「#5675. 日本語に入ったオランダ語の単語」 ([2024-11-09-1]) の続編.オランダ語から日本語へ借用された語はまだまだある.前回と重複する単語もあるが,以下,2つの文献より例を加えたい.まず,沖森 (548) より.
【医科学関係】アルコール,エキス,オブラート,ガス,カテーテル,カリ,カルキ,コレラ,チフス,ハトロン,メス,レトルト,レンズ
【物品名ほか】インキ,ガラス,コーヒー,コック,コップ,ゴム,スコップ,ブリキ,ビール,ピント,ペンキ,ホース,ポンプ,マドロス
続けて,佐藤 (179--80) からも追加する.
【医学・薬学関係】エーテル (ether)・オブラート (oblaat)・エキス (extract)・カルシウム (calcium)・カンフル (kamfer, kampher)・コレラ (cholera)・ペスト (pest)・メス (mes)・モルヒネ (morphine)
【化学・物理・天文】テレスコープ (telescoop)・レンズ (lens)・ピント (brandpunt)・コンパス (kompas)・アルカリ (alkali)・アルコール (alcohol)・ソーダ (soda)・エレキテル (eletriciteit)
【生活関係】コーヒ (kofij)・ビール (bier)・シロップ (siroop)・コップ (kop)・ギヤマン (diamant)・ゴム (gom)・ブリキ (blik)・ペン (pen)・ペンキ (pek)・ポンプ (pomp)・ランプ (lamp)・ズック (doek)・チョッキ (jak)・ホック (hoek)
【軍事関係】サーベル (sabel)・ピストル (pistool)・ランドセル (ransel)
主に明治時代以降に日本語に借用された英単語と事実上同形のものも散見されるが,以上のものはオランダ語からの借用であることに留意したい.
・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.
・ 佐藤 武義(編著) 『展望 現代の日本語』 白帝社,1996年.
近年の研究で,英語史におけるオランダ語 (dutch) の位置づけが少し変わってきていることについては,以下の記事で取り上げてきた.
・ 「#3435. 英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきた」 ([2018-09-22-1])
・ 「#4444. オランダ借用語の絶頂期は15世紀」 ([2021-06-27-1])
・ 「#4445. なぜ英語史において低地諸語からの影響が過小評価されてきたのか?」 ([2021-06-28-1])
・ 「#4446. 低地諸語が英語に及ぼした語彙以外の影響 --- 南部方言の TH-stopping と当中部方言の3単現のゼロ」 ([2021-06-29-1])
オランダ語との言語接触といえば,英語史のみならず日本語史でも重要なテーマである.日本語におけるオランダ借用語について,まず『日本語百科大事典』を開いてみた.その1027ページに「江戸時代の洋語」と題する1節があり,そこでオランダ語からの借用語が扱われている.そちらを読んでみよう.
江戸時代に入った洋語はほとんどすべてオランダ語である.長崎におけるオランダ人との貿易による,貿易に関連した用語および江戸後期に芽生え,幕末にいたってさかんになった蘭学に起因する科学技術の用語である.
貿易に関連した用語には,たとえば,
インデン(Indië,革製品)・ズック(doek)・ボートル(boter,バター)・ガラス(glas)・キルク(kurk)・コップ(kop)・ブリキ(blik)・ランプ(lamp)
などがある.蘭学関係の用語としては,
オブラート(oblaat)・メス(mes,外科用具)・カルキ(kalk)・キナ(kina,マラリアの薬)・サフラン(saffraan,薬草)・ヨジウム(jodium)・アルカリ(alkali)・アルコール(alcohol)・エレキテル(electriciteit)・タルモメートル(thermometer)・レンズ(lens)
などがある.
工業技術関係では,
ダライバン(draaibank,旋盤)・バイト(beitel,刃具)・ポンプ(pomp)・カラン(kraan,給水管のコック)
などがある.
これらのオランダ語系洋語の中には明治以後消失したものもあるが,かなり多くの語が現在まで続けて使われている.
日英語の対照言語史 (contrastive_language_history) という観点からも,オランダ語との言語接触はもっと注目されてよいトピックではないだろうか.
・ 『日本語百科大事典』 金田一 春彦ほか 編,大修館,1988年.
ちょうど2年前の5月に,上掲の 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年) が出版されました.言語の標準化 (standardisation) を主題としながら対照言語史 (contrastive_linguistics) という新アプローチを提唱した共著でした.著者間の議論を紙面に再現すべく特殊なレイアウトを施すなど,いろいろな意味で挑戦した本ですが,本作りにはその分多くの時間を要しました.
このたび同著について『社会言語科学』誌上で丁寧な書評をいただきました.清沢紫織氏(北海学園大学)による6ページにわたる解説と論評です.J-STAGE 経由でこちらのページよりアクセスできます.ぜひご一読いただければ.
この書評は,(1) 本書の主題と構成,(2) 各章の概要と注目される点,(3) おわりにかえて,の3部立てで書かれています.本書の大きな特徴として,2点が指摘されています (73) .1つは「著者同士が自身の専門とする言語史を踏まえつつ,積極的に他の著者の論考にコメントや疑問点を述べ合っている点」,もう1つは「そうした他の著者からのコメントが論考と同時に一覧できるように各ページにレイアウトされている点」です.
導入的な第1章については「この章は著者らが丹念な議論・意見交換を通じて導き出してきた言語の標準化研究の視座を提供する内容ともなっており,これから個別言語の標準化を研究しようとする者や既に取り組んでいる者にとっては頼もしい道標となることだろう」との評で締めくくられてます (74) .
続く各章の概要と論評はいずれも示唆に富み,評者の視点を共有しながら,本書はこのようにも読めるのか,と多くの発見がありました.全体として,本書の狙いをすくい取り,丁寧な評を与えてもらったと感じています.
本書についての書評は,今回のもののほかにも以下の2点が出されています.それぞれ J-STAGE よりアクセスできるので,合わせてお読みいただければ.
・ 家入 葉子 「書評:高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著) 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館書店2022年6月刊,viii+247pp.)」 『歴史言語学』第11号(日本歴史言語学会編),2022年.47--54頁. *
・ 片山 幹生 「書評:高田博行他編著 (2022) 『言語の標準化を考えるー日中英仏語「対照言語史」の試み』,東京:大修館書店,248 p.」 Revue japonaise de didactique du français 18.1--2 (2023): 134--37. *
『言語の標準化を考える』については,本ブログでも多く紹介してきました.gengo_no_hyojunka タグのついた記事群をご覧いただければと思います.
・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.
・ 清沢 紫織 「書評:高田博行・田中牧郎・堀田隆一(編著) 『言語の標準化を考える:日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館書店,2022」 『社会言語科学』第26巻第2号(社会言語科学会編),2024年.73--78頁. *
1年半ほど前のことになりますが,2022年12月10日に日本歴史言語学会にてシンポジウム「日中英独仏・対照言語史ー語彙の近代化をめぐって」が開かれました(こちらのプログラムを参照).学習院大学でのハイブリッド開催でした.同年に出版された,高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)が J-STAGE 上で公開されました.PDF形式で自由にダウンロードできますので,ぜひお読みいただければと思います.セクションごとに分かれていますので,以下にタイトルとともに抄録へのリンクを張っておきます.
・ 趣旨説明 「日中英独仏・対照言語史 --- 語彙の近代化をめぐって」(高田博行,学習院大学)
・ 講演1 「日本語語彙の近代化における外来要素の受容と調整」(田中牧郎,明治大学)
・ 講演2 「中国語の語彙近代化の生態言語学的考察 --- 新語の群生と「適者生存」のメカニズム」(彭国躍,神奈川大学)
・ 講演3 「初期近代英語における語彙借用 --- 日英対照言語史的視点から」(堀田隆一,慶應義塾大学)
・ 講演4 「ドイツ語の語彙拡充の歴史 --- 造語言語としてのアイデンティティー ---」(高田博行,学習院大学)
・ 講演5 「アカデミーフランセーズの辞書によるフランス語の標準化と語彙の近代化 ---フランス語の標準化への歩み」(西山教行,京都大学)
・ ディスカッション 「まとめと議論」
講演3を担当した私の抄録は次の通りです.
初期近代英語期(1500--1700年)は英国ルネサンスの時代を含み,同時代特有の 古典語への傾倒に伴い,ラテン語やギリシア語からの借用語が大量に英語に流れ込んだ.一方,同時代の近隣ヴァナキュラー言語であるフランス語,イタリア語,スペイン語,ポルトガル語などからの語彙の借用も盛んだった.これらの借用語は,元言語から直接英語に入ってきたものもあれば,他言語,典型的にはフランス語を窓口として,間接的に英語に入ってきたものも多い.さらには,借用要素を自前で組み合わせて造語することもしばしば行なわれた.つまり,初期近代英語における語彙の近代化・拡充は,様々な経路・方法を通じて複合的に実現されてきたのである.このような初期近代英語期の語彙事情は,実のところ,いくつかの点において明治期の日本語の語彙事情と類似している.本論では,英語と日本語について対照言語史的な視点を取りつつ,語彙の近代化の方法と帰結について議論する.
先に触れた編著書『言語の標準化を考える』で初めて対照言語史 (contrastive_language_history) というアプローチを導入しましたが,今回の論考はそのアプローチによる新たな挑戦として理解していただければと思います.
・ 高田 博行・田中 牧郎・彭 国躍・堀田 隆一・西山 教行 「日中英独仏・対照言語史ー語彙の近代化をめぐってー」『歴史言語学』第12号(日本歴史言語学会編),2024年.89--182頁.
・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.
昨日の記事「#5003. 聖書で英語史 --- 寺澤盾先生の著書と講座のご案内」 ([2023-01-07-1]) で,聖書が英語の通時的な比較に適したテキストであることを述べました.内容が原則として古今東西同一だからです.ということは,聖書は通言語的な比較にも適しているということになります.ギリシア語,ラテン語,英語,フランス語,ドイツ語,中国語,日本語などの間で手軽に言語比較できてしまいます.つまり,聖書は対照言語学 (contrastive_linguistics),比較言語学 (comparative_linguistics),そして対照言語史 (contrastive_language_history) の観点からも有用なテキストとなります.
年末に,khelf(慶應英語史フォーラム)の会長のまさにゃんが,自身の note にて「ゼロから始めるフリジア語(シリーズ企画)」を開始しました.フリジア語は年末から始めたにわか趣味とのことです(笑).1日目,2日目,3日目,4日目と,4日分の記事が掲載されています.「創世記」より英語訳 In the beginning God created the heaven and the earth. とフリジア語訳 Yn it begjin hat God de himel en de ierde skepen. を主に比べながら,軽妙な口調でフリジア語超入門を展開しています.
フリジア語 (Frisian) は,比較言語学的に英語と最も近親の言語とされています.この言語について hellog でも以下の記事で触れてきましたので,ぜひご覧ください.
・ 「#787. Frisian」 ([2011-06-23-1])
・ 「#2950. 西ゲルマン語(から最初期古英語にかけての)時代の音変化」 ([2017-05-25-1])
・ 「#3169. 古英語期,オランダ内外におけるフリジア人の活躍」 ([2017-12-30-1])
・ 「#3435. 英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきた」 ([2018-09-22-1])
・ 「#4670. アジェージュによる「フリジア語の再征服」」 ([2022-02-08-1])
Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」でも「#40. 英語に最も近い言語は「フリジア語」」にて解説しています.ぜひお聴きください.
2日間の記事 ([2022-09-13-1], [2022-09-14-1]) に続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について編者自らが紹介するという企画の第3弾(最終回)です.
ドイツ語史が専門の高田博行氏による本書紹介文です.英語に慣れてしまうと気づかなくなってしまいますが,英語はなかなか「変な」言語であるという議論です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.
言語はそれぞれ固有な構造をしていて,言語Aの話者から見ると任意の言語Bは常に「変な」言語に見えてきます.英語話者から見て,同じゲルマン系の言語であるドイツ語がどう変に見えるのかについては,マーク・トウェイン(1835~1910年)による古典的な見立てがあります.トウェインは,ドイツ,スイス,フランス,イタリアを旅したときの体験に基づいて Tramp Abroad(1880年,日本語訳『ヨーロッパ放浪記』彩流社 1999年)を書きましたが,その補遺のひとつとして The Awful German Language (「恐ろしいドイツ語」)というエッセイを残しています.トウェインは,ドイツ語のどこが「恐ろしい」と言っているのでしょうか.名詞に性があること(「木」は男性,「つぼみ」は女性,「葉」は中性なのはどうして?),名詞と形容詞の語尾変化が複雑であること,parenthesis 「括弧入れ」(大事な要素が文の最後に置かれるために,結果的に文全体が枠で囲まれるようになること.現在のドイツ語文法でいう「枠構造」のこと)のために語順が英語と大きく異なること,そして Unabhängigkeitserklärung「独立宣言」 のような長々しい複合語が遠慮なく作られることが,トウェインの言う恐ろしいドイツ語の正体のようです.
英語の歴史からすると,名詞の性,そして名詞・形容詞の語尾変化については,英語が時間の経過のなかでいわば「無駄な部分」をそぎ落としていった結果,元来のゲルマン語に近いドイツ語の姿が変に見えるわけです.「括弧入れ」語順については,I think that his father will come to Japan next year.という語順で話す英語話者にとって,同じ文がドイツ語では I think that my father next year to Japan come will. (Ich denke, dass sein Vater nächstes Jahr nach Japan kommen wird.) という並び方になってしまうのは,たしかに反転した鏡像を見ているようで 気持ちが悪いというのも共感できます.これは,ドイツ語の独自の展開の中で枠構造という遠隔配置的な文法規則が形成され,最終的に17世紀に確定したものです.
このような文法に関わる部分とは異なり,語彙に関わる面については人為的介入の余地がありえます.Unabhängigkeitserklärung 「独立宣言」という複合語が長く見えるのは,Unabhängigkeits-erklärung のようにハイフンを入れたり,Unabhängigkeits Erklärung のように分けて綴ったりすれば可視性が高まるのにそうはしないからです.しかし,このドイツ語の書法上の習慣(規則)だけが,複合語を長々しくする理由ではありません.そもそもドイツ語母語話者たちが長年にわたって,概念を言い表すときにラテン語やフランス語などから語を借用することなく,ドイツ語の造語力を信じて本来の(ゲルマン系の)ドイツ語で言い切ろうとしてきた取り組みの結果が,この複合語の長さを生んでいるのです.「独立宣言」という概念は,英語では declaration of independence のように,近世初期にラテン語から借用された語を用いて分析的に言い表されます.それに対して,ドイツ語の Unabhängigkeitserklärung はその構成部分がすべてドイツ語(ゲルマン系の語)から成り立っています.Unabhängigkeitserklärung は,un(英 un)「否定の接頭辞」+ ab(英 off)「下方へ」+ häng(英 hang)「垂れる」+ ig(英 y)「性質を表す形容詞を派生する接尾辞」+ keit(英 hood)「抽象名詞を派生する接尾辞」+ s(英 s)「語をつなぐ接合辞(本来は所有を表す)」+ er 「獲得・創造を意味する動詞を派生する接頭辞」+ klär(英 clear)+ ung(英 ing)「抽象名詞を派生する接尾辞」から成っています.「独立」を「垂れ下がるような性質ではないこと」のように,「宣言」を「広く明確にすること」のように説明的に表現しています.これはちょうど日本のかつてローマ字主義者が作成した漢語のやまとことば化の提案(福永恭助・岩倉具実『口語辞典 Hanasikotoba o hiku Zibiki』森北出版 1951年)に従うと,「独立宣言」は「ひとりだち いいたて」のように説明的で長くなるのと平行的だと言うこともできるでしょう.
上に述べたように母語による語彙形成(造語)という意識的な取り組みが際立っているドイツ語史から見ると,なぜ英語は母語の要素による語彙形成を放棄したのかが大変に気になってきます.ノルマン・コンケスト(1066年)のあとフランス語語彙が生活の基本部分に深く入ってきたことで,ゲルマン系言語としての英語のいわば自意識が弱まったことが大きな英語史上の原因であると推測しますが,きっとその後の英語史の展開においても相応の理由があって現在のような語彙の構造になっているものと思います.ちょうど12月10日(土)に日本歴史言語学会で,日中英独仏の5言語について「語彙の近代化」をめぐって言語史を対照するシンポジウムを開催します.そのときにこのあたりのお話を,われらが堀田先生から伺えればと思っています.
Mark Twain の「英語からみるドイツ語の変なところ」,高田氏の「ドイツ語からみる英語の変なところ」,それぞれお互い様のようなところがあって,おもしろいですね.「日本語からみる諸外国語の変なところ」であれば,無数に指摘できそうです.言葉が異なるのだから変に決まっているという側面はもちろんありますが,言葉のたどってきた歴史がそれぞれ異なっていたからこそ余計に変なのだ,という側面もおおいにあると思います.変である理由を探れるというのも,対照言語史のおもしろさと可能性ではないでしょうか.
最後の部分で私の名前を言及していただきましたが,12月10日(土)午後に編者3名を含む日中英独仏の5言語史の専門家5名が集まり,日本歴史言語学会にてシンポジウム「日中英独仏・対照言語史―語彙の近代化をめぐって」を開催します(学習院大学でハイブリッド開催予定.案内はこちらです).
シンポジウムでは,本書で扱った言語標準化と関連させつつも,独立して議論できるテーマとして「語彙の近代化」が選ばれています.上で高田氏が指摘している英独語の語彙の「行き方」の違いについても,何かしら議論することになりそうです.この問題について,私自身もじっくり考えてみようと思います.
以上,3日間にわたり編者による『言語の標準化を考える』の紹介文を掲載してきました.ぜひ本書を手に取っていただければ幸いです.
昨日の記事 ([2022-09-13-1]) に引き続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,編者自らが紹介するという企画です.第2弾は日本語史が専門の田中牧郎氏による本書紹介文です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.
日本語史において,「標準化」や「標準語」というと,近代(19~20世紀)に展開された,政府による標準語政策が強く想起される(本書の11章で,田中克彦氏が論じている).私が執筆した第5章「書きことばの変遷と言文一致」においても,江戸時代までを標準化の前史と見て,言文一致が進む明治・大正期を標準化の時代と扱った.
本書の第1章や,第6章・第7章などで取り上げられる,標準化を,「統一化」(言語の変種を統一していこうという動き),「規範化」(あるべき言語の形に統制していく動き),「通用化」(多くの人が通じ合える言語の形に共通化・簡略化していく動き)の3つに分ける見方を,日本語史にあてはめて,通史としての大きな流れを見出していこうという発想は,持ったことがなかった.
しかしながら,本書の編集作業を通して,その枠組みから日本語史をとらえてみることもできるのではないかと考えるようになった.本書執筆中には十分整理ができず書けなかったその点について,少し記したい.
「統一化」にあてはまりそうな出来事としては,まず,奈良時代(8世紀)に漢字による日本語表記法を編み出したこと,次いで,平安時代(10世紀)に仮名を発明して話し言葉に基づく日本語を自在に書けるようにしたこと,さらに,鎌倉時代(12世紀)までに,漢字と仮名を適度に交えて書く漢字仮名交じり文(和漢混淆文)を一般的なものにしたことが,指摘できる.この一連の「統一化」の過程で,外国語の文字だった漢字を自国語の文字として飼い慣らし,漢字から派生させた2種類の仮名(平仮名・片仮名)のいずれかと混ぜ用いる,日本語独自の表記法を確立させ,現代まで使われ続ける書き言葉のシステムを作ったのである.
こうして作られた書き言葉を安定的に運用していくために,平安時代以降,漢字辞典(『色葉字類抄』『文明本節用集』など)や,実用文の模範文例集(『明衡往来』『庭訓往来』など)が盛んに編纂され,鎌倉時代以降には,仮名の使い方を論じる仮名遣い書(『仮名文字遣』『和字正濫鈔』など)も書かれるようになっていく.これらは,「規範化」の動きと見ることができ,その流れが,江戸時代までの日本語の書き言葉を高度に洗練させていく結果をもたらした.
そして,「通用化」の出来事が,明治時代(19~20世紀)に進んだ言文一致運動による口語体書き言葉の確立である.国定教科書や出版・放送によって,国民各層に均質な日本語を広める動きや,日清・日露戦争や第一世界大戦で版図を拡大するなか植民地に日本語を広める動きが強まるのも,その流れを受け継いだものである.
以上は,標準化の前史と扱った出来事(江戸時代まで)を「統一化」「規範化」,標準化(明治時代)と扱った出来事を「通用化」とする見方である.研究を進めれば,江戸時代以前にも「通用化」にあたる出来事を指摘したり,明治時代以降に「統一化」「規範化」にあたる出来事を見ることもできると予想され,それは,日本語史を立体的にとらえることにつながっていくと期待できる.
ここでは,本書第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)で提示された英語標準化の3つの側面(統一化,規範化,通用化)を,日本語標準化歴史に当てはめてみるとどうなるか,というすぐれて対照言語史的なアプローチが示されていると思います.ある個別言語の歴史にみられるパターンやモデルを,異なる言語の歴史にも「あえて強引に」当てはめてみようとするところに,新たな気づきが生まれるということは,本書の企画段階から何度も経験していました.悪くいえば牽強付会,我田引水,引喩失義となり得ますが,ポジティヴにいえば豊かな創造性を生み出してくれます.もちろん編者たちの狙いは後者です.
明日は第3弾をお届けします.
近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,本ブログや Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,様々に紹介してきました(まとめてこちらの記事セットからどうぞ).
本書は,5言語の標準化の歴史を共通のテーマに据えて「対照言語史」 (contrastive_language_history) という新たなアプローチを提示し,さらに脚注で著者どうしがツッコミ合うという特殊なレイアウトを通じて活発な討論を再現しようと試みました.この企てが成功しているかどうかは,読者の皆さんの判断に委ねるほかありません.
このたび高田博行氏(ドイツ語史),田中牧郎氏(日本語史),堀田隆一(英語史)の編者3名が話し合い,各々の立場から本書を紹介する文章を作成し公開しようという話しになりました.そして,公開の場は,お二人の許可もいただき,この「hellog~英語史ブログ」にしようと決まりました.結果として,英語(史)に関心をもって本ブログをお読みの皆さんを意識した文章になったと思います.
今日はその第1弾として,まず堀田の文章をお届けします.
私たちが学習・教育の対象としている「英語」は通常「標準英語」を指す.世界で用いられている英語にはアメリカ英語,イギリス英語,インド英語をはじめ様々な種類があるが,学習・教育のターゲットとしているのは最も汎用性の高い「標準英語」だろうという感覚がある.しかし,「標準英語」とは何なのだろうか.実は皆を満足させる「標準英語」の定義はない.比較的よく参照される定義に従うと,外国語として学習・教育の対象とされている類いの英語を指すものとある.明らかに循環論法に陥っている.
つまり,私たちは「標準英語」というターゲットが何なのかを明確に理解しないままに,そこに突き進んでいることになる.とはいえ「標準英語」という概念・用語は便利すぎて,今さら捨てることはできない.私たちは「標準英語」をだましだまし理解し,受け入れているようなのである.
実のところ,筆者は「標準英語」を何となくの理解で受け入れておくという立場に賛成である.それは歴史的にも「揺れ動くターゲット」だったし,静的な存在として定義できるようなものではないと見ているからだ.「標準英語」は1600年ほどの英語の歴史のなかで揺れてきたし,それ自身が消失と再生を繰り返してきた.そして,英語が世界化した21世紀の現在,「標準英語」は過去にもまして揺れ動くターゲットと化しているように思われるのである.
歴史を通じて「標準英語」が揺れ動くターゲットだったことは,本書の第6章と第7章で明らかにされる.第6章「英語史における「標準化サイクル」」(堀田隆一)では,英語が歴史を通じて標準化と脱標準化のサイクルを繰り返してきたこと,標準英語の存在それ自体が不安定だったことが説かれる.さらに同章では,近現代英語期にかけての標準化の様相が,日本語標準化の1側面である明治期の言文一致の様相と比較し得ることが指摘される.これは,言語や社会や時代が異なっていても,標準化という過程には何か共通点があるのではないか,という問いにつながる.
第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)では,まず標準化を念頭に置いた英語史の時代区分が導入され,続いて「標準化」が「統一化」「規範化」「通用化」の3種類に分類され,最後に20世紀以降の標準化の動きが概説される.過去の標準化では「統一化」「規範化」の色彩が濃かった一方,20世紀以降には「通用化」の流れが顕著となってきているとして,現代の英語標準化の特徴が浮き彫りにされる.
本書は「対照言語史」という方法論を謳って日中英独仏5言語の標準化史をたどっている.英語以外の言語の標準化の歴史を眺めても「標準語」は常に揺れ動くターゲットだったことが繰り返し確認できる.各言語史を専門とする著者たちが,脚注を利用して紙上で「ツッコミ」合いをしている様子は,各自が動きながら揺れ動くターゲットを射撃しているかのように見え,一種のカオスである.しかし,知的刺激に満ちた心地よいカオスである.
冒頭の「標準英語」の問題に戻ろう.「標準英語」が揺れ動くものであれば,標準英語とは何かという静的な問いを発することは妥当ではないだろう.むしろ,英語の標準化という動的な側面に注目するほうが有意義そうだ.英語学習・教育の真のターゲットは何なのかについて再考を促す一冊となれば,編著者の一人として喜びである.
明日,明後日も編者からの紹介文を掲載します.
一昨日7月31日(日)の11:00~12:00に,表記の通り Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)の編者3名による対談生放送をお届けしました.
事前にリスナーの方々よりいただいていた質問にも答える形で議論を展開しましたが,日曜日午前中にもかかわらず全体として48名の方々に生で参加いただきました.ありがとうございます.
録音したものを,鼎談の翌朝に「#427. 編者鼎談第2弾『言語の標準化を考える』 ― 60分生放送を収録しました」として昨日公開しました.対照言語史的な風味の詰まった議論となりました.60分の長丁場ですので,ぜひお時間のあるときにお聴きいただければ幸いです.
生放送の司会としての緊張感はありましたが,実のところたいへん議論を楽しめましたし,勉強になりました.今回の対談を通じて「言語の標準化」および「対照言語史」という話題のおもしろさが皆様に伝われば,と思っています.
本ブログを講読している皆様も,ぜひ上記をお聴きいただいた上で,ご意見やご質問がありましたら,Voicy のコメント機能などを経由してコメントいただければ幸いです.
先日の7月28日(木)には「#4840. 「寺澤盾先生との対談 英語の標準化の歴史と未来を考える」in Voicy」 ([2022-07-28-1]) として,本書の執筆者の1人でもある寺澤盾先生とも対談しています.こちらの音声もぜひお聴きください.
その他,この hellog でも本書に関連する記事を多く書いてきました.まとめてこちらからご覧いただければと思います.
この2日間の「#4839. 英語標準化の様相は1900年を境に変わった」 ([2022-07-27-1]) と「#4840. 「寺澤盾先生との対談 英語の標準化の歴史と未来を考える」in Voicy」 ([2022-07-28-1]) の記事で,『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)の第7章「英語標準化の諸相―20世紀以降を中心に」(寺澤盾先生執筆)を紹介しました(昨日公開した寺澤先生との対談 Voicy はこちらです).
本書の最大の特徴の1つは,他の著者からのコメント(=ツッコミ)です.例えば英語史に関する章の文章に対して,異なる言語の歴史を専門とする方々が,その言語史の知見に基づいて,自由に注を入れていくという形式です.このようにすると,英語史研究者どうしの議論では決して現われてこない視点や発想が,次々と出てきます.同分野では前提とみなされてきた知見が,他分野では前提とされていない,などの気づきが得られます.まさに「対照言語史」 (contrastive_language_history) の真骨頂です.
例えば,第7章に対して寄せられたコメントの一部で,私がインスピレーションを受けたものをいくつか引用して紹介します.まず,英語史の時代区分 (periodisation) に対する,日本語史・田中牧郎氏からのコメントより.
時代の数と時期だけではなく,何に着眼して時代区分を行うかを観察して,英語史と日本語詞を対照して見ることは興味深い課題だろう.(p. 129)
同じく田中氏より,チョーサーが『カンタベリー物語』をフランス語やラテン語ではなく英語で書いたという事実に対するコメントも示唆的です.まさか『土佐日記』と比較し得るとは!
文芸作品を,自国語で書くか外国語・古典語で書くかの選択であるが,日本語では,和文で書くか漢文で書くか,という選択が問題になることがあった.著名な例として,10世紀はじめに,紀貫之が,『土佐日記』を書く際,その冒頭で「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」と記し,通常は男性の手によって漢文で書かれる「日記」を,女性も書いてみようとするのだと行って,女性も書いてみようとするのだと言って,女性に仮託して口語体書きことばで書いたことが挙げられる.(p. 135)
ドイツ語史・高田博行氏は,18世紀の規範主義の時代を代表するジョンソン博士が言及されている箇所で次のようにコメントしています.
このあたりも,ドイツ語史と平行的である.18世紀中葉(1748年)にゴットシェートが有力な規範文法を出し,そのあとアーデルングが1770年代に辞書を,1780年代に文法書を出し,これらがオーストリアでも受け入れられることで,ドイツ語標準文章語が確立する.なお,アーデルングの辞書は,ジョンソンから強い影響を受けている.(p. 136)
同じく高田氏は,英語史における標準化のサイクルに対し,次のように反応しています.
このようなサイクルの繰り返しがドイツ語史には見当たらないところが,英独の本質的な違いのように思われる.(p. 137)
上記は,英語史を対照言語史の観点から眺める可能性に気づかせてくれたコメントのほんの一部です.ある物事の特徴は,他と比較して初めて浮き彫りになるということを改めて実感しました.ぜひ本書を手に取ってご覧ください.
先日,「#4809. OED で vernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1]) の記事で,英単語としての vernacular の初出が OED によれば1601年だったことを述べた.「(ラテン語ではなく)英語で書く(人)」ほどを意味する形容詞として使われている.
その後については,OED の用例の収集方法に関わる事情があるのかもしれないが,17世紀中からの用例は意外と少ない.しかし,18世紀以降,とりわけ19世紀以降には,様々な語義や名詞としての用法が現われ,例文も増えてくる.詳しい分布については,近代英語期のコーパスなどで調べる必要がありそうだ.
なお,OED によると,1607年には vernaculous という類義の形容詞も初出しており,17世紀中には廃語となってしまったようだが,言語を形容する語義でも用例が確認される.
さて,vernacular が初出したのが17世紀の最初の年だったという事実は非常に興味深い.世紀の変わり目に当たるこの時代は,イングランドに土着の英語が,ヨーロッパの威信の言語であるラテン語に追いつこうともがきながら,着実に自信を獲得しつつあった時代だったからだ.英語が,イングランドの公的な書き言葉の世界において,ラテン語に代わる言語として存在感を増し,市民権を主張し始めた時期である.より詳しくは,以下の記事を参照.
・ 「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1])
・ 「#2580. 初期近代英語の国語意識の段階」 ([2016-05-20-1])
・ 「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1])
英語が書き言葉において市民権を獲得しようともがいていた,この時期の潮流を指して,私は「英語史における『言文一致運動』」と呼んでいる(cf. 「#3314. 英語史における「言文一致運動」」 ([2018-05-24-1])).かの明治期日本の「言文一致運動」に範を得た呼び名ではあるが,イングランドのみならずヨーロッパの他国でも近代初期に同じような潮流がみられたということも考え合わせると,まさに「対照言語史」 (contrastive_language_history) としてふさわしい話題となるだろう.この視点については,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』のために私が執筆した「第6章 英語史における『標準化サイクル』」のなかでも触れている.これについては,「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1]),「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) を参照されたい.
このように17世紀前半は,英語がラテン語に対抗して自信を獲得していく時期として位置づけられ,一種の反骨精神をもって vernacular という単語を用い始めたのではないかと推測してみることができる.ただし,この単語自体がラテン語からの借用語であるという点も見逃してはならない.英語は,あくまでラテン語の威光にすがりながらゆっくりと自信をつけていたのである.「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1]) の記事の最後で述べたとおり
威信ある世界語としてのラテン語の衰退は一朝一夕にはいかず,それなりの時間を要した.同じように,土着語たる英語の威信獲得にも,ある程度の期間が必要だったのである.
昨日「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第28弾が公開されました.「堀田隆一の新刊で語る,ことばの「標準化」【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 28 】」です.
私も編著者の一人として関わった近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』について YouTube 上で紹介させていただきました.hellog,および Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」でも,この数日間で紹介していますので,そちらへのリンクも張っておきます.
・ hellog 「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1])
・ heldio 「#361. 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』の読みどころ」
・ heldio 「#363. 『言語の標準化を考える』より英語標準化の2本の論考を紹介します」
本書の最大の特徴は,共同執筆者の各々が,それぞれの論考に対して脚注を利用してコメントを書き合っていることです.各執筆者が自らの論考を発表して終わりではなく,自らが専門とする言語の歴史の観点から,異なる言語の歴史に対して一言,二言を加えていくという趣旨です.カジュアルにいえば「執筆者間の多方向ツッコミ」ということです.この実験的な試みは,本書で提案している「対照言語史」 (contrastive_language_history) のアプローチを体現する企画といえます.上記 YouTube では「(脚注)でツッコミを入れるスタイル」としてテロップで紹介しています(笑).
具体的にはどのようなツッコミが行なわれているのか,本書から一部引用してみます.まず,田中牧郎氏による日本語標準化に関する論考「第5章 書きことばの変遷と言文一致」より,言文一致の定義ととらえられる「書きことばの文体が,文語体から口語体に交替する出来事」という箇所に対して,私が英語史の立場から次のようなツッコミを入れています (p. 82) .
【英語史・堀田】 17世紀後半のイングランドの事情と比較される.当時,真面目な文章の書かれる媒介が,ラテン語(日本語の文脈での文語体に比せられる)から英語(同じく口語体に比せられる)へと切り替わりつつあった.たとえば,アイザック・ニュートン (1647--1727) は,1687年に Philosophiae Naturalis Principia Mathematica 『プリンキピア』をラテン語で書いたが,1704年には Optiks 『光学』を英語で著した.この状況は当時の知識人に等しく当てはまり,日英語で比較可能な点である.もっとも日本の場合には同一言語の2変種の問題であるのに対して,イングランドの場合にはラテン語と英語という2言語の問題であり,直接比較することはできないように思われるかもしれないが,二つの言語変種が果たす社会的機能という観点からは十分に比較しうる.
一方,私自身の英語標準化に関する論考「第6章 英語史における『標準化サイクル』」における3つの標準化の波という概念に対して,ドイツ語史を専門とする高田博行氏が,次の非常に示唆的なツッコミを入れていてます (p 107) .
【ドイツ語史・高田】 ドイツ語史の場合も,同種の三つの標準化の波を想定することが可能ではある.第1は,騎士・宮廷文学(1170~1250年)を書き表した中高ドイツ語で,これにはある程度の超地域性があった.しかし,この詩人語がその後に受け継がれはせず,14世紀以降に都市生活において公的文書がドイツ語で書き留められ,さらにルターを経て18世紀後半にドイツ語文章語の標準化が完結する.これが第2波といえる.第3波といえる口語での標準化は,Siebs による『ドイツ舞台発音』 (1898) 以降,ラジオとテレビの発達とともに進行していった.
従来,○○語史研究者が△△語について論じている△△語史研究者の発言にもの申すということは,学術の世界では一般的ではありませんでしたし,今でもまだ稀です.しかし,あえてそのような垣根を越えて積極的に発言し,謹んで介入していこうというのが,今回の「対照言語史」の狙いです.いずれのツッコミも,謙虚でありながら専門的かつ啓発的なものです.本書を通じて,新しい形式の「学術的ツッコミ」を提案しています.ぜひこのノリをお楽しみください!
・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著) 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.
様々な言語における標準化の歴史を題材とした本が出版されました.
・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.
私も編著者の1人として関わった本です.5年近くの時間をかけて育んできた研究会での発表や議論がもととなった出版企画が,このような形で結実しました.とりわけ「対照言語史」という視点は「海外の言語学の動向を模倣したものではなく,われわれが独自に提唱するもの」 (p. 4) として強調しておきたいと思います.例えば英語と日本語を比べるような「対照言語学」 (contrastive_linguistics) ではなく,英語「史」と日本語「史」を比べてみる「対照言語史」 (contrastive_language_history) という新視点です.
この本の特徴を3点に絞って述べると,次のようになります.
(1) 社会歴史言語学上の古くて新しい重要問題の1つ「言語の標準化」 (standardisation) に焦点を当てている
(2) 日中英独仏の5言語の標準化の過程を記述・説明するにとどまらず,「対照言語史」の視点を押し出してなるべく言語間の比較対照を心がけた
(3) 本書の元となった研究会での生き生きとした議論の臨場感を再現すべく,対話的脚注という斬新なレイアウトを導入した
目次は以下の通りです.
まえがき
第1部 「対照言語史」:導入と総論
第1章 導入:標準語の形成史を対照するということ(高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一)
第2章 日中英独仏 --- 各言語史の概略(田中 牧郎・彭 国躍・堀田 隆一・高田 博行・西山 教行)
第2部 言語史における標準化の事例とその対照
第3章 ボトムアップの標準化(渋谷 勝己)
第4章 スタンダードと東京山の手(野村 剛史)
第5章 書きことばの変遷と言文一致(田中 牧郎)
第6章 英語史における「標準化サイクル」(堀田 隆一)
第7章 英語標準化の諸相 --- 20世紀以降を中心に(寺澤 盾)
第8章 フランス語の標準語とその変容 --- 世界に拡がるフランス語(西山 教行)
第9章 近世におけるドイツ語文章語 --- 言語の統一性と柔軟さ(高田 博行・佐藤 恵)
第10章 中国語標準化の実態と政策の史話 --- システム最適化の時代要請(彭 国躍)
第11章 漢文とヨーロッパ語のはざまで(田中 克彦)
あとがき
hellog でも言語の標準化の話題は繰り返し取り上げてきました.英語の標準化の歴史は確かに独特なところもありますが,一方で今回の「対照言語史」的な議論を通じて,他言語と比較できる点,比較するとおもしろい点に多く気づくことができました.
「対照言語史」というキーワードは,2019年3月28日に開催された研究会にて公式に初めてお披露目しました(「#3614. 第3回 HiSoPra* 研究会のお知らせ」 ([2019-03-20-1]) を参照).その後,「#4674. 「初期近代英語期における語彙拡充の試み」」 ([2022-02-12-1]) で報告したように,今年の1月22日,ひと・ことばフォーラムのシンポジウム「言語史と言語的コンプレックス --- 「対照言語史」の視点から」にて,今回の編者3人でお話しする機会をいただきました.今後も本書出版の機会をとらえ,対照言語史の話題でお話しする機会をいただく予定です.
hellog 読者の皆様も,ぜひ対照言語史という新しいアプローチに注目していたければと思います.
・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.
3週間前のことですが,1月22日(土)に,ひと・ことばフォーラムのシンポジウム「言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から」の一環として「初期近代英語期における語彙拡充の試み」をお話しする機会をいただきました.Zoom によるオンライン発表でしたが,その後のディスカッションを含め,たいへん勉強になる時間でした.主催者の方々をはじめ,シンポジウムの他の登壇者や出席者参加者の皆様に感謝申し上げます.ありがとうございました.
私の発表は,すでに様々な機会に公表してきたことの組み替えにすぎませんでしたが,今回はシンポジウムの題に含まれる「対照言語史」 (contrastive_linguistics) を意識して,とりわけ日本語史における語彙拡充の歴史との比較対照を意識しながら情報を整理しました.
当日利用したスライドを公開します.スライドからは本ブログ記事へのリンクも多く張られていますので,合わせてご参照ください.
1. ひと・ことばフォーラム言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から初期近代英語期における語彙拡充の試み
2. 初期近代英語期における語彙拡充の試み
3. 目次
4. 1. はじめに --- 16世紀イングランド社会の変化
5. 2. 統合失調症の英語 --- ラテン語への依存とラテン語からの独立
6. 英語が抱えていた3つの悩み
7. 3. 独立を目指して
8. 4. 依存症の深まり (1) --- 語源的綴字
9. 5. 依存症の深まり (2) --- 語彙拡充
10. オープン借用,むっつり借用,○製△語
11. 6.「インク壺語」の大量借用
12. 7. 大量借用への反応
13. 8. インク壺語,チンプン漢語,カタカナ語の対照言語史
14. 9. まとめ
15. 語彙拡充を巡る独・日・英の対照言語史
16. 参考文献
英語史の知見を活かして英語を教えるには(あるいは学ぶには)どのような方法がよいのか.英語史と英語教育の接点を探る試みは,古くて新しい課題である.近年も,英語史を学ぶ意義は何かという問題意識と関連して,日本でも世界でも,再びこの課題が注目されるようになってきている.
私自身が英語史研究者であると同時に英語教員でもあり,私の大学ゼミには英語教員を目指す学生が一定数いるということもあり,この問題には常に関心を抱いてきた.この分野についてまとまった論考を読むことのできる,近年出版された論文集や書籍を4点ほど紹介したい.
(1) 家入葉子(編)『これからの英語教育――英語史研究との対話――』 (Can Knowing the History of English Help in the Teaching of English?). Studies in the History of English Language 5. 大阪洋書,2016年.
(2) Heyes, Mary and Allison Burkette, eds. Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Oxford: OUP, 2017.
(3) 片見 彰夫・川端 朋広・山本 史歩子(編)『英語教師のための英語史』 開拓社,2018年.
(4) 「特集 英語史教育を考える――なぜ・どのように英語史を教えるのか」 Asterisk 第28巻,2020年.66--180頁.
まず (1) について.英語史研究会の企画による論集.私も寄稿させていただいており,「#2566. 「3単現の -s の問題とは何か」」 ([2016-05-06-1]) に目次なども掲げたのでご参照ください.
(2) は,本ブログでも何度か参照して関連する記事を書いてきた論集だが,英語圏での様々な英語史教育の理論と実践が紹介されている.日本とはまったく異なる観点・発想からの英語史教育論として,これはこれで新鮮.
(3) は,英語史の分野の一線で活躍する論者たちによる論集で,タイトルが表わしている通りの内容.英語史の知識の具体的な活用事例が紹介されている.
(4) は,古田直肇氏が企画した Asterisk 誌の特集記事群で,私も寄稿させていただいた.執筆者に現役教員や教員経験者が含まれており実践的な内容となっている.論考のラインナップを以下に示しておきたい.
・ 英語の授業に必要な英語史の基礎知識 (江藤 裕之)
・ リベラル・アーツとしての英語史 (織田 哲司)
・ 疑問解決手段としての英語史 (黒須 祐貴)
・ 英語史という“実学” (下永 裕基)
・ 大学で英語を学ぶということ (高山 真梨子)
・ 国際社会における英語史教育の必要性 (田本 真喜子)
・ 現代英語に重きをおいた英語史教育 (寺澤 盾)
・ 中学校・高等学校における英語史教育 (鴇崎 孝太郎)
・ 広い視野を教えてくれた英語史 (長瀬 浩平)
・ 故きを温ねて,文法のうつろいやすさを知る (中山 匡美)
・ 英語史教育における日英対照言語史の視点 (堀田 隆一)
・ 卓越は線の細部から (安原 章)
この Asterisk の特集は,2019年9月22日に開かれた,駒場英語史研究会シンポジウム「これからの英語史教育を考える――英語史をトリビアに終わらせないために」(コーディネーター:古田直肇氏氏)の成果を部分的に取り込んだものとなっている.私自身が同シンポジウムで「英語史教育における日英対照言語史の視点」と題する発表を行なっているので,参考までにこちらにその時のハンドアウトを公開しておこう.
以上の文献を参考に「英語史の知見を活かした英語教育」について考えてもらえれば幸いである.また,関連して「英語史を教える・学ぶ意義」について,次の記事も参照.
・ 「#4021. なぜ英語史を学ぶか --- 私的回答」 ([2020-04-30-1])
・ 「#3641. 英語史のすゝめ (1) --- 英語史は教養的な学問領域」 ([2019-04-16-1])
・ 「#3642. 英語史のすゝめ (2) --- 英語史は教養的な学問領域」 ([2019-04-17-1])
・ 「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1])
・ 「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1])
・ 「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1])
・ 「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1])
・ 「#2984. なぜ英語史を学ぶか (5)」 ([2017-06-28-1])
・ 「#4019. ぜひ英語史学習・教育のために hellog の活用を!」 ([2020-04-28-1])
・ 「#2470. 2015年度,英語史の授業を通じて何を学びましたか?」 ([2016-01-31-1])
・ 「#3566. 2018年度,英語史の授業を通じて何を学びましたか?」 ([2019-01-31-1])
・ 「#3922. 2019年度,英語史の授業を通じて何を学びましたか?」 ([2020-01-22-1])
・ 「#4045. 英語に関する素朴な疑問を1385件集めました」 ([2020-05-24-1])
・ 「#4073. 地獄の英語史からホテルの英語史へ」 ([2020-06-21-1])
・ 家入葉子(編)『これからの英語教育――英語史研究との対話――』 (Can Knowing the History of English Help in the Teaching of English?). Studies in the History of English Language 5. 大阪洋書,2016年.
・ Heyes, Mary and Allison Burkette, eds. Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Oxford: OUP, 2017.
・ 片見 彰夫・川端 朋広・山本 史歩子(編)『英語教師のための英語史』 開拓社,2018年.
・「特集 英語史教育を考える――なぜ・どのように英語史を教えるのか」 Asterisk 第28巻,2020年.66--180頁.
・ 堀田 隆一 「英語史教育における日英対照言語史の視点」(ハンドアウト) 駒場英語史研究会シンポジウム「これからの英語史教育を考える――英語史をトリビアに終わらせないために」 於東京大学駒場キャンパス,2019年9月22日.
昨日の記事「#3752. フランス語のケルト借用語」 ([2019-08-05-1]) で,フランス語におけるケルト借用語を概観した.今回はそれと英語のケルト借用語とを比較・対照しよう.
英語のケルト借用語の数がほんの一握りであることは,「#3740. ケルト諸語からの借用語」 ([2019-07-24-1]),「#3750. ケルト諸語からの借用語 (2)」 ([2019-08-03-1]) で見てきた.一方,フランス語では昨日の記事で見たように,少なくとも100を越えるケルト単語が借用されてきた.量的には英仏語の間に差があるともいえそうだが,絶対的にみれば,さほど大きな数ではない.文字通り,五十歩百歩といってよいだろう.いずれの社会においても,ケルト語は社会的に威信の低い言語だったということである.
しかし,ケルト借用語の質的な差異には注目すべきものがある.英語に入ってきた単語には日常語というべきものはほとんどないといってよいが,フランス語のケルト借用語には,Durkin (85) の指摘する通り,以下のように高頻度語も一定数含まれている(さらに,そのいくつかを英語はフランス語から借用している).
. . . changer is quite a high-frequency word, as are pièce and chemin (and its derivatives). If admitted to the list, petit belongs to a very basic level of the vocabulary. The meanings 'beaver', 'beer', 'boundary', 'change', 'fear' (albeit as noun), 'to flow', 'he-goat', 'oak', 'piece', 'plough' (albeit as verb), 'road', 'rock', 'sheep', 'small', and 'sow' all figure in the list of 1,460 basic meanings . . . . Ultimately, through borrowing from French, the impact is also visible in a number of high-frequency words in the vocabulary of modern English . . . beak, carpentry, change, cream, drape, piece, quay, vassal, and (ultimately reflecting the same borrowing as French char 'chariot') carry and car.
この質的な差異は何によるものなのだろうか.伝統的な見解にしたがえば,ブリテン島のブリトン人はアングロサクソン人の侵入により比較的短い期間で駆逐され,英語への言語交代 (language_shift) も急速に進行したと考えられている.一方,ガリアのゴール人は,ラテン語・ロマンス祖語の話者たちに圧力をかけられたとはいえ,長期間にわたり共存する歴史を歩んできた.都市ではラテン語化が進んだとしても,地方ではゴール語が話し続けられ,diglossia の状況が長く続いた.言語交代はあくまでゆっくりと進行していたのである.その後,フランス語史にはゲルマン語も参入してくるが,そこでも劇的な言語交代はなかったとされる.どうやら,英仏語におけるケルト借用語の質の差異は言語接触 (contact) と言語交代の社会的条件の違いに帰せられるようだ.この点について,Durkin (86) が次のように述べている.
. . . whereas in Gaul the Germanic conquerors arrived with relatively little disruption to the existing linguistic situation, in Britain we find a complete disruption, with English becoming the language in general use in (it seems) all contexts. Thus Gaul shows a very gradual switch from Gaulish to Latin/Romance, with some subsequent Germanic input, while Britain seems to show a much more rapid switch to English from Celtic and (maybe) Latin (that is, if Latin retained any vitality in Britain at the time of the Anglo-Saxon settlement).
この英仏語における差異からは,言語接触の類型論でいうところの,借用 (borrowing) と接触による干渉 (shift-induced interference) の区別が想起される (see 「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1]), 「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1])) .ブリテン島では borrowing の過程が,ガリアでは shift-induced interference の過程が,各々関与していたとみることはできないだろうか.
フランス語史の光を当てると,英語史のケルト借用語の特徴も鮮やかに浮かび上がってくる.これこそ対照言語史の魅力である.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
来たる3月28日(木)の13:30より,学習院大学において歴史社会言語学・歴史語用論の研究会,HiSoPra* (= HIstorical SOciolinguistics and PRAgmatics) の第3回大会が開催されます.プログラム等の詳細はこちらの案内 (PDF) をご覧ください.今回の目玉は「諸言語の標準化における普遍性と個別性 ―〈対照言語史〉の提唱」と題する特別企画です.私も司会として薄く参加させていただきますが,3名の素晴らしすぎる登壇者による鼎談です(はっきりいって鼻血が出そうな面々です).
鼎談のほかにも,もちろん研究発表や懇親会もあり,充実の時間となるはずです.英語史関係としては片見彰夫先生(青山学院大学)によるご発表があります.
対照言語史,歴史言語学,社会言語学,英語史,日本語史,類型論,対照言語学,言語の標準化などの分野のいずれか(あるいはすべて)に関心のある方々にとっては,貴重な機会になることと思います.参加は登録制となっていますが,上記の案内に記載の方法で3月25日までにメールにてお名前等をお知らせするという簡単な手続きとなっていますので,ぜひお気軽に(しかし刮目して)ご参加ください(参加費500円は必要です).
過去の第1回,第2回 HiSoPra* 研究会については,「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]) と「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) など hisopra の各記事もご参照ください.以下,今回の研究会のプログラム(簡易版)を転記します.詳しくは上記の案内をどうぞ.
第3回 「HiSoPra*研究会(歴史社会言語学・歴史語用論研究会)」のご案内
日時:2019年3月28日(木),13:30?17:50(開場は12:45?)
場所:学習院大学 北2号館(文学部研究棟)10階,大会議室(http://www.gakushuin.ac.jp/mejiro.html の15番の建物)
参加費:500円(資料代等)
総合司会:小野寺典子(青山学院大学),森 勇太(関西大学)
13:30-13:40 (総合司会者による) 導入
13:40-14:25 《研究発表》
朱 冰(関西学院大学 常勤講師):「中国語における禁止表現から接続詞への変化」
司会:堀江 薫(名古屋大学)
14:35-15:20 《研究発表》
片見彰夫(青山学院大学 准教授):「イギリス宗教散文における指示的発話行為の変遷」
司会: 堀田隆一(慶應義塾大学)
15:50-17:50 特別企画 《鼎談》
「諸言語の標準化における普遍性と個別性 ―〈対照言語史〉の提唱」
田中克彦(一橋大学 名誉教授)
寺澤 盾(東京大学 教授)
田中牧郎(明治大学 教授)
司会:高田博行(学習院大学),堀田隆一(慶應義塾大学)
本鼎談では,モンゴル語,ロシア語,英語,日本語という個別の言語の歴史を専門とされる3人の言語学者の先生方に登壇願い,社会の近代化に伴い各言語が辿ってきた標準化の歴史に関してお話しいただきます.個別言語の歴史を対照することによって,標準化のタイミングと型,綴字の固定化や話しことばと書きことばとの関係等に関して言語間の相違のほかに,言語の違いを超えた共通性が浮かび上がってくると思われます.言語史研究者が新たな知見を得て,従来とはひと味もふた味も違った切り口で各個別言語史を捉え直す契機のひとつになれば幸いです.
18:30-20:30 懇親会:会費4000円(学生は2500円),会場はJR目白駅すぐ
『言語の事典』をパラパラめくっていて「言語変化」の章の最後に「通時的タイポロジー」という節があった.英語でいえば,"diachronic typology" ということだが,あまり聞き慣れないといえば聞き慣れない用語である.読み進めていくと,今後の言語変化論にとっての課題が「通時的タイポロジー」の名の下にいくつか列挙されていた.主旨を取り出すと,以下の4点になろうか.
(1) 19世紀以来の歴史言語学(特に比較言語学)は,分岐的変化に注目しすぎるあまり,収束的変化を軽視してきたきらいがある
(2) 斉一論を採用するならば,共時態におけるタイポロジーを追究することによって通時態におけるタイポロジーの理解へと進むはずである
(3) 言語変化の速度という観点が重要
(4) 言語変化しにくい特徴に注目してタイポロジーを論じる視点が重要
いずれも時間的・空間的に広い視野をもった歴史言語学の方法論の提案である.それぞれを我流に解釈すれば,(1) は歴史言語学における言語接触の意義をもっと評価せよ,ということだろう.
(2) の斉一論 (uniformitarian_principle) に基づく主張は「通時タイポロジー」の理論的基盤となり得る強い主張だが,言語変化の様式の普遍性を目指すと同時に,そこではすくい取れない個別性に意識的に目を向ければ,それは「通時対照言語学」に接近するだろう.こちらも可能性が開けている.
(3) と (4) は関連するが,言語変化しやすい(あるいは,一旦変化し始めたら素早く進行するもの)か否かという観点から,言語項や諸言語を分類してみるという視点である.これは確かに新しい視点である.本ブログでも,言語変化の速度については speed_of_change や schedule_of_language_change で様々に論じてきたが,おおいに可能性のある方向性ではないかと考えている.
タイポロジー(類型論)と対照言語学という2分野は,力点の置き方の違いがあるだけで実質的な関心は近いと見ているが,そうすると「通時的タイポロジー」と「通時的対照言語学」も互いに近いことになる.これらは,近々に開催される HiSoPra* の研究会でこれまで提起されてきた「対照言語史」の考え方にも近い.
・ 乾 秀行 「言語変化」『言語の事典』 中島 平三(編),朝倉書店,2005年.560--82頁.
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