cryptology (クリプトグラフィ)とは異なるが,広い意味で暗号作成法の1つとみなせるものに,steganography (ステガノグラフィ)がある.ギリシア語の stégeín (to cover) と grápheín (to write) に基づく連結形からなり,いわば「覆い書き,隠し書き」である (cf. stegosaur は「よろいで覆われた恐竜」の意;英語 thatch も印欧祖語の同根 *steg- に遡る).クリプトグラフィが,誰でも暗号であると見てすぐに分かるような典型的な暗号を指すのに対して,ステガノグラフィはそれを見ても,そもそも暗号があるとは気づかないタイプを指す.例えば,乾くと消える明礬水などで紙にメッセージを書き,火であぶれば文字が浮き出す「あぶり出し」が,ステガノグラフィの1つの典型である.メッセージそのものに手を加えて言語的に解釈するのを難しくするのではなく,メッセージはいじらずに,暗号者と復号者の間に回路が開いていること自体を悟られないようにする秘匿法である(ただし,両者を組み合わせて秘匿の度合いを高めるという場合もある).
ステガノグラフィの種類を分類すると,以下のようになる(詳しくは,リクソン(著)『暗号解読事典』の4章「ステガノグラフィ」 (pp. 398--431) を参照).
┌─── 物理的隠匿
│
ステガノグラフィ ───┤ ┌─── セマグラム
│ │
└─── 言語的隠匿 ───┤
│
└─── その他
物理的秘匿とは,上の「あぶり出し」(隠顕)を始めとして,スパイ小説などでお馴染みのように,隠された仕切り・ポケット・くりぬいた本・傘の柄などにメッセージを埋め込んだりする手法や,頭髪を剃り落として頭皮にメッセージを書いた上で髪を伸ばして隠す方法,蜜蝋を塗って文字を隠した書字板など,各種の方法がある.極小の字を書き込んで,文字の存在自体を悟られないようにするのも,この一種だろう.
言語的隠匿は,一歩,クリプトグラフィに近い.まず「セマグラム」と呼ばれる方法がある.リクソン (408) によると,「ドミノの点,予め決めておいた意味をお伝えるような位置に置いた写真の中の被写体,あるいは絵の中で,木の短い枝と長い枝がモールス符号のトンツーを表すようにしておくのである.第三者にとっては,そこに情報が隠されているとは判らない」.要するに,一見何の変哲もない絵や図のなかに,関与者にしかわからない形で(代替)言語的メッセージを埋め込んでおくものである.
その他の言語的隠匿法として,何の変哲もない自然な文章のなかに,密かに秘密のメッセージを隠す種々のやり方がある.怪しくない普通の文章の各単語の頭文字だけを拾っていくと重要なキーワードになっていたり (cf. 「#1875. acrostic と折句」 (
[2014-06-15-1])),特定の文字の字体を微妙に変えて合図したり,部分的に穴の空いた金属板(=グリル)を文章の上に重ねて,穴の部分のみを読むとメッセージになっていたり,ある語句の存在・不在が何らかのコードとなっているものなど,様々なものがある.
ステガノグラフィは気づかれてしまったら最後という弱点があるし,作成に時間がかかるなどの理由で,秘匿メッセージが日常的に大量にやりとりされる戦時中などにはさほど用いられなかった.暗号の歴史を通じて,主流はステガノグラフィではなくクリプトグラフィだったのである.つまり,秘匿メッセージであること,秘匿メッセージをやりとりしていること,秘匿方法(アルゴリズム)の種類をむしろ公開してしまい,ある意味で堂々と復号者に挑戦状をたたきつけるような方法が主流となってきたのである.通常の言語コミュニケーションで喩えれば,「コソコソした内緒話し」ではなく「堂々と翻訳で勝負」が主流となってきた,というところか.
・ フレッド・B・リクソン(著),松田 和也(訳) 『暗号解読事典』 創元社,2013年.
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