6日間にわたり,『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』(NHK出版)のカウントダウン企画の振り返り連載を書いてきました.今回はシリーズの「おわりに」に相当する文章となります.
全30回にわたる X(旧Twitter)でのカウントダウン企画,およびそれを凝縮してお届けした今回の連載を通じて,私が主張したかったことは,「3単現の s」という問題が,決して英語学習上の小さな引っかかりなどにとどまらず,英語史と言語学における第一級の学術的問いであるということです.
私たちは中学校の英語教育の初期段階で,「主語が3人称・単数で,時制が現在のとき,動詞の末尾に -s をつける」と教わります.あまりに機械的に暗記させられるルールであるため,多くの学習者はそれを英語の厄介な学習項目として認識してしまいがちです.しかし,一歩立ち止まって英語史の観点からこの問題を眺めると,この小さな -s の背景には驚くほど壮大な英語史と言語変化のドラマが広がっていることに気づかされます.今回の連載で扱った論点を改めて振り返ってみるだけでも,その射程の広さは明白でしょう.
・ 文法範疇の視点からの -s の解釈
・ 直説法という隠された文法条件と,仮定法における屈折の歴史
・ 「なぜ3単現以外は屈折語尾を失ってゼロ化したのか」という反転した問い
・ 英語の変種・多様性からみた「3単現のゼロ」や「全人称 -s」の実態
・ 歴史的語尾 -eth から -(e)s への移行を駆動した(かもしれない)発音の通言語的頻度,北部方言の南下,類推作用
・ エリザベス1世の混用,シェイクスピアの使い分け,『欽定訳聖書』の文体論的選択,そしてアメリカ英語における方言接触などの社会言語学的側面
・ 数千年前の印欧祖語の指示詞 (*so / *to) の動詞への付着と融合という,究極の起源をめぐる問題
カウントダウン企画や今回の連載で取り上げていない論点が,実はまだほかにもあります.今回の集中的な連載ですら取り上げていない,その他の話題がまだまだあるのです.「3単現の s」はまだまだ深掘りできる話題です.
学校文法の教科書に1行で現われる「3単現の s」という規則が,音韻論,形態論,統語論,方言学,社会言語学,そして印欧語比較言語学に至るまで,言語学のあらゆる領域と結びついている --- このことを含み取っていただければと思います.
「なぜルールを守らなければならないのか」という素朴な疑問は,通時的な視点を得ることで,「なぜそのようなルールが結果として現代英語に生き残ったのか」という英語史的な探求へと昇華されます.英語という言語の「不規則性」や「不合理さ」に見える現象の背後には,常に言葉を話し,書き,変化させてきた人間の歴史の積み重ねが存在するのです.
たかが3単現,されど3単現.何気ない文法規則の1つを深く掘り下げることによって,英語という言語の立体的な姿が見えてきます.30の問いを通じて伝えたかったのは,まさにこの英語史研究の醍醐味そのものでした.本連載が,皆さんにとって英語や言語一般の歴史のおもしろさや深みに触れるきっかけとなれば幸いです.
なお,拙著『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』(NHK出版新書)の第1章第5節「なぜ3単現の s をつけるのか」では,本連載で触れた論点の一部にしか触れていません.本連載は,その章への詳しい注として理解していただければ.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
振り返りシリーズの最終回となる今回は,古い語尾 -eth から新しい語尾 -(e)s への移行期(初期近代英語期)における実際の文献上の様相,そのアメリカ英語への波及,また goes などの綴字 -es の謎,そして比較言語学の地平から見える3単現の屈折語尾の究極の起源にまで迫ります.
16世紀後半,エリザベス1世が残した散文や手紙の記述を分析すると,興味深い事実が浮かび上がってきます.彼女の文章の中では,古くからの語尾 -eth と,当時拡大しつつあった新しい語尾 -s が,おおよそ 1:2 という割合で混用されていました.最高権力者・知識人であった女王自身が新旧の形態をちゃんぽんに使っていたという事実は,この時代がこの屈折語尾の移行期の真っ只中にあったことを物語っています.
シェイクスピアの戯曲テキストは,この語尾交代の社会言語学的な様相をさらに鮮やかに示してくれます.彼は,散文の台詞においては圧倒的な頻度で新しい -s 語尾を使用していました.1600年前後には,すでにロンドンの口語表現として -s が十分に一般化していたことがうかがえます.一方で,韻文においては,韻律の音節数を調整するためにか,あるいは古風で荘厳な響きを演出するためにか,古い -eth をあえて効果的に併用しました.劇作家として,2つの形態がもつ機能的・韻律的な違いを熟知し,巧みに使い分けていたのです.
一方,1611年に刊行された『欽定訳聖書』 (The King James Version [KJV]) の動詞屈折の様相は,当時の口語の趨勢とは対照的でした.聖書のテキストにおいては,古い -eth が100%用いられ,新しい -s 語尾の採用は皆無でした.これは,聖書という文体に求められる荘厳さ,権威,そして神聖さを保持するため,当時すでに日常の口語として定着していた革新的な -s の侵入を意図的に排除した古風主義に基づく分布といえます.
こうした移行期には,書き言葉の綴字と話し言葉の発音の間に生じたミスマッチも観察されます.当時の人々は紙の上に -eth と書き記しながらも,それを実際に音読する際には口頭で -s と発音するケースが頻発していたようなのです.綴字は保守的にとどまりつつも,音声的な変化が先行して拡大していくという,言語変化における時間差の典型例といえます.
17世紀初頭より北米大陸へと渡っていった植民者たちによって移植された英語変種においては,新しい -s 語尾の拡大と定着のスピードが,本国イギリスよりも若干早い傾向を示したという調査結果もあります.一般に,移住した言語は本国の古い形態を保持しやすいとされますが,3単現の -s に関しては,多様な出身地から集まった人々による言語接触と単純化の力学が働き,革新的な定着が急速に進むこととなったということかもしれません.
そして,もう1つ,別種の問題についてです.現代英語の綴字規則において,go や do の 3単現形は単に -s をつけるのではなく,goes, does のように -es を付加します.文字素配列上の都合として,単語の末尾を -os という並びで終わらせる表記が歴史的に好まれなかったことが背景にありそうです.語幹と屈折語尾の独立性を視覚的に明確に示し,標準的なパターンに整える表記上の工夫として定着してきたと考えられます.
最後に,印欧比較言語学の視点から,そもそもなぜ 3人称の屈折語尾に -s や -th のような子音が出現したのかという究極の起源を探ってみましょう.有力な説によれば,印欧祖語の段階において,指示代名詞(「これ」「それ」を指す表現,現代英語の this, that などの祖先)であった *so や *to といった要素が,動詞の末尾に付着し,融合していった結果であると考えられています.本来は動詞のあとに「それ」「彼」という指示詞を添えて発話していた文法構造が,幾世代もの時間をかけて動詞の屈折語尾へと化石化していったという構図です.
さて,全5回にわたる連載を通じて,「3単現の s」という学校文法でお馴染みの小さなルールが,実は文法範疇の体系性,変種間における屈折パターンの多様性,方言接触,そして数千年に及ぶ印欧語の歴史などと深く結びついていることを見てきました.身近な英文法の「なぜ?」の背後には,常にダイナミックな英語史のドラマが広がっているのです.
本ブログのシリーズとしては,やや急ぎ足で,かつ濃密すぎる内容だったかもしれません.しかし,実際には30日をかけて少しずつ「3単現の s」の理解を深める,カウントダウン企画としてお届けした企画でした.応援いただいた皆さんに,改めて感謝します.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
振り返りシリーズの過去3回の記事では,3単現の基本原理や形態・音韻変化のメカニズム,そして非標準変種における多様な実態について議論を進めてきました.第4回となる今回は,英語史における最大のミステリーの1つ,「なぜ歴史的な 3単現語尾 -eth が現代の -(e)s へと変化したのか」の謎に迫ります.音韻変化の検証および類推作用 (analogy) の視点から,この変化についての諸説を覗いてみましょう.
古英語から初期近代英語にかけて,3人称・単数・現在・直説法の動詞語尾は,現代のような -(e)s ではなく,-eth でした.たとえば,現代英語の sings や helps は,かつて singeth や helpeth のような形でした.これがなぜ -(e)s へと取って代わられたのでしょうか.語尾の母音脱落を伴うこの交替劇は,英語屈折史における注目すべき変化の1つであり,多くの言語学者の好奇心を刺激し続けてきました.
この変化について「th /θ/ と s /s/ は発音が似ているから,互いに混同されて入れ替わったのではないか」という仮説が提出されることがあります.確かに,日本語母語話者にとって両音はともにサ行音に聞こえるため,一見すると納得しやすい説明に思えます.しかし,音韻論の観点から見れば,イングランド英語の歴史において,歯音 /θ/ と歯茎音 /s/ が混同されたケースはきわめて稀でした.両音は英語の体系内において異なる音素として厳密に区別されてきたため,単に「発音が似ていたから自然に置き換わった」とする説は,音韻変化の根拠としては弱いと言わざるを得ません.
デンマークの言語学者 Otto Jespersen は,音素の汎言語的な頻度と効率性の観点からこの問題にアプローチしました.無声歯摩擦音 /θ/ は,世界の言語を見渡しても相対的に出現頻度の低い珍しい音素である(451言語中 4--5% にのみ出現)ため,言語変化の過程でより一般的で扱いやすい /s/ へと淘汰されたという見解です.実際,現代英語の無声音の出現頻度データを参照しても,/s/ が第6位という上位に位置するのに対し,/θ/ は第40位と大きく引き離されています.日常会話できわめて高頻度に表れる3単現語尾から,珍しい音素である /θ/ が避けられ,より発音しやすく一般的な /s/ へとシフトしたという見解は,言語の省力化という観点から一理あります.
より通時的・方言学的な実証に基づく有力な説として,北部方言影響説があります.中英語期,3単現語尾の子音は南部方言で -th,北部方言で -s が基本でした.北部方言では,すでに古英語期(あるいは古ノルド語との言語接触の時期)から 3単現語尾として -s が定着しつつありました.中英語期以降,人口移動や経済的・社会的交流の拡大に伴い,この北部方言の -s が南下し,やがてロンドンを中心とする標準英語の基盤となる変種へと浸透・定着していったとする考え方です.
次いで,屈折体系の内部力学に着目した構造的な説が,2人称単数語尾からの類推説です.古英語・中英語の動詞屈折表を振り返ると,2人称単数 thou に対応する語尾は -est (簡略化して -es とも)でした.この2単現の -es の形態が,3人称単数に対して,類推的に拡大・適用されたのではないか,という見解です.
もう1つの類推説は,最も高頻度で使われる be 動詞の 3単現形 is に着目する説です.be 動詞の3単現形である is は,古英語期より一貫して末尾に /s/ (ただし後には /z/)の音を保持していました.英語の動詞体系の中で圧倒的な使用頻度を誇る is の子音がモデルとなり,一般動詞の3単現語尾へと波及・類推適用されたのではないかとする解釈です.
歴史的語尾 -eth から現代の -(e)s への交代は,単一の要因のみならず,方言の交錯(北部方言の南下)や屈折体系内の類推作用,さらには発音の効率化といった複数の要因が複雑に絡み合って引き起こされたと考えるのが自然かもしれません.
明日の第5回は,エリザベス1世やシェイクスピアの時代における -eth と -s の劇的な移行期の諸相,そして語尾 -s の究極の起源に迫ります.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
一昨日と昨日の記事では,標準英語の体系を中心に,3単現の基本原理や形態・音韻変化のメカニズムを整理してきました.本日は,視点を標準英語の外側へと広げ,世界英語 (World Englishes) や地域方言といった多様な変種 (variety) の観点から「3単現の -s」のあり方を相対化してみようという試みとなります.
私たちが学校で習う標準英語では,主語が 3人称・単数・現在であれば動詞に -s をつけることが「絶対のルール」とされています.しかし,標準英語の枠から一歩外に出ると,3単現であっても -s をつけない英語変種が数多く存在します.
例えば,ロンドンにほど近いイングランド東部,イーストアングリア (East Anglia) 地方の地域方言では,伝統的に 3単現の -s をつけません(e.g., He walk., She know.).さらに視点を世界へ広げれば,アフリカ系アメリカ人英語 (AAVE) や,ピジン英語,クレオール英語,そして世界各地で話される英語変種において,3単現の -s を欠く「3単現のゼロ」は決して珍しい現象ではありません.
逆に,人称や数に関係なく,あらゆる文脈で動詞に -s を付与する英語変種も存在します.イングランド北部方言や,ウェールズ南部・南西部の諸方言などでは,次のような文をごく自然に耳にします.
・ I likes it.
・ We goes home.
・ You throws it.
歴史的に見れば,英語の動詞の人称屈折は,地域や方言によって驚くほど多様でした.「3人称単数だけに -s をつける」という標準英語のパターンは,そうした無数の変異のなかの1つの選択肢にすぎなかったのです.
Shakespeare などの初期近代英語の文献を読んでいると,一見すると文法的に破綻しているように思える次のような文に出会うことがあります.
・ they laugh that wins (勝つ者たちが笑う)
前半の主語 they に対する動詞は laugh (-s なし)であるのに対し,後半の主語(that = they)に対する動詞は wins (-s あり)となっています.なぜ同じ複数主語に対して,-s の有無が分かれているのでしょうか.
実は,ここには明確な文法原理が働いています.中英語期のイングランド北部方言に由来する特異な規則です.この規則のもとでは,主語が複数代名詞であっても,動詞と隣り合っている場合には -s がつかず(they laugh),主語と動詞が離れている場合や主語が名詞である場合には -s がつくという複雑な規則が存在していました.
さらに驚くべきことに,過去形にまで -s がついた歴史的形跡が存在します.現代英語の methinks 「~のように思われる」は,非人称動詞に由来する古風な表現ですが,この過去形として,通常期待される methought に加えて,なんと過去形でありながら -s 付加が生じた methoughts という形,「3単過の s」が文献上に実在しました.
> Me thoughts that I had broken from the Tower. (Shakespeare, Richard III)
屈折語尾 -s の文法的な機能の揺らぎと多様性を示す,きわめて興味深い歴史的証拠です.
現代の World Englishes 研究において,広範な変種データを集積したデータベース eWAVE (ewave) の調査結果は,私たちが教わる「普通」を捉え直す上で大きな示唆を与えてくれます(「#6239. 世界英語諸変種にみる「3単現の s」と「3単現のゼロ」 --- eWAVE 3.0 のデータより」 ([2026-05-27-1]) を参照).
世界の英語変種を見渡すと,3単現において -s をつけない「3単現のゼロ」は,調査対象となった変種の69%で確認され,その平均普及率は72%に達します.一方で,「人称にかかわらずとにかく -s をつける」という変種も35%(普及率45%)存在しています.
この言語類型論的なデータが意味するのは,標準英語が採用している「3人称・単数・現在というピンポイントの条件でのみ -s を要求する」という規則こそが,世界中の英語のなかではむしろアンバランスで珍しいものであるという事実です.
標準英語の「3単現の s」は,決して言語として普遍的で合理的なルールというわけではなく,多様な方言的変異のなかから歴史の偶然によって標準化された規則にすぎません.標準英語の外からの視点をもつことで,英文法をより相対的・客観的に眺めることができるようになりますね.
明日の第4回は,歴史的に3単現の語尾であった -eth が,なぜ現代の -(e)s へと変化を遂げたのか,その諸説に迫ります.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
昨日公開した振り返りシリーズ第1回記事「#6309. 文法範疇から「3単現」を再考する --- 『なぜさんたんげん』カウントダウン企画の振り返り (1)」 ([2026-08-05-1]) では,「3単現直の s」という正確な条件設定や,英語のもつ「人称」「数」「時制」という文法範疇の視点から,動詞屈折の基本原理を整理しました.
本日の第2回は,学校文法や英語学習でよく突き当たる「助動詞 can にはなぜ 3単現の -s がつかないのか?」,says / has / does に見られる不規則な音変化の謎,そして「名詞の複数形 -s」と「動詞の 3単現 -s」の歴史的な関係について考察していきます.
1. なぜ can などの助動詞には 3単現の -s がつかないのか?
英語学習者から非常によく寄せられる疑問の筆頭に,「主語が 3人称・単数・現在であっても,なぜ can や may などの助動詞には3単現の -s がつかないのか」というものがあります.
結論からいえば,その理由は「語源的にこれらの助動詞が過去形だから」です.can, may, must, shall などの法助動詞の多くは,現代英語では形も現在形のように見え,時制としても現在を表しています.しかし,歴史をさかのぼると,これらは本来「過去」の形態をもつ過去現在動詞 (preterite-present_verb) と称される動詞群でした.もともとは過去の意味を表していた形が,歴史の過程で現在の意味を表すように変化したという経緯をもっています.
第1回で確認した通り,-s はあくまで「3単現(直)」でないとつきません.これらの助動詞は形態的なルーツが過去形であるため,語尾に 3単現の -s を取る条件そのものが歴史的に存在しなかったのです.
2. なぜ says は「セイズ」ではなく「セズ」なのか?
動詞 say の 3単現形である says は,綴字通りに読めば「セイズ」となりそうですが,標準的な発音は /sez/ 「セズ」となります.
このような微妙な不規則性は,言語において「超」がつくほどの高頻度語にこそ起こりがちです.日常会話できわめて頻繁に使用される単語は,弱く,省略されて発音される機会が多く,音の短化や変化を被りやすくなります.
says の発音に関して,実はイギリスの非標準方言や一部の地域変種では綴り通りの「セイズ」も聞かれますが,標準英語においては高頻度使用による音変化の定着結果として「セズ」が標準的となっています.
3. has や does の不規則性
says と同じく,have の 3単現形 has /hæz/ や,do の 3単現形 does /dʌz/ も,極めて不規則な形態・発音を示します.
これらも全く同じメカニズムによるものです.日常的なコミュニケーションで絶えず使われる超高頻度語だからこそ,歴史上の長い時間をかけて独自の音変化を起こし,現代のような不規則な形として生き残ることになりました.
4. 動詞の 3単現 -s と名詞の複数形 -s の関係
文法を学ぶ際,「名詞に -s がつくと複数」であり,「動詞に -s がつくと(3人称)単数(現在)」であるというルールに出会い,頭を抱えてしまう学習者もいるかもしれません.では,動詞の3単現の -s と名詞の複数形の -s には,歴史的に共通のルーツがあるのでしょうか.
結論をいえば,両者の間に歴史的なつながりは特にありません.名詞の複数形語尾 -s (古英語の男性強変化名詞屈折語尾 -as に由来)と,動詞の 3単現語尾 -s (中英語期の北部方言等に由来し,古英語の -eþ などが置き換わったもの)は,それぞれ異なる歴史的経緯をたどって発達してきました.歴史の偶然として,たまたま現代英語において同じ -s という音・綴字に収斂してしまったにすぎません.
ただし,共時的(現代英語の体系内)に見れば,非常に興味深い対照構造を成しています.
・ 主語名詞が単数形(-s なし)のとき,動詞に -s が現れる(e.g., The dog runs.)
・ 主語名詞が複数形(-s あり)のとき,動詞に -s が現れない(e.g., The dogs run.)
通時的な歴史背景は別々でありながらも,現代英語の体系においては,主語と動詞の間で -s の有無がきれいに相反するような対称性を保っているという見方ができます.
助動詞の屈折の欠除も,says や has の不規則な変化も,すべて英語史の通時的なプロセス(過去現在動詞の成り立ちや高頻度語の音変化)を紐解けば,説明がつきます.
明日の第3回は,標準英語の枠を超えて,イギリス各地の方言や World Englishes(世界英語)における「3単現のゼロ」や「全人称の -s」の実態に迫ります.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
昨日の記事 ([2026-08-04-1]) で予告した通り,本日より5回にわたり,拙著『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』(NHK出版新書)の刊行に寄せて行なったカウントダウン企画の論点を整理し,「3単現の s」に関する連載を始めます.
シリーズ第1回となる今回は,私たちが学校文法で当たり前のように習う「3単現」という文法用語そのものを再考してみたいと思います.
1. 問うべきは「なぜ3単現以外には何もつけないのか?」
英語を学ぶ際,誰もが一度は「なぜ動詞にわざわざ 3単現の s をつけるのか」という疑問を抱きます.しかし,英語史の視点から見れば,実は問うべき真の問いは反転します.本来問うべきは,「なぜ3単現以外には何もつけないのか?」なのです.
古英語の時代には,1人称にも2人称にも異なる動詞の屈折語尾が付きました.歴史の過程でそれらの語尾が次々と消失していくなかで,「3人称・単数・現在」の屈折のみが語尾を保持し続けた --- 英語史においては,この問いの立て方の転換こそが重要となります.
2. 正しくは「3単現直の s」
ところで,私たちが親しんでいる「3人称・単数・現在」という条件指定ですが,厳密な文法記述としては実はこれでは足りません.例えば,次の文を見てみましょう.
God save the king. (国王万歳)
この文の主語は God であり「3人称・単数」です.時制も「現在」を指していると捉えてよいですが,動詞に -s はついていません.なぜなら,この文は仮定法だからです.
つまり,-s が現れるためには,さらに「直説法であること」という条件を付け加えなければなりません.文法用語として正確を期すならば,「3人称・単数・現在・直説法の s」,略して「3単現直の s」と呼ぶべきなのです.「3単現の s」は語呂も通りも良いものの,厳密に検証すると抜け落ちている条件があることに気づかされます.
3. なぜ仮定法では s をつけないのか?
では,なぜ仮定法では 3単現であっても -s がつかないのでしょうか.歴史を古英語期に遡ってみましょう.
古英語において,仮定法(接続法とも呼ばれました)の屈折体系は直説法とは大きく異なっていました.仮定法では時制にかかわらず,単数であれば一律に -e 語尾が,複数であれば -e(n) 語尾がつきました.例えば,古英語の leornian (現代英語の learn)の活用を見ると,3人称・単数・現在・仮定法の形は leornie であり,もともと -s (正確には当時の屈折語尾を構成した þ)が出る余地はなかったのです.
この古英語の仮定法単数語尾 -e が後に音変化によって消失した結果,現代英語の仮定法現在形は「動詞の原形と同じ形」として残ることになりました.
4. そもそも「人称」「数」「時制」とは何か
3単現を構成する「人称」「数」「時制」といった要素は,言語学では「文法範疇」 (category) と呼ばれます.これらは各言語固有の「こだわり」,あるいはその言語が世界をどのように切り取っているかという世界観を反映する装置です.
【 人称 (person) 】
英語の用語で人称は単に person ですから,概念としては「どんな人か」という単純な区分にすぎません.英語の体系は,「私」箱(1人称),「あなた」箱(2人称),そしてそれ以外の「その他」箱(3人称)という3つの領域で世界を分類しています.
【 数 (number) 】
英語は数えられるモノの名詞について,単数か複数かを文法的に明示することを強制する言語です.名詞において単数・複数を区別する文化は理解しやすいとしても,その名詞の都合が動詞の語尾(屈折)にまで波及し,主語の数に応じて動詞の形を変えさせるという点は,英語の「数」への並々ならぬこだわりを示しています.
【 時制 (tense) 】
「時制」とは,現実の「時間」そのものではなく,時間関係を言語化するための文法上の制度です.現代英語の動詞の屈折体系において,動詞自体の形態変化で直接表現できる時制は「現在形」と「過去形」の2つしかありません.未来の事態を表す際には will や be going to などの助動詞や迂言的表現を添える必要がある点など,英語の時制体系は非対称の構造を持っています.
このように,普段何気なく暗記させられる「3単現の s」も,文法範疇の視点や英語史の通時的視点から解きほぐしていくことで,英語という言語がもつ体系性と変化のダイナミズムが見えてきます.
明日は,助動詞 can に s がつかない理由や,says/has/does などの不規則な音変化,そして名詞の複数形 -s との関係性について考察していきます.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
6月10日に発売された『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』(NHK出版)が,好評いただいています.
発売1ヶ月前より,私の X(旧 Twitter)アカウント @chariderryu 上で「なぜさんたんげんカウントダウン企画」として,本書に関連する話題を毎日1つ投稿していくことを試みました.結果としては予定通り30件を投稿し,カウントダウン企画は無事に終了しました.ハッシュタグ検索 #なぜさんたんげんカウントダウン より,すべての投稿というわけではありませんが,大半を閲覧できます.
本書の副題に「3単現の s」 (3ps) が含まれていますが,本書ではそれだけを扱っているわけではなく,広く英語史の話題を取り上げています.本書のプロモーションのためには,30日間のカウントダウン企画でも様々なトピックを取り上げるのが効果的だったのでしょうが,企画開始後の早い段階から「3単現の s」のみの話題で30日間続けてみようか,という研究者としての酔狂な挑戦魂が発現してしまい,結局その路線で走り切りました.
カウントダウン企画に伴走してくださった ari さん,ykagata さん,り~みんさんを始め,企画を応援していただいた皆さんに感謝致します.とりわけ ari さんは,日々の私の関連投稿を素材としてユーモアとダジャレたっぷりの4コマ漫画「英子さんたんげん」シリーズを創始され,本書発売後も「3単現の s」から独立して進化し続けているという,驚きの熱心さです.
30日間,伴走者の方々とのやりとりを通じて,私自身が「3単現の s」について多角的に問い直し,理解を深める機会を得ることができました.本来は『なぜさんたんげん』のプロモーションを念頭に置いた企画でしたし,遊び心を含めた気軽な試みとして始めたものだったのですが,完走した後から振り返ってみると,これは「3単現の s」をめぐるブレストであり,ディスカッションであり,最高の勉強法となっていたと思うのです.誇張ではなく本当です.私自身は「3単現の s」の話題を研究し,論文を書いてきた経緯がありますが,今回のカウントダウン企画では,まったく別のアプローチからの新鮮な「3単現の s」論を展開できたと考えています.
この30日間の議論の成果を何らかの形で記録に残すべく,向こう数日間の hellog 記事を通じて「なぜさんたんげんカウントダウン企画」を振り返って行こうと思います.本日の記事は,その連載の序文の役割を果たします.連載の開始に先立ち,以下に30投稿の各々へのリンクを掲げておきましょう.ぜひ1つひとつ訪れてみてください.
1: https://x.com/chariderryu/status/2053849551249854633
2: https://x.com/chariderryu/status/2054170139075956800
3: https://x.com/chariderryu/status/2054533296516628698
4: https://x.com/chariderryu/status/2054918817961128222
5: https://x.com/chariderryu/status/2055257307315892728
6: https://x.com/chariderryu/status/2055574258395251097
7: https://x.com/chariderryu/status/2055937157571719216
8: https://x.com/chariderryu/status/2056284114517479854
9: https://x.com/chariderryu/status/2056651859020919199
10: https://x.com/chariderryu/status/2057033989668430082
11: https://x.com/chariderryu/status/2057388292769759342
12: https://x.com/chariderryu/status/2057745491052441925
13: https://x.com/chariderryu/status/2058311892037226717
14: https://x.com/chariderryu/status/2058460797987086628
15: https://x.com/chariderryu/status/2058828159659712651
16: https://x.com/chariderryu/status/2059196134858408270
17: https://x.com/chariderryu/status/2059584458932556083
18: https://x.com/chariderryu/status/2059901339853877679
19: https://x.com/chariderryu/status/2060263459669889166
20: https://x.com/chariderryu/status/2060633529013129354
21: https://x.com/chariderryu/status/2060984532451418384
22: https://x.com/chariderryu/status/2061359561030635769
23: https://x.com/chariderryu/status/2061705258821132776
24: https://x.com/chariderryu/status/2062070033589608841
25: https://x.com/chariderryu/status/2062431166200742226
26: https://x.com/chariderryu/status/2062822274856554627
27: https://x.com/chariderryu/status/2063171987405516891
28: https://x.com/chariderryu/status/2063523991487221807
29: https://x.com/chariderryu/status/2063888225546969167
30: https://x.com/chariderryu/status/2064380208119972160
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
3ヶ月ほど前のことになりますが,5月30日(金)に YouTube 「文藝春秋PLUS 公式チャンネル」にて,前後編の2回にわたり「英語に関する素朴な疑問」に答えながら英語史を導入するトークが公開されました.フリーアナウンサーの近藤さや香さんとともに,計60分ほどお話をしています.とりわけその前編は,驚くほど多くの方々に視聴していただき,本日付けで視聴回数が10万回を超えています.
文藝春秋PLUSの制作班の方々も私自身も,予想外のことに驚きつつも,たいへん嬉しく受け取り,早速第2弾の企画が立ち上がりました.第2弾を8月初旬に収録した後,8月21日(木)の7時にその前編が,20時に後編がそれぞれオンエアされました.
上掲のサムネイルは,その第2弾の前編となります.「【英語の謎 go の過去形はなぜ went なのか】古英語時代は -ed よりも不規則動詞がデフォルト|なぜ「あなた」も「あなたたち」も you で表すのか|He likes…三単現にはなぜ s を付ける」と題して,27分ほどお話ししました.以下に話題と分秒リストを掲載します.
(1) 00:00 --- オープニング
(2) 02:25 --- なぜ不規則な動詞活用があるのか
(3) 13:51 --- なぜ you は単数形でも複数形でもあるのか
(4) 20:15 --- なぜ三単現に「-s」をつけるのか
(5) 25:23 --- 次回予告
第1弾に引き続き,「英語に関する素朴な疑問」 (sobokunagimon) を英語史の観点から説明するという趣旨のトークとなっています.ぜひ英語史の魅力を感じていただければ.
先日,五所万実さん(目白大学)に,同大学で開講されている社会言語学入門の授業にお招きいただきました.ありがとうございます! 事前に受講学生の皆さんより質問を募るなどの準備を整えた上で,授業本番で千本ノック (senbonknock) を敢行しました.五所さんと2人でのライヴのような千本ノックとなりましたが,数々の良問が飛び出し,80分ほどのエキサイティングなセッションとなりました.
この授業の一部始終を Voicy heldio で収録しました.全体を前半と後半に分け,各々を配信しました.以下に各質問および対応するチャプター分秒を示します.
【前半(約48分) 「#1284. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック at 目白大学 --- Part 1」】
(1) Chapter 2, 03:55 --- 発音上のアクセントが苦手なのですが,何かコツはありますか? (言語におけるアクセントの存在意義は?)
(2) Chapter 3, 04:58 --- なぜ日本語には「私」「僕」「俺」など1人称に多くの言い方があるのですか?
(3) Chapter 4, 00:03 --- 日本語にあるような役割語は英語には存在するのですか? (「周辺部」の話題へ)
(4) Chapter 4, 04:40 --- なぜ you には「あなた」と「あなた方」の両方の意味があるのですか?
(5) Chapter 5, 02:57 --- なぜ3単現の -s をつけるのですか?
(6) Chapter 5, 01:26 --- 違う語族なのに似ている言語はありますか? (言語と方言の区別,世界の言語の数の問題へ)
【後半(約35分) 「#1287. 目白大学で千本ノック with 五所先生 (2)」】
(7) Chapter 2, 00:05 --- 人類で初めて2つの言語を習得した人間は誰ですか?
(8) Chapter 2, 02:57 --- 世界の共通語を作ることは実現可能ですか?
(9) Chapter 3, 03:35 --- 最初に英語が日本に入ってきたとき,どのように翻訳できたのですか?
(10) Chapter 3, 02:51 --- 和製英語のようなものは他言語にもあるのですか?
(11) Chapter 4, 00:46 --- 日本語のバイト敬語のようなものは英語にもありますか?
(12) Chapter 5, 00:00 --- なぜ英語には say, speak, tell など「言う」を意味する単語が多いのですか?
授業というよりも,五所さんとの heldio 生配信イベントとなりました.ありがとうございました.
少し前のことになりますが,9月25日(水)の Voicy heldio にて「#1214. 教えて khelf 会長! 天候の it って何? ー 「#英語史ライヴ2024」より」を配信しました.khelf のメンバーを中心に大いに議論が盛り上がりました.khelf や helwa の内部では,このような英語史談義は日常茶飯事であり,さして珍しくもありません.しかし,一般に公開してみましたら,多くの方々よりニッチなオタクの集団として喜んで(?)いただいたようで,喜ばしい限りです.こんな感じで,日々hel活を展開しています.
なぜ It rains. なのか,という今回の話題をめぐっては,絶対的な答えが示されているわけではありません.むしろ,この謎を題材として談義自体を楽しんでしまおうという趣旨の企画でした.コメント欄も,リスナーさんによる驚きの声で盛り上がっていますので,ぜひお読みください.
本ブログでは,関連する話題を以下の記事で取り上げてきました.
・ 「#4208. It rains. は行為者不在で「降雨がある」ほどの意」 ([2020-11-03-1])
・ 「#4210. 人称の出現は3人称に始まり,後に1,2人称へと展開した?」 ([2020-11-05-1]))
・ 「#4211. 印欧語は「出来事を描写する言語」から「行為者を確定する言語」へ」 ([2020-11-06-1])
また,収録のなかでも触れられていますが,khelf による『英語史新聞』第9号(2023年5月12日発行)の第1面下部でも「天候の it ってなんだ?」として取り上げられています.
優にあと30分は,皆で議論し続けられたと思います.おかげさまで「英語史ライヴ2024」のなかでも勢いのある番組となりました.
「#5385. methinks にまつわる妙な語形をいくつか紹介」 ([2024-01-24-1]) と「#5386. 英語史上きわめて破格な3単過の -s」 ([2024-01-25-1]) で触れたように,近代英語期には methoughts という英文法史上なんとも珍妙な動詞形態が現われます.過去形なのに -s 語尾が付くという驚きの語形です.
今回は,methoughts の初期近代英語期からの例を EEBO corpus より抜き出してみました(コンコーダンスラインのテキストファイルはこちら).10年刻みでのヒット数は,次の通りです.
| ALL | 1600s | 1610s | 1620s | 1630s | 1640s | 1650s | 1660s | 1670s | 1680s | 1690s | |
| METHOUGHTS | 184 | 1 | 6 | 6 | 18 | 37 | 75 | 41 |
昨日の記事「#5385. methinks にまつわる妙な語形をいくつか紹介」 ([2024-01-24-1]) の後半で少し触れましたが,近代英語期の半ばに methoughts なる珍妙な形態が現われることがあります.直説法・3人称・単数・過去,つまり「3単過の -s」という破格の語形です.生起頻度は詳しく調べていませんが,OED によると,Shakespeare からの例を初出として17世紀から18世紀半ばにかけて用例が文証されるようです.英語史上きわめて破格であり,希少価値の高い形態といえます(英語史研究者は興奮します).
OED の methinks, v. の異形態欄にて γ 系列の形態として掲げられている5つの例文を引用します.
a1616 Me thoughts that I had broken from the Tower. (W. Shakespeare, Richard III (1623) i. iv. 9)
1620 The draught of a Landskip on a piece of paper, me thoughts masterly done. (H. Wotton, Letter in Reliquiæ Wottonianæ (1651) 413)
1673 I had..coyned several new English Words, which were onely such French Words as methoughts had a fine Tone wieh them. (F. Kirkman, Unlucky Citizen 181)
1711 Methoughts I was transported into a Country that was filled with Prodigies. (J. Addison, Spectator No. 63. ¶3)
1751 The inward Satisfaction which I felt, had spread in my Eyes I know not what of melting and passionate, which methoughts I had never before observed. (translation of Female Foundling vol. I. 30)
methoughts の生起頻度を詳しく調べていく必要がありますが,いくつかの例が文証されている以上,単なるエラーで済ませるわけにはいきません.この形態の背景にあるのは,間違いなく3単現の形態で頻度の高い methinks でしょう.methinks からの類推 (analogy) により,過去形にも -s 語尾が付されたと考えられます.逆にいえば,このように類推した話者は,現在形 methinks の -s を3単現の -s として認識していなかったかとも想像されます.他の動詞でも3単過の -s の事例があり得るのか否か,疑問が次から次へと湧き出てきます.
実はこの methoughts という珍妙な過去形の存在について最初に教えていただいたのは,同僚のシェイクスピア研究者である井出新先生(慶應義塾大学文学部英米文学専攻)でした.その経緯は,先日の YouTube チャンネル「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」にて簡単にお話ししました.「#195. 井出新さん『シェイクスピア,それが問題だ! --- シェイクスピアを楽しみ尽くすための百問百答』(大修館書店)のご紹介」をご覧ください.
関連して,井出先生とご近著について,以下の hellog および heldio でもご紹介していますので,ぜひご訪問ください.
・ hellog 「#5357. 井出新先生との対談 --- 新著『シェイクスピア それが問題だ!』(大修館,2023年)をめぐって」 ([2023-12-27-1])
・ heldio 「#934. 『シェイクスピア,それが問題だ!』(大修館,2023年) --- 著者の井出新先生との対談」
英語史にはおもしろい問題がゴロゴロ転がっています.
・ Wischer, Ilse. "Grammaticalization versus Lexicalization: 'Methinks' there is some confusion." Pathways of Change: Grammaticalization in English. Ed. Olga Fischer, Anette Rosenbach, and Dieter Stein. Amsterdam: John Benjamins, 2000. 355--70.
非人称動詞 (impersonal_verb) の methinks については「#4308. 現代に残る非人称動詞 methinks」 ([2021-02-11-1]),「#204. 非人称構文」 ([2009-11-17-1]) などで触れてきた.非人称構文 (impersonal construction) では人称主語が現われないが,文法上その文で用いられている非人称動詞はあたかも3人称単数主語の存在を前提としているかのような屈折語尾をとる.つまり,大多数の用例にみられるように,直説法単数であれば,-s (古くは -eth) をとるということになる.
ところが,用例を眺めていると,-s などの子音語尾を取らないものが散見される.Wischer (362) が,Helsinki Corpus から拾った中英語の興味深い例文をいくつか示しているので,それを少々改変して提示しよう.
(10) þe þincheð þat he ne mihte his sinne forlete.
'It seems to you that he might not relinquish his sin.'
(MX/1 Ir Hom Trin 12, 73)
(11) Thy wombe is waxen grete, thynke me.
'Your womb has grown big. You seem to be pregnant.'
(M4 XX Myst York 119)
(12) My lord me thynketh / my lady here hath saide to you trouthe and gyuen yow good counseyl [...]
(M4 Ni Fict Reynard 54)
(13) I se on the firmament, Me thynk, the seven starnes.
(M4 XX Myst Town 25)
子音語尾を伴っている普通の例が (10) と (12),伴っていない例外的なものが (11) と (13) である.(11) では論理上の主語に相当する与格代名詞 me が後置されており,それと語尾の欠如が関係しているかとも疑われたが,(13) では Me が前置されているので,そういうことでもなさそうだ.OED の methinks, v. からも子音語尾を伴わない用例が少なからず確認され,単純なエラーではないらしい.
では語尾欠如にはどのような背景があるのだろうか.1つには,人称構文の I think (当然ながら文法的 -s 語尾などはつかない)との間で混同が起こった可能性がある.もう1つヒントとなるのは,当該の動詞が,この動詞を含む節の外部にある名詞句に一致していると解釈できる例が現われることだ.OED で引用されている次の例文では,methink'st thou art . . . . というきわめて興味深い事例が確認される.
a1616 Meethink'st thou art a generall offence, and euery man shold beate thee. (W. Shakespeare, All's Well that ends Well (1623) ii. iii. 251)
さらに,動詞の過去形は3単「現」語尾をとるはずがないので,この動詞の形態は事実上 methought に限定されそうだが,実際には現在形からの類推 (analogy) に基づく形態とおぼしき methoughts も,OED によるとやはり Shakespeare などに現われている.
どうも methinks は,動詞としてはきわめて周辺的なところに位置づけられる変わり者のようだ.中途半端な語彙化というべきか,むしろ行き過ぎた語彙化というべきか,分類するのも難しい.
・ Wischer, Ilse. "Grammaticalization versus Lexicalization: 'Methinks' there is some confusion." Pathways of Change: Grammaticalization in English. Ed. Olga Fischer, Anette Rosenbach, and Dieter Stein. Amsterdam: John Benjamins, 2000. 355--70.
methinks --- 『スターウォーズ』のファン,とりわけジェダイ・マスターであるヨーダ (Yoda) のファンであれば,嬉しくてたまらない表現だろう.これは,かつての非人称動詞 (impersonal_verb) の生きた化石である.現代では,ジェダイ・マスター以外の口から発せられることはないかといえばそうでもなく BNCweb では,過去形 methought も合わせて,実に72例がヒットした.いくつか挙げてみよう.
・ 'Nay, on the contrary --- it is but the beginning methinks.'
・ 'Heaven alone knows --- but --- the lady doth protest too much, methinks.'
・ Methinks the lady doth protest, as old Bill put it.'
・ 'Methought you knew all about it,' pointed out Joan.
・ I was given the news last midnight and methought I would drown in the sorrow of my tears!'
もっとも,文脈を眺めればいずれも擬古的あるいは戯言的な用法と分かるので,あくまで文体的には有標の表現といってよいだろう.
methinks は,現代の普通の表現でいえば I think (that) や It seems to me (that) に相当する.歴史的には,第1音節の me は1人称単数代名詞の与格であり,thinks は "it seems" を意味する古英語の人称動詞 þynċan にさかのぼる.形態的にも意味的にも現代英語の think (思う,考える)(古英語 þenċan)と酷似しており,古くから深い関係にはあることは間違いないが,OED などの歴史的な辞書では両動詞はたいてい別扱いとなっているので,区別してとらえておくのがよい.
非人称動詞・構文とその歴史については,「#204. 非人称構文」 ([2009-11-17-1]) 辺りの記事を読んでいただきたいが,簡単にいえば主語を要求しない動詞・構文のことである.現代英語では,たとえ形式的であれ,とにかく主語を立てなければ文が成り立たないが,古英語や中英語では,主語を立てる必要のない(というよりも,立てることのない)構文がいくらでも存在した.主語が省略されているのではなく,最初から主語の立つことが前提とされていない構文である.そのような構文では,現代英語であれば主語として立つような参与者が与格で表現される(例えば I ではなく me)のが典型的である.なお,主語がないにもかかわらず,動詞は3人称単数主語に対応した屈折形を取る.
methinks はそのような非人称構文の典型例であり,頻度が高いために,与格 me と動詞 thinks が癒着して methinks と綴られるようになったものである.どこまでいっても論理的主語が現われないので,現代英語の発想から統語分析しようとすると何とも落ち着かないのだが,実際には分析されることもなく,固定したフレーズとして記憶されているにすぎない.
最近,この非人称動詞の歴史について調べる必要が生じ,まずは Helsinki Corpus にて歴史的な例を集めてみることにした.試行錯誤して "\bm[ie]+c? ?(th|@t|@d)([eiy]ng?[ck]+|[ou]+([gh]|@g)*t)" なる正規表現を組み,XML Helsinki Corpus Browser で case-insensitive で検索した.これにより,ひとまず authentic な例が111件(ゴミもあるかもしれないが)を集めることができた.関心のある方は,ぜひお試しを.
現代英語の仮定法では,各時制(現在と過去)内部において直説法にみられるような人称変化がみられません.仮定法現在では人称(および数)にかかわらず動詞は原形そのものですし,仮定法過去でも人称(および数)にかかわらず典型的に -ed で終わる直説法過去と同じ形態が用いられます.
もっとも,考えてみれば直説法ですら3人称単数現在で -(e)s 語尾が現われる程度ですので,現代英語では人称変化は全体的に稀薄といえますが,be 動詞だけは人称変化が複雑です.直説法においては人称(および数)に応じて現在時制では is, am, are が区別され,過去時制では were, were が区別されるからです.一方,仮定法においては現在時制であれば不変の be が用いられ,過去時制となると不変の were が用いられます(口語では仮定法過去で If I were you . . . ならぬ If I was you . . . のような用例も可能ですが,伝統文法では were を用いることになっています).be 動詞をめぐる特殊事情については,「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]),「#2601. なぜ If I WERE a bird なのか?」 ([2016-06-10-1]),「#3284. be 動詞の特殊性」 ([2018-04-24-1]),「#3812. was と were の関係」 ([2019-10-04-1]))を参照ください.
今回,英語史の観点からひもといていきたいのは,なぜ仮定法には上記の通り人称変化が一切みられないのかという疑問です.仮定法は歴史的には接続法 (subjunctive) と呼ばれるので,ここからは後者の用語を使っていきます.現代英語の to love (右表)に連なる古英語の動詞 lufian の人称変化表(左表)を眺めてみましょう.
| 古英語 lufian | 直説法 | 接続法 | → | 現代英語 love | 直説法 | 接続法 | ||||||
| ?????? | 茲???? | ?????? | 茲???? | ?????? | 茲???? | ?????? | 茲???? | |||||
| 現在時制 | 1人称 | lufie | lufiaþ | lufie | lufien | 現在時制 | 1人称 | love | love | love | ||
| 2篋榊О | lufast | 2篋榊О | ||||||||||
| 3篋榊О | lufaþ | 3篋榊О | loves | |||||||||
| 過去時制 | 1人称 | lufode | lufoden | lufode | lufoden | 過去時制 | 1人称 | loved | loved | |||
| 2篋榊О | lufodest | 2篋榊О | ||||||||||
| 3篋榊О | lufode | 3篋榊О | ||||||||||
標題は,英語の歴史形態論においても基本的な考え方である.現代英語で「不規則」と称される形態的な現象の多くは,かつては「規則」の1種だったということである.しばしば逆もまた真なりで,「今日の規則は昨日の不規則」ということも多い.規則 (regular) か不規則 (irregular) かという問題は,共時的には互いの分布により明らかに区別できることが多いので絶対的とはいえるが,歴史的にいえばポジションが入れ替わることも多いという点で相対的な区別である.
この原則を裏から述べているのが,次の Fortson (69--70) の引用である.比較言語学 (comparative_linguistics) の再建 (reconstruction) の手法との関連で,教訓的な謂いとなっている.
A guiding principle in historical morphology is that one should reconstruct morphology based on the irregular and exceptional forms, for these are most likely to be archaic and to preserve older patterns. Regular or predictable forms (like the Eng. 3rd singular present takes or the past tense thawed) are generated using the productive morphological rules of the language, and have no claim to being old; but irregular forms (like Eng. is, sang) must be memorized, generation after generation, and have a much greater chance of harking back to an earlier stage of a language's history. (The forms is and sang, in fact, directly continue forms in PIE itself.
英語において不規則な現象を認識したら「かつてはむしろ規則的だったのかもしれない」と問うてみるとよい.たいてい歴史的にはその通りである.逆に,普段は何の疑問も湧かない規則的な現象に思いを馳せてみてほしい.場合によっては,それはかつての不規則な現象が,どういうわけか歴史の過程で一般化し,広く受け入れられるようになっただけかもしれないと.ここに歴史言語学的発想の極意がある.もちろん,この原則は英語にも,日本語にも,他のどの言語にもよく当てはまる.
「今日の不規則は昨日の規則」の例は,枚挙にいとまがない.上でも触れた例について,英語の歴史から次の話題を参照.
・ 「不規則」な名詞の複数形 (ex. feet, geese, lice, men, mice, teeth, women) (cf. 「#3638.『英語教育』の連載第2回「なぜ不規則な複数形があるのか」」 ([2019-04-13-1]))
・ 「不規則」な動詞の活用 (ex. sing -- sang -- sung) (cf. 「#3670.『英語教育』の連載第3回「なぜ不規則な動詞活用があるのか」」 ([2019-05-15-1]))
・ 3単現の -s (cf. 英語史連載第2回「なぜ3単現に -s を付けるのか?」)
・ Fortson IV, Benjamin W. "An Approach to Semantic Change." Chapter 21 of The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Blackwell, 2003. 648--66.
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