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cryptology - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2025-04-03 07:38

2025-03-29 Sat

#5815. 安形麻理・安形輝『ヴォイニッチ写本』(星海社,2024年) [review][toc][manuscript][voynich][cryptology][cryptography]


安形 麻理・安形 輝 『ヴォイニッチ写本』 星海社〈星海社新書〉,2024年.



 昨年末,「世界で最も謎に満ちた写本」といわれるヴォイニッチ写本 (The Voynich Manuscript) についての,待望の新書が出版された.200頁弱の薄めの新書のなかに,未解読のヴォイニッチ写本(研究)の魅力が濃厚に詰め込まれている.本書後半では,著者らによる最新の研究の成果が示されており,ヴォイニッチ手稿がでたらめな文字列ではなく,背後に何らかの言語が隠されている,つまり解読に値するテキストであることが主張される.巻末には,著者らと博物学者・荒俣宏氏との鼎談の様子も収められており,最後までワクワクしながら読み続けることができる.
 以下,本書の目次を示そう.



第1章 謎めいたヴォイニッチ写本
  1. ヴォイニッチ写本とは
    外観
    文字と挿絵
  2. ヴォイニッチ写本の魅力
    解読へのチャレンジ精神
    真贋論争:中世の写本か20世紀の捏造か
    ヴォイニッチ写本研究の楽しみ
  3. ヴォイニッチ写本発見の経緯
    発見者ヴォイニッチ
    発見から現在まで
    発見されるまでの所在
  4. 中世ヨーロッパにおける写本の作り方

第2章 これまでのヴォイニッチ写本研究
  1. 来歴を明らかにする
    ジョン・ディー
    ルドルフ2世
    ヤコブズ・デ・テペネチ
    ゲオルグ・バレシュ
    マルクス・マルチ
    アタナシウス・キルヒャー
  2. 年代を測定する
  3. 文字を分析する
  4. 解読を試みる
  5. 言語学的に分析する
  6. 似た文書を再現する
  7. テキストの解読可能性を判定する

第3章 データサイエンスと古い本
  1. データサイエンス
    データサイエンスとビッグデータ
    データサイエンスを学ぶことができる大学
  2. 本を研究する
    書誌学とデジタル化
    データに基づく著者推定
    難読化文字や隠された文字の解読
    暗号の解読

第4章 クラスタリングによる分析:解読の可能性そのものを判定する
  1. 解読の可能性の判定
    クラスタリング
  2. 実験の手順
    全体の流れ
    テキストデータの類似度
    トークン化
    トークンに対する重み付け
    ベージ同士の類似度算出
    クラスタリング分析手法
    ページ順に基づく分析法
    クラスタリングの評価
  3. 実験の結果
    ページ同士の内容の類似度
    挿絵によるセクション構造との比較
    ページのクラスタリング結果
  4. クラスタリング結果の評価と比較
    比較対象
    クラスタリングの評価と比較結果
    ページ順の比較

第5章 ヴォイニッチ写本研究の意義と広がり
  1. 分析手法を発展させる
  2. シチズンサイエンス
  3. ヴォイニッチ写本の影響の広がり
  4. 謎に立ち向かいたい方のために:有用な情報源の紹介

第6章 ヴォイニッチ写本の可能性とこれからの研究
  特別鼎談 荒俣宏 × 安形麻理 × 安形輝



 最後の方に「シチズンサイエンス」への言及がありますが,多くの読者の皆さんも,ぜひヴォイニッチ写本解読に貢献してみてはいかがでしょうか?

 ・ 安形 麻理・安形 輝 『ヴォイニッチ写本』 星海社〈星海社新書〉,2024年.

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2023-05-26 Fri

#5142. 「ペレヒル」と「十五円五十銭」 [cryptology][sociolinguistics][spanish][haitian_creole][japanese][korean]

 昨日の記事「#5140. shibboleth 「試し言葉」」 ([2023-05-24-1]) で,民族や言語集団を区別する手段としての言語という,言語の負の側面をみた.このような事例は古今東西にみられる.
 本ブログでこれまで何度か参照してきた山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)の第4章 (pp. 61--76) では,この話題が取り上げられている.「ペレヒルと言ってみろ --- 「隔てる」ものとしてのことば」と題する第4章の扉には,次の文が掲げられている.

「われわれの一員」と「排除と虐殺の対象」とを
外見からは判断できないとき,
歴史上幾度も利用されてきたのは,
何らかの言葉を発音させることだった.


 1つ目の例として取り上げられているのは,ドミニカ共和国(公用語はスペイン語)においてハイチ人(ハイチクレール語を母語とする)をあぶり出すために,パセリを意味するスペイン語「ペレヒル」の発音が試し言葉として利用された例である.史実をもとにしたフィクション(舞台は1937年のドミニカとハイチ)のなかで,[r] と [l] の難しい発音の組み合わせを含む「ペレヒル」が踏み絵として用いられる事例が示されている.両音の区別が苦手な日本語母語話者としても背筋が凍る.
 もう1つの例は,むしろ日本語母語話者が朝鮮人を区別するために利用した恐るべき試し言葉である.「十五円五十銭」は,1923年の関東大震災の混乱のなかで朝鮮人が井戸に毒を入れたとの流言蜚語が乱れ飛んだ際に,朝鮮人を識別する踏み絵として利用された.山本 (68--69) は次のように解説する.

 なぜ,このとき,「十五円五十銭」を言わせたのか.ほかの記録には,「十円五十銭」「十五円五十五銭」なども残っている.「ご」「じゅう」は濁音で始まるが,朝鮮語では,語頭は濁らない.さらに,「じゅう」の「じ」は,ザ行だ.ザ行にもっとも近く対応する朝鮮語は,「ㅈ」であり,これはザ行よりもやや口の奥に下を当て,より弾くように発音する音である.結果的には,「じゅう」は,ひらがなで書くならば「ちゅう」のような音で聞こえる.
 関東大震災時の流言蜚語,朝鮮人虐殺と,この「十五円五十銭」については,安田 (2015) が詳細な分析を行い,「語頭に濁音がこないという単なる現象が『発音できない』という否定的言辞と化すのは,区別・識別して『かれら』を析出する必要性が潜在的に存在していたからだろう.そしてこの識別法は朝鮮人虐殺の記憶へとつながっていく」と記す.


 ウチとソトを分ける手段としての言語.優越と劣等を生み出す装置としての言語.言語のもつネガティヴな側面について,改めて考えたい.

 ・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.

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2023-05-25 Thu

#5141. shibboleth 「試し言葉」 [cryptology][sociolinguistics][bible][hebrew][wycliffe][voicy][heldio][youtube]

 5月21日(日)に公開された「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の最新回は「#129. 言語を暗号として見るとこんなにおもしろいことが!」です.



 動画の10:24辺りで,井上さんが旧約聖書の「士師記」 (Judges 12:4--6) に出典を求められる shibboleth 「シボレテ」の話題に言及しています.この語は,語源的にはヘブライ語で「洪水」(あるいは「穀物の穂」)を意味する šibbolet に遡ります.敵対するエフライム人 (Ephraimites) が [ʃ] 音を発音できないことから,ギレアデ人 (Geleadites) が敵を見分けるためにこの語を用いたというエピソードです.これにより,ギレアデ人は4万2千人のエフライム人を処分したといいます(cf. 「#3623. ヘブライ語からの借用語」 ([2019-03-29-1])).民族を選別するための「試し言葉,合い言葉」です.
 OED によると,この語の英語での初出は1382年の Wycliffe の聖書においてです.

1. The Hebrew word used by Jephthah as a test-word by which to distinguish the fleeing Ephraimites (who could not pronounce the sh) from his own men the Gileadites (Judges xii. 4--6).

   1382 Bible (Wycliffite, E.V.) Judges xii. 6 Thei askiden hym, Seye thanne Sebolech [1535 Coverdale Schiboleth, 1611 Shibboleth],..the which answerde, Shebolech [a1425 L.V. Thebolech, 1535 Siboleth, 1611 Sibboleth].


 1611年の The Authorised Version (The King James Version [KJV]) と日本語口語訳より,問題の「士師記」 (Judges 12:4--6) を引用しておきましょう.

4 Then Jephthah gathered together all the men of Gilead, and fought with Ephraim: and the men of Gilead smote Ephraim, because they said, Ye Gileadites are fugitives of Ephraim among the Ephraimites, and among the Manassites. 5 And the Gileadites took the passages of Jordan before the Ephraimites: and it was so that when those Ephraimites which were escaped said, Let me go over; that the men of Gilead said unto him, Art thou an Ephraimite? If he said, Nay; 6 Then said they unto him, Say now Shibboleth: and he said Sibboleth: for he could not frame to pronounce it right. Then they took him, and slew him at the passages of Jordan: and there fell at that time of the Ephraimites forty and two thousand.

4 そこでエフタはギレアデの人々をことごとく集めてエフライムと戦い,ギレアデの人々はエフライムを撃ち破った.これはエフライムが「ギレアデびとよ,あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの落人だ」と言ったからである.5 そしてギレアデびとはエフライムに渡るヨルダンの渡し場を押えたので,エフライムの落人が「渡らせてください」と言うとき,ギレアデの人々は「あなたはエフライムびとですか」と問い,その人がもし「そうではありません」と言うならば,6 またその人に「では『シボレテ』と言ってごらんなさい」と言い,その人がそれを正しく発音することができないで「セボレテ」と言うときは,その人を捕えて,ヨルダンの渡し場で殺した.その時エフライムびとの倒れたものは四万二千人であった.


 YouTube 動画の11:03以降で,井上さんが,ウクライナ語で「パン」を意味する「パリャヌィツャ」の発音が,ロシア語話者(のスパイ)を排除するために用いられているという話をしています.言語の恐るべき排除機能に,目を向けてみてはいかがでしょうか.
 この話題については,昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」でもお話ししました.「#723. shibboleth 「試し言葉」 --- 言語の恐るべき排除機能」です.


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2019-03-01 Fri

#3595. ことば遊びの3つのタイプ [word_play][cryptology][communication]

 「#3590. 「ことば遊び」と言語学」 ([2019-02-24-1]) で,ことば遊び word_play が言語学の歴とした研究対象となることを紹介した.今回は,言葉遊びの3類型について,滝浦 (397--99) に依拠しながら概説する.

(1) 即興型 --- 文脈を絡め取ることば遊び

 広義の洒落を用いた言葉遊びである.同音・類音を利用して,文脈に寄生しつつ文脈を絡め取る点に特徴がある.「何か用か九日十日」のような文脈を脱線させ攪乱することを狙う「むだ口」や,「着た切り雀」のようなパロディとして原句との対照を意識させる「地口」などもこの類いである.もとの文脈が新たに生じたメッセージに絡め取られて,おもしろみが生じる.その場の状況に応じて即興的に展開することが多いタイプである.

(2) 技巧型 --- メッセージを二重化することば遊び

 折句 (acrostic),アナグラム (anagram),回文 (palindrome) などのように,メッセージが何らかの点で二重化されているタイプのことば遊びである.折句については,「#1875. acrostic と折句」 ([2014-06-15-1]),「#1897. "futhorc" の acrostic」 ([2014-07-07-1]) の例を参照.アナグラムは,Salvador Dali の文字を入れ替えて Avida Dollars としたり,「加田玲太郎」を「誰だろうか」とする例などが挙げられる.回文は Madam, I'm Adam や「世の中馬鹿なのよ」など.即興で作るのは難しく,入念に作り込まれる点に特徴がある.

(3) ゲーム型 --- ゲームとしてのことば遊び

 ルールに則って遊び続けることを目的とするゲーム感覚のことば遊び.典型例は,しりとり,クロスワード,言葉のなぞなぞなどである.伝達されるべき意味の内容はあまり問題ではなく,ことばはゲームの道具として用いられている.

 ことば遊びは遊戯の1種であるから,上の3タイプも遊戯の一般的特質を備えているはずである.その特質は,無目的性,快楽性,無償性,無価値性といったものだろう.コミュニケーション論や記号論の観点からは,暗号 (cryptology) とも関連してきそうだ.「ことば遊び」は,どんどん広がっていき得るテーマだろう.

 ・ 滝浦 真人 「ことば遊び」『言語の事典』 中島 平三(編),朝倉書店,2005年.396--415頁.

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2017-11-23 Thu

#3132. 暗号学と言語学 (2) [cryptology][linguistics][statistics][chaos_theory][information_theory]

 最近,言語学とカオス理論 (chaos_theory) について少し調べているが,フラクタル図形「マンデルブロー集合」 (Mandelbrot set) で知られる数学者 Benoît Mandelbrot (1924--2010) が,情報理論や言語学に関する論考を著わしていることを知った(「マンデルブロー集合」については「#3123. カオスとフラクタル」 ([2017-11-14-1]) を参照).
 Mandelbrot はその論考で,暗号学 (cryptology) と言語学の接点という話題にも触れている.本ブログでも「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]) の記事で,両分野の密接な関係について考えたことがあったので,ここで再び取り上げたい.その記事の第2段落で述べたことと Mandelbrot (552) の次の1節は,よく符合する.

. . . let us grant for the moment that the encoding and decoding machines may be as complicated as the designer may wish, and that the memory of the human links---using the common sense of the word "memory"---is unbounded. Under those ideal circumstances, it is obvious that any improvement of our understanding of the structure of language and of discourse will bring a possibility of improvement of the performance of the cryptographer or stenographer. For example, a knowledge of the rules of grammar will show that a given phrase will never be encountered in grammatically correct discourse; thus, if his employer were to speak only grammatical English, a stenographer would not need any special set of signs to designate the incorrect sentences. Similarly, a knowledge of the statistics of discourse will suggest that the "cliché" be represented by special short signs; in this way, the stenogram will be shortened and---since deciphering is very much helped by cliché---the code will be strengthened. That is, the ideal cryptographer and stenographer should make the utmost use of any available linguistic information.


 暗号作成者は,言語の性質を知っていればいるほど,その性質の裏をかいた暗号文を作成できるし,逆に暗号解読者も,言語の性質を知っていればいるほど,そのように裏をかかれる可能性を減らすことができる.この意味で,暗号学は舞台を変えた言語学ともいえるのである.

 ・ Mandelbrot, Benoît. "Information Theory and Psycholinguistics." Scientific Psychology: Principles and Approaches. Ed. Benjamin B. Wolman and Ernest Nagel. New York: Basic Books, 1965. 550--62.

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2017-09-29 Fri

#3077. 長田による「文字言語の構成要素と暗号形式の対応」 [cryptology][semiotics][sign][writing]

 連日,長田順行(著)『暗号大全』を参照しているが,言語と文字について論じる上で,暗号(学)が多くのインスピレーションを与えてくれることに驚いている.今回は,様々な種類の暗号を「文字言語の構成要素と暗号形式の対応」関係により整理・分類した長田の表を示したい (29) .

文字言語の構成要素と人為的操作形式名見かけ上の特徴
一定の文字別の文字で代用換字式暗号らしい暗号(一般的な暗号)
一定の順序順序の入替え転置式暗号らしい暗号(一般的な暗号)
別の文字を挿入分置式暗号らしくない暗号(特殊な暗号)
一定の意味別の意味に変換,あるいは遠回しに表現隠語・隠文式暗号らしくない暗号(特殊な暗号)
上記の組み合わせ混合式暗号らしくない暗号(特殊な暗号)


 換字式 (substitution) は「#2704. カエサル暗号」 ([2016-09-21-1]) に代表されるタイプで,ある文字を別の文字で代用するものである.一方,転置式 (transposition) は一定の順序に並んでいる文字列を,別の順序に並び替えるタイプである.例えば,最も簡単な転置式暗号の1つは,nowhereerehwon などと逆順に並び替えるものである.この2種類の暗号では,できあがった暗号文はたいてい意味不明の文字列になるのでいかにも見栄えは暗号らしくなる.
 分置式は,一定の順序に並んでいる文字列に別の文字を挿入するもので,「#3072. 日本語の挟み言葉」 ([2017-09-24-1]) で挙げた「ノサ言葉」などが例となる.「#3071. Pig Latin」 ([2017-09-23-1]) は,転置式と分置式を合わせたような暗号である.これらは,ある程度普通言語のような見栄えをしているのが特徴である.
 以上の3種類は,文字レベルの操作であり,記号論でいうところの能記 (signifiant) をいじることによる暗号化である.それに対して所記 (ssignifié) をいじるタイプの暗号もあり,隠語・隠文などと呼ばれる.見栄えとしては普通言語の語などからなっているが,その語の意味は別の意味に変換されているので,それを了解していないかぎり,読み解くことは難しい.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2017-09-28 Thu

#3076. 隠語,タブー,暗号 [cryptology][taboo][semiotics][sociolinguistics][anthropology][kotodama]

 古代社会では,名前を置き換える隠語が広く使用されていた.例えば,古代エジプト人や古代インドのバラモンの子供は2つの名前をもっていた.1つは一般に開放されて常用される名前であり,もう1つは秘匿される真の名前である.真の名前を隠すのは悪霊から身を守るためである.このように代わりの名前を用いることが個人名にとどまらず一般の言葉にまで及ぶと,それは隠語の体系,あるいはタブー (taboo) の組織というべきものになってくる.隠語とは,それを用いる比較的狭い言語共同体のなかでしか理解されないという意味において,外部の人間にとって暗号以外の何物でもない.ここにおいて,隠語,タブー,暗号の3者が関連づけられることになる.
 この件について,長田 (106) は次のように述べている.

 このようにみてくると,コトバの置換えである隠語の使用が,いかにわれわれの祖先の生活に不可欠であったかがわかる.すなわち隠語は,人類がコトバをもったとき同時に生まれたもう一つのコトバだったのである.
 また忌み詞も隠語の一種といえよう.ある特定の言葉を口にすることを忌む習慣から,塩を「浪の花」といったり,西アフリカのバングウェ族のように便所に行くことを,「薪を取りに走って行かねばならない」とか,「わなを見回ってくる」といったりするのが,それである.


 隠語やタブーが,人間のコミュニケーション能力を爆発させることになる言語の創発と同時に生じたという仮説は,人類にとって言語とは何かという問題に新たな角度から光を当てるものになるだろう.
 関連して,「#1338. タブーの逆説」 ([2012-12-25-1]),「#2410. slang, cant, argot, jargon, antilanguage」 ([2015-12-02-1]) も要参照.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2017-09-27 Wed

#3075. 略語と暗号 [cryptology][abbreviation][shortening][acronym][initialism][writing]

 略語表記は英語でも日本語でも花盛りである.「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]),「#2982. 現代日本語に溢れるアルファベット頭字語」 ([2017-06-26-1]) でみたように,頭字語と呼ばれる acronyminitialism などは新聞や雑誌などに溢れている.確かに略語表記は現代に顕著だが,その存在は古くから確認される.西洋ではギリシア・ローマの時代に遡り,その起こりこそ筆記に要する空間・時間の節約や速記といった実用的な用途にあったかもしれないが,やがて宗教的な目的,秘匿の目的にも用いられるようになった.長田 (43--44) は,暗号との関連から略語について次のように論じている.

 略語は,このように第三者に対する秘匿とは別の目的から使用され,発達してきたが,略語そのものがあまり慣用されていないものであったり,略語の種類が増加してくると,略語表を見ないと元の意味がとれない場合が生じる.また,簡略化によるものや書き止めによる略語(書きかけのまま中途で止めて略語とするもの)には,それが略語であることを示すために単語上や語末に傍線を入れて注意を喚起するようなことが行なわれた.
 じつは,この不便さが一方では秘匿の目的に略語が使用されることにつながるのである.


 AIDSEU であれば多くの人が見慣れており相当に実用的といえるが,最近目につくようになったばかりの EPA(Economic Partnership Agreement; 経済連携協定)や ICBM(Inter-Continental Ballistic Missile; 大陸間弾道弾)では,必ずしも多くの人が何の略語なのか,何を指すのかを認識していないかもしれない.かすかなヒントがあると言い張ることはできるかもしれないが,暗号に近いといえるだろう.
 では,AIDSEU はなぜ認知されやすいのかといえば,繰り返し用いられてきたからである.当初は事実上の暗号に等しかったろうが,それでも構わずに使い続けられていくうちに,多くの人々が慣れ,認知するに到ったということである.これは非暗号化の過程とみることもできるだろう.「これらの略語も繰り返し使用したのでは,秘匿の効果が薄れてしまうことはいうまでもない」(長田,p. 45).

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2017-09-26 Tue

#3074. 「文字は公認の暗号である」 [cryptology][language][semiotics][saussure][arbitrariness][sign][writing]

 通常,少数の人によってしか共有されていない文字を指して暗号と呼ぶが,標題のように裏からとらえて「文字は公認の暗号である」と表現することもできる.これは,みごとな逆転の発想である.長田 (136--37) を引用する.

 音声言語を表記するためにどのような文字を使用するかはどうでもよいことであって,要はその文字の使い方が首尾一貫していれば,記号としての役目を果たすことができる.フェルディナン・ド・ソシュールは,「記号の不易性と可易性」について次のように述べている.「能記は,その表はす観念と照し合はす時は,自由に選ばれたものとして現はれるとすれば,逆にこれを用ひる言語社会と照し合はす時は,自由ではなくて,賦課されたものである.社会大衆は一つも相談にあづからず,言語の選んだ能記は他のものと代へるわけにはいきかねる.この矛盾を含むかに思はれる事実は,平たくいへば『脅迫投票』とでもいふべきか.言語に向って『選びたまへ』と言つたそばから,『この記号だぞ,ほかのでなくて』と附加へる」(小林英夫訳『言語学原論』)
 これはそのまま換字式暗号にあてはまる原理である.変換する記号としてはどのようなものを選んでもさしつかえないが,一度選んだならば,その規約を使用する間はけっして変更することは許されない.ただ換字式暗号の違う点は,言語とその表記の関係が第三者に秘匿されていることである.
 一般に文字言語を「社会公認公用の暗号法」と呼ぶのは,このような相対関係によるものである.


 また,次のようにも述べている (137--38)

ウェルズは,その『世界史』に,「文字は,それが発明されたとき,初めのうちは関係の人だけの秘密通信に使われていた」と書いている.これは,識字率の低い間は文字そのものが秘密の表記であったことを的確にとらえた言葉である.


 文字も暗号も恣意的な記号であるという点では共通している.顕著な差異を1つ挙げるとすれば,文字は通常多数の人に共有されているが,暗号は少数の人にしか知られていないということだろう.それを知っている人の数というパラメータを度外視すれば,文字はすなわち暗号であり,暗号はすなわち文字であるといえる.言語学的文字論と暗号学がいかなる相互関係にあるのか,一気に呑み込めた気がする.
 関連して,「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]),「#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性」 ([2016-09-17-1]) と「#2701. 暗号としての文字」 ([2016-09-18-1]) も参照されたい.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2017-09-24 Sun

#3072. 日本語の挟み言葉 [japanese][cryptology][word_play]

 昨日の記事「#3071. Pig Latin」 ([2017-09-23-1]) でみた言葉遊びは,種類としては広く「挟み言葉」といわれる.単語内での要素の入れ替えや新要素の付加に特徴づけられる語形の変形のことであり,あたかも単語内に何かが挟まってくるかのような印象を受ける.
 この種の言葉遊びはおそらく多くの言語に見られる.日本語でも,「ノサ言葉」なる挟み言葉の遊びがある(長田,p. 121).

セ(ノサ)ミトリハ オ(ノサ)モシロカッタ? (蝉取りはおもしろかった?)
オ(ノサ)モシロカッタ ハ(ノサ)ッピキ ト(ノサ)ッタ (おもしろかった,八匹取った)


のように,単語(分節というべきか)の第1音節と第2音節のあいだに「ノサ」を挟むものである.「ノ」は第1音節に,「サ」は第2音節につけて発音し,アクセントを上手に操ると,第三者には理解しにくいという意味では,符丁的,暗号的な役割を果たすことができる.
 挟み言葉は,江戸の中期頃から庶民のあいだで流行ったようで,末期には唐事(からこと)と呼ばれた.明和9年(1772年)に出された洒落本『辰巳之園』には,ア段の音節の後に「カ」を,イ段の音節の後に「キ」を付けるといったようにカ行音を語中に挟むものが紹介されている.これだと,例えば「キャク」であれば「キキヤクク」,「ネコ」であれば「ネケココ」となる.
 私も子供のころ「ブンブンブン ハチガトブ」という歌詞における「ン」以外の各音説の後に「ル」を挟み込んで,「ブルンブルンブルン ハルチルガルトルブル」と歌う言葉遊びをしたことがある.脳とろれつを回転させるのにおもしろいゲームである.
 挟み言葉を即興で産出・理解できる者どうしが高速に会話をすれば,事実上の暗号となるのではないかと思われる.もちろん,文字化してしまえば,暗号としての効果はほぼゼロとなることはいうまでもない.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2017-09-23 Sat

#3071. Pig Latin [cryptology][word_play][cgi][web_service]

 英語の言葉遊びで Pig Latin というものがある.単語を一定の原則に基づいて変形する遊びだが,その原則は単純である.語頭の子音(群)を語尾に移し,さらにそこに <ay> /eɪ/ を追加する.語頭が母音の場合には,語尾に <way> /weɪ/ を追加するのみ.例えば,Pig LatinIgpay Atinlay となり,I dont know.Iway ontday nowkay. となる.語頭の子音(群)の扱いの差異や,語尾としての <way> /weɪ/ の代わりに <yey> /weɪ/ を用いるなどの変種もみられる.
 慣れてしまえば即興で作れるが,慣れていない者にとって理解が難しいことから,言葉遊びにとどまらず,話し言葉における隠語やちょっとした暗号として用いることもできる.言葉遊びと暗号の距離は意外と近い.
 Pig Latin のほか,より古い Hog Latin という呼称もある.前者は19世紀末,後者は19世紀初めに初出している.いずれも「崩れたラテン語」「偽のラテン語」ほどの意味である.実際にはラテン語と縁もゆかりもないが,格変化のような語尾が付き,理解しにくいという点で,ラテン語に擬せられたということだろう.なお,崩れたラテン語を表わす dog Latin という表現は17世紀半ばに初出しているが,こちらは変則的ながらも一応のところラテン語ベースである.
 以下,Pig Latin 変換器を実装したのでお試しあれ.

Plain English to Pig Latin
Pig Latin to Plain English

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2017-09-22 Fri

#3070. 暗号として用いられた普通語 [cryptology][history]

 「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]),「#2729. あらゆる言語は暗号として用いられる」 ([2016-10-16-1]) でみたように,通常の言語であっても使用者の少ない言語であれば,そのまま暗号として用いられうる.第2次世界大戦のナヴァホ族のコード・トーカーがよく知られているが,長田(著)『暗号大全』によると,ほかにも歴史上の「普通語」使用の事例はある (33--35) .
 例えば,中世ヨーロッパでは一般的だったように,ラテン語は聖職者を初めとする知識人しか使いこなすことができなかった.それゆえ,聖職者どうしが意識的に庶民に知られたくないコミュニケーションを取ろうと思えば,ラテン語でやりとりすればよいのだった.
 紀元前まで遡ると,シーザーがガリア遠征(紀元前54年)の軍事暗号として,ギリシア語を用いたことが知られている.ガリアの種族はギリシア語を解さなかったので,普通語であるギリシア語を用いるだけで,そのまま事実上の暗号となったのである.
 19世紀末に話しは飛ぶが,南アフリカで繰り広げられたボーア戦争において,イギリス軍の将校は,ボーア人の知らないラテン語で命令や報告の伝達を行なっていた.
 1960年,ベルギー軍がコンゴ共和国の首都レオポルドビルに侵入したとき,これに対して派遣された国連軍のなかにアイルランド兵がいた.彼らは無線電話で母語のゲール語を用いて伝達情報を秘匿した.当時の国連軍司令官は「これこそ,最良の暗号だ」と激賛したという.
 最後に,我が国で,昭和46年の新聞に「朝鮮語,非行少女の間で流行」という記事があったもという.
 長田 (35) は,この種の「暗号」は上記のように有効性を示した局面もあったが,「第三者のコトバに関する無知に依存しているわけだから」本質的には消極的な暗号であるとしている.考えてみれば,自分ともう1人以外には日本語を解する人がいないと思われる国際的な会話の場面で,あえて2人の間で日本語を符丁として用いるという状況はあるが,実は周囲の誰かが日本語を解するという可能性はゼロではない.確実に情報を秘匿したいときに使えるワザではない,というのは確かだろう.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2016-12-02 Fri

#2776. マリー・アントワネットの用いた暗号 (2) [cryptology][history]

 昨日の記事 ([2016-12-01-1]) に引き続き,マリー・アントワネットと情夫フェルセンの間に交わされた暗号通信について.用いられた暗号システムは,多表換字式暗号の一種であり,大文字と小文字の一覧表および鍵から成るものだった.『暗号解読事典』 (p. 177--78) によれば,例えば,次のような一覧表が2人の間で共有されていたと考えられる.

. . .
M     kn or sv wz ad eh il mp qt ux yb cf gj
N     ab cd ef gh ij kl mn op qr st uv wx yz
O     pr su vx ya bd eg hj km np qs tu wy zb
. . .

 もし鍵が "M" だとすると,例えば "ami" という単語は,それぞれのペアの相方の文字を取って "dpl" と暗号化される.もし鍵が "N" だとすると,同じ単語は "bnj" となる,等々.この鍵の共有の仕方は様々だったが,ある出版された書物を鍵とする方法も取られていたようだ.
 多表換字式が,それ以前の単一字換字式より優れているのは,同じ文字の反復の頻度が格段に減るために,文字の出現頻度に基づく統計的分析による暗号解読の試みをくじくことができる点にある.鍵さえしっかり秘匿されていれば,解読者にとって解読不可能とはいわずとも,相当な時間を費やさせることにはなるだろう.種明かしをされれば,何だそんなものかと反応したくなる程度の代物だが,この種の多表換字式暗号とその諸変種は,15世後半から20世紀に至るまで,暗号のスタンダードであり続けたのである.

 ・ フレッド・B・リクソン(著),松田 和也(訳) 『暗号解読事典』 創元社,2013年.

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2016-12-01 Thu

#2775. マリー・アントワネットの用いた暗号 (1) [cryptology][history]

 先日,六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催中のヴェルサイユ宮殿《監修》マリー・アントワネット展に行ってきた.革命のヒロインとしての人気はすさまじく,美術館も大入りだった.特に目を引いたのは,マリー・アントワネットが家族とともに革命派に捕らわれていたときに,逃亡をもくろんでスウェーデン人の伯爵で情夫たるアクセル・フェルセンと交わした暗号通信のための暗号表の展示である.混雑していて,ショーケースに収められたその文書をゆっくりと眺めることはできなかったが,多表換字式暗号のようだった.近代に入ってから開発されたヴィジュネル暗号の変種といえる.1790年頃のものだという.
 帰宅してから『暗号解読事典』 (pp. 23--25) で少し調べてみた.マリーは,母マリア・テレジアが暗号通信に執心していたことから,もともと暗合に馴染みがあったものと思われる.マリーは,とらわれの身となってからも,暗号通信を用いて,フェルセンを仲立ちとして王党派との接触を図り,打開策を講じようとしていた.フェルセンの暗号システムは多表換字式暗号であり,比較的単純なものではあったが,統制の取れない混乱の革命派をだますには,十分に機能した.
 この暗号の効果もあって,逃亡の計画は秘密裏に実行に移された.王族が召使いに化け,フェルセンが馭者役となり,馬車でフランス東部への脱出を図ったのである.ところが,目的が達せられる寸前に,ヴァレンヌの村で正体が露見し,パリに送還された.
 その後も,マリーはより強力な暗号通信により神聖ローマ皇帝レオポルド2世や諸国の王室に働きかけ,革命派の裏をかく共謀を企てた.しかし,すでにマリーの暗号は敵の手により解読されており,共謀は見破られていた.その後,ルイ16世とマリーが有罪判決を申し渡され,断頭台のつゆと消えたことは,周知の事実である.ちなみに,フェルセンはパリから脱出したものの,後にスウェーデン皇太子の毒殺の偽りの嫌疑をかけられ,1810年にストックホルムで民衆に殺されている.
 フランス革命の背後にも,このように,暗号が活躍(暗躍?)していたのである.暗号が歴史に果たした役割は大きいと言えよう.
 マリー・アントワネット展のサイトより,フェルセン伯爵との恋 新たな証拠では,1792年1月4日付のマリーからフェルセンへの手紙の画像が公開されている.黒塗りで隠されていた部分の文字が今年1月に解読され,2人の関係の深さが明らかになったというニュースである.  *

 ・ フレッド・B・リクソン(著),松田 和也(訳) 『暗号解読事典』 創元社,2013年.

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2016-10-16 Sun

#2729. あらゆる言語は暗号として用いられる [cryptology]

 暗号 (cryptology) と言語・文字の関係について「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]),「#2701. 暗号としての文字」 ([2016-09-18-1]),「#2717. 暗号から始まった点字」 ([2016-10-04-1]) その他の記事で考えてきた.その関連で,稲葉(著)『暗号学 歴史・世界の暗号からつくり方まで』を読んだ.著者はカエサル暗号,ポリュビオス暗号,エニグマ暗号などの典型的な暗号のみならず,点字や手話も含めて広い意味での「暗号」ととらえており,その洞察に刺激を受けた.点字や手話を暗号ととらえる視点は,ともすればそれを常用する人々にとって失礼な見方ではあるかもしれない.点字や手話はその常用者にとって事実上の母語であり,それが一般の多くの人々にとっては理解されず謎めいているように見えるからといって,「暗号」などと称されるいわれはない,と.
 しかし,点字や手話に限らず,実はあらゆる言語や文字が同じ意味において「暗号」となりうるのだ.英語を理解しない者とっては英語は暗号そのものだし,日本語を理解しない者にとっては日本語は暗号である.つまり,点字,手話,日本語,英語,文字,その他の言語代替物(トーキング・ドラム,狼煙,手旗信号,野球のサイン等)は,条件次第で暗号となりうるということだ.「暗号である」というよりは「暗号としても用いられる」と表現すれば誤解がないだろう.
 実際,「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]) で触れたように,第2次世界大戦中,アメリカ先住民のナヴァホ族はナヴァホ語を操る暗号員 "codetalker" として活躍した.ガダルカナル攻略戦,サイパン上陸作戦,硫黄島攻撃などで活躍したとされる.ナヴァホ語(正確にはナヴァホ語に基づいて作られたコード体系)は,ナヴァホ族にとっては母語以外の何物でもないが,外の世界には通じにくいという条件が利用され,暗号として「も」利用されたということである.
 なお,稲葉 (52) によると,興味深いことに日本国内でも似たようなコード・トーカーが存在したという.そこでコードとなった言語は,なんと鹿児島弁である.

アメリカがナバホ語という少数民族の言語をつかったのと同じように,第2次世界大戦中,日本の外交官が早口の鹿児島弁で重要事項を電話連絡したことがあった.普通なら,戦時下の電話は盗聴されている前提で暗号がつかわれるが,早口の鹿児島弁は同郷人でないとわからないほど独特の方言であるため,暗号と同じような役割をはたしたのだ.


 確かに,このようなコード・トーカーには,英語や日本語といった大言語の母語話者ではなく,マイノリティ言語の母語話者が採用されるのが常だろう.しかし,この差異は,その言語の言語学的条件というよりは社会言語学的条件に依存するにすぎない.社会的な条件さえ満たされれば,すなわち外の世界に通じにくい言語であるという条件が満たされれば,あらゆる言語が暗号として用いられ得る.この見方を取れば,「外国語」は暗号であり,その翻訳は暗号化・復号化であるといえる.

 ・ 稲葉 茂勝 『暗号学 歴史・世界の暗号からつくり方まで』 今人舎,2016年.

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2016-10-15 Sat

#2728. steganography [steganography][cryptology][terminology]

 cryptology (クリプトグラフィ)とは異なるが,広い意味で暗号作成法の1つとみなせるものに,steganography (ステガノグラフィ)がある.ギリシア語の stégeín (to cover) と grápheín (to write) に基づく連結形からなり,いわば「覆い書き,隠し書き」である (cf. stegosaur は「よろいで覆われた恐竜」の意;英語 thatch も印欧祖語の同根 *steg- に遡る).クリプトグラフィが,誰でも暗号であると見てすぐに分かるような典型的な暗号を指すのに対して,ステガノグラフィはそれを見ても,そもそも暗号があるとは気づかないタイプを指す.例えば,乾くと消える明礬水などで紙にメッセージを書き,火であぶれば文字が浮き出す「あぶり出し」が,ステガノグラフィの1つの典型である.メッセージそのものに手を加えて言語的に解釈するのを難しくするのではなく,メッセージはいじらずに,暗号者と復号者の間に回路が開いていること自体を悟られないようにする秘匿法である(ただし,両者を組み合わせて秘匿の度合いを高めるという場合もある).
 ステガノグラフィの種類を分類すると,以下のようになる(詳しくは,リクソン(著)『暗号解読事典』の4章「ステガノグラフィ」 (pp. 398--431) を参照).

                         ┌─── 物理的隠匿
                         │
 ステガノグラフィ ───┤                          ┌─── セマグラム
                         │                          │
                         └─── 言語的隠匿 ───┤
                                                     │
                                                     └─── その他

 物理的秘匿とは,上の「あぶり出し」(隠顕)を始めとして,スパイ小説などでお馴染みのように,隠された仕切り・ポケット・くりぬいた本・傘の柄などにメッセージを埋め込んだりする手法や,頭髪を剃り落として頭皮にメッセージを書いた上で髪を伸ばして隠す方法,蜜蝋を塗って文字を隠した書字板など,各種の方法がある.極小の字を書き込んで,文字の存在自体を悟られないようにするのも,この一種だろう.
 言語的隠匿は,一歩,クリプトグラフィに近い.まず「セマグラム」と呼ばれる方法がある.リクソン (408) によると,「ドミノの点,予め決めておいた意味をお伝えるような位置に置いた写真の中の被写体,あるいは絵の中で,木の短い枝と長い枝がモールス符号のトンツーを表すようにしておくのである.第三者にとっては,そこに情報が隠されているとは判らない」.要するに,一見何の変哲もない絵や図のなかに,関与者にしかわからない形で(代替)言語的メッセージを埋め込んでおくものである.
 その他の言語的隠匿法として,何の変哲もない自然な文章のなかに,密かに秘密のメッセージを隠す種々のやり方がある.怪しくない普通の文章の各単語の頭文字だけを拾っていくと重要なキーワードになっていたり (cf. 「#1875. acrostic と折句」 ([2014-06-15-1])),特定の文字の字体を微妙に変えて合図したり,部分的に穴の空いた金属板(=グリル)を文章の上に重ねて,穴の部分のみを読むとメッセージになっていたり,ある語句の存在・不在が何らかのコードとなっているものなど,様々なものがある.
 ステガノグラフィは気づかれてしまったら最後という弱点があるし,作成に時間がかかるなどの理由で,秘匿メッセージが日常的に大量にやりとりされる戦時中などにはさほど用いられなかった.暗号の歴史を通じて,主流はステガノグラフィではなくクリプトグラフィだったのである.つまり,秘匿メッセージであること,秘匿メッセージをやりとりしていること,秘匿方法(アルゴリズム)の種類をむしろ公開してしまい,ある意味で堂々と復号者に挑戦状をたたきつけるような方法が主流となってきたのである.通常の言語コミュニケーションで喩えれば,「コソコソした内緒話し」ではなく「堂々と翻訳で勝負」が主流となってきた,というところか.

 ・ フレッド・B・リクソン(著),松田 和也(訳) 『暗号解読事典』 創元社,2013年.

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2016-10-14 Fri

#2727. ポリュビオス暗号 [cryptology]

 「#2716. 原始・古代の暗号のあけぼの」 ([2016-10-03-1]) でポリュビオスの暗号に言及した.ポリュビオス (BC 200?--118?) は古代ローマ時代のギリシアの歴史家・政治家・軍人・暗号学者であり,暗号史上,世紀の大発見とされる,文字を数字に変換する「座標式暗号」を発明した.原理はいとも単純である.5×5のマス目にアルファベットを順に並べ,各文字を縦軸と横軸の数字の組み合わせで表現するというものだ.例えば,R = 4・2,O = 3・4,M = 3・2,E = 1・5 なので,"ROME" は "42343215" と表わされることになる.この変換表は「ポリュビオスのチェッカー盤」と呼ばれている(下図参照).

 12345
1abcde
2fghi/jk
3lmnop
4qrstu
5vwxyz


 このポリュビオス暗号が後に様々な形へ応用され,複雑化したが,原理は至って簡単である.文字を数字に変換するという発想は今では基本的なものと思われるが,後に驚くべき応用を生み出すことになった.例えば,「#1455. gematria」 ([2013-04-21-1]) は文字と数字の同一視がポイントだし,「#1805. Morse code」 ([2014-04-06-1]) もポリュビオス暗号の1変種と考えられる.また,現代のコンピュータでの文字表示はすべて文字と数字を結びつけた文字コードが前提となっており,文字変換やソートは内部的には文字コードの数学的演算によって実現される.人類は,文字を数字と結びつけることによって,文字に数学の原理を適用する方法を獲得したのである.
 発想は基本的であるから,おそらく座標式暗号は世界の各地で独立して発生したのではないかと考えられる.日本の戦国時代にも,上杉謙信 (1530--78) の家来だった宇佐美良勝 (1489--1564) が,著書『武経要略』において,謙信の用いた「字変四八の奥義」という暗号について述べている.いろは48文字を7×7のマス目に配置し,行と列の数字で文字を表現するというものだ.これにより,例えば「かわなかしま」は「七二六二七三七二七六二五」と暗号化される.原理としてはポリュビオス暗号そのものである.

 
 


 以上,稲葉 (16--18) に拠って執筆した.

 ・ 稲葉 茂勝 『暗号学 歴史・世界の暗号からつくり方まで』 今人舎,2016年.

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2016-10-04 Tue

#2717. 暗号から始まった点字 [cryptology][semiotics][writing][braille]

 点字は,フランスの盲人 Louis Braille (1809--52) が1829年に発明したものとされ,これにより視覚障害者が初めて自由に読み書きできるようになったという点で,教育史上,画期的な出来事だった.ブライユ点字法 (Braille) と呼ばれることになるこの点字は,3行×2列の6点を単位として,その組み合わせによりアルファベットと数字を表わす仕組みのものである.ブライユ点字法はブライユの亡くなった2年後にフランスで公式文字として認められ,それから100年後の1954年にはユネスコ主催の世界点字統一会議で,全世界の視覚障害者の文字として採用された.日本へは1890年に導入されており,そこから50音を表わす日本点字が開発され,現在も使用され続けている.点字は,それ自体が自立した記号体系というわけではなく,(文字)言語の代用記号ととらえるべきだろう.その点では,モールス符号 (「#1805. Morse code」 ([2014-04-06-1])) や手旗信号などに類する.
 さて,点字の歴史は,このようにブライユに遡るというのが通例だが,その原型は,ナポレオン時代の砲兵大尉 Charles Barbier が,ブライユの学んだ訓盲院(世界最初の盲学校)に持ち込んだ「夜間文字」(Ecriture Nocturne "night writing") の改良版にあった.夜間文字とは,技術家でもあったバルビエが考案した暗号の一種で,うすい板紙の上に秘密のルールに従って点やダッシュを浮き彫りにしたものであり,解読者は闇夜にもそれに触れて読むことができるという代物だった.バルビエは,除隊後,これを視覚障害者のために活用する方法を探り,訓盲院へ6行×2列の点字を導入した.これを受けて,その生徒だったブライユが改良を加え,3行×2列の6点のブライユ点字法を開発するに至ったという次第である.
 今や世界で広く認知され,用いられている点字という記号体系が,このように軍事的な色彩の強い環境で開発された暗号に起源をもつという事実は,非常に興味深い.点字も暗号もコミュニケーション手段には違いなく,ある意味でこの発展は必然的とも考えられるが,一方で,バルビエから訓盲院を経てブライユへと連なったのは,歴史の偶然でもある.暗号の発明が,結果的に,教育史上きわめて重要な発明につながった稀有な例である.
 以上,稲葉 (54) を参照して執筆した.

 ・ 稲葉 茂勝 『暗号学 歴史・世界の暗号からつくり方まで』 今人舎,2016年.

Referrer (Inside): [2016-10-23-1] [2016-10-16-1]

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2016-10-03 Mon

#2716. 原始・古代の暗号のあけぼの [cryptology][history][hieroglyph][grammatology][bible][hebrew]

 「#2701. 暗号としての文字」 ([2016-09-18-1]) で考察したように,文字の発明は,それ自体が暗号の誕生と密接に関係する出来事だが,秘匿することを主目的とした暗号コミュニケーションが本格的に発展するまでには,多少なりとも時間がかかったようである.今回は,『暗号解読事典』の pp. 2--6 を参照して,原始・古代の暗号のあけぼのを概略する.
 暗号そのものではないが,文字の変形と秘匿性という特性をもった暗号の原型といえるものは,紀元前2000年ほど古代エジプト聖刻文字の使用にすでに見られる.例えば,王族を表わす文字には,権威と神秘性を付すために,そして俗人に容易に読めないように,変形が施された.しかし,このような文字の変形が軍事・外交的に体系的に使われた証拠はなく,これをもって本格的な暗号の登場とすることはできない.しかし,その走りではあったと思われる.
 一方,紀元前1500年頃のメソポタミアには,明確に秘匿の意図が読み取れる真の暗号が用いられていたようだ.釉薬の製法が記された楔形文字の書字板において,正しい材料を表わす文字列が意図的に乱されているのだ.これは,人類最古の暗号の1つといってよい.
 紀元前500年頃では,インドでも書法秘匿の証拠が見つかる.その手法もすでに多様化しており,換字式暗号から,文字反転,配置の攪乱に至るまで様々だ.これは,当時のインドで暗号コミュニケーションがある程度広く認知されていた状況を物語っている.人間の悦楽についての書『カーマ・スートラ』では,書法秘匿は女性が習得すべき技術の1つであると述べられている.
 聖書にも,暗号の原型を垣間見ることができる.旧約聖書では,「アタシュ」と呼ばれるヘブライ語アルファベットに基づく換字式暗号の原初の事例がみられる.アタシュでは,最初の文字と最後の文字を入れ替え,次に2番目の文字と最後から2番目の文字を入れ替えるといったように,すべてのアルファベットを入れ替えるものである.これにより,『エレミヤ書』25章26節と51章41節で BabelSheshach と換字されている.しかし,ここには特別な秘匿の意図は感じられず,あくまで後の時代の本格的な暗号に連なることになる暗号の原型という程度のものだった.
 古代ギリシアでは,ペルシアとの戦争に関わる軍事的な目的で,すでに単純ではあるが体系的な暗号技術が発達していた.紀元前5世紀,ギリシアの歴史家トゥキュイディデスは,スパルタ人がスキュタレーという暗号器具を発明したことに言及している.これは特定の大きさの棒で,そこに紙を巻き付けて棒の上から下へ文字を書いていった後で紙を解くと,無意味な文字列が並んでいるというものである.また,紀元前2世紀には暗号学者ポリュビオスが「ポリュビオスのチェッカー盤」と呼ばれる5×5のアルファベット表に基づく暗号技術を確立し,後の暗号発展の基礎となった.
 ローマ帝国においては,「#2704. カエサル暗号」 ([2016-09-21-1]) で触れた換字式暗号が考案され,後に改良されながらも中世を通じて広く使われることになった.
 このように,暗号史は世界史と連動して発達してきたのである.

 ・ フレッド・B・リクソン(著),松田 和也(訳) 『暗号解読事典』 創元社,2013年.

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2016-09-22 Thu

#2705. カエサル暗号機(hellog 版) [cryptology][grammatology][cgi][web_service][statistics]

 「#2704. カエサル暗号」 ([2016-09-21-1]) と関連して,文字遊びのために「カエサル暗号機」を作ってみた.まずは,最も単純な n 文字シフトの方針により,入力文字列を符号化 (encipher) あるいは復号化 (decipher) するだけの機能.バックエンドに Perl の Text::Cipher::KeywordAlphabet モジュールを利用している.

encipher decipher
n =    


 次に,下の暗号機は復号機能のみを実装しているが,英語の各文字の出現頻度に基づいた統計を利用して,n の値が不明でもカエサル暗号を解読してしまうことができる.



 このカエサル暗号とその発展形は,西洋の古代・中世を通じて1500年以上ものあいだ最も普通に用いられたが,原理は驚くほど単純である.現在では暗号学者ならずとも普通の人にもコンピュータを使って簡単に解読できてしまい,暗号とは呼べないほどに安全性は低いが,メッセージを隠したいという人間の欲求の生み出した,本格的な暗号文化の幕開きを代表する手法だった.歴史的意義は大きい.

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