,歴史的には過去現在動詞である中英語の witen (to know) が,直説法現在3人称単数に屈折した形態である(「#66. 過去現在動詞」 ([2009-07-03-1]) を参照).
これと似て非なるものが,Godd hit wite という表現である.ここで用いられている wite という形態は,上と同じ witen の「接続法」現在3人称単数形である.つまり,機能としては祈願となり,let God know it ほどの意味になる.最近 Bennett and Smithers 版で Ancrene Wisse の一部を読んでいたときに,この表現に出会った.A. ll. 151--52 に,次のようにある.
Godd hit wite and he hit wat, me were leouere þet ȝe weren alle o þe spitel-uuel þen ȝe weren ontfule . . . .
(God be my witness to it---and he knows it---I had rather you were all lepers than that you should be envious)
ここでは Godd hit wite と he hit wat の両表現が並んでいるので,その区別に気づきやすい.接続法の用法の機微を感じられる例である.
Onions が,接続法を用いた方の表現について,おもしろい論考を寄せている (334--35) .
Their equation with certain Continental Germanic formulæ has been overlooked, and in general their force has been misapprehended. Their meaning is: "Let God (or Christ) know (it)," "God be my witness (to it)," "I call God to witness." They are strong asseverations, and are virtually equivalent to "I declare to God." They are therefore more forcible than God wot, Goddot . . . .
ゲルマン諸語でも中オランダ語,中低地ドイツ語,中高地ドイツ語に接続法を用いた対応表現が見られる.中英語からの用例はそれほど多く文証されているわけでないのだが,Onions (335) が引用しているように,12世紀の Anglo-Norman の Mestre Thomas による Horn という作品に,次のような箇所がある.
Seignurs bachelers, bien semlez gent bevant,
Ki as noeces alez demener bobant;
Ben iurez wite God, kant auerez beu tant. (Horn, l. 4011, ed. Brede and Stengel.)
(Young gentlemen, you have all the appearance of drinking fellows, who go to weddings to behave uproariously; you swear "wite God" when you are in liquor.)
この表現が,実際には誓言として常用されていたことを間接的に示す証拠となるのではないか.
・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
・ Onions, C. T. "Middle English (i) WITE GOD, WITE CRIST, (ii) GOD IT WITE." The Review of English Studies 4.15 (1928: 334--37).
過去現在動詞 (preterite-present_verb) については,「#58. 助動詞の現在形と過去形」 ([2009-06-25-1]) と「#66. 過去現在動詞」 ([2009-07-03-1]) でみてきたが,その古英語における例である wāt (to know) と mōt のパラダイムを眺めていると,気になることがある.過去現在動詞の過去形は,新しい弱変化動詞であるかのように歯音接尾辞 (dental suffix) を付すので,それぞれ *witte, *mōtte などとなりそうなものだが,実際に古英語に文証される形態は wiste/wisse, mōste などである(以下の表では,関連する過去形の箇所を赤で示してある).-st- のように s が現われるのはどういうわけだろうか.
Present Indicative | ||
Sg. 1 | wāt | mōt |
2 | wāst | mōst |
3 | wāt | mōt |
Pl. | witon | mōton |
Present Subjunctive | ||
Sg. | wite | mōte |
Imperative | ||
Sg. | wite | |
Pl. | witað | |
Preterite Indicative | ||
Sg. 3 | wiste, wisse | mōste |
Pl. | wiston, wisson | mōston |
Preterite Subjunctive | ||
Sg. | wiste, wisse | mōste |
Infinitive | witan | |
Infl.inf. | to witanne | |
Pres.part. | witende | |
Pa.part. | witen |
In the pret. of wāt, forms with -st- are more frequent than those with -ss- already in EWS, except in Bo, although -ss- is the older form, reflecting PGmc *-tt- . . . . Wiste was created analogically by the re-addition of a dental preterite suffix at a later date; such forms are found in the (sic) all the WGmc languages. Pa.part. witen is formed by analogy to strong verbs . . . .
ゲルマン祖語では,上で想定したように *witte, *mōtte に相当する語形が再建されているが,この -tt- が -ss- へと変化したようだ.後者が,古英語で文証される wisse に連なったということだろう.しかし,改めてこの語尾に歯音接尾辞 t を付して過去形であることを明示したのが,古英語で一般的に見られる wiste だというわけである.そして,mōste は過去現在動詞の仲間としてこの wiste に倣ったものだという (Hogg and Fulk 306) .
一般に過去現在動詞の過去形は,語源的には「二重過去形」と称することができるが,wiste, mōste に関しては,上の経緯に鑑みて「三重過去形」と呼べるのではないか.
・ Hogg, Richard M. and R. D. Fulk. A Grammar of Old English. Vol. 2. Morphology. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
補充法 (suppletion) は広く関心をもたれる言語の話題である.go -- went -- gone, be -- is -- am -- are -- was -- were -- been, good -- better -- best, bad -- worse -- worst, first -- second -- third など,なぜ同一体系のなかに異なる語幹が現われるのか不思議である.言語における不規則性の極みのように思われるから,とりわけ学習者の目にとまりやすい.
しかし,専門の言語学においては,補充法への関心は必ずしも高くない.補充法を掘り下げて研究することには限界があると感じられているからだろう.その理由としては,(1) 単発であること,(2) 形態的に不規則で分析不可能であること,(3) 範列的な圧力 (paradigmatic pressure) から独立しており,形態的な類推 (analogy) が関与しないこと,などが挙げられる.つまり,個々の補充形は,文法のなかで体系的に扱うことができず,語彙項目として個別に登録されているにすぎないものと理解されている.一般にある語がなぜその形態を取っているのかが恣意的 (arbitrary) であるのと同様に,補充形がなぜその形態なのかも恣意的であり,より深く掘り下げられる種類の問題ではないということだろう.補充法の特徴を何かあぶりだせるとすれば,一握りの極めて高頻度の語にしか見られないということくらいである.
Hogg は,一見すると矛盾するように思われる "Regular Suppletion" という題名を掲げて,補充法研究の限界を打ち破り,可能性を開こうとした.補充法は,形態理論の研究に重要な意味をもつという.Hogg は,英語史からの補充法の例により,次の4点を論じている.
1つ目は,"the replacement of one suppletion by another" の例がみられることである.すでに古英語では yfel -- wyrsa -- wyrsta の補充法の比較が行なわれていたが,中英語では原級の語幹が入れ替わり,現代英語の bad -- worse -- worst へと至った.現在では,前者は evil -- more evil -- most evil となっている.yfel は極めて一般的な語義「悪い」を失い,宗教的な語義へ転じていったことにより,worse -- worst に対応する原級の地位を失い,後から一般的な語義を獲得した bad に席を譲ったということになる.Hogg は,古英語 *bæd はタブーだったために文証されていないだけであり,実際には14--18世紀に文証される badder -- baddest とともに,規則的な比較変化を示していたはずだと推測している (72) .あくまで仮説ではあるが,evil と bad について,比較級変化は以下のような歴史的変化を経ただろうとしている (72) .
evil → worse → worse, more evil → more evil bad → badder → worse, badder → worse
2つ目は,"the preference for suppletion over regularity" であり,go -- went に例をみることができる."to go" の補充過去形として古英語 ēode が中英語 went に置き換えられたことはよく知られている.それによって went の本来の現在形 wend が wended という規則的な過去形を獲得したことが,英語史上も話題になっている.went の例で重要なのは,規則形よりも補充形が好まれるという補充法の傾向を示すものではないかということだ.ただし,北部方言やスコットランド方言では,別途,規則形 gaid や gaed が生み出されたという事実もある.
3つ目は,"the addition of regularity without disturbance of the suppletion" である.古英語 bēon の3人称複数現在形の1つ syndon は,印欧祖語 *-es からの歴史的な発展形である synd や synt という補充形に,過去現在動詞 (preterite-present_verb) の現在複数屈折語尾 -on を加えたものである.本来的に形態的類推を寄せつけないはずの語幹に,形態的類推による屈折語尾を付加した興味深い例である.これは,上で触れた (2), (3) の反例を提供する.
4つ目は,"the creation of a new regular inflection on the basis of suppletion" である.古英語 bēon の1人称現在単数形の1つ (e)am は,Anglia 方言では語尾 -m の類推により非歴史的な bīom を生み出した.同方言ではこれが一般動詞に及び,非歴史的な1人称現在単数形 flēom (I flee) や sēom (I see) をも生み出すことになった.本来,補充形の内部にあって分析されないはずの -m がいまや形態素化したことになる.
Hogg (80--81) は,以上のように補充法の語彙的,形態的な注目点を明らかにしたうえで,"[S]uppletion is not merely a linguistic freak which does no more than give a small amount of pleasure to a rather giggling schoolboy. . . . [S]uppletion is a dynamic process." と述べ,補充法研究の可能性を探りながら,論文を閉じている.
・ Hogg, Richard. "Regular Suppletion." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 71--81.
[2009-06-25-1]で過去現在動詞 ( preterite-present verb ) に触れた.過去現在動詞 とは,本来は強変化動詞だったが,その過去形が現在の意味を表すようになり,改めて弱変化で過去形が作られるようになった動詞である.そのため,強弱変化動詞 ( strong-weak verb ) とも呼ばれる.古英語には,以下のような過去現在動詞があった.古英語の不定詞を挙げる.
・āgan "to own" > PDE to own
・cunnan "to know" > PDE can
・dugan "to avail"
・"dare" (不定詞を欠く) > PDE dare
・(ge)munan "to remember"
・magan "can" > PDE may
・"must" (不定詞を欠く) > PDE must
・schulan "shall" > PDE shall
・þurfan "need"
・unnan "to grant"
・witan "to know" > PDE wit
magan "can" ( > PDE may ) の古英語での屈折を見てみよう.
Present | Indicative | Subjunctive |
1st sg. | mæg | mæge |
2nd sg. | meaht, miht | |
3rd sg. | mæg | |
pl. | magon | mægen |
Past | Indicative | Subjunctive |
1st sg. | meahte, mihte | meahte |
2nd sg. | meahtest, mihtest | |
3rd sg. | meahte, mihte | |
pl. | meahton, mihton | meahten |
昨日の記事で,must に過去形が欠けているのは,もともと古英語で過去形だったからだと述べた.また,もともと過去の意味を表したものが徐々に現在の意味を表すようになるというのは,must だけでなく,現代英語の主要な助動詞 could, might, should, would においても,現在まさに起こっていることを示した.どうやら助動詞には,過去→現在という意味変化が起こりやすいようだ.
それがなぜかは措いておくとして,過去→現在の意味変化を示す別の衝撃的な例を挙げてみよう.
これまで現在形という前提で話を進めてきた can, may, shall は,なんとこれ自体が形態的には過去形なのである.つまり,古英語よりもっと古い段階で,過去→現在の意味変化を経ていたのである.古英語では,このような(助)動詞を過去現在動詞 ( preterite-present verb ) と呼んでいる.
そうだとすると,could, might, should という形態は過去形の過去形,いわば二重過去形とでも呼ぶべき形態だということになる.そして,現代英語では,その二重過去形までもが現在を表す意味を獲得しつつある・・・.
過去→現在の意味変化が歴史の中でこれほどまでに繰り返されてきたことを考えると,当然,次のサイクルが予期される.実際に,"I should have studied harder for the exam" や "Don't worry---they could've just forgotten to call" などの「過去形助動詞 + have + 過去分詞」が,いわば三重過去形として新たなサイクルを始めている.
このサイクルは永遠に繰り返されるのだろうか?言語の変化は不思議である.
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