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graphology - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2026-09-02 05:00

2026-08-14 Fri

#6318. grapholinguistics [writing][graphology][linguistics][linguistics_of_writing][linguistics_of_speech][grapholinguistics][terminology]

 昨日の記事「#6317. 「書記言語学」の構想」 ([2026-08-13-1]) で,「書記言語学」なるものを構想(という以前の段階なので「妄想」?)してみたところ,記事を読まれた静岡大学名誉教授の服部義弘先生より,ウィーン大学の Dimitrios Meletis 氏という若手研究者のことを教えていただいた.grapholinguistics (まさに「書記言語学」に相当するもの!)を提唱されている研究者である.
 Meletis 氏の業績一覧を見る限り,機能主義的な観点から書記言語の理論を構築することに関心があるようだが,射程はもっと広く,書き言葉の社会言語学・語用論にも注目している.また,認知心理学的な観点からの人間の識字能力に関する洞察や,書記言語のもつ規範性などの社会的価値に関するトピックの言及もある.全体として書記言語を総合的に扱う領域を念頭においているようだ.私にとって新たな読書課題ができた(服部先生,ありがとうございます).
 書き言葉 (writing) に関する研究書は,これまでもたくさん出版されてきたのは事実である.タイトル検索をすれば,たくさんの書物が挙がってくる.しかし,近代言語学の歴史において,それを1つの学問領域として構築しようという動きが強まったことはなかったのではないか.
 今回,沃野が耕され始めていることを教えてくださった服部先生には,2018年に刊行された『歴史言語学』(朝倉書店)の出版企画でもたいへんにお世話になった.そのなかで私は2章分を担当させていただいたが,そのうちの1つが第5章「書記体系の変遷」で,日英語の書記体系の歴史を対照させながら執筆させていただいたのだった.hellog の過去記事「#3283. 『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]が出版されました」 ([2018-04-23-1]) も参照されたい.


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 ・ 服部 義弘・児馬 修(編) 『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.
 ・ 堀田 隆一 「第5章 書記体系の変遷」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3.朝倉書店,2018年.89--105頁.

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2026-08-13 Thu

#6317. 「書記言語学」の構想 [writing][graphology][linguistics][double_articulation}[kanji][terminology][sign][semiotics][linguistics_of_writing][linguistics_of_speech][grapholinguistics]

 5ヶ月前のことを思い出しながら,そのときに残したメモを頼りに,この記事を書いている.3月7日,オーストラリアの熱帯都市ケアンズに滞在していたときに,熱暑の早朝にふと1つのアイディアが降ってきた.「書記言語学」 (linguistics_of_writing) の構想だ.
 現代言語学の分野は,音声言語を第一とする規範に縛られてきた.文献に残されている英語を研究対象とする英語文献学に携わっている者として,書き言葉に肩入れしがちな立場にあることは自認しつつ,あえてこのことを主張したい.従来の言語学はおおかた「音声言語学」 (linguistics_of_speech) だったのではないか,という趣旨での問い直しである.
 文字論や書き言葉の研究はもちろん存在してきたけれども,書記言語は音声言語の補助的手段にすぎないと位置づけられるのが一般的だったといってよい.しかし,書記言語は書記言語のまま,独立した体系として理解される必要があるのではないか.「文字論」などという従来の呼び方だけでは,その本質的な射程をカバーしきれない.「書記言語学」くらいの大きなラベルが必要なのではないか,と考えている.
 音声言語が調音生理と聴覚に依存するのに対し,書記言語は運筆原理と視覚に依存する.もちろん表音文字体系など,書記言語には音声言語に依存し制約される側面もあるけれども,原則として独立したシステムと考えたい.たとえば音声言語に対応しない黙字や各種記号,正書法上の視覚的配慮が存在するし,書記言語独自の方言(地域・時代の書き方の変異)も存在する.書記言語にあっては,音声言語における音素の弁別素性に対応するものは何なのだろうか.ストロークに対応するのかもしれないが,もっと精妙なもののような気もする.
 書記言語学を構想する上で大きな問題となるのが,言語の根本的属性とされる2重分節 (double_articulation) の問題だ.従来の言語学(=音声言語学)では,意味をもたない音素(第2分節)が結合して,意味をもつ形態素(第1分節)を構成するという2重分節の原理が,人類の言語の普遍的な特徴であるとされてきた.しかし,これはアルファベット文化圏に慣れ親しんだ,表音文字主導の「音声言語学」的な見方にすぎないのではないか.
 表形態素・表語的な性質を強くもつ文字体系である漢字を例に考えてみよう.象形文字や指事文字には,音素に相当するような「意味をもたない要素」が現われていないように思われる.つまり,そこでは2重分節の原理が当てはまらない.一方で,会意文字や形声文字を考えると,部首などの構成要素が機能している.会意文字における部首は音素ならぬ「意味素」として第2の分節に相当し,形声文字では一方の部首が意味素,他方の部首が音素的要素として機能している.
 このようにみてくると,言語において2重分節は必須ではないものの,第2の分節要素を導入することで組み合わせの応用可能性が爆発的に広がる,ほどの捉え方が実態に即していると言えそうだ.表語(あるいは表形態素)を基礎に据えた書記言語学や文字論のアプローチは,言語学の未来のために希望がありそうだと感じている.
 なぜ文字の発明が人類史において偉大とされるのか.それは単に「声を記録する道具」を作り出したからではなく,音声言語とは異なる原理で動く「人類の第2の言語」のあり方を発明したからではないか,と私は考え始めている.
 日本の書き言葉の歴史における漢文使用を diglossia(二言語併用)の比喩で捉え直すことや,現代日本語における和語・漢語・外来語の文字種使い分けをコードスイッチングとして解釈する視点も,書記言語学の枠組みから迫れるように思う.今後,音声言語学の呪縛から脱却し,独立した体系としての「書記言語学」を構想していきたいと考えている.ケアンズにて突如として湧いた妄想的なアイディアを,5ヶ月ほど冷ましてから公開した次第.

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2024-10-09 Wed

#5644. 「本と文字は時空を超える」のマインドマップ [graphology][writing][notice][mindmap]

 昨日の記事「#5643. 「本と文字は時空を超える」 --- 2023年度慶應義塾大学文学部公開講座「越境する文学部」より」 ([2024-10-08-1]) を受けて,追加の話題です.
 昨年7月1日にこちらの公開講座が開催されのですが,安形麻理教授図書館・情報学専攻)との対談に先立ち,私のほうから30分ほど「文字」について講演させていただきました.
 公開講座の冊子はすでに発行されているのですが,必ずしも広く出回るわけではありません.そこで,その講義資料をもとに,要旨を markmap というウェブツールによりマインドマップ化したものを公開します(画像としてはこちらからどうぞ).概要だけでも伝われば.



 ・ 堀田 隆一・安形 麻理・(司会)峯島 宏次 「本と文字は時空を超える」 『越境する文学部』(極東証券株式会社寄附講座 慶應義塾大学文学部公開講座2023) 慶應義塾大学文学部,2024年3月29日.65--95頁.

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2024-10-08 Tue

#5643. 「本と文字は時空を超える」 --- 2023年度慶應義塾大学文学部公開講座「越境する文学部」より [graphology][writing][notice]

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 私の所属している慶應義塾大学文学部では,例年春学期に3回ほど公開講座を開いています.昨年度の公開講座の大テーマは「越境する文学部」でした.
 2023年7月1日に,第3回の公開講座が三田キャンパスにて開かれ,そこで図書館・情報学専攻安形麻理教授と私,堀田隆一(英米文学専攻)による講演・対談が実現しました.お題は「本と文字は時空を超える」です.会場からの質疑応答を含め2時間ほどじっくり議論しました.
 この公開講座の後,安形先生とは同じテーマで Voicy heldio にて対談収録を行ない,「#768. 本と文字は時空を超える --- 安形麻理先生との対談」として配信しています.ぜひお聴きください.hellog としても「#5185. 文字・本の何が残るのか,何を残すのか --- 安形麻理先生との対談」 ([2023-07-08-1]) の記事でご案内しました..
 さて,公開講座より1年以上が経ちましたが,講演・対談を文字起こしして編集を加えた冊子が発行されました.3つの公開講座が収録されています.

 ・ 「日本列島へと至る道 --- 最初の日本人を考える」(河野 玲子・奈良 貴史・(司会)渡辺 丈彦) (pp. 3--32)
 ・ 「私たちは世界をどうみているのか? --- アートを通して考える」(平田 栄一朗・新倉 慎右・(司会)兎田 幸司) (pp. 33--64)
 ・ 「本と文字は時空を超える」(堀田 隆一・安形 麻理・(司会)峯島 宏次) (pp. 65--95)

 慶應大学文学部らしい多様なテーマの公開講座となりました.
 ちなみに2024年度の公開講座の大テーマは「交流する文学部」でした(すでに終了しています).2025年度の公開講座もお楽しみに!

 ・ 堀田 隆一・安形 麻理・(司会)峯島 宏次 「本と文字は時空を超える」 『越境する文学部』(極東証券株式会社寄附講座 慶應義塾大学文学部公開講座2023) 慶應義塾大学文学部,2024年3月29日.65--95頁.

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2024-08-31 Sat

#5605. 「漢字列」という用語・概念 [terminology][kanji][graphology][writing][review][japanese][chinese][methodology]


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 「#5601. 漢字は中国語と日本語で文字論上の扱いが異なる」 ([2024-08-27-1]) の記事で,今野を引用して漢字の文字論を考えた.そのなかで「漢字列」という用語がさらっと登場した.しかし,これは日本語における漢字の役割を議論する上で,すこぶる重要な用語であり概念だと学んだ.私たちが一般的に「漢熟語」としてとらえている,典型的には漢字2字ほどからなる表現のことである.
 今野は「漢字列」という洞察を導入するにあたって,具体例として「平明」を挙げている.普通に考えれば,これは「ヘイメイ」と音読みで読み下すだろう.しかし,それは現代の話しである.12世紀半ばという時代設定で考えると,この漢字2文字からなる「漢字列」は,音読みの「ヘイメイ」のみならず,訓読みで「アケホノ」とも読み下すことができた.漢語が多く使われている文章内では「ヘイメイ」と読み下す可能性が高く,和語が多く使われている文章内では「アケホノ」の可能性が高かったにちがいない.この2文字の連なりは,原理的には1つの読みに定まらなかったのであり,その点において正書法がなかった,といえるのだ.
 かくして,この漢字2文字の扱いは宙ぶらりんとなる.この漢字2文字を,きわめて形式的に「漢字列」と呼んでおこう.これをどのように読み下すかは別として,読み下す以前の形式に言及したい場合に,無味乾燥な「漢字列」の呼称は意外と便利である.読み下しの結果いかんにかかわらず使える用語・概念だからだ.
 ここまで来たところで,今野 (44--45) の説明を導入しよう.きっとこの用語・概念の有益さが分かるだろう.

 しかし,とにもかくにも,言語を観察しようとしているのに,今みている漢字列がいかなる語をあらわしているかわからない,という状況が日本語においては起こり得る.こうしたことにかかわることがらを説明しようとした時になんとも落ち着きがわるいし,説明しにくい.その落ち着きのわるさ,説明のしにくさをいくらかでも解消するために,いかなる語をあらわしているかわからないものに「漢字列」という名前をつけておく.それがいかなる語をあらわしているか判明したら,和語とか漢語とかはっきりとした呼び方をすればよい.また語を超えた単位であっても,漢字が並んでいるものはすべて「漢字列」と呼ぶ.
 このように「漢字列」という概念を設定しておくことは日本語の歴史の観察,分析,記述に有効であると考える.あるいは有効であることを超えて,「漢字列」が日本語の歴史にとってのキー・ワードの一つかもしれない.つまり,「漢字列」という概念を使って説明すると,うまく説明できることが多いのが日本語ということになる.当然のことであるが,文字化に漢字を使っていない言語について考えるにあたっては「漢字列」という概念は必要がない.表音文字のみを使う言語の観察には存在しない概念といってよい.


 一般文字論にとって,きわめて示唆に富む洞察ではないか.

 ・ 今野 真二 『日本語と漢字 --- 正書法がない言葉の歴史』 岩波書店〈岩波新書〉,2024年.

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2024-08-27 Tue

#5601. 漢字は中国語と日本語で文字論上の扱いが異なる [kanji][graphology][writing][review][japanese][chinese]


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 今野真二(著)『日本語と漢字』を熟読している.文字論について考えさせられることが多い.本書はすでに「#5576. 標準語の変遷と方言差を考える --- 日本語史と英語史の共通点」 ([2024-08-02-1]) と「#5590. 日本語記述の定点観測 --- 「定点」=「漢字・漢語」」 ([2024-08-16-1]) でも取り上げてきた.
 今回は,同じ漢字は漢字でも,それが原則的に中国語では表語文字として,日本語では表語文字に加えて表意文字としても用いられる,という話題を取り上げる.見た目はほぼ同じ漢字であっても,文字論上の役割が異なるという洞察である.今野 (40--41) がこの旨を以下のように解説してくれている.

 さきに,「中国語を文字化する場合の漢字は基本的に表語文字として機能している」と述べた.それは文字としての漢字一字が(基本的に)中国語一語に対応しているということと言い換えてもよい.日本語においては漢字「足」がいつも和語「アシ」を文字化しているわけではない.ということは,表語文字として機能していない場合があることになる.日本語における漢字一字は,どちらかといえば,一語をあらわしていないことが多い.
 漢字「足」は〈たりる〉という字義ももっているので,日本語「タリル(古語形タル)」の文字化にも使われる.漢語「マンゾク」の語義は〈十分なこと〉である.漢語「マンゾク」の語義を知らない人が,漢字列「満足」を「満」と「足」とに分解して,それぞれに対応する和訓を使って,「マンゾク」の語義を〈みちたりる〉と推測することがあるかもしれない.そしてそれでもいいことになる.漢字列「満足」の「足」を,和訓「タリル」によって理解することができるのだから,「足」はある程度語義を示唆していることになる.
 この「ある程度語義を示唆している・意味を喚起している」ことを「表意」と呼ぶことにすると,この場合の漢字は「表意文字」として機能しているとみることができる.先に述べたように,「アシ」という語を「足」によって文字化している場合の漢字は「表語文字」として機能しているのだから,日本語を文字化する場合の漢字は「表語文字」の場合,「表意文字」の場合があることになる.


 さらに比較的周辺的な事例であるとはいえ,漢字には表音文字的な使い方も確かにある.これは中国語にも日本語にも当てはまることだ.これについて,著者は「瑠璃」や「卑弥呼」の例を挙げている.前者はサンスクリット語の単語の発音を再現しており,後者は和語の人名の発音を文字化している.
 つまり,日本語に関する限り,漢字は使われ方次第で,表語的,表意的,表音的いずれにでも機能しうるということになる.しかし,実のところ中国語でも漢字は原則として表語的に用いられるとはいえ,日本語の場合と程度の差はあれ他の役割を果たすこともあり得る.この辺りは精妙な問題ではあるが,著者は日本語における漢字のあり方がいかなるものなのかを鋭く追究している.

 ・ 今野 真二 『日本語と漢字 --- 正書法がない言葉の歴史』 岩波書店〈岩波新書〉,2024年.

Referrer (Inside): [2025-01-01-1] [2024-08-31-1]

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2021-08-22 Sun

#4500. 文字体系を別の言語から借りるときに起こり得ること6点 [grapheme][graphology][alphabet][writing][diacritical_mark][ligature][digraph][runic][borrowing][y]

 自らが文字体系を生み出した言語でない限り,いずれの言語もすでに他言語で使われていた文字を借用することによって文字の運用を始めたはずである.しかし,自言語と借用元の言語は当然ながら多かれ少なかれ異なる言語特徴(とりわけ音韻論)をもっているわけであり,文字の運用にあたっても借用元言語での運用が100%そのまま持ち越されるわけではない.言語間で文字体系が借用されるときには,何らかの変化が生じることは避けられない.これは,6世紀にローマ字が英語に借用されたときも然り,同世紀に漢字が日本語に借用されたときも然りである.
 Görlach (35) は,文字体系の借用に際して何が起こりうるか,6点を箇条書きで挙げている.主に表音文字であるアルファベットの借用を念頭に置いての箇条書きと思われるが,以下に引用したい.

   Since no two languages have the same phonemic inventory, any transfer of an alphabet creates problems. The following solutions, especially to render 'new' phonemes, appear to be the most common:

1. New uses for unnecessary letters (Greek vowels).
2. Combinations (E. <th>) and fusions (Gk <ω>, OE <æ>, Fr <œ>, Ge <ß>).
3. Mixture of different alphabets (Runic additions in OE; <ȝ>: <g> in ME).
4. Freely invented new symbols (Gk <φ, ψ, χ, ξ>).
5. Modification of existing letters (Lat <G>, OE <ð>, Polish <ł>).
6. Use of diacritics (dieresis in Ge Bär, Fr Noël; tilde in Sp mañana; cedilla in Fr ça; various accents and so on).


 なるほど,既存の文字の用法が変わるということもあれば,新しい文字が作り出されるということもあるというように様々なパターンがありそうだ.ただし,これらの多くは確かに言語間での文字体系の借用に際して起こることは多いかもしれないが,そうでなくても自発的に起こり得る項目もあるのではないか.
 例えば上記1については,同一言語内であっても通時的に起こることがある.古英語の <y> ≡ /y/ について,中英語にかけて同音素が非円唇化するに伴って,同文字素はある意味で「不要」となったわけだが,中英語期には子音 /j/ を表わすようになったし,語中位置によって /i/ の異綴りという役割も獲得した.ここでは,言語接触は直接的に関わっていないように思われる (cf. 「#3069. 連載第9回「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」」 ([2017-09-21-1])) .

 ・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.

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