標題の諺は「アダムが耕しイヴが紡いだとき,だれがジェントルマンであったのか」を意味する.14世紀後半のイングランドでは,英仏百年戦争 (hundred_years_war) と黒死病 (black_death) により人々が窮乏生活にあえいでいた.そんな中,1381年に農民一揆 (Peasants' Revolt) が勃発した.この一揆は,すぐに Richard II により鎮圧されたが,英語の復権にあずかって力があった事件として英語史上にも名を残している.
この農民一揆の指導者の1人が John Ball (d. 1381) である(もう1人が Wat Tyler (d. 1381)).Ball は聖職者だったが,階級社会を批判する説教をしたとして破門されていた.彼はロンドンの Blackheath で標題の文句を唱え,群衆を扇動して一揆へ駆り立てたとされる.後に Ball は審問され絞首刑となった.その後500年の時が流れ,19世紀後半の詩人・工芸美術家の William Morris (1834--96) が,社会主義の主張を込めて小説 A Dream of John Ball (1888) を著わし,Ball を有名にした.諺としては,後期中英語から近代英語にかけて知られていたようである.
delve は現代英語では「掘り下げる,徹底的に調べる」を意味し,This biography delves deep into the artist's private life. や If you're interested in a subject, use the Internet to delve deeper. のように用いる.しかし,古英語の語源形 delfan は文字通り「掘る;耕す」の意味で,現代の比喩的な語義が発達したのは17世紀半ばのことである.
農民一揆という歴史的事件から生まれた諺として記憶しておきたい.
・ Speake, Jennifer, ed. The Oxford Dictionary of Proverbs. 6th ed. Oxford: OUP, 2015.
先日の記事「#4338. 講座「英語の歴史と語源」の第9回「百年戦争と黒死病」のご案内」 ([2021-03-13-1]) でお知らせしたように,3月20日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・9 百年戦争と黒死病」を開講しました.数ヶ月に一度,ゆっくり続けているシリーズですが,いよいよ中世も終わりに近づいて来ました.
今回も厳しいコロナ禍の状況のなかで参加していただいた皆さんには感謝致します.熱心な質問やコメントもたくさんのいただき,ありがとうございました.
今回は,黒死病が重要テーマの1つということもあり,タイムリーを狙って「[特別編]コロナ禍と英語」という話題から始めました.その後,14--15世紀の2大事件ともいえる百年戦争 (hundred_years_war) と黒死病 (black_death) を取り上げ,その英語史上の意義を論じました.このような歴史上の大事件は,確かに後世の私たちにも強烈な印象を与えますが,その時代までに醸成されていた歴史の潮流を後押しする促進剤にすぎず,必ずしも事件そのものが本質的で決定的な役割を果たすわけではないと議論しました.現在のコロナ禍も大きな社会変化を引き起こしていると言われますが,本当のところは,既存の潮流を促進しているという点にこそ歴史上の意義があるのかもしれません.
今回の講座で用いたスライドをこちらに公開しておきます.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきます.
1. 英語の歴史と語源・9 「百年戦争と黒死病」
2. 第9回 百年戦争と黒死病
3. 目次
4. 1. [特別編]コロナ禍と英語
5. OED の特集記事
6. 2. 英語の地位の低下と復権(1066?1500年)
7. 英語の復権の歩み (#131)
8. 3. 百年戦争 (Hundred Years War)
9. 百年戦争前後の略年表
10. 百年戦争と英語の復権
11. 4. 黒死病 (Black Death)
12. 黒死病の社会(言語学)的影響 (1)
13. 黒死病と社会(言語学)的影響 (2)
14. 英語による教育の始まり (#1206)
15. 実は当時の英語(中英語)は繁栄していた
16. 黒死病は英語の復権に拍車をかけたにすぎない
17. まとめ
18. 参考文献
次回のシリーズ第10回は2021年5月29日(土)の15:30?18:45を予定しています.印欧祖語から始まった講座も,いよいよ近代に突入します.お題は「大航海時代と活版印刷術」です.この話題について,再び皆さんと議論できればと思います.講座の詳細はこちらからどうぞ.
来週3月20日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・9 百年戦争と黒死病」と題してお話しします.関心のある方は是非お申し込みください.趣旨は以下の通りです.
14世紀のイングランドは,英仏百年戦争 (1337--1453年) の勃発と,それに続く黒死病の蔓延(1348年の第一波)など数々の困難に見舞われました.これらの社会的な事件は,ノルマン征服以来定着していたフランス語による支配を転換させ,英語の復権を強く促す契機となりました.いよいよ英語はイングランドの国語という地位へと返り咲き,近代にかけて勢いを増していくことになります.標題の歴史的大事件のもつ英語史上の意義を考えてみたいと思います.
とりわけ黒死病が英語に与えたインパクトという問題に注目します.目下,新型コロナウィルスにより世界中の政治,経済,社会が大きな影響を受けていますが,英語をはじめとする諸言語もまたその影響下にあり,変容を余儀なくされています.疫病と言語の関わりは一般に思われているよりもずっと深いのです.650年ほど前にヨーロッパを襲った疫病は,いかにして英語とその歴史に衝撃を与えたのか.この問題について,一緒に検討していきたいと思います.同時に,目下の新型コロナウィルスと英語に関する話題も盛り込む予定です.
本ブログでも百年戦争 (hundred_years_war) や黒死病 (black_death) について幅広く扱ってきましたので,各記事をご覧ください.
新型コロナウィルス (COVID-19) が世界中で大流行しています.一刻も早く事態が終息することを願っています.英語史ブログ運営者としては,この時節に及んで中世ヨーロッパにもたらされた災禍である黒死病 (black_death) に触れないわけにはいきません.あえてこの話題を取り上げる次第です.
とはいえ,新しいことは何もありません.本ブログでは,英語史における黒死病の意義についてすでに多くの記事で検討してきました.以下にリンクを張りましたので,ぜひ関連する記事をご一読ください.とりわけお薦めは「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]) です.これは,2017年9月2日に朝日カルチャーセンター新宿教室で開いた「講座 歴史の動きと英語の変化」の第3回として「黒死病と英語」の題目の下で話した内容にもとづいています.エッセンスのみを記載していますが,ポイントは押さえているはずです.
・ 「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1])
・ 「#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考」 ([2009-09-13-1])
・ 「#144. 隔離は40日」 ([2009-09-18-1])
・ 「#1206. 中世イングランドにおける英語による教育の始まり」 ([2012-08-15-1])
・ 「#2990. Black Death」 ([2017-07-04-1])
・ 「#3053. 黒死病により農奴制から自由農民制へ」 ([2017-09-05-1])
・ 「#3054. 黒死病による社会の流動化と諸方言の水平化」 ([2017-09-06-1])
・ 「#3055. 黒死病による聖職者の大量死」 ([2017-09-07-1])
・ 「#3056. 黒死病による人口減少と技術革新」 ([2017-09-08-1])
・ 「#3057. "The Pardoner's Tale" にみる黒死病」 ([2017-09-09-1])
・ 「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1])
・ 「#3061. 誤用と正用という観念の発現について」 ([2017-09-13-1])
・ 「#3062. 1665年のペストに関する Samuel Pepys の記録」 ([2017-09-14-1])
・ 「#3065. 都市化,疫病,言語交替」 ([2017-09-17-1])
・ 「#3196. 中英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-26-1])
・ 「#3212. 黒死病,死の舞踏,memento mori」 ([2018-02-11-1])
・ 「#3780. Foley による「標準英語の発展」の記述」 ([2019-09-02-1])
1348年に初めてイギリスに飛び火した黒死病は,1066年のノルマン征服により下落していた英語の地位を回復するのにあずかって大きかったとするのが英語史の通説です.逆にいえば,もし黒死病が起こらなかったらば,英語は近代の入り口までにイングランドの国語としての地位を回復できなかった,あるいは回復したとしてももっと遅かっただろうという結論になります.さらに想像力をたくましくすれば,後の英語の世界的展開もなかった,あるいは遅れた,あるいは異なる形をとっていた,ということにもなり得ます.そうであれば,読者の皆さんも英語など学んでいなかったかもしれませんし,この英語史ブログも存在しなかったかもしれません.
上記の通説は英語史の一面を正しくとらえた説であると私も考えています.一方で黒死病の流行は世界史上著名な事件としてあまりによく知られているだけに,その効果や意義が過大評価されやすいという側面もあるのではないかと(自戒を込めて)考えています.英語復権 (reestablishment_of_english) の歩みは,ノルマン征服直後より始まっており,その後ゆっくりとではあるものの着実に進んでいたというのが歴史的事実です.黒死病はそのような従来の緩慢な傾向に,14世紀半ばというタイミングで拍車をかけたということでしょう.黒死病は英語の復権に一役買ったとはいえ,あくまで多数の要因の1つだったという解釈が妥当でしょう.
では,その他の多数の要因とは何でしょうか.これについては,英語の復権に関する reestablishment_of_english の記事群を読んでいただければと思います.そのなかでとりわけ重要な記事にのみ,以下にリンクを張っておきます.
・ 「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1])
・ 「#138. 黒死病と英語復権の関係について再考」 ([2009-09-12-1])
・ 「#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考」 ([2009-09-13-1])
・ 「#706. 14世紀,英語の復権は徐ろに」 ([2011-04-03-1])
・ 「#1207. 英語の書き言葉の復権」 ([2012-08-16-1])
・ 「#1821. フランス語の復権と英語の復権」 ([2014-04-22-1])
・ 「#2334. 英語の復権と議会の発展」 ([2015-09-17-1])
・ 「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1])
・ 「#3894. 「英語復権にプラス・マイナスに貢献した要因」の議論がおもしろかった」 ([2019-12-25-1])
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