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2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
日本語で「火鉢」といえば,歴史文化的な用語なりつつあるものの「灰を入れ,炭火をいけて使う暖房具」(『岩波国語辞典第六版』)であることは本ブログ読者には了解されよう.しかし,この日本語単語をソースとして英語に借用された hibachi は,なんとワビもサビもないバーベキュー道具を指す用語となり下がっていたことをご存じだろうか.LDOCE 第2版2によれば,"a small piece of equipment for cooking food outdoors, over burning charcoal" とある通りである.
暖を取るはずの「火鉢」が料理用具の hibachi として英語で用いられているというのは驚くべきことだが,このような食い違いは,実際には言語間の語の借用においてしばしばみられることである.ある文化に特有の単語が,別の文化に誤解されて吸収されていくというのはまったくの日常茶飯事である.「火鉢」と hibachi のような関係を表わすのに "false friends" (Fr. "faux amis") という名前がつけられているほどだ.このような事態に対して借用元の言語の母語話者が抗議する気持ちは分からないでもないが,借用先の言語にいったん取り込まれてしまえば,もう手遅れというのが言語における借用のならいである.この問題については,お互い様というほかない.
現在進行中とおぼしき類例として,senpai 「先輩」を挙げられるかもしれない.「英語史導入企画2021」のために昨日学部生よりアップされたコンテンツ「『先輩』が英語になったらどういう意味だと思いますか」では,この日本語発の英単語が取り上げられている.
同コンテンツにあるように,senpai 「先輩」は,借用の最初期においては,本来の日本語の語義に忠実に「学校や会社などの社会集団において自分よりも年上の人や,自分よりも早くからその環境に身を置いている人」を意味するものとして借用されていたようだ.しかし,今や新しい語義「(典型的な学園ものの少女マンガにおける男子の先輩のように)自分の気持ちに気づいてくれない人」が発達しつつあるという.下級生の女子生徒が,思いを寄せる先輩男子生徒を senpai 「先輩」と呼ぶ,あの特有の雰囲気から生じてきたものらしい.英単語 senpai は,今やアニメファンの界隈において新しいコノテーションを獲得しつつ,独特な用法をも発達させているようなのだ.
もっとも,senpai という語やその新語義が狭い界隈から抜け出して,より広く用いられることになるかどうかは分からない.いまだ主要な英語辞書にも登録されておらず,日本語からの借用語の最先端の事例といえそうだ.hibachi と似たような語義展開をたどっていくのだろうか.今後の展開が楽しみである.
関連して「#142. 英語に借用された日本語の分布」 ([2009-09-16-1]) も参照.
標題は,少々ハッタリ的であることは認めながらも,英語史的には真剣に考えておきたいテーマです.
普通の文(平叙文)に関する限り,英語史を通じて主語 (S) +動詞 (V) という SV 語順が優勢だったことは間違いありません.現在,ほぼ完全に SV で固まっているといってよいでしょう.しかし,千年ほど前の古英語期においても同様に SV がほぼ完全なるデフォルト語順だったといえるかというと,必ずしもそうではありません.VS 語順が,まま見られたからです.
目下「英語史導入企画2021」が進行中ですが,昨日大学院生により公表されたコンテンツはこの辺りの問題を専門的に扱っています.「英語の語順は SV ではなかった?」をご覧ください.
このコンテンツでは,1週間ほど前の「#4378. 古英語へようこそ --- 「バベルの塔」の古英語版から」 ([2021-04-22-1]) でも取り上げられた,旧約聖書「バベルの塔」の古英語版,中英語版,近代英語版,現代英語版を用いた通時的比較がなされています (cf. 「#2929. 「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2017-05-04-1])).各時代版の「バベルの塔」のくだりに関して,各文の語順を丁寧に比較したものです.その結果,古い時代であればあるほど VS 語順が出現していることが確認されました.古い時代とて,平叙文の基本語順が SV だったことは確かなのですが,マイノリティながら VS 語順も可能だったのです.
この事実は多くの英語学習者にとって衝撃的ではないでしょうか.英語の基本語順は SV であるとたたき込まれてきたはずだからです.しかし,考えてみれば現代英語にも周辺的とはいえ Here comes (V) the train (S). や In no other part of the world is (V) more tea (S) consumed than in Britain. のように,副詞句が文頭に現われる平叙文において語順が VS となる例は存在します.
上記から何が言えるでしょうか.今回のコンテンツにある通り,現代英語の「文型」として8文型や5文型など様々な分類があります.しかし,これらの定式化された語順も歴史を通じて固まってきたものであり,古くはもっと自由度が高かったということです.平叙文ですら SV ならぬ VS が一定程度の存在感を示していた時代があり,しかも後者の余韻は現代英語にも周辺的ながらも残っているという点が重要です.
言語の歴史においては,語順という基本的な項目ですら,変化することがあり得るということです.私が初めてこの事実を知ったのは大学生のときだったでしょうか,腰を抜かしそうになりました.
語順の推移の問題は一筋縄ではいかず,相当に奥が深いテーマです.単に形式的な問題にとどまらず,リズムや情報構造など様々な観点から考察すべき総合的な問題なのです.
昨日,学部生よりアップされた「英語史導入企画2021」の20番目のコンテンツは,goodbye の語源を扱った「goodbye の本当の意味」です.
God be with ye (神があなたとともにありますように)という接続法 (subjunctive) を用いた祈願 (optative) の表現に由来するとされます.別れ際によく用いられる挨拶となり,著しく短くなって goodbye となったという次第です.ある意味では「こんにちはです」が「ちーす」になるようなものです.
しかし,ここまでのところだけでも,いろいろと疑問が湧いてきますね.例えば,
・ なぜ God が good になってしまったのか?
・ なぜ be が bye になってしまったのか?
・ なぜ with ye の部分が脱落してしまったのか?
・ そもそも you ではなく ye というのは何なのか?
・ なぜ祝福をもって「さようなら」に相当する別れの挨拶になるのか?
いずれも英語史的にはおもしろいテーマとなり得ます.上記コンテンツでは,このような疑問のすべてが扱われているわけではありませんが,God be with ye から goodbye への変化の道筋について興味をそそる解説が施されていますので,ご一読ください.
とりわけおもしろいのは,別れの挨拶として日本語「さようなら(ば,これにて失礼)」に感じられる「みなまで言うな」文化と,英語 goodbye (< God be with ye) にみられる「祝福」文化の差異を指摘しているところです.
確かに英語では (I wish you) good morning/afternoon/evening/night から bless you まで,祝福の表現が挨拶その他の口上となっている例が多いように思います.高頻度の表現として形態上の縮約を受けやすいという共通点はあるものの,背後にある「発想」は両言語間で異なっていそうです.
この4月を通じて宣伝してきた「英語史導入企画2021」も,そろそろ折り返し地点にたどり着きます.大学院と学部の英語史ゼミのメンバーが日々「英語史コンテンツ」を提供するという,年度初め限定のキャンペーンを展開しています.
4月6日に公表された初回コンテンツは,「#4362. 「英語史導入企画2021」がオープンしました」 ([2021-04-06-1]) で紹介した「be surprised at―アッと驚くのはもう古い?(1)」でした.英語学習者の誰もが習う be surprised at ですが,最近では be surprised by も多くなっているという衝撃の事実(?)を指摘した大学院生によるコンテンツでした.
それを受けて昨日アップされたのは,同院生による第2弾「be surprised at―アッと驚くのはもう古い?(2)」です.前回は現代英語の諸変種に焦点を当てた「共時的」な内容でしたが,今回はいよいよ英語史的の醍醐味ともいえる「通時的」なアプローチでの分析です.おお,そうなのか!という驚きの事実が明らかになります.英語史導入企画としてナイスです,ぜひどうぞ.
私もその洞察に刺激を受け,18--19世紀辺りの分布はどうだったのだろうと,後期近代英語のコーパス CLMET3.0 でちらっと検索してみました.70年刻みの3期に分け,(be 動詞はあえて指定せず)surprised at と surprised by でヒット数を単純に比較してみました.
Period | surprised at | surprised by |
---|---|---|
1710--1780 | 158 | 40 |
1780--1850 | 189 | 55 |
1850--1920 | 157 | 30 |
日本英語英文学会30周年記念号として,こちらの本が出版されています(先日ご献本いただきまして,関係の先生方には感謝申し上げます).
・ 渋谷 和郎・野村 忠央・女鹿 喜治・土居 峻(編) 『今さら聞けない英語学・英語教育学・英米文学』 DTP出版,2020年.
上記リンク先より目次が閲覧できますが,英語学・英語教育学・英米文学の各分野から,重要なキーワード,トピック,テーマが厳選されています.ページがきれいに偶数で揃っていることからも想像できる通り,すべての話題がページ見開きで簡潔に記述されているというのが本書の最大の特徴だと思います.ありそうでなかった試みとして,この工夫には感心してしまいました.各々の記述は簡潔ではあるものの,他の文献への参照も多く施されており,卒業論文やレポートなどの研究テーマ探しにもたいへん役立つのではないかと思いました(私自身もさっそくゼミ生などに紹介しました).
英語学分野で取り上げられている話題を一覧すると,各著者の専門分野に応じて理論的なものから文献学的ものまで幅広くカバーされていますが,ここでは英語史の観点から2つほどピックアップしてみます.
野村忠央氏による「定形性」(§52)は,動詞の定形 (finite form) と非定形 (non-finite form) という用語・概念に関する導入となっています.英語史において動詞の現在形,接続法(あるいは仮定法),命令形,不定詞は形態がおよそ「原形」に収斂してきた経緯がありますが,形態が同じだからといって機能が同じわけではないことが理論的かつ平易に解説されています.また,形が常に一定で変わらないのに「不定詞」という呼び方はおかしいのではないか,という誰しもが抱く疑問にも易しく答えています.
定形とも非定形とも考えられそうな歴史上の「接続法現在」について,村上まどか氏が「仮定法原形」(§64)で取り上げているので,こちらも紹介します.I demand that the student go to school regularly. のような文における go の形態や関連する統語を巡る問題です.この問題についていくつかの参考文献を挙げながら解説し,この用法においては that 節が省略されにくいなどの興味深い事実を指摘しています.こちらも英語史上の重要問題です.
上記2つの問題と関連する hellog からの記事セットをこちらにまとめましたので,関心のある方はどうぞ.
本書で参照されている参考文献を利用して視野を広げていけば,よい研究テーマにたどり着く可能性があります.教育的配慮の行き届いた書としてお薦めします.
・ 渋谷 和郎・野村 忠央・女鹿 喜治・土居 峻(編) 『今さら聞けない英語学・英語教育学・英米文学』 DTP出版,2020年.
friend という当たり前の単語を英語史的に考察するとどうなるでしょうか? これがとてもおもしろいのです.ぜひ英語史コンテンツ「友達と恋人の境界線」をご覧ください.連日「英語史導入企画2021」にて英語史コンテンツを届けしていますが,今回のものは昨日学部ゼミ生により公表されたものです.3ページほどの短い文章のなかに friend という語の歴史スペクタクルが詰まっています.
friend と聞いて最初に思い浮かべる語義は「友達」でしょう.しかし,この語にはほかに「恋人」 (cf. boyfriend, girlfriend),「味方;支持者」,「親類」などの語義もあります.この様々な語義は,広く「身内」を意味するものとまとめられますが,細かな使い分けはおよそ文脈に依存し,なかなか使いこなすのが難しい語なのです.
friend の多義性は,この語が印欧祖語の時代以降,意味変化を繰り返してきた結果といえます.語の意味変化というのは,ビフォーとアフターがスパッと切り替わるというよりも,古い語義の上に新しい語義が積み重なるという「累積性」を示すことのほうが多いものです.つまり,語義Aが語義Bにシフトするというよりは,語義Aの上に語義Bが付け加えられるというケースが多いのです.friend もそのような語でした.
上記コンテンツでも詳述されていることですが,friend の意味変化について,語の意味変化に特化した Room の辞典より,同語の項を引用しておきたい.
friend ('one joined to another in mutual benevolence and intimacy' [Johnson])
In Old English, 'friend' meant 'lover', a sense exploited by Shakespeare in Love's Labour's Lost (1588), where Berowne says to Rosaline:
O! never will I trust to speeches penn'd
Nor to the motion of a school-boy's tongue,
Nor never come in visor to my friend,
Nor woo in rime, like a blind harper's song.
Something of this sense survives in modern 'girlfriend' and 'boyfriend'. From the twelfth century, too, 'friend' was frequently used to mean 'relative', 'kinsman', so that the Ordynarye of Cristen Men (1502) tells of 'All the sones & doughters of Adam & of Eue the which were our fyrst frendes', and in Shakespeare's Two Gentlemen of Verona (1591) the Duke, speaking to Valentine of his daughter Silvia, says:
But she I mean is promis'd by her friends
Unto a youthful gentleman of worth.
Even today, someone can speak of his or her 'friends', meaning relatives. ('I'm going to stay the night with friends.')
上記コンテンツの内容と関連して,friend の綴字・発音の問題およびグリムの法則 (grimms_law) について,こちらの記事セットも要参照.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
新年度初めのイベントとして立ち上げた「英語史導入企画2021」では,日々学生から英語史に関するコンテンツがアップされてくる.昨日は院生による「英語 --- English --- とは」が公表された.英語のルーツが印欧祖語にさかのぼることを紹介する,まさに英語史導入コンテンツである.
本ブログを訪れている読者の多くにとっては当前のことと思われるが,英語はゲルマン語派に属する1言語である.しかし,一般には英語がラテン語(イタリック語派の1言語)から生まれたとする誤った理解が蔓延しているのも事実である.ラテン語は近代以降すっかり衰退してきたとはいえ,一種の歴史用語として抜群の知名度を誇っており,同じ西洋の言語として英語と関連があるにちがいないと思われているからだろう.
一方,少し英語史をかじると,英語にはラテン語からの借用語がやたら多いということも聞かされるので,両言語の語彙には共通のものが多い,すなわち共通のルーツをもつのだろう,という実はまったく論理的でない推論が幅を利かせることにもなりやすい.
英語はゲルマン系の言語であるということを聞いたことがあると,もう1つ別の誤解も生じやすい.英語はドイツ語から生まれたという誤解だ.英語でドイツ語を表わす German とゲルマン語を表わす Germanic が同根であることも,この誤解に拍車をかける.
本ブログの読者の多くにとって,上記のような誤解が蔓延していることは信じられないことにちがいない.では,そのような誤解を抱いている人を見つけたら,どのようにその誤解を解いてあげればよいのか.簡単なのは,上記コンテンツでも示してくれたように印欧語系統図を提示して説明することだ.
しかし,誤解の持ち主から,そのような系統図は誰が何の根拠に基づいて作ったものなのかと逆質問されたら,どう答えればよいだろうか.これは実のところ学術的に相当な難問なのである.19世紀の比較言語学者たちが再建 (reconstruction) という手段に訴えて作ったものだ,と仮に答えることはできるだろう.しかし,再建形が正しいという根拠はどこにあるかという理論上の真剣な議論となると,もう普通の研究者の手には負えない.一種の学術上の信念に近いものでもあるからだ.であるならば,「英語のルーツは○○語でなくて△△語だ」という主張そのものも,存立基盤が危ういということにならないだろうか.突き詰めると,けっこう恐い問いなのだ.
「英語史導入企画2021」のキャンペーン中だというのに,小難しい話しをしてしまった.むしろこちらの方に興味が湧いたという方は,以下の記事などをどうぞ.
・ 「#369. 言語における系統と影響」 ([2010-05-01-1])
・ 「#371. 系統と影響は必ずしも峻別できない」 ([2010-05-03-1])
・ 「#862. 再建形は実在したか否か (1)」 ([2011-09-06-1])
・ 「#863. 再建形は実在したか否か (2)」 ([2011-09-07-1])
・ 「#2308. 再建形は実在したか否か (3)」 ([2015-08-22-1])
・ 「#864. 再建された言語の名前の問題」 ([2011-09-08-1])
・ 「#2120. 再建形は虚数である」 ([2015-02-15-1])
・ 「#3146. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (1)」 ([2017-12-07-1])
・ 「#3147. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (2)」 ([2017-12-08-1])
・ 「#3148. 言語における「遺伝的関係」の基本単位は個体か種か?」 ([2017-12-09-1])
・ 「#3149. なぜ言語を遺伝的に分類するのか?」 ([2017-12-10-1])
・ 「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1])
・ 「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1])
この4月にゼミの学部生・院生で立ち上げた「英語史導入企画2021」より,昨日アップされたコンテンツとして「「社会的」な「距離」って結局何?」を紹介します.悲しいかな,今を時めく語となってしまった日本語「ソーシャル・ディスタンス」と英語の social distance/social distancing に関する話題です.英語のこの2つの表現について,OED を用いて丁寧に情報を整理してもらいました.
この話題は,およそ1年前から日本国内のみならず世界中で話題にされていましたね(あれから早1年ですが,まだ「渦中」ならぬ「禍中」というのが悲しい現実です).日本語では「ソーシャル・ディスタンス」が定着した感がありますが,英語では social distancing という表現のほうが一般的です.distance という純粋な名詞というよりも distancing という動詞由来の名詞を用いることで「距離を取る」という動詞本来の動作・行為が前面化していると考えられます.ただし,いったん日本語に取り込まれれば,もともとの英語における名詞と動詞名の区別などは吹き飛んでしまうわけなので,音節数の少ない「ソーシャル・ディスタンス」のほうが好まれたということではないかと,私は理解しています.
コロナ禍に見舞われたこの1年余,言語学者もただただ巣ごもりしていたわけではありません.「#4129. 「コロナ禍と英語」ならこれしかないでしょ! --- OED の記事より」 ([2020-08-16-1]),「#4339. American Dialect Society による2020年の "Word of the Year" --- Covid」 ([2021-03-14-1]) などから分かる通り,むしろ精力的といえる仕事がなされてきましたし,Coronavirus Corpus なるコーパスも出現しているのです.このコーパスは,2020年1月から現在までのコロナ関連のニュースを集めた9億7300万語からなるコーパスです.単純検索にすぎませんが,social distance は17,180件,social distancing は243,636件がヒットしました.つまり,後者のほうが15倍近く多く用いられていることが確認されたのです.
この1年間,人類がなすべきだったことは social distancing ではなく physical distancing ではなかったのかという表現の選択に関する問題点は,早い段階から WHO も指摘しており,私自身もずっと気になっていました.しかし,上記コンテンツでも述べられている通り,social distancing のように「一度定着してしまったものを違う語に置き換えることは容易ではないの」でしょう.
本来の「形容詞+名詞」からなる名詞句 social distance/social distancing は「社会的な距離(を取ること)」という予測可能な意味をもっていたはずです.しかし,この表現は実態としてはもっぱら「物理的な距離(を取ること)」(典型的には2メートルと言われていますね)を意味します.つまり,意味的な予測可能性が減じているのです.名詞句ではなく,複合名詞という単位に近づいていると言い換えてもよいでしょう.つまり,語彙(項目)化 (lexicalisation) の例なのです.
ちなみに,social distance/social distancing は,本ブログでも,現在の感染症とは無関係に社会言語学上の用語として用いてきた経緯がああります.「#1127. なぜ thou ではなく you が一般化したか?」 ([2012-05-28-1]) と「#1935. accommodation theory」 ([2014-08-14-1]) で用いていますので,そちらも参照.
私の大学では,英語史を導入する授業のほかに古英語 (Old English) を導入する授業も開講されている.年度初めの4月には,学生から悲鳴やため息が必ず聞こえてくる.これまでもっぱら現代英語に接してきた学生にとって,古英語という言語はあまりに異質に映り,事実上新たな外国語を学び始めるのと同じことだと分かってしまうからだ.
しかし,数週間たって少しずつ慣れてくると,確かにかなり異なるけれども同じ英語といえばそうだなという意識が芽生えてくるようだ.特に語彙のレベルで,古英語の初見の語と現代英語の既知の語が結びつくという経験,つまり語源を知る魅力を何度か味わうと,古英語が身近に感じられてくるのだと思う.
その古英語を本ブログでもちらっと導入してみたい.旧約聖書より「バベルの塔」のくだりの古英語訳を以下に示そう.
Wæs þā ān gereord on eorþan, and heora ealre ān sprǣc. Hī fērdon fram ēastdēle oð þæt hī cōmon tō ānum felde on þām lande Sennar, and þēr wunedon. Ðā cwǣdon hī him betwȳnan, “Vton wyrcean ūs tigelan and ǣlan hī on fȳre.” Witodlīce hī hæfdon tigelan for stān and tyrwan for weall-līm. And cwǣdon, “Cumað and utan wircan ūs āne burh and ǣnne stȳpel swā hēahne ðæt his rōf ātille þā heofonan, and uton mǣrsian ūrne namon, ǣr þan wē bēon tōdǣlede tō eallum landum.” God þā nyþer āstāh, þæt hē gesēga þā burh and þone stȳpel þe Adames sunus getimbroden. God cwæð þā, “Efne þis his ān folc and gereord him ealum, and hī ongunnon þis tō wircenne; ne hī ne geswīcað heora geþōhta, ǣr þan þe hī mid weorce hī gefyllan. Cumað nū eornostlīce and uton niþer āstīgan and heora gereord þēr tōwendon, þæt heora nān ne tōcnāwe his nēxtan stemne.” And God þā hī tōdǣlde swā of þǣre stōwe tō eallum landum, and hī geswicon tō wyrcenne þā buruh. And for þī wæs sēo burh gehāten Babel, for þan þe ðǣr wæs tōdǣled þæt gereord ealre eorþan. God þā hī sende þanon ofer brādnesse ealra eorðan.
これだけではチンプンカンプンだと思うので,「#2929. 「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2017-05-04-1]) を覗いてほしい(上記古英語版もこの記事の (1) を再掲したもの).聖書は英語の歴史の異なる段階で何度も英語訳されてきたので,通時的な比較が可能なのである.現代英語版と丁寧に比較すれば,古英語版との対応関係がうっすらと浮かび上がってくるはずだ.
古英語版と現代英語版の語彙レベルでの対応について,昨日「英語史導入企画2021」のために院生が「身近な古英語5選」というコンテンツを作成してくれた.上で赤で示した fērdon, wyrcean/wircan/wyrcenne, burh, getimbroden, tōdǣlede/tōdǣlde の5種類の語を取り上げ,現代英語(やドイツ語)に引きつけながら解説してくれている.古英語の導入として是非どうぞ.
「英語史導入企画2021」の一環として昨日学部ゼミ生より提供されたされたのは「MAZDA Zoom-Zoom スタジアムの Zoom って何」という,非常に身近に感じられる話題.擬音語やオノマトペ (onomatopoeia) に関心がある向きには「へぇ,なるほど」と読めるコンテンツだと思います.
コンテンツ内で詳述されているとおり,車がエンジンを吹かして疾走する音は日本語では「ブーン」辺りが一般的ですが,英語では zoom などとなるわけですね./z/ と /b/ は子音として調音点も調音様式も異なっており,普通は結びつかない2音だと思います.英語耳と日本語耳とではかなりの差があるということでしょうか.(別の学生より,zip (ビュッ)の例も挙がってきました.)
ここで思い出したのが,以前私が書いた「#4196. なぜ英語でいびきは zzz なのですか?」 ([2020-10-22-1]) です.日本語のいびきの音「グーグー」に対して,英語では zzz と発音・表記されることはよく知られています.しかし,zzz は本来はいびきの音というよりも虫の羽音を表わす擬音語としてスタートしました.日本語で虫の羽音といえば「ブーン」や「ブンブン」が典型だと思いますが,ここでも英語の /z/ と日本語の /b/ が対応していることになりますね.英語耳と日本語耳はおおいに違っていそうですが,その違い方にはパターンがあるのかもしれません.
一般に言語学では,オノマトペは言語の恣意性 (arbitrariness) の反例を提供するといわれます.これは,言語が異なってもそこそこ似てくるものだということを含意しています.しかし,上記の日英両言語の対応例をみていると,だいぶん違うなあという印象を抱きますね.「#3850. 英語の動物の鳴き声」 ([2019-11-11-1]) なども日英語を比べてみると,いろいろと発見があると思います.
4月5日にスタートした「英語史導入企画2021」も,3週目に突入しました.学部・院のゼミ生を総動員しての,5月末まで続く少々息の長い企画なのですが,本ブログ読者の皆さんにも懲りずにお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます.毎日,コンテンツを提供する学生のガッツを感じながら,私自身がおおいにインスピレーションをゲットしています.年度初めとして,なかなかフレッシュでナイスなオープニングです.
さて,上の段落では,いやらしいほどにカタカナ語を使い倒してみました.英語が嫌いな人,横文字が嫌いな人には,ケッと吐いて捨てたくなるような文章だろうと思います(うーむ,我ながら軽薄な文章).昨日,本企画ために院生よりアップされたコンテンツは「英語嫌いな人のための英語史」と題する,このカタカナ語嫌いに寄り添った考察です.その冒頭の2つの段落の出だしが,何とも歯切れよく心地よいですね.
「一生英語を使わなくてもいい環境で暮らしてやる」……このような恨みつらみのこもった台詞は,英語嫌いの人間ならば一度は発したことがあるだろう.そして,何を隠そう,十年ほど前,中学生・高校生だったころの筆者自身が毎日のようにこぼしていた言葉でもあった.
英語嫌いの人間が辟易するのは,まずもって,世の中に氾濫している横文字の多さであるだろう.レガシー,コミット,アカウンタビリティ……なぜそこで英語を(あるいは英語由来の和製英語を)使わなければならないのかと,ニュースなどを見ながら突っ込みたくなる日々である.
これは読みたくなるコンテンツではないでしょうか.内容としては,現代日本で英語と向き合っている生徒・学生と,17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民とを,空間・時間を超えて比較した英語史の好コンテンツとなっています.
現代日本語におけるカタカナ語とルネサンス期イングランドのラテン借用語を巡る比較対照は,対照言語史 (contrastive_language_history) の観点から興味の尽きないテーマです.一般に2つのものを比較しようとする際には,共通点だけでなく相違点に留意することも重要です.上記コンテンツでは,意図的に両者の共通点を拾い出して近づけて見せているわけですが,あえて相違点に注目することで,先の共通点の意義を浮かび上がらせることができます.以下に2点指摘しておきましょう.
1点目.現代日本で英語と向き合っている生徒・学生,とりわけ「英語なんて嫌い」と吐き捨てるタイプと,17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民とでは,各言語に対する思いがかなり異なります.「英語なんて嫌い」の背景には,逆説的に英語に対する「憧れ」があるのではないかというコンテンツでの指摘は当たっていると私も思います.しかし,17世紀イングランドの庶民はラテン語を「嫌い」と吐き捨ててはいなかったでしょう.ラテン語は,もっと純粋な「憧れ」,手に届かないところにいる「スター」に近いものではなかったでしょうか.
両者の違いは,端的にいえば,むりやり学ばされているか否かにあります.現代日本では,たとえ英語が「憧れ」だったとしても,義務教育で強制的に学ばされるという意味では,現実の学習上の「苦労」がセットになっています.学校で学ぶべき「科目」となっていては,好きなものも好きではなくなるはずです.17世紀イングランドでは,庶民にとってラテン語学習はおろか教育の機会そのものがまだ高嶺の花であり,現実の学習上の「苦労」とは無縁なために,「憧れ」は純然たる憧れとして生き延び得たのです.
2点目は,17世紀イングランドではラテン借用語が inkhorn_term として批判されたというのは事実ですが,批判の主は,若い生徒・学生でもなければ庶民でもなく,バリバリの知識人でした.Sir John Cheke (1514--57) のようなケンブリッジ大学の古典語教授が,借用語を批判していたほどなのです.この状況は,どう控えめにみても,日本の英語嫌いの生徒・学生がカタカナ語に悪態をついているのとは比較できないように思われます.
もちろん,2つのものを比較対照するときに,共通点を重視して「比較」の議論にもっていくか,相違点を重視して「対照」の議論にもっていくかは,論者の方針次第でもあり,言ってしまえばレトリックの問題でもあります.いずれにしても比較する場合には相違点に,対照する場合には共通点に注意しておくと考察が深まる,ということを述べておきましょう.
関連する話題は,本ブログとしては「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]),「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) その他の記事で扱ってきました.いろいろとリンクを張っているので,是非そちらをどうぞ.
一ヶ月ほど前に「#4340. NHK『中高生の基礎英語 in English』の新連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」がスタートします」 ([2021-03-15-1]) で紹介した通り,新年度に向けて開講された新講座「中高生の基礎英語 in English」のテキストのなかで,英語のソボクな疑問に関する連載を始めています.中高生向けに「ミステリー仕立ての謎解き」というモチーフで執筆しており,英語史の超入門というべきものとなっていますので,関心のある方は是非どうぞ.先日5月号のテキストが発刊されましたので,ご案内します.
5月号の連載第2回で取り上げた話題は,不規則な複数形の代表例といえる feet についてです.なぜ *foots ではなく feet になるのでしょうか.
本ブログでも「#157. foot の複数はなぜ feet か」 ([2009-10-01-1]),「#2017. foot の複数はなぜ feet か (2)」 ([2014-11-04-1]),「#4304. なぜ foot の複数形は feet なのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2021-02-07-1]),「#4320. 古英語にはもっとあった foot -- feet タイプの複数形」 ([2021-02-23-1]) で扱ってきた問題ですが,この語が歴史的にたどってきた複雑な変化を,「磁石」の比喩を用いて,これまで以上に分かりやすく解説しました.どうぞご一読ください.
英語の話題を扱うのに,日本語的な「訓読み」(や「音読み」)という用語を持ち出すのは奇異な印象を与えるかもしれないが,実は英語にも音訓の区別がある.そのように理解されていないだけで,現象としては普通に存在するのだ.表記のように No. 1 という表記を,英語で "number one" と読み下すのは,れっきとした訓読みの例である.
議論を進める前に,そもそもなぜ "number one" が No. 1 と表記されるのだろうか.多くの人が不思議に思う,この素朴な疑問については,「英語史導入企画2021」の昨日のコンテンツ「Number の略語が nu.ではなく, no.である理由」に詳しいので,ぜひ訪問を.本ブログでも「#750. number の省略表記がなぜ no. になるか」 ([2011-05-17-1]) や「#4185. なぜ number の省略表記は no. となるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-10-11-1]) で取り上げてきたので,こちらも確認していただきたい.
さて,上記のコンテンツより,No. 1 という表記がラテン語の奪格形 numerō の省略表記に由来することが確認できたことと思う.英語にとって外国語であるラテン語の慣習的な表記が英語に持ち越されたという意味で,No. 1 は見映えとしては完全によそ者である.しかし,その意味を取って自言語である英語に引きつけ,"number one" と読み下しているのだから,この読みは「訓読み」ということになる.
これは「昨日」「今日」「明日」という漢語(外国語である中国語の複合語)をそのまま日本語表記にも用いながらも,それぞれ「きのう」「きょう」「あした」と日本語に引きつけて読み下すのと同じである.日本語ではこれらの表記に対してフォーマルな使用域で「さくじつ」「こんにち」「みょうにち」という音読みも行なわれるが,英語では No. 1 をラテン語ばりに "numero unus" などと「音読み」することは決してない.この点においては英日語の比較が成り立たないことは認めておこう.
しかし,原理的には No. 1 を "number one" と読むのは,「明日」を「あした」と読むのと同じことであり,要するに「訓読み」なのである.この事実を文字論の観点からみれば,No. も 1 も,ここでは表音文字ではなく表語文字として,つまり漢字のようなものとして機能している,と言えばよいだろうか.漢字の音訓に慣れた日本語使用者にとって,No. 1 問題はまったく驚くべき問題ではないのである.
関連して「#1042. 英語における音読みと訓読み」 ([2012-03-04-1]) も参照.
「英語を呑み込む 'tsunami'」と題するコンテンツが,昨日「英語史導入企画2021」の第11作目としてゼミ大学院生よりアップされました.英単語としての tsunami の使用について歴史的に迫る好コンテンツです.調査とインスピレーションのために使われているリソースは,Twitter に始まり,COHA (Corpus of Historical American English), GloWbE (= Corpus of Global Web-Based English), OED (= Oxford English Dictionary), 地震データベース,映画と幅広いです.内容としては,自然科学と社会科学と人文科学を融合させた総合的英語史コンテンツというべき,非常に啓発的な出来映えとなっています.まさに「英語史導入企画2021」の趣旨にピッタリ! ぜひ皆さんに読んでもらいたいと思います.
同コンテンツ内でも触れられている通り,日本語「津波」が英語 tsunami として英語に借用され,初めて用いられたのは1897年のことです.明治期には数々の日本語の単語が英語に持ち込まれましたが,この単語もその1つです(cf. 「#3872. 英語に借用された主な日本語の借用年代」 ([2019-12-03-1])).しかし,英語に借用されたからといって,必ずしも当初から頻繁に用いられていたわけではありません.コンテンツ内でも触れられているように,tsunami が「津波」を意味する一般的な語として用いられるようになったのは,つい最近のことといってもよいのです.
それまでは「津波」を意味する英単語としては tidal wave を用いるのが普通でしたし,現在でもこの tidal wave は tsunami と共存しています.しかし,よく考えてみると tidal wave というのは誤解を招きやすい表現です.「潮の(大)波」と言われれば何となく納得しそうにもなりますが,「潮」は津波とは相容れない定期的な海洋現象で,これがなぜ「津波」を意味するようになったのか判然としません.実際,Durkin (397) などは tidal wave を "misleading" と評価しています(←この箇所を教えてくれた学生に感謝!).
A special case is shown by tsunami (1897), which, since it denotes a widespread natural phenomenon, can be used freely in English without any implicit associations with Japanese (or even generalized Eastern) culture, and is now preferred by most speakers to the misleading term tidal wave.
なぜ近年になって,tsunami が tidal wave に代わり急速に用いられるようになってきたのでしょうか.これは,まさに上記のコンテンツが英語史的なアプローチにより解決しようとしている問題です.
以下は私のブレスト結果にすぎませんが,この問題に関わってきそうな他の英語学的な観点をいくつか挙げてみたいと思います.いずれも tsunami という語のインパクト・ファクターに注目する視点です.
・ 意味論的にいえば,tsunami は tidal wave の denotation こそ基本的に受け継いでいるものの,津波の強力さや恐ろしさなどを想起させる種々の connotation が加わっており,独自の存在価値をもつ語として受容されるようになってきたのではないか.
・ 形態論(語形成論)的にいえば,tidal wave のような複合語ではなく,単体語であるということ(日本語としてみれば「津」+「波」の2形態素だが)は,上記の種々の connotation を(分析的ではなく)総合的に含み込んでいることとマッチする.
・ 音韻論的にいえば,「#3949. 津波が現代英語の音素体系に及ぼした影響」 ([2020-02-18-1])」で触れたとおり,onset における /ts/ の生起は英語史的にはかなり新しい現象であり,それだけで多少なりとも異質で目立つことになる.近年の借用語であることが語頭で一発で示されることにもなる.それと連動して,語頭の綴字 <ts> も英語らしくないので,やはり借用語であることが視覚的にも一目瞭然となる.これらが当該単語のインパクトに貢献している.
・ 韻律的にいえば,おもしろいことに同じ3音節でも tídal wàve (強弱強)と tsunámi (弱強弱)は正反対である.このように韻律上の差異があることも,相対的に後者の新鮮さを浮き彫りにしているのかもしれない.
・ 社会言語学的にいえば,地質学や海洋学などの特殊レジスターに属する単語という位置づけから,一般レジスターへ進出したとみることができる.
以上,当の海洋現象は望ましくないものの英単語としては広まってしまった tsunami について,英語史・英語学してみた次第です.tsunami については「#1432. もう1つの類義語ネットワーク「instaGrok」と連想語列挙ツール」 ([2013-03-29-1]) の記事でも軽く触れています.
なお,上記の Durkin の言及について教えてくれた学生から,あわせて「Tsunami or Tidal Wave? --- 舘林信義」というウェブ上の記事も教えてもらいました.たいへん貴重な情報.多謝.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
昨日の記事「#4371. 価値なきもの イチジク,エンドウ,ピーナッツ,ネギ,マメ,ワラ」 ([2021-04-15-1]) で,英語において「取るに足りない」と評価されている植物の話題を取り上げた.英語と日本語とで当該植物に対する認識が異なることを示唆する,いわゆる異文化比較の問題だが,これは動物にも当てはまる.よく知られているように,同一の動物であっても,英語と日本語では表象や受容の仕方が異なる.
例えば,最も身近な動物を表わす英単語 dog を取り上げよう.言うまでもなく,日本語「犬」の英語バージョンである.しかし,このように何の変哲もない単語にこそ,実はおもしろみが詰まっているものだ.殊に意味論の観点からは,いくらでも議論できる.dog は多義 (polysemy) なのである.
『リーダーズ英和辞典』によれば,dog は10の語義をもつ.多少の編集を加えつつ,その10語義を大雑把に示したい.
1. 犬; イヌ科の動物《オオカミ・ヤマイヌなど》.雄犬; 雄.犬に似た動物《prairie dog, dogfish など》.
2. 《口》 くだらない[卑劣な]やつ; 《米俗・豪俗》 密告者, 裏切り者, 犬; 《俗》 魅力のない[醜い]女, ブス; *《俗》 いかす女, いい女; 《俗》 淫売; 《ののしって》ちくしょう!
3. *《俗》 不快なもの, くだらないもの, 売れない[売れ残りの]品物, 負け犬, 死に筋, 失敗(作), おんぼろ, ぽんこつ, 役立たず, クズ, カス.
4. 《口》 見え, 見せびらかし.
5. 鉄鉤((かぎ)), 回し金, つかみ道具; 【金工】 つかみ金, チャック; 《車の》輪止め.
6. [pl] *《口》 ホットドッグ (hot dog).
7. [the ?s] *《口》 ドッグレース (greyhound racing).
8. 《俗》 [euph] 犬の糞 (dog-doo).
9. 【天】 [the D-] 大犬座 (the Great Dog), 小犬座 (the Little Dog).シリウス, 天狼星 (the Dog Star, Sirius).
10. 【気】 幻日 (parhelion, sun dog), 霧虹 (fogbow, fogdog).
上記からも分かる通り,英単語の dog は一般にネガティヴな含意的意味 (connotation) をもつ.この事実を確認するには,英語文化の結晶ともいえる英語のことわざ (proverb) をみるとよい.「#3419. 英語ことわざのキーワード」 ([2018-09-06-1]) では上位にランクインしているし,実際に「#3420. キーワードを複数含む英語ことわざの一覧」 ([2018-09-07-1]) からことわざの例を見てみると,Better be the head of a dog than the tail of a horse/lion. とか We may not expect a good whelp from an ill dog. のように,あまり良い意味には使われていない.
こんなことを考えたみたのは,昨日「英語史導入企画2021」の一環として学部ゼミ生による「dog は犬なのか?」というコンテンツがアップされたからである.
本ブログでも,dog の通時的意味変化や共時的多義性について,以下の記事で間接的に触れてきた.参考までに.
・ 「#683. semantic prosody と性悪説」 ([2011-03-11-1])
・ 「#1908. 女性を表わす語の意味の悪化 (1)」 ([2014-07-18-1])
・ 「#2101. Williams の意味変化論」 ([2015-01-27-1])
・ 「#2187. あらゆる語の意味がメタファーである」 ([2015-04-23-1])
英語における「取るに足りないもの」の物尽し.
価値なきもの
イチジク,エンドウ,ピーナッツ,
ネギ,マメ,ワラ
この物尽しの果実・野菜・豆などを表わす植物名を英単語に置き換え,not worth a に後続させると,いずれも「?ほどの価値もない,取るに足りない」を意味する慣用句 (idiom) となる.not worth a fig/pea/peanut/leek/bean/straw の如くだ.
私などは,ワラを除いて,すべて旨い食べ物ではないか,とりわけ酒のつまみに良さそうではないか(イチジクはよしておこう)と評価したいところだが,英語文化においてはどうやら軽視される存在のようだ.
日本語では,例えば「豆」は接頭辞として「豆電球」「豆台風」などと用いるが,物理的に小さいことを示しこそすれ,軽視のコノテーションは感じられない.また,日本語の「溺れる者は藁をも掴む」という諺は,窮地に陥っている人はワラのように頼りにならないものにも救いを求めるものだという教えで,一見すると「ワラ=取るに足りない」が成立しそうだが,この諺は実は英語の A drowning man will catch at a straw. の直訳にすぎず,日本語発の諺ではない.この辺りの感覚は,日英語でかなり異なるらしい.
英語のこのような「価値なきもの」を表わす種々の慣用句の役割は「文彩的否定」(figurative negation)呼ばれるという.これは「英語史導入企画2021」の一環として昨日アップされた院生によるコンテンツ「否定と植物」から学んだことである.文彩的否定の表現には様々な「取るに足りない」植物の名前が用いられてきたようで,歴代引き合いに出されてきた植物としては cress (カラシナ)や sloe (リンボク)なども含まれ,何だかよく分からないリストとなっている.
同コンテンツによると,このような表現は中英語期に続々と生まれたという.植物のみならず動物,昆虫,魚なども引き合いに出されたというから,こうした名詞の一覧を整理してみれば,英語文化において何が軽視されてきたかが概観できそうである.たいへん洞察に富むコンテンツ.
「英語史導入企画2021」も少しずつ軌道に乗ってきて好コンテンツが上がってきているが,昨日公表された学部生による「日本人はなぜ Japanese?」も,多くの英語学習者に訴えかける素朴な疑問といってよいだろう.
国名からその国民名,国語名,形容詞を作るのに,英語にはいろいろなやり方がある.特定の接尾辞 (suffix) を付けるのが一般的だが,その接尾辞にもいろいろある.America → American,Korea → Korean があるかと思えば,Spain → Spanish, Denmark → Danish があるし,New Zealand → New Zealander,Iceland → Icelander もある.日本はなぜか Japan → Japanese となり,この点では China → Chinese, Vietnam → Vietnamese, Portugal → Portuguese と同類だが,なぜ国名によってこれほどバラバラなのかがよく分からない.英語を学ぶ誰しもが,日本語の「?人」のように統一的な言い方にしてくれれば楽なのに,と思ったことがあるだろう.
本ブログでも真正面からこの話題を取り上げたことはなかったが,それは簡単に答えられる類いの問題ではないと知っていたからだ.しかし,知りたい.なぜ英語では Japan には -ese が付されるのか.なぜ *Japanian や *Japanish ではないのか(cf. ドイツ語 Japanisch).
「日本人はなぜ Japanese?」は,この素朴でありながら難解な問いに1年間かけて挑んだゼミ学生のコンテンツである.-ese を取る国名の一覧表,その分布を示した世界地図,簡潔で軽快な文章を通じて,非常にリーダブルなコンテンツとなっている.それでいて参考文献や脚注により学術性を担保しようという姿勢も感じられる.内容については,語誌的にも歴史学的にも綿密に検証する余地はあるが,好奇心を強く誘う仮説となっている.たいへん教育的で啓発的なコンテンツ.ぜひご一読を.
このトピックに緩く関係する本ブログからの記事として,以下を参照.
・ 「#4027. 接尾辞 -ese の起源」 ([2020-05-06-1])
・ 「#4024. なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか? (1)」 ([2020-05-03-1])
・ 「#4025. なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか? (2)」 ([2020-05-04-1])
・ 「#4026. なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか? (3)」 ([2020-05-05-1])
・ 「#3023. ニホンかニッポンか」 ([2017-08-06-1])
・ 「#1774. Japan の語源」 ([2014-03-06-1])
・ 「#2979. Chibanian はラテン語?」 ([2017-06-23-1])
・ 「#3918. Chibanian (チバニアン,千葉時代)の接尾辞 -ian (1)」 ([2020-01-18-1])
・ 「#3919. Chibanian (チバニアン,千葉時代)の接尾辞 -ian (2)」 ([2020-01-19-1])
・ 「#3920. Chibanian (チバニアン,千葉時代)の接尾辞 -ian の直前の n とは?」 ([2020-01-20-1])
この4月に立ち上げた「英語史導入企画2021」にて,昨日「Brexitと「誰うま」新語」と題する大学院生によるコンテンツがアップされた.混成語 Brexit に焦点を当てた学術論文を紹介しつつ,言語学的および社会学的な観点から要約したレビュー・コンテンツといってよいだろう.取っつきやすい話題でありながら,密度の濃い議論となっている.本企画の趣旨を意識して導入的ではありながらも本格派のコンテンツである.
混成語 (blend) とは,混成 (blending) と呼ばれる語形成 (word_formation) によって作られた語のことである.簡単にいえば2語を1語に圧縮した語のことで,brunch (= breakfast + lunch) や smog (= smoke + fog) が有名である.複数のものを強引に1つの入れ物に詰め込むイメージから,かばん語 (portmanteau word) と呼ばれることもある.混成(語)の特徴など言語学的な側面については,「#630. blend(ing) あるいは portmanteau word の呼称」 ([2011-01-17-1]),「#893. shortening の分類 (1)」 ([2011-10-07-1]),「#3722. 混成語は右側主要部の音節数と一致する」 ([2019-07-06-1]) などを参照されたい.
問題の Brexit は,いわずとしれた Britain + exit の混成語だが,それが表わす国際政治上の出来事があまりに衝撃的だったために,それをもじった Bregret (= Britain + regret) や Regrexit (regret + exit) のような半ば冗談の混成語が次々と現われ,半ば本気で定着してきた.上記のコンテンツと論文(および「#2624. Brexit, Breget, Regrexit」 ([2016-07-03-1]))で考察されているのは,まさにこの本気のような冗談のような現象である.
混成は,英語史において比較的新しい語形成であり,本質的には現代英語的な語形成といってもよい.「#631. blending の拡大」 ([2011-01-18-1]) で挙げたように多数の例が身近に見出せるため,このことはにわかには信じられないかもしれないが,事実である.これについては「#631. blending の拡大」 ([2011-01-18-1]),「#876. 現代英語におけるかばん語の生産性は本当に高いか?」 ([2011-09-20-1]),「#940. 語形成の生産性と創造性」 ([2011-11-23-1]) などでも論じてきた通りである.
実のところ,混成のみならず,より広く短縮 (shortening) という語形成がおよそ近現代的な現象なのである.こちらについても「#878. Algeo と Bauer の新語ソース調査の比較」 ([2011-09-22-1]),「#879. Algeo の新語ソース調査から示唆される通時的傾向」([2011-09-23-1]),「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]),「#2982. 現代日本語に溢れるアルファベット頭字語」 ([2017-06-26-1]) を確認されたい.
では,なぜ現代にかけて混成を含めた短縮を旨とする諸々の語形成が,これほど著しく成長してきたのだろうか.「#3329. なぜ現代は省略(語)が多いのか?」 ([2018-06-08-1]) で挙げた3点を,ここに再掲しよう.
(1) 時間短縮,エネルギー短縮の欲求の高まり.情報の高密度化 (densification) の傾向.
(2) 省略表現を使っている人は,元の表現やその指示対象について精通しているという感覚,すなわち「使いこなしている感」がある.そのモノや名前を知らない人に対して優越感のようなものがあるのではないか.元の表現を短く崩すという操作は,その表現を熟知しているという前提の上に成り立つため,玄人感を漂わせることができる.
(3) 省略(語)を用いる動機はいつの時代にもあったはずだが,かつては言語使用における「堕落」という負のレッテルを貼られがちで,使用が抑制される傾向があった.しかし,現代は社会的な縛りが緩んできており,そのような「堕落」がかつてよりも許容される風潮があるため,潜在的な省略欲求が顕在化してきたということではないか.
(1) は,混成(語)のなかに,あらゆる物事に効率性を求める情報化社会の精神の反映をみる立場である.これまで2語で表わしていた意味や情報を,混成語ではただ1語で表現することができるのだ.まさに時短,効率,節約.しかし,これが行き過ぎると,人生や生活と同様に,何ともせわしく殺伐としてくるものである.
しかし,この情報化社会の病理というべき負の力とバランスを取るべく,正の力も同時に働いているように思われるのだ.(3) に指摘されている「緩み」がその1つだろう.これは,上記コンテンツ内で触れられている「遊び心」にも近い.混成語は,「Brexit って何の略でしょうか?」――「答えは,Britain + exit の略でした!」というようなナゾナゾが似合う代物でもあるのだ(cf. 「#3595. ことば遊びの3つのタイプ」 ([2019-03-01-1]) でいう「技巧型」のことば遊び).ここには,せわしなさや殺伐とした気味はなく,むしろ健全な「遊び心」が宿っているように思われる.英語の混成(語)は,一見すると現代社会の病理の反映ようにもみえるが,別の観点からは,むしろ健全な遊びでもあるのだ.
語形短縮の意義を巡っては「#1946. 機能的な観点からみる短化」 ([2014-08-25-1]),「#3708. 省略・短縮は形態上のみならず機能上の問題解決法である」 ([2019-06-22-1]) の議論も参照されたい.
年度初めのこの時期,児童・生徒たちにローマ字なり英語アルファベットなりの読み書きを教え始める学校の先生も多いと思います.平仮名や片仮名と同じで,何度も読んで書いて練習し慣れていくというスタイルが普通かと思います.
学習者にとってはこのように基礎的な作業となるわけですが,教える先生の側にあっては,是非ともアルファベットの成立や発展などの背景的な知識を持っておくことをお薦めします.学習者からの鋭い質問にも答えられるようになりますし,実際にそのような知識を学習者に教える機会はないとしても,アルファベット1文字1文字に歴史的な深みがあることを知っておくことは大事だと思うからです.そこで,本ブログより関係する記事を集め,以下の記事セットとして整理してみました.
・ 「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット(2021年度版)
同趣旨で,およそ1年前,2020年度の開始期に合わせて「#4038. 年度初めに「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット」 ([2020-05-17-1]) を公開していました.今回のものは,その改訂版ということになります.昨年度中は「hellog ラジオ版」と称して音声コンテンツを多く作ってきたので,今回の改訂版には,アルファベットに関する音声ファイルへのリンクなども加えてあります.
もちろんアルファベットに関する背景知識は,英語の先生に限らず,一般の英語学習者にも持っていてもらいたい知識です.そして,目下「英語史導入企画2021」のキャンペーン中でもありますし,英語史に関心のあるすべての人々に持っていてもらいたい知識でもあります.
英語の人名に関するテーマは幅広く関心をもたれる.英語史の授業などで自由レポート課題を出すと,必ず複数の学生が人名に関するトピックを選ぶ.身近で具体的な名前だし,たいてい何らかの歴史的・語源的背景が隠されているので調査する甲斐がある,ということだろう.
本ブログでも(英語の)人名について様々な記事で書いてきた.個別の具体的な名前に関する記事もあれば,もう少し抽象的に人名学や人名史の観点から書いた記事もある.以下の記事セットで少々整理してみた.
・ 「英語の人名」の記事セット
記事セットのなかに「#2557. 英語のキラキラネーム,あるいはキラキラスペリング」 ([2016-04-27-1]) という記事があるが,これと関連して,「英語史導入企画2021」の一環として昨日学部生よりアップされた「キラキラネームのパイオニア?」のコンテンツもぜひ読まれたい.
人名学 (anthroponymy) は地名学 (toponymy) とともに固有名詞学 (onomastics) を構成する分野である.人名について研究したいと思えば固有名詞そのものの特徴を理解する必要がある.一般名詞と比べて何が同じで何が異なるのか,という視点が重要だろう.本質的な差異の1つは,一般名詞は言語体系の内側にあるが,固有名詞はむしろ外側にある(あるいは外側を指向する)という点にあるといってよい.すると,固有名詞の特徴は,言語体系(内部)の特徴に照らして,浮き彫りにされるべき対象ということになる.つまり,人名学に深く分け入るに当たっては,同時に言語体系の何たるかをよく理解しておくこと(=まさに言語学の目標)が肝心である.
英語の人名というテーマは,一見楽しく研究できそうに思われるかもしれないが,本格的に分け入ろうとするとなかなかの難物である.
標題の2つのキーワード「言語」と「性」と聞いてピンと来る場合にも,そのピンの種類には3通りがありそうです.まず,昨今の「性」にまつわる種々の用語問題を思い浮かべる人も少なくないでしょう.英語に関していえば,たとえば singular they の問題があります(cf. 「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1])).また,昨秋 JAL が乗客に対して「レディース・アンド・ジェントルメン」の呼びかけをやめ「オール・パッセンジャーズ」へ切り替える決定をしたという事例もあります(cf. 「#4182. 「言語と性」のテーマの広さ」 ([2020-10-08-1])).
しかし,むしろ言語学的な意味での性,いわゆる文法性 (grammatical gender) を思い浮かべる人もいると思います.特にフランス語,ドイツ語,ロシア語等の英語以外のヨーロッパの諸言語を学んだことがあれば,名詞に割り振られている文法上の性 (gender) のことが最初に想起される,という人も多いに違いありません.
ほかには,日本語の「男言葉」と「女言葉」のように,話者によって言葉使いが変わる現象を指して,言語における性を考えるという向きもあるでしょう (cf. gender_difference) .
上記3種類の「言語における性」は,確かに互いに異なる「性」の側面に注目していることは確かです.しかし,私はこれらすべてが精妙なやり方で関連し合っていると考えています.言語と性に関わる探究においては,上記のような一見異なる諸側面を分割しないないほうがよいだろうと考えています.
このテーマは,多くの人が思っている以上に幅広いのです.この幅広さについては,私の厳選した「言語と性」に関する記事セットをご覧いただければと思います.ほかにも,gender や gender_difference の記事も要参照.
さて,この4月初めに立ち上げた「英語史導入企画2021」の一環として,昨日,慶應義塾大学大学院の学生より「コロナ(Covid-19)って男?女?」と題する,非常に興味深いコンテンツがアップロードされました.コンテンツの作者は,YouTube 「まさにゃんチャンネル」を運営する「まさにゃん」です(cf. 「#4005. オンラインの「まさにゃんチャンネル」 --- 英語史の観点から英単語を学ぶ」 ([2020-04-14-1])).まさにゃんは公的に活動している英語史の伝道師で,数週間前には母校の鳥取県立八頭高等学校にて英語史と英語学習に関する授業も担当したとのことです.上記のコンテンツも,英語における「言語と性」の問題を考えるきっかけを与えてくれる好コンテンツですので,こちらもどうぞ一読を.
授業で英語ベースのピジン語 (pidgin) やクレオール語 (creole) の話しをすると,多くの反響がある.私たちが知っている標準英語とはあまりに異なっており,必ず「それ,英語?」という反応が返ってくるのだ.英語の一種のようでありながら英語でない,あるいは逆に,英語ではないのに何となく英語ぽい,という中間的な存在が好奇心を誘うのだろう.
本ブログでも,ピジン語やクレオール語については様々に扱ってきた.まず,入門編から応用編までを取りそろえたこちらの記事セットをお薦めしておこう.関連するすべての記事を読みたい方は,pidgin と creole をどうぞ.
ピジン語やクレオール語に関して書かれた本としては,英語史的な観点に立った入門編として,唐澤 一友(著)『世界の英語ができるまで』をお薦めする.英語史研究のトレンドともなってきている世界英語 (world_englishes) に焦点を当てた読みやすい著書である.
4月6日に立ち上げた「英語史導入企画2021」の一環として,毎日ゼミ生から英語史コンテンツがアップされてきている.昨日公開されたコンテンツが,ピジン語とクレオール語に関する「それ,英語?」である.上述の唐澤氏の授業と著書に影響を受けたという学生によるピジン語とクレオール語の導入コンテンツで,非常に易しく書いてくれた.英語史の観点からピジン語・クレオール語に洞察を加えている箇所はとりわけ重要.ぜひ皆さんもご一読を.
・ 唐澤 一友 『世界の英語ができるまで』 亜紀書房,2016年.
標題は,その派生語も含め,頭が混乱してくる単語群です.綴字はややこしく似ているし,その割には発音は同じだったり異なっていたりする.意味も似ているような,そうでないような.こういう単語は学習する上で実に困ります.このややこしさは語源を遡ってもたいして解消しないのですが,新年度の英語史導入キャンペーン期間中ということもあり,歴史的にみてみたいと思います(cf. 「#4357. 新年度の英語史導入キャンペーンを開始します」 ([2021-04-01-1])).
まずは,もっとも問題がなさそうで,知らなくてもよいレベルの単語である dissert v. /dɪˈsəːt/ から行きましょう.「論じる」を意味する動詞で,辞書では《古風》とのレーベルが貼られています.この単語のように綴字で <s> が重複する場合には,原則として無声音の /s/ となります(しかし,以下に述べるように,すぐに例外が現われます).この動詞から派生した名詞 dissertation 「学術論文(特に博士論文)」は知っておいてもよい単語ですね.
語源としては,ラテン語で「論じる」を意味する動詞 dissertāre に遡ります.強意の接頭辞 dis- に,語幹 serere (言葉をつなぐ,作文する)から派生した反復形をつなげたもので,「しっかり言葉をつなぎあわせる」ほどが原義です(cf. 同語幹より series も).
次に「デザート」を意味する dessert /dɪˈzəːt/も馴染み深い名詞だと思います.<ss> の綴字ですが,上記の早速の例外で,有声音 /z/ で発音されます.この単語は,フランス語の動詞 desservir (供した食事を片付ける)の過去分詞形に由来します.つまり「膳を下げられた」後に出されるもの,まさに「食後のデザート」なわけです.フランス語の除去の接頭辞 des- に servir (英語にも serve として入り「食事を出す」の意)という語形成なので,納得です.
さらに次に進みます.「デザート」の dessert とまったく同じ発音ながらも,<s> が1つの desert なる厄介な単語があります.複雑な事情を整理するために,以下では,起源の異なる desert 1 と desert 2 の2種類を区別していきます.最初に desert 1 から話しましょう.desert 1 は「捨てる,放棄する」を意味する動詞です.例文として,She was deserted by her husband. (彼女は夫に捨てられた.)を挙げておきます.この動詞の語源はフランス語 déserter で,さらに遡るとラテン語 dēserere の反復形に行き着きます.語根は serere なので,上述の dissert とも共通ですが,今回の単語についている接頭辞は dis- ではなく de- です.つなげる (serere) ことを止める (de) という発想で「捨てる,見捨てる」というわけです.
そして,この動詞 desert 1 が,そのままの形態で形容詞化し,さらに名詞化したのが「捨てられた(地)」としての「砂漠」です.英語では名前動後 (diatone) の傾向により,「砂漠」としての desert の発音は,強勢が第1音節に移って /ˈdɛzət/ となるので要注意です.
desert 2 /dɪˈzəːt/ に移りましょう.こちらは名詞で「当然受けるべき賞罰」を意味します.上記のこれまでの語とはまったく異なる雰囲気ですが,これは別語源の deserve /dɪˈzəːv/ (?に値する)という動詞の過去分詞形に由来する名詞形だからです.当然のごとく値するべき物事,それが賞罰ということです.この元の deserve なる動詞はフランス語 deservir からの借用で,これ自身はラテン語 dēservīre に遡ります.今回の接頭辞 dē- は強意,語幹 servīre は「仕える」の意味で,後者は後に serve として英語に取り込まれました.「?に仕えることができるほどに相応しい」→「?に値する」といった意味の発展と考えられます.
さて,混乱しやすい単語群の語源を遡ることで,かえって混乱したかもしれません(悪しからず).なお,最後に取り上げた動詞 deserve は,なかなか使い方の難しい動詞でもあります.The report deserves careful consideration., He deserves to be locked up for ever for what he did., Several other points deserve mentioning. など取り得る補文のヴァリエーションも豊富です.意味的な観点から探ってもおもしろい動詞だと思います.意味的な観点から,昨日「英語史導入企画2021」にて大学院生によるコンテンツ「"You deserve it." と「自業自得」」が公表されました.こちらもご一読ください.
英語は語彙的に雑食性の言語である.英語史を学ぶとこの意味がすぐに分かるのだが,そうでないとハテナが飛ぶだろう.端的にいうと,英語の語彙の約2/3はよその言語からの借用語である.逆にいえば,真の「英単語」は英単語の1/3しか占めないということだ.
英語は歴史を通じて,ひたすら他言語から単語を借用してきた.その結果,語彙的にはすっかり雑種になってしまった.この英語の歴史的性格を下品に表現すれば「雑食性」 (omnivorousness) となるし,上品にいえば「世界的な語彙」 (cosmopolitan_vocabulary) となる.ソースとなった言語を数えると少なく見積もっても350言語はあり,地理的にも時代的にもまさに「世界的」というにふさわしい.語彙に関していえば「英語は語彙的にはもはや英語ではない」のだ (cf. 「#2468. 「英語は語彙的にはもはや英語ではない」の評価」 ([2016-01-29-1])).この辺りの話題は,本ブログでもたびたび取り上げてきた.関心のある方は,##151,756,201,152,153,390,3308の記事をご覧いただきたい.
さて,英語に語彙を提供してきた数ある言語のなかで,今回はイタリア語を取り上げたい.イタリア語は昨今の日本語でも馴染みが深く,インフルエンザ,オペラ,カジノ,ジェラート,ソナタ,テンポ,ティラミス,トロンボーン,パパラッチ,ビオラ,ピザ,フィナーレ,フォルテ,ブロッコリー,マカロニ,マニフェスト,マラリア,ミネストローネなど多数挙げられる (cf. 「#1896. 日本語に入った西洋語」 ([2014-07-06-1])).では,英語に入ったイタリア単語には何があるか.arcade, balcony, ballot, bandit, ciao, concerto, falsetto, fiasco, giraffe, lava, mafia, opera, scampi, sonnet, soprano, studio, timpani, traffic, violin など,こちらも多数挙がってくる.
しかし,英語語彙において著しく存在感のあるフランス語,ラテン語,古ノルド語などに比べれば,イタリア語の影は薄いといってよい.これは,イギリスとイタリアの濃密な接触は歴史的にはおよそ近代以降のことであり,交流の歴史が浅いためである.それでも,相対的に影が薄いというだけであり,やはりある程度のプレゼンスを認めることができるのも確かだ.イタリア単語の借用に関する考察は##1411,1530,2329,2357,2385,2369,3586を参照されたい.
イタリア語の話しをしておきながら,最も馴染み深いといえる spaghetti 「スパゲティ」に触れていなかった.実は,このイタリア語由来の1単語に注目するだけで,英語史の魅力を垣間見ることができる.一昨日から始まっている「英語史導入企画2021」で,学部ゼミ生が「借用語は面白い! --- "spaghetti" のスペルからいろいろ ---」を発表している.是非ご一読を.
4月1日に「#4357. 新年度の英語史導入キャンペーンを開始します」 ([2021-04-01-1]) と宣言して以来,英語史の学びを促す記事を書き続けていますが,一人で続けるのでは息切れしてしまいます.ということで,慶應義塾大学文学部および文学研究科に在籍している英語史を専攻するゼミの学部生・院生より力を借りることにしました.この趣旨で,実はすでに昨日から「英語史導入企画2021」なるものが立ち上がっています.
私のゼミにて英語史を学ぶ学部生・院生,ゼミ卒業生,その他少数の関係者からなる緩いフォーラムが存在しており,非公式に khelf (= Keio History of the English Language Forum) と称しています.作成途中ながら,そのホームページもありますのでご覧ください.今回の企画の協力者は,ほかならぬこの khelf メンバーたちです.
この企画について,「英語史導入企画2021」ページより説明を転載します.
2021年度がスタートしました.本年度も khelf としての活動に力を入れていきます.
年度初めの4月,5月は,学生も教員も一般人も新しい学びに積極的になる時期です.そこで,英語史を専攻する私たち khelf メンバー(大学院と学部のゼミ生たちが中心)が発信元となって,英語史という分野とその魅力を世の中に広く伝えるべく,何らかの「コンテンツ」を毎日1つずつウェブ上に公表していこうという「英語史導入企画2021」を立てました.
4月5日(月)から始めて5月下旬まで,日曜日を除く毎日更新していく予定です.「こんなに身近なトピックが英語史の入口になり得るのか」とか「こんな他愛のない問題について真剣に学問している集団があるのか」とか,様々に感じてもらい,英語史に関心をもってもらえればと思います.
コンテンツはリンクフリーですが,コンテンツ提供者(匿名)である khelf メンバー(大学院と学部のゼミ生たちが中心)の学習・研究・教育活動にご理解とご協力をお願い致します.
昨日アップロードされた第1回コンテンツは,大学院生による「be surprised at―アッと驚くのはもう古い?(1)」です.英語学習者であれば必ず学習しているはずの熟語 be surprised at の前置詞 at に関して,意外な事実が明らかにされます.この意外な事実をコーパスを駆使して明らかにするという内容です.昨今の英語史研究のトレンドである World Englishes の視点も取り入れており,とても参考になります.受動態の動作主に用いられる前置詞の歴史については,本ブログより ##1333,1350,1351,2269 もご参照ください.
本ブログも,「英語史導入企画2021」上に日々アップされてくるコンテンツと連動する形で英語史の魅力の発信に努めていきたいと思います.企画ともども,よろしくお願い致します.
標題は,毎年度のように大学の「英語史」の初回授業で述べていることです.一度文章化しておこうと思います.
「英語史」とは普通に考えると「英語の歴史」のことです.「経済史」は経済の歴史のことで,「生物史」は生物の歴史のことであるのと同じです.英語で「英語史」は "the history of English" や "the history of the English language" と言いますし,当たり前すぎる話しです.
しかし,「英語史」という分野は,むしろ「英語と歴史」と理解したほうが真実に近いだろうと思っています.この場合の「歴史」とは,皆さんが学校で学んできたはずの「日本史」や「世界史」などを指します.それは,およそ政治史だったり文化史だったり,いわゆる日本なり世界なりがいかなる歴史を歩んできたかについて社会的な観点から過去を振り返る分野です.英語史は,英語という言語と,この直感的で常識的な意味での歴史を絡めてみようという試みにほかなりません.
「英語史」という分野名を初めて聞くと,おそらく古い英語の文法や発音を学び,古い文学作品を読むのだろうなというイメージをもつだろうと思います.日本語の「古文」が,まさにそのような分野だから無理もありません.もちろん英語史でも古い英語の文法や発音を学び,古い文学作品を読むということは,確かに行ないます.しかし,それは英語史という分野の半分の側面にすぎません.残りの半分の側面は,まさに上記の直感的で常識的な意味での歴史と,英語という言語との関わりに注目します.
専門的にいえば,英語という言語そのもの --- 文法,発音,綴字,語彙などの言語学的諸部門 --- の歴史的変化を考察する分野は「内面史」と呼ばれます.一方,英語という言語と,それを用いる社会(およびその周辺の他の社会)とをヒモで結びつけた1つの単位の歴史的変化を考察する分野は「外面史」と呼ばれます.
皆さんの英語史に対する当初のイメージは「内面史」に限定されていたと思います.しかし,英語史のまるまる半分は「外面史」に当てられます.例えば,特に近現代に注目した外面史のトピックとして,以下のような疑問が挙げられます.
・ なぜ英語は世界語となったのか
・ 現代世界における英語話者の人口はどのくらいか
・ 英語は何カ国で使われているのか
・ 英文法は誰が定めたのか
・ なぜ日本ではアメリカ英語がイギリス英語よりも主流なのか
・ 英語にも方言があるのか
・ なぜイギリス英語とアメリカ英語では発音や語法の異なるものがあるのか
・ なぜ英語には敬語がないのか
これらの疑問は,もちろん英語という言語そのものにも深く関係しますが,何よりも英語話者や英語社会の観点から問うべき問題であり,すぐれて「外面史」的な話題といえます.一方,以下のような疑問はどうでしょうか.
・ なぜ give up = surrender のような類義語や代替表現が多いのか
・ なぜ busy は <u> で綴るのに /ɪ/ で発音されるのか
・ なぜ one には <w> の綴字がないのに /w/ で発音するのか
・ なぜ動詞の3単現に -s がつくのか
・ なぜ will の否定形は won't なのか
・ なぜ you は単数と複数を区別しないのか
・ なぜフランス語などのように名詞に文法上の性がないのか
・ なぜ疑問文や否定文に do が出るのか
・ なぜ SVO など語順が厳しく決まっているのか
こちらの方はいかにも英語という言語そのものに関する語学的な疑問ですので,英語史のなかでも「内面史」の観点から説明されるのだろうと思うかもしれません.しかし,実はそうでもないのです.このような一見すぐれて語学的な疑問ですら,実は「外面史」を参照しないと完全には説明できません.いずれも英語話者や英語社会がたどってきた(常識的な意味での)歴史との関係からアプローチすると,きれいに解決する類いの疑問なのです.例えば,最初の「なぜ give up = surrender のような類義語や代替表現が多いのか」という疑問についていえば,1066年のノルマン征服というイギリス史上最大の事件が大いに関与してきます.
以上,本当の「英語史」のイメージがつかめたでしょうか.英語史は,かなりの程度まで「英語と歴史」なのです.したがって,英語と歴史の両方が好きであれば,たまらない分野となるはずです.英語は好きだけれど歴史が苦手だったという方は,むしろこれを機に歴史に近づくチャンスです.歴史は好きだけれど英語はちょっと,というタイプは,英語を異なる角度から見直すチャンスです.
最後に,1年ほどかけて英語史概説を学んだ学生が残していったコメントをこちらの記事セットよりご一読ください.英語史が「英語と歴史」であることが伝わってくるコメントが多く見つかります.
4月1日より連日「#4357. 新年度の英語史導入キャンペーンを開始します」 ([2021-04-01-1]) として,英語史の学びを応援するキャンペーンを張っています.
多くの人にとって,英語の歴史への入口は英単語の語源ではないでしょうか.各単語には生まれ育ってきた歴史があります.言語学には "Every word has its own history." という金言があるとおり,単語一つひとつに「人生」があるのです.単語のなかには,生み出された背景に歴史的な事件が関与しているものもあれば,現在までに意味を大きく変化させてきたものもありますし,また死語となったものも多数あります.こういった各単語の歴史は「語誌」とも呼ばれますが,一人ひとりの生涯と同じように独特の魅力を放っています.
というわけで,本ブログでも語源に関する話題は非常に多く取り上げてきました.etymology で検索すると,どれを読めばよいのか目移りするはずです.そこで,とりわけ英単語の語源に関心のある読者の皆さんに向けて,hellog 内の情報を少し整理したいと思います.
(1) まず,道具立てとして語源辞書が必要ですね.オンラインで最も手軽にアクセスできる英語語源辞書は Online Etymology Dictionary です.私の作った「#952. Etymology Search」 ([2011-12-05-1]) もご利用ください.
(2) あわせて American Heritage Dictionary of the English Language (4th ed.) の語源ノートも検索できる,自作の「#1819. AHD Word History Note Search」 ([2014-04-20-1]) もご活用ください.
(3) その他,「#485. 語源を知るためのオンライン辞書」 ([2010-08-25-1]) のリンク先も適宜参照するとよいと思います.
(4) しかし,本格的な語源情報を求めるならば,まだまだ紙媒体の語源辞書や一般辞書が基本です.「#600. 英語語源辞書の書誌」 ([2010-12-18-1]) で一覧した各種辞書を引く習慣をつけていただければと思います(ただし,これらの辞書にも電子化・オンライン化されているものはあります).『英語語源辞典』(研究社)と OED は基本中の基本という文典です.
(5) 2018年7月21日に朝日カルチャーセンター新宿教室で「歴史から学ぶ英単語の語源」という講座を開きました.このときの資料を「#3381. 講座「歴史から学ぶ英単語の語源」」 ([2018-07-30-1]) にて公開していますので,ご自由にどうぞ.
(6) これは宣伝ともなりますが,目下,朝日カルチャーセンター新宿教室で,全12回の講座「英語の歴史と語源」を開いています.第9回まで終わっており,次の第10回は5月29日(土)の15:30?18:45に予定されています.「英語の歴史と語源・10 大航海時代と活版印刷術」です.ご関心のある方は,こちらからどうぞ.第9回までのバックナンバーについては,hellog でも取り上げてきました.こちらの記事セットをご覧ください.
(7) 語源による英単語学習法に関心がある方は,「#3546. 英語史や語源から英単語を学びたいなら,これが基本知識」 ([2019-01-11-1]),「#3698. 語源学習法のすゝめ」 ([2019-06-12-1]) や「#3696. ボキャビルのための「最も役に立つ25の語のパーツ」」 ([2019-06-10-1]) などの記事をどうぞ.
(8) 「語源学」そのものに関心をもった方は,上級編となりますが##466,1791,727,598,599,636,1765の記事セットをご覧ください.
なお,英語史という分野は,単語や語彙の歴史という側面には大いに関心を寄せていますが,もちろんそれだけに限定されるわけではありません.英語の発音や文法の歴史も扱いますし,談話,方言,他言語との関わりなどを含む,語用論や社会言語学的な分野も重要な関心事です.
この時期,大学の英文科などでは「英語史」やその周辺の科目の履修登録をする学生も多いと思います.また,英語教員のなかにも新年度に「英語史」を学び直してみたいという方もいるかと思います.「英語史」を初めて教え始めるという大学の先生もいるかもしれません.
英語史を体系的に学ぶには何といっても概説書がいちばんで,昨日の記事「#4358. 英語史概説書等の書誌(2021年度版)」 ([2021-04-02-1]) では選りすぐりの一覧を紹介しましたので,参考にしていただければと思います.
一方,もう少し手軽に学び始めたいということであれば,ぜひ本ブログを利用してもらえればと思います.ブログを開始して近々にまる12年となりますが,コンテンツが蓄積されてきました.オンライン授業初年度を迎えようとしていたおよそ1年前にも「#4019. ぜひ英語史学習・教育のために hellog の活用を!」 ([2020-04-28-1]) という記事を書いたのですが,1年間のオンライン授業の体験を経て,書けることが少し増えましたので,ここに2021年度版の hellog 活用法の一端を示したいと思います.
(1) まず,英語史に関するどんな記事が広く読まれているのかという観点から入るのがスタートとしてはよいでしょうか.アクセス・ランキングのトップ500記事,あるいは昨年の記事に限定するのであれば「#4267. 2020年によく読まれた記事」 ([2021-01-01-1]) がお薦めです.
(2) 次に,英語に関する素朴な疑問集がお薦めです.本ブログでは,英語学習者から数年にわたって収集した数々の「英語に関する素朴な疑問」に答えてきました.回答数も多くなってきましたが,それでも満足できなければ「#4045. 英語に関する素朴な疑問を1385件集めました」 ([2020-05-24-1]) という疑問リストもあります(ただし,こちらのほとんどには未回答なので悪しからず).
(3) 昨年の6月より定期的に「hellog ラジオ版」と称して,1つ数分以内の音声コンテンツを62本ほど公開してきました.目よりも耳,文字よりも音声,書物よりも耳学問というタイプには,英語史導入として悪くないかもしれません.「ラジオ」と呼んでいますが,ただのアマチュアによる録音にすぎませんので音質や声質には期待せぬよう.音声コンテンツ一覧はこちらからどうぞ.最後のコンテンツは本年の2月7日付のもので,以降はストップしていますが,そのうちに再開しようかと思っています.
(4) 過去の授業や講座等で用いてきたスライド資料を,ブログ記事として置いているものも少なくありません.cat:slide より一覧をご覧ください.大きめのテーマを扱っていることが多いです.スライドだけでは何のことか分からないものもあるかもしれませんが,ざっと眺めるだけで学べるものもあります.
(5) 多数の hellog 記事を話題ごとにまとめる方式として「カテゴリー」と「記事セット」という概念があります.「カテゴリー」はその名の通り,各記事に付けられているカテゴリー・タグに基づいて記事群をまとめたもので,トップページの右下のアルファベット順に並んでいるカテゴリー一覧からアクセスできるほか,トップページ上部の検索欄に "cat:○○" と入力してもらうこともできます.例えば,"cat:spelling_pronunciation_gap" などと入れてみてください.
(6) もう1つの「記事セット」という概念は,昨年度中に開発したものです.仰々しい呼び名ですが,実のところ複数の記事をまとめて閲覧できる仕様にすぎません.トップページ上部の検索欄に,カンマ区切りの一連の記事番号を入力してみてください.その順序で,読みやすい形式で記事が表示されます.私が授業などでよく行なうのは,例えば「英語語彙の世界性」 (cosmopolitan_vocabulary) という話題について講義しようとする場合に,"##151,756,201,152,153,390,3308" という構成で記事(とそこに含まれる視覚資料)を順に示して解説していくというものです(先頭の "##" は任意).新年度としては,「なぜ英語史を学ぶのか」の記事セットをお薦めしておきましょう.
これまで,様々な記事セットを提供してきました.具体例としては,cat:hellog_entry_set の各記事からジャンプしていただければと思います.
(7) 本ブログでは,なるべく図表や写真をはじめとする視覚資料を掲載するように努めてきました.とりわけ地図 (map),言語系統図 (family_tree),年表 (timeline) などは多く掲載していますので,お薦めです.漫然と眺めるだけでも学べると思います.画像集も,12年間の蓄積により,だいぶんたまってきました.
(8) 本ブログ外ではありますが,英語史に関するオンライン(連載)記事を機会あるごとに書いてきました.とりわけ2017年1月から12月にかけて連載した12本のオンライン記事「現代英語を英語史の視点から考える」は,内容的にもまとまっており,お薦めです.ぜひ英語史の学びに活かしていただければと思います.
(9) 本ブログとは別に,こちらに私の大学(院)のゼミに関するHPがあります.khelf (= Keio History of the English Language Forum) と称しているフォーラムです.そちらにも英語史に関する種々のコンテンツが置いてありますし,本年度はこれから学生たちと一緒に内容を充実させていくつもりですので,本ブログと合わせてご注目いただければと思います.
本年度もオンライン学習・教育の機会は続きそうです.書物が第一と叫びたいところですが,現実的な観点からも,日々こうしてブログ形式で話題を提供している観点からも,上記を参考に hellog を有効利用していただければ幸いです.
昨日は「#4357. 新年度の英語史導入キャンペーンを開始します」 ([2021-04-01-1]) と述べましたが,本日は英語史の学習・研究に役立つ書誌の最新版を掲載します.私の独断と偏見ではありますが,およそ1年振りに更新したリストです(cf. 「#4018. 英語史概説書等の書誌(2020年度版)」 ([2020-04-27-1])).
初学者に特にお薦めの図書に◎を,初学者を卒業した段階のお薦めの図書に○を付してあります.各図書の巻末やウェブサイトに掲載されている参考文献表も,芋づる式に参照していってもらえればと思います.
印刷用のPDFをこちらに用意しましたので,とりわけ教員や学生の皆さんは,こちらのPDFでも本記事へのリンクでも,自由に配布していただければと思います.というよりも,むしろ配布推奨です! よろしくお願いします.
[英語史(日本語)]
◎ 家入 葉子 『ベーシック英語史』 ひつじ書房,2007年.
・ 宇賀治 正朋 『英語史』 開拓社,2000年.
◎ 唐澤 一友 『多民族の国イギリス---4つの切り口から英国史を知る』 春風社,2008年.
◎ 唐澤 一友 『英語のルーツ』 春風社,2011年.
・ 島村 宣男 『新しい英語史?シェイクスピアからの眺め?』 関東学院大学出版会,2006年.
◎ 寺澤 盾 『英語の歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,2008年.
・ 高橋 英光 『英語史を学び英語を学ぶ --- 英語の現在と過去の対話』 開拓社,2020年.
・ 中尾 俊夫,寺島 廸子 『図説英語史入門』 大修館書店,1988年.
・ 橋本 功 『英語史入門』 慶應義塾大学出版会,2005年.
◎ 堀田 隆一 『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』 中央大学出版部,2011年.
○ 堀田 隆一 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』 研究社,2016年.
・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.
・ 松浪 有(編),小川 浩・小倉 美知子・児馬 修・浦田 和幸・本名 信行(著) 『英語の歴史』 大修館書店,1995年.
・ 柳 朋宏 『英語の歴史をたどる旅』 中部大学ブックシリーズ Acta 30,風媒社,2019年.
・ 渡部 昇一 『英語の歴史』 大修館,1983年.
[英語史(英語)]
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.
◎ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
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[英語史関連のウェブサイト]
・ 家入 葉子 「英語史全般(基本文献等)」 https://iyeiri.com/569 .(より抜かれた基本文献のリスト)
・ 堀田 隆一 「hellog?英語史ブログ」 2009年5月1日?,http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/ .
・ 堀田 隆一 「連載 現代英語を英語史の視点から考える」 2017年1月?12月,http://www.kenkyusha.co.jp/uploads/history_of_english/series.html .
[英語史・英語学の参考図書]
・ 荒木 一雄・安井 稔(編) 『現代英文法辞典』 三省堂,1992年.
・ 石橋 幸太郎(編) 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
・ 大泉 昭夫(編) 『英語史・歴史英語学:文献解題書誌と文献目録書誌』 研究社,1997年.
・ 大塚 高信・中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
・ 小野 茂(他) 『英語史』(太田 朗・加藤 泰彦(編) 『英語学大系』 8--11巻) 大修館書店,1972--85年.
・ 佐々木 達・木原 研三(編) 『英語学人名辞典』,研究社,1995年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語史・歴史英語学 --- 文献解題書誌と文献目録書誌』 研究社,1997年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語学要語辞典』 研究社,2002年.
・ 寺澤 芳雄・川崎 潔 (編) 『英語史総合年表?英語史・英語学史・英米文学史・外面史?』 研究社,1993年.
・ 松浪 有・池上 嘉彦・今井 邦彦(編) 『大修館英語学事典』 大修館書店,1983年.
・ Bergs, Alexander and Laurel J. Brinton, eds. English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012.
・ Bergs, Alexander and Laurel J. Brinton, eds. The History of English. 5 vols. Berlin/Boston: Gruyter, 2017.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan, eds. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. Cambridge: CUP, 1995. 2nd ed. 2003.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. Cambridge: CUP, 1995. 2nd ed. 2003. 3rd ed. 2019.
・ Hogg, Richard M., ed. The Cambridge History of the English Language. 6 vols. Cambridge: CUP, 1992--2001.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum, eds. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
本日より新年度が始まります.本ブログが扱っている「英語史」という分野は明らかにマイナーな科目です.大学のいわゆる英文科の外では一般に知られていない科目と思われますし,英文科ですら必修科目でないことも多くなってきて,履修する大学生も減っているかもしれません.
しかし,英語史を専門に研究・教育している私(=慶應義塾大学・文学部・英米文学専攻の堀田隆一)としては,年度初めのこの時期に「英語史」を売り込むべき立場ですので,今後しばらくのあいだ本ブログでも,これまで以上に力を込めてその魅力を発信していきたいと思います.
新年度の英語史導入キャンペーンの初日ということで,まずは文字通り英語史への導入のメッセージを贈ります.
(1) 「英語史」という響きが小難しいのは仕方ありませんが,本当はそうでもありません.英語の歴史です.普通です.「なぜ a apple ではなく an apple なのか?」「なぜ3単現に -s を付けるのか?」「なぜ If I were a bird となるのか?」などの素朴な疑問にも,納得のいく答えを与えてくれる知恵の学問です.
(2) もっと根本的な問題として,なぜ私たち義務教育で英語を学ぶことになっているのでしょうか? なぜ英語が世界中でこれほど強力な言語となっているのでしょうか? 答えは,英語は世界共通語だから.確かにそうでしょう.しかし,なぜそうなのでしょうか? その歴史的な原因を探り「なぜ英語を学ばざるを得ない状況になっているのか」という本質的な問題に明確な答えを与えてくれるのが,英語史という分野です.
(3) 自分は英語を習得できればよいのであって,英語「史」などには興味はない,という考え方は理解できます.とりわけ英語を使わざるを得ない環境にある方々にとっては,まずは英語習得が最大の関心事でしょう.しかし,日本で生活する日本語母語話者で,そこまで切羽詰まっている人は,実はそれほど多くないと思います.英語はできるにこしたことはないし,当然習得したいと思っている,しかし生活のために絶対に必要であるという追い詰められた環境の人は少ないでしょう.
英語を一歩引いた立ち位置から眺められる,少し余裕のある大多数の人々にこそ,英語史という分野に注目してもらいたいと思っています.英語学習そのものに没入することは,もちろん推奨します(私も英語教師の一人ですので,それを否定したら首が飛びます)が,一歩引いて英語を眺める機会をもつと,英語学習においてもぐんと気が楽になり,モチベーションも上がります.英語史を通じて,英語という学習ターゲットの正体がはっきり分かるようになるからです.対戦相手の素性を知ってから立ち向かうほうが,当然ストレスも軽減します.
(4) なぜ英語史を学ぶのかという真面目な疑問を抱いた方は,ぜひこちらの記事群をじっくりお読みください.
慶應義塾大学でも数日後に新学期が始まりますが,この4月,5月は私のゼミの学部生・院生たちの協力も得ながら英語史導入キャンペーンを張り,皆さんの英語史の学びを推奨していく予定です.ぜひ毎日更新する本ブログ(および,その広報としてのツイッターアカウント @chariderryu)をチェックしてもらえればと思います.
英語史の世界にようこそ!
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最終更新時間: 2024-12-16 08:44
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