英語史の授業の受講生からのおもしろい質問を紹介させていただきます.
アポストロフィー (apostrophe) は将来的に使われなくなる可能性はあると思いますか?
ネイティブでも誤用が多いようで,なければタイピングも楽になると思います.
"I'm" は "Im" となると見た目なんとなく気持ちが悪いですが,"dont", "Whats", "Whos" などはなくてもよいかなと思ってしまいます.所有格 's はないと紛らわしい場合があるかもしれませんが.
* 参考記事:"Have we murdered the apostrophe?" By Hélène Schumacher, 24th February 2020
私は英語の歴史を研究していますが,将来の英語がどうなっていくかに答える英語の予言者ではありませんので(笑),アポストロフィ (apostrophe) の行く末は分かりません.しかし,この数世紀間の英語の句読法 (punctuation) の流れを踏まえつつ,近年の Netspeak における動向を眺めていると,これからは次のようなことが起こるのかもしれないなぁと感じることはあります.
興味深い記事の紹介,ありがとうございます.アポストロフィ問題については,私もいろいろと考えてきましたが,記事中程で Laurel MacKenzie が述べている通り,"the apostrophe is subject to whims of fashion, just like other things in culture and society are" だと考えています.現在の規範的な用法は歴史的には半ばアドホックに定まってきたもので,私も英語を書くときには原則としてそれに従って書いています.しかし,今後も英語の書き手の慣用は時代とともに変わっていきますし,それに応じて規範も変わっていくものだということを,英語史研究を通じて繰り返しみてきました.言語に対しては,ある種の無常観を抱いています.
中世から現代までの英語の句読法 (punctuation) の歴史を眺めると,句読記号の種類は整理されて減ってきているという流れがあります.近代から現代にかけても,句読記号の使用は確かに減ってきています.20世紀後半からデジタル時代に入り,この流れは続くばかりか,多少なりとも加速しているという可能性は十分にあります.ただし,SNS を始めとする比較的「インフォーマル」なメディアと,新聞や本などの比較的「フォーマル」なメディアとでは,変化のスピードに差があります.前者の影響を受けながら,後者はあくまでゆっくりと変化していくということになるだろうと予想しています.
アポストロフィについてはいろいろと hellog 記事を書いてきました.アポストロフィの各種の用法が,ある種のカオスとして生まれてきた経緯と結果については,とりわけ「#3656. kings' のような複数所有格のアポストロフィの後には何が省略されているのですか?」 ([2019-05-01-1])を読んでみてください.
関心があれば,サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.もどうぞ.アポストロフィについても突っ込んだ議論があります.
質問者の予想通り,アポストロフィは,おそらくゆっくりとしたペースだとは思いますが,だんだん失われてはいくのかなと思っています.
受け取った電子メールの文章を,返信メールなどで引用する際に,各行頭に不等号記号の「大なり」 ">" ("right angle bracket" or "greater than") を付す慣行が定着している.この慣行は各種のマークアップ言語でも応用されており,ネット時代において新しい句読点の用法が発達してきたことを物語るものである.
しかし,驚くなかれ,テキスト引用のための ">" の用法は,実は中世に起源をもつのである.当時,">" に近い形の "diple" と呼ばれる記号があった.これは引用されるテキストの開始を示す記号として用いられたが,後に現代的な引用符 (quotation mark) へと発達した.diple そのものは廃用となり,忘れ去られたかと思いきや,現代のネット時代に新たな生命を吹き込まれたというわけだ(cf. 関連して「#1097. quotation marks」 ([2012-04-28-1]) も参照).
記号として復活したというだけでも驚きだが,専ら「開き」のみに用い「閉じ」に対応する記号が存在しないというのも,中世の句読法に忠実であり,おもしろい.現代の感覚だと,括弧にせよ引用符にせよ,「開き」があったら必ずペアで「閉じ」も存在していないと気持ちが悪い.しかし,この現代的な慣習が一般化するのは「#2969. 閉じない quotation marks」 ([2017-06-13-1]) でも見たとおり,割と遅く18世紀のことである.中世では「開きっぱなし」だったのである.実用上はどこで「閉じ」るのか分かりにくいという難点はあり得たが,そこはコンピュータ言語ではない.おおらかだったのだ.
現代の電子メールの慣習でも,各行の頭に ">" を付すが,末尾にはわざわざたとえば "<" を付すという面倒なことはしない.その意味では,コンピュータ上の言語行動でありながら,現代でもおおらかといえばおおらかだ.
メールで引用の引用として ">" を2重にしたりするというのは,さすがに現代的な発展用法だと思われるが,それにしても歴史の断続と連続はおもしろい.
「#817. Netspeak における省略表現」 ([2011-07-23-1]) で見たように,ネット上では判じ絵 (rebus) の原理による文字遊びともいえる省略表現が広まっている.<Thx2U> (= Thanks to you) や <4U> (= For you) や <CUL8R> (= See you later) や <Engl&> (= England) のような遊び心を含んだ文字列である.これらの数字や記号 <&> の用例は,本来の表語文字(記号)を表音的に用いている例として興味深い.それぞれ意味は捨象し,[tuː], [fɔː], [eɪt], [ənd] という音列を表す純粋な表音文字として機能している.
これは現代人の言葉遊びにすぎないと思われるかもしれないが,実は古くから普通に行なわれてきた.例えば,接続詞 and を書き表わすのに古くは <&> ではなく数字の <7> に似た <⁊ > という記号 (Tironian et) が用いられていた(「#1835. viz.」 ([2014-05-06-1]) を参照).そして,これが接続詞 and を表わすものとしてではなく,他の語の一部をなす音列 [and] を表わすものとして表音的に用いられる例があった.この接続詞は,現代と同様に弱い発音では語尾音がしばしば脱落したので,[and] だけでなく [an] あるいは [a] を表音する文字としても機能した.例えば,The Owl and the Nightingale から,l. 1195 に現われる動詞の過去分詞形 anhonge の接頭辞 an- が Tironian et で書かれており,<<⁊honge>> と写本に見える.同じように,l. 1200 の動詞の過去分詞形 astorue も <<⁊storue>> と書かれており,接頭辞 a- が Tironian et で表わされている.
書き手の遊び心もあるだろうし,少しでも短く楽に書きたいという思いもあるだろう.書き手の思いと,その思いを満たす手段は,昔も今も何も変わらない.
・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.
昨年11月のことになるが,Joe Gilbert による20分のドキュメンタリー番組 "English 3.0 on Vimeo" が公開された.オンラインで鑑賞できる.Tom Chatfield, David Crystal, Robert McCrum, Fiona McPherson, Simon Horobin といった名立たる出演陣により,インターネット時代の英語の現状が解説される.
netspeak に代表される,インターネット上で用いられる種類の英語を巡って,世間には様々なとらえ方がある.英語の堕落だ,規範の崩壊だという否定的な見解が目立つが,上記の出演者たちは口を揃えて,そうではない,言語の歴史においていつの時代にも繰り返されてきた言語変化にすぎないと言い切る.インターネットの登場により言語変化が加速したということや,「#1664. CMC (computer-mediated communication)」 ([2013-11-16-1]) のような新たな媒体 (medium) が生じたことは確かだが,そのようなことは歴史上の他の技術革新の際にもおよそ生じてきたことであり,言語史という広い視点から見れば特別ではない,と.
議論の主張点は,およそ次の4点だろう.
(1) インターネットの登場により言語変化が加速している
(2) インターネット英語に顕著な略式表現による英語の堕落が取りざたされているが,実際には英語の堕落を示す証拠はない
(3) 大きな技術革新の時代には言語堕落論が生じやすいが,実際に生じていることは,言語に新たな次元が付け加わるということであり,積極的に評価すべきだ
(4) 今後,伝統的な規範主義と,新しく生まれつつあるより自由な言語観とのあいだで戦いが生じるだろう
私もこれらの主張点にはほぼ賛成する.ただ1つ気になるのは,(1) の言語変化の加速という点についてである.同時代の観察者として,歴史的にみても英語の変化の速度 (speed_of_change) が著しいという直感はあるが,変化の速度とはそもそもどのように客観的に計測できるものなのだろうか.速度とは単位時間辺りの変化量のことであるから,まず変化量を計測することができなければならない.では,変化量を計測するといったときに,計測する対象は何になるのか.英語の言語変化と一口にいっても,英語という言語単位がどこからどこまでなのか,標準変種に限るのか,ピジン語まで含むのか等々,社会言語学的に頭の痛い問題があるし,また変化の土俵が語彙なのか,音声なのか,文法なのかという部門の問題もある.さらに,現代は変化速度が早まっているなどと結論するためには,比較のために過去のいくつかの時点における変化速度も先に割り出しておかなければならない.
同時代であるからこそ直感に頼ってはいけないという慎重論を取るのであれば,現代における言語変化の加速という命題は,たやすく前提として受け入れてはならないのかもしれない.同じドキュメンタリーに対する Wordorigins.org のレビューでも,別の角度から言語変化の速度について批判的に考察しているので,参照されたい.
去る1月9日,American Dialect Society による 2014年の The Word of the Year が発表された.プレス・リリース (PDF) はこちら.
2014年の大賞は #blacklivesmatter である.新設されたHASHTAG部門からの大賞受賞で,2009年の受賞語 twitter,2012年の受賞語 hashtag に続き,twitter 周辺のメッセージ性が評価されているということだろう.
The hashtag #blacklivesmatter took on special significance in 2014 after the deaths of Michael Brown in Ferguson, Mo. and Eric Garner in Staten Island, N.Y., and the failure of grand juries to indict police officers in both cases. It became a rallying cry and vehicle for expressing protest, fueled by social media.
The word hashtag itself was the ADS Word of the Year in 2012. Now, two years later, hashtags were recognized with their own special category in the voting, which was also won by #blacklivesmatter.
"While #blacklivesmatter may not fit the traditional definition of a word, it demonstrates how powerfully a hashtag can convey a succinct social message," Zimmer said. "Language scholars are paying attention to the innovative linguistic force of hashtags, and #blacklivesmatter was certainly a forceful example of this in 2014."
MOST LIKELY TO SUCCEED 部門の受賞語 salty とノミネート語 basic はいずれも既存の形容詞だが,新たに生じた語義が注目されているようだ.salty は "exceptionally bitter, angry, or upset" の意味で,basic は "plain, socially awkward, unattractive, uninteresting, ignorant, pathetic, uncool, etc." の意味で新しく用いられているという.いずれも俗語的な響きをもち否定的な評価的意味 (evaluative meaning) を発展させているという点で共通している.関連して,評価的意味とその歴史的発展について「#1099. 記述の形容詞と評価の形容詞」 ([2012-04-30-1]),「#1100. Farsi の形容詞区分の通時的な意味合い」 ([2012-05-01-1]),「#1193. フランス語に脅かされた英語の言語項目」 ([2012-08-02-1]),「#1400. relational adjective から qualitative adjective への意味変化の原動力」 ([2013-02-25-1]) を参照されたい.
「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1]) で,ヒトの言語の媒体には4つの形態があると述べた.音声言語 (speech),文字言語 (writing),コンピュータ媒介言語 (CMC = computer-mediated communication),手話 (sign_language) である.speech と writing の共通点と相違点については,これまでも「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1]),「#849. 話し言葉と書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) ,「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1]),「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) ほかの記事で取り上げてきたが,今回は電子媒体を通じての言語使用である CMC について考えてみたい.
電子メール,チャット,ツイッター,SNS (Social Networking Service) ,Web などの電子媒体には,話しことば的な側面と書きことば的な側面が同居しているとしばしば言われる.例えば,電子メールでは,原則として文字を利用しているという点で書きことば的ではあるが,文体・口調はしばしば話しことば的であり,電話に近い用途で用いられることが多い.電子的なグループ討論はさながら書くおしゃべりであるし,本来は話しことばの領域にあった「つぶやき」が,文字に付されて一般に公開されるようにもなっている.
しかし,CMC は話しことばと書きことばの合の子として定義するだけですむものではない.CMC はこれまでの媒体にないいくつかの重要な特徴をもっており,独立した媒体とみなすのが妥当である.Crystal (153--58) は,CMC がいかに話しことばと異なるか,いかに書きことばと異なるかを指摘しながら,その媒体としての自律性を主張している.
[話しことばと異なる点]
(1) 同時性フィードバックがない.コンピュータからメッセージを送る際には,「送信」作業が必要であり,送る方向も一方向である.やりとりは一回一回完了させる必要があり,同時のやりとりは起こらない.(ただし,技術的には,タイプするごとに(つまり確定前に)メッセージが送信されるシステムを築くことは可能であり,将来的に実現されることはあるかもしれない.)
(2) 相手にメッセージがどの程度うまく届くかを測る手段がない.
(3) チャットルームなどで,複数(の系列)の会話を聴くことができ,参加することができる.すべてに関わることもできるし,取捨選択することもできる.
(4) やりとりのリズムが遅いことが多い.返信者の都合やコンピュータの技術的な問題により,メールの返事で数時間から数日間待つことは普通である.
(5) 話ことばにおける会話の順序 (turn) の規範が厳密には守られない.CMC における turn は情報パケットの先着順であり,技術的な問題により,期待される順序と前後する可能性すらある.また,(3) により,複数系列の入り組んだ turn が生じる可能性もある.
(6) 話ことばにおいて超分節音的な要素がもつ機能をうまく再現できない.ただし,代替手段として,句読点や「#808. smileys or emoticons」 ([2011-07-14-1]) の使用がある.
[書きことばと異なる点]
(8) 空間的に縛られていない.例えば,ウェブページではメッセージの内容も形式も動的である.メッセージの発信者も受信者も,当たり前のようにメッセージを変更したり,加えたり,消去したりできる.コピーして加工するなど,元のメッセージを使い回すことも容易にできる.CMC のこの性質は,革命的ともいえるメッセージの "framing" を可能にした.複数人の間でやりとりされたメッセージを加工したり,整序したりすることにより,目的に沿った情報の整理と累積が可能となる.
(9) リンクを張り,ジャンプすることができる.伝統的な書きことばでも脚注や参照の機能は見られるが,その容易さにおいてウェブの hypertext link とは比較にならない.
(10) 注意深く洗練された文章構成がなされない.場合にもよるし,書き手にもよるが,典型的にいって,CMC では書きことばに典型的な,熟考された文章が書かれることは少ない.
(11) 無劣化でコピーできる.書写,印刷,光学的コピーと異なり,電子的に無劣化で再現できる.
CMC は,歴史的にいえば,話しことばと書きことばの両媒体の接触の結果として発生してきたことは確かだろう.しかし,共時的にいえば,CMC は話しことばや書きことばと同列に置かれる自律した媒介とみなしてよい.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
現在,世界の英語をとりまく環境には,ELF (English as a Lingua Franca) としての機能,すなわち mutual intelligibility を目指す求心力と,話者集団の独自性をアピールする機能,すなわち cultural (national, ethnic, etc.) identity を求めて諸変種が枝分かれしてゆく遠心力とが複雑に作用している.今後,相反する2つの力がどのように折り合いをつけてゆくのかという問題は,英語の未来を占う上で大きなテーマである.この問題は,拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』の第10章第4節「遠心力と求心力」 でも論じている.
英語が諸変種へ分岐して散逸してゆくかもしれないというシナリオが提起される背景には,いくつかの考察や観察がある.例えば,かつての lingua franca たるラテン語がたどった諸変種への分岐という歴史的事実や,世界中に英語の諸変種が続々と誕生し,自らの市民権を主張し始めているという現状が挙げられるだろう.遠心力を加速させている可能性のあるもう1つの要因としては,言語的規範意識の弱まりがある.規範意識は求心力として作用するので,それが弱まっているとすれば,相対的に遠心力が増加するのは自然の理である.これは,多様性が許容される社会の風潮とも結びついているだろう.
Schmitt and Marsden (208--11) は,遠心力を助長している要因として,3点を挙げている.
(1) 言語の標準化を推進するための印刷文化,書き言葉文化の弱体化.電子技術の発展により,従来,求心力として作用してきた注意深く校正された文章よりも,速度と利便性を重視する電子メールなどにおける省略された文章が,存在感を増してきている([2011-07-14-1]の記事「#808. smileys or emoticons」を参照).この傾向は,電子媒体の英語から宣伝の英語などへも拡大しており,学生の提出するレポートの英語などへも入り込んできている.
(2) 放送英語の "localizing" 傾向.かつて,BBC をはじめとする放送は標準英語を広める役割を担ってきたが,最近の放送は,むしろそれぞれの地域色を出す方向へと舵を切ってきている.例えば,CNN はスペイン語版の CNNenEnpañol を立ち上げている.
(3) 英語教育がターゲットとする変種の多様化.従来は,世界の英語教育のターゲットは,英米変種を代表とする ENL 変種しかなかった.しかし,近年では,他の変種も英語教育のターゲットとなりうる動きが出てきている([2009-10-07-1]の記事「#163. インドの英語のっとり構想!?」を参照).
(1) と (2) について,当初は英語の求心力を引き出す方向で作用すると期待されたメディアや技術革新が,むしろ多様性を助長する方向で作用するようになってきているというのが,皮肉である.[2009-10-08-1]の記事で取り上げた「#164. インターネットの非英語化」も,同じ潮流に属するだろう.
21世紀の多様性を許容する風潮は,英語をバラバラにしてゆくのだろうか.
This diversification may be more acceptable to societies now than before, as there appears to be a general movement away from conformity and toward a greater tolerance of diversity. Whereas in former times there might have been an outcry against incorrect written English, nowadays people seem increasingly comfortable with the idea that different types of English might be suitable for different purposes and media. These trends may exert pressure toward more diversification of English rather than standardisation. (Schmitt and Marsden 210)
・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.
[2011-05-15-1], [2011-08-24-1]に引き続き,標題の話題.両媒体の差異が絶対的なものではないことについては,[2009-12-13-1]の記事「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」で議論したが,一般的な理解としては,両者は対置されるとしておいて問題はないだろう.用語上の対立も,話し言葉と書き言葉,音声言語と文字言語,口頭言語と書記言語,口頭語と文章語,談話と文章など広く認められ,私たちの日常の意識のなかでも二つの媒体は明確に区別されている.
[2011-08-24-1]の記事で両媒体の特徴の違いを詳しく見たが,語用論的な特徴の指摘に偏っていたきらいがあるので,今回は言語形式上の特徴に焦点を当てて,差異を明らかにしたい.今回参考にしたのは『日本語概説』(204--06) で,日本語からの例を挙げるが,多くの項目は英語にもその他の言語にも対応するものが認められるだろう.
同著 (p. 206) でのまとめは,「話しことばがコミュニケーションのスピードと手軽さに優る社会生活上の利器であるならば,書きことばは高度な思想や深い文学的な妙味をつくりだす点に秀でた表現として,思索する人間の生活を支えている,と言えるであろう.」
メール,ツイッター,チャットなどの新種のコミュニケーションには,話しことばと書きことばの両方の特徴が混在しているといわれるが,上記の特徴を見比べてゆくと,確かにそのとおりだ.話しことばよろしく待遇表現には気を遣う側面もあるし,かといって互いに同じ場所にいるわけではないので,書きことばのように,指示語の使用は控えることが多い.文学的表現は必ずしも使わずとも,同音異義語や同音類義語を活用することはやぶさかではない.
・ 加藤 彰彦,佐治 圭三,森田 良行 編 『日本語概説』 おうふう,1989年.
書き言葉にローマ字を用いる諸言語のなかでも,英語の句読法の大きな特徴は,diacritical mark(発音区別符(号), 分音符号)をほとんど使用しないことである.よく知られているところでは,ドイツ語のウムラウト記号 (ex. ö, ü) ,フランス語のアクサン記号やセディーユ (ex. é, à, î, ç) ,スペイン語のティルダ (ñ),そして国際音標文字 (International Phonetic Alphabet; [2011-07-28-1]の記事「IPA の略史」を参照) があるが,英語には文字の周囲を飾る(ごちゃごちゃさせる)符号はほとんどない.これにより,英語はペンで書くにもキーボードでタイプするにも面倒がない.(自作の hel typist は,IPA に用いられるような diacritical mark をタイプする際の煩わしさを減じるためのツールである.)
diacritical mark あるいは diacritic という術語は「分離的な,区別する」を意味する διακριτικóς に由来する.術語としての定義は,"[i]n alphabetic writing, a symbol that attaches to a letter so as to alter its value or provide some other information" (McArthur) である.
現代英語では diacritical mark はほとんど使用されないと述べたが,かつては様々なものが存在したし,現代まで生きながらえたものも,わずかながら存在する.apostrophe, diaeresis, supraliteral dot の3つである.apostrophe ( ' )は,[2010-11-30-1]の記事「apostrophe」で触れたように,3種類の機能を担っている.is と i's では発音の違いに関与していることに注意されたい.diaeresis ( ¨ ) は,ほとんど廃用となっているが,naïve, coöperate, zoölogy などの古風な綴字に見られ,連続する母音字が別々の母音として読まれることを示す.
supraliteral dot ( ˙ ) は i や j の上の点である.この点は文字の一部として組み込まれているので diacritical mark として意識されることはないだろうし,そのように呼ぶことが適切かどうかという問題もあるが,起源としては確かに別の文字と「区別する」符号だった.本来は i にも,そこから派生した j にも supraliteral dot は付されていなかったが,minim と呼ばれる縦棒1本きりで構成される文字は周囲の文字の縦棒のなかに埋没されやすかったので,点を付けることで独立した文字であることを明示したのである(関連して,[2009-07-27-1]の記事「なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」を参照).ラテン語においても i の supraliteral dot は12世紀の新機軸であり,決してローマ字発生の当時から付されていたわけではない.ローマ字の i と対照的に,ギリシア文字の ι (iota) は点なしの原形をとどめていることに注意.なお,i と j の文字としての分化は15世紀スペイン語における革新で,後に諸言語にも広がったものである(関連して,u と v の文字の分化については[2010-05-05-1], [2010-05-06-1]の記事を参照).
そのほか借用語の café や Schprachgefühl などにおいて,借用元言語の diacritical mark が保持されている例はあるが,これは英語の文字体系に同化しているとはみなせないだろう.
[2011-09-04-1]の記事「現代英語の変化と変異の一覧」で挙げたが,現代英語の書き言葉の傾向として,句読点の使用が控えめになってきているという流れがある.diaeresis の不使用はもとより,apostrophe の省略も手書きでは頻繁であり,Netspeak などでも普通になってきている.当面,正書法としては保持されてゆくと思われるが,規範意識が変化してゆけば,それすらも確実ではないかもしれない.supraliteral dot に関しては,手書きでは脱落が日常茶飯事だが(特に筆記体を書いていると点を打ち忘れたり,別の文字の上に点を打ってしまうなどが多い),タイプでは点が最初から埋め込まれており脱落の可能性がないので,他の diacritical mark とは一線を画し,堅持されてゆくだろう.
本記事の話題については,Potter (38fn) に以下のような記述があったので参考にした.
The apostrophe (now much diminished in use), the diaeresis (now obsolescent) and the supraliteral dot (over i and j) are, most fortunately, our only diacritics. The latter is a nuisance. How many writers place their dots precisely where they should be placed? In writing Greek you dot no iotas. No Latin manuscripts have supraliteral dots before the twelfth century when, for the first time, they were used to distinguish i more clearly since it was liable, especially in cursive script, to be taken as one of the strokes of an adjacent letter. An undotted j had begun as a mere final tailed i in Classical Latin in numerals like vıȷ and in words like fılıȷ 'of the son'. The letters i and j were first taken as two separate symbols in fifteenth-century Spanish. They did not become separate letters in English until the seventeeth [sic] century.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
・ Potter, Simon. Changing English. London: Deutsch, 1969.
私は英語でも日本語でも Netspeak を常用してはいないが,インターネットという技術革新に伴う言語の新変種の誕生と発展には関心がある.[2011-07-01-1]の記事「インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」で論じたように,人類の言語変化の歴史は,今まさに新たな段階に入ったところである.Netspeak は現時点でその最先端を走っている変種であり,英語においても日々独自の表現が増殖している.
チャット,電子メール,そしてとりわけケータイメール (texting) の書き言葉に見られる特徴として,各種の省略記法がある.多くは,句を構成する各単語の頭文字をつなぎ合わせる頭文字語 (initialism) であったり,"2" や "4" をそれぞれ "to" や "for" に対応させるような判じ絵 (rebus) であったりする.ここには遊び心も入っているだろうが,何よりもケータイのキーパッド上で打数を減らせるという実用的な効果がある.Crystal (142--43) より,主要なものを記事の末尾に挙げた.
initialism 自体は英語では新しいことではないし,rebus もクイズでお馴染みだ.このような省略を広範に用いる英語の書き言葉変種が現われたということも,特に新しいことではない.例えば中世の写本も各種の省略符合に満ちている.省略の動機づけも,Netspeak と中世の写本の書き言葉のあいだに共通点がある.いずれも入力にかかる労力を減らしたいという欲求は同じであり,コスト削減(ネット上ではパケット料金,写本では高価な紙代)という動機づけも共通する.つまり,具体的な現われこそ省略符号か initialism かで互いに異なるが,動機づけは類似しており,書き言葉の歴史のなかで繰り返し例証されているものである.
そもそも書き言葉は,表意文字を rebus 的に応用したり,ギリシア文字より前の alphabet では対応する話し言葉に当然含まれていた母音を標示しなかったりと,読み手にある程度の解読作業を要求するものとして出発し,発展してきた([2010-06-23-1]の記事「文字の種類」を参照).Netspeak の書き言葉の変種は,一見革新的に見えるが,文字の当初からの性質を多分に受け継いでいるという点で,意外と保守的と言えるのではないか.
abbreviation | original phrase |
---|---|
afaik | as far as I know |
afk | away from keyboard |
asap | as soon as possible |
a/s/l | age/sex/location |
atw | at the weekend |
bbfn | bye bye for now |
bbl | be back later |
bcnu | be seeing you |
b4 | before |
bg | big grin |
brb | be right back |
btw | by the way |
cm | call me |
cu | see you |
cul8r | see you later |
cya | see you |
dk | don't know |
eod | end of discussion |
f? | friends? |
f2f | face-to-face |
fotcl | falling off the chair laughing |
fwiw | for what it's worth |
fya | for your amusement |
fyi | for your information |
g | grin |
gal | get a life |
gd&r | grinning ducking and running |
gmta | great minds think alike |
gr8 | great |
gsoh | good sense of humour |
hhok | haha only kidding |
hth | hope this helps |
icwum | I see what you mean |
idk | I don't know |
iirc | if I remember correctly |
imho | in my humble opinion |
imi | I mean it |
imo | in my opinion |
iou | I owe you |
iow | in other words |
iri | in real life |
jam | just a minute |
j4f | just for fun |
jk | just kidding |
kc | keep cool |
khuf | know how you feel |
l8r | later |
lol | laughing out loud |
m8 | mate |
nc | no comment |
np | no problem |
oic | oh I see |
otoh | on the other hand |
pmji | pardon my jumping in |
ptmm | please tell me more |
rip | rest in peace |
rotfl | rolling on the floor laughing |
ruok | are you OK? |
sc | stay cool |
so | significant other |
sol | sooner or later |
t+ | think positive |
ta4n | that's all for now |
thx | thanks |
tia | thanks in advance |
ttfn | ta-ta for now |
tttt | to tell the truth |
t2ul | talk to you later |
ttytt | to tell you the truth |
tuvm | thank you very much |
tx | thanks |
tyvm | thank you very much |
wadr | with all due respect |
wb | welcome back |
w4u | waiting for you |
wrt | with respect to |
wu | what's up? |
X! | typical woman |
Y! | typical man |
yiu | yes I understand |
電子メールにおいて日本語の顔文字は (^_^)V や (>_<) などの直立体のものが多いが,対応する英語の smiley あるいは emoticon は左回りに90度傾けたものが普通である.Crystal (132) より,ジョークも含めて例を列挙しよう.広く一般的に用いられているのは,せいぜい最初の2つくらいである.
Basic smileys | |
:-) | pleasure, humour, etc. |
:-( | sadness, dissatisfaction, etc. |
;-) | winking (in any of its meanings) |
;-( or :~-( | crying |
%-( or %-) | confused |
:-o or 8-o | shocked, amazed |
:-] or :-[ | sarcastic |
Joke smileys | |
[:-) | User is wearing a Walkman |
8-) | User is wearing sunglasses |
8:-) | User is wearing sunglasses on head |
:-{) | User has a moustache. |
:*) | User is drunk |
:-[ | User is a vampire |
:-E | User is a bucktoothed vampire |
:-F | User is a bucktoothed vampire with one tooth missing |
:-~) | User has a cold |
:-@ | User is screaming |
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+-:-) | User holds a Christian religious office |
o:-) | User is an angel at heart |
複数形ウォッチャーとして,気になる複数接尾辞がある.発音は -s の場合と同様だが,綴字が <z> となる「z 複数」である.Crystal (137) が以下のように指摘していた.
New spelling conventions have emerged, such as the replacement of plural -s by -z to refer to pirated versions of software, as in warez, tunez, gamez, serialz, pornz, downloadz, and filez. (137)
それぞれ発音の差異を伴わない完全に綴字上の異形態だが,いかがわしい効果は抜群である.このいかがわしさが何に由来するのかといえば,<z> の文字自体のもつ異様さだろう.[2010-07-17-1]の記事「しぶとく生き残ってきた <z>」で取りあげたように,<z> はきわめて影の薄い文字だが,<s> の明らかに期待されるところで <z> が前景化されるとやけに目立つ.
しかし,「海賊複数」 ( plural of piracy ) とでも呼びたくなるこの <z> 接尾辞(字)の使用は,現在では NetSpeak での隠語としての使用に限定されているようだ.COCA ( Corpus of Contemporary American English ) の検索によると,warez で4例がヒットした( warez 以外の上掲の語はヒットなし).以下はそのうちの1例で,2004年の Houston Chronicle からの記事である.
CW Shredder - www.spyware info.com/merijn/ Developed by the same author as Hijack This!, CW Shredder removes a very common piece of spyware known as the Coolwebsearch Trojan. It takes advantage of a flaw in a key component of Windows - Microsoft's version of the Java Virtual Machine - to install itself via pop-ups often found on porn and illegal software (a.k.a. "warez") sites.
他に BNCweb で "*z_NN2" として検索してみると,BOYZ が多数ヒットした.ただし,これはアメリカの人気グループ Boyz II Men やアメリカ英語 Boyz n the Hood への言及によるもので,海賊複数とは趣が異なる.とはいえ,固有名や商品名(の宣伝)に非標準的な綴字を用いることは商業広告では広く見られる現象であり(例えば Heinz 社の "Heinz Buildz Kidz" ),目立たせる効果を狙っている点では共通性が感じられる.
ちなみに,Kirg(h)iz 「キルギス人」がヒットしたが,これはロシア語の綴字に準じたもので単複同形であるにすぎない(異形として Kirg(h)izes もあり).
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
インターネットの到来により,言語の使用のあらゆる次元における慣習が変化しつつある.関連語彙の増殖はもとより,NetSpeak に特有の書記習慣の発達,簡略化した文法の多用,新しい語用慣習の模索など,近年の通信技術の発展にともなう言語変化の回転率は,人類の言語史上,最も著しいものといえる.そして,この技術革新にとりわけ大きな影響を受けているのが,英語であることは疑いを容れない.
これらの多くの言語変化が,今後も長らく存続することになるのか,あるいは一過性のものであり次に来たる新たな変化に置換されるのかは現時点では分からない.したがって,言語変化の定着率が言語史上もっとも著しい時代であるかどうかは未知だが,少なくとも言語変化の回転率(そして絶対量)という点では,おそらく歴史上に類を見ないといえるだろう.そして,今後もこの回転率はさらに増加してゆくものと予想される.
やや長いが,Crystal, The English Language の第8章 "The Effect of Technology" の最終段落を引用する.
The speed with which Internet usages are taken up is unprecedented in language change --- another manifestation of the influence of the technology on English. Traditionally, a new word entering the language would take an appreciable time --- typically a decade or two --- before it became so widely used that it would be noted in dictionaries. But in the case of the Internet, a new usage can travel the world and receive repeated exposure within a few days. It is likely that the pace of language change will be much increased through this process. Moreover, as word-inventors all over the world now have a global audience at their disposal, it is also likely that the amount of linguistic innovation will increase. Not by any means all innovations will become a permanent feature of the English language; but the turnover of candidates for entry at any one time is certainly going to be greater than at any stage in the past. Nor is it solely a matter of new vocabulary, new spellings, grammatical constructions, patterns of discourse, and regional preferences (intranational and international) can also be circulated at an unprecedented rate, with consequences that as yet cannot be anticipated. (140)
コミュニケーション技術の革新の時代には,言語は大きく変化する.文字,紙,印刷術,タイプライター,電話,ラジオ,映画,テレビ,コンピュータ,インターネット.これらの発明の後には,対応する言語の変化と言語使用慣習の変化が続いた.近年のインターネット関連技術が,一連のコミュニケーション技術革新の最終章を飾っているとは考えられず,現在では予想のつかない新技術が次の時代を飾るだろうことは間違いない.しかし,少なくとも現在に至る技術革新の歴史のなかでは,このインターネットの到来ほど大規模に言語変化を誘引した技術革新はないだろう.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
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