khelf(慶應英語史フォーラム)内で運営している Discord コミュニティにて,標題に掲げた the green-eyed monster (緑の目をした怪物)のような句における -ed について疑問が寄せられた.動詞の過去分詞の -ed のようにみえるが,名詞についているというのはどういうことか.おもしろい話題で何件かコメントも付されていたので,私自身も調べ始めているところである.
論点はいろいろあるが,まず問題の表現に関連して最初に押さえておきたい形態論上の用語を紹介したい.併置総合 (parasynthesis) である.『新英語学辞典』より解説を読んでみよう.
parasynthesis 〔言〕(併置総合) 語形成に当たって(合成と派生・転換というように)二つの造語手法が一度に行なわれること.例えば,extraterritorial は extra-territorial とも,(extra-territory)-al とも分析できない.分析すれば extra+territory+-al である.同様に intramuscular も intra+muscle+-ar である.合成語 baby-sitter (= one who sits with the baby) も baby+sit+-er の同時結合と考え,併置総合合成語 (parasynthetic compound) ということができる.また blockhead (ばか),pickpocket (すり)も,もし主要語 -head, pick- が転換によって「人」を示すとすれば,これも併置総合合成語ということができある.
上記では green-eyed のタイプは例示されていないが,これも併置総合合成語の1例といってよい.a double-edged sword (両刃の剣), a four-footed animal (四つ脚の動物), middle-aged spread (中年太り)など用例には事欠かない.
なお the green-eyed monster は言わずと知れた Shakespeare の Othello (3.3.166) からの句である.green-eyed も the green-eyed monster もいずれも Shakespeare が生み出した表現で,以降「嫉妬」の擬人化の表現として広く用いられるようになった.
今後もこのタイプの併置総合について考えていきたい.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
「#5219. あなたにとって英語とは? --- 明後日8月13日(日)19:00--20:00 の Voicy heldio 生放送企画のお知らせ」 ([2023-08-11-1]) でご案内した通り,昨晩,khelf(慶應英語史フォーラム)協賛のイベントとして,heldio 生放送をお届けしました.ライヴで聴取・参加いただいたリスナーの皆さん,ありがとうございました.英語は世界の多くの人々が共有するコミュニケーションの道具ではありますが,それを学び,用いている個々人の英語に対する思いは本当にそれぞれですね.皆さん一人ひとりが異なる英語観をもって英語と付き合っていることがよく分かりましたし,何よりも各回答の心に関心してしまいました.
1時間弱の生放送の様子は,今朝の通常配信としてアーカイヴに置いてあります.「#805. 「英語は○○である」 ― あなたにとって英語とはなんですか?(生放送)」をお聴き下さい.
今回の呼びかけと関連する最近の関連過去回も挙げておきます.
・ 「【英語史の輪 #18】「英語は(私にとって)○○です」企画の発進」
・ 「【英語史の輪 #19】「私にとって英語は○○です」お披露目会
・ 「#800. 「英語は(私にとって)○○です」を募集します --- (日)の生放送に向けたリスナー参加型企画」
・ 「#803. 中山匡美先生にとって英語とは何ですか? --- 「英語は○○です」企画の関連対談回」
・ 「#804. 今晩7時の生放送を念頭に英語学者4名に尋ねてみました「あなたにとって英語とは何?」 --- 尾崎萌子さん,金田拓さん,まさにゃんとの対談」
今回リスナーの皆さんから寄せられた回答(とその心)は,主にこちらとこちらのコメント欄に集まっています.以下にざっと回答を一覧しておきます(本当はもっと書き込まれているので,ここに示したのは抜粋にすぎません).回答の多くには「私にとって」が付されていましたが,ここでは一律に省いて提示しています.
・ 英語はナビゲータである
・ 英語は手がかりである
・ 英語(学習)は大ベストセラー本である
・ 英語は料理である
・ 英語はアクセサリーである
・ 英語とは飴玉の一つである
・ 英語は対岸の街である.
・ 英語は「気になるアイツ」である
・ 英語は「自己肯定感」である
・ 英語は「宿命」である,あるいは「神様のいたずら」である
・ 英語は腐れ縁の幼なじみである
・ 英語は言葉の捉え方を激変させた「味変(あじへん)スパイス」のような存在である
・ 英語とは「終わりのない旅~Never Ending Journey」である
・ 英語とは「日本刀」のようなものである
・ 英語は好奇心への扉である
・ 英語は「未知との遭遇」である
・ 英語はA語である
・ 英語はバイキング料理である
・ 英語は二台目の捨象装置である
・ 英語は「第二母語」である
・ 英語は私のこどもたちの第一言語である
・ 英語は「人生を変えたもの」である
・ 英語は多くの日本人にとって「眠れる獅子」である
・ 英語は鍵である
・ 英語は人間が世界を頭で理解するのではなく心で感じる経験を与えてくれるものである
・ 英語は使っている言語の語彙の説明を上達させてくれるものである
・ 英語学習は下りエスカレーターを登る様なものである
・ 英語とは「生きる糧」である
・ 英語は筋肉である
・ 英語は歴史的存在である
・ 英語は糊である
・ 英語は海苔である
・ 英語はノリである
・ 英語は則(のり)である
・ 英語は宣り(のり)である
・ 英語は,大木の奥まったところから細々と生えていたのに途中から急にどんどん太く成長して,先端は一番日当たりのいいところまで伸びている妙な枝である
・ 英語学習はダイエットである
・ 英語は不思議な樹である
・ 英語は「ずっと気になっているカッコいい同級生」である
・ 英語は親友である
・ 英語は憧れであり葛藤であり片思いである
・ 英語は打ち込めるゲームである
・ 英語は杖である
・ 英語は永遠の憧れである
・ 英語は現代日本人の教養である
・ 英語は私にとって生涯の趣味である
・ 英語はコンプレックス商法の恰好の商材である
・ 英語は人格である
・ 英語(学習)とは鏡である
・ 英語はアイドル(偶像)である
・ 英語は会いに行けるアイドル」 (AKB48) である
・ 英語は(日本語話者にとって)一番やさしい第二言語です
・ 英語とは美空ひばりである
・ 英語とは人生の中で見つけた青い鳥である
・ 英語は徳川家康である
・ 英語はピアノである
・ 英語は「別れても好きな人」である
・ 英語は許嫁である
・ 英語は人間関係である
・ 英語はドイツ語の姉妹言語である
昨晩7時より60分ほど Voicy チャンネル「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送をお届けしました.参加いただいたリスナーの皆さん,ありがとうございました.生放送を収録したものを,今朝のレギュラー放送として配信しています.「#776. 「言語は○○である」 --- 初のリスナー参加の生放送企画」をお聴き下さい.
この生放送企画は,先日の「#5188. 「言語は○○のようだ」 --- 言語をターゲットとする概念メタファーをブレストして楽しむ企画のご案内」 ([2023-07-11-1]) を受けたものです.あらかじめリスナーの皆さんに「言語は○○である」のメタファーとその「心」を考えてもらい,Voicy のコメント欄にて寄せてもらった上で,それを生放送で紹介し,鑑賞するという企画でした.
実は今回の企画に先立ち,プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) のほうで,一度「予行演習」を行なっていました.2回の企画を通じてインスピレーションをかき立てる,優れたメタファーが数多く寄せられ,たいへん有意義な機会となりました.リスナーの皆さんには重ねてお礼申し上げます.関連する4回の配信を一覧しておきます.
・ 「【英語史の輪 #10】言語は○○のようだ --- あなたは言語を何に喩えますか?」: 【第1ラウンド】 企画を公開しブレストを呼びかけた回
・ 「【英語史の輪 #11】言語は○○のようだ --- 生激論」: 【第1ラウンド】 上記を受けて,寄せられた概念メタファーを読み上げながら鑑賞した生放送回
・ 「#771. 「言語は○○のようだ」 --- 概念メタファーをめぐるリスナー参加型企画のご案内」: 【第2ラウンド】 企画を公開しブレストを呼びかけた回
・ 「#776. 「言語は○○である」 --- 初のリスナー参加の生放送企画」: 【第2ラウンド】 上記を受けて,寄せられた概念メタファーを読み上げながら鑑賞した生放送回
・ (2023/07/17(Mon) 後記)「#777. 「言語は○○のようだ」--- 生放送で読み上げられなかったメタファーを紹介します」: 【第2ラウンド】 生放送で取り上げ切れなかったものを改めて読み上げる回
以下に,今回の企画のために寄せられてきた「言語は○○である」メタファーを列挙します(cf. 「#4540. 概念メタファー「言語は人間である」」 ([2021-10-01-1]) とそこに張ったリンク先も参照).それぞれのメタファーの「心」を言い当ててみる,という楽しみ方もできるかと思います.
・ 言語は絵の具である
・ 言語は眼鏡である
・ 言語は生物である
・ 外国語学習は生まれ変わることである
・ 言語は壁ではなく階段である
・ 言葉は可能性である
・ 外国語の習得は思考法のインストールである
・ ことばはサーチライトである
・ 概念メタファーはサーチライトである
・ 言語はリフォームを繰り返す家である
・ 言葉は品物である
・ 言葉は食べ物である
・ 言語は扉である
・ 言語(認識)は恋に似ている
・ 言葉は川の流れのようだ
・ 言語は惑星である
・ 言語は自転車である
・ 言語は筋肉である
・ 言語空間はメタバースである
・ 言葉は声かけによる手当である
・ 言葉は玉手箱である
・ 言語は多面体である
毎朝6時にお届けしている Voicy チャンネル「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」のなかで,先月よりプレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) を始めています(原則として毎週火曜日と金曜日の午後6時に配信).新チャンネル開設の趣旨については,本ブログでは「#5145. 6月2日(金),Voicy プレミアムリスナー限定配信の新チャンネル「英語史の輪」を開始します」 ([2023-05-29-1]) で詳述しており,heldio でも音声で「#727. 6月2日(金),Voicy プレミアムリスナー限定配信の新チャンネル「英語史の輪」を開始します」として説明していますので,ぜひご確認いただければと思います.基本的には,英語史活動(hel活)をますます盛り上げていくための基盤作りのコミュニティです.
「英語史の輪」 (helwa) の過去2回の配信回では,リスナー参加型企画を展開しました.前もって「言語は○○のようだ」の概念メタファー (conceptual_metaphor) をプレミアムリスナーの皆さんより寄せていただき,それを話の種として,生放送で一部のプレミアムリスナーもゲストとして音声参加してもらいつつ盛り上がろうという企画でした.ご関心をもった方は,ぜひプレミアムリスナーになっていただければと.
・ 「【英語史の輪 #10】言語は○○のようだ --- あなたは言語を何に喩えますか?」: 企画を公開しブレストを呼びかけた回
・ 「【英語史の輪 #11】言語は○○のようだ --- 生激論」: 上記を受けて,寄せられた概念メタファーを読み上げながら鑑賞した生放送回
この企画は大成功のうちに終了しましたが,非常におもしろかったので,これで終わらせるにはもったいない,heldio のレギュラー配信でも同じことをやってみよう,と思い立った次第です.今朝の heldio レギュラー回「#771. 「言語は○○のようだ」 --- 概念メタファーをめぐるリスナー参加型企画のご案内」で,企画を案内しコメントを募りましたので,ぜひお聴きいただければ.
集まってきたコメントを回収した上で,それを話の種として,今週末の晩(目下,日程を調整中です)に heldio 生放送を実施する予定です.生放送の日時を含め,企画の最新情報は明日以降の heldio レギュラー回でお知らせいたします.奮ってご参加ください.
概念メタファーについては,conceptual_metaphor の各記事,および heldio より「#598. メタファーとは何か? 卒業生の藤平さんとの対談」をどうぞ.
参考までに「英語史の輪」 (helwa) の同企画で寄せられた「言語は○○のようだ」「言語は○○である」のアイディアを箇条書きで挙げてみます(cf. 「#4540. 概念メタファー「言語は人間である」」 ([2021-10-01-1]) とそこに張ったリンク先も参照).それぞれのメタファーの「心」は何かを考えてみるとおもしろいですね.なお,主語(ターゲット)は「言語」からぐんと狭めていただいてもかまいません.以下の通り「語学」「音読」「声」「言語変化」など,狭めた例は多々あります.ブレストですので質よりも量で行きましょう.
・ ことばは鏡である
・ 言葉は血液である
・ 言語は決して揃うことのないルービックキューブである
・ 言語は競争である
・ 言語は色である
・ 言葉は雪のようである
・ 言葉はスノーボードのようである
・ 言語は思考の立体断面図である
・ 外国語学習は精神的な海外旅行である
・ 語学は心の海外旅行である
・ 音読は心のストレッチ体操である
・ 音読は心のラジオ体操である
・ 声は楽器である
・ 語源はタイムカプセルである
・ 言葉は液体である
・ 言葉は食べ物である
・ 言語はカクテルである
・ 言語は万華鏡である
・ 言語はファッションである
・ 言語は武器である
・ 言語は新陳代謝である
・ 言語は南極である
・ 言語は実践である
・ 言語はパッチワークである
・ 言語は手がかりである
・ 言語は呼吸である
・ 言語変化は発芽である
・ 言語(教育)は商品である
・ 言語は海である
・ 言語は四季である
・ 言語は風のようである
・ 言語は過去との握手である
・ 言語は音楽である
・ 言語は異性である
・ 言語は化学反応である
・ 言語は波紋である
昨日までに,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」や YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を通じて,複数回にわたり五所万実さん(目白大学)と商標言語学 (trademark linguistics) について対談してきました.
[ Voicy ]
・ 「#667. 五所万実さんとの対談 --- 商標言語学とは何か?」(3月29日公開)
・ 「#671. 五所万実さんとの対談 --- 商標の記号論的考察」(4月2日公開)
・ 「#674. 五所万実さんとの対談 --- 商標の比喩的用法」(4月5日公開)
[ YouTube ]
・ 「#112. 商標の言語学 --- 五所万実さん登場」(3月22日公開)
・ 「#114. マスクしていること・していないこと・してきたことは何を意味するか --- マスクの社会的意味 --- 五所万実さんの授業」(3月29日公開)
・ 「#116. 一筋縄ではいかない商標の問題を五所万実さんが言語学の切り口でアプローチ」(4月5日公開)
・ 次回 #118 (4月12日公開予定)に続く・・・(後記 2023/04/12(Wed):「#118. 五所万実さんが深掘りする法言語学・商標言語学 --- コーパス法言語学へ」)
商標の言語学というのは私にとっても馴染みが薄かったのですが,実は日常的な話題を扱っていることもあり,関連分野も多く,隣接領域が広そうだということがよく分かりました.私自身の関心は英語史・歴史言語学ですが,その観点から考えても接点は多々あります.思いついたものを箇条書きで挙げてみます.
・ 語の意味変化とそのメカニズム.特に , metonymy, synecdoche など.すると rhetoric とも相性が良い?
・ 固有名詞学 (onomastics) 全般.人名 (personal_name),地名,eponym など.これらがいかにして一般名称化するのかという問題.
・ 言語の意味作用・進化論・獲得に関する仮説としての "Onymic Reference Default Principle" (ORDP) .これについては「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]) を参照.
・ 記号論 (semiotics) 一般の諸問題.
・ 音象徴 (sound_symbolism) と音感覚性 (phonaesthesia)
・ 書き言葉における大文字化/小文字化,ローマン体/イタリック体の問題 (cf. capitalisation)
・ 言語は誰がコントロールするのかという言語と支配と権利の社会言語学的諸問題.言語権 (linguistic_right) や言語計画 (language_planning) のテーマ.
細かく挙げていくとキリがなさそうですが,これを機に商標の言語学の存在を念頭に置いていきたいと思います.
新年度の始まりの日です.学びの意欲が沸き立つこの時期,皆さんもますます英語史の学びに力を入れていただければと思います.私も「hel活」に力を入れていきます.
実はすでに新年度の「hel活」は始まっています.昨日と今日とで年度をまたいではいますが,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて「英語史クイズ」 (helquiz) の様子を配信中です.出題者は khelf(慶應英語史フォーラム)会長のまさにゃん (masanyan),そして回答者はリスナー代表(?)の五所万実さん(目白大学; goshosan)と私です.ワイワイガヤガヤと賑やかにやっています.
・ 「#669. 英語史クイズ with まさにゃん」
・ 「#670. 英語史クイズ with まさにゃん(続編)」
実際,コメント欄を覗いてみると分かる通り,昨日中より反響をたくさんいただいています.お聴きの方々には,おおいに楽しんでいただいているようです.出演者のお二人にもコメントに参戦していただいており,場外でもおしゃべりが続いている状況です.こんなふうに英語史を楽しく学べる機会はあまりないと思いますので,ぜひ hellog 読者の皆さんにも聴いて参加いただければと思います.
以下,出題されたクイズに関連する話題を扱った hellog 記事へのリンクを張っておきます.クイズから始めて,ぜひ深い学びへ!
[ 黙字 (silent_letter) と語源的綴字 (etymological_respelling) ]
・ 「#116. 語源かぶれの綴り字 --- etymological respelling」 ([2009-08-21-1])
・ 「#192. etymological respelling (2)」 ([2009-11-05-1])
・ 「#1187. etymological respelling の具体例」 ([2012-07-27-1])
・ 「#580. island --- なぜこの綴字と発音か」 ([2010-11-28-1])
・ 「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1])
[ 古英語のケニング (kenning) ]
・ 「#472. kenning」 ([2010-08-12-1])
・ 「#2677. Beowulf にみられる「王」を表わす数々の類義語」 ([2016-08-25-1])
・ 「#2678. Beowulf から kenning の例を追加」 ([2016-08-26-1])
・ 「#1148. 古英語の豊かな語形成力」 ([2012-06-18-1])
・ 「#3818. 古英語における「自明の複合語」」 ([2019-10-10-1])
[ 文法性 (grammatical gender) ]
・ 「#4039. 言語における性とはフェチである」 ([2020-05-18-1])
・ 「#3647. 船や国名を受ける she は古英語にあった文法性の名残ですか?」 ([2019-04-22-1])
・ 「#4182. 「言語と性」のテーマの広さ」 ([2020-10-08-1])
[ 大文字化 (capitalisation) ]
・ 「#583. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった」 ([2010-12-01-1])
・ 「#1844. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった (2)」 ([2014-05-15-1])
・ 「#1310. 現代英語の大文字使用の慣例」 ([2012-11-27-1])
・ 「#2540. 視覚の大文字化と意味の大文字化」 ([2016-04-10-1])
[ 頭韻 (alliteration) ]
・ 「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1])
・ 「#953. 頭韻を踏む2項イディオム」 ([2011-12-06-1])
・ 「#970. Money makes the mare to go.」 ([2011-12-23-1])
・ 「#2676. 古英詩の頭韻」 ([2016-08-24-1])
「#3157. 華麗なる splendid の同根類義語」 ([2017-12-18-1]) および「#4969. splendid の同根類義語のタイムライン」 ([2022-12-04-1]) で splendid とその類義語の盛衰をみてきた.類義語間の語義については互いに重なるところも多いのだが,そもそもどのような語義があり得るのだろうか.現在最も普通の形容詞である splendid に注目して語義の拡がりを確認しておきたい.
先月発売されたばかりの『ジーニアス英和辞典』第6版によると,次のように3つの語義が与えられている.
(1) 《やや古》すばらしい,申し分のない (excellent, great) || a splendid idea すばらしい考え / a splendid achievement 立派な業績 / We had a splendid time at the beach. ビーチですばらしい時を過ごした.
(2) 美しい,強い印象を与える (magnificent); 豪華な,華麗な || a splendid view 美しい眺め / a splendid jewel 豪華な宝石.
(3) 《やや古》[間投詞的に]すばらしい!,大賛成!.
splendid は,昨日の記事 ([2022-12-04-1]) でも触れたように,語源としてはラテン語の動詞 splendēre "to be bright or shining" に由来する.その形容詞 splendidus が,17世紀に英語化した形態で取り込まれたということである.原義は「明るい,輝いている」ほどだが,英語での初出語義はむしろ比喩的な語義「豪華な,華麗な」である.原義での例は,その少し後になってから確認される.さらに,時を経ずして「偉大な」「有名な」「すぐれた,非常によい」の語義も次々と現われている.19世紀後半の外交政策である in splendid isolation 「光栄ある孤立」に表わされているような皮肉的な語義・用法も,早く17世紀に確認される.このような語義の通時的発展と共時的拡がりは,いずれもメタファー (metaphor),メトニミー (metonymy),良化 (amelioration),悪化 (pejoration) などの観点から理解できるだろう.参考までに OED の語義区分を挙げておく.
1.[ 固定リンク | 印刷用ページ ]
a. Marked by much grandeur or display; sumptuous, grand, gorgeous.
b. Of persons: Maintaining, or living in, great style or grandeur.
2.
a. Resplendent, brilliant, extremely bright, in respect of light or colour. rare.
b. Magnificent in material respects; made or adorned in a grand or sumptuous manner.
c. Having or embodying some element of material grandeur or beauty.
d. In specific names of birds or insects.
3.
a. Imposing or impressive by greatness, grandeur, or some similar excellence.
b. Dignified, haughty, lordly.
4. Of persons: Illustrious, distinguished.
5. Excellent; very good or fine.
6. Used, by way of contrast, to qualify nouns having an opposite or different connotation. splendid isolation: used with reference to the political and commercial uniqueness or isolation of Great Britain; . . . .
「口;口状のもの」を意味する mouth /maʊθ/ の周辺の話題をあれこれと.
語源は古英語 mūþ (口)である.さらに遡れば印欧語根 *men- (to project) に遡り,口のことを突き出した体の部位ととらえたことに由来する.印欧語根にみられる *n は,古英語にかけて摩擦音の前で脱落したために残っていないが,対応するドイツ語 Mund (口)には残っている.同じ印欧語根からはフランス語を経由して mount (登る),mountain/Mt. 「山」なども派生している.
mouth には動詞として「もぐもぐ言う;口先だけで言う」の意味もある.14世紀に名詞から品詞転換 (conversion) してできたもので,当初は「しゃべる」ほどの語義だった.
なお,動詞としての発音は語末の摩擦音が有声化して /maʊð/ となることに注意.mouth 以外にも,th が名詞では無声音,動詞では有声音となる語は少なくない (ex. bath -- bathe, breath -- breathe, cloth -- clothe, sooth -- soothe, tooth -- teethe) .実はこの現象は th に限らず f や s など他の摩擦音にも見られる.「#2223. 派生語対における子音の無声と有声」 ([2015-05-29-1]) を参照.
mouth の th が有声化するのは動詞用法の場合だけではない.名詞として複数形となる場合にも mouths /maʊðz/ のように有声化するので要注意である(ただし無声で発音される /maʊθs/ がまったくないわけではない).同様に baths, oaths, paths, truths, youths などでも /-ðz/ と発音されることが多い.詳しくは「#702. -ths の発音」 ([2011-03-30-1]) を参照.
mouth について注目したい聖書由来のイディオムとして out of the mouths of babes (and sucklings) がある."Out of the mouth of babes and sucklings hast thou ordained strength because of thine enemies, that thou mightest still the enemy and the avenger" (The Book of Psalms 8:2) に由来する表現だが,現在では子供から思いがけず発せられる鋭い言葉をユーモラスに指す表現となっている.
英語の mouth も日本語の「口」も,体の部位を表す身近な単語として両言語で意味拡張の様子がよく似ている.例えば,日本語の「河口」「噴火口」「洞穴の口」といった「口」のメタファーは,英語でも the mouth of a river/volcano/cave というようにそのまま対応する.一方,「口が悪い」「口を閉じる」は a foul mouth, shut one's mouth にそのまま対応するメトニミーである.
言葉の意味とは何か? 言語学者や哲学者を悩ませ続けてきた問題です.音声や形態は耳に聞こえたり目に見えたりする具体物で,分析しやすいのですが,意味は頭のなかに収まっている抽象物で,容易に分析できません.言語は意味を伝え合う道具だとすれば,意味こそを最も深く理解したいところですが,意味の研究(=意味論 (semantics))は言語学史のなかでも最も立ち後れています(cf. 「#1686. 言語学的意味論の略史」 ([2013-12-08-1])).
しかし,昨今,意味を巡る探究は急速に深まってきています(cf. 「#4697. よくぞ言語学に戻ってきた意味研究!」 ([2022-03-07-1])).意味論には様々なアプローチがありますが,大きく伝統的意味論と認知意味論があります.スクーリングの Day 4 では,両者の概要を学びます.
1. 意味とは何か?
1.1 「#1782. 意味の意味」 ([2014-03-14-1])
1.2 「#2795. 「意味=指示対象」説の問題点」 ([2016-12-21-1])
1.3 「#2794. 「意味=定義」説の問題点」 ([2016-12-20-1])
1.4 「#1990. 様々な種類の意味」 ([2014-10-08-1])
1.5 「#2278. 意味の曖昧性」 ([2015-07-23-1])
2. 伝統的意味論
2.1 「#1968. 語の意味の成分分析」 ([2014-09-16-1])
2.2 「#1800. 様々な反対語」 ([2014-04-01-1])
2.3 「#1962. 概念階層」 ([2014-09-10-1])
2.4 「#4667. 可算名詞と不可算名詞とは何なのか? --- 語彙意味論による分析」 ([2022-02-05-1])
2.5 「#4863. 動詞の意味を分析する3つの観点」 ([2022-08-20-1])
3. 認知意味論
3.1 「#1961. 基本レベル範疇」 ([2014-09-09-1])
3.2 「#1964. プロトタイプ」 ([2014-09-12-1])
3.3 「#1957. 伝統的意味論と認知意味論における概念」 ([2014-09-05-1])
3.4 「#2406. metonymy」 ([2015-11-28-1])
3.5 「#2496. metaphor と metonymy」 ([2016-02-26-1])
3.6 「#2548. 概念メタファー」 ([2016-04-18-1])
4. 本日の復習は heldio 「#451. 意味といっても様々な意味がある」,およびこちらの記事セットより
「#4564. 法助動詞の根源的意味と認識的意味」 ([2021-10-25-1]) に引き続き,法助動詞の2つの用法について.may を例に取ると,「?してもよい」という許可を表わす根源的意味と,「?かもしれない」という可能性を表わす認識的意味がある.この2つの意味はなぜ同居しているのだろうか.
この問題については英語学でも様々な分析や提案がなされてきたが,Sweetser の認知意味論に基づく解説が注目される.それによると,may の根源的意味は「社会物理世界において潜在的な障害がない」ということである.例えば John may go. 「ジョンはいってもよい」は,根源的に「ジョンが行くことを阻む潜在的な障害がない」を意味する.状況が異なれば障害が生じてくるかもしれないが,現状ではそのような障害がない,ということだ.
一方,may の認識的意味は「認識世界において潜在的な障害がない」ということである.例えば,John may be there. 「ジョンはそこにいるかもしれない」は,認識的な観点から「ジョンがそこにいるという推論を阻む潜在的な障害がない」を意味する.現在の手持ちの前提知識に基づけば,そのように推論することができる,ということだ.
つまり,社会物理世界における「潜在的な障害がない」が,認識世界の推論における「潜在的な障害がない」にマッピングされているというのだ.両者は,以下のような同一のイメージ・スキーマに基づいて解釈することができる.今のところ潜在的な障害がなく左から右に通り抜けられるというイメージだ.
┌───┐ │■■■│ │■■■│ ├───┤ │///│ │///│ ●─→………………………→ │///│ └───┘
1. In both the sociophysical and the epistemic worlds, nothing prevents the occurrence of whatever is modally marked with may; the chain of events is not obstructed.
2. In both the sociophysical and the epistemic worlds, there is some background understanding that if things were different, something could obstruct the chain of events. For example, permission or other sociophysical conditions could change; and added premises might make the reasoner reach a different conclusion.
この分析は must や can など,根源的意味と認識的意味をもつ他の法助動詞にも適用できる.must についての Sweetser (64) の解説により,理解を補完されたい.
. . . I propose that the root-modal meanings can be extended metaphorically from the "real" (sociophysical) world to the epistemic world. In the real world, the must in a sentence such as "John must go to all the department parties" is taken as indicating a real-world force imposed by the speaker (and/or by some other agent) which compels the subject of the sentence (or someone else) to do the action (or bring about its doing) expressed in the sentence. In the epistemic world the same sentence could be read as meaning "I must conclude that it is John's habit to go to the department parties (because I see his name on the sign-up sheet every time, and he's always out on those nights)." Here must is taken as indicating an epistemic force applied by some body of premises (the only thing that can apply epistemic force), which compels the speaker (or people in general) to reach the conclusion embodied in the sentence. This epistemic force is the counterpart, in the epistemic domain, of a forceful obligation in the sociophysical domain. The polysemy between root and epistemic senses is thus seen (as suggested above) as the conventionalization, for this group of lexical items, of a a metaphorical mapping between domains.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
must, may, can などの法助動詞 (auxiliary_verb) には,根源的意味 (root sense) と認識的意味 (epistemic sense) があるといわれる.通時的にも認知的にも前者から後者が派生されるのが常であることから,前者が根源的 (root) と称されるが,機能に注目すれば義務的意味 (deontic sense) を担っているといってよい.
must を例に取れば,例文 (1) の「?しなければならない」が根源的(あるいは義務的)意味であり,例文 (2) の「?にちがいない」が認識的意味ということになる (Sweetser 49) .
(1) John must be home by ten; Mother won't let him stay out any later.
(2) John must be home already; I see his coat.
一般的にいえば,根源的意味は現実世界の義務,許可,能力を表わし,認識的意味は推論における必然性,蓋然性,可能性を表わす.Sweetser (51) の別の用語でいえば,それぞれ "sociophysical domain" と "epistemic domain" に関係する.一見して関係しているとは思えない2つの領域・世界への言及が,同一の法助動詞によってなされているのは興味深い.
実際,英語に限らず多くの言語において,根源的意味と認識的意味の両方をもつ語が観察される.印欧語族はもちろん,セム,フィリピン,ドラヴィダ,マヤ,フィン・ウゴールの諸語でも似た現象が確認される.しかも,歴史的に前者から後者が派生されるという一方向性 (unidirectionality) の強い傾向がみられる(cf. 「#1980. 主観化」 ([2014-09-28-1])) .
とすると,これは偶然ではなく,何らかの動機づけがあるということになろう.認知言語学では,"sociophysical domain" と "epistemic domain" の間のメタファーとして説明しようとする.現実世界の因果関係を認識世界の因果関係にマッピングした結果,根源的意味から認識的意味が派生するのだ,という説明である.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
語の意味変化に関して Williams を読んでいて,なるほどと思ったことがある.これまであまり結びつけてきたこともなかった2つの概念の関係について考えさせられたのである.比喩 (metaphor) と意味借用 (semantic_borrowing) が,ある点において反対ではあるが,ある点において共通しているというおもしろい関係にあるということだ.
比喩というのは,既存の語の意味を,何らかの意味的な接点を足がかりにして,別の領域 (domain) に持ち込んで応用する過程である.一方,意味借用というのは,既存の語の形式に注目し,他言語でそれと類似した形式の語がある場合に,その他言語での語の意味を取り込む過程である.
だいぶん異なる過程のように思われるが,共通点がある.記号論的にいえば,いずれも既存の記号の能記 (signifiant) はそのままに,所記 (signifié) を応用的に拡張する作用といえるのである.結果として,旧義と新義が落ち着いて共存することもあれば,新義が旧義を追い出すこともあるが,およその傾向はありそうだ.比喩の場合にはたいてい旧義も保持されて多義 (polysemy) に帰結するだろう.一方,意味借用の場合にはたいてい旧義はいずれ破棄されて,結果として語義置換 (semantic replacement) が生じたことになるだろう.
動機づけについていえば,比喩は主にオリジナリティあふれる意味上の関連づけに依存しているが,意味借用はたまたま他言語で似た形式だったことによる関連づけであり,オリジナリティの点では劣る.
上記のインスピレーションを得ることになった Williams (193) の文章を引用しておきたい.
Semantic Replacement
In our linguistic history, there have been cases in which the reverse of metaphor occurred. Instead of borrowing a foreign word for a new semantic space, late OE speakers transferred certain Danish meanings to English words which phonologically resembled the Danish words and shared some semantic space with them. The native English word dream, meaning to make a joyful noise, for example, was probably close enough to the Scandinavian word draumr, or sleep vision, to take on the Danish meaning, driving out the English meaning. The same may have happened with the words bread (originally meaning fragment); and dwell (OE meaning: to hinder or lead astray).
引用中で話題となっている意味借用の伝統的な例としての dream, bread, dwell については「#2149. 意味借用」 ([2015-03-16-1]) を参照.とりわけ bread については「#2692. 古ノルド語借用語に関する Gersum Project」 ([2016-09-09-1]) を参照されたい.
・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975.
英語でも日本語でもスポーツに起源をもつ表現がスポーツ以外の領域で日常的に用いられるということが多々ある (cf. 「#4480. テニス用語の語源あれこれ」 ([2021-08-02-1])) .政治の言説においても,スポーツに由来する表現は豊富だ.
例えば Polzenhagen and Wolf (157) からの引用となるが,2006年に George W. Bush が,中間選挙についてアメフトの表現を借りて,次のように表現したという.
And they [the Democrats] just --- as I said, they're dancing in the end zone. They just haven't scored the touchdown, Mark, you know; there's a lot of time left.
この種の表現は日常的であり,"POLITICS IS SPORTS" という概念メタファー (conceptual_metaphor) を立てて差し支えないだろう.この概念メタファーが成立する理由として,Polzenhagen and Wolf (157--58) は次のように述べている,
There are obvious reasons why these sports lend themselves as source domains for conceptualizing the political scene, and elections in particular: They highlight notions like competition, strategies, teamwork, and winning and losing. They are played in seasons. Furthermore, sports events are public events involving players and supporters, and they have a strong emotive component. They hence provide a rich conceptual structure that can be readily mapped onto the domain of politics, and the various mappings have been worked out in the literature referred to above. However, from a CS [= Cognitive Sociolinguistics] perspective, it is not merely the structural properties of the source domain and the enormous popularity of these sports that need to be considered in order to account for the pervasiveness of the metaphors under analysis. . . .
. . . .
The baseball creed hooked up with American cultural keywords . . . like the American Dream (success through perseverance), the myth of classlessness of American society (a supposedly democratizing sport that is open to anyone regardless of social standing), the belief of American exceptionalism (an allegedly genuine American sport), and others. This way, baseball was made a perfect embodiment of American freedom and the American way of life.
引用の後半は,野球がアメリカの政治文化においてどのように位置づけられているかを評したものとして読みごたえがある.
・ Polzenhagen, Frank and Hans-Georg Wolf, "World Englishes and Cognitive Linguistics." Chapter 8 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 147--72.
英語には「#4415. as mad as a hatter --- 強意的・俚諺的直喩の言葉遊び」 ([2021-05-29-1]) で紹介したような,俚諺的直喩 (proverbial simile) や強意的直喩 (intensifying simile) と呼ばれる直喩がたくさんあります.その多くは「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1]) でも指摘した通り,頭韻 (alliteration) を踏む語呂のよい表現です.
しかし,これらはあまりに使い古されている "stock phrase" であることも事実で,不用意に使うと独創性がないというレッテルを張られかねません.皮肉屋の Partridge はこれらを "battered similes" であると否定的にみなし「使う前に再考を」を呼びかけているほどです.Partridge (303--05) より列挙してみましょう.
・ aspen leaf, shake (or tremble) like an
・ bad shilling (or penny), turn up (or come back) like a
・ bear with a sore head, like a
・ black as coal - or pitch - or the Pit, as blush like a schoolgirl, to
・ bold (or brave) as a lion, as
・ bright as a new pin, as [obsolescent]
・ brown as a berry, as
・ bull in a china shop, (behave) like a
・ cat on hot bricks, like a; e.g. jump about caught like a rat in a trap
・ cheap as dirt, as
・ Cheshire cat, grin like a
・ clean as a whistle, as
・ clear as crystal (or the day or the sun), as; jocularly, as clear as mud
・ clever as a cart- (or waggon-) load of monkeys, as
・ cold as charity, as
・ collapse like a pack of cards
・ cool as a cucumber, as
・ crawl like a snail
・ cross as a bear with a sore head (or as two sticks), as
・ dark as night, as
・ dead as a door-nail, as
・ deaf as a post (or as an adder), as
・ different as chalk from cheese, as
・ drink like a fish, to
・ drop like a cart-load of bricks, to
・ drowned like a rat
・ drunk as a lord, as
・ dry as a bone (or as dust), as
・ dull as ditch-water, as
・ Dutch uncle, talk (to someone) like a
・ dying like flies
・ easy as kiss (or as kissing) your hand, as; also as easy as falling off a log
・ fight like Kilkenny cats
・ fit as a fiddle, as
・ flash, like a
・ flat as a pancake, as
・ free as a bird, as; as free as the air
・ fresh as a daisy (or as paint), as
・ good as a play, as; i.e. very amusing
・ good as good, as; i.e. very well behaved
・ good in parts, like the curate's egg
・ green as grass, as
・ hang on like grim death
・ happy (or jolly) as a sandboy (or as the day is long), as
・ hard as a brick (or as iron or, fig., as nails), as
・ hate like poison, to
・ have nine lives like a cat, to
・ heavy as lead, as
・ honest as the day, as
・ hot as hell, as
・ hungry as a hunter, as
・ innocent as a babe unborn (or as a new-born babe), as
・ keen as mustard, as
・ lamb to the slaughter, like a
・ large as life (jocularly: large as life and twice as natural), as
・ light as a feather (or as air), as
・ like as two peas, as
・ like water off a duck's back
・ live like fighting cocks
・ look like a dying duck in a thunderstorm
・ look like grim death
・ lost soul, like a
・ mad as a March hare (or as a hatter), as
・ meek as a lamb, as
・ memory like a sieve a
・ merry as a grig, as [obsolescent]
・ mill pond, the sea [is] like a
・ nervous as a cat, as
・ obstinate as a mule, as
・ old as Methuselah (or as the hills), as
・ plain as a pikestaff (or the nose on your face), as
・ pleased as a dog with two tails (or as Punch), as
・ poor as a church mouse, as
・ pretty as a picture, as
・ pure as the driven snow, as
・ quick as a flash (or as lightning), as
・ quiet as a mouse (or mice), as
・ read (a person) like a book, to (be able to)
・ red as a rose (or as a turkey-cock), as
・ rich as Croesus, as
・ right as a trivet (or as rain), as
・ roar like a bull
・ run like a hare
・ safe as houses (or as the Bank of England), as
・ sharp as a razor (or as a needle), as
・ sigh like a furnace, to
・ silent as the grave, as
・ sleep like a top, to
・ slippery as an eel, as
・ slow as a snail (or as a wet week)
・ sob as though one's heart would break, to
・ sober as a judge, as
・ soft as butter, as
・ sound as a bell, as
・ speak like a book, to
・ spring up like mushrooms overnight
・ steady as a rock, as
・ still as a poker (or as a ramrod), as
・ straight as a die, as
・ strong as a horse, as
・ swear like a trooper
・ sweet as a nut (or as sugar), as
・ take to [something] like (or as) a duck to water
・ thick as leaves in Vallombrosa as [Ex. Milton's 'Thick as autumnal leaves that strow the brooks In Vallombrosa']
・ thick as thieves, as
・ thin as a lath (or as a rake), as
・ ton of bricks, (e.g. come down or fall) like a
・ tough as leather, as
・ true as steel, as
・ two-year-old, like a
・ ugly as sin, as
・ warm as toast, as
・ weak as water, as
・ white as a sheet (or as snow), as
・ wise as Solomon, as
・ Partridge, Eric. Usage and Abusage. 3rd ed. Rev. Janet Whitcut. London: Penguin Books, 1999.
「英語史導入企画2021」より本日紹介するコンテンツは,院生による「発狂する帽子屋 as mad as a hatter の謎」です.なぜ帽子屋なのでしょうか.文化と言語の歴史をたどった好コンテンツです.
コンテンツ内でも触れられている通り,同種の表現としては /m/ で頭韻を踏む as mad as a March hare のほうが古いようです.この種の表現は俚諺的直喩 (proverbial simile) や強意的直喩 (intensifying simile) と呼ばれます.「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1]) で取り上げたように,特に頭韻を踏む as cool as a cucumber, as dead as a door-nail, as bold as brass の類いがよく知られています.ただし,今回の as mad as a hatter のように頭韻を踏まないものもあります.韻律上の口調に基づいていなくとも,何らかの「故事」(今回のケースでは帽子屋と水銀の関係)に由来するなど,結果としてユーモラスな文彩を放つ喩えであれば,広く受け入れられるものかもしれません.
それでも今回のコンテンツで EEBO から引き出された類義表現を眺めているうちに,やはり多くの表現に何かしら韻律上の要因が関与しているのではないかと思いつきました.あくまで speculation にすぎませんが,述べてみたいと思います.
as mad as a March hare は初期近代英語に初出した比較的古い表現で,頭韻を踏んでいます.それと対比して,19世紀前半に現われた as mad as a hatter は頭韻を踏んでいません.しかし,hare と hatter は /h/ で頭韻を踏んでいます.古い表現が広く知られて陳腐になると,新しい表現が作られることになりますが,そのような場合,よく知られた古い表現に何らかの形で「引っかける」ことも少なくないのではないかと思いました.この場合には,hare の /h/ と引っかけて hatter を採用したのではないかと疑われます(もちろん帽子屋と水銀の故事は前提としつつ).as mad as a March hare のような通常の頭韻を "syntagmatic alliteration" と呼ぶのであれば,hare と hatter のような関係の頭韻は "paradigmatic alliteration" と呼べるかもしれません.いわば「裏」の韻律的引っかかりのことですね.
そうすると,as mad as a hart なども,hare との "paradigmatic alliteration" からインスピレーションを得た表現かもしれないということになります.また,as mad as a bear という表現もあったようですが,これなどは hare と脚韻で引っかかっているので "paradigmatic rhyme" の例と呼べるかもしれません.ベースとなる表現がしっかり定着していればいるほど,それをもじって新しい表現を作り出すこともしやすくなるのではないでしょうか.後期近代英語のコーパス CLMET3.0 からは mad as a herring や as mad as Marshal Stair といったユーモラスな例が見つかりましたが,同種のもじりとみたいところです.
俚諺的直喩も一種の言葉遊びですし,「裏」の韻律的引っかかりが関与しているのではないかと考えてみた次第です.関連して「#1459. Cockney rhyming slang」 ([2013-04-25-1]) のことが思い浮かびました.
「英語史導入企画2021」も終盤に差し掛かってきました.本日紹介するコンテンツは「視覚表現の意味変化 --- 『見る』ことは『理解』すること」です.Lakoff and Johnson は,認知の仕方にせよ言語表現にせよ,身の回りには私たちが思っている以上に多くメタファー (metaphor) が潜んでいることを喝破し,世を驚かせました.今回のコンテンツは,「見る」と「理解する」を意味する英単語に焦点を当て,Lakoff and Johnson の認知言語学的なモノの見方を易しく紹介したものです.
人間は視覚がよく発達した動物です.視覚から入ってくる大量の情報こそが認知活動の大部分を支えていると考えられます.すると,「見る」を意味する語がメタファーにより「理解する」の意味に応用されるのも自然に思われます.もし洞穴のコウモリのような超音波を感知できる動物が言語を発明していたとしたら,むしろ「聞く」を意味する語が「理解する」に応用されていたかもしれません.また,嗅覚の優れた動物だったら,「匂う,嗅ぐ」を「理解する」の意味で用いていたことでしょう.
人間は実は聴覚も悪くはないので「聞く」を「理解する」にメタファー的に応用する事例はあります.「聴解する」にせよ Listen carefully. にせよ,高度な理解に関わる表現です.しかし,人間が比較的弱い嗅覚についてはどうでしょうか.「匂う,嗅ぐ」の「理解する」への転用例はあるでしょうか.日本語の「嗅ぎつける」「嗅ぎ分ける」にも,ある種の理解の気味が入っていると言えるかもしれませんが,もしそうだとしても「見る」や「聞く」よりは単純な種類の理解のように感じます.さらに味覚,触覚についてはどうでしょうか.
今回のコンテンツで「『見る』ことは『理解』すること」として提示された種類のメタファーは,概念メタファー (conceptual_metaphor) と呼ばれています.単発のメタファーではなく,体系的なメタファーとして認知や言語の隅々にまで行き渡っているものだということを主張するために作られた用語です.この辺りに関心をもった方は,ぜひ以下の記事群をお読みください.
・ 「#2187. あらゆる語の意味がメタファーである」 ([2015-04-23-1])
・ 「#2548. 概念メタファー」 ([2016-04-18-1])
・ 「#2551. 概念メタファーの例をいくつか追加」 ([2016-04-21-1])
・ 「#2568. dead metaphor (1)」 ([2016-05-08-1])
・ 「#2569. dead metaphor (2)」 ([2016-05-09-1])
・ 「#2593. 言語,思考,現実,文化をつなぐものとしてのメタファー」 ([2016-06-02-1])
・ 「#2616. 政治的な意味合いをもちうる概念メタファー」 ([2016-06-25-1])
・ Lakoff, George, and Mark Johnson. Metaphors We Live By. Chicago and London: U of Chicago P, 1980.
昨日「英語史導入企画2021」にアップされた学部ゼミ生からのコンテンツ「お酒なのにkamikaze」は,すこぶるおもしろい話題であり,同時に心がざわつく話題でもあった.
最近の「#4386. 「火鉢」と hibachi, 「先輩」と senpai」 ([2021-04-30-1]) でも話題となったように,近年でも日本語の単語が英語に借用される例は少なからずあり,しかもその語義が日本語のオリジナルの語義から変化してしまっているものも多い.今回取り上げられた kamikaze (神風)もその1つである.
もちろん英単語としての kamikaze とて,日本語「神風」の原義を示しはする.13世紀末の元寇の折に日本を守ってくれた,かの「神風」の語義はしっかり保持しているし,太平洋戦争時の「神風特攻隊」の語義も保っている.しかし,上記コンテンツにも詳説されているように,比喩的に「危険を顧みずに突っ込んでいく人」という語義は日本語には認められない英語特有の語義だし,それお飲むことが自殺行為であるほどに度数が高いというメタファーに基づいたウォッカベースのカクテルを指す語として,日本語で一般に知られているともいえない.
先の記事「#4386. 「火鉢」と hibachi, 「先輩」と senpai」 ([2021-04-30-1]) でも指摘したように,他言語に取り込まれた単語の意味が,独特の文脈で用いられるに及び大きく変容するということは日常茶飯であると述べた.いわゆる false_friend の例の創出である.いずれの言語にとってもお互い様の現象であり,非難しだしたらキリがないということも述べた.そうだとしても,やはり気になってしまうのが母語話者の性である.他言語に入って妙な意味変化を経ているとなれば,心穏やかならぬこともあろう.「神風」がメタファーとはいえカクテルの名称になっているというのは,やはり心がザワザワする.私としては,バー・カウンターで kamikaze を注文する気にはちょっとなれない.言語学者として語の意味変化を客観的に跡づける必要は認めつつも,その立場から一歩離れれば,おおいに心理的抵抗感がある.
同じようなザワザワ感を,かつて別の単語について感じたことがあったと思い出した.水爆実験地として歴史的に知られる「ビキニ環礁」と女性用水着「ビキニ」の関係である.「#537. bikini」 ([2010-10-16-1]) で紹介した有力な語源説によると,bikini 「(女性用水着)ビキニ」の語義の発生は,1946年に同水着が初めてパリのショーで現われたときの衝撃と同年のビキニ環礁での水爆実験の衝撃とを引っかけたことに由来するという.ここでの語義変化のメカニズムは,言語学的にいえば kamikaze の場合と同様,広く緩くメタファーといってよいだろう.しかし,それとは別に,内心はまずもって悪趣味で不謹慎な語義転用との印象をぬぐえない.
kamikaze が ninja, samurai, fujiyama などとは別次元の「文化語」として英語に取り込まれ,英語において独自の語義展開を示したということは,英語史上の語義変化の話題としては純正だろう.しかし,日本語母語話者として何とも心がザワザワする.
昨日の記事「#4371. 価値なきもの イチジク,エンドウ,ピーナッツ,ネギ,マメ,ワラ」 ([2021-04-15-1]) で,英語において「取るに足りない」と評価されている植物の話題を取り上げた.英語と日本語とで当該植物に対する認識が異なることを示唆する,いわゆる異文化比較の問題だが,これは動物にも当てはまる.よく知られているように,同一の動物であっても,英語と日本語では表象や受容の仕方が異なる.
例えば,最も身近な動物を表わす英単語 dog を取り上げよう.言うまでもなく,日本語「犬」の英語バージョンである.しかし,このように何の変哲もない単語にこそ,実はおもしろみが詰まっているものだ.殊に意味論の観点からは,いくらでも議論できる.dog は多義 (polysemy) なのである.
『リーダーズ英和辞典』によれば,dog は10の語義をもつ.多少の編集を加えつつ,その10語義を大雑把に示したい.
1. 犬; イヌ科の動物《オオカミ・ヤマイヌなど》.雄犬; 雄.犬に似た動物《prairie dog, dogfish など》.
2. 《口》 くだらない[卑劣な]やつ; 《米俗・豪俗》 密告者, 裏切り者, 犬; 《俗》 魅力のない[醜い]女, ブス; *《俗》 いかす女, いい女; 《俗》 淫売; 《ののしって》ちくしょう!
3. *《俗》 不快なもの, くだらないもの, 売れない[売れ残りの]品物, 負け犬, 死に筋, 失敗(作), おんぼろ, ぽんこつ, 役立たず, クズ, カス.
4. 《口》 見え, 見せびらかし.
5. 鉄鉤((かぎ)), 回し金, つかみ道具; 【金工】 つかみ金, チャック; 《車の》輪止め.
6. [pl] *《口》 ホットドッグ (hot dog).
7. [the ?s] *《口》 ドッグレース (greyhound racing).
8. 《俗》 [euph] 犬の糞 (dog-doo).
9. 【天】 [the D-] 大犬座 (the Great Dog), 小犬座 (the Little Dog).シリウス, 天狼星 (the Dog Star, Sirius).
10. 【気】 幻日 (parhelion, sun dog), 霧虹 (fogbow, fogdog).
上記からも分かる通り,英単語の dog は一般にネガティヴな含意的意味 (connotation) をもつ.この事実を確認するには,英語文化の結晶ともいえる英語のことわざ (proverb) をみるとよい.「#3419. 英語ことわざのキーワード」 ([2018-09-06-1]) では上位にランクインしているし,実際に「#3420. キーワードを複数含む英語ことわざの一覧」 ([2018-09-07-1]) からことわざの例を見てみると,Better be the head of a dog than the tail of a horse/lion. とか We may not expect a good whelp from an ill dog. のように,あまり良い意味には使われていない.
こんなことを考えたみたのは,昨日「英語史導入企画2021」の一環として学部ゼミ生による「dog は犬なのか?」というコンテンツがアップされたからである.
本ブログでも,dog の通時的意味変化や共時的多義性について,以下の記事で間接的に触れてきた.参考までに.
・ 「#683. semantic prosody と性悪説」 ([2011-03-11-1])
・ 「#1908. 女性を表わす語の意味の悪化 (1)」 ([2014-07-18-1])
・ 「#2101. Williams の意味変化論」 ([2015-01-27-1])
・ 「#2187. あらゆる語の意味がメタファーである」 ([2015-04-23-1])
昨日の記事「#4353. 擬人法」 ([2021-03-28-1]) に引き続き,擬人法 (personification) について.昨日からもう少し調べてみているが,擬人法の言語学的な扱いはやはり少ないようだ.あくまで修辞学や詩学の領域にとどまっている.今回は『大修館英語学事典』 (844) より,詩語の1特徴としての擬人法の解説を引用する.伝統的で典型的な例が挙げられているので,参照用に便利.
擬人法
擬人法 (personification) も好んで用いられた技法である.言うまでもなく人間でないものを人間(時に神)にたとえて表現するものである.
a) 自然現象を神話の神の名で表現する
Zephyr (西風),Phoebus (太陽),Cynthia (月),Diana (月),Apollo (太陽),Neptune (海),Boreas (北風),Hesper (宵の明星),など.
b) 抽象名詞の擬人化
たとえば 'ambitious people' という時 'Ambition' にように表現するもので,一種の寓意的表現である.
Gladness danc'd along the sky---Thompson, Epithalanium (喜びは空を踊りながら進んで行った) / Let not Ambition mock their useful toils---Gray, Elegy Written in a Country Church-Yard (野心をして彼らの有益な労役を侮らせるなかれ) / O stretch thy reign, fair Peace---Pope, Windsor Forest (うるわしの平和よ,汝の領土を広げよ).
c) 地名または一般の事物の擬人化
That Thame's glory to the stars shall rise!---Pope, Windsor Forest (テムズの栄光よ星まで届け) / Thy forest, Windsor!---Pope, ibid. (汝の森,ウインザーよ) / And weary waves, withdraw[n]ing from the Fight, die lull'd and panting on the silent Shore (疲れた波は戦いより退きて,物言わぬ岸の上でなだめられ,あえぎながらその身を横たえる).
・ 松浪 有,池上 嘉彦,今井 邦彦(編) 『大修館英語学事典』 大修館書店,1983年.
擬人法 (personification) は,文学的・修辞的な技法として知られているが,専門用語というよりは一般用語としても用いられるほどによく知られた用語・概念でもある.広く認知されているがゆえに,学術的に扱おうとするとなかなか難しい種類の話題かもしれない.
とりわけ言語学的に扱おうとする場合,どのようなアプローチが可能なのだろうか.この問題について本格的に考えたこともないので,まず取っ掛かりとして,種々の英語学辞典に当たってみた.最初は『英語学要語辞典』から.
personification 〔体〕(擬人化,擬人法) Fair science frowned not on his humble birth.---T. Gray, Elegy (美しき学問は彼の卑しい素性をいといはしなかった)のように,抽象概念や無生物に人間と同様の性質を与える修辞上の技巧.隠喩の一種で,英文学においては古英詩(特に謎詩)で用いられ始め,中世の道徳劇,寓意詩にもみられる.小説でもその用法は散見され,ゴシック小説では表現上の重要な特性とされている.なお,<+有生>など名詞の素性および選択規則という変形理論の適用により,擬人法を統一的に記述・説明することが可能である.
次に『新英語学辞典』より.
personification 〔修〕(擬人化,擬人法)
無生物や抽象概念を生物扱いしたり,感情など人間特有の性質を持つものとして表現する修辞技巧.擬人化は prosopropeia とも呼ばれ,隠喩 (METAPHOR) の一種で詩で古くから用いられた.Leech (1969) は 'an angry sky' や 'graves yawned' のように,無生物に生物の属性を付与するものを the animistic metaphor, 'this friendly river' や 'laughing valeys' のように,人間以外のものに人間特有の性質を付与するものを the humanizing [anthropomorphic] metaphor と名づけている.I. A. Richards (1929) が指摘しているように,人間以外の生物や無生物に対して抱く感情や思考は,人間相互の感情や思考と共通するもので,従って日常の言語ではもっぱら人間について用いる形容詞・動詞・代名詞を人間以外のものに適用するのはきわめて自然と言えよう.
擬人化は中世の寓意詩にまで遡ることができるが,その伝統を受けついだ Milton は "all things smil'd, With fragrance and with joy my heart oreflowd"---Paradise Lost 8: 265--66 のように,この修辞法を好んで用いた.擬古典主義の時代に入ると,Thomas Parnell, Richard Savage, Edward Young など,18世紀の詩人の言語の大きな特色となり,ますます装飾的な性格を帯びるようになった.しかし,やがてロマン派が台頭し,'the very language of men' を詩の言語たらしめることを標榜した Wordsworth は,慣習的な擬人化を 'a mechanical device of style' として斥けた (Preface to Lyrical Ballads, 1798).
このように,擬人化は詩の言語の伝統的手法であって,散文における比喩表現は直喩 (SIMILE) の形式をとるのがふつうであるが,詩的な散文では効果的に用いられることがある.例えば,Thomas Hardy が Egdon Heath を描写している次のパラグラフでは,観察者の存在を暗示する appeared, seemed, could be imagined 以外の動詞は,闇夜の荒野を擬人化して描き出している: The place became full of watchful intentness now; for when other things sank brooding to sleep the heath appeared slowly to awake and listen. Every night its Titanic form seemed to await something; but it had waited thus, unmoved, during so many centuries, through the crises of so many things, that it could only be imagined to await one last crisis---the final overthrow.---The Return of the Native. Bk. I, Ch. I.
英語における擬人法は,上記の通り,およそ修辞学的・文学史的な観点から話題にされてきたものであり,言語学的・意味論的なアプローチは稀薄だったように思われる.そもそも後者のアプローチとしては,どのようなものがあるのだろうか.探ってみる必要がありそうだ.関連して,「#2191. レトリックのまとめ」 ([2015-04-27-1]) の「擬人法」を参照.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語学要語辞典』 研究社,2002年.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow