連日 Mufwene を参照しつつ言語の起源をめぐる学説史を振り返っている.今回は,言語多起源説を唱えたフランスの哲学者・数学者の Pierre Louis Moreau de Maupertuis (1698--1759) を取り上げたい.Maupertuis は言語の多様性を説明するのに「バベルの塔」 (tower_of_babel) という神の力に頼ることをせず,そもそも言語発生の原初から多様な言語があったと,つまり言語の起源は複数あったと論じた.言語単一起源説 (monogenesis) に対する言語多起源説 (polygenesis) の提唱である.Mufwene (22--23) より関連する解説部分を引用する.
Another important philosopher of the eighteenth century was Pierre Louis Moreau de Maupertuis, author of Réflexions sur l'origine des langues et la vie des mots (1748). Among other things, he sought to answer the question of whether modern languages can ultimately be traced back to one single common ancestor or whether current diversity reflects polygenesis, with different populations developing their own languages. Associating monogenesis with the Tower of Babel myth, which needs a deus ex machina, God, to account for the diversification of languages, he rejected it in favour of polygenesis. Note, however, that his position needs Cartesianism, which assumes that all humans are endowed with the same mental capacity and suggests that our hominin ancestors could have invented similar communicative technologies at the same or similar stages of our phylogenetic evolution. This position makes it natural to project the existence of language as the common essence of languages beyond their differences.
人類の言語能力それ自体は世界のどこででもほぼ同時期に開花したが,そこから生み出されてきた個々の言語は互いに異なっており,全体として言語の多様性が現出した.これが Maupertuis の捉え方だろう.
単一起源説と多起源説については「#2841. 人類の起源と言語の起源の関係」 ([2017-02-05-1]) の記事も参照.
・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 13--52.
昨日の記事「#5398. ヘロドトスにみる言語の創成」 ([2024-02-06-1]) で,過去記事「#2946. 聖書にみる言語の創成と拡散」 ([2017-05-21-1]) に触れた.聖書にみられる言語の拡散や多様性に関する話としては,創世記第11章の「バベルの塔」 (tower_of_babel) の件がとりわけ有名だが,実はそれ以前の第10章第5節にノアの3人の子供であるセム,ハム,ヤペテの子孫が,それぞれの土地でそれぞれの言語を話していたという記述がある.King James Version より引用しよう.
By these were the isles of the Gentiles divided in their lands; every one after his tongue, after their families, in their nations.
この点については,Mufwene (16) が他の研究者を参照しつつ,脚注で指摘している.
Hombert and Lenclud (in press) identify another, less well-recalled account also from the book of Genesis. God reportedly told Noah and his children to be fecund and populate the world. Subsequently, the descendants of Sem, Cham, and Japhet spread all over the world and built nations where they spoke different languages. Here one also finds an early, if not the earliest, version of the assumption that every nation must be identified through the language spoken by its population.
言語と国家・民族・人種の関係という抜き差しならない問題が,すでに創世記に埋め込まれているのである.関連して次の記事群も参照.
・ 「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1])
・ 「#3599. 言語と人種 (2)」 ([2019-03-05-1])
・ 「#3706. 民族と人種」 ([2019-06-20-1])
・ 「#3810. 社会的な構築物としての「人種」」 ([2019-10-02-1])
・ 「#4846. 遺伝と言語の関係」 ([2022-08-03-1])
・ 「#5368. ethnonym (民族名)」 ([2024-01-07-1])
・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 13--52.
パソコンなどの電子端末にかじりつきになりがちなテレワーク時代の到来を受け,人間と機械との付き合い方を改善してくれる人間工学 (ergonomics) の役割が日増しに高まっている.『世界大百科事典第2版』によれば,人間工学とは「人間の身体的・心理的な面からみて,機械,機具などが,人間の特性や限界に適合する,すなわち整合性を持つように改善をはかるための科学をいう」.英語 ergonomics の定義としては,OALD8 より "the study of working conditions, especially the design of equipment and furniture, in order to help people work more efficiently" が分かりやすい.アメリカの兵器産業やヨーロッパの労働科学の文脈から発達した学術分野で,OED によると1950年に分野名として初出している.
1950 Lancet 1 Apr. 645/2 In July, 1949, a group of people decided to form a new society for which the name the 'Ergonomics Research Society' has now been adopted.
語源は「仕事」を意味する連結形 ergo- に「経済」を意味する economics の3音節以降を掛け合わせたもので,1種の混成語 (blend) である.連結形 ergo- はギリシア語の名詞 érgon (仕事)に由来し,他にもラテン語を介して energy の -ergy などを供給している.人間工学もエネルギーも,確かに「仕事」に関することだ.
ギリシア語 érgon をさらに遡ると印欧祖語の *werg- (to do) という語根にたどりつく.そして,これは英語 work の語源でもあるのだ.印欧祖語や古英語の段階では,この語根をもつ動詞の中心的意味は「仕事する,働く」というよりも「作る,行なう」に近いものだった.別の見方をすれば,ものを作ること,行なうことがすなわち仕事するだったのだろう.
古英語 wyrchen (to work) の過去形・過去分詞形はそれぞれ worhte, ġeworht だったが,15世紀に類推により規則形 worked が生じ,現在に至る.しかし,古い形態も途中で音位転換を経つつ wrought として現代英語に残っている.a highly wrought decoration (きわめて精巧に作られた装飾品)のように用い,「作る」の古い語義が残存しているのが分かる.また「#2117. playwright」 ([2015-02-12-1]) でみたように,「作り手」を意味する行為者名詞 wright も,古英語の同語根から派生した名詞に由来する.
「英語史導入企画2021」のために昨日大学院生により公表されたコンテンツは「古英語期の働き方改革 --- wyrcan の多義性 ---」である.これを読んで,働くということについて今一度考えてみたい.
標題は,少々ハッタリ的であることは認めながらも,英語史的には真剣に考えておきたいテーマです.
普通の文(平叙文)に関する限り,英語史を通じて主語 (S) +動詞 (V) という SV 語順が優勢だったことは間違いありません.現在,ほぼ完全に SV で固まっているといってよいでしょう.しかし,千年ほど前の古英語期においても同様に SV がほぼ完全なるデフォルト語順だったといえるかというと,必ずしもそうではありません.VS 語順が,まま見られたからです.
目下「英語史導入企画2021」が進行中ですが,昨日大学院生により公表されたコンテンツはこの辺りの問題を専門的に扱っています.「英語の語順は SV ではなかった?」をご覧ください.
このコンテンツでは,1週間ほど前の「#4378. 古英語へようこそ --- 「バベルの塔」の古英語版から」 ([2021-04-22-1]) でも取り上げられた,旧約聖書「バベルの塔」の古英語版,中英語版,近代英語版,現代英語版を用いた通時的比較がなされています (cf. 「#2929. 「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2017-05-04-1])).各時代版の「バベルの塔」のくだりに関して,各文の語順を丁寧に比較したものです.その結果,古い時代であればあるほど VS 語順が出現していることが確認されました.古い時代とて,平叙文の基本語順が SV だったことは確かなのですが,マイノリティながら VS 語順も可能だったのです.
この事実は多くの英語学習者にとって衝撃的ではないでしょうか.英語の基本語順は SV であるとたたき込まれてきたはずだからです.しかし,考えてみれば現代英語にも周辺的とはいえ Here comes (V) the train (S). や In no other part of the world is (V) more tea (S) consumed than in Britain. のように,副詞句が文頭に現われる平叙文において語順が VS となる例は存在します.
上記から何が言えるでしょうか.今回のコンテンツにある通り,現代英語の「文型」として8文型や5文型など様々な分類があります.しかし,これらの定式化された語順も歴史を通じて固まってきたものであり,古くはもっと自由度が高かったということです.平叙文ですら SV ならぬ VS が一定程度の存在感を示していた時代があり,しかも後者の余韻は現代英語にも周辺的ながらも残っているという点が重要です.
言語の歴史においては,語順という基本的な項目ですら,変化することがあり得るということです.私が初めてこの事実を知ったのは大学生のときだったでしょうか,腰を抜かしそうになりました.
語順の推移の問題は一筋縄ではいかず,相当に奥が深いテーマです.単に形式的な問題にとどまらず,リズムや情報構造など様々な観点から考察すべき総合的な問題なのです.
私の大学では,英語史を導入する授業のほかに古英語 (Old English) を導入する授業も開講されている.年度初めの4月には,学生から悲鳴やため息が必ず聞こえてくる.これまでもっぱら現代英語に接してきた学生にとって,古英語という言語はあまりに異質に映り,事実上新たな外国語を学び始めるのと同じことだと分かってしまうからだ.
しかし,数週間たって少しずつ慣れてくると,確かにかなり異なるけれども同じ英語といえばそうだなという意識が芽生えてくるようだ.特に語彙のレベルで,古英語の初見の語と現代英語の既知の語が結びつくという経験,つまり語源を知る魅力を何度か味わうと,古英語が身近に感じられてくるのだと思う.
その古英語を本ブログでもちらっと導入してみたい.旧約聖書より「バベルの塔」のくだりの古英語訳を以下に示そう.
Wæs þā ān gereord on eorþan, and heora ealre ān sprǣc. Hī fērdon fram ēastdēle oð þæt hī cōmon tō ānum felde on þām lande Sennar, and þēr wunedon. Ðā cwǣdon hī him betwȳnan, “Vton wyrcean ūs tigelan and ǣlan hī on fȳre.” Witodlīce hī hæfdon tigelan for stān and tyrwan for weall-līm. And cwǣdon, “Cumað and utan wircan ūs āne burh and ǣnne stȳpel swā hēahne ðæt his rōf ātille þā heofonan, and uton mǣrsian ūrne namon, ǣr þan wē bēon tōdǣlede tō eallum landum.” God þā nyþer āstāh, þæt hē gesēga þā burh and þone stȳpel þe Adames sunus getimbroden. God cwæð þā, “Efne þis his ān folc and gereord him ealum, and hī ongunnon þis tō wircenne; ne hī ne geswīcað heora geþōhta, ǣr þan þe hī mid weorce hī gefyllan. Cumað nū eornostlīce and uton niþer āstīgan and heora gereord þēr tōwendon, þæt heora nān ne tōcnāwe his nēxtan stemne.” And God þā hī tōdǣlde swā of þǣre stōwe tō eallum landum, and hī geswicon tō wyrcenne þā buruh. And for þī wæs sēo burh gehāten Babel, for þan þe ðǣr wæs tōdǣled þæt gereord ealre eorþan. God þā hī sende þanon ofer brādnesse ealra eorðan.
これだけではチンプンカンプンだと思うので,「#2929. 「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2017-05-04-1]) を覗いてほしい(上記古英語版もこの記事の (1) を再掲したもの).聖書は英語の歴史の異なる段階で何度も英語訳されてきたので,通時的な比較が可能なのである.現代英語版と丁寧に比較すれば,古英語版との対応関係がうっすらと浮かび上がってくるはずだ.
古英語版と現代英語版の語彙レベルでの対応について,昨日「英語史導入企画2021」のために院生が「身近な古英語5選」というコンテンツを作成してくれた.上で赤で示した fērdon, wyrcean/wircan/wyrcenne, burh, getimbroden, tōdǣlede/tōdǣlde の5種類の語を取り上げ,現代英語(やドイツ語)に引きつけながら解説してくれている.古英語の導入として是非どうぞ.
ヨーロッパでは1300年頃までに,言語の多様性あるいは複数性の認識が定着しつつあった.もちろんそれ以前にもヨーロッパで様々な言葉が流通しているという感覚はあったが,リンガ・フランカたるラテン語が "the language" であるという認識があり,それ以下の種々の俗語 (vernaculars) は,そもそも「言語」の名に値しないと思われていたのである.俗語には俗語という呼称が相応しく,言語と呼びうるのはラテン語だけ,という言語観だった.
しかし,ダンテ (Dante Alighieri; 1265--1321) は早くも俗語の重要性,根本的な破壊力を見抜いていた.ダンテに続く時代は,おりしも教会大分裂 (1378--1417) あり,英仏百年戦争 (1337--1443) ありで,ヨーロッパ諸国家がそれぞれに独自性を主張し始めていた時代だった.伝統的な近代期に至るまでに,まだ少々時間があったが,すでに国家や言語の複数性の認識は芽生えていたばかりか,定着していたのである.この時代において,聖書の伝統的な逸話「バベルの塔」は,ある意味をもち始めていた.互 (45) を引用しよう.
こうした激動が示しているのは,複数の国家が各々の自律性を主張し,時には戦争に至るほど他国との違いに固執するようになったヨーロッパの状況にほかならない.当然,そこには各々の国で話されている言語の違いも含まれていただろう.そうして,複数の言語が存在する,という認識は強化される.その結果,ダンテが到達した,その真の意味は見失われたまま,「バベルの塔」の逸話は「諸言語の発生」を語るものとして流通した.それに呼応するように,十三世紀になると,以前にはほとんど見られなかった「バベルの塔」の図像が現れ,ダンテが『俗語論』を書いた十四世紀以降は劇的に増加していく.そうして言語の複数性を強く意識させられ,「バベル的状況」と呼びうる世界が出現した結果,国家間の抗争と並行して,言語間の優劣争いも激しくなる.
バベル的状況に対する認識は,十五世紀に入ってヨハネス・グーテンベルク(一四〇〇頃--六八年)が活版印刷を開発し,一四五〇年から五六年頃までに「グーテンベルクの聖書」と呼ばれるラテン語の大判聖書を印刷して以降,以前とは比較にならないほど多くの人々に共有されていっただろう.その結果,バベル以前の言語,すなわちアダムが語った「起源の言語」にみずからの言語の正統性を求める欲望もまた激化したはずだ.
言語の多様性と,その多様性のなかで優劣を巡る争いが生じるというのは,いかにも近代的な現象である.前者はポジティブ,後者はネガティブな側面ととらえることができそうだが,先日,ブリューゲルの「バベルの塔」(ボイマンス美術館版)を見て感じたのは,この二面性である.塔の偉容に感じられる人間の技術の粋というポジティブな側面と,塔の上部に懸かる怪しげな暗雲の醸すネガティブな側面.この両義的な雰囲気は,ブリューゲルに2世紀も先立つ時代のヨーロッパに,すでに芽生えていたと考えるべきかもしれない.多様性とは各々の独立性でもあり,それは互いの競合を促すことにもつながる.多様かつ平等というのは,実に難しいことである.
「#2962. ブリューゲル「バベルの塔」はオランダ語の権威づけをもくろんでいたか?」 ([2017-06-06-1]) も参照されたい.
・ 互 盛央 『言語起源論の系譜』 講談社,2014年.
ここ1ヶ月ほどの間に,「バベルの塔」絡みの記事をいくつか書いてきた(tower_of_babel) .東京都美術館でブリューゲル「バベルの塔」展が開催されているのに引っかけて書いてきたのだが,先日,ようやくその美術館への訪問を果たした.
ブリューゲルの「バベルの塔」(ボイマンス美術館版)の実物を鑑賞するに当たって,事前にいくつかの評論を参照したが,実に多様な味わい方があるようだ.なぜブリューゲルはあのような塔をあのような背景とともに描いたのか.なぜ1568年頃という時期に描いたのか.その意図は何なのか.聖書に従った悲観的な構想なのか,あるいはそれを逆手に取った楽観的な視点があったのか,あるいは両方か.評論を読んでも実物を見ても,つかめないままである.
ブリューゲルの「バベルの塔」を,16世紀ヨーロッパ諸国の俗語賞揚と国民言語の確立という言語を取り巻く社会的風潮の観点から読み解こうとしたものに,互による議論がある.それを紹介しよう.
当時のヨーロッパの近代国家は,ラテン語のくびきから解放され,代わって俗語 (vernacular) が国語 (national language) として台頭してくるという潮流のなかにあった.国家として独立していることを内外に知らしめる手段として,権威ある国語の盤石な確立が急務と考えられていた.強国であれば,国語を選択・制定したうえで権威づけし,国民に広く教育・強制することが可能だろう.例えば,強国フランスは,フランス語をそのような地位に置くのに,それほどの時間とエネルギーを要しなかった.国家に実力があれば,国語にも実力を持たせられる.
しかし,実力の劣る国々,特にプロテスタント諸国家は,国語の確立に手間取った.そこで,彼らが自国語を権威づける方法として採用したのは,聖書の伝統により神の権威が付随しているみなされ,人類の原初の言語と考えられていたヘブライ語を引き合いに出し,自国語との言語的関連性をまことしやかに説くという戦略だった.こうして,ドイツ語やオランダ語があちらこちらでヘブライ語と結びつけられるようになった.
オランダ語の権威づけの試みについて,互 (83--85) の記述を引用する.
一五六八年以降,スペインの支配から脱するため,八十年に及ぶ独立戦争を強いられたネーデルラントでは,開戦翌年にあたる一五六九年,アントウェルペンで町医者として活動しながら言語および古代の研究に情熱を注いだヨハンネス・ゴロピウス・ベカヌス(ヤン・ファン・ホルプ)(一五一九--七二年)が『アントウェルペンの起源 (Origines Antwerpianae)』を公刊し,原初の言語は「神」から吹き込まれたものであり,そこでは言葉と事物は有縁的な関係をもっていた,そしてそうした関係の典型はオランダ語に見出される,と説いた.理由はといえば,アントウェルペン人の祖先であるキンブリ人はヤペトの直系の子孫であり,ヤペトの子孫は「バベルの塔」の下にいなかったために言語の混乱を免れ,かくしてアントウェルペン人だけがアダムの言語を保存した,というものである.ゴロピウス・ベカヌスは,語源による説明を試みながら,オランダ語が単音節語を多くもっていること,音の豊かさの点で他のあらゆる言語にまさっていること,複合語を生み出す力をもっていることを根拠に自説を証明しようとした.同様の試みは十七世紀に入っても見られ,一六二〇年に刊行されたアドリアン・ファン・デア・スリーク(一五六〇--一六二一年)の『敵対者たちの書 (Adversariorum libri)』では,「いかにヘブライ語は神的で原初のものであるか」,「どのようにしてそのあとすぐにチュートン語〔オランダ語〕が生じるのか」の証明が試みられている.
このとき,今日まで最もよく知られる「バベルの塔」を描いたピーテル・ブリューゲル(一五二五頃--六九年)が,ゴロピウス・ベカヌスと同じ時代に同じアントウェルペンで活動したフランドルの画家だったという事実の意味に気づくだろう.ブリューゲルが描いた現存する二枚の《バベルの塔》は一五六三年の作だが,さらに見渡して十六世紀から十七世紀にかけて多くの「バベルの塔」の絵画を残した者を探すなら,ヘンドリク・ファン・クレーヴ(一五二五--八九年)にしても,アベル・グリマー(一五七〇--一六二〇年)にしても,アントウェルペンで活動したフランドルの画家である.むろん,これは偶然の一致ではない.言語の混乱に象徴される人々の混乱と不安定な状況を,この事実は示している.そうしてヨーロッパでは,各地に「バベルの塔」が乱立した.
俗語賞揚と国民言語の確立を急務と考えていた点では,もちろんイギリスも例外ではない.イギリスも,様々な策を弄して国語たる英語の権威づけに腐心した.いずれの近代国家も,そこに国運の多くをかけていたといっても過言ではない.そして,その後,近代国家間の競争を経て,最終的に優位に立ったのがイギリスであり,それによって国際的な権威の高まったのが英語であった.斜めの角度からではあるが,ブリューゲル「バベルの塔」は,英語史的にも鑑賞しうる.
・ 互 盛央 『言語起源論の系譜』 講談社,2014年.
ユダヤ・キリスト教の伝統によれば,本来唯一のものであった人間の言語,すなわち "the language" は,「バベルの塔」の事件を契機にバラバラに離散し,複数の言語,すなわち "languages" となったとされる.この伝統的言語観は,西洋の言語起源論と言語拡散論において大きな影響を及ぼしてきたが,近代になると,これに対する批判的な見解も立ち現れてきた.
この点において,18世紀の思想家で言語の起源についての書も著わした Jean-Jacques Rousseau (1712--78) の見解は,言語学史的に興味深い.ルソーは,アダムの話していた原初の言語の系列は現在残っていないのではないか,また「バベルの塔」以前にも諸言語が離散していたのではないかと考えていた節がある.Mufwene (20) の解説を引こう.
Rousseau questioned the Adamic hypothesis on the origins of modern language, arguing that the language that God had taught Adam and was learned by the children of Noah perished after the latter abandoned agriculture and scattered. Modern language is therefore a new invention . . . . Rousseau may have been concerned more about the diversification of the language that Noah's children had spoken before they dispersed than about the origins of language itself. He assumed the speciation to have happened before the Tower of Babel explanation in the Judeo-Christian tradition.
もちろん現代の視点からみれば,ルソーのこの見解は,言語史上の知見を深めてくれるというよりは,言語学史上の意義をもつに過ぎない.しかし,言語はある程度の期間,自然状態に置かれれば,離散して多様化していくものであるという,現代の常識的な見方を先取りしたものとして評価に値する.
Mufwene (20) は,昨今,人間の言語能力の発現についての議論は盛んだが,言語の多様化については十分に議論されていないと指摘している.確かに,言語多様化の過程については,マクロにもミクロにも,言語学としてもっと本質的な考察がなされてしかるべきとは感じる.関連して,方言の形成,言語接触,言語地理学などのキーワードが思い浮かぶ.
・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013.
「#2929. 「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2017-05-04-1]) に引き続き,「バベルの塔」を近現代英語の8バージョンを追加したい.いずれも,Weigle の The Genesis Octapla (50--51) から取ってきたものである.
英訳聖書の種類と歴史については,「#1427. 主要な英訳聖書に関する年表」 ([2013-03-24-1]),「#1709. 主要英訳聖書年表」 ([2013-12-31-1]),「#1472. ルネサンス期の聖書翻訳の言語的争点」 ([2013-05-08-1]) を参照.
(1) TYNDALE 1530
And all the world was of one tonge and one language. And as they came from the east, they founde playne in the lande of Synear, and there they dwelled. And they sayd one to a nother: come on, let us make brycke and burne it wyth fyre. So brycke was there stone and slyme was there morter. And they sayd: Come on, let us buylde us cyte and a toure, that the toppe may reach unto heaven. And let us make us name, for peraventure we shall be scatered abrode over all the erth. And the LORde came downe to see the cyte and the toure which the children of Adam had buylded. And the LORde sayd: See, the people is one and have one tonge amonge them all. And thys have they begon to do, and wyll not leave of from all that they have purposed to do. Come on, let us descende and myngell theire tonge even there, that one understonde not what a nother sayeth. Thus the LORde skatered them from thence uppon all the erth. And they left of to buylde the cyte. Wherfore the name, of it is called Babell, because that the LORDE there confounded the tonge of all the world. And because that the LORde from thence, skatered them abrode uppon all the erth.
(2) GREAT BIBLE (1539) 1540
Al the whole erth was of one language and lyke speche. And it happened whan they wente furth from the east, they founde playne in the londe of Sinhar, and there they abode. And they sayd every one to his neyghboure: Come, let us prepare brycke, and burne them in the fyre. And they had brycke for stone, and slyme had they in steade of morter. And they sayde: Go to, let us buylde us citie and tower, whose toppe maye reach unto heaven: and let us make us name, lest haply we be scatred abrode in to the upper face of the whole erth. But the Lord came downe, to se the cytie and tower whych the chyldren of men buylded. And the Lorde sayde: Beholde, the people is one, and they have all one language, and thys they begynne to do, neyther wyll it be restrayned from them, whatsoever they have ymagined to do. Come on, let us go downe, and confounde theyr language, that every one perceave not hys neyghbours speche. And so the Lorde scatred them from that place into the upper face of all the erth. And they left of to buylde the cytie. And therfore is the name of it called Babel, because the Lorde dyd there confounde the language of ail the erth. And from thence dyd the Lorde scater them abrode upon the face of all the erth.
(3) GENEVA BIBLE (1560) 1562
Then the whole earth was of one language and one speache. And as they went frome the Easte, they founde a plaine in the lande of Shinar, and there they abode. And they sayd one to an other, Come let us make brycke, and burne it in the fire. So they had brycke for stone, and slyme had they in steade of morter. Also they said, Go to, let us builde us citie and tower, whose toppe (may reache) unto the heaven, that we may get us name, lest we be scatred upon the whole earth. But the Lord came downe, to se the citie and tower, whiche the sonnes of men buylded. And the Lord said, Beholde, the people (is) one, and they all have one language, and this they begynne to do, nether can they now be stopped from whatsoever they have imagined to do. Come on, let us go downe, and there confounde their language, that everie one perceive not an others speache. So the Lord scattred them frome thence uppon all the earth, and they left of to buylde the citie. Therefore the name of it was called Babel, because the LORDE did there confounde the language of all the earth: from thence then did the LORDE scater them upon all the earth.
(4) BISHOPS' BIBLE (1568) 1602
And all the whole earth was of one language, and like speach. And when they went forth from the East, they found plaine in the lande of Sinar, and there they abode. And one saide to another, Come, let us prepare bricke, and burne them in the fire. And they had bricke for stones, and slime had they in stead of morter. And they said, Go to, let us build us citie and tower, whose top may reach unto heaven, and let us make us name, lest peradventure we be scattered abroad upon the whole earth. But the Lord came downe to see the city and tower, which the children of men builded. And the Lord saide, Beholde, the people is one, and they have all one language: and this they begin to do, neither is there any let to them from all those things which they have imagined to doe. Come on, let us go downe, and there confound their language, that every one perceive not his neighbours speach. And so the Lord scattered them from that place upon all the earth: and they left off to build that citie. And therefore is the name of it called Babel, because the Lord did there confound the language of all the earth: and from thence did the Lord scatter them abroad upon the face of all the earth.
(5) DOUAY 1609
And the earth was of one tongue, and al one speach. And when they removed from the east, they found a plaine in the land of Sennaar, and dwelt in it. And eech one said to his neighboure: Come, let Us make bricke, and bake them with fire. And they had bricke in steed of stone, and bitume in steed of morter: and they said: Come, let us make us citie and a towre, the toppe wherof may reach to heaven: and let us renowne our name before we be dispersed into al lands. And our Lord descended to see the citie and the towre, which the children of Adam builded, and he said: Behold, it is one people, and one tongue is to al: and they have begunne to doe this, neyther wil they leave of from their determinations, til they ac complish them indede. Come ye therfore, let us goe downe, and there confound their tongue, that none may heare is neighbours voice. And so our Lord dispersed them from that place into al lands, and they ceased to build the citie. And therfore the name therof was called Babel, because there the tongue of the whole earth was confounded: and from thence our Lord dispersed them upon the face of al countries.
(6) KJ (1611) 1873
And the whole earth was of one language, and of one speech. And it came to pass, as they journeyed from the east, that they found plain in the land of Shinar; and they dwelt there. And they said one to an other, Go to, let us make brick, and burn them thoroughly. And they had brick for stone, and slime had they for morter. And they said, Go to, let us build us city and tower, whose top may reach unto heaven; and let us make us a name, lest we be scattered abroad upon the face of the whole earth. And the LORD came down to see the city and the tower, which the children of men builded. And the LORD said, Behold, the people is one, and they have all one language; and this they begin to do: and now nothing will be restrained from them, which they have imagined to do. Go to, let us go down, and there con found their language, that they may not understand one another's speech. So the LORD scattered them abroad from thence upon the face of all the earth: and they left off to build the city. Therefore is the name of it called Babel; because the LORD did there confound the language of all the earth: and from thence did the LORD scatter them abroad upon the face of all the earth.
(7) (RV 1881) ASV 1901
And the whole earth was of one language, and of one speech. And it came to pass, as they journeyed east, that they found plain in the land of Shinar; and they dwelt there. And they said one to another, Come, -let us make brick, and burn them thoroughly. And they had brick for stone, and slime had they for mortar. And they said, Come, let us build us city, and tower, whose top may reach unto heaven, and let us make us a name; lest we be scattered abroad upon the face of the whole earth. And Jehovah came down to see the city and the tower, which the children of men builded. And Jehovah said, Behold, they are one people, and they have all one language; and this is what they begin to do: and now nothing will be withholden from them, which they purpose to do. Come, let us go down, and there confound their language, that they may not understand one another's speech. So Jehovah scattered them abroad from thence upon the face of all the earth: and they left off building the city. Therefore was the name of it called Babel; because Jehovah did there confound the language of all the earth: and from thence did Jehovah scatter them abroad upon the face of all the earth.
(8) RSV (1952) 1960
Now the whole earth had one language and few words. And as men migrated from the east, they found plain in the land of Shinar and settled there. And they said to one another, "Come, let us make bricks, and burn them thoroughly." And they had brick for stone, and bitumen for mortar. Then they said, "Come, let us build ourselves city, and tower with its top in the heavens, and let us make name for ourselves, lest we be scattered abroad upon the face of the whole earth." And the LORD came down to see the city and the tower, which the sons of men had built. And the LORD said, "Behold, they are one people, and they have all one language; and this is only the beginning of what they will do; and nothing that they propose to do will now be impossible for them. Come, let us go down, and there confuse their language, that they may not understand one another's speech." So the LORD scattered them abroad from there over the face of all the earth, and they left off building the city. Therefore its name was called Babel, because there the LORD confused the language of all the earth; and from there the LORD scattered them abroad over the face of all the earth.
バベルの塔 (tower_of_babel) に関しては,「#2946. 聖書にみる言語の創成と拡散」 ([2017-05-21-1]),「#2928. 古英語で「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を読む」 ([2017-05-03-1]) も参照.
・ Weigle, Luther A. ed. The Genesis Octapla: Eight English Versions of Genesis in the Tyndale-King James Tradition. New York: Thomas Nelson & Sons, 1952.
ユダヤ・キリスト教の聖書の伝統によれば,言語の創成と拡散にまつわる神話は,それぞれアダムとバベルの塔の逸話に集約される.これは,歴史的に語られてきた言語起源説のなかでも群を抜いて広く知られ,古く,長きにわたって信じられてきた言説だろう.その概要を,Mufwene (15--16) によるダイジェスト版で示そう.
Speculations about the origins of language and linguistic diversity date from far back in the history of mankind. Among the most cited cases is the book of Genesis, in the Judeo-Christian Bible. After God created Adam, He reportedly gave him authority to name every being that was in the Garden of Eden. Putatively, God and Adam spoke some language, the original language, which some scholars have claimed to be Hebrew, the original language of Bible. Adam named every entity God wanted him to know; and his wife and descendants accordingly learned the names he had invented.
Although the story suggests the origin of naming conventions, it says nothing about whether Adam named only entities or also actions and states. In any case, it suggests that it was necessary for Adam's wife and descendants to learn the same vocabulary to facilitate successful communication.
Up to the eighteenth century, reflecting the impact of Christianity, pre-modern Western philosophers and philologists typically maintained that language was given to mankind, or that humans were endowed with language upon their creation. Assuming that Eve, who was reportedly created from Adam's rib, was equally endowed with (a capacity for) language, the rest was a simple history of learning the original vocabulary or language. Changes needed historical accounts, grounded in natural disasters, in population dispersals, and in learning with modification . . . .
The book of Genesis also deals with the origin of linguistic diversity, in the myth of the Tower of Babel (11: 5--8), in which the multitude of languages is treated as a form of punishment from God. According to the myth, the human population had already increased substantially, generations after the Great Deluge in the Noah's Ark story. To avoid being scattered around the world, they built a city with a tower tall enough to reach the heavens, the dwelling of God. The tower apparently violated the population structure set up at the creation of Adam and Eve. God brought them down (according to some versions, He also destroyed the tower), dispersed them around the world, and confounded them by making them speak in mutually unintelligible ways. Putatively, this is how linguistic diversity began. The story suggests that sharing the same language fosters collaboration, contrary to some of the modern Darwinian thinking that joint attention and cooperation, rather than competition, facilitated the emergence of language . . . .
最後の部分の批評がおもしろい.バベルの塔の神話では「言語を共有していると協働しやすくなる」ことが示唆されるが,近代の言語起源論ではむしろ「協働こそが言語の発現を容易にした」と説かれる.この辺りの議論は,言語と社会の相関関係や因果関係の問題とも密接に関係し,サピア=ウォーフの仮説 (sapir-whorf_hypothesis) へも接続するだろう.バベルの塔から言語相対論へとつながる道筋があるとは思っても見なかったので,驚きの発見だった.
バベルの塔については,最近,「#2928. 古英語で「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を読む」 ([2017-05-03-1]) と「#2938. 「バベルの塔」の言語観」 ([2017-05-13-1]) で話題にしたので,そちらも参照されたい.
・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013.
「#2928. 古英語で「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を読む」 ([2017-05-03-1]) で,バベルの塔に言及した.それとの関係で,言語学という視点からバベルの塔の逸話について調べてみようかと手持ちの書籍をひっくり返してみたのだが,案外出てこない.最近の言語学書には,バベルの塔の出番はないらしい.これはどういうことだろうか.
現在,言語学の言説において,特に言語の起源の議論において「バベルの塔」の説を持ち出す学者はさすがにいない.したがって,議論に付されることがない,ということは分かる.セム系一神教に密着した逸話であり一般性がないという点でも,科学としての言語学において出る幕がないのだろう.しかし,西洋で書かれる言語学史の文脈などでは,言及くらいあってもよさそうなものだが,あまり出てこない.
しかし,(歴史)社会言語学の立場からは,そして間接的ではあるが英語史の関心からしても,「バベルの塔」は著しく大きな意義をもっている.現在広く共有されている言語観(近現代の言語学の言語観でもある)は,近代国家を後ろ盾として成立しているものであり,それを批判的に眺めることなしに,言語について論じることは本来できないはずである.では,近代国家とは何かといえば,近代ヨーロッパの作り出した特異な社会装置であり,その陰には常に国語と呼ばれる虚構があった.バベルによって散り散りになった人間の諸言語は,近代初期に,国家によってお墨付きを与えられた国語としてそれぞれ自立の道を歩み始め,近代期を通じて互いに覇権を競い合う時代へ突入したのである.そして,数世紀の競合により各国家に言語的安定がある程度もたらされ,英語などは国際的にも成功し,リンガ・フランカとして台頭してきた.こうした各国語の自立と発展のために,バベルの神話の言語観が部分的に利用されることもあった点に注意すべきである.
現代の特に欧米主導の言語学が「バベルの塔」に言及しないという現状は,それが言語,国家,パワーという,言語のすぐれて社会的な側面に対して無関心であるか,あるいは意図的に避けている,という可能性を示唆するものではないか.
今後「バベルの塔」の言語観に関する問題を考えていくに当たって,まずは McArthur (101) の言語学事典を引いてみた.
BABEL [14c: from Hebrew bābel Babylon, Assyrian bāb-ilu gate of God or bāb-ili gate of the gods. Pronounced 'bayble']. (1) Also Tower of Babel. The Biblical tower whose builders intended it to reach heaven. According to the Book of Genesis, all people once spoke the same language, but to prevent the completion of the tower God confounded their tongues. (2) A scene of confusion; a confused gathering; a turbulent medley of sounds, especially arising from the use of many language. Babelize and Babelization are sometimes used disparagingly of the growth of multiethnic, multicultural, and multilingual societies.
英語史関係としては,渡部 (6--7) 『英語の歴史』に言及があった.さすがである.
「バベルの塔」伝承 ヨーロッパ人は,元来旧約聖書の創世記(11章)にあるバベルの塔 (the Tower of Babel) に関する記事を文字通りに信じていた.その話の大要は次の通りである.バベルとはバビロン (Babylon) のことであるが,ここにノアの大洪水の後に,人々が天までとどく高い塔を建てようとした.神はその人間の傲慢さを憎んで人々の言語を混乱せしめた.そのために協同で塔を作るということは不可能になり,お互に言葉の通ずる者同士が群になって,方方へ散っていた.これがいろいろな言語の起源である.
この話が文字通りに信じられている間は,ヨーロッパ人にとって,さまざまな言語が地球上にあったとしても,少しも不思議なことではなかった.むしろそれぞれの民族の言語は違うのが当然という考え方であった.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
東京都美術館でブリューゲル「バベルの塔」展が開かれている.24年ぶりの来日だそうで,たいへん盛り上がっている.
「バベルの塔」 (The Tower of Babel) の話は「創世記」11:1--9 に記されている.この世に様々な言語が存在することを「聖書なりに」説明づけた箇所とされ,言語起源論においてもしばしば引き合いに出される,極めて著名なくだりである.
今回は,「バベルの塔」の古英語の文章を,寺澤盾先生の『聖書でたどる英語の歴史』第8章から,Old English Heptateuch 版によって示そう.
Wæs þā ān gereord on eorþan, and heora ealre ān sprǣc. Hī fērdon fram ēastdēle oð þæt hī cōmon tō ānum felde on þām lande Sennar, and þēr wunedon. Ðā cwǣdon hī him betwȳnan, “Vton wyrcean ūs tigelan and ǣlan hī on fȳre.” Witodlīce hī hæfdon tigelan for stān and tyrwan for weall-līm. And cwǣdon, “Cumað and utan wircan ūs āne burh and ǣnne stȳpel swā hēahne ðæt his rōf ātille þā heofonan, and uton mǣrsian ūrne namon, ǣr þan wē bēon tōdǣlede tō eallum landum.” God þā nyþer āstāh, þæt hē gesēga þā burh and þone stȳpel þe Adames sunus getimbroden. God cwæð þā, “Efne þis his ān folc and gereord him ealum, and hī ongunnon þis tō wircenne; ne hī ne geswīcað heora geþōhta, ǣr þan þe hī mid weorce hī gefyllan. Cumað nū eornostlīce and uton niþer āstīgan and heora gereord þēr tōwendon, þæt heora nān ne tōcnāwe his nēxtan stemne.” And God þā hī tōdǣlde swā of þǣre stōwe tō eallum landum, and hī geswicon tō wyrcenne þā buruh. And for þī wæs sēo burh gehāten Babel, for þan þe ðǣr wæs tōdǣled þæt gereord ealre eorþan. God þā hī sende þanon ofer brādnesse ealra eorðan.
・ 寺澤 盾 『聖書でたどる英語の歴史』 大修館書店,2013年.
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