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2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
時間をかけて鎌田(著)『地球の歴史』の3巻本を読み終えた.人類史,世界史,日本史などをズームアウトした巨視的な視点でとらえるビッグ・ヒストリーがはやっているが,この地球史からみると,人類の歴史なり言語の歴史なりがいかに小さな話題かがわかる(「#751. 地球46億年のあゆみのなかでの人類と言語」 ([2011-05-18-1]) を参照).ただし時間的に小さな話題ではあるが,その重要性を矮小化するわけではない.大きな視点に立つと見方が変わってくるということだ.
著者は,第3巻の「長めのあとがき」で「地球科学特有のものの考え方,視座がある」 (255) として4点を挙げている.
(1) 科学的ホーリズム (Holism)
(2) 長尺の目
(3) 歴史の不可逆性
(4) 現場主義,または「百聞は一見に如かず」
これらの点は,同じ歴史を扱う学問としての英語史にとっても示唆的である.(1) は,様々な現象が複雑に絡み合う複雑系の地球を理解するためには,その複雑な全体を1つのシステムとして理解する発想が不可欠だということだ.地球とは,生物学,数学はもとより歴史学,経済学などあらゆる学問を動員しなければ理解できない代物である,ということを述べている.
(2) について,著者は「要素還元主義で未来予測を行うと,近視眼的な結論しか出ない事が多い.それに対して何万年,何千万年というスケールで捉えることにより,長期的な予測が可能となる.『過去は未来を解く鍵』というキーフレーズの拠りどころは,こうした長尺の目にある」 (257) とコメントしている.時代を前後に大きく飛び越えた視点が大切なのだ.
(3) について,著者の言を以下に引用しよう (258) .英語史にもほぼそのまま当てはまる.
そもそも不可逆な現象を多数扱うものだから,理論の通りに進行することが少ない.言い換えれば地球科学は「例外にあふれている」という特徴を持つ.地球の歴史には思わぬ事件が多数登場するが,われわれ地球科学者は起きた現象をできるだけ正確に記述しようとする.十九世紀以来の地質学の蓄積によって,記述と体系化はかなりできるようになった.しかし,それがなぜ起きたのかという根源的な質問に答えられる場合は,実に少ない.
このような特徴ゆえに,地球科学は「例外や想定外に出会ってもうろたえない」「知的な強靱さ」 (259) を持ち合わせているという.これは嬉しい言葉だ.
(4) は,五感に近いところで研究を進めるべしという原則である.
歴史科学全般について,この4点から学べることは多い.
・ 鎌田 浩毅 『地球の歴史(上・中・下巻)』 中央公論新社〈中公新書〉,2016年.
本ブログでいくつか掲載してきた英語史年表のコレクションに,もう1つを加えよう.安藤貞雄『英語史入門』の第1章に「英語の外面史」と題する年表 (4--17) である.古代・中世についてかなり詳しいのが特徴(特長).
OE 外面史 (449--1100) | |
【先史時代】 | |
2500--2000BC | スペイン・フランスにも住んでいた,短身,黒髪の新石器人種である Iberia 種族,menhir (立石),dolmen (環状列石)などの巨石遺跡を残す. |
【ケルト族の移住】 | |
c2000BC | ケルト族 (Celts),大陸の Armorica (=Brittany) から Britannica (=Britain) に渡る.やがて,ピクト族 (Picts),Scythia (おそらく Scandinavia)から Caledonia (=Scotland) に移住.のちに,スコット族 (Scots),Hibernia (=Ireland) から Scotland の西半分に移住する. |
【ローマ人による征服 (Roman Conquest)】 | |
55--54BC | Caesar, 2度にわたりブリテン島を侵攻. |
AD47 | ローマ皇帝 Claudius, ブリテン島を征服,以後約350年間,ローマ帝国の支配下に置く. |
122--26 | Hadrianus 皇帝,スコットランド連合軍の侵略を防ぐ目的で,イングランド北部に125キロの城壁 (Hadrian's Wall) を築く. |
395 | ローマ帝国,東西に分裂. |
410 | 最後のローマ軍団,Vandal 族からローマを守ためにブリテン島から撤退. |
【ヴァイキングの侵入】 | |
449 | ブリテン王,北方の Pict 族の撃退を大陸のジュート族 (Jutes) に依頼,Pict 族,至るところで打ち破られる. |
455 | Jute 族,Kent に移住. |
477 | Saxon 族,Sussex に移住. |
496 | 別の Saxon 族,Wessex に定住. |
547 | Angle 族,Humber 川の北に Northumbria 王国を建国.6世紀末までに Anglo-Saxon Heptarchy (7王国)の時代となる. |
【キリスト教化】 | |
563 | St. Columba,アイルランドから12人の修道士を伴い,Iona [aióunə] 島に渡り,修道院を建立(アイルランド系キリスト教). |
597 | St. Augustine, キリスト教宣教のために教皇 Gregory I によってローマから Kent 王国へ派遣される(ローマキリスト教). |
604 | Kent 王,ロンドンに St. Paul's 会堂を創建. |
617--85 | Northumbria,イングランドを制覇,政治・文化の中心となる. |
635 | アイルランド生まれの St. Aidan [éidn], Northumbria に渡り,Lindisfarne に修道院を創設,宣教に努める. |
657--80 | Whitby の女子修道院の牛飼いであった Cædmon, 霊感を得て天地想像の賛美歌 (Hymn) を歌う. |
664 | Northumbria の Whitby での宗教会議,ローマキリスト教の優位が認められる. |
c725 | ゲルマン語最古の叙事詩 Beowulf の原本成る(ただし,British Library 所蔵の唯一の現存写本は1000年ごろのもの). |
731 | Jarrow の修道院の司祭 St. Bede, Historia Ecclesiastica Gentis Anglorum (英国民教会史)を完成(本文ラテン語,アングロサクソン族がキリスト教化された歴史を述べる). |
780--850 | 詩人 Cynewulf (Elene, The Fates of the Apostles, Christ II, Juliana) . |
【デーン人の征服】 | |
793--4 | Lindisfarne,および Jarrow の修道院,デーン人 (Danes) により掠奪される. |
829 | Wessex 王 Egbert, Mercia を征服,7王国を統一する. |
851 | デーン人,イングランドで初めて越冬,London, Canterbury を占領. |
866--71 | デーン人,East Anglia, Northumbria, Mercia を攻略,続いて Wessex に侵入. |
871--99 | Alfred 大王の治世,教会の復興,僧院の建設,学問の復興に努める.教皇 Gregory, Orosius, Boethius の著作を翻訳し,Bede の教会史の OE 訳を提唱,Anglo-Saxon Chronicle の編集を指導する. |
878 | Wedmore 協定,Alfred 王,苦戦の末,侵入者デーン人を破り,London と Chester を結ぶ線の北側をデーンロー (Danelaw) (デーン人の法律が及び,かつ居住を許される地域)とした). |
c890 | Englisch (= English) という語,Bede の OE 訳に初出. |
901--50 | ノルウェー人,アイルランドを経てデーンロー地区へ移住. |
937 | Brunanburh の戦い,Wessex 王 Athelstan,デーン人を破り,英国の統一を確立. |
978 | Ethelred,英国王となる,デーン人の攻略を防げず,"the Unready" (無策王)とあだ名される. |
c990--98 | Ælfric, 司教のための説教集 Homilies や聖徒伝を書いて散文の発達の貢献,OE で初学者用ラテン文法書も書いた. |
991 | Olaf (のち Norway 王),英国に侵攻 (The Battle of Maldon (現存するのは325行)はこのさまを歌ったもの). |
c1000 | Beowulf 写本(当時の文学語 West-Saxon 方言に基づいて筆者),West-Saxon Gospels (West-Saxon 方言による最初の本格的英訳聖書で,6種の写本が残っている). |
1013 | デンマーク王 Svein,英国王 Ethelred を国外に追放,王位を奪う. |
1016 | Svein の息子 Canute,英国王位 (--35) につく(デンマーク王 (1019--35),ノルウェー王 (1028--35) を兼ねる). |
1042 | Ethelred 無策王の息子 Edward,英国王 (--66) となり,デーン人より王位を回復する."the Confessor" (篤信王)と呼ばれ,聖徒に列せられる. |
【ノルマン人の征服】 | |
1066 | Wessex 伯 Harold, Edward を継いで王位につく.Normandy 公 William, Hastings の戦いで Harold を破り,英国王 William I となる (--87) .支配階級はノルマンフランス語を日常語とし,多数のフランス語,英語に流入する. |
1079 | 教皇 Gregory VII, Vulgata 聖書(ラテン語訳)意外の使用を禁止(他の言語への翻訳は異端とみなされた). |
1086 | William I の勅命により,課税のための土地台帳 Domesday Book が完成. |
1087 | William II 即位 (--1100) . |
1096 | 聖地奪還のため第1回十字軍 (--99) .以後約2世紀にわたって第8回(1270年)まで続き,イスラム世界と接触する. |
ME 外面史 | |
1100 | Henry I 即位 (--35) . |
1106 | Henry I, 長兄の領土 Normandy をも英国王の所属とする. |
1135 | Blois 伯 Stephen,英国王となる (--54) . |
1154 | Anjou 伯 Henry,英国王 Henry II となり (--89) ,Plantagenet 王朝始まる (--1399) .この年まで Peterborough の修道院で Anglo-Saxon Chronicle (Laud Manuscript) が書きつがれ,1080年以降の部分の英語は明らかに ME の特徴を示している.(もう一つ重要な写本 Parker Manuscript は1070年で終わっている.) |
1162 | Thomas à Becket, Canterbury 大司教となる.教会の至上権を主張して Henry II と対立. |
1170 | Oxford 大学創立,Thomas à Becket,国王側に暗殺される. |
c1175 | Poema Morale (400行からなる宗教詩,英語で初めての脚韻を用いた). |
1189 | Henry II の第3子 Richard (the Lion-Hearted 獅子心王),英国王となり (--99) ,第3回十字軍を率いる. |
1199 | Henry II の末子 John (Lackland 失地王),英国王となる (--1216) . |
c1200 | Layamon: Brut, Ancrene Riwle 'Rule for Anchoress', Ormulum, The Owl and the Nightingale (いずれもフランス語ではなく,英語 (ie ME) で書かれている点が注目に値する). |
1204 | John 王,フランス王 Philip II と戦って,Normandy および大部分の大陸所領を奪われる. |
1215 | John 王,貴族たちの要求をいれ,Magna Carta に調印. |
1216 | John 王の息子 Henry III,9歳にして即位 (--72) . |
a1225 | King Horn (英国最初の韻文ロマンス).約200のフランス借入語がある. |
【英語の復権】 | |
c1250 | 英国王 Henry III とフランス王 Lous IX に対する英国貴族の二重忠誠終わる. |
1258 | Henry III, 悪政の抑止と政治の改革を求める「オックスフォード条項」 (Provisions of Oxford) を公布(英語とフランス語で書かれている) |
1264 | 「貴族の戦い」 (Baron's War) . Simon de Montfort の率いる貴族たち,Henry III を幽閉し,「オックスフォード条項」の遵守を要求する. |
1265 | 英国下院創設. |
1272 | Henry III の第1子 Edward I 即位 (--1307) .Wales を完全に征服 (-1307) . |
1300 | 英語再び上流階級の第1言語となる. |
1307 | Edward II 即位 (--27) . |
1314 | Edward II, Scotland 王と戦い,敗れる. |
a1325 | Cursor Mundi 「世界を走る者」(北部方言を用い,天地創造から最後の審判までを扱う長編宗教史). |
1327 | Edward III 即位 (--77) |
1337 | 百年戦争 (Hundred Years' War) (--1453) (Edward III が母方の権利によってフランス王位を要求して侵略を開始したため,英仏間で断続的におこなわれた戦争)始まる. |
1348 | 黒死病 (Black Death) ,ヨーロッパ全土に広がり,多数の聖職者が死亡.その後継者養成のため,grammar school が英国各地に設けられる (--50) .労働階級の日常語である英語の重要性が増す.最高の勲位ガーター勲位 (the Order of the Garter) 制定. |
1350 | 英国議会,上下両院に分かれる. |
1356 | London, Middlesex 州法廷で英語の使用始まる. |
1362 | 議会開会演説,初めて英語で行なわれる.訴答法 (Statute of Pleading) により,法廷用語も英語となる. |
c1362 | William Langland, Piers Plowman (寓意的な物語史). |
【宗教改革,聖書英訳】 | |
1374 | John Wyclif の宗教改革運動始まる. |
1377 | Richard II 即位 (--99) (Plantagenet 朝最後の王). |
1381 | Wat Tyler, John Ball らの農民一揆 (Peasants' Revolt) により,彼らの言語である英語の重要性がさらに増す. |
1383 | 最古の英語の遺言状書かれる. |
c1384 | 最初の完訳英語聖書 Wycliffite Bible 完成(Wyclif の指導のもとに公認ラテン語訳聖書 Vulgate から重訳).Wyclif, そのために殉教する. |
1385 | 英語による教育,すべての grammar school で定着する. |
c1387 | Geoffrey Chaucer, The Canterbury Tales (--1400) .Chaucer の全作品のロマンス語の借入語の比率は51.8%. |
1388 | Purvey, Wycliffite Bible を一層慣用的な英語にするべく改訂に着手. |
c1390 | Sir Gawayne and the Grene Knight (西中部方言で書かれた,ME ロマンスの代表的傑作). |
c1393 | John Gower, Confessio Amantis (恋する男の告解)(恋物語を集めたもの).Gower の全語彙のうち,ロマンス借用語は42.1%,本来語派54.9%,ON 借入語は1.9%である. |
c1395 | Wycliffite Bible 後期訳成る. |
1399 | Lancaster 公,Richard II を破り,Henry IV となる(Lancaster 王朝始まる (--1361)). |
1400 | 遺言書,一般に英語で書かれ始める. |
1413 | Henry V 即位 (--22) . |
1415 | Henry V,アジャンクール (Agincourt) でフランスの大群を破り,英国人に自信を与える. |
1423 | 国会の議事録,英語で記される. |
1425 | ロンドン方言が標準的な書き言葉になり,公文書に用いられる. |
1431 | Jeanne d'Arc (1412--) 焚殺される. |
1438 | ドイツの Gutenberg,活字印刷を始める. |
1442 | Henry VI 即位 (--61), York 公 Edward に王位を奪われ,Scotland に亡命する. |
1450 | 諸都市の記録,英語で行なわれる. |
1455 | バラ戦争 (Wars of Roses) 勃発,王位継承をめぐって York 家と Lancaster 家の間で争われた内乱 (--85) . |
1461 | Edward IV 即位 (--70) .York 王朝始まる. |
a1470 | Thomas Malory, Le Morte Darthur (散文による Arthur 王(ケルト人)伝説の集大成.近代初期散文の文体に決定的な影響を与える). |
1470 | Henry VI (Lancaster 家),王位回復 (--71) . |
1471 | Edward IV (York 家),再び王位回復 (--83) . |
1476 | William Caxton, Westminster で英国最初の印刷物出版を始め,標準英語を普及させる. |
1483 | Edward V (York 家),2ヶ月間英国を治めるが,野心家の叔父の Richard, Edward を暗殺し,Richard III (York 家)となる (--85) . |
1485 | Lancaster 家の血を引く Henry Tudor, Richard III と決戦してこれを殺し,Henry VII となる(Tudor 王朝始まる (--1603)). |
1489 | すべての法令,英語で記録される(1300年まではラテン語,それ以後はフランス語であった). |
ModE 外面史 | |
EModE 期 (1500--1700) | |
1500 | ルネッサンス (--1650) .学校教育が普及し,活字印刷の導入によって,古典作品の翻訳が盛んに行われ,正書法も徐々に確立していく.特にラテン語から約1万の語を借入するとともに,強い民族意識に支えられて,英語が学術語トしても使用されるようになった. |
1509 | Henry VIII 即位 (--47) . |
1522 | ドイツの Martin Luther,新約聖書のドイツ語訳を出版. |
1525 | William Tyndale [tìndl],ギリシア語原典より新約聖書を訳し,ドイツで出版.素朴にして雄渾な訳文は,のちの欽定訳英語聖書 (AV) などの手本となった. |
1534 | Henry VIII,ローマ教会と絶縁する.Martin Luther,旧新約聖書のドイツ語訳を完成. |
1535 | Henry VIII, Oxford 大学に古典文学講座を設ける.Coverdale's Bible (旧新約聖書を含むが,Luther 訳や Vulgata 聖書からの重訳であった). |
1536 | Henry VIII,小修道院を破戒,解散し,その土地と財産を没収する.Tyndale,絞首焚刑に処せられる. |
1537 | Matthew Bible (Tyndale 訳と Coverdale 訳をつなぎ合わせたもの). |
1539 | Henry VIII,大修道院を解体(多数の写本・文書が紛失する),The Great Bible (大きな folio 版のため,こう呼ばれた).Coverdale 主幹で完成(最初の英国国教会の公認訳). |
1541 | Henry VIII, King of Ireland の称号をアイルランド議会に承認させる. |
1543 | inkhorn terms (インク壺言葉)という用語の OED における初例.その難解さのゆえに嘲笑,非難された. |
1547 | Henry VIII の第1子 Edward VI, 10歳で即位 (--53) . |
1549 | Edward VI, The Book of Common Prayer を制定(その後,数回の改定を経て1662年版が決定版). |
?1552 | 詩人 Edmund Spenser 生まれる (--99) . |
1553 | Henry VIII と第1夫人の娘 Mary I (Bloody Mary) 即位 (--58) .母と同様カトリック教徒で,英国をカトリック教国に戻そうとして多くの新教徒を処刑する. |
1560 | The Geneva Bible (ジョネーヴに亡命中の Calvin 派の学者たちによる翻訳,正確な訳文は,のちの欽定訳英語聖書に大きな影響を与える). |
1561 | 親切の Merchant Taylors' School の校長 Richard Mulcaster,英語を古典語よりも優先する. |
1564 | 詩人・劇作家 William Shakespeare 生まれる (--1616) . |
1568 | The Bishops' Bible (Canterbury 大主教 Parker を主幹として,The Great Bible を改定したもの). |
1582 | The Rheims-Douai Bible (政府の弾圧を逃れて大陸に亡命中のカトリック教徒が Vulgata 聖書から新訳を重訳したもの).旧約は1609--10年に出版. |
1586 | Bullokar, Bref Grammar for English (最初の英文法書). |
1588 | Drake, Hawkins ら,スペインの無敵艦隊 (Invincible Armada) を撃退,英国の海外進出の道を開く. |
1590--1620 | 英国劇全盛時代. |
1603 | スコットランドの James VI,英国王 James I となり,Stuart 王朝始まる (--1714) .王権神授 (Divine Right) を信じ,カトリック教徒と清教徒を圧迫する. |
1605 | James I に失望したカトリック教徒による,告解を撃破しようとした陰謀事件 (Gunpowder Plot) ,カトリック教徒 Guy Fawkes が首謀. |
1611 | 『欽定訳英語聖書』 (The Authorized Version of the Bible, AV) .本来語が多用され,延語数で約90%,近代英語の文体に大きな影響を与え,引用句辞典でも Shakespeare を抜いて最大の源泉. |
1620 | 102名の清教徒 Pilgrim Fathers,自由の天地を求めて北栄の Cape Cod に上陸.New England の建設に乗り出す. |
1623 | Condell and Heminge, Shakespeare の First Folio を出版. |
1625 | James I の子 Charles I 即位 (--49) .フランス王女と結婚,宮廷にカトリック的・専制的傾向が浸透. |
1631 | 詩人・劇作家・批評家 John Dryden (--1700) 生まれる. |
1636 | Harvard 大学創立. |
1638 | Sir Henry Spelman, Cambridge 大学で Anglo-Saxon 語講座を担当(まもなく廃絶). |
1640 | Ben Jonson,外国人のために The English Grammar を著す. |
1642 | 内乱 (Civil War) が起こる (--51) .Charles I,清教徒を弾圧,専制的で議会を無視したため,全国が王党 (Cavaliers) と議会党 (Roundheads) に分かれて戦った.倫敦の劇場閉鎖. |
【共和制始まる】 | |
1649 | Charles I 処刑され,共和制 (Commonwealth) 始まる (--60) . |
1650 | 理性の時代 (Age of Reason) (--1714) .形式・バランス・抑制・調和・品位・秩序が重んじられる. |
1653 | Oliver Cromwell (1599--1658),護国卿 (Lord Protector) となる. |
【王政復古】 | |
1660 | フランスに亡命中の Charles II (「陽気な王様」 "Merry Monarch")即位,王政復古 (Restoration) 成る.劇場再開. |
1662 | 英国学士院 (Royal Society) 認可(会員に簡潔明晰な表現を要求したので,散文の発達にも貢献). |
1664 | 英国学士院,「英語改良委員会」を設置(John Dryden が最も積極的に働いた). |
1667 | John Milton, Paradise Lost 『楽園喪失』,荘重体を用いて人間の原罪と神の摂理を説く. |
1678 | John Bunyan, The Pilgrim's Progress 『天路歴程』(寓意物語),広く読まれて小説勃興の気運を促す. |
1685 | York 公,James II として即位 (--88) .カトリック教徒で専制的であったため,人心離反し革命を招く. |
1688 | 名誉革命 (Glorious Revolution) .James II は,アイルランドへ逃亡し,王女 Mary と夫 William of Orange (オランダ人)が,Mary II (--1694), William III (--1702) として,共同で王位を継ぐ. |
LModE 期 (1700--1900) | |
【ジャーナリズムの勃興】 | |
1702 | Mary II の妹 Anne 即位 (--14) .“文芸全盛期” (Augustan Age) 始まる (--26) ,Samuel Beckley, 英国最初の日刊新聞 The Daily Courant を創刊 (--35) . |
1704 | Daniel Defoe, A Weekly Review of the Affairs of France and of All Europe を創刊 (--12) . |
1707 | Scotland の議会,England の議会と合流,連合王国 (The United Kingdom of Great Britain) が成立する. |
1708 | ロンドンで coffee-house が全盛期で,その数3000.文学・政治・時事問題などが論じられる. |
1709 | Sir Richard Steele, 週3回発行の刊行物 The Tatler を発行 (--11) . |
1711 | 日刊紙 The Spectator 創刊 (--14) .二人の編者 Addison と Steele の英語は,整然として平明であり,その後の英語の文体に大きく影響した. |
1712 | Swift, "A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue" (アカデミーの提唱). |
1714 | Anne 女王没.Tory 党権力を失い,Whig 党の推す James I の曾孫 Hanover 選挙公 George Louis が,George I として王位につく(今日まで続く Honaver 王朝の始まり).彼はドイツ人で全く英語が話せず,宮廷ではフランス語を使用した.閣議も欠席しがちで,ために内閣の独立性が強まった. |
1721 | Bailey, An Universal Etymological English Dictionary. 難語だけでなく,基本語も収録し,本格的に語源も示した最初の英語辞書.Johnson の事典の基礎となる.増補を続け,1802年まで30版を重ねた. |
1727 | George II 即位 (--60) . |
1731 | 公用語としてのラテン語を全廃する. |
1753 | 大英博物館 (British Museum) 創立. |
1755 | Samuel Johnson, A Dictionary of the English Language. 出典を明示,慣用として行なわれる綴り字を提示し,その固定化に寄与した.この辞典は,英国ではできなかったアカデミーの代わりとしたと言える. |
1760 | George III 即位 (--1820) . |
1762 | Robert Lowth [lauθ], A Short Introduction to English Grammar. 典型的な規範文法で,広く読まれ,米国でも好評を博した. |
1768 | Encyclopaedia Britannica (初版3巻)発刊(第4版 (1801--10) は全20巻). |
1776 | アメリカ合衆国,独立を宣言(7月4日). |
1783 | James Watt, 蒸気機関を発明.続いて産業革命起こる. |
1795 | Lindley Murray, English Grammar. will と shall の使い分け,二重否定,It's me の禁止など,18世紀中葉以来の規範文法の集大成で,19世紀末まで学校文法を風靡した. |
1805 | Nelson 提督,Trafalgar 沖海戦でフランス艦隊を破り,制海権を握る.英国は世界貿易の大部分を制し,英語の威信も高まる. |
1806 | Noah Webster, A Compendious Dictionary of the English Language. のちにアメリカの綴り字として定着する新綴り字法を使用.この辞書の百科辞書的編纂法はアメリカの辞書の伝統となる.最新番は Webster's Third New International Dictionary of the English Language (1961) で,残念ながら百科辞典的傾向が失われてしまった. |
1820 | George IV 即位 (--30) . |
1832 | First Reform Bill (商工業者に選挙権). |
1837 | Victoria 女王即位 (--1901) . |
1861 | アメリカの南北戦争 (Civil Law) (--65) . |
1867 | Second Reform Bill (納税している中流下層部に選挙権). |
1881 | Revised Version (RV) の新約出版.旧約は1885年. |
1884 | The New English Dictionary (NED) Part I (A--Ant) 刊行される(1928年に完成,全10巻).のちに13巻に分けて The Oxford English Dictionary (OED) と改称,Supplement (1933) . |
1884 | Third Reform Bill (小作人に選挙権). |
PE 期 (1900--) | |
1901 | Edward VII 即位 (--10) .The American Standard Version of the Bible (ASV) ,米国で出版. |
1910 | George V 即位 (--36) . |
1914 | 第一次世界大戦 (--18) . |
1928 | Last Reform Bill (女性に選挙権). |
1936 | Edward VIII 即位 (--36) .George VI 即位 (--52) . |
1939 | 第二次世界大戦 (--45) . |
1946 | ASV の改訂版 Revised Standard Version の新約,米国で出版.旧約は1952年. |
1952 | Elizabeth II 即位. |
1961 | The New English Bible (NEB) 新約出版.旧約は1970年.その英語について,各方面からきびしい批判にさらされる. |
1966 | The Jerusalem Bible (各書の解説と注に特色). |
1988 | OED 第2版(20巻)刊行. |
1989 | The Revised English Bible (NEB の全面改定訳).その改訂版 The New Revised English Bible (1990) では,thou, thee などが除去され,性差別表現が回避されている. |
ヘブライ語 (hebrew) は,いわずとしれた旧約聖書の言語であり,ユダヤ・キリスト教の影響化にある多くの言語に影響を与えてきた.英語も例外ではなく,古英語期から近代英語期まで,ラテン語やギリシア語に媒介される形で,主に語彙的な影響を被ってきた.宇賀治 (119--20) に従って,いくつかの借用語を示そう.
・ amen: 「アーメン」(祈りの終わりの言葉).「そうでありますように」 (So be it!) の意.
・ cabal: 「陰謀団,秘密結社」.
・ cherub [ʧérəb]: 「ケルビム,第2天使」
・ hallelujah: 「ハレルヤ」(神を賛美する叫び).「主をほめたたえよ」 (Praised be God!) の意.
・ hosanna: 「ホサナ」(神またはキリストを賛美する叫び).「救い給え」 (Save, we pray) の意.
・ jubilee: 「ヨベルの年;記念祭」(ユダヤ教で50年ごとに行われる安息の年).
・ leviathan: 「リヴァイアサン」(巨大な海の怪物).
・ manna: 「マナ」(モーゼ (Moses) に率いられたイスラエル人がエジプト脱出に際して荒野で飢えたとき神から恵まれた食物).
・ rabbi: 「ラビ」(ユダヤ教の聖職者,律法学者等).
・ sabbath: 「安息日」.
・ satan: 「サタン,(キリスト教でいう)悪魔」.
・ schwa: 「シュワー,(アクセントのない)あいまい母音.
・ seraph: 「セラピム,熾天使」.
・ shibboleth: 「(ある階級・団体に)特有の言葉[慣習・主義など]」.敵対するエフライム人 (Ephraimites) が [ʃ] 音を発音できないことから,ギレアデ人 (Geleadites) が敵を見分けるためにこの語を用いた(旧約聖書 Judges 12: 4--6 より).
ほかに大槻・大槻 (96) より補えば,bar mitzvah (バル・ミツバー[13歳の男子の宗教上の一種の成人式]),Jehovah (ヤハウェ),Rosh Hashana (ユダヤの新年祭),sapphire (サファイア), babel (バベルの塔),behemoth (ビヒモス[巨獣]),cider (リンゴ酒),jasper (碧玉),shekel (シケル銀貨),kosher ((食物が)律法にかなった),kibbutz (キブツ[イスラエルの集団農場])などがある.
人名に多いことも付け加えておこう.例として,「#3408. Elizabeth の数々の異名」 ([2018-08-26-1]) と「#3433. 英語の男性名 John」 ([2018-09-20-1]) を参照.
・ 宇賀治 正朋 『英語史』 開拓社,2000年.
・ 大槻 博,大槻 きょう子 『英語史概説』 燃焼社,2007年.
「#3616. 語幹母音短化タイプの比較級に由来する latter, last, utter」 ([2019-03-22-1]) で取り上げたように,中英語では,形容詞の比較級において原級では長い語幹母音が短化するケースがあった.これを詳しく理解するには,古英語および中英語で生じた "Pre-Cluster Shortening" なる音変化の理解が欠かせない.
"Pre-Cluster Shortening" とは,特定の子音群の前で,本来の長母音が短母音へと短化する過程である.音韻論的には,音節が「重く」なりすぎるのを避けるための一般的な方略と解釈される.原理としては,feed, keep, meet, sleep などの長い語幹母音をもつ動詞に歯音を含む過去(分詞)接辞を加えると fed, kept, met, slept と短母音化するのと同一である.あらためて形容詞についていえば,語幹に長母音をもつ原級に対して,子音で始まる古英語の比較級接尾辞 -ra (中英語では -er へ発展)を付した比較級の形態が,短母音を示すようになった例のことを話題にしている.Lass (102) によれば,
Originally long-stemmed adjectives with gemination in the comparative and superlative showing Pre-Cluster Shortening: great 'great'/gretter, similarly reed 'red', whit 'white', hoot 'hot', late. (The old short-vowel comparative of late has been lexicalised as a separate form, later, with new analogical later/latest.)
長母音に子音群が後続すると短母音化する "Pre-Cluster Shortening" は,ありふれた音変化の1種と考えられ,実際に英語音韻史では異なる時代に異なる環境で生じている.Lass (71) によれば,古英語で生じたものは以下の通り(gospel については「#2173. gospel から d が脱落した時期」 ([2015-04-09-1]) を参照).
About the seventh century . . . long vowels shortened before /CC/ if another consonant followed, either in the coda or the onset of the next syllable, as in bræ̆mblas 'branbles' < */bræːmblɑs/, gŏdspel 'gospel' < */goːdspel/. This removes one class of superheavy syllables.
この古英語の音変化は3子音連続の前位置で生じたものだが,初期中英語で生じたバージョンでは2子音連続の前位置で生じている.今回取り上げている形容詞語幹の長短の交替に関与するのは,この初期中英語期のものである (Lass 72--73) .
Long vowels shortened before sequences of only two consonants . . . , and --- variably--- certain ones like /st/ that were typically ambisyllabic . . . . So shortening in kĕpte 'kept' < cēpte (inf. cēpan), mĕtte met < mētte'' (inf. mētan), brēst 'breast' < breŏst 'breast' < brēost. Shortening failed in the same environment in priest < prēost; in words like this it may well be the reflex of an inflected form like prēostas (nom./acc.pl.) that has survived, i.e. one where the /st/ could be interpreted as onset of the second syllable; the same holds for beast, feast from French. This shortening accounts for the 'dissociation' between present and past vowels in a large class of weak verbs, like those mentioned earlier and dream/dreamt, leave/left, lose/lost, etc. (The modern forms are even more different from each other due to later changes in both long and short vowels that added qualitative dissociation to that in length: ME /keːpən/ ? /keptə/, now /kiːp/ ? /kɛpt/, etc.)
latter (および last) は,この初期中英語の音変化による出力が,しぶとく現代まで生き残った事例として銘記されるべきものである.
・ Lass, Roger. "Phonology and Morphology." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Cambridge: CUP, 1992. 23--154.
昨日の記事に引き続き「原形の命令用法」に関する問題.松瀬は昨日引用した論文とは別の関連論文のなかで,より突っ込んだ英語教育の観点からこの問題に切り込んでいる.「原形の命令用法」を押し出すことで,関連する諸現象とともに一貫した英文法を提供できるのではないかという.その「まとめ」を引用したい (78) .
結局,現代英語で命令形を構成する主要動詞要素は(たとえ言語的事実は,命令法を体現する定形動詞の摩耗形であったとしても,独自の動詞形態を持たない以上)「原形(不定詞)」と捉えざるを得ず,「動詞の法」の観点からは決してそれを定形と呼ぶわけにはいかないが,「文の法」としては定形とも見なされるので,その意味で「命令文」と呼ぶことも可能であると結論づけられる.しかも,従属節接続法現在形でも,法助動詞が現れないときには,命令形と同様に原形のみが現れるとする見方は,その義務や勧告を表す意味機能との親和性とも相俟って,非常に統一感のある捉え方だと言っていい.命令法と接続法現在形を原形が表す非事実的法性で一括りに捉えることができるということである.確かに,「法」の概念自体は英語教育の現場では等閑視されている項目であろうが,「原形」という言い方は非常によく使われている現状を考えたとき,むしろこれを前面に押し出した指導法には大いにメリットがあると思われる.
学校では,いわゆる三単現の -s については,(本来なら非常に重要で,理解に不可欠な)直説法という概念は無視して,やかましく指導されるが,それに真っ向から反する,従属節接続法現在形の he do という連鎖を理解するためには,法に関しての知識がどうしても必須である.そこでたとえ「法」という言葉は使わないにしても,両者間にある事実性と非事実性という対立を教員は是非とも指摘しなければならない.その際,動詞の「原形」は非事実的法性(の一部)を担うという考え方を披瀝することは,法や定形性の意味的理解を深める上でも十分に有効であろう.
通時的な事実を十分に押さえた上で,あえてその発想から決別し,共時的な体系化を図るという論者の姿勢は,おおいに真似したいところだ.また,引用後半にあるように,この問題は裏から迫った「3単現の -s」の問題とも換言できそうで,示唆に富む.
・ 松瀬 憲司 「定形か非定形か---英語の命令「文」について---」『熊本大学教育学部紀要』第63巻,2014年,73--79頁.
現代英語について命令法 (imperative mood) を認めるか否かという問題は,英語学でもたびたび議論がなされてきた.法 (mood) を純粋に形態論的なカテゴリーと解するならば,伝統文法でいう動詞の「命令形」は原形(不定詞)と同一であるから,ここに独自の法を設定する必要はないということになる.むしろ,原形(不定詞)を基本に据えて,その用法の1つとして命令用法があると考えるほうがすっきりする.命令用法と原形の他の諸用法には,意味的な「非事実性」および統語意味的な「非定性」という共通項も見出され,その点でも理論的に都合がよい.さらにいえば,従来「接続法現在」と呼ばれてきたものも形態的には原形と異ならないのだから,やはり同じグループに入ることになるだろう.実際,「接続法現在」はまさに「非事実性」を持ち合わせている.
上で述べてきたことは,原形,命令形,接続法現在形とそれらの用法は「非事実性」の法として1つにくくることができるという提案だが,ある意味で「非事実性」の典型ともいえる「未来」への言及が,これらと同形(=原形)によって担われないのはなぜかという問題は残る.「仮定」や「思考」の表現においても同様である.このように法,時制,定性,非事実性などの諸カテゴリーが複雑に交錯する問題を扱うのは決して容易ではない.「命令法」の扱いを改めようと一押しすると,「未来時制」の扱いに不都合が生じる,といった玉突きが生じるからだ.
上の議論は,およそ松瀬の議論の要約である.松瀬論文では,通時的・共時的な観点からこの問題に迫っているが,その「まとめ」は次の通り (98) .
高度に屈折した古典語では,法を区別する手立ては十分すぎるほどあり,その存在意義もまた十分にあったが,完全とまでは言えず,同じ動詞形態が複数の法を表すことも一部だがあった.おそらくそのような形態上の重複という形式面と,直説法現在が未来の事象までも射程に入れることが可能だったという意味的側面とが相まって,有標の接続法ではなく,無標の直説法のなかに未来時を設定することが常態化していたのではないかと考えられる.
それに対して,動詞の語形変化が古英語に比べて極めて簡素化された現代英語では,もはや動詞形態としての法を明示することができない状況にあるが,それでも事実的法性は,〔中略〕'stance' marker として機能する.will などの法助動詞や if などの特殊なマーカーおよび,従属節を従える場合でも,suggest や require といった主節動詞の持つ意味によって過不足無く伝えることができる.このように考えれば,未来時の指示は,典型的には法助動詞 will という stance marker により,その非事実的法性を表す有標な構造と捉えることができ,そこには直説法や接続法といった法概念を特に持ち込む必要はないことになる.さらに付け加えれば,非事実的法性を表す有標構造には,時として従属節に(節たり得ない)非定形動詞である原形(不定詞)が現れる.それは別の見方をすれば,〔中略〕伝統的な命令法を,その動詞を定形動詞ではなく原形(不定詞)と見なした場合,まさにその命令法形が従属節に埋め込まれているとも考えられるわけで,だとすると逆に,非事実的法性を表す原形(不定詞)の一用法として従来の命令法を捉えることもでき,命令法自体を法の一種として別立てにする必要も同時になくなることになる.
英語学的に「命令」をどう扱うべきかという問題は,当然ながら英語教育にも関わってくるだろう.
・ 松瀬 憲司 「未来時に「事実性」はあるのか---英語の直説法と接続法---」『熊本大学教育学部紀要』第62巻,2013年,91--100頁.
「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]) や「#3036. Lowth の禁じた語法・用法」 ([2017-08-19-1]) で紹介したように,規範文法家の第一人者 Robert Lowth による1762年の文法書には様々な語法の禁止条項がみえるが,連日取り上げている形容詞の比較についても,2重比較級 (double_comparative) と,意味的に過剰な最上級へのダメ出しがなされている.Lowth (34--35) より関連箇所を抜き出そう.
[4] Double Comparatives and Superlatives are improper.
"The Duke of Milan, / And his more braver Daughter could controul thee." "After the most straitest sect of our religion I lived a Pharisee." Shakespeare, Tempest. Acts xxvi. 5. So likewise Adjectives, that have in themselves a Superlative signification, admit not properly the Superlative form superadded: "Whosoever of you will be chiefest, shall be servant of all." Mark x. 44. "One of the first and chiefest instances of prudence." Atterbury, Serm. IV. "While the extremest parts of the earth were meditating a submission." Ibid. I. 4.
"But first and chiefest with thee bring
Him, that you soars on golden wing,
Guiding the fiery-wheeled throne,
The Cherub Contemplation." Milton, Il Penseroso.
"That on the sea's extremest border stood." Addison, Travels.
But poetry is in possession of these two improper Superlatives, and may be indulged in the use of them.
. . . .
[5] "Lesser, says Mr. Johnson, is a barbarous corruption of Less, formed by the vulgar from the habit of terminating comparisons in er."
"Attend to what a lesser Muse indites." Addison.
Worser sounds much more barbarous, only because it has not been so frequently used:
"Chang'd to a worser shape thou canst not be." Shakespeare, 1 Hen. VI.
"A dreadful quiet felt, and worser far / Than arms, a sullen interval of war." Dryden.
ダメだしされているのは more braver, lesser, worser のような2重比較級,most straitest のような2重最上級,そして chiefest, extremest のようにもともと最上級に相当する意味をもっている形容詞をさらに最上級化する過剰最上級の例である.しかも,槍玉にあがっているのは Shakespeare, Milton, Addison, Dryden などの大物揃いだから読み応えがある(この戦略も Lowth の常套手段である).なお,lesser は現在では普通に用いられていることに注意.
Shakespeare の worser 使用については「#195. Shakespeare に関する Web resources」 ([2009-11-08-1]) を参照されたい.また,Dryden はここで worser の使用ゆえに Lowth によって断罪されているが,「#3220. イングランド史上初の英語アカデミーもどきと Dryden の英語史上の評価」 ([2018-02-19-1]) で触れたように,実は Dryden 自身が2重比較を非難していたのである.
近代英語における2重比較については「#3615. 初期近代英語の2重比較級・最上級は大言壮語にすぎない?」 ([2019-03-21-1]) も要参照.
・ Lowth, Robert. A Short Introduction to English Grammar. 1762. New ed. 1769. (英語文献翻刻シリーズ第13巻,南雲堂,1968年.9--113頁.)
1755年の Johnson の辞書の序文に "Grammar of the English Tongue" と題する英文法記述の章がある.そこで形容詞の比較についてもスペースが割かれているが,-er/-est 比較か more/most 比較かという使い分けの問題は,当時も規則に落とし込むのが難しい問題だったようだ.Johnson なりの整理の仕方を見てみよう.
The Comparison of Adjectives.
The comparative degree of adjectives is formed by adding er, the superlative by adding est, to the positive; as, fair, fairer, fairest; lovely, lovelier, loveliest; sweet, sweeter, sweetest; low, lower, lowest; high, higher, highest.
Some words are irregularly compared; as good, better, best; bad, worse, worst; little, less, least; near, nearer, next; much, more, most; many (or moe), more for moer), most (for moest); late, latter, latest or last.
Some comparatives form a superlative by adding most, as nether, nethermost; outer, outmost; under, undermost; up, upper, uppermost; fore, former, foremost.
Many adjectives do not admit of comparison by terminations, and are only compared by more and most, as benevolent, more benevolent, most benevolent.
All adjectives may be compared by more and most, even when they have comparatives and superlatives regularly formed; as fair; fairer, or more fair; fairest, or most fair.
In adjectives that admit a regular comparison, the comparative more is oftener used than the superlative most, as more fair is oftener written for fairer, than most fair for fairest.
The comparison of adjectives is very uncertain; and being much regulated by commodiousness of utterance, or agreeableness of sound, is not easily reduced to rules.
Monosyllables are commonly compared.
Polysyllables, or words of more than two syllables, are seldom compared otherwise than by more and most, as deplorable, more deplorable, most deplorable.
Disyllables are seldom compared if they terminate in some, as fulsome, toilsome; in ful, as careful, spleenful, dreadful; in ing, as trifling, charming; in ous, as porous; in less, as careless, harmless; in ed, as wretched; in id, as candid; in al, as mortal; in ent, as recent, fervent; in ain, as certain; in ive, as missive; in dy, as woody; in fy, as puffy; in ky, as rocky, except lucky; in my, as roomy; in ny, as skinny; in py, as ropy, except happy; in ry, as hoary.
Johnson はこのように整理した上で,なおこれらの規則に沿わない例も散見されるとして,Milton や Ben Jonson からの実例を挙げている.
それでも上に引用した記述には,興味深い点が多々含まれている.たとえば,位置・方角を表わす語では most が接尾辞として付加されるというのは語源的におもしろい (ex. nethermost, outmost, undermost, uppermost, foremost) .outer については「#3616. 語幹母音短化タイプの比較級に由来する latter, last, utter」 ([2019-03-22-1]) を参照.また,foremost については「#1307. most と mest」 ([2012-11-24-1]) を参照.
加えて,句比較を許す形容詞について most を用いる最上級よりも more を用いる比較級のほうが高頻度だというのも興味深い指摘だ.比較級と最上級ではそもそも傾向が異なるかもしれないという視点は,示唆に富む.
Milton の時代には許された virtuousest, famousest, pow'rfullest などが Johnson (の時代)では許容されなくなっているという点も見逃せない.Johnson がすでに現代的な感覚をもっていたことになるからだ.使い分けの細部を除けば,Johnson の時代までに現代の分布の大枠はできあがっていたと考えてよさそうだ.
一方,そのような「細部」の1点について,Lass が指摘していることも示唆的である.Lass (157) は,Johnson では許容されていない woody, puffy, rocky, roomy などの屈折比較が現在では許容されている事実を考えると,当時から現代までに屈折比較の適用範囲が拡大してきた可能性があると述べている.もしそうならば,一種の語彙拡散 (lexical_diffusion) の例としてみることもできるだろう.
18世紀の規範文法の読み直しは,後期近代英語から現代英語にかけての言語変化の「発見」を促してくれる.
・ Lass, Roger. "Phonology and Morphology." 1476--1776. Vol. 3 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 56--186.
現代英語における標記の問いは,いまだ決着のついていない問題である.英語史的にも,その発達や現状について単純に記述することは難しく,いまなお研究が進められている.屈折比較と句比較の競合の歴史的な背景については,「#403. 流れに逆らっている比較級形成の歴史」 ([2010-06-04-1]),「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1]),「#3032. 屈折比較と句比較の競合の略史」 ([2017-08-15-1]),「#3349. 後期近代英語期における形容詞比較の屈折形 vs 迂言形の決定要因」 ([2018-06-28-1]),「#3614. 初期近代英語の2重比較級・最上級は大言壮語にすぎない?」 ([2019-03-21-1]) などで紹介してきたので,そちらをご覧ください.
今回は,現代標準英語における比較級・最上級の両タイプの形成法の分布に関して,Lass による概観 (156) をもって整理しておこう.
(i) Monosyllabic bases take suffixes: bigg-er, bigg-est, etc. Periphrasis is usually not available (**more big), though there are exceptions, e.g. when two adjectives are predicated of a single head (more dead than alive). Suffixed participles must take periphrasis (**smashed-er).
(ii) Disyllables preferentially take suffixes, though periphrasis is available for many (hairy, hairi-er/more hairy). Some suffix(oid)s however require periphrasis: e.g. -ish (**greenish-er), -est (**honest-er), -ous (**grievous-er), -id (**rigid-er), as well as -less, -ful, and some others. Participles cannot be suffixed (**hidden-er). This may be a function of the somewhat ambiguous status of the comparative and superlative endings, somewhere between inflections proper and derivational affixes. (The former are normally terminal in the word: care-less-ness-es.)
(iii) Trisyllabic and longer forms take periphrasis (**beautiful-er, **religiously-er); hence the comic effect of Alice's 'curiouser and curiouser'. But suffixation of longer forms is available for special stylistic purposes . . . .
このように基体の音節数で場合分けしても各々に例外が発生してしまい,完全な整理は難しい.(ii) で問題点として挙げられているように,-er/-est は屈折接辞なのか派生接辞なのかという問いも,理論的に重要な問題である (cf. 「#456. 比較の -er, -est は屈折か否か」 ([2010-07-27-1])) .英語学にとっても英語史にとっても,たかが比較,されど比較なのである.
・ Lass, Roger. "Phonology and Morphology." 1476--1776. Vol. 3 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 56--186.
初期近代英語までは,形容詞の語幹母音を短くした上で接尾辞 -er を付すタイプの比較級形成法があった.たとえば great の比較級が gretter となったり,white が whitter となったりするような例だ.しかし,語幹母音が長く保たれる形態も併存していたので,大多数の形容詞においては,やがてそちらが優勢となり,語幹母音短化タイプの比較級形態は存在感を薄めていった.
ところが,それでも生き延びたものがいた.late の語幹母音短化タイプの比較級である latter と最上級の last だ.共時的には late の比較級・最上級とはみなされておらず,別の語彙項目と受け取られているが,歴史的には密接に関わっている.なお,母音を長く保った形態は各々 later, latest となり,現在の標準的な late の比較級・最上級となっている.
同様に,out の語幹母音短化タイプの比較級形態が現在の utter に連なっている.この場合も,utter は out と関連しているという共時的な感覚はなくなっており,独立した別の語となっている.だからこそ,utterly のように,さらなる派生接尾辞を付けることができる.一方,長い母音を保ったタイプは outer となったが,これはこれでやはり out の比較級形態としては意識されず,別の形容詞として受け取られているのがおもしろい.
latter と later,あるいは utter と outer のように,同機能を果たす変異形にすぎなかったものが,互いに役割を分化させ,独立した語へと発展していくという事例は少なくない.比較される例について「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]),「#86. one の発音」 ([2009-07-22-1]),「#693. as, so, also」 ([2011-03-21-1]) を参照.
以上,Lass (156) を参照して執筆した.
・ Lass, Roger. "Phonology and Morphology." 1476--1776. Vol. 3 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 56--186.
初期近代に worser, more larger, more better, most worst, most unkindest などの2重比較級 (double_comparative) や2重最上級が用いられていたことは,英語史ではよく知られている.「#195. Shakespeare に関する Web resources」 ([2009-11-08-1]) でみたように,Shakespeare にも用いられており,英語史上の1つのネタである.
しかし,注目度は高いものの,実際の使用頻度としては,たいしたことはないらしい.Kytö and Romaine (337) による Helsinki Corpus を用いた実証的な調査によると,2重比較級は全体の1%にすぎず,2重最上級でも2%にとどまるという.また,1640年より後には一切起こらないという.もちろん Helsinki Corpus もそれほど巨大なコーパスではないので別途確認が必要だろうが,どうやら実力以上に注目度が高いということのようだ.
Adamson (552--53) は,Shakespeare や Jonson からの例を取り上げながら,2重比較級・最上級は,彼らの時代ですら,文体的効果を狙って意図的に用いられる類いの表現だったのではないかと勘ぐっている.
It's notable that such forms [= double comparatives and superlatives] can be found in consciously grandiloquent discourse, as with the double comparative of (16a), and that Ben Jonson explicitly claims the usage as an 'Englishe Atticisme, or eloquent Phrase of speech', perorating, as if to prove his point, on the double superlative of (16b):
(16) a) The Kings of Mede and Lyconia
With a more larger list of sceptres (Shakespeare 1623/1606--7)
b) an Englishe Atticisme, or eloquent Phrase of speech, imitating the manner of the most ancientest, and finest Grecians, who, for more emphasis, and vehemencies sake used [so] to speake. (Jonson 1640)
その後,この用法は17後半から18世紀にかけての英語の評論家や規範文法家に断罪され,日の目を見ることはなくなった (cf. 「#2999. 標準英語から二重否定が消えた理由」 ([2017-07-13-1]),「#3036. Lowth の禁じた語法・用法」 ([2017-08-19-1]),「#3220. イングランド史上初の英語アカデミーもどきと Dryden の英語史上の評価」 ([2018-02-19-1])) .
しかし,そうとは気付かれずに現在まで使い続けられている lesser や nearer などは,実は歴史的には2重比較級というべきものである (cf. 「#209. near の正体」 ([2009-11-22-1])) .
・Kytö, Merja and Suzanne Romaine. "Competing Forms of Adjective Comparison in Modern English." To Explain the Present: Studies in the Changing English Language in Honour of Matti Rissanen. Mémoires de la Société Néophilologique de Helsinki. 52. Ed. Terttu Nevalainen and Leena Kahlas-Tarkka. Helsinki: Société Néophilologique, 329--52.
・ Adamson, Sylvia. "Literary Language." 1476--1776. Vol. 3 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 539--653.
来たる3月28日(木)の13:30より,学習院大学において歴史社会言語学・歴史語用論の研究会,HiSoPra* (= HIstorical SOciolinguistics and PRAgmatics) の第3回大会が開催されます.プログラム等の詳細はこちらの案内 (PDF) をご覧ください.今回の目玉は「諸言語の標準化における普遍性と個別性 ―〈対照言語史〉の提唱」と題する特別企画です.私も司会として薄く参加させていただきますが,3名の素晴らしすぎる登壇者による鼎談です(はっきりいって鼻血が出そうな面々です).
鼎談のほかにも,もちろん研究発表や懇親会もあり,充実の時間となるはずです.英語史関係としては片見彰夫先生(青山学院大学)によるご発表があります.
対照言語史,歴史言語学,社会言語学,英語史,日本語史,類型論,対照言語学,言語の標準化などの分野のいずれか(あるいはすべて)に関心のある方々にとっては,貴重な機会になることと思います.参加は登録制となっていますが,上記の案内に記載の方法で3月25日までにメールにてお名前等をお知らせするという簡単な手続きとなっていますので,ぜひお気軽に(しかし刮目して)ご参加ください(参加費500円は必要です).
過去の第1回,第2回 HiSoPra* 研究会については,「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]) と「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) など hisopra の各記事もご参照ください.以下,今回の研究会のプログラム(簡易版)を転記します.詳しくは上記の案内をどうぞ.
第3回 「HiSoPra*研究会(歴史社会言語学・歴史語用論研究会)」のご案内
日時:2019年3月28日(木),13:30?17:50(開場は12:45?)
場所:学習院大学 北2号館(文学部研究棟)10階,大会議室(http://www.gakushuin.ac.jp/mejiro.html の15番の建物)
参加費:500円(資料代等)
総合司会:小野寺典子(青山学院大学),森 勇太(関西大学)
13:30-13:40 (総合司会者による) 導入
13:40-14:25 《研究発表》
朱 冰(関西学院大学 常勤講師):「中国語における禁止表現から接続詞への変化」
司会:堀江 薫(名古屋大学)
14:35-15:20 《研究発表》
片見彰夫(青山学院大学 准教授):「イギリス宗教散文における指示的発話行為の変遷」
司会: 堀田隆一(慶應義塾大学)
15:50-17:50 特別企画 《鼎談》
「諸言語の標準化における普遍性と個別性 ―〈対照言語史〉の提唱」
田中克彦(一橋大学 名誉教授)
寺澤 盾(東京大学 教授)
田中牧郎(明治大学 教授)
司会:高田博行(学習院大学),堀田隆一(慶應義塾大学)
本鼎談では,モンゴル語,ロシア語,英語,日本語という個別の言語の歴史を専門とされる3人の言語学者の先生方に登壇願い,社会の近代化に伴い各言語が辿ってきた標準化の歴史に関してお話しいただきます.個別言語の歴史を対照することによって,標準化のタイミングと型,綴字の固定化や話しことばと書きことばとの関係等に関して言語間の相違のほかに,言語の違いを超えた共通性が浮かび上がってくると思われます.言語史研究者が新たな知見を得て,従来とはひと味もふた味も違った切り口で各個別言語史を捉え直す契機のひとつになれば幸いです.
18:30-20:30 懇親会:会費4000円(学生は2500円),会場はJR目白駅すぐ
『言語の事典』をパラパラめくっていて「言語変化」の章の最後に「通時的タイポロジー」という節があった.英語でいえば,"diachronic typology" ということだが,あまり聞き慣れないといえば聞き慣れない用語である.読み進めていくと,今後の言語変化論にとっての課題が「通時的タイポロジー」の名の下にいくつか列挙されていた.主旨を取り出すと,以下の4点になろうか.
(1) 19世紀以来の歴史言語学(特に比較言語学)は,分岐的変化に注目しすぎるあまり,収束的変化を軽視してきたきらいがある
(2) 斉一論を採用するならば,共時態におけるタイポロジーを追究することによって通時態におけるタイポロジーの理解へと進むはずである
(3) 言語変化の速度という観点が重要
(4) 言語変化しにくい特徴に注目してタイポロジーを論じる視点が重要
いずれも時間的・空間的に広い視野をもった歴史言語学の方法論の提案である.それぞれを我流に解釈すれば,(1) は歴史言語学における言語接触の意義をもっと評価せよ,ということだろう.
(2) の斉一論 (uniformitarian_principle) に基づく主張は「通時タイポロジー」の理論的基盤となり得る強い主張だが,言語変化の様式の普遍性を目指すと同時に,そこではすくい取れない個別性に意識的に目を向ければ,それは「通時対照言語学」に接近するだろう.こちらも可能性が開けている.
(3) と (4) は関連するが,言語変化しやすい(あるいは,一旦変化し始めたら素早く進行するもの)か否かという観点から,言語項や諸言語を分類してみるという視点である.これは確かに新しい視点である.本ブログでも,言語変化の速度については speed_of_change や schedule_of_language_change で様々に論じてきたが,おおいに可能性のある方向性ではないかと考えている.
タイポロジー(類型論)と対照言語学という2分野は,力点の置き方の違いがあるだけで実質的な関心は近いと見ているが,そうすると「通時的タイポロジー」と「通時的対照言語学」も互いに近いことになる.これらは,近々に開催される HiSoPra* の研究会でこれまで提起されてきた「対照言語史」の考え方にも近い.
・ 乾 秀行 「言語変化」『言語の事典』 中島 平三(編),朝倉書店,2005年.560--82頁.
3月30日(土)の15:00?18:15に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて,「英語の歴史」と題するシリーズ講座の最後となる第3弾として「英語史で解く英語の素朴な疑問」を開講します.以下,お知らせの文章です.
何年も英語を学んでいると,学び始めの頃に抱いていたような素朴な疑問が忘れ去られてしまうことが多いものです.なぜ A は「ア」ではなく「エイ」と読むのか,なぜ go の過去形は went なのか,なぜ動詞の3 単現には -s がつくのか等々.このような素朴な疑問を改めて思い起こし,あえて引っかかってゆき,大まじめに考察するのが,英語史という分野です.素朴な疑問を次々と氷解させていく英語史の力にご期待ください.
1. 素朴な疑問と英語史の相性の良さ
2. 英語史概略
3. 綴字と発音に関する素朴な疑問
4. 語形に関する素朴な疑問
5. 文法に関する素朴な疑問
6. 語彙に関する素朴な疑問
7. 英語方言その他に関する素朴な疑問
英語学習・教育に携わる方々であれば,これまで必ず直面してきたはずの数々の「素朴な疑問」に英語史の観点からスパッと切り込んでいきます.3時間たっぷりの講座のなかで,ナルホドと何度も膝を打つ機会があるはずです.冒頭に英語史の概観もおこないますので,英語史という分野に接するのが初めてであっても心配ありません.皆さんの「素朴な疑問」も持ち寄りつつ,楽しみに参加してもらえればと思います.
なお,おかげさまで前回の「#3606. 講座「北欧ヴァイキングと英語」」 ([2019-03-12-1]) は(狭い教室とはいえ)満席となりまして,嬉しいかぎりですが,希望して受講できなかった方もおられたようです.どうぞ早めにお申し込みください.
標題の He is to blame. は「彼は責められるべきだ;彼には責任がある」という意味のフレーズだが,厳密に態 (voice) を考慮すれば,「彼」は「責められる」立場であるから He is to be blamed. と不定詞も受け身になるべきだと思われるかもしれない.実際,後者でも意味は通じるし,もちろん文法的なのだが,慣習的なフレーズとしては前者が用いられる.なぜだろうか.
これは,動名詞について解説した「#3604. なぜ The house is building. で「家は建築中である」という意味になるのか?」 ([2019-03-10-1]) と「#3605. This needs explaining. --- 「need +動名詞」の構文」 ([2019-03-11-1]) とも関係する.動名詞と同様に不定詞 (infinitive) も動詞の名詞化という機能をもっている.動名詞や不定詞により動詞が名詞化すると,もともとの動詞がもっていた態の対立は中和し,能動・受動の区別なく用いられるようになる.to blame は,したがってこの形で能動的に「非難すべき」ともなり得るし,受動的に「非難されるべき」ともなり得るのである.区別が中和されているということは,文脈によりいずれにも解釈し得るということでもある.He is to blame. の場合には,意味上,受け身として解釈されるというわけだ.There is a house to let. や I have something to say. のような「形容詞的用法」の不定詞も,態の中和という発想に由来する(中島,p. 238).
ただし,不定詞(や動名詞)の態の中和は,あくまでそれが強い名詞性を保っていた時代の特徴である.近代以降,不定詞(や動名詞)はむしろ動詞的な性格を強めてきており,中和されていた態の対立が復活してきている.その結果,慣習的ではないとはいえ He is to be blamed. も文法的に許容されるようになった.標題のような構文は,古い時代の特徴を伝える生きた化石のような存在なのである.
・ 中島 文雄 『英語発達史 改訂版』岩波書店,2005年.
昨日の記事「#3609. 『英語教育』の連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」が始まりました」 ([2019-03-15-1]) で新連載について紹介した.連載タイトルに英語史の「ツボ」と入れたが,この「急所,要点,要領」の語義では片仮名で「ツボ」と表記するのが普通であり,あまり「壺」とはしない.これはなぜだろうか.
沖森ほか (83) に,現代日本語における片仮名の用途が9点挙げられている.それぞれ簡単に要約すると以下の通り.
(1) 漢語を除く外来語:ライオン,マーガリン,スーツ,テレビなど(ただし近代漢語は外来語とみなされるので,ラーメン,ウーロン茶などもある)
(2) 擬音語・擬態語:ワンワン,コケコッコー,ニャーなど
(3) 自然科学の用語:ヨウ素,アザラシ,バラ科など
(4) 漢文訓読の送り仮名
(5) 画数の多い語:会ギ(議),ヒンシュク(顰蹙),ビタ(鐚)一文,ヒビ(罅)が入る,ブランコ(鞦韆),ボロ(襤褸)が出るなど
(6) 流行語,俗語:ヤバイ(ネット上などで,ヤバい,ヤばい,やバイもある)
(7) 表意性の消去:コツ(骨)をつかむ,ババ(婆)を引く,ヤケ(自棄)になる
(8) 対話的な宣伝:「ココロとカラダの悩み」「アナタの疑問に答えます」など新鮮な宣伝効果を狙ったもの
(9) 外国人の話す日本語,ロボットや宇宙人などのことば:「ワタシ,日本人トトモダチニナリタイデス」「地球人ヨ,ヨク聞ケ.ワレワレハ,バルタン星人ダ」など,情緒のない機械性を表わす
「ツボ」は,「コツ」「ババ」「ヤケ」などが挙げられている (7) の表意性の消去の例に当たるだろうか.これについて,沖森ほか (83) からもう少し詳しい説明を引用すると,次のようになる.
国語辞典を引くと,それぞれ漢字表記があがっているが,実際に目にする表記は片仮名が一般的なものである.これは,「コツをつかむ」の意で「骨」を当てると《人骨》の意味が表に出すぎて差し支えが生じるためであろう.派生義で用いる場合に,その漢字本来の表意性が面に出るとそぐわない場合に片仮名が選ばれたものと思われる.広島を「ヒロシマ」と書くのも,地名の意を消去して,被爆地としての新たな意味を込める用法かと見られる.
「ツボ」の場合,「壺」と表記することによって容器の意味が表に出すぎて差し支えが生じるとは特に思われないが,少なくとも容器の意味と急所の意味が離れすぎているために違和感が漂うということなのだろう.語義の発展・派生としては,「くぼみ」(滝壺など)から始まり,形状の類似から「(容器としての)壺」や「鍼を打ったり灸をすえる場所」(足ツボなど)が派生し,後者から「狙い所,要点」が発展したと思われる.このように原義と派生義の距離が開いてしまっている語はごまんとあるが,そのなかには表記上の区別をするものがあるということだろう.共時的感覚としては「ツボ」と「壺」は異なる語彙素といってよい.「表意性の消去」とは,この感覚の反映をある観点から表現したものだろう.
英語からの類例としては「#183. flower と flour」 ([2009-10-27-1]),「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]) がある.両語は同一語源に遡るが,語義がかなり離れてしまったために,別々の語彙素ととらえられ,異なる表記が用いられるようになった.この問題は,2重語 (doublet) や同音異義 (homophony) の問題とも関わってくるだろう.
・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本語の文字』 三省堂,2011年.
昨日発売の大修館書店『英語教育』2019年4月号より,「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」と題する連載を開始しました.同誌の昨年9月号に,同じ趣旨で単発の記事を寄稿させていただきましたが,その延長編というようなシリーズになります(cf. 「#3396. 『英語教育』9月号に「素朴な疑問に答えるための英語史のツボ」が掲載されました」 ([2018-08-14-1])) .
初回となる4月号の話題は「第1回 なぜ3単現に -s をつけるのか」です.2ページという誌面に,この問題のエッセンスを煎じ詰めて書きました.また,導入の節では,連載開始の挨拶かたがた「英語史を学ぶメリット」を力説しました.ぜひご一読ください.初回ならではの力みには目をつぶっていただき,今後ともよろしくお願い致します.
連載のタイトルに「英語指導の引き出しを増やす」と前置きしてある通り,また『英語教育』という雑誌の記事であることから,当然ながらまず第一に英語の先生を読者として念頭においていますが,一般の英語学習者や英語学の学生の読者も意識して執筆していますので,英語の教育・学習に関係する方々に広く読んでもらえればと思います.
英語史の「ツボ」という連載タイトルですが,『広辞苑』によれば「ツボ」とは「急所.要点.かんどころ」の意.毎回この意味をとりわけ強く意識して執筆していきます.よろしくどうぞ.
・ 堀田 隆一 「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ 第1回 なぜ3単現に -s をつけるのか」『英語教育』2019年4月号,大修館書店,2019年3月14日.62--63頁.
昨日の記事 ([2019-03-13-1]) に引き続いての話題.中英語における <u> と <o> の分布を111のテキストにより調査した Wełna (317) は,結論として以下のように述べている.
. . . the examination of the above corpus data has shown a lack of any consistent universal rule replacing <u> with <o> in the graphically obscure contexts of the postvocalic graphemes <m, n>. Even words with identical roots, like the forms of the lemmas SUN (OE sunne), SUMMER (OE sumor) and SON (OE sunu), SOME (OE sum) which showed a similar distribution of <u/o> spellings in most Middle English dialects, eventually (and unpredictably) have retained either the original spelling <u> (sun) or the modified spelling <o> (son). In brief, each word under discussion modified its spelling at a different time and in different regions in a development which closely resembles the circumstances of lexical diffusion.
このように奥歯に物が挟まったような結論なのだが,Wełna は時代と方言の観点から次の傾向を指摘している.
. . . o-spellings first emerged in the latter half of the 12th century in the (South-)West (honi "honey" . . .). Later, a tendency to use the new spelling <o> is best documented in London and in the North.
Wełna 本人も述べているように,調査の対象としたレンマは HUNDRED, HUNGER, HONEY, NUN, SOME, SUMMER, SUN, SON の8つにすぎず,ここから一般的な結論を引き出すのは難しいのかもしれない.さらなる研究が必要のようだ.
・ Wełna, Jerzy. "<U> or <O>: A Dilemma of the Middle English Scribal Practice." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 305--23.
標題に関連する話題は「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1]),「#2453. 中英語における <u> の <o> による代用 (2)」 ([2016-01-14-1]),「#3513. come と some の綴字の問題」 ([2018-12-09-1]),「#3574. <o> で表わされる母音の問題 --- donkey vs monkey」 ([2019-02-08-1]) で取り上げてきた.今回は,「<u> の <o> による代用」という綴字慣習が初期中英語に生じ,後に分布を拡大させていった経緯に焦点を当てた Wełna の論文に依拠しつつ,先行研究の知見を紹介したい.
現代英語の monk, son, tongue などにみられる <o> の綴字は,歴史的には <u> だったものが,初期中英語期以降に <o> と綴りなおされたものである.この綴りなおしの理由は,上にリンクを張った記事でも触れてきたように,一般に "minim avoidance" とされる.[2016-01-11-1]の記事で述べたように,「母音を表す <u> はゴシック書体では縦棒 (minim) 2本を並べて <<ıı>> のように書かれたが,その前後に同じ縦棒から構成される <m>, <n>, <u>, <v>, <w> などの文字が並ぶ場合には,文字どうしの区別が難しくなる.この煩わしさを避けるために,中英語期の写字生は母音を表す <u> を <o> で置換した」ということだ.
しかし,英語史研究においては,"minim avoidance" 以外の仮説も提案されてきた.合わせて4つほどの仮説を Wełna (306--07) より,簡単に紹介しよう.
(1) 当時のフランス語やアングロ・ノルマン語でみられた <u> と <o> の綴字交替 (ex. baron ? barun) が,英語にももたらされた
(2) いわゆる "minim avoidance"
(3) ノルマン方言のフランス語で [o] が [u] へと上げを経た音変化が綴字にも反映された
(4) フランス語の綴字慣習にならって /y(ː)/ ≡ <u> と対応させた結果,/u/ に対応する綴字が新たに必要となったため
このように諸説あるなかで (2) が有力な説となってきたわけだが,実際には当時の綴字を詳しく調べても (2) の仮説だけですべての事例がきれいに説明されるわけではなく,状況はかなり混沌としているようだ.そのなかでも初期中英語期の状況に関する比較的信頼できる事実を Morsbach に基づいてまとめれば,次のようになる (Wełna 306) .
a. the 12th century English manuscripts employ the spelling <u>;
b. the first o-spellings emerge in the latter half of the 12th century;
c. <o> for <u> is still rare in the early 13th century and is absent in Ormulum, Katherine, Vices and Virtues, Proclamation, and several other texts;
d. from the latter half of the 13th century onwards the frequency of <o> grows, which results in both old <u> and new <o> spellings randomly used in texts composed even by the same scribe.
当時の「ランダム」な分布が,現代英語にまで延々と続いてきたことになる.手ごわい問題である.
・ Wełna, Jerzy. "<U> or <O>: A Dilemma of the Middle English Scribal Practice." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 305--23.
・ Morsbach, Lorenz. Mittelenglische Grammatik. Halle: Max Niemayer, 1896.
先日3月9日(土)の15:00?18:15に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて,「英語の歴史」と題するシリーズ講座の第2弾として「北欧ヴァイキングと英語」をお話ししました.参加者の方々には,千年以上前のヴァイキングの活動や言葉(古ノルド語)が,私たちの学んでいる英語にいかに多大な影響を及ぼしてきたか分かっていただけたかと思います.本ブログでは,これまでも古ノルド語 (old_norse) に関する話題を豊富に取り上げてきましたので,是非そちらも参照ください.
今回は次のような趣旨でお話ししました.
英語の成り立ちに,8 世紀半ばから11世紀にかけてヨーロッパを席巻した北欧のヴァイキングとその言語(古ノルド語)が大きく関与していることはあまり知られていません.例えば Though they are both weak fellows, she gives them gifts. という英文は,驚くことにすべて古ノルド語から影響を受けた単語から成り立っています.また,英語の「主語+動詞+目的語」という語順が確立した背景にも,ヴァイキングの活動が関わっていました.私たちが触れる英語のなかに,ヴァイキング的な要素を探ってみましょう.
1. 北欧ヴァイキングの活動
2. 英語と古ノルド語の関係
3. 古ノルド語が英語の語彙に及ぼした影響
4. 古ノルド語が英語の文法に及ぼした影響
5. なぜ英語の語順は「主語+動詞+目的語」で固定なのか?
講座で使用したスライド資料をこちらにアップしておきます.スライド中から,本ブログの関連記事へもたくさんのリンクが張られていますので,そちらで「北欧ヴァイキングと英語」の関係について復習しつつ,理解を深めてもらえればと思います.
1. シリーズ「英語の歴史」 第2回 北欧ヴァイキングと英語
2. 本講座のねらい
3. 1. 北欧ヴァイキングの活動
4. ブリテン島の歴史=征服の歴史
5. ヴァイキングのブリテン島来襲
6. 関連用語の整理
7. 2. 英語と古ノルド語の関係
8. 3. 古ノルド語が英語の語彙に及ぼした影響
9. 古ノルド語からの借用語
10. 古ノルド借用語の日常性
11. イングランドの地名の古ノルド語要素
12. 英語人名の古ノルド語要素
13. 古ノルド語からの意味借用
14. 句動詞への影響
15. 4. 古ノルド語が英語の文法に及ぼした影響
16. 形態論再編成の「いつ」と「どこ」
17. 古英語では屈折ゆえに語順が自由
18. 古英語では屈折ゆえに前置詞が必須でない
19. 古英語では文法性が健在
20. 古英語は屈折語尾が命の言語
21. 古英語の文章の例
22. 屈折語尾の水平化
23. 語順や前置詞に依存する言語へ
24. 文法性から自然性へ
25. なぜ屈折語尾の水平化が起こったのか? (1)
26. なぜ屈折語尾の水平化が起こったのか? (2)
27. なぜ屈折語尾の水平化が起こったのか? (3)
28. 形態論再編成の「どのように」と「なぜ」
29. 英文法の一大変化:総合から分析へ
30. 5. なぜ英語の語順は「主語+動詞+目的語」で固定なのか?
31. 本講座のまとめ
32. 参考文献
昨日の記事「#3604. なぜ The house is building. で「家は建築中である」という意味になるのか?」 ([2019-03-10-1]) と関連する構文の話題.標題のように,need が動名詞(能動態)を従える構文がある.論理的に考えれば This は explain されるべき対象であるから,動名詞の受動態 being explained が用いられてしかるべきところだが,一般には標題の通りでよい.これは,昨日も述べたように,(動)名詞にあっては,もとの動詞には備わっていた態 (voice) の対立が中和されているからである.つまり,動詞 explain から動名詞 explaining となったことにより,「説明する」と「説明される」の意味的対立が薄まり,純正の名詞 explanation (説明)と同じように,態について無関心となっていると考えればよい.
need のほかに want, require, deserve, bear, escape などの動詞や,形容詞 worth も動名詞を従える構文をとる(中島,p. 232).例を挙げよう.
・ This machine wants repairing.
・ The fence requires painting.
・ A person who steals deserves punishing.
・ It doesn't bear thinking about.
・ Use every man after his desert, and who should 'scape whipping? --- Hamlet, II. ii. 555--6
・ What is worth doing at all is worth doing well.
もちろん各々に動名詞の受動態を用いても,それはそれで意味論的にも統語的にも適格ではあるが,「構文としての響き」というべきものは失われるのかもしれない.いずれにせよニッチに生き残ってきた構文である.
・ 中島 文雄 『英語発達史 改訂版』岩波書店,2005年.
標題の文は古風な表現ではあるが,現在でも使われることがある.「家が建てられているところだ」という受動的な意味に対応させるには,受動進行形を用いて The house is being built. となるべきではないのかと疑問に思われるかもしれない.この疑問はもっともであり,確かに後者の受動進行形の構文が標準的ではある.しかし,それでもなお,標題の The house is building. は可能だし,歴史的にはむしろ普通だった.能動態と受動態という態 (voice) の区別にうるさいはずの英語で,なぜ標題の文が許されるのだろうか.
歴史的には,The house is building. の building は現在分詞ではなく動名詞である.同じ -ing 形なので紛らわしいが,両者は機能がまったく異なる.The house is building. の前段階には The house is a-building. という構文があり,さらにその前段階には The house is on building. という構文があった.つまり,building は build の動名詞であり,それが前置詞 on の目的語となっているという統語構造なのである.意味的にはまさに「建築中」ということになる.前置詞 on が弱化して接頭辞的な a- となり,それがさらに弱化し最終的には消失してしまったために,あたかも現在進行形構文のような見栄えになってしまったのである.
動名詞は動詞由来であるから動詞的な性質を色濃く残しているとはいえ,統語上の役割としては名詞である.態とは本質的に動詞にかかわる文法範疇であり,名詞には関与しない.したがって,動「名詞」としての building では,「建てる」と「建てられる」の態の対立が中和されている.まさに日本語の「建築」がぴったりくるような意味をもっているのだ.前置詞 on を伴って「建築中」の意となるのは自然だろう.
このような構文は,古風とはいえ現在でも用いられることがあるし,近代英語まで遡ればよくみられた.類例として,以下を挙げておこう(中島,pp. 229--30).
・ The whilst this play is playing --- Hamlet, III. ii. 93.
・ While grace is saying -- Merch. V., II. ii. 202
・ What's doing here?
・ The dinner is cooking.
・ The book is printing.
・ The tea is drawing.
・ The history which is making about us.
標題の問いに戻ろう.主語の the house と,building のなかに収まっているもともとの動詞 build とは,歴史的にいえば直接的な統語関係にあるわけではない.言い方をかえれば,build the house という動詞句を前提とした構文ではないということだ.一方,現代の標準的な The house is being built. は,その動詞句を前提とした構文である.つまり,2つの構文は起源がまったく異なっており,比べて合ってもしかたない代物なのである.
現在分詞と動名詞が,まったく異なる機能をもちながらも,同じ -ing 形となっている歴史的経緯については,「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]) を参照されたい.
・ 中島 文雄 『英語発達史 改訂版』岩波書店,2005年.
水族館には好んででかけていくほうだが,最近,溝井裕一(著)『水族館の文化史』を読むまで,水族館へ足を運ぶという文化の背後に,ここまで深い歴史と,ときに露骨なまでの帝国主義的な意味合いが込められているとは思いも寄らなかった.イラスト等も豊富で,知的刺激に富む一冊.
水族館(や動物園)は,人間が他の生物を支配していることの証であるにとどまらず,他の人間に対してみずからの権力を誇示するためのステータス・シンボルでもあった(溝井,p. 47).水族館の原型は古代や中世にもみられたが,現代的な意味での公開型水族館の第1号は,1853年にロンドン動物園内に設立された「フィッシュハウス」だとされる.ロンドンという場所といい,19世紀半ばというタイミングといい,イギリス帝国の存在を思い起こさずにはいられない.溝井 (74) によれば,
フィッシュハウスは,ただ珍奇な見世物だったわけではない.それは西洋文明が自然からもぎとったさらなる勝利を象徴するものであった.しかも,これがロンドン動物園に生まれた点が重要である.1828年の開園以来,ロンドン動物園には,世界各地から連れてこられた動物が展示されたが,それは多様な生きものを管理できるイギリス人の優れた能力を誇示するものだった.さらに動物たちは,イギリス人が支配する,あるいはアクセスできる地域をも体現した.
フィッシュハウスにも,おなじことが当てはまる.生きた魚の展示は,アクアリウムを生んだイギリス人の英知と,大英帝国の支配がとうとう水界にまで及んだことを表象したのである.しかもその範囲は,いずれ全海域におよぶであろうことは,『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』のつぎの一文にもあらわれていよう.
海のもっとも隔絶されたところにいる華麗な種でさえ,今後,常に変化しまた興味深いコレクション[……]に追加されない理由はない.
その後,イギリスでは1871年と翌年に,クリスタル・パレス水族館とブライトン水族館もそれぞれ開館した.時をほぼ同じくして,1872--76年には,イギリス軍艦「チャレンジャー」による深海探査も開始され,イギリスは世界の海底にまで触手を伸ばすことになった.
「チャレンジャー」に期待されていたのは,深海生物の実態を明らかにすることであった.とはいえ,生物学的探究のためだけに,イギリス政府が軍艦1隻を貸すわけがない.「チャレンジャー」は,世界中の海流や水質を調査することも任務としており,それは海底用電信ケーブルの敷設に役立てられることになっていた.ケーブルは,遠隔地との交信を容易にするため,戦略的に重要とみなされており,大英帝国は,自国のケーブルのために海底を確保することを望んでいたのだ.
それに,海流や水位がわかれば,海軍の展開にどれほど役立つことか.有名な歌に「ブリタニア,海を統治せよ」とあるように,大英帝国はなんといっても海の国である.海の情報をもっとも多く蓄積するのはとうぜんであり,しかもその支配は海面だけでなく海底にまでおよぶべきであったのだ.(溝井,p. 114)
帝国主義と水族館発展史の関わりは,イギリスに限定されない.大日本帝国も,同じように水族館と関わっていた.「大日本帝国の水族館」と題する節で,溝井 (177--78) は次のように述べている.
明治期の水族館のもうひとつの特徴は,帝国主義とのかかわりだ.和田岬水族館は,台湾が日本統治下におかれていくばくもたたないうちに,そこから運んできたタイマイを展示している.当時の来館者には,その政治的意味は明らかだったはずである.ヨーロッパの動物園や水族館において,植民地産の生きものが,帝国の版図を表象していたことはすでに述べた.同様に,台湾産の生きものは,大日本帝国が新しく獲得した植民地を体現していた.
もちろん,タイマイを展示した運営者側の本来の意図は定かではない.しかしこの時代,できるかぎり広い地域から,できるかぎりたくさんの生きものを展示しようとする水族館は,おのずから帝国主義と結びつかざるをえなかったのである.
堺水族館でも,再び台湾産のサンパンヒー,レーヒー,ゼンヒー,コウタイ,トウサイなる魚が展示された.これらを出品したのは,台湾総督府である.
水族館をこのようにみる視点は,言語の帝国主義的側面にも新たな光を与えてくれそうだ.関連して,「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1]),「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1]),「#3376. 帝国主義の申し子としての英語文献学」 ([2018-07-25-1]) を参照.
また,エキゾチックな水産物をエキゾチックな単語に置き換えてみれば,近代以降,なぜ英語が世界の隅々から語彙を借用し,それを OED などの辞書に登録してきたかという問題にも,1つの答えが出せるように思われる.辞書は水族館なのかもしれない.関連して「#2359. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由 (3)」 ([2015-10-12-1]) も参照.
・ 溝井 裕一 『水族館の文化史 ひと・動物・モノがおりなす魔術的世界』 勉誠出版,2018年.
先日,映画 The Favorite (邦題『女王陛下のお気に入り』)を観に行った.ステュアート王朝最後の君主アン女王 (Queen Anne (1665--1714); 在位 1702--14) の宮廷を舞台とした,寵愛と政治権力を巡る権謀術数の物語である.女王の寵愛を奪い合う2人の女性 Sarah Jennings Churchill と Abigail Masham のドロドロが凄まじく,鑑賞後もしばらく恐怖が持続したほどだった.女王を演じる Olivia Colman は,先日の第91回アカデミー賞で主演女優賞を獲得している.
アンの時代には,歴史上大きな出来事が2つあった.1つは,1701年に始まったスペイン継承戦争(北米植民地では「アン女王戦争」と呼ばれる)である.この戦争でマールバラ公ジョン・チャーチルの率いるイギリス軍が勝利を収め,1713年のユトレヒト講和条約では,ニューファンドランド,ノヴァ・スコシア,ハドソン湾地方をフランスから奪取し,さらにジブラルタルとミノルカという地中海の要衝も獲得するに至った (cf. 「#2920. Gibraltar English」 ([2017-04-25-1])) .これを契機に,イギリスは「長い18世紀」を通じてヨーロッパ屈指の強国にのし上がっていくことになった.カナダ東海岸や地中海に英語の種を蒔くとともに,後の英語のさらなる拡大に道を開いた出来事だったといってよい.
アン治世下のもう1つの重要な出来事は,1707年の連合法 (The Act of Union) である.これにより,すでに1世紀前より同君連合となっていたイングランド王国とスコットランド王国が連合し,グレイト・ブリテンという国が成立した.
加えて政治史的にいえば,映画でもフィーチャーされているように,アンの時代にトーリとホイッグによる責任内閣制が生み出されることになったことが重要である.アン自身はトーリを支持していたものの政治には事実上関与せず,続くハノーヴァー朝にかけて発展していく内閣制の地ならしをしたしたといえる.
森 (474) によると,アン女王の人生は次のように要約されている.
政治に直接関与せず,酒を愛し,女として気ままに生きたアン女王は,一七一四年八月一日,脳出血のため,ケンジントン宮殿で四九歳の一生を終わり,ステュアート王家の幕を閉じた.三七歳で王位に就いたとき,肥満の体に加えて痛風から歩行も容易でなく,戴冠式では,終始担ぎ椅子に座ったままであった.子供を一四人も次々と失った悲しみを,酒にまぎらわせたというが,早かれ遅かれ脳溢血で倒れることが予想されているところであった.
アン女王(時代)の英語史上の意義について2点触れておこう.1つめは,先述のとおり,イギリスが大国への道を歩み出し,結果的に英語も世界化していく足がかりを作ったということ.
2つめは,女王の尚早の病死により英語アカデミー設立の可能性が潰えたことである.アンは Swift による1712年の英語アカデミー設立の提案に好意的だったのだが,その死とともに企画は頓挫する運命となった(「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) を参照).子供たちの夭逝,悲しみを紛らすための暴飲暴食,そして肥満と痛風による死.このようなアン女王の人生が,からずも英語アカデミー不設立の歴史と関わっていたのである.
・ 森 護 『英国王室史話』16版 大修館,2000年.
McArthur の英語学事典のなかに,"A chronology of English" (475--81) と題して英語史年表が掲げられている.かなり長く詳しい年表である.「#2562. Mugglestone (編)の英語史年表」 ([2016-05-02-1]) で挙げた年表も長いが,それも今回の McArthur のものに多く依拠しているようだ.とりわけ,近現代にかけての英語の世界的な拡大に注目する年表となっている.参照用にどうぞ.
55 BC | Roman military expedition to Britain by Julius Caesar. |
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AD 43 | Roman invasion of Britain under the Emperor Claudius, beginning 400 years of control over much of the island. |
150 | From around this date, with Roman permission, small numbers of settlers arrive from the coastlands of Germany, speaking dialects ancestral to English. |
297 | First mention of the Picts of Caledonia, tribes beyond Roman control, well to the north of Hadrian's Wall. |
419 | Goths sack Rome. |
436 | The end of a period of gradual Roman withdrawal. Britons south of the Wall are attacked by the Picts and by Scots from Ireland. Angles, Saxons, and other Germanic settlers come first as mercenaries to help the Britons, then take over more and more territory. |
449 | the traditional date for the beginning of the Anglo-Saxon settlements. |
450--80 | The first surviving Old English inscriptions, in runic letters. |
495 | The Saxon kingdom of Wessex established. |
500 | The kingdom of Dalriada established in Argyll by Scots from Ireland. |
527 | The Saxon kingdoms of Essex and Middlesex established. |
550 | The Angle kingdoms of Mercia, East Anglia, and Northumbria established. |
557 | At the Battle of Deorham, the West Saxons drive a wedge between the Britons of Wales and Cornwall. |
597 | Aethelberht, king of Kent, welcomes Augustine and the conversion of the Anglo-Saxons to Christianity begins. |
613 | At the Battle of Chester, the angles of Northumbria drive a wedge between the Britons of Wales and Cumbria. |
638 | Edwin of Northumbria takes Lothian from the Britons. |
700 | The first manuscript records of Old English from about this time. |
792 | Scandinavians begin to raid and settle in Britain, Ireland, and France. In 793, they sack the monastery of Lindisfarne, the centre of Northumbrian scholarship. |
795 | The Danes settle in parts of Ireland. |
815 | Egbert of Wessex defeats the south-western Britons of Cornwall and incorporates Cornwall into his kingdom. |
828 | Egbert of Wessex is hailed as bretwalda (lord of Britain), overlord of the Seven Kingdoms of the Angles and Saxons (the Heptarchy). England begins to emerge. |
834 | The Danes raid England. |
843 | Kenneth MacAlpin, King of Scots, gains the throne of Pictland. |
865 | The Danes occupy Northumbria and establish a kingdom at York. Danish begins to influence English. |
871 | Alfred becomes king of Wessex, translates works of Latin into English, and establishes the writing of prose in English. |
886 | The boundaries of the Danelaw are settled. |
911 | Charles II of France grants lands on the lower Seine to the Viking chief Hrolf the Ganger (Rollo the Rover). The beginnings of Normandy and Norman French. |
954 | The expulsion of Eric Blood-Axe, last Danish king of York. |
965 | The English invade the northern Welsh kingdom of Gwynedd. |
973 | Edgar of England cedes Lothian to Kenneth II, King of Scots. Scotland multilingual: Gaelic dominant, Norse in the north, Cumbric in the South-west, English in the south-east, Latin for church and law. |
992 | A treaty between Ethelred of England and the Normans. |
1000 | The approximate date of the only surviving manuscript of the Old English epic poem Beowulf. |
1007 | Ethelred the Unready pays danegeld to stop the Danes attacking England. In 1013, however, they take the country and Ethelred flees to Normandy. |
1014 | The end of Danish rule in Ireland. |
1016--42 | The reigns of Canute/Knut and his sons over Denmark, Norway, and England. |
1051 | Edward the Confessor, King of England, impressed by the Normans and with French-speaking counsellors at his court, names as his heir William, Duke of Normandy, but reneges on his promise before his death. |
1066 | The Norman Conquest. William defeats King Harold at Hastings, and sets in train the Normanization of the upper classes of the Britain Isles. England multilingual: English the majority language, Danish in the north, Cornish in the far south-west, Welsh on the border with Wales, Norman French at court and in the courts, and Latin in church and school. |
1150 | The first surviving texts of Middle English. |
1167 | The closure of the University of Paris to students from England accelerates the development of a university at Oxford. |
1171 | Henry II invades Ireland and declares himself its overlord, introducing Norman French and English into the island. |
1204 | King John loses the Duchy of Normandy to France. |
1209 | The exodus of a number of students from Oxford leads to the Establishment of a second university in Cambridge. |
1272--1307 | The reign of Edward I, who consolidates royal authority in England, and extends it permanently to Wales and temporarily to Scotland. |
1282 | Death of Llewelyn, last native prince of Wales. In 1301, Edward of England's son and heir is invested as Prince of Wales. |
1284 | The Statute of Rhuddlan establishes the law of England in Wales (in French and Latin), but retains the legal use of Welsh. |
1314 | Robert Bruce reasserts Scottish independence by defeating Edward II at Bannockburn, an achievement later celebrated in an epic written in Scots. |
1337 | The outbreak of the Hundred Years War between England and France, which ends with the loss of all England's French possessions save the Channel Islands. |
1343?--1400 | The life of Geoffrey Chaucer. |
1348 | (1) English replaces Latin as medium of instruction in schools, but not at Oxford and Cambridge. (2) The worst year of the Black Death. |
1362 | (1) Through the Statute of Pleading, written in French, English replaces French as the language of law in England, but the records continue to be kept in Latin. (2) English is used for the first time in Parliament. |
1384 | The publication of John Wycliffe's English translation of the Latin Bible. |
1385 | The scholar John of Trevisa notes that 'in all the gramere scoles of Engelond, children leveth Frensche and construeth and lerneth in Englische'. |
1400 | By this date the Great Vowel Shift has begun. |
1450 | Printing by movable type invented in the Rhineland. |
1476 | (1) The first English book printed: The Recuyell of the Historyes of Troye. translated from French by William Caxton, who printed it at Bruges in Flanders. (2) Caxton sets up the first printing press in England, at Westminster. In 1478, he publishes Chaucer's Canterbury Tales. |
1485 | The Battle of Bosworth, after which the part-Welsh Henry Tudor becomes King of England. Welsh nobles follow him to London. |
1492 | Christopher Columbus discovers the new World. |
1497 | Giovanni Caboto (Anglicized as 'John Cabot'), in a ship from Bristol, lands on the Atlantic coast of North America. |
1499 | The publication of Thesaurus linguae romanae et britannicae (Treasury of the Roman and British Tongues), the first English-to-Latin wordbook, the work of Galfridus Grammaticus (Geoffrey the Grammarian). |
1504 | The settlement of St John's on Newfoundland as a shore base for English fisheries. |
1507 | The German geographer Martin Waldseemüller puts the name America on his map of the world. |
1525 | The publication of William Tyndale's translation of the New Testament of the Bible. |
1534 | Jacques Cartier lands on the Gaspé Peninsula in North America and claims it for France. |
1536 and 1542 | The Statue of Wales (Acts of Union) unites England and Wales, excluding Welsh from official use. |
1542 | Henry VIII of England proclaims himself King of Ireland. |
1549 | The publication of the first version of the Book of Common Prayer of the Church of England, the work in the main of Thomas Cranmer. |
1558--1603 | The reign of Elizabeth I. |
1450--1620 | The plantation of Ireland, first by English settlers and after 1603 also by Scots, establishing English throughout the island and Scots in Ulster. |
1564--1616 | The life of William Shakespeare. |
1583 | Sir Humphrey Gilbert establishes Newfoundland as England's first colony beyond the British Isles. |
1584 | The settlement of Roanoke Island by colonists led by Sir Walter Raleigh. In 1587, Virginia Dare born at Roanoke, first child of English parents in North America. In 1590, the settlers of Roanoke disappear without trace. |
1588 | The publication of Bishop Morgan's translation of the Bible into Welsh, sering as a focus for the survival of the language. |
1600 | English traders establish the East India Company. |
1603 | The Union of the Crowns under James VI of Scotland, I of England. |
1604 | The publication of Robert Cawdrey's Table Alphabeticall, the first dictionary of English. |
1606 | The Dutch explore northern New Holland (Terra Australis). |
1607 | The Jamestown colony in Virginia, the first permanent English settlement and the first representative assembly in the New World. |
1608 | Samuel Champlain founds the city of Quebec in New France. |
1611 | The publication of the Authorized or King James Version of the Bible, intended for use in the Protestant services of England, Scotland, and Ireland. A major influence on the written language and in adapting Scots towards English. |
1612 | (1) Bermuda colonized under the charter of the Virginia Company. (2) Traders of the East India Company establish themselves in Gujarat, India. |
1614 | King James writes in English to the Moghul Emperor Jehangir, in order to encourage trade with 'the Orientall Indies'. |
1619 | At the Jamestown colony in America, the first African slaves arrive on a Dutch ship. |
1620 | The Mayflower arrives in the New World and the Pilgrim Fathers set up Plimoth Plantation in Massachusetts. English is now in competition as a colonial language in the Americas with Dutch, French, Spanish, and Portuguese. |
1622 | Publication in London of the first English newspaper, Weekly News. |
1623 | Publication in London of the First Folio of Shakespeare's plays. |
1627 | An English colony established on Barbados in the Caribbean. |
1637 | (1) English traders arrive on the coast of China. (2) The Académie française founded. |
1640 | An English trading factory established at Madras. |
1647 | The Bahamas colonized by settlers from Bermuda. |
1652 | The first Dutch settlers arrive in southern Africa. |
1655 | England acquires Jamaica from Spain. |
1659 | The East India Company annexes St Helena in the south Atlantic. |
1660 | John Dryden expresses his admiration for the Académie française and its work in 'fixing' French and wishes for something similar to serve English. |
1662 | The Royal Society of London receives its charter from Charles II. In 1664, it appoints a committee to consider ways of improving English as a language of science. |
1670 | The Hudson's Bay Company founded for fur trading in northern America. |
1674 | Charles II receives Bombay from the Portuguese in the dowry of Catherine of Braganza and gives it to the East India Company. |
1687 | Isaac Newton writes Principia Mathematica in Latin: see 1704. |
1688 | The publication of Oronooko, or the History of the Royal Slave, by Aphra Behn: one of the first novels in English, by the first woman novelist in English, based on personal experience of a slave revolt in Surinam. |
1690 | A trading factory established at Calcutta in Bengal. |
1696 | British and French colonists in North America in open conflict. |
1697 | The Boston clergyman Cotton Mather applies the term American to English-speaking settlers in the New World. |
1702 | Publication in London of the first regular daily newspaper in English, The Daily Courant. |
1704 | Isaac Newton writes his second major work, Opticks, in English: see 1687. |
1707 | The Act of Union, uniting the Parliaments of England and Scotland, creating the United Kingdom of Great Britain, but keeping separate the state religions, educations systems, and laws of the two kingdoms. |
1712 | (1) Jonathan Swift in Dublin proposes an English Academy to 'fix' the language and compete adequately with French. (2) In India, the Moghul Empire begins to decline. |
1713 | (1) At the Treat of Utrecht, France surrenders Hudson's Bay, Acadia, and Newfoundland to the British. (2) Gibraltar is ceded to Britain by Spain. |
1726 | Ephraim Chambers publishes his Cyclopaedia, the first encyclopedia. |
1731 | The abolition of Law French in England. |
1746 | The Wales and Berwick Act, by which England is deemed to include Wales and the Scottish town of Berwick is incorporated into England. |
1755 | The publication of Samuel Johnson's Dictionary of the English Language. |
1757 | The East India Company becomes the power behind the government of Bengal. |
1759 | General James Wolfe takes Quebec for the British. |
1759--96 | The life of Robert Burns. |
1762 | The publication of Robert Lowth's Short Introduction to the English Grammar. |
1763 | The French cede New France to Britain, retaining only St Pierre and Miquelon (islands off Newfoundland). |
1768--71 | The partwork publication in Edinburgh of The Encyclopaedia Britannica. |
1770 | Captain James Cook takes possession of the Australian continent for Britain. |
1770--1850 | The life of William Wordsworth. |
1771--1832 | The life of Sir Walter Scott. |
1774 | (1) The Quebec Act creates the British province of Quebec, extending to the Ohio and Mississippi. (2) The Regulating Act places Bombay and Madras under the control of Bengal and the East India Company becomes a kind of state. |
1776 | The Declaration of Independence by thirteen British colonies in North America and the start of the American War of Independence (1776--83) which created the United States of America, the first nation outside the British Isles with English as its principal language. |
1778 | Captain James Cook visits and names the Sandwich Islands (Hawaii). |
1780--1800 | British Empire loyalists move from the US to Canada. |
1785 | In London, the newspaper The Daily Universal Register founded. Renamed The Times in 1788. |
1786 | (1) Lord Cornwallis is appointed first Governor-General of British India. (2) A British penal colony is established at Botany Bay in Australia. In 1788, the first convicts arrive there. |
1791 | (1) The British colonies of Upper Canada (Ontario) and Lower Canada (Quebec) are established. (2) In London, the newspaper The Observer is founded, the oldest national Sunday newspaper in Britain. |
1792 | The first Europeans settle in New Zealand. |
1794 | The publication of Lindley Murray's English Grammar. |
1802 | The establishment of the British colonies of Ceylon and Trinidad. |
1803 | (1) The Act of Union incorporating Ireland into Britain, as the United Kingdom of Great Britain and Ireland. (2) The Louisiana Purchase, by which the US buys from France its remaining North American territories, and doubles its size. |
1806 | The British take control of Cape Colony in southern Africa. |
1808 | The establishment of the British colony of Sierra Leone. |
1814 | (1) The British annex Cape Colony. (2) France cedes to Britain Malta, Mauritius, St Lucia, and Tobago. |
1816 | The establishment of the British colony of Bathurst (the Gambia). |
1819 | (1) The establishment of the British colony of Singapore. (2) The US purchases Florida from Spain. |
1820 | Christian missionaries from the US visit Hawaii. |
1821 | American settlers arrive in the Mexican territory of Texas. |
1828 | The publication of Noah Webster's American Dictionary of the English Language. |
1829 | Australia becomes a British dependency. |
1831 | The establishment of the colony of British Guiana. |
1833 | (1) The abolition of slavery in the British Empire. (2) St Helena becomes a British colony. |
1835 | Thomas Macaulay writes the Minute on Education whereby the British rulers of India endorse English as a language of education for Indians. |
1835--1910 | The life of Sam Clemens (Mark Twain). |
1836 | Texas declares its independence from Mexico. |
1839 | The first Boer Republic is established in Natal, South Africa, after the Great Trek from the Cape. |
1840 | (1) The Treaty of Waitangi, by which the Maori of New Zealand cede all rights and powers of government to Britain. (2) The transportation of convicts to Eastern Australia is ended. |
1841 | (1) Upper and Lower Canada are brought together as British North America. (2) New Zealand becomes a British colony. (3) In London, the founding of the weekly magazine Punch. |
1842 | (1) The opening of Chinese ports other than Canton to Western traders, after the defeat of China in the Opium War. Hong Kong is ceded by China to Britain as a Crown Colony. (2) The Philological Society is formed in London. |
1844 | The first telegraph message transmitted, between Washington and Baltimore. |
1845 | Texas becomes a state of the United States. |
1846 | The British annex Natal but recognize the Transvaal and the Orange Free State as autonomous Boer republics. |
1848 | In the Treaty of Guadalupe Hidalgo, Mexico cedes vast western territories to the US. |
1850 | (1) Britain takes control of the Bay Islands of Honduras, an English-speaking enclave in Central America. (2) Legislative councils are established in Australia by British Act of Parliament. |
1852 | The publication of Roget's Thesaurus. |
1853 | (1) Japan is forced by Commander Matthew Perry of the US Navy to open its harbours to Western trade. (2) The transportation of convicts to Tasmania is ended. |
1855 | The government of the colony of New South Wales is established. |
1856 | The governments of the colonies of Tasmania and Victoria are established. |
1857 | The Sepoy Rebellion (War of Independence, Indian Mutiny) in India leads to the transfer of British India from the East India Company to the Crown. |
1858 | (1) The Philological Society passes a resolution calling for a new dictionary of English on historical principles. (2) Britain cedes the Bay Islands to Honduras. |
1861 | The establishment of the British colony of Lagos (Nigeria). |
1862 | The establishment of the colony of British Honduras. |
1863 | The establishment of the Cambridge Overseas Examinations. |
1865 | The abolition of slavery in the US, at the end of the Civil War. At the outbreak of the war there were over 4m slaves. |
1867 | (1) The Dominion of Canada is created, consisting of Quebec, Ontario, Nova Scotia, and New Brunswick. (2) Alaska is purchased from Russia by the US. |
1868 | (1) Transportation of convicts to Western Australia is ended. (2) In the US, Christopher Latham Sholes and colleagues patent the first successful typewriter. |
1869 | (1) Rupert's Land and the Northwest Territories are bought by Canada from the Hudson's Bay Company. (2) Basutoland becomes a British protectorate. |
1870 | Manitoba becomes a province of Canada. |
1771 | British Columbian becomes a province of Canada. |
1873 | (1) The formation of the English Dialect Society (dissolved in 1896). (2) Prince Edward Islands becomes a provicen of Canada. |
1874 | The establishment of the British colony of the Gold Coast in West Africa. |
1879 | James A. H. Murray begins editing the Philological Society's New English Dictionary on Historical Principles. |
1882--1941 | The Life of James Joyce. |
1884 | (1) The Berlin Conference, in which European powers begin 'the scramble for Africa'. (2) Britain declares a protectorate over South East New Guinea. (3) The French, Germans, and British attempt to annex what shortly becomes the German colony of Kamerun. (4) Publication of the irst fascile, A--Ant, of Murray's dictionary (the OED). |
1886 | The aanexation of Burma into British India and the abolition of the Burmese monarchy. |
1888--94 | The establishment of Britisih protectorates in Kenya, Uganda, and Zanzibar. |
1889 | The formation of the American Dialect Society. |
1895 | The establishment of the British East African Protectorate, open to white settlers. |
1898 | (1) The annexation of Hawaii by the US. In 1900, it becomes a US territory. (2) Spain cedes the Philippines and Puerto Rico to the US. (3) Yukon Territory comes under Canadian government control. |
1901 | (1) The establishment of the Commonwealth of Australia as a dominion of the British Empire. (2) The first wireless telegraphy messages sent across the Atlantic by Guglielmo Marconi (Cornwall to Newfoundland). (3) The first film-show, in an arcade opened in Los Angeles, California. |
1903 | (1) A message from US President Theodore Roosevelt circles the world in less than 10 minutes by Pacific Cable. |
1903--50 | The life of George Orwell. |
1905 | (1) Alberta and Saskatchewan become provinces of Canada. (2) The first cartoon strip, 'Little Nemo', appears in the New York Herald. |
1906 | (1) The formation of the English Association. (2) The first full-length motion picture, The Story of the Kelly Gang. (3) the publication of the Fowler brothers' The King's English. |
1907 | (1) The establishment of New Zealand as a dominion of the British Empire. (2) The first regular studio-based radio broadcasts by the De Forest Radio Telephone Company in the US. (3) The foundation of Hollywood as a film-making centre. |
1910 | (1) The establishment of the Union of South Africa as a dominion of the British Empire. (2) The first radio receivers made in kit form for sale in the US. |
1911 | The publication of the Fowler borthers' Concise Oxford Dictionary. |
1913 | (1) The formation of the Society for Pure English. (2) The first crossword puzzle published, in the New York World. |
1914 | (1) A third Home Rule Bill for Ireland passed by the British Parliament, but prevented from coming into operation by the outbreak of the First World War. (2) The German colony of Kamerun invaded by the French and British. |
1915 | The death of Sir James A. H. Murray, aged 78, having finished the section Trink-Turndown in the OED. |
1916 | (1) The Easter Rising in Dublin, an unsuccessful armed rebellion against the British, during which an Irish Rebulic is proclaimed. (2) The Technicolor process is first used in the film The Gulf Between, in the US. |
1917 | The publication of Daniel Jones's English Pronoucing Dictionary. |
1918 | (1) The formation of the English-Speaking Union. (2) The US War Industries Board declares moving pictures an essential industry. |
1919 | (1) The German colony of Tanganyika ceded to Britain. (2) The German colony of Kamerun divided between France (Cameroun) and Britain (Cameroon). (3) The publication of H. L. Mencken's The American Language. |
1920 | (1) The Partition of Ireland. (2) Kenya becomes a British colony. (3) The first public radio station set up by Marconi in the US. |
1921 | (1) A treaty between the United Kingdom and the Irish Free State, which accepts dominion status within the British Empire. (2) The first full-length 'talkie' Dream Street produced by United Artists, in the US. |
1922 | (1) The establishment of the British Broadcasting Company, renamed the British Boradcasting Corporation (BBC). (2) The founding in the US of the monthly magazine The Reader's Digest. |
1923 | The founding of Time magazine in the US. |
1925 | (1) The borders of the Republic of Ireland and Northern Ireland established. (2) Afrikaans gains official status in South Africa. (3) The founding of the weekly magazine The New Yorker. |
1926 | The publication of Henry W. Fowler's Dictionary of Modern English Usage. |
1927 | (1) Fox's Movietone News, the first sound newsfilm, released in the US. (2) The first film with dialogue, They're Coming to Get Me. released in the US. |
1928 | The publication of Murray's Dictionary as The Oxford English Dictionaryy, 70 years after Trench's proposal to the Philological Society. |
1930 | (1) C. K. Ogden lauches Basic English. (2) The first television programme with synchronized sight and sound broadcast by the BBC. |
1931 | (1) The British Commonwealth of Nations formed. (2) South Africa becomes a dominion of the British Empire. (3) The Cambridge Proficiency Examination held outside Britain for the first time. |
1933 | The publication of supplement to The Oxford English Dictionary. |
1934 | Tghe British Council created as an arm of British cultural diplomacy and a focus for teaching English as a foreign language. |
1935 | (1) The Philippines become a self-governing Commonwealth in association withthe US. (2) The Publication of the first ten Penguin Paperback titles. |
1936 | The Republic of Ireland severs all constitutional links with Great Britain. |
1937 | (1) Burma is seprated from British India and granted a constitution and limited self-rule. (2) In Wales, a new constitution for the National Eisteddfod makes Welsh its official language. |
1938 | Photocopying invented. |
1942 | The publication in Japan of the Idiomatic and Syntactic English Dictionary. prepared before the war by A. S. Hornby, E. V. Gatenby, and H. Wakefield. |
1945 | Japan is occupied bythe Americans on behalf of the Allies. |
1946 | (1) The Philippines gain their independence from the US. (2) The French colony of Cameroun and the British colony of Cameroon become United Nations trusteeships. |
1947 | (1) British India is partitioned and India and Pakistan become independent states. (2) New Zealand gains its independence from Britain. |
1948 | (1) Burma and Ceylon gain their independence from Britain. (2) The dictionary of Hornby et al. is brought out by Oxford University Press as A Learner's Dictionary of Current English. |
1949 | (1) Newfoundland becomes a province of Canada. (2) Two New Guinea territories are combined by the United Nations as a Australian mandate: the United Nations Trust Territory of Papua and New Guinea. |
1951 | The launch of the first two working business computers: the LED in the UK and the UNIVAC in the US. |
1952 | Puerto Rico becomes a Commonwealth in association with the US. |
1957 | (1) The Gold Coast becomes independent from Britain as the Republic of Ghana. (2) Robert W. Burchfield is appointed editor of a new Supplement to The Oxford English Dictionary. |
1957--63 | The British colonies of Malaya and Borneo become independent and unite as Malaysia. |
1959 | Alask and Hawaii become states of the US. |
1960 | Nigeria and French Cameroun become independent. |
1961 | (1) South Africa becomes a republic, leaves the Commonwealth, and adopts Afrikaans and English as its two official languages. (2) The British colony of Cameroon divides, part joining Nigeria, part joining the ex-French colony to become the Republic of Cameroon. (3) Sierra Leone and Cyprus gain their independence from Britain. (4) The publication of Webster's Third International Dictionary. |
1962 | Jamaica, Trinidad and Tobago, and Uganda gain their independence from Britain. |
1963 | (1) Kenya gains its independence from Britain. (2) The first protests in Wales by the Cymdeithas yr Iaith Gymraeg/Welsh Language Society, aimed at achieving fuller use of Welsh. |
1964 | (1) Malta, Nyasaland (as Malawai), Tanganyika and Zanzibar (as Tanzania), and Northern Rhodesia (as Zambia) gain their independence from Britain. (2) The publication in Paris of René Etiemble's Parlez-vous franglais? |
1965 | Gambia and Singapore gain their independence from Britain. |
1966 | Barbados, Basutoland (as Lesotho), Bechuanaland (as Botswana), and British Guiana (as Guyana) gain their independence from Britain. |
1967 | The Welsh Language Act gives Welsh equal validity with English in Wales, and Wales is no longer deemed to be a part of England. |
1968 | Mauritius, Swaziland, and Nauru gain their independence from Britain. |
1969 | Canada becomes officially bilingual, with a commitment to federal services in English and French. |
1971 | The invention of the microprocessor, a revolutionary development in computing. |
1972 | (1) East Pakistan secedes and becomes its Republic of Bangladesh. (2) Two feminist magazines launched: Ms in the US and Spare Rib in the UK. |
1973 | The Bahamas gain their independence. |
1974 | Cyngor yr Iaith Gymraeg/Council for the Welsh Language set up to advise the Secretary of State for Wales on matters concerning the language. |
1975 | (1) Papua New Guinea gains its independence from Australia. (2) The Bas-Lauriol law is passed in France, requiring the use of the French language alone in advertising and commerce. |
1977 | (1) The spacecraft Voyager travels into deep space, carrying a message in English to any extraterrestrials. (2) In Quebec, Loi 101/Bill 101 is passed, making French the sole official language of the province, limiting access to English-medium school, and banning public signs in languages other than French. |
1978 | The government of Northern Territory in Australia is established. |
1980 | The British government averts a fast to the death by Gwynfor Evans, leader of Plaid Cymru (Welsh National Party), by honouring election pledges to provide a fourth television channel using both Welsh and English. |
1981 | British Honduras gains its independence as Belize. |
1982 | The patriation of Canada's constitution. The Canada Act is the last act of the British Parliament concerning Canadian affairs. |
1983 | The publication of The New Testament in Scots, a translation by William L. Lorimer. |
1984 | The launch of the Apple Macintosh personal (desktop) computer. |
1985 | (1) The publication by Longman of A Comprehensive Grammar of the English Language. (2) The publication by Belknap Press of the first volume of the Dictionary of American Regional English. (3) The launch by Cambridge University Press of the quarterly magazine-cum-journal English Today: The International Review of the English Language. |
1986 | Showing by the BBC in the UK and public television in the US of The Story of English, a television series with both British and American backers, accompanied by a book, and followed by a radio version on BBC World Service. |
1989 | The publication of the 2nd edition of The Oxford English Dictionary, blending the first edition and its supplements. |
昨日の記事「#3599. 言語と人種 (2)」 ([2019-03-05-1]) で参照した McMahon and McMahon は,19世紀以来発展してきた比較言語学は,いまだ科学的な言語学たりえていないと考えている.いままで以上に客観的な方法論,とりわけ量的な手法を開発していくことが肝心だと主張する.主張の背景として,3つの問題を指摘する (11--14) .
1つめは,同じ語族に属する2つの言語について系統的にどのくらい近いのか,遠いのかを問われても,比較言語学者は客観的に答えることができないことだ.系統図を描いて,2つの言語の相対的な位置関係を示すことはできたとしても,言語的にどの程度の距離なのかを客観的な指標で伝えることができない.たとえば,英語,フランス語,スペイン語を知っている話者であれば,それぞれの距離感について主観的には分かっているだろうが,それを他の人に伝えるのは難しい.そのようなことを客観化して示せるのが,科学の強みだったはずではないか.言語間の関係の数値化がなされなければならない.
2つめは,言語接触と借用の問題をクリアできていないことだ.比較言語学にとって,言語接触による借用は頭の痛い問題である.純粋な音韻法則を適用していく際に,借用語の存在は雑音となるからだ.それによって系統図の描き方に悪影響が及ぼされる可能性がある.比較言語学者は,この悪影響を最小限に抑えるべく,借用語を同定し,比較対照すべき単語リストから除外するなどの対策を講じてきたが,そのようなことは言語証拠の多い印欧語族だからこそできるのであって,そうではない語族を前にしたときには使えない対策である.借用に関する事実も,後に一般化することを念頭に,量化しておく必要がある.
3つめは,再建 (reconstruction) を含む比較言語学の専門的な手法が,マニュアル化されていないことだ.諸言語のことを学び,音変化に精通し,直感にも秀で,再建の経験を積んだ者にしか,再建の作業に加われない."essentially a heuristic, and hence irreducibly knowledge- and experience-based [method]" (14) なのである.たとえば,2つの音がどの程度似ていれば妥当な類似とされるかの合意はない.同じデータを前にした2人の比較言語学者が同じ結論に達するとは限らないのである.その意味では,比較言語学は「科学」ではなく,「技芸」にとどまっているというべきである.この指摘は,「#466. 語源学は技芸か科学か」 ([2010-08-06-1]) や「#1791. 語源学は技芸が科学か (2)」 ([2014-03-23-1]) の議論を思い出させる.
このように McMahon and McMahon はなかなかクリティカルだが,論文では具体的な量化の方法を開発してみせようとしている.
・ McMahon, April and Robert McMahon. "Finding Families: Quantitative Methods in Language Classification." Transactions of the Philological Society 101 (2003): 7--55.
「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1]) の続編.先の記事では「言語=人種」という「俗説」に光を当てた.言語と人種を同一視することはできないと主張したわけだが,もっと正確にいえば,両者を「常に」同一視することはできない,というべきだろう.常に同一視する見方に警鐘を鳴らしたのであって,イコール関係が成り立つ場合もあるし,実際には決して少なくないと思われる.少なくないからこそ,一般化され俗説へと発展しやすいのだろう.
近年の遺伝学や人類学の発展により,ホモ・サピエンスの数万年にわたるヨーロッパなどでの移動の様子がつかめるようになってきたが,それと関係づける形で印欧語の派生や展開を解釈しようという動きも出てきた.このような研究は,上記のような俗説に警鐘を鳴らす陣営からは批判の的となるが,言語と人種をペアで考えてもよい事例をたくさん挙げることにより,この批判をそらそうとしている.
McMahon and McMahon (19--20) もそのような論客である.一般的にいって,遺伝子と言語の間に相関関係がないと考えるほうが不自然ではないかという議論だ.
. . . since we are talking here about the histories of populations, which consist of people who both carry genes and use languages, it might be more surprising if there were no correlations between genetic and linguistic configurations. The observation of this correlation, like so many others, goes back to Darwin . . . , who suggested that, 'If we possessed a perfect pedigree of mankind, a genealogical arrangement of the races of man would afford the best classification of the various languages now spoken throughout the world'. The norm today is to accept a slight tempering of this hypothesis, such that, 'The correlation between genes and languages cannot be perfect . . .', because both languages and genes can be replaced independently, but, 'Nevertheless . . . remains positive and statistically significant' . . . . This correlation is supported by a range of recent studies. For instance, Barbujani . . . reports that, 'In Europe, for example, . . . several inheritable diseases differ, in their incidence, between geographically close but linguistically distant populations', while Poloni et al. . . . show that a group of individuals fell into four non-overlapping classes on the basis of their genetic characteristics and whether they spoke an Indo-European, Khoisan, Niger-Congo or Afro-Asiatic language. In other words, there is a general and telling statistical correlation between genetic and linguistic features, which reflects interesting and investigable parallelism rather than determinism. Genetic and linguistic commonality now therefore suggests ancestral identity at an earlier stage: as Barbujani . . . observes, 'Population admixture and linguistic assimilation should have weakened the correspondence between patterns of genetic and linguistic diversity. The fact that such patterns are, on the contrary, well correlated at the allele-frequency level . . . suggests that parallel linguistic and allele-frequency change were not the exception, but the rule.
McMahon and McMahon とて,言語と人種の相関係数が1であるとはまったく述べていない.0というわけはない,そこそこ高い値と考えるのが自然なのではないか,というほどのスタンスだろう.それはそれで間違っていないと思うが,「常に言語=人種」の俗説たることを押さえた上での上級者向けの議論ととらえる必要があるだろう.
・ McMahon, April and Robert McMahon. "Finding Families: Quantitative Methods in Language Classification." Transactions of the Philological Society 101 (2003): 7--55.
昨日の記事「#3597. 1660年,R. H. Squire による英語アカデミー設立の提案」 ([2019-03-03-1]) と関連して,1664年に Dryden が示した英語アカデミー設立提案への賛意について.Dryden は,1664年6月の Rival Ladies の献呈の辞において,フランスの Academie française を意識しながら次のように述べている. (Freeman 294) .
I am sorry that, speaking so noble a language as we do, we have not a more certain Measure of it, as they have in France: when they have an 'Academy' erected for that purpose, and endowed with large privileges by the present King.
そして,その半年後の12月7日に,Royal Society は英語アカデミーの設立の動議を提出し,投票を行なっている.その投票については,Birch が History of the Royal Society (I, p. 499) にて以下の記録を残している (Freeman 294) .
It being suggested that there were persons of the Society whose genius was very proper and inclined to improve the English tongue, particularly for philosophic purposes, it was voted that there should be a committee for improving the English language; and that they meet at Sir Peter Wyche's lodgings in Gray's-Inn once or twice a month, and give an account of their proceedings, when called upon.
この引用の最初のほうにある genius として念頭に置かれていた人物の1人が Dryden だったことは疑いようがない.
昨日の記事で取り上げたように,Dryden は17世紀半ばの英語アカデミー設立の運動の火付け役ではなかった.しかし,その運動に積極的に関与して,目立った働きをしたことは確かだろう.合わせて,「#3220. イングランド史上初の英語アカデミーもどきと Dryden の英語史上の評価」 ([2018-02-19-1]) も参照されたい.
・ Freeman, Edmund. "A Proposal for an English Academy in 1660." The Modern Language Review (1924): 291--300.
英語史において,英語アカデミー設立の提案と頓挫の繰り返しは特筆すべき出来事である.1582年にイタリアに設立された Accademia della Crusca,そして1635年にフランスに設立された Academie française を横目に,イギリスも16世紀後半より同様の組織の設立を目指していたが,17世紀の時代変化に振り回され,実現を阻まれていた.
最初に設立の気運が高まったのは,王政復古期である.1662年に Charles II の認許により Royal Society of London が設立され,1664年には英語を統制する組織が設置された.そこでは,「#3220. イングランド史上初の英語アカデミーもどきと Dryden の英語史上の評価」 ([2018-02-19-1]) でみたように,John Dryden (1631--1700) もさかんに発言した.
しかし,アカデミー設立の発想は,もう少し早く,共和制期の1650年代から,フランスの影響を受けてくすぶりだしていたようで,1660年には R. H. Squire なる人物が,New Atlantis . . . Continued と題する本のなかで具体的な提案を示している (Baugh and Cable 258--59) .Freeman によれば,R. H. Squire とは,グレゴリー式望遠鏡を初めて作った物理学者・化学者 Robert Hooke (1635--1703) のことだろうという.彼は,フランスのアカデミー設立の経緯もよく知っていたようだ.Freeman (296) よりその提案を引用しよう.
We have besides these in the Imperial City one Emminent Academy of selected wits: whose endeavours are to reform all errors in books, and then to licence them; to purifie our Native language from Barbarism or Solecism, to the height of Eloquence, by regulating the termes and phrases therof into constant use of the most significant words, proverbs, and phrases, and justly appropriating them either to the Lofty, mean, or Comic stile. These likewise translate the best Authors, and render them in their genuine sense to us very perspicuous: and make Dictionaries in all languages, wherein the proper terms of art for every notion and thing in every trade, manufacture and science is genuinely rendered and with its derivation very perspicuous.
We have also in each of the provinciall Cities (which have Universities) Free Schools for the attaining of the Languages, Singing, Dancing, Fencing, Riding, and writing, either by Brachugraphy, Hieroglyphic, or an Instrument we have made to write two copies at once, at one and the same motion, for dispatch. For all which we have public Governours and masters sit for each place respectively; chosen by the representative body of that Academie every three years. (pp. 42--44)
17世紀半ばに復活したアカデミー設立のアイディアの源流に,巨匠 Dryden を据え置きたい気持ちは分からないでもない.しかし,実際には Dryden に先立つ人物がいた,というのが Freeman 論文の主張である.Dryden が発言した1660年代までには,すでにアカデミーへ設立への関心は一般的なものとなっていたということだ.
英語アカデミー設立の歴史的話題としては,以下を含む academy の各記事を参照.
・ 「#2760. イタリアとフランスのアカデミーと,それに相当する Johnson の力」 ([2016-11-16-1])
・ 「#3220. イングランド史上初の英語アカデミーもどきと Dryden の英語史上の評価」 ([2018-02-19-1])
・ 「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1])
・ 「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1])
・ 「#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い」 ([2017-10-08-1])
・ 「#3395. 20世紀初頭に設立された英語アカデミーもどき」 ([2018-08-13-1])
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
・ Freeman, Edmund. "A Proposal for an English Academy in 1660." The Modern Language Review (1924): 291--300.
『新日本文学史』に「文学の誕生」 (12) という文章がある.日本文学がいかにして誕生するに至ったかを説明する文脈ではあるが,おそらく日本文学に限らず一般に通用する説だろう.先にエッセンスを示しておくと,次のような流れで文学が誕生するという.
┌───────────────┐ │ 自然への畏怖 │ │ ↓ │ │ 神を祭る │ │ ↓ │ │ 神聖な詞章の発達 │ │ ↓ │ │ 詞章の自立・洗練 │ │ ↓ │ │ 歌謡・神話などの文学の誕生 │ └───────────────┘
日本列島にも,一万年以上前には先土器文化の時代があった.それから数千年を経て縄文時代に入ると,石器や土器などの生産用具を用いた採集生活が営まれるようになった.紀元前三から二世紀ころになると,弥生時代が始まり,水稲耕作の技術が伝来して,採集生活の時代に比べて生産力は一段と高められた.水稲耕作は,組織的な作業を必要とするので,定住化した集団生活がそこに営まれるようになった.共同体的社会が形成され,血縁関係によって結ばれる氏族集団がまとめ上げられていくのである.こうした氏族共同体は,独自の文化を生み出していったが,一方,生産力の上昇に伴ってしだいに統合され,やがていくつかの小国へと進展していった.
採集生活の時代から,人々は,外界の自然に対する畏怖の念をもち続けていた.その脅威からのがれ,生産の豊穣を祈念するため,そこにあらわれる超人間的な力を神として祭った.これが<祭り>の起源であり,共同体の安定は,こうした祭りによって維持されることとなった.祭りの場で語られる神聖な詞章(呪言や呪詞と呼ばれる)が,文学の原型である.これらの詞章は,日常の言語とは異なる,韻律やくり返しをもつ律文としての表現をもっていた.それはまた,祭りの場の音楽や舞踏とも一体化した,きわめて混沌とした表現であったと思われる.
しかし,共同体が統合され,小国からやがて統一国家が形成される過程の中で,祭りも統合され,その神聖な詞章もしだいに言語表現として自立・洗練されていった.それが文学の誕生であり,そこに生み出されたのがさまざまな歌謡や神話であった.
・ 秋山 虔,三好 行雄(編著) 『原色シグマ新日本文学史』 文英堂,2000年.
「#3590. 「ことば遊び」と言語学」 ([2019-02-24-1]) で,ことば遊び word_play が言語学の歴とした研究対象となることを紹介した.今回は,言葉遊びの3類型について,滝浦 (397--99) に依拠しながら概説する.
(1) 即興型 --- 文脈を絡め取ることば遊び
広義の洒落を用いた言葉遊びである.同音・類音を利用して,文脈に寄生しつつ文脈を絡め取る点に特徴がある.「何か用か九日十日」のような文脈を脱線させ攪乱することを狙う「むだ口」や,「着た切り雀」のようなパロディとして原句との対照を意識させる「地口」などもこの類いである.もとの文脈が新たに生じたメッセージに絡め取られて,おもしろみが生じる.その場の状況に応じて即興的に展開することが多いタイプである.
(2) 技巧型 --- メッセージを二重化することば遊び
折句 (acrostic),アナグラム (anagram),回文 (palindrome) などのように,メッセージが何らかの点で二重化されているタイプのことば遊びである.折句については,「#1875. acrostic と折句」 ([2014-06-15-1]),「#1897. "futhorc" の acrostic」 ([2014-07-07-1]) の例を参照.アナグラムは,Salvador Dali の文字を入れ替えて Avida Dollars としたり,「加田玲太郎」を「誰だろうか」とする例などが挙げられる.回文は Madam, I'm Adam や「世の中馬鹿なのよ」など.即興で作るのは難しく,入念に作り込まれる点に特徴がある.
(3) ゲーム型 --- ゲームとしてのことば遊び
ルールに則って遊び続けることを目的とするゲーム感覚のことば遊び.典型例は,しりとり,クロスワード,言葉のなぞなぞなどである.伝達されるべき意味の内容はあまり問題ではなく,ことばはゲームの道具として用いられている.
ことば遊びは遊戯の1種であるから,上の3タイプも遊戯の一般的特質を備えているはずである.その特質は,無目的性,快楽性,無償性,無価値性といったものだろう.コミュニケーション論や記号論の観点からは,暗号 (cryptology) とも関連してきそうだ.「ことば遊び」は,どんどん広がっていき得るテーマだろう.
・ 滝浦 真人 「ことば遊び」『言語の事典』 中島 平三(編),朝倉書店,2005年.396--415頁.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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