初期近代の西欧では,アカデミーを設立して国語を統制すべきという考え方が広まり,大陸諸国ではいち早くアカデミーが設立された.1582年にイタリアで Accademia della Crusca が設けられ,1612年にはそこで編纂されたイタリア語辞書の出版をみた.フランスでは,1635年に Richelieu により Académie Française が成り,1660年には Grammaire de Port-Royal が,1694年にはフランス語辞書が出版された.ドイツでも17世紀中にアカデミーの趣旨に近いいくつかの言語に関する協会が立ち上がっていた.
一方,イングランドでは,1712年の Jonathan Swift によるアカデミー設立の提案がなされ,それが半ば政治的な理由で成就しなかった経緯について「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) でみた通りだが,大陸に比べて動きが遅かったように思われるかもしれない.しかし,イングランドでも英語を統制するアカデミー設立の発想の萌芽はエリザベス朝の1570年代からみられた.その後,1617年に Edmund Bolton が王立アカデミーの設立を提案し,文学への干渉を図ろうとしていた.この試みも頓挫はしたものの,イングランドでも大陸諸国と同様に16世紀後半以降にアカデミー設立の要望があったことは銘記すべきである.
そして,1660年に王政復古が成ると,その後,本格的な英語改善アカデミーの候補となるべき機関 (The Royal Society of London for Improving Natural Knowledge) が設立された.22名の会員からなり,なかには John Dryden, John Evelyn, Thomas Sprat, Edmund Waller, John Aubrey の名が連なっていた.しかし,ほとんどの会員は英語そのものに直接関心があるというよりは,政治的な立場のために,そして名売りのために,英語問題を,そしてアカデミーを利用しようとしたのである.
とりわけ Dryden は,自らの文豪としての名を高めるべく単音節語使用を非難したり,2重比較級や前置詞懸垂 (preposition_stranding) の構造を断罪したりした (Knowles 113--14) .Knowles (114) は,Dryden の英語語法に関する独断的な見解に対し,皮肉たっぷりに次のような歴史的評価を与えている.
In making these attacks Dryden is possibly the first person to select examples of the language usage of others and arbitrarily assert that they are intrinsically incorrect. To prove his points, Dryden attempted to find observable evidence in his opponents' texts. The problem was that he did not know enough about language to do this properly, and consequently from a linguistic point of view his remarks are ill founded. Nevertheless he did successfully establish the convention whereby people without any special knowledge of language feel entitled to assert that some other people have failed in the acquisition of their mother tongue.
・ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.
規範主義が席巻した18世紀の前半における最も重要な文法家は,オックスフォードの詩学教授およびロンドンの主教も務めた聖職者 Robert Lowth (1710--87) である.1755年に Samuel Johnson が後に規範的とされる辞書を世に出した7年後の1762年に,今度は Lowth が一世を風靡することになる規範英文法書 Short Introduction to English Grammar: with Critical Notes を匿名で上梓した.この本は1800年までに45刷りを経るベストセラーとなり,後にこの記録を塗り替えることになる Lindley Murray の大英文法書 English Grammar (1795) の基礎となった本でもある.Lowth の文法書に現われる規範的な文法項目は,その後も長くイギリスの子供たちに教えられ,その影響は20世紀半ばまで感じられた.まさに規範文法の元祖のような著作である.
Lowth の規範主義的な立場は序文に記されている.Lowth は当時の最も教養ある層の国民ですら文法や語法の誤りを犯しており,それを正すことが自らの使命であると考えていたようだ.例えば,有名な規範文法事項として,前置詞残置 (preposition_stranding) の禁止がある.Lowth 曰く,
The Preposition is often separated from the Relative which it governs, and joined to the Verb at the end of the Sentence, or of some member of it: as, "Horace is an author, whom I am much delighted with." . . . . This is an Idiom which our language is strongly inclined to; it prevails in common conversation, and suits very well with the familiar style in writing; but the placing of the Preposition before the Relative is more graceful, as well as more perspicuous; and agrees much better with the solemn and elevated Style.
おもしろいことに,上の引用では Lowth 自身が "an Idiom which our language is strongly inclined to" と前置詞残置を用いているが,これは不用意というよりは,ある種の冗談かもしれない.いずれにせよ,この文法書ではこのような規範主義的な主張が繰り返し現われるのである.
Lowth がこの文法項目を禁止する口調はそれほど厳しいものではない.しかし,Lowth を下敷きにした後世の文法家はこの禁止を一般規則化して,より強く主張するようになった.いつしか文法家は "Never end a sentence with a preposition." と強い口調で言うようになったのである.
この規則に対しておおいに反感を抱いた有名人に Winston Churchill がいる.Churchill が皮肉交じりに "(this was a regulated English) 'up with which we will not put'" と述べたことは,よく知られている (Crystal 51) .
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
現代英語における whom の衰退については,多くの研究がある.現代英語でもよく知られた言語変化であり,本ブログでも ##622,624,860,301,737 の各記事で触れてきた.かつての卒論学生にもこの話題を扱ったものがある ([2010-12-26-1]) .
最近の研究としては,Iyeiri and Yaguchi がある.これは,Michael Barlow が編纂し,Athelstan より有償で提供されている The Corpus of Spoken Professional American English (CSPAE) に基づいた研究である.CSPAE は,1990年代の専門アメリカ英語の話し言葉コーパスで,(1) White House での記者会見,(2) The University of North Carolina の教授会,(3) 数学テスト委員会の国家会議,(4) 読解テスト委員会の国家会議の,4つの状況が区分されており,全体として200万語から成る.また,CLAWS7 でタグ付けされている.研究の狙いは,whom は形式張った文体,特に書き言葉において使用されるといわれるが,では,形式張った話し言葉という環境でどの程度使われるのだろうかという問いに答えることである.
調査結果に従えば,spoken professional American English においては,whom の衰退は否定できないものの,いまだある程度の頻度では見られる.whom が生起する環境にも明らかな傾向があり,前置詞の直後においては最もよく保たれている(ただし,この環境ですら who の使用例は皆無ではない).一方,前置詞懸垂 (preposition_stranding) にはおいては who が通例である.また,who(m) が前置詞の目的語ではなく動詞の目的語として機能している場合には,より大きな揺れが見られる.
疑問詞としての whom と関係詞としての whom を比べると,前者のほうが衰退が激しい.これを説明するのに,筆者らは Rohdenburg による "Complexity Principle (transparency principle)" を援用している.これは,"[i]n the case of more or less explicit grammatical options the more explicit one(s) will tend to be favored in cognitively more complex environments" (cited in Iyeiri and Yaguchi, p. 185) という原理で,whom の議論に当てはめると,関係詞を含む構文は認知上より複雑であり,より明示的な格標示を要求する,ということになる.
上述のとおり,whom の衰退は現代英語の言語変化として取り上げられることが多い.このような話題について,references に参考資料がまとめられているのはありがたい.また,話し言葉コーパスの使用にも関心がわいた.関連して,The Michigan Corpus of Academic Spoken English というコーパスも参照.
・ Iyeiri, Yoko and Michiko Yaguchi. "Relative and Interrogative Who/Whom in Contemporary Professional American English." Germanic Languages and Linguistic Universals. Ed. John Ole Askedal, Ian Roberts, Tomonori Matsushita, and Hiroshi Hasegawa. Tokyo: Senshu University, 2009. 177--91.
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