01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
「#279. 言語への関心と言語学への関心のギャップ」 ([2010-01-31-1]) で述べたように,ほとんどの人々が程度の差はあれ言葉に関心があるし,何らかの意味で言葉の問題には注意を払っている.しかし,言語「学」となると話は別であり,人々の関心の度合いはぐんと下がる.なぜ言語学は人を寄せつけないのだろうか.
大きな理由として,人々にとって言葉は空気のようにあまりに自然で身近なものであり,改めて「学」として考察したり議論したりする動機づけを感じにくいということがあるだろう.近すぎて学の対象としてとらえにくいという事情があるのではないか.すでに「分かっている」ものについて,掘り下げて研究する必要性が感じられにくい.
言語学者も日常的にはある言語の話者であるから,その点では一般の人々と変わりない.せいぜい,日常的な言語使用に対するアンテナが,言語学者の場合には広かったり高かったりするという,程度の違いがあるくらいのように思われるかもしれない.しかし,言語学者が非言語学者と大きく異なるのは,言語をみる視点や態度にこそある.当たり前の物事を当たり前に見ていては学にならないので,その見方に創意工夫を凝らすのが言語学者ということになる.つまり身近な事柄に対して新鮮な視点を与えるというのが言語学者の身上であるから,言語学とはいってみれば視点の学なのである.もちろん観察対象となる言葉じたいが重要なことは言うまでもないが,それと同じくらい,場合によってはそれ以上に,観察する視点が重要である.
安井(23--24) は,およそ同趣旨のことを,次のように述べている.
言語について何か考えようとする場合,その材料となるものに関する限り,言語学者という専門家と専門家ではない一般の人々との間に,ハンディキャップのようなものはほとんどないことになる.このことは,言語学を,他の学問分野,たとえば,その研究対象が大型の粒子加速装置であるとか大型の望遠鏡であるとかを用いることによってはじめて得られるというような学問分野から区別している大きな特色であると考えられる.
もしも,同じ材料に基づいて言語というものを考えてゆくのであるなら,言語学者が考える言語の姿と,一般の人々が考える言語の姿とは,あまり違わないものになりそうな気もするであろう.専門家と非専門家とを比べているのであるから,「あまり違わない」というのはやや不正確で,むしろ,かなり違うことは,当然予想されるところであるが,その違い方は,いわば程度の差であって,専門家のほうが精密度の高い見方をしているにすぎないというふうに言うべきである,としても,もちろん,よろしい.が,実際は,どのようになっているのであろうか.結論を先に言うと,両者の間には,大きな,そしてむしろ質的な違いがあるように思われる.専門家の存在理由というのも,そこのことろにあるとしてよい.
どうしてそういうことになっているかと言うと,逆説的な言い方になるけれども,言語というものがあまりにも身近なものでありすぎるからである,と考えられる.ことばというものは,われわれの生活のすみずみにまでみなぎっており,われわれの生存の一瞬一瞬が,すべて言語によって支えられているのであると言っても,言いすぎではない.言語というものは,それくらいわれわれの生活に密着しているものである.したがって,われわれは,一般に,ことばのない世界というものは想像することさえできないし,あるいは,人間のことばをまったく解さない,たとえば,宇宙人のようなものが人間のことばに接したときに示すかもしれない反応についても,それがどのようなものであるのか,見当をつけることもできないのではないかと思われる.けれども,言語の構成がどのようになっているかということや,私たちが言語を用いているときの姿がどのようなものであるかというようなことを調べようとする場合には,まさに,このような,いわば自分を言語から一度つき放してみるという態度,つまり,言語という世界の外側に身を置き,そこから言語の世界を,できるだけとらわれない,新鮮な目で観察しなおしてみるという態度が必要であると思われる.
つまり,言語学は「宇宙人の視点」で言語を観察するということである.「宇宙人の視点」を提案したり獲得したりすることは,観察する対象が言葉でなくとも,地球人にとって学ぶところが多いだろう.異なる視点,多様な見方が重要性を増している現代,言語学は多くのものを差し出すことができるはずである.
・ 安井 稔 『20世紀新言語学は何をもたらしたか』 開拓社,2011年.
「母語」という用語を巡る問題について「#1537. 「母語」にまつわる3つの問題」 ([2013-07-12-1]),「#1926. 日本人≠日本語母語話者」 ([2014-08-05-1]),「#2603. 「母語」の問題,再び」 ([2016-06-12-1]) の記事で考えてきた.「母語」と「母国語」とは本質的に異なる概念である.「母語」 (one's mother tongue) とは,個人が最初に習得し,自らの日常的な使用言語であるとみなしている言語のことであり,きわめて私的なものである.一方,「母国語」 (one's national language) とは「母国」である国家が公的に採用している言語を指し,定義上,公的なものである.それぞれの用語の前提にある態度が正反対であることに注意したい.
典型的な日本に生まれ育った日本人の場合,ほとんどのケースで「母語=母国語=日本語」の等式が成り立つだろう.したがって,日常の言説では,いちいち「母語」と「母国語」の用語を使い分ける必要性がほとんど感じられず,たいてい「母国語」で用を足している人が多いのではないか.しかし,古今東西,このような等式が成立しないケースは珍しくないどころか,普通といってよい.世界を見渡せば,多くの人々にとって「母語≠母国語」という状況がある.
母語と母国語のねじれた関係が,およそ国家単位で見られるという興味深い例が,昨日の記事「#2803. アイルランド語の話者人口と使用地域」 ([2016-12-29-1]) でも取り上げたアイルランドに見られる.嶋田著『英語という選択 アイルランドの今』を読むまで知らなかったのだが,アイルランド人は,アイルランド語を流ちょうに使えずとも,ときにその言語を「私たちの母国語」ではなく「私たちの母語」と表現することがあるという.ここには上に述べた用語の混乱という問題が含まれているが,むしろ,人々がこの用語のもつ曖昧さに訴えて,アイルランド語に対する自らの思いの丈を表明しているのだと解釈するほうが妥当だろう.つまり,「私たちの母なることば」というニュアンスに近い意味で「私たちの母語」と呼んでいるのだと.
嶋田 (25--26) は,1999年に行なったアンケート調査の自由記述欄から,アイルランド語を言い表す表現を集めた.
・ our true language
・ our national tongue
・ our native language
・ our native tongue
・ our own language
・ OUR language
・ our mother tongue
・ our original native language
口から発せられている言葉と口から発せられるべきと信じている言葉が異なっているというチグハグ感.用語遣いにみる「ねじれ現象」を前に,何とも表現しがたいが,悲哀を禁じ得ない.
・ 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.
アイルランドにおけるアイルランド語から英語への言語交替 (language_shift) について「#2798. 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.」 ([2016-12-24-1]),「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]) で取り上げた.言語交替は現在も進行中だが,アイルランド語 (irish) はいまだ確かに使用されている.アイルランド語使用の実態について,嶋田 (20--20) の記述を箇条書きにまとめてみよう.
・ 現代アイルランドでは日々のコミュニケーションの主流は英語である
・ アイルランド語のみを話す話者は存在しない
・ 日常的にアイルランド語を用いるのは,人口の2%程度である
・ 2011年の国勢調査によるとアイルランド語話者(=「アイルランド語が話せる話者」)は約177万人で,これは3歳以上の人口の40.6%に相当する
・ アイルランド共和国憲法第8条にはアイルランド語が国語 (national language) であり第1公用語であることが記されている(英語は第2公用語)
・ アイルランド語は,多くのアイルランド人にとって学校で学ぶ言語である
・ 民族語であるアイルランド語を習得することは公共機関の仕事に就くために必須であり,高く評価される
・ アイルランドは,2010年から2030年までの「20年戦略」でアイルランド語と英語のバイリンガルをできる限り増やす計画を立てている
・ 現地ではアイルランド語は「ゲール語」 (Gaelic) と称され,ゲール語使用地域は「ゲールタハト」 (Gaeltacht) と呼ばれる
最後に触れたゲールタハトは,アイルランド島の西部を中心に小区画として点在している(ただし,広義にはスコットランドのゲール語使用地域も含む).Údarás na Gaeltachta のホームページによると,"The Gaeltacht covers extensive parts of counties Donegal, Mayo, Galway and Kerry --- all along the western seaboard --- and also parts of counties Cork, Meath and Waterford." と説明書きがある.以下に簡単な地図を再現しておこう(「#774. ケルト語の分布」 ([2011-06-10-1]) の地図も参照).
アイルランド語の歴史の概略については,Background on the Irish Language の記事も有用.関連して,アイルランドの歴史について「#762. エリザベス女王の歴史的なアイルランド訪問」 ([2011-05-29-1]),「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1]) も参照されたい.
・ 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.
「アメリカ語法」を表わす Americanism という語を初めて用いたのは,初期のプリンストン大学の学長 John Witherspoon (1723--94) である.Witherspoon はスコットランド出身で,アメリカにて聖職者・教育者として活躍しただけでなく,独立宣言の署名者の1人でもある.
この語が造られた経緯について Baugh and Cable (380--81) に詳しいが,Witherspoon は1781年に Pennsylvania Journal 9 May 1/2 において Americanism という語を初めて用いたという.彼がこの表現に与えた定義は "an use of phrases or terms, or a construction of sentences, even among persons of rank and education, different from the use of the same terms or phrases, or the construction of similar sentences in Great-Britain." である.定義に続けて,Witherspoon は,"The word Americanism, which I have coined for the purpose, is exactly similar in its formation and signification to the word Scotticism." と述べている.実際,Scotticism という語は,OED によると時代的には1世紀半近く遡った1648年の Mercurius Censorius No. 1. 4 に,"It seemes you are resolved to..entertain those things which..ye have all this while fought against, the Scotticismes, of the Presbyteriall government and the Covenant." として初出している.
Witherspoon は Americanism という語を最初に用いたとき,そこに結びつけられがちな「卑しいアメリカ語法」という含意を込めてはいなかった.彼曰く,"It does not follow, from a man's using these, that he is ignorant, or his discourse upon the whole inelegant; nay, it does not follow in every case, that the terms or phrases used are worse in themselves, but merely that they are of American and not of English growth." ここには,イギリス(英語)に対して決して卑下しない,独立宣言の署名者らしい独立心を読み取ることができる.
タイトルに Americanism の語こそ含まれていなかったが,最初のアメリカ語法辞書が著わされたのは,造語から35年後の1816年のことである.John Pickering による A Vocabulary, or Collection of Words and Phrases which have been supposed to be Peculiar to the United States of America である.しかし,この辞書はむしろイギリス(英語)寄りの立場を取っており,アメリカ語法が正統なイギリス英語から逸脱していることを示すために用意されたとも思えるものである.同じアメリカ人ではあるが愛国主義者だった Noah Webster が,Pickering の態度に業を煮やしたことはいうまでもない.この Pickering と Webster の立場の違いは,後世に続く Americanism を巡る議論の対立を予感させるものだったといえる.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
ヒトの発音器官が二次的な派生物であることについて,「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」 ([2010-10-23-1]) でみた.この結果としてヒトの言語は様々な特徴,あるいは制限をもつに至ったと思われるが,音声変化や,さらには言語変化の普遍性も,ヒトの発音器官の生理的な特質と関連しているという見方がある.三輪 (15) は,マルティネの見解を次のように紹介している.
言語は常に均整のとれた体系へと変化する.しかし,人間の発音器官は,発音を第一次機能としてもつのではない.口,歯,舌,唇は食べ物を摂取し,咀嚼し,飲み込むためにできており,発音器官は,消化機能の上に,いわば,副次的機能としてあるにすぎない.したがって,口の中の器官は,食べ物の消化には都合よくできていても,発音に必ずしも都合よくできていない.発音器官としてみると不均衡にできており,均衡のとれた体系を目指す言語体系,特に母音・子音の体系とそれを実現に移す発音器官とは整合していない.そのことが普遍的な言語変化の要因であり,実際にしばしば発音の変化,言語の変化の原因となる.
調音音声学や生理学の視点に立てば,例えば母音をみれば分かるように,前舌系列と後舌系列は非対称的で不均衡である.「#19. 母音四辺形」 ([2009-05-17-1]) や「#118. 母音四辺形ならぬ母音六面体」 ([2009-08-23-1]) の図をみれば,口腔を横からみたときに,正方形や長方形ではなく台形(それすらも理想的な図示)である.ところが,音韻論的にいえば,例えば日本語のような5母音体系において,/i, e, a, o, u/ の各音素は左右対称の優美な三角形(あるいはV字形)の辺の上に配置されるのが普通である.理想は対称的,しかし現実は非対称的,という構図がここにある.
上の引用で主張されていることは,この理想と現実のズレこそが現実を変化させる原動力である,という説だ.この「理想」には,言語は対立の体系であるとするソシュール以来の構造主義的な言語観が色濃く反映されている.
・ 三輪 伸春 『ソシュールとサピアの言語思想 現代言語学を理解するために』 開拓社,2014年.
日本の英語教育では,アメリカ英語が主流となっている.20世紀後半からはアメリカの国力を背景に,世界的にもアメリカ英語の影響力が増し,アメリカ英語化 (americanisation) が進行してきたことは疑いえない(「#851. イギリス英語に対するアメリカ英語の影響は第2次世界大戦から」 ([2011-08-26-1]) を参照).しかし,一方で歴史的に培われてきた世界におけるイギリス英語の伝統も根強く,「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」 ([2010-05-08-1]) の地図でみたように,その効果はいまだ広範にして顕在である.
このように,米英2大変種はしばしば対立して示されるが,今後発展していくと想定される英語の世界標準,いわゆる "World Standard (Spoken) English" (wsse) が,米英2大変種のいずれかに一致するということはないだろう.勢いのあるアメリカ英語がその中心となっていくだろうとは予想されるが,あくまでその基盤となるだろうということであり,その上に様々な独立変種あるいは混合変種の要素が加えられ,全体として混交・中和した新たな変種へと発展していくと予想される(関連して,「#426. 英語変種のピラミッドモデル」 ([2010-06-27-1]),「#1010. 英語の英米差について Martinet からの一言」 ([2012-02-01-1]) などの記事を参照).
このような状況を考えると,何が何でもアメリカ英語をマスターするとか,あるいはイギリス英語にこだわるとか,英語学習において力む必要はなくなってきていると言えるだろう.聴く・読むという受動的な英語能力の観点からいえば,有力な変種に特有な表現などについて,よく学習しておくに越したことはないが,話す・書くという能動的な能力に関しては,それほど「○○英語での言い方」にこだわる必要はない,少なくともその必要性は薄れてきているのではないか.
上の提案の妥当性を判断するのに,世界における英語使用の展望を要約した Baugh and Cable (394) の文章が参考になる.
The global context of English . . . makes the traditional categories [= American English and British English] more problematic and the choices more complex than they were previously perceived to be. American English may be the most prominent source of emerging global English, and yet it will be American English derancinated and adapted in a utilitarian way to the needs of speakers whose geography and culture are quite different. To the extent that Americans think about the global use of English at all, it is often as a possession that is lent on sufferance to foreigners, who often fail to get it right. Such a parochial attitude will change as more Americans become involved in the global economy and as they become more familiar with the high quality of literature being produced in post colonial settings. Many earlier attacks on American English were prompted by the slang, colloquialisms, and linguistic novelties of popular fiction and journalism, just as recent criticism has been directed at jargon in the speech and writings of American government officials, journalists, and social scientists. Along with the good use of English there is always much that is indifferent or frankly bad, but the language of a whole country should not be judged by its least graceful examples. Generalizations about the use of English throughout a region or a culture are more likely to mislead than to inform, and questions that lead to such generalizations are among the least helpful to ask. In the United States, as in Britain, India, Ghana, and the Philippines, in Australia and Jamaica, one can find plentiful samples of English that deserve a low estimate, but one will find a language that has adapted to the local conditions, usually without looking over its shoulder to the standards of a far-away country, and in so adapting has become the rich medium for writers and speakers of great talent and some of genius.
もちろん,あえて諸変種のちゃんぽんを学ぶことを心がけるというのも妙なものなので,緩やかに学習のターゲットとなる変種を定めておいた上で,他変種からの混合も自由に受け入れるという柔軟な態度が最良なのかもしれない.そして,そのような英語学習の結果として,世界的で格調高い新しい英語変種の使い手になることが望ましいと考える.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
Merry Christmas! ということで,軽めの話題を.数年前のことだが,英語の語源や故事成語に関する豆知識をカード化した Orijinz という教材(?)を買ったことがある.商品サイトにメールアドレスを登録していたらしく,先日 Orijinz Quiz という HP へのリンクが送られてきた.クイズが数問あり,こちらに解答が書かれていた.
そのなかの2問はすでに本ブログでも扱っている話題である.1つは「#2771. by and large」 ([2016-11-27-1]) で扱ったばかりの話題であり,別の1つは「#1767. 固有名詞→普通名詞→人称代名詞の一部と変化してきた guy」 ([2014-02-27-1]) の話である.
嶋田珠巳著『英語という選択 アイルランドの今』を読んだ.過去数世紀の間,アイルランドで進行してきたアイルランド語から英語への言語交替 (language_shift) が,平易な文体で,しかし詳細に描かれている.フィールドワークを通じて国民の心理にまで入り込もうとする調査態度,アイルランド英語の言語学的分析,言語接触に関する理論的な貢献,日本語もうかうかしていると危ないぞとの警鐘など,読みどころが多い.現代アイルランドの言語事情について,このように一般向けに読みやすく書かれた本が出たことは歓迎すべきである.
著者は,アイルランドにおける言語交替という(社会)言語学的な研究を行なうに当たって,言語重視ではなく話者重視の態度をとることを宣言している.
わたしは言語をそのさまざまな現象とともに考えるとき,まず言語使用者,すなわち話者をその中心に置く.ことばをめぐるさまざまな現象(たとえば,言語接触,言語変化,言語使用,コード・スイッチング)はすべて話者の介在のもとにある.このようなことはあたりまえのように思えるかもしれないし,一度このような見方を提案された読者は,それ以外の見方は理解しづらいかもしれないが,実際に提案されている言語学分野の理論および考察の前提においては,さまざまな要因のもとに言語使用にゆれを生じさせる「話者」を捨象して,言語の本質を科学的に解明しようという試みのものとに理論が構築されてきた背景もある.(嶋田,p. 55)
引用にあるとおり,言語学を筆頭とする言語に関する言説では「話者の捨象」は日常茶飯事である.とりわけ話者を重視するはずの分野である社会言語学や語用論ですら,議論が進んでいく間に,いつのまにか話者の顔が見えなくなっていることがしばしばである.
しかし,言語は話者(及びコミュニケーションに関わるその他の人々)がいなければ言語たりえないという当たり前すぎる事実を再確認するとき,話者を捨象した言語学が早晩行き詰まるだろうことは容易に想像できる.言語学から話者を救いだすことが必要なのだ.このことは,本ブログでも次の記事などで繰り返し論じてきた.
・ 「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1])
・ 「#1168. 言語接触とは話者接触である」 ([2012-07-08-1])
・ 「#2005. 話者不在の言語(変化)論への警鐘」 ([2014-10-23-1])
・ 「#2298. Language changes, speaker innovates.」 ([2015-08-12-1])
とはいえ,言うは易しである.言説の慣れというのはすさまじいもので,気を抜くと,すぐに話者の顔の見えない言語論へと舞い戻ってしまう.言語体系そのものに立脚する言語学のすべてが誤りというわけでもないし,言語(体系)と話者(集団)の双方の役割を融合・調和させる「見えざる手」 (invisible_hand) のような言語(変化)論も注目されてきている(「#2539. 「見えざる手」による言語変化の説明」 ([2016-04-09-1]) を参照).言語学としても,言語(体系)と話者(集団)の関係について今一度じっくり考えてみる時期に来ているように思われる.
・ 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.
最長の英単語について,「#63. 塵肺症は英語で最も重い病気?」 ([2009-06-30-1]),「#391. antidisestablishmentarianism 「反国教会廃止主義」」 ([2010-05-23-1]),「#392. antidisestablishmentarianism にみる英語のロマンス語化」 ([2010-05-24-1]) の記事で論じてきた.もう1つ,おどけた表現として用いられる標題の単語 floccinaucinihilipilification を知った.『ランダムハウス英語辞典』では「英語で最も長い単語の例として引き合いに出される」とある.
OED の定義によると,"humorous. The action or habit of estimating as worthless." とある.「無価値とみなすこと,軽視癖」の意である.
語源・形態的に解説すると,ラテン語 floccus は「羊毛のふさ」,naucum は「取るに足りないもの」,nihil は「無」,pilus は「一本の毛」を意味し,これらの「つまらないもの」の束に,他動詞を作る facere を付加して,それをさらに名詞化した語である.ラテン語の語形成規則に則って正しく作られている語だが,あくまで英語の内部での造語であるという点では,一種の英製羅語である(関連して「#1493. 和製英語ならぬ英製羅語」 ([2013-05-29-1]) も参照).
OED によると,初出は1741年.以下に,2つほど例文を引用しよう.
1741 W. Shenstone Let. xxii, in Wks. (1777) III. 49, I loved him for nothing so much as his flocci-nauci-nihili-pili-fication of money.
1829 Scott Jrnl. 18 Mar. (1946) 39 They must be taken with an air of contempt, a floccipaucinihilipilification [sic, here and in two other places] of all that can gratify the outward man.
なお,発音は /ˌflɒksɪnɔːsɪˌnɪhɪlɪˌpɪlɪfɪˈkeɪʃən/ となっている.12音節,27音素からなる長大な1単語である.12の母音音素のうち,8個までが前舌後母音 /ɪ/ であるということは,「#242. phonaesthesia と 遠近大小」 ([2009-12-25-1]) で論じた phonaesthesia を思い起こさせる.小さいもの,すなわち無価値なものは,音象徴の観点からは前舌後母音と相性がよい,ということかもしれない.
「#2778. Joseph Priestley --- 慣用重視を貫いた文法家」 ([2016-12-04-1]) の第2弾.先の記事で述べたように,Rudiments of English Grammar の初版は1761年に出版された.その約1ヶ月後に Lowth の A Short Introduction to English Grammar が出版され,1762年には James Buchanan の The British Grammar が,1763年には John Ash の Grammatical Institutes が,それぞれ立て続けに出版されている.また,多少の時間を経て,1784年には Noah Webster の A Grammatical Institute of the English Language も世に出ている.このように,18世紀後半は主要な規範文法書の出版合戦の時代であった(なお,これらに先立つ1755年には Johnson の Dictionary of the English Language も出版されている).
Priestley の Rudiments は,この出版合戦の先鋒となった点で重要だが,この文法書についてそれ以上に顕著な特徴は「慣用を言語の主要な基準とする近代的言語観を最も鮮明に打ち出し」た点にこそある(山川,p. 279).Priestley の慣用重視の姿勢は,その後の慣用主義の模範として,しかも乗り越えられない模範として燦然と輝くことになったからだ.
山川 (287) の評によると,以下の通りである.
Rudiments よりもひと月遅れて A Short Introduction to English Grammar を出版した Robert Lowth や,一般文法の哲学的研究と銘打った Hermes (1751) の著者 James Harris が文法と修辞学の論理派に属するとするならば,Joseph Priestley は18世紀における科学派を代表する学者であった.Priestley は極力英文法をラテン語文法のわくから超脱させ,生きたありのままの英語を忠実に観察して,そこから則るべき規範を割り出そうと努めた.そのため,英語の生態に人為的制約を加えて,それをそと側から規制し固定しようとする公共の機関である学士院 (Academy) の設立には反対している.このような自由で進歩的な態度は,規則としての文法では律し切れない言語の慣用 (Usage) が存在することに注意する態度につながっている.Priestley にとっては,Preface で述べている言葉を借りていうならば,「話し言葉の慣習 (the custom of speaking)」こそ,その言語の本源的で唯一の正しい基準なのである.」実に,Priestley は18世紀において初めて英語の慣用を正しく認識した学者であるといえるが,それは Priestley の科学者的素養とそれに基づく公正な判断力に帰せられるものであった.Priestley の慣用を重視する態度は,のち1776年に The Philosophy of Rhetoric を著わした George Campbell に引き継がれ,彼によって usage が定義づけられた.しかし,その Campbell も,good usage と認められた言語表現も,その地位を保持するために依拠しなければならない規範 (canons) を設定しており,usage に対する見解に一貫性を欠くところがあった.その点,時代も数十年早い Priestley のほうが態度が一貫しており,Priestley こそ最も早く現代的言語研究の道を唱導し,みずからもそれを実践した開拓者であるといえる.Priestley が従来のラテン語式な文法規則にこだわらず,すぐれた作家たちによる実例に照らして慣用性を注目し,公平な解釈を下していることは,Rudiments 中でも,とくに 'Notes and Observations' の部に目立つ特徴である.それは現在に至るまで研究者の論議の対象となり,以降2世紀間における英文法問題考察の端緒となっていることが,読者に気づかれよう.
近代のイギリスと結びつけられるコモン・センスという概念は,慣用重視の姿勢ともいえる.Priestley は,英語学史上の名前としては Lowth や Murray に比べれば影が薄いかもしれないが,ある意味でイギリスを最もよく代表する英文法家だったといえる.
・ Priestley, Joseph. The Rudiments of English Grammar with Explanatory Remarks by Kikuo Yamakawa and A Course of lectures on the Theory of Language, and Universal Grammar with Explanatory Remarks by Kikuo Yamakawa. Reprint. Tokyo: Naun'un-Do, 1971.
表現の意味は,それが指す何らかの対象,すなわち指示対象であるという説は,現代の意味論ではナイーブにすぎるとして受け入れられない.「エヴェレスト山」と「チョモランマ」を例に取ろう.両者は異なる表現形式である.2つは同一の山を指しているには違いないが,だからといって同じ意味をもっていると言い切ることができるだろうか.
例えば,「太郎はチョモランマがエヴェレスト山であることを知らない」という文と,「太郎はエヴェレスト山がエヴェレスト山であることを知らない」という文とは,異なる意味をもっているように感じられる.前者は,チョモランマがエヴェレスト山の別名であることを太郎が知らない場合などに用いられるのに対し,後者は,目の前に見えている山がエヴェレスト山であることに太郎が気づいていない場合などに用いられる.しかし,「エヴェレスト山」と「チョモランマ」が同一の山を指すという点で同一の意味であると考えてしまうと,上に述べた2つの文の意味が異なる理由が説明できなくなる.
この「意味=指示対象」という見解,より正確には「意味は指示対象によって尽くされる」という見解に疑問を投げかけたのが Gottlob Frege (1848--1925) である.服部 (16) より関連する箇所を引用しよう.
フレーゲのアイディアはこうである.語,たとえば「エヴェレスト山」という固有名はある事物,つまりエヴェレスト山そのものを指すが,それはその語の意味を尽くしてはいない.その語の意味には,その語が指すもの――彼はこれに「意味」 (Bedeutung) という名を与えた――とは別に,「意義」 (Sinn) というものがあり,語はその「意義」を通じて「意味」を指すとフレーゲは考えたのである.この場合,二つの表現が同じ「意味」(つまり指示対象)を異なる「意義」を通じて指すということも起こりうる.〔中略〕では,その「意義」とは何なのだろうか.フレーゲによれば,それは「意味」が与えられる様式にほかならない.この「「意味」が与えられる様式」というのがまた曲者で,いささか掴み所がなく,それを明らかにしなければならないのであるが,今はそれを措いておこう.
ここでいう語の「意義」 (Sinn) とは「指示の仕方」と理解しておいてよい.これを文に拡張すれば,文の「意義」とは「文の真理値が与えられる様式」となるだろう.しかし,残念なことにフレーゲは,「指示の仕方」や「文の真理値が与えられる様式」がいかなるものなのか,その核心について明らかにしていない.
いずれにせよ,「意味=指示対象」説が単純に受け入れられるものではないことが分かるだろう.この説の問題点については,「#1769. Ogden and Richards の semiotic triangle」 ([2014-03-01-1]),「#1770. semiotic triangle の底辺が直接につながっているとの誤解」 ([2014-03-02-1]) も参照.
・ 服部 裕幸 『言語哲学入門』 勁草書房,2003年.
語の意味については,定義を与えればそれで済む,という立場がある.意味が分からなければ,辞書で定義を確認すればよい,というものだ.文の意味については,文を構成する各語の意味がしっかり定義されていさえすれば,その意味をつなぎ合わせたものが文の意味となるのであり,問題はない.この立場は "definitions theory" と言われ,言語学の領域から一歩出れば,非常に広く受け入れられている考え方といってよいだろう.しかし,そうは簡単にいかない,というのが意味論の立場である.Saeed (6--7) にしたがって,"definition theory" の3つの問題点を指摘しよう.
第1に,辞書を想像してみればわかるように,語の意味の定義は,通常,別の語を組み合わせた文で与えられており,それらの各語の意味の定義が分かっていなければ,判明しないことになる.そして,その各語の意味の定義もまた,別の語や文によって定義されるのだ.つまり,定義が言語でなされる以上,永遠に辞書の中でたらい回しにされ,どこまでも行っても終わりがない.ここには,定義の循環の問題 (circularity) が生じざるをえない.定義を与えるためだけに用いられるメタ言語 (metalanguage) を作り出せば,この問題は解決するかもしれないが,はたして客観的に受け入れられるメタ言語なるものはありうるのか.
第2に,与えられた定義が正確なものであるという保証を,いかにして得ることができるのか,という問題がある.意味が母語話者の頭のなかに格納されているものであることを前提とするならば,それは母語話者の知識の1つであるということになる.では,その言語的知識 (linguistic knowledge) は,他の種類の知識,百科辞典的知識 (encyclopaedic knowledge) とは同じものなのか,違うものなのか.例えば,ある人が鯨は魚だと信じており,別の人は鯨はほ乳類だと信じている場合,2人の用いる「鯨」という語の意味は同じものなのか,違うのか.もし違うとしても,両者は「私は鯨に呑み込まれる夢を見た」という文の意味をほぼ完全に共有し,理解できると思われるが,それはなぜなのか.「愛」や「民主主義」についてはどうか.人によってその意味が異なるということは,十分にありそうである.
第3に,ある発話の意味がコンテクスト (context) に依存するという紛れもない事実がある(コンテクストについては,昨日の記事「#2793. コンテクストの種類 (2)」 ([2016-12-19-1]) 及び「#2122. コンテクストの種類」 ([2015-02-17-1]) を参照).Marvellous weather you have here in Ireland. という文の意味は,晴れている日に発話されたのと,雨の日に発話されたのでは,おおいに意味が異なるだろう.意味があくまで定義であるとすれば,その定義はありとあらゆるコンテクストの可能性を加味した定義でなければならないことになるが,そのようなことは可能だろうか.
(1) "circularity", (2) "the question of whether linguistic knowledge is different from general knowledge", (3) "the problem of the contribution of context to meaning" の3つの点から,「意味=定義」とする単純な意味に関する説は受け入れられない.
意味とは何かという本質的な問題については,「#1782. 意味の意味」 ([2014-03-14-1]),「#1931. 非概念的意味」 ([2014-08-10-1]),「#1990. 様々な種類の意味」 ([2014-10-08-1]),「#2199. Bloomfield にとっての意味の意味」 ([2015-05-05-1]) などを参照.
・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.
「#2122. コンテクストの種類」 ([2015-02-17-1]) で扱った話題について再考する.言語におけるコンテクスト (context) と一言でいっても,その内容や分類法については様々な立場がある.今回は,Crystal (322--23) の与えている3要素を紹介しよう.
・ Setting: The time and place in which a communicative act occurs, such as in church, during a meeting, at a distance, or upon leave-taking.
・ Participants: The number of people who take part in an interaction, and the relationships between them, such as the addressee(s) and bystander(s).
・ Activity: The type of activity in which a participant is engaged, such as cross-examining, debating or having a conversation.
それぞれ,言語行動に関する when/where, who, what におよそ相当すると考えてよいだろう.これら3要素の組み合わせにより広い意味での「文脈」が定まり,それにより,話者は言語使用に際して何らかの制限が課されることになる.どのような点について制限されるかといえば,例えば次の4項目が考えられる.
・ Channel: They influence the medium chosen for the communication (e.g. speaking, writing, signing, whistling, singing, drumming) and the way it is used.
・ Code: They influence the formal systems of communication shared by the participant, such as spoken English, written Russian, American Sign Language, or some combination of these.
・ Message form: They influence the structural patterns that identify the communication, both small-scale (the choice of specific sounds, words, or grammatical constructions) and large-scale (the choice of specific genres).
・ Subject matter: They influence the content of the communication, both what is said explicitly and what is implied.
これらを総合すると,例えばキリスト教の説教師が置かれる典型的なコンテクストは,次のようなものとなる.説教師 (participant) が,日曜日の朝に教会 (setting) で,信徒の集団 (participants) に向かって,英語の独り言 (code) という話し言葉 (channel) で,説教 (activity) を行なう.その際,宗教を語るにふさわしい文体や構成 (message form) で,精神的な話題 (subject matter) について語るだろう.逆からみれば,このようなすべての要件が合わさると,いかにも「説教」というコンテクストができあがるともいえる.
当然ながら,コンテクストは,使用域 (register) やジャンル (genre) の問題とも不可分である(「#839. register」 ([2011-08-14-1]) を参照).また,より広い立場から,「#1996. おしゃべりに関わる8要素 SPEAKING」 ([2014-10-14-1]) や「#1326. 伝え合いの7つの要素」 ([2012-12-13-1]) も関連するだろう.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
Noah Webster (1758--1843) が,イギリス綴字とは異なるものとして,いくつかの単語でアメリカ綴字を提案したことはよく知られている.しかし,綴字教本の出版を通じて,間接的にアメリカ英語の発音にも影響を与えた可能性があるということは,あまり注目されない.Baugh and Cable (361) は,"Webster's Influence on American Pronunciation" という節を設けて,この点について議論している.
Though the influence is more difficult to prove, there can be no doubt that to Webster are to be attributed some of the characteristics of American pronunciation, especially its uniformity and the disposition to give fuller value to the unaccented syllables of words. Certainly he was interested in the improvement of American pronunciation and intended that his books should serve that purpose. In the first part of his Grammatical Institute, which became the American Spelling Book, he says that the system "is designed to introduce uniformity and accuracy of pronunciation into common schools."
Webster の発音への影響とは,具体的には,上の引用文にあるように,多音節語における強勢のない音節の母音を完全な音価で明瞭に発音するというアメリカ発音の傾向に関するものである.例えば necessary, secretary はイギリス英語では典型的に necess'ry, secret'ry のように発音されて音節が縮まるが,アメリカ英語では当該の母音が完全な音価値で明瞭に発音される.関連して,アメリカ英語の centénary, labóratory, advértisement にみられる強勢位置も特徴的である.
このような傾向は,単語を構成する各々の音節は明確に発音すべきである,というアメリカ的な教育的指導の結果と考えられ,その教育の現場で大きく貢献したのが Webster の The American Spelling Book (1783) だったというわけだ.以下は,18世紀末の当時,何千というアメリカの学校でみられたはずの授業風景の記述である.Baugh and Cable (362) が,Letter to Henry Barnard, December 10, 1860 より引いている文章である.
It was the custom for all such pupils [those who were sufficiently advanced to pronounce distinctly words of more than one syllable] to stand together as one class, and with one voice to read a column or two of the tables for spelling. The master gave the signal to begin, and all united to read, letter by letter, pronouncing each syllable by itself, and adding to it the preceding one till the word was complete. Thus a-d ad, m-i mi, admi, r-a ra, admira, t-i-o-n shun, admiration. This mode of reading was exceedingly exciting, and, in my humble judgment, exceedingly useful; as it required and taught deliberate and distinct articulation. . . . When the lesson had been thus read, the books were closed, and the words given out for spelling. If one was misspelt, it passed on to the next, and the next pupil in order, and so on till it was spelt correctly. Then the pupil who had spelt correctly went up in the class above the one who had misspelt. . . . Another of our customs was to choose sides to spell once or twice a week. . . . [The losing side] had to sweep the room and build the fires the next morning. These customs, prevalent sixty and seventy years ago, excited emulation, and emulation produced improvement.
この教室風景については,「#907. 母音の前の the の規範的発音」 ([2011-10-21-1]) でも関連する話題に触れているので,参考までに.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
Noah Webster がアメリカ英語の地位を強烈に推進する役割を担ったことは英語史上よく知られているが,その背後で影が薄かったものの,1人の興味深い登場人物がいたことを忘れてはならない.アメリカ第2代大統領 John Adams (1735--1826) である.Adams は,英語を改善すべくアカデミーを設立することに意欲を示していた.ちょっとした Jonathan Swift のアメリカ版といったところか.大統領職に就く以前の話だが,1780年9月5日にアムステルダムから議会議長に宛てて,アメリカにおける英語という言語の役割の重要さを説く手紙を書いている.Baugh and Cable (355) に引用されている手紙の文章を再現しよう.
The honor of forming the first public institution for refining, correcting, improving, and ascertaining the English language, I hope is reserved for congress; they have every motive that can possibly influence a public assembly to undertake it. It will have a happy effect upon the union of the States to have a public standard for all persons in every part of the continent to appeal to, both for the signification and pronunciation of the language. The constitutions of all the States in the Union are so democratical that eloquence will become the instrument for recommending men to their fellow-citizens, and the principal means of advancement through the various ranks and offices of society. . . .
. . . English is destined to be in the next and succeeding centuries more generally the language of the world than Latin was in the last or French is in the present age. The reason of this is obvious, because the increasing population in America, and their universal connection and correspondence with all nations will, aided by the influence of England in the world, whether great or small, force their language into general use, in spite of all the obstacles that may be thrown in their way, if any such there should be.
It is not necessary to enlarge further, to show the motives which the people of America have to turn their thoughts early to this subject; they will naturally occur to congress in a much greater detail than I have time to hint at. I would therefore submit to the consideration of congress the expediency and policy of erecting by their authority a society under the name of "the American Academy for refining, improving, and ascertaining the English language. . . ."
最後に "refining, improving, and ascertaining" と表現しているが,これは数十年前にイングランドの知識人が考えていた「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) をすぐに想起させるし,もっといえば Swift の "Correcting, Improving and Ascertaining" のなぞりである.この意味では,Adams の主張はまったく新しいものではなく,むしろ陳腐ともいえる.また,このような提案にもかかわらず,結局はアメリカにおいてもアカデミーは設立されなかったことからも,Adams の主張はむなしく響く.
しかし,ここで Adams が,イギリスにおいてイギリス英語に関する主張をしていたのではなく,アメリカにおいてアメリカ英語に関する主張をしていたという点が重要である.Adams は,イギリスでのアカデミー設立の議論の単なる蒸し返しとしではなく,アメリカという新天地での希望ある試みとして,この主張をしていた.アメリカ英語への賛歌といってもよい.同時代人の Webster が行動で示したアメリカ英語への信頼を,Adams は彼なりの方法で示そうとした,と解釈できるだろう.
なお,上の引用の第2段落にある,英語は次世紀以降,世界の言語となるだろうという Adams の予言は見事に当たった.彼が挙げている人口統計,イングランドの影響力,アメリカの国際関係上の優位などの予言の根拠も,適切というほかない.母国に対する希望と自信に満ちすぎているとも思えるトーンではあるが,Adams の慧眼,侮るべからず,である.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事「#2789. 現代英語の Engl&,中英語の 7honge」 ([2016-12-15-1]) で,本来の表語文字 <&> や <⁊ > が純粋に表音文字として用いられている例を見た.文字遊びとして「おもしろい」と思うかもしれないし,「中英語にもあったなんて」と驚くかもしれないが,ほとんど同じ原理の文字使用が,かつての日本語にもあった.万葉仮名の「借訓」の用法である.むしろ,大陸からもたらされた漢字という文字体系と必死に格闘せざるを得なかった上代の日本人にとっては,このような文字の使い方は,文字遊びであるという以上に,まさに真剣勝負だったのかもしれない.
ここで,上代日本人が,漢字という文字体系をいかにして日本語の書記に適用したかという観点から,漢字の用い方を整理しよう.以下,佐藤 (49--51) より,詳細な分類を再現する.
[茵?????????]
(1) 正音(漢語をそのまま用い,字訓で読まれる)
布施(ふせ),餓鬼(がき),双六(すごろく),塔(たふ)
(2) 正訓(日本語の意味が漢字の字義と一致,あるいは共通する度合が高い場合の,日本語の訓を表す)
一字訓:心(こころ),情(こころ),思(おもふ),念(おもふ),音(こゑ・おと)
熟字訓:光儀(すがた),茅子(はぎ),織女(たなばた)
(3) 義訓(語の意味を間接的に喚起する分析的・解説的な表記)
金風(あきかぜ),暖(はる),寒(ふゆ),乞(こそ),不安(くるし)
[表音本意] 真仮名・万葉仮名と称する
(1) 音仮名(借音仮名・借音字とも呼ばれる)
・ 一音節を表示する音仮名
1. 全音仮名(無韻尾字)
阿(あ),伊(い),宇(う),麻(ま),左(さ),知(ち),之(し)
2. 略音仮名(有韻尾字,韻尾を捨てる)
安(あ),散(さ),芳(は),欲(よ),吉(き),万(ま),八(は)
3. 連合仮名(有韻尾字,韻尾を後続音に解消する)
印南(いなみ),吉師(きし),奈伎和多里南牟(なきわたりなむ)
・ 二音節を表示する音仮名(有韻尾字,韻尾に母音を加える.二合仮名とも呼ばれる)
君(くに),粉(ふに),険(けむ),兼(けむ),濫(らむ),越(をち),宿祢(すくね)
(2) 訓仮名(借訓仮名・借訓字とも呼ばれる)
・ 一音節を表示
押奈戸手(おしなべて),田八酢四(たやすし),名津蚊為(なつかし),湯目(ゆめ)(副詞),家呼家名雄母(いへをもなをも)
・ 多音節(一字二音節以上)表示
言借(いふかし)(不審),雲谷裳(くもだにも),夏樫(なつかし),名束敷(なつかしき),奈都炊(なつかしき),慍下(いかりおろし)(碇)
・ 熟合仮名(二字一音節,二字二音節など.熟字訓を利用)
五十日太(いかだ),嗚呼児乃浦(あごのうら),二十物(はたもの)(織物),見左右(みるまでに)
(3) 戯書
1. 字謎
色二山上復有有山者(いろにいでば)
2. 擬声語表記から
神楽声浪(ささなみ),馬声蜂音石花蜘虫厨荒鹿(いぶせくもあるか),追馬喚犬所見喚鶏(そまみえつつ)
3. 九九と関連して
十六自物(ししじもの),八十一隣之宮(くくりのみや),不知二五寸許瀬(いきとをきこせ)(助詞),生友奈重二(いけりともなし)
4. 義訓・熟字訓・熟合仮名の技巧から
恋渡味試(こひわたりなむ)(←舐(助動詞)),事毛告火(こともつげなむ)(←南(助詞)),暮三伏一向夜(ゆふづくよ)(古代朝鮮の木四戯の目),所聞多祢(←喧)
漢字は,表意本意の使い方と表音本意の使い方に大きく2分される.表意本意の用法は,いわばオリジナルの中国風の漢字の用法だが,表音本意の用法,すなわち万葉仮名こそが,日本における新機軸だった.万葉仮名は,見た目は漢字だが,機能としては平仮名・片仮名に類する表音文字として用いられているものである.万葉仮名の表音的用法も細かく下位区分されるが,上の (2) に挙げられている「訓仮名」の原理こそが,英語の <Engl&>, <⁊honge> に見られる原理である.
訓仮名は,ある漢字の和訓が確定し,他の訓で読まれる可能性が少なくなってから生じる用法であるから,常に後に発生するものである.同じように,<&> や <⁊ > も各々 and という「訓読み」が確定していたからこそ,後に表音的にも用いられるようになったものである.<Engl&>, <⁊honge> における <&>, <⁊ > の使い方は,感覚的には,万葉仮名でいえば「夏樫」(なつかし),「偲食」(しのはむ)のタイプの「多音節表示の訓仮名」に近いのではないか.本来的に表意的な文字の意味を取って読み下し,その読み下した音列を,今度はその意味から切り離して,その音を部分的にもつ単語を純粋に表音的に表記するために用いる,という用法だ.言葉で説明するとややこしいが,つまるところ <Engl&> で England と読ませ,<夏樫> で「なつかし」と読ませる原理のことである.
万葉仮名については,「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1]),「#2390. 文字体系の起源と発達 (2)」 ([2015-11-12-1]) を参照.
・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.
「#817. Netspeak における省略表現」 ([2011-07-23-1]) で見たように,ネット上では判じ絵 (rebus) の原理による文字遊びともいえる省略表現が広まっている.<Thx2U> (= Thanks to you) や <4U> (= For you) や <CUL8R> (= See you later) や <Engl&> (= England) のような遊び心を含んだ文字列である.これらの数字や記号 <&> の用例は,本来の表語文字(記号)を表音的に用いている例として興味深い.それぞれ意味は捨象し,[tuː], [fɔː], [eɪt], [ənd] という音列を表す純粋な表音文字として機能している.
これは現代人の言葉遊びにすぎないと思われるかもしれないが,実は古くから普通に行なわれてきた.例えば,接続詞 and を書き表わすのに古くは <&> ではなく数字の <7> に似た <⁊ > という記号 (Tironian et) が用いられていた(「#1835. viz.」 ([2014-05-06-1]) を参照).そして,これが接続詞 and を表わすものとしてではなく,他の語の一部をなす音列 [and] を表わすものとして表音的に用いられる例があった.この接続詞は,現代と同様に弱い発音では語尾音がしばしば脱落したので,[and] だけでなく [an] あるいは [a] を表音する文字としても機能した.例えば,The Owl and the Nightingale から,l. 1195 に現われる動詞の過去分詞形 anhonge の接頭辞 an- が Tironian et で書かれており,<<⁊honge>> と写本に見える.同じように,l. 1200 の動詞の過去分詞形 astorue も <<⁊storue>> と書かれており,接頭辞 a- が Tironian et で表わされている.
書き手の遊び心もあるだろうし,少しでも短く楽に書きたいという思いもあるだろう.書き手の思いと,その思いを満たす手段は,昔も今も何も変わらない.
・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.
去る11月に,開拓社より論文集『コーパスからわかる言語変化・変異と言語理論』が出版された(目次はこちらのPDFよりどうぞ).東北大学を基盤とする言語変化・変異研究ユニットの刊行物として出版されており,私もユニットの1メンバーとして「中英語における形容詞屈折の衰退とその言語的余波」と題する小論を寄稿させていただいた.
拙論では,15世紀の53の写本・刊本を比較できる Solopova 編 The General Prologue on CD-ROM を用いて,形容詞屈折の有無や種類を写本・刊本別に照合している.その補遺には The General Prologue の第7行を34の写本・刊本から引き抜いたリストを挙げているが,このミニ・パラレルテキストは,同作品の写本・刊本間の異同のサンプルとして一般的にも有用と思われるので,ここに示しておきたい.以下では,写本・刊本の年代により,15世紀を4半世紀ごとに区切って C15a1, C15a2, C15b1, C15b2 の区分を設け,さらに1450年前後の1写本については C15mid として別扱いにしている.形態素,綴字,句読法などの変異と変化を味わってもらいたい.
第1期 (C15a1) | |
---|---|
El | The tendre croppes / and the yonge sonne |
Ha4 | The tendre croppes and þe ȝonge sonne |
Hg | The tendre croppes / and the yonge sonne |
La | The tendre croppes 7 þe ȝonge sonne . |
第2期 (C15a2) | |
Bo2 | The tendre Croppes and the yong sonne |
En1 | The tendre croppes and' the yonge son |
Ii | The tendre croppes and the yong sonne |
Lc | The tendir croppis 7 þe yonge sonne |
Ps | The tendre croppes and the yong sonne |
Pw | The tendre croppis 7 þe yonge sonne |
Ry2 | The tendre croppes 7 the ȝonge sonne |
第3期 (C15mid) | |
Mg | The tendre croppes / and the yonge sonne |
第4期 (C15b1) | |
Ch | The tendre Croppes . and the yonge sonne |
Ds1 | The tender croppis 7 the yong' sonne |
Fi | The tender croppes and þe yonge sonne |
Ha2 | The tendre croppes . 7 the yong sonne . |
Ha3 | The tendre croppys . And þe yownge sonne |
Ht | The tendre croppes and the yong' sonne |
Ld1 | The tendre croppes and the yong sonne |
Ph2 | The tendir croppis and the yong Sūne |
Py | The tendre croppis . and the yong' sonne |
Se | The tendre croppis / 7 the yonge sonne |
Tc1 | The tendre croppis and th yong sonne |
To1 | the tendre Croppis . and the yonge sonne |
第5期 (C15b2) | |
Ad1 | The tendre croppys / and the yong sonne |
Bo1 | The tendir croppis and the yong Sūne . |
Cx1 | The tendir croppis / and' the yong sonne |
Cx2 | The tendyr croppis / and' the yong' sonne |
En3 | The tendre croppis and the yonge sonne |
Ld2 | The tendre croppys and the yong sōne . |
Ma | ¶ The tenþir Croppis . and' þe yonge son |
Pn | The tendre croppes and the yong sonne |
Tc2 | The tendre croppes / and the yonge sonne |
Wy | The tendre croppys and the yonge sonne |
アメリカ英語について古風な性質や保守性がしばしば指摘されるが,それはどこまで真実なのか.この問題について,「#1266. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (1)」 ([2012-10-14-1]),「#1267. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (2)」 ([2012-10-15-1]),「#1268. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (3)」 ([2012-10-16-1]),「#1304. アメリカ英語の「保守性」」 ([2012-11-21-1]),「#1738. 「アメリカ南部山中で話されるエリザベス朝の英語」の神話」 ([2014-01-29-1]) などの記事で考えてきた.
英語史の古典的名著を著わした Baugh and Cable (350) も,colonial_lag という用語こそ用いていないが,アメリカ英語に見られるこの特徴について論じている.「接ぎ木」の比喩がおもしろい.
. . . it has often been maintained that transplanting a language results in a sort of arrested development. The process has been compared to the transplanting of a tree. A certain time is required for the tree to take root, and growth is temporarily retarded. In language, this slower development is often regarded as a form of conservatism, and it is assumed as a general principle that the language of a new country is more conservative than the same language when it remains in the old habitat. In this theory there is doubtless an element of truth. . . . And it is a well-recognized fact in cultural history that isolated communities tend to preserve old customs and beliefs. To the extent, then, that new countries into which a language is carried are cut off from contact with the old, we may find them more tenacious of old habits of speech.
孤立した地域に古風な言語項が保存されるということは直観的にも理解できるだろう.実際に,「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1]) で孤立したアイスランドの言語の例や,日本やヨーロッパからは,「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]) や「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) で取り上げた例に示される通りである.アメリカ植民においても,特に初期には新しい集落が互いに孤立してポツポツと点在していたのであり,そこでイギリス本国から持ち込まれた語法が変化せず,末永く保たれることになった,ということは十分にありそうである.
しかし Baugh and Cable は,この後,しばしば言われる「アメリカ英語の保守性」は無批判に受け入れることはできないだろうと慎重に議論を展開している.その議論は,至極まっとうである.アメリカ英語には "colonial lag" として説明できそうな古風な表現が多くあることは認めるにせよ,言語的革新もまた多く生じてきたのであり,一言で「古風」「保守的」と特徴づけて終わらせることはできない.
やはり "colonial lag" は多分に相対的な概念だと思う.ところで,なぜ「植民地の遅れ」と表現し「宗主国の進み」とは表現しないのだろうか.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
The World Atlas of Language Structures (WALS Online) というサイトがある.世界中の多くの言語を様々な観点から記述したデータベースに基づき,その地理的分布を世界地図上にプロットしてくれる機能を有するツールである.進化人類学の成果物として提供されており,進化言語学や言語類型論にも貢献し得るデータベースとなっている.
検索できる言語的素性の種類は豊富で,音韻,形態,統語,語彙と多岐にわたる.表をクリックしていくことで,簡単に分布図を表示してくれるという優れものだ.素性を組み合わせて分布図を示すこともでき,素性間の相関関係を探るのにも適している.例えば,VO/OV 語順と接置詞 (adposition) 語順の相関について,Feature 83A と 85A を組み合わせると,こちらの分布図が得られる.青と黄緑のマークが目立つが,青は日本語型の「OV語順かつ後置詞使用」を示す言語,黄緑は英語型の「VO語順かつ前置詞使用」を示す言語である.同じように VO/OV と NA/AN の素性 (Feature 83A と 87A) の組み合わせで地図を表示させることもできる(こちら).なお,この2つの例は,名古屋大学を中心とする研究者の方々により出版された『文法変化と言語理論』のなかの若山論文で参照され,論じられているものである.
いろいろな素性を,単体で,あるいは組み合わせで試しながら遊べそうだ.WALS Online は,本ブログでは「#1887. 言語における性を考える際の4つの視点」 ([2014-06-27-1]) でも触れているので,ご参照を.
・ 若山 真幸 「言語変化における主要部媒介変数の働き」『文法変化と言語理論』田中 智之・中川 直志・久米 祐介・山村 崇斗(編),開拓社.294--308頁.
初期中英語で書かれた,梟とナイチンゲールの2者による論争詩 The Owl and the Nightingale を Cartlidge 版で読み進めている.2者は,それぞれの人生観を言葉で議論し合っているのであり,肉体的に争っているわけではない.しかし,議論に関する表現には,肉体的な戦闘に用いられる語句がしばしば流用されており,そのような語句だけをピックアップすると,さながら果たし合いのバトルが繰り広げられているかのようだ.テキストを読んでいると,これぞ概念メタファー (conceptual_metaphor) としてよく知られた "ARGUMENT IS WAR" そのもの,というふうに見える(「#2548. 概念メタファー」 ([2016-04-18-1]) を参照).
テキストには,文(言葉)と武(武器)による戦いの描写が,ある意味では比喩的に,ある意味では対比的に用いられている箇所がしばしば見られるが,とりわけ ll. 1067--74 の箇所がレトリック的にすぐれていると思う.ナイチンゲールが梟の言いぐさに腹を立て,まさに反論しようとしている箇所の記述である.以下に引用しよう.
Þe Niȝtingale at þisse worde
Mid sworde an mid speres orde,
Ȝif ho mon were, wolde fiȝte:
Ac þo ho bet do ne miȝte
Ho uaȝt mid hire wise tunge.
"Wel fiȝt þat wel specþ," seiþ in þe songe:
Of hire tunge ho nom red.
"Wel fiȝt þat wel specþ," seide Alured.
Cartlidge の現代英語訳(意訳)も引用しておこう.
At these words the Nightingale would have fought with sword and spearpoint had she been a man: but, since she couldn't do any better, she fought with her wise tongue instead. "To fight well, speak well," as the song goes: and so she looked to her tongue for a strategy. "To fight well, speak well," that's what Alfred said.
味読すべき部分は少なくない.
・ l. 1067 worde と l. 1068 orde の脚韻.文と武の対比がよく出ている.ただし,両語の母音は,厳密には同一ではない可能性もある(「#2740. word のたどった音変化」 ([2016-10-27-1]) を参照).
・ l. 1070 wolde と l. 1071 ne miȝte の対比.「したい」のに「できない」もどかしさ.
・ l. 1071 tunge と l. 1072 songe の脚韻.「文」の側に属する縁語(さらに l. 1073 tunge も合わせて).ただし,ここでも,同一母音で押韻するのかどうか,疑惑あり.
・ 全体が,文武両道の名君 Alured の格言として引用されているのもまた一興.
l. 1070 や l. 1072 の韻律も規則的ではなく完璧とはいえないかもしれないが,この箇所は The Owl and the Nightingale における "ARGUMENT IS WAR" を味わうには最良の箇所と思ったので,メモしておいた.
ちなみに,この箇所に付されている注によれば,ここは皮肉とも読めるという.これまた,おもしろい.
It is incongruous to imagine the Nightingale wielding such implements . . . and ironic that the narrator here implicitly associates reason with the animals and unrestrained violence with people.
・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.
アメリカは移民の国であり,したがって多言語の国である.近年は hispanification によりスペイン語母語話者が増加しており,その他の諸言語もシェアを増してきているという.とはいえ,一般的にいえばアメリカでは英語が「事実上の唯一の主たる言語」として圧倒的な影響力をもって君臨していることは疑いようがない.
この事実は一見すると自明のようにも思えるが,なぜそうなのか,立ち止まって考えてみる必要がある.移民によって成り立ってきたアメリカの歴史を振り返ってみると,異なる言語を話す様々な人々が時代ごとに入れ替わり立ち替わりにやってきたのだから,そのまま諸言語が並び立つ社会となってもおかしくなかったはずである.なぜ,英語という1つの言語へまとまるということが生じたのだろうか.
1つには,単純に母語話者の数の影響力がある.18世紀末に初の人口統計が取られたときに,16州において200万人を超える人口がイングランドかウェールズにルーツをもっていた.さらに,非常に多くのスコットランド系アイルランド人 (Scots-Irish) の数もここに加えられるべきだろう.それに対して,ドイツ,オランダ,フランスにルーツをもつ移民はせいぜい20万人ほどだった.移民史の初期から,アメリカは圧倒的に英語の国だったのである.
そこに,人々の可動性 (mobility) という要因が加わる.各移民集団が社会的に閉じた集団としてある土地に定住し続けるのであれば,独立した言語共同体が複数でき,諸言語が並び立つ国になっていたかもしれない.しかし,実際には移民集団は縦に横によく動いたのであり,そこから異なる母語をもつ話者間に lingua_franca への欲求が生じた.そこで,当初から優勢な英語が lingua franca として採用されることになった.では,その mobility そのものはどこから来たのか.それは,西部を目指すパイオニア精神であり,"American Dream" という希望だったろう.Gooden (134) は次のように述べている.
More important than mobility, perhaps, was the aspirational nature of the new society, later to be formalized and glamourized in phrases like the 'American Dream'. As Leslie Savan suggests in her book on contemporary US language, Slam Dunks and No-Brainers (2005), the pressure was always on the outsider to make adjustments: 'The sweep of American history tilted towards the establishment of a single national popular language, in part to protect its mobile and often foreign-born speakers from the suspicion of being different.' Putting it more positively, one could say that success was achievable not so much as a prize for conformity but for adaptation to challenging new conditions, among which would be acquiring enough of the dominant language to get by --- before getting ahead.
上に論じたような,アメリカにおける大雑把な意味での「言語的一元性」というべき事情は,実はアメリカ英語の内部における一様性,すなわち「方言的一元性」とも関連するように思われる.後者については,「#591. アメリカ英語が一様である理由」 ([2010-12-09-1]) を参照.
・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
現在,世界には7千ほどの言語が行なわれているとされるが,そのうち最も "popular" な言語は何だろうか.ほとんどの人々は「英語」と答えるかもしれない.しかし,実際には "popular" の定義を明確にしておかない限り,この質問に正確に答えるのは難しい.おそらく大多数の日本人にとって,"popular" な言語とは「世界中で広く話されている言語」のことと想定されるが,では「広く」とは何のことだろうか.それを常用している国の数か.あるいは,そのような国の面積か.それで用を足している人々の数か.それを共通語として採用している国際機関の数か.それを第2言語として教育している国の数か.いずれの観点かを定めさえすれば,"popular" の定義も定まり,最も "popular" な言語が何かという問いに答えを出すことができるだろう.しかし,どの観点が "popular" の定義として妥当なのかについて,満場一致はないように思われる."popular" を "top" や "significant" に置き換えたところで,問題は解決しない.
例えば,母語話者の数ということでいえば,英語は中国語,スペイン語についで第3位となる.しかし,第2言語として話す人口を加えれば,英語は第1位に躍り出る.しかし,ここでは「英語」の範囲が問題になり,例えば,英語を基盤としたピジン語やクレオール語の母語話者は英語話者に含めるのか,といった疑問が生じる.あるいは,どのピジン語やクレオール語を含め,どれを含めないのか.
また,その言語を主要言語とする国の経済力や技術力なども,考慮に入れる必要があるのではないか.その国が国際的に活躍していればいるほど,その言語も国際的に用いられやすいだろうし,世界的に "popular" ともなりうるからだ.しかし,そのような「国際性」は何によって計ればよいのか.経済活動か,軍事力か,文化力か,移民の割合か.何らかの重みづけをするにしても,その観点は無限である.
考えられる "popular" の指標をすべて計算に含めて総合点を出すという方法はあるだろうが,元となる統計値が現実的に得られないような指標も多いだろう.結局のところ,母語話者や第2言語話者の人口など,ある程度入手可能な既存のデータを中心にながら,主観的な「印象点」も加味して,最も "popular" な言語を割り出すということになならざるを得ない.「印象点」には,採点者次第で,個人的な好き嫌いが含まれるかもしれないし,政治的・イデオロギー的な好悪も埋め込まれるかもしれない.
言語ランキングを作るという作業は,一見簡単そうで実は難しい課題である.この問題については,Gooden (8--9) を参照されたい.本ブログ内では,「#397. 母語話者数による世界トップ25言語」 ([2010-05-29-1]),「#2263. 世界の主要言語の母語話者数の比較」 ([2015-07-08-1]),「#1591. Crystal による英語話者の人口」 ([2013-09-04-1]),「#1592. 英語話者の人口を推計することが難しい理由」 ([2013-09-05-1]) なども関連する.
・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
18世紀は,ヨーロッパにおけるフランス語の威信が高まった時代である.イギリスにおいてもこの傾向は確かにみられ,実際に,18世紀には少なからぬフランス借用語が英語に流れ込んでいる(「#594. 近代英語以降のフランス借用語の特徴」 ([2010-12-12-1]),「#678. 汎ヨーロッパ的な18世紀のフランス借用語」 ([2011-03-06-1]),「#1792. 18--20世紀のフランス借用語」 ([2014-03-24-1]) を参照),
中英語期の大量借用とは比べるべくもないが,英語史においてフランス語が再び威信を取り戻した1つの時代ではあった.しかし,この世紀は比較的保守的で渋好みの新古典主義時代(Augustan Period) にも相当しており,とりわけその前半期には外来語への「反感」を示す声も一部から漏れていたというのも事実である.一般に,外来のものが大好きという向きが多い時代には,一方で大嫌いという向きも必ず現われるものである.語彙の借用を推進する人々がいれば,語彙の純粋さ (purism) を保とうと運動する保守的な論客も現われるというのが,古今東西の通例である.以下,この時代の状況を,Baugh and Cable (281--82) に引用されている当時の原文により伝えたい.
18世紀に外来語(主としてフランス借用語)の流入に苦言を呈した文人として,例えば Daniel Defoe (1660--1731) がいる.1708年10月10日付の Review では,"I cannot but think that the using and introducing foreign terms of art or foreign words into speech while our language labours under no penury or scarcity of words is an intolerable grievance." と述べている.
それよりも少し前の1672年のことだが,John Dryden (1631--1700) も Dramatic Poetry of the Last Age のなかで英語におけるフランス語の乱用を非難している.
I cannot approve of their way of refining, who corrupt our English idiom by mixing it too much with French: that is a sophistication of language, not an improvement of it; a turning English into French, rather than a refining of English by French. We meet daily with those fops who value themselves on their travelling, and pretend they cannot express their meaning in English, because they would put off on us some French phrase of the last edition; without considering that, for aught they know, we have a better of our own. But these are not the men who are to refine us; their talent is to prescribe fashions, not words.
Addison (1672--1719) も,1711年に Spectator (no. 165) で次のように述べている.
I have often wished, that as in our constitution there are several persons whose business is to watch over our laws, our liberties, and commerce, certain men might be set apart as superintendents of our language, to hinder any words of a foreign coin, from passing among us; and in particular to prohibit any French phrases from becoming current in this kingdom, when those of our own stamp are altogether as valuable.
語彙の純粋さを巡る問題の常として,借用語使用を批判する論客が人々の言語使用に影響を与えることは,ほとんどない.18世紀の場合も例外ではなく,彼らは苦言こそ呈したが,ほぼ効き目はなかったのである.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
イングランドにおいて本格的な古英語研究が始まったのは,近代に入ってからである.中英語期には,古英語への関心はほとんどなかったといってよい.では,なぜ近代というタイミングで,具体的には16世紀になってから,古英語が突如として研究すべき対象となったのだろうか.
16世紀は宗教改革の時代である.Henry VIII がローマ教会と絶縁し,自ら英国国教会を設立したのが,1534年.このとき改革派は,英国国教会とその教義の独自性および歴史的継続性を主張する必要があった.そこで持ち出されたのが,言語的伝統,すなわち英語の歴史であった.イングランドという国家と分かち難く結びつけられた英語という言語の伝統が,長きにわたり独自のものであり続けたことを喧伝するのが,改革派にとっては得策と考えられた.また,英語の伝統を遡るという営為は,王権神授説に対抗し,実際的にイングランドの法律や政治的慣行の起源を探るという当時の欲求に適うものでもあった.
古英語文献が印刷に付された最初のものは,Ælfric による復活祭説教集で,1566--67年に A Testimonie of Antiquity として世に出た.それから1世紀の時間をおいて,1659年には William Somner による初の古英語辞書 Dictionarium Saxonico-Latino-Anglicum が出版される.最初の古英語文法も,George Hickes によって1689年に出版されている.そして,1755年にはオックスフォード大学で最初の "Anglo-Saxon" 学の教授職が Richard Rawlinson により設定された(英語史上の1段階としての変種を表わすのに "Old English" ではなく "Anglo-Saxon" という用語が用いられてきたことについては,「#234. 英語史の時代区分の歴史 (3)」 ([2009-12-17-1]),「#236. 英語史の時代区分の歴史 (5)」 ([2009-12-19-1]) を参照).
このように,16--18世紀にかけて古英語研究が勃興ししてきた背景には,純粋に学問的な好奇心というよりは,宗教改革に端を発するすぐれて政治的な思惑があったのである.この経緯について,簡潔には Baugh and Cable (280fn) を,詳しくは武内の「第8章 イングランドのアングロ・サクソン学事始」を参照.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
・ 武内 信一 『英語文化史を知るための15章』 研究社,2009年.
古来,海戦は大きく歴史を動かしてきた.というのは,海戦はその時々の技術の粋を結集したものであり,文明どうしの衝突でもあるからだ.第二次世界大戦以後,空軍が戦いの主役となる以前は,強い海軍を保有し,交易路たる海を支配できることが,権力と富を手に入れるための条件だった.『海のひみつ』 (89) より,世界史に名の残る海戦をいくつか年表形式で示そう.
紀元前480年 | サラミスの海戦 | 380せきのギリシャ艦隊が1200せきのペルシャ艦隊と戦って勝ちました. |
紀元前31年 | アクティウムの海戦 | 合わせて550せき以上のエジプトとローマの艦船がイオニア海で戦いました.ローマが勝利し,その結果帝政ローマが生まれました. |
1279年 | 崖山の戦い | フビライ・ハンひきいる元が1000せき以上の南宋の艦船をはかいし,東アジアの南宋支配を終わらせました. |
1571年 | レパントの海戦 | カトリック教国の同盟軍が,オスマン帝国の大艦隊を打ちやぶりました. |
1588年 | アルマダの海戦 | 130せきからなるスペイン艦隊が,イングランド艦隊との戦いで損害をこうむって北に逃げ,そこで強風によりかいめつじょうたいとなりました. |
1776年 | ロングアイランドの戦い | アメリカ独立戦争で最初の大規模な海戦は,経験不足のアメリカ軍がイギリス軍に敗北しました. |
1805年 | トラファルガーの海戦 | ホレーショ・ネルソン提督にひきいられたイギリス艦隊が,ナポレオン戦争中にスペインのトラファルガー岬の沖でフランスとスペインの連合艦隊をやぶりました. |
1916年 | ユトランド沖海戦 | 第一次世界大戦中に,イギリス海軍とドイツ海軍がデンマーク沖で戦ったユトランド沖海戦は,艦船の大きさと数とで史上最大の海戦でした. |
1942年 | ミッドウェー海戦 | 第二次世界大戦の太平洋の戦いで最も重要とされる海戦で,アメリカと日本の海軍が戦いました. |
1944年 | レイテ沖海戦 | 第二次世界大戦における最後の大規模な海戦で,フィリピン沖でアメリカ軍と日本軍が戦いました.しずんだ艦船の数は史上最多です. |
1950年 | 仁川上陸作戦 | 朝鮮戦争での海戦で,この戦いにおいて国連軍が勝利したことにより,大韓民国は首都ソウルをふたたび取りもどすことができました. |
歴史言語学とコーパス使用とは相性がよいと言われる.例えば英語史で考えれば,歴史的なテキストは有限であるから,すべてを電子的に格納すれば,文字通り網羅的に調査することができる.従来の英語史記述研究も,電子的でこそなかったが,特定のテキスト群を調査対象としてきた点では,同じ「コーパス」研究だったという事情もある.現在では,ますます多くの研究者が電子コーパスとその関連ツールを用いて研究しているし,この潮流は間違いなく一層発展していくだろう.
しかし,注意すべきこともある.英語コーパス言語学の入門書を著わしたリンドクヴィスト (197) が次のように述べている.
1990年以降,歴史言語学者にとってコーパスは非常に重要なツールとなりました.手作業で文献から用例を収集しなければならなかった一昔前よりも,かなり効率よく用例を捜し,傾向を探る手助けになります.とはいえ,歴史言語学では,現代言語のコーパスを使った研究以上に,元の文献に立ち返り,精査する必要があります(ただし古い時代では,その「元の文献」すら必ずしも原本ではなく複写であるかもしれず,さらにはその複写も,複数の写字生がときに自らの方言で改編して残したものの一つにすぎない可能性があります).こうした状況から,この種の歴史的なコーパス言語学は,ここ二,三百年の言語の研究とは性質を異にします.学生が古い時代の英語コーパス研究をしたいならば,英語史の授業との関連で行うのがよいでしょう.
引用に述べられている通り,とりわけ古い時代の言語を対象とする場合には,注意を要する.現代の言語を扱うかのような前提のままでいると,数々の問題にぶつかるからだ.例えば,英語史でいえば,初期近代英語以前では綴字が安定していない.ある単語を検索しようとしても,標準的な綴字がないので,考え得る様々な異綴りで検索してみる必要がある.また,文法的なタグ付けがなされている場合にも,現代英語と古英語・中英語とでは文法範疇も異なっているし,屈折語尾の種類も相違しているので,検索するにあたって事前に古い文法の知識が必須となる.要するに,先に古い言語に習熟していることが求められるのである.
さらに,引用で言及されている通り,「元の文献」の深い理解が不可欠であるにもかかわらず,コーパスを表面的に用いることに慣れてくると,得てして問題の深みに意識が向かなくなりがちだ.換言すれば,本文批評 (textual criticism) や文献学的なアプローチから疎遠になってしまう傾向がある.もちろん,コーパス自体が悪いというわけではなく,研究する者が,このことを意識的に自覚していればよいということではあるのだが,簡単ではない.
もう1つ,電子コーパス時代ならずとも問題になるが,コーパスの代表性 (representativeness) の問題が常にある.古い言語の場合には,現在に伝わるテキストは偶然に生き残ってきたという致し方のない事情があり,代表性の問題はことさらに深い.
古い時代の言語をコーパスで調査するということは,理論的にも実践的にも,一見するほどたやすくないということを理解しておきたい.関連して,以下の記事も参照.
・ 「#568. コーパスの定義と英語コーパス入門」 ([2010-11-16-1])
・ 「#363. 英語コーパス発展の3軸」 ([2010-04-25-1])
・ 「#368. コーパスは研究の可能性を広げた」 ([2010-04-30-1])
・ 「#1165. 英国でコーパス研究が盛んになった背景」 ([2012-07-05-1])
・ 「#307. コーパス利用の注意点」 ([2010-02-28-1])
・ 「#367. コーパス利用の注意点 (2)」 ([2010-04-29-1])
・ 「#1280. コーパスの代表性」 ([2012-10-28-1])
・ 「#2584. 歴史英語コーパスの代表性」 ([2016-05-24-1])
・ ハーンス・リンドクヴィスト(著),渡辺 秀樹・大森 文子・加野 まきみ・小塚 良孝(訳) 『英語コーパスを活用した言語研究』 大修館,2016年.
18世紀には様々な文法家や「言語評論家」というべき人々が登場した.Samuel Johnson (1709--84), Robert Lowth (1710--87), John Walker (1732--1807), Lindley Murray (1745--1826) 等がとりわけ有名だが,もう1人の重要な登場人物として Joseph Priestley (1733--1804) の名前を挙げないわけにはいかない.理性を重視した Lowth に対し,Priestley は慣用を重視した文法書を著わしている.Priestley はこの時代の慣用派の代表的論客といってよい.
例えば,1761年に出版された Rudiments of English Grammar という文法書で,Priestley は,でっち上げで恣意的な文法規則ではなく,自然に育まれてきた慣用に基づく文法規則を打ち立てるべきだと論じている.
It must be allowed, that the custom of speaking is the original and only just standard of any language. We see, in all grammars, that this is sufficient to establish a rule, even contrary to the strongest analogies of the language with itself. Must not this custom, therefore, be allowed to have some weight, in favour of those forms of speech, to which our best writers and speakers seem evidently prone . . . ?" (qtd. from Baugh and Cable 277)
The best and the most numerous authorities have been carefully followed. Where they have been contradictory, recourse hath been had to analogy, as the last resource. If this should decide for neither of two contrary practices, the thing must remain undecided, till all-governing custom shall declare in favour of the one or the other. (qtd. from Baugh and Cable 277)
また,Priestley は同じ Rudiments のなかで,アカデミーについても発言しており,そのような機関を設けるよりは慣用に従うほうが妥当だもと述べている.
As to a public Academy, invested with authority to ascertain the use of words, which is a project that some persons are very sanguine in their expectations from, I think it not only unsuitable to the genius of a free nation, but in itself ill calculated to reform and fix a language. We need make no doubt but that the best forms of speech will, in time, establish themselves by their own superior excellence: and, in all controversies, it is better to wait the decisions of time, which are slow and sure, than to take those of synods, which are often hasty and injudicious. (qtd. from Baugh and Cable 264)
1762年の Theory of Language でも,同趣旨が繰り返される.
In modern and living languages, it is absurd to pretend to set up the compositions of any person or persons whatsoever as the standard of writing, or their conversation as the invariable rule of speaking. With respect to custom, laws, and every thing that is changeable, the body of a people, who, in this respect, cannot but be free, will certainly assert their liberty, in making what innovations they judge to be expedient and useful. The general prevailing custom, whatever it happen to be, can be the only standard for the time that it prevails. (qtd. from Baugh and Cable 277)
Priestley の言語観には,実に先進的で現代的な響きが感じられる.この言語観は,酸素を発見した化学者としての Priestley の名言の1つ「ひとつの発見をなしとげると,必ずそれまで考えつきもしなかった別の不完全な知識を得ることになる……」(すなわち,知識は常に発展する)とも共鳴しているように思われる.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
Language trends run in mysterious 14-year cycles と題する記事をみつけた.非常におもしろい. *
Marcelo Montemurro と Damián Zanette による調査結果である.2人は「#607. Google Books Ngram Viewer」 ([2010-12-25-1]) とコンピュータ・プログラムを用いて,1700年から2008年の間の常用される名詞の "popularity" の推移を探った.すると,14年周期で英単語の "popularity" が上がっては下がるということが繰り返されていることが分かったという.意味的に関連する語群は盛衰をともにするというパターンも見つかっているし,英語に限らずフランス語,ドイツ語,イタリア語,ロシア語,スペイン語などの言語でも似たような周期が確認されるというから驚きだ.
では,なぜこのような周期があり,そしてなぜ14年前後という間隔なのか.いくつかの語については,政治を含めた社会的な変化との連動の可能性が指摘されうるが,一般論として,なぜこのような周期があるのかは不明である.もちろん,この周期が無作為変動の誤差の範囲にとどまっているのではないかという疑念は残っており,さらなる調査が必要ではあろう.しかし,もし何らかの要因があるとすれば,それはいったい何なのか.研究者の1人は "an obvious cultural connection" は見られないとしている.
人間行動の反復性,流行の周期,言語行動の慣れや飽き,などの問題と関わるのだろうか.いずれにせよ,非常に不思議で,興味をそそる現象である.
昨日の記事 ([2016-12-01-1]) に引き続き,マリー・アントワネットと情夫フェルセンの間に交わされた暗号通信について.用いられた暗号システムは,多表換字式暗号の一種であり,大文字と小文字の一覧表および鍵から成るものだった.『暗号解読事典』 (p. 177--78) によれば,例えば,次のような一覧表が2人の間で共有されていたと考えられる.
. . .
M kn or sv wz ad eh il mp qt ux yb cf gj
N ab cd ef gh ij kl mn op qr st uv wx yz
O pr su vx ya bd eg hj km np qs tu wy zb
. . .
もし鍵が "M" だとすると,例えば "ami" という単語は,それぞれのペアの相方の文字を取って "dpl" と暗号化される.もし鍵が "N" だとすると,同じ単語は "bnj" となる,等々.この鍵の共有の仕方は様々だったが,ある出版された書物を鍵とする方法も取られていたようだ.
多表換字式が,それ以前の単一字換字式より優れているのは,同じ文字の反復の頻度が格段に減るために,文字の出現頻度に基づく統計的分析による暗号解読の試みをくじくことができる点にある.鍵さえしっかり秘匿されていれば,解読者にとって解読不可能とはいわずとも,相当な時間を費やさせることにはなるだろう.種明かしをされれば,何だそんなものかと反応したくなる程度の代物だが,この種の多表換字式暗号とその諸変種は,15世後半から20世紀に至るまで,暗号のスタンダードであり続けたのである.
・ フレッド・B・リクソン(著),松田 和也(訳) 『暗号解読事典』 創元社,2013年.
先日,六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催中のヴェルサイユ宮殿《監修》マリー・アントワネット展に行ってきた.革命のヒロインとしての人気はすさまじく,美術館も大入りだった.特に目を引いたのは,マリー・アントワネットが家族とともに革命派に捕らわれていたときに,逃亡をもくろんでスウェーデン人の伯爵で情夫たるアクセル・フェルセンと交わした暗号通信のための暗号表の展示である.混雑していて,ショーケースに収められたその文書をゆっくりと眺めることはできなかったが,多表換字式暗号のようだった.近代に入ってから開発されたヴィジュネル暗号の変種といえる.1790年頃のものだという.
帰宅してから『暗号解読事典』 (pp. 23--25) で少し調べてみた.マリーは,母マリア・テレジアが暗号通信に執心していたことから,もともと暗合に馴染みがあったものと思われる.マリーは,とらわれの身となってからも,暗号通信を用いて,フェルセンを仲立ちとして王党派との接触を図り,打開策を講じようとしていた.フェルセンの暗号システムは多表換字式暗号であり,比較的単純なものではあったが,統制の取れない混乱の革命派をだますには,十分に機能した.
この暗号の効果もあって,逃亡の計画は秘密裏に実行に移された.王族が召使いに化け,フェルセンが馭者役となり,馬車でフランス東部への脱出を図ったのである.ところが,目的が達せられる寸前に,ヴァレンヌの村で正体が露見し,パリに送還された.
その後も,マリーはより強力な暗号通信により神聖ローマ皇帝レオポルド2世や諸国の王室に働きかけ,革命派の裏をかく共謀を企てた.しかし,すでにマリーの暗号は敵の手により解読されており,共謀は見破られていた.その後,ルイ16世とマリーが有罪判決を申し渡され,断頭台のつゆと消えたことは,周知の事実である.ちなみに,フェルセンはパリから脱出したものの,後にスウェーデン皇太子の毒殺の偽りの嫌疑をかけられ,1810年にストックホルムで民衆に殺されている.
フランス革命の背後にも,このように,暗号が活躍(暗躍?)していたのである.暗号が歴史に果たした役割は大きいと言えよう.
マリー・アントワネット展のサイトより,フェルセン伯爵との恋 新たな証拠では,1792年1月4日付のマリーからフェルセンへの手紙の画像が公開されている.黒塗りで隠されていた部分の文字が今年1月に解読され,2人の関係の深さが明らかになったというニュースである. *
・ フレッド・B・リクソン(著),松田 和也(訳) 『暗号解読事典』 創元社,2013年.
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
最終更新時間: 2024-11-26 08:10
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow