01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
映画『グリーン・ナイト』が公開中です.その原作『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) は14世紀末の中英語ロマンスですが,ほぼ同時代に書かれたジェフリー・チョーサー (Geoffrey Chaucer) の『カンタベリ物語』 (The Canterbury Tales) とは,あらゆる面で異なっています.前者はコテコテのイングランド北西部の英語方言で頭韻 (alliteration) によって書かれており,後者は後に標準英語へと発展していくロンドン英語で脚韻 (rhyme) によって書かれています.
チョーサーはもっぱら大陸由来の脚韻で詩作し,ゲルマン語としての英語に伝統的に受け継がれてきた頭韻には関心がなかったようです.現代の日本の歌謡界になぞらえていえば「私はポップス歌手だけれど民謡や演歌はやりませんよ」といった雰囲気です.このことは,チョーサー自身が本気では頭韻を利用していないこと,また『カンタベリ物語』の「教区主任司祭の話の序」 (ll. 42--47) にて,次のように述べていることからも間接的に知られます (The Riverside Chaucer より).
But trusteth wel, I am a Southren man;
I kan nat geeste 'rum, ram, ruf,' by lettre,
Ne, God woot, rym holde I but litel bettre;
And therfore, if yow list --- I wol nat glose ---
I wol yow telle a myrie tale in prose
To knytte up al this feeste and make an ende.
これを日本語に訳すと次のようになります.
ですが,ぜひともご理解いただきたいのですが,私は南の出身です.ですから "rum","ram","ruf" という具合に言葉の頭で韻を踏むことなどできません.また,神もご存知ですが,私は脚韻も踏むこともまずできません.ですから,よろしければ --- 注釈する気はさらさらないのですが --- 皆様に散文で楽しい話をいたしましょう.それでこのお楽しみの会で編まれるべきものをすべて編み上げて締めくくりましょう
チョーサーは,教区主任司祭という登場人物にやや軽んじた口調で 'rum, ram, ruff' と発言させています.文字通りには頭韻も脚韻もやりませんと読めますが,頭韻を脚韻より劣るものと見なしていると読むことも可能かもしれません.いかがでしょうか.ここでは,池上 (144) の読みを紹介しておきたいと思います.引用で「彼」とは詩人チョーサーのことです.
彼はどうもアーサー王物語の頭韻詩があまり好きでないらしい.時どき頭韻調を使ってみたり,『教区司祭の話 前口上』では,「私は南部の人間なので,ルム・ラム・ルフ (rum, ram, ruf) なんて頭韻を踏む吟唱などは出来ません」(X 四二ー四三)という有名な台詞がある.当時から見ても古くさい,異質の,田舎くさい,違ったジャンルの詩物語と見ているらしいのである.
このような時代と状況下で,なぜガウェイン詩人は主に頭韻を用いて詩作したのか.この辺りがおもしろい問題です.
・ Benson, Larry D., ed. The Riverside Chaucer. 3rd ed. Oxford: OUP, 1987.
・ ジェフリー・チョーサー(著),池上 忠弘(監訳) 『カンタベリ物語 共同新訳版』 悠書館,2021年.
・ 池上 忠弘(訳) 『「ガウェイン」詩人 サー・ガウェインと緑の騎士』 専修大学出版局,2009年.
今年もあっという間に師走の声が近づいてきました.明後日12月1日(木)のお昼過ぎ13:00--14:00に Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて「千本ノック」の生放送をお届けします.いつものように khelf(慶應英語史フォーラム)主催のイベントとなります.
今回千本ノックを受けるのは矢冨弘先生(熊本学園大学)と堀田,そして前回の第2弾で飛び入り参加いただいた菊地翔太先生(専修大学)の3人です.司会はいつものように,khelf 会長にして日本初の古英語系 YouTube チャンネル「まさにゃんチャンネル」を運営するまさにゃん (masanyan) です(YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」でも何度か出演しています) .
前回の第2弾のために hellog や heldio などの広報を通じて皆さんからお寄せいただいた「素朴な疑問」が,未消化のままに数多く残っていますので,今回はそちらの疑問を中心に取り上げたいと思っています.ただし,ライブ感を出すために生放送中の投げ込み質問も歓迎しますので,ぜひ Voicy アプリよりお寄せください.
生放送で参加していただけると臨場感も緊張感もあっておもしろいと思いますが,平日の日中ですしご都合のつかない方におかれましては,翌朝の通常回で収録の様子をアーカイヴとして配信する予定ですので,そちらからお聴きください.
これまでの heldio の「千本ノック」シリーズ全体はこちらからお聴きいただけます.学びはすべて疑問から始まりますね.ぜひ素朴な疑問に関心を持ち続けていただければと.
映画『グリーン・ナイト』が公開中なので,連日この映画およびその原作『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) についての話題をお届けしています.一昨日,映画の字幕監修を務められた岡本広毅先生(立命館大学)と,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送にて対談を行ないました.まだお聴きでない方はアーカイヴより「#544. 岡本広毅先生と『グリーン・ナイト』とその原作の言語をめぐって対談しました」を聴取ください.映画鑑賞のよい予習になると思います.
今回は「#4890. 中英語作品『ガウェイン卿と緑の騎士』より緑の騎士が登場するシーン」 ([2022-09-16-1]) と「#4931. 中英語作品『ガウェイン卿と緑の騎士』より冒頭の2スタンザ」 ([2022-10-27-1]) に引き続き,原作 Sir Gawain and the Green Knight より名シーンを読み上げつつ紹介します.緑の騎士が首切りゲームをふっかけるシーンです.
映画の紹介として「A24が贈るダーク・ファンタジー『グリーン・ナイト』,大塚明夫がナレーションを務めた解説動画解禁」として YouTube 動画(3分15秒)が公開されています.動画の0分50秒辺りから,映画のこのシーンと中英語テキストが導入されます.今回はこの中英語テキストを含む1スタンザ (ll. 279--300) を取り上げます.
今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」では「#545. 『ガウェイン卿と緑の騎士』より緑の騎士が首切りゲームをふっかけるシーンを中英語原文で読み上げます」として原文を音読していますので,ぜひお聴きください.
以下に中英語原文(Andrew and Waldron 版)と日本語訳(池上)を掲げます.
'Nay, frayst I no fyȝt, in fayth I þe telle;
Hit arn aboute on þis bench bot berdlez chylder.
If I were hasped in armes on a heȝe stede,
Here is no mon me to mach, for myȝtez so wayke.
Forþy I craue in þis court a Crystemas gomen,
For hit is Ȝol and Nwe Ȝer, and here are ȝep mony.
If any so hardy in þis hous holdez hymseluen,
Be so bolde in his blod, brayn in hys hede,
Þat dar stifly strike a strok for anoþer,
I schal gif hym of my gyft þys giserne ryche,
Þis ax, þat is heué innogh, to hondele as hym lykes,
And I schal bide þe fyrst bur as bare as I sitte.
If any freke be so felle to fonde þat I telle,
Lepe lyȝtly me to and lach þis weppen---
I quit-clayme hit for euer, kepe hit as his auen---
And I schal stonde hym a strok, stif on þis flet,
Ellez þou wyl diȝt me þe dom to dele hym anoþer
Barlay,
And ȝet gif hym respite
A twelmonyth and a day.
Now hyȝe, and let se tite
Dar any herinne oȝt say.'
「いや,正直に申して,戦いを望んでいるのではないのだ.この辺りの席には,ひげの生えていない子供(がき)しかおらぬようだな.わしが甲冑を身にまとい,大きな馬に打ち跨がるならば,力不足でわしに立ち向かえる相手は一人もおるまい.そういう具合だから,わしがこの宮廷で望むのはクリスマスの遊びごと,いまちょうどクリスマスと新年の時期で,ここには元気のよい面々が沢山おるからな.この館で我こそは胆力ありと思う者がいるなら,気性激しく心猛り,臆せず大胆不敵にも打撃を打ちかわす者がいるならば,褒美の品としてこの見事な戦斧をくれてやるぞ.この斧はずしりと重いやつで,思うように扱うのが難しいが,わしがここに坐って甲冑もつけず,最初の一撃を受けることにしよう.わしの言ったことを試してみようという肝のすわった奴がいるならば,すぐさま飛びだしてきてこの武器を手に取るならば,この斧を永久に譲渡し,そいつの物にしてやろう.この床に坐って怯まず,そいつの一撃を受けよう.ただし,わしがそいつに返しの一撃を加える権利をもつということで,
わしの番には,
だが猶予期間を与えよう,
一年と一日の.
さあ,急いだり,さあすぐに,
名乗り出る奴はここにはおらんのか.」
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
・ 池上 忠弘(訳) 『「ガウェイン」詩人 サー・ガウェインと緑の騎士』 専修大学出版局,2009年.
昨日,本ブログの音声版である Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,目下全国で上映中の映画『グリーン・ナイト』とその原作である『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) の言語をめぐって,岡本広毅先生(立命館大学)と生放送の対談を行ないました.
おしゃべりを楽しみながらもたいへん勉強になった1時間でした.今朝の heldio でアーカイヴとして配信しましたので,そちらよりお聴きください.タイトルは,この hellog 記事と同じ「#544. 岡本広毅先生と『グリーン・ナイト』とその原作の言語をめぐって対談しました」です.1時間の長丁場ですので,お時間のあるときにどうぞ.
映画鑑賞の予習にもなると思います.これをお聴きいただいた後,映画館へ走っていただければと.
岡本先生より映画『グリーン・ナイト』の関連情報を教えていただきましたので,以下にリンクを張っておきます.
・ 映画公式サイト
・ 本映画の映像制作・配給会社 Transformer
・ 本映画の特設ツイッター
・ 「A24が贈るダーク・ファンタジー『グリーン・ナイト』,大塚明夫がナレーションを務めた解説動画解禁」
・ 「山田南平が映画「グリーン・ナイト」のイラスト描き下ろし,奈須きのこらコメントも」
遅ればせながら岡本広毅先生をご紹介します.岡本先生は中世英語英文学,アーサー王物語,中英語ロマンス,中世主義,英語の歴史を専門とされており,近年は『いかアサ』(以下を参照)の出版を含めアーサー王の物語に注目して精力的に研究をされています.岡本先生が関わられた直近の書籍を2点ご紹介します.
・ 岡本 広毅・小宮 真樹子(編) 『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』 みずき書林,2019年.
・ 菊池 清明・岡本 広毅 (編) 『中世英語英文学研究の多様性とその展望 --- 吉野利弘先生 山内一芳先生 喜寿記念論文集』 春風社,2020年.
岡本先生とは heldio でも何度か対談させていただいています.昨日の対談とも関連が深いので,以下も合わせてお聴きください.
・ heldio 「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」 (2021/11/20)
・ heldio 「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」 (2022/06/21)
・ heldio 「#478. 英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」 (2022/09/21)
岡本先生はヴァナキュラー文化研究会(立命館大学国際言語文化研究所)でも研究活動を行なわれています.今回の対談でも vernacular が話題となりました.この話題について関連する hellog の関連記事へのリンクも張っておきます.
・ 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1])
・ 「#4809. OED で vernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1])
・ 「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1])
・ 「#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう!」 ([2022-07-02-1])
岡本先生には khelf(慶應英語史フォーラム)の活動にも関わっていただいています.いつもありがとうございます!
今後も hellog や heldio でガウェイン関連の話題を取り上げていく予定ですので,皆さん,よろしくお付き合いください.
昨日映画『グリーン・ナイト』が全国ロードショーとなりました.原作は中英語アーサー王ロマンスの傑作とされる『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight,略して SGGK) です.この映画公開を念頭に,ここ数ヶ月の間,この hellog でも,Voicy の heldio でも,そして大学(院)の授業でも(!),この中英語テキスト (sggk) に注目してきました.
この SGGK の盛り上がり(私の勝手な盛り上げ?)のタイミングで,本日午前10:00--11:00に映画『グリーン・ナイト』の字幕監修を務められた立命館大学の岡本広毅先生と Voicy 生放送での対談をお届けします(すでに「#4957. heldio 生放送(岡本&堀田の対談)のお知らせ! 11月26日(土)午前10:00--11:00「ヴァナキュラーな『グリーン・ナイト』」」 ([2022-11-22-1]) でお知らせした通りです).
生放送中に岡本先生への質問も受け付けたいと思いますので,Voicy アプリよりお寄せください.ただし,生放送でお聴きできない方も心配無用です.収録の様子は,明朝の heldio にて配信する予定です.いずれにせよ映画鑑賞に出かける前の「予習」としてお聴きください(ただし少々のネタバレはあるかもしれませんので要注意).
さて,映画の予習となるはずの本日の対談生放送それ自体の予習として,14世紀後半に SGGK が「英語で」書かれた歴史的背景について,今朝レギュラー回の heldio で配信しました.「#544. 1/3ミレニアムにおよぶ英語の屈辱の時代」です,まずはこちらをお聴きください.
今でこそ英語は世界語とみなされる存在ですが,中英語期 (1100--1500年)には英語はイングランドの国語としてすら半ば認められていない弱小言語にすぎませんでした.では,なぜ14世紀後半にそのような言語で SGGK が書かれたのでしょうか.それは,この時期までにようやく英語が「復権」を遂げつつあったからです.1066年のノルマン征服によりフランス語による支配というくびきの下に入った英語は,時間をかけてゆっくりと威信を回復していき,14世紀後半に再び頭をもたげてきたのです.英語の屈辱の時期は,333年ほど,つまり1千年紀の1/3という長きにわたりました.
つまり,14世紀後半は英語にとって再び日の目を見ることになった瑞々しい時期なのです.無名の詩人によって今回注目している SGGK が著わされ,そして中英語文学の最高傑作であるジェフリー・チョーサーによる『カンタベリ物語』も著わされました.スゴい時代です.
ぜひ,以上の英語史的な背景を踏まえた上で映画『グリーン・ナイト』をご鑑賞いただければと思います.
新渡戸稲造 (1862--1933) と聞いて,何を思い浮かべるだろうか.身近なところでは5千円札の顔だったし,札幌農学校でクラーク博士に学んだ秀才としても記憶されているし,「太平洋の橋」でもあり,さらには『武士道』の著者でもある.個人的には,かつて非常勤講師として東京女子大学で教えたこともあるので親しみが湧くが,新渡戸は同大学の初代学長でもあった.
英語との関連では,斎藤兆史(著)『英語達人列伝 ー あっぱれ,日本人の英語』の巻頭を飾る英語達人の1人として知られている.新渡戸は上述の著書『武士道』で知られるが,もともと彼が書いたのは英語の Bushido, the Soul of Japan であり,日本語の『武士道』ではない点に注意する必要がある.Bushido は達意の英文である.
新渡戸は,このように日本英学史に大きな足跡を残しているが (cf. 「#4587. 「日本英語受容史略年表」」 ([2021-11-17-1])),国際連盟事務次長を務めていた晩年には国際語の問題に強い関心を寄せるようになった.実際,彼は「#962. Esperanto」 ([2011-12-15-1]) でも触れたようにエスペランティストもあったし,Basic English の支持者でもあった.斎藤 (24--25) より引用する.
国際連盟事務局次長を務めるころから新渡戸は世界語の必要性を痛感するようになる.晩年は英国の言語学者C・K・オグデンとI・A・リチャーズが英語学習者用に開発した「基本英語(ベーシック・イングリッシュ)」に関心を寄せていたようだ(『編集余録』五三八).
たしかに,通常二万語を要する日常の言語活動を八五〇の英単語で済ませるためのこの独創的なシステムは,新時代の公用語になるであろうとの触れ込みで発表されたから,彼がそれに世界語としての機能を期待したのも無理はない.だが,効率を重視した言語体系に期待を寄せること自体,英語教育に対して割り切った考え方をせざるをえない時期が来たことを物語っている.それは日本が軍国主義の支配体制へとまっしぐらに突き進んでいた時代,そして英学が衰亡の一途を辿る時代であった.
英語達人である新渡戸は,自らのような英語達人の後輩を日本で量産することは不可能だと悟っていたに違いない.そこで異なる路線を取ることにし,エスペラントや Basic English を志向したものと思われる.しかし,それとても適わなかった.方向性は違えど,いずれの目標も振り返ってみれば理想主義的であることは一致していた.これは新渡戸の性格だったというほかないように思われる.
Basic English については「#959. 理想的な国際人工言語が備えるべき条件」 ([2011-12-12-1]),「#960. Basic English」 ([2011-12-13-1]) も参照されたい.
・ 斎藤 兆史 『英語達人列伝 ー あっぱれ,日本人の英語』12版,中公新書,2017年.
今朝の朝日新聞「天声人語」で音位転換 (metathesis) が話題とされていた.日本語からの例がいくつか挙げられていたので挙げてみよう.
・ サンザカ(山茶花)→サザンカ
・ アラタシ→アタラシ
・ しだらがない→だらしがない
・ シタツヅミ(舌鼓)→シタヅツミ
芥川龍之介が友人の「フトロコ」「コシャマクレル」という音位転換した発音にいらついたという逸話にも触れられていた.
英語も音位転換の例には事欠かない.「#60. 音位転換 ( metathesis )」 ([2009-06-27-1]) や「#2809. 英語の音位転換は直接隣り合う2音に限られる」 ([2017-01-04-1]) を含む metathesis の多くの記事で事例を紹介してきたが,全体として /r/ と母音の転換例が比較的多いのが特徴的である.
今回はこれまで /r/ と母音の関わる音位転換の例として取り上げてこなかったけれども,頻度の高い重要な語として bright (明るい)を紹介しよう.印欧語根 *bherəg- "to shine; bright, white" に遡り,ゲルマン祖語では *berχtaz の形が再建されている.古英語では beorht の形で,ここまでは一貫して「母音 + /r/」の順序であることがわかる.しかし,すでに古英語でも音位転換を経た breoht などの形も文証され,中英語期以降は「/r/ + 母音」型が一般化していく.
音位転換を経ていないオリジナルの「母音 + /r/」は,いくつかの人名に化石的に残っている.Albert (nobly bright), Bertha (the bright one), Bertrand (bright raven), Herbert (army-bright) など.
学問にせよ何にせよ,人類は先人から得た知識を蓄積し,その上にさらなる知識を付け加えるという形で文明を進歩させてきた.このことを西洋では to stand on the shoulders of giants 「巨人の肩の上に立つ」と表現する.
以下は「1人の巨人の左肩(のみ)に乗る小人」という状況のエッチングで,厳密には "a dwarf on a shoulder of a giant" というべき状況だが,この辺りはご愛敬で.
さて,この慣用句は OED の shoulder, n. のもとに挙げられているのだが,実は2022年3月の OED の定期更新の際に新たに加えられたホヤホヤのエントリーなのである.この新エントリーについて,OED の広報記事 "Content warning: may contain notes on the OED March 2022 update" が次のようにコメントしている.
A new phrase entry in shoulder examines the use of to stand on the shoulders of giants to refer to the process of building on the discoveries and achievements of great predecessors, first recorded in the early seventeenth century in a variation on the proverb a dwarf (or child) standing on the shoulders of a giant sees farther than the giant, itself based on a twelfth-century Latin phrase attributed to Bernard of Chartres.
OED に加えられたエントリーそのもの,および最初の3つの例文まで引用しておきたい.
to stand on the shoulders of giants (and variants): to build on the discoveries, achievements, and understanding of the great scholars and thinkers of the past. Hence to stand on the shoulders of (any person or group): to benefit from the knowledge of one's predecessors.
The phrase standing on the shoulders of giants is strongly associated with Sir Isaac Newton (1642--1727): see quot. 1676. Earlier in proverbial phrase a dwarf (also child, etc.) standing on the shoulders of a giant sees farther than the giant (now rare; in quot. 1608 as a simile).
[Originally after post-classical Latin nanos gigantium humeris insidentes dwarves sitting on the shoulders of giants (12th cent.; attributed by John of Salisbury to Bernard of Chartres).]
1608 J. White Way to True Church 325 Doctors of these later times..insisting in the steps of the ancient Fathers..are like children standing on the shoulders of giants,..they see further then they [sc. the Fathers] themselues.
1628 R. Burton Anat. Melancholy (ed. 3) To Reader 8 Though there were many Giants of old in Physick and Philosophy, yet I say with Didacus Stella, A Dwarfe standing on the shoulders of a Giant, may see farther then a Giant himselfe.
1676 I. Newton Let. to R. Hooke 5 Feb. in Corr. (1959) I. 416 What Des-Cartes did was a good step. You have added much in several ways... If I have seen further it is by standing on ye sholders of Giants.
この慣用句,ここまで調べてさすがに私のなかに定着しました.
(後記 2022/11/24(Thu)):今回の hellog 記事を受けて,翌11月24日に Voicy の heldio にて関連する話題をお届けしました.英語学習者からの質問に答える形で,おもしろい回になっていると思います.こちらよりお聴きください.)
今週末11月26日(土)の午前10:00--11:00に,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で標記の生放送を配信します.立命館大学の岡本広毅先生との対談という形式でお届けします.
内容は,生放送の前日11月25日(金)に全国で封切りとなる映画『グリーン・ナイト』と,その原作である中英語ロマンス『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) について,その語りの媒体となっているヴァナキュラー,すなわち中英語イングランド北西方言に焦点を当てつつディープに雑談する予定です.映画公開直後ということですので,気を遣いつつも少々のネタバレはOK!?というノリで行きたいと思います(私もまだ観ていないままの対談なのです).緩く次のようなトピックで対談をお届けできればと思っています.
・ ヴァナキュラーな『グリーン・ナイト』について
・ 中英語原典『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) とその時代背景
・ 言語的特色(英語とローカリティ,方言)
・ 原典の紹介,読みどころ
・ 映画『グリーン・ナイト』に関して(ネタバレ注意)
26日(土)の生放送に向けて,事前に岡本先生に対するご質問やコメントなどがあれば,ぜひ上記の Voicy 配信案内を通じてお寄せください.また,生放送時の投げ込み質問にもなるべく対応したいと思っています.生放送に参加できない場合にも,翌朝の heldio レギュラー回で収録の様子をアーカイヴとして一般配信もしますので,そちらで聴取いただければ幸いです.
岡本先生より教えていただいた映画『グリーン・ナイト』の関連情報を,以下に貼り付けておきます.
・ 映画公式サイト
・ 本映画の映像制作・配給会社 Transformer
・ 本映画の特設ツイッター
・ 「A24が贈るダーク・ファンタジー『グリーン・ナイト』,大塚明夫がナレーションを務めた解説動画解禁」
・ 「山田南平が映画「グリーン・ナイト」のイラスト描き下ろし,奈須きのこらコメントも」
heldio では,これまでも岡本先生と3度ほど対談しています.今度の生放送に向けて,以下を聴取し復習・予習していただけると,理解度が倍増すると思います.実際,話す内容は過去回からの延長線上となる予定です.
・ heldio 「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」 (2021/11/20)
・ heldio 「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」 (2022/06/21)
・ heldio 「#478. 英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」 (2022/09/21)
さらに,今回の対談でも中心的な話題となるはずの vernacular についても,予習していただけると絶対におもしろくなると思います.以下に hellog の関連記事へのリンクを張っておきます.
・ 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1])
・ 「#4809. OED で vernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1])
・ 「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1])
・ 「#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう!」 ([2022-07-02-1])
・ 「#4885. 「英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」のお知らせ(9月20日(火)14:50--15:50 に Voicy 生放送)」 ([2022-09-11-1])
ぜひ肩の力を抜いて11月26日(土)の生放送をお聴きください!
「#4952. 言語における威信 (prestige) とは?」 ([2022-11-17-1]) と「#4953. 言語における傷痕 (stigma) とは?」 ([2022-11-18-1]) で,言語における正と負の威信 (prestige) の話題を導入した.いずれも言語変化の入り口になり得るものであり,英語史を考える上でも鍵となる概念・用語である.
話者(集団)は,ある言語項目に付与されている正負の威信を感じ取り,意識的あるいは無意識的に,自らの言語行動を選択している.つまり,正の威信に近づこうとしたり,負の威信から距離を置こうとすることで,自らの社会における立ち位置を有利にしようと行動しているのである.その結果として言語変化が生じるケースがある.このようにして生じる言語変化は,話者が意識的に言語行動を選択している場合には change from above と呼ばれ,無意識の場合には change from below と呼ばれる.意識の「上から」の変化なのか,「下から」の変化なのか,ということである.
「上から」の変化は社会階層の上の集団と結びつけられる言語特徴を志向することがあり,反対に「下から」の変化は社会階層の下の集団の言語特徴を志向することがある.つまり,意識の「上下」と社会階層の「上下」は連動することも多い.しかし,Labov によって導入されたオリジナルの "change from above" と "change from below" は,あくまで話者の意識の上か下かという点に注目した概念・用語であることを強調しておきたい.
Trudgill の用語辞典より,それぞれを引用する.
change from above In terminology introduced by William Labov, linguistic changes which take place in a community above the level of conscious awareness, that is, when speakers have some awareness that they are making these changes. Very often, changes from above are made as a result of the influence of prestigious dialects with which the community is in contact, and the consequent stigmatisation of local dialect features. Changes from above therefore typically occur in the first instance in more closely monitored styles, and thus lead to style stratification. It is important to realise, however, that 'above' in this context does not refer to social class or status. It is not necessarily the case that such changes take place 'from above' socially. Change from above as a process is opposed by Labov to change from below.
change from below In terminology introduced by William Labov, linguistic changes which take place in a community below the level of conscious awareness, that is, when speakers are not consciously aware, unlike with changes from above, that such changes are taking place. Changes from below usually begin in one particular social class group, and thus lead to class stratification. While this particular social class group is very often not the highest class group in a society, it should be noted that change from below does not means change 'from below' in any social sense.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
「#4876. 国立民族学博物館で言葉の特別展が始まっています!」 ([2022-09-02-1]) でお知らせした特別展「Homō loquēns 「しゃべるヒト」~ことばの不思議を科学する~」について展示の終了が近づいてきましたので改めてご案内します.11月23日(水)までの開催となっています.
かくいう私も先日ようやく大阪の民博を訪問する機会を得ました.企画としては珍しいといってよいコトバに関する特別展をじっくり,たっぷり堪能することができました.訪問した直後の感動が新鮮なうちに感想を記録しておこうと,万博記念公園のベンチに腰掛けて Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の収録を行ないました.「#536. 民博特別展「しゃべるヒト」に訪問中」をお聴きください.
特別展は一言でいえば「体験する言語学(概説)」でした.この100年間,言語学の扱う領域は爆発的に拡がり,隣接分野との境目も分からなくなってきているほどです.それくらい学際的な分野に成長してきたということです.昨今の言語学概説書の著者は,何をどこまで含めたらよいのか,おおいに悩んでいるだろうと想像されます.
同じように今回の「しゃべるヒト」の企画にあたっても,展示物の準備という観点からも何をどこまで含めたらよいのか,含められるのかなど,運営関係の方々におかれましては悩みの連続だったのではないかと推察する次第です.そんなことを勝手に想像しつつ,関係者への敬意と賞賛をこめて特別展を楽しませていただきました.
特別展の「しおり」やその他の広報より,目に留まったキャッチとなる文章をいくつか引用します.
身近にありすぎてほとんど振り返ることのない「コトバ」をテーマに,言語学のみならず,文化人類学,工学系,教育系,脳科学,認知心理学等の70名を超える国内外の研究者が協力して,その不思議をおみせします!(特別展の「しおり」より)
この展示は,私が大好きな「コトバ」について,たくさん知っていただきたいと思い,企画しました.「言語」というと,難しい,苦手といったネガティヴな連想が出てくることが多いようです.「言語の研究をしている」というと,すごい人か変な人のどちらかだと言われてしまい,そのあとの会話が続かず,悲しい思いをすることがよくあります.でも,コトバは人間のあらゆる活動と結びついていて,人間の営みと同じ数,もしくはそれ以上のさまざまな側面をもっており,そして無限の魅力があります.それを知っていただきたくて,この展示では,幅広いトピックから,けれども内容はシンプルに,とにかくたくさん並べてみました.何かひとつ,「おもしろい!」と思うことをみつけていただければと思います.そしてそれが,コトバを新しい視点でみていただくきっかけになれば嬉しく思います.(特別展実行委員長・菊澤律子先生による特別展の入り口のパネル「ことばの世界にようこそ!」より)
ここを見てほしいというよりは,とっかかりとなる要素をたくさん用意したので,それぞれが興味のあるテーマを見つけて言語に親しんでほしいという気持ちが強いです.言語と聞くと難しそうな印象があるかもしれませんが,特別展をとおしてそのおもしろさや多様な側面に気づいていただければ嬉しいです.(『国立民族学博物館 友の会ニュース』第275号,2022年9月1日発行,p. 2,特別展実行委員長・菊澤律子先生のインタビューより)
特別展の会期は残り数日となっています.コトバに関心のある方は,ぜひ足をお運びください!
2023年3月4日(土)15:30--18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて全4回のシリーズ「英語の歴史と世界英語」の第4回講座「21世紀の英語のゆくえ」を開講します.シリーズ最終回です.教室・オンライン同時開催で,受講された方は後日1週間限定のアーカイヴ動画も視聴できますので,ご都合に合う方法でご参加ください.シリーズものではありますが各回は独立していますので,第1回から第3回までの講座を受講していない方も安心してご参加いただけます.講座の詳細とお申し込みはこちらの公式ページよりどうぞ.
講座そのものは4ヶ月近く先なのですが,昨日11月18日(金)の朝日新聞夕刊4面にて以下のように紹介されましたので,hellog でもこのタイミングでご案内(第1弾)します.
講座の概要は,公式ページからの引用となりますが以下の通りです.
「21世紀の英語のゆくえ」
世界中のコミュニケーションがますます求められる21世紀,英語の世界語としての役割に期待が寄せられる一方,世界各地で異なる種類の英語が生まれ続けています.求心力と遠心力がともに作用する英語を巡るこの複雑な状況について,英語史の観点から解釈を加えます.また,世界英語を記述するいくつかのモデルを紹介しながら World Englishes とはいかなる現象なのかを考察し,今後の英語のゆくえを占います.
シリーズの第1回から第3回までの講座と関連する話題は,hellog や heldio でも取り上げてきました.次回第4回に向けて復習・予習ともなりますので,以下のバックナンバーも参考までにどうぞ.
[ 第1回 世界英語入門 (2022年6月11日)]
・ hellog 「#4775. 講座「英語の歴史と世界英語 --- 世界英語入門」のシリーズが始まります」 ([2022-05-24-1])
・ heldio 「#356. 世界英語入門 --- 朝カル新宿教室で「英語の歴史と世界英語」のシリーズが始まります」
・ heldio 「#378. 朝カルで「世界英語入門」を開講しました!」
[ 第2回 いかにして英語は拡大したのか (2022年8月6日)]
・ hellog 「#4813. 朝カル講座の第2回「英語の歴史と世界英語 --- いかにして英語は拡大したのか」のご案内」 ([2022-07-01-1])
・ heldio 「#393. 朝カル講座の第2回「英語の歴史と世界英語 --- いかにして英語は拡大したのか」」
[ 第3回 英米の英語方言 (2022年10月1日)]
・ hellog 「#4875. 朝カル講座の第3回「英語の歴史と世界英語 --- 英米の英語方言」のご案内」 ([2022-09-01-1])
・ heldio 「#454. 朝カル講座の第3回「英語の歴史と世界英語 --- 英米の英語方言」」
昨日の記事「#4952. 言語における威信 (prestige) とは?」 ([2022-11-17-1]) に続いて,prestige の反対概念となる stigma について.良い訳がないのでとりあえず「傷痕」としているが「スティグマ」と呼んでおくのがよいのかもしれない.負の威信のことである.
昨日 prestige の解説のために参照・引用した A Glossary of Historical Linguistics であれば,当然ながら stigma も見出し語として立てられているだろうと踏んでいた.ところが,確かに stigma, stigmatization として見出しは立っているのだが,そこから covert prestige, overt prestige, prestige の項目に飛ばされ,そこに行ってみると stigma も stigmatization も触れられていないという始末.要するに,負の威信であることを匂わせたいのだろうが,積極的に言及していないのである.
別に調べた A Glossary of Sociolinguistics には stigmatisation の見出しが立っていた.こちらを引用しよう.
stigmatisation Negative evaluation of linguistic forms. Work carried out in secular linguistics has shown that a linguistic change occurring in one of the lower sociolects in a speech community will often be negatively evaluated, because of its lack of association with higher status groups in the community, and the form resulting from the change will therefore come to be regarded as 'bad' or 'not correct'. Stigmatisation may subsequently lead to change from above, and the development of the form into a marker and possibly, eventually, into a stereotype.
ある言語項目に stigma が付され,それが言語共同体に広く知られるようになると,人々はその使用を意識的に避けるようになり,それを使い続けている人や集団を蔑視するようになる.いわば方言差別や言語蔑視の入り口になり得るものが stigma であり,stigma が付され認知されていく過程が stigmatisation ということになる.
・ Campbell, Lyle and Mauricio J. Mixco, eds. A Glossary of Historical Linguistics. Salt Lake City: U of Utah P, 2007.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
社会言語学のキーワードである威信 (prestige) については,hellog でもタグとして設定しており,当たり前のように用いてきたが,改めて定義を確認してみようと思い立った.私は日常的には「エラさ」「カッコよさ」と超訳しているのだが,念のために正式な定義が欲しいと思った次第.
ところが,手元の社会言語学系の用語集などを漁り始めたところ,意外と見出しが立っていない.数分かかって,最初に引っかかったのが Lyle and Mixco の歴史言語学の用語集だった.数分を犠牲にした後のありがたみがあるので,こちらを一字一句引用することにしよう (155--56) .
prestige In sociolinguistics, the positive value judgment or high status accorded certain languages, certain varieties and certain variables favored over other less prestigious languages, varieties or variables. The prestige accorded linguistic variables is a factor that often leads to linguistic change. The prestige of a language can lead speakers of other languages to take loanwords from it or to adopt the language outright in language shift. Overt prestige is the most common; it is the positive or high value attributed to variables, varieties and languages typically widely recognized as prestigious among the speakers of a language. The prestige varieties and variables are usually those recognized as belonging to the standard language or that are used by highly educated or influential people. Covert prestige refers to the positive evaluation given to non-standard, low-status or 'incorrect' forms of speech by some speakers, a hidden or unacknowledged prestige for non-standard variables that leads speakers to continue using them and sometimes causes such forms to spread to other speakers.
なるほど,prestige とは,言語変種 (variety) についていわれる場合と,言語変項 (variable) についていわれる場合があるというのは,確かにそうだ.言語変種についていわれる prestige はマクロ的な概念であり,言語交替 (language_shift) や語彙借用の方向性に関与する.一方,言語変項についていわれる prestige はミクロ的であり,個々の言語変化の原動力となり得る要因である.この2つは概念上区別しておく必要があるだろう.
考えてみれば prestige という語自体が,フランス語風に /prɛsˈtiːʒ/ と発音され,prestigious な響きがある.実際,フランス語 prestige を借りたもので,このフランス単語自体はラテン語の praest(r)īgia(illusion) に由来する.語自体の英語での初出は,17世紀の辞書編纂家 T. Blount が Glossographia で,そこでの語義は「威信」ではなく原義の「錯覚」である ("deceits, impostures, delusions, cousening tricks") .「威信」という語義で最初に用いられたのは,ずっと遅く1829年のことである.
prestige のもとであるラテン単語の原義は物理的に「強い締め付け」ほどであり,そこから認知的・精神的な「幻惑;錯覚」を経て,最後に「威信」となった.拘束的で抑圧的な力を想起させる意味変化といってよく,この経緯自体が意味深長である.
・ Campbell, Lyle and Mauricio J. Mixco, eds. A Glossary of Historical Linguistics. Salt Lake City: U of Utah P, 2007.
「#4917. 2500年に及ぶ「学習英文法」の水脈 --- 斎藤浩一(著)『日本の「英文法」ができるまで』より」 ([2022-10-13-1]) やその他の記事で紹介してきた同著は,日本において発達してきた「学習英文法」および「英語教育」の淵源と歴史的・現代的意義について詳しく論じている.同著によると,それは,古くは古代ギリシア語文法にルーツをもち,中世から近代にかけてラテン語や英語の文法というフィルターを経ながら,幕末維新期の日本に持ち込まれて従来の蘭学の滋養を受け継ぐ形で「英学」に高められた後,「英語教授」そして「英語教育」へと変容してきた一連の流れのなかに位置づけられるべき,日本独自の開発になる国防上の武器だったという.
「おわりに --- 中間的メタ言語となった「学習英文法」」と題する終章から,上記の著者の主張の要約を読んでみたい (198--99) .
本書では英文法という小さな窓から,「英学」,「英語教授」,そして「英語教育」が成立するまでの歴史を眺めてみたが,そこから見えてきたものは,国民国家形成期の日本語・「国語」圏による,外来物への強力な同化力,およびそれに伴う異種同士のぶつかりあいのなかから生まれた創造力である.これは日本が英米に学びつつも,それによる植民地化を防ぎ,彼らを乗り越えていくことを目指す,当時の英語関係者たちのアンビヴァレントな志に裏づけられたものであった.
現代のわれわれが学ぶ「学習英文法」は,もとはといえば外来物であった.象徴的な言葉でいえば,それは 'English grammar' として輸入されてきた.しかし,これはそのままのかたちで受容されずに「作り変え」られ,最終的に日本語・「国語」圏のなかにとり込まれた.このとき,'English grammar' は,新しく創造された「英文法」となった.
'English' と「国語」のあいだに存在し,両者を相対化できるメタ言語として位置づけられた「英文法」は,単にスキル面において役立てられただけではなかった.それは,'English' が日本国内にダイレクトに流入することを防ぎ,かつ「国語」圏に生きる人間たちの思考訓練や,「国語」(あるいは言語一般)への省察をもたらすための手段となった.もともと英米の所有物であった英文法が,今度は英米を制し,日本の独立と文化的発展をもたらすための武器として活用されたわけである.
……〔中略〕……
「英語教育」は,英語をダイレクトに,模倣的に受容することが国防上危険であり,また文化的にも不毛であることを見抜いていた.外来物をコピーするのではなく,そこから新しいものを生み出し,乗り越えていくためには,それに刺激をもたらす異質物が必要である.本書が扱った「幕末・明治」という時代においては,それが日本という国民国家であったわけである.
日本にとって,英米の手になる "English (grammar)" を直接受け入れるのは意に沿わない同化の危険がある.そこで日本独自の「英文法」に作りかえて間接的に受け入れることにしたというわけだ.いわば緩衝地帯を設けるようにして,距離を保ちながら英語に接することに決めたということだ.このワンクッションによって,日本人の英語へのアクセスは一歩遠くなり,結果的にその分英語習得も難しくなるだろう.しかし,これは国防上ぜひとも必要な防波堤だった.
しばしば日本人は英語が下手と言われるし,それを自認している節もある.このことの意味を改めて考えてみたい.
・ 斎藤 浩一 『日本の「英文法」ができるまで』 研究社,2022年.
「#4892. 今秋出版予定の『ジーニアス英和辞典』第6版の新設コラム「英語史Q&A」の紹介」 ([2022-09-18-1]) でお知らせしましたが,8年ぶりの改訂版となる『ジーニアス英和辞典』第6版が,11月8日に発売となりました.36の単語のもとでコラム「英語史Q&A」を寄稿させていただいています.よろしくお願いいたします.
第6版まえがきの冒頭に,この8年間ほどの英語を取り巻く状況に「変化のうねり」があったことが触れられています.
『ジーニアス英和辞典』第5版が発行された2014年以降,デジタル化の拡大,インターネットの浸透,長引くコロナ禍,ジェンダーに関わる社会状況の変化などを反映して,英語の語彙・文法・文体等の面で変化のうねりが絶えなかった.語彙の面では上記の社会事象を反映する新語(特に SDGs, LGBTQ などの略語)が激増した.変化の波は文法面にも押し寄せた.顕著な例は,「総称の he」の衰退,「単数の they」の台頭である.これは中期英語(1400年代初頭)から,近代英語期(1600年代前半)にかけて起こった「大母音推移」 (The Great Vowel Shift) になぞらえて時に「The Great Pronoun Shift (大代名詞推移)」とも呼ばれ,将来代名詞の枠組みが書き換えられるかもしれないほどの大変化である.文体(スピーチレベル)に関していうと,これまでは書きことば=((正式)),話しことば=((略式)) という既成概念があったが,インターネットの SNS やブログなどでは「話すように書く」というのが主流で,この「話すように書く」スタイルがインターネット以外の書きことばにも拡大して,全体としてみれば,書きことばのインフォーマル化が進んでいる.
ここには,近年の英語の変化のうねりが要領よくまとめられている.確かに新語形成,大代名詞推移,書きことばのインフォーマル化のいずれの指摘も,歴史社会言語学や歴史語用論の立場から論じられるタイムリーな話題である,また,このような傾向が,以前からくすぶっていたとはいえ,このわずか数年ほどの間に著しく顕在化してきたことには改めて驚きを禁じ得ない.それほど言語変化の世界もスピードが速いのだ.
『ジーニアス英和辞典』の新版は,上記のような英語(および英語学習)を取り巻く最近の変化に鑑み,大きく8つの側面において改訂を加えたという.要約すると (1) 収録語彙の見直し,(2) コーパスを用いた語のランクの見直し,(3) 発音表記の見直し,(4) 語・語義に関する全体的な見直し,(5) 語法欄の充実とアップデート,(6) 「つなぎ語(句)」という新範疇の導入,(7) コラム「英語史Q&A」と「語のしくみ」の新設,(8) 紙面デザインの一新,の8点である.
私が執筆させていただいたコラム「英語史Q&A」の新設は,最近の英語の変化のうねりとの観点からみれば,辞典改訂における周辺的なポイントにみえるかもしれない.しかし,上記のように昨今英語はきわめて短期間の間にいくつもの大変化を遂げており,今後もこの流れは続いていくことが予想される.つまり,英語学習者はこのような言語変化の波に必死でくらいついていくことを余儀なくされるのである.現代の言語変化の速度,種類,規模の著しさに気づき,対応するためには,参照点として現代に先立つ時代の英語に生じてきた言語変化の速度,種類,規模を理解しておくことが役に立つ.
現代の英語を巡る変化は確かに著しい.しかし,それは過去の英語で生じてきた変化の延長線上にあることも確かである.英語史に親しむことは,現代を相対化することに貢献し,また歴史を現代的に捉えることをも可能にしてくれるだろう.
小さなコラムではありますが,「英語史Q&A」をそのような観点からも味わっていただければ幸いです.
・ 南出 康世・中邑 光男(編集主幹) 『ジーニアス英和辞典』第6版,大修館書店,2023年.
本日は『中高生の基礎英語 in English』の12月号の発売日です.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」の第21回では「「マジック e」って何?」という疑問を取り上げています.
綴字上 mate と mat は語末に <e> があるかないかの違いだけですが,発音はそれぞれ /meɪt/, /mæt/ と母音が大きく異なります.母音が異なるのであれば,綴字では <a> の部分に差異が現われてしかるべきですが,実際には <a> の部分は変わらず,むしろ語尾の <e> の有無がポイントとなっているわけです.しかも,その <e> それ自体は無音というメチャクチャぶりのシステムです.多くの英語学習者が,学び始めの頃に一度はなぜ?と感じたことのある話題なのではないでしょうか.
一見するとメチャクチャのようですが,類例は多く挙げられます.Pete/pet, bite/bit, note/not, cute/cut などの母音を比較してみてください.ここには何らかの仕組みがありそうです.少し考えてみると,語末の <e> の有無がキューとなり,先行する母音の音価が定まるという仕組みになっています.いわば魔法のような「遠隔操作」が行なわれているわけで,ここから magic e の呼称が生まれました.
今回の連載記事では,なぜ magic e という間接的で厄介な仕組みが存在するのか,いかにしてこの仕組みが歴史の過程で生まれてきたのかを易しく解説します.本ブログでもたびたび取り上げてきた話題ではありますが,連載記事では限りなくシンプルに説明しています.ぜひ雑誌を手に取ってみてください.
関連して以下の hellog 記事を参照.
・ 「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1])
・ 「#979. 現代英語の綴字 <e> の役割」 ([2012-01-01-1])
・ 「#1827. magic <e> とは無関係の <-ve>」 ([2014-04-28-1])
・ 「#1344. final -e の歴史」 ([2012-12-31-1])
・ 「#2377. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (1)」 ([2015-10-30-1])
・ 「#2378. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (2)」 ([2015-10-31-1])
・ 「#3954. 母音の長短を書き分けようとした中英語の新機軸」 ([2020-02-23-1])
・ 「#4883. magic e という呼称」 ([2022-09-09-1])
今日は,英語を学んだ後にフランス語を学んだ方にはお馴染みの話題かと思います.フランス語 histoire は「歴史」と「物語」の両方の意味をもちますが,英語では history 「歴史」, story 「物語」の2つの異なる単語に分かれており役割分担がはっきり区別されています.
容易に想像できると思いますが,history と story の語源は同一です.いずれもフランス語 histoire, estoire に由来し,それ自身はラテン語 hitoria,さらにギリシア語 hístoríā に遡ります.印欧語根としては *weid- "to see" にまで遡ります
まず英語の story は,13世紀にフランス語 estoire を借りたものです.もともとは「歴史物語」「聖者伝」などの意味で用いられ,16世紀から現代的な「物語」の意味が生じました.中英語では,現代的な "story" と "history" の意味の区別は明確ではなかったようです.
一方,語源を同じくする history という語は,やはりフランス語から14世紀後半に英語に入ってきました(ただしラテン語形が古英語でも文証されているので,別の解釈の余地もあります).当初の意味は「物語」であり,15世紀になってから「歴史」の語義が分化してきます.
まとめれば,中世から初期近代にかけて,究極的にはギリシア語 hístoríā に遡る形態的に少々異なる2つの単語が,フランス語経由で英語に入ってきて,いずれも「歴史」「物語」の両義で用いられていた.ところが,近代英語期にかけて,意味と形態の分化が生じ,現代英語の history および story という異なる単語と意味が定着した,ということです.
歴史は事実に基づく物語の1種と認識できますが,すべての物語が歴史とは限りません.これは現代では常識的な発想ですが,古くは歴史と物語の境目が不明だったようです.その伝統を形態的にも受け継いでいるのがフランス語の histoire ということになりそうです.
一昨日の「#4945. なぜ推奨を表わす動詞の that 節中で shall?」 ([2022-11-10-1]) および昨日の「#4946. 推奨を表わす動詞の that 節中における shall の歴史的用例」 ([2022-11-11-1]) の記事に引き続き,従属節内で接続法(仮定法)現在でもなく should でもなく,意外な shall が用いられている歴史的用例を歴史的辞書からもっと集めてみました.
OED を調べると,問題の用法は shall, v. の語義11aに相当します.
11. In clauses expressing the purposed result of some action, or the object of a desire, intention, command, or request. (Often admitting of being replaced by may; in Old English, and occasionally as late as the 17th cent., the present subjunctive was used as in Latin.)
a. in clause of purpose usually introduced by that.
In this use modern idiom prefers should (22a): see quot. 1611 below, and the appended remarks.
c1175 Ormulum (Burchfield transcript) l. 7640, 1 Þiss child iss borenn her to þann Þatt fele shulenn fallenn. & fele sHulenn risenn upp.
c1250 Owl & Night. 445 Bit me þat ich shulle singe vor hire luue one skentinge.
1390 J. Gower Confessio Amantis II. 213 Thei gon under proteccioun, That love and his affeccioun Ne schal noght take hem be the slieve.
c1450 Mirk's Festial 289 I wil..schew ȝow what þis sacrament is, þat ȝe schullon in tyme comyng drede God þe more.
1470--85 T. Malory Morte d'Arthur xiii. xv. 633 What wille ye that I shalle doo sayd Galahad.
1489 (a1380) J. Barbour Bruce (Adv.) i. 156 I sall do swa thow sall be king.
1558 in J. M. Stone Hist. Mary I App. 518 My mynd and will ys, that the said Codicell shall be accepted.
1611 Bible (King James) Luke xviii. 41 What wilt thou that I shall doe vnto thee? View more context for this quotation
a1648 Ld. Herbert Life (1976) 70 Were it not better you shall cast away a few words, than I loose my Life.
1698 in J. O. Payne Rec. Eng. Catholics 1715 (1889) 111 To the intent they shall see my will executed.
1829 T. B. Macaulay Mill on Govt. in Edinb. Rev. Mar. 177 Mr. Mill recommends that all males of mature age..shall have votes.
1847 W. M. Thackeray Vanity Fair (1848) xxiv. 199 We shall have the first of the fight, Sir; and depend on it Boney will take care that it shall be a hard one.
1879 M. Pattison Milton xiii. 167 At the age of nine and twenty, Milton has already determined that this lifework shall be..an epic poem.
とりわけ1829年と1847年の例は,推奨を表わす今回の問題の用法に近似します.
MED の shulen v.(1) の語義4a(b)と21b(ab)辺りにも,完全にピッタリの例ではないにせよ類例が挙げられています.
歴史的な観点からすると,推奨を表わす動詞の that 節中における shall の用法の「源泉」は,緩く中英語まではたどれるといえそうです.これを受けて,改めて「物議を醸す日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題を考えていただければと思います.
この3日間の hellog 記事のまとめとして,今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で「#530. 日本ハム新球場問題の背後にある英語版公認野球規則の shall の用法について」を取り上げました.そちらもぜひお聴きください.
昨日の記事「#4945. なぜ推奨を表わす動詞の that 節中で shall?」 ([2022-11-10-1]) に引き続き,標記の問題について.今回は歴史的な立場からコメントします.
歴史的にみると,that 節を含む従属節において,通常であれば接続法(仮定法)現在あるいは should が用いられる環境で,意外な法助動詞 shall が現われるケースは,まったくなかったわけではありません.
Visser (III, §1513) を調べてみると,関連する項目がみつかり,多くの歴史的な例文が挙げられています.今回の話題は,いわゆる mandative_subjunctive という接続法現在の用法と,その代用としての should の使用に関わる問題との絡みで議論しているわけですが,Visser の例文にはいわゆる「#2647. びっくり should」 ([2016-07-26-1]) の代用としての shall の用例も含まれています.
古英語から近代英語に至るまで多数の例文が挙げられていますが,今回の問題の考察に関与しそうな例文のみをピックアップして引用します.
1513---Type 'It (this) is a sori tale, þæt þet ancre hus schal beon i ueied to þeo ilke þreo studen'
There is a rather small number of constructions in which shall is employed in a clause depending on such formulae as 'it is a wonderful thing', 'this is a sorry tale', 'alas!' Usually one finds should used in this case, or, in older English, modally marked forms.
. . . | c1396 Hilton, Scale of Perfection (MS Hrl) 1, 37, 22b, þanne sendiþ he to some men temptacions of lecherie . . . þei schul þinke hit impossible . . . þat þey ne shulle nedinges fallen but if þei han help. . . . | 1528 St. Th. More, Wks. (1557) 126 D10, Than said he ferther that yt was meruayle that the fyre shall make yron to ronne as siluer or led dothe. | 1711 Steele, Spect. no. 100, It is a wonderful thing, that so many, and they not reckoned absurd, shall entertain those with whome they converse by giving them the History of their Pains and Aches. | 1879 Thomas Escott, England III, 39, He has to judge whether it is advisable that repairs in any farm-buildings shall be undertaken this year or shall be postponed until the next (P.).
最後の "it is advisable that . . . shall . . . ." などは参考になります.ただし,この shall の用法は,歴史的にみてもおそらく頻度としては低かったのではないかと疑われます.
ちなみに,現代英語の類例を求めて BNCweb で渉猟してみたところ,"An Islay notebook. Sample containing about 46775 words from a book (domain: world affairs)" という本のなかに1つ該当する例をみつけました(赤字は引用者による).
802 "This Meeting being informed that Cart Drivers are very inattentive as to their Conduct upon the road with Carts It is now recommended that all Travellers upon the road shall take to the Left in all situations, and that when a Traveller upon the road shall loose a shew of his horse, the Parochial Blacksmith shall be obliged to give preference to the Traveller. "
おそらく稀な用法なのでしょうが,問題の環境での shall の使用は皆無ではない(そしてなかった)ことは確認されました.
改めて「物議を醸す日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題を考えてみてください.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の「#464. まさにゃんとの対談 ー 「提案・命令・要求を表わす動詞の that 節中では should + 原形,もしくは原形」の回について,リスナーの方より英文解釈に関わるおもしろい話題を寄せていただきました.
11月8日配信のYahoo!ニュースより「物議を醸す日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題.事の発端は野球規則の“解釈”にあった?」をご覧ください.公認野球規則2021の2.01項に球場のレイアウトに関する規定があり,日本ハムが北海道に建設中の新球場がその規定に引っかかっているという案件です.
公認野球規則2021は,英語版公認野球規則 Offical Baseball Rules (2021 edition) の和訳となっています.多少の日本独自の付記はありますが,原則としては和訳です.今回問題となっているのは Rule 2.01 に対応する次の箇所です.英日語対照で引用します.
It is recommended that the distance from home base to the backstop, and from the base lines to the nearest fence, stand or other obstruction on foul territory shall be 60 feet or more.
本塁からバックストップまでの距離,塁線からファウルグラウンドにあるフェンス,スタンドまたはプレイの妨げになる施設までの距離は,60フィート(18.288メートル)以上を必要とする.
英文は It is recommended . . . となっていますが,和文では「推奨する」ではなく「必要とする」となっています.つまり,英文よりも厳しめの規則となっているのです.これは誤訳になるのでしょうか.
It is recommended that . . . のような構文であれば,通常 that 節の中で接続法(仮定法)現在あるいは should の使用が一般的です.さらにいえばアメリカ英語としては前者のほうがずっと普通です.しかし,この原文では shall という予期せぬ法助動詞が用いられています.和訳に際して,この珍しい shall の強めの解釈に気を取られたのでしょうか,結果として「必要とする」と訳されていることになります.
誤訳云々の議論はおいておき,ここではなぜ英文で shall とう法助動詞が用いられているのかについて考えてみたいと思います.問題の箇所のみならず Rule 2.01 全体の文脈を眺めてみましょう.適当に端折りながら引用します.
The field shall be laid out according to the instructions below, supplemented by the diagrams in Appendices 1, 2, and 3. The infield shall be a 90-foot square. The outfield shall be the area between two foul lines formed by extending two sides of the square, as in diagram in Appendix 1 (page 158). The distance from home base to the nearest fence, stand or other obstruction on fair territory shall be 250 feet or more. . . .
It is desirable that the line from home base through the pitcher's plate to second base shall run East-Northeast.
It is recommended that the distance from home base to the backstop, and from the base lines to the nearest fence, stand or other obstruction on foul territory shall be 60 feet or more. See Appendix 1.
When location of home base is determined, with a steel tape measure 127 feet, 33?8 inches in desired direction to establish second base. . . . All measurements from home base shall be taken from the point where the first and third base lines intersect.
全体として,法律・規則の文体にふさわしく,主節に shall を用いる文が連続しています.強めの規則を表わす shall の用法です.その主節 shall 文の連続のなかに,It is desirable that . . . と It is recommended that . . . という異なる構文が2つ挟み込まれています.その that のなかで異例の shall が用いられているわけですが,これは前後に連続して現われる主節 shall 文からの惰性のようなものと考えられるのではないでしょうか.
ちなみに,It is desirable that . . . . に対応する和文は「本塁から投手板を経て二塁に向かう線は,東北東に向かっていることを理想とする.」とあり,desirable がしっかり訳出されています.この点では recommended のケースとは異なります.
いろいろと論点はありそうですが,私の当面のコメントとして本記事を書いた次第です.今回のような that 節中の法助動(不)使用の話題については,こちらの記事セットをご覧ください.
身近な概念だが対応するズバリの1単語が存在しない,そのような概念が言語には多々ある.この現象を「語彙上の欠落」とみなして lexical gap と呼ぶことがある.
例えば brother 問題を取り上げてみよう.「#3779. brother と兄・弟 --- 1対1とならない語の関係」 ([2019-09-01-1]) や「#4128. なぜ英語では「兄」も「弟」も brother と同じ語になるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-08-15-1]) で確認したように,英語の brother は年齢の上下を意識せずに用いられるが,日本語では「兄」「弟」のように年齢に応じて区別される.ただし,英語でも年齢を意識した「兄」「妹」に相当する概念そのものは十分に身近なものであり,elder brother や younger sister と表現することは可能である.つまり,英語では1単語では表現できないだけであり,対応する概念が欠けているというわけではまったくない.英語に「兄」「妹」に対応する1単語があってもよさそうなものだが,実際にはないという点で,lexical gap の1例といえる.逆に,日本語に brother に対応する1単語があってもよさそうなものだが,実際にはないので,これまた lexical gap の例と解釈することもできる.
Cruse の解説と例がおもしろいので引用しておこう.
lexical gap This terms is applied to cases where a language might be expected to have a word to express a particular idea, but no such word exists. It is not usual to speak of a lexical gap when a language does not have a word for a concept that is foreign to its culture: we would not say, for instance, that there was a lexical gap in Yanomami (spoken by a tribe in the Amazonian rainforest) if it turned out that there was no word corresponding to modem. A lexical gap has to be internally motivated: typically, it results from a nearly-consistent structural pattern in the language which in exceptional cases is not followed. For instance, in French, most polar antonyms are lexically distinct: long ('long'): court ('short'), lourd ('heavy'): leger ('light'), épais ('thick'): mince ('thin'), rapide ('fast'): lent ('slow'). An example from English is the lack of a word to refer to animal locomotion on land. One might expect a set of incompatibles at a given level of specificity which are felt to 'go together' to be grouped under a hyperonym (like oak, ash, and beech under tree, or rose, lupin, and peony under flower). The terms walk, run, hop, jump, crawl, gallop form such a set, but there is no hyperonym at the same level of generality as fly and swim. These two examples illustrate an important point: just because there is no single word in some language expressing an idea, it does not follow that the idea cannot be expressed.
引用最後の「重要な点」と関連して「#1337. 「一単語文化論に要注意」」 ([2012-12-24-1]) も参照.英語や日本語の lexical gap をいろいろ探してみるとおもしろそうだ.
・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
英語には数多くの愛称や親愛語 (term_of_endearment) があり,歴史的にも止むことなく生み出され続けてきた.Crystal が,年代順に50の「愛人」の呼称を挙げている.
darling (c. 888)
dear (c. 1230)
sweetheart (c. 1290)
heart (c. 1305)
honey (c. 1375)
dove (c. 1386)
cinnamon (c. 1405)
love (c. 1405)
mulling (c. 1475)
daisy (c. 1485)
mouse (c. 1520)
whiting (c. 1529)
fool (c. 1530)
beautiful (1535)
soul (c. 1538)
bully (1548)
lamb (c. 1556)
pussy (c. 1557)
ding-ding (1564)
lover (1573)
pug (1580)
mopsy (1582)
bun (1587)
wanton (1589)
ladybird (1597)
chuck (1598)
sweetkin (1599)
duck (1600)
joy (1600)
sparrow (c. 1600)
bawcock (c. 1601)
nutting (1606)
tickling (1607)
bagpudding (1608)
dainty (1611)
flitter-mouse (1612)
pretty (1616)
old thing (c. 1625)
duckling (1630)
sweetling (1648)
pet (1767)
sweetie (1778)
cabbage (1840)
prawn (1895)
so-and-so (1897)
pumpkin (1900)
pussums (1912)
treasure (1920)
sugar (1930)
lamb-chop (1962)
このような語彙には,はやりすたりもあったに違いないが,上の一覧には古くから根強く生き延び,現在もバリバリの現役という語が含まれている.息の長さに驚くばかりである.食物や動物の意味領域から転用されてきたものが多いようだ.
愛称の歴史というのは,語彙論,意味変化,歴史語用論など多方面から迫れそうなテーマである.関連して「#1951. 英語の愛称」 ([2014-08-30-1]),「#2131. 呼称語のポライトネス座標軸」 ([2015-02-26-1]),「#4312. 「呼格」を認めるか否か」 ([2021-02-15-1]) を参照.
・ Crystal, D. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 3rd ed. CUP, 2018.
牛肉の良質な部位の代表格である sirloin (サーロイン).この単語は,16世紀に古フランス語 *surloigne を借用したものである.sur (上部) + loigne (腰肉)という構成だ.
ところがフランス語に明るくない英語話者は,loin はすでに知っていたとしても sur が何のことなのか分からなかった.そこで,その肉がおいしすぎるあまり,王様が sir の称号を与えたという物語をでっち上げ,この単語を理解しようとした.17世紀以降 sirloin の綴字が一般化していったが,その背景にはこのようなでっち上げがあったらしい.民間語源 (folk_etymology) の典型例である.
OED には,この物語のでっち上げ過程を伝える例文が3つ挙げられている.
1655 T. Fuller Church-hist. Brit. vi. 299 A Sir-loyne of beef was set before Him (so Knighted, saith tradition, by this King Henry [VIII]).
1738 J. Swift Compl. Coll. Genteel Conversat. 121 Miss. But, pray, why is it call'd a Sir-loyn? Ld. Sparkish. Why,..our King James the First,..being invited to Dinner by one of his Nobles, and seeing a large Loyn of Beef at his Table, he drew out his Sword, and..knighted it.
1822 Cook's Oracle 163 Sir-Loin of Beef. This joint is said to owe its name to King Charles the Second, who dining upon a Loin of Beef,..said for its merit it should be knighted, and henceforth called Sir-Loin.
牛肉にナイト爵位を与えた粋な王は,ヘンリー8世,ジェームズ1世,あるいはチャールズ2世ということになっているが,各例文の年代を参照すると,時代的に遠く離れすぎていないのがおもしろい.
今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて「#524. deal と part のイメージは「分け与えて共有する」」をお話ししました.主に語源の話題ですが,少しボキャビル風味も効かせた放送回です.どうぞお聴きください.
放送のなかでラテン語 pars "part" に由来する単語をいくつか挙げましたが,時間があれば partner についても触れようかと思っていたところでした.放送では触れられなかったので hellog にて補足します.
最近では日本語でも「パートナー」という語がよく用いられます.夫婦,恋人,共同生活者,ビジネス上の相方など,何かを共有している人,何らかの事業に共同で参画している人を広く指せる言葉です.英単語 partner も同じように広く用いられます.原義はやはり「何かを共有している人」です.
ただし OED の語源欄の記述によると,partner は直接 part と関係するというよりは,関連する別の単語 parcener の変形ではないかとのことです.
Etymology: Probably an alteration of PARCENER n. (although this is only attested slightly later), under the influence of PART n.1 Perhaps compare Old French partenier (1266), Dutch regional (West Flanders) partenier.
It is much less likely that the word arose from scribal error (with the letters c and t being confused).
現代英語の parcener は「共同相続人」を意味する法律用語です.この語は「何かを共有している人」を原義とするフランス単語を借用したもので,究極的にはラテン語 partītiō(n-) に遡り,ラテン語 pars の仲間とはいえます.この語が英語側で変形してできたのが,partner なのではないかという語源説です.経路はちょっとややこしそうですが,part の関連語であることは確かなようです.
形態論的な再分析 (reanalysis) にはいくつかの種類があるが,今回は Fertig (32) を引用しつつ,名詞化接尾辞 -ness が実は -ess に由来するという事例を紹介する.
This [type of reanalysis] occurs frequently when the reanalysis affects the location of a boundary between stem and affix. A well-known example involves the Germanic suffix that became English -ness. The corresponding suffix in proto-Germanic was -assu. This suffix was frequently attached to stems ending in -n, and this n was subsequently reanalyzed as belonging to the suffix rather than the stem. In Old English, we find examples based on past participles, such as forgifeness 'forgiveness', which could still be analyzed as forgifen + ess, but also many instances based on adjectives, such as gōdness 'goodness' or beorhtness 'brightness', which provide unambiguous evidence of the reanalysis and the new productive rule of -ness suffixation . . . . Similar reanalyses give us the common Germanic suffix -ling --- as in English darling, sapling, nestling, etc. --- from attachment of -ing (OED -ing, suffix3 'one belonging to') to stems ending in l, as well as the German suffixes -ner and -ler, attributable to words where -er was attached to stems ending in -n or -l and then extended to give us new words such as Rentner 'pensioner' < Rente 'pension' and Sportler 'sportsman'.
『英語語源辞典』よりもう少し補っておこう.接尾辞 -ness は強変化過去分詞の語尾に現われる n が,ゲルマン祖語の弱変化動詞の接辞 *-atjan に由来する *-assus (後の古英語の -ess)に接続したものである.つまり n は本来は基体の一部だったのだが,それが接尾辞 -ess と一体化して,-ness なる新たな接尾辞ができたというわけだ.
オランダ語 -nis,ドイツ語 -nis,ゴート語 -inassus のような平行的な例がゲルマン諸語に確認されることから,この再分析の過程はゲルマン祖語の段階で起こっていたと考えられる.ゲルマン諸語間の母音の差異については不詳である.英語内部でみても初期中英語では -nes(se) と -nis(se) が併存していたが,後期中英語以降は前者が優勢となった.
身近な -ness という接尾辞1つをとっても,興味深い歴史が隠れているものだ.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
11月に入り,慶應義塾大学文学部英米文学専攻の2年生にとっては来年度に向けてのゼミ選考の時期となりました.ゼミは公式には「研究会」と名付けられているとおり,向こう2年間,卒業論文執筆を最終目標として,自ら定めたテーマを集中的に研究する期間となります.今月いっぱい,アンテナを張って自身の興味・関心を探り,慎重に志望ゼミを選んでもらえればと思います.
私のゼミは主に英語史(フィロロジー)を研究するゼミです.現役ゼミ生の広報係が,この時期に合わせて堀田ゼミ紹介ページを作成・公開していますので,そちらからゼミの雰囲気をつかんでみてください.現役ゼミ生の目線からのゼミ評価,9月のゼミ合宿 (= khelf-conference-2022) の様子なども閲覧できます.
私から堀田ゼミの特徴を3点挙げてみます.
(1) 英語史および英語史的見方についてみっちりと学び,問い,議論し,追求できる場です.英語史,古英語,中英語,近代英語,歴史言語学,言語変化,社会言語学,綴字論に関心をもつ学生が集まってきています.過年度の卒業生の卒業論文テーマは sotsuron を参照してください.
(2) このゼミは khelf(慶應英語史フォーラム)活動の拠点でもあり,年間を通じて大小のイベントが企画,運営,実施されています.課外活動が多いので,ゼミ活動に積極的にコミットしたいという有志にお勧めのゼミとなっています.新しいイベントを企画したり運営するのが好きな学生,内外への情報発信に関心のある学生には,活躍できるゼミだと思います.活動方針としては「khelf ミッションステートメント」も参照してください.
また,内部限定の Discord サーバーを通じて,日々メンバーより英語史関連のコンテンツが投稿され,活発な議論が行なわれています.まさに「毎日英語史」というべきコミュニティ(おそらく日本最大?)です.
khelf の活動実績としてはこちらのページを参照にしてもらえればと思います.今年度のこれまでの活動としては,以下のようなものがあります.
・ 「英語史コンテンツ50」 (hel_contents_50_2022)
・ 『英語史新聞』の企画,編集,発行 (hel_herald)
・ 「ゼミ合宿」 (khelf-conference-2022)
・ 「英語に関する素朴な疑問 千本ノック」への参加 (senbonknock)
(3) 大学院生,卒業生,外部の英語史研究者などの「学術と人生の先輩」と交流する機会の多いゼミです.ここ数年間は周知の状況によりオンラインでの交流が多くなっていますが,今後は様子を見て対面の機会を増やしていきたいと思っています.
まとめると,堀田ゼミは「英語史ゼミ」「イベントゼミ」「交流ゼミ」である,ということになります.
昨日の記事「#4937. 仮定法過去は発話時点における反実仮想を表わす」 ([2022-11-02-1]) に引き続き,仮定法過去のもう1つの重要な用法を紹介する.語用論的軟化剤 (pragmatic softener) としての働きだ.Taylor (178) より引用する.
The other use of the past tense that I want to consider is also restricted to a small number of contexts. This is the use of the past tense as a pragmatic softener. By choosing the past tense, a speaker can as it were cushion the effect an utterance might have on the addressee. Thus (6b) is a more tactful way of intruding on a person's privacy than (6a):
(6) a. Excuse me, I want to ask you something.
b. Excuse me, I wanted to ask you something.
Tact can also be conveyed by the past tense in association with the progressive aspect:
(7) a. Was there anything else you were wanting?
b. I was wondering if you could help me.
The softening function of the past tense has been conventionalized in the meanings of the past tense modals in English. (8b) and (9b) are felt to be less direct than the (a) sentences; (10b) expresses greater uncertainty than (10a), especially with tonic stress on might; (11b) merely gives advice, while (11a) has the force of a command.
(8) a. Can you help me?
b. Could you help me?
(9) a. Will you help me?
b. Would you help me?
(10) a. John may know.
b. John might know.
(11) a. You shall speak to him.
b. You should speak to him.
ここで述べられていないのは,なぜ(仮定法)過去が語用論的軟化剤として機能するのかということだ.「敬して遠ざく」というように,社会心理的な敬意と物理的距離とは連動すると考えられる.一種のメタファーだ.現時点からの時間的隔たり,すなわち「遠さ」を表わす過去(形)が,社会心理的な敬意に転用されるというのは,それなりに理に適ったことではないかと私は考えている.
なぜ動詞の過去形を用いると,反実仮想 (counterfactual) となるのか.英語の「仮定法過去」にまつわる意味論上の問題は,古くから議論されてきた.時制 (tense) としての過去は理解しやすい.現在からみて時間的に先行する方向に隔たっている事象を記述する場合に,過去(形)を使うということだ.一方,法 (mood) の観点からは,過去(形)を用いることによって,現実と乖離している事象,いわゆる反実仮想を記述することができる,といわれる.心的態度の距離が物理的時間の距離に喩えられているわけだ.
時制としての過去ではなく反実仮想を表わす過去形について,Taylor (177--78) の主張に耳を傾けよう.
The counterfactual use of the past tense is restricted to a small number of environments---if-conditionals (1), expressions of wishes and desires (2), and suppositions and suggestions (3):
(1) If I had enough time, . . .
(2) a. I wish I knew the answer.
b. It would be nice if I knew the answer.
(3) a. Suppose we went to see him.
b. It's time we went to see him.
The past tense in these sentences denotes counterfactuality at the moment of speaking, and not at some previous point in time. (1) conveys that, at the moment of speaking, the speaker does not have enough time, the sentences in (2) convey that the speaker does not know the answer, while in (3), the proposition encoded in the past tense, if it is to become true at all, will do so after the moment of speaking, that is to say, the past tense refers to a suggested future action. There are also a number of verbs whose past tense forms, under certain circumstances and with the appropriate intonation, can convey the present-time counterfactuality of a state of affairs represented in a past tense subordinate clause . . . :
(4) a. I thought John was married (. . . but he apparently isn't).
b. I had the impression Mary knew (. . . but it seems she doesn't).
These sentences might occur in a situation in which the speaker has just received information which causes him to doubt the (present-time) factuality of the propositions "John is married", "Mary knows". That it is a present, rather than a past state of affairs, that is at issue is shown by the choice of tense in a tag question. Imagine (5) uttered in a situation in which both speaker and addressee are preparing to go to a concert:
(5) But I thought the concert began at 8, does't it?/?didn't it?
The tag doesn't it is preferential in the present tense. In (5), the speaker is questioning the apparent counterfactuality, at the time of speaking, of the proposition "The concert begins at 8".
結論としては,現代英語において仮定法過去は発話時点における反実仮想の命題を表わす,と解釈することができる.
・ Taylor, John R. Linguistic Categorization. 3rd ed. Oxford: OUP, 2003.
一昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,リスナーさんから寄せられた質問に回答する形で「#517. 間接目的語が主語になる受動態は中英語期に発生した --- He was given a book.」を配信しました.ぜひお聴きください.
原則として古英語では動詞の直接目的語が主語となる受動文しか存在しませんでした.ところが,続く中英語期になり,動詞の間接目的語や前置詞の目的語までもが主語となる受動文も可能となってきました(概要は中尾・児馬 (125--31) をご覧ください).今日はこの配信への補足となります.
Fischer によれば,現代英語では次のすべての受動文が可能です.
1 The book was selected by the committee
2 Nicaragua was given the opportunity to protest
3 His plans were laughed at
4 The library was set fire to by accident
英語史研究では,この受動文の拡大に関する議論は多くなされてきました.いくつかの考え方があるものの,概ね受動化 (passivisation) に関する統語規則の適用範囲が変化してきたととらえる向きが多いようです.要するに,受動化の対象が,時間とともに動詞の直接目的語から間接目的語へ,さらに前置詞の目的語へ拡大してきた,という見方です.
ただし,これも1つの仮説です.もしこれを受け入れるとしても,なぜそうなのかというより一般的な問題も視野に入れる必要があります.受動化とは異なるけれども何らかの点で関係する統語現象においても類似の変化・拡大が起こっているとすれば,それと合わせて考察する必要があります.この辺りの事情を Fischer (384) に語ってもらいましょう.
There are two general paths along which one could look for an explanation of these developments. One can hypothesise that there was a change in the nature of the rule that generates passive constructions . . . Another possibility is that there was a change in the application of the rule due to changes having taken place elsewhere in the system of the language . . . The latter course seems to be the one now more generally followed. Additional factors that may have influenced the spread of passive construction are the gradual loss of the Old English active construction with indefinite man . . . (this construction could most easily be replaced by a passive) and the change in word order . . . .
統語変化の仮説の設定と検証は,なかなか容易ではありません.そのために英語史という専門分野があり,日々研究が続けられているのです.
・ 中尾 俊夫・児馬 修(編著) 『歴史的にさぐる現代の英文法』 大修館,1990年.
・ Fischer, Olga. "Syntax." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Cambridge: CUP, 1992. 207--408.
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
最終更新時間: 2024-10-26 09:48
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow