昨年出版された服部著『古代スラヴ語の世界史』を読んだ.学生時代にロシア語を少しかじった程度でスラヴ系の言語(史)には疎いので,本ブログでもスラヴ語派 (slavic) に関してはあまり記事を書いてきていない.そのような者にとって,たいへん読みやすく学ぶことの多い著書だった.
そもそも古代スラヴ語 (Old Slavic [Slavonic]) とは何か.服部 (114--16) を参照しつつ要約しよう.時代は9世紀半ばに遡る.当時のスラヴ世界には,多少の方言差はあったにせよ共通スラヴ語と呼べる口語が行なわれていたと考えられる.しかし,それは書き言葉に付されることはなかった.862年,ギリシア出身のコンスタンティノスとその兄メドティオスが,モラヴィア国(現在のチェコ東部)にスラヴ語でキリスト教を布教すべく,経典類のためのスラヴ文章語と,それを書き記すためのグラゴール文字を考案した(後者について「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]) を参照).この新生スラヴ文章語こそが「古代スラヴ語」の正体である.
この文章語による布教は当初は順調に進んだが,国内外の政治情勢ゆえに,885年のメトディオスの死後,無に帰した.しかし,弟子たちがブルガリアへ避難し,そこで首長ボリスの庇護を受けるに及んで,古代スラヴ語の伝統は新天地にて延命,いな発展を遂げる.先のグラゴール文字の機能的な長所を保ちつつ,人々が使い慣れていたギリシア文字の字形を導入し,あらたにキリル文字が作られた.ところがブルガリアもやがて滅亡し,古代スラヴ語は再び衰退の危機にさらされた.危機に陥った古代スラヴ語は,しかし,3度目の滞在地を見つけた.キエフ・ルーシである.989年にキエフ公ウラジーミルがキリスト教を国教化すると,この地にて古代スラヴ語が受け継がれることになった.
しかし,10世紀末のこの段階までに,話し言葉としてのスラヴ語は相当の方言化を経ていた.キエフ・ルーシでも,人々の母方言と,共通文章語としての役割を果たしてきた古代スラヴ語との差が目立ってきていたのである.古代スラヴ語の経典類は,書写されていくにつれて母方言的な要素が多く混入し,いつしか純粋な古代スラヴ語と呼び得ないほどまでになった.この段階をもって,古代スラヴ語は「ロシア教会スラヴ語」や「古代ロシア文語」と呼ぶべきものに変化したと考えられている.古代スラヴ語は消滅したにはちがいないが,より正確には「ロシア教会スラヴ語」へ同化・吸収されていったといえる.
古代スラヴ語は,このように9世紀後半から1100年ほどまでスラヴ人が用いた文章語であった.言語史の1コマといえばそうだが,歴史的な意義として服部 (5) は2点を挙げている.
このような歴史の中で見ると,古代スラヴ語とはどのような重要性を持つのであろうか.まず古代スラヴ語によってスラヴ人は初めて文字を手に入れ,文章を書き記すことを始めた.つまり,スラヴ人自身の言葉によって文献を書き残せるようになった歴史的意味は無視し難いであろう.次に,スラヴ人は,自分たちの言葉を通してキリスト教世界と関わりを持つことにより,その存在感を徐々に高めてゆくことになる.とりわけ,東方教会の圏内において,今日に繋がるような大きな存在となってゆくことは重要である.
たいへん勉強になった.スラヴ語派,あるいはより広くバルト=スラヴ語派については,「#1469. バルト=スラブ語派(印欧語族)」 ([2013-05-05-1]) を参照.
・ 服部 文昭 『古代スラヴ語の世界史』 白水社,2020年.
印欧語族の語派解説シリーズ (see indo-european_sub-family) の第6弾で,Baugh and Cable (30--32) により,バルト=スラブ語派 (Balto-Slavic or Balto-Slavonic) について解説する.
この語派は,ヨーロッパ東部の大域を覆う語派である.その名の示すとおりバルト語群 (the Baltic subfamily) とスラブ語群 (the Slavic subfamily) に大別されるが,互いに多くの共通の特徴を有しており,他の語派に比べて内部の近親性は高い.
バルト語群には,Old Prussian, Latvian, Lithuanian の3言語が属する.Old Prussian は17世紀にドイツ語によって置換され,現在では死語となっている.一方,Latvia はラトビア共和国の約200万人の言語,Lithuanian はリトアニア共和国の約300万人の言語として健在である.やや誇張して言われることだが,とりわけ Lithuanian は古い語法をよく保っており,リトアニアの農夫は単純な Sanskrit の語句を理解することすらできるという.
次に,スラブ語群に移ろう.スラブ語群の諸言語は7--8世紀まではおよそ一様だったと想定されている.スラブ語群に関する最も古い文献は,9世紀に兄弟宣教師 Cyril (827--69) と Methodius (825?--84) によって翻訳された聖書の一部と祈祷文に残されている.この言語は南スラブ語群に属し,Old Church Slavonic や Old Bulgarian として言及されるが,スラブ語群の共通の祖語にかなり近いとされる.中世から近代に至るまで正教会の言語として権威を保っていた.
スラブ語群は大きく East Slavic, West Slavic, South Slavic に3区分される.East Slavic に属する主要な言語は,Russian, Belorussian, Ukrainian である.Russian は約1億7500万人に話されている大言語で,ロシアの公用語,文学語である.Belorussian はベラルーシや隣接するポーランドの地域で約900万人よって話される言語である.Ukrainian はウクライナで約5000万人によって話されている大言語だが,国内では歴史的に威信のあるロシア語と競合しており,民族主義的な運動によりロシア語からの区別化が目指されている.
West Slavic には,4つの主要な言語が属する.Polish は語群内で最大の話者を有している.話者はポーランド国内の約3600万人にとどまらず,米国その他へ移民した約500万人以上をも含む.次に,Czech と Slovak はそれぞれ100万人,500万人ほどの話者を有し,互いに理解可能である.最後に,Sorbian はドイツの Dresden の北東部という限られた地方で10万人ほどによって話されている小さい言語である.
East Slavic と West Slavic は地理的に連続して分布しているが,South Slavic の地域はイタリック語派の Romanian や非印欧語族の Hungarian によって他のスラブ語派から分断されている.また,South Slavic は旧ユーゴスラビアの諸言語として,その分裂以降,相互に複雑な社会言語学的状況を呈している.South Slavic に属する主要な言語は Bulgarian, Serbian, Croatian, Slovene, Macedonian (古代マケドニア語と系統的に区別される現代マケドニア語)である.Bulgarian は歴史的にはバルカン半島の東部で話されていた言語で,その地が他民族に征服された後にもかえって征服者の言語を逆征服して生き残った言語である.日常語としての現代ブルガリア語はトルコ語からの多くの借用語を含んでいるが,文学語としての変種はロシア語に近い.Serbian と Croatian は互いに文字体系は異なっているものの言語的には同一であり,政治的分裂以前には Serbo-Croatian と一括して呼称されていた.さらに,政治・宗教・民族的な対立により,やはり言語的にはほぼ同一の Bosnian も区別されるようになってきた.Slovenia は,スロベニアの約150万人によって話されている.
スラブ語群の分布図は,Distribution of the Slavic languages in Europe を参照. *
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
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