"mandative subjunctive" あるいは仮定法現在と呼ばれる語法について「#325. mandative subjunctive と should」 ([2010-03-18-1]),「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]),「#345. "mandative subjunctive" を取り得る語のリスト」 ([2010-04-07-1]),「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]) などで扱ってきた.
屈折の衰退,さらには「総合から分析へ」 (synthesis_to_analysis) という英語史の大きな潮流を念頭におくと,現代のアメリカ英語(および遅れてイギリス英語でも)における仮定法現在の伸張は,小さな逆流としてとらえられる.この謎を巡って様々な研究が行なわれてきたが,決定的な解答は与えられていない.また,一般的にアメリカ英語での使用は,アメリカ英語の保守的な傾向,すなわち colonial_lag を示す例の1つとしばしば解釈されてきたが,この解釈にも疑義が唱えられるようになってきた.すなわち,古語法の残存というよりは,初期近代英語期に一度は廃用となりかけた古語法の後期近代英語期における復活の結果ではないかと.
先行研究を参照しながら,Mondorf (853) が次のように要約している.
[R]ecent empirical studies concur that the subjunctive had virtually become extinct in both varieties; rather than witnessing its delayed demise in AmE, we are observing its revival in AmE and --- though at a slower pace --- also in BrE . . . .
The trajectory of change takes the form of a successive decline from Old English to Early Modern English, ranging from a relatively wide distribution in Old English, with competition between indicatives and modal periphrases (e.g. scolde + infinitive), via a reduction of formal marking in Middle English (when the indicative preterit plural -on and subjunctive preterit plural and past participle of strong verbs -en were fused and final unstressed -e was lost), to rare instances in Early Modern English. It is only at the end of the LModE period that the subjunctive re-established itself and "nothing less than a revolution took place" . . . .
なぜ後期近代英語期のアメリカで接続法使用が復活してきたのかという問いについては,いくつかの議論がある.まず,「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]) でみたように,規範文法の影響力や社会言語学的な要因を重視する見解がある.一方,機能的な観点から,非現実 (irrealis) を表現したいというニーズそのものは変わっておらず,その形式が法助動詞から接続法現在屈折へシフトしたにすぎないとする見解もある.後者の見解では,アメリカ英語においていくつかの法助動詞の使用が減少したこととの関連が考えられる (Mondorf 853--54) .
イギリス英語でもアメリカ英語に遅ればせながら,接続法現在の使用が増えてきているようだが,これは一般にはアメリカ英語の影響 (americanisation) と考えられている.しかし,もしかすると少なくとも部分的には,かつてのアメリカ英語で起こったのと同様に,イギリス英語での独立的な発達という可能性も捨てきれないという (Mondorf 854) .まだ研究の余地が十分に残っている領域である.
いくつか最近の関連する研究の書誌を挙げておこう.
・ Crawford, William J. "The Mandative Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 257--276.
・ Hundt, Marianne. "Colonial Lag, Colonial Innovation or Simply Language Change?" One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 13--37.
・ Kjellmer, Göran. "The Revived Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 246--256.
・ Övergaard, Gerd. The Mandative Subjunctive in American and British English in the 20th Century. Stockholm: Almqvist & Wiksell, 1995.
・ Schlüuter, Julia. "The Conditional Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 277--305.
・ Mondorf, Britta. "Late Modern English: Morphology." Chapter 53 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 843--69.
日本の英語教育では,アメリカ英語が主流となっている.20世紀後半からはアメリカの国力を背景に,世界的にもアメリカ英語の影響力が増し,アメリカ英語化 (americanisation) が進行してきたことは疑いえない(「#851. イギリス英語に対するアメリカ英語の影響は第2次世界大戦から」 ([2011-08-26-1]) を参照).しかし,一方で歴史的に培われてきた世界におけるイギリス英語の伝統も根強く,「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」 ([2010-05-08-1]) の地図でみたように,その効果はいまだ広範にして顕在である.
このように,米英2大変種はしばしば対立して示されるが,今後発展していくと想定される英語の世界標準,いわゆる "World Standard (Spoken) English" (wsse) が,米英2大変種のいずれかに一致するということはないだろう.勢いのあるアメリカ英語がその中心となっていくだろうとは予想されるが,あくまでその基盤となるだろうということであり,その上に様々な独立変種あるいは混合変種の要素が加えられ,全体として混交・中和した新たな変種へと発展していくと予想される(関連して,「#426. 英語変種のピラミッドモデル」 ([2010-06-27-1]),「#1010. 英語の英米差について Martinet からの一言」 ([2012-02-01-1]) などの記事を参照).
このような状況を考えると,何が何でもアメリカ英語をマスターするとか,あるいはイギリス英語にこだわるとか,英語学習において力む必要はなくなってきていると言えるだろう.聴く・読むという受動的な英語能力の観点からいえば,有力な変種に特有な表現などについて,よく学習しておくに越したことはないが,話す・書くという能動的な能力に関しては,それほど「○○英語での言い方」にこだわる必要はない,少なくともその必要性は薄れてきているのではないか.
上の提案の妥当性を判断するのに,世界における英語使用の展望を要約した Baugh and Cable (394) の文章が参考になる.
The global context of English . . . makes the traditional categories [= American English and British English] more problematic and the choices more complex than they were previously perceived to be. American English may be the most prominent source of emerging global English, and yet it will be American English derancinated and adapted in a utilitarian way to the needs of speakers whose geography and culture are quite different. To the extent that Americans think about the global use of English at all, it is often as a possession that is lent on sufferance to foreigners, who often fail to get it right. Such a parochial attitude will change as more Americans become involved in the global economy and as they become more familiar with the high quality of literature being produced in post colonial settings. Many earlier attacks on American English were prompted by the slang, colloquialisms, and linguistic novelties of popular fiction and journalism, just as recent criticism has been directed at jargon in the speech and writings of American government officials, journalists, and social scientists. Along with the good use of English there is always much that is indifferent or frankly bad, but the language of a whole country should not be judged by its least graceful examples. Generalizations about the use of English throughout a region or a culture are more likely to mislead than to inform, and questions that lead to such generalizations are among the least helpful to ask. In the United States, as in Britain, India, Ghana, and the Philippines, in Australia and Jamaica, one can find plentiful samples of English that deserve a low estimate, but one will find a language that has adapted to the local conditions, usually without looking over its shoulder to the standards of a far-away country, and in so adapting has become the rich medium for writers and speakers of great talent and some of genius.
もちろん,あえて諸変種のちゃんぽんを学ぶことを心がけるというのも妙なものなので,緩やかに学習のターゲットとなる変種を定めておいた上で,他変種からの混合も自由に受け入れるという柔軟な態度が最良なのかもしれない.そして,そのような英語学習の結果として,世界的で格調高い新しい英語変種の使い手になることが望ましいと考える.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
主語と動詞の数の一致については,「#930. a large number of people の数の一致」 ([2011-11-13-1]) ,「#1144. 現代英語における数の不一致の例」 ([2012-06-14-1]) ,「#1334. 中英語における名詞と動詞の数の不一致」 ([2012-12-21-1]) の記事で扱ってきた.一般に,現代英語において government や team などの集合名詞の数の一致は,アメリカ英語ではもっぱら単数で一致するが,イギリス英語ではとらえ方に応じて単数でも複数でも一致するとされる.この一般化は概して有効だが,数の一致に関して変異を示すイギリス英語についてみると,20世紀を通じて単数一致の傾向が強まってきているのではないかという指摘がある.Bauer (61--66) の The Times の社説を対象としたコーパス研究を紹介しよう.
Bauer は,1900--1985年の The Times corpus の社説からなるコーパスを対象に,集合名詞が単数で一致する比率を求めた.Bauer は,本調査は The Times 紙の社説という非常に形式張った文体における調査であり,これが必ずしもイギリス英語全体を代表しているとはいえないと断わった上で,興味深いグラフを与えている.以下は,Bauer (63) のグラフから目検討で数値を読み出し,再作成したものである.
回帰直線としてならせば,毎年0.3178%の割合での微増となっている.数値が安定しないことやコーパスの偏りなどの理由によりこの結果がどこまで信頼できるのかが問題となるが,Bauer は細かい情報を与えておらず,判断できないのが現状である.
Bauer はさらに,コーパス内で最も頻度の高い集合名詞 government が特殊な振る舞いをすることに注目し,この語を除いた集合名詞について,単数一致の割合を再計算した.上のグラフと同じ要領で,Bauer (66) のグラフに基づいて下のグラフを再作成した.ならすと毎年0.1877%の割合での微増である.
この結果は多くの点で仮の結果にとどまらざるを得ないように思われるが,少なくともさらに調査を進めてゆくためのスタート地点にはなるだろう.
なお,Bauer は1930年代にこの傾向に拍車がかかったという事実を根拠に,アメリカ英語が影響を与えたと考えることはできないだろうとしている([2011-08-26-1]の記事「#851. イギリス英語に対するアメリカ英語の影響は第2次世界大戦から」を参照).
government の数の一致に関するおもしろい振る舞いについては,明日の記事で紹介する.
・ Bauer, Laurie. Watching English Change: An Introduction to the Study of Linguistic Change in Standard Englishes in the Twentieth Century. Harlow: Longman, 1994.
昨日の記事[2012-10-14-1]の続編.Görlach は,しばしば "colonial lag" の産物であると指摘されるアメリカ語法は,実際には "colonial lag" などではないと論じている.考察する項目は音声,語彙,統語にわたり,論点も多岐にわたるが,特に説得力があると私が判断した3点を紹介する.
(1) アメリカ英語に典型的な音声特徴として,glass などの母音 /æ/,bar などの postvocalic r, /w/ と /wh/ の融合などが指摘されているが,これらの発音は古いイギリス英語の発音の単純な「保存」ではない."All three features above have a very complex history in the U.S., a history that shows alternating phases of retention, copying of British norms, and independent development" (46),
(2) "colonial lag" を論じる上ではアメリカ英語だけでなくオーストラリア英語なども比較してよさそうなものだが,二重母音の変化の歴史をみると,オーストラリア英語ではイギリス英語よりも遅れているどころか,むしろ進んでいる (48) .イギリス英語こそが "lag" を示しているのである."lag" が視点の相違による相対的な概念にすぎないことがわかる.
(3) 語彙や文法に関して英米差を表わすとされる語のペアは,単純な使用の有無によってではなく,意味,頻度,文体,評価によって区別されるべきものがほとんどである (48, 54) .この場合に,"lag" が何を指すかは不明である.
さらに,挑発的ではあるが,Görlach は,昨今のイギリス英語のアメリカ英語化 (Americanisation) を念頭に起きつつ,アメリカ英語で起こっている変化に対してイギリス英語が遅延していることを指摘し,論文を閉じている.
For those who have been convinced that Great Britain has become a colony of the United States, these linguistic facts could well be interpretatble as features illustraing 'colonial lag' of a new type. (57)
2つの歴史的に関連する変種の言語項目について,一方の他方への関係が "lag" なのか "lead" なのかは多分に相対的な問題であり,言語的な事実に基づくというよりはイデオロギーに基づく判断である可能性が大きい,ということかもしれない.
関連して,Montgomery の小論も参照.
・ Görlach, Manfred. "Colonial Lag? The Alleged Conservative Character of American English and Other 'Colonial' Varieties." English World-Wide 8 (1987): 41--60.
・ Montgomery, Michael. "In the Appalachians They Speak like Shakespeare." Language Myths. Ed. Laurie Bauer and Peter Trudgill. London: Penguin, 1998. 66--76.
言語学の基本的な項目に関連して本ブログでも何度も取り上げてきたフランスの構造主義言語学者 André Martinet (1908--99) が,英語の英米差について論考した1995年の論文を発見したので読んでみた (see André Martinet) .
ヨーロッパでは伝統的に英語の学習といえばイギリス変種が主でありアメリカ英語は副とされてきた.地理的,歴史的,文化的により緊密であるイギリスへ指向するのは自然といえば自然である.英語に限らず,ヨーロッパに起源をもちアメリカ大陸へも拡大したヨーロッパの主要言語についても同じ傾向が認められる.ヨーロッパ人にとって,スペイン語といえば南米変種ではなくスペイン変種だし,ポルトガル語といえばブラジル変種ではなくポルトガル変種だし,フランス語といえばケベック変種ではなくフランス変種だ.
しかし,英語ほど lingua franca としての役割が大きくなってくると,英米変種の差がもたらす問題点も大きくなってくる.書きことばについては,事実上,差がないといってよいが,話しことばについては発音の相違は時に理解の妨げになる.Martinet は,自身の経験として,アメリカで出身地を聞かれたときに France [frɑːns] とイギリス発音で答えたところ,Florence と聞き間違えられたので,以降は [fræns] と発音するよう心がけたというエピソードを述べている (124) .
しかし,Martinet は,彼らしく,この問題について楽観的である.言語使用に関して作用している調整機能が自然と解決してくれるだろうという考えだ.相互のコミュニケーションが日増しに密になってきている現在,異なる語法に対する寛容とその収束 (convergence) が確実に進行しており,遠からず適切な解決をみるだろう,と.
Comme toutes les langues évoluent à chaque instant pour satisfaire aux besoins changeants de ceux qui les emploient, nous sommes tous, sans nous en douter, dressés à comprendre et à accepter des formes et des valeurs que nous ne pratiquons plus ou que nous n'avons jamais pratiquées, mais que nous avons entendues et identifiées depuis notre enfance. (126)
すべての言語は,その使用者の変わりゆく要求に応じるべく常に進化してゆくのだから,私たちはみな,それに気付かずとも,もはや実践しなかったり,一度も実践したことのない形態や価値ではなく,子供の頃から聞いてそれと認めてきた形態や価値を理解し,受け入れる準備ができている.
Crystal の予見する WSSE (World Standard Spoken English) は,アメリカ英語の話しことばが下敷きとなって,世界中の英語話者がそれに調整を加えてゆくことで発展してゆくのではないかと考えられているが,上の Martinet の引用はその理論的な支柱を与えているといえるかもしれない (see wsse ) .
言語変種の convergence あるいは conversion については,[2010-10-09-1]の記事「#530. アメリカ英語と conversion / diversion」を参照.
・ Martinet, André. "Quelle sorte d'anglais pour les plurilingues à venir?" International Journal of the Sociology of Language 109 (1994): 121--27.
昨日の記事「#981. 副詞と形容詞の近似」 ([2012-01-03-1]) の最後に触れた単純形副詞 (flat adverb) を取り上げる.対応する -ly 形が並存している場合,flat adverb は一般に略式的あるいは口語的であることが多いといわれる.規範的な観点からは,-ly を伴う語形が標準形であり,flat adverb は非難の対象とされるので使用を控えるべしとされるが,LGSWE (Section 7.12.2) によれば,以下のような例は会話コーパスでは普通に見られるという.
The big one went so slow. (CONV)
Well it was hot but it didn't come out quick. (CONV)
They want to make sure it runs smooth first. (CONV†)
特に good や real を副詞として用いる語法は,AmE の口語で広く聞かれる.LGSWE (Section 7.12.2.1) の記述によれば,good を well の意味に用いる例は,AmE の会話で圧倒的によく見られ,一方で書き言葉や BrE では稀である.really の代用としての real については,AmE の会話では really の半分ほどの頻度で使用されているというから,相当な普及度だ.コーパス中の絶対頻度でいえば,これは BrE の会話における really の頻度に匹敵するという.なお,BrE では real のこの用法は皆無ではないが,稀である.両者の例を LGSWE からいくつか挙げよう.
It just worked out good, didn't it? (AmE CONV)
Bruce Jackson, In Excess' trainer said, "He ran good, but he runs good all the time. It was easy." (AmE NEWS)
It would have been real [bad] news. (AmE CONV)
I have a really [good] video with a real [good] soundtrack. (AmE CONV)
例のように,good は動詞と構造をなして述部を作る用法,real は形容詞を強調する用法が普通である.
以上のように,現代英語において flat adverb はアメリカ英語の口語で用いられる傾向が強いことがコーパスから明らかとなっているが,この傾向と関連して[2011-01-12-1]の記事「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」で触れたアメリカ英語化 (Americanisation) と口語化 (colloquialisation) の潮流を想起せずにいられない.今後,good あるいは real に限らず,英語全体として flat adverb の使用が拡大してゆくという可能性があるということだろうか.合わせて,[2010-03-05-1]の記事「#312. 文法の英米差」の (5) も参照されたい.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
イギリス英語を含めた世界中の英語変種が,近年アメリカ英語化 (Americanisation) してきていることはいろいろと話題にされる.本ブログでも americanisation の各記事で取り上げてきたが,イギリス英語 (BrE) の Americanisation に話題を絞ると,それはいつ頃から本格的に始まったのだろうか.
[2009-10-02-1]の記事「アメリカ英語の時代区分」でアメリカ英語の歴史を概観したように,アメリカ英語 (AmE) がイギリス英語 (BrE) から区別される変種として発展してきたのはアメリカ独立以降のことである.しかし,独立以降も英米両国は緊密な関係を保ってきており,言語的な相互乗り入れはあった.Mencken によると,全体として BrE から AmE への流れは書きことばを通じてなされたのに対し,AmE から BrE への流れは俗語が中心だった.
Americanisms get into English use on the lower levels and then work their way upward, but nearly all the Briticisms that reach the United States first appear on the levels of cultural pretension, and most of them stay there, for the common people will have none of them. (Mencken 272)
しかし,現在では影響の方向は圧倒的に AmE から BrE への方向である.本格的な BrE の Americanisation が始まったのは,意外と遅く,第2次世界大戦中からである.Bauer (65--66) を引用する.
Many American servicemen were stationed in Britain during the Second World War, and from that period on there was considerable influence from films and, later, television. Before 1939, very few people could afford to cross the Atlantic. At the start of the war, the 'talkies' were only about ten years old. While the printed word and popular music clearly did have an effect in terms of vocabulary before that time, reactions to the speech of American servicemen in Britain during the war suggests that the effect had not been all that great in other areas, and even in the area of vocabulary had not been all-pervasive.
アメリカ語法 (Americanism) の本格的流入のきっかけが,マスメディアではなく在英米軍との直接の接触であったという点が興味深い.これに対して,現在の世界中の英語変種の Americanisation は主としてインターネット,映画,テレビなどのマスメディア,映画やポップスなどの大衆娯楽を通じてだろう.
・ Mencken, H. L. The American Language. Abridged ed. New York: Knopf, 1963.
・ Bauer, Laurie. Watching English Change: An Introduction to the Study of Linguistic Change in Standard Englishes in the Twentieth Century. Harlow: Longman, 1994.
昨日の記事[2011-01-14-1]で,The Brown family of corpora の使用を念頭に,英米2変種2時点のクロス比較によって観察される,言語項目の頻度差に関する類型論を Mair (109--12) に拠って概説した.それをより一般的な形でまとめようとしたのが,Leech et al. (43) の類型論である.ここでも念頭にあるのは The Brown family of corpora の4コーパス ( Brown, Frown, LOB, F-LOB ) だが,昨日の類型論よりも抽象的なレベルでいくつか有用な用語を導入している.
(a) regionally specific change: 一方の変種には通時変化が見られるが,他方の変種には見られない場合.逆に,(どのような変化の方向であれ)両変種で通時変化が見られる場合は regionally general change と呼ばれる.
(b) convergent change: 両変種で収束する方向へ通時変化が生じている場合.逆に,分岐する方向へ変化が生じている場合は divergent change と呼ばれる.
(c) parallel change: 両変種で平行的に通時変化が生じている場合.完全に逆方向に生じている場合は contrary change と呼ばれる.
(d) different rates of change: 両変種で同方向に通時変化が生じているとしても,変化の速度が異なっている場合がある.速度がおよそ同じであれば,similar rates of change と呼ばれる.
(e) different starting/ending points: 両変種で通時変化の開始時期あるいは終了時期が異なっている場合.およそ同じタイミングであれば,similar staring/ending points と呼ばれる.
(f) the follow-my-leader pattern: 両変種で平行的に通時変化が生じているが,一方が他方をリードしていると考えられる場合.(c) の下位区分と考えられる.
これを昨日の類型論と掛け合わせると相当に複雑な様相を呈するだろう.1変種に固定してその中で通時変化を扱う研究,あるいは2変種を取り上げて共時的な比較する研究ですら十分に複雑な問題が生じるのであるから,2変種2時点のクロス比較の研究がいかに複雑を極めることになるかは想像できそうだ.
英語諸変種の Americanization が1つの潮流であるとすると,ある変種が AmE を参照点として相対的にどのように通時変化を経ているかを短期的に観察する研究はどんどん増えてくるかもしれない.また,AmE が参照点であるというのも一過性のことかもしれず,今後,WSSE ( World Standard Spoken English ) やインド英語など別の変種が参照点になってゆくという可能性も,少なくとも部分的には否定できない.参照変種の影響力を見極めるために,"diachronic comparative corpus linguistics",2変種2時点クロス比較研究が,今後はもっと注目されてくるのではないだろうか.
・ Mair, Christian. "Three Changing Patterns of Verb Complementation in Late Modern English: A Real-Time Study Based on Matching Text Corpora." English Language and Linguistics 6 (2002): 105--31.
・ Leech, Geoffrey, Marianne Hundt, Christian Mair, and Nicholas Smith. Change in Contemporary English: A Grammatical Study. Cambridge: CUP, 2009.
Svartvik and Leech によると,現代英語の書き言葉文法の変化は以下の3つの傾向を示しているという (206).
・ Grammaticalization --- Items of vocabulary are gradually getting subsumed into grammatical forms, a well-known process of language change.
・ Colloquialization --- The use of written grammar is tending to become more colloquial or informal, more like speech.
・ Americanization --- The use of grammar in other countries (such as the UK) is tending to follow US usage.
1点目の grammaticalization ( see [2010-06-18-1] ) は現代英語に特有の変化(のメカニズム)というわけではないが,Svartvik and Leech は現代英語に顕著だと考えているのだろうか.著者らの念頭には,例えば[2010-05-31-1]や昨日の記事[2011-01-11-1]で触れた semi-auxiliaries や extension of the progressive があるのだろう.
2点目の colloquialization は現代の談話の民主化傾向 ( democratization ) とも関連するが,単純に書き言葉が話し言葉へ同化しつつあるということを意味するわけではない.同様に,3点目の Americanization が単純に BrE が AmE 化しつつあるということを意味するわけではない.この2つの傾向は確かに部分的に重なり合っており,それぞれ自身も単純に記述できない複雑な過程である.
上述の著者の1人である Leech が別の共著者と著わした Leech et al. のなかでは,もう1つの傾向として "densification" (50) あるいは "the effects of 'information explosion'" (22) が指摘されている.それによると,増大し続ける情報をできるだけコンパクトに効率よく言語化しようとする欲求が高まっているという.その具体的現われが,brunch, smog などの かばん語 ( blend ) や AIDS, NATO などの 頭字語 ( acronym ) や New York City Ballet School instructor などの名詞連鎖だろう.
かりに現代英語の書き言葉文法の変化に関して colloquialization, Americanization, densification などといった傾向を受け入れるとすると,次に文法変化と社会変化の相関関係を疑わざるを得ない.もし社会変化が文法変化の方向を定めているとすれば,それは実に興味深い.従来,確かに社会変化が語彙変化を誘発するということは言語の常であったし,言語接触や方言接触が言語の諸側面に変化の契機をもたらすことも常であった(実際に Americanization は後者に相当する).しかし,それ以外の社会の変化,より具体的に言えば "the broader changes in the communicative climate of the age" が,間接的ながらも,言語のなかでもとりわけ抽象的な部門である文法に影響を及ぼすというのは,決して自明のことではなかった.
Leech et al. は,社会変化の文法変化に及ぼす影響について次のように述べている.
More often than not there are links between grammatical changes, on the one hand, and social and cultural changes, on the other. Such links may not be as obvious as the links between social change and lexical change, and they are certainly more indirect. Again and again, however, the authors have discovered that, especially when it comes to explaining the spread of innovations through different styles and genres, apparently disparate grammatical 'symptoms' can be traced back to common 'causes' at the discourse level. Exploring the connections between the observed shifts in grammatical usage (the nuts and bolts of the system, as it were) and the broader changes in the communicative climate of the age, which are reflected in the performance data that the corpora are made up of, is a fascinating challenge not only for the linguist. (Leech et al. 22)
・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.
・ Leech, Geoffrey, Marianne Hundt, Christian Mair, and Nicholas Smith. Change in Contemporary English: A Grammatical Study. Cambridge: CUP, 2009.
10月6日(水),7日(木)と大東文化大学と駒澤大学で,ケルン大学名誉教授 Manfred Görlach 氏の講演会が開かれた.駒澤大学での題目は "English in America: the US, Canada and the Caribbean" で,AmE に関する diversion と conversion が語られた.
このブログでも主に BrE と対比して AmE について様々に書いてきたが,およそ現代の世界を取り巻く英語事情の潮流は Americanisation であるという趣旨で意見を述べてきた(例えば[2010-04-21-1]の記事を参照).Görlach教授にこの点について質問してみたら,西ヨーロッパではまだまだ BrE が主流であるとの回答だった.確かに,ヨーロッパを始めとしてイギリス植民地の歴史的背景を背負った世界中の多くの地域が新イギリス英語派であることは間違いないだろう.しかし,歴史的な背景の異なる他の多くの国々,特に日本を含めた EFL 国と呼ばれる国々では,英語といえばアメリカ英語という発想が若い人々の間には当たり前のように存在する.英語の Americanisation がじわじわと世界にしみわたってきているのは疑いようがない.
Americanisation という表現は,アメリカ英語という1つの方向への完全な収束を意味するものではない.あくまで,大勢として AmE が世界の英語変種に影響を及ぼしているということである.それでも,一応 conversion を語ってよいだろう.一方で,世界の英語変種は diversion をも示している.今後も地域レベルでの ESL 変種や EFL 変種が次々と現われてくるものと思われる.conversion と diversion が同時に起こっているというのは一見すると矛盾しているようだが,必ずしもそうではない.これにはいくつかの説明がありうるが,Görlach 教授が講演内で示した見方によると,語彙と発音とでは「向き」が異なるということである.多数の変種間で,語彙は収束し ( conversion ) ,発音は発散する ( diversion ) ものだという.確かに,例えば BrE で語彙が Americanise されてきていることは大いにあっても,発音までもが同程度に AmE に影響を受けることはない.アクセントの位置などへの影響は controversy や harass などに見られはするが,BrE の音素体系が全体的に揺るがされるわけではないとは言えるだろう.英語でも日本語でも,語彙や文法はほぼ標準変種に従っていながら,どうしてもお国訛りが抜けない話者はいる.発音は地が出やすいということだろう.
さて,精力的なGörlach先生は,今週末から来週にかけて関西方面で講演会とセミナーの予定である(詳細はこちら).残念ながら私は追っかけできないのだが,本ブログでもたびたび参照・引用させてもらっている大先生なので今後も注目してゆきたい.
昨日の記事[2010-08-16-1]で触れた gorgeous の話題の続編.昨日は「素敵な」の語義の拡大をイギリス英語を代表する BNC で見たが,アメリカ英語ではどうだろうかと思い,Corpus of Contemporary American English (COCA) にて調べてみることにした.というのは,『ビジネス技術実用英語大辞典第4版』に "My son is an extremely gorgeous baby." における gorgeous の使い方はアメリカ英語だという説明書きがあったからである.イギリス英語での用法はアメリカ語法 ( Americanism ) の波及という可能性があるということだろうか.
まずは,COCA で話し言葉サブコーパスに限定して調べてみると,興味深いことにこの20年間で確実に gorgeous の使用が増えている.
次に,話し言葉に限らず書き言葉も含めて調べると,やはりこの20年間で劇的に増えている.fiction, magazine, newspaper という書き言葉のジャンルでもかなりの頻度を示していることが,gorgeous の全体的な勢いを物語っている.
話し言葉に限っても限らなくても,ここ15年前後で gorgeous の頻度が倍増したことになる.今回の検索結果は,本来の語義「華麗な,豪華な」と新しい語義「素敵な」とを区別していないが,KWIC ( Keyword in Context ) をざっと眺めてみた限り,後者の語義のほうが多いようである.語義や語法の拡大というのは火がつくときには一気に火がつくのだなということが実感できる例だ.
今回の単純な調査だけでは,イギリス英語での使用増加が Americanisation によるものかどうかは判断できなかったが,少なくとも英米変種で今をときめく口語的形容詞といってよさそうだ.
World Englishes の議論でイギリス英語 ( BrE ) の権威が話題になるときに,チャールズ皇太子の英語観がたびたび引用されるのを目にする.以下は,The Times の1995年3月24日(金)の記事 "Prince says Americans are ruining the language" から,興味深い箇所をいくつか抜き出したものである.
He [The Prince of Wales] described American English as "very corrupting" and emphasised the need to maintain the quality of language . . . .
. . . increasing competition from America and Australia is threatening Britain's leading position in the lucrative language-teaching market.
The Prince said: "We must act now to ensure that English, and that to my way of thinking means English English, maintains its position as the world language well into the next century."
"Speaking after the launch [of the British Council's English 2000 project], Prince Charles elaborated on his view of the American influence. "People tend to invent all sorts of nouns and verbs, and make words that shouldn't be. I think we have to be a bit careful, otherwise the whole thing can get rather a mess."
In the long term, the British Council fears that instantaneous translation could see English replaced as the main international language by Chinese within three generations.
Other areas of increasing competition between British and American English include India, Eastern Europe and parts of Latin America. More than 30,000 Indian students now study in American colleges and universities, compared with 2,000 in Britain.
チャールズ皇太子の英語観がイギリス人,より正確には English English speakers の一般的な考え方をどのくらい代表しているかを客観的に示すことはできないが,私見では AmE を "corrupting" とみなし,EngE こそが正統であるとするメンタリティは EngE speakers に比較的広く行き渡っていると見ている.AmE speakers のなかにも EngE が正統とみなす人も少なくないと思われ,ブランドとしての EngE はいまだに存在しているといっていい.しかし,[2010-04-21-1]でみたように実力としては AmE が Americanization によって世界中の英語を席巻しつつあることは明らかである.上の引用の一つにあるように,近年は Australian English の活躍も甚だしい.また,英語内部の変種との競合とは別に,中国語などの外国語との競合も控えており,EngE の守護者としての Prince Charles と British Council の焦りが感じられる.
イギリスにとっては,EngE あるいは BrE の伝統ブランドの価値をいかに保ち,広めていくかは国家的な問題だろう.単に国の威信がかかっているだけだけでなく,国内の英語ビジネスが稼ぐ5億ポンドの経済(記事当時)もかかっているのだから.
ELF ( English as a Lingua Franca ) を扱っている本にはよく掲載されているが,現代世界における英語の広がりを示す世界地図がある.最初は Strevens によって作成されたが,後に改変されたものが Crystal (70) に現れた.Crystal 版のタイトルは "A family tree representation (based on a model by Peter Strevens) of the way English has spread around the world, showing the influence of the two main branches of American and British English".
Crystal の地図をそのままブログに掲載することはできないので,今回はそれをもとに作成した「ちょっと改訂版」を掲げる.ELF という文脈なので,英米ではなくあえて日本を中心にした世界地図の上に英米二大変種の展開を描いてみた.
この地図は,現代世界でおこなわれている主な英語の地域変種の祖をイギリス変種とアメリカ変種のいずれかに遡らせており,結果として歴史的展開と地理的展開を同時に表現することに成功している.英米二大変種の影響力が一目瞭然であり,概念図としては非常によくできていると思う.
一つの English が諸方言へ次々と枝分かれしていく様はちょうど印欧語族の系統図 ( see [2009-06-17-1] ) を想起させるが,[2010-05-03-1]の記事で話題にした「系統と影響は必ずしも峻別できない」という議論も同時に想起させられる.というのは,青とピンクに色分けされた二本の大枝は歴史的な「系統」を示すものの,現代では両者間の「影響」,特にアメリカ変種からの「影響」が著しく,現実的には青とピンクが混交しているからである.[2010-04-21-1]の記事で触れた英語の Americanization は,この地図でいえばさしずめピンク化ということになろう.
・ Strevens, P. "English as an International Language." The Other Tongue: English across Cultures. Ed. B. B. Kachru. Urbana: U of Illinois P, 1992.
・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
(後記 2010/05/23(Sun):Strevens のオリジナルとして挙げた Strevens の書誌情報は誤っていました.正しくは,以下のものです.また,いろいろな場所で再掲されているようです.
・ Strevens, Peter. Teaching English as an International Language. Oxford: Pergamon P, 1980.
・ Strevens, Peter. "English as an International Language: Directions in the 1990s." The Other Tongue: English across Cultures. 2nd ed. Ed. B. B. Kachru. Urbana: U of Illinois P, 1992.
・ McArthur, Tom. "Models of English." English Today 32 (October 1992). 12--21.
・ McArthur, Tom. The English Languages. Cambridge: CUP, 1998. 94.
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