毎朝6時に音声配信している Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて「ゼロから学ぶはじめての古英語」シリーズが始まっています(不定期で無料の配信です).第3回まで配信してきましたが,嬉しいことにリスナーの皆さんにはご好評いただいています.各配信回の概要欄やチャプターに紐付けられたリンク先に,題材となっている古英語のテキストなども掲載していますので,そちらを参照しながら聴いていただければと思います.これまでの3回では,アルフレッド大王,古英語の格言,叙事詩『ベオウルフ』に関係する文章が取り上げられています.本当に「初めての方」に向けての講座となっていますので,お気軽にどうぞ.
ナビゲーターは英語史や古英語を専攻する次の3人です.小河舜さん(フェリス女学院大学ほか),khelf(慶應英語史フォーラム)元会長の「まさにゃん」こと森田真登さん(武蔵野学院大学),および堀田隆一です.3人で楽しそうに話しているのが魅力,との評価もいただいています.
毎回,厳選された古英語の短文を取り上げ,文字通り「ゼロから」解説しています.日本語による解説つきで気軽に始められる「古英語講座」なるものは,おそらくこれまでどの媒体においても皆無だったのではないでしょうか(唯一の例外は,まさにゃんによる「毎日古英語」かもしれません).このたびのシリーズは,その意味では本邦初といってよい試みとなります.ナビゲーター3人も,肩の力を抜いておしゃべりしていますので,それに見合った気軽さで聴いていただければと思います.
本シリーズのサポートページとして,まさにゃんによる note 記事「ゼロから学ぶはじめての古英語(#1~#3)」が公開されています.また,X(旧ツイッター)上の「heldio コミュニティ by 堀田隆一」にて関連情報も発信しています.このコミュニティは承認制ですが,基本的にはメンバーリクエストをいただければお入りいただけますので,ぜひご参加ください.
シリーズの第4弾もお楽しみに!
現存する古英語の文献の大多数がウェセックスに基礎をおくウェストサクソン方言 (West Saxon) で書かれている.それは9世紀以降ウェセックス王国がイングランドの盟主の立場にあり,イングランド統一の礎を築いたからである.ある土地の政治的な威信がその土着方言の地位を向上させ,国の「標準語」の有力候補となっていく過程は,古今東西で繰り返されてきた.8世紀後半には名君主アルフレッド大王 (Alfred the Great) が出てウェセックスの名声を高め(「#4012. アルフレッド大王の英語史上の意義」 ([2020-04-21-1]) を参照),その1世紀後には古英語最大の作家といってよいアルフリック (Ælfric) が出て古英語散文のモデルを示した.いずれも時期は異なるがウェストサクソン方言で書かれており,彼らに範を仰いだ他の作家たちも同方言をベースとした書き言葉でものした.ウェストサクソン方言は,古英語期を貫く随一の書き言葉のモデルを提供したといえる.(ただし,これを「古英語の標準語」と呼ぶことには問題がある.この問題については昨日の記事「#4013. 「古英語の標準語」の解釈」 ([2020-04-22-1]) を参照.)
しかし,同じウェセックス地方を基盤としていると言われるものの,アルフレッド時代の Early West Saxon とアルフリックの Late West Saxon とを単純に直線で結びつけるわけにはいかない.両変種の関係は,直線というよりは斜めの曲がりくねった点線で表わされるべきものなのだ.これについて Mengden が Kastovsky を参照しながら次のように述べている.
Kastovsky (1992: 346) points out that the traditional distinction between "Early West Saxon" for the language prototypically represented by the Alfredian translations and "Late West Saxon", prototypically represented by Ælfric's texts, is misleading, as it suggests a mere diachronic distinction between two varieties within only a little more than a hundred years. Rather, it should be assumed that the differences between the two groups of documents are diatopic at least to the same extent as they are diachronic.
これは Early West Saxon と Late West Saxon を1世紀ほどの間隔をあけた同じ方言とみなすのではなく,時間的にも空間的にもずれた,直接的には結びつかない変種とみなすほうが的確だ,という指摘だ.両変種の古英語を読み比べてみると,1世紀の時間の経過を差し引いたとしても,同じ "West Saxon" の名を冠している割には確かに異なった変種のようにみえる.この辺りは,古英語の「標準語」や書き言葉のモデルを論じるにあたって注意しておかなければならない点だろう.
・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.
・ Kastovsky, Dieter. "Semantics and Vocabulary." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 290--408.
アルフレッド大王 (King Alfred) は,イギリス歴代君主のなかで唯一「大王」 (the Great) を冠して呼ばれる名君である.イギリス史上での評価が高いことはよく分かるが,彼の「英語史上の意義」が何かあるとしたら,何だろうか.Mengden (26) の解説から3点ほど抜き出してみよう.
(1) ヴァイキングの侵攻を止めたことにより,イングランドの国語としての英語の地位を保った.
歴史の if ではあるが,もしアルフレッド大王がヴァイキングに負けていたら,イングランドの国語としての英語が失われ,必然的に近代以降の英語の世界展開もあり得なかったことになる.英語が完全に消えただろうとは想像せずとも,少なくとも威信ある安定的な言語としての地位を保ち続けることは難しかったろう.アルフレッド大王の勝利は,この点で英語史上きわめて重大な意義をもつ.
(2) 教育改革の推進により,多くの英語文献を生み出し,後世に残した.
これは,正確にいえばアルフレッド大王の英語史研究上の意義というべきかもしれない.彼は教育改革を進めることにより,本を大量に輸入し制作した.とりわけ彼自身が多かれ少なかれ関わったとされる古英語への翻訳ものが重要である(ex. Gregory the Great's Cura Pastoralis and Dialogi, Augustine of Hippo's Soliloquia, Boethius's De consolatione philosophiae, Paulus Orosius's Historiae adversus paganos, Bed's Historia ecclesiastica) .Anglo-Saxon Chronicle や Martyrology も彼のもとで制作が始まったとされる.
(3) 上の2点の結果として,後期古英語にかけて,英語史上初めて大量の英語散文が生み出され,書き言葉の標準化が進行した.
彼に続く時代の大量の英語散文の産出は,やはり英語史研究上の意義が大きいというべきである.また書き言葉の標準化については,その後の中英語期の脱標準化,さらに近代英語期の再標準化などの歴史的潮流を考えるとき,英語史上の意義があることは論を俟たない.
・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.
昨日の記事「#3819. アルフレッド大王によるイングランドの学問衰退の嘆き」 ([2019-10-11-1]) で話題にしたように,9世紀後半のアルフレッド大王の時代(在位871--99年)までに,イングランドの(ラテン語による)学問水準はすっかり落ち込んでしまっていた.8世紀中には,とりわけ Northumbria から Bede や Alcuin などの大学者が輩出し,イングランドの学術はヨーロッパ全体に威光を放っていたのだが,昨日の記事で引用したアルフレッド大王の直々の古英語文章から分かる通り,その1世紀半ほど後には,嘆くべき知的水準へと堕していた.
その理由の1つは,ヴァイキングの襲来である.793年に Lindisfarne が襲撃されて以来,9世紀にかけて,イングランドでは写本の制作が明らかに減少した.イングランドの既存の写本も多くが消失してしまい,大陸へ避難して保管された写本もあったが,それとてさほどの数ではない.写本がなければ,イングランドの学僧とて学ぶことはできないし,ラテン語力を維持することもできなかった.全体として学問水準が落ち込むのも無理からぬことだった.
もう1つの理由は,ヴィアキングの襲来以前に,イングランドの頭脳が大陸に流出してしまったということがある.碩学 Alcuin (c732--804) がシャルルマーニュの筆頭顧問として仕えるべく大陸へ発ってしまうと,Northumbria の学問にはっきりと衰退の兆候が現われた.1人の重要人物の流出によって大きなダメージがもたらされるというのは,古今東西の人事の要諦だろう.
およそ同時代,イングランド出身でゲルマン人に布教した Boniface (680?--754?) が学問のある貴顕とともにドイツへと発ってしまった結果,Southumbria の学術水準もはっきりと落ち込んだ.すでに8世紀中に,イングランド中で学問衰退の傾向が現われていたのである.そこへヴァイキング襲撃という,泣きっ面に蜂のご時世だったことになる.
アルフレッド大王による Cura Pastoralis (or Pastoral Care) の古英語訳(893年頃)の序文に,9世紀後半当時のイングランドにおいて,ヴァイキングの襲来により学問が衰退してしまったことを嘆く有名な1節がある.アルフレッドはこの文化的危機を脱するべく教育改革を行ない,その成果は1世紀ほど後に現われ,10世紀後半のベネディクト改革 (the Benedictine Reform) や文芸の復活へとつながっていった.その意味では,文化史・文学史的に重要な1節であるといえる.その文章から,とりわけよく知られている部分を古英語原文で引用しよう (Mitchell and Robinson 204--05) .アルフレッド大王の本気が伝わってくる.
Ælfred kyning hāteð grētan Wǣrferð biscep his wordum luflīce ond frēondlīce; ond ðē cȳðan hāte ðæt mē cōm swīðe oft on gemynd, hwelce wiotan iū wǣron giond Angelcynn . . . ond hū man ūtanbordes wīsdōm ond lāre hieder on lond sōhte; ond hū wē hīe nū sceoldon ūte begietan, gif wē hīe habban sceoldon. Swǣ clǣne hīo wæs oðfeallenu on Angelcynne ðæt swīðe fēawa wǣron behionan Humbre ðe hiora ðēninga cūðen understondan on Englisc oððe furðum ān ǣrendgewrit of Lǣdene on Englisc āreccean; ond ic wēne ðætte nōht monige begiondan Humbre nǣren. Swǣ fēawa hiora wǣron ðæt ic furðum ānne ānlēpne ne mæg geðencean be sūðan Temese ðā ðā ic tō rīce fēng. Gode ælmihtegum sīe ðonc ðætte wē nū ǣnigne onstal habbð lārēowa.
Crystal (13) より,この箇所に対する現代語を与えておく.
King Alfred sends his greetings to Bishop Werferth in his own words, in love and friendship . . . . I want to let you know that it has often occurred to me to think what wise men there once were throughout England . . . and how people once used to come here from abroad in search of wisdom and learning --- and how nowadays we would have to get it abroad (if we were to have it at all). Learning had so declined in England that there were very few people this side of the Humber who could understand their service-books in English, let alone translate a letter out of Latin into English --- and I don't imagine there were many north of the Humber, either. There were so few of them that I cannot think of even a single one south of the Thames at the time when I came to the throne. Thanks be to almighty God that we now have any supply of teachers.
・ Mitchell, Bruce and Fred C. Robinson. A Guide to Old English. 5th ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 1992.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2019.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow