今回は,昨日の記事「#5634. eager-to-please 構文の古さと準助動詞化の傾向」 ([2024-09-27-1]) で触れなかったもう1つの構文,easy-to-please 構文について,その歴史的な特徴を考えてみます.
Fischer et al. (171--72) によれば,easy-to-please 構文には態 (voice) に関わる重要な問題がつきまといます.
The easy-to-please construction has undergone a number of changes. From around 1400, two slightly more complex variants of the construction are found. One has a stranded preposition in the subordinate clause, as in (28a). The other has a passive infinitive (28b).
(28) a þei fond hit good and esy to dele wiþ also
'They found it good and easy to deal with as well.' (Curson(Trin-C)16557)
b the excercise and vce [= 'use'] of suche ... visible signes [...] is good and profitable to be had at certein whilis [= 'times'] (Pecock,Represser,Ch.XX)
(28a) はまさに現代の easy-to-please 構文ですが,(28b) は不定詞部分が to be had のように受動態となっている部分に注意が必要です.この違いは何なのでしょうか.この論点について,現代英語に引きつけて具体的に解説しましょう.現代の He is easy to please. において,文の主語 he と不定詞として現われる動詞 please の統語意味論的な関係は,"he is pleased" あるいは "someone pleases him" ということになります.前者をとれば,能動態ではなく受動態の解釈となりますが,不定詞として現われる動詞自体は受動態の標示を帯びていないために,形式と機能に食い違いが生じてしまっています.この態の観点からみると,上記の (28a) よりも (28b) のほうが理に適っているように思われますが,どうなのでしょうか.
Fischer et al. (172) では,次のように議論が続きます.
The development in (28b) is reminiscent of that in the modal passive . . . , and some degree of mutual influence seems likely. Curiously, however, passive marking eventually became obligatory in the modal passive, but not so in the easy-to-please construction, where formal passives never became systematic and sometimes even disappeared again, as shown by the now-ungrammatical example in (29a). Fischer (1991: 175ff) suggests that formally passive infinitives tend to occur with easy-type adjectives when the relation between adjective and infinitive rather than between adjective and subjective is stressed (cf. 29a). In such cases, an adverb rather than an adjective is also often found, as in (29b).
(29) a when once an act of dishonesty and shame has been deliberately committed, the will having been turned to evil, is difficult to be reclaimed (1839, COHA)
b Jack Rapley is not easily to be knocked off his feet (1819, Fischer ibid.)
From this, one might speculate that passive forms failed to fully establish themselves in this context because the meaning the construction conveys is not always purely passive. As (30) illustrates, the subject of many easy-to-please constructions combines both patient-like and agent-like qualities. While the subject undergoes the action, its intrinsic qualities also contribute to how that action unfolds. The construction could therefore be analysed as marking middle voice.
(30) more experienced opponents ... can sometimes be tricky to play against. (BNC)
easy-to-please 構文と中動態という新たな関係が持ち上がってきた.
・ Fischer, Olga, Hendrik De Smet, and Wim van der Wurff. A Brief History of English Syntax. Cambridge: CUP, 2017.
・ Fischer, Olga. "The Rise of the Passive Infinitive in English". Historical English Syntax. Ed. D. Kastovsky. Berlin: Mouton de Gruyter, 1991. 141--88.
一昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,リスナーさんから寄せられた質問に回答する形で「#517. 間接目的語が主語になる受動態は中英語期に発生した --- He was given a book.」を配信しました.ぜひお聴きください.
原則として古英語では動詞の直接目的語が主語となる受動文しか存在しませんでした.ところが,続く中英語期になり,動詞の間接目的語や前置詞の目的語までもが主語となる受動文も可能となってきました(概要は中尾・児馬 (125--31) をご覧ください).今日はこの配信への補足となります.
Fischer によれば,現代英語では次のすべての受動文が可能です.
1 The book was selected by the committee
2 Nicaragua was given the opportunity to protest
3 His plans were laughed at
4 The library was set fire to by accident
英語史研究では,この受動文の拡大に関する議論は多くなされてきました.いくつかの考え方があるものの,概ね受動化 (passivisation) に関する統語規則の適用範囲が変化してきたととらえる向きが多いようです.要するに,受動化の対象が,時間とともに動詞の直接目的語から間接目的語へ,さらに前置詞の目的語へ拡大してきた,という見方です.
ただし,これも1つの仮説です.もしこれを受け入れるとしても,なぜそうなのかというより一般的な問題も視野に入れる必要があります.受動化とは異なるけれども何らかの点で関係する統語現象においても類似の変化・拡大が起こっているとすれば,それと合わせて考察する必要があります.この辺りの事情を Fischer (384) に語ってもらいましょう.
There are two general paths along which one could look for an explanation of these developments. One can hypothesise that there was a change in the nature of the rule that generates passive constructions . . . Another possibility is that there was a change in the application of the rule due to changes having taken place elsewhere in the system of the language . . . The latter course seems to be the one now more generally followed. Additional factors that may have influenced the spread of passive construction are the gradual loss of the Old English active construction with indefinite man . . . (this construction could most easily be replaced by a passive) and the change in word order . . . .
統語変化の仮説の設定と検証は,なかなか容易ではありません.そのために英語史という専門分野があり,日々研究が続けられているのです.
・ 中尾 俊夫・児馬 修(編著) 『歴史的にさぐる現代の英文法』 大修館,1990年.
・ Fischer, Olga. "Syntax." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Cambridge: CUP, 1992. 207--408.
学校文法では,能動文(ここではSVOの文型を仮定)から受動文を派生させる際に,もとの能動文の主語と目的語をクロスさせ,be 動詞を補ったり,動詞を過去分詞にしたり,前置詞 by を補ったりと,いろいろなことが起こると解説される.
the teacher scolded John │ │ │ │ │ │ ┌─┼────┼──┘ │ └────┼────┐ │ │ │ │ ┌──┘ │ ↓ ↓ ↓ John was scolded by the teacher
生成文法では,このように能動文から受動文を派生させることはしない.深層構造 (D-structure) においてすでに独自の構造を想定し,そこから目的語に相当する要素を主語位置に移動させるという過程を考える.
このように考える理屈は次の通りである.深層構造では,能動文さながらに [V' scolded John] という構造が想定されている.通常であれば scold という他動詞が John に対格を付与するはずだが,scolded のように過去分詞になると格付与能力を失うと考えられ,John は格付与されないままに宙ぶらりんとなる.すると「John のような名詞句は必ず格付与されなければならない」という格フィルター (case filter) の原理に抵触してしまうため,これを回避するために John は格を付与してもらえる位置,つまり深層構造の先頭の ___ へと移動していく.この位置は,定動詞 was によって主格を付与してもらえる位置だからである.こうして,めでたく表層構造が導かれる.
この生成文法流の仕掛けには様々な前提が設けられており,なぜその前提を据えることが妥当なのかは,おおいに議論しなければならない.しかし,この例から,生成文法の特徴の1つとして格付与を重視する伝統があることが分かるだろう.以上,三原 (79) を参照した.
・ 三原 健一 「第3章 生成文法」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.
倒置 (inversion) と受動態化 (passivisation) という2つの統語論的過程には共通した役割がある.本来的な主語以外の要素を,典型的に話題 (topic) を担う節頭の位置に動かすことができるということだ.換言すれば,2つの統語論的過程はともに話題化 (topicalisation) という語用論上の要求に応えてくれる手段なのである.
一方,倒置と受動態化には,興味深い相違点がある.いや,相違というよりも相補といったほうが適切だろう.両者はタッグを組んで,うまいく問題を解決しているようなのである.Seoane (379) の議論を引用しよう.
. . . inversion and passivization operate in different syntactic environments: passivization applies to transitive verbs whereas inversion applies to intransitive and copular clauses. Empirical studies . . . have made manifest that the tendency of inversion to apply to intransitive clauses was already observed in OE, ME, and EModE, when intransitive verbs dominate in the inverted (XVS) order, while there is a predominance of transitive verbs in the non-inverted order (XSV, probably determined by the need to maintain the cohesion between V and O . . .). As argument-reversing constructions, therefore, passivization and inversion were in a nearly complementary distribution and passives were almost the only order-rearranging pattern available for transitive clauses.
なるほど,倒置と受動態化は,それぞれ自動詞文と他動詞文を相手にするという違いはありながらも,語用論上の問題解決を目指しているという点では同じ方向をみているといえる.しかし,2つの過程には決定的に異なることが1つある.それは,倒置は有標な話題を作り出すが,受動態化が作り出す話題はあくまで無標であることだ.上の引用にすぐ続く1文を引用しよう (Seoane 379) .
However, the most significant difference between the two argument-reversing devices is that, even if they satisfy the same discourse constraints, inversion produces marked topics, while passivization is the only strategy reversing the order of clausal constituents and creating unmarked topics/subjects.
これまで倒置と受動態化を結びつけて考えたことがなかったので,とても新鮮な見解だった.
・ Seoane, Elenna. "Information Structure and Word Order Change: The Passive as an Information-Rearranging Strategy in the History of English." Chapter 15 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 360--91.
一般に言語において,情報構造 (information_structure) の観点から,主題となる項(主語とは限らない)は文頭,文の前寄りに置くのが望ましいとされる.日本語のような自由な語順をもつ言語であれば,これを実現することはたやすい.実際,日本語と同様に語順が比較的自由だった古英語でも,この情報構造上の要求に応えることは難しくなかった.
しかし,近現代英語のようなおよそ固定化した語順をもつ言語の場合には,何らかの工夫をこらさなければならない.古英語から中英語期にかけて文の文法としてのV2規則が失われ,語順が固定化していくにつれて,主題となる項を文頭にもってくるための方法が手薄になった.このような状況にあって,重要な手段の1つと目されるようになったのが受動文である.能動文における目的語が主題となる場合,その能動文を受動文に換えることにより,元の目的語が主語となり,問題なく文頭に置けるようになるからだ.
語順の固定化と受動文の多用化という一見すると独立した2つの統語的現象は,情報構造という語用論的な概念を仲立ちとして関連づけられ得るのである.これは「#4561. 語順問題は統語論と情報構造の交差点」 ([2021-10-22-1]) で論じた通りである.少なくとも仮説としては興味深い.
この仮説を実証しようとした研究に Seoane がある.Helsinki Corpus の15世紀初期から18世紀初期までの部分(すなわちV2規則が失われた後の時代のサブコーパス)を用いた調査によれば,以下の通り,時代を追って受動文の比率が漸増していることが分かる (Seoane 371) .
Words | Actives | Percent active | Passives | Percent passive | |
M4 (1420--1500) | 44,000 | 2,928 | 81.9 | 647 | 18.0 |
E1 (1500--1570) | 50,000 | 2,236 | 78.5 | 612 | 21.4 |
E2 (1570--1640) | 48,000 | 2,550 | 77.9 | 722 | 22.0 |
E3 (1640--1710) | 55,000 | 2,893 | 78.5 | 2,903 | 21.3 |
Total | 197,000 | 10,607 | 78.5 | 2,903 | 21.3 |
この4月を通じて宣伝してきた「英語史導入企画2021」も,そろそろ折り返し地点にたどり着きます.大学院と学部の英語史ゼミのメンバーが日々「英語史コンテンツ」を提供するという,年度初め限定のキャンペーンを展開しています.
4月6日に公表された初回コンテンツは,「#4362. 「英語史導入企画2021」がオープンしました」 ([2021-04-06-1]) で紹介した「be surprised at―アッと驚くのはもう古い?(1)」でした.英語学習者の誰もが習う be surprised at ですが,最近では be surprised by も多くなっているという衝撃の事実(?)を指摘した大学院生によるコンテンツでした.
それを受けて昨日アップされたのは,同院生による第2弾「be surprised at―アッと驚くのはもう古い?(2)」です.前回は現代英語の諸変種に焦点を当てた「共時的」な内容でしたが,今回はいよいよ英語史的の醍醐味ともいえる「通時的」なアプローチでの分析です.おお,そうなのか!という驚きの事実が明らかになります.英語史導入企画としてナイスです,ぜひどうぞ.
私もその洞察に刺激を受け,18--19世紀辺りの分布はどうだったのだろうと,後期近代英語のコーパス CLMET3.0 でちらっと検索してみました.70年刻みの3期に分け,(be 動詞はあえて指定せず)surprised at と surprised by でヒット数を単純に比較してみました.
Period | surprised at | surprised by |
---|---|---|
1710--1780 | 158 | 40 |
1780--1850 | 189 | 55 |
1850--1920 | 157 | 30 |
4月1日に「#4357. 新年度の英語史導入キャンペーンを開始します」 ([2021-04-01-1]) と宣言して以来,英語史の学びを促す記事を書き続けていますが,一人で続けるのでは息切れしてしまいます.ということで,慶應義塾大学文学部および文学研究科に在籍している英語史を専攻するゼミの学部生・院生より力を借りることにしました.この趣旨で,実はすでに昨日から「英語史導入企画2021」なるものが立ち上がっています.
私のゼミにて英語史を学ぶ学部生・院生,ゼミ卒業生,その他少数の関係者からなる緩いフォーラムが存在しており,非公式に khelf (= Keio History of the English Language Forum) と称しています.作成途中ながら,そのホームページもありますのでご覧ください.今回の企画の協力者は,ほかならぬこの khelf メンバーたちです.
この企画について,「英語史導入企画2021」ページより説明を転載します.
2021年度がスタートしました.本年度も khelf としての活動に力を入れていきます.
年度初めの4月,5月は,学生も教員も一般人も新しい学びに積極的になる時期です.そこで,英語史を専攻する私たち khelf メンバー(大学院と学部のゼミ生たちが中心)が発信元となって,英語史という分野とその魅力を世の中に広く伝えるべく,何らかの「コンテンツ」を毎日1つずつウェブ上に公表していこうという「英語史導入企画2021」を立てました.
4月5日(月)から始めて5月下旬まで,日曜日を除く毎日更新していく予定です.「こんなに身近なトピックが英語史の入口になり得るのか」とか「こんな他愛のない問題について真剣に学問している集団があるのか」とか,様々に感じてもらい,英語史に関心をもってもらえればと思います.
コンテンツはリンクフリーですが,コンテンツ提供者(匿名)である khelf メンバー(大学院と学部のゼミ生たちが中心)の学習・研究・教育活動にご理解とご協力をお願い致します.
昨日アップロードされた第1回コンテンツは,大学院生による「be surprised at―アッと驚くのはもう古い?(1)」です.英語学習者であれば必ず学習しているはずの熟語 be surprised at の前置詞 at に関して,意外な事実が明らかにされます.この意外な事実をコーパスを駆使して明らかにするという内容です.昨今の英語史研究のトレンドである World Englishes の視点も取り入れており,とても参考になります.受動態の動作主に用いられる前置詞の歴史については,本ブログより ##1333,1350,1351,2269 もご参照ください.
本ブログも,「英語史導入企画2021」上に日々アップされてくるコンテンツと連動する形で英語史の魅力の発信に努めていきたいと思います.企画ともども,よろしくお願い致します.
昨日の記事「#4314. 能格言語は言語の2割を占める」 ([2021-02-17-1]) にて,統語意味論的なカテゴリーとしての能格 (ergative) に触れた.英語は能格言語ではなく対格言語であり,直接には関係しない話題とも思われるかもしれないが,能格性 (ergativity) という観点から英語を見直してみると,新鮮な発見がある.動詞の自他の問題と密接に関わってくるし,受動態 (passive) や中動態 (middle_voice) の問題とも深く交わる.実際,動詞の自他の区別は英語の動詞や構文を考える際の伝統的で基本的な見方を提供してくれているが,これを能格性の視点から見直すと,景色がガランと変わってくるのだ.
Malmkjær (532) の "Ergativity" の項の一部を引用する.
Complementary to the transitive model of the grammar is the ergative model, an additional property of the system of transivitity, which foregrounds the role of Agency in providing a 'generalised representational structure common to every English clause' (Halliday and Matthiessen 2004: 281). This system is simultaneous with those of process type and circumstance . . . . Here the key variable is not a model of extension, as in transitivity, but of causation: 'The question at issue is: is the process brought about from within, or from outside?' (Halliday and Matthiessen 2004: 287). Every process must have one participant central to the actualisation of the process; 'without which there would be no process at all' (Halliday and Matthiessen 2004: 288). This is the Medium and along with the process forms the nucleus of the clause. The Medium is obligatory and is the only necessary participant, if the process is represented as being self-engendering. If the process is engendered from outside, then there is an additional participant, the Agent. Options in the ergative model of transitivity define the voice, or agency, of the clause. A clause with no feature of 'agency' is neither active nor passive but middle (for example, Europeans arrives). One with agency is non-middle, or effective, in agency (for example, Europeans invaded Australia). An effective clause is then either operative or receptive in voice. In an operative clause, the Subject is the Agent and the process is realised by an active verbal group; in a receptive clause the Subject is the Medium and the process is realised by a passive verbal group (Australia was invaded by Europeans) (Halliday and Matthiessen 2004: 297).
昨日も触れたように,世界の諸言語には対格言語 (accusative language) と能格言語 (ergative language) という2大タイプがある.各々 transitivity 重視の言語と ergativity 重視の言語と言い換えてもよい.文法観の大きく異なるタイプではあるが,一方に属する言語を他方の発想で眺めてみると,新たな洞察が得られる.結局のところ,人間が言語で表現したいことを表現する方法には少数のパターンしかなく,表面的には異なっているようにみえても,それはコード化の方法を少しく違えているにすぎない,と評することもできそうだ.
・ Malmkjær, Kirsten, ed. The Routledge Linguistics Encyclopedia. 3rd ed. London and New York: Routledge, 2010.
・ Halliday, M. A. K. and Matthiessen, C. M. I.M. An Introduction to Functional Grammar. 3rd ed. London: Edward Arnold, 2004.
数週間前にゼミ生の間で盛り上がった話題を紹介したい.Time 誌 の The Best Inventions of 2020 に,圧力釜調理器 Chef iQ Smart Cooker という商品が取り上げられていたという.こちらのページでフィーチャーされているが,問題はそのタイトル "Meals Made Easy" である.これはどのような構文であり,どのような意味なのだろうか.
数日間,学生のあいだで様々に議論がなされ,大変おもしろかった.小さなことではあれ,日々の生活のなかで抱いた疑問を披露し,皆で議論するというのは,とても贅沢で大事な体験.素晴らしい!
では,改めて本題に.話し合いの結果,出された意見は様々だった.「簡単に作られた食事」という意味で easy は実は単純副詞 (flat_adverb) なのでないかという見解が出された一方,使役の make の受け身構文であり easy はあくまで形容詞として用いられており「簡単にされた食事」ほどであるという見方もあった.全体として「楽ちんご飯」ほどのニュアンスだろうということは皆わかっているけれども,文法的に納得のいく説明は難しい,といったところで議論が打ち止めとなった.
結論からいえば,これは使役の make の受け身構文である.伝統文法でいえば第5文型 SVOC がベースとなっている.(This cooker) makes meals easy. ほどを念頭におくとよい.これを受け身にすると "Meals are made easy (by this cooker)." となる.タイトルとして全体を名詞句にすべく,meals を主要部として "Meals Made Easy" というわけだ.
しかし,これではちょっと意味が分からないといえば確かにそうだ.make は「?を作る」の語義ではなく,あくまで使役の「?を…にさせる」の語義で用いられていることになるからだ.make meals 「食事を作る」ならば話しは分かりやすい(ただし,この collocation もあまりないようだ).だが,そうではなく make meals easy = cause meals to be easy という関係,つまり「食事を簡単にさせる」ということなのである.別の言い方をすれば meals = easy という関係になる.「食事」=「簡単」というのはどういうことだろうか.「食事の用意」=「簡単」というのであれば,とてもよく分かる.この点は引っかからないだろうか.
実は XXX Made Easy という表現は,入門書や宣伝・広告などのタイトルに常用される一種の定型句である.日本語でいえば『○○入門』『誰でもわかる○○』『単純明快○○』といったところだ.XXX や○○には,スキル,趣味,科目,注目の話題など様々な語句が入る.BNCweb にて "made easy" を単純検索するだけでも,冗談めいたものから不穏なものまで,いろいろと挙がってくる.
・ Harvesting and storing made easy
・ MIDDLE EAST DISTRIBUTION MADE EASY
・ Suicide made easy
・ FLOOR TILING MADE EASY
・ COSMETICS MADE EASY
・ Sheep counting made easy
・ Financial Analysis Made Easy
・ Mechanics Made Easy
実際に出版されている本のタイトルでいえば,ボキャビルのための Word Power Made Easy もあれば,Math Made Easy などの学科ものも定番だし,Japanese cookbook for beginners: 100 Classic and Modern Recipes Made Easy のような料理ものも多い.AUSTRALIAN COOKBOOK: BOOK1, FOR BEGINNERS MADE EASY STEP BY STEP 辺りは構文が取りやすいのではないか.XXX Made Simple や XXX Simplified も探せば見つかる.
上記より XXX や○○は「作る」 (make) 対象である必要はまったくない.むしろ何らかの意味で習得・克服すべき対象であれば何でもよい.ということで,"Meals Made Easy" も「お食事入門」≒「楽ちんご飯」ほどとなるわけである.
連日の記事で,國分(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』の議論を紹介している(cf. 「#4205. 國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』」 ([2020-10-31-1]),「#4207. 「先に名詞ありき,遅れて動詞が生じた」説」 ([2020-11-02-1]),「#4208. It rains. は行為者不在で「降雨がある」ほどの意」 ([2020-11-03-1]),「#4210. 人称の出現は3人称に始まり,後に1,2人称へと展開した?」 ([2020-11-05-1])).最近,学生たちと動詞について広く議論しているところだったので,動詞の理解を深めるのにおおいに参考とさせてもらっている.
國分 (175--76) は,動詞のあり方という観点から,印欧語の(前史を含んだ)長い歴史を,標記のように提示している.大きな仮説だが,これは認知言語学的な観点からみてもきわめて示唆に富む(以下では原文の太字あるいは圏点を太字で示している).
「出来事が主,行為者が従だった時代」
われわれは一万年以上に及ぶかもしれぬ長大な歴史を俯瞰した.
では,「共通基語」の時代よりも前の状態から始まるインド=ヨーロッパ語の変化の歴史を,以上のように動詞および態の変化という観点から眺めたとき,そこに見出される方向性とは何か? この途方のない問いにあえて答えてみよう.
この変化の歴史の一側面を,出来事を描写する言語から,行為者を確定する言語への以降の歴史として描き出せるように思われる.
名詞的構文の時代,動作は単なる出来事として描かれた.そこから生まれた動詞も,当初は非人称形態にあり,動作の行為者ではなくて出来事そのものを記述していた.
だが動詞は後に人称を獲得し,それによって,動詞が示す行為や状態を主語に結びつける発想の基礎がそこに生まれる.とはいえ,動詞がその後に態という形態を獲得した後も,動詞と行為者との関係については,動作プロセスの内側に行為者がいるのか,それともその外側にいるのかが問われるままに留まっていた.そこにあったのは能動と中動の区分だったからだ.
だがその後,動詞はより強い意味で行為を行為者に結びつけるようになる.能動と受動の区別によって,行為者が自分でやったのかどうかが問われるようになるからだ.
この仮説によると,印欧語は,動詞の表わす動作そのものに注目する言語から,動作の主は誰なのかに異常な関心を示す言語へと化けたことになる.國分 (178) は上の引用の後の節で,行き着いた先の言語を「出来事を私有化する言語」とも呼んでいる.
現代英語に照らしていえば,主語と目的語,自動詞と他動詞,能動態と受動態など,種々の統語的差異に神経質な言語となっているが,それは「動作の行為者を確定させたいフェチ」の言語だからということになろうか.
・ 國分 功一郎 『中動態の世界 意志と責任の考古学』 医学書院,2017年.
國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読了した.「中動態」 (middle_voice) あるいは「中間態」とも呼ばれる,古くは印欧語族に広くみられた態 (voice) に関する哲学的考察である.
現代人の多くには馴染みの薄い態であるが,古代ギリシア語では一般的によくみられ,現代の印欧諸語にも何らかの形で残滓が残っている.また,日本語の「自発」を表わす動詞の表現なども,中動態の一種といえる.本ブログでは「#232. 英語史の時代区分の歴史 (1)」 ([2009-12-15-1]),「#2185. 再帰代名詞を用いた動詞表現の衰退」 ([2015-04-21-1]),「#3331. 印欧祖語からゲルマン祖語への動詞の文法範疇の再編成」 ([2018-06-10-1]) 等でその名称には触れたものの,まともに取り上げたことはなかった話題である.
本書を分かりやすく要約することは至難の業だが,著者の最大の主張は,私たちが当たり前のようにみなしている能動態と受動態の対立を疑ってみようという呼びかけである.能動態と受動態の対立に慣れきっていると,中動態は,文字通り中間的な,立ち位置のよく分からないどっちつかずの存在であるようにみえる.しかし,それは対立の軸がずれているからではないか.対立させるべきは,能動態と受動態を合わせた1つの態と,中動態というもう1つの態なのではないか.中動態は何かの中間なのではなく,むしろ能動態と鋭く対立する態なのではないか.本書では,前半からこのような目から鱗の落ちるような議論が展開される.pp. 82--83 より著者の主張を引用しよう(以下では原文の圏点は太字で示している).
中動態を定義するためには,われわれがそのなかに浸かってしまって能動対受動というパースペクティヴを一度括弧に入れたうえで,かつて中動態が置かれていたパースペクティヴを復元しなければならないのだった.より具体的に言えば,その作業は,中動態をそれ単独としてではなくて,能動態との対立において定義することを意味する.
するとここにもう一つ別の課題が現れる.
中動態が能動態との対立においてその意味を確定していたのならば,まったく同じように,能動態もまた中動態との対立においてその意味を確定していたはずである.だとしたら,中動態と対立していたときの能動態を,現在のパースペクティヴにおける能動態と同一視してはならないことになる.中動態を定義するためには,中動態と対立していた能動態も定義し直さなければならないはずだ.
われわれがそのなかに浸っているパースペクティヴを括弧に入れるとは,そのようなことを意味する.中動態を問うためには,われわれが無意識に採用している枠組み,われわれ自身を規定している諸条件を問わねばならないのだ.
このように従来の態の見方を転倒させるような洞察が本書の最後まで続く.そのなかには,印欧語では動詞構文より前に名詞構文があったのではないかという仮説もあれば,中動態こそが原初の態だったのではないかという仮説もある.あらためて言語における態とは何なのかを問わずにはいられなくなる論考である.
・ 國分 功一郎 『中動態の世界 意志と責任の考古学』 医学書院,2017年.
昨日の記事「#4116. It's very kind of you to come. の of の用法は?」 ([2020-08-03-1]) の続編.共時的にはすっきりしない of の用法だが,歴史的にみるとおよそ解決する.今回は,この構文と of の用法について歴史的にひもといて行こう.
OED の of, prep. によると,この用法の of は,"V. Indicating the agent or doer." という大区分の下で語義16に挙げられている.
16. Indicating the doer of something characterized by an adjective: following an adjective alone, as foolish, good, rude, stupid, unkind, wise, wrong (or any other adjective with which conduct can be described); †following an adjective qualifying a noun, as a cruel act, a cunning trick, a kind deed, an odd thing; †following a past participle qualified by an adverb, as cleverly managed, ill conceived, well done.
Usually followed by to do (something), as in it was kind of you (i.e. a kind act or thing done by you) to help him etc., and less frequently by †that, both constructions introducing the logical subject or object of the statement, e.g. It was kind of him to tell me = His telling me was a thing kindly done by him.
「行為者」の of といわれても,にわかには納得しがたいかもしれない.標題の文でいえば,確かに you は come の意味上の主語であり,したがって行為者ともいえる.しかし,それであれば for 句を用いた It is important for him to get the job. (彼が職を得ることは重要なことだ.)にしても,him は get の意味上の主語であり行為者でもあるから,of と for の用法の違いが出ない.2つの前置詞が同一の用法をもつこと自体はあり得るにせよ,なぜそうなるのかの説明が欲しい.
OED からの引用に記述されている歴史的背景を丁寧に読み解けば,なぜ「行為者の of」なのかが分かってくる.この用法の of の最初期の例は,どうやら形容詞の直後に続くというよりも,形容詞を含む名詞句の直後に続いたようなのである.つまり,It's a very kind thing of you to come. のような構文が原型だったと考えられる.だが,この原型の構文も初出は意外と遅く,初期近代英語期に遡るにすぎない.以下,OED より最初期の数例を挙げておこう.
1532 W. Tyndale Expos. & Notes 73 Is it not a blind thing of the world that either they will do no good works,..or will..have the glory themselves?
a1593 C. Marlowe Jew of Malta (1633) iv. v 'Tis a strange thing of that Iew, he lives upon pickled grasshoppers.
1603 W. Shakespeare Hamlet iii. ii. 101 It was a brute parte of him, To kill so capitall a calfe.
1668 H. More Divine Dialogues ii. 383 That's a very odd thing of the men of Arcladam.
1733 J. Tull Horse-hoing Husbandry 266 Is it not very unfair of Equivocus to represent [etc.]?
1766 H. Brooke Fool of Quality I. iv. 145 Indeed, it was very naughty of him.
最初の4例は「形容詞を含む名詞句 + of」となっている.of を "(done) by" ほどの「行為者の of」として読み替えれば理解しやすいだろう.ここで思い出したいのは,受け身の動作主を表わす前置詞は,現代でこそ by が一般的だが,中英語から初期近代英語にかけては,むしろ of が幅を利かせていた事実だ.当時は現代以上に of = "done by",すなわち「行為者の of」の感覚が濃厚だったのである(cf. 「#1350. 受動態の動作主に用いられる of」 ([2013-01-06-1]),「#1333. 中英語で受動態の動作主に用いられた前置詞」 ([2012-12-20-1]),「#2269. 受動態の動作主に用いられた by と of の競合」 ([2015-07-14-1])).
しかし,上に挙げた最後の2例については,すでに統語的省略が生じて「形容詞 + of」の構文へと移行しており,本来の「行為者の of」の感覚も薄れてきているように見受けられる.標題の構文は,原型の構文がこのように省略され形骸化しながらも,現代まで継承されてきたものにほかならないのである.
現在 show の中心的な語義は「見せる,示す」だが,古英語では基本的に「見る」 を意味した.Hall の古英語辞書で ±scēawian をみると,"look, gaze, see, behold, observe; inspect, examine, scrutinize; have respect to,look favourably on; look out, look for, choose; decree, grant" などの訳語が与えられている.最後の "decree, grant" には現代風の語義の気味も感じられるが,古英語の主たる意味は「見る」だった.
それが,中英語にかけて「見える」や「見せる」など,受動的な語義 (passive) や使役的な語義 (causative) が発展してきた.「見せる人」「見る人」「見られる物」という,この動詞の意味に関わる参与者 (participants) 3者とその態 (voice) を取り巻く語義変化とみることができるが,なぜそのように発展することになったのかはよく分かっていない.語根は印欧祖語にさかのぼり,ゲルマン諸語でもすべて「見る」を意味してきたので,英語での発展は独自のものである.OED の show, v. に,この件について解説がある.
In all the continental West Germanic languages the verb has the meaning 'to look at' (compare sense 1), and the complex sense development shown in English, in particular the development of the causative sense 'to cause to be seen' (which may be considered the core meaning of all the later sense branches), is unparalleled. Evidence for this development in Old English is comparatively late (none of the later sense branches is attested before the first half of the 12th cent.); however, similar uses are attested earlier (albeit rarely) for the Old English prefixed form gescēawian, especially in the phrase āre gescēawian to show respect or favour (compare quot. OE at sense 26a(a)), but also in senses 'to present, exhibit' (one isolated and disputed attestation; compare sense 3a) and 'to grant, award' (compare sense 18). The details of the semantic development are not entirely clear; perhaps from 'to look at' to 'to cause to be looked at or seen' (compare branch II.), 'to present, exhibit, display' (compare branches II. and IV.), 'to make known formally', 'to grant, award' (compare branch III.), although all of the latter senses could alternatively show a development via sense 2 ('to look for, seek out, to choose, select'). Compare also quot. OE at showing n. 2a, but it is uncertain whether this can be taken as implying earlier currency of sense 24.
引用にもある通り,古英語にも「見せる;与える」の例は皆無ではない.OED からいくつか拾ってみると,次の如くである.
・ [OE Genesis A (1931) 1581 Þær he freondlice on his agenum fæder are ne wolde gesceawian.]
・ lOE Extracts from Gospels: John (Vesp. D.xiv) xiv. 9 in R. D.-N. Warner Early Eng. Homilies (1917) 77 Se mann þe me gesicð, he gesicð eac minne Fæder. Hwu segst þu, Sceawe us þone Fæder?
・ lOE Anglo-Saxon Chron. (Laud) anno 1048 Þa..sceawede him mann v nihta grið ut of lande to farenne.
中英語になると,MED の sheuen v.(1) が示す通り,元来の「見る」の語義も残しつつ「見せる」の語義も広がってくる.初期中英語から例は挙がってくるようだ.
非常に重要な動詞なだけに,意味変化の原因が知りたいところである.ちなみに,show は,意味だけでなくスペリング,発音,活用についても歴史的に興味深い変化を経てきた動詞だ.以下の記事を参照.
・ 「#1415. shew と show (1)」 ([2013-03-12-1])
・ 「#1416. shew と show (2)」 ([2013-03-13-1])
・ 「#1716. shew と show (3)」 ([2014-01-07-1])
・ 「#1806. ARCHER で shew と show」 ([2014-04-07-1])
・ 「#1727. /ju:/ の起源」 ([2014-01-18-1])
・ 「#3385. 中英語に弱強移行した動詞」 ([2018-08-03-1])
・ Hall, John R. C. A Concise Anglo-Saxon Dictionary. Rev. ed. by Herbert T. Merritt. Toronto: U of Toronto P, 1996. 1896.
標題の He is to blame. は「彼は責められるべきだ;彼には責任がある」という意味のフレーズだが,厳密に態 (voice) を考慮すれば,「彼」は「責められる」立場であるから He is to be blamed. と不定詞も受け身になるべきだと思われるかもしれない.実際,後者でも意味は通じるし,もちろん文法的なのだが,慣習的なフレーズとしては前者が用いられる.なぜだろうか.
これは,動名詞について解説した「#3604. なぜ The house is building. で「家は建築中である」という意味になるのか?」 ([2019-03-10-1]) と「#3605. This needs explaining. --- 「need +動名詞」の構文」 ([2019-03-11-1]) とも関係する.動名詞と同様に不定詞 (infinitive) も動詞の名詞化という機能をもっている.動名詞や不定詞により動詞が名詞化すると,もともとの動詞がもっていた態の対立は中和し,能動・受動の区別なく用いられるようになる.to blame は,したがってこの形で能動的に「非難すべき」ともなり得るし,受動的に「非難されるべき」ともなり得るのである.区別が中和されているということは,文脈によりいずれにも解釈し得るということでもある.He is to blame. の場合には,意味上,受け身として解釈されるというわけだ.There is a house to let. や I have something to say. のような「形容詞的用法」の不定詞も,態の中和という発想に由来する(中島,p. 238).
ただし,不定詞(や動名詞)の態の中和は,あくまでそれが強い名詞性を保っていた時代の特徴である.近代以降,不定詞(や動名詞)はむしろ動詞的な性格を強めてきており,中和されていた態の対立が復活してきている.その結果,慣習的ではないとはいえ He is to be blamed. も文法的に許容されるようになった.標題のような構文は,古い時代の特徴を伝える生きた化石のような存在なのである.
・ 中島 文雄 『英語発達史 改訂版』岩波書店,2005年.
昨日の記事「#3604. なぜ The house is building. で「家は建築中である」という意味になるのか?」 ([2019-03-10-1]) と関連する構文の話題.標題のように,need が動名詞(能動態)を従える構文がある.論理的に考えれば This は explain されるべき対象であるから,動名詞の受動態 being explained が用いられてしかるべきところだが,一般には標題の通りでよい.これは,昨日も述べたように,(動)名詞にあっては,もとの動詞には備わっていた態 (voice) の対立が中和されているからである.つまり,動詞 explain から動名詞 explaining となったことにより,「説明する」と「説明される」の意味的対立が薄まり,純正の名詞 explanation (説明)と同じように,態について無関心となっていると考えればよい.
need のほかに want, require, deserve, bear, escape などの動詞や,形容詞 worth も動名詞を従える構文をとる(中島,p. 232).例を挙げよう.
・ This machine wants repairing.
・ The fence requires painting.
・ A person who steals deserves punishing.
・ It doesn't bear thinking about.
・ Use every man after his desert, and who should 'scape whipping? --- Hamlet, II. ii. 555--6
・ What is worth doing at all is worth doing well.
もちろん各々に動名詞の受動態を用いても,それはそれで意味論的にも統語的にも適格ではあるが,「構文としての響き」というべきものは失われるのかもしれない.いずれにせよニッチに生き残ってきた構文である.
・ 中島 文雄 『英語発達史 改訂版』岩波書店,2005年.
標題の文は古風な表現ではあるが,現在でも使われることがある.「家が建てられているところだ」という受動的な意味に対応させるには,受動進行形を用いて The house is being built. となるべきではないのかと疑問に思われるかもしれない.この疑問はもっともであり,確かに後者の受動進行形の構文が標準的ではある.しかし,それでもなお,標題の The house is building. は可能だし,歴史的にはむしろ普通だった.能動態と受動態という態 (voice) の区別にうるさいはずの英語で,なぜ標題の文が許されるのだろうか.
歴史的には,The house is building. の building は現在分詞ではなく動名詞である.同じ -ing 形なので紛らわしいが,両者は機能がまったく異なる.The house is building. の前段階には The house is a-building. という構文があり,さらにその前段階には The house is on building. という構文があった.つまり,building は build の動名詞であり,それが前置詞 on の目的語となっているという統語構造なのである.意味的にはまさに「建築中」ということになる.前置詞 on が弱化して接頭辞的な a- となり,それがさらに弱化し最終的には消失してしまったために,あたかも現在進行形構文のような見栄えになってしまったのである.
動名詞は動詞由来であるから動詞的な性質を色濃く残しているとはいえ,統語上の役割としては名詞である.態とは本質的に動詞にかかわる文法範疇であり,名詞には関与しない.したがって,動「名詞」としての building では,「建てる」と「建てられる」の態の対立が中和されている.まさに日本語の「建築」がぴったりくるような意味をもっているのだ.前置詞 on を伴って「建築中」の意となるのは自然だろう.
このような構文は,古風とはいえ現在でも用いられることがあるし,近代英語まで遡ればよくみられた.類例として,以下を挙げておこう(中島,pp. 229--30).
・ The whilst this play is playing --- Hamlet, III. ii. 93.
・ While grace is saying -- Merch. V., II. ii. 202
・ What's doing here?
・ The dinner is cooking.
・ The book is printing.
・ The tea is drawing.
・ The history which is making about us.
標題の問いに戻ろう.主語の the house と,building のなかに収まっているもともとの動詞 build とは,歴史的にいえば直接的な統語関係にあるわけではない.言い方をかえれば,build the house という動詞句を前提とした構文ではないということだ.一方,現代の標準的な The house is being built. は,その動詞句を前提とした構文である.つまり,2つの構文は起源がまったく異なっており,比べて合ってもしかたない代物なのである.
現在分詞と動名詞が,まったく異なる機能をもちながらも,同じ -ing 形となっている歴史的経緯については,「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]) を参照されたい.
・ 中島 文雄 『英語発達史 改訂版』岩波書店,2005年.
古英語に関する歴史語用論の話題として,最近の2つの記事で触れた(cf. 「#3208. ポライトネスが稀薄だった古英語」 ([2018-02-07-1]),「#3211. 統語と談話構造」 ([2018-02-10-1])).およそ speech_act, politeness, discourse_analysis, information_structure に関する問題だった.今回は Traugott の概説にしたがって,中英語に関する歴史語用論の話題として,どのようなものがあるかを覗いてみたい.
Traugott は,ハンドブックの冒頭で3つを指摘している (466) .
(1) "the shift from information-structure-oriented word order in Old English to 'syntacticized' order in Middle English; this in tern led, at the end of the period, to new strategies for marking topic and focus in special ways."
(2) "the development of auxiliary verbs in contexts where implied abstract temporal, modal, or aspectual meanings of certain concrete verbs became salient"
(3) "the appearance of a large set of new discourse types, from romances to drama, scientific writings, and letters"
(1) は語用論と統語論のインターフェースに関わる精緻な問題といってよい.古英語から中英語にかけて屈折が衰退し,語順が固定化していったことにより,以前は比較的自由な語順を利用して情報構造を整えるという方略をもっていたものが,今や語順に頼ることができなくなったために,別の手段に訴えかけなければならなくなったということである.例えば,後期中英語に,行為者を標示する by 句を伴う受動態の構文が発達してきたことは,このような情報構造上の要請に起因する部分があるかもしれない.もしこの仮説が受け入れられるのであれば,語用論的な要因こそがくだんの統語変化の引き金となったと言えることになろう.
(2) も統語的な含みをもち,(1) と間接的に関連すると思われるが,主に本動詞から助動詞への発達(いわゆる典型的な文法化 (grammaticalisation) の事例)を説明するのに,文脈に助けられた含意 (implicature) や誘導推論 (invited_inference) などの道具立てをもってする研究を指す.中英語期には屈折の衰退による接続法・仮定法の衰退により,統語的な代替手段として法助動詞が発達するが,この発達にも語用論的なメカニズムが関与している可能性がある.
(3) は新種の談話の出現である.時代が下るにつれ,以前の時代にはなかったジャンルやテキスト・タイプが現われてくることは中英語期に限った現象ではないが,中英語でも確かに新種が生み出された.Traugott はロマンス,演劇,科学的文章,手紙といったジャンルを指摘しているが,その他にもフランス語(およびラテン語)の影響を受けた,あるいは混合した多言語使用の散文や韻文なども挙げられるだろう.
ほかに中英語後期には英語の書き言葉の標準化 (standardisation) も起こり始めており,誰がいつどこで標準変種を用いたのか,用いなかったのかといった社会語用論的な問題も議論の対象となるだろう.
・ Traugott, Elizabeth Closs. "Middle English: Pragmatics and Discourse" Chapter 30 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 466--80.
I believe that she has done it. という文は that 節を用いずに I believe her to have done it. とパラフレーズすることができる.前者の文で「それをなした」主体は she であり,当然ながら主格の形を取っているが,後者の文では動作の主体は同じ人物を指しながら her と目的格の形を取っている.これは,不定詞の意味上の主語ではあり続けるものの,統語上1段上にある believe の支配下に入るがゆえに,主格ではなく目的格が付与されるのだと説明される.統語論では,後者のような格付与のことを Exceptional Case-Marking (= ECM) と呼んでいる.また,believe の取るこのような構文は,対格付き不定詞の構文とも称される.
上の believe の例にみられるようなパラフレーズは,think や declare に代表される「思考」や「宣言」を表わす動詞で多く可能だが,興味深いのは,ECM 構文は受動態で用いられるのが普通だということである.上記の例はあえて能動態の文を取り上げたが,She is believed to have done it. のように受動態で現われることのほうが圧倒的に多い.実際 say などでは,能動態での ECM 構文は許容されず,The disease is said to be spreading. のようにもっぱら受動態で現われる.
この受動態への偏りは,なぜなのだろうか.
1つには,「思考」や「宣言」において重要なのは,その内容の主題である.上の例文でいえば,she や the disease が主題であり,それが文頭で主語として現われるというのは,情報構造上も自然で素直である.
もう1つの興味深い観察は,is believed to なり is said to の部分が,全体として evidentiality を表わすモーダルな機能を帯びているというものだ.つまり,reportedly ほどの副詞に置き換えることができそうな機能であり,古い英語でいえば sceolde "should" という法助動詞で表わされていた機能である.Los (151) によれば,
Another interesting aspect of passive ECMs is that they renew a modal meaning of sceolde 'should' that had been lost. Old English sceolde could be used to indicate 'that the reporter does not believe the statement or does not vouch for its truth' . . . :
Þa wæs ðær eac swiðe egeslic geatweard, ðæs nama sceolde bion Caron <Bo 35.102.16>
'Then there was also a very terrible doorkeeper whose name is said to be Caron'
The most felicitous PDE translation has a passive ECM.
ある意味では,be believed to や be said to が,be going to などと同じように法助動詞へと文法化 (grammaticalisation) している例とみることもできるだろう.
・ Los, Bettelou. A Historical Syntax of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2015.
I believe that she has done it. という文は that 節を用いずに I believe her to have done it. とパラフレーズすることができる.前者の文で「それをなした」主体は she であり,当然ながら主格の形を取っているが,後者の文では動作の主体は同じ人物を指しながら her と目的格の形を取っている.これは,不定詞の意味上の主語ではあり続けるものの,統語上1段上にある believe の支配下に入るがゆえに,主格ではなく目的格が付与されるのだと説明される.統語論では,後者のような格付与のことを Exceptional Case-Marking (= ECM) と呼んでいる.また,believe の取るこのような構文は,対格付き不定詞の構文とも称される.
上の believe の例にみられるようなパラフレーズは,think や declare に代表される「思考」や「宣言」を表わす動詞で多く可能だが,興味深いのは,ECM 構文は受動態で用いられるのが普通だということである.上記の例はあえて能動態の文を取り上げたが,She is believed to have done it. のように受動態で現われることのほうが圧倒的に多い.実際 say などでは,能動態での ECM 構文は許容されず,The disease is said to be spreading. のようにもっぱら受動態で現われる.
この受動態への偏りは,なぜなのだろうか.
1つには,「思考」や「宣言」において重要なのは,その内容の主題である.上の例文でいえば,she や the disease が主題であり,それが文頭で主語として現われるというのは,情報構造上も自然で素直である.
もう1つの興味深い観察は,is believed to なり is said to の部分が,全体として evidentiality を表わすモーダルな機能を帯びているというものだ.つまり,reportedly ほどの副詞に置き換えることができそうな機能であり,古い英語でいえば sceolde "should" という法助動詞で表わされていた機能である.Los (151) によれば,
Another interesting aspect of passive ECMs is that they renew a modal meaning of sceolde 'should' that had been lost. Old English sceolde could be used to indicate 'that the reporter does not believe the statement or does not vouch for its truth' . . . :
Þa wæs ðær eac swiðe egeslic geatweard, ðæs nama sceolde bion Caron <Bo 35.102.16>
'Then there was also a very terrible doorkeeper whose name is said to be Caron'
The most felicitous PDE translation has a passive ECM.
ある意味では,be believed to や be said to が,be going to などと同じように法助動詞へと文法化 (grammaticalisation) している例とみることもできるだろう.
・ Los, Bettelou. A Historical Syntax of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2015.
中英語期では,不定詞補文が著しく発達した.Los (Los, Bettelou. The Rise of the to-Infinitive. Oxford: OUP, 2005.) を参照した Sawada (28) に簡潔にまとめられているように,その発達には,(1) 原形不定詞の生起する環境が狭まる一方で to 不定詞の頻度が顕著に増したという側面と,(2) 古英語では見られなかった種々の新しい不定詞構造が現われたという側面がある.(2) については,5種類の新構造が指摘される.以下に,現代英語からの例文とともに示そう.
(a) 受動態の to 不定詞: The clothes need to be washed.
(b) 完了の have を伴う to 不定詞: He expected to have finished last Wednesday.
(c) 独立して否定される to 不定詞: They motioned to her not to come any further.
(d) いわゆる不定詞付き対格構文における to 不定詞: They believed John to be a liar.
(e) 分離不定詞 (split infinitive): to boldly go where no one has gone before.
このような近現代的な to 不定詞構造が生まれた背景には,対応する that 節による補語の衰退も関与している.というよりは,結果的には that 節の果たした節として種々の機能が,複雑な構造をもつ to 不定詞に取って代わられた過程と理解すべきだろう.しかし,この置換は一気に生じたわけではなく,受動態などの複雑な意味・構造が関わる場合には that 節の補文がしばらく保たれたことに注意すべきである.
・ Sawada, Mayumi. "The Development of a New Infinitival Construction in Late Middle English: The Passive Infinitive after Suffer." Studies in Middle and Modern English: Historical Variation. Ed. Akinobu Tani and Jennifer Smith. Tokyo: Kaitakusha, 2017. 27--47.
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