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10月25日,白水社の月刊誌『ふらんす』11月号が刊行されました.今年度,連載記事「英語史で眺めるフランス語」を寄稿しています.今回は連載第8回は「英語の慣用表現にみるフランス語の影」です.フランス語の影響は,英語の単語のみならず慣用表現あるいはイディオム (idiom) にまで及んでいます.3つの小見出しのもと,次のような趣旨で書いています.
1. 慣用表現の「なぞり」
1066年のノルマン征服以降,英語がフランス語から大きな言語的影響を受けた背景を振り返りつつ,語彙のみならず慣用表現や「言い回し」も借用されてきたことが指摘されます.とりわけ「なぞり」や翻訳借用 (loan_translation) の話題に注目します.
2. フランス語から英語へとなぞられた慣用表現
中心となる時期は,予想通りノルマン征服後(主に13--15世紀)です.フランス語の慣用表現が英語へそのまま,あるいは部分的に借用された事例を多く挙げています.
3. フランス語的な英語表現は現代にも多く残る
フランス語からのなぞり表現の多くが現在まで生き残り,現役で使用されている事実に注目します.中英語期の翻訳作業を通じて,英語はフランス語から豊かな表現形式を借用してきたのです.
通常より一歩上を行くレベルの英語史におけるフランス語影響論となっていますので,ぜひ『ふらんす』11月号を手に取っていただければと思います.過去7回の連載記事も furansu_rensai の各記事で紹介してきましたので,どうぞご参照ください.
なお,フランス語が英語の(語彙ではなく)慣用表現に与えた影響については,本ブログの以下の記事でも話題にしてきましたので,そちらもどうぞ.
・ 「#2351. フランス語からの句動詞の借用」 ([2015-10-04-1])
・ 「#2395. フランス語からの句の借用」 ([2015-11-17-1])
・ 「#2396. フランス語からの句の借用に対する慎重論」 ([2015-11-18-1])
・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第8回 英語の慣用表現にみるフランス語の影」『ふらんす』2024年11月号,白水社,2024年10月25日.52--53頁.
理由を表わす副詞節を導く because は英語学習の早い段階で学ぶ,きわめて日常的で高頻度の語である.しかし,身近すぎて特別な感情も湧いてこない表現にこそ,おもしろい歴史が隠れていることが少なくない.
because を分解すると by + cause となる.前者は古英語から続く古い前置詞であり,後者はフランス語からの借用語である.もともとは2語からなる前置詞句だったが,それが形式的にも機能的にも合一したのがこの単語である.その観点からすると,1種の混成語 (blend) とみてよい.
以下 OED を参照して,because の来歴を紹介しよう.この語の英語での初出は14世紀初めのことである.Bi cause whi (= "because why") のように用いられているのがおもしろい.
c1305 Deo Gratias 37 in Early Eng. Poems & Lives Saints (1862) 125 Þou hast herd al my deuyse, Bi cause whi, hit is clerkes wise.
ほかに because that のように that を接続詞マーカーとして余剰的に用いる例も,後期近代英語から初期近代英語にかけて数多くみられる(「#2314. 従属接続詞を作る虚辞としての that」 ([2015-08-28-1])).そもそも cause は名詞にすぎないので,節を導くためには同格の that の支えが必要なのである.because that の例を3つ挙げよう.
・ c1405 (c1395) G. Chaucer Franklin's Tale (Hengwrt) (2003) l. 253 By cause that he was hir neghebour.
・ 1611 Bible (King James) John vii. 39 The Holy Ghost was not yet giuen; because that Iesus was not yet glorified.
・ 1822 Ld. Byron Heaven & Earth i. iii, in Liberal 1 190 I abhor death, because that thou must die.
接続詞としての because は定義上後ろに節が続くが,現代にも残る because of として句を導く用法も早く14世紀半ばから文証される.初例は Wyclif からである.
1356 J. Wyclif Last Age Ch. (1840) 31 Þe synnes bi cause of whiche suche persecucioun schal be in Goddis Chirche.
もう1つ興味深いのは,because の後ろに to 不定詞が続く構造である.現代では残っていない構造だが,16世紀より2例が挙げられている.意味が「理由」ではなく「目的」だったというのもおもしろい.
・ 1523 Ld. Berners tr. J. Froissart Cronycles I. ccxxxix. 346 Bycause to gyue ensample to his subgettes..he caused the..erle of Auser to be putte in prison.
・ 1546 T. Langley tr. P. Vergil Abridgem. Notable Worke i. xv. 28 a Arithmetike was imagyned by the Phenicians, because to vtter theyr Merchaundyse.
because はさらに歴史的に深掘りしていけそうな単語である.これまでも以下の記事でこの単語に触れてきたので,ご参照を.
・ 「#1542. 接続詞としての for」 ([2013-07-17-1])
・ 「#1744. 2013年の英語流行語大賞」 ([2014-02-04-1])
・ 「#2314. 従属接続詞を作る虚辞的な that」 ([2015-08-28-1])
・ 「#3036. Lowth の禁じた語法・用法」 ([2017-08-19-1])
・ 「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1])
独立した語を複数組み合わせて,新たな1つの語を作り出す語形成を複合 (compounding) といい,そのようにして形成されたものを複合語 (compound) という.複合(語)の分類については「#924. 複合語の分類」 ([2011-11-07-1]),「#2652. 複合名詞の意味的分類」 ([2016-07-31-1]) を参照されたい.
今回は,複合語と句 (phrase) がどのように区別されるのかという問題を取り上げる.両者とも独立した語を複数組み合わせて作るという点では同じだが,一般に複合語は形態的な単位であり,句は統語的な単位であると区別してとらえられる.例えば,black board (黒い板)は句で blackboard (黒板)は複合語と判断されるが,どのように区別されるのだろうか.なお,綴字上2要素間にスペースが置かれているかどうかは慣習的な正書法の問題にすぎず,本質的な決め手とはならないことを先に述べておく.
複合語の認定基準について,竝木 (39) より3点を示そう.
a. 意味に関する基準(普遍的なもの)
2つ(またはそれ以上)の単語がまとまりをなすとき,全体の意味が部分の意味から合成的に得られない場合,そのまとまりは複合語である.(意味の非合成性)
b. 形態に関する基準(普遍的なもの)
2つの単語がまとまりをなすとき,両者の間に他の要素を入れられない場合や,最初の単語のみを修飾する単語が付けられない場合,そのまとまりは複合語である.(形態的な緊密性)
c. 音韻的な基準(個別言語に特有で,ここでは英語の場合)
2つの単語がまとまりをなすとき,第1強勢が最初の単語に置かれる場合,そのまとまりは複合語である.
black board と blackboard の具体的なペアで上記の基準を確認してみよう.black (黒い)と board (板)という2つの独立した単語とその意味を知っていれば,意味の足し算により black board の意味「黒い板」を容易に割り出すことができる.しかし,blackboard は一般的な黒い板ではなく,学校教室での授業など特定の用途のために使われるモノにつけられた名前である.だから,実際には緑色に近かったとしても blackboard ということができる.blackboard は単純な意味の足し算によって予想することができない特殊な意味をもつのである(意味の非合成性).
次に,句である black board については very black board や blacker board のように black の意味を強調・比較させることができるが,複合語である blackboard については *very blackboard や *blackerboard のようにすることは許されない.複合語を構成する2要素の関係があまりに緊密だからである(形態的な緊密性).
最後に,句の blàck bóard と複合語の bláckbòard とでは,強勢の置かれる部分が異なる.前者は一般的な句の強勢パターンに従い,後者は一般的な語の強勢パターンに従っている.
上記の複合語の認定基準は,当然ながら語 (word) そのものの認定基準と重なるところが多い.この関連する問題については「#910. 語の定義がなぜ難しいか (1)」 ([2011-10-24-1]),「#911. 語の定義がなぜ難しいか (2)」 ([2011-10-25-1]),「#912. 語の定義がなぜ難しいか (3)」 ([2011-10-26-1]),「#921. 語の定義がなぜ難しいか (4)」 ([2011-11-04-1]),「#922. 語の定義がなぜ難しいか (5)」 ([2011-11-05-1]) を要参照.
・ 竝木 崇康 「第2章 形態論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.
「英語史導入企画2021」より本日紹介するコンテンツは,院生による「映画『マトリックス』が英語にのこしたもの」.これだけでは何のことか分からないと思いますが,同映画から生まれた the red pill,the blue pill という口語表現に焦点を当てたコンテンツです.同コンテンツによれば「blue pill とは,世界の真実を知ることなく,自分が信じたいことだけを信じることができることを象徴し,一方,red pill は多少痛みを伴うような,厳しくつらい世の中の真実を知ることの象徴」とのこと.手近の辞書には未掲載でしたので,確かに新語(義)のようです.
さらにこの名詞句が品詞転換により動詞化し,We need to red pill it Canadians. (つらい現実に目を向ける必要があるのだ,カナダ人たちよ.)のように使われるというので,驚きました.to blue pill it もあるようです.つい先日「#4405. ポップな話題としての「句動詞の品詞転換」」 ([2021-05-19-1]) と題する記事にて「句動詞の名詞・形容詞への品詞転換」の事例を取り上げたばかりですが,今回は「名詞句の動詞への品詞転換」という逆の事例ということになります.今回のコンテンツも知らないことばかりで勉強になりました.
to red/blue pill it という新表現を見てふと思ったのですが,口語的な慣用句 (idiom) にしばしば現われる,動詞の目的語としての無意味な it というのは何なのでしょうかね.I made it. とか Take it easy. とか Damn it. とか.今回のケースのように口語的な文脈で新しく動詞化した語の場合には,そのまま裸で使うと落ち着きが悪いので,何となく it を添えて(他)動詞っぽさを出してみた,というような感じでしょうか.
もちろん英語に実質的な意味をもたない it の用法があることはよく知られています.prop/dummy/empty/expletive/introductory/ambient it などと様々に称されていますが,要するに何らかの文法的な機能は果たしているけれども,実質的な指示対象をもたず意味が空っぽ(に近い)というべき it の用法のことです.ただし,そのなかでも to red/blue pill it のような動詞の目的語となる it の無意味さは著しいように思われます.実際,Quirk et al. (§6.17n) ではこの種の it に触れ,「完璧に空っぽ」と表現しています.
Perhaps the best case for a completely empty or 'nonreferring' it can be made with idioms in which it follows a verb and has vague implications of 'life' in general, etc:
At last we've made it. ['achieved success']
have a hard time of it ['to find life difficult']
make a go of it ['to make a success of something']
stick it out ['to hold out, to preserve']
How's it going?
Go it alone.
You're in for it. ['You're going to be in trouble.']
OED の it, pron., adj., and n.1 によると,語義8aのもとで問題の用法が取り上げられています.初出は以下の通り16世紀前半のようです.
8.
a. As a vague or indefinite object of a transitive verb, after a preposition, etc. Also as object of a verb which is predominantly intransitive, giving the same meaning as the intransitive use, and as object of many verbs formed (frequently in an ad hoc way) from nouns meaning 'act the character, use the thing, indicated'.
Through verbs having corresponding nouns of the same form, as to lord, the construction seems to have been extended to other nouns as king, queen, etc. There may have been some influence from do it as a substitute, not only for any transitive verb and its object, but for an intransitive verb of action, as in 'he tried to swim, but could not do it', where it is the action in question.
?1520 J. Rastell Nature .iiii. Element sig. Eviv And I can daunce it gyngerly..And I can kroke it curtesly And I can lepe it lustly And I can torn it trymly And I can fryske it freshly And I can loke it lordly.
. . . .
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
quite という副詞は,用法が難しく厄介な語である.基本的には形容詞等の表わす程度を強調する副詞ととらえてよいが,コロケーション次第で様々な意味の陰影が生まれる.そのなかでも何とも理解しがたいフレーズが,標題の quite a few である.quite が程度の強調ということであれば「とても少ない」の意となりそうだが,実際には口語において「かなりの,相当数の」と予想外の意となる.quite a lot (of) が予想通り「とても多く(の)」を意味することを考えると,どうにも理解に困る.
OED を開いてみよう,quite a few は,few, adj., pron., and n. の見出しのもとで Phrases の1つとして立てられている.
d. Originally U.S. quite a few.
(a) Used adjectivally: a considerable number of.
1833 Nolan County (Sweetwater, Texas) News 26 Jan. Quite a few White Flat people attended the singing at Trent.
1939 L. Hughes Let. 9 Dec. in Remember me to Harlem (2001) 159 That phase of Harlem's rise to culture and neo-culture seems to be of historical importance and interest to quite a few people.
2014 Providence (Rhode Island) Jrnl. (Nexis) 22 July (News section) 1 I went fishing yesterday afternoon and caught quite a few spotted trout.
(Hide quotations)
(b) Used as noun: a considerable number; also with of-phrase as complement.
1844 Christian Advocate Apr. 139/5 We were glad to find 'honorable brethren', quite a few 'tis true, prepared to go with us.
1883 P. Robinson in Harper's Mag. Oct. 706/1 There's quite a few about among the rocks.
1933 L. Bloomfield Language xi. 172 Quite a few of the present-day Indo-European languages agree with English in using an actor-action form as a favorite sentence-type.
2006 S. M. Stirling Sky People ix. 204 Cries of welcome greeted them; quite a few had observed the shot from a distance, and fresh meat was always welcome.
これによると,19世紀前半にアメリカ英語で生まれた比較的新しい表現であることが分かる.しかし,なぜ予想外の意味が生じたかについては,特に解説はない.
考えられるのは,quite の語用論的な用法,たとえば緩和や皮肉を込めた言い方に由来する可能性である.日本語の「ちょっと(した)」を例にとろう.文字通りには「少量」を意味するが,「ちょっとマズい状況になってるなぁ」とか「それはちょっと値が張りますよ」という場合には「少量」では済まなさそうな含みがある.実質的に「多量」を意味するのに,表面上は「少量」の表現を用いる例だ.
quite a bit, quite a little などの表現も,原義が反転して「多い」を表わすという点で,quite a few と同じグループに入るだろう.quite a little については,OED では little, adj., pron., and n., and adv. のもとに "10. Used as an (ironic) intensifier in various constructions, as quite a little ---, quite the little ---, a nice little ---, etc." と言及があり,初出が1763年となっている.何とも厄介な表現である.
標記は「いわば」の意味で用いられる,よく知られた成句である.成句なので共時的には統語分析するのも無意味だが,歴史的な関心からいえば無意味ではない.were が仮定法過去を表わしているということは想像がつくかもしれないが,as という接続詞の導く節内で仮定法が使われるというのも妙なものではないだろうか.
結論を先に述べれば,この as は as if の代用と考えてよい.以下の OED の as, adv. and conj. の P2 の語義説明にあるとおり,"as if it were so" ほどの表現が原型となっていると考えられる.
P2. a. as it were: (as a parenthetic phrase used to indicate that a word or statement is perhaps not formally exact though practically right) as if it were so, if one might so put it, in some sort.
句としての初出は,1200年辺りの Ormulum (l. 16996) で,"Þatt lede þatt primmseȝȝnedd iss..iss all alls itt wære ȝet I nahhtess þessterrnesse." とある.
as = as if としての用法は,OED の語義6にも挙げられているし,近現代英語でも「?ように」と訳せるようなケースにおいて意外とよく現れている.後続するのは節の完全な形ではなく,省略された形,しばしば前置詞句などとなることが多い.細江 (446--47) の挙げている例文を示そう.
・ It lifted up it head and did address / Itself to motion, like as it would speak.---Shakespeare.
・ And all at once their breath drew in, / As they were drinking all.---Coleridge.
・ Our vast flotillas / Have been embodied as by sorcery.---Hardy.
・ Boadicea stands with eyes fixed as on a vision.---Binyon.
・ She is lost as in a trance.---ibid.
・ I have associated, ever since, with the sunny street of Canterbury, dozing as it were in the hot light.---Dickens.
・ He fixes it, as it were in a vice in some cleft of a tree, or in some crevice.---Gilbert White.
・ Every man can see himself, or his neighbour, in Pepy's Diary, as it were through the back-door.---George Gordon.
例えば "She is lost as in a trance." を厳密に展開すれば,"She is lost as (she would be if she were) in a trance." となるだろう.このくどさを回避する便法として,as = as if の用法が発達してきたものと思われる.
なお,"as (it would be as if) it were (so)" においては,it は漠然とした状況の it と考えられる.対応する直説法の成句 as it is (= as it happens) も参照.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
標記の句は現代英語でも用いられるが,文法的にどのように分析されるのだろうか.many years というつながりだと解釈すると,多さを強調するのになぜ形容詞 great が用いられるのか説明できないし,さらに不定冠詞 a が先行するのも解せない.全体が「かなり多くの年」の意となることは予想できるとしても,文法的にはどうなっているのか.手元の複数の辞書では,分析せずに,a great [good] many 全体として,やや略式に「かなり多くの」を表わす熟語ととらえている.例文は少なからず挙げることができる.
・ There were a great many people present there.
・ I've known her for a great many years.
・ A great many people who voted for her in the last election will not be doing so this time.
・ Most of the young men went off to the war, and a great many never came back.
・ We've both had a good many beers.
この many は「多数」を意味する名詞ととらえられる.名詞なのだから,a great で修飾されているのも不思議はない.類例として a great multitude もあれば,a large number もある.しかし,a great many years の場合には,複数名詞 years が直接後続しているのが妙だということである.*a great many of years のように of が介在していれば理解しやすいが,a great many と years が直接に接続するのはどういうわけか.強いて共時的に分析しようとすれば,a great many と years は同格と解釈するほかない.
歴史的には,標記の句は「a great many of + 複数名詞」のような構造から of が脱落したものではないか.OED の many, adj., pron., and n., and adv. の語義 6.a によると,「a great many of + 複数名詞」の型は16世紀前半から現れる.現在では of の後には冠詞,指示詞,所有形容詞を伴った名詞,あるいは代名詞が来るのが原則だが,古くは名詞の複数形単体で現れることもあった.一方,語義 6.b では,of を伴わずに a many が直接複数名詞を後続させる用法が挙がっている.「a many + 複数名詞」の型は16世紀後半から文証され,強調した「a great many + 複数名詞」のような表現も,OED の例文としては18世紀から現れている(もちろん実際にはもっと早かった可能性もある).また,語義 6.c では a great many が単体で名詞句として用いられる用法が記述されているが,こちらの初例は16世紀半ばである.
共時的な立場から統語的に分析しようとすると妙であるという感覚は否めないが,通時的な立場で考えれば違和感は多少なりとも解消するだろう.なお,few を使った同様の表現として She must have cooked a good few dinners over the years. のような例もある.
Bloomfield (148) の用語で,言語形式をあたかも名詞であるかのように扱うこと.実体化,hypostatization とも呼ばれる.以下に,例を挙げよう.
・ That is only an if.
・ There is always a but
・ The word normalcy
・ The name Smith
・ the suffix -ish in boyish ([2009-09-07-1]の記事「#133. 形容詞をつくる接尾辞 -ish の拡大の経路」を参照)
最後の -ish は,独立して Ish. 「みたいな.」のように一種の副詞として独立して用いられるようになっており,接辞の実体化の例といえるだろう.ほかにも,isms (諸諸の主義), ologies (諸学問)などの例がある.
ほかに,成句を字義通りにとらえる realization (現実化)という種類の hypostasis もある.kick the bucket は成句で「死ぬ」の意だが,あえて字義通りに「バケツを蹴る」と解するとき,hypostasis が生じている.他者の発言を繰り返す引用 (quotation) も,機能的には hypostasis にきわめて近いと考えられる.よく知られた例としては,Lewis Carroll の Through the Looking-Glass の次の一節における nobody の実体化が挙げられる.「言葉じり」にも通ずる概念だろう.
"I see nobody on the road," said Alice. "I only wish I had such eyes," the king remarked in a fretful tone. "To be able to see Nobody! And at that distance too! Why, it's as much as I can do to see real people, by this light!"
hypostasis はメタ言語的用法の1つととらえてよいが,これが言語学的な関心の対象となるのは,結果として生じた実詞が普通名詞なのか,形容詞になれるのか,どの性に属することになるのかなどの問題が生じるからである.また,日常のなかに豊富に例があり,意味変化や造語などの創造的な言語活動にも広く関わってくる過程として重要だ.修辞法とも関わりが深い.
hypostasis と関連して,メタ言語の機能については,「#1075. 記号と掛詞」 ([2012-04-06-1]) で取り上げた Barthes の記号の2次使用としての meta language や,「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) を参照.
・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
・ 寺澤 芳雄(編)『英語学要語辞典』,研究社,2002年.298--99頁.
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