Bybee による形態論の本を読んでいて,通言語的にみて接続法 (subjunctive) と命令法 (imperative) との関係が深い旨の記述があった.英語史の観点からは「#2476. 英語史において動詞の命令法と接続法が形態的・機能的に融合した件」 ([2016-02-06-1]) で取り上げたが,印欧語族以外の言語も含めた上で,改めて議論できそうだ.Bybee (186) より引用する.
Since the subjunctive is usually a marker of certain types of subordination, it is very difficult to say what the subjunctive "means" in any given language. There is a long literature on this problem in European languages, and no satisfactory solution. At most, it might be said that the subjunctive has a very general meaning such as "non-asserted" and then it takes more specific meanings from the context in which it occurs.
Considered cross-linguistically, there is evidence of a relation between the subjunctive and imperative or related moods. When subjunctive forms are used in main clauses, they have an imperative function in Maasai, Basque and Yupik, and/or a hortative function in Tarascan, Pawnee and Maasai, in keeping with their non-asserted subordinate clause functions. The marking of subjunctive parallels that of indicative or imperative in most languages. In Maasai and Pawnee, the subjunctive is a prefix, just as the imperative is, and in Tarascan, Ojibwa and Georgian the subordinating mood is expressed in the same way as the imperative or optative
接続法と命令法(および関連する他のいくつかの法)はしばしば機能的にも形態的にも近親であるということが,通言語学的にも示唆されたわけだ.その上で改めて英語史に戻ってみるのもおもしろい.英語史では,形態的にいえば接続法と命令法はもともと異なっていたが,徐々に融合してきたという興味深い現象が起こっているからだ.
関連して以下の記事も参照.
・ 「#2475. 命令にはなぜ動詞の原形が用いられるのか」 ([2016-02-05-1])
・ 「#3538. 英語の subjunctive 形態は印欧祖語の optative 形態から」 ([2019-01-03-1])
・ 「#3540. 願望文と勧奨文の微妙な関係」 ([2019-01-05-1])
・ Bybee, Joan. Morphology: A Study of the Relation between Meaning and Form. John Benjamins, Amsterdam/Philadelphia, 1985.
「#3514. 言語における「祈願」の諸相」 ([2018-12-10-1]) でも触れたように,祈願 (optative) と勧奨 (hortative) の境目は曖昧である.
寺澤 (540) によると,Poutsma の分類に基づくと,文には (1) 平叙文 (declarative sentence),(2) 疑問文 (interrogative sentence),(3) 命令文 (imperative sentence) の3つがあり,そのうち (1) の平叙文の特別なものとして (a) 感嘆文 (exclamative sentence),(b) 願望文 (optative sentence),(c) 勧奨文 (hortative sentence) が挙げられている.(1c) の勧奨文の典型例として次のようなものがある.
・ Part we (= Let us part) in friendship from your land!---W. Scott (あなたの国から仲よく別れましょう)
・ So be it! (それはそれでよい)
・ Suffice it to say . . . ((. . . といえば)十分だ)
・ Be it known! (そのことを知っておきましょう)
・ Be it understood! (そのことを理解しておきましょう)
そして,「#948. Be it never so humble, there's no place like home.」 (1)」 ([2011-12-01-1]) などで取り上げた be it ever so humble (いかに質素であろうと)も起源的には,これらの勧奨文に由来するという.現在では,上記のように仮定法現在を用いるのは定型文に限られ,let による迂言法のほうが一般的である.
しかし,予想されるところだが,願望文との区別は現実的には微妙である.形式上区別がつけやすいのは,Let's . . . . は典型的に勧奨文であり,Let us . . . . は命令文あるいは願望文であるというケースくらいだろうか.
・ 寺澤 芳雄(編)『英語学要語辞典』,研究社,2002年.298--99頁.
言語学で「祈願」といえば,英語では optative という用語があてがわれており,様々に論じられる.祈願とはまずもって1つの発話行為である.また,the optative mood と言われるように,法 (mood) の1つでもある.さらに,ギリシア語などの言語では祈願法を表わす特別な動詞の屈折形式があり,その形式を指して optative と言われることもある.日常用語に近い広い解釈をとれば,I hope/wish/would like . . . . など希望・願望を表わす表現はすべて祈願であるともいえる.言語における「祈願」を論じる場合には,機能のことなのか形式のことなのか,語のことなのか構文のようなより大きな単位のことなのかなど,整理しておく必要があるように思われる.
意味的にいえば,祈願とは未来志向のポジティヴなものが典型だが,ネガティヴな祈願もある.いわゆる「呪い」に相当するものである.ここから,誓言 (swearing) やタブー (taboo) の話題にもつながっていく.Let's . . . に代表される勧奨法 (hortative mood) の表わす機能とも近く,しばしば境目は不明瞭である.
誰に対して祈願の発話が向けられるかという点では,目の前にいる聞き手に対してということもあるが,独り言として発せられることもあるだろうし,さらには音声化されることなく頭のなかで唱えられる場合も多いのではないか.日記や短冊に祈りを書き記すというケースも少なくないだろう.人は常に何かを希望・願望しながら生きているという意味では,音声や文字で外在化されるかどうかは別として,祈願というものは実はかなり頻度の高い機能であり形式なのではないか.否定的な祈願である呪いも,程度の激しさの違いはあるにせよ,実際にはやはり高頻度なのではないか.
「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]) の最後で触れたように,may 祈願文と let 勧告文には類似点がある.いずれも統語的には節の最初に現われるという破格的な性質を示し,直後に3人称主語を取ることができ,語用論的には祈願・勧告というある意味で似通った発話行為を担うことができる.最後の似通っている点に関していえば,いずれの発話行為も,古英語から中英語にかけて典型的に動詞の接続法によって表わし得たという共通点がある.通時的には,may にせよ let にせよ,接続法動詞の代用を務める迂言法を成立させる統語的部品として,キャリアを始めたわけだが,そのうちに使用が固定化し,いわば各々祈願と勧告という発話行為を標示するマーカー,すなわち "pragmatic particle" として機能するに至った.may と let を語用的小辞として同類に扱うという発想は,前の記事で言及した Quirk et al. のみならず,英語歴史統語論を研究している Rissanen (229) によっても示されている(松瀬,p. 82 も参照).
The optative subjunctive is often replaced by a periphrasis with may and the hortative subjunctive with let:
(229) 'A god rewarde you,' quoth this roge; 'and in heauen may you finde it.' ([HC] Harman 39)
(230) Let him love his wife even as himself: That's his Duty. ([HC] Jeremy Taylor 24)
Note the variation between the subjunctive rewarde and the periphrastic may . . . finde in (229).
Of these two periphrases, the one replacing hortative subjunctive seems to develop more rapidly: in Marlow, at the end of the sixteenth century, the hortative periphrasis clearly outnumbers the subjunctive, particularly in the 1 st pers. pl. . ., while the optative periphrasis is less common than the subjunctive.
ここで Rissanen は,may と let を用いた迂言的祈願・勧告の用法の発達を同列に扱っているが,両者が互いに影響し合ったかどうかには踏み込んでいない.しかし,発達時期の差について言及していることから,前者の発達が後者の発達により促進されたとみている可能性はあるし,少なくとも Rissanen を参照している松瀬 (82) はそのように解釈しているようだ.この因果関係や時間関係についてはより詳細な調査が必要だが,一見するとまるで異なる語にみえる may と let を,語用(小辞)化の結晶として見る視点は洞察に富む.
関連して祈願の may については「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]) を,勧告の let's の間主観化については「#1981. 間主観化」 ([2014-09-29-1]) も参照.
・ Rissanen, Matti. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 3. Cambridge: CUP, 1999. 187--331.
・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.
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