昨日『中高生の基礎英語 in English』の5月号が発売となりました.テキストで英語史に関する連載を担当していますが,今回の第14回の話題は,不規則複数形の定番の1つ children について.-ren という語尾はいったい何なのだ,という素朴な疑問に詳しく,しかし易しく答えています.
children は不規則複数のなかでも相当な変わり者の類いですが,連載記事を読めば,千年ほど前の古英語の時代からすでになかなかの変わり者だったことが分かります.時を経ても性格は変わりませんね.child -- children と似ている brother -- brethren の話題にも触れていますし,さらには単数形が「チャイルド」なのに複数形では「チルドレン」と発音が変わる件についても解説しています.children の謎解きには,英語の先生も英語の学習者の皆さんも,オオッとうなること間違いなしです!
英語学習には暗記すべき不規則形がつきものですが,どんな不規則形にも歴史的な理由があります.ひとまず暗記してしまった後は,ぜひ英語史の観点から振り返り,「伏線回収」の知的快感を味わってみてください.英語史の魅力にとりつかれると思います.
関連する話題として「#145. child と children の母音の長さ」 ([2009-09-19-1]),「#146. child の複数形が children なわけ」 ([2009-09-20-1]),「#4181. なぜ child の複数形は children なのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-10-07-1]) もご覧ください.
単数形 foot に対する複数形 feet のような不規則な複数形の形成法について「#157. foot の複数はなぜ feet か」 ([2009-10-01-1]),「#2017. foot の複数はなぜ feet か (2)」 ([2014-11-04-1]),「#4304. なぜ foot の複数形は feet なのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2021-02-07-1]) で取り上げてきた.ドイツ語などでは現在でもお馴染みの複数形の形成法で「ウムラウト複数」などと呼ばれているが,ゲルマン祖語からゲルマン諸語が派生する前夜に生じた (i-mutation) という音韻変化の出力とされる.
現代の標準英語においては feet, geese, lice, men, mice, teeth, women の7語にしか,かつての音韻変化の痕跡は残っていないが,古英語の段階ではこのタイプの名詞が他にもいくつか存在した.Lass (128) によると,āc (oak), bōc (book), brōc (trousers), burg (city), cū (cow), gāt, turf (turf), furh (furrow), hnutu (nut) などがこのタイプだった.いずれも後の歴史を通じて -s 複数に呑み込まれていったが,もしそうでなければ今頃 *each/ache, *beech, *breech, *birry, *ki(e), *gate, *tirf, *firry, *nit などのウムラウト複数が受け継がれていたはずである(ここに挙げた架空の綴字は,こんな綴字になっていたかもしれないという程の例示につき,あしからず).
おもしろいのは,book の複数形としての *beech こそ生き残っていないが,語源的に関連する beech (ブナ)は存在することだ (cf. 「#632. book と beech」 ([2011-01-19-1])) .また,「ズボン」を意味した複数形 *breech は今では存在しないが,ここから新たに作られた2重複数形 (double_plural) というべき breeches (半ズボン)は現役である (cf. 「#218. 二重複数」 ([2009-12-01-1])).さらに,*ki(e) も死語となっているが,ここに n 語尾を付したやはり2重複数の kine は,古風ながらもいまだに用いられている.
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
不規則な名詞複数形の「なぜ?」は素朴な疑問の定番といってよいでしょう.しかも,英語史による説明が威力を発揮する疑問の定番とも言えます.(私自身,ある意味ではこの疑問を追い続けて英語史のの研究者になったといっても過言ではありません.)
ほとんどの名詞が -(e)s をつけて複数形を作るわけですが,少数の名詞は feet, sheep, phenomena, oxen など,予想もできない(つまり暗記するよりほかにない)複数形を作ります.そのような不規則な名詞複数形の最たるものが children です.なぜ単数形 child に -ren をつけると複数形になるのか,わけが分かりません.厳密な類例もないのです(先の oxen とちょっと似た匂いは感じさせますが).
この不可解な名詞複数形の謎を解くべく,歴史をひもといてみましょう.音声解説をお聴きください.
古英語には,名詞複数形の作り方が数種類ありました.そのうちの1つに -ru という語尾がありました.これが無事に残っていれば child の複数形は childru を経由して childer ほどの形態になっていたはずです.しかし,大多数の名詞が,古英語期より優勢であった -(e)s 語尾を付加する方法(あるいは,それに次いで優勢だった -(e)n 語尾による方法)に靡いていき,高頻度語であるがゆえに大勢から取り残されてしまった当該語 child の複数形 childru/childer は,周囲から浮いてしまう結果となりました.-ru/-er 複数の仲間が周りにいなくなってしまい,その語尾だけでは複数形であることを明示するのに頼りないと感じられたのでしょうか,中英語期にもう1つの有力な語尾である -(e)n を付して,新たなる複数形 children を作り出すに至ったのです.その後 -(e)s 複数がますます伸張するにつれて -(e)n 複数は衰えていき,oxen に痕跡を残す程度になってしまいましたが,children もある意味ではその仲間といえます.本来は r のみで複数を表わせたのですが,さらに -en も加えたという意味で,語源的な観点からは2重複数 (double_plural) の事例といわれます.
-(e)s 複数形への一本化の潮流は,ざっと千年ほど続いてきました.この潮流を考えれば,遠くない未来に children も *childs に置き換えられる運命なのかもしれません.children は,古英語の伝統と中英語期の革新を合わせて示す,英語史上銘記すべき稀な複数形なのです.
この問題と関連して,##146,218,145,337,2826の記事セットをご覧ください.とりわけ「「ことばを通時的にみる」とは?」をお薦めします.
[2011-03-26-1], [2011-03-27-1]の記事で,歯音をもつ5つの親族名詞 father, mother, brother, sister, daughter の形態について論じた.親族名詞はきわめて基本的な語彙であり,形態的にも複雑な歴史を背負っているために,話題に取り上げることが多い.一度,古英語の形態を整理しておきたい.以下は,West-Saxon 方言での主な屈折形を示した表である( Campbell, pp. 255--56; Davis, p. 15 ) .
5語のあいだで互いに類推作用が生じ,屈折形が部分的に似通っていることが観察される.相互に密接な語群なので,何が語源的な形態であるかがすでによく分からなくなっている.
古英語でも初期と後期,方言の差を考慮に入れれば,この他にも異形がある.例えば brother の複数形として Anglian 方言には i-mutation([2009-10-01-1]) を経た brōēþre が行なわれた.この母音は現代英語の brethren に痕跡を残している.brethren の語尾の -en は,children に見られるものと同じで,古英語,中英語で広く行なわれた複数語尾に由来する.この形態は i-mutation と -en 語尾が同時に見られる二重複数 ( double plural; see [2009-12-01-1] ) の例である.brethren は「信者仲間;(プロテスタントの福音教会派の)牧師;同一組合員;《米》 (男子大学生)友愛会会員」の語義で用いられる brother の特殊な複数形で,古風ではあるが現役である.近代以降に brothers が優勢になるまでは,brethren は「兄弟」の語義でも普通の複数形であり,広く使われていた.中英語では MED に述べられているように,-s 複数形は稀だったのである.
・ Campbell, A. Old English Grammar. Oxford: OUP, 1959.
・ Davis, Norman. Sweet's Anglo-Saxon Primer. 9th ed. Oxford: Clarendon, 1953.
昨日の記事[2009-12-01-1]で二重複数について触れた.古英語から初期中英語にかけては,名詞の複数形語尾として -s 以外に -n もそれなりに優勢であり,数多くの名詞の複数形が -n を伴っていた.時代をくだり,近代英語にまで -n 複数形を保ち続けた名詞の代表選手が eye である.現代標準英語では eyes と規則的な -s 語尾を取るが,現代でも方言であれば,いまだに eyen などの形態がおこなわれている.
以前に,英語で使われた eye の複数形態の異綴りをできる限り多く集めようとしたことがあった.OED,MED, その他,古英語や初期中英語の多くのテキストから拾い出した異綴りをとりまとめた結果,少なくとも172通りの綴りが英語史上でおこなわれてきたことが判明した.時代や方言を問わずにフラットに並べたリストだが,through ([2009-06-20-1]) と同様に壮観である.
æȜan, æȜen, aies, ain, aine, ayes, eaȜæn, eaȜan, eaȜen, eaȜnen, eaȜum, eagen, echnen, een, eene, ees, eeyen, eeyn, eeyne, eȜan, eȜe, eȜen, eȜene, eȜenen, eȜhe, eȜhen, eȜhne, eȜne, eȜo, eȜu, egan, egen, egena, egȜen, egghnen, eghen, eghene, eghien, eghn, eghne, eghnes, eghun, eghyn, eghyne, egthen, egum, egyn, ehene, ehȜan, ehȜen, ehne, ehnen, ehtyn, eien, eiene, eies, eiȜe, eiȜen, eiȜene, eiȜes, eiȜne, eiȜyen, eighen, eighne, eihen, eiine, ein, eine, eithen, en, ene, ene-, enghne, enn, enyn, eon, ewine, exyn, eye, eyeȜe, eyen, eyen-, eyene, eyes, eyeyn, eyȜe, eyȜen, eyȜene, eyȜin, eyȜne, eyȜnen, eyȜyn, eyghen, eyghne, eygnyn, eyhe, eyhen, eyhene, eyhne, eyien, eyiȜen, eyin, eyn, eyne, eynen, eynes, eynin, eynon, eynyn, eynys, eyon, eys, eyyn, ȜeȜen, Ȝen, Ȝene, Ȝien, he, heen, heȜe, heȜhen, hegehen, heghne, heie, heien, heiene, hene, heyghen, heyne, heynen, heynyn, hiȜen, hyes, hynon, ieen, ieghen, ien, ies, iȜe, iȜen, iȜene, ighen, in, ine, iyen, iyes, jes, jyn, nyen, nynon, nyon, uyn, yeen, yees, yeȜe, yeȜen, yeghen, yen, yene, yes, yeyn, yȜe, yȜen, yȜes, ygne, yhen, yien, yne, yon, yyn, yyne, yys
この172通りをタイプ分けすれば,母音の変異はありありうるが,-e, -en, -ne, -es, -nen, -nes の6種類に落とし込めるだろうか.このうち最後の二つが二重複数を形成することになる.最初の <n> だけで歴史的には複数形を標示するに十分だが,その後さらに <n> や <s> という複数語尾が付加されているので「二重」というわけである.
詳しくは,拙著論文にて.
・Hotta, Ryuichi. "A Historical Study on 'eyes' in English from a Panchronic Point of View." Studies in Medieval English Language and Literature 20 (2005): 75--100.
[2009-09-20-1]で,children を引き合いにして 二重複数 ( double plural ) に言及した.古英語では,この語の複数形(より正確には主格・対格の複数形)は cildru だったが,やがて r を含んだ形態が単数形の基体 ( base ) であると異分析 ( metanalysis ) され,そこから -en という複数語尾により新しく複数形が作られたというのが,複数形 children の生成された過程である.
children のような二重複数の例は,歴史的には結構ある.非標準語法も含めて現代英語に残っているものとしては,bodices, breeches, datas, invoices, truces; brethren, kine などがある.いずれも /s/ や /n/ が複数語尾として付加されているが,歴史的にはそれらの語尾がない形ですでに複数形として機能していた.
brethren については,brother が宗教的な「同胞」という意味で用いられる場合の複数形であり,通常の brothers と自由変異をなすわけではない.また,brethren との類推 ( analogy ) と思われるが,アメリカ英語では宗教的文脈で sister(e)n も使われるという.
datas は,いわゆる外国語複数 ( foreign plural ) の例である.ラテン語やギリシャ語などに由来する借用語には,借用元言語での屈折を保ったまま英語に入ってくるものも少なくない.ラテン語から来た data はそれ自体が datum という単数形態に対する複数形態だが,もとのラテン語の屈折を知らない英語話者にとっては不透明な形態規則である.そこで,昨今では data 自体が単数形であると解釈されるようになってきており,新しい規則的な複数形 datas が生まれてきている.
二重複数をはじめ「二重○○」というのは,英語史ではよく取りあげられる話題である.二重過去形の might ([2009-07-03-1],[2009-06-25-1]),二重比較級の lesser ([2009-11-08-1], [2009-11-22-1]) などである.ここで注意すべきは,いずれの場合も,通時的には「二重」であるとみなせるが,共時的な感覚としては「一重」としてとらえられていることである.通時と共時を結ぶ接点に異分析という作用があるとすると,言語変化の力学において異分析の果たす役割は大きいといえる.
昨日[2009-09-19-1]に引き続き,children の話題.children は,英語学習の初期に出会う超不規則複数の代表選手だが,なぜこのような形態を取っているのだろうか.-ren を付加して複数形を形成する例は,英語の語彙広しといえど,この語だけである.
[2009-05-11-1]で関連事項に触れたが,現代英語の不規則複数の起源は古英語にさかのぼる.現代英語で規則複数を作る -s 語尾は確かに古英語でも圧倒的に優勢ではあったが,他にも -en,ゼロ語尾(無変化),i-mutation などによる複数形成が普通に見られた.現在では影の薄いこれらの複数形成も,古英語では十分に「規則的」と呼びうる形態論的な役割を担っていた.
さて,そんな古英語においてすら影の薄い複数形成語尾として -ru という語尾が存在した.これは,印欧語比較言語学でs音幹と呼ばれる一部の中性名詞においては規則的な屈折語尾だった.そして cild "child" はまさにこの語類に属していたのである.その他の例としては,ǣg "egg", cealf "calf", lamb "lamb" などがあり,いずれも -ru を付加して複数形を作ったが,後に,圧倒的な -s 語尾による規則複数への類推作用 ( analogy ) の圧力に屈して,現在では方言形を除いて規則複数化してしまった.名詞の複数形に限らず,高頻度語は不規則性を貫く傾向があるように,cildru のみが古英語の面影を残すものとして現代に残っている.
ちなみに,同じゲルマン語の仲間であるドイツ語では,s音幹の中性名詞に付く -r は中期高地ドイツ語の時代より異常な発達を遂げた ( Prokosch 183 ).本来はs音幹に属していなかった中性名詞に広がったばかりか,一部の男性名詞にまで入り込み,現在では100以上の名詞に付加される,主要な複数語尾の一つとなっている.children にしか残らなかった英語とはずいぶん異なった歴史を歩んだものである.
だが,話しはまだ終わらない.古英語の複数形 cildru は,順当に現代英語に伝わっていれば,*childre や *childer という形態になっていそうなものだが,実際には children と -n 語尾が付加されている.これは,古英語から中英語にかけて -s 語尾複数に次ぐ勢力を有した -n 語尾複数が付加したためである.本来は -r(u) だけで複数を標示できたわけであり,その上にさらに複数語尾の -n を付加するのは理屈からすると余計だが,結果としてこのような二重複数 ( double plural ) の形態が定着してしまった.-r(u) 語尾の複数標示機能は,中英語期にはすでに影が薄くなっていたからだろうと考えられる.
おもしろいことに,日本語の「子供たち」も二重複数である.複数の「子」が集まって「子供」となったはずだが,さらに「子供たち」という表現が生まれている.
普段は深く考えずに使っている child や children という語にも,Homorganic Lengthening やら double plural やら,種々の言語変化がつまっている.英語史は,ここがおもしろい.
・Prokosch, E. The Sounds and History of the German Language. New York: Holt, 1916.
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