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白水社の月刊誌『ふらんす』にて連載記事「英語史で眺めるフランス語」を書いています.先日23日に『ふらんす』9月号が刊行されました.連載の第6回が掲載されています.
今回の記事のタイトルは「フランス語慣れしてきた英語」です.過去数回の記事では,英語がフランス借用語を大量かつ広範に受け入れてきた経緯を紹介してきました.この衝撃を通じ,やがてフランス語慣れした英語は自らの語彙体系を大きく変容させるに至りました.今回は以下の4つの小見出しのもとに記事を執筆しています.
1. 英仏単語の「2項イディオム」
中英語期には,英語本来語とフランス借用語を並べる「2項イディオム」が多く見られました.これにはフランス語を英語に導入しやすくする役割がありましたし,表現を豊かにしリズム感を出す効果もありました.
2. 英語語彙の「2重構造」
英語本来語とフランス借用語が共存する場合,多くは微妙に異なる意味や用法を発達させています.一般に,英語本来語は純朴な響きを,フランス借用語は威厳ある響きを伴う傾向があります.
3. 「動物」と「肉」
英語では動物とその肉を表す単語が異なりますが,これはノルマン征服後の階級社会を反映しています.下層階級の英語話者が動物を育て,上層階級のフランス語話者がその肉を食べるという構図が,きれいに語彙に反映されているのです.
4. 「英製仏語」
英語がフランス語を取り入れる過程で,フランス語風の要素を使って独自に作り出した単語があります.「和製英語」ならぬ「英製仏語」です.
ぜひ『ふらんす』9月号を手に取って,数々の具体例をご確認ください.また,過去5回の連載記事も hellog で紹介してきましたので,以下よりご参照ください.
・ 「#5449. 月刊『ふらんす』で英語史連載が始まりました」 ([2024-03-28-1])
・ 「#5477. なぜ仏英語には似ている単語があるの? --- 月刊『ふらんす』の連載記事第2弾」 ([2024-04-25-1])
・ 「#5509. 英語に借用された最初期の仏単語 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第3弾」 ([2024-05-27-1])
・ 「#5538. フランス借用語の大流入 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第4弾」 ([2024-06-25-1])
・ 「#5566. 中英語期のフランス借用語が英語語彙に与えた衝撃 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第5弾」 ([2024-07-23-1])
・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第6回 フランス語慣れしてきた英語」『ふらんす』2024年9月号,白水社,2024年8月23日.52--53頁.
英語語彙史においてフランス語やラテン語の影響が甚大であることは,折に触れて紹介してきた.何といっても借用された単語の数が万単位に及び,大きい.しかし,数や量だけの影響にとどまらない.大規模借用の結果として,英語語彙の質も,主に中英語期以降に,著しく変化した.その質的変化について,Durkin (224) が重要な3点を指摘している.
・ The derivational morphology of English was (eventually) completely transformed by the accommodation of whole word families of related words from French and Latin, and by the analogous expansion of other word families within English exploiting the same French and Latin derivational affixes (especially suffixes).
・ Not only was a good deal of native vocabulary simply lost, but many other existing words showed meaning changes (especially narrowing) as semantic fields were reshaped following the adoption of new words from French and Latin.
・ The massive borrowing of less basic vocabulary, especially in a whole range of technical areas, led to extensive and enduring layering or stratification in the lexis of English, and also to a high degree of dissociation in many semantic fields (e.g. the usual adjective corresponding in meaning to hand is the etymologically unrelated manual)
1点目は,単語の家族 (word family) や語形成 (word_formation) そのものが,本来の英語的なものからフランス・ラテン語的なものに大幅に入れ替わったことに触れている.2点目は,本来語が死語になったり,意味変化 (semantic_change) を経たりしたものが多い事実を指摘している.3点目は,比較的程度の高い語彙の層が新しく付け加わり,語彙階層 (lexical_stratification) が生じたことに関係する.
単純化したキーワードで示せば,(1) 語形成の変質,(2) 意味変化,(3) 語彙階層の発生,といったところだろうか.これらがフランス語・ラテン語からの大量借用の英語語彙史上の質的意義である.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
昨日『中高生の基礎英語 in English』の9月号が発売となりました.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」の第18回は「なぜ英語には類義語が多いの?」です.
英語には ask -- inquire -- interrogate のような類義語が多く見られます.多くの場合,語彙の学習は暗記に尽きるというのは事実ですので,類義語が多いというのは英語学習上の大きな障壁となります.本当は英語に限った話しではなく,日本語でも「尋ねる」「質問する」「尋問する」など類義語には事欠かないわけなので,どっこいどっこいではあるのですが,現実的には英語学習者にとって高いハードルにはちがいありません.
英語に(そして実は日本語にも)類義語が多いのは,歴史を通じて様々な言語と接触してきたからです.英語にとってとりわけ重要な接触相手はフランス語とラテン語でした.英語は,ある意味を表わす語をすでに自言語にもっていたにもかかわらず,同義のフランス語単語やラテン語単語を借用してきたという経緯があります.結果として,類義語が積み重ねられ,地層のように層状となって今に残っているのです.この語彙の地層は,典型的に下から上へ「本来の英語」「フランス語」「ラテン語」と3層に積み上げられてきたので,これを英語語彙の「3層構造」と呼んでいます.
3層構造については,hellog でも繰り返し取り上げてきました.こちらの記事セットおよび lexical_stratification の各記事をお読みください.
雑誌の連載記事では,この話題を中高生にも分かるように易しく解説しています.ぜひ手に取っていただければと思います.
この概念と用語を知っていれば英語の語彙関係についてもっと効果的に説明したり議論したりできただろう,と思われるものに最近出会った.Görlach (110) が,consociation と dissociation という語彙関係について紹介している(もともとは Leisi によるものとのこと)
Words can be said to be consociated if linked by transparent morphology; they are dissociated if morphologically isolated. Consociation is common in languages in which compounds and derivations are frequent (OE, Ge, Lat). Dissociation occurs when foreign words are borrowed, or when derivations become opaque . . . .
例えば,heart → hearty → heartiness は形態的に透明に派生されており,典型的な consociation の関係にあるといえる.foul → filth → filthy → filthiness についても,最初の foul → filth こそ透明度は若干下がるが(ただし古英語では音韻形態規則により,ある程度の透明度があったといえる),全体としては consociation の関係といえるだろう.ただ,consociation といっても程度の差のありうる語彙関係であることが,ここから分かる.
一方,いわゆる英語語彙の3層構造の例などは,典型的な dissociation の関係を示す.「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) からいくつか示せば,ask -- question -- interrogate, fair -- beautiful -- attractive, help -- aid -- assistance などだ.「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1]) も有名だが,cow -- beef, swine -- pork, sheep -- mutton などの語彙関係も dissociation といえる.
eye -- ocular などの名詞・形容詞の対応も,dissociation の関係ということになる.ここから日本語に話を広げれば,和語と漢語の関係,あるいは漢字の読みでいえば訓読みと音読みの関係も,典型的な dissociation といってよいだろう.「めがね」(眼鏡)と「眼鏡」(眼鏡)の関係は,上記の eye -- ocular の関係に似ている.関連して「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1]) も参照されたい.
・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.
・ Leisi, Ernst. Das heutige Englische: Wesenszüge und Probleme.'' 5th ed. Heidelberg, 1969.
「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,昨日学部生より公表された「この世で一番「美しい」のは誰?」です.ディズニー映画 Snow White and the Seven Dwarfs (『白雪姫』)の台詞 "Magic mirror on the wall, who is the fairest one of all?" で用いられている形容詞 fair の意味変化に焦点を当てた英語史導入コンテンツとなっています.
「美しい」といえばまず beautiful が思い浮かびますが,なぜ問題の台詞では fair なのでしょうか.まず,コンテンツでも解説されている通り fair には「色白の」という語義もありますので,Snow White とは相性のよい縁語といえます.さらに,beautiful が容姿の美しさを形容するのに特化している感があるのに対し,fair には「公正な,公平な」の語義を含め道徳的な含意があります (cf. fair trading, fair share, fair play) .白雪姫を形容するのにぴったりというわけです.
fair は古英語期より用いられてきた英語本来語で,古く清く温かい情感豊かな響きをもちます.一方,beautiful は,14世紀に古フランス語の名詞 beute を借用した後に,15世紀に英語側で本来語接尾辞 -ful を付加して作った借用語です.フランス借用語(正確には「半」フランス借用語)は相対的にいって中立的で無色透明の響きをもつことが多いのですが,beautiful についていえば確かに fair と比べて道徳的・精神的な深みは感じられません.(ラテン借用語 attractive と合わせた fair -- beautiful -- attractive の3語1組 (triset) と各々の使用域 (register) については,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) をご覧ください.)
fair と beautiful のような類義語の意味・用法上の違いについて詳しく知りたい場合には,辞書やコーパスの例文をじっくりと眺め,どのような語と共起 (collocation) しているかを観察することをお薦めします.試しに約1億語からなるイギリス英語コーパス BNCweb で両語の共起表現を調べてみました.ここでは人物と容姿を形容する共起語に限って紹介しますが,fair とタッグを組みやすいのは hair と lady です.一方,beautiful とタッグを組む語としては woman, girl, young, hair, face, eyes, looks などが挙がってきます.気品を感じさせる fair lady に対して,あくまで容姿の良さを表わすことに特化した beautiful woman/girl という対立構造が浮かび上がってきます.白雪姫にはやはり fair がふさわしいのでしょうね.
fair に見られる白さと公正さの結びつきは,candid という形容詞にも見られます.candid は第一に「率直な」を意味しますが,やや古風ながらも「公平な」の語義がありますし,古くは「白い」の語義もありました.もともとの語源はラテン語 candidus で,まさに「白い」を意味しました.「白熱して輝いている」が原義で,candle (ロウソク)とも語根を共有しています.また,candidate (候補者)は,ローマで公職候補者が白いトーガを着る習わしだったことに由来します.ちなみに日本語でも「潔白」「告白」「シロ(=無罪)」などに白さと公正さの関係が垣間見えますね.
「英語史導入企画2021」のために昨日公表されたコンテンツは,大学院生による「Synonyms at Three Levels」でした.これは何のことかというと「英語語彙の三層構造」の話題です.「恐れ,恐怖」を意味する英単語として fear -- terror -- trepidation などがありますが,これらの類義語のセットにはパターンがあります.fear は易しい英語本来語で,terror はやや難しいフランス語からの借用語,trepidation は人を寄せ付けない高尚な響きをもつラテン語からの借用語です.英語の歴史を通じて,このような類義語が異なる時代に異なる言語から供給され語彙のなかに蓄積していった結果が,三層構造というわけです.上記コンテンツのほか,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) より具体例を覗いてみてください.
さて,「英語語彙の三層構造」は英語史では定番の話題です.定番すぎて神話化しているといっても過言ではありません.そこで本記事では,あえてその脱神話化を図ろうと思います.以下は英語史上級編の話題になりますのでご注意ください.すでに「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1]) や「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1]) でも部分的に取り上げてきた話題ですが,今回は上記コンテンツに依拠しながら fear -- terror -- trepidation という3語1組 (triset) に焦点を当てて議論してみます.
(1) コンテンツ内では,この triset のような「類例は枚挙に遑がない」と述べられています.私自身も英語史概説書や様々な記事で同趣旨の文章をたびたび書いてきたのですが,実は「遑」はかなりあるのではないかと考えています.「類例をひたすら挙げてみて」と言われてもたいした数が挙がらないのが現実です.しかも「きれい」な例を挙げなさいと言われると,これは相当に難問です.
(2) 今回の fear - terror - trepidation はかなり「きれい」な例のようにみえます.しかしどこまで本当に「きれい」かというのが私の問題意識です.一般の英語辞書の語源欄では確かに terror はフランス語から,trepidation はラテン語から入ったとされています.おおもとは両語ともラテン語にさかのぼり,前者は terrōrem,後者は trepidātiō が語源形となります(ちなみに,ともに印欧語根は *ter- にさかのぼり共通です).terror はもともとラテン語の単語だったけれどもフランス語を経由して英語に入ってきたという意味において「フランス語からの借用語」と表現することは,語源記述の慣習に沿ったもので,まったく問題はありません.
ところが,OED の terror の語源記述をみると "Of multiple origins. Partly a borrowing from French. Partly a borrowing from Latin." とあります.「フランス語からの借用語である」とは断定していないのです.語源学的にいって,この種の単語はフランス語から入ったのかラテン語から入ったのか曖昧なケースが多く,研究史上多くの議論がなされてきました.この議論に関心のある方はこちらの記事セットをご覧ください.
難しい問題ですが,私としては terror をひとまずフランス借用語と解釈してよいだろうとは考えています.その根拠の1つは,中英語での初期の優勢な綴字がフランス語風の <terrour> だったことです.ラテン語風であれば <terror> となるはずです.逆にいえば,現代英語の綴字 <terror> は,後にラテン語綴字を参照した語源的綴字 (etymological_respelling) の例ということになります.要するに,現代の terror は,後からラテン語風味を吹き込まれたフランス借用語ということではないかと考えています.
この terror の出自の曖昧さを考慮に入れると,問題の triset は典型的な「英語 -- フランス語 -- ラテン語」の型にがっちりはまる例ではないことになります.少なくとも例としての「きれいさ」は,100%から80%くらいまでに目減りしたように思います.
(3) 次に trepidation についてですが,OED によればラテン語から直接借用されたものとあります.一方,研究社の『英語語源辞典』は,フランス語 trépidation あるいはラテン語 trepidātiō(n)- に由来するものとし,慎重な姿勢をとっています.なお,この単語の英語での初出は1605年ですが,OED 第2版の情報によると,フランス語ではすでに15世紀に trépidation が文証されているということです.terror に続き trepidation の出自にも曖昧なところが出てきました.問題の triset の「きれいさ」は,80%からさらに70%くらいまで下がった感じがします.
(4) コンテンツ内でも触れられているように,三層構造の中層を占めるフランス借用語層は,実際には下層を占める英語本来語層とも融合していることが多いです (ex. clear, cry, fool, humour, safe) .きれいな三層構造を構成しているというよりは,英仏語の層をひっくるめたり,仏羅語の層をひっくるめたりして,二層構造に近くなるという側面があります.
さらに「逆転二層構造」と呼ぶべき典型的でない例も散見されます.例えば,同じ「谷」でも中層を担うはずのフランス借用語 valley は日常的な響きをもちますが,下層を担うはずの英語本来語 dale はかえって文学的で高尚な響きをもつともいえます.action/deed, enemy/foe, reward/meed も類例です(cf. 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])).英語語彙の三層構造は,本当のところは評判ほど「きれい」でもないのです.
以上,「英語語彙の三層構造」の脱神話化を図ってみました.私も全体論としての「英語語彙の三層構造」を否定する気はまったくありません.私自身いろいろなところで書いてきましたし,今後も書いてゆくつもりです.ただし,そこに必ずしも「きれい」ではない側面があることには留意しておきたいと思うのです.
英語語彙の三層構造の諸側面に関心をもった方はこちらの記事セットをどうぞ.
年度初めから5月末まで開催中の「英語史導入企画2021」も後半戦に入ってきました.昨日大学院生より公表されたコンテンツは「ことばの中にひそむ「星」」です.star や astrology (占星術)を中心とする英単語の語源・語誌エッセーで,本企画の趣旨にピッタリです.まさかの展開で,話しが disaster, consider, desire, influenza, disposition にまで及んでいきます.きっと英単語の語源に興味がわくことと思います.
星好きの私も,星(座)に関係する話題をいくつか書いてきましたので紹介します.まず,上記コンテンツの関心と重なる star の語源について「#1602. star の語根ネットワーク」 ([2013-09-15-1]) をどうぞ.
英語 star とラテン語 stella (cf. フランス語 etoile)を比べると r と l の違いがありますが,これはどういうことかと疑問に思ったら「#1597. star と stella」 ([2013-09-10-1]) をご覧ください.
次に star の形態についてです.古英語では steorra,中英語では sterre などの綴字で現われるのが普通で,母音は /a/ ではなく /e/ だったと考えられます.なぜこれが /a/ へと変化し,語の綴字としてもそれを反映して star とされたのでしょうか.実は,現代英語の heart, clerk, Derby, sergeant などの発音と綴字の問題にも関わるおもしろいトピックです.「#2274. heart の綴字と発音」 ([2015-07-19-1]) をどうぞ.
占星術といえば黄道十二宮や星座の名前が関連してきます.ここに,英語史を通じて育まれてきた語彙階層 (lexical_stratification) の具体例を観察することができます.「うお座」は the Fish ですが,学術的に「双魚宮」という場合には Pisces となりますね.ぜひ「#3846. 黄道十二宮・星座名の語彙階層」 ([2019-11-07-1]) をお読みください.また,英語での星座名の一覧は「#3707. 88星座」 ([2019-06-21-1]) より.
star 周りの素材のみを用いて英語史することが十分に可能です.以上すべてをひっくるめて読みたい場合は,こちらの記事セットを.
いかがでしょう.汚いですが,英語の3層構造を有便雄弁に物語る最強例の1つではないかと思っています.日本語の語感としては「クソ」「糞尿」「排泄物」ほどでしょうか.
英語語彙の3層構造については,本ブログでも「#3885. 『英語教育』の連載第10回「なぜ英語には類義語が多いのか」」 ([2019-12-16-1]) やそこに張ったリンク先の記事,また (lexical_stratification) などで,繰り返し論じてきました.具体的な例も「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]),「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) で挙げてきました.
もっと挙げてみよと言われてもなかなか難しく,典型的な ask, question, interrogate や help, aid, assistance などを挙げて済ませてしまうのですが,決して満足はしておらず,日々あっと言わせる魅力的な例を探し求めいました.そこで,ついに標題に出くわしたのです.Walker の swearing に関する記述を読んでいたときでした (32) .
A few taboo words describing body parts started out as the 'normal' forms in Old English; one of the markers of the status difference between Anglo-Norman and Old English is the way the 'English' version became unacceptable, while the 'French' version became the polite or scientific term. The Old English 'scitte' gave way to the Anglo-Norman 'ordure' and later the Latin-via-French 'excrement'.
これに出会ったときは,(鼻をつまんで)はっと息を呑み,目を輝かせてしまいました.
shit は古英語 scitte にさかのぼる本来語ですが,古英語での意味は「(家畜の)下痢」でした. 動詞としては接頭辞つきで bescītan (汚す)のように長母音を示していましたが,後に名詞からの影響もあって短化し,中英語期に s(c)hite(n) (糞をする)が現われています.名詞の「糞」の語義としては意外と新しく,初期近代英語期の初出です.
ordure は,古フランス語 ordure から中英語期に入ったもので,「汚物」「卑猥な言葉」「糞」を意味しました.語根は horrid (恐ろしい)とも共通します.
excrement は初期近代英語期にラテン語 excrēmentum (あるいは対応するフランス語 excrément)から借用されました.
現在では本来語の shit は俗語・タブー的な「匂い」をもち,その婉曲表現としては「匂い」が少し緩和されたフランス語 ordure が用いられます.ラテン語 excrement は,さらに形式張った学術的な響きをもちますが,ほとんど「匂い」ません.
以上,失礼しました.
・ Walker, Julian. Evolving English Explored. London: The British Library, 2010.
12月13日に,『英語教育』(大修館書店)の1月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第10回となる今回は「なぜ英語には類義語が多いのか」という話題を扱っています.
英語には「上がる」を意味する動詞として rise,mount,ascend などの類義語があります.「活発な」を表わす形容詞にも lively, vivacious, animated などがあります.名詞「人々」についても folk, people, population などが挙がります.これらは「英語語彙の3層構造」の典型例であり,英語がたどってきた言語接触の歴史の遺産というべきものです.本連載記事では,英語語彙に特徴的な豊かな類義語の存在が,1066年のノルマン征服と16世紀のルネサンスのたまものであり,さらに驚くことに,日本語にもちょうど似たような歴史的事情があることを指摘しています.
「英語語彙の3層構造」については,本ブログでも関連する話題を多く取り上げてきました.以下をご覧ください.
・ 「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1])
・ 「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1])
・ 「#1960. 英語語彙のピラミッド構造」 ([2014-09-08-1])
・ 「#2072. 英語語彙の三層構造の是非」 ([2014-12-29-1])
・ 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])
・ 「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1])
・ 「#387. trisociation と triset」 ([2010-05-19-1])
・ 「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1])
・ 「#3374. 「示相語彙」」 ([2018-07-23-1])
・ 「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1])
・ 「#3357. 日本語語彙の三層構造 (2)」 ([2018-07-06-1])
・ 「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1])
・ 「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1])
・ 堀田 隆一 「なぜ英語には類義語が多いのか」『英語教育』2020年1月号,大修館書店,2019年12月13日.62--63頁.
『英語便利辞典』 (178--79) より,黄道十二宮と星座に関する一覧表を掲げよう(星座名については「#3707. 88星座」 ([2019-06-21-1]) も参照).
Signs of the Zodiac (黄道十二宮) | |||
宮 (house) | 獣帯星座 (zodiacal constellations) | 太陽が通過する期間 | 運勢・性格 |
spring signs (春の星座宮) | |||
Aries (白羊宮) | *the Ram (おひつじ座) | 3月21日?4月20日 | energetic, ambitious, generous, aggressive |
Taurus (金牛宮) | *the Bull (おうし座) | 4月21日?5月22日 | charming, witty, kind, restless |
Gemini (双子宮) | *the Twins (ふたご座) | 5月23日?6月21日 | strong, loyal, determined, quiet |
summer signs (夏の星座宮) | |||
Cancer (巨蟹宮) | *the Crab (かに座) | 6月22日?7月22日 | sensitive, materialistic, careful, humorous |
Leo (獅子宮) | the Lion (しし座) | 7月23日?8月22日 | dignified, honest, vain |
Virgo (処女宮) | the Virgin (おとめ座) | 8月23日?9月22日 | perfectionist, dependable, gentle, efficient |
autumn signs (秋の星座宮) | |||
Libra (天秤宮) | the Balance [*Scales] (てんびん座) | 9月23日?10月22日 | gracious, harmonious, logical, fair |
Scorpio (天蠍宮) | the Scorpion (さそり座) | 10月23日?11月21日 | courageous, intense, secretive, intelligent |
Sagittarius (人馬宮) | the Archer (いて座) | 11月22日?12月22日 | truthful, friendly, optimistic, adventurous |
winter signs (冬の星座宮) | |||
Capricorn (磨羯宮) | *the Goat (やぎ座) | 12月23日?1月20日 | hardworking, kind, determined, disciplined |
Aquarius (宝瓶宮) | *the Water Bearer [Carrier] (みずがめ座) | 1月21日?2月19日 | loyal, wise, creative, aloof |
Pisces (双魚宮) | *the Fish (うお座) | 2月20日?3月20日 | kind, quiet, romantic, easygoing |
The Guardian にて,英語語彙の3層構造に関する標題の記事が挙げられていた(記事はこちら). *
英語語彙の3層構造については本ブログでも「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) やそこから張ったリンク先の記事でいろいろと解説し議論してきたので,ここで詳しく繰り返すことはしない.概要のみ述べておくと,英語語彙は3段のピラミッドを構成しており,一般には最下層に英語本来語が,中間層にフランス借用語が,最上層にラテン借用語が収まっている.これは歴史的な言語接触の遺産であるとともに,中世から初期近代のイングランド社会において英語話者,フランス語話者,ラテン語話者の各々がいかなる社会階層に属していたかを映し出す鏡でもある.非常に単純化していえば,下層から上層に向かって,"those who work" or "workers", "those who fight" or "clerks", "those who pray" or "the powerful"という集団が所属していたということになる.
標題の記事の内容は,この伝統的な階層区分について,EU離脱などを巡って分断している現代イギリス社会にも対応物があるという趣旨であり,それによると最下層が "workers" というのは変わらないが,中間層は "the middle class" に,最上層は "the clerkly class" に対応するという."the clerkly class" に含まれるのは,"academics, thinktankers, lawyers, writers, many artists, scientists, journalists and students, some comedians and politicians, even some entrepreneurs, as well as actual clerics --- anyone whose sense of self depends on an abstract frame of reference" ということらしい.
記事の書き手は,中世の社会階層,現代の社会階層,英語の語彙階層の平行性(および,ときに非平行性)を指摘しながら現代イギリス社会を批評しており,議論の内容は言語学的というよりは,明らかに政治的である.しかし,語彙の3層構造について1つ重要なことを述べている."[French and Latin] seeped into what we call English and made themselves at home, giving the language its fantastical redundancy, creating something half-Germanic, half-Romance. Trilinguality was internalised." というくだりだ.もともとは社会的な現象である diglossia における上下関係が,いかにして意味論・語用論的な register の上下関係へと「言語内化」するのか,というのが私の長らくの問題意識なのだが,ここでさらっと "internalised" と述べられている現象の具体的なプロセスこそが知りたいのである.
未解決の問題ではあるが,関連する話題を以下のような記事で扱ってきたので,ご参照を.
・ 「#1583. swine vs pork の社会言語学的意義」 ([2013-08-27-1])
・ 「#1491. diglossia と borrowing の関係」 ([2013-05-27-1])
・ 「#1489. Ferguson の diglossia 論文と中世イングランドの triglossia」 ([2013-05-25-1])
・ 「#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics」 ([2013-02-05-1])
現代英語の語彙に3層構造が認められることは,本ブログで「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) を始め,そこに張ったリンク先の記事や,lexical_stratification の各記事で注目してきた.端的にいえば,歴史を通じて様々な言語と接触してきたなかで,語形的に関連しない類義語が借用され蓄積されてきたことに起因する.おかげで,ask -- question -- interrogate のように,語形としては結びつかない「分離的な」 (dissociated) 語彙の性格をもつことになった.
一方,語彙の借用が僅かしかなかった古英語は,1つの基本的な語彙素をもとにして関連語を累々と作り出していく語形成が得意であり,結果として生じた語彙は「結合的な」 (associative) 性格を示した (Kastovsky 294) .この古英語語彙の結合的性格を例証するために,Kastovsky (294--96) に拠って,「行く」を意味する単純な語彙素 gan を取り上げ,そのおびただしい関連語を挙げてみよう.
(1) gan/gangan 'go, come, move, proceed, depart; happen'
(2) derivatives:
(a) gang 'going, journey; track, footprint; passage, way; privy; steps, platform'; compounds: ciricgang 'churchgoing', earsgang 'excrement', faldgang 'going into the sheep-fold', feþegang 'foot journey', forlig-gang 'adultery', hingang 'a going hence, death', hlafgang 'a going to eat bread', huselgang 'partaking in the sacrament', mynstergang 'the entering on a monastic life', oxangang 'hide, eighth of a plough-land', sulhgang 'plough-gang = as much land as can properly be tilled by one plough in one day'; gangern, gangpytt, gangsetl, gangstol, gangtun, all 'privy'
(b) genge n., sb. 'troops, company'
(c) -genge f., sb. in nightgenge 'hyena, i.e. an animal that prowls at night'
(d) -genga m., sb. in angenga 'a solitary, lone goer', æftergenga 'one who follows', hindergenga 'one that goes backwards, a crab', huselgenga 'one who goes to the Lord's supper', mangenga 'one practising evil', nihtgenga 'one who goes by night, goblin', rapgenga 'rope-dancer', sægenga 'sea-goer, mariner; ship'
(e) genge adj. 'prevailing, going, effectual, agreeable'
(f) -gengel sb. in æftergengel 'successor' (perhaps from æftergengan, wk. vb. 'to go')
(3) compounds with verbal first constituent, i.e. V + N (some of them might, however, also be treated as N + N, i.e. with gang as in (2a): gangdæg 'Rogation day, one of the three processional days before Ascension day', gangewifre 'spider, i.e. a weaver that goes', ganggeteld 'portable tent', ganghere 'army of foot-soldiers', gangwucu 'the week of Holy Thursday, Rogation week'
(4) gengan wk. vb. 'to go' < *gang-j-an; æftergengness 'succession, posterity'
(5) prefixations of gan/gangan;
(a) agan 'go, go by, pass, pass into possession, occur, befall, come forth'
(b) began/begangan 'go over, go to, visit; cultivate; surround; honour, worship' with derivatives begánga/bígang 'practice, exercise, worship, cultivation'; begánga/bígenga 'inhabitant, cultivator' and numerous compounds of both; begenge n. 'practice, worship', bigengere 'worker, worshipper'; bigengestre 'hand maiden, attendant, worshipper'; begangness 'calendae, celebration'
(c) foregan 'go before, precede' with derivatives foregenga 'forerunner, predecessor', foregengel 'predecessor'
(d) forgan 'pass over, abstain from'
(e) forþgan 'to go forth' with forþgang 'progress, purging, privy'
(f) ingan 'go in' with ingang 'entrance(-fee), ingression', ingenga 'visitor, intruder'
(g) niþergan 'to descend' with niþergang 'descent'
(h) ofgan 'to demand, extort; obtain; begin, start' with ofgangende 'derivative'
(i) ofergan 'pass over, go across, overcome, overreach' with ofergenga 'traveller'
(j) ongan 'to approach, enter into' with ongang 'entrance, assault'
(k) oþgan 'go away, escape'
(l) togan 'go to, go into; happen; separate, depart' with togang 'approach, attack'
(m) þurhgan 'go through'
(n) undergan 'undermine, undergo'
(o) upgan 'go up; raise' with upgang 'rising, sunrise, ascent', upgange 'landing'
(p) utgan 'go out' with utgang 'exit, departure; privy; excrement; anus'; ?utgenge 'exit'
(q) wiþgan 'go against, oppose; pass away, disappear'
(r) ymbgan 'go round, surround' with ymbgang 'circumference, circuit, going about'.
これらの語彙素には,すべて語幹 gan (多少の変形が加えられているとしても)が含まれている.古英語語彙の結合的な性格の一端を垣間見ることができただろう.
古英語の語形成の類型論的な位置づけについては,同じく Kastovsky に拠った「#3358. 印欧祖語は語根ベース,ゲルマン祖語は語幹ベース,古英語以降は語ベース (1)」 ([2018-07-07-1]),「#3359. 印欧祖語は語根ベース,ゲルマン祖語は語幹ベース,古英語以降は語ベース (2)」 ([2018-07-08-1]),「#3360. 印欧祖語は語根ベース,ゲルマン祖語は語幹ベース,古英語以降は語ベース (3)」 ([2018-07-09-1]) を参照.
・ Kastovsky, Dieter. "Semantics and Vocabulary." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 290--408.
昨日の記事「#3787. 650年辺りを境とする,その前後のラテン借用語の特質」 ([2019-09-09-1]) で触れたように,古英語期以前,とりわけ650年より前に入ってきた最初期のラテン借用語には,現在でも日常的に用いられているものが多い.「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) などで見てきたように,ラテン借用語にはレベルの高い単語が多いのは事実だが,古英語期以前の借用語に関していえば,そのステレオタイプは必ずしも事実を表わしていない.
Durkin (138--39) による興味深い数値がある.Durkin は,「#3400. 英語の中核語彙に借用語がどれだけ入り込んでいるか?」 ([2018-08-18-1]) でも示したとおり,"Leipzig-Jakarta list of basic vocabulary" と呼ばれる通言語的に最も基本的な意味を担う100語を現代英語から取り出し,そのなかにどれほど借用語が含まれているかを調査してみた.結果としては,ラテン借用語についていえば,そこには1語も含まれていなかった.
しかし,別途 "the WOLD survey" による1,460個の基本的な意味項目からなる日常語リストで調査してみると,137語ほど(およそ10%)が古英語期以前に借用されたラテン借用語と認定されるものだった.しかも,それらの単語は,24個設けられている意味のカテゴリーのうち,"Kinship", "Quantity", "Miscellaneous function words" を除く21個のカテゴリーにわたって見出されるという.つまり,英語史上,最初期に入ってきたラテン借用語は,広い分野にわたり日常的に用いられる英語の語彙の少なからぬ部分を構成しているというわけだ.古英語の形で具体例をいくつか挙げておこう.
・ butere "butter"
・ ele "oil"
・ cyċene "kitchen"
・ ċȳse, ċēse "cheese"
・ wīn "wine" (and its compounds)
・ sæterndæġ "Saturday"
・ mūl "mule"
・ ancor "anchor"
・ līn "line, continuous length"
・ mylen (and its compounds) "mill"
・ scōl, sċolu (and the compound leornungscōl) "school"
・ weall "wall"
・ pīpe "pipe, tube"
・ pīle "mortar"
・ disċ "plate/platter/bowel/dish"
・ candel "lamp, lantern, candle"
・ torr "tower"
・ prēost and sācerd "priest"
・ port "harbour"
・ munt "mountain or hill"
このようにラテン借用語のなかには意外と多く「基本語彙」もあることを銘記しておきたい.関連して,基本語彙の各記事も参照.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
「#3373. 「示準語彙」」 ([2018-07-22-1]),「#3374. 「示相語彙」」 ([2018-07-23-1]) に引き続き,地質学の概念を歴史言語学に応用してみるシリーズの第3弾.今回は,「地層累重の法則」をもじって「語彙層累重の法則」を考えてみたい.
「地層累重の法則」 (law of superposition) とは,『世界大百科事典第2版』によれば,次の通りである.
W. スミスによって始められた層位学の二つの基本法則の一つで,もし一連の岩石が他の岩石の上に重なっており,構造的に逆転などしていない場合には,上にのる岩石が新しいという意味である.相重なる二つの地層の空間的上下関係から時間的前後関係を読みとることができる.
きわめて常識的で理解しやすい原理である.では,これを若干のひねりを加えながら語彙に応用してみよう.語彙について空間的上下関係というのはナンセンスなので,文体的上下関係(フォーマリティの高低)と読み替えてみる.
もし一連の語彙が他の語彙の上に重なっており,構造的に逆転などしていない場合には,上にのる語彙が新しいという意味である.相重なる2つの語彙層の文体的上下関係から時間的前後関係を読みとることができる.
昨日の記事 ([2018-07-23-1]) でも少しく触れた英語語彙の3層構造を念頭において考えてみよう.一般に英語語彙はピラミッド状の3層構造をなしているといわれ,本来語,フランス借用語,ラテン・ギリシア借用語がそれぞれ下層・中層・上層を構成する.同じ「尋ねる」を意味する語でも ask -- question -- interrogate のように文体(フォーマリティ)の程度によって3段階の区別がある(類例については「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]),「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) などを参照).
このような文体的上下関係の事実は受け入れるとして,では,その上下関係ははたして時間的な前後関係を示唆するのか,という問題に移ろう.事実,ask は本来語として古英語(以前)に遡る歴史をもつが,フランス借用語 question は初出が15世紀後半,ラテン借用語 interrogate はやや遅れて15世紀後半となっている.個々の単語の厳密な初出年代は別として,フランス借用語の大半は中英語期に,ラテン・ギリシア借用語の大半は近代英語期に流入したことを勘案すれば,先の文体的上下関係と時間的前後関係はおよそ一致すると考えられる.
ただし,英語の語彙階層にはある程度うまく適用できたものの,「語彙層累重の法則」が一般的に通用するかどうかはよくわからない.後の時代に加わった語彙ほど文体的な上層を構成する傾向がある,ということになるのかもしれないが,これは必ずしも自明なことではない.
とりあえず思考実験ということで「語彙層類従の法則」を試してみた.
昨日の記事「#3373. 「示準語彙」」 ([2018-07-22-1]) に引き続き,地質学の概念を歴史言語学に応用できるかどうか,もう1つの事例で考えてみる.地層の年代推定に資する示準化石とは別に,示相化石 (facies fossile) という種類の化石がある.これは時代推定ではなく環境推定に資する種類の化石のことで,例えばサンゴ化石は,かつてその地が温暖で透明な浅海域であったことを伝える.では,これを言語に応用して「示相語彙」なるものについて語ることはできるだろうか.
思いついたのは,借用語彙の日常性やその他の位相の差に注目するという観点である.「#2625. 古ノルド語からの借用語の日常性」 ([2016-07-04-1]) で見たように,古ノルド語からの借用語には,本来語と見まがうほど日常的で卑近な語彙が多い.この驚くべき事実について,英語史では一般に次のような説明がなされる.古英語話者と古ノルド語話者は,同じゲルマン民族として生活習慣もおよそ類似しており,互いの言語もある程度は理解できた.文化レベルもおよそ同等であり,社会的な関係もおおむね対等であった.だからこそ,基礎レベルの語彙が互いの言語に流れ込み得たのだと.つまり,このような日常的な借用語の存在は,両者のあいだの親密で濃厚な言語接触があったことを示唆する.
もう1つの「示相語彙」となりうる例は,「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1]) でみたような英語本来語とフランス借用語との差に関するものである.動物を表わす calf, deer, fowl, sheep, swine, ox などの本来語に対して,その肉を表わす単語は veal, venison, poultry, mutton, pork, beef などの借用語である.伝統的な解釈によれば,この語彙的な対立は,庶民階級アングロサクソン人と上流階級ノルマン人という社会的な対立を反映する.このような語彙(語彙そのものというよりは語彙分布)は,借用語の借用当時の環境推定を示唆するものとして示相的であるといえるのではないか.
より一般的にいえば,英語語彙の3層構造を典型とする語彙階層 (lexical_stratification) の存在も,かつての言語接触や社会状況のなにがしかを伝える点で示相的である.実際のところ,語彙史研究において「示相語彙」という発想は,その用語こそ使わずとも,当然のように受け入れられてきたようにも思われる.
上で触れた動物と肉の話題と3層構造の話題については,以下の記事も参照されたい.
・ 「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1])
・ 「#332. 「動物とその肉を表す英単語」の神話」 ([2010-03-25-1])
・ 「#1583. swine vs pork の社会言語学的意義」 ([2013-08-27-1])
・ 「#1603. 「動物とその肉を表す英単語」を最初に指摘した人」 ([2013-09-16-1])
・ 「#1604. 「動物とその肉を表す英単語」を次に指摘した人たち」 ([2013-09-17-1])
・ 「#1966. 段々おいしくなってきた英語の飲食物メニュー」 ([2014-09-14-1])
・ 「#1967. 料理に関するフランス借用語」 ([2014-09-15-1])
・ 「#2352. 「動物とその肉を表す英単語」の神話 (2)」 ([2015-10-05-1])
・ 「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1])
・ 「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1])
・ 「#1960. 英語語彙のピラミッド構造」 ([2014-09-08-1])
・ 「#2072. 英語語彙の三層構造の是非」 ([2014-12-29-1])
・ 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])
・ 「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1])
・ 「#387. trisociation と triset」 ([2010-05-19-1])
・ 「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1])
英語と日本語の語彙に共通して見られる三層構造に関して,「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) に張ったリンク先の多くの記事で話題としてきた.日本語語彙の三層構造について「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1]) の記事でいくつかの例を挙げたが,今回は石黒 (59) より例を付け足そう.
和語 | 漢語 | 外来語 |
---|---|---|
台所 | 厨房 | キッチン |
刃物 | 包丁 | ナイフ |
出前 | 宅配 | デリバリー |
買い物 | 購入 | ショッピング |
旅 | 旅行 | トラベル/トリップ |
海辺/浜辺 | 海岸 | ビーチ |
対象 | 長所 | 短所 | |
---|---|---|---|
和語 | 身近な内容 | 耳で聞いて意味がわかる(話し言葉向き),内容を易しく示せる | 抽象的な内容を表すのが不得手 |
漢語 | 抽象的な内容 | 目で見て意味がわかる(書き言葉向き),厳密な意味を表せる | 耳で聞いたときに意味がわかりにくい |
外来語 | 新しい内容 | 海外の最新の概念を取りこめる | 目で見たときに意味がわかりにくい |
英語語彙および日本語語彙の三層構造について,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1]) を始めとして,「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) に張ったリンク先の多くの記事で取り上げてきた.
フィリピンで最も広く話されるタガログ語(Tagalog; 公式名称 Pilipino)にも,英語や日本語のものと緩く比較される三層構造があると知った.背景には,「#1589. フィリピンの英語事情」 ([2013-09-02-1]),「#1593. フィリピンの英語事情 (2)」 ([2013-09-06-1]) で紹介した,近代期のスペインやアメリカによる支配の歴史がある.語彙の下層,中層,上層を構成するのは,それぞれタガログ語(本来語),スペイン語,英語の単語群である.河原 (70) を引用しよう.
ここで,タガログ語の三重構造に触れるべきだろう.それはタガログ語の語彙には三重構造(元来のタガログ語の語彙,スペイン語系の語彙,英語系の語彙)が見られることである.ある事柄を示すのに,三種類の表現法が並列している場合がある.たとえば,お金の単位で50ペソを示すときには,limampung piso (タガログ語),singkwenta pesos (スペイン語),fifty pesos (英語)のすべての表現が可能であり,市場では,どの表現も十分に理解される.どれを選択するかは相手や状況によって定まっていく.
ここで,日本語の体系を考えてみよう.日本語の語彙は,和語―漢語―外来語から成り立っている.かなり強引なアナロジーであるが,フィリピンでは,元来のタガログ語―スペイン語―英語の語彙は,和語のような機能を果たしている.つまり kumain (食べる) uminom (飲む)のような基本語である.スペイン語の語彙は,スペイン時代に取り入れられた宗教,社会組織,法律,統治システムに関する語が多く,日本語の中での漢語のような働きをしている.abogado (弁護士),munisipyo (市)などの語彙である.英語は現代的な制度・概念を示し,政府,科学技術,ビジネス,産業,娯楽に関連する語彙が多く,日本語における外来語に相当する.例えば,miting (ミーティング),weyter (ウェイター),kabinet (内閣)などである.
ただ,元来のタガログ語,スペイン語,英語とも同じアルファベットを用いているので,日本語と比べれば,相互の距離感は少ない.日本語では,ひらがな(和語),漢字(漢語),カタカナ(外来語)と,別々の表記法があり,互いの違いが際立っていて,書き言葉の場合は否応なしに,互いの違いを意識してしまう.
引用の最後の段落で述べられていることは,英語語彙における三層構造についても言える.英語でも文字種は常にローマン・アルファベットのみであるから,見た目での語種の区別は日本語の場合に比べて著しくない.
英語,日本語,タガログ語の語彙の間に比較される三層構造が確認されるとはいっても,その規模,分布,あり方はそれぞれ独自のものだろう.世界中の言語を調査すれば,このような語彙の階層構造はある程度見られるものかもしれないが,当たり前のように多く存在するとは思えない.比較的特異な類似点であると理解しておいて妥当だろう.
・ 河原 俊昭 「第3章 フィリピンの国語政策の歴史 ―タガログ語からフィリピノ語へ―」 河原俊昭(編著)『世界の言語政策 他言語社会と日本』 くろしお出版,2002年.65--97頁.
先日,『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(原題 Darkest Hour)を観に行った.アカデミー賞で Gary Oldman が主演男優賞を獲得し,日本人の辻一弘氏がメイクアップ賞を初受賞した.ダンケルクの戦いを制することになるイギリス宰相 Winston Churchill の,対ドイツ戦線の苦悩を綴った作品である.詳細は省くが,映画ではかの有名な We Shall Fight on the Beaches の演説のシーンが再現される.1940年6月4日の下院における演説である.以下に,演説の最後の部分を転載しよう(典拠はこちら).映画ではなく本物の音源は,こちらなどから YouTube で視聴できる.
I have, myself, full confidence that if all do their duty, if nothing is neglected, and if the best arrangements are made, as they are being made, we shall prove ourselves once again able to defend our Island home, to ride out the storm of war, and to outlive the menace of tyranny, if necessary for years, if necessary alone. At any rate, that is what we are going to try to do. That is the resolve of His Majesty's Government --- every man of them. That is the will of Parliament and the nation. The British Empire and the French Republic, linked together in their cause and in their need, will defend to the death their native soil, aiding each other like good comrades to the utmost of their strength. Even though large tracts of Europe and many old and famous States have fallen or may fall into the grip of the Gestapo and all the odious apparatus of Nazi rule, we shall not flag or fail. We shall go on to the end, we shall fight in France, we shall fight on the seas and oceans, we shall fight with growing confidence and growing strength in the air, we shall defend our Island, whatever the cost may be, we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender, and even if, which I do not for a moment believe, this Island or a large part of it were subjugated and starving, then our Empire beyond the seas, armed and guarded by the British Fleet, would carry on the struggle, until, in God's good time, the New World, with all its power and might, steps forth to the rescue and the liberation of the old.
この演説を英語語彙(史)の観点からみると,クライマックスの we shall fight on the beaches のくだりで用いられている語彙が概ね英語本来語であることが,寺澤盾先生の『英語の歴史』 (pp. 48--50) で触れられている.この箇所にフランス語やラテン語由来の語彙が豊富に織り交ぜられていたら,イギリス国民にさほど受けなかったかもしれない.歴史を変えたかもしれない(?)本来語使用というわけだ.
英語語彙の種類と階層性については,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) の記事ほか,lexical_stratification の諸記事を参照.
・ 寺澤 盾 『英語の歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,2008年.
「#2742. Haugen の言語標準化の4段階」 ([2016-10-29-1]) や「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1]) で紹介した Haugen の言語標準化 (standardisation) のモデルでは,形式 (form) と機能 (function) の対置において標準化がとらえられている.それによると,標準化とは "maximal variation in function" かつ "minimal variation in form" に特徴づけられる現象である.前者は codification (of form),後者は elaboration (of function) に対応すると考えられる.
しかし,"elaboration" という用語は注意が必要である.Haugen が標準化の議論で意図しているのは,様々な使用域 (register) で広く用いることができるという意味での "elaboration of function" のことだが,一方 "elaboration of form" という別の過程も,後期中英語における標準化と深く関連するからだ.混乱を避けるために,Haugen が使った意味での "elaboration of function" を "extensive elaboration" と呼び,"elaboration of form" のほうを "intensive elaboration" と呼んでもいいだろう (Schaefer 209) .
では,"intensive elaboration" あるいは "elaboration of form" とは何を指すのか.Schaefer (209) によれば,この過程においては "the range of the native linguistic inventory is increased by new forms adding further 'variability and expressiveness'" だという.中英語の後半までは,書き言葉の標準語といえば,英語の何らかの方言ではなく,むしろラテン語やフランス語という外国語だった.後期にかけて英語が復権してくると,英語がそれらの外国語に代わって標準語の地位に就くことになったが,その際に先輩標準語たるラテン語やフランス語から大量の語彙を受け継いだ.英語は本来語彙も多く保ったままに,そこに上乗せして,フランス語の語彙とラテン語の語彙を取り入れ,全体として序列をなす三層構造の語彙を獲得するに至った(この事情については,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) の記事を参照).借用語彙が大量に入り込み,書き言葉上,英語の語彙が序列化され再編成されたとなれば,これは言語標準化を特徴づける "minimal variation in form" というよりは,むしろ "maximal variation in form" へ向かっているような印象すら与える.この種の variation あるいは variability の増加を指して,"intensive elaboration" あるいは "elaboration of form" と呼ぶのである.
つまり,言語標準化には形式上の変異が小さくなる側面もあれば,異なる次元で,形式上の変異が大きくなる側面もありうるということである.この一見矛盾するような標準化のあり方を,Schaefer (220) は次のようにまとめている.
While such standardizing developments reduced variation, the extensive elaboration to achieve a "maximal variation in function" demanded increased variation, or rather variability. This type of standardization, and hence norm-compliance, aimed at the discourse-traditional norms already available in the literary languages French and Latin. Late Middle English was thus re-established in writing with the help of both Latin and French norms rather than merely substituting for these literary languages.
・ Schaefer Ursula. "Standardization." Chapter 11 of The History of English. Vol. 3. Ed. Laurel J. Brinton and Alexander Bergs. Berlin/Boston: De Gruyter, 2017. 205--23.
「#1645. 現代日本語の語種分布」 ([2013-10-28-1]) の記事で,標題について明治から昭和にかけて出版された国語辞典に基づく数値を示した.今回は平成からの数値を示そう.沖森ほか (71) に掲載されている,『新選国語辞典 第八版』(小学館,2002年)に基づいた語種分布である.
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