hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     1 2 次ページ / page 1 (2)

speech_act - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-12 07:24

2023-02-13 Mon

#5040. 英語で「ドアを閉めろ」を間接的に表現する方法19例 --- 間接発話行為を味わう [speech_act][politeness][pragmatics]

 Can you run fast? のような疑問文は,典型的には「疑問」という発話行為 (speech_act) のために用いられる.しかし,Can you pass the salt? は疑問文の体をしていながら,この文を発する際に話者が行なっている発話行為は「疑問」ではなく「依頼」であることが普通だろう.一方 Pass the salt. という命令文が発された場合,そこで行なわれていることはストレートに「命令」という発話行為であるにちがいない.このような例において Pass the salt. は直接発話行為,Can you pass the salt? は間接発話行為に対応する.
 英語で「ドアを閉めろ」という命令は,文字通りには Close the door. という命令文によってなされる.しかし,現実にはこのぶっきらぼうな命令文がそのまま用いられることは稀である.ポライトネス (politeness) への配慮から.表現を何らかの方法で和らげ,依頼や懇願に近づけることが多い.
 Steven Levinson を参照した Senft (39--40) に,「ドアを閉めろ」に対応する間接発話行為の英文が19例挙げられている.もちろんこれで尽きるわけではなく,工夫次第でいくらでも増やしていくことができる.

 ・ I want you to close the door.
 ・ I'd be much obliged if you'd close the door.
 ・ Can you close the door?
 ・ Are you able by any chance to close the door?
 ・ Would you close the door?
 ・ Won't you close the door?
 ・ Would you mind closing the door?
 ・ Would you be willing closing the door?
 ・ You ought to close the door.
 ・ It might help to close the door.
 ・ Hadn't you better close the door?
 ・ May I ask you to close the door?
 ・ Would you mind awfully if I were to ask you to close the door?
 ・ I am sorry to have to tell you to please close the door.
 ・ Did you forget the door?
 ・ Do us a favour with the door, love.
 ・ How about a bit less breeze?
 ・ Now Johnny, what do big people do when they come in?
 ・ Okay, Johnny, what am I going to say next?

 最後のいくつかの表現は closethe door という表現すら使わずに,Close the door. に相当する発話内の力 (illocutionary force) を発揮しようとしている点で興味深い.ここでは,聞き手は状況と文脈を参照した上で高度な語用論的推論を行なうことが求められることになる.
 間接発話行為については以下の記事も参照.

 ・ 「#3632. 依頼を表わす Will you . . . ? の初例」 ([2019-04-07-1])
 ・ 「#4707. 依頼・勧誘の Will you . . . ? はいつからある?」 ([2022-03-17-1])
 ・ 「#4714. 発話行為とは何か?」 ([2022-03-24-1])

 ・ Senft, Gunter (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳) 『語用論の基礎を理解する 改訂版』 開拓社,2022年.

Referrer (Inside): [2023-02-16-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-03-24 Thu

#4714. 発話行為とは何か? [youtube][terminology][speech_act][pragmatics][sociolinguistics][philosophy_of_language]

 井上逸兵さんとの YouTube の第8弾が公開されました.英語の大人な謝り方---でも,日本人から見るとなんだかなー【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #8 】です.前回からの続きものとなります.
 謝罪「ごめんなさい」→誓い・意志「二度としません」→意志を問う Will you . . . ? について→Will you . . . ? は本当に丁寧か,のようにアチコチに話しが飛んでいきました.まさに雑談という感じですので.肩の力を抜いて気軽にご視聴ください.



 過去数回の動画で,発話行為 (speech_act) が話題の中心となっています.発話行為とは何なのでしょうか.
 専門的な語用論 (pragmatics) の立場からいえば「話し手と聞き手のコミュニケーション上の振る舞いとの関連からみた発話の役割」ほどです.しかし,これではよく分かりませんね.
 一般には,発話行為には3種類あるとされています.1つは,話し手による発話そのもの (locutionary act;狭い意味での「発話行為」) .2つめは,話し手の意図,あるいは話し手が発話によって行なっていること (illocutionary act;「発話内行為」) .3つめは,話し手が発話を通じて聞き手に及ぼす効果 (perlocutionary act;「発話媒介行為」) です.
 いくつかの用語辞典で "speech act (theory)" を調べてみました.比較的わかりやすくて短めだった2点を引用しましょう.

speech act theory A theory associated with the work of the British philosopher J. L. Austen, in his 1962 book How to do things with words, which distinguishes between three facets of a speech act: the locutionary act, which has to do with the simple act of a speaker saying something; the illocutionary act, which has to do with the intention behind a speaker's saying something; and the perlocutionary act, which has to do with the actual effect produced by a speaker saying something. The illocutionary force of a speech act is the effect which a speech act is intended to have by the speaker. (Trudgill 125)


speech act A term derived from the work of the philosopher J. L. Austin (1911--60), and now used widely in linguistics, to refer to a theory which analyses the role of utterances in relation to the behaviour of speaker and hearer in interpersonal communication. It is not an 'act of speech' (in the sense of parole), but a communicative activity (a locutionary act), defined with reference to the intentions of speakers while speaking (the illocutionary force of their utterances) and the effects they achieve on listeners (the perlocutionary effect of their utterances). Several categories of speech act have been proposed, viz. directives (speakers try to get their listeners to do something, e.g. begging, commanding, requesting), commissives (speakers commit themselves to a future course of action, e.g. promising, guaranteeing), expressives (speakers express their feelings, e.g. apologizing, welcoming, sympathizing), declarations (the speaker's utterance brings about a new external situation, e.g. christening, marrying, resigning) and representatives (speakers convey their belief about the truth of a proposition, e.g. asserting, hypothesizing). The verbs which are used to indicate the speech act intended by the speaker are sometimes known as performative verbs. The criteria which have to be satisfied in order for a speech act to be a successful are known as felicity conditions. (Crystal 446)


 関連して本ブログより以下の記事もご参照ください.

 ・ 「#2665. 発話行為の適切性条件」 ([2016-08-13-1])
 ・ 「#2674. 明示的遂行文の3つの特徴」 ([2016-08-22-1])
 ・ 「#2831. performative hypothesis」 ([2017-01-26-1])
 ・ 「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1])

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.

Referrer (Inside): [2023-02-13-1] [2023-01-01-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-03-21 Mon

#4711. アングロサクソン人は謝らなかった!? [youtube][speech_act][anglo-saxon][oe][historical_pragmatics][heldio][evidence]

 昨日,井上逸兵さんとの YouTube の第7弾が公開されました.昔の英語には謝罪表現がなかった!!--えっ?!謝んなかったってこと?!【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #7 】です.



 どうやら古英語では「謝罪」という発話行為 (speech_act) がなかった,あるいはそれらしきものがあったとしても目立った社会慣習ではなかった,という話題です.「#3208. ポライトネスが稀薄だった古英語」 ([2018-02-07-1]) でもみたように,現代の英語社会において当然とされている言語文化上の慣習が,アングロサクソン社会にはなかったということは,これまでも報告されてきました.そのもう1つの例として,謝罪 (apology) が挙げられるということです.
 この話題の典拠は,英語歴史語用論の分野で精力的に研究を進めている Kohnen の最新論文です.Kohnen (169) や他の先行研究によれば,謝罪の発話行為は古英語にはみられず,中英語になって初めて生じたとされています.謝罪は,神への罪の告白というキリスト教的な文脈に起源をもち,そこから世俗化して宮廷社会へ,さらには中流階級へと拡がり,一般的な社会的機能を獲得するに至ったという流れです.後期中英語までには,謝罪は mea culpa, I am ryght sory, me repenteth のような言語表現と結びつくようになっていました.
 YouTube の対談中にも議論となりましたが,英語と日本の謝罪のあり方は,かなり異なりますね.これは,上記の通り英語における謝罪が宗教的な文脈に端を発しているという点が関わっているように思われます.毎回ほとんど打ち合わせもなしに井上さんとの対談を楽しんでいるわけですが,話している最中にどんどんアイディアが湧いてきますし,発見があります.こういう学び方があるのだなあと実感しています.
 YouTube では時間の都合上,大幅にカットされている部分もありますので,それを補うつもりで今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で同様の話題を取り上げました.そちらもぜひお聴きください.



 ・ Kohnen, Thomas. "Speech Acts in the History of English: Gaps and Paths of Evolution." Chapter 9 of English Historical Linguistics: Historical English in Contact. Ed. Bettelou Los, Chris Cummins, Lisa Gotthard, Alpo Honkapohja, and Benjamin Molineaux. Amsterdam: Benjamins, 2022. 165--79.

Referrer (Inside): [2023-02-17-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-03-17 Thu

#4707. 依頼・勧誘の Will you . . . ? はいつからある? [youtube][pragmatics][historical_pragmatics][politeness][interrogative][auxiliary_verb][speech_act][sobokunagimon]

 昨晩18:00に YouTube の第6弾が公開されました.Would you...?などの間接的な依頼の仕方は英語特有--しかもわりと最近の英語の特徴【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #6 】です.今回は話題が英語のポライトネスから英語史へとダイナミックに切り替わっていきますので,知的興奮を覚える方もいらっしゃるのではないかと.



 井上逸兵(著)『英語の思考法 ー 話すための文法・文化レッスン』(筑摩書房〈ちくま新書〉,2021年)では,英語の思考法の根幹には「独立」「つながり」「対等」の3本柱があると主張されています(「#4526. 井上逸兵(著)『英語の思考法 ー 話すための文法・文化レッスン』」 ([2021-09-17-1]) を参照).
 その1つの現われとして,英語では,相手に何かを依頼・勧誘する際に,相手のプライバシーになるべく踏み込まないよう,法助動詞を用いた疑問文の形でポライトに表現するという傾向があります.動画でも取り上げられた Would you . . . ? が典型ですが,他にも Will you . . . ?, Could you . . . ?, Can you . . . ? などがありますし,Won't you . . . ? などの否定バージョンもあります.それぞれの丁寧度は異なりますし,イントネーションや文脈によっては,むしろ失礼となる場合もあるので,実はなかなか使いにくいところもあります.しかし,背景にある基本的な考え方は,相手に直接命令するのではなく,相手の意向・能力を問う疑問文の体裁をとっているということです.相手にイエスかノーかを答える自由を委ねている,相手の独立を尊重してあげている,という点に英語流のポライトネスがあるのだ,ということです.
 ただし,英語史的にみると,このような英語的なポライトネス表現がどれだけ古くからあったのかを見極めることは,必ずしも簡単ではありません.近代以降の意外と新しい表現である可能性もあるのです.
 今回は Will you . . . ? に対象を絞ってみます.それらしき例文は後期古英語から挙がってきますし,中英語でもチラホラとみられます.OED の will, v.1 の語義8bより抜粋しましょう.

 b. Expressing a request in the second person, in the interrogative or in a subordinate clause after a verb such as beg.
     Such a request is usually courteous, but when given emphasis, it is impatient.
     This construction implies a first person response: 'I beg that you will excuse this' implies 'I will excuse it'.

   . . . .
   lOE St. Margaret (Corpus Cambr.) (1994) 166 Wilt þu me get geheran and to minum gode þe gebiddan?
   ?a1300 Fox & Wolf l. 186 in G. H. McKnight Middle Eng. Humorous Tales (1913) 33 Þou hauest ben ofte min I-fere, Woltou nou mi srift I-here?
   c1390 Pistel of Swete Susan (Vernon) l. 135 Wolt þou, ladi, for loue, on vre lay lerne?
   1485 Malory's Morte Darthur (Caxton) i. vi. sig. aiiiiv Sir said Ector vnto Arthur woll ye be my good & gracious lord when ye are kyng.
   . . . .


 MEDwillen v.(1)の語義18aのもとにも,いくつかの例が挙げられています.
 このように見てくると,依頼・勧誘の Will you . . . ? は古英語や中英語のような古い時期からあったと考えられそうですが,これらの例が現代と同等の依頼・勧誘の発話行為を表わしていたかどうかは,一つひとつ文脈に戻って慎重に確かめる必要があります.純粋に相手の意志を問う疑問文ではなく,話者による依頼・勧誘の発話行為を表わす文であることを,文脈を精査して認定する必要があるのです.そして,疑問か依頼・勧誘かは語用論的にグラデーションをなしているので,一方ではなく他方だと断言することは,イントネーションなどが復元できない文献資料ベースの研究にあっては,なかなか困難なことなのです.
 このように慎重な姿勢を取るならば,現代的な依頼・勧誘の Will you . . . ? は,その種こそ中英語(あるいはさらに遡って古英語)に求められそうですが,本格的に用いられ出したのはもっと後のことであるという可能性が残ります.この問題については,すでに「#3632. 依頼を表わす Will you . . . ? の初例」 ([2019-04-07-1]),「#3637. 依頼を表わす Will you . . . ? の初例 (2)」 ([2019-04-12-1]) でも論じてきましたので,そちらも参照ください.

Referrer (Inside): [2023-02-13-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-11-14 Sun

#4584. or が表わす3種の意味 [pragmatics][semantics][speech_act][cognitive_linguistics][performative_hypothesis][conjunction][conceptual_metaphor][punctuation]

 「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) と「#4575. and が表わす3種の意味」 ([2021-11-05-1]) に引き続き,接続詞 (conjunction) の意外な多義性 (polysemy) に関する第3弾.or という基本的な接続詞にも「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種の用法が確認される (Sweetser (93--95)) .

 (1) Every Sunday, John eats pancakes or fried eggs.
 (2) John will be home for Christmas, or I'm much mistaken in his character.
 (3) Have an apple turnover, or would you like a strawberry tart?

 上記 (1) は「現実世界の読み」の例である.or の基本義といってよい論理的な二者択一の例となる.毎日曜日にジョンがパンケーキ,あるいは目玉焼きを食べるという命題だが,現実にはたまたまある日曜日にパンケーキと目玉焼きをともに食べたとしても,特に矛盾しているとは感じられないだろう.ただし,毎日曜日に必ず両者を食べるという場合には,or の使用は不適切である.
 (2) は「認識世界の読み」となる.話者はジョンがクリスマスに帰ってくることを確実であると「認識」している.もしそうでなかったら,話者はジョンの性格を大きく誤解していることになるだろう.文の主旨は,ジョンの帰宅それ自体というよりも,それに関する話者の確信の表明にある.
 (3) は「発話行為世界の読み」の例となる.話者はアップルパイかイチゴタルトを勧めるという発話行為を行なっている.いずれかを選ぶように迫っている点で,一見すると論理的な二者択一のようにもみえるかもしれないが,そもそも or で結ばれた2つの節は何らかの命題を述べているわけではない.形式としては命令文,疑問文で表現されていることから分かるとおり,勧誘という発話行為(=勧誘)が行なわれているのである.
 or の多義性について上記のような観点から考えたことはなかったので,とても興味深い.

 ・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-11-05 Fri

#4575. and が表わす3種の意味 [pragmatics][semantics][speech_act][cognitive_linguistics][performative_hypothesis][conjunction][conceptual_metaphor][iconicity][punctuation]

 「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) でみたように,because という1つの接続詞に「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種があり,英語話者はそれらを半ば無意識に使い分けていることをみた.3つの世界の間を自由自在に行き来しながら,同一の接続詞を使いこなしているのである.
 まったく同じことが,さらに基本的な接続詞である and についてもいえるという.Sweetser (87--89) より,3つの世界の読みを表わす例文を引用しよう.

 (1a) John eats apples and pears.
 (1b) John took off his shoes and jumped in the pool.
 (2) Why don't you want me to take basketweaving again this quarter?
  Answer: Well, Mary got an MA in basketweaving, and she joined a religious cult. (...so you might go the same way if you take basketweaving).
 (3) Thank you, Mr Lloyd, and please just close the door as you go out.

 (1a) と (1b) は,and の最も普通の解釈である「現実世界の読み」となる例文である.(1a) と (1b) の違いは,前者はリンゴと梨を単純に接続しており,通常の読みでは順序を反転させても現実の命題に影響を与えないのに対して,後者は and で結ばれている2つの節の順序が重要となる点だ.(1b) においては,ジョンは靴を脱いだ後にプールに飛び込んだのであり,プールに飛び込んだ後に靴を脱いだのではない.この and は,時間・順序の観点から現実と言語の間の図像性 (iconicity) を体言しているといえる.だが,現実世界における何らかの接続が and によって示されている点は,両例文に共通している.
 (2) では,答えの文においてコンマに続く and が現われている.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,(私が考えるところでは,それが原因となって)カルト宗教団体に入団した,という読みとなる.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,その後でカルト宗教団体に入団した,という時間的順序は,確かに (1b) と同様に含意されるが,ここでは時間的順序に焦点が当てられているわけではない.むしろ,話者が2つの節の間に因果関係をみていることが焦点化されている.話者は(コンマ付き) and により認識上のロジックを表現しているのだ.
 (3) では,感謝と依頼という2つの発話行為 (speech_act) が and (やはりコンマ付き)で結びつけられている.ここでは現実世界や認識世界における何らかの接続が言語化されているわけではなく,あくまで発話行為の接続が表わされている.

 前回の because のケースに比べると,and の「3つの世界の読み」の区別は少々分かりにくいところがあるように思われるが,それぞれ and の「意味」が異なっていることは感じられるのではないか.Sweetser の狙いは,1つの接続詞で「3つの世界の読み」をまかなえることを because だけではなく and でも例証することによって,この分析の有効性を高めたいというところにあるのだろう.

 ・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.

Referrer (Inside): [2021-11-14-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-10-30 Sat

#4569. because が表わす3種の理由 [pragmatics][semantics][speech_act][cognitive_linguistics][performative_hypothesis][conjunction][conceptual_metaphor]

 because は理由を表わすもっとも普通の接続詞だが,具体的な用例を観察してみると,そこに表わされている理由の種類にも様々なものがあることが分かる.ここで因果関係の哲学に入り込むつもりはないが,語用論や認知言語学の観点に絞って考察してみるだけでも,3種類は区別できそうだ.Sweetser (77) からの例文を挙げよう.

 (1) John came back because he loved her.
 (2) John loved her, because he came back.
 (3) What are you doing tonight, because there's a good movie on.

 3文における because が表わす理由の種類は明らかに異なる.(1) はもっとも普通で,現実世界の因果関係が表わされている.ジョンは彼女のことを愛していた,だからジョンは戻ってきたのだ.これを仮に「現実世界の読み」と呼んでおこう.
 しかし,(2) の because の役割は,現実世界の因果関係を表わしているわけではない.ジョンが戻ってきた,そのことが理由でジョンが彼女を愛するようになったという読みは成り立たない.この文の言わんとするところは,ジョンが戻ってきた,そのことを根拠としてジョンが彼女を愛していたのだと話者が悟った,ということだ.because 節は,話者がジョンの愛を結論づける根拠となっている.この趣旨でもとの文を拡張すれば,"I conclude that John loved her, because he came back." ほどとなろうか.これを仮に「認識世界の読み」と呼んでおこう.
 (3) は,主節が命題を表わす平叙文ですらなく疑問文なので,because が何らかの命題に対する理由であると解釈することは不可能だ.そうではなく,「今晩何してる?」と私が尋ねている理由は,いい映画が上映されているからであり,映画に誘おうと思っているからだ.もとの文を拡張すれば,"I am asking you what you are doing tonight, because there's a good movie on." ほどとなる.主節が表わす発話行為 (speech_act) を行なっている理由が because 以下で示されているわけだ.これを仮に「発話行為世界の読み」と呼んでおこう.
 3文において because 節が何らかの理由を表わしているとはいっても,その理由が属する世界に応じて「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」と各々異なるのである.3つのパラレルワールドがあると考えてよいだろう.because は3つの世界を股にかけて活躍している接続詞であり,この語を混乱せずに使いこなしている話者もまた3つの世界を股にかけて言語生活を営んでいるのである.

 ・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-02-13 Sat

#4310. shall's (= shall us = shall we) は初期近代英語期でそこそこ使われていた [eebo][personal_pronoun][speech_act][analogy]

 昨日の記事「#4309. shall we の代わりとしての shall's (= shall us)」 ([2021-02-12-1]) で取り上げたように,shall we の代用としての shall's は Shakespeare などにもみられる.関心をもって,初期近代英語の巨大コーパス EEBO corpus により "shall 's" と "shal 's" で検索してみると,135例もヒットした.すべてのコンコーダンスラインを精査したわけではないが,多少のゴミは混じっているものの,大部分は目下問題にしている shall we の代用としての用例とみてよさそうだ.いくつか例を挙げよう(最初の4例は Shakespeare より).

 ・ if he couetously reserue it, how shall 's get it?
 ・ where shall 's lay him?
 ・ shall 's haue a play of this?
 ・ shal 's to the Capitoll?
 ・ shall 's daunce?
 ・ shall 's to th' Taverne?
 ・ come, shal 's shake hands, sirs?
 ・ what shall 's do this evening?
 ・ shall 's to dinner now?
 ・ come, come, shall 's go drink?

 そもそもこの表現は統語的には疑問文であり,発話行為としては勧誘であり,口語的な色彩も強い.おそらく,当時,そのような響きをもったフレーズとして固定化していたものと思われる.機能的にいえば let's に近いと言えるが,この let's 自身も let us をつづめたものである.後者では us が正規の目的格形として用いられており,shall us の破格的な目的格形 us の使用とは一線を画していることは疑いようもないが,もしかすると両者の間に機能的類似に基づく類推 (analogy) が作用していたのかもしれない (cf. 「#1981. 間主観化」 ([2014-09-29-1])) .
 なお,省略されていない "shall us" でも検索してみた.こちらでは88例がヒットしたが,us が正規の目的格として用いられている例も多く混じっており,省略版 shall's と比べれば shall we の代用表現としての用例は稀のようだ.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-01-08 Wed

#3908. 「祈り」とは何だろうか? [sobokunagimon][speech_act][pragmatics][may][optative][religion][terminology]

 ここ数年の間,May the force be with you! のような祈願の may の発達について,主に統語的な立場から関心を寄せてきた.本ブログでも may あるいは optative の各記事で扱ってきた通りだし,1年ほど前の2018年12月15には,東京大学駒場キャンパスで開催された日本歴史言語学会のシンポジウム「認知と歴史言語学 --- 文法化・構文化と認知の関係性 ---」において,「英語における祈願の may の発達」という題目で少しく話しをさせていただいた.
 しかし,「祈願」,あるいは平たくいって「祈り」とは何ぞやという最重要の問題には,これまで手をつけずにきた.発話行為 (speech_act) の1種であるという理解でやってきたが,それはいったいどのような行為なのか.本質の理解が大事だとは知りながらも,きちんと整理せずに研究していたきらいがある.
 しかし,たいていの発話行為の研究は,もしかしたら似たような状況なのかもしれない.言語の問題をはるかに超えたところにある問題だからだ.いや,まさにこの点にこそ,語用論研究の発展の可能性が開けているといえるのかもしれない.
 とまれ「祈り」とは何か.『世界百科事典』第2版より,最も近いと思われる「祈禱」の項を参照してみた.

逾?禱
きとう

祈禱は広義に解すれば,すべての宗教的祈願,祈念,祈りを意味する.この意味の祈禱は普遍的にみられる宗教現象である.この場合,祈禱とは,神や仏といった超自然的存在と信者との交流の一形態であると考えられる.祈禱はまず大別して,会話型と黙禱型の2類型に分けて考えることができよう.会話型とは声を用いて祈り言葉などを誦する祈禱であり,黙禱型とは心のなかで念じて祈る型である.もちろん両者とも付随的に,閉眼,合掌などさまざまな動作が並行的になされることもおおい.さらに祈禱を個人的タイプと集団的タイプに類別することも可能である.信者が聖像や宗教的シンボルの前で,あるいは心中にそれを思い浮かべて個人的に行うものが前者である.ところがそれが定型化され集団的になされるのが後者である.この場合,祈禱が宗教儀礼化されているといえよう.
 祈禱はあくまでも祈る対象があって成立する.そのため神や超自然的存在を立てない宗教には祈禱や祈りは存在しないという考え方もある.原始仏教や禅仏教がその例とされる.しかし座禅やヨーガといった修行のなかには,全人格をあげ宇宙の真理の体得をめざすといった広い意味での祈りの要素を見てとることもできる.研究者によっては,このような祈禱を神秘主義的祈禱とし,それに対して神をおき,それとの交流に中心をおく祈禱を預言者宗教的ないし対話的祈禱と名づけている.
 祈禱の内容には請願,感謝,懺悔,賛美などがある.この場合,神や仏に対して具体的な効果やなんらかの直接的働きを期待するのは,純粋な意味での祈禱や祈りではないとする立場もある.神学者や宗教家の見解にもよくみられるし,またかつては未開宗教の研究者にも同様の見解が有力だった.そこでは,具体的効果を期待するものは,呪術ないし呪文であるとされる.そして呪文から祈禱および祈りへという進化が論じられた.しかしその後の研究の結果,呪文に満ちているといわれた未開宗教にも,高等宗教にみられるような祈りが存在することが判明した.また高等宗教の祈禱も呪文的性格を持ちうることも指摘されるようになった.キリスト教の主の祈りにせよ仏教の念仏にせよ,それが形式化され機械的に繰り返されることによって呪文的に用いられていることも現実に存在する.それゆえ最近では,呪文から祈禱へという図式はあまり論ぜられない.
 日本語の祈禱の語は,とくにそれが〈御祈禱〉とされると,その意味がかなり限定されてくる.これは具体的な目的の成就達成を願って神仏に祈願する宗教行動をさす.家内安全,交通安全,病気平癒,五穀豊穣などいわゆる現世利益(げんぜりやく)を求めるものである.密教系寺院を中心に禅宗系や日蓮系寺院あるいは神社などで行われる.密教における護摩儀礼などがその代表例である.⇒加持祈禱   星野 英紀


 うーむ,呪文か.祈願の may に関する統語問題などと呑気に構えてきたが,どうやら抜き差しならない話しになってきた.発話行為の問題は,言語学の領域にとどまってはいられない果てしなく射程の広いテーマのようだ.形式ではなく機能から迫る傾向のある語用論の研究は,容易に cross-disciplinary となり得る.エキサイティングだが,正直にいって扱いにくいトピックではある.

Referrer (Inside): [2023-08-22-1] [2023-08-13-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-08-25 Sun

#3772. Wittgenstein の「言語ゲーム」 (2) [function_of_language][language-game][context][speech_act][pragmatics][semantics][terminology][philosophy_of_language]

 昨日の記事 ([2019-08-24-1]) で Wittgenstein の言語ゲーム (Sprachspiel, language-game) に触れた.Bussmann (262) の用語辞典の定義によると次の通り.

language game
L. Wittgenstein's term referring to complex units of communication that consist of linguistic and non-linguistic activities (e.g. the giving of and complying with commands in the course of collaborating on the building of a house). Signs, words, and sentences as 'tools of language' have in and of themselves no meaning; rather meaning is derived only from the use of these items in particular contexts of language behavior.


 論理実証主義 (logical positivism) から転向した後の Wittgenstein の,このような コンテクスト重視の言語観や意味観は,後の日常言語哲学 (ordinary language philosophy) に大きな影響を与え,発話行為 (speech_act) を含めた語用論 (pragmatics) の発展にも貢献した."the meaning of a word is its use in the language" という意味のとらえ方は,なお問題があるものの,1つの見解とみなされている.
 意味の意味に関連して「#1782. 意味の意味」 ([2014-03-14-1]),「#1990. 様々な種類の意味」 ([2014-10-08-1]),「#2199. Bloomfield にとっての意味の意味」 ([2015-05-05-1]),「#2794. 「意味=定義」説の問題点」 ([2016-12-20-1]),「#2795. 「意味=指示対象」説の問題点」 ([2016-12-21-1]) などの内容とも比較されたい.

 ・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.

Referrer (Inside): [2019-08-26-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-08-24 Sat

#3771. Wittgenstein の「言語ゲーム」 (1) [function_of_language][language-game][speech_act][philosophy_of_language]

 「#1578. 言語は何に喩えられてきたか」 ([2013-08-22-1]) で簡単に触れた程度だが,オーストリア生まれの哲学者 Wittgenstein (1889--1951) は,1953年に出版された後期の著作において,言語を Sprachspiel "language-game" ととらえた.言語ゲームは様々な活動からなる遊びで,次のような活動が含まれる(安藤・澤田,p. 18 より).

 ・ 命令する,命令に従う
 ・ ある事物の外見を記述する,あるいはその測定をする
 ・ ある出来事を報告する
 ・ 出来事について推測する
 ・ 仮説を立て,検証する
 ・ 物語を作る,それを読む
 ・ 演劇
 ・ 輪唱歌曲を歌う
 ・ 謎を解く
 ・ 冗談を言う
 ・ 実際的な数学の問題を解く
 ・ 他の言語に翻訳する
 ・ 質問する,感謝する,ののしる,あいさつする,祈るなど

 これは,ある意味で言語の諸機能を並べたリストといえる.言語の機能については多くの議論があるが,「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) をはじめとして function_of_language の各記事を参照されたい.

 ・ 安藤 貞雄・澤田 治美 『英語学入門』 開拓社,2001年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-06-02 Sun

#3688. 日本語の感動詞の分類 [interjection][speech_act][pragmatics]

 『図解日本語』 (107) に,日本語の感動詞(あるいは間投詞)の分類例が示されていた.機能に着目した分類である.

                               ┌── 第一種〈あいさつ〉───── 「こんにちわ」「ごめんなさい」
┌── 第 I 類〔行為相当〕──┤
│                             └── 第二種〈呪文・まじない〉── 「アーメン」「ちちんぷいぷい」
│
├── 第 II類〔行為添加〕───── 〈かけ声・はやし声〉──── 「どっこいしょ」「ハァコリャコリャ」
│
├── 第III類〔発始記号〕──┬── 第一種〈呼びかけ〉───── 「やあ」「おい」「こら」
│                             │
│                             ├── 第二種〈起動〉─────── 「さあ」「ほら」
│                             │
│                             ├── 第三種〈持ちかけ〉───── 「ねえ」「なあ」
│                             │
│                             ├── 第四種〈応答〉─────── 「はい」「うん」「ええ」「いいえ」
│                             │
│                             └── 第五種〈反応〉─────── 「あっ」「ほう」「おっと」
│
└── 第 IV類〔遊びことば〕─────────────────── 「えーと」「あー,うー」「そのー」

 ほぼそのまま英語にも応用できると思われるので,参考になる.英語の間投詞については「#2041. 談話標識,間投詞,挿入詞」 ([2014-11-28-1]) も参照.近年は語用論や発話行為というトピックへの関心が高まっておきており,それに伴って感動詞の注目度も上がってきているように思われる.

 ・ 沖森 卓也,木村 義之,陳 力衛,山本 真吾 『図解日本語』 三省堂,2006年.

Referrer (Inside): [2024-08-05-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-04-12 Fri

#3637. 依頼を表わす Will you . . . ? の初例 (2) [oed][speech_act][politeness][interrogative][historical_pragmatics][pragmatics][implicature][auxiliary_verb][construction]

 [2019-04-07-1]の記事に引き続き,Will you . . . ? 依頼文の発生について.OED によると,この構文の初出は1300年以前の Vox & Wolf という動物寓話にあるとされる.Bennett and Smithers 版の The Fox and the Wolf より,問題の箇所 (l. 186) の前後の文脈 (ll. 171--97) を取り出してみよう.

'A!' quod þe wolf, 'gode ifere, 
Moni goed mel þou hauest me binome! 
Let me adoun to þe kome, 
And al Ich wole þe forȝeue.'175
'Ȝe!' quod þe vox, 'were þou isriue, 
And sunnen heuedest al forsake, 
And to klene lif itake, 
Ich wolde so bidde for þe 
Þat þou sholdest comen to me.'180
'To wom shuld Ich', þe wolf seide, 
'Ben iknowe of mine misdede?--- 
Her nis noþing aliue 
Þat me kouþe her nou sriue. 
Þou hauest ben ofte min ifere---185
Woltou nou mi srift ihere, 
And al mi liif I shal þe telle?' 
'Nay!' quod þe vox, 'I nelle.' 
'Neltou?' quod þe wolf, 'þin ore! 
Ich am afingret swiþe sore---190
Ich wot, toniȝt Ich worþe ded, 
Bote þou do me somne reed. 
For Cristes loue, be mi prest!' 
Þe wolf bey adoun his brest 
And gon to siken harde and stronge.195
'Woltou', quod þe vox, 'srift ounderfonge? 
Tel þine sunnen, on and on, 
Þat þer bileue neuer on.' 


 物語の流れはこうである.つるべ井戸に落ちてしまった狐が,井戸のそばを通りかかった知り合いの狼を呼び止めた.言葉巧みに狼をそそのかし,狼を井戸に落とし,自分は脱出しようと算段する.狼にこれまでの悪行について懺悔するよう説得すると,狼はその気になり,狐に懺悔を聞いて欲しいと願うようになる.そこで,Woltou nou mi srift ihere, / And al mi liif I shal þe telle? (ll. 168--69) という狼の発言になるわけだ.
 付近の文脈では全体として法助動詞が多用されており,狐と狼が掛け合いのなかで相手の意志や意図を確かめ合っているという印象を受ける.問題の箇所は,will を原義の意志の意味で取ると,「さあ,あなたには私の懺悔を聞こうという意志がありますか?そうであれば私は人生のすべてをあたなに告げましょう.」となる.しかし,ここでは文脈上明らかに狼は狐に懺悔を聞いてもらいたいと思っている.したがって,依頼の読みを取って「さあ,私の懺悔を聞いてくださいな.私は人生のすべてをあなたに告げましょう.」という解釈も可能となる.もとより相手の意志を問うことと依頼とは,意味論・語用論的には僅差であり,グラデーションをなしていると考えられるわけだから,ここでは両方の意味が共存しているととらえることもできる.
 しかし,直後の狐の返答は,依頼というよりは質問に答えるかのような Nay! . . . I nelle. である.現代英語でいえば Will you hear my shrift now? に対して No, I won't. と答えているようなものだ.少なくとも狐は,先の狼の発言を「懺悔を聞こうとする意志があるか?」という疑問と解釈(したふりを)し,その疑問に対して No と答えているのである.狼としては依頼のつもりで言ったのかもしれないが,相手には疑問と解釈されてしまったことになる.実際,狼はその答えに落胆するかのように,Neltou? (その意志がないというか?)と返している.
 もし狼の側に依頼の意味が込められていたとしても,その依頼という含意は,文脈に支えられて初めて現われる類いの特殊化された会話的含意 (particularized conversational implicature) であって,一般化された会話的含意 (generalized conversational implicature) ではないし,ましてや慣習的含意 (conventional implicature) でもないように思われる.今回の事例を Will you . . . ? 依頼文の初例とみなすことは相変わらず可能かもしれないが,慣習化された構文,あるいは独り立ちした表現とみなすには早すぎるだろう.

 ・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.

Referrer (Inside): [2022-03-17-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-04-07 Sun

#3632. 依頼を表わす Will you . . . ? の初例 [oed][speech_act][politeness][historical_pragmatics][pragmatics][implicature][construction][auxiliary_verb]

 現代英語には法助動詞 will を用いた依頼を表わす形式として,Will you do me a favor? などの表現がある.比較的親しい間柄で用いられることが多く,場合によっては Will you shut up? のようにややきつい命令となることもある.一方,公的な指示として Will you sign here, please? のようにも用いられ,ポライトネスの質や程度が状況に応じて変わるので,使いこなすのは意外と難しい.形式的には未来の意ともなり得るので,依頼の意図を明確にしたい場合には please を付すことも多い.
 この表現の起源は,2人称の意志を問う意志未来としての Will you . . . ? にあると考えられる.一方的に頼み事を押しつけるのではなく,あくまで相手の意志を尊重し,それを問うという体裁をとるので,その分柔らかく丁寧な言い方になるからだ.疑問文の外見をしていながら,実際に行なっているの依頼・命令・指示ということで,ポライトネスを考慮した典型的な間接発話行為 (indirect speech act) の事例といえる.
 
OED の will, v1. によると,I. The present tense will. のもとの6bに,依頼の用法が挙げられている.

b. In 2nd person, interrog., or in a subord. clause after beg or the like, expressing a request (usually courteous; with emphasis, impatient).

a1300 Vox & Wolf in W. C. Hazlitt Remains Early Pop. Poetry Eng. (1864) I. 64 Thou hauest ben ofte min i-fere, Woltou nou mi srift i-here?
a1400 Pistill of Susan 135 Wolt þou, ladi, for loue, on vre lay lerne?
1470--85 Malory Morte d'Arthur i. vi. 42 Sir said Ector vnto Arthur woll ye be my good and gracious lord when ye are kyng?
1592 R. Greene Philomela To Rdr. sig. A4 I..craue that you will beare with this fault.
1600 Shakespeare Henry V ii. i. 43 Will you shog off?
1608 Shakespeare King Lear vii. 313 On my knees I beg, That you'l vouchsafe me rayment, bed and food.
1720 A. Ramsay Young Laird & Edinb. Katy 1 O Katy wiltu gang wi' me, And leave the dinsome Town a while.
1823 Scott St. Ronan's Well III. iv. 96 I desire you will found nothing on an expression hastily used.
1878 T. Hardy Return of Native III. v. iii. 144 Oh, Oh, Oh,..Oh, will you have done!


 依頼表現としての Will you . . . ? が,依頼動詞の従属節内に現われる will から発達した可能性も確かに理論的にはありそうだが,OED の用例でいえば,従属節の例は4つめの1592年のものであり,時間の前後関係が逆のようにみえる.また,初例は1300年以前とかなり早い時期だが,おそらく表現として定着したのは近代英語に入ってからだろう.ただし,疑問ではなく依頼という語用論的な機能や含意 (implicature) がいつ一般化したといえるのかは,歴史語用論研究に常について回るたいへん微妙な問題であり,明確なことをいえるわけではない.関連して「#1976. 会話的含意とその他の様々な含意」 ([2014-09-24-1]),「#1984. 会話的含意と意味変化」 ([2014-10-02-1]) も参照.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-01-08 Tue

#3543. 『現代英文法辞典』より optative (mood) の解説 [terminology][mood][optative][subjunctive][speech_act][auxiliary_verb]

 目下 may 祈願文と関連して optative (mood) 一般について調査中だが,備忘のために荒木・安井(編)『現代英文法辞典』 (963--64) より,同用語の解説記事を引用しておきたい

 optative (mood) (願望法,祈願法) インドヨーロッパ語において認められる法 (MOOD) の1つ.ギリシャ語には独自の屈折語尾を持つ願望法があるが,ラテン語やゲルマン語はでは願望法は仮定法 (SUBJUNCTIVE MOOD) と合流して1つとなった.ゲルマン語派に属する英語においては,OE以来形態的に独立した願望法はない.
 願望法が表す祈願・願望の意味は英語では通例いわゆる仮定法または法助動詞 (MODAL AUXILIARY) による迂言形によって表される: God bless you! (あたなに神のみ恵みがありますように)/ May she rest in peace! (彼女の冥福を祈る)/ O were he only here. (彼がここにいてくれさえしたらよいのに).多分このため,Trnka (1930, pp. 64, 67--74) は 'subjunctive' という用語の代わりに 'optative' を用いる.Kruisinga (Handbook, II. §1531) は動詞の語幹 (STEM) の用法の1つに願望用法があることを認め,この用法の語幹を願望語幹 (optative stem) と呼ぶ: Suffice it to say .... (...と言えば十分であろう).さらに,Quirk et al. (1985, §11.39) は仮定法の一種として願望仮定法 (optative subjunctive) を認め,願望仮定法は願望を表わす少数のかなり固定した表現に使われると述べている: Far be it from me to spoil the fun. (楽しみを台無しにしようなどという気は私にはまったくない)/ God save the Queen! (女王陛下万歳!)


 言語化された願望・祈願を適切に位置づけようとすると,必ず形式と機能の複雑な関係が問題となる上に,通時態と共時態の観点の違いも相俟って,非常に難しい課題となる.今ひとつの観点は,語用論的な立場から願望・祈願を発話行為 (speech_act) とみなして,この言語現象に対して何らかの位置づけを行なうことだろう.だが,語用論的な観点から行為としての願望あるいは祈願とは何なのかと問い始めると,容易に人類学的,社会学的,哲学的,宗教学的な問題へと発展してしまう.手強いテーマだ.
 関連して「#3538. 英語の subjunctive 形態は印欧祖語の optative 形態から」 ([2019-01-03-1]),「#3541. 英語の法の種類 --- Jespersen による形式的な区分」 ([2019-01-06-1]),「#3540. 願望文と勧奨文の微妙な関係」 ([2019-01-05-1]) も参照.

 ・ 荒木 一雄,安井 稔 編 『現代英文法辞典』 三省堂,1992年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-12-10 Mon

#3514. 言語における「祈願」の諸相 [optative][mood][swearing][taboo][speech_act][hortative]

 言語学で「祈願」といえば,英語では optative という用語があてがわれており,様々に論じられる.祈願とはまずもって1つの発話行為である.また,the optative mood と言われるように,法 (mood) の1つでもある.さらに,ギリシア語などの言語では祈願法を表わす特別な動詞の屈折形式があり,その形式を指して optative と言われることもある.日常用語に近い広い解釈をとれば,I hope/wish/would like . . . . など希望・願望を表わす表現はすべて祈願であるともいえる.言語における「祈願」を論じる場合には,機能のことなのか形式のことなのか,語のことなのか構文のようなより大きな単位のことなのかなど,整理しておく必要があるように思われる.
 意味的にいえば,祈願とは未来志向のポジティヴなものが典型だが,ネガティヴな祈願もある.いわゆる「呪い」に相当するものである.ここから,誓言 (swearing) やタブー (taboo) の話題にもつながっていく.Let's . . . に代表される勧奨法 (hortative mood) の表わす機能とも近く,しばしば境目は不明瞭である.
 誰に対して祈願の発話が向けられるかという点では,目の前にいる聞き手に対してということもあるが,独り言として発せられることもあるだろうし,さらには音声化されることなく頭のなかで唱えられる場合も多いのではないか.日記や短冊に祈りを書き記すというケースも少なくないだろう.人は常に何かを希望・願望しながら生きているという意味では,音声や文字で外在化されるかどうかは別として,祈願というものは実はかなり頻度の高い機能であり形式なのではないか.否定的な祈願である呪いも,程度の激しさの違いはあるにせよ,実際にはやはり高頻度なのではないか.

Referrer (Inside): [2019-01-05-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-09-03 Mon

#3416. 祈願の may と勧告の let の意味論的類似性 [pragmatics][semantics][syntax][word_order][speech_act][auxiliary_verb][optative][may]

 「#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性」 ([2016-02-08-1]) で,両構文の意外とも思える類似性について歴史的な観点から紹介した.現代英語の共時的観点からも,Huddleston and Pullum (944) が両者の意味論的な類似性に言及している.

[Optative may C]onstruction . . . , which belongs to somewhat formal style, has may in pre-subject position, meaning approximately "I hope/pray". There is some semantic resemblance between this specialised use of may and that of let in open let-imperatives, but syntactically the NP following may is clearly subject . . . . The construction has the same internal form as a closed interrogative, but has no uninverted counterpart.


 maylet が「意味論」的に似ているという点は首肯できる(ここでいう「意味論」は語用論も含んだ「意味論」だろう).発話行為としての「祈願」を行なえば,次に「勧告」したくなるのが人情だろうし,「勧告」の前段階として「祈願」は付きもののはずだ.
 一方,「統語」的には,続く名詞句が主格に置かれるか目的格に置かれるかという点で明らかに区別されると指摘されている.確かに,両者はおおいに異なる.しかし,maylet を,対応する発話行為を表わす語用標識ととらえ,その後に来る名詞句の格の区別は無視すれことにすれば,いずれも「語用標識+名詞句(+動詞の原形)」となっていることは事実であり,統語的にも似ていると議論することはできる.少なくとも表面的な統語論においては,そうみなせる.
 maylet も,文頭の動詞原形で命令を標示したり,文頭の Oh で感嘆を標示したりするのと同様の語用論的な機能を色濃くもっていると考えることができるかもしれない.「#2923. 左と右の周辺部」 ([2017-04-28-1]) という観点からも迫れそうな,語用論と統語論の接点をなす問題のように思われる.

 ・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.

Referrer (Inside): [2018-09-04-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-02-07 Wed

#3208. ポライトネスが稀薄だった古英語 [speech_act][politeness][solidarity][anglo-saxon][oe][face][pragmatics][historical_pragmatics]

 英語歴史語用論の研究者で,古英語の発話行為 (speech_act) を専門としている Thomas Kohnen によれば,アングロサクソン文化においては現代的な意味での negative politeness はほとんど存在しなかったという.特に命令や指令の発話行為において,古英語では現代的なポライトネス戦略は用いられず,直接的な Ic bidde eow þæt . . . (I ask you to . . . ) や þu scealt . . . (thou shalt . . .) が専ら用いられたという.アングロサクソン文化では,negative politeness は事実上確認されないようだ.
 一方,solidarity に訴えかける positive politeness の戦略は,uton (let us) などの表現がキリスト教的な文脈などである程度認められるが,それとて目立って使用されるわけではなかった.どうやらアングロサクソン文化や古英語では,いずれの様式のポライトネスであれ現代に比べて影が薄かったということだ.通言語的にある程度は普遍的だろうと想定されていたポライトネスが,英語の古い段階において事実上不在だったということは,ある意味でショッキングな発見である.Lenker (328) がこれについて,次のように述べている.

Politeness as face work may thus not have played a major role in Anglo-Saxon society. This highlights the intrinsically culture-specific nature of phenomena like politeness and suggests in accordance with other cross-cultural studies that the universal validity or significance of politeness theory --- as devised by Brown and Levinson . . . --- is a gross mistake. Negative politeness in particular is fundamentally culture-specific, reflecting the typical patterns of today's Western, or even more particular, Anglo-American, politeness culture . . . . The study of Anglo-Saxon pragmatics thus does not only affect our understanding of the historicity of verbal interaction but also challenges issues of universality.


 ・ Lenker, Ursula. "Old English: Pragmatics and Discourse" Chapter 21 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 325--340.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-02-01 Thu

#3202. 英語歴史語用論における有望な分野 [pragmatics][historical_pragmatics][speech_act][discourse_analysis][corpus]

 英語歴史語用論の第1人者である Jucker が,ハンドブックの1節で,この分野において前途が明るいと考える話題を3つ挙げている.発話行為 (speech_act) の歴史的変化,対話 (dialogue) の形式の発展,談話の領域の発展である.研究課題を選ぶ際の参考となるよう,関連する箇所を引用しておきたい.

At present, three areas of research appear to be particularly promising. First, the research on the history of speech act has only just started to attract more than just occasional research efforts. . . .
   Second, the research of the evolution of forms of dialogue is still in its infancy. . . . Culpeper and Kytö (2010: 2) [= Culpeper, Jonathan and Merja Kytö:. Early Modern English Dialogues: Spoken Interaction as Writing. Cambridge: CUP, 2010.] ask: "what was the spoken face-to-face interaction of past periods like?" in a systematic way and approach this question from various angles. In particular they look at the structure of conversations, at what they call "pragmatic noise", i.e. pragmatic interjections or discourse markers, and social roles and gender in interaction.
   And third, the evolution of domains of discourse appears to be a very promising field of research. The existing work on courtroom discourse, the discourse of science and news discourse needs to be continued, and other domains should be tackled.


 特に今世紀に入ってから,英語歴史語用論の研究を念頭においた,あるいはその目的で利用できるコーパスの編纂も多く行なわれるようになってきた.例えば,Corpora of Early English Correspondence (CEEC), Corpus of Early English Medical Writing (CEEM), Corpus of English Dialogues 1560-1760 (CED), Corpus of English Religious Prose (COERP), Old Bailey Corpus (OBC), The Corpus of Early English Recipes (CoER) などを挙げておこう.ほかにも Corpus Resource Database (CoRD) を探索されたい.

 ・ Jucker, Andreas H. "Linguistic Levels: Pragmatics and Discourse." Chapter 13 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 197--212.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2017-01-26 Thu

#2831. performative hypothesis [pragmatics][speech_act][syntax][verb][performative_hypothesis][performative]

 「#2674. 明示的遂行文の3つの特徴」 ([2016-08-22-1]) で述べたように,文には,ある主張を言明する陳述文 (constative) と,その上に行為も伴う遂行文 (performative) の2種類がある.しかし,考えようによっては,陳述文も「陳述」という発話行為 (speech_act) を行なうものであるのだから,1種の遂行文であるとも言えそうだ.遂行文には,その「遂行」を動詞で直に表わす明示的遂行文 (ex. I command you to surrender immediately.) と,そうでない暗示的遂行文 (ex. Surrender immediately.) があることを考えれば,例えば You're a stupid cow. のような通常の陳述文は,文頭に I hereby insult you that . . . などを補って理解すべき,「陳述」という遂行を表わす暗示的遂行文なのだと議論できるかもしれない.このように,あらゆる陳述文は実は遂行文であり,文頭に「I hereby + 遂行動詞 (performative verb) 」などが隠れているのだと解釈する仮説を,performative hypothesis と呼んでいる.
 しかし,この仮説は広くは受け入れられていない.上に例として挙げた I hereby insult you that you're a stupid cow. という文を考えてみよう.この文は統語論的,意味論的には問題ないが,通常の発話としてはかなり不自然である.語用論的には非文の疑いすらある.さらに,統語的に隠されているとされる主節部分の遂行動詞が「嘘をつく」 (lie) や「脅す」 (threaten) などの文を想像してみるとどうだろうか.ますます文全体の不自然さが際立ってくる.さらに,隠されている遂行動詞が何かを聞き手が正確に特定する方法はあるのだろうか,という問題もある.
 この仮説は1970年代に提起されたが,1980年代以降,統語論,意味論,語用論それぞれの立場から数々の問題が指摘され,批判されてきた.すでに過去の仮説と言ってもよいと思われるが,冒頭に挙げた「命令」の例など,一部の遂行動詞に関しては,簡潔な統語的説明として使えるのかもしれない.以上,Huang (97--98) を参照して執筆した.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

Referrer (Inside): [2022-03-24-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow