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epidemic - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-22 17:50

2017-07-04 Tue

#2990. Black Death [etymology][loan_translation][history][black_death][epidemic]

 14世紀半ばにイングランド(のみならずヨーロッパ全域)を襲った Black Death (黒死病; black_death)の英語史上の意義については,「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1]),「#138. 黒死病と英語復権の関係について再考」 ([2009-09-12-1]),「#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考」 ([2009-09-13-1]) で論じてきた.
 この世界史上悪名高い疫病につけられた Black Death という名前は,実は後世の造語である.『英語語源辞典』によると,英語での初例は1758年と意外に遅く,ドイツ語のder schwarze Tod のなぞり (loan_translation) とされる.16世紀よりスウェーデン語で swarta dödhen が,デンマーク語で den sorte död がすでに用いられており,それがドイツ語でなぞられたものが,一般的な疫病の意味でヨーロッパ諸語に借用されたものらしい.14世紀半ばのイギリス史上の疫病を指す用語としての Black Death は,1823年に "Mrs Markham" (Mrs Penrose) が導入し,1833年には医学書で上述のようにドイツ語を参照して使われ出したとされ,それ以前には the pestilence, the plague, great pestilence, great death などと呼ばれていた.
 なぜ「黒」なのかという点については,この病気にかかると体が黒くなることに由来すると言われるが,詳細は必ずしも明らかではない.参考までに,Gooden (68) には次のように解説されている.

The term 'Black Death' came into use after the Middle Ages. It was so called either because of the black lumps or because in the Latin phrase atra mors, which means 'terrible death', atra can also carry the sense of 'black'.


・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.

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2009-09-18 Fri

#144. 隔離は40日 [etymology][black_death][epidemic][numeral]

 黒死病が英語の復興に一役買ったことについては,本ブログで何度か記事にしたが,黒死病に関連して直接の言語的な影響もいくつかあった.その一例として quarantine 「隔離,隔離期間,隔離所,検疫,検疫所」が挙げられる.
 語源はラテン語の quadrāgintā 「40」にさかのぼり,「隔離」としてはイタリア語から quarantine という形態で英語に入ってきた.もとは,疫病を運んでいると疑われる船から乗客を上陸させずに差し止める期間が40日間だったことにちなむが,後に日数にかかわらず「隔離,検疫」という一般的な意味で用いられるようになった.OED によると英語での初例は1663年で,その例文がこの意味変化を裏付けている.

Making of all ships coming from thence . . . to perform their 'quarantine for thirty days', as Sir Richard Browne expressed it . . . contrary to the import of the word (though, in the general acceptation, it signifies now the thing, not the time spent in doing it). ( Pepys Diary, 26 Nov. )


 英語での初例こそ17世紀だが,船を係留する慣習自体は1377年にペスト予防のためにレバントやエジプトからイタリアへ入港してくる船を差し止めたことから始まった.シチリア島のラグーサ市評議会が感染地区からやってきた人々に30日間の隔離を命じたのが始まりで,期間がのちに40日に延びたというから,場合によってはイタリア語で「30」を意味する *trentina が代わりに用いられることになっていたかもしれない.
 1348年以降にヨーロッパを席巻した黒死病の産みだした,歴史を背負った語である.

 ・クラウズリー=トンプソン 『歴史を変えた昆虫たち』増補新装版 小西正泰訳,思索社,1990年,129頁.

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2009-09-13 Sun

#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考 [historiography][black_death][epidemic][history][reestablishment_of_english]

 昨日[2009-09-12-1]に続き,黒死病と英語復権の話題.ただ,今回はより一般的に,ある事件(例えば黒死病)が歴史上にもつ意義を論じる際の問題点を考えてみる.
 本ブログでも,これまでに「○○の英語史上の意義」というような話題をいくつか扱ってきた([2009-08-24-1], [2009-07-24-1], [2009-06-26-1]).私は,歴史記述は,あらゆる事実を年代的に羅列することではなく,現代にとって意義を有する事実をピックアップしてそれを時間順にストーリーとして組み立てることだと考えている.これは英語の歴史にも当てはめられるはずである.
 では,どの事実が「意義を有する」のかというと,その答えは記述者の見方ひとつで決まる類のものであり,客観的に決められるものではない.黒死病と英語復権の例をとっても,直接的な因果関係があると結論づける論者もいるかもしれないし,すでに存在していた英語復権の傾向に拍車をかけただけというとらえ方もできる.
 『歴史を変えた昆虫たち』を著したクラウズリー=トンプソンや『ペスト大流行』を著した村上陽一郎氏は,ともに「拍車論」を採っている.この点は,私も同意する.村上氏は歴史記述について参考になる意見を述べているので,ここに引用したい.

 その意味で,多くの史家の指摘するとおり,黒死病そのものは,時代の担っていた趨勢のなかから,次代へ繋がるものをアンダーラインした上でそれを加速させ,その時代に取り残されるものに引導を渡すという働きをしたにせよ,次代を作り出す何ものかを積極的に生み出したわけではなかった.
 たしかに黒死病は,流行病としては人類の歴史上,おそらく最悪のものの一つであった.しかし,その異常事態の上に映し出されたものは,良かれ悪しかれその時代そのものであって,その時代の要素が,いささか拡大されて見えるにとどまる.逆に見れば,あれほど未曾有の異常な時間も,歴史のなかに呑み込まれてしまえば,一つのエピソードにすぎないのでもある.
 そしてこのことは,ある歴史的時代や事態を見るに当たって,ともすれば,それが次代に対してもつ影響力,次代を導くことになる要素にのみ光を当てがちなわれわれにとって,噛みしめるべき良き教訓である.( 176--77 )


 あとがきで触れているように,著者は歴史研究を志した当初から「私の心の片隅に巣食って離れなかったのは,その歴史に刻まれた死としての黒死病への思いであった」.そこに歴史上の意義を見いだしたからこそ『ペスト大流行』という書を著したのだろうが,その本人が「一つのエピソード」としているのは,非常な謙遜である.
 黒死病と英語復権という英語史の話題を考える際にも,黒死病だけにスポットを当てて,その英語復権との因果関係を探るというよりは,英語復権という大きな時代の流れをアンダーラインする一事件として黒死病を捉えるという謙虚な態度が必要なのだろう.

 ・村上 陽一郎 『ペスト大流行 --- ヨーロッパ中世の崩壊 ---』 岩波書店〈岩波新書〉,1983年.
 ・クラウズリー=トンプソン 『歴史を変えた昆虫たち』増補新装版 小西正泰訳,思索社,1990年.

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2009-09-12 Sat

#138. 黒死病と英語復権の関係について再考 [black_death][epidemic][history][reestablishment_of_english]

 [2009-08-24-1]の記事で黒死病と英語の復権との関連について論じた.この件について,先日,村上陽一郎著の『ペスト大流行』を読んで得られた知見を付け加えておこうと思う.
 [2009-08-24-1]では,下層階級と中産階級が,黒死病の試練を経ることで社会的に勢力を伸ばすこととなり,それに伴ってかれらの母語,すなわち英語も実力をつけてきたと論じた.別の見方をすれば,上流階級の言語であったフランス語や,学者・聖職者の言語であったラテン語が相対的に力を弱めてきたといってもよい.だが,もう一つ別の観点から,黒死病と英語の復権の関係が論じられてもよいかもしれない.
 村上氏 (164--67) によれば,『歴史を変えた昆虫たち』の著者クラウズリー=トンプソンは,英語の重用という思想が黒死病の直接的な影響の産物だと考えているという.黒死病によって年配のフランス語教師たちがいなくなったために,フランス語やラテン語を知らない人びとが英語で発言する機会が増えたというのである.また,年配の知識人層が激減したことで,ヨーロッパの大学は打撃を受け,実際につぶれる大学も出てきた.こうした知の危機的な状況の中で,若い知識人層が知の現場に登場する機会が増え,フランス語に代えて英語を使用する傾向が強まったという.
 要約すれば,古典語を尊重する長老から母語を重用する若手への世代交代がおこなわれた,ということになろう.だが,注意すべきは,英語重用の風向きは黒死病が起こる以前からすでに始まっていたということである([2009-09-05-1]).黒死病は,その流れを加速させたに過ぎない.英語復権の最初の契機を作ったわけではなく,流れを加速させる引き金となったと理解すべきだろう.
 「黒死病→長老教師の死→フランス語・ラテン語の相対的な衰退→英語の復権」という流れはおもしろいと思うが,一つ疑問を抱いた.ペストは特に若い男性を襲うことが多く,老人は被害から免れるケースが多かったということがいくつかの記述から知られているが,それとの関連はどうなのだろう?

 ・村上 陽一郎 『ペスト大流行 --- ヨーロッパ中世の崩壊 ---』 岩波書店〈岩波新書〉,1983年.
 ・クラウズリー=トンプソン 『歴史を変えた昆虫たち』増補新装版 小西正泰訳,思索社,1990年.116--17頁.

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2009-08-24 Mon

#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!? [black_death][epidemic][history][reestablishment_of_english][map]

 日本では新型インフルエンザが早くも猛威をふるっており,今年度の後期は注意を要する学期になりそうである.
 流行病は世界中でいつの時代でも脅威であったが,14世紀中葉にヨーロッパを席巻したペスト被害である黒死病 ( Black Death ) は,当時のヨーロッパ社会にとって一大事件であった.様々な推計があるが,ヨーロッパの全人口の三分の一が死んだというからすさまじい.イングランドだけでも200万人が死んだとされ,1300年と1400年の時点での人口を比べると半減しているという.それ以前の西洋史において,黒死病ほど多くの人命を奪った出来事は,戦争や他の疫病を含めてためしがない.
 このペストは,1347年に中央アジア方面からコンスタンティノープルに侵入してきたのち,地中海貿易経路をたどり,翌1348年にはイタリア,フランス,イングランドの南部に到達.続く1349年,1350年とかけて,ヨーロッパの内陸部や島嶼部の奥へも広がっていった(地図参照).

The Black Death in Europe

 わずか数年という短期間でこれだけの人口が死んだわけであるから,人々の話す言語にも相応のインパクトがあった.イングランドでは,1066年のノルマン人の征服 ( Norman Conquest ) 以来,支配者の言語としてフランス語が優位にあった.農民を含めて庶民はみな英語話者であり,人口こそ多かったものの,英語の社会的地位はまだ低かった.ところが,14世紀に入ると,1337年に英仏百年戦争 ( Hundred Years' War ) が始まり,フランス語が敵対語になったこともあり,イングランドにおける英語の復権が徐々に始まっていた.そのタイミングで,黒死病が勃発したのである.
 英語史における黒死病の意義は小さくない.疫病は襲う人を選ばないとはいうものの,劣悪な生活環境にある社会の底辺の人々や,逃げ場のない閉ざされた空間たる修道院などで特に猛威をふるった.労働者が激減したことによって,労働力の需要が高まり,それに応じて労働者の社会的地位も高まった.
 もともと人口過密状態だったところでは,人口が減ることで庶民の生活条件が改善されたということもあった.だが,その恩恵にあずからない不満分子の農民たちが1381年に農民一揆 ( Peasants' Revolt ) を起こし,一般庶民の地位の向上をさらに訴えた.それに応じて,彼らの言語である英語の地位も着々と向上していった.
 一方,当時,都市に集まって社会集団を形成していた職人たちの社会的地位も向上し,農民でも貴族でもない実力をもった中産階級が台頭することになった.このことも,英語の地位の向上に結びついた.1356年に地方裁判所の記録が初めて英語でとられ,続いて1362年に議会の開会宣言が初めて英語でなされたことは,英語の地位の向上を如実に物語っている.
 さて,そもそも黒死病を引き起こしたペストのヨーロッパ上陸は,13世紀にシルクロードを通じて東西の交流が盛んになったことと関係する.ペストを保菌していたインド産のクマネズミ ( Rattus rattus ) が,おそらくは気候変動による食物連鎖の不順が原因で,インドを出て西進し,その菌がシルクロードを運ばれたという.
 以下は戯れの if に過ぎないが,もしクマネズミが西進しなければ,ヨーロッパで黒死病は起こらなかったかもしれない.もし黒死病が起こらなければ,イングランドでの英語の復権はもっと遅れていたかもしれない.もし遅れていれば,場合によっては,英語は書き言葉として定着する機会を永遠に得られず,イングランド社会はフランス語優勢のまま進んだかもしれない.そうすると,後に英語はアメリカへ渡ることもなかったろうし,現在,世界語としての地位を確立していることもないだろう.そうすると,われわれ日本人が義務教育として英語を学ぶこともなかったろうし,このブログ自体も存在していないかもしれない・・・.
 英語史を動かした(かもしれない)インドのクマネズミ,恐るべし.

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2009-05-06 Wed

#7. 豚インフルエンザの拡散曲線(メキシコとアメリカ) [lexical_diffusion][epidemic][swine_flu]

 [2009-05-05-1]の続き.世界全体として確認された症例数をプロットしたらS曲線が観察されたことは述べたが,それでは国ごとの拡大パターンはどうなっているだろうか.WHOによる近況から本日の最新のデータを付け加えて,世界全体,メキシコ,アメリカと三つのグラフを比較してみた.

Spread Rate of Swine Flu in Mexico and the USA

 ここから分かるのは,メキシコにおいて,やはり予想されたS曲線が描かれていることだ.5/1辺りが"take-off"ポイントだろうか.世界全体のS曲線は,多分にメキシコにおけるS曲線が効いている結果だということが観察される.一方,アメリカの状況は漸増であり,今のところ明確なS曲線とはなっていないように思われる.このことは,影響を受けているある特定のカテゴリー(この場合メキシコという国)においてS曲線が観察されると,他のカテゴリーではそうでなくとも,全体としてはS曲線が描かれるということを示唆する.
 言語変化のケースでも,全体としてS曲線が描かれるときには,カテゴリー毎に別々のグラフも作成してみる必要があるかも知れない.その中で全体のS曲線に特に貢献しているカテゴリーが見つけられれば,それこそが当該の言語変化の震源だと同定することができる.言語変化を過度に豚インフルエンザと比較することは注意すべきだが, Lexical Diffusion の理論化に際して示唆深い.
 参考までに,これまでの豚インフルエンザの数値データを掲げておく.

datecasescountriesUSAMexico
4/24_pm152718
4/25_am    
4/25_pm    
4/26_am    
4/26_pm3822018
4/27_am    
4/27_pm7344026
4/28_am    
4/28_pm10576426
4/29_am    
4/29_pm14899126
4/30_am    
4/30_pm2571110997
5/01_am33112109156
5/01_pm36713141156
5/02_am61515141397
5/02_pm65816160397
5/03_am78717160506
5/03_pm89818226506
5/04_am98520226590
5/04_pm108521286590
5/05_am112421286590
5/05_pm149021403822

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2009-05-05 Tue

#6. 豚インフルエンザの拡散曲線 [lexical_diffusion][epidemic]

 先日の[2009-05-04-1]に引き続き豚インフルエンザの拡大の話題. 語彙拡散 ( Lexical Diffusion )との関連で感染が拡大するパターンに注目しているが,まだ日が浅いからか,推移をグラフ化したものが見つからない.そこでWHOによる近況から公式なデータを入手して,ここ10日間ほどの状況を自分でプロットしてみた.

Spread Rate of Swine Flu

 赤線が世界全体での確認された症例数で,緑線が感染の確認された国の数である.今後も拡大することが懸念され,現段階で判断するのは早急かもしれないということを断った上でグラフを解釈してみるが,症例数に関しては見事に予想されたS曲線が描かれている! 4/30 辺りから 5/3 にかけて一気に症例が増加しており,いわば"take-off"の時期といえるだろう.一方,感染の確認された国の数の増え方は,S曲線ではなくむしろ直線に近いといえる.
 各国の内部での症例の増え方については別途グラフを作る必要がありそうだが,そこで予想されるのはどんな曲線だろうか.やはり,それ自身もS曲線なのだろうか.調べる必要がありそうだ.
 英語史の研究者としてまさか豚インフルエンザの感染者数をプロットすることになるとは夢にも思わなかったが,どうやら言語変化と病気感染には,思った通り興味深い相似性がありそうだ.

Referrer (Inside): [2009-05-06-1]

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2009-05-04 Mon

#5. 豚インフルエンザの二次感染と語彙拡散の"take-off" [lexical_diffusion][epidemic][swine_flu][speed_of_change]

 [2009-05-02-1]の記事「pandemicと英語史」で,語彙拡散という考え方を紹介した.流行病が伝播するパターンと言語変化のパターンは似ており,ともに時間軸に対してS曲線を描くというものである.
 拡大が懸念されている豚インフルエンザは,2008/05/04(Mon) 現在,日本では疑われる例はないが,16カ国・地域に広がっており,WHOは警戒水準を最高のフェーズ6へ引き上げる可能性を示唆している.韓国では二次感染の疑いが生じているという.
 二次感染とはまさに拡大が拡大を呼ぶ契機であり,S曲線でいえば変化のスピードが急勾配になる "take-off" の引き金となりうるものである.そこで,WHOや各国政府は,水際作戦や患者の隔離などあらゆる手段を講じて,この "take-off" を防ごうとしているわけである.
 ひるがえって,言語変化のS曲線を考えてみる.言語変化の実際の事例を見てみると,実はS曲線が描かれることは必ずしも多くない.語彙拡散のS曲線はあくまで言語変化の進行パターンの理想的なモデルであり,そこから逸脱する例はいくらでも存在する.むしろ理想的な例は少ないかもしれない.現実には,多くの例で "take-off" が妨げられるのである.それでは,言語の場合,その妨害要因とは一体何なのだろうか.
 ある言語変化が理想的なS曲線を描かない場合,大きく分けて四つの考え方があるのではないだろうか.

 (1) そもそもその言語変化は語彙拡散流に進行しているのではなく,別のパターンに従っている,あるいはどんなパターンにも当てはめられない
 (2) その言語変化は途中で勢いを失い,止まってしまった
 (3) ある時点では失速あるいは中止したように見えるだけで,もっと長期的なスパンで見ると,全体としてはS曲線を描く
 (4) 進行途中で,逆方向の言語変化や干渉する言語変化が同時に起こったため,本来のパターンが崩される

 ほかに可能性があるだろうか(考えがある人は教えてください!).
 例えば,中英語において名詞の複数形語尾として-sが拡大する過程は,およそ語彙拡散流のS曲線を描くことがわかっている.しかし,イングランドの South-West Midland 方言などでは,いったん "take-off" したかに思われた曲線ががくっと下がる時代があり,そのあと再び上昇した.つまり,S曲線ならぬN曲線である.
 このirregularな変化の背景にあったのは,-s語尾とライバル関係にあった-n語尾(現代英語の oxenchildren に見られる)の拡大である.-s語尾だけでなく-n語尾も同時に拡大していたため,互いに競合しあって,理想的なS曲線が現れなかったということになる.つまり,上に挙げたタイプでいえば(4)である.
 このような事例をできるだけたくさん集めて,どのタイプが多いのか,あるタイプが起こるときに背後にどのような条件や環境があるのか,を研究する必要がありそうだ.
 豚インフルエンザは,人為的な努力で(2)のタイプに落ち着いてほしい・・・.

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2009-05-02 Sat

#3. pandemicと英語史 [lexical_diffusion][epidemic][swine_flu]

 豚インフルエンザが拡大の兆しを示している.連日新聞などの報道を見ていて,epidemicやpandemicといった流行病は,実は英語史といくつかの点で関連があることを密かに思っていた.

 (1) pandemic はギリシャ語の接辞からなる合成語
 (2) 中世ヨーロッパの黒死病と英語の復権の関係
 (3) 感染病の伝播のパターンは言語変化の進行パターンと似ている点

 以上についてこんなPDFスライドを作ってみた.
 (3)で示したのは 語彙拡散 ( Lexical Diffusion )という言語変化理論である.疫病学,社会学,経済学,生物学,言語学などで共有しうる新しいモデルで,私が目下とりわけ注目している話題である.今後もこの話題に触れる機会はいろいろとありそう.

Referrer (Inside): [2009-05-04-1]

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