一昨日の「#4945. なぜ推奨を表わす動詞の that 節中で shall?」 ([2022-11-10-1]) および昨日の「#4946. 推奨を表わす動詞の that 節中における shall の歴史的用例」 ([2022-11-11-1]) の記事に引き続き,従属節内で接続法(仮定法)現在でもなく should でもなく,意外な shall が用いられている歴史的用例を歴史的辞書からもっと集めてみました.
OED を調べると,問題の用法は shall, v. の語義11aに相当します.
11. In clauses expressing the purposed result of some action, or the object of a desire, intention, command, or request. (Often admitting of being replaced by may; in Old English, and occasionally as late as the 17th cent., the present subjunctive was used as in Latin.)
a. in clause of purpose usually introduced by that.
In this use modern idiom prefers should (22a): see quot. 1611 below, and the appended remarks.
c1175 Ormulum (Burchfield transcript) l. 7640, 1 Þiss child iss borenn her to þann Þatt fele shulenn fallenn. & fele sHulenn risenn upp.
c1250 Owl & Night. 445 Bit me þat ich shulle singe vor hire luue one skentinge.
1390 J. Gower Confessio Amantis II. 213 Thei gon under proteccioun, That love and his affeccioun Ne schal noght take hem be the slieve.
c1450 Mirk's Festial 289 I wil..schew ȝow what þis sacrament is, þat ȝe schullon in tyme comyng drede God þe more.
1470--85 T. Malory Morte d'Arthur xiii. xv. 633 What wille ye that I shalle doo sayd Galahad.
1489 (a1380) J. Barbour Bruce (Adv.) i. 156 I sall do swa thow sall be king.
1558 in J. M. Stone Hist. Mary I App. 518 My mynd and will ys, that the said Codicell shall be accepted.
1611 Bible (King James) Luke xviii. 41 What wilt thou that I shall doe vnto thee? View more context for this quotation
a1648 Ld. Herbert Life (1976) 70 Were it not better you shall cast away a few words, than I loose my Life.
1698 in J. O. Payne Rec. Eng. Catholics 1715 (1889) 111 To the intent they shall see my will executed.
1829 T. B. Macaulay Mill on Govt. in Edinb. Rev. Mar. 177 Mr. Mill recommends that all males of mature age..shall have votes.
1847 W. M. Thackeray Vanity Fair (1848) xxiv. 199 We shall have the first of the fight, Sir; and depend on it Boney will take care that it shall be a hard one.
1879 M. Pattison Milton xiii. 167 At the age of nine and twenty, Milton has already determined that this lifework shall be..an epic poem.
とりわけ1829年と1847年の例は,推奨を表わす今回の問題の用法に近似します.
MED の shulen v.(1) の語義4a(b)と21b(ab)辺りにも,完全にピッタリの例ではないにせよ類例が挙げられています.
歴史的な観点からすると,推奨を表わす動詞の that 節中における shall の用法の「源泉」は,緩く中英語まではたどれるといえそうです.これを受けて,改めて「物議を醸す日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題を考えていただければと思います.
この3日間の hellog 記事のまとめとして,今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で「#530. 日本ハム新球場問題の背後にある英語版公認野球規則の shall の用法について」を取り上げました.そちらもぜひお聴きください.
昨日の記事「#4945. なぜ推奨を表わす動詞の that 節中で shall?」 ([2022-11-10-1]) に引き続き,標記の問題について.今回は歴史的な立場からコメントします.
歴史的にみると,that 節を含む従属節において,通常であれば接続法(仮定法)現在あるいは should が用いられる環境で,意外な法助動詞 shall が現われるケースは,まったくなかったわけではありません.
Visser (III, §1513) を調べてみると,関連する項目がみつかり,多くの歴史的な例文が挙げられています.今回の話題は,いわゆる mandative_subjunctive という接続法現在の用法と,その代用としての should の使用に関わる問題との絡みで議論しているわけですが,Visser の例文にはいわゆる「#2647. びっくり should」 ([2016-07-26-1]) の代用としての shall の用例も含まれています.
古英語から近代英語に至るまで多数の例文が挙げられていますが,今回の問題の考察に関与しそうな例文のみをピックアップして引用します.
1513---Type 'It (this) is a sori tale, þæt þet ancre hus schal beon i ueied to þeo ilke þreo studen'
There is a rather small number of constructions in which shall is employed in a clause depending on such formulae as 'it is a wonderful thing', 'this is a sorry tale', 'alas!' Usually one finds should used in this case, or, in older English, modally marked forms.
. . . | c1396 Hilton, Scale of Perfection (MS Hrl) 1, 37, 22b, þanne sendiþ he to some men temptacions of lecherie . . . þei schul þinke hit impossible . . . þat þey ne shulle nedinges fallen but if þei han help. . . . | 1528 St. Th. More, Wks. (1557) 126 D10, Than said he ferther that yt was meruayle that the fyre shall make yron to ronne as siluer or led dothe. | 1711 Steele, Spect. no. 100, It is a wonderful thing, that so many, and they not reckoned absurd, shall entertain those with whome they converse by giving them the History of their Pains and Aches. | 1879 Thomas Escott, England III, 39, He has to judge whether it is advisable that repairs in any farm-buildings shall be undertaken this year or shall be postponed until the next (P.).
最後の "it is advisable that . . . shall . . . ." などは参考になります.ただし,この shall の用法は,歴史的にみてもおそらく頻度としては低かったのではないかと疑われます.
ちなみに,現代英語の類例を求めて BNCweb で渉猟してみたところ,"An Islay notebook. Sample containing about 46775 words from a book (domain: world affairs)" という本のなかに1つ該当する例をみつけました(赤字は引用者による).
802 "This Meeting being informed that Cart Drivers are very inattentive as to their Conduct upon the road with Carts It is now recommended that all Travellers upon the road shall take to the Left in all situations, and that when a Traveller upon the road shall loose a shew of his horse, the Parochial Blacksmith shall be obliged to give preference to the Traveller. "
おそらく稀な用法なのでしょうが,問題の環境での shall の使用は皆無ではない(そしてなかった)ことは確認されました.
改めて「物議を醸す日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題を考えてみてください.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の「#464. まさにゃんとの対談 ー 「提案・命令・要求を表わす動詞の that 節中では should + 原形,もしくは原形」の回について,リスナーの方より英文解釈に関わるおもしろい話題を寄せていただきました.
11月8日配信のYahoo!ニュースより「物議を醸す日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題.事の発端は野球規則の“解釈”にあった?」をご覧ください.公認野球規則2021の2.01項に球場のレイアウトに関する規定があり,日本ハムが北海道に建設中の新球場がその規定に引っかかっているという案件です.
公認野球規則2021は,英語版公認野球規則 Offical Baseball Rules (2021 edition) の和訳となっています.多少の日本独自の付記はありますが,原則としては和訳です.今回問題となっているのは Rule 2.01 に対応する次の箇所です.英日語対照で引用します.
It is recommended that the distance from home base to the backstop, and from the base lines to the nearest fence, stand or other obstruction on foul territory shall be 60 feet or more.
本塁からバックストップまでの距離,塁線からファウルグラウンドにあるフェンス,スタンドまたはプレイの妨げになる施設までの距離は,60フィート(18.288メートル)以上を必要とする.
英文は It is recommended . . . となっていますが,和文では「推奨する」ではなく「必要とする」となっています.つまり,英文よりも厳しめの規則となっているのです.これは誤訳になるのでしょうか.
It is recommended that . . . のような構文であれば,通常 that 節の中で接続法(仮定法)現在あるいは should の使用が一般的です.さらにいえばアメリカ英語としては前者のほうがずっと普通です.しかし,この原文では shall という予期せぬ法助動詞が用いられています.和訳に際して,この珍しい shall の強めの解釈に気を取られたのでしょうか,結果として「必要とする」と訳されていることになります.
誤訳云々の議論はおいておき,ここではなぜ英文で shall とう法助動詞が用いられているのかについて考えてみたいと思います.問題の箇所のみならず Rule 2.01 全体の文脈を眺めてみましょう.適当に端折りながら引用します.
The field shall be laid out according to the instructions below, supplemented by the diagrams in Appendices 1, 2, and 3. The infield shall be a 90-foot square. The outfield shall be the area between two foul lines formed by extending two sides of the square, as in diagram in Appendix 1 (page 158). The distance from home base to the nearest fence, stand or other obstruction on fair territory shall be 250 feet or more. . . .
It is desirable that the line from home base through the pitcher's plate to second base shall run East-Northeast.
It is recommended that the distance from home base to the backstop, and from the base lines to the nearest fence, stand or other obstruction on foul territory shall be 60 feet or more. See Appendix 1.
When location of home base is determined, with a steel tape measure 127 feet, 33?8 inches in desired direction to establish second base. . . . All measurements from home base shall be taken from the point where the first and third base lines intersect.
全体として,法律・規則の文体にふさわしく,主節に shall を用いる文が連続しています.強めの規則を表わす shall の用法です.その主節 shall 文の連続のなかに,It is desirable that . . . と It is recommended that . . . という異なる構文が2つ挟み込まれています.その that のなかで異例の shall が用いられているわけですが,これは前後に連続して現われる主節 shall 文からの惰性のようなものと考えられるのではないでしょうか.
ちなみに,It is desirable that . . . . に対応する和文は「本塁から投手板を経て二塁に向かう線は,東北東に向かっていることを理想とする.」とあり,desirable がしっかり訳出されています.この点では recommended のケースとは異なります.
いろいろと論点はありそうですが,私の当面のコメントとして本記事を書いた次第です.今回のような that 節中の法助動(不)使用の話題については,こちらの記事セットをご覧ください.
昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」では「#464. まさにゃんとの対談 ー 「提案・命令・要求を表わす動詞の that 節中では should + 原形,もしくは原形」」と題し,「仮定法現在」と should の問題について,日本初の古英語系 YouTuber (?)であるまさにゃん (masanyan) とインフォーマルに歓談しました.(この問題については,補足的にこちらの hellog 記事セットもご覧ください.)
この問題の典型的な例文を挙げると,次のようになります.
・ I suggest that John go to see a doctor. (アメリカ英語では「仮定法現在」,すなわち形式的には「原形」)
・ I suggest that John should go to see a doctor. (イギリス英語では「should + 原形」)
この事情を端的に1行で記述すれば,
・ I suggest that John (should) go to see a doctor. (イギリス英語では should を用いるがアメリカ英語では should を用いない)
となるでしょうか.さらに端的に説明しようと思えば「アメリカ英語では should を省略する」と言って済ませることもできます.
今回の簡略化した説明に当たって「省略」という表現を用いてみましたが,統語論を扱っている文脈で「省略」という場合には,理論的立場によって様々な意味合いが付されているので注意が必要です.
上記のように英文法教育の立場から使い分けの分布を簡略に伝えるに当たっては,「should の省略」という表現は妥当だと私は考えています.共時的な英米差をきわめて端的に記述・指摘できますし,1つの合理的な行き方だと思います.「仮定法現在」という比較的マイナーな用語を出さずに済ませられるという利点もあります.英文法教育の対象レベルにもよりますし,英文法全体の体系的記述の観点からは議論があり得ますが,1つの行き方ではあるという立場です.
一方,私自身が専攻する英語史の立場,あるいは歴史的・通時的英語学の立場からすると「省略」とは言えません.対談内でも触れているように,英語史の当初より,類似した統語的文脈で「仮定法現在」と should の両方が文証されており,どちらが時間的に先立つ表現なのか,はっきりと確かめることができないからです.歴史的過程として,should が省略されたのか,あるいは逆に挿入されたのか,というような時系列を追いかけることができないのです.もっといえば,英語史や比較言語学の視点からいえば,一方から他方が派生したとは考えられていません.「仮定法現在」は形態的な現象,should を用いた表現は統語的な現象として別々の話題であり,直接的な接点はないと考えるのが一般的です.両表現は相互に代替可能だった時代が長く,そのような variation の関係だったと解釈します.つまり,一方から他方が派生したわけではないと解釈します.ですから,通時的過程としての「省略」はなかった,最も控えめにいっても,はっきりと確認されていない,という立場を取ります.
さらに,共時的な統語理論の立場からみるとどうでしょうか,例えば生成文法による分析を念頭におくと,アメリカ英語流の「仮定法現在」は IP の主要部 V の位置に生起するけれど,イギリス英語流の should は IP の主要部 I の位置に生起するとして両者の違いを表現するのだと想定されます.生成過程でこの違いを生み出している原動力が何なのかは生成文法家ではない私には分かりませんが,少なくとも「省略」と呼ばれ得るものではないと想像されます.
ほかにも異なる立ち位置や解釈があるはずです.
日本で統語的な文脈の英文法用語としてしばしば用いられる「省略」は,理論的立ち位置によって多義となり得るものと理解しておくことが重要だろうと思われます.少なくとも,共時的変異を記述する便法としての「省略」が用いられている一方で,歴史的・通時的過程として時系列を念頭に置いた「省略」もあり得ます.どのような立ち位置から「省略」と述べているのかが重要だと考えています.そして,各々の立ち位置の考え方の癖を理解しておくことも同様に重要だと考えています.
仮定法現在の用法,いわゆる "mandative subjunctive" が現代アメリカ英語で安定的に用いられている事実について,本ブログでは通時的な観点から以下の記事で取り上げてきた.「#325. mandative subjunctive と should」 ([2010-03-18-1]),「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]),「#345. "mandative subjunctive" を取り得る語のリスト」 ([2010-04-07-1]),「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]),「#3351. アメリカ英語での "mandative subjunctive" の使用は "colonial lag" ではなく「復活」か?」 ([2018-06-30-1]) .
この問題について Hundt (595--97) が Brown 系コーパスを用いて行なった調査の概要を読む機会があった (cf. 「#428. The Brown family of corpora の利用上の注意」 ([2010-06-29-1])) .1930年代から1991年までの英米両変種(書き言葉)の通時比較調査である.should 使用と比べての mandative subjunctive 使用の割合は,アメリカ英語ではすでに1930年代より8割に近づく高い値を示しており,1991年にはほぼ9割に達している.一方,イギリス英語では,1930年代で2割を超える程度の値であり,その後は増加したとはいえ1991年の時点で4割弱にとどまっている.mandative subjunctive の使用については,共時的にも通時的にもアメリカ英語のほうが著しいといってよい.
Övergaard の先行研究によると,アメリカ英語での mandative subjunctive の増加は1900年から1920年にかけて起こっており,その背景としてドイツ語,フランス語,スペイン語,イタリア語など仮定法を保持している言語を母語とする中西部の移民たちの存在が指摘されている (Hundt 597) .
おもしろいのは,上記の「仮定法現在」のみならず,If I were you のような「仮定法過去」の were の残存についても,英米変種間で似たような傾向がみられることだ.イギリス英語では,1930年代には were 使用が8割ほどあったが,1990年代には5割強へと大きく減らしている.一方,アメリカ英語でも1930年代の83.4%から1990年代の74%へ落ちているとはいえ,減り幅は小さい.
いずれの事例からも,20世紀のアメリカ英語(書き言葉)が "a relatively 'subjunctive-friendly' variety" (Hundt 597) であることがわかる.
・ Hundt, Marianne. "Change in Grammar." Chapter 27 of The Oxford Handbook of English Grammar. Ed. Bas Aarts, Jill Bowie and Gergana Popova. Oxford: OUP, 2020. 581--603.
・ Övergaard, Gerd. The Mandative Subjunctive in American and British English in the 20th Century. Uppsala: Almqvist and Wiksell, 1995.
"mandative subjunctive" あるいは仮定法現在と呼ばれる語法について「#325. mandative subjunctive と should」 ([2010-03-18-1]),「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]),「#345. "mandative subjunctive" を取り得る語のリスト」 ([2010-04-07-1]),「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]) などで扱ってきた.
屈折の衰退,さらには「総合から分析へ」 (synthesis_to_analysis) という英語史の大きな潮流を念頭におくと,現代のアメリカ英語(および遅れてイギリス英語でも)における仮定法現在の伸張は,小さな逆流としてとらえられる.この謎を巡って様々な研究が行なわれてきたが,決定的な解答は与えられていない.また,一般的にアメリカ英語での使用は,アメリカ英語の保守的な傾向,すなわち colonial_lag を示す例の1つとしばしば解釈されてきたが,この解釈にも疑義が唱えられるようになってきた.すなわち,古語法の残存というよりは,初期近代英語期に一度は廃用となりかけた古語法の後期近代英語期における復活の結果ではないかと.
先行研究を参照しながら,Mondorf (853) が次のように要約している.
[R]ecent empirical studies concur that the subjunctive had virtually become extinct in both varieties; rather than witnessing its delayed demise in AmE, we are observing its revival in AmE and --- though at a slower pace --- also in BrE . . . .
The trajectory of change takes the form of a successive decline from Old English to Early Modern English, ranging from a relatively wide distribution in Old English, with competition between indicatives and modal periphrases (e.g. scolde + infinitive), via a reduction of formal marking in Middle English (when the indicative preterit plural -on and subjunctive preterit plural and past participle of strong verbs -en were fused and final unstressed -e was lost), to rare instances in Early Modern English. It is only at the end of the LModE period that the subjunctive re-established itself and "nothing less than a revolution took place" . . . .
なぜ後期近代英語期のアメリカで接続法使用が復活してきたのかという問いについては,いくつかの議論がある.まず,「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]) でみたように,規範文法の影響力や社会言語学的な要因を重視する見解がある.一方,機能的な観点から,非現実 (irrealis) を表現したいというニーズそのものは変わっておらず,その形式が法助動詞から接続法現在屈折へシフトしたにすぎないとする見解もある.後者の見解では,アメリカ英語においていくつかの法助動詞の使用が減少したこととの関連が考えられる (Mondorf 853--54) .
イギリス英語でもアメリカ英語に遅ればせながら,接続法現在の使用が増えてきているようだが,これは一般にはアメリカ英語の影響 (americanisation) と考えられている.しかし,もしかすると少なくとも部分的には,かつてのアメリカ英語で起こったのと同様に,イギリス英語での独立的な発達という可能性も捨てきれないという (Mondorf 854) .まだ研究の余地が十分に残っている領域である.
いくつか最近の関連する研究の書誌を挙げておこう.
・ Crawford, William J. "The Mandative Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 257--276.
・ Hundt, Marianne. "Colonial Lag, Colonial Innovation or Simply Language Change?" One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 13--37.
・ Kjellmer, Göran. "The Revived Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 246--256.
・ Övergaard, Gerd. The Mandative Subjunctive in American and British English in the 20th Century. Stockholm: Almqvist & Wiksell, 1995.
・ Schlüuter, Julia. "The Conditional Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 277--305.
・ Mondorf, Britta. "Late Modern English: Morphology." Chapter 53 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 843--69.
典型的なアメリカ語法の I advised that John eat more. とイギリス語法の I advised that John should eat more. の差異やその歴史的背景について,「#325. mandative subjunctive と should」 ([2010-03-18-1]),「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]),「#345. "mandative subjunctive" を取り得る語のリスト」 ([2010-04-07-1]),「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]) などで取り上げてきた.
歴史的事実を確認すれば,接続法現在を用いるタイプと法助動詞 should を用いるタイプは,両方とも古英語より使用がみられる.その後も中英語,近代英語と両タイプは併存しており,分布の英米差が言われるようになったのは,あくまで近現代についての分布に関してのみである.まずはこの事実を確認しておきたい.
Visser (III, §1546) には,'He commaunded, that the ouen shulde be made seuen tymes hoter' が,should 使用のタイプの代表例としてタイトルに挙げられており,その他,古英語から現代英語にかけての多数の類例が列挙されている.以下,各時代からランダムに取り出して提示する.
・ Genesis 800, he unc self bebead þæt wit unc wite warian sceolden.
・ Menelogium 48, fæder onsende . . . heahengel his, se hælo abead Marian mycle, þæt heo meotod sceolde cennan, kyninga betst.
・ Ælfric, Hom. i, 310, God bebead Moyse . . . þæt he and eall Israhela folc sceoldon offrian . . . an lamb anes ȝeares.
・ c1200 St. Katherine 1439, Hat eft þe keiser þat me schulde Katherine bringen biforen him.
・ c1352 Minot, Poems (ed. Hall) iii, 53, He cumand þan þat men suld fare Till Ingland.
・ 1440 Visitations Relig. Houses Diocese Lincoln (ed. Thompson) 176, Laghe and your constytucyons forbeden that any nunne shulde were any vayles of sylke.
・ 1593 Shakesp., Rich. II, IV, i, 129, forfend it, God, That in a christian climate souls refin'd Should show so heinous, black, obscene a deed.
・ 1749 Fielding, Tom Jones (Everym.) Vol. II p. 130, the ostler took great care that his corn should not be consumed.
・ 1888 Henry James, The Aspern Papers (Everym.) 268, Heaven forbid I should ask you.
・ 1928 Virginia Woolf, Orlando (1928) 64, prescribing . . . that he should lie in bed all day.
・ 1961 Angus Wilson, The Old Men at the Zoo (Penguin) 195, he suggested that I should go down with him for a day or two.
・ 1963 Iris Murdoch, The Unicorn (Avon Bks.) 67, Who decided I should come and why?
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
英語史における接続法は,おおむね衰退の歴史をたどってきたといってよい.確かに現代でも完全に消えたわけではなく,「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]) や「#325. mandative subjunctive と should」 ([2010-03-18-1]) でも触れた通り,粘り強く使用され続けており,むしろ使用が増えているとおぼしき領域すらある.しかし,接続法の衰退は,総合から分析へ向かう英語史の一般的な言語変化の潮流 (synthesis_to_analysis) に乗っており,歴史上,大々的な逆流を示したことはない.
大々的な逆流はなかったものの,ちょっとした逆流であれば後期近代英語期にあった.16世紀末から急激に衰退した接続法は衰退の一途を辿っていたが,18世紀後半から19世紀にかけて,少しく回復したという証拠がある.Tieken-Boon van Ostade (84--85) はその理由を,後期近代の社会移動性 (social mobility) と規範文法の影響力にあるとみている.
The subjunctive underwent a curious development during the LModE period. While its use had rapidly decreased since the end of the sixteenth century, it began to rise slightly during the second half of the eighteenth century and into the nineteenth, when there was a sharp decrease from around 1870 onwards . . . . The temporary rise of the subjunctive has been associated with the influence of normative grammar, and though, this may explain the increased use during the nineteenth century, when linguistic prescriptivism was at its height and its effects must have been felt, in the second half of the eighteenth-century it must have been because of the strong linguistic sensitivity among social climbers rather than the actual effect of the grammars themselves. This is evident in the language of Robert Lowth and his correspondents: in Lowth's own usage, there is an increase of the subjunctive around the time when his grammar was newly published, and with his correspondents we found a similar linguistic awareness that they were writing to a celebrated grammarian . . . .
Tieken-Boon van Ostade は,規範文法の影響力があったとしてもおそらく限定的であり,とりわけ18世紀後半の接続法の増加のもっと強い原因は "social climbers" (成上り者)の上昇志向を反映した言語意識にあるとみている.
かりに接続詞の衰退を英語史の「自然な」流れとみなすのであれば,後期近代英語のちょっとした逆流は,人間社会のが「人工的に」生み出した流れということになろうか.「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1]) の比喩を思い起こさざるを得ない.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
"mandative subjunctive" の話題については本ブログでも[2010-03-19-1], [2010-03-18-1], [2009-08-17-1]などで何度か扱った.今後もこの問題に迫るかもしれないので,今回は,現代英語において後続する that 節の動詞に「仮定法現在」を要求しうる語をできる限り多くリストしたい.基本的には浦田先生の論文 (126--27) にある,Quirk et al. の諸例から整理された単語リストがベースになっているが,他の文献で触れられているものも追加した.いずれも仮定法を必ず要求する語ではなく,要求しうる語のリストとして理解されたい.
(1) verbs: advise, agree, allow, arrange, ask, beg, command, concede, decide, decree, demand, desire, determine, enjoin, entreat, insist, instruct, intend, move, ordain, order, pledge, pray, prefer, pronounce, propose, recommend, request, require, resolve, rule, stipulate, stress, suggest, urge, vote
(2) adjectives: advisable, appropriate, anxious, compulsory, crucial, desirable, eager, essential, expedient, fitting, imperative, important, impossible, improper, insistent, keen, necessary, obligatory, preferable, proper, urgent, vital, willing
(3) nouns: advice, agreement, arrangement, command, decision, decree, demand, desire, determination, entreaty, insistence, instruction, intention, motion, order, pledge, preference, proposal, recommendation, regulation, request, requirement, resolution, resolve, rule, ruling, stipulation, suggestion, urging, vote, wish
(3) にはここに挙げているもののほかにも,一般に(1)(2)の語に対応する名詞形を加えてもよいかもしれない.
・ 浦田 和幸 「現代イギリス英語に於ける Mandative Subjunctive の用法」 『帝京大学文学部紀要 英語英文学・外国語外国文学』18号,1987年,123--36頁.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum, eds. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002. 999.
・ 綿貫 陽(改訂・著);宮川幸久, 須貝猛敏, 高松尚弘(共著) 『徹底例解ロイヤル英文法』 旺文社,2000年.458--59, 557--58頁.
昨日の記事[2010-03-18-1]で,mandative subjunctive がアメリカ英語のみならずイギリス英語でも勢いを増してきていることに触れた.英語史の大きな流れからすると,屈折の種類は減少する方向へ推移し続けていくだろうと予想されるところだが,mandative subjunctive が拡大している状況を知ると,大きな流れのなかの小さな逆流を見ているかのようである.100年以上も前,Bradley は英語史の流れを意識して,次のような予測を立てていた.
The only formal trace of the old subjunctive still remaining, except the use of be and were, is the omission of the final s in the third person singular of verbs. And even this is rapidly dropping out of use, its only remaining function being to emphasize the uncertainty of a supposition. Perhaps in another generation the subjunctive forms will have ceased to exsit except in the single instance of were, which serves as a useful function, although we manage to dispense with a corresponding form in other verbs.
約100年後の現在,Bradly の予測がみごとに外れたことがわかる.ではなぜ,しばしば drift と呼ばれる英語の屈折衰退の傾向に対して,逆行するかのような言語変化が起こっているのか.これは今後の研究課題であるが,英米差であるとか米から英への影響であるとか以外にも,考えるべきパラメータは多そうである.浦田和幸先生の論文を読んだが,そこから思いつく限りでも,以下のパラメータが関与している可能性がある.
・ that 節を従える動詞の語義(特に insist, suggest などは factive な語義と suasive な語義が区別されるべき)
・ that 節内の動詞が,be 動詞か一般動詞か(一般に be 動詞の頻度が高いといわれる)
・ 文が否定文かどうか
・ 文が疑問文かどうか
・ that 節内の be が not で否定されている場合の,両者の統語的な前後関係
・ 話者の年齢
・ 語用の formality
・ that 節内の主語(動作主)の volition
・ that 節を従える動詞から派生した名詞とともに使われる mandative subjunctive の頻度
・ Bradley, Henry. The Making of English. New York: Dover, 2006. 95. New York: Macmillan, 1904.
・ 浦田 和幸 「現代イギリス英語に於ける Mandative Subjunctive の用法」 『帝京大学文学部紀要 英語英文学・外国語外国文学』18号,1987年,123--36頁.
現代英語において,特定の動詞や形容詞と関連づけられた that 節内の動詞が接続法 ( subjunctive mood ) の屈折形態をとるという文法がある.学校文法で一般に仮定法現在 ( subjunctive present ) と呼ばれている現象である.特に,このような that 節内に現れるケースを mandative subjunctive と呼ぶ.
この話題については[2009-08-17-1]で軽く触れた.またその使用頻度の英米差については[2010-03-08-1], [2010-03-05-1]で触れた.かいつまんでいえば,AmE ではいまなお接続法が一般的だが,BrE では代わりに should を用いることが多い.しかし,AmE の影響で BrE でも接続法の使用が増えてきている.
学校文法では,AmE 型の mandative subjunctive は BrE 型の should の省略であると説明されることがある.
AmE: I advised that John read more books.
BrE: I advised that John should read more books.
共時的には省略であるとする記述も可能なのかもしれないが,歴史的にはこの記述は不適当である.歴史的には,現代の AmE 型の subjunctive のほうが古い.古英語以来 Shakespeare の時代でも,mandative subjunctive は広く使われていた.この Shakespeare 時代の用法がそのままアメリカに渡り,AmE では現在まで変わらずに受け継がれているのである.一方,BrE では Shakespeare より後の時代に mandative subjunctive の用法が廃れ,当該の動詞形が不定詞形と再解釈されたうえで,直前に法助動詞 should が挿入されたのである.
したがって,歴史的にみれば,AmE 型の mandative subjunctive の使用は should の省略などではまったくない.むしろ正反対で,BrE 型の should こそが後付の挿入なのである.[2010-03-08-1]でも触れたが,この例は AmE が保守的で BrE が革新的であるという,一見すると意外な例の一つである.
こうした歴史的経緯を踏まえると,現在 BrE でも mandative subjunctive が復活しつつあるという状況が俄然おもしろく見えてくるだろう.
・ 児馬 修 『ファンダメンタル英語史』 ひつじ書房,1996年.60--65頁.
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