昨日の記事「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1]) で紹介した編著書では,英語の標準化について2本の論考が掲載されている.1つは寺澤盾先生(青山学院大学)による「第7章 英語標準化の諸相 --- 20世紀以降を中心に」で,もう1つは拙論の「第6章 英語史における『標準化サイクル』」である.
そもそも「標準英語」 (Standard English) とは何かという根本的な問題については私もいろいろ考え続けてきたが,いまだによく分かっていない.以下の記事などは,その悩みの足跡ともいえる.
・ 「#1396. "Standard English" とは何か」 ([2013-02-21-1])
・ 「#3499. "Standard English" と "General English"」 ([2018-11-25-1])
・ 「#1237. 標準英語のイデオロギーと英語の標準化」 ([2012-09-15-1])
・ 「#3232. 理想化された抽象的な変種としての標準○○語」 ([2018-03-03-1])
・ 「#4277. 標準語とは優れた言語のことではなく社会的な取り決めのことである」 ([2021-01-11-1])
・ 「#1275. 標準英語の発生と社会・経済」 ([2012-10-23-1])
・ 「#1228. 英語史における標準英語の発展と確立を巡って」 ([2012-09-06-1])
本来,標準英語とは「皆に通じる英語」ほどを意味する用語から始まったと思われるが,歴史の過程でいつのまにか,威信 (prestige) が宿り社会言語学的な手垢のついた「えらい英語」という地位にすり替わってしまったかのように思われる.「標準」の意味が,中立的なものから底意のあるものに変容してしまったのではないか.おそらく,この変容の生じた時期の中心は,後期近代英語期から現代英語期にかけてだろう.
この変容を,Horobin (73--74) は Jonathan Swift (1667--1745) から Henry Cecil Wyld (1870--1945) への流れのなかに見て取っている.
The application of the adjective standard to refer to language is first recorded in the eighteenth century, a development of its earlier use to refer to classical literature. A desire to associate English literature with the Classics prompted a wish to see the English language achieve a standard form. This ambition was most clearly articulated by Jonathan Swift: 'But the English Tongue is not arrived to such a degree of Perfection, as to make us apprehend any Thoughts of its Decay; and if it were once refined to a certain Standard, perhaps there might be Ways found out to fix it forever' (A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue, 1712). By the nineteenth century, the term Standard English referred specifically to a prestige variety, spoken only by the upper classes, yet viewed as a benchmark against which the majority of native English speakers were measured and accused of using their language incorrectly.
The identification of Standard English with the elite classes was overtly drawn by H. C. Wyld, one of the most influential academic linguists of the first half of the twentieth century. Despite embarking on his philological career as a neutral observer, for whom one variety was just as valuable as another, Wyld's later work clearly identified Standard English as the sole acceptable form of usage: 'It may be called Good English, Well-bred English, Upper-class English.' These applications of the phrase Standard English reveal a telling shift from the sense of standard signalling 'in general use' (as in the phrase 'standard issue') to the sense of a level of quality (as in the phrase 'to a high standard').
From this we may discern that Standard English is a relatively recent phenomenon, which grew out of an eighteenth-century anxiety about the status of English, and which prompted a concern for the codification and 'ascertaining', or fixing, of English. Before the eighteenth century, dialect variation was the norm, both in speech and in writing.
Horobin は他の論考においてもそうなのだが,Wyld 批判の論調が色濃い.この辺りは本当におもしろいなぁと思う.
・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
先日,映画 The Favorite (邦題『女王陛下のお気に入り』)を観に行った.ステュアート王朝最後の君主アン女王 (Queen Anne (1665--1714); 在位 1702--14) の宮廷を舞台とした,寵愛と政治権力を巡る権謀術数の物語である.女王の寵愛を奪い合う2人の女性 Sarah Jennings Churchill と Abigail Masham のドロドロが凄まじく,鑑賞後もしばらく恐怖が持続したほどだった.女王を演じる Olivia Colman は,先日の第91回アカデミー賞で主演女優賞を獲得している.
アンの時代には,歴史上大きな出来事が2つあった.1つは,1701年に始まったスペイン継承戦争(北米植民地では「アン女王戦争」と呼ばれる)である.この戦争でマールバラ公ジョン・チャーチルの率いるイギリス軍が勝利を収め,1713年のユトレヒト講和条約では,ニューファンドランド,ノヴァ・スコシア,ハドソン湾地方をフランスから奪取し,さらにジブラルタルとミノルカという地中海の要衝も獲得するに至った (cf. 「#2920. Gibraltar English」 ([2017-04-25-1])) .これを契機に,イギリスは「長い18世紀」を通じてヨーロッパ屈指の強国にのし上がっていくことになった.カナダ東海岸や地中海に英語の種を蒔くとともに,後の英語のさらなる拡大に道を開いた出来事だったといってよい.
アン治世下のもう1つの重要な出来事は,1707年の連合法 (The Act of Union) である.これにより,すでに1世紀前より同君連合となっていたイングランド王国とスコットランド王国が連合し,グレイト・ブリテンという国が成立した.
加えて政治史的にいえば,映画でもフィーチャーされているように,アンの時代にトーリとホイッグによる責任内閣制が生み出されることになったことが重要である.アン自身はトーリを支持していたものの政治には事実上関与せず,続くハノーヴァー朝にかけて発展していく内閣制の地ならしをしたしたといえる.
森 (474) によると,アン女王の人生は次のように要約されている.
政治に直接関与せず,酒を愛し,女として気ままに生きたアン女王は,一七一四年八月一日,脳出血のため,ケンジントン宮殿で四九歳の一生を終わり,ステュアート王家の幕を閉じた.三七歳で王位に就いたとき,肥満の体に加えて痛風から歩行も容易でなく,戴冠式では,終始担ぎ椅子に座ったままであった.子供を一四人も次々と失った悲しみを,酒にまぎらわせたというが,早かれ遅かれ脳溢血で倒れることが予想されているところであった.
アン女王(時代)の英語史上の意義について2点触れておこう.1つめは,先述のとおり,イギリスが大国への道を歩み出し,結果的に英語も世界化していく足がかりを作ったということ.
2つめは,女王の尚早の病死により英語アカデミー設立の可能性が潰えたことである.アンは Swift による1712年の英語アカデミー設立の提案に好意的だったのだが,その死とともに企画は頓挫する運命となった(「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) を参照).子供たちの夭逝,悲しみを紛らすための暴飲暴食,そして肥満と痛風による死.このようなアン女王の人生が,からずも英語アカデミー不設立の歴史と関わっていたのである.
・ 森 護 『英国王室史話』16版 大修館,2000年.
英語には,近代以降の連綿と続く "the complaint tradition" (不平不満の伝統)があり,"the complaint literature" (不平不満の文献)が蓄積されてきた.例えば,「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) で示した類いの,「こんな英語は受け入れられない!」という叫びのことである.典型的に新聞の投書欄などに寄せられてきた.
この伝統は,標準英語がほぼ確立した後で,規範主義的な風潮が感じられるようになってきた王政復古あたりの時代に遡る.著名人でいえば,John Dryden (1631--1700) や,少し後の Jonathan Swift (1667--1745) が伝統の最初期の担い手といえるだろう(cf. 「#3220. イングランド史上初の英語アカデミーもどきと Dryden の英語史上の評価」 ([2018-02-19-1]),「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1])).
Milroy and Milroy によれば,この伝統には2つのタイプがあるという.両者は重なる場合もあるが,目的が異なっており,基本的には別物と考える必要がある.まずは Type 1 から.
Type 1 complaints, which are implicitly legalistic and which are concerned with correctness, attack 'mis-use' of specific parts of the phonology, grammar, vocabulary of English (and in the case of written English 'errors' of spelling, punctuation, etc.). . . . The correctness tradition (Type 1) is wholly dedicated to the maintenance of the norms of Standard English in preference to other varieties: sometimes writers in this tradition attempt to justify the usages they favour and condemn those they dislike by appeals to logic, etymology and so forth. Very often, however, they make no attempt whatever to explain why one usage is correct and another incorrect: they simply take it for granted that the proscribed form is obviously unacceptable and illegitimate; in short, they believe in a transcendental norm of correct English. / . . . . Type 1 complaints (on correctness) may be directed against 'errors' in either spoken or written language, and they frequently do not make a very clear distinction between the two. (30--31)
Type 1 は,いわゆる最も典型的なタイプであり,上で前提とし,簡単に説明してきた種類の不平不満である.「誤用批判」とくくってよいだろう.このタイプの伝統が標準英語を維持 (maintenance) する機能を担ってきたという指摘もおもしろい.
次に挙げる Type 2 は Type 1 ほど知られていないが,やはり Swift あたりにまで遡る伝統がある.
Type 2 complaints, which we may call 'moralistic', recommend clarity in writing and attack what appear to be abuses of language that may mislead and confuse the public. . . . / Type 2 complaints do not devote themselves to stigmatising specific errors in grammar, phonology, and so on. They accept the fact of standardisation in the written channel, and they are concerned with clarity, effectiveness, morality and honesty in the public use of the standard language. Sometimes elements of Type 1 can enter into Type 2 complaints, in that the writers may sometimes condemn non-standard usage in the belief that it is careless or in some way reprehensible; yet the two types of complaints can in general be sharply distinguished. The most important modern author in this second tradition is George Orwell . . . (30)
Type 1 を "the correctness tradition" と呼ぶならば,Type 2 は "the moralistic tradition" と呼んでよいだろう.引用にあるように,George Orwell (1903--50) が最も著名な主唱者である.Type 2 を代表する近年の動きとしては,1979年に始められた "Plain English Campaign" がある.公的な情報には誰にでも分かる明快な言葉遣いを心がけるべきだと主張する組織であり,明快な英語で書かれた文書に "Crystal Mark" を付す活動を行なっているほか,毎年,明快な英語に対して賞を贈っている.
・ Milroy, Lesley and James Milroy. Authority in Language: Investigating Language Prescription and Standardisation. 4th ed. London and New York: Routledge, 2012.
「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) で,Swift のアカデミー設立の提案に意義を唱えた John Oldmixon について触れた.そこでは,Oldmixon が Swift への唯一の反対者であるとする Baugh and Cable の主張を引用したが,実際には Swift の英語蔑視に近い英語観に不快感を示す同時代人は他にも確かにいた.Swift は,英語の単音節性などを指摘しつつ,英語を卑俗言語と軽んじていたが,16世紀以来実績を積んでいたアングロサクソン学の世界からは,そのような Swift の英語観に対する反発の声が上がっていた.その代表者の1人が先の John Oldmixon (1673--1742) だったが,もう1人注目すべき研究者――女性研究者――として Elizabeth Elstob (1683--1756) の名前を挙げないわけにはいかない.
Swift の英語蔑視の根拠は,上にも述べたように,単音節性というような表面的な特徴にあった(「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) を参照).これは明らかに偏見に満ちた視点であり,Swift のなかでは英語のみならずゲルマン諸語全般への蔑視とロマンス諸語の称揚が密接に結びついたかたちで存在していた.要するに,言語に対する偏見と無理解があったのである.アングロサクソン学者に対しても「低能で勤勉」という侮蔑的な評価を与えており,学者たちの怒りを買う始末となった.
Elstob は,そんな怒れるアングロサクソン学者の1人だった.予想されるように,当時,女性のアングロサクソン研究者というのは稀である.女性は同時代の英語の読み書きができれば十分という時代に,古英語の文献を読みこなすばかりか,編集し,出版してしまうほどであるから,その才気煥発ぶりは推して知るべしである.1715年には古英語の本格的な文法書 The Rudiments of Grammar for the English Saxon Tongue を出版したが,その序文こそが,アングロサクソン学を軽視する Swift への反論という体裁をとっていたのである.
Elstob は,その序文で,Swift の個人名こそ挙げていないが「教養ある人たち」という表現で暗に Swift を指し,彼の無知蒙昧さを批判した.単音節性の問題については,ラテン単語の多くが単音節語であると返しつつも,単音節性はむしろ美徳であると反駁した.Elstob は,Swift を相手取ってアングロサクソン学界の思いを代弁したともいえる.
Elstob の批判が決定的に利いたからというわけではないが,Swift のアカデミー設立の提案は,Elstob の古英語文法書の出版時までには,事実上,成功の見込みを失っていた.1714年に,提案の理解者であった Anne 女王が亡くなっていたからである.しかし,Elstob や Oldmixon のような「政敵」がいなければ,Swift は順調にことを進めることができたという可能性はある.いまだに英語圏に英語を統制するアカデミーが良くも悪くも存在しないのは,18世紀初頭に Elstob のようなアングロサクソン学者が地味ながらも地道な研究を続けていたことが,いくらか関わっているのかもしれない.
以上,武内著の第13章「国語浄化大論争:スウィフト vs. エルストッブ」を参照して執筆した.
・ 武内 信一 『英語文化史を知るための15章』 研究社,2009年.
英語史上,18世紀は "doctrine of correctness" に特徴づけられた規範主義の時代であると評価されてきた.確かにこの世紀には,前半だけで50ほどの,後半には200を超える英文法書が出版され,規範英文法書の世紀といっても過言ではない.
しかし,Beal は,著書の第5章 "Grammars and Grammarians" において,18世紀に与えられたこの伝統的な評価について再考を促す.Beal (90) は,18世紀には規範主義の風潮自体は間違いなくあったものの,諸家の立場は,その政治的信条やイデオロギーに応じて様々かつ複雑であり,単に規範的といった評価では不十分であると論じている.
[E]ighteenth-century grammarians had a range of motives for writing their grammars, and . . . these and later grammars, far from being uniformly 'prescriptive', would be better described as occupying different points on a prescriptive-descriptive continuum.
英語に関する著作をものした諸家は,各々の政治的スタンスから英語について発言していた.例えば,Swift は Ann 女王と君主制を守ろうとする保守主義から物を申し,行動もしていた.また,1707年の大ブリテン連合王国の成立を受けて,南部の標準的な英語を正しい英語と定め,スコットランド人などにそれを教育する必要性も感じられていた.規範主義の背景には,政治的思惑があったのである (Beal 97) .
Whilst it is perfectly valid to see eighteenth- and nineteenth-century grammars both as the necessary agents of codification and as self-help guides for the aspiring middle classes, it cannot be denied that many of the authors of these works were politically and/or ideologically motivated.
Beal (111) は,しばしば対立させられる Lowth と Priestley にも言及し,両者の違いは力点の違い(含意として政治的スタンスの違い)であるとしている.
These two grammarians [= Lowth and Priestley] were writing within a year of each other, so any norms of usage to which they refer must have been the same. Although both used a classical system of parts of speech, neither is influenced by Latin here: they both describe preposition-stranding as a naturally occurring feature of English, more suited to informal usage. The difference between Lowth and Priestley is one of emphasis only, far from the prescriptive-descriptive polarization which we have been led to expect.
18世紀(及びそれ以降)の言語的規範主義を巡る問題について,常に政治性が宿っていたという事実に目を開くべきだという議論には納得させられた.しかし,Beal の再評価を読んで,従来の評価と大きく異なっているわけではないように思われた.そこでは,18世紀は規範主義の時代であるという事実に対して,大きな修正は加えられていない.Beal では "prescriptive-descriptive continuum" という表現がなされているが,これは「基本は prescriptive であり,その prescription の定め方として reason-usage continuum があった」と考えることは,引き続きできそうである.この時代を論じるに当たって "descriptive" という形容詞を用いることは,まだ早すぎるのではないか.
関連して,「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1]),「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]),「#2778. Joseph Priestley --- 慣用重視を貫いた文法家」 ([2016-12-04-1]),「#2796. Joseph Priestley --- 慣用重視を貫いた文法家 (2)」 ([2016-12-22-1]) を参照.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
Swift による A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue (1712) は,英語のアカデミー (academy) 設立に向けて最も近いところまで迫る試みだった.すでに17世紀前半には英語アカデミーを求める声は上がっており,18世紀初頭の Swift の提案においてピークを迎えたにせよ,その後の18世紀中もアカデミー設立の要求はそう簡単には消滅しなかった.しかし,歴史を振り返ってみれば,Swift の提案が通らなかったことにより,アカデミー設立案が永遠に潰えることになった,とは言ってよいだろう.では,なぜ Swift の提案は流れたのだろうか.
そこには,個人的で政治的な論争や Anne 女王の死という事情があった.Baugh and Cable (262) に次のように述べられている.
Apparently the only dissenting voice was that of John Oldmixon, who, in the same year that Swift's Proposal appeared, published Reflections on Dr. Swift's Letter to the Earl of Oxford, about the English Tongue. It was a violent Whig attack inspired by purely political motives. He says, "I do here in the Name of all the Whigs, protest against all and everything done or to be done in it, by him or in his Name." Much in the thirty-five pages is a personal attack on Swift, in which he quotes passages from the Tale of a Tub as examples of vulgar English, to show that Swift was no fit person to suggest standards for the language. And he ridicules the idea that anything can be done to prevent languages from changing. "I should rejoice with him, if a way could be found out to fix our Language for ever, that like the Spanish cloak, it might always be in Fashion." But such a thing is impossible.
Oldmixon's attack was not directed against the idea of an academy. He approves of the design, "which must be own'd to be very good in itself." Yet nothing came of Swift's Proposal. The explanation of its failure in the Dublin edition is probably correct; at least it represented contemporary opinion. "It is well known," it says, "that if the Queen had lived a year or two longer, this proposal would, in all probability, have taken effect. For the Lord Treasurer had already nominated several persons without distinction of quality or party, who were to compose a society for the purposes mentioned by the author; and resolved to use his credit with her majesty, that a fund should be applied to support the expense of a large room, where the society should meet, and for other incidents. But this scheme fell to the ground, partly by the dissensions among the great men at court; but chiefly by the lamented death of that glorious princess."
つまり,Swift の提案の内容それ自体が問題だったというわけではないのである.アカデミー設立は多くの人々の願いでもあったし,事は着々と進んでいた.ただ,政治的な点において Swift に反対する人物が声高に叫び,意見の不一致が生まれたということ,そして何よりも,アカデミー設立に向けて動き出していた Anne 女王が1714年に亡くなったことが,Swift の運の尽きだった.
「上から」の英語アカデミーがついに作られなかったことにより,18世紀からは「下から」の言語規範の策定が進んでいくことになる (see 「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]), 「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1]), 「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1])) .イギリスは,アカデミーを作る意志がなかったわけではなく,半ば歴史の偶然で作るに至らなかった,と評価するのが適切だろう.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
英語史上有名な Swift による A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue (1712) では,題名に3つの異なる動詞 correct, improve, ascertain が用いられている.英語を「訂正」し,「改善」し,「確定する」ことを狙ったものであることが分かる.「英語の言葉遣いをきっちりと定める」という点では共通しているが,これらの動詞の間にはどのような含意の差があるのだろうか.correct には「誤りを指摘して正しいものに直す」という含意があり,improve には「より良くする」,そして ascertain には古い語義として「確定させる」ほどの意味が感じられる.
この3つの動詞とぴったり重なるわけではないが,Swift の生きた規範主義の時代に,「英語の言葉遣いをきっちりと定める」ほどの意味でよく用いられた,もう1揃いの3動詞がある.ascertain, refine, fix の3つだ.Baugh and Cable (251) によれば,それぞれは次のような意味で用いられる.
・ ascertain: "to reduce the language to rule and set up a standard of correct usage"
・ refine: "to refine it--- that is, to remove supposed defects and introduce certain improvements"
・ fix: "to fix it permanently in the desired form"
「英語の言葉遣いをきっちりと定める」点で共通しているように見えるが,注目している側面は異なる.ascertain はいわゆる理性的で正しい標準語の策定を狙ったもので,Johnson は ascertainment を "a settled rule; an established standard" と定義づけている.具体的にいえば,決定版となる辞書や文法書を出版することを指した.
次に,refine はいわばより美しい言葉遣いを目指したものである.当時の知識人の間には Chaucer の時代やエリザベス朝の英語こそが優雅で権威ある英語であるというノスタルジックな英語観があり,当代の英語は随分と堕落してしまったという感覚があったのである.ここには,「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) や「#1948. Addison の clipping 批判」 ([2014-08-27-1]) も含まれるだろう.
最後に,fix は一度確定した言葉遣いを永遠に凍結しようとしたもの,ととらえておけばよい.Swift を始めとする18世紀前半の書き手たちは,自らの書いた文章が永遠に凍結されることを本気で願っていたのである.今から考えれば,まったく現実味のない願いではある (cf. 「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1])) .
18世紀の規範主義者の間には,どの側面に力点を置いて持論を展開しているのかについて違いが見られるので,これらの動詞とその意味は区別しておく必要がある.
最近「美しい日本語」が声高に叫ばれているが,これは日本語について ascertain, refine, fix のいずれの側面に対応するものなのだろうか.あるいは,3つのいずれでもないその他の側面なのだろうか.よく分からないところではある.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事では「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) について見たが,Swift の同時代人である Joseph Addison (1672--1719) も,皮肉交じりにほぼ同じ言語論を繰り広げている.
Joseph Addison launched an attack on monosyllables in the Spectator (135, 4 August 1711):
The English Language . . . abound[s] in monosyllables, which gives an Opportunity of delivering our Thoughts in few Sounds. This indeed takes off from the Elegance of our Tongue, but at the same time expresses our Ideas in the readiest manner.
He observes that some past-tense forms --- e.g. drown'd, walk'd, arriv'd --- in which the -ed had formerly been pronounced as a separate syllable (as we still do in the adjectives blessed and aged) had become monosyllables. A similar situation is found in the case of drowns, walks, arrives, 'which in the Pronunciation of our Forefathers were drowneth, walketh, arriveth'. He objects to the genitive 's, which he incorrectly assumes to be a reduction of his and her, and for which he in any case gives no examples. He asserts that the contractions mayn't, can't, sha'n't, wo'n't have 'much untuned our Language, and clogged it with Consonants'. He dismisses abbreviations such as mob., rep., pos., incog. as ridiculous, and complains about the use of short nicknames such as Nick and Jack.
動詞の -ed 語尾に加えて -es 語尾の非音節化,所有格の 's,否定接辞 n't もやり玉に挙がっている.愛称 Nick や Jack にまで非難の矛先が及んでいるから,これはもはや正気の言語論といえるのかという問題になってくる.
Addison にとっては不幸なことに,ここで非難されている項目の多くは後に標準英語で確立されることになる.しかし,Addison にせよ Swift にせよ切株や単音節語化をどこまで本気で嫌っていたのかはわからない.むしろ,世にはびこる「英語の堕落」を防ぐべく,アカデミーを設立するための口実として,やり玉に挙げるのに単音節語化やその他の些細な項目を選んだということなのかもしれない.もしそうだとすると,言語上の問題ではあるものの,本質的な動機は政治的だったということになろう.規範主義的な言語論は,たいていあるところまでは理屈で押すが,あるところからその理屈は破綻する運命である.言語論は,論者当人が気づいているか否かは別として,より大きな目的のための手段として利用されることが多いように思われる (cf. 「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1])) .
なお,所有格の 's が his の省略形であるという Addison の指摘については,英語史の立場からは興味深い.これに関して,「#819. his 属格」 ([2011-07-25-1]),「#1417. 群属格の発達」 ([2013-03-14-1]),「#1479. his 属格の衰退」 ([2013-05-15-1]) を参照されたい.
・ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.
昨日の記事「#1946. 機能的な観点からみる短化」 ([2014-08-25-1]) を書きながら,英語史において語形の短化 shortening,とりわけ切株 (clipping) を嫌った強烈な個性を想起した.1712年にアカデミー設立を提案するほどまでに言語問題に入れ込んでいた,時の文豪 Jonathan Swift (1667--1745) である.「#134. 英語が民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2009-09-08-1]) や「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1]) で少し触れた通り,Swift は,理性の時代の担い手の先駆けとして当時の英語の「堕落」を憂慮し,英語を "refine" し "fix" しようと企図したのだった.
Swift が憂慮していた項目はいくつかあるが,とりわけ単音節語のもつ軽さが気に入らなかったようだ.しかし,系統的にゲルマン語に属し,「屈折の衰退=語根の焦点化」 ([2011-02-11-1]) で示唆したような単音節の「語根主義」をはからずも持つにいたった近代英語にとって,Swift の単音節語への嫌悪は,まさに自然に反することだった.それでも,Swift は単音節語を,あるいはより正確にいえば単音節語化を,こき下ろした.Swift の言語に関する姿勢は,Baugh and Cable (259) が "Taking his writings as a whole, one may surmise that he would have preferred that the seventeenth century, at least after 1640, with its political, commercial, and scientific revolutions had never happened." と評しているほどに保守的だった.
だが,逆にいえば,このことは,当時単音節語化が頻繁に起こっていた証拠でもある.Swift がやり玉に挙げたのは,rep (< reputation) や mob (< mobile) などの切株語である.Baugh and Cable (259) より,説明を引用しよう.
The things that specifically troubled the gloomy dean in his reflections on the current speech were chiefly innovations that he says had been growing up in the last twenty years. One of these was the tendency to clip and shorten words that should have retained their full polysyllabic dignity. He would have objected to taxi, phone, bus, ad, and the like, as he did to rep, mob, penult, and others. The practice seems to have been a temporary fad, although not unknown to any period of the language.
昨日の記事で論じた内容と合わせて考えると,Swift はこれらの切株語形成の背後に感じられる,大衆の "desire for emotive effects" に鼻持ちならなかったのかもしれない.感情は理性によって抑えるべしとする世の中一般に対する Swift の態度が,保守的な言語論へと発展していったものと思われる.
しかし,Swift の切株への嫌悪は,ある程度は次世代へも引き継がれた.再び Baugh and Cable (259--60) より引用する.
Thus George Campbell in his Philosophy of Rhetoric (1776) says: "I shall just mention another set of barbarisms, which also comes under this class, and arises from the abbreviation of polysyllables, by lopping off all the syllables except the first, or the first and second. Instances of this are hyp for hypochondriac, rep for reputation, ult for ultimate, penult for penultimate, incog for incognito, hyper for hypercritic, extra for extraordinary.
これらのやり玉に挙げられた切株語はおよそ後世には残らなかったので,Swift や Campbell が生きていたら,安堵していたことだろう.しかし,mob は例外で,現在まで生き残っている.
関連して,Swift は deudg'd, disturb'd, rebuk'd, fledg'd のような過去・過去分詞語尾の -ed の非音節化も,一種の単音節化であり,同様に忌避すべき省略だと考えていた.しかし,こちらは上記の多くの切株語とは異なり,後にほぼ完全に標準英語において定着することになる.これについては,「#776. 過去分詞形容詞 -ed の非音節化」 ([2011-06-12-1]) を参照されたい.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
「#583. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった」 ([2010-12-01-1]) で話題にしたように,Addison, Dryden, Swift などの活躍した17--18世紀には,名詞の語頭大文字化がはやった.当初の書き手の趣旨はキーワードとなる名詞を大文字化することだったが,一時期,名詞であれば何であれ大文字化するという慣習が芽生えた.Horobin (157) によれば,この慣習の背後には植字工の介入があったという.
The convention seems to have been for a writer to leave the business of spelling to the compositors who were responsible for setting the type for printed texts. This practice led to the introduction of a distinctive feature of punctuation found in this period: the capitalization of nouns. This practice has its origins in an author's wish to stress certain important nouns within a piece of writing. Because ultimate authority for spelling and punctuation lay with compositors, who were often unable to distinguish capital letters from regular ones in current handwriting, they adopted a policy of capitalization of nouns by default.
「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) の記事で参照したエスカルピ (45--46) は,印刷業者が現代においてもテクストの諸機能に影響を及ぼしていることを指摘している.
印刷されたテキストでは,資料機能のレヴェルでは部分的に,図像機能のレヴェルではほとんどもっぱら産業機構が介入し,それに対して書き手は必ずしも力をもたない.実はそれゆえに,自分の本が印刷されたのを読む作家は,自分が手で書いたのとは別の本を前にしている感じを抱くのである.印刷されたものから出てくる権威は彼の外にある.
その後,名詞の語頭はすべて大文字化するという句読法の慣習は長続きせず,ついに標準化されることはなかった.しかし,書き言葉の標準化における植字工や印刷家の潜在的な役割には注意しておく必要があるだろう.なお,最近の研究では印刷業者の書き言葉標準化への関与を従来よりも小さめに見積もる傾向が認められるが,彼らの関与そのものを否認しているわけではない.一定の介入は間違いなくあったろう.関連して,cat:printing standardisation のいくつかの記事を参照されたい.
英語では途中で断ち切れになったが,名詞大文字化の慣習はドイツ語では標準化している.私はドイツ語史には暗いが,昨年8月に Oslo 大学で開かれた ICHL 21 (International Conference on Historical Linguistics) に参加した折りに,ドイツ語におけるこの句読法の発展についての研究発表があり,興味深く聴いた.手元に残っているメモによると,ドイツ語では16--17世紀にこの慣習が発展したが,最初からすべての名詞が大文字化されたわけではなく,[+animal] の意味素性をもつ名詞から始まり,[+agentive], [+material] などの順で進行したという.統語的にも,主語としてのほうが目的語としてよりも名詞の大文字化が早かったという.綴字習慣の変化も語彙拡散 (lexical_diffusion) に従い得るのかと関心したのを覚えている.
ローマ字における大文字と小文字の区別の発生については,「#1309. 大文字と小文字」 ([2012-11-26-1]) を参照.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
・ ロベール・エスカルピ 著,末松 壽 『文字とコミュニケーション』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
昨日の記事[2010-12-01-1]で,Swift の A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue (1712) に触れた(←クリックで Google Books からの本文画像を閲覧可能).本文を眺めていて,名詞の大文字使用の他にすぐに気づくのは,小文字の long <s> の使用だろう.<f> の字形に似ているが,横線が右側にまではみだしていない.long <s> は語頭や語中に使われたのに対して,通常の <s> は語末に使われた.現代の目には読みにくいが,印刷では18世紀の終わりまで,手書きでは1850年代まで使われていたから,それほど昔の話ではない (Walker 7) .
なぜ同じ文字なのに複数の字形があったのかといぶかしく思わないでもないが,大文字と小文字,ブロック体と筆記体,<a> や <g> の書き方の個人差などを考えると,文字には variation がつきものである.かつては,ほとんどランダムに交換可能だった <þ> "thorn" と <ð> "eth" の2種類の文字があったし,<r> を表わす字形にも現代風の <r> と数字の <2> に近い形のものがあった.<u> と <v> も[2010-05-05-1], [2010-05-06-1]の記事で見たように,明確に分化するのは17世紀以降である.概念としての1つの文字に複数の字形が対応している状況は,1つの音素 ( phoneme ) に複数の異音 ( allophone ) が対応している状況と比較される.ここから音韻論 ( phonology ) と平行する書記素論 ( graphemics ) という分野を考えることができる.書記素論では,音素に対応するものを書記素 ( grapheme ) と呼び,異音に対応すものを異綴り ( allograph ) と呼ぶ.この用語でいえば,問題の long <s> は,書記素 <s> の具体的な現われである異綴りの1つとみなすことができる.
・ Walker, Julian. Evolving English Explored. London: The British Library, 2010.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003. 262
現代ドイツ語では文頭や固有名詞のみならず名詞全般を大文字で始める習慣がある.英語に慣れているとドイツ語の大文字使用がうるさく感じられ,ドイツ語に慣れていると英語の小文字使用が気になってくる.どのような場合に大文字あるいは小文字を使用するかという問題は広い意味で punctuation に関する話題といってよいが,名詞の大文字使用 ( capitalisation ) は17,18世紀には英語でも広く行なわれていた.これを最初に勧めたのは16世紀の文法家 John Hart である.Walker (21) が以下のように述べている.
The use of a capital letter at the beginning of important nouns, as recommended by John Hart in 1569, increased during the seventeenth century, but gradually decreased during the eighteenth century, though Murray's Grammar was still using this in describing the 'Colon' and 'Semicolon' in 1834.
16?18世紀に英語でこの慣習が発達した背景には,大陸の言語での同様の慣習があった.一方で,18世紀に徐々に衰退していったのは,この大文字使用の慣習に一貫性のないことを規範文法家たちが嫌ったためであるという.というのは,この慣習がすべての名詞を大文字にするのではなく「重要な」一般名詞を大文字にするというルースな慣習だったからである.18世紀の「理性の時代」 ( the Age of Reason ) に生きた文法家には受け入れがたい慣習だったのだろう.
大文字使用の最盛期は1700年前後だったが,この時代を代表するのは Gulliver's Travels の著者にして,英語を統制するアカデミーの設立を訴えた Jonathan Swift (1667--1745) である ( see [2009-09-08-1], [2009-09-15-1] ) .Swift の文章では名詞の大文字の慣習が完全に守られている.例えば,Swift の有名なアカデミー設立の嘆願書 A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue (1712) では,名詞はすべて大文字で書かれている.
・ Walker, Julian. Evolving English Explored. London: The British Library, 2010.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003. 67
[2009-08-29-1]や[2009-09-08-1]の記事で,18世紀の規範文法の出現を話題にした.イギリスでは,近代英語期に入り宗教改革や国家主義の台頭により,ラテン語に代わって vernacular 「土着的国語」(=英語)が重用されるようになった.自国語意識が高まると,人々は自国語の美しさを高く評価するようになるが,同時に自国語の乱れにも敏感になってくる.
言葉の乱れを批判する者は,何らかの規範の存在を前提としているものである.言葉の「あるべき姿」を思い描き,世の中の語法はそこから逸脱しているというやり方で,批判を加える.言葉の乱れは現在でも多くの言語共同体で取り上げられるポピュラーな話題だが,そもそも言葉について「あるべき姿」とは何か,誰もが納得できる「規範」は存在するのか,といった問題が生じる.イギリスでは,この問題は18世紀に特に熱く論じられた.
「規範」の拠り所は何か.考え方は,大きく二つに分けられる.一つは「理性」( reason ) である.18世紀は the Age of Reason 「理性の時代」とも呼ばれように,理性への信頼と傾倒が顕著だった.フランスの思弁的な Port-Royal の文法に学んだ Jonathan Swift ( 1667--1745 ) などのアカデミー論者が拠ったのはこの「理性」である.現在の規範英文法に大きな影響を与えた Robert Lowth も理性主義者である.
一方で,Samuel Johnson ( 1709--84 ) などの非アカデミー論者は,「慣用」( usage ) を拠り所にした.かれらは,品位のある王侯貴族や文人墨客に使われ続けてきた言葉こそが守るべき規範であると考えた.Lowth と文法の出版競争をして負けに回った Joseph Priestley ( 1733--1804 ) も慣用を重視した.おもしろいことに,この「慣用主義」は,イギリスのアカデミー論者が大いに影響を受けたお隣フランスのアカデミー ( l'Academie française ) の取っていた立場なのである.つまり,イギリスのアカデミー論者は,アカデミー設立の思想こそ l'Academie française から学んだが,アカデミー運営の方針たる「慣用主義」には反対していたことになる.
これには理由があった.フランスでは,品位のある王侯貴族や文人墨客の言葉があった,あるいは少なくともそれに値するものがあったとアカデミー設立者は考えていた.ところがイギリスではどうか.1066年のノルマン人の征服以来,フランス系の王朝が続き,さらにウェールズ系の Tudor 朝,スコットランド系の Stuart 朝と,いわば外国王朝が続いた.1688年の名誉革命後,王位についたのはオランダ人 William I やドイツ人 George I である.18世紀前半まで,規範とすべき品位の言葉を話しうる人々のトップに立つはずの国王が,場合によっては英語もろくに話せない外国人だったわけで,時の知識人の多くが慣用に頼ることはできないと判断したのは無理からぬことだった.このような状況で,かれらにとって取るべき立場は一つ.「理性」を選ばざるを得なかった.
だが,「慣用」にこだわる論者も粘り強く著作によって世の人々にアピールを続け,18世紀後半は両陣営の出版合戦となった.その競争の中から生まれてきたのが,いわば理性と慣用の折衷案だった.
現在,英語を母語として話す社会においては,言語の「規範」は文法書や辞書に記されているという「規範ありき」という考え方が一般的である.しかし,この現代的な規範観は,上に述べたような長く熱い議論が繰り広げられた過程で生み出されたものであって,最初から規範があったわけではない.一筋縄ではいかない現代英文法のもつおもしろさと不合理は,こうした18世紀の長い議論で醸成された「うまみ」といえるだろう.
・渡部 昇一 「英語アカデミーと18世紀」 『英語青年』157巻8号,1971年,13--14頁.
世界語としての英語を主題とする本などを読んでいると,英語を民主的な言語ととらえる英語観に出くわすことがある.その考え方の根底には,民主主義礼賛,世界語としての英語礼賛という政治的な立場があるように思われるが,その是非に関する議論はおいておき,どのような根拠をもって民主的と呼ばれ得るのか,英語史の立場から考えてみたい.
まず第一に,「世界的な語彙」 ( cosmopolitan vocabulary ) という点が挙げられる.これは,Baugh and Cable などによって英語の最大の特徴の一つとして数えられている特徴である.英語はその歴史において常に他言語と接触してきており,結果として豊富な語種を獲得するに至った.近代に入ってからは大英帝国の世界的展開,アメリカ合衆国の覇権により英語はますます世界化し,語彙を増大させ続けているばかりか,多言語への語彙の提供源にもなった.語彙の借用の歴史に象徴される懐の深さや自由奔放さが,英語という言語の民主的な性格を物語っている.
第二に,英語は,中英語期の前半にフランス語のくびきのもとで下層民の言語として「冷や飯を食う」ことを余儀なくされたが,中英語期の後半には一人前の言語へと復活し,近代英語期にかけて国際語の地位を得るに至った.お上に虐げられてきた下層階級の言語が徐々に市民権を獲得してゆく過程こそが,英語の民衆主導の歴史を物語っている.(もっとも,英語は,5世紀にその話者がブリテン島の先住民を征服したところに端を発するのであり,当時は抑圧する側だったという点を忘れてはならないだろう.これを考えると,当然,民主的とは言いにくくなる.)
第三は,民主的な英語という英語観との関連ではあまり議論されてこなかった点だと思われるが,近代英語期にフランスやイタリアで設立されたような,言語を統制する公的機関としてのアカデミーがついに創設されなかったことである.「言語の乱れ」を取り締まるお上が存在しない代わりに,民衆の間で慣用を重んじる伝統が確立された.この伝統を築いたのは,政府の偉い人々ではなく,ジェントルマン的な文人・知識人 ( literati ) たちだった.彼らは,慣用を重視する自らの言語観を世に問い,人気を勝ち取ることによってそれを定着させようとしてきた.現代の英語の綴り字や文法の慣用は,かれらの不断の努力のたまものであり,アカデミーによる押しつけの成果ではない.(とはいっても,文豪 Jonathan Swift の熱心な運動で,アカデミーの役割を果たす機関が設立される一歩手前までいったことも事実である.もし設立していたら,後の英語の進む方向はどれくらい影響を受けていただろうか.)
・Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
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