スペリングの英語史を著わした Horobin によると,17世の英語社会には従来のローマン・アルファベットではなく万国共通の普遍文字を考案しようとする動きが生じていた.
16--17世紀には正音学 (orthoepy) が発達し,それに伴って正書法 (orthography) への関心も高まった時代だが,そこで常に問題視されたのはローマン・アルファベットの不完全性だった.この問題意識のもとで,完全なる普遍的な文字体系が模索されることになったことは必然といえば必然だった.しかし,17世紀の普遍文字の考案の動きにはもう1つ,同時代に特有の要因があったのではないかという.それは長らくヨーロッパ社会で普遍言語として認識されてきたラテン語の衰退である.古い普遍「言語」が失われかけたときに,新しい普遍「文字」が模索されるようになったというのは,時代の流れとしておもしろい.Horobin (25) より引用する.
Attempts have also been made to devise alphabets to overcome the difficulties caused by this mismatch between figura and potestas. In the seventeenth century, a number of scholars attempted to create a universal writing system which could be understood by everyone, irrespective of their native language. This determination was motivated in part by a dissatisfaction with the Latin alphabet, which was felt to be unfit for purpose because of its lack of sufficient letters and because of the differing ways it was employed by the various European languages. The seventeenth century also witnessed the loss of Latin as a universal language of scholarship, as scholars increasingly began to write in their native tongues. The result was the creation of linguistic barriers, hindering the dissemination of ideas. This could be overcome by the creation of a universal writing system in which characters represented concepts rather than sounds, thereby enabling scholars to read works composed in any language. This search for a universal writing system was prompted in part by the mistaken belief that the Egyptian system of hieroglyphics was designed to represent the true essence and meaning of an object, rather than the name used to refer to it. Some proponents of a universal system were inspired by the Chinese system of writing, although this was criticized by others on account of the large number of characters required and for the lack of correspondence between the shapes of the characters and the concepts they represent.
21世紀の現在,普遍文字としての絵文字やピクトグラム (pictogram) の可能性に注目が寄せられている.現代における普遍言語というべき英語が17世紀のラテン語のように衰退しているわけでは必ずしもないものの,現代の普遍文字としてのピクトグラムの模索への関心が高まっているというのは興味深い.17世紀と現代の状況はどのように比較対照できるだろうか.
関連して「#2244. ピクトグラムの可能性」 ([2015-06-19-1]),「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) を参照.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.
日本は2020年開催の東京五輪・パラリンピックに向け,図記号「ピクトグラム」 (pictogram) を全国的に統一するとともに,ISO (国際標準化機構)への登録を目指す作業を進めている.
ピクトグラムは主に災害時の避難場所を示したり,公共機関の所在を表わすなど公的な性格が強く,言語を選ばないという特徴により,1964年の東京五輪の際に活用され,世界に広く知られることとなった.豊かな文字の歴史と文化をもつ日本の生み出した,グローバル・コミュニケーションへの大きな貢献である.日本語を国際語,世界語へ仕立て上げようという試みは,日本にある程度の支持者はいるにせよ,現実的にはほとんどなされていない.しかし,視覚言語という別の側面において,日本は普遍的な記号の創出に積極的に関わっているということは,国内外にもっと宣伝されてよい.この点で2020年に向けてのピクトグラム策定への挑戦も,おおいに支持したい.国土地理院の外国人にわかりやすい地図表現検討会 の HP では,去る6月4日に報告された外国人にわかりやすい地図表現 (PDF)と題する資料が得られる. *
政府は,緊急時に頼れる場所(病院や交番),便利な場所(観光案内所,コンビニ),外国人がよく訪れる場所(ホテル,トイレ,寺院,博物館)などを中心に実用的なピクトグラムを念頭において策定しているようだが,ピクトグラムの言語を越えた可能性はそれだけにとどまらない.より一般的な意味体系に匹敵するピクトグラム体系というものは可能だろう.人類の生み出した原初の文字がピクトグラムであり,その後,音声言語との結びつきを強めながら表語文字や表音文字が発展してきた文字の歴史を思い返すとき,現在,国際コミュニケーションに供するためにピクトグラムが再評価されてきているという事実は興味深い.ピクトグラムは原始的であるがゆえに,単純で本質的で普遍的である.
ただし,ピクトグラム体系なるものが考えられるとはいっても,それのみで音声言語のもつ複雑さを再現することは難しい.文字史においても,原初の絵(文字)は,言語上の二重分節 (double_articulation) のいずれかの単位,すなわち形態素あるいは音素と結びつけられることにより,飛躍的に発展し,音声言語に匹敵する複雑な表現が可能となってきたのである.ピクトグラム体系が,絵文字や表意文字の集合という枠からはみだし,表語文字へと飛躍するとき,それはすでに個別言語の語彙体系に強く依存し始めているのであり,ピクトグラムが本来もつユニバーサルな性質が失われ始めているのだ.換言すれば,そのときピクトグラム体系は,媒介言語から群生言語へと舵を切っているのである (cf. 「#1521. 媒介言語と群生言語」 ([2013-06-26-1])) .
向こう数年のピクトグラム開発国としての日本の役割を,人類の文字の歴史という広い観点から眺めるのもおもしろい.文字の歴史については,「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) 及び「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]) と,後者に張ったリンク先の記事を参照.
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