10月が始まりました.大学の新学期も開始しましたので,改めて「hel活」 (helkatsu) に精を出していきたいと思います.9月下旬には,知識共有サービス Mond にて10件の英語に関する質問に回答してきました.今回は,英語史に関する素朴な疑問 (sobokunagimon) にとどまらず進学相談なども寄せられました.新しいものから遡ってリンクを張り,回答の要約も付します.
(1) なぜ英語にはポジティブな形容詞は多いのにネガティヴな形容詞が少ないの?
回答:英語にはポジティヴな形容詞もネガティヴな形容詞も豊富にありますが,教育的配慮や社会的な要因により,一般的な英語学習ではポジティヴな形容詞に触れる機会が多くなる傾向がありそうです.実際の言語使用,特にスラングや口語表現では,ネガティヴな形容詞も数多く存在します.
(2) 地名と形容詞の関係について,Germany → German のように語尾を削る物がありますが?
回答:国名,民族名,言語名などの関係は複雑で,どちらが基体でどちらが派生語かは場合によって異なります.歴史的な変化や自称・他称の違いなども影響し,一般的な傾向を指摘するのは困難です.
(3) 現在完了の I have been to に対応する現在形 *I am to がないのはなぜ?
回答:have been to は18世紀に登場した比較的新しい表現で,対応する現在形は元々存在しませんでした.be 動詞の状態性と前置詞 to の動作性の不一致も理由の一つです.「現在完了」自体は文法化を通じて発展してきました.
(4) 読まない語頭以外の h についての研究史は?
回答:語中・語末の h の歴史的変遷,2重字の第2要素としてのhの役割,<wh> に対応する方言の発音,現代英語における /h/ の分布拡大など,様々な観点から研究が進められています.h の不安定さが英語の発音や綴字の発展に寄与してきた点に注目です.
(5) 言語による情報配置順序の特徴と変化について
回答:言語によって言語要素の配置順序に特有の傾向があり,これは語順,形態構造,音韻構造など様々な側面に現われます.ただし,これらの特徴は絶対的なものではなく,歴史的に変化することもあります.例えば英語やゲルマン語の基本語順は SOV から SVO へと長い時間をかけて変化してきました.
(6) なぜ come や some には "magic e" のルールが適用されないの?
回答:come,some などの単語は,"magic e" のルールとは無関係の歴史を歩んできました.これらの単語の綴字は,縦棒を減らして読みやすくするための便法から生まれたものです.英語の綴字には多数のルールが存在し,"magic e" はそのうちの1つに過ぎません.
(7) Let's にみられる us → s の省略の類例はある? また,意味が変化した理由は?
回答:us の省略形としての -'s の類例としては,shall's (shall us の約まったもの)がありました.let's は形式的には us の弱化から生まれましたが,機能的には「許可の依頼」から「勧誘」へと発展し,さらに「なだめて促す」機能を獲得しました.これは言語の主観化,間主観化の例といえます.
(8) 英語にも日本語の「拙~」のような1人称をぼかす表現はある?
回答:英語にも謙譲表現はありますが,日本語ほど体系的ではありません.例えば in my humble opinion や my modest prediction などの表現,その他の許可を求める表現,著者を指示する the present author などの表現があります.しかし,これらは特定の語句や慣用表現にとどまり,日本語のような体系的な待遇表現システムは存在しません.
(9) 英語史研究者を目指す大学4年生からの相談
回答:大学卒業後に社会経験を積んでから大学院に進学するキャリアパスは珍しくありません.教育現場での経験は研究にユニークな視点をもたらす可能性があります.研究者になれるかどうかの不安は多くの人が抱くものですが,最も重要なのは持続する関心と探究心,すなわち情熱です.研究会やセミナーへの参加を続け,学びのモチベーションを保ってください.
(10) 英語の人称代名詞における性別区分の理由と新しい代名詞の可能性は?
回答:1人称・2人称代名詞は会話の現場で性別が判断できるため共性的ですが,3人称単数代名詞は会話の現場にいない人を指すため,明示的に性別情報が付されていると便利です.現代では性の多様性への認識から,新しい共性の3人称単数代名詞が提案されていますが,広く受け入れられているのは singular they です.今後も要注目の話題です.
以上です.10月も Mond より,英語(史)に関する素朴な疑問をお寄せください.
現代英語は固定語順の言語といわれる.例えば S, V, O の3要素に限って考えても,通常は S+V+O の並べ方しか許容されない.「通常は」確かにそうなのだが,近現代英語の詩,あるいはその他の修辞的な文脈においては,詩的許容 (poetic_license) によって語順規則を破ることが許されることがある.Crystal (98) がいくつかの語順について具体例を挙げている.
SVO the boy saw the man
OVS Johns I invited --- not Smith
VSO govern thou my song (Milton)
OSV strange fits of passion have I known (Wordsworth)
SOV pensive poets painful vigils keep (Pope)
ほかには,フィクションではあるが Star Wars のジェダイマスター,ヨーダの話す「ヨーダ語」 (Yodish) の語順がよく知られている.これについても Crystal (98) から引用しよう.
Sick have I become.
Strong am I with the Force.
Your father he is.
When nine hundred years old you reach, look as good you will not.
現代英語では SVO の語順があまりに自然で盤石であるため,そこから意図的に逸脱した語順は否応なく目立ち,むしろ修辞的な利用価値が高まる,といった事情があるように思われる.
語順 (word_order) については,最近「#5585. 『子供の科学』9月号で小5生からの「なぜ,日本語と英語では語順が違うのですか?」に回答しました」 ([2024-08-11-1]) の記事で取り上げた.また,今朝の heldio より「#1180. 『子供の科学』で日英語の基本語順について回答しました」もお聴きください.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd. Cambridge: CUP, 2003.
先日『子供の科学』9月号が発売されました.小学校3年生から中学生を読者層とする科学雑誌です.こちらの44頁にて,小学校5年生より寄せられてきた標題の素朴な疑問に回答しています.一言回答としては「古今東西,言語にはさまざまな語順があります」となります.
この質問については様々な媒体で取り上げてきましたが,今回は雑誌上で小学生に対して回答・解説するという初めての機会だったので,その点で頭を悩ませました.限られた紙幅で,何をどこまで伝えられるのか.易しく,かつ本質を突くような回答を探ってみましたが,はたして成功しているでしょうか.どのように読んでもらえているのか,気になるところです.
上記回答では英語が古くは現代の語順とは異なる語順をもっていた点にもちらと触れましたが,深掘りはできませんでした.この点に関心のある方は,ぜひ YouTube 「いのほた言語学チャンネル」より「英語の語順は大昔は SOV だったのになぜ SVO に変わったかいろいろ考えてみた.祝!!30回!」をご覧ください.
その他,本ブログでも語順 (word_order) 関連の話題はたびたび取り上げてきています.
[ 英語史における語順の変化・変異とその原因 ]
・ 「#3127. 印欧祖語から現代英語への基本語順の推移」 ([2017-11-18-1])
・ 「#132. 古英語から中英語への語順の発達過程」 ([2009-09-06-1])
・ 「#4597. 古英語の6つの異なる語順:SVO, SOV, OSV, OVS, VSO, VOS」 ([2021-11-27-1])
・ 「#4385. 英語が昔から SV の語順だったと思っていませんか?」 ([2021-04-29-1])
・ 「#2975. 屈折の衰退と語順の固定化の協力関係」 ([2017-06-19-1])
・ 「#4793. 多くの方に視聴していただいています!井上・堀田の YouTube 第30弾「英語の語順は大昔は SOV だったのになぜ SVO に変わったかいろいろ考えてみた」」 ([2022-06-11-1])
[ 基本語順の類型論 ]
・ 「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1])
・ 「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1])
・ 「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1])
・ 「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1])
・ 「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1])
・ 「#4316. 日本語型 SOV 言語は形態的格標示をもち,英語型 SVO 言語はもたない」 ([2021-02-19-1])
・ 「#3734. 島嶼ケルト語の VSO 語順の起源」 ([2019-07-18-1])
さらに,過去に書いてきた連載記事等も多々ありますので,リンクを張っておきます.
・ 英語史連載企画(研究社)「現代英語を英語史の視点から考える」の第11回と第12回
- 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
- 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
・ 知識共有サービス「Mond」での回答:「日本語ならSOV型,英語ならSVO型,アラビア語ならVSO型,など言語によって語順が異なりますが,これはどのような原因から生じる違いなのでしょうか?」
・ 「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1])
・ 「#4583. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第9回「なぜ英語の語順は SVO なの?」」 ([2021-11-13-1])
・ 「#4527. 英語の語順の歴史が概観できる論考を紹介」 ([2021-09-18-1])
語順問題について改めて考えてみていただければ.
(以下,後記:2024/08/22(Thu))
・ 堀田 隆一 「なぜ,日本語と英語では語順が違うのですか? --- 古今東西,言語にはさまざまな語順があります」『子供の科学』2024年9月号,誠文堂新光社,2024年8月10日.44頁.
分離不定詞 (split_infinitive) の歴史については,以下の記事で取り上げてきた(あるいはこちらの記事セットを参照).
・ 「#2992. 中英語における不定詞補文の発達」 ([2017-07-06-1])
・ 「#4976. 「分離不定詞」事始め」 ([2022-12-11-1])
・ 「#4977. 分離不定詞は14世紀からあるも増加したのは19世紀半ば」 ([2022-12-12-1])
・ 「#4979. 不定詞の否定として to not do も歴史的にはあった」 ([2022-12-14-1])
・ 「#4981. Reginald Pecock --- 史上最強の "infinitive-splitter"」 ([2022-12-16-1])
分離不定詞は,近代英語期半ばに一度下火となっていたが,18世紀末から19世紀にかけて徐々に復活を果たしてきた.とはいえ,必ずしも高頻度で用いられるようになったわけではない.もしかしたら19--20世紀にかけて少しずつ頻度が増していく可能性もあったかもしれないが,その可能性は規範文法家の猛烈な批判により潰されてしまったのである.19世紀中の経緯について Visser (Vol. 2, 1936--37) の解説を引用しよう.
When, towards the end of the eighteenth century, the usage was resuscitated in the written language, it soon spread with a remarkable rapidity, and in the nineteenth century it was to be found in the works of writers of every standing including several of great name. The usage, however, was of an occasional character so that one had to read hundreds of pages before finding an example. It is worth notice that one type of splitting, common in Middle English, was not revived, namely that with a (pro)noun between to and the infinitive, e.g. 'to hine finde', 'to þee defend', 'to temple go'.
The usage might have become general and more habitual instead of occasional in the course of the nineteenth and twentieth centuries but for the adverse judgment on it by grammarians. According to 1882 Fitzedw. Hall (On the Separation by a Word and Words of 'to' and the Infinitive) the earliest objection to this usage appeared in print in 1840), when Richard Taylor expressed his dissatisfaction with the idiom in the following words: "Some writers of the present day have a disagreeable affectation of putting an adverb between to' and the infinitive." In 1864 Dean Alford (The Queen's English p. 171) observes: "'To scientifically illustrate'. But surely this is a practice entirely unknown to English speakers and writers. It seems to me, that we ever regard the to of the infinitive as inseparable from its verb." In 1867 the idiom is also categorically condemned by Mason (English Grammar p. 181): "The to of an infinitive mood should never be separated from its verb by an adverb. Such phrases as, 'To rightly use', 'To really understand' are improper." It is noticeable that these early censurers, and many others with them for that matter, did not know of (or ignored?) the occurrence of the idiom in earlier English. The result of the disapproval so strongly expressed was that splitting the infinitives became one of the favourite taboos of the school-teacher, and that minor writers, or those that yet had to win themselves a name, afraid of running the risk of being censured for being ignorant of linguistic conventions, avoided it. Newspaper tradition used to be strong against splitting and sub-editors and correctors of the press were seduously (sic) watching for trespasses of this kind.
引用後半に "one of the favourite taboos of the school-teacher" とある通り,分離不定詞は,19世紀以来,英語に関する「不平不満の伝統」 (complaint_tradition) を最も典型的に体現する文法項目となったのである.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
「#5565. 中英語期,目的語を従える動名詞の構造6種」 ([2024-07-22-1]) で取り上げたように,動名詞の統語論については,発達過程において様々な語順やパターンがあり得た.
今回は Visser を参照し,-ing 形に意味上の主語が明示される場合と,意味上の目的語が明示される場合について,歴史的な統語パターンを挙げたい.各パターンについて,Visser が節を立てているので,その目次 (Vol. 2, xiii--xiv) を掲げるのが早い.ただし,Visser が取り上げているのは -ing 形に関する事例であり,動名詞のみならず現在分詞の例も含まれていることに注意が必要である.
THE SUBJECT OF THE FORM IN -ING
Type 'They doubted the truth of the boy's being dead'
Type 'It's a curious thing your saying that'
Type 'From the arysing of the sonne'
Type 'At the sun rising'
Type 'I hope it's all right me coming in'
Type 'Everybody was talking about you going over there'
Type 'They knew about it being so serious'
Type 'Don't talk of there being no one to help'
THE OBJECT OF THE FORM IN -ING
A. Object before the form in -ing
Type 'Thou desirest the kynges mordryng'
Type 'Excuse his throwing into the water'
Type 'Restrayne yow of vengeance taking'
Type 'To þi broþur burieng fare''
Type 'Hope-giving phrases'; 'his heart-percing dart'
Type 'The maner of þis arke-making'
Type 'His love-making struck us as unconvincing'
Type 'To be present at the iudgement geuing'
Type 'In dyteys-making she bare the pryse'
B. Object after the form in -ing
Type 'A daye was limited for justifying of the bill'
Type 'Wenches sitt in the shade syngyng of ballads'
Type 'He went prechynge cristes lay'
Type 'I slow Sampsoun in shakynge the piler'
'The reading the book' versus 'the reading of the book'
動名詞の統語論と関連して,先日の Voicy heldio の配信回2つも参照.
・ 「#1150. 動名詞の統語論とその歴史 --- His/Him speaking Japanese surprised us all.」
・ 「#1151. 動名詞の統語論はさまざまだった」
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
標記について,宇賀治 (274) により,Tajima (1985) を参照して整理した6種の構造が現代英語化した綴字とともに一覧されている.
I 属格目的語+動名詞,例: at the king's crowning (王に王冠を頂かせるとき)
II 目的語+動名詞,例: other penance doing (ほかの告解をすること)
III 動名詞+of+名詞,例: choosing of war (戦いを選択すること)
IV 決定詞+動名詞+of+名詞,例: the burying of his bold knights (彼の勇敢な騎士を埋葬すること)
V 動名詞+目的語,例: saving their lives (彼らの命を助けること)
VI 決定詞+動名詞+目的語,例: the withholding you from it (お前たちをそこから遠ざけること)
目的語が動名詞に対して前置されることもあれば後置されることもあった点,後者の場合には前置詞 of を伴う構造もあった点が興味深い.また,動名詞の主語が属格(後の所有格)をとる場合と通格(後の目的格)をとる場合の両方が混在していたのも注目すべきである.さらに,動名詞句全体が定冠詞 the を取り得たかどうかという問題も,統語論史上の重要なポイントである.
・ Tajima, Matsuji. The Syntactic Development of the Gerund in Middle English. Tokyo: Nan'un-Do, 1985.
・ 宇賀治 正朋 『英語史』 開拓社,2000年.
言語Aから言語Bへある言語項が移動することを "linguistic transfer" (言語項移動)と呼んでおこう.言語接触 (contact) において非常に頻繁に起こる現象であり,その典型的な現われの1つが語の借用 (borrowing) である.しかし,それだけではない.語の意味だけが移動する意味借用 (semantic_borrowing) もあれば,統語的な単位や関係が移動する例もある.音素(体系)の移動や語用論的項目の移動もあるかもしれない.一言で "linguistic transfer" といっても,いろいろな種類があり得るのだ.
Heine and Kuteva (87) は,5種類の言語項移動を認めている.
a. form, that is, sounds or combinations of sounds,
b. meanings (including grammatical meanings) or combinations of meanings,
c. form-meaning units,
d. syntactic relations, that is, the order of meaningful elements,
e. any combination of (a) through (d).
音形の移動を伴う a と c は,平たくいえば「借用」 (borrowing) である.一方,b と d は音形の移動を伴わない移動であり,先行研究にならって「複製」 (replication) と呼んでおこう.大雑把にいえば,借用はより具体的な項目の移動で,複製はより抽象的な項目の移動である.ちなみに e はすべてのごった煮である.この言語項移動の類型論は,意外とわかりやすいと思っている.
・ Heine, Bernd and Tania Kuteva. "Contact and Grammaticalization." Chapter 4 of The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 86--107.
昨日の記事「#5062. 前置詞の伝統的な定義」によれば,前置詞 (preposition) は名詞あるいは代名詞を支配するものとされる.より正確には,名詞句 (noun phrase) を支配するといっておくのがよいだろうか.しかし,実際には典型的な前置詞とみられる語の後ろに,一見したところ名詞句ではない別のものが続くケースも少なくない.例えば,Huddleston and Pullum (599) より4つの例を挙げよう.
i The magician emerged [from behind the curtain]. [PP]
ii I didn't know about it [until recently]. [AdvP]
iii We can't agree [on whether we should call in the police]. [interrogative clause]
iv They took me [for dead]. [AdjP]
それぞれ前置詞の後に,別の前置詞句,副詞句, 疑問節,形容詞句が続いている例となっているが,このような例は珍しくない.ただし,前置詞が一般にこれらの異なる補文を取り得るというわけではない.前置詞ごとに,どのような補文を取れるかが決まっている,ということである.例えば until は副詞句を支配することができるが,疑問節は支配できない.逆に on は副詞句を支配できないが,疑問節は取れる.ちょうど個々の動詞によって支配できる補文のタイプが決まっているのと同じことである.
また,伝統的な定義によれば,前置詞は補文の前に置かれるものである(だからこそ「前置」詞と呼ばれる).しかし,一部の前置詞については補文の後に置かれることがあり,その限りにおいては「後置」詞とすら呼べるのである.Huddleston and Pullum (631) より,notwithstanding と apart/aside (from) が異なる語順で用いられている例文を挙げよう.
i a. [Notwithstanding these objections,] they passed ahead with their proposal.
i b. [These objections notwithstanding,] they passed ahead with their proposal.
ii a. [Apart/Aside from this,] he performed very creditably.
ii b. [This apart/aside,] he performed very creditably.
前置詞を議論する場合には,今回挙げたような,らしくない振る舞いをする前置詞(の用法)にも注意する必要がある.関連して heldio 「#133. 前置詞ならぬ後置詞の存在」も参照.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum, eds. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
英語には,動詞 (verb) と小辞 (particle) の組み合わせからなる句動詞 (phrasal_verb) が数多く存在している.とりわけ口語で頻出し,慣習的・比喩的な意味をもつものも多い.さらに統語構造上も多様な型を取り得るため,しばしば英語学習の障壁となる.
例えば run と up を組み合わせた表現を考えてみよう.統語的には4つのパターンに区分される.
(1) A girl ran up. 「ある少女が駆け寄ってきた」
ran up が全体として1つの自動詞に相当する.
(2) The spider ran up the wall. 「そのクモは壁を登っていった」
自動詞 ran と前置詞句 up the wall の組み合わせである.
(3) The soldier ran up a flag. 「その兵士は旗を掲げた」
ran up の組み合わせにより1つの他動詞に相当し,目的語を取る.この場合,小辞 up と名詞句の目的語 a flag の位置はリバーシブルで,The soldier ran a flag up. の語順も可能.ただし,目的語が it のような代名詞の場合には,むしろ The soldier ran it up. の語順のみが許容される.
(4) Would you mind running me up the road? 「道路の先まで車に乗せていっていただけませんか」
他動詞 run と前置詞句 up the road の組み合わせである.
run と up の組み合わせのみに限定しても,このように4つの型が認められる.他の動詞と他の小辞の組み合わせの全体を考慮すれば,型としては8つの型があり,きわめて複雑となる.
・ Cowie, A. P. and R Mackin, comps. Oxford Dictionary of Phrasal Verbs. Oxford: OUP, 1993.
「#4976. 「分離不定詞」事始め」 ([2022-12-11-1]),「#4977. 分離不定詞は14世紀からあるも増加したのは19世紀半ば」 ([2022-12-12-1]),「#4979. 不定詞の否定として to not do も歴史的にはあった」 ([2022-12-14-1]) の流れを受け,分離不定詞 (split_infinitive) について英語史上のおもしろい事実を1つ挙げたい.
分離不定詞を使用する罪深い人間は infinitive-splitter という呼称で指さされることを,先の記事 ([2022-12-11-1]) で確認した.OED が1927年にこの呼称の初出を記録している.infinitive-splitter という呼称が初めて現われるよりずっと前,5世紀も遡った時代に,英語史上の真の "infinitive-splitter" が存在した.ウェールズの神学者 Reginald Pecock (1395?--1460) である.
分離不定詞の事例は14世紀(あるいは13世紀?)より見出されるといわれるが,後にも先にも Pecock ほどの筋金入りの infinitive-splitter はいない.彼に先立つ Chaucer はほとんど使わなかったし,Layamon や Wyclif はもう少し多く使ったものの頻用したわけではない.後の Shakespeare や Kyd も不使用だったし,18世紀末にかけてようやく頻度が高まってきたという流れだ.中英語期から初期近代英語期にかけての時代に,Pecock は infinitive-splitter として燦然と輝いているのだ.しかし,なぜ彼が分離不定詞を多用したのかは分からない.Visser (II, § 977; p. 1036) も,次のように戸惑っている.
Quite apart, however, stands Reginald Pecock, who in his Reule (c 1443), Donet (c 1445), Repressor (c. 1449), Folewer (c 1454) and Book of Faith (c 1456) not only makes such an overwhelmingly frequent use of it that he surpasses in this respect all other authors writing after him, but also outdoes them in the boldness of his 'splitting'. For apart from such patterns as 'to ech dai make him ready', 'for to in some tyme, take', 'for to the better serve thee', which are extremely common in his prose, he repeatedly inserts between to and the infinitive adverbial adjuncts and even adverbial clauses of extraordinary length, e.g. Donet 31, 17, 'What is it for to lyue þankingly to god ...? Sone, it is forto at sum whiles, whanne oþire profitabler seruycis of god schulen not þerbi be lettid, and whanne a man in his semyng haþ nede to quyke him silf in þe seid lovis to god and to him silf and nameliche to moral desires (whiche y clepe here 'loves' or 'willingnis') vpon goodis to come and to be had, seie and be aknowe to god ... þat he haþ receyued benefte or benefetis of god.') . . .
It is not ascertainable what it was that brought Pecock, to this consistent deliberate and profuse use of the split infinitive, which in his predecessors and contemporaries only occurred occasionally, and more or less haphazardly. Neither can the fact be accounted for that he had no followers in this respect, although his works were widely read and studied.
上に挙げられている例文では,不定詞マーカーの forto と動詞原形 seie and be の間になんと57語が挟まれている.Pecock に史上最強の infinitive-splitter との称号を与えたい.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
「#4976. 「分離不定詞」事始め」 ([2022-12-11-1]),「#4977. 分離不定詞は14世紀からあるも増加したのは19世紀半ば」 ([2022-12-12-1]) と続けて分離不定詞 (split_infinitive) の話題を取り上げてきた.その関連で Jespersen を紐解いていて,to と動詞原形の間に否定の副詞 not や never が割って入るタイプの分離不定詞の事例が歴史的にあったことを知った.規範文法では not to do の語順が規則とされているが,必ずしもそうではなかったことになる.Jespersen より解説を引用する.
§20.48. Not and never are often placed before to: Wilde P 38 one of the things I shall have to teach myself is not to be ashamed of it (but to not be would have been clearer) | she wished never to see him again (here never belongs to the inf., but in she never wished . . . it would belong to wished; the sentences are parallel to wished not to . . . : did not wish to . . .) | Maugham MS 140 I trained myself never to show it | Hardy L 77 they thought it best to accept, so as not to needlessly provoke him (note the place of the second adverb) | Macaulay H 1.84 he bound himself never again to raise money without the consent of the Houses | Bromfield ModHero 154 long since she had come never to speak of her at all.
But the opposite word-order is also found: Lewis MS 140 having the sense to not go out | id B 137 I might uv expected you to not stand by me | Browning l.521 And make him swear to never kiss the girls (rhythm!).
数日前に分離不定詞の話題を持ち出したわけだが,この問題はもしかすると,不定詞に限らず準動詞の否定や副詞(句)修飾の語順まで広く見渡してみると,もっとおもしろくなるのではないか.さらにいえば,否定辞の置き場所という英語統語論史上の大きな問題にも,必然的に関わってくるに違いない.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.
昨日の記事「#4976. 「分離不定詞」事始め」 ([2022-12-11-1]) で紹介した分離不定詞 (split_infinitive) について,Jespersen が次のような導入を与えている.本当は "split" ではないこと,20世紀前半の Jespersen の時代にあっては分離不定詞への風当たりは緩和されてきていること,用例は14世紀からみられるが増加したのは19世紀半ばからであることなどが触れられている.
§20.41. The term 'split infinitive' is generally accepted for the insertion of some word or words between to and an infinitive---which thus is not really 'split', but only separated from the particle that usually comes immediately before it.
While the phenomenon was formerly blamed by grammarians ("barbarous practice" Skeat in Ch MP 355) and rigorously persecuted in schools, it is now looked upon with more lenient eyes ("We will split infinitives sooner than be ambiguous or artificial" Fowler MEU 560), and even regarded as an improvement (Curme). It is as old as the 14th c. and is found sporadically in many writers of repute, especially after the middle of the 19th c.; examples abound in modern novels and in serious writings, not perhaps so often in newspapers, as journalists are warned against it by their editors in chief and are often under the influence of what they have learned as 'correct' at school. Curme is right in saying that it has never been characteristic of popular speech.
分離不定詞において to と動詞原形の間に割って入る要素は,ほとんどの場合,副詞(句)だが,中英語からの初期の例については,動詞の目的語となる名詞(句)が前置され「to + 目的語 + 動詞」となるものがあったことに注意したい.この用例を Jespersen よりいくつかみてみよう.この語順は近現代ではさすがにみられない.
§20.44. In ME we sometimes find an object between to and the infinitive: Ch MP 6.128 Wel lever is me lyken yow and deye Than for to any thing or thinke or seye That mighten yow offende in any tyme | Nut-Brown Maid in Specimens III. x. 180 Moche more ought they to god obey, and serue but hym alone.
This seems never to be found in ModE, but we sometimes find an apposition to the subject inserted: Aumonier Q 194 Then they seemed to all stop suddenly.
一口に分離不定詞といっても,英語史的にみると諸相があっておもしろそうだ.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.
「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) でも言及したように分離不定詞 (split_infinitive) は規範文法のなかでも注目度(悪名?)の高い語法である.これは,to boldly go のように,to 不定詞を構成する to と動詞の原形との間に副詞など他の要素が入り込んで,不定詞が「分離」してしまう用法のことだ."cleft infinitive" という別名もある.
歴史的には「#2992. 中英語における不定詞補文の発達」 ([2017-07-06-1]) でみたように中英語期から用例がみられ,名だたる文人墨客によって使用されてきた経緯があるが,近代の規範文法 (prescriptive_grammar) により誤用との烙印を押され,現在に至るまで日陰者として扱われている.OED によると,分離不定詞の使用には infinitive-splitting という罪名が付されており,その罪人は infinitive-splitter として後ろ指を指されることになっている(笑).
infinitive-splitting n.
1926 H. W. Fowler Dict. Mod. Eng. Usage 447/1 They were obsessed by fear of infinitive-splitting.
infinitive-splitter n.
1927 Glasgow Herald 1 Nov. 8/7 A competition..to discover the most distinguished infinitive-splitters.
なぜ規範文法家たちがダメ出しするのかというと,ラテン文法からの類推という(屁)理屈のためだ.ラテン語では不定詞は屈折により īre (to go) のように1語で表わされる.したがって,英語のように to と動詞の原形の2語からなるわけではないために,分離しようがない.このようにそもそも分離し得ないラテン文法を模範として,分離してはならないという規則を英語という異なる言語に当てはめようとしているのだから,理屈としては話にならない.しかし,近代に至るまでラテン文法の威信は絶大だったために,英文法はそこから自立することがなかなかできずにいたのである.そして,その余波は現代にも続いている.
しかし,現代では,分離不定詞を誤用とする規範主義的な圧力はどんどん弱まってきている.特に副詞を問題の箇所に挿入することが文意を明確にするのに有益な場合には,問題なく許容されるようになってきている.2--3世紀のあいだ分離不定詞に付されてきた傷痕 (stigma) が少しずつそぎ落とされているのを,私たちは目の当たりにしているのである.まさに英語史の一幕.
分離不定詞については,American Heritage Dictionary の Usage Notes より split infinitive に読みごたえのある解説があるので,そちらも参照.
「#2233. 統語的な橋渡しとしての I not say.」 ([2015-06-08-1]) で一度取り上げた,英語史上目立たない否定の語順に関する話題に再び注目したい.
古英語から中英語にかけて,否定辞として ne が用いられる場合には「S + ne + V」の語順が規則的だった.しかし,否定辞として not が用いられるようになると「S + V + not」の語順が規則となり,「S + not + V」は非常にまれな構造となった."Jespersen's cycle" と称される否定構造の通時的変化のなかでも「S + not + V」はうまく位置づけられておらず,よくても周辺的な扱いにとどまる.
しかし,Visser (III, §1440) は,Type 'He not spoke (those words)' の構造についてもう少し丁寧にコメントしており,例文も50件以上集めている.コメントを引用しよう.
Before 1500 this type is only sporadically met with, but after 1500 its currency increases and it becomes pretty common in Shakespeare's time. After c1700 a decline sets in and in Present-day English, where the type 'he did not command' is the rule, the idiom is chiefly restricted to poetry. . . . According to Smith (Mod. Språ 27, 1933) it is still used in Modern literary English in order to contrast a verb with a preceding one, e.g. 'The wise mother suggests the duty, not commands it'. The frequency of the use of this type in the 16th and 17th centuries seems to have escaped the attention of grammarians. Thus 1951 Söderlind (p. 218) calls a quotation from Dryden's prose containing this construction "a unique instance of not preceding the finite verb", and 1953 (Ellegård (p. 198) states: "not hardly ever occurred before the finite verb." Poutsma's earliest example (1928 I, i p. 102) is a quotation from Shakespeare. The following statement is interesting, ignoring as it does the occurrence of the idiom between "O.E." (=?perhaps: Middle English) and modern poetry: 1876 Ernest Adams, The Elements of the English Language p. 217: "Frequently in O.E. and, rarely, in modern poetry, do and the infinitive are not employed in negative propositions: I not repent my courtesies---Ford; I not dislike the course.---Ibid.; I swear it would not ruffle me so much As you that not obey me---Tennyson."
このコメントの後に1400年頃から20世紀に至るまでの例文が数多く列挙されている.とりわけ初期近代英語期に注目して EEBO などの巨大コーパスで調査すれば,かなりの例文が集められるのではないだろうか.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
一昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,リスナーさんから寄せられた質問に回答する形で「#517. 間接目的語が主語になる受動態は中英語期に発生した --- He was given a book.」を配信しました.ぜひお聴きください.
原則として古英語では動詞の直接目的語が主語となる受動文しか存在しませんでした.ところが,続く中英語期になり,動詞の間接目的語や前置詞の目的語までもが主語となる受動文も可能となってきました(概要は中尾・児馬 (125--31) をご覧ください).今日はこの配信への補足となります.
Fischer によれば,現代英語では次のすべての受動文が可能です.
1 The book was selected by the committee
2 Nicaragua was given the opportunity to protest
3 His plans were laughed at
4 The library was set fire to by accident
英語史研究では,この受動文の拡大に関する議論は多くなされてきました.いくつかの考え方があるものの,概ね受動化 (passivisation) に関する統語規則の適用範囲が変化してきたととらえる向きが多いようです.要するに,受動化の対象が,時間とともに動詞の直接目的語から間接目的語へ,さらに前置詞の目的語へ拡大してきた,という見方です.
ただし,これも1つの仮説です.もしこれを受け入れるとしても,なぜそうなのかというより一般的な問題も視野に入れる必要があります.受動化とは異なるけれども何らかの点で関係する統語現象においても類似の変化・拡大が起こっているとすれば,それと合わせて考察する必要があります.この辺りの事情を Fischer (384) に語ってもらいましょう.
There are two general paths along which one could look for an explanation of these developments. One can hypothesise that there was a change in the nature of the rule that generates passive constructions . . . Another possibility is that there was a change in the application of the rule due to changes having taken place elsewhere in the system of the language . . . The latter course seems to be the one now more generally followed. Additional factors that may have influenced the spread of passive construction are the gradual loss of the Old English active construction with indefinite man . . . (this construction could most easily be replaced by a passive) and the change in word order . . . .
統語変化の仮説の設定と検証は,なかなか容易ではありません.そのために英語史という専門分野があり,日々研究が続けられているのです.
・ 中尾 俊夫・児馬 修(編著) 『歴史的にさぐる現代の英文法』 大修館,1990年.
・ Fischer, Olga. "Syntax." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Cambridge: CUP, 1992. 207--408.
『中高生の基礎英語 in English』の11月号が発売されました.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」も第20回となります.今回はなかなか本質的な問い「なぜ英語の文には主語が必要なの?」を取り上げています.
素朴な疑問であるからこそ,きれいに答えるのが難しいですね.特に日本語は主語がなくて済む場合のほうが多いので,それと比較対照すると,英語の「主語は絶対に存在しなければならない」という金科玉条は理解しにくいですし説明もしにくいわけです.なぜ英語はそんなに主語の存在にうるさいのか,と.
ところが,英語史を振り返ってみると,古英語や中英語という古い時代には,必ずしも主語が存在しない文もあったのです.しかも,存在すべきなのに省略されているというケースだけでなく,そもそも主語の存在が想定されていない(つまり省略しようにも省略すべきものがない)ケースすらあったのです.
今回の連載記事では,その辺りの事情を語りました.記事の最後では,疑問文で主語と動詞をひっくり返したり,命令文で主語を省略する統語規則についても言及しました.ぜひ11月号を手に取ってみてください!
「英語学」スクーリングの Day 3 では,英語の統語論 (syntax) に注目します.1950年代後半に Noam Chomsky が現われて以来,それまではさほど注目されていなかった統語論研究が,とみに活発化しました.生成文法 (generative_grammar) が一世を風靡すると,次いでそのアンチとして George Lakoff と Ronald W. Langacker が主導する形で1980年代後半より認知文法が興隆しましたが,統語論はそこでも注目され続けました(cf. 「#3532. 認知言語学成立の系譜」 ([2018-12-28-1])).
とりわけ英語は「語順の言語」なので統語論は重要です.英語統語論という膨大な領域を短時間で一望しようとするのも無理があるのですが,具体的な問題の扱いを通じて統語論の力を味わってみたいと思います.
1. 生成文法
1.1 統語ツリーを描く
1.2 「#1820. c-command」 ([2014-04-21-1])
1.3 「#2136. 3単現の -s の生成文法による分析」 ([2015-03-03-1])
1.4 「#4860. 生成文法での受動文の作られ方」 ([2022-08-17-1])
2. 機能的構文論
2.1 情報構造と冠詞: 「#3831. なぜ英語には冠詞があるのですか?」 ([2019-10-23-1])
2.2 「#4641. 副詞句のデフォルトの順序 --- 観点,過程,空間,時間,付随」 ([2022-01-10-1])
2.3 「#4864. 相互動詞と視点」 ([2022-08-21-1])
3. 英語の語順とその歴史: 「#4527. 英語の語順の歴史が概観できる論考を紹介」 ([2021-09-18-1])
4. 本日の復習は heldio 「#450. 英語学・英語史と統語論」,およびこちらの記事セットより
6月8日(水)に,YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」 の第30弾が公開されました.「英語の語順は大昔は SOV だったのになぜ SVO に変わったかいろいろ考えてみた.祝!!30回!」です.過去数回と比べて多くの方に視聴していただいているようです.関心をもった方が多いと思われますので,今回はこの話題について情報を補足したいと思います.
基本語順で考えると,ゲルマン祖語では SOV,古英語では SOV + SVO,中英語以降は SVO というのが大雑把な流れです.基本語順の通時的変化の問題については,これまでも hellog その他で様々に扱ってきましたので,以下にリンクなどを張っておきます.上記 YouTube 動画と合わせてご参照ください.
[ 英語史における語順の変化・変異とその原因 ]
・ 「#3127. 印欧祖語から現代英語への基本語順の推移」 ([2017-11-18-1])
・ 「#132. 古英語から中英語への語順の発達過程」 ([2009-09-06-1])
・ 「#4597. 古英語の6つの異なる語順:SVO, SOV, OSV, OVS, VSO, VOS」 ([2021-11-27-1])
・ 「#4385. 英語が昔から SV の語順だったと思っていませんか?」 ([2021-04-29-1])
・ 「#2975. 屈折の衰退と語順の固定化の協力関係」 ([2017-06-19-1])
[ 基本語順の類型論 ]
・ 「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1])
・ 「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1])
・ 「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1])
・ 「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1])
・ 「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1])
・ 「#4316. 日本語型 SOV 言語は形態的格標示をもち,英語型 SVO 言語はもたない」 ([2021-02-19-1])
・ 「#3734. 島嶼ケルト語の VSO 語順の起源」 ([2019-07-18-1])
[ 過去の連載記事などの紹介 ]
・ 英語史連載企画(研究社)「現代英語を英語史の視点から考える」の第11回と第12回
- 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
- 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
・ 知識共有サービス「Mond」での回答:「日本語ならSOV型,英語ならSVO型,アラビア語ならVSO型,など言語によって語順が異なりますが,これはどのような原因から生じる違いなのでしょうか?」
・ 「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1])
・ 「#4583. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第9回「なぜ英語の語順は SVO なの?」」 ([2021-11-13-1])
・ 「#4527. 英語の語順の歴史が概観できる論考を紹介」 ([2021-09-18-1])
倒置 (inversion) と受動態化 (passivisation) という2つの統語論的過程には共通した役割がある.本来的な主語以外の要素を,典型的に話題 (topic) を担う節頭の位置に動かすことができるということだ.換言すれば,2つの統語論的過程はともに話題化 (topicalisation) という語用論上の要求に応えてくれる手段なのである.
一方,倒置と受動態化には,興味深い相違点がある.いや,相違というよりも相補といったほうが適切だろう.両者はタッグを組んで,うまいく問題を解決しているようなのである.Seoane (379) の議論を引用しよう.
. . . inversion and passivization operate in different syntactic environments: passivization applies to transitive verbs whereas inversion applies to intransitive and copular clauses. Empirical studies . . . have made manifest that the tendency of inversion to apply to intransitive clauses was already observed in OE, ME, and EModE, when intransitive verbs dominate in the inverted (XVS) order, while there is a predominance of transitive verbs in the non-inverted order (XSV, probably determined by the need to maintain the cohesion between V and O . . .). As argument-reversing constructions, therefore, passivization and inversion were in a nearly complementary distribution and passives were almost the only order-rearranging pattern available for transitive clauses.
なるほど,倒置と受動態化は,それぞれ自動詞文と他動詞文を相手にするという違いはありながらも,語用論上の問題解決を目指しているという点では同じ方向をみているといえる.しかし,2つの過程には決定的に異なることが1つある.それは,倒置は有標な話題を作り出すが,受動態化が作り出す話題はあくまで無標であることだ.上の引用にすぐ続く1文を引用しよう (Seoane 379) .
However, the most significant difference between the two argument-reversing devices is that, even if they satisfy the same discourse constraints, inversion produces marked topics, while passivization is the only strategy reversing the order of clausal constituents and creating unmarked topics/subjects.
これまで倒置と受動態化を結びつけて考えたことがなかったので,とても新鮮な見解だった.
・ Seoane, Elenna. "Information Structure and Word Order Change: The Passive as an Information-Rearranging Strategy in the History of English." Chapter 15 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 360--91.
昨日の記事「#4641. 副詞句のデフォルトの順序 --- 観点,過程,空間,時間,付随」 ([2022-01-10-1]) で,現代英語の副詞句の並び順について取り上げた.とりわけよく共起すると思われる「空間」と「時間」の並び順は,デフォルトではこの順序,つまり「どこでいつ」である.日本語では「いつどこで」が普通なので,反対の順序ということになる.
では,古い英語ではどうだったのだろうか.現代英語と異なり,古英語では(副詞句に限らないが)語順が比較的自由だったという事情があったが,このことは副詞句のデフォルトの語順にも影響していたのだろうか.この問題に関して,古英語の分布について York-Toronto-Helsinki Parsed Corpus of Old English Prose を用いて調査した Chrambach の論文を読んでみた.様々なパラメータを設定した上で多因子解析を試みている.
結論としては,現代英語の「どこでいつ」とは反対の(つまり日本語風の)「いつどこで」ということのようだ.この結論は,古英語内の各時期に関して支持され,翻訳テキストでも非翻訳テキストでも同様に確認され,ジャンルにも関係しないとのことだ (Chrambach 52) .
では,なぜ古英語では「いつどこで」だったのだろうか.論文では「なぜ」までは踏み込んでいないが,副詞句の分布について明らかになったことはあるようだ.分布には REALIZATION FORM と OBLIGATORINESS の2つの要因が作用しているという.具体的にいえば「副詞句+前置詞句」あるいは「付加詞+補文」というつながりが現われることと,それが「いつどこで」の順序として現われることとが指摘されている (Chrambach 52--53) .
古英語のコーパスからのデータに基づく統計を駆使した論文で,容易に解釈することはできないのだが,もしこの結論が正しいとすると,英語は古英語的な「いつどこで」タイプから,現代英語的な「どこでいつ」タイプにシフトしてきたことになる.それはなぜなのか.中英語や近代英語での順序はどうだったのか.これについて,通言語的に,あるいは類型論の立場から何か言えるのか.興味をそそられる問いである.
・ Chrambach, Susanne. "The Order of Adverbials of Time and Place in Old English." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 39--59.
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