昨日の記事「#4602. Barbados が立憲君主制から共和制へ」 ([2021-12-02-1]) で,カリブ海地域の英語事情の1つの典型を示すバルバドスの歴史を略述した.英語事情と関連して同地域よりもう1つ重要な国を挙げるのであれば,間違いなくジャマイカだろう.「#1680. The West Indies の言語事情」 ([2013-12-02-1]) で触れたように,バルバドスと同様にジャマイカでも英語ベースのクレオールが行なわれている.
ジャマイカでは,Jamaican Creole は下層語 (basilect) として用いられており,それに対して標準(ジャマイカ)英語が上層語 (acrolect) として使われている.両者の間には中層語 (mesolect) の多数の変種が認められ,典型的な post-creole_continuum) を構成している言語社会といってよい.この連続体について,Sand (2125) を参照して見てみよう(cf. 「#385. Guyanese Creole の連続体」 ([2010-05-17-1]) とも比較).
Standard (Jamaican) English | he went down there | ↑ | Acrolect |
he wen dong de | | | ||
(h)im go dong de | | | ||
(h)im dida go dong de | | | Mesolect | |
(h)im neva go dong de (negative only) | | | ||
Jamaican Creole | im ben go dong de | ↓ | Basilect |
ピジン語 (pidgin) とクレオール語 (creole) についての一般の理解によると,前者が母語話者をもたない簡易化した混成語にとどまるのに対し,後者は母語話者をもち,体系的な複雑化に特徴づけられる言語ということである.別の言い方をすれば,creole は pidgin から発展した段階の言語を表わし,両者はある種の言語発達のライフサイクルの一部を構成する(その後,post-creole_continuum や decreolization の段階がありうるとされる).両者は連続体ではあるものの,「#1690. pidgin とその関連語を巡る定義の問題」 ([2013-12-12-1]) で示したように,諸特徴を比較すれば相違点が目立つ.
しかし,「#444. ピジン語とクレオール語の境目」 ([2010-07-15-1]) でも触れたように,pidgin と creole には上記のライフサイクル的な見方に当てはまらない例がある.ピジン語のなかには,母語話者を獲得せずに,すなわち creole 化せずに,体系が複雑化する "expanded pidgin" が存在する.「#412. カメルーンの英語事情」 ([2010-06-13-1]),「#413. カメルーンにおける英語への language shift」 ([2010-06-14-1]) で触れた Cameroon Pidgin English,「#1688. Tok Pisin」 ([2013-12-10-1]) で取り上げた Tok Pisin のいくつかの変種がその例である.また,反対に,大西洋やインド洋におけるように,ピジン語の段階を経ずに直接クレオール語が生じたとみなされる例もある (Mufwene 48) .
クレオール語研究の最先端で仕事をしている Mufwene (47) は,伝統的な理解によるピジン語とクレオール語のライフサイクル説に対して懐疑的である.とりわけ expanded pidgin とcreole の関係について,両者は向かっている方向がむしろ逆であり,連続体とみなすのには無理があるとしている.
There are . . . significant reasons for not lumping expanded pidgins and creoles in the same category, usually identified as creole and associated with the fact that they have acquired a native speaker population. . . . [T]hey evolved in opposite directions, although they are all associated with plantation colonies, with the exception of Hawaiian Creole, which actually evolved in the city . . . . Creoles started from closer approximations of their 'lexifiers' and then evolved gradually into basilects that are morphosyntactically simpler, in more or less the same ways as their 'lexifiers' had evolved from morphosyntactically more complex Indo-European varieties, such as Latin or Old English. According to Chaudenson (2001), they extended to the logical conclusion a morphological erosion that was already under way in the nonstandard dialects of European languages that the non-Europeans had been exposed to. On the other hand, expanded pidgins started from rudimentary language varieties that complexified as their functions increased and diversified.
引用内で触れられている Chaudenson も同じ趣旨で論じているように,creole は語彙提供言語(通常は植民地支配者たるヨーロッパの言語)と地続きであり,それが簡易化したものであるという解釈だ (cf. 「#1842. クレオール語の歴史社会言語学的な定義」 ([2014-05-13-1])) .一方,pidgin は語彙提供言語とは区別されるべき混成語であり,その発展形である expanded pidgin は pidgin が徐々に多機能化し,複雑化してきた変種を指すという考えだ.つまり,広く受け入れられている pidgin → expanded pidgin → creole という発展のライフサイクル観は,事実を説明しない.実際,19世紀終わりまでは pidgin と creole の間にこのような発展的な関係は前提とされていなかった.言語学史的には,20世紀に入ってから Bloomfield などが発展関係を指摘し始めたにすぎない (Mufwene 48) .
creole が,印欧諸語の単純化の偏流 (drift) の論理的帰結であるという主張は目から鱗が落ちるような視点だ.Mufwene の次の指摘にも目の覚める思いがする."Had linguists remembered that the European 'lexifiers' had actually evolved from earlier, more complex morphosyntaxes, they would have probably taken into account more of the socioeconomic histories of the colonies, which suggest a parallel evolution" (48) .
Mufwene のクレオール語論,特に植民地史における homestead stage と plantation stage の区別と founder principle については,「#1840. スペイン語ベースのクレオール語が極端に少ないのはなぜか」 ([2014-05-11-1]) と「#1841. AAVE の起源と founder principle」 ([2014-05-12-1]) を参照されたい.
・ Mufwene, Salikoko. "Creoles and Creolization." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 46--60.
昨日の記事「#1591. Crystal による英語話者の人口」 ([2013-09-04-1]) で,Crystal による2001年付けでの英語話者人口の推計を示した.Crystal (69) の脚注に,最近の他の研究者による推計が触れられている.
It is interesting to compare estimates for first (L1), second (L2) and foreign (F) language use over the past 40 years.
-- in Quirk (1962: 6) the totals for first (L1), second (L2) and foreign (F) were 250 (L1) and 100 (L2/F);
-- during the 1970s these totals rose to 300 (L1), 300 (L2) and 100 (F) (cf. McArthur (1922: 355));
-- Kachru (1985: 212) has 300 (L1), 300--400 (L2) and 600--700 (F);
-- Ethnologue (1988) and Bright (1992: II.74), using a Time estimate in 1986, have 403 (L1), 397 (L2) and 800 (F);
-- during the 1990s the L1 and L2 estimates rise again, though with some variation. The Columbia Encyclopedia (1993) has 450 (L1), 400 and 850 (F). Ethnologue (1992), using a World Almanac estimate in 1991, has 450 (L1) and 350 (L2).
それぞれの推計の変動幅は決して小さくはなく,どれを信用すべきか迷うところだ.様々な推計の平均値をとるという方法も,1つの便宜的な方法かもしれない.
この種の人口統計はある程度の不確かさを伴うのが常だが,とりわけ英語話者数というような統計には多くの困難がついてまわる.その理由を挙げてみよう.
(1) この目的のために世界的な規模で利用できる統計がない (Crystal 61) .
(2) 昨日の Crystal の推計に関連して触れたように,主として Expanding Circle に属する EFL 話者の数を正確に把握することはとりわけ難しい.例えば,21世紀初頭において,世界的に英語学習者の増加率が高まってきていることは確かだが,具体的にどの程度の増加率かを正確に言い当てる直接的な方法はない.
(3) 人口統計においても英語話者を ENL, ESL, EFL と区分するモデルが用いられることが多いが,その境目がはっきりしない.また,それぞれの国・地域が上記のいずれかの区分に当てはまるという前提が立てられているが,実際には両者は厳密に対応しないことも多い.ENL と ESL の国・地域では,英語が "special place" を占めていることが前提とされているが,"special place" とは実際の英語使用度や理解度によってではなく歴史的・政治的な要因によって与えられるものにすぎない.
(4) 「英語を話せる」レベルをどこに設定するか,客観的な基準がない.レベルを下げれば ESL や EFL の話者が数億人単位で増えるし,レベルを上げれば話者数は減る.
(5) どの変種を英語の一種とみなすかについて合意がない.ピジン英語やクレオール英語は英語の一種としてみなすべきだろうか.相互理解可能性を問題にするのであれば,多くのピジン英語やクレオール英語は英語でないという結論になりそうだが,「#1499. スカンジナビアの "semicommunication"」 ([2013-06-04-1]) でも触れたように,理解度は言語的な距離のほかに話し手と聞き手の態度も大きく影響する.また,「#385. Guyanese Creole の連続体」 ([2010-05-17-1]) で触れた post-creole continuum のように,どこからが標準変種でどこからがピジン・クレオール変種なのかが判然としない例もある.
・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
世界には英語ベースのピジン語やクレオール語が30以上存在するといわれている.[2010-07-15-1], [2010-07-16-1]で見たように,ピジン語やクレオール語の定義や起源に曖昧な点があるので正確に数えることは難しいが,名前がついているものを挙げると30以上になるという.McArthur (177) よりその一覧を再現しよう.
(1) Africa
Gambian Creole or Aku; Krio and pidginized Krio in Sierra Leone; Liberian Creole; Ghanaian Pidgin; Togolese Pidgin; Nigerian Pidgin (creolized in urban areas); Kamtok in Cameroon (creolized in urban areas; see [2010-06-13-1], [2010-06-14-1]); Bioku Pidgin on Fernando Po.
(2) North America (All in the United States)
Afro-Seminole Creole; Amerindian Pidgin (most varieties now extinct); Black English Vernacular (status controversial); Sea Island Creole, or Gullah; Hawaii Pidgin and Creole.
(3) Central America, the Caribbean, and the neighbouring South America
Bahamian Creole; Barbadian Creole; Belizean Creole; Costa Rican Creole; Guyanese Creolese (sic) (see [2010-05-17-1]); Jamaican Creole or Nation Language or Patwa; Leeward Island Creole(s); Nicaraguan Creole; Surinamese Djuka or Aukan, Saramaccan, and Sranan (see [2010-06-05-1]); Trinidad and Tobago Creole(s) or Trinibagianese or Trinbagonian; Virgin Islands Creole; Windward Island Creole(s).
(4) Australasia-Pacific Ocean
Bislama (Vanuatu), Hawaii Pidgin and Creole, Pijin (the Solomon Islands), Kriol or Roper River Pidgin/Creole (northern Australia), Pitcairnese and Norfolkese (Pitcairn Island and Norfolk Island), Tok Pisin/Neo-Melanesian (Papua-New Guinea), Torres Straits Broken/Creole.
世界中にむらなく分布しているというよりは,英米の植民地史を反映して局地的に分布していることがよくわかる.これらの遠心性をもつ「英語」が,求心性をもつ世界標準英語 (World Standard English)や標準英米変種などの主要な標準変種に対して今後どのように位置づけられてゆくかが注目される.というのは,これらの「英語話者」は今後続々と教育の普及などによって post-creole continuum の階段を上り,標準変種を獲得し,かっこ付きでない英語話者となることが見込まれるからだ.しかも,束になれば相当な人口である.
これらのピジン語やクレオール語が話される地域のみを選んで旅したら,英語観が変わってくるかもしれないな・・・.
ピジン語やクレオール語に関するリンクをいくつか張っておく.
・ Society for Pidgin and Creole Linguistics: 学会のサイト
・ Pidgin and Creole Languages: ピジン語・クレオール語入門
・ Tok Pisin Translation, Resources, and Discussion: Tok Pisin/English 辞書あり
・ Jamaican Creole Texts: クレオール語とピジン語関係のリンクもあり
・ McArthur, Tom. The English Languages. Cambridge: CUP, 1998.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow