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最終更新時間: 2024-12-22 08:43

2024-12-14 Sat

#5710. 12月21日(土)の朝カルのシリーズ講座第9回「英語,ラテン・ギリシア語に憧れる」のご案内 [asacul][notice][kdee][etymology][hel_education][helkatsu][link][lexicology][vocabulary][latin][greek][renaissance][emode][voicy][heldio]


asacul_20240427.png



 ・ 日時:12月21日(土) 17:30--19:00
 ・ 場所:朝日カルチャーセンター新宿教室
 ・ 形式:対面・オンラインのハイブリッド形式(1週間の見逃し配信あり)
 ・ お申し込み:朝日カルチャーセンターウェブサイトより

 今年度の朝カルシリーズ講座「語源辞典でたどる英語史」が,月に一度のペースで順調に進んでいます.主に『英語語源辞典』(研究社)を参照しながら,英語語彙史をたどっていくシリーズです.
 1週間後に開講される第9回では主に初期近代英語期におけるラテン語およびギリシア語の語彙的影響を評価します.16--17世紀の初期近代英語期は英国ルネサンスの時代に当たり,古典語への傾倒が顕著でした.知識が増大し学問も発展したために新しい語彙が大量に必要となり,そのニーズに応えるべくラテン語やギリシア語の単語や要素が持ち出されたのです.結果として,古典語に基づく借用語や新語がおびただしく導入され,英語語彙は空前の拡張を遂げることになります.
 今回の講座では,古典語からの借用語に主に注目し,この時期の語彙拡大の悲喜劇を観察してみたいと思います.ぜひ皆さんもこの時代にもたらされたラテン・ギリシア語系のオモシロ単語を探してみてください.
 本シリーズ講座の各回は独立していますので,過去回への参加・不参加にかかわらず,今回からご参加いただくこともできます.過去8回分については,各々概要をマインドマップにまとめていますので,以下の記事をご覧ください.

 ・ 「#5625. 朝カルシリーズ講座の第1回「英語語源辞典を楽しむ」をマインドマップ化してみました」 ([2024-09-20-1])
 ・ 「#5629. 朝カルシリーズ講座の第2回「英語語彙の歴史を概観する」をマインドマップ化してみました」 ([2024-09-24-1])
 ・ 「#5631. 朝カルシリーズ講座の第3回「英単語と「グリムの法則」」をマインドマップ化してみました」 ([2024-09-26-1])
 ・ 「#5639. 朝カルシリーズ講座の第4回「現代の英語に残る古英語の痕跡」をマインドマップ化してみました」 ([2024-10-04-1])
 ・ 「#5646. 朝カルシリーズ講座の第5回「英語,ラテン語と出会う」をマインドマップ化してみました」 ([2024-10-11-1])
 ・ 「#5650. 朝カルシリーズ講座の第6回「英語,ヴァイキングの言語と交わる」をマインドマップ化してみました」 ([2024-10-15-1])
 ・ 「#5669. 朝カルシリーズ講座の第7回「英語,フランス語に侵される」をマインドマップ化してみました」 ([2024-11-03-1])
 ・ 「#5704. 朝カルシリーズ講座の第8回「英語,オランダ語と交流する」をマインドマップ化してみました」 ([2024-12-08-1])

 本講座の詳細とお申し込みはこちらよりどうぞ.『英語語源辞典』(研究社)をお持ちの方は,ぜひ傍らに置きつつ受講いただければと存じます(関連資料を配付しますので,辞典がなくとも受講には問題ありません).


寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』新装版 研究社,2024年.



(以下,後記:2024/12/17(Tue))



 ・ 寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』新装版 研究社,2024年.

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2024-10-29 Tue

#5664. 初期近代のジェスチャーへの関心の高まり [gesture][emode][gesture][paralinguistics][history_of_linguistics][latin][lingua_franca][vernacular]

 西洋の初期近代では普遍言語や普遍文字への関心が高まったが,同様の趣旨としてジェスチャー (gesture) へも関心が寄せられるようになった.Kendon (73) によれば,その背景は以下の通り.

The expansion of contacts between Europeans and peoples of other lands, especially in the New World, led to an enhanced awareness of the diversity of spoken languages, and because explorers and missionaries had reported successful communication by gesture, the idea rose that gesture could form the basis of a universal language. The idea of a universal language that could overcome the divisions between peoples brought about by differences in spoken languages was longstanding. However, interest in it became widespread, especially in the sixteenth and seventeenth centuries, in part because, as Latin began to be replaced with vernaculars, the need for a new lingua franca was felt. There were philosophical and political reasons as well, and there developed the idea that a language should be created whose meanings were fixed, which could be written or expressed in forms that would be comprehensible, regardless of a person's spoken language. The idea that humans share a 'universal language of the hands,' mentioned by Quintilian, was taken up afresh by Bonifaccio. In his L'arte dei cenni ('The art of signs') of 1616 (perhaps the first book ever published to be devoted entirely to bodily expression) . . . , he hoped that his promotion of the 'mute eloquence' of bodily signs would contribute to the restoration of the natural language of the body, given to all mankind by God, and so overcome the divisions created by the artificialities of spoken languages.


 西洋の初期近代におけるジェスチャーへの関心は,新世界での見知らぬ諸言語との接触,リンガフランカとしてのラテン語の衰退,哲学的・政治的な観点からの普遍言語への関心,「自然な肉体言語」の再評価などに裏付けられていたという解説だ.関連して「#5128. 17世紀の普遍文字への関心はラテン語の威信の衰退が一因」 ([2023-05-12-1]) の議論も思い出される.

 ・ Kendon, Adam. "History of the Study of Gesture." Chapter 3 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 71--89.

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2024-10-25 Fri

#5660. なぜ英語には単数形と複数形の区別があるの? --- Mond での質問と回答より [emode][number][category][plural][dual][negation][mond][sobokunagimon][ai][voicy][heldio]

mond_20241019.png



 先日,知識共有サービス Mond に上記の素朴な疑問が寄せられました.質問の全文は以下の通りです.

英語では単数形,複数形の区別がありますが,なぜ「1とそれ以外」なのでしょうか.別の尋ね方をすると,「なぜ1だけがそのほかの数とは違う特別な扱いになるのでしょうか」.先生のブログなどでは双数形のお話がありましたし,もしかしたらもともとは単数,双数,そのほかの数(3や,「ちょっとたくさん」,「ものすごくたくさん」など?)によって区別されていたものが,言語の歴史の中で単純化されてきたということは考えられますが,それでも1の区別だけは純然と残っているのだとすると,とても不思議に感じます.


 この本質的な質問に対して,私はこちらのようにに回答しました.私の X アカウント @chariderryu 上でも,この話題について少なからぬ反響がありましたので,本ブログでも改めてお知らせし,回答の要約と論点を箇条書きでまとめておきたいと思います.



1. 古今東西の言語における数のカテゴリー

 ・ 現代英語では単数形「1」と複数形「2以上」の2区分
 ・ 古英語では双数形も存在したが,中英語までに廃れた
 ・ 世界の言語では,最大5区分(単数形,双数形,3数形,少数形,複数形)まで確認されている
 ・ 日本語や中国語のように,明確な数の区分を持たない言語も存在する
 ・ 言語によってカテゴリー・メンバーの数は異なり,歴史的に変化する場合もある

2. なぜ「1」と「2以上」が特別なのか?

 ・ 「1」は他の数と比較して特殊で際立っている
 ・ 最も基本的,日常的,高頻度,かつ重要な数である
 ・ 英語コーパス (BNCweb) によれば,one の使用頻度が他の数詞より圧倒的に高い
 ・ 「1」を含意する表現が豊富 (ex. a(n), single, unique, only, alone)
 ・ 2つのカテゴリーのみを持つ言語では,通常「1」と「2以上」の区分になる

3. もっと特別なのは「0」と「1以上」かもしれない

 ・ 「0」と「1以上」の区別が,より根本的な可能性がある
 ・ 形容詞では no vs. one,副詞では not の有無(否定 vs. 肯定)に対応
 ・ 数詞の問題を超えて,命題の否定・肯定という意味論的・統語論的な根本問題に関わる
 ・ 人類言語に備わる「否定・肯定」の概念は,AI にとって難しいとされる
 ・ 「0」を含めた数のカテゴリーの考察が,言語の本質的な理解につながる可能性があるのではないか




 数のカテゴリーの話題として始まりましたが,いつの間にか否定・肯定の議論にすり替わってしまいました.引き続き考察していきたいと思います.今回の Mond の質問,良問でした.


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2024-10-23 Wed

#5658. 迂言的 have got の発達 (2) [periphrasis][grammaticalisation][have][perfect][participle][emode][auxiliary_verb]

 昨日の記事「#5657. 迂言的 have got の発達 (1)」 ([2024-10-22-1]) に引き続き,現代では日常的となったこの迂言的表現について.
 Rissanen (220) が,初期近代英語期の統語論を論じている文献にて,同表現の発生について言及している.

The perfect have got, which is almost a rule, instead of the present tense have, in colloquial present-day British English, is attested from the end of the sixteenth century. The periphrastic form here is possibly due to a tendency to increase the weight of the verbal group, particularly in sentence-final position. The association of have with the auxiliaries may have supported the development of the two-verb structure.

(173) Some have got twenty four pieces of ivory cut in the shape of dice, . . . and with these they have played at vacant hours with a childe ([HC] Hoole 7)
(174) Bon. What will your Worship please to have for Supper?
      Aim. What have you got?
      Bon. Sir, we have a delicate piece of Beef in the Pot . . .
      Aim. Have you got any fish or Wildfowl? ([HC] Farquhar I.i)


 迂言形の出現の背景として考えられる事柄を2点挙げている.1つめは,複合動詞とすることで韻律的な「重み」が増し,語呂がよくなるということだ.とりわけ文末において動詞(過去分詞)の got が現われると口語では好韻律になるということだが,これはどこまで実証されるのだろうか,気になるところである.
 もう1つは,have が助動詞として振る舞うようになっていたために,後ろに got のような別の動詞が接続し,2語で複合動詞として機能することは,統語的に自然なことだ,という洞察である.ただし,「have + 過去分詞」が現在完了を表わすというのは,すでに中英語期から普通のことだった.とりわけ have got の迂言形が発達してきたはなぜかを積極的に説明するような洞察ではない.
 17世紀(以降)の口語における用例と文脈を詳しく調査していく必要がある.

 ・ Rissanen, Matti. "Syntax." <i>The Cambridge History of the English Language</i>. Vol. 3. Cambridge: CUP, 1999. 187--331.

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2024-10-22 Tue

#5657. 迂言的 have got の発達 (1) --- Mond での質問と回答より [periphrasis][have][perfect][participle][grammaticalisation][emode][mond][sobokunagimon][eebo]

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 知識共有サービス Mond に寄せられていた「迂言的 have got」に関する素朴な疑問に,先日回答しました.こちらよりお読みください.本当はもっと詳しく調べなければならない問題で,今回はとりあえずの回答だったのですが,これを機に考え始めてみたいと思います.
 最初の一歩は,いつでも OED です.迂言的 have got は,OEDget (v.) の IV の項に,完了形の特殊用法として記述があります.

IV. Specialized uses of the perfect.

   In this use, the perfect and past perfect of get (have got, has got, had got) function as a present and past tense verb, which, owing to its formation, does not enter into further compound forms (perfect and past perfect, progressive, passive, or periphrastic expressions with to do), or have an imperative or infinitive.

   In colloquial, regional, and nonstandard use, omission of auxiliary have is frequent in the uses at this branch (e.g. I got some, you got to): see examples in etymology section. An inflected form gots is also sometimes found in similar use (e.g. I gots some, he gots to), especially in African American usage: see further examples in etymology section.

IV.i. In senses equivalent to those of the present and past tenses of have.

   Often, especially in early use, difficult to distinguish from the dynamic use 'have obtained or acquired'.

IV.i.33.a. transitive. To hold as property, be in possession of, own; to possess as a part, attribute, or characteristic; = have v. I.i

[1600 What a beard hast thou got; thou hast got more haire on thy chinne, then Dobbin my philhorse hase on his taile.
   W. Shakespeare, Merchant of Venice]
1611 The care of conseruing and increasing the goods they haue got, and the feare of loosing that which they enioy.
   J. Maxwell, translation of Treasure of Tranquillity xvii. 144
a1616 Fie, th'art a churle, ye'haue got a humour there Does not become a man.
   W. Shakespeare, Timon of Athens (1623) i.ii.25
c1635 My lady has got a cast of her eye.
   H. Glapthorne, Lady Mother (1959) ii.i.22
1670 They have got..such a peculiar Method of Text-dividing.
   J. Eachard, Grounds Contempt of Clergy 113
. . . .


 have got が本来の動作的な意味を表わすのか,現代風の状態的な意味を表わすのか,特に初期の例については判別しにくいケースがあると述べられてはいますが,17世紀中に頻度を高めていったことは EEBO corpus で調べた限り間違いなさそうです.なぜ,どのような経緯でこの表現が現われ,一般的になっていったのか,深掘りしていく必要があります.

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2024-09-17 Tue

#5622. methoughts の用例を再び [3ps][impersonal_verb][verb][inflection][preterite][analogy][methinks][eebo][corpus][emode][comment_clause]

 「#5385. methinks にまつわる妙な語形をいくつか紹介」 ([2024-01-24-1]) と「#5386. 英語史上きわめて破格な3単過の -s」 ([2024-01-25-1]) で触れたように,近代英語期には methoughts という英文法史上なんとも珍妙な動詞形態が現われます.過去形なのに -s 語尾が付くという驚きの語形です.
 今回は,methoughts の初期近代英語期からの例を EEBO corpus より抜き出してみました(コンコーダンスラインのテキストファイルはこちら).10年刻みでのヒット数は,次の通りです.

 ALL1600s1610s1620s1630s1640s1650s1660s1670s1680s1690s
METHOUGHTS184   16618377541


 15--16世紀中には1例も現われなかったので表中には示しませんでした.17世紀に入り,とりわけ後半以降に分布を伸ばしてきています.EEBO で追いかけられるのはここまでですが,この後の18世紀以降の分布も気になるところです.
 コンコーダンスラインを眺めていると,methoughts は主節を担うというよりも,すでに評言節 (comment_clause) として挿入的に用いられている例が多いことが窺われます(これ自体は,対応する現在形 methinks の役割からも容易に予想されますが).
 また,methoughts の近くに類義語というべき seem が現われる例もいくつか確認され,評言節からさらに発展して,副詞程度の役割に到達しているとすら疑われるほどです.

 ・ 1676: methoughts she seem'd though very reserv'd, and uneasie all the time i entertain'd her
 ・ 1678: methoughts my head seemed as it were diaphanous
 ・ 1679: nay, they so beautiful, so fair did seem, methoughts i took and eat'em in my dream
 ・ 1695: yet methoughts you seem chiefly to place this vacancy of the throne upon king iames's abdication

 英語史上短命に終わった,きわめて珍妙なこの語形から目が離せません.

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2024-04-28 Sun

#5480. 2022年の日本歴史言語学会のシンポジウム「日中英独仏・対照言語史ー語彙の近代化をめぐってー」の概要が公開されました [notice][jshl][symposium][historical_linguistics][lexicology][standardisation][emode][japanese][contrastive_language_history][german][french][chinese][latin][greek][renaissance]

 1年半ほど前のことになりますが,2022年12月10日に日本歴史言語学会にてシンポジウム「日中英独仏・対照言語史ー語彙の近代化をめぐって」が開かれました(こちらのプログラムを参照).学習院大学でのハイブリッド開催でした.同年に出版された,高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)が J-STAGE 上で公開されました.PDF形式で自由にダウンロードできますので,ぜひお読みいただければと思います.セクションごとに分かれていますので,以下にタイトルとともに抄録へのリンクを張っておきます.

 ・ 趣旨説明 「日中英独仏・対照言語史 --- 語彙の近代化をめぐって」(高田博行,学習院大学)
 ・ 講演1 「日本語語彙の近代化における外来要素の受容と調整」(田中牧郎,明治大学)
 ・ 講演2 「中国語の語彙近代化の生態言語学的考察 --- 新語の群生と「適者生存」のメカニズム」(彭国躍,神奈川大学)
 ・ 講演3 「初期近代英語における語彙借用 --- 日英対照言語史的視点から」(堀田隆一,慶應義塾大学)
 ・ 講演4 「ドイツ語の語彙拡充の歴史 --- 造語言語としてのアイデンティティー ---」(高田博行,学習院大学)
 ・ 講演5 「アカデミーフランセーズの辞書によるフランス語の標準化と語彙の近代化 ---フランス語の標準化への歩み」(西山教行,京都大学)
 ・ ディスカッション 「まとめと議論」

 講演3を担当した私の抄録は次の通りです.
 

初期近代英語期(1500--1700年)は英国ルネサンスの時代を含み,同時代特有の 古典語への傾倒に伴い,ラテン語やギリシア語からの借用語が大量に英語に流れ込んだ.一方,同時代の近隣ヴァナキュラー言語であるフランス語,イタリア語,スペイン語,ポルトガル語などからの語彙の借用も盛んだった.これらの借用語は,元言語から直接英語に入ってきたものもあれば,他言語,典型的にはフランス語を窓口として,間接的に英語に入ってきたものも多い.さらには,借用要素を自前で組み合わせて造語することもしばしば行なわれた.つまり,初期近代英語における語彙の近代化・拡充は,様々な経路・方法を通じて複合的に実現されてきたのである.このような初期近代英語期の語彙事情は,実のところ,いくつかの点において明治期の日本語の語彙事情と類似している.本論では,英語と日本語について対照言語史的な視点を取りつつ,語彙の近代化の方法と帰結について議論する.


 先に触れた編著書『言語の標準化を考える』で初めて対照言語史 (contrastive_language_history) というアプローチを導入しましたが,今回の論考はそのアプローチによる新たな挑戦として理解していただければと思います.

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 ・ 高田 博行・田中 牧郎・彭 国躍・堀田 隆一・西山 教行 「日中英独仏・対照言語史ー語彙の近代化をめぐってー」『歴史言語学』第12号(日本歴史言語学会編),2024年.89--182頁.
 ・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.

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2024-04-03 Wed

#5455. 矢冨弘先生との heldio トークと「日英の口の可動域」 [voicy][heldio][helwa][phonetics][pronunciation][japanese][do-periphrasis][emode][sociolinguistics][name_project][vowel][helkatsu]

 先日,英語史研究者である矢冨弘先生(熊本学園大学)とお会いする機会がありました.「名前プロジェクト」 (name_project) の一環として,他のプロジェクトメンバーのお二人,五所万実先生(目白大学)と小河舜先生(上智大学)もご一緒でした.
 そこで主に「名前」の問題をめぐり Voicy heldio/helwa の生放送をお届けしたり収録したりしました.以下の3本をアーカイヴより配信しています.いずれも長めですので,お時間のあるときにでもお聴きいただければ.

 (1) heldio 「#1034. 「名前と英語史」 4人で生放送 【名前プロジェクト企画 #3】」(59分)
 (2) helwa 「【英語史の輪 #113】「名前と英語史」生放送のアフタートーク生放送」(←こちらの回のみ有料のプレミアム限定配信です;60分)
 (3) heldio 「#1038. do から提起する新しい英語史 --- Ya-DO-me 先生(矢冨弘先生)教えて!」(20分)

 その後,矢冨先生がご自身のブログにて,上記の収録と関連する内容の記事を2本書かれていますので,ご紹介します.

 ・ 「3月末の遠征と4月の抱負」
 ・ 「日英の口の可動域」

 2つめの「日英の口の可動域」は,上記 (2) の helwa 生放送中に,名前の議論から大きく逸れ,発音のトークに花が咲いた折に飛びだした話題です.トーク中に,矢冨先生が日本語と英語では口の使い方(母音の調音点)が異なることを日頃から意識されていると述べ,場が湧きました.英語で口の可動域が異なることを示す図をお持ちだということも述べられ,その後リスナーの方より「その図が欲しい」との要望が出されたのを受け,このたびブログで共有していただいた次第です.皆さん,ぜひ英語の発音練習に活かしていただければ.
 ちなみに,矢冨先生についてもっと詳しく知りたい方は,khelf 発行の『英語史新聞』第6号第7号をご覧ください.それぞれ第3面の「英語史ラウンジ by khelf」にて,2回にわたり矢冨先生のインタビュー記事を掲載しています.
 矢冨先生,今後も様々な「hel活」 (helkatsu) をよろしくお願いします!

Referrer (Inside): [2024-05-01-1]

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2023-12-12 Tue

#5342. 切り取り (clipping) による語形成の類型論 [word_formation][shortening][abbreviation][clipping][terminology][polysemy][homonymy][morphology][typology][apostrophe][hypocorism][name_project][onomastics][personal_name][australian_english][new_zealand_english][emode][ame_bre]

 語形成としての切り取り (clipping) については,多くの記事で取り上げてきた.とりわけ形態論の立場から「#893. shortening の分類 (1)」 ([2011-10-07-1]) で詳しく紹介した.
 先日12月8日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ」 (heldio) の配信回にて「#921. 2023年の英単語はコレ --- rizz」と題して,clipping による造語とおぼしき最新の事例を取り上げた.



 この配信回では,2023年の Oxford Word of the Year が rizz に決定したというニュースを受け,これが charisma の clipping による短縮形であることを前提として charisma の語源を紹介した.
 rizzcharisma の clipping による語形成であることを受け入れるとして,もとの単語の語頭でも語末でもなく真ん中部分が切り出された短縮語である点は特筆に値する.このような語形成は,それほど多くないと見込まれるからだ.「#893. shortening の分類 (1)」 ([2011-10-07-1]) の "Mesonym" で取り上げたように,例がないわけではないが,やはり珍しいには違いない.以下の解説によると "fore-and-aft clipping" と呼んでもよい.
 heldio のリスナーからも関連するコメント・質問が寄せられたので,この問題と関連して McArthur の英語学用語辞典より "clipping" を引用しておきたい (223--24) .

CLIPPING [1930s in this sense]. Also clipped form, clipped word, shortening. An abbreviation formed by the loss of word elements, usually syllabic: pro from professional, tec from detective. The process is attested from the 16c (coz from cousin 1559, gent from gentleman 1564); in the early 18c, Swift objected to the reduction of Latin mobile vulgus (the fickle throng) to mob. Clippings can be either selective, relating to one sense of a word only (condo is short for condominium when it refers to accommodation, not to joint sovereignty), or polysemic (rev stands for either revenue or revision, and revs for the revolutions of wheels). There are three kinds of clipping:

(1) Back-clippings, in which an element or elements are taken from the end of a word: ad(vertisement), chimp(anzee), deli(catessen), hippo(potamus), lab(oratory), piano(forte), reg(ulation)s. Back-clipping is common with diminutives formed from personal names Cath(erine) Will(iam). Clippings of names often undergo adaptations: Catherine to the pet forms Cathie, Kate, Katie, William to Willie, Bill, Billy. Sometimes, a clipped name can develop a new sense: willie a euphemism for penis, billy a club or a male goat. Occasionally, the process can be humorously reversed: for example, offering in a British restaurant to pay the william.
(2) Fore-clippings, in which an element or elements are taken from the beginning of a word: ham(burger), omni(bus), violon(cello), heli(copter), alli(gator), tele(phone), earth(quake). They also occur with personal names, sometimes with adaptations: Becky for Rebecca, Drew for Andrew, Ginny for Virginia. At the turn of the century, a fore-clipped word was usually given an opening apostrophe, to mark the loss: 'phone, 'cello, 'gator. This practice is now rare.
(3) Fore-and-aft clippings, in which elements are taken from the beginning and end of a word: in(flu)enza, de(tec)tive. This is commonest with longer personal names: Lex from Alexander, Liz from Elizabeth. Such names often demonstrate the versatility of hypocoristic clippings: Alex, Alec, Lex, Sandy, Zander; Eliza, Liz, Liza, Lizzie, Bess, Betsy, Beth, Betty.

Clippings are not necessarily uniform throughout a language: mathematics becomes maths in BrE and math in AmE. Reverend as a title is usually shortened to Rev or Rev., but is Revd in the house style of Oxford University Press. Back-clippings with -ie and -o are common in AusE and NZE: arvo afternoon, journo journalist. Sometimes clippings become distinct words far removed from the applications of the original full forms: fan in fan club is from fanatic; BrE navvy, a general labourer, is from a 19c use of navigator, the digger of a 'navigation' or canal. . . .


 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.

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2023-11-23 Thu

#5323. Shakespeare 時代の主な劇団 --- 井出新(著)『シェイクスピア それが問題だ!』(大修館,2023年)より [shakespeare][drama][emode][renaissance]

 「#5316. Shakespeare の作品一覧(執筆年代順) --- 井出新(著)『シェイクスピア それが問題だ!』(大修館,2023年)より」 ([2023-11-16-1]) の表中に [A] Pembroke's Men [B] Strange's Men [C] Derby's Men [D] Chamberlain's Men [E] King's Men などのラベルがみえる.これは当該の作品と結びつけられている劇団の名前である.井出 (66--67) の「シェイクスピア時代の主な劇団(( )内は活動時期)と題するコラムがあるので,備忘録としてこちらにも記載しておきたい.こうしてみると劇団にも盛衰があるのだなあ.



■レスター伯一座 (Earl of Leicester's Men, 1559--88)
 パトロンはロバート・ダドリー.伯爵に叙せられる1564年以前は「ダドリー一座として活動.地方巡業を多く行った.1570年代前半にジェイムズ・バーベッジ(リチャードの父)が所属.

■ウスター伯一座 (Earl of Worcester's Men, 1562--1603)
 パトロンはウィリアム・サマーセットと息子エドワード.海外巡業を得意としたロバート・ブラウンや宮内大臣一座を脱退したウィリアム・ケンプが所属した.地方巡業を多く行なったが,1602年にボアズ・ヘッド館を拠点化し,宮内大臣一座や海軍大臣一座に次ぐ劇団となった.ジェイムズ一世即位後はアン王妃の庇護を受け,「アン王女一座」として1619年まで活動した.

■ストレインジ卿一座 (Lord Strange's Men, 1564--94)
 パトロンはヘンリー・スタンリーと息子ファーディナンド.ジョン・ヘミングズやケンプが宮内大臣一座に加入する前に所属.1590年代はシアター座,ローズ座などを使用.1594年ファーディナンドの死去により団員はいくつかの劇団に離散,残留組は彼の弟ウィリアムの庇護下でダービー伯一座として活動した.

■王室礼拝堂少年劇団 (Children of the Chapel Royal, 1575--90, 1600--03)
 1576年にリチャード・ファラント座長のもと,御前公演のリハーサルという建前で一般向け上演を開始.1600年以降はブラックフライアーズ座を拠点にベン・ジョンソンらの諷刺喜劇を上演して成人劇団を凌ぐ人気を得た.ジェイムズ即位後は(王妃)祝典少年劇団 (1603--13) として活動したが,1609年に拠点をホワイトフライアーズ座へと移してからは勢いが衰えた.

■聖ポール少年劇団 (Children of St Paul's, 1575--82, 1586--90, 1599--1606)
 聖ポール大聖堂の聖歌隊を母体にして商業演劇に乗り出し,境内に建設された屋内劇場を拠点に活動.1600年代はジョン・マーストンやトマス・ミドルトンらによる諷刺喜劇で人気を博した.

■海軍大臣一座 (Lord Admiral's Men, 1576--1603)
 パトロンはチャールズ・ハワード.海軍大臣に任じられる1585年までは「ハワーズ一座」として活動.1580年代後半に加入した名優エドワード・アレンの活躍によりロンドン二大劇団の一つとなった.興行師フィリップ・ヘンズロウの経営するローズ座とフォーチュン座を本拠地に活動した.→ヘンリー王子一座

■女王一座 (Queen's Men, 1583--94)
 パトロンはエリザベス一世.枢密院の肝いりでリチャード・タールトンなど有名俳優をいろいろな劇団から引き抜いて結成された.1588年にタールトンが死去してからは次第に人気が凋落.地方巡業が多く,ロンドンではシアター座やカーテン座などを使用.

■ペンブルック伯一座 (Earl of Pembroke's Men, 1591--1601)
 パトロンはヘンリー・ハーバート.宮内大臣一座に加入する以前シェイクスピアが一座に所属していたと推測する学者も多い.興行主フランシス・ラングリーの経営するスワン座が本拠地.

■宮内大臣一座 (Lord Chamberlain's Men, 1594--1603)
 パトロンはヘンリー・ケアリと息子のジョージ.1594年にシェイクスピアやリチャード・バーベッジらを加えて新結成.幹部が共同経営するシアター座,グローブ座が本拠地.→国王一座

■国王一座 (King's Men, 1603--42)
 パトロンはジェイムズ一世とチャールズ一世.ジェイムズは即位後の5月19日,宮内大臣一座の劇団員を庇護下に置き,彼らに特権的地位を与えた.本拠地はグローブ座,1609年以降は少年劇団が使用していたブラックフライアーズ座も拠点化した.

■ヘンリー王子一座 (1603--12)
 前身は海軍大臣一座.ジェイムズ一世の即位後,ヘンリー王子の庇護を得た.王子が1612年にチフスで死去した後は王女エリザベスの夫フリードリヒ五世をパトロンとして1624年まで活動するが,本拠地フォーチュン座消失(1621年)後は勢いが衰えた.





井出 新 『シェイクスピア それが問題だ!』 大修館,2023年.



 ・ 井出 新 『シェイクスピア それが問題だ!』 大修館,2023年.

Referrer (Inside): [2023-12-27-1]

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2023-11-18 Sat

#5318. シェイクスピアの言語は "speaking picture" [shakespeare][drama][emode][literature][link]

 McKeown のシェイクスピアの言語論を読んだ.英語史のハンドブックのなかに納められている,"Shakespeare's Literary Language" と題する9ページほどのさほど長くない導入的エッセーである.結論的にいえば,沙翁の言語は "speaking picture" であるということだ.これは「語る絵画」と訳せばよいのだろうか.言葉によって,あたかも絵画を鑑賞しているような雰囲気に誘う,というほどの理解でよいだろうか.
 その効果が最もよく発揮されているのが「独白」であるという.シェイクスピアといえば,確かに独白を思い浮かべる人も多いだろう.エッセーの締めくくりに次のようにある.

There is much more to Shakespeare the poet than the soliloquy or the monologue but there is nothing more Shakespeare than this poetic mode. If we recognize that it derives from a tradition that regards poetry as a "speaking picture" that teaches and delights, we can give some critical substance to the oft made suggestion that Shakespeare, more than anyone else, teaches us what it means to be human. For what is definitive about human beings if not self-consciousness, and what is self-consciousness if not the capacity to act as witnesses to our own lives, to separate ourselves from our experiences, however blissful or devastating, and give them voice?


 沙翁については,本ブログでも shakespeare の各記事で取り上げてきたし,Voicy heldio でも話題にしてきた.主要なコンテンツを列挙しておこう.今後も多く取り上げていきたい.

 ・ hellog 「#195. Shakespeare に関する Web resources」 ([2009-11-08-1])
 ・ hellog 「#1763. Shakespeare の作品と言語に関する雑多な情報」 ([2014-02-23-1])
 ・ hellog 「#2283. Shakespeare のラテン語借用語彙の残存率」 ([2015-07-28-1])
 ・ hellog 「#4341. Shakespeare にみられる4体液説」 ([2021-03-16-1])
 ・ hellog 「#4250. Shakespeare の言語の研究に関する3つの側面と4つの目的」 ([2020-12-15-1])
 ・ hellog 「#4285. Shakespeare の英語史上の意義?」 ([2021-01-19-1])
 ・ hellog 「#4482. Shakespeare の発音辞書?」 ([2021-08-04-1])
 ・ hellog 「#4483. Shakespeare の語彙はどのくらい豊か?」 ([2021-08-05-1])
 ・ hellog 「#5316. Shakespeare の作品一覧(執筆年代順) --- 井出新(著)『シェイクスピア それが問題だ!』(大修館,2023年)より」 ([2023-11-16-1])
 ・ heldio 「#898. 井出新先生のご著書の紹介 --- 『シェイクスピア それが問題だ!』(大修館,2023年)」

 ・ McKeown, Adam. N. "Shakespeare's Literary Language." Chapter 44 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 455--63.

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2023-07-31 Mon

#5208. 田辺春美先生と17世紀の英文法について対談しました [voicy][heldio][review][corpus][emode][syntax][phrasal_verb][subjunctive][complementation]


秋元 実治(編),片見 彰夫・福元 広二・田辺 春美・山本 史歩子・中山 匡美・川端 朋広・秋元 実治(著) 『近代英語における文法的・構文的変化』 開拓社,2023年.



 6月に開拓社より近代英語期の文法変化に焦点を当てた『近代英語における文法的・構文的変化』が出版されました.秋元実治先生(青山学院大学名誉教授)による編著です.6名の研究者の各々が,15--20世紀の各世紀の英文法およびその変化について執筆しています.
 このたび,本書の第3章「17世紀の文法的・構文的変化」の執筆を担当された田辺春美先生(成蹊大学)と,Voicy heldio での対談が実現しました.17世紀は英語史上やや地味な時代ではありますが,着実に変化が進行していた重要な世紀です.ことさらに取り上げられることが少ない世紀ですので,今回の対談はむしろ貴重です.「#790. 『近代英語における文法的・構文的変化』 --- 田辺春美先生との対談」をお聴き下さい(21分ほどの音声配信です).



 田辺先生の最後の台詞「17世紀も忘れないでね~」が印象的でしたね.
 本書については,すでに YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」,hellog, heldio などの各メディアで紹介してきましたので,そちらもご参照いただければ幸いです.

 ・ YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」より「#137. 辞書も規範文法も18世紀の産業革命富豪が背景に---故山本史歩子さん(英語・英語史研究者)に捧ぐ---」

 ・ hellog 「#5166. 秋元実治(編)『近代英語における文法的・構文的変化』(開拓社,2023年)」 ([2023-06-19-1])
 ・ hellog 「#5167. なぜ18世紀に規範文法が流行ったのですか?」 ([2023-06-20-1])
 ・ hellog 「#5182. 大補文推移の反対?」 ([2023-07-05-1])
 ・ hellog 「#5186. Voicy heldio に秋元実治先生が登場 --- 新刊『近代英語における文法的・構文的変化』についてお話しをうかがいました」 ([2023-07-09-1])

 ・ heldio 「#769. 『近代英語における文法的・構文的変化』 --- 秋元実治先生との対談」
 ・ heldio 「#772. 『近代英語における文法的・構文的変化』 --- 16世紀の英語をめぐる福元広二先生との対談」
 ・ heldio 「#790. 『近代英語における文法的・構文的変化』 --- 田辺春美先生との対談」

 ・ 秋元 実治(編),片見 彰夫・福元 広二・田辺 春美・山本 史歩子・中山 匡美・川端 朋広・秋元 実治(著) 『近代英語における文法的・構文的変化』 開拓社,2023年.

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2023-05-12 Fri

#5128. 17世紀の普遍文字への関心はラテン語の威信の衰退が一因 [writing_system][alphabet][latin][prestige][emode][history_of_linguistics][orthoepy][orthography][pictogram]

 スペリングの英語史を著わした Horobin によると,17世の英語社会には従来のローマン・アルファベットではなく万国共通の普遍文字を考案しようとする動きが生じていた.
 16--17世紀には正音学 (orthoepy) が発達し,それに伴って正書法 (orthography) への関心も高まった時代だが,そこで常に問題視されたのはローマン・アルファベットの不完全性だった.この問題意識のもとで,完全なる普遍的な文字体系が模索されることになったことは必然といえば必然だった.しかし,17世紀の普遍文字の考案の動きにはもう1つ,同時代に特有の要因があったのではないかという.それは長らくヨーロッパ社会で普遍言語として認識されてきたラテン語の衰退である.古い普遍「言語」が失われかけたときに,新しい普遍「文字」が模索されるようになったというのは,時代の流れとしておもしろい.Horobin (25) より引用する.

Attempts have also been made to devise alphabets to overcome the difficulties caused by this mismatch between figura and potestas. In the seventeenth century, a number of scholars attempted to create a universal writing system which could be understood by everyone, irrespective of their native language. This determination was motivated in part by a dissatisfaction with the Latin alphabet, which was felt to be unfit for purpose because of its lack of sufficient letters and because of the differing ways it was employed by the various European languages. The seventeenth century also witnessed the loss of Latin as a universal language of scholarship, as scholars increasingly began to write in their native tongues. The result was the creation of linguistic barriers, hindering the dissemination of ideas. This could be overcome by the creation of a universal writing system in which characters represented concepts rather than sounds, thereby enabling scholars to read works composed in any language. This search for a universal writing system was prompted in part by the mistaken belief that the Egyptian system of hieroglyphics was designed to represent the true essence and meaning of an object, rather than the name used to refer to it. Some proponents of a universal system were inspired by the Chinese system of writing, although this was criticized by others on account of the large number of characters required and for the lack of correspondence between the shapes of the characters and the concepts they represent.


 21世紀の現在,普遍文字としての絵文字やピクトグラム (pictogram) の可能性に注目が寄せられている.現代における普遍言語というべき英語が17世紀のラテン語のように衰退しているわけでは必ずしもないものの,現代の普遍文字としてのピクトグラムの模索への関心が高まっているというのは興味深い.17世紀と現代の状況はどのように比較対照できるだろうか.
 関連して「#2244. ピクトグラムの可能性」 ([2015-06-19-1]),「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) を参照.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.

Referrer (Inside): [2024-10-29-1]

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2023-03-31 Fri

#5086. この30年ほどの英語歴史綴字研究の潮流 [spelling][orthography][sociolinguistics][historical_pragmatics][history_of_linguistics][emode][standardisation][variation]

 Cordorelli (5) によると,直近30年ほどの英語綴字に関する歴史的な研究は,広い意味で "sociolinguistic" なものだったと総括されている.念頭に置いている中心的な時代は,後期中英語から初期近代英語にかけてだろうと思われる.以下に引用する.

The first studies to investigate orthographic developments in English within a diachronic sociolinguistic framework appeared especially from the late 1990s and the early 2000s . . . . The main focus of these studies was on the diffusion of early standard spelling practices in late fifteenth-century correspondence, the development of standard spelling practices, and the influence of authors' age, gender, style, social status and social networks on orthographic variation. Over the past few decades, book-length contributions with a relatively strong sociolinguistic stance were also published . . . . These titles have touched upon different aspects of spelling patterns and change, providing useful frameworks of analysis and ideas for new angles of research in English orthography.


 一言でいえば,綴字の標準化 (standardisation) の過程は,一本線で描かれるようなものではなく,常に社会的なパラメータによる変異を伴いながら,複線的に進行してきたということだ.そして,このことが30年ほどの研究で繰り返し確認されてきた,ということになろう.
 英語史において言語現象が変異を伴って複線的に推移してきたことは,何も綴字に限ったことではない.ここ数十年の英語史研究では,発音,形態,統語,語彙のすべての側面において,同趣旨のことが繰り返し主張されてきた.学界ではこのコンセンサスがしっかりと形成され,ほぼ完全に定着してきたといってよいが,学界外の一般の社会には「一本線の英語史」という見方はまだ根強く残っているだろう.英語史研究者には,この新しい英語史観を広く一般に示し伝えていく義務があると考える.
 過去30年ほどの英語歴史綴字研究を振り返ってみたが,では今後はどのように展開していくのだろうか.Cordorelli はコンピュータを用いた量的研究の新たな手法を提示している.1つの方向性として注目すべき試みだと思う.

 ・ Cordorelli, Marco. Standardising English Spelling: The Role of Printing in Sixteenth and Seventeenth-Century Graphemic Developments. Cambridge: CUP, 2022.

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2023-03-29 Wed

#5084. 現代英語の綴字は初期近代英語期の産物である [spelling][orthography][emode][standardisation][link]

 現代英語の標準綴字はいつ成立したか.英語の標準化 (standardisation) の時期をピンポイントで指摘することは難しい.言語の標準化の過程は,多かれ少なかれ緩慢に進行していくものだからだ(cf. 「#2321. 綴字標準化の緩慢な潮流」 ([2015-09-04-1])).
 私はおおよその確立を1650年辺りと考えているが,研究者によってはプラスマイナス百数十年の幅があるだろうことは予想がつく.「#4093. 標準英語の始まりはルネサンス期」 ([2020-07-11-1]) で見たように,緩く英国ルネサンス期 (renaissance),あるいはさらに緩く初期近代英語期 (emode) と述べておくのが最も無難な答えだろう.
 実際,Cordorelli による英語綴字の標準化に関する最新の研究書の冒頭でも "the Early Modern Era" と言及されている (1) .

English spelling is in some ways a product of the Early Modern Era. The spelling forms that we use today are the result of a long process of conscious development and change, most of which occurred between the sixteenth and the seventeenth centuries. This portion of history is marked by a number of momentous events in England and the Continent, which had an immediate effect on English culture and language.


 初期近代英語期とその前後に生じた様々な歴史的出来事や社会的潮流が束になって,英語綴字の標準化を推し進めたといってよい.現代につらなる正書法は,この時代に,諸要因の複雑な絡み合いのなかから成立してきたものなのである.以下に関連する記事へのリンクを挙げておく.

 ・ 「#297. 印刷術の導入は英語の標準化を推進したか否か」 ([2010-02-18-1])
 ・ 「#871. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由」 ([2011-09-15-1])
 ・ 「#1312. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由 (2)」 ([2012-11-29-1])
 ・ 「#1384. 綴字の標準化に貢献したのは17世紀の理論言語学者と教師」 ([2013-02-09-1])
 ・ 「#1385. Caxton が綴字標準化に貢献しなかったと考えられる根拠」 ([2013-02-10-1])
 ・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
 ・ 「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1])
 ・ 「#2321. 綴字標準化の緩慢な潮流」 ([2015-09-04-1])
 ・ 「#3243. Caxton は綴字標準化にどのように貢献したか?」 ([2018-03-14-1])
 ・ 「#3564. 17世紀正音学者による綴字標準化への貢献」 ([2019-01-29-1])
 ・ 「#4628. 16世紀後半から17世紀にかけての正音学者たち --- 英語史上初の本格的綴字改革者たち」 ([2021-12-28-1])

 ・ Cordorelli, Marco. Standardising English Spelling: The Role of Printing in Sixteenth and Seventeenth-Century Graphemic Developments. Cambridge: CUP, 2022.

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2023-03-27 Mon

#5082. 語源的綴字の1文字挿入は植字工の懐を肥やすため? [etymological_respelling][emode][printing]

 Cordorelli による初期近代英語期の綴字に関する新刊の研究書を読んでいる.そこでは語源的綴字 (etymological_respelling) の問題も詳しく論じられているのだが,興味深い説が提示されている.語源的綴字の多くの例は,dout に対する doubtreceit に対する receipt のように1文字長くなることが多い.労働時間ではなく植字文字数(より正確には文字幅の総量)で賃金を支払われるようになった16世紀の植字工は,文字数,すなわち稼ぎを増やすために,より長くなりがちな語源的綴字のほうを選んだのではないかという.もちろん文字数を水増しする方法は他にもいろいろあったと思われるが,語源的綴字もそのうちの1つだったのではないか,という議論だ.Cordorelli (184--85) の説明を引用する.

With regard to remuneration, large-scale etymological developments were initially prompted, I suggest, by a change in the economic organisation of the printing labour. From the turn of the sixteenth century, the mode of remuneration changed in accordance with the pressures exerted by modernisation: printers no longer received time-based wages, but were generally paid according to their output . . . . For typesetters, wages were set taking into account the kind of printing form, the publication format, the typefaces and the languages that were used in the texts . . . . As a result of a first move towards a performance-based pay, compositors' output also began to be measured, rather roughly, by the page or by the sheet; later, a more accurate measurement by ens was adopted. One en corresponded to half an em of any size of type, and the number of ens in a setting of type was proportional to the number of pieces of type used in it . . . . With compositors' output being measured by page first, and by ens later, typesetters became increasingly more prone to using as many types as possible when composing a book, while also having to make sure that the overall meaning of the text would not be corrupted by this practice. As a rule, the more types were used on a given page, the more ens were likely to result, which in turn meant that compositors would be paid a higher rate for a given project. Making the most of each typesetting project was more important than one might think, especially during the first half of the sixteenth century, when the English printing industry was still growing on unstable economic ground . . . . The flow of jobs that characterised most staff roles in the EModE printing industry was variable and often irregular for everyone, especially for compositors. The irregularity of the market could keep compositors short of work for long periods of time, and forced them either into part-time employment with another printer or even into joining the vast reservoir of employed labour . . . .


 印刷術の発明,その産業化,植字工の雇用といった技術・経済上の要因が,初期近代英語期の語源的綴字の興隆と関わっているとなれば,これはたいへんおもしろいトピックである.この仮説を実証するには,当時の社会事情と綴字習慣を詳細に調査する必要があるだろう.
 Cordorelli (185) 自身による要約となる1文も引用しておきたい.

From this point of view, etymological spelling would have worked as a convenient means to increase average pay, to such an extent that printers evidently compromised linguistic correctness with personal profit, accepting or perhaps even enforcing the diffusion of 'false' etymological spellings like phantasy and aunswar.


 ・ Cordorelli, Marco. Standardising English Spelling: The Role of Printing in Sixteenth and Seventeenth-Century Graphemic Developments. Cambridge: CUP, 2022.

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2023-02-20 Mon

#5047. 「大航海時代略年表」 --- 『図説大航海時代』より [timeline][history][age_of_discovery][me][emode][renaissance][link]

 世界史上,ひときわきらびやかに映る大航海時代 (age_of_discovery) .広い視野でみると,当然ながら英語史とも密接に関わってくる(cf. 「#4423. 講座「英語の歴史と語源」の第10回「大航海時代と活版印刷術」を終えました」 ([2021-06-06-1])).
 以下,『図説大航海時代』の巻末 (pp. 109--10) の略年表を掲載する.大航海時代の範囲についてはいくつかの考え方があるが,1415年のポルトガル軍によるセウタ占領に始まり,1648年のウェストファリア条約の締結に終わるというのが1つの見方である.しかし,下の略年表にみえるように,その前史は長い.

紀元前5世紀スキュラクス,インダス河口からスエズ湾まで航海
4世紀後半ネアルコス,インダス地方からティグリス河口まで探検
111漢の武帝,南越を併合
1世紀カンボジヤ南部に扶南国興る
60--70頃『エリュトラ海案内記』
1世紀前半「ヒッパロスの風」によるアラビア海航海がさかんになる
2世紀扶南とローマ,インドと中国の交易がおこなわれる
166大秦王安敦(マルクス・アウレリウス)の支社日南郡に至る
207南越国建国
4--5世紀東南アジアのインド化進む
399--412東晋の法顕のインド,セイロン旅行.『仏国記』を書く
7世紀前半扶南,真臘に併合される
618唐建国
639アラブ人のエジプト侵入
7世紀後半シュリーヴィジャヤ王国マラッカ海峡の交易を支配
671--95唐の仏僧義浄インド滞在.『南海寄帰内法伝』
750バグダートにアッバース朝おこる.インド洋貿易に進出
875チャンパ(占城)興る
907唐滅亡.五代十国時代に入る
960宋建国.海外貿易の隆盛
969ファーティマ朝カイロに移る.紅海を通じてのアジア貿易.以後エジプトは紅海経由のインド洋貿易を主導する
1096第1次十字軍 (--99) .イタリア港市の台頭
1127南宋興る
1147第2次十字軍 (--48)
1169エジプトにアイユーブ朝成立
1245--47プラノ・カルピーニ,教皇の命によりカラコルムに至る旅行記を著わす
1254リュブリュキ,教皇の命によりカラコルムまで旅行.旅行記を書く
1258モンゴル軍バグダート占領.アッバース朝滅亡.ただしモンゴル軍はシリア,エジプトに侵入できず
1271--95マルコ・ポロのアジア旅行と中国滞在.旅行記を口述
1291ジェノヴァのヴィヴァルディ兄弟西アフリカ航海
1293ジャヴァにマジャパヒト王国成立.モンゴル軍ジャヴァに侵攻
1312ジェノヴァのランチェローテ・マロチェーロ,カナリア諸島に航海
1349(ママ)イブン・バトゥータ,24年にわたるアフリカ,アジア旅行からタンジールに帰る
1336南インドにヴィジャヤナガル王国興る
1345マジャパヒト,全ジャヴァに勢力拡大
1351--54イブン・バトゥータ西アフリカ旅行.『三大陸周遊記』を書く
1360マンデヴィルの『東方旅行記』この頃成立
1368明建国
1372明,海禁政策をとる
1403スペインのクラビーホ,中央アジアに旅行しティムールに謁す.ラ・サルとベタンクール,カナリア諸島に航海
1405鄭和の大航海.1433年まで7回にわたる
1415ポルトガル軍セウタ占領.間もなく西アフリカ航路の探検が始まる
1434ジル・エアネス,ボジャドール岬回航
1453オスマン軍によるコンスタンティノープル攻略
1455ヴェネツィア人カダモストの西アフリカ航海
1475ヴィチェンツァでプトレマイオスの『地理学』刊行
1479スペイン,ポルトガル間にアルカソヴァス条約
1482ポルトガルの西アフリカの拠点エルミナ建設.ポルトガル人コンゴ王国と接触
1488ディアスによる喜望峰発見.大航海時代
1492コロンブス第1回航海 (--93)
1493コロンブス第2回航海
1494スペイン,ポルトガル間にトルデシリャス条約
1498ガマのインド航海.コロンブス第3回航海.南米本土に達する
1500カブラル,インドへの途次ブラジルに漂着
1501アメリゴ・ヴェスプッチ南アメリカの南緯52°まで航海
1502コロンブス第4回航海.中米沿岸航海
1505トロ会議.西回りで香料諸島探検を議決
1508ブルゴス会議で同様な趣旨の議決
1509アルメイダ,ディウ沖で,エジプト,グジャラート連合艦隊撃破
1510ポルトガル,ゴア完全占領
1511ポルトガル,マラッカ攻略
1512ポルトガル人香料諸島に到着
1513バルボア,パナマ地峡を横断して太平洋岸に達する
1519--21コルテスのメキシコ(アステカ王国)征服
1520マゼラン,地峡を発見し,太平洋を横断してフィリピンに至る
1522エルカノ以下18人,最初の世界回航をとげてセビリャ着
1527モンテホのユカタン探検
1528--33ピサロのインカ帝国征服
1529サラゴッサ条約により香料諸島のポルトガル帰属決定
1534カルティエのカナダ探検
1535アルマグロのチリ探検
1537ケサーダのムイスカ(チブチャ)征服
1538皇帝・教皇・ジェノヴァ連合艦隊プレヴェザでトルコ人に敗北
1541ゴンサーロ・ピサロのアマゾン探検.部下のオレリャーナ,河口まで航海 (1542)
1543三人のポルトガル人,種子島着
1545ボリビアのポトシ銀山発見,翌年メキシコでも大銀山発見
1553ウィロビーの北東航路探検
1565ウルダネータ,大圏航路によりフィリピンからメキシコまで航海
1567メンダーニャの太平洋航海.翌年ソロモン諸島発見
1568ジョン・ホーキンズ,サン・ファン・デ・ウルアでスペインの奇襲をうけて脱出
1570ドレイクのカリブ海スペイン基地の掠奪
1571レガスピ,マニラ市建設.キリスト教徒の海軍レパントでオスマン艦隊に勝利
1575フロビッシャー,北西航路探検の勅許を得る
1577--80ドレイク,掠奪の世界周航をおこなう
1578アルカサルーキヴィルでポルトガル軍モロッコ軍に大敗
1584--85ウォルター・ローリのヴァージニア植民計画
1586--88キャベンディシュの世界周航
1595ローリの第1次ギアナ探検.メンダーニャの太平洋探検,マルケサス諸島発見
1598ファン・ノールト,オランダ人として最初の世界周航
1599オランダ人ファン・ネック東インド航海
1600イギリス東インド会社設立.この頃ブラジルに砂糖産業が興り,アフリカ人奴隷の輸送始まる
1605キロスの航海.ニュー・ヘブリデスまで
1606キロク帰国後,あとに残されたトレス,ニュー・ギニア,オーストラリア間の海峡を発見し,マニラに向かう
1610ハドソン,アニアン海峡を求めて行方不明になる
1614メンデス・ピントの東洋旅行記『遍歴記』刊行
1615オランダ人スホーテンとル・メールの航海.ホーン岬発見
1617ローリ第2回ギアナ探検
1620メイフラワー号ニュー・イングランドに到着
1622インド副王の艦隊,モサンビケ沖でオランダ船隊の攻撃を受け壊滅
1623アンボイナ事件.オランダ人によるイギリス人,日本人の殺害.これ以後イギリス人は東インドの香料貿易から撤退し,インドに集中
1637オランダ人西アフリカのエルミナ奪取
1639マカオの対日貿易,鎖国のため不可能になる.タスマンの太平洋航海
1641オランダ人マラッカ奪取
1642--43タスマン,オーストラリアの輪郭を明らかにする
1645オランダ人セント・ヘレナ島占領
1647オランダ,アンボイナ島完全占領.カサナーテのカリフォルニア探検
1648セミョン・デジニョフ,アジア最北東端の岬(デジニョフ岬)に到達.ただしベーリング海峡の存在には気がつかなかった.ウェストファリア条約の締結による三十年戦争の終わり.オランダの独立承認される


 hellog ではこれまでも関連する年表を多く掲載してきた.大航海時代との関連で,以下のリンクを挙げておこう.

 ・ 「#2371. ポルトガル史年表」 ([2015-10-24-1])
 ・ 「#3197. 初期近代英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-27-1])
 ・ 「#3478. 『図説イギリスの歴史』の年表」 ([2018-11-04-1])
 ・ 「#3479. 『図説 イギリスの王室』の年表」 ([2018-11-05-1])
 ・ 「#3487. 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』の年表」 ([2018-11-13-1])
 ・ 「#3497. 『イギリス史10講』の年表」 ([2018-11-23-1]) を参照.

 ・ 増田 義郎 『図説大航海時代』 河出書房新社,2008年.

Referrer (Inside): [2024-01-01-1]

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2022-12-09 Fri

#4974. †splendidious, †splendidous, †splendious の惨めな頻度 --- EEBO corpus より [eebo][corpus][synonym][emode]

 「#3157. 華麗なる splendid の同根類義語」 ([2017-12-18-1]),「#4969. splendid の同根類義語のタイムライン」 ([2022-12-04-1]) で,初期近代英語期を中心とする時期に splendid の同根類義語が多数生み出された話題を取り上げた.
 そのなかでもとりわけ短命に終わった,3つの酷似した語尾をもつ †splendidious, †splendidous, †splendious について,EEBO corpus で検索し,頻度を確認してみた.参考までに,現在もっとも普通の splendid の頻度も合わせて,半世紀ごとに数値をまとめてみた.

wordcurrent by OEDC16bC17aC17btotal
splendidious?a1475 (?a1425)--1653214117
splendidous1607--16400516
splendious1609--16540112
splendid1624--1511625342665


 廃語となった3語は,現役中にも惨めな頻度だったことがわかるだろう.全体で2例しか挙がってこなかった splendious に至っては「現役」だったという表現すら当たらないかもしれない.この2つの例文を覗いてみよう(斜字体は筆者).2例目では先行する delicious が同じ語尾を取っている.

 ・ 1609: Ilands besides of much hostillitie, which are as sun-shine, sometimes splendious, anon disposed to altering frailtie
 ・ 1656: imagin madam, what a delicious life i lead, in so noble company, so splendious entertainment, and so magnificent equipage


 この splendious などは,事実上その場で即席にフランス単語らしく造語された使い捨ての臨時語 (nonce word) といってよく,「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1]) で解説した当時の時代精神をよく表わす事例ではないだろうか.「輝かしい」はずの形容詞だが,実際にはかりそめの存在だった.

Referrer (Inside): [2023-09-21-1]

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2022-12-04 Sun

#4969. splendid の同根類義語のタイムライン [cognate][synonym][lexicology][inkhorn_term][emode][borrowing][loan_word][renaissance][oed][timeline]

 すでに「#3157. 華麗なる splendid の同根類義語」 ([2017-12-18-1]) で取り上げた話題ですが,一ひねり加えてみました.splendid (豪華な,華麗な;立派な;光り輝く)というラテン語の動詞 splendēre "to be bright or shining" に由来する形容詞ですが,英語史上,数々の同根類義語が生み出されてきました.先の記事で触れなかったものも含めて OED で調べた単語を列挙すると,廃語も入れて13語あります.

resplendant, resplendent, resplending, splendacious, †splendant, splendent, splendescent, splendid, †splendidious, †splendidous, splendiferous, †splendious, splendorous


 OED に記載のある初出年(および廃語の場合は最終例の年)に基づき,各語の一生をタイムラインにプロットしてみたのが以下の図です.とりわけ16--17世紀に新類義語の登場が集中しています.

splendid and its synonyms

 ほかに1796年に初出の resplendidly という副詞や1859年に初出の many-splendoured という形容詞など,合わせて考えたい語もあります.いずれにせよ英語による「節操のない」借用(あるいは造語)には驚かされますね.

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2022-10-14 Fri

#4918. William Bullokar の8品詞論 [history_of_linguistics][latin][emode][bullokar][parts_of_speech][greek][latin]

 「#2579. 最初の英文法書 William Bullokar, Pamphlet for Grammar (1586)」 ([2016-05-19-1]) でみたように,Bullokar (c. 1530--1609) による Pamphlet for Grammar (1586) という小冊子が,英語史上初の英文法書といわれている.今回は Bullokar の品詞区分を覗いてみたい.
 まず,品詞区分について先立つ伝統を確認しておこう.古くアレクサンドリアで Dionysius Thrax (c. BC170--BC90) がギリシア語に8品詞を認めたのが出発点である.オノマ(名詞・形容詞),レーマ(動詞),メトケー(分詞),アルトロン(冠詞),アントーニュミアー(代名詞),プロテシス(前置詞),エピレーマ(副詞),シュンデスモス(接続詞)である(斎藤,p. 11).
 これを受け継いだのが,後に絶大な影響力を誇るラテン語文法を著わした Donatus (c. 300--399) である.ただしラテン語には冠詞ないので取り除かれ,間投詞が加えられた.結果として数としては8品詞にとどまっている.名詞 (nomen),代名詞 (pronomen),動詞 (verbum),副詞 (adverbium),分詞 (participium),接続詞 (coniunctio),前置詞 (praepositio),間投詞 (interiectio) である.後の Priscianus (fl. 500) もこれに従った(斎藤,pp. 14--15).
 時代は下って16世紀のイングランド.Donatus の影響のもと,1509年に出版された William Lily のラテン語文法の英訳版 Short Introduction of Grammar (1548) が一世を風靡していた.これに依拠して書かれたのが Bullokar の英文法書 Pamphlet for Grammar (1586) だったの.
 ラテン語文法の伝統を受け継いで,Bullokar は英語にも8品詞を認めた.名詞,代名詞,動詞,副詞,分詞,接続詞,前置詞,間投詞である.Bullokar (115 (22)) の原文によると次のようにある(Bullokar 特有のスペリングにも注意).

Spech may be diuyded intoo on of thæȝ eiht parts: too wit, Nown, Pronoun, Verb (declyned). Participle, Aduerb, Coniunction, Preposition, Interiection, (vn-declyned).


 つまり,8品詞の伝統は Thrax → Donatus → Lily → Bullokar とリレーしながら,1700年にわたり保持されてきたのである.そして,Bullokar の後も英文法では8品詞が受け継がれていくことになる.凄まじい伝統と継続の力だ.

 ・ 斎藤 浩一 『日本の「英文法」ができるまで』 研究社,2022年.
 ・ Bullokar, William . Bref Grammar and Pamphlet for Grammar. 『William Bullokar: Book at large, Bref Grammar and Pamphlet for Grammar. P. Gr.: Grammatica Anglicana. Edmund Coote: The English Schoole-maister』英語文献翻刻シリーズ第1巻.南雲堂,1971年.pp. 107--64.

Referrer (Inside): [2022-10-15-1]

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