初期中英語のスペリング事情をめぐって「#1238. アングロ・ノルマン写字生の神話」 ([2012-09-16-1]) という学説上の問題がある.昨今はあまり取り上げられなくなったが,文献で言及されることはある.初期中英語のスペリングが後期古英語の規範から著しく逸脱している事実を指して,写字生は英語を話せないアングロ・ノルマン人に違いないと解釈する学説である.
しかし,過去にも現在にも,英語母語話者であっても英語を書く際にスペリングミスを犯すことは日常茶飯だし,その書き手が「外国人」であるとは,そう簡単に結論づけられるものではないだろう.初期中英語期の名前事情について論じている Clark (548--49) も,強い批判を展開している.
Orthography is, as always in historical linguistics, a basic problem, and one that must be faced not only squarely but in terms of the particular type of document concerned and its likely sociocultural background. Thus, to claim, in the context of fourteenth-century tax-rolls, that 'OE þ, ð are sometimes written t, d owing to the inability of the French scribes to pronounce these sounds' . . . involves at least two unproven assumptions: (a) that throughout the Middle English period scriptoria were staffed chiefly by non-native speakers; and (b) that the substitutions which such non-native speakers were likely to make for awkward English sounds can confidently be reconstructed (present-day substitutes for /θ/ and /ð/, for what they are worth, vary partly according to the speakers' backgrounds, often involving, not /t/ and /d/, but other sorts of spirant, e.g., /s/ and /z/, or /f/ and /v/) Of course, if --- as all the evidence suggests --- (a) can confidently be dismissed, then (b) becomes irrelevant. The orthographical question that nevertheless remains is best approached in documentary terms; and almost all medieval administrative documents, tax-rolls included, were, in intention, Latin documents . . . . A Latin-based orthography did not provide for distinction between /θ/ and /t/ or between /ð/ and /d/, and so spellings of the sorts mentioned may reasonably be taken as being, like the associated use of Latin inflections, matters of graphic decorum rather than in any sense connected with pronunciation.
Clark の論点は明確である.名前のスペリングに関する限り,そもそも英語ではなくラテン語で(あるいは作法としてラテン語風に)綴られるのが前提だったのだから,英語話者とアングロ・ノルマン語話者のの発音のギャップなどという議論は飛んでしまうのである.
もちろん名前以外の一般語のスペリングについてどのような状況だったのかは,別問題ではある.
・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Ed. Olga Fischer. Cambridge: CUP, 1992. 542--606.
昨年2月26日に,同僚の井上逸兵さんと YouTube チャンネル「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を開始しました.以降,毎週レギュラーで水・日の午後6時に配信しています.最新動画は,一昨日公開された第91弾の「ゆる~い中世の英語の世界では綴りはマイルール?!through のスペリングは515通り!堀田的ゆるさベスト10!」です.
英語史上,前置詞・副詞の through はどのように綴られてきたのでしょうか? 後期中英語期(1300--1500年)を中心に私が調査して数え上げた結果,515通りの異なる綴字が確認されています.OED や MED のような歴史英語辞書,Helsinki Corpus, LAEME, LALME のような歴史英語コーパスや歴史英語方言地図など,ありとあらゆるリソースを漁ってみた結果です.探せばもっとあるだろうと思います.
標準英語が不在だった中英語期には,写字生 (scribe) と呼ばれる書き手は,自らの方言発音に従って,自らの書き方の癖に応じて,様々な綴字で単語を書き落としました.同一写字生が,同じ単語を異なる機会に異なる綴字で綴ることも日常茶飯事でした.とりわけ through という語は方言によって発音も様々だったため,子音字や母音字の組み合わせ方が豊富で,515通りという途方もない種類の綴字が生じてしまったのです.
関連する話題は hellog でもしばしば取り上げてきました.以下をご参照ください.
・ 「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1])
・ 「#54. through 異綴りベスト10(ワースト10?)」 ([2009-06-21-1])
・ 「#3397. 後期中英語期の through のワースト綴字」 ([2018-08-15-1])
・ 「#193. 15世紀 Chancery Standard の through の異綴りは14通り」 ([2009-11-06-1])
・ 「#219. eyes を表す172通りの綴字」 ([2009-12-02-1])
・ 「#2520. 後期中英語の134種類の "such" の異綴字」 ([2016-03-21-1])
・ 「#1720. Shakespeare の綴り方」 ([2014-01-11-1])
今回,515通りの through の話題を YouTube でお届けした次第ですが,その収録に当たって「小道具」を用意しました.せっかくですので,以下に PDF で公開しておきます.
・ 横置きA4用紙10枚に515通りの through の綴字を敷き詰めた資料 (PDF)
・ 横置きA4用紙1枚に1通りの through の綴字を大きく印字した全515ページの資料 (PDF)
・ 堀田の選ぶ「ベスト(ワースト)10」の through の綴字を印字した10ページの資料 (PDF)
ユルユル綴字の話題と関連して,同じ YouTube チャンネルより比較的最近アップされた第83弾「ロバート・コードリー(Robert Cawdrey)の英英辞書はゆるい辞書」もご覧いただければと(cf. 「#4978. 脱力系辞書のススメ --- Cawdrey さんによる英語史上初の英英辞書はアルファベット順がユルユルでした」 ([2022-12-13-1])).
昨日の記事「#4748. 中英語のスペリングの変異と書き言葉の自立性」 ([2022-04-27-1]) では,中英語のスペリングの変異が生み出された背景となる5パターンを紹介した.いずれも写字生の言語的レパートリーや写字上の振る舞いに関するものである.この写字生の振る舞いというものにも様々なパターンがあるが,McIntosh and Samuels によれば,おおまかに3パターンが区別されるという.LALME の General Introduction (§3.1.3) より,その3パターンを示そう.
A. He may leave the language more or less unchanged, like a modern scholar transcribing such a manuscript. This appears to happen only somewhat rarely.
B. He may convert it into his own kind of language, making innumerable modifications to the orthography, the morphology, and the vocabulary. This happens commonly.
C. He may do something somewhere between A and B. This also happens commonly.
端的にいえば,A の写字生は "literatim-copyist",B は "translator",C は「中間的な写字生」と呼んでおいてよいだろう.
写本テキストに表わされている言語の継承という観点からとらえなおせば,A は写本言語をもう1世代生きながらえさせる写字生,B はそれまでの歴史的蓄積を帳消しにして新系列を創始する写字生,C は部分的に旧系列を継承し,部分的に新系列を創始する写字生,ということになる.
写字生も早く仕事をする必要に迫られれば,「写経」ともいえる A の作業に要求されるような贅沢な時間の使い方は許されないだろう.いきおい B や,せめて C の仕事ぶりになっていくことは避けられない.実際,後期中英語にかけて写本作りの商業化が進むにつれ,B タイプの写字生の割合が大きくなっていったという.伝統の温存者ではなく新系列の創始者が台頭していった時代である.
・ McIntosh, Angus, M. L. Samuels, and M. Benskin. A Linguistic Atlas of Late Mediaeval English. 4 vols. Aberdeen: Aberdeen UP, 1986.
昨日の記事「#4085. 中英語研究における LALME の役割」 ([2020-07-03-1]) に引き続き,LALME の姉妹版である初期中英語の方言地図 LAEME についても,研究史上の重要な位置づけを紹介しておこう.
LAEME は,時代としては LALME よりも古い時代を扱うが,プロジェクトとしてはそのの後継として開始されたために「後発の利点」を活かしうる立場にあった.とはいえ,編者の1人 Laing は,初期中英語の呈する特殊事情ゆえに深い悩みを抱えていた.後期中英語よりもテキストの量がずっと少なく,分布も偏っており,そもそも方言同定の最初の頼みとなる "anchor texts" が得にくい.とりわけ初期のテキストは,古英語の West-Saxon Schriftsprache に影響されたものが多く,そのスペリングを方言同定のために利用することはできない.しかし,Laing はテキスト産出に貢献した写字生を丁寧に選り分け,どの写字生の関わったどの部分のスペリングがその写字生の出所を示している可能性が高いか,等の知見を粘り強く蓄積していった.結果として,何とか少数の "anchor texts" を得ることに成功し,それをもとに LALME 以来洗練されてきた "fit-technique" を適用して,他のテキストを地図上にプロットしていった --- 今回はデジタルの力を借りて --- のである.
LAEME の新機軸は,LALME に付随する積年の問題だった質問項目 (questionnaire) の設定を放棄したことにあった.語彙・文法的タグを付しながらテキストを電子コーパス化し,即席の質問項目に対応できるように準備したのである.もっとも,対象としたテキストの全文に対して完全なるタグ付けを行なったわけではなく,時に写字(生)に関する込み入った事情ゆえに不完全にとどまるなど困難な経緯もあったようだ.プロジェクトの時間上の制約もあり,最終的には初期中英語の網羅的なコーパスとはならなかったものの,タグ付けされた65万語からなる,堂々たる研究ツールに仕上がった.とりわけ同時代の英語の正書法,音韻論,形態論のためには,なくてはならない必須ツールである.
研究ツールとしての LAEME の最大の長所は,テキストが徹頭徹尾 "diplomatic" であることだ.デジタルでありながら写本の綴字に限りなく忠実であろうとする,この原文に対する "diplomatic" な態度は,他ではほとんど例を見出すことができない.私自身も博士論文研究で大変お世話になった,ありがたいツールである.以上,Lowe (1126) に依拠して執筆した.
・ Lowe, Kathryn A. "Resources: Early Textual Resources." Chapter 71 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1119--31.
英語表記において単語と単語の間に空白を入れる分かち書きの習慣については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) を始めとする distinctiones の各記事で取り上げてきた.この習慣は確かに古英語期にも見られたが,現代のそれに比べれば未発達であり,あくまで過渡期の段階にあった.実のところ,続く中英語期でも規範として完成はしなかったので,古英語の分かち書きの緩さを概観しておけば,中世英語全体の緩さが知れるというものである.
Baker は,古英語入門書において単語の分かち書き,および単語の途中での行跨ぎに関して "Word- and line-division" (159--60) と題する一節を設けている.以下,分かち書きについての解説.
Word-division is far less consistent in Old English than in Modern English; it is, in fact, less consistent in Old English manuscripts than in Latin written by Anglo-Saxon scribes. You may expect to see the following peculiarities.
・ spaces between the elements of compounds, e.g. aldor mon;
・ spaces between words and their prefixes and suffixes, e.g. be æftan, gewit nesse;
・ spaces at syllable divisions, e.g. len gest;
・ prepositions, adverbs and pronouns attached to the following words, e.g. uuiþbret walū, hehæfde;
・ many words, especially short ones, run together, e.g. þær þeherice hæfde.
The width of the spaces between words and word-elements is quite variable in most Old English manuscripts, and it is often difficult to decide whether a scribe intended a space. 'Diplomatic' editions, which sometimes attempt to reproduce the word-division of manuscripts, cannot represent in print the variability of the spacing on a hand-written page.
続けて,単語の途中での行跨ぎの扱いについて.
Most scribes broke words freely at the ends of lines. Usually the break takes place at a syllabic boundary, e.g. ofsle-gen (= ofslægen), sū-ne (= sumne), heo-fonum. Occasionally, however, a scribe broke a word elsewhere, e.g. forhæf-dnesse. Some scribes marked word-breaks with a hyphen, but many did not mark them in any way.
古英語期にもハイフンを使っていた写字生がいたということだが,この句読記号が一般化するのは「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) で述べたように16世紀後半のことである.
以上より,古英語の分かち書きの緩さ,ひいては正書法の緩さが分かるだろう.
・ Baker, Peter S. Introduction to Old English. 2nd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2007.
標題に関連する話題は「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1]),「#2453. 中英語における <u> の <o> による代用 (2)」 ([2016-01-14-1]),「#3513. come と some の綴字の問題」 ([2018-12-09-1]),「#3574. <o> で表わされる母音の問題 --- donkey vs monkey」 ([2019-02-08-1]) で取り上げてきた.今回は,「<u> の <o> による代用」という綴字慣習が初期中英語に生じ,後に分布を拡大させていった経緯に焦点を当てた Wełna の論文に依拠しつつ,先行研究の知見を紹介したい.
現代英語の monk, son, tongue などにみられる <o> の綴字は,歴史的には <u> だったものが,初期中英語期以降に <o> と綴りなおされたものである.この綴りなおしの理由は,上にリンクを張った記事でも触れてきたように,一般に "minim avoidance" とされる.[2016-01-11-1]の記事で述べたように,「母音を表す <u> はゴシック書体では縦棒 (minim) 2本を並べて <<ıı>> のように書かれたが,その前後に同じ縦棒から構成される <m>, <n>, <u>, <v>, <w> などの文字が並ぶ場合には,文字どうしの区別が難しくなる.この煩わしさを避けるために,中英語期の写字生は母音を表す <u> を <o> で置換した」ということだ.
しかし,英語史研究においては,"minim avoidance" 以外の仮説も提案されてきた.合わせて4つほどの仮説を Wełna (306--07) より,簡単に紹介しよう.
(1) 当時のフランス語やアングロ・ノルマン語でみられた <u> と <o> の綴字交替 (ex. baron ? barun) が,英語にももたらされた
(2) いわゆる "minim avoidance"
(3) ノルマン方言のフランス語で [o] が [u] へと上げを経た音変化が綴字にも反映された
(4) フランス語の綴字慣習にならって /y(ː)/ ≡ <u> と対応させた結果,/u/ に対応する綴字が新たに必要となったため
このように諸説あるなかで (2) が有力な説となってきたわけだが,実際には当時の綴字を詳しく調べても (2) の仮説だけですべての事例がきれいに説明されるわけではなく,状況はかなり混沌としているようだ.そのなかでも初期中英語期の状況に関する比較的信頼できる事実を Morsbach に基づいてまとめれば,次のようになる (Wełna 306) .
a. the 12th century English manuscripts employ the spelling <u>;
b. the first o-spellings emerge in the latter half of the 12th century;
c. <o> for <u> is still rare in the early 13th century and is absent in Ormulum, Katherine, Vices and Virtues, Proclamation, and several other texts;
d. from the latter half of the 13th century onwards the frequency of <o> grows, which results in both old <u> and new <o> spellings randomly used in texts composed even by the same scribe.
当時の「ランダム」な分布が,現代英語にまで延々と続いてきたことになる.手ごわい問題である.
・ Wełna, Jerzy. "<U> or <O>: A Dilemma of the Middle English Scribal Practice." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 305--23.
・ Morsbach, Lorenz. Mittelenglische Grammatik. Halle: Max Niemayer, 1896.
Worcester Cathedral, Dean and Chapter Library F 174 という写本の Fol. 63r, lines 14--28 に,緩い頭韻を示す短いテキストが収められている.オリジナルは古英語で書かれていたようだが,このテキストの言語はすでに初期中英語的な特徴を示している.写本はおそらく13世紀の第2四半世紀 (C13a2) に成立した.このテキストの直前には Ælfic の Grammar と Glossary が,直後には "Body and Soul" に関する頭韻詩が収められている.写本全体が "Worcester tremulous hand" として知られる写字生によって書かれている.
テキストの内容は,標題に示唆したように,ノルマン征服後に教育などの公的な場面で英語が用いられなくなってしまったことへの嘆きである.征服前の古英語期には英語で教育が行なわれ,イングランドは文化的に反映していたのに,今や英語を話さないノルマン人が教師となってしまっている,嗚呼,嘆かわしいことよ,という趣旨だ.
ポイントは,l. 15 と l. 18 の対比である.古英語期にはアングロサクソン人の教師が英語で人々を教育していたが (l. 15),ノルマン征服後の今では「他の人々」,すなわち大陸から渡ってきたノルマン人が(他の言語で)人々を教育していると,書き手は嘆いている.英語が公的な地位から振り落とされ,学問からも遠ざけられた様子がわかる.Dickins and Wilson 版 (2) のテキストを示そう.
[S]anctus Beda was iboren her on Breotene mid us, And he wisliche [bec] awende Þet þeo Englise leoden þurh weren ilerde. And he þeo c[not]ten unwreih, þe questiuns hoteþ, Þa derne diȝelnesse þe de[or]wurþe is. 5 Ælfric abbod, þe we Alquin hoteþ, He was bocare, and þe [fif] bec wende, Genesis, Exodus, Vtronomius, Numerus, Leuiticus, Þu[rh] þeos weren ilærde ure leoden on Englisc. Þet weren þeos biscop[es þe] bodeden Cristendom, 10 Wilfrid of Ripum, Iohan of Beoferlai, Cuþb[ert] of Dunholme, Oswald of Wireceastre, Egwin of Heoueshame, Æld[elm] of Malmesburi, Swiþþun, Æþelwold, Aidan, Biern of Wincæstre, [Pau]lin of Rofecæstre, S. Dunston, and S. Ælfeih of Cantoreburi. Þeos læ[rden] ure leodan on Englisc, 15 Næs deorc heore liht, ac hit fæire glod. [Nu is] þeo leore forleten, and þet folc is forloren. Nu beoþ oþre leoden þeo læ[reþ] ure folc, And feole of þen lorþeines losiæþ and þet folc forþ mid. Nu sæiþ [ure] Drihten þus, Sicut aquila prouocat pullos suos ad volandum, et super eo[s uolitat.] 20 This beoþ Godes word to worlde asende, Þet we sceolen fæier feþ [festen to Him.]
l. 20 のラテン語は,Deuteronomy 32:11 より.The King James Version から対応箇所を引用すると "As an eagle stirs up her nest, flutters over her young, spreads abroad her wings, takes them, bears them on her wings: / So the Lord alone did lead him, and there was no strange god with him." (ll. 11--12) とある.よそから来た「神」が疎ましい,という引っかけか.
この写本については,LAEME よりこちらの情報も参照.
・ Dickins, Bruce and R. M. Wilson, eds. Early Middle English Texts. London: Bowes, 1951.
書記における分かち書き (distinctiones) については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]) などで話題としてきた.今回も,分かち書きが歴史の過程で生み出されてきた発明品であり,初めから自然で自明の慣習であったわけではないことを,再度確認しておきたい.
西洋の書記の歴史では,分かち書き以前に,長い続け書き (scriptura continua) の時代があった.Crystal (3) の説明を引こう.
Word-spaces are the norm today; but it wasn't always so. It's not difficult to see why. We don't actually need them to understand language. We don't use them when we speak, and fluent readers don't put pauses between words as they read aloud. Read this paragraph out loud, and you'll probably pause at the commas and full stops, but you won't pause between the words. They run together. So, if we think of writing purely as a way of putting speech down on paper, there's no reason to think of separating the words by spaces. And that seems to be how early writers thought, for unspaced text (often called, in Latin, scriptura continua) came to be a major feature of early Western writing, in both Greek and Latin. From the first century AD we find most texts throughout the Roman Empire without words being separated at all. It was thus only natural for missionaries to introduce unspaced writing when they arrived in England.
しかし,英語の書記の歴史に関する限り,古英語期までには語と語を分割する何らかの視覚的な方法が模索されるようになっていた.Crystal (8--9) によれば,様々な方法が実験されたという(以下の引用中にある "Undley bracteate" については,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) を参照).
People experimented with word division. Some inscriptions have the words separated by a circle (as with the Undley bracteate) or a raised dot. Some use small crosses. Gradually we see spaces coming in but often in a very irregular way, with some words spaced and others not --- what is sometimes called an 'aerated' script. Even in the eleventh century, less than half the inscriptions in England had all the words separated.
考えてみれば,昨今のデジタル時代でも,分かち書きの手段は複数ある.URLやファイル名の文字列など,処理上の理由で空白が避けられる傾向がある場合には,例えば "this is an example of separation" と表記したいときに,次のようなヴァリエーションが考えられるだろう (Crystal 8--9 の議論も参照).
・ thisisanexampleofwordseparation
・ this.is.an.example.of.word.separation
・ this+is+an+example+of+word+separation
・ this_is_an_example_of_word_separation
・ this-is-an-example-of-word-separation
・ thiSiSaNexamplEoFworDseparatioN
・ ThisIsAnExampleOfWordSeparation
現代は,ある意味で scriptura continua が蘇りつつある時代とも言えるのかもしれない.続け書きを当然視する日本語書記の出番か!?
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
「#817. Netspeak における省略表現」 ([2011-07-23-1]) で見たように,ネット上では判じ絵 (rebus) の原理による文字遊びともいえる省略表現が広まっている.<Thx2U> (= Thanks to you) や <4U> (= For you) や <CUL8R> (= See you later) や <Engl&> (= England) のような遊び心を含んだ文字列である.これらの数字や記号 <&> の用例は,本来の表語文字(記号)を表音的に用いている例として興味深い.それぞれ意味は捨象し,[tuː], [fɔː], [eɪt], [ənd] という音列を表す純粋な表音文字として機能している.
これは現代人の言葉遊びにすぎないと思われるかもしれないが,実は古くから普通に行なわれてきた.例えば,接続詞 and を書き表わすのに古くは <&> ではなく数字の <7> に似た <⁊ > という記号 (Tironian et) が用いられていた(「#1835. viz.」 ([2014-05-06-1]) を参照).そして,これが接続詞 and を表わすものとしてではなく,他の語の一部をなす音列 [and] を表わすものとして表音的に用いられる例があった.この接続詞は,現代と同様に弱い発音では語尾音がしばしば脱落したので,[and] だけでなく [an] あるいは [a] を表音する文字としても機能した.例えば,The Owl and the Nightingale から,l. 1195 に現われる動詞の過去分詞形 anhonge の接頭辞 an- が Tironian et で書かれており,<<⁊honge>> と写本に見える.同じように,l. 1200 の動詞の過去分詞形 astorue も <<⁊storue>> と書かれており,接頭辞 a- が Tironian et で表わされている.
書き手の遊び心もあるだろうし,少しでも短く楽に書きたいという思いもあるだろう.書き手の思いと,その思いを満たす手段は,昔も今も何も変わらない.
・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.
英語の綴字標準化の歴史は,後期ウェストサクソン方言で標準的なものが現われるが,ノルマン征服後の初期中英語にはそれが無に帰し,後期中英語になって徐々に再標準化の兆しが芽生え,初期近代英語期中に標準化が進み,17--18世紀に標準綴字が確立した,と大雑把に要約できる.この概観によれば,初期中英語期は綴字の標準がまるでなかった時代ということになる.それはそれで間違ってはいないが,綴字標準とはいわずとも,ある程度一貫した綴字慣習ということであれば,この時代にも個人や小集団のレベルで実践されていた形跡が少数見つかる.よく知られているのは,(1) "AB language" の綴字, (2) Ormulum の作者 Orm の綴字,(3) ブリテン史 Brut をアングロ・フレンチ版から翻訳した Laȝamon の綴字である.
(1) "AB language" の名前は,修道女のための指南書 Ancrene Wisse を含む Cambridge, Corpus Christi College 402 という写本 (= A) と,関連する聖女伝や宗教論を含む Oxford, Bodleian Library, Bodley 34 の写本 (=B) に由来する.この2写本(及び関連するいくつかの写本)には,かなり一貫した綴字体系が採用されており,しかも複数の写字生によってそれが用いられていることから,おそらく13世紀前半に,ある南西中部の修道院か写本室が中心となって,標準綴字を作り上げる試みがなされていたのだろうと推測されている.
(2) Orm は,Lincolnshire のアウグスティノ修道士で,1200年頃に,聖書を分かりやすく言い換えた書物 Ormulum を著わした.現存する唯一のテキストは2万行を超す韻文の大作であり,それが驚くほど一貫した綴字で書かれている.Orm は,母音の量にしたがって後続する子音を重ねるなどの合理性を追究した独特な綴字体系を編みだし,それを自分の作品で実践したのである.この Orm の綴字は,他の写本にも類するものが発見されておらず,きわめて個人的な綴字標準化の事例だが,これは後の16世紀の個性的な綴字改革論者の先駆けといってよい.
(3) Laȝamon は,Worcestershire の司祭で,13世紀初頭に韻文の年代記を韻文で英語へ翻訳した.当時すでに古めかしくなっていたとおぼしき頭韻 (alliteration) や,古風な語彙・綴字を復活させ,ノスタルジックな雰囲気をかもすことに成功した.Laȝamon は,実際に古英語にあった綴字かどうかは別として,いかにも古英語風な綴字を意識的に用いた点で特異であり,これをある種の個人的な綴字標準化の試みとみることも可能だろう.
以上,Horobin (98--102) を参照して執筆した.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
昨日の記事「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]) に引き続き,分かち書きに関連する話題.
「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) でみたように,分かち書きの慣習の発生には,ラテン語を非母語とするアイルランドの修道僧の語学学習テクニックが関与していた.しかし,分かち書きが定着に貢献した要因は,そればかりではない.Crystal (10--13) によれば,7世紀までに発達していた黙読習慣や,St Augustine によるキリスト教教義の正しい伝授法という文化的・社会的な要因も関与していた.
黙読習慣が発達するということは,書き言葉が話し言葉とは区別される媒体として機能するようになったということであり,読み手に優しい書き方が模索される契機が生じたということである.別の観点からいえば,続け書きが本来もつ「読みにくさ」への寛容さが失われてきた.このことは,語間空白のみならず句読法 (punctuation) 一般の発達にも関係するだろう.
By the seventh century in England, word-spacing had become standard practice, reflecting a radical change that had taken place in reading habits. Silent reading was now the norm. Written texts were being seen not as aids to reading aloud, but as self-contained entities, to be used as a separate source of information and reflection from whatever could be gained from listening and speaking. It is the beginning of a view of language, widely recognized today, in which writing and speech are seen as distinct mediums of expression, with different communicative aims and using different processes of composition. And this view is apparent in the efforts scribes made to make the task of reading easier, with the role of spacing and other methods of punctuation becoming increasingly appreciated. (Crystal 10)
次に,キリスト教との関係でいえば,St Augustine などの初期キリスト教の教父が神学的解釈をめぐってテキストの微妙な差異にこだわりを示したことが,後の分かち書きを含む句読法を重視する傾向を生み出したという.
The origins of the change are not simply to do with the development of new habits of reading. They are bound up with the emergence of Christianity in the West, and the influential views of writers such as St Augustine. Book 3 of his (Latin) work On Christian Doctrine, published in the end of the fourth century AD, is entitled: 'On interpretation required by the ambiguity of signs', and in its second chapter we are given a 'rule for removing ambiguity by attending to punctuation'. Augustine gives a series of Latin examples where the placing of a punctuation mark in an unpunctuated text makes all the difference between two meanings. The examples are of the kind used today when people want to draw attention to the importance of punctuation, as in the now infamous example of the panda who eats, shoots and leaves vs eats shoots and leaves. But for Augustine, this is no joke, as the location of a mark can distinguish important points of theological interpretation, and in the worst case can make all the difference between orthodoxy and heresy. (Crystal 12--13)
また,上記2点とも間接的に関わるが,語間空白なしではとても読むに堪えないジャンルのテキストが現われるようになったことも,分かち書きの慣習を促進することになったろう.例えば,いわゆる文章ではなく,単語集というべき glossary の類いである.この種の単語一覧はそもそも備忘録用,参照用であり,声を出して読み上げるというよりは,見て確認する用途で使われることが多く,語と語の境界を明示することが特に要求されるテキストといってよい (Crystal 10--11) .
このように互いに関連するいくつかの文化的・社会的水脈が前期古英語の7世紀までに合流し,分かち書きの慣習が,いまだ現代風の完璧さは認められないものの,およそ一般化する契機を獲得したと考えられる,
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
現代の英語の書記では当然視されている分かち書き (distinctiones) が,古い時代には当然ではなく,むしろ続け書き (scriptio continua) が普通だったことについて,「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) で述べた.実際,古英語の碑文などでは語の区切りが明示されないものが多いし,古英語や中英語の写本においても現代風の一貫した分かち書きはいまだ達成されていない.
だが,分かち書きという現象そのものがなかったわけではない.「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) でみた最初期のルーン文字碑文ですら,語と語の間に空白ではなくとも小丸が置かれており,一種の分かち書きが行なわれていたことがわかるし,7世紀くらいまでには写本に記された英語にしても,語間の空白挿入は広く行なわれていた.ポイントは,「広く行なわれていた」ことと「現代風に一貫して行なわれていた」こととは異なるということだ.分かち書きへの移行は,古い続け書きの伝統の上に新しい分かち書きの方法が徐々にかぶさってきた過程であり,両方の書き方が共存・混在した期間は長かったのである.英語の句読法 (punctuation) の歴史について一般に言えるように,語間空白の規範は中世期中に定められることはなく,あくまで書き手個人の意志で自由にコントロールしてよい代物だった.
書き手には空白を置く置かないの自由が与えられていただけではなく,空白を置く場合に,どれだけの長さのスペースを取るかという自由も与えられていた.ちょうど現代英語の複合語において,2要素間を離さないで綴るか (flowerpot),ハイフンを挿入するか (flower-pot),離して綴るか (flower pot) が,書き手の判断に委ねられているのと似たような状況である.いや,現代の場合にはこの3つの選択肢しかないが,中世の場合には空白の微妙な量による調整というアナログ的な自由すら与えられていたのである.例えば,語より大きな統語的単位や意味的単位をまとめあげるために長めの空白が置かれたり,形態素レベルの小単位の境を表わすのに僅かな空白が置かれるなど,書き手の言語感覚が写本上に精妙に反映された.
Crystal (11-12) はこの状況を,Ælfric の説教からの例を挙げて説明している.
Very often, some spaces are larger than others, probably reflecting a scribe's sense of the way words relate in meaning to each other. A major sense-break might have a larger space. Words that belong closely together might have a small one. It's difficult to show this in modern print, where word-spaces tend to be the same width, but scribes often seemed to think like this:
we bought a cup of tea in the cafe
The 'little' words, such as prepositions, pronouns, and the definite article, are felt to 'belong' to the following content words. Indeed, so close is this sense of binding that many scribes echo earlier practice and show them with no separation at all. Here's a transcription of two lines from one of Ælfric's sermons, dated around 990.
þærwæronðagesewene twegenenglas onhwitumgẏrelū;
þær wæron ða gesewene twegen englas on hwitum gẏrelū;
'there were then seen two angels in white garments'
Eacswilc onhisacennednẏsse wæronenglasgesewene'.
Eacswilc on his acennednẏsse wæron englas gesewene'.
'similarly at his birth were angels seen'
The word-strings, separated by spaces, reflect the grammatical structure and units of sense within the sentence.
話し言葉では,休止 (pause) や抑揚 (intonation) の調整などを含む各種の韻律的な手段でこれと似たような機能を果たすことが可能だが,書き言葉でその方法が与えられていたというのは,むしろ現代には見られない中世の特徴というべきである.関連して「#1910. 休止」 ([2014-07-20-1]) も参照.
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
昨日の記事「#2520. 後期中英語の134種類の "such" の異綴字」 ([2016-03-21-1]) に続き,今回は初期中英語コーパス LAEME で "such" の異綴字を取り出してみたい (see 「#1262. The LAEME Corpus の代表性 (1)」 ([2012-10-10-1])) .この語は,初期中英語では形容詞,副詞,接続詞として用いられ,形容詞の場合には屈折もするので,全体として様々な形態が現われる.アルファベット順に一覧しよう(かっこ内の数値は文証される頻度).
hsƿucche (1), schilke (1), schuc (3), scli (1), scuche (1), sec (1), secc (1), secche (1), sech (2), seche (1), selk (1), selke (1), shuc (1), shuch (1), siche (1), silc (1), silk (3), sli (1), slic (5), sliik (1), slik (3), slike (1), slk (1), sly (1), soch (5), soche (1), solchere (1), suc (2), sucche (2), such (51), suche (1), suecche (1), suech (1), sueche (1), sueh (1), sug (1), suic (1), suicchne (1), suich (12), suiche (3), suilc (14), suilce (1), suilch (1), suilk (1), suilke (2), sulch (1), sulche (1), sulk (1), sulke (1), suuche (1), suweche (1), suwilk (1), suyc (1), suych (4), suyche (1), svich (2), sƿche (1), sƿic (3), sƿicche (1), sƿich (1), sƿiche (14), sƿichne (1), sƿilc (30), sƿilch (22), sƿilche (1), sƿilcne (1), sƿilk (14), sƿillc (10), sƿillke (2), sƿi~lch (1), sƿlche (1), sƿuc (4), sƿucch (1), sƿucche (4), sƿucches (1), sƿuch (1), sƿuche (1), sƿuchne (1), sƿuilc (1), sƿulc (8), sƿulce (1), sƿulche (9), swch (1), swecche (1), swech (1), sweche (2), swich (5), swiche (1), swics (1), swil (1), swilc (5), swilce (1), swilk (2), swilke (2), swilkee (2), swlc (1), swlch (1), swlche (1), swlchere (1), swlcne (1), swuche (2), swuh (1), swulcere (1), swulch (3), swulchen (1), swulchere (1), swulke (1), swulne (1), zuich (10), zuiche (14), zuichen (3), zuych (10), zuyche (2)
大文字と小文字の区別はつけずに,合計113種類の綴字が文証される.そのなかで頻度にしてトップ5の綴字を抜き出すと,such, sƿilc, sƿilch, sƿilk, sƿiche となり,この5種類だけで全用例369個のうち131個 (35.5%) を占める.
昨日の後期中英語からの134種類と合わせ,重複綴字を減算すると,中英語全体として247種類の異綴字があることになる.使用した方言地図やコーパスも必ずしも網羅的ではないので,これは控えめな数値と思われる.例えば,MED の swich (adj.) に掲げられている異綴字を加えれば,種類はもう少し増えるだろう.
「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1]),「#219. eyes を表す172通りの綴字」 ([2009-12-02-1]) に引き続き,英語史における著しい綴字の変異について.今回は,異綴字の種類の多さに定評のある(?) "such" を取り上げる.
「#1622. eLALME」 ([2013-10-05-1]) で紹介した,後期中英語の方言地図 LALME の改訂・電子版 eLALME において,Item List 10 が "such" を扱っている.この一覧から異綴字を抜き出すと,不確かな例を除いて少な目に数えても,以下の134種類が挙がる(かっこ内の数値は文証される頻度).
asoche (1), aswyche (1), schch (1), schech (1), scheche (3), schiche (1), schoche (1), scht (1), schuc (1), schuch (3), schuche (4), schut (1), schute (1), sclik (2), sclike (1), sclyk (2), sclyke (2), scoche (1), scwche (1), sech (8), seche (39), sewyche (2), shich (1), shiche (1), shoch (1), shoche (1), shuch (5), shuche (3), shych (1), sic (6), sic- (1), sich (53), siche (101), sick (1), sɩͨh (1), sik (1), sik- (1), sike (2), silk (3), sli (1), slieke (1), slik (10), slike (26), slilk (2), slkyke (1), slyk (13), slyke (26), soch (12), soche (60), souche (3), sowche (2), soyche (1), squike (1), squilk (2), squylk (1), sqwych (1), sqwyche (1), sswiche (1), suc (1), succh (1), sucche (5), such (242), suche (375), suchee (1), sucheȝ (1), suchet (1), sucht (1), suchte (1), suech (4), sueche (6), suhc (1), suhe (1), suich (9), suiche (7), suilk (6), suilk- (1), suilke (3), suilkin (1), sulc (1), sulk (4), sulke (2), sutche (1), suth (1), suuch (1), suuche (1), suuech (1), suueche (1), suych (13), suyche (15), suylk (7), suylke (6), svche (1), sviche (1), swc (1), swch (7), swche (4), swech (19), sweche (48), swelk (4), swhiche (2), swhilke (2), swhych (2), swhyche (1), swic (2), swich (77), swiche (84), swichee (1), swilc (3), swilk (76), swilke (45), swilkes (1), swisɩͨhe (1), swlk (1), swlke (1), swuch (3), swuche (2), swych (56), swyche (65), swyeche (1), swyk (1), swyke (1), swyl (1), swylk (62), swylke (35), swylle (1), syc- (1), sych (23), syche (67), syge (1), syk (4), syk- (1), syke (5), sylk (3), sylke (2)
方言の別を度外視して頻度の統計を取ると,トップ10が suche, such, siche, swiche, swich, swilk, syche, swyche, swylk, soche である.トップの2種類 suche と such は現代英語を見慣れている者にとって,十分常識的にみえるだろう.実際,この2種類だけで617例が文証され,総1867例のほぼ3分の1を占める.また,トップの10種類だけで,ほぼ3分の2を占める.したがって,異綴字がこれだけ多くあるからといって,そのまま完全なる混沌に等しい,ということにはならない.このような事情は,中英語期に多種類の綴字が認められる多くの語について認められ,混沌のなかにもある程度の秩序らしきものがが宿っているといえる.そうだとしても,当時の書き手と読み手にとってはやはり不便な状況だったに違いない.この点については,「#1311. 綴字の標準化はなぜ必要か」 ([2012-11-28-1]),「#1450. 中英語の綴字の多様性はやはり不便である」 ([2013-04-16-1]) で論じた通りである.
初期中英語や近現代の諸方言形を調べれば,もっと異綴字の種類は増すだろう.出典は失念したが,数え方にもよるものの,500種類ほどという数字を見かけたことがある・・・.
英語の本などで見かける「¶」は段落記号である.英語では,"plicrow", "paragraph mark", "paragraph sign" などと呼ばれる.P(aragraph) を左向きにしたものだろうと思い込んでいたが,調べる機会があり,そうではないと知った.結論からいえば,C の右手に2重縦線を延ばしたものということだ.
Parkes (302) によると,西洋の写本の初期の時代より,段落や節といった内容的にまとまった単位の文章であることを示すのに,様々な記号が使われてきた.テキストのなかで特定の話題を扱う部分,注目点,命題が始まるときに,これらを意味する capitulum (kapitulum) の頭文字を取って「.K.」と表記する例がしばしば見られた.また,C をもとにした「₵」や「¶」も発達した.後者に含まれる2重縦線は,写字生が,後に朱書きすべき箇所を示すのに「//」のような2本斜線を用いたことに由来する.ただし,この「//」自体が段落の開始を表わすのに十分な機能を備えていたため,そのまま段落記号としても用いられるようになった.一方,類似した機能として,段落の始めに「γ」「Γ」「§」などを付す paragraphus の慣習も発達していた (Parkes 305) .
発達の詳細は調べていないが,どうやらこれらの諸記号が機能と形式の両面において合流し,paraph と呼ばれることになる句読記号が確立してきたものらしい.その代表として現代まで受け継がれてきたのが「¶」ということになる.
現代英語の書き言葉では,段落を示すには,字下げ(インデント)を用いるのが一般的だろう.しかし,電子文書などでさらに一般化しつつあるのが,字下げを伴わない1行空けである.この慣習は,日本語の書き言葉においてもでも爆発的に拡がっていると思われる.
目的を達成する手段・形式はどうであれ,段落という(あるいはそれに類する)内容的な単位を示したいという欲求は,古今東西,常に書き手のうちにあったということだろう.
本ブログで扱ったもう1つの句読記号については,「#1274. hedera, or ivy-leaf」 ([2012-10-22-1]) を参照.
・ Parkes, M. B. Pause and Effect: An Introduction to the History of Punctuation in the West. Aldershot: Scholar P, 1992.
現代英語の speak, speech は,それぞれ形態的には古英語の sprecan, sprǣc などに遡るが,歴史の過程で r が消失してきたことに気づく.現代ドイツ語の対応語 sprechen, Sprache にも r が含まれていることから分かるとおり,r を含むゲルマン祖語形が共通の起源である (PGmn *sprekan, *sprǣkjō) .
OED や語源辞典で調べると,英語の語形における r の消失はすでに後期古英語から観察され,11世紀には一般的になった.一方で,古い r を有する形態は12世紀半ば以降に廃れていった.この r の消失は,OHG, MHG, MDu. の対応形においても稀に見いだされるようだが,英語内部での類例としては pang (< ME prange) が参照されているほどにすぎず,広く生じた音韻過程ではないことは明らかである.
上の記述によると11--12世紀に新旧形の交代と共存がみられたことになるが,MED で旧形の sprēcen (v.) を引くと,挙げられている用例のほとんどが The Peterborough Chronicle からである.13世紀からの例も1つ挙げられているが,12世紀前半から半ばにかけて書かれた The Peterborough Chronicle が,r 形の常用を示す事実上最後のテキストとみなしてよいだろう.
ちょうど最近 The Peterborough Chronicle の1123年を読んでいて,r を示す興味深い事例に出会った.Earle and Plummer 版からその箇所を引用する.
. . . se king rad in his der fald and se biscop Roger of Seres byrig on an half him. and se biscop Rotbert Bloet of Lincolne on oðer half him. 7 riden þær sp`r'ecende.
Henry I が仲間たちと狩猟に出かけ,「おしゃべりをしながら」馬に乗ってるシーンである.引用の最後に現在分詞形として綴られている sp`r'ecende が問題の語形だが,写字生は最初 specende と綴り,その後に r を p の前に挿入した形跡がある.r の挿入の位置についてはケアレスミスと考えてよいだろうが,興味深いのは,r をわざわざ挿入して,同テキスト内の他の sprecon などの形態と合わせていることである.
この写字生の行動の動機を想像してみよう.おそらく写字生の話し言葉において,すでに r のない specen のような形態が普通だったのではないか.それで,思わず書き言葉上でも specende と綴ってしまった.しかし,文章語においては,当時までにすでに古めかしく,格式張った響きを帯びるようになった変異形 sprecen のほうがふさわしいと思い直し,r を挿入したのではないか.1121年以前のいわゆる "Copied Annals" 部を書写するなかで,この写字生は古英語の標準的な書き言葉で語を綴ることに慣れており,続く "First Continuation" の部分を書く際にも,規範性を引きずっていた形跡があちらこちらに見られる.写字生の r の挿入は,このような文脈のなかで捉える必要があるのではないか.
もしこのシナリオが妥当だとすれば,sprecen から r が消失していった過程のみならず,12世紀前半の東中部方言において新旧各形の帯びていた register も垣間見られるということになる.
・ Earle, John and Charles Plummer, eds. Two of the Saxon Chronicles Parallel with Supplementary Extracts from the Others. London: OUP, 1892. 2 vols.
一昨日の記事「#2056. 中世フランス語と英語における語源的綴字の関係 (1)」 ([2014-12-13-1]) で,フランス語の語源的綴字 (etymological_respelling) が同音異義語どうしを区別するのに役だったという点に触れた.フランス語において語源的綴字がそのような機能を得たということは,別の観点から言えば,フランス語の書記体系が表音 (phonographic) から表語 (logographic) へと一歩近づいたとも表現できる.このような表語文字体系への接近が,英語では中英語から近代英語にかけて生じていたのと同様に,フランス語では古仏語から中仏語にかけて生じていた.むしろフランス語での状況の方が,英語より一歩も二歩も先に進んでいただろう.(cf. 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]),「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]),「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1]).)
フランス語の状況に関しては,当然ながら英語史ではなくフランス語史の領域なので,フランス語史概説書に当たってみた.以下,Perret (138) を引用しよう.まずは,古仏語の書記体系は表音的であるというくだりから.
L'ancien français : une écriture phonétique
. . . . dans la mesure où l'on disposait de graphèmes pour rendre les son que l'on entendait, l'écriture était simplement phonétique (feré pour fairé, souvent kí pour quí) . . . .
Perret (138--39) は続けて,中仏語の書記体系の表語性について次のように概説している.
Le moyen français : une écriture idéographique
À partir du XIIIe siècle, la transmission des textes cesse d'être uniquement orale, la prose commence à prendre de l'importance : on écrit aussi des textes juridiques et administratifs en français. Avec la prose apparaît une ponctuation très différente de celle que nous connaissons : les textes sont scandés par des lettrines de couleur, alternativement rouges et bleues, qui marquent le plus souvent des débuts de paragraphes, mais pas toujours, et des points qui correspondent à des pauses, généralement en fin de syntagme, mais pas forcément en fin de phrase. Les manuscrits deviennent moins rares et font l'objet d'un commerce, ils ne sont plus recopiés par des moines, mais des scribes séculiers qui utilisent une écriture rapide avec de nombreuses abréviations. On change d'écriture : à l'écriture caroline succèdent les écritures gothique et bâtarde dans lesquelles certains graphèmes (les u, n et m en particulier) sont réduits à des jambages. C'est à partir de ce moment qu'apparaissent les premières transformations de l'orthographe, les ajouts de lettres plus ou moins étymologiques qui ont parfois une fonction discriminante. C'est entre le XIVe et le XVIe siècle que s'imposent les orthographes hiver, pied, febve (où le b empêche la lecture ‘feue’), mais (qui se dintingue ainsi de mes); c'est alors aussi que se développent le y, le x et le z à la finale des mots. Mais si certains choix étymologiques ont une fonction discrminante réelle, beaucoup semblent n'avoir été ajoutés, pour le plaisir des savants, qu'afin de rapprocher le mot français de son étymon latin réel ou supposé (savoir s'est alors écrit sçavoir, parce qu'on le croyait issu de scire, alors que ce mot vient de sapere). C'est à ce moment que l'orthographe française devient de type idéographique, c'est-à-dire que chaque mot commence à avoir une physionomie particulière qui permet de l'identifier par appréhension globale. La lecture à haute voix n'est plus nécessaire pour déchiffrer un texte, les mots peuvent être reconnus en silence par la méthode globale.
引用の最後にあるように,表語文字体系の発達を黙読習慣の発達と関連づけているところが実に鋭い洞察である.声に出して読み上げる際には,発音に素直に結びつく表音文字体系のほうがふさわしいだろう.しかし,音読の機会が減り,黙読が通常の読み方になってくると,内容理解に直結しやすいと考えられる表語(表意)文字体系がふさわしいともいえる (cf. 「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])) .音読から黙読への転換が,表音文字から表語文字への転換と時期的におよそ一致するということになれば,両者の関係を疑わざるを得ない.
フランス語にせよ英語にせよ,語源的綴字はルネサンス期のラテン語熱との関連で論じられるのが常だが,文字論の観点からみれば,表音から表語への書記体系のタイポロジー上の転換という問題ともなるし,書物文化史の観点からみれば,音読から黙読への転換という問題ともなる.<doubt> の <b> の背後には,実に学際的な世界が広がっているのである.
・ Perret, Michèle. Introduction à l'histoire de la langue française. 3rd ed. Paris: Colin, 2008.
昨日の記事に引き続き,英仏両言語における語源的綴字 (etymological_respelling) の関係について.Scragg (52--53) は,次のように述べている.
Throughout the Middle Ages, French scribes were very much aware of the derivation of their language from Latin, and there were successive movements in France for the remodelling of spelling on etymological lines. A simple example is pauvre, which was written for earlier povre in imitation of Latin pauper. Such spellings were particularly favoured in legal language, because lawyers' clerks were paid for writing by the inch and superfluous letters provided a useful source of income. Since in France, as in England, conventional spelling grew out of the orthography of the chancery, at the heart of the legal system, many etymological spellings became permanently established. Latin was known and used in England throughout the Middle Ages, and there was a considerable amount of word-borrowing from it into English, particularly in certain registers such as that of theology, but since the greater part of English vocabulary was Germanic, and not Latin-derived, it is not surprising that English scribes were less affected by the etymologising movements than their French counterparts. Anglo-Norman, the dialect from which English derived much of its French vocabulary, was divorced from the mainstream of continental French orthographic developments, and any alteration in the spelling of Romance elements in the vocabulary which occurred in English in the fourteenth century was more likely to spring from attempts to associate Anglo-Norman borrowings with Parisian French words than from a concern with their Latin etymology. Etymologising by reference to Latin affected English only marginally until the Renaissance thrust the classical language much more positively into the centre of the linguistic arena.
重要なポイントをまとめると,
(1) 中世フランス語におけるラテン語源を参照しての文字の挿入は,写字生の小金稼ぎのためだった.
(2) フランス語に比べれば英語にはロマンス系の語彙が少なく(相対的にいえば確かにその通り!),ラテン語源形へ近づけるべき矯正対象となる語もそれだけ少なかったため,語源的綴字の過程を経にくかった,あるいは経るのが遅れた (cf. 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])) .
(3) 14世紀の英語の語源的綴字は,直接ラテン語を参照した結果ではなく,Anglo-Norman から離れて Parisian French を志向した結果である.
(4) ラテン語の直接の影響は,本格的にはルネサンスを待たなければならなかった.
では,なぜルネサンス期,より具体的には16世紀に,ラテン語源形を直接参照した語源的綴字が英語で増えたかという問いに対して,Scragg (53--54) はラテン語彙の借用がその時期に著しかったからである,と端的に答えている.
As a result both of the increase of Latinate vocabulary in English (and of Greek vocabulary transcribed in Latin orthography) and of the familiarity of all literate men with Latin, English spelling became as affected by the etymologising process as French had earlier been.
確かにラテン語彙の大量の流入は,ラテン語源を意識させる契機となったろうし,語源的綴字への影響もあっただろうとは想像される.しかし,語源的綴字の潮流は前時代より歴然と存在していたのであり,単に16世紀のラテン語借用の規模の増大(とラテン語への親しみ)のみに言及して,説明を片付けてしまうのは安易ではないか.英語における語源的綴字の問題は,より大きな歴史的文脈に置いて理解することが肝心なように思われる.
・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.
英語史における語頭の <h> を巡る問題は,それ自体が歴史をもっている.英語史において語頭の <h> は実際に発音されてきたのか,それとも発音されてこなかったのか.発音されなかったとすると,どの時代に,どの変種で発音されなかったのか.そして,いつどのようにして標準変種では <h> が発音 [h] として「復活」したのか.その音韻論的位置づけはどうなっているのか.フランス借用語などによる影響はあったのか,なかったのか.解決していない問題が山積みである.
語頭の <h> の研究史上,最も古い説は,今では「アングロ・ノルマン写字生の神話」と呼ばれている仮説である(「#1238. アングロ・ノルマン写字生の神話」 ([2012-09-16-1]) を参照).この説によれば,語頭の <h> は常に発音 [h] として実現されてきた.基本的には <h> = [h] の関係は,中英語を含む英語史の全時代にわたって維持されてきた.中英語によく見られる <h> に関する綴字の誤りは,英語を理解しないアングロ・ノルマン写字生により導入されたものにすぎず,英語史において [h] が消失したことを示す証拠とはなりえない,とする.この説に関して,Crisma (Were 51) が明快に要約しているので,引用する.
[T]he traditional view . . . is that [h]- was preserved before vowels throughout ME, though it could be dropped in words bearing weak stress, such as pronouns and forms of auxiliary have. Spelling errors involving <h>- are noted, but they are not considered sufficient evidence for [h]- loss, being dismissed by attributing them to '(Anglo-)Norman' scribes. The general validity of this treatment of errors, however, has been very convincingly questioned by Clark . . ., who labels it as a 'myth'.
現在では「アングロ・ノルマン写字生の神話」説は受け入れられていない.そこで,新しい仮説が現れた.中英語期に語頭の <h> は綴字としては旧来通りに残っていたが,発音としては消失したというものである.語頭の <h> の綴字を巡る誤りが頻繁であること,Pearl-poet などで <h> で始まる語と母音で始まる語が頭韻を踏む例があること,Chaucer などで語末の <e> の脱落に関して,後続する語頭の <h> と母音が同じ振る舞いを示すことなどから,語頭の [h] は発音としては失われていたと解釈すべきだという議論である.現在ではすでに伝統的となっている仮説だが,「#1675. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (2)」 ([2013-11-27-1]) でも問題として取り上げたとおり,もし中英語期での消失を仮定すると,近代英語期でのほぼ完全なる「復活」をどのように説明するかという難問が生じる.Crisma (Were 52) もこの難点を指摘している.
Assuming an early and widespread loss of word-initial [h]- poses the problem of how to account for its eventual restoration. It seems dubious that this might have happened 'mainly via spelling and the influence of the schools' (Lass, 1992: 62), first because [h], if it was really generally lost at some point, was re-established without errors in all native words, which would be a spectacular success indeed.
語頭の [h] は消失したのか,しなかったのか.次いで,この問題を巡って折衷的な仮説が現れた.Milroy, J. ("On the Sociolinguistic History of /h/-Dropping in English." Current Topics in English Historical Linguistics. Ed. M. Devenport, E. Hansen, and H. -F. Nielsen. Odense: Odense UP, 1983. 37--53) は,語頭の [h] が消失した変種と消失しなかった変種があり,両変種が文体的な変異として話者個人のなかに共存していたと考えた.これによれば,近代英語期の語頭の [h] の復活も大きな問題とはならない.
現在,この折衷路線は,異なった形ではあるが,Paola Crisma や Julia Schlüter などの研究者が推進している.
・ Crisma, Paola. "Were They 'Dropping their Aitches'? A Quantitative Study of h-Loss in Middle English." English Language and Linguistics 11 (2007): 51--80.
・ Crisma, Paola. "Word-Initial h- in Middle and Early Modern English." Phonological Weakness in English: From Old to Present-Day English. Ed. Donka Minkova. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. 130--67.
・ Schlüter, Julia. "Consonant or 'Vowel'? A Diachronic Study of Initial <h> from Early Middle English to Nineteenth-Century English." Phonological Weakness in English: From Old to Present-Day English. Ed. Donka Minkova. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. 168--96.
話し言葉において生じていた言語変化が,伝統的で保守的な書き言葉に反映されずに,後世の観察者の目に見えてこないという可能性は,文献学上,避けることのできないものである.例えば,ある語が,ある時代の書き言葉に反映されていないからといって,話し言葉として用いられていたかもしれないという可能性は否定できず,OED の初出年の扱い方に関する慎重論などは至る所で聞かれる.確かに大事な慎重論ではあるが,これをあまりに推し進めると,文献上に確認されない如何なることも,話し言葉ではあり得たかもしれないと提起できることになってしまう.また,関連する議論として,書き言葉上で突如として大きな変化が起こったように見える場合に,それは書き言葉の伝統の切り替えに起因する見かけの大変化にすぎず,対応する話し言葉では,あくまで変化が徐々に進行していたはずだという議論がある.
中英語=クレオール語の仮説でも,この論法が最大限に利用されている.Poussa は,14世紀における Samuels の書き言葉の分類でいう Type II と Type III の突如の切り替えは,対応する話し言葉の急変化を示すものではないとし,書き言葉に現われない水面下の話し言葉においては,Knut 時代以来,クレオール化した中部方言の koiné が続いていたはずだと考えている.そして,Type III の突然の登場は,14世紀の相対的なフランス語の地位の下落と,英語の地位の向上に動機づけられた英語標準化の潮流を反映したものだろうと述べている.
. . . if we take the view that the English speech of London had, since the time of Knut, been a continuum of regional and social varieties of which the Midland koiné was one, then it is easier to explain the changes in the written language [from Type II to Type III] as jerky adjustments to a gradual rise in social status of the spoken Midland variety. (80)
似たような議論は,近年さかんに論じられるようになってきたケルト語の英語統語論に及ぼした影響についても聞かれる(例えば,[2011-03-17-1]の記事「#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響」を参照).古英語の標準書き言葉,Late West-Saxon Schriftsprache の伝統に掻き消されてしまっているものの,古英語や中英語の話し言葉には相当のケルト語的な統語要素が含まれていたはずだ,という議論だ.英語がフランス語のくびきから解き放たれて復権した後期中英語以降に,ようやく話し言葉が書き言葉の上に忠実に反映されるようになり,すでにケルト語の影響で生じていた do-periphrasis や進行形が,文献上,初めて確認されるようになったのだ,と論じられる.
しかし,これらの議論は,文献学において写本研究や綴字研究で蓄積されてきた scribal error や show-through といった,図らずも話し言葉が透けて見えてしまうような書記上の事例を無視しているように思われる.写字生も人間である.書記に際して,完全に話し言葉を封印するということなどできず,所々で思わず話し言葉を露呈してしまうのが自然というものではないだろうか.
話し言葉が,相当程度,書き言葉の伝統に掻き消されているというのは事実だろう.書き言葉習慣の切り替えによって,大きな言語変化が起こったように見えるという事例も確かにあるだろう.しかし,書き言葉に見られないことでも話し言葉では起こっていたかもしれない,いや起こっていたに違いないと,積極的に提案してよい理由にはならない.一時期論争を呼んだ英語=クレオール語の仮説と近年のケルト語影響説の間に似たような匂いを感じた次第である.
・ Poussa, Patricia. "The Evolution of Early Standard English: The Creolization Hypothesis." Studia Anglica Posnaniensia 14 (1982): 69--85.
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