01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
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2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
一見すると信じがたいが,1つの語が相反する2つの語義をもつ場合がある.このような語は contronym と呼ばれ,その例は「#566. contronym」 ([2010-11-14-1]) ,「#755. contronym としての literally」 ([2011-05-22-1]) ,「#1308. learn の「教える」の語義」 ([2012-11-25-1]) で挙げた.もう1つの例として,動詞 spare も候補となるかもしれない.先日,英文講読の授業で,次のような文に出くわした.
But she does not spare us the information that it was drafted by a 'Marxist', even though there is nothing Marxist in the reasoning of the letter.
前後の文脈を参照すると「彼女はそれがマルクス主義者によって書かれたという情報を我々に隠さない」と解釈すべきことがわかり,したがってここでの spare は「与えないでおく」の語義だとわかるのだが,ある学生が,辞書によると spare には「与える」の語義もあるからわかりにくいと指摘した.なるほど,動詞 spare を英和辞典で引くと,ある語義に「与える,取っておく,割く」とあったかと思うと,別の語義では「与えないでおく,…をのがれさせる」とある.さらに,両語義ともに今回の例のように SVOO 構文が可能であり,一見したところ統語的に両語義を見分ける手段はない.
このような場合には,日本語で考えずに,英英辞典を利用して英語による語義説明を丹念に読み解くのがよい.例えば OALD8 によると,日本語「与える」に相当するのは以下の語義である.
TIME/MONEY/ROOM/THOUGHT, ETC.
1 to make sth such as time or money available to sb or for sth, especially when it requires an effort for you to do this
. . . .
・ ? sb sth Surely you can spare me a few minutes?
この語義では,直接目的語となる名詞句が意味的に限定されていることに注意したい.時間,お金,スペースなどの資源である.間接目的語で表わされる人物にとって,これを「確保」することがメリットとなる.次に,「与えないでおく」に相当する語義をみよう.
SAVE SB PAIN/TROUBLE
2 to save sb/yourself from having to go through an unpleasant experience
・ ? sb/yourself sth He wanted to spare his mother any anxiety.
・ Please spare me (= do not tell me) the gruesome details.
・ You could have spared yourself an unnecessary trip by phoning in advance.
この語義では,直接目的語となる名詞句は「不快な経験」を表わす何かである.間接目的語で表わされる人物にとって,これを「回避」することがメリットとなる.
2つの語義を考え合わせると,spare の中心的な意味は「(間接目的語で表わされる)人物にとってメリットとなるように,(直接目的語で表される)物事を処理する」ということになる.具体的な処理は,その人物にその物事を「与える」(確保)ということかもしれないし,「与えないでおく」(回避)ということかもしれない.そのいずれかは,直接目的語で表わされる物事の性質次第ということになる.
前置詞を用いた代替構文の例を見てみると,She was spared from the ordeal of appearing in court. などで,from によって「与えないでおく」(回避)の語義が示され,両語義の区別が顕在化している,一方,2重目的語構文ではその区別が統語的に中和されてしまうということだろう.
日本語の訳語を介すると spare が contronym であるかのように見えるが,英語としては一貫した語義が認められるのである.なお,派生形容詞 sparing の「質素な,控えめな」と「寛大な,心の広い」の語義も参照.
英語史における語頭の <h> を巡る問題は,それ自体が歴史をもっている.英語史において語頭の <h> は実際に発音されてきたのか,それとも発音されてこなかったのか.発音されなかったとすると,どの時代に,どの変種で発音されなかったのか.そして,いつどのようにして標準変種では <h> が発音 [h] として「復活」したのか.その音韻論的位置づけはどうなっているのか.フランス借用語などによる影響はあったのか,なかったのか.解決していない問題が山積みである.
語頭の <h> の研究史上,最も古い説は,今では「アングロ・ノルマン写字生の神話」と呼ばれている仮説である(「#1238. アングロ・ノルマン写字生の神話」 ([2012-09-16-1]) を参照).この説によれば,語頭の <h> は常に発音 [h] として実現されてきた.基本的には <h> = [h] の関係は,中英語を含む英語史の全時代にわたって維持されてきた.中英語によく見られる <h> に関する綴字の誤りは,英語を理解しないアングロ・ノルマン写字生により導入されたものにすぎず,英語史において [h] が消失したことを示す証拠とはなりえない,とする.この説に関して,Crisma (Were 51) が明快に要約しているので,引用する.
[T]he traditional view . . . is that [h]- was preserved before vowels throughout ME, though it could be dropped in words bearing weak stress, such as pronouns and forms of auxiliary have. Spelling errors involving <h>- are noted, but they are not considered sufficient evidence for [h]- loss, being dismissed by attributing them to '(Anglo-)Norman' scribes. The general validity of this treatment of errors, however, has been very convincingly questioned by Clark . . ., who labels it as a 'myth'.
現在では「アングロ・ノルマン写字生の神話」説は受け入れられていない.そこで,新しい仮説が現れた.中英語期に語頭の <h> は綴字としては旧来通りに残っていたが,発音としては消失したというものである.語頭の <h> の綴字を巡る誤りが頻繁であること,Pearl-poet などで <h> で始まる語と母音で始まる語が頭韻を踏む例があること,Chaucer などで語末の <e> の脱落に関して,後続する語頭の <h> と母音が同じ振る舞いを示すことなどから,語頭の [h] は発音としては失われていたと解釈すべきだという議論である.現在ではすでに伝統的となっている仮説だが,「#1675. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (2)」 ([2013-11-27-1]) でも問題として取り上げたとおり,もし中英語期での消失を仮定すると,近代英語期でのほぼ完全なる「復活」をどのように説明するかという難問が生じる.Crisma (Were 52) もこの難点を指摘している.
Assuming an early and widespread loss of word-initial [h]- poses the problem of how to account for its eventual restoration. It seems dubious that this might have happened 'mainly via spelling and the influence of the schools' (Lass, 1992: 62), first because [h], if it was really generally lost at some point, was re-established without errors in all native words, which would be a spectacular success indeed.
語頭の [h] は消失したのか,しなかったのか.次いで,この問題を巡って折衷的な仮説が現れた.Milroy, J. ("On the Sociolinguistic History of /h/-Dropping in English." Current Topics in English Historical Linguistics. Ed. M. Devenport, E. Hansen, and H. -F. Nielsen. Odense: Odense UP, 1983. 37--53) は,語頭の [h] が消失した変種と消失しなかった変種があり,両変種が文体的な変異として話者個人のなかに共存していたと考えた.これによれば,近代英語期の語頭の [h] の復活も大きな問題とはならない.
現在,この折衷路線は,異なった形ではあるが,Paola Crisma や Julia Schlüter などの研究者が推進している.
・ Crisma, Paola. "Were They 'Dropping their Aitches'? A Quantitative Study of h-Loss in Middle English." English Language and Linguistics 11 (2007): 51--80.
・ Crisma, Paola. "Word-Initial h- in Middle and Early Modern English." Phonological Weakness in English: From Old to Present-Day English. Ed. Donka Minkova. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. 130--67.
・ Schlüter, Julia. "Consonant or 'Vowel'? A Diachronic Study of Initial <h> from Early Middle English to Nineteenth-Century English." Phonological Weakness in English: From Old to Present-Day English. Ed. Donka Minkova. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. 168--96.
単に the Commonwealth とも.英連邦,イギリス連邦などと訳される.「英国王を結合の象徴としてイギリスと,かつて英帝国に属し,その後独立したカナダ・オーストラリア・ニュージーランド・インド・スリランカなど多数の独立国および属領で構成するゆるい結合体」である.母体は1917年に設立された.
19世紀前半に形成されたイギリス帝国内での本国対植民地という支配・被支配構造は,第1次世界大戦後に,対等な独立国家間の連邦体制に取って代わられた.この頃から,the British Commonwealth of Nations の名が次第に用いられるようになってきた.ただし,当初の加盟国は少数の白人国家にすぎなかったため,帝国的な色彩は残っていた.現在のように多人種共同体となったのは第2次世界大戦後のことであり,1949年の連邦首脳会議において,イギリス王に対する忠誠の義務はなくなり,イギリス中心的な要素も弱まった.そこで,名前も the Commonwealth of Nations と改められた.
The Commonwealth の公式サイトによると,現在の加盟国は53カ国である.加盟国の合計人口は約20億人である.以下に加盟国を地域ごとに一覧しよう.
・ Africa: Botswana, Cameroon, Ghana, Kenya, Lesotho, Malawi, Mauritius, Mozambique, Namibia, Nigeria, Rwanda, Seychelles, Sierra Leone, South Africa, Swaziland, Uganda, United Republic of Tanzania, Zambia
・ Asia: Bangladesh, Brunei Darussalam, India, Malaysia, Maldives, Pakistan, Singapore, Sri Lanka
・ Caribbean and Americas: Antigua and Barbuda, Bahamas, The, Barbados, Belize, Canada, Dominica, Grenada, Guyana, Jamaica, St Kitts and Nevis, St Lucia, St Vincent and The Grenadines, Trinidad and Tobago
・ Europe: Cyprus, Malta, United Kingdom
Pacific: Australia, Fiji, Kiribati, Nauru, New Zealand, Papua New Guinea, Samoa, Solomon Islands, Tonga, Tuvalu, Vanuatu
本部はロンドンにあり,2年ごとにいずれかの加盟国において首脳会議を開くことになっている.首脳はすべて非公式に個人の立場で出席するので,国際政治機関ではなく,緩やかに形成された国際クラブといったところだろう.現在では国際的な発言力はほとんどなくなっている.実際,去る11月15日?17日に,英連邦首脳会議がスリランカのコロンボで開催され,キャメロン英首相はそこで影響力を示そうと,スリランカ内戦時の戦争犯罪疑惑の早期解明を求めたが,スリランカや他国はこれを内政干渉としてと受け止め,拒否した.18日付けの読売新聞記事のタイトルは「英,連邦内の威信低下」だった.出席した国は27カ国にとどまるなど,形骸化が進んでいる.また,加盟国資格の停止を契機に2003年に脱退したジンバブエや,今年10月に「英連邦は新植民地主義だ」として脱退したガンビアの例など,求心力が失われてきている.
英連邦の威信低下の背景には,世界情勢の変化がある.英国は,旧宗主国として旧植民地や旧自治領に経済支援を行うことで威信を保ってきた経緯があるが,インドやマレーシアなど自ら経済成長を遂げて援助を必要としなくなった国も増えてきた.
さて,英連邦を英語という観点からみると何が言えるだろうか.ポルトガル語を公用語とする Mozambique を除けば,すべての加盟国において,実際上,英語が公用語の地位におかれている.この点において,英連邦は,広い意味での「英語国」によって構成される世界最大の連合体であるといえる.もっとも,現在英語は「英語国」の特権的な所有物ではなく,広く世界の lingua_franca として機能していることを考えれば,現在,この世界最大の英語国の連合体が果たしてどれほどの意義をもつのか,疑問を感じざるを得ない.
英語史における /h/ の不安定性について h の各記事で扱ってきたが,今回は語頭の /h/ の歴史について,Crisma の論文を読んでみた.
この問題について従来唱えられてきた説の1つに次のようなものがある.語頭の /h/ は音としては中英語期に完全に消えたが,近代英語期に標準変種で復活を果たしたというものだ.だが,Crisma (136--37) は以下の3点を指摘しつつ,この説を批判している.
(1) この説によると,後の /h/ の復活は綴字発音 (spelling_pronunciation) の原理によるものということになるが,少なくともすべての本来語において復活した事実を考えれば,復活の完璧さと徹底ぶりは信じがたいほどである(「#1292. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ」 ([2012-11-09-1]) を参照).通常,綴字発音はここまで体系的には作用せず,単語ごとに単発で生じることが多い.
(2) 綴字発音の原理の作用と想定されている現象は,フランス借用語においては,効き始める時期が遅かった.なかには効き目が現れずに後の標準変種に残った heir, honest, honour, hour などの語も散見される.完全消失→完全復活という仮説では,フランス借用語と本来語の振る舞いの違いを説明できない.
(3) 近代英語期の /h/ の完全復活は /h/ を保っていた北部方言からの影響であると考える説もあるが,そもそもなぜ北部方言が標準変種に影響を与えうるのかが分からない.
代案として Crisma が唱えているのは,具体的な議論は込み入っているが,一言で次のようにまとめられるだろう.中英語において,語頭の /h/ は消えたわけではなく,基底に確たるものとして存在していた /h/ が,複雑に絡みあう条件のもとで,予期される [h] ではなく [φ] として実現された,ということである.Crisma は,中英語と近代英語のコーパスを駆使して,h で始まる語に先行する不定冠詞 a vs an の分布および所有形容詞 my/thy vs myn(e)/thyn(e) の分布を詳細に調査し,その調査結果を最適性理論 (Optimality Theory) で分析した.最適性理論は,淵源に生成文法の思想があり,深層(入力)と表層(出力)を区別する理論である.単純に /h/ が消失したとみるのではなく,入力には /h/ があったけれども出力としては [φ] となるものがあったと議論するのである.Crisma (158) の結論部を引用して,新説の要約としよう.
To sum up, I propose that the distribution of the different forms of the indefinite article and of the 1st and 2nd person singular possessive pronouns can be captured in its diachronic development in Middle and Early Modern English assuming that the phonetic realization of the phoneme /h/- became at some point `disliked' in the grammar of the language. This dislike results in its inability to surface in a series of contexts, which vary along time because of the slight differences in the interaction with other constraints on the well-formedness of the phonetic output. This proposal is empirically superior to theories failing to distinguish between true /h/-loss and a (sic) the coexistence of a lexical /h/-ful underlying representation with a contextually-bound [h]-less phonetic output, and therefore unable to account for the complex and apparently contradictory evidence.
・ Crisma, Paola. "Word-Initial h- in Middle and Early Modern English." Phonological Weakness in English: From Old to Present-Day English. Ed. Donka Minkova. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. 130--67.
英語史,ゲルマン語史,印欧語史のいずれについても程度の差はあれ言えることだが,音韻変化による屈折語尾の水平化が,屈折体系という形態論の崩壊をもたらし,代わりに分析という統語的機構が発達してきた.音韻変化が形態と統語という文法部門に衝撃を与えた事例だが,この衝撃は直接のものなのか,間接のものなのか.とりわけ弱音節の音韻変化と屈折語尾の水平化の関連,音韻論と形態論の関わりはどのようなものなのか.英語史などでもこの関連性はおよそ自明のこととして受け取られてきたが,理論的に考察される機会,少なくともそれが紹介される機会は少ない.この関連性の問題について,Bradley (16--19) の考察を示そう.
音韻変化が形態変化につながる場合,その音声変化の効果としては3種類が認められる.(1) confluent development, (2) divergent development, (3) dropping of sounds である.(1) は,異なる2つの音が1つに融合することにより,かつての形態的な区別が失われる場合である.古英語で区別されていた ā と o は,ある環境において融合し,現代英語では ō として実現されている (ex. hāl (whole) と fola (foal)) .
(2) は,逆に1つの音が2つに分かれることによって,形態的な区別が新たに生まれる場合である.例えば,古英語の ic lǣde (I lead) と ic lǣdde (I led) の動詞形態に注目すると,語幹音節が開音節か閉音節かという条件によって,後の語幹母音の発展が決まった.同じ ǣ が,環境によって異なる2音へと分岐したのである.
(3) の例としては,古英語において,それ以前に生じたとされる High Vowel Deletion と呼ばれる音韻変化の結果として,重音節に後続する -u 屈折語尾が現れないというものがある.中性強変化名詞では,単数の scip に対して複数は scipu だが,hūs は単複同形である.効果としては (1) と同じであり,もともと区別されていた2つの形態が1つへ融合してしまっている.
3種類の音韻変化の効果をまとめると,(1) と (3) は形態の区別を失わせる方向に,すなわち一見すると単純化の方向に働くのに対し,(2) は形態の区別を生み出す方向,すなわち一見すると複雑化の方向に働く.つまり,音韻変化には相反するかのような効果が同時に働いているということになる.しかし,文法の機能という観点からみると,その効果は一貫して非機能化の方向に働いているともいえるのである.Bradley (18) は,scip と hūs の例を念頭に,以下のように述べている.
In this instance phonetic change produced two different effects: it made two declensions out of one, and it deprived a great many words of a useful inflexional distinction. / We thus see that the direct result of phonetic change on the grammar of a language is chiefly for evil: it makes it more complicated and less lucid.
これは,音韻変化と屈折形態論との関係に関する,鋭い理論的な洞察である.
音韻変化が形態論のエントロピーを増大させることについては,「#838. 言語体系とエントロピー」 ([2011-08-13-1]) を参照.
・ Bradley, Henry. The Making of English. New York: Dover, 2006. New York: Macmillan, 1904.
固有名詞学 (onomastics) は人名や地名の語形・語源などを研究する分野である.とりわけ人名の研究を anthroponomastics,地名の研究を toponomastics (toponymy) として区別する場合もあるが,前者の人名研究は狭義の onomastics として言及されることもある.古今東西の人名の付け方の多様性を垣間見れば,いかにして人名研究がそれだけで1つの独立した分野を構成しうるかがわかる.例えば,Crystal (218--20) によるこの分野への短いイントロを眺めてみよう.
日本や中国を含むアジアで姓と名の区別があるのと同様に,西洋でも last name (surname, family name) と first name (given name, Christian name) の区別がある.ただし,「#590. last name はいつから義務的になったか」 ([2010-12-08-1]) で触れたように,英語社会においても日本においても,この区別が通常となったのは,それほど古い時代ではない.それにしても,英語での last name や firs name などという順序に基づく呼称は誤解を招きやすい.例えば日本,中国,ハンガリーなどでは姓→名という順序が普通であり,西洋式の名→姓が普遍的なわけではないからだ.英語では middle name という第3の名前が付けられることもあり,とりわけアメリカではアルファベット1文字の middle name が広くみられる.middle name はヨーロッパでは比較的少ない.また,3つの名前が付けられている場合に,優先的にどの名前で呼ばれることが多いかは,言語社会によって異なっている.英語の David Michael Smith という人は David で呼ばれることが多いが,ドイツ語の Johann Wolfgang Schmidt という人は Wolfgang で呼ばれることが多い.
通言語的に時折みられる名付けとしてよく知られているものに,父称 (patronymy) がある.これは父の名を取るもので,ロシア語で Ivan の息子が Ivanovich,娘が Ivanovna と名付けられ,名と姓の間に置かれるような場合がそれである.アイスランド語では父称の伝統が色濃く,父称そのまま姓となるので,毎世代,姓が変化することになる.ヨーロッパにおける父称は「?の(息)子」を意味する接辞付加で表わされることが多く,言語ごとに以下のような例がある.
LANGUAGE | AFFIX | EXAMPLES |
---|---|---|
English | -ing | Browning, Denning, Gunning |
Norse, English | -son | Anderson, Jackson, Morrison |
Scots | Mac/Mc- | MacArthur, MacDonald, McMillan |
Irish | O' | O'Brien, O'Connell, O'Connor |
Welsh | Ap | Apjohn, Apreys, Powell (< Ap Howell) |
French | Fitz- | Fitzgerald, Fitz-simmons, Fitzwilliam |
Russian | -ovich | Ivanovich, Shostakovich |
Polish | -ski | Korzybski, Malinowski |
Arabic | Ibn | Ibn Battutah, Ibn Sina |
通常,言語音を発するのには,肺から出される呼気を用いる.原理としては肺へ流れ込む吸気を用いて音を出すこともできるし,肺を使わずに別の音声器官により生み出された気圧差により気流を作り,それを用いて音を出すこともできる.気流機構 (airstream mechanism) ,すなわち気流の作り方と気流の進む方向に着目して言語音を整理すると,以下のような表となる.
言語音ではあっても,何らかの言語において音韻的対立を示さないものについては特に名前がつけられておらず,表中でも多くが空欄となっている.例えば,buccal airstream はドナルドダックのように頬を利用して気流を作る方法だが,これを通常の気流機構として用いることはない.oesophageal は食道からの空気の流れを用いるもので,げっぷのときに確認される気流機構である.通常は用いられないが,手術などで声帯を除去した人が言語音のために用いることがあるため,表中に掲げてある.
velaric airstream は軟口蓋を閉鎖して気圧差を高め,気流を生み出すメカニズムで,click と呼ばれる吸着音(舌打ち音)がよく知られている.原理的には気流を外へ向ける発音も可能だが,内へ向けるのが普通である.南アフリカで話されている Sotho, Zulu, Xhosa などの Bantu 諸語や,Bushman, Khoikhoi などの Khoisan 諸語で各種の吸着音が音韻的対立を示す (「#1314. 言語圏」の記事[2012-12-01-1]を参照).吸着音では,調音点により両唇音,歯音,側音,そり舌音などが区別される.非難やいらだちを表わすのに,英語では tut という間投詞が発せられるが,これは吸着音である.日本語の「チェッ」も吸着音の破擦音である.
glottalic airstream は声門を閉鎖して,それを上下させることによって,気流を生み出すメカニズムである.外向きの気流になれば ejective (放出音)と呼ばれ,英語でもイングランド北部方言などで up, get, pick などの最後の子音の発音として現れることがある.逆に,内向きの気流になれば implosive (内破音)となり,入ってきた気流が声帯を振動させると,有声の内破音となる.内破音は,Ibo などアフリカの言語やアメリカ先住民の言語でよく聞かれる.
肺の吸気は,激しい運動の直後など息が切れているときの発話に見られるが,一般的に用いられることはない.
以上,Crystal (20--23) を参照した.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
互いに通じるが異なる方言を話す者どうしが接触する場合には,しばしば互いに自らの方言の特徴を緩和させ,言語項目を歩み寄らせる accommodation の作用が観察される.しかし,このような交流が個人レベルではなくより大きな集団レベルで生じるようになると,dialect contact (方言接触) と呼ぶべき現象となる.dialect contact は,典型的には,方言境界での交流において,また都市化,植民地化,移民といった過程において生じる.
dialect contact の結果,ある言語項目はこちらの方言から採用し,別の言語項目はあちらの方言から採用するといったランダムに見える過程,すなわち dialect mixture を経て,人々の間に方言の混合体が生まれる.
この方言の混合体から1--2世代を経ると,各言語項目の取り得る変異形が淘汰され,少数の(典型的には1つの)形態へと落ち着く.ヴァリエーションが減少してゆくこの水平化過程は,dialect levelling と呼ばれる.
dialect levelling (および平行して生じることの多い簡略化 (simplification) の過程)を経て,この新たな方言は koiné として発展するかもしれない (koinéization) .さらに,この koiné は,標準語形成の基盤になることもある.
さて,dialect contact から koinéization までの一連の流れを,Trudgill (157) により今一度追ってみよう.
The dialect mixture situation would not have lasted more than a generation or possibly two, and in the end everybody in a given location would have ended up levelling out the original dialect difference brought from across the Atlantic and speaking the same dialect. This new dialect would have been 'mixed' with respect to its origins, but uniform in its current characteristics throughout the community. Where dialect levelling occurs in a colonial situation of this type --- or in the growth of a new town, for instance --- and that leads to the development of a whole new dialect, the process is known as koinéization (from the Ancient Greek word koiné meaning 'general, common').
歴史的に確認される koinéization の例を挙げておこう.用語の起源ともなっているが,古代ギリシア語の Attic 方言は典型的な koiné である.中世ラテン語の俗ラテン語も,koinéization により生じた.また,17世紀前期にイギリスからアメリカへ最初の植民がなされた後,数世代の間に植民地で生じたのも,koinéization である.同じ過程が,様々な英語方言話者によるオーストラリア植民やニュージーランド植民のときにも生じた.さらに,近代の都市化の結果として生じた英米都市方言も,多くが koiné である.
英語史上で dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koinéization の過程が想定されるのは,14世紀後半のロンドン英語においてだろう.様々な方言話者が大都市ロンドンに集まり,dialect mixture と dialect levelling が起こった.この結果として,後に標準語へと発展する変種の原型が成立したのではないか.現代英語で busy, bury, merry の綴字と発音の関係が混乱している背景にも,上記の一連の過程が関与しているのだろう.
busy, bury, merry 等の問題については,「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]),「#563. Chaucer の merry」 ([2010-11-11-1]),「#570. bury の母音の方言分布」 ([2010-11-18-1]),「#1245. 複合的な選択の過程としての書きことば標準英語の発展」 ([2012-09-23-1]),「#1434. left および hemlock は Kentish 方言形か」 ([2013-03-31-1]),「#1561. 14世紀,Norfolk 移民の社会言語学的役割」 ([2013-08-05-1]) を参照.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
can, could, may, might, will, would, shall, should, must のような現代英語の法助動詞は,一般の動詞とは異なった統語・形態的振る舞いを示す.様々な差異があるが,以下にいくつかを示そう.
(1) 完了形をとらない: *He has could understand chapter 4. (cf. He has understood chapter 4.)
(2) 現在分詞形をとらない: *Canning understand chapter 4, . . . . (cf. Understanding chapter 4, . . . .)
(3) 不定詞形をとらない: *He wanted to can understand. (cf. He wanted to understand.)
(4) 別の法助動詞に後続しない: *He will can understand. (cf. He will understand.)
(5) 目的語を直接にはとらない: *He can music. (cf. He understands music.)
しかし,古英語や中英語では,上記の非文に対応する構文はすべて可能だった.つまり,これらの法助動詞は,かつては一般動詞だったのである.英語史の観点から重要なことは,(1)--(5) の法助動詞的な特徴が,個々の(助)動詞によって時間とともに一つひとつ徐々に獲得されたのではなく,どうやらすべての特徴が一気に獲得されたようだということである.つまり,これらの語は,徐々に動詞から法助動詞へと発展していったというよりは,ひとっ飛びに動詞から法助動詞へと切り替わった.より具体的にいえば,16世紀前半に Sir Thomas More (1478--1535) は,(1)--(5) で非文とされる種類の構文をすべて用いていたが,彼の継承者たちは1つも用いなかった (Lightfoot 29) .Lightfoot は,16世紀中に生じたこの飛躍を V-to-I movement の結果であると論じている.
現代英語と中英語の統語構造をそれぞれ木で示そう.
a) 現代英語
b) 中英語
現代英語の構造を仮定すると,I の位置を can が占めていることにより,(1)--(5) の非文がなぜ容認されないのかが理論的に説明される.完了形や進行形は VP 内部で作られるために,その外にある can には関与し得ない.不定詞を標示する to や別の法助動詞は I を占めるため,can とは共存できない.I が直接に目的語を取ることはできない.一方,中英語の構造を仮定すると,下位の統語範疇が I の位置へ移動する余地があるため,(1)--(5) の現代英語における非文は,非文とならない.
この抽象的なレベルでの変化,すなわち文法変化は,個々の(法)助動詞については異なるタイミングで生じたかもしれないが,生じたものについては (1)--(5) の各項目をひとまとめにした形で一気に生じたのではないか.ここで議論しているのは,「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1]) で取り上げた,言語変化の "clusters" と "bumpy" という性質である."clusters" という単位で "bumpy" に生じる変化それ自体が,個々の(法)助動詞によって異なるタイミングで生じることはあり得るし,始まった変化が徐々に言語共同体へ広がってゆくこともあり得る.つまり,この "bumpy" を主張する Lightfoot の言語変化論は,"gradual" を主張する語彙拡散 (lexical_diffusion) と表面的には矛盾するようでありながら,実際には矛盾しないのである.矛盾するようで矛盾しないという解釈について,直接 Lightfoot (30) のことばを引用しよう.
The change in category membership of the English modals explains the catastrophic nature of the change, not in the sense that the change spread through the population rapidly, but that phenomena changed together. The notion of change in grammars is a way of unifying disparate phenomena, taking them to be various surface manifestations of a single change at the abstract level. Tony Kroch and his associates . . . have done interesting statistical work on the spread of such changes through populations of speakers, showing that it is grammars which spread: competing grammars may coexist in individual speakers for periods of time. They have shown that the variation observed represents oscillation between two fixed points, two grammars, and not oscillation in which the phenomena vary independently of each other.
"bumpy but gradual" は,言語変化の時間的な相を論じる上で刺激的な理論である.
なお,Lightfoot と同様の分析を,同じ生成文法の枠組みでも,principles and parameters theory を用いて分析したものに Roberts がある.Roberts (33) によれば,英語の一致 (agreement) の歴史は,形態的なものから統語的なものへのパラメータの切り替えとして解釈できるとし,その時期を16世紀としている.そして,(法)助動詞の V-to-I movement もその大きな切り替えの一環にすぎないという.
[T]he choice of a morphological or a syntactic agreement system is a parameter of UG. Our central proposal in this paper is that English has historically developed from having a morphological agreement system to having a syntactic agreement system: We propose that this parametric change took place during the sixteenth century. The development of a class of modal auxiliaries was part of this change.
・ Lightfoot, David W. "Cuing a New Grammar." Chapter 2 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 24--44.
・ Roberts, I. "Agreement Parameters and the Development of English Modal Auxiliaries." Natural Language and Linguistic Theory 3 (1985): 21--58.
「#1649. longer が leng(er) を置き換えたのはいつか?」 ([2013-11-01-1]) で,歴史的な i-mutation 形の比較級 leng(er) が,いつ類推形 longer に置換されたのかをコーパスによって調査した.今回は,同じ過程を経たと想定される最上級について同様の調査を施した結果を報告する.歴史的な i-mutation 形の最上級 lengest は,英語史のどの段階で類推形 longest に置換されたのだろうか.
Helsinki Corpus で,語幹母音のヴァリエーションを念頭に置きつつ,両形を検索した.結果を通時的に整理すると以下のようになる.
LONGEST | LENGEST | |
---|---|---|
O1 | 0 | 0 |
O2 | 0 | 2 |
O3 | 0 | 13 |
O4 | 0 | 3 |
M1 | 0 | 1 |
M2 | 0 | 0 |
M3 | 0 | 1 |
M4 | 0 | 1 |
E1 | 3 | 0 |
E2 | 4 | 0 |
E3 | 2 | 0 |
昨日の記事「#1667. フランス語の影響による形容詞の後置修飾 (1)」 ([2013-11-19-1]) の続編.英語史において,形容詞の後置修飾は古英語から見られた.後置修飾は中英語では決して稀ではなかったが,初期近代英語期の間に前置修飾が優勢となった (Rissanen 209) .Fischer (214) によると,Lightfoot (205--09) は,この歴史的経緯を踏まえて Greenberg 流の語順類型論に基づく含意尺度 (implicational scale) の観点から,形容詞後置 (Noun-Adjective) の語順の衰退は,SOV (Subject-Object-Verb) の語順の衰退と連動していると論じた.つまり,SVO が定着しつつあった中英語では同時に形容詞後置も発達していたのだというのである.(SVOの語順の発達については,「#132. 古英語から中英語への語順の発達過程」 ([2009-09-06-1]) を参照.)
しかし,中英語の形容詞の語順の記述研究をみる限り,Lightfoot の論を支える事実はない.例えば,Sir Gawain and the Green Knight では,8割が形容詞前置であり,後置を示す残りの2割のうち2/3の例が韻律により説明されるという.また,予想されるとおり,散文より韻文のほうが一般的に多く後置修飾を示す.さらに,後置修飾の形容詞は,フランス語の "learned adjectives" (Fischer 214) であることが多かった (ex. oure othere goodes temporels, the service dyvyne) .つまり,修飾される名詞とあわせて,これらの表現の多くはフランス語風の慣用表現だったと考えるのが妥当のようである.
中英語におけるこの傾向は,初期近代英語にも続く.Rissanen (208) は次のように述べている.
The order of the elements of the noun phrase is freer in the sixteenth century than in late Modern English. The adjective is placed after the nominal head more readily than today . . . . This is probably largely due to French or Latin influence: most noun + adjective combinations contain a borrowed adjective and the whole expression is often a term going back to French or Latin.
この時期からの例としては,a tonge vulgare and barbarous, the next heire male, life eternall などを挙げている.初期近代英語期の間にこの語順が衰退してきたという大きな流れはいくつかの研究 (Rissanen 209 を参照)で指摘されているが,テキストタイプや個々の著者別に詳細に調査してゆく必要があるかもしれない.昨日の記事でも触れたように,フランス語が問題の語順に与えた影響は,限られた範囲においてではあるが,現代英語でも生産的である.形容詞後置の問題は,英語史上,興味深いテーマとなるのではないか.
・ Fischer, Olga. "Syntax." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Cambridge: CUP, 1992. 207--408.
・ Rissanen, Matti. "Syntax." The Cambridge History of the English Language. Vol. 3. Cambridge: CUP, 1999. 187--331.
・ Lightfoot, D. W. Principles of Diachronic Syntax. Cambridge: CUP, 1979.
現代英語では,通常,限定用法の形容詞は名詞の前に置かれるが,名詞の後に置かれる例も意外と多くある.形容詞の後置修飾には以下のような様々な種類が認められる.
(1) 不定代名詞の -thing, -body, -one: ex. something strange, nobody else, everything possible; cf. all things English
(2) all, any, every, 最上級を伴う -able, -ible: ex. every means imaginable, the latest information available
(3) フランス語などの影響を受けた慣用的語法: ex. the sum total, from time immemorial, the devil incarnate, bloody royal
(4) 固有名詞を区別する語法: ex. Elizabeth the Second, Asia Minor, Hotel Majestic
(5) 修飾語を伴って長くなる場合: ex. a friend worthy of confidence, a meal typical of Japan
(6) 叙述用法に近い場合: ex. all the people present, the authorities concerned, the person opposite
(7) 動詞的性質をもつ分詞形容詞: ex. the people arrested, the best car going
(8) 強調・対照・リズムの関係: ex. America, past and present
(9) その他の慣用的語法: ex. on Monday next, for ten years past, me included, Poet Laureate, B flat/sharp/major/minor, Longman Group Limited/Ltd (UK), Hartcourt Brace Jovanovich, Incorporated/Inc (US)
今回注目したいのは (3) のフランス語の影響を受けた慣用的な表現である.Quirk et al. (Section 7.21) によれば,"institutionalized expressions (mostly in official designations)" として次のような例が挙げられている.
・ attorney general
・ body politic
・ court martial
・ from time immemorial
・ heir apparent
・ notary public
・ postmaster general
・ the president elect ['soon to take office']
・ vice-chancellor designate
これらの表現は慣用表現であるから,通常は分析されずに複合語のようにみなされている.とりわけ法律用語については,「#336. Law French」 ([2010-03-29-1]) を参照.
英語史の観点から特に重要なのは,Quirk et al. (Section 7.21) の次の注記である.エリザベス朝で流行した語法とは興味深い指摘だが,確認と調査が必要だろう.
The postpositive adjective, as in the president elect and vice-chancellor designate, reflects a neoclassical style based on Latin participles and much in vogue in Elizabethan times.
フランス語の影響による形容詞後置としてはエリザベス朝よりもずっと新しいものと思われるが,料理の分野に特有の "postposed 'mode' qualifier" と呼ばれる種類もある (Section 17.60) .
Postposed 'mode' qualifier: Lobster Newburg
There is another French model of postposition in English that we may call postposed 'mode' qualifier, as in Lobster Newburg. Though virtually confined to cuisine (rather than mere cooking), it is moderately productive within these limits, perhaps especially in AmE. In BrE one finds veal paprika and many others, but there is some resistance to this type of postposition with other than French lexical items, as in páté maison, sole bonne femme. Nevertheless (perhaps partly because, in examples like the latter, the French and English head nouns are identical), the language has become receptive to hybrids like poached salmon mayonnaise, English scallops provencal.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
言語学の1部門で,意味を扱う分野を semantics (意味論)と呼んでいる.現在ではこの名称が定着しているが,定着するまでには紆余曲折があった.また,定着した後は,形容詞形 semantic とともに意味の拡大,とりわけ意味の一般化を経て,現在に至っている.semantic(s) という語の意味の広がりを通時的に記述した論文を見つけ,読んでみた.
Read によると,英語における semantic の初出は,John Spencer による A Discourse concerning Prodigies の2版 (1665年) においてである.そこでは,"Semantick Philosophy" として言及されており,これは記号から未来を占う種々の予言のことを意味していた.17世紀の使用がほかにないことから判断すると,これは Spencer が古代ギリシア語でアリストテレスなどによって用いられた形容詞 σημαντικóς (significant) (< σημαίνω (to signify)) を単発に借用したものと考えられる(ラテン語でも semanticus が用いられていた).
17世紀に上記の単発の使用例が見られた後は,この語は本格的には19世紀後半まで現れない.この語が活躍し始めるのは,意味論の開祖,フランスの言語学者 Michel Bréal (1832--1915) が1883年に論文で使用してからである.以下は,Bréal による sémantique の定義である.
L'étude où nous invitons le lecteur à nous suivre est d'espèce si nouvelle qu'elle n'a même pas encore reçu de nom. En effet, c'est sur le corps et sur la forme des mots que la plupart des linguistes ont exercé leur sagacité: les lois qui président à la transformation des sens, au choix d'expressions nouvelles, à la naissance et à la mort des locutions, ont été laissées dans l'ombre ou n'ont été indiquées qu'en passant. Comme cette étude, aussi bien que la phonétique et la morphologie, mérite d'avoir son nom, nous l'appellerons la SÉMANTIQUE (du verb σημαίνω), c'est-à-dire la science des significations. (quoted by Read , p. 79)
上の定義でわかるように,sémantique は主として意味の変化の学を指していた.その2年後の1885年にフランスの言語学者 Arsène Darmesteter (1846--88) もその定義を引き継ぎ,世紀末までには英語でも使用が始まった.1897年に Bréal の著書 Essai de Sémantique が出版されると,この名称は広く知れ渡ることとなった.英語においては,1900年の同著の英訳で特別な説明なしに semantics が用いられた.
しかし,意味についての研究を指す名称としては,19世紀から様々な語が使われており,semantics が独占的な地位を得るまでには時間がかかった.例えば,ライバル表現として,semasiology (a1829--), rhematic (1830), sematology (1831--), glossology (a1871--), comparative ideology (1886), sensifics (1896), significs (1896--), rhematology (1896--), semiotic (ca 1897--), semiology (a1913), orthology (1928--), science of idiom (1944) などがあった.それぞれの表現が指示する研究上の範囲は異なっていたものの,この乱立は著しい.いかに1つの分野としてまとまりを欠いていたかがわかる(ただし,現在でも意味論 = semantics にまとまりがあるかどうかは疑わしい).ドイツの学界では19世紀から Semasiologie が好まれていたが,これに影響を受けたアメリカの学界でも20世紀前半ではいまだ semasiology のほうが semantics よりも好まれていたほどである.意味論の名著 Ogden and Richards の The Meaning of Meaning (1923) でも,semantics は使用されていない.学問名としての semantics の定着は,英語においてもそれほど古い話しではないのである.
別の流れとして,semantics は,1930年代にウィーンで起こった論理実証主義 (logical positivism) の学派や Alfred Korzybski (1879--1950) による言語哲学においても頻繁に用いられるようになり,この語の認知度を高めた.認知度が高まるにつれて semantic(s) の語義が一般化し,1940年代以降,日常的な用法が目立つようになった.semantic はしばしば verbal と同義の形容詞であり,意味や言葉を表わすあらゆる文脈で使われるようになっている (ex. He did not want to enter into a semantic debate.) .Read (91) は semantic(s) の意味の一般化を,rhetoric の意味の一般化と比較している.
One is reminded here of the fate that has overtaken the word rhetoric: fallen from its high status in the pattern of the medieval schoolmen, it now usually occurs in the phrase 'mere rhetoric,' with reference to discourse that is insincere, pretentious, or mendacious. In similar popular use, semantics often appears in contexts that tend to bolster word-magic rather than to combat it.
semantic(s) という語は,数世紀の歴史において,それ自身が Bréal の創始した意味の変化の学としての sémantique に素材を提供しているということになる.
・ Read, Allen Walker. "An Account of the Word 'SEMANTICS'." Word 4 (1948): 78--97.
昨日の記事「#1664. CMC (computer-mediated communication)」 ([2013-11-16-1]) で,ヒトの言語の媒体の問題について改めて考える機会をもった.言語の媒体のなかでも,とりわけ話しことば (speech) と書きことば (writing) の比較については,「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1]),「#849. 話し言葉と書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) ,「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1]),「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) などで話題にしてきたが,今回はこの話題についてさらに議論を続けたい.
近代言語学は,文字言語よりも音声言語を優先的な研究対象としてきた.その理由は「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1]) で挙げた通りだが,原則として音声言語は文字言語に時間的に先立つからである.文字言語は音声言語からの派生物であり,2次的な媒体,すなわち従属物であるという立場だ.ここでは,通時的な過程を表わす「派生」と共時的な関係を表わす「従属」とが結びつけられている.
しかし,ソシュール以来現在に至る共時態を重視する言語学において,共時的な「派生」と通時的な「従属」を区別しないというのは驚くべきことではないか.確かに,日常的な感覚としては「派生物=従属物」という同一視が避けがたいことは事実だろうが,今問題にしているのは学術的な言語の通時態と共時態の区別である.通時態と共時態をいったん切り分けて両媒体の特徴を個別に考慮し,本当に書きことばが話しことばに共時的に「従属」しているのかを確かめるのが,共時言語学の役割ではないだろうか.この作業を省略して,「通時的な派生物=共時的な従属物」という等式に飛びつくことはできないのではないか.
書きことばが話しことばに共時的に従属しているらしい証拠は1つある.過去にも現在にも,共時的な断面図をみれば,話しことばをもたない言語社会は皆無だが,書きことばをもたない言語は多く存在するということだ.この共時的な事実は,書きことばの従属性に一定の妥当性を与えるもののように思われる.しかし,話しことばと書きことばを両方もっている言語社会に限っていえば,両者の共時的な関係は支配・従属の関係ではなく,互いに影響を授受する対等な関係だろう.話しことばの優位性を主張する根拠は薄い.
上記の議論をまとめると,(1) 通時的には書きことばは話し言葉から「派生」した,(2) 共時的には,言語社会における両媒体の分布上,書きことばは話しことばに「従属」しているといえる,(3) しかし,同じく共時的な観点ではあるが,両媒体をもつ言語社会に限定すれば,書きことばと話しことばは「対等」である.
近代言語学以前,書きことば偏重の言語観を示した時代があった.近代言語学以後,振り子が逆に振れて,話しことば偏重の言語観が学界を支配している.今,再び振り子を適切に戻してやることが肝心のように思われる.
同趣旨の Crystal (148) の議論に耳を傾けよう.
Many linguists came to think of written language as a tool of secondary importance --- an optional, special skill, used only for sophisticated purposes (as in scientific and literary expression) by a minority of communities. It was needed in order to have access to the early history of language . . ., but this was felt to be a woefully inadequate substitute for the study of the 'real' thing, speech. Writing, seen as a mere 'reflection' of spoken language, thus came to be excluded from the primary subject matter of linguistic science. The pendulum swung to the opposite extreme in the new generation of grammars, many of which presented an account of speech alone.
Writing and speech should never have been allowed to confront each other in this way. There is no sense in the view that one medium of communication is intrinsically 'better' than the other. Whatever their historical relationship, the fact remains that modern society makes available to its members two very different systems of communication, each of which has developed to fulfil a particular set of communicative needs, and now offers capabilities of expression denied to the other. Writing cannot substitute for speech, nor speech for writing, without serious disservice being done to each.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1]) で,ヒトの言語の媒体には4つの形態があると述べた.音声言語 (speech),文字言語 (writing),コンピュータ媒介言語 (CMC = computer-mediated communication),手話 (sign_language) である.speech と writing の共通点と相違点については,これまでも「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1]),「#849. 話し言葉と書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) ,「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1]),「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) ほかの記事で取り上げてきたが,今回は電子媒体を通じての言語使用である CMC について考えてみたい.
電子メール,チャット,ツイッター,SNS (Social Networking Service) ,Web などの電子媒体には,話しことば的な側面と書きことば的な側面が同居しているとしばしば言われる.例えば,電子メールでは,原則として文字を利用しているという点で書きことば的ではあるが,文体・口調はしばしば話しことば的であり,電話に近い用途で用いられることが多い.電子的なグループ討論はさながら書くおしゃべりであるし,本来は話しことばの領域にあった「つぶやき」が,文字に付されて一般に公開されるようにもなっている.
しかし,CMC は話しことばと書きことばの合の子として定義するだけですむものではない.CMC はこれまでの媒体にないいくつかの重要な特徴をもっており,独立した媒体とみなすのが妥当である.Crystal (153--58) は,CMC がいかに話しことばと異なるか,いかに書きことばと異なるかを指摘しながら,その媒体としての自律性を主張している.
[話しことばと異なる点]
(1) 同時性フィードバックがない.コンピュータからメッセージを送る際には,「送信」作業が必要であり,送る方向も一方向である.やりとりは一回一回完了させる必要があり,同時のやりとりは起こらない.(ただし,技術的には,タイプするごとに(つまり確定前に)メッセージが送信されるシステムを築くことは可能であり,将来的に実現されることはあるかもしれない.)
(2) 相手にメッセージがどの程度うまく届くかを測る手段がない.
(3) チャットルームなどで,複数(の系列)の会話を聴くことができ,参加することができる.すべてに関わることもできるし,取捨選択することもできる.
(4) やりとりのリズムが遅いことが多い.返信者の都合やコンピュータの技術的な問題により,メールの返事で数時間から数日間待つことは普通である.
(5) 話ことばにおける会話の順序 (turn) の規範が厳密には守られない.CMC における turn は情報パケットの先着順であり,技術的な問題により,期待される順序と前後する可能性すらある.また,(3) により,複数系列の入り組んだ turn が生じる可能性もある.
(6) 話ことばにおいて超分節音的な要素がもつ機能をうまく再現できない.ただし,代替手段として,句読点や「#808. smileys or emoticons」 ([2011-07-14-1]) の使用がある.
[書きことばと異なる点]
(8) 空間的に縛られていない.例えば,ウェブページではメッセージの内容も形式も動的である.メッセージの発信者も受信者も,当たり前のようにメッセージを変更したり,加えたり,消去したりできる.コピーして加工するなど,元のメッセージを使い回すことも容易にできる.CMC のこの性質は,革命的ともいえるメッセージの "framing" を可能にした.複数人の間でやりとりされたメッセージを加工したり,整序したりすることにより,目的に沿った情報の整理と累積が可能となる.
(9) リンクを張り,ジャンプすることができる.伝統的な書きことばでも脚注や参照の機能は見られるが,その容易さにおいてウェブの hypertext link とは比較にならない.
(10) 注意深く洗練された文章構成がなされない.場合にもよるし,書き手にもよるが,典型的にいって,CMC では書きことばに典型的な,熟考された文章が書かれることは少ない.
(11) 無劣化でコピーできる.書写,印刷,光学的コピーと異なり,電子的に無劣化で再現できる.
CMC は,歴史的にいえば,話しことばと書きことばの両媒体の接触の結果として発生してきたことは確かだろう.しかし,共時的にいえば,CMC は話しことばや書きことばと同列に置かれる自律した媒介とみなしてよい.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
昨日の記事「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1]) に引き続き,Crystal (164--70) を参照しながら,言語としての手話の話題を取り上げる.古今東西,多くの異なる音声言語が存在してきたように,手話言語にも多くの異なる種類が認められる.初期の歴史はほとんど知られていないが,古代ギリシアや古代ローマの文献に手話への言及がある.近代における手話の研究は,1775年にフランスの教育者 Abbé Charles Michel de l'Epée (1712--89) が,パリの聾学校のために手話体系を開発したことに端を発する.彼の手話が何に基づいているのかはよく分かっていないが,世界各地からの教育者が彼の学校でそれを学び,世界に広めることになった.例えば,アメリカの教育者 Thomas Gallaudet (1787--1851) と Laurent Clerc (1785--1869) はその手話をアメリカに導入し,これが後に American Sign Language へと発展する.
しかし,これは手話の発生と発展の1つの特殊な例にすぎない.世界各地では多くの手話が自然発生してきた.手話には音声言語と同様に,共時的な変異もあれば通時的な変化もある.手話共同体ごとに方言が発達するし,世代間の変異も認められる.この点でも,手話言語と音声言語とは異なるところがない.
一方で,手話に特有の発展の仕方があることもまた事実である.音声言語や文字言語からの影響という側面である.手話には,音声言語や文字言語とはほぼ無関係に自然に発生したものも多いが,それらの影響を受けて発展したもの,あるいは意図的に発展させたものも多い.後者では,とりわけ語順における関与が見られる.音声言語・文字言語という異なる媒体から影響を被った手話という意味で,これは手話のピジン語ということができるだろう.
音声言語に近づける形で既存の手話に変更を加えるという試みが教育者によってなされてきたが,とりわけ英語共同体における事例が豊富である.1960年代後半からの数年間で,音声言語としての英語への歩み寄りを示す計画的な (contrived) 手話言語が続々と現れた.Seeing Essential English (1966) (及びそこから派生した Linguistics of Visual English (1971) と Signing Exact English (1972)),Signed English (1969), Manual English (1972) のごとくである.
Paget-Gorman Sign System (PGSS) も広く採用された初期の試みである.これは,1951年に Richard Paget が提案し,Pierre Gorman が発展させたもので,片方の手で意味領域を表わし,別の手で識別詞を表わすことで1つの記号を表現するという体系である.漢字の偏と旁をそれぞれの手に対応させるとでも言えば,比喩的に理解しやすいだろうか.
他の種類の手話としては,北米インディアンの間で共有されてきた Amer-Ind なる比較的簡易な体系がある.また,文字を手話記号に対応させる Finger-spelling という体系は,少なくとも補助的には手話使用者の間で広く採用されている.読唇術・視話法において発音の「読み」を助ける目的での Cued speech という体系も利用されている.
上記のように計画的に音声言語や文字言語に接近させた手話があるのは事実だとしても,手話がそれ自身で独立した言語の媒体であることは明らかだろう.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
読売新聞10月5日の朝刊38面に「「手話は言語」鳥取県で条例化」の記事が掲載された.「手話言語条例」案によると,手話は「独自の言語体系を有する文化的所産」として認められるとともに,公的にその普及努力が求められることになる.日本の自治体としては初の画期的な条例であり,言語としての手話の認知度が上がる重要な契機となるだろう. *
言語学的には,手話は音声や文字を媒介とする言語と同じ緒特徴を共有する記号体系である.言語学の概説書でもそのように話題にされるし,Ethnologue のような言語に関する情報機関でも手話は正式の言語として扱われている.しかし,一般的には,手話は正式な言語というよりは洗練されたジェスチャーであるとか絵画的な表現手段であるなどという認識がいまだ根強く,記号体系としての価値が正当に評価されていないのが事実である.その理由の1つは,手話が典型的に聾者及びその関係者により習得される言語にとどまっており,その他の多くの人々に実態が知られていないためだろう.
しかし,手話はれっきとした言語である.ヒトの言語の媒体としては,4つの形態が認められる.音声言語 (speech),文字言語 (writing),コンピュータ媒介言語 (CMC = computer-mediated communication),そして手話 (sign_language) である.いずれもヒトの言語を特徴づける諸性質が体系的に認められるがゆえに正当に言語と呼ばれるのであり,手話もその1つとして他と同列である.例えば,手話は2重分節性 (double_articulation) を有しているし,構成する記号には恣意性 (arbitrariness) が備わっている.生産性 (reproductivity) もあれば,異空間・異時間伝達性 (displacement) もある.ほかにも,「#1327. ヒトの言語に共通する7つの性質」 ([2012-12-14-1]) や「#1281. 口笛言語」 ([2012-10-29-1]) で取り上げた言語のもつ性質をすべて示す.
手話における記号の恣意性について付け加えておこう.一見すると手話記号は恣意的というよりはイコン的・類像的 (iconic) であるように思われるかもしれない.確かに,指示対象に特徴的な形や動きを示すなど,発生としては iconic とみなすことができる記号も多い.しかし,それは手話という媒体に限ったことではなく,音声言語や文字言語にも程度の差はあれ見られるものである.例えば,「馬」という漢字を知っている者にとっては,それは馬をかたどった象形文字に見えるために iconic と呼べそうに思えるが,知らない者にとっては,かの動物を指す文字だとは思いも寄らないだろう.手話記号も,発生としては iconic なものだったとしても,実際上は意味を推測することのできない恣意的な記号だとみなしてよい.したがって,異なる手話体系では,ある記号表現が異なる記号内容を表わすということは普通である.ASL (American Sign Language) と日本手話 (JSL = Japanese Sign Language) が互いに通じないのはもとより,ASL と BSL (British Sign Language) も互いに通じないということは,一般にはあまり知られていない.
言語としての手話の体系性については,音韻論 (phonology) において弁別的な単位である音素 (phoneme) が設定されるのと同様の関係が認められる.手話において対応する弁別的な単位は chereme と呼ばれ,それを研究する分野は cherology と呼ばれることがある.chereme には location, configuration, action の3レベルが認められ,sign space 上にそれらの可能な組み合わせが実現することによって,記号が表現される.記号の体系性という点で,手話と単なるジェスチャーとは,天と地ほど異なるのである.
以上,Crystal (159--63) を要約する形で執筆した.関連して,「#79. 手話言語学からの inspiration」 ([2009-07-16-1]) を参照されたい.また,「#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2)」 ([2012-03-26-1]) の記事に対してして頂いた本ブログ読者からのコメントも参照されたい(恥ずかしながら,手話に対する私の無知をさらけ出した発言が含まれていました).
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
言語接触に起因する現象はいくつか挙げることができるが,そのなかに借用 (borrowing) や code-switching がある.「#1627. code-switching と code-mixing」 ([2013-10-10-1]) の記事でも示唆したが,論者によってはこの2つの現象は1つの連続体の両極であるとされる.確かに,そう考えられる理由はある.例えば,A言語とB言語の code-switching において,基盤となるA言語の発話のなかにB言語から取られた単語が1つだけ用いられる場合,これを "nonce-borrowing" と呼ぶこともできそうである.そして,このような nonce-borrowing がある程度慣習化したものが "established borrowing" であり,結果として定着した語が借用語 (loanword) であると言えそうだ.このように考えると,借用と code-switching は連続体の両端だという説も説得力がある.接触言語学の第一人者である Einar Haugen も,この趣旨で code-switching を次のように定義している."the alternate use of two languages including everything from the introduction of a single, unassimilated word up to a complete sentence or more into the context of another language" (quoted from Haugen (193: 521) by Myers-Scotton (256)).
だが,その想定された連続体の真ん中辺り,借用と code-switching が互いに乗り入れるとされる付近においては,互いの特徴は自然と溶け合うのだろうか,あるいは連続体とはいえどもある程度の不連続な境界が認められるのだろうか.この問題については議論があるようだが,取っ掛かりとして Myers-Scotton (253--60) に当たってみた.
基盤のA言語にB言語から取られた単語が1つだけ用いられる場合,通常,その語はA言語で置かれるはずの統語的位置に現れるが,形態的にはA言語に特有の屈折などは取らず,裸で用いられる.また,通常その語はB言語での発音として実現される.すなわち,問題の語は基盤言語への同化の度合いが低い分,借用よりも code-switching のほうに近いということになる.一方,スワヒリ語を基盤とする英語の code-switching の実例によると,英単語がスワヒリ語の屈折を示しつつも英語風に実現されるケースがあるというので,判断が難しい.
問題となるのは,借用と code-switching の境界,あるいは同化の程度を決めるのに,音韻,形態,統語の基準のそれぞれにどの程度の重みづけを付与するのかである.Myers-Scotton (260) は必ずしも歯切れはよくないが,単体で差し挟まれる語は,どちらかというと借用よりは code-switching に近いとして,両者の区別あるいは不連続性を一応は認めている.
Let's be clear: we aren't arguing that all Embedded language single words in codeswitching data sets are bona fide instances of codeswtiching. Some singly occurring Embedded Language words could have become established borrowings. But, as we've shown above, there is good reason to treat most of these singly occurring words as codeswitched forms.
この問題と関与しそうなのが,借用元言語の形態論を反映した借用である.元言語の形態論を反映しているという意味で code-switching 的だが,音韻的,統語的には慣習化されており,借用語的であるという例だ.何を指すかは具体例を挙げれば一目瞭然だろう.現代英語における alumnus -- alumni, alga -- algae, phenomenon -- phenomena のような外来語の単複数形などである.これらは一般に借用語とみなされているが,上の議論を踏まえると,code-switching 的な特徴を部分的に残した借用語とみなしたくなる.借用と code-switching の境目はグレーではあるが,グレーであるがゆえに,外来語複数の問題に新たな洞察を与えてくれるようにも思える.
・ Myers-Scotton, Carol. Multiple Voices: An Introduction to Bilingualism. Malden, MA: Blackwell, 2006.
Catalan (カタロニア語)は,主としてスペイン東部・北東部の Catalonia と Valencia で話され,the Balearic Islands およびフランスの Roussillon および Andorra でも話されているロマンス系言語である.話者人口は約700万人.言語的には Spanish にも Occitan (or Languedoc or Provençal) にも近いが,両者から区別される特徴はある.12世紀のアラゴン王国の公用語で同時期からの文学伝統をもつが,フランコ政権において標準スペイン語 (=Castilian) の専制的な圧力のもとでその autonomy が危ぶまれた.しかし,20世紀後半には言語的独立を順調に回復し,現在は上記の地方において政治,教育,公共の主たる言語として繁栄している.
カタロニア語についての情報は,Ethnologue より Catalan を参照されたい.以下は,こちらより持ってきたスペインとポルトガルの言語地図である.カタロニア語は,主として地中海を東に臨む海岸線沿いに分布している.
カタロニア語の抑圧の歴史を,Trudgill (129--31) に従って概観しよう.それは,18世紀始めのカスティリア (Castile) による併合に端を発した.18世紀半ばには,カタロニアの学校にスペイン語による教育が導入され,19世紀半ばにはすべての政治文書や適法契約がスペイン語で書かれるよう義務づけられた.スペイン内戦以前の1931--39年の自由主義の時代にはカタロニア語が復権したが,続く Franco 独裁政権下 (1939--75) では再び抑圧が始まり,学校でのカタロニア語使用は完全に禁止された.政権後期には,規制は少し緩和し,カタロニア語の本や雑誌も出版されるようになったが,いまだ新聞はなかったし教育でも禁止されたままだった.しかし,1970年代の民主化以降,カタロニア語を巡る状況は著しく好転し,autonomy が確立されつつある.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
バルカン諸国 (the Balkans) における民族・宗教・言語の分布が複雑なことはよく知られている.バルカン半島は,「#1314. 言語圏」 ([2012-12-01-1]) を形成しており,「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) の好例となっており,「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]) という社会言語学的な問題を提供しているなどの事情により,社会言語学上,有名にして重要な地域となっている.以下,Encylopædia Britannica 1997 より同地域の民族分布図を以下に掲載する.言語分布図については,今回の話題に関するところとして Ethnologue より Greece and The Former Yugoslav Republic of Macedonia と,「#1469. バルト=スラブ語派(印欧語族)」 ([2013-05-05-1]) で言及した Distribution of the Slavic languages in Europe を挙げておこう.
マケドニア共和国 (The Former Yugoslav Republic of Macedonia) は,人口約200万を擁するバルカン半島中南部の内陸国である.国民の2/3以上がマケドニア語 (Macedonian) を用いており,公用語となっているが,国内で最大の少数民族であるアルバニア人によりアルバニア語 (Albanian) も話されている(人口統計等は Ethnologue より Macedonia を参照されたい).マケドニア語は South Slavic 語群の言語で,Serbian や Bulgarian と方言連続体を形成している.後述するように,マケドニア語は,この南スラヴの方言連続体と,従属の歴史ゆえに,現在に至るまで言語の autonomy の問題に苦しめられている.
マケドニア人とこの土地の歴史は古い.Alexander the Great (356--23 BC) を輩出した古代マケドニア王国は西は Gibraltar から東は Punjab までの広大な帝国を支配した.古代マケドニア語 (Ancient Macedonian) は南スラヴ系の現代マケドニア語 (Macedonian) とはまったく系統が異なり,またギリシア語とも区別されると言われるが,ギリシア人は古代マケドニア語をギリシア語の1方言とみなしてきた経緯がある.ギリシアはギリシア語の autonomy に対する古代マケドニア語の heteronomy という主従関係を政治的に利用して,マケドニアを自らに従属するものとみなしてきたのである.ギリシア北部には歴史的に Makedhonia を名乗る州もあり,マケドニアにとっては南に隣接するギリシアから大きな政治的圧力を感じながら,国を運営していることになる.実際,ギリシアはマケドニア共和国の独立を,主権侵害とみなしている.
さて,紀元後の話しに移る.マケドニアは6世紀にビザンティン帝国の一部であったが,550--630年の間に,この地にカルパチア山脈の北からスラヴ民族が侵入した.以来,マケドニアの支配的な言語はギリシア語とスラヴ語の間で交替したが,15世紀末にはオスマン帝国の一部に組み込まれた.1912--13年のバルカン戦争ではセルビア人の支配下に入り,1944年にはユーゴスラヴィア共和国へ統合された.この従属の歴史の過程で,マケドニアで話されていた南スラヴ語は,セルビア人にとってはセルビア語の1方言とみなされ,ブルガリア人にとってはブルガリア語の1方言とみなされ,自らの言語的な autonomy を獲得する機会をもつことができなかった.現在でも,セルビア人やブルガリア人はマケドニア語の自立性を,すなわちその存在を認めていない.マケドニアにおいては,政治的従属の歴史は言語的従属の歴史だったといってよい.
このように複雑な歴史をたどってきたにもかかわらず,マケドニアという呼称が土地名,国名,民族名,言語名に共通に用いられていることが問題を見えにくくしている.古代マケドニア語(民族)と現代マケドニア語(民族)は指示対象が異なるというのもややこしい.周辺の3国は,この混乱を利用してマケドニアへの政治的圧力をかけてきたのであり,マケドニア語は,その後ろ盾となるはずの独立国家が成立した後となっても,いまだ不安定な立場に立たされている.autonomy 獲得に向けての道のりは険しい.
以上,Romain (15--17) を参照して執筆した.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
Luxembourg は,「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) の例にもれず多言語使用国である.しかし,同国の言語状況は他の多くの国よりも複雑である.Luxemburgish, German, French の3言語による,diglossia ならぬ triglossia 社会として言及できるだろう.
Luxembourg は人口50万人ほどの国で,国民の大多数が同国のアイデンティティを担うルクセンブルク語を母語として話す.この言語は言語的にはドイツ語の1変種ということも可能なほどの距離だが,話者たちは独立した1言語であると主張する.また,政府もそのような公式見解を示している(1984年以来,3言語を公用語としている).裏を返せば,標準ドイツ語などの権威ある言語変種に隣接した類似言語 (Ausbau language) は,常に独立性を脅かされるため,それを維持し主張するためには国家の後ろ盾が必要だということだろう(関連して「#1522. autonomy と heteronomy ([2013-06-27-1]) および「#1523. Abstand language と Ausbau language」 ([2013-06-28-1]) の記事を参照).
このようにルクセンブルク語はルクセンブルクの主要な母語として機能しているが,あくまで下位言語として機能しているという点に注意したい,対する上位言語は標準ドイツ語である.児童向け図書,方言文学,新聞記事を除けばルクセンブルク語が書かれることはなく,厳密な正書法の統一もない.一般的に読み書きされるのは標準ドイツ語であり,そのために子供たちは標準ドイツ語を学校で習得する必要がある.学校では,標準ドイツ語は教育の媒介言語としても導入されるが,高等教育に進むと今度はフランス語が媒介言語となる.この国ではフランス語は最上位の言語として機能しており,高等教育のほか,議会や多くの公共案内標識でもフランス語が用いられる.つまり,典型的なルクセンブルク人は,日常会話にはルクセンブルク語を,通常の読み書きには標準ドイツ語を,高等教育や議会ではフランス語を使用する(少なくとも)3言語使用者であるということになる (Trudgill 100--01) .Wardhaugh (90) が引用している2002年以前の数値によれば,国内にルクセンブルク語話者は80%,ドイツ語話者は81%,フランス語話者は96%いるという.
上記のように,ルクセンブルク語はルクセンブルクにおいて主要な母語かつ下位言語として機能しているわけだが,同言語のもつもう1つの重要な社会言語学的機能である "solidarity marker" の機能も忘れてはならないだろう.
ルクセンブルクの言語については,Ethnologue の Luxembourg を参照.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
アメリカにもイギリスにも法律で定めた公用語というものはない.英語が事実上の公用語であることは明らかだが,まさに事実上そうであるという理由で,特に法律で明記する必要がないのである.いや,正確には,これまでは必要がなかったと言うべきだろう.1980年代以降,アメリカでは英語公用語化運動が繰り広げられてきた.
背景には,英語を話さないアメリカ人の増加という事情がある.U.S. Census Bureau の統計によると,5歳以上のアメリカ人で,英語がまったく話せない,あるいはうまく話せない人の数が,1980年では全人口の2%だったが,1990年では2.9%と増加し,最新の2011年のデータ (PDF)では4.65%に達している.ある試算によると2050年には6%に達するのではないかとも言われる.(Language Use - U.S. Census Bureau の各種統計を参照.)
アメリカでは1968年の2言語教育法の制定により,非英語話者が教育上不利にならないような配慮がなされてきた.非英語話者の子供には英語を学ぶ機会が必ず与えられるし,政府刊行物,公共の案内,運転免許の筆記試験などで英語以外の言語を選ぶこともできる.しかし,この言語政策には莫大な予算がかかる.さらに,国家統合の問題にもかかわる.増加する国民の英語離れは,アメリカが国家としての重要な求心力を失い始めている徴候ではないかと考える人々がいてもおかしくない.こうして,英語公用語論争が始まった.
連邦政府レベルで英語公用語運動が始まったのは,1981年である.カナダ生まれの日系人で言語学者であり連邦上院議員の S. I. Hayakawa が,英語を公用語とする修正条項を憲法に付加することを提案した.この提案は退けられたが,州レベルでは運動は続けられることになった.Nebraska, Illinois, Virginia, Indiana, Kentucky, Tennessee の6州で英語を公用語とする法律が成立したのに続き,1986年に California で英語公用語化法案 Proposition 63 が住民投票の結果,通された.メディアなどの前評判を覆して,賛成票73%での法案成立だった.それまでの他州での法案が実質的というよりは象徴的な意味合いをもつにすぎなかったのに対して,California Proposition 63 (or the English Is the Official Language of California Amendment) はより踏み込んだ法案となっていた.以下,抜粋しよう.
English is the common language of the people of the United States of America and of the State of California. . . . The legislature and officials of the State of California shall take all steps necessary to insure that the role of English as the common language of the State of California is preserved and enhanced. . . . Any person who is a resident of, or does business in the State of California shall have standing to sue the State of California to enforce this section . . .
この法案は,州政府に英語公用語化に向けてあらゆる措置を取らせる権限を与え,州民に英語公用語化に抵触する事態に面したときに起訴権を与えるというものである.さらにこの法案に特異なのは,US English という団体を中心とした一般州民の要望による住民投票で可決したという点である.
その後も,Arizona, Colorado, Florida などでも運動は成功したが,特に Arizona Proposition 106 はさらに突っ込んだ内容となっている."As the official language of this State, the English language is the language of the ballot, the public schools and all government functions and actions."
US English のような団体に反対する団体も現れている.English Plus Information Clearinghouse (EPIC) では,English Only ではなく English Plus の思想を打ち出し,言語権の擁護を訴えている.
以上,東 (197--205) を参照して執筆した.関連して,「#256. 米国の Hispanification」 ([2010-01-08-1]) を参照.
・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.
聴覚知覚 (auditory perception) の1分野である言語の音声知覚 (speech perception) では,人が言語音をどのようにして認識し理解するかが研究されている.聴者は音声知覚にあたって,能動的な解読に関わっているのか,あるいは受動的に音声メッセージを受けているだけなのか.昨日の「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]) と関係が類似している理論的な問題として,口で知覚するのか耳で知覚するのかという議論を,Crystal (48--50) に拠りながら紹介する.
まず,聴者が音声メッセージを知覚するときには,自らがそれを発する際にどのように発音するかという知識を参照しながら解読作業を行っている,とする説がある.例えば,1960年代に提起された motor theory (運動説)によれば,聴者は話者の調音の動きを内的に参照しているとされる.聴者は自らも音声器官を動かしているかのようにして聴きとっているという説だ.
同様に聴者に能動的な役割を認める説に analysis by synthesis (合成による分析)がある.これによれば,聴者は入ってくる音響信号を抽象的な特徴群へと分析する心的規則をもっているとされる.同じ心的規則は発話の際にも用いられ,そこでは特徴群を合成して音響信号を作り出すのに寄与する.同じ心的規則が,知覚と産出とで逆方向ではあるが,使い回されるという説である.この立場では,知覚(耳)と産出(口)は不可分ということになる.
一方,聴者は音声知覚にあたってそれほど能動的な役割を果たしていないとする立場もある.聴者は単に音声メッセージを受け,波形の規則的な弁別特徴を認識し,解読するという知覚過程を受動的に経験するにすぎないと考える.例えば,template matching (テンプレート照合)という仮説によれば,入ってくる聴覚パターンを抽象的な発話パターン(例えば母音や音節などの単位)へ照合させる機構が脳内に格納されているという.別の feature detector theory (特徴検出器説)では,ある種のフォルマントなど,音声刺激の特定の特徴に反応する神経感覚器官 (feature detectors) が存在し,それを利用して音声知覚しているのだという.
上記の諸説にはそれぞれ一長一短ある.「口で知覚する」説は,聴者がどのように話者の訛り,声質,話す速度などの違いに柔軟に対応できるのかを説明するのに都合がよい.シャドーイングにおいて聴者が話者よりも先を越して発音してしまう例は,耳と口を連動させて能動的に聴いている証拠となり得る.「耳で知覚する」説は,病理的な理由で発話はできないが音声知覚はできるという失語症患者の存在によって支持される.また,聴者が,吃音症の話者,第2言語学習者,幼児などの調音をまねることが難しい話者からの音声メッセージでも十分に解読できるという事実も,「耳で知覚する」説に有利である.今回も,両方の説の組み合わせが,音声知覚の現実を最もよく説明するのではないか.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
人が書き言葉を読んで理解するとき,そこでは何が起こっているのか.1つの説として,発音を再現する過程を経て,音韻を仲立ち (phonic mediation) として読んでいるとする「耳で読む」説 (reading by ear; bottom-up theory; Phoenician theory) がある.一方,音韻の仲立ちはなく,文字が直接に意味に連結しているとする「目で読む」説 (reading by eye; top-down theory, Chinese theory) がある.後者によると,読者は言語の知識と経験を頼りに,言語内外に関する情報を補いながら文字列を読み解くのだという.数々の実験がなされているが,どちらの説がより有効かを決定づける結果は出ていない.各説にとって有利な結果も不利な結果もあり,決め手がないようである.Crystal (124--26) を参照しつつ,以下にそれぞれの論拠をまとめよう.
[ reading by ear を支持する論拠 ]
(1) 読者は1分間に約250語を,10--20ミリ秒で1文字を認識する.この速度は自然な発話とおよそ合致し,音韻の仲立ちを示唆する.
(2) 書き言葉には,読者にとって未知の,非常に低頻度の語が現れやすく,読者はそれらの語の各々について音韻的な解読を強いられることになる.長く難しい単語を音節に区切って発音してみる経験は,誰しも持っているだろう.
(3) 難しい文章を読むとき,読者はしばしば唇を動かす.たとえ発音に至らないとしても,これは音韻の関与があることを示唆するのではないか.
(4) 手書きや活字の字体や書体には相当な変異があるが,読者はそれに対応することができる.これを説明するのに,目ですべての変異を識別していると想定するのは難がある.むしろ,読者は文字の変異を音韻レベルで統一させることによってこの問題に対応しているのではないか.
(5) 「目で読む」説では,各語がその正書法的表現と結びつけられた状態で脳に格納されていると考えなければならないが,それは脳にとって相当な負担となるのではないか.
[ reading by eye を支持する論拠 ]
(5) 読者は two と too のような同音異綴語に惑わされないし,tear /tɪə/ と tear /tɛə/ のような同綴異音語にも惑わされない.音韻を介する説では,このことは説明しえない.
(6) 音韻的失語症患者のなかには,文字を音韻へは変換できないが,語を読んで理解できる者がいる.これは,目から意味へ直接につながる経路が存在していることを意味する.
(7) 上記 (1) に反して,1分間に500語以上を読む速読家がいる.「目で読む」説では,目で500語以上をとらえていると解釈すれば事足りる.
(8) 読者は文字単位ではなく語単位でのほうが速く認識でき,実際にそのように読んでいる.これは,the word superiority effect と呼ばれている.
(9) 綴字と発音の乖離,すなわち正書法と音韻論が関連していない例が多数ある.認識においても,両者は関係していないのではないか.
(10) でっちあげた無意味語よりも実際に存在する語のほうが認識が容易であることから示唆されるように,音韻過程より高次元の過程があると考えられる.
両説の組み合わせに真実がありそうである.読者は,書き言葉を解読する際に,耳も使っているし,目も使っている.その割合は,読解作業の種類によっても,読者の読む能力によっても異なるだろう.しかし,何よりも文字体系の種類によって大きく異なるのではないか.上記の論拠は,主としてアルファベットで書かれた文章を読むことに関する論拠だが,漢字などの非表音文字の場合には状況はかなり異なるだろう.
表語文字 (logographic) である漢字を日常的に読む日本語の読み手としては,音読できないが意味は分かる漢熟語に遭遇することは日常茶飯事だし,「日本」が /にほん/ か /にっぽん/ か,「明日」が /あした/ か /あす/ かなど,発音はどうであれ読み飛ばすことはしばしばである.直感的にっても,このような場合には音韻を介しているとは思えない.鈴木 (195) が,書き言葉の観点から世界の多くの言語が「ラジオ型」言語であるのに対して日本語は「テレビ型」言語であると述べたが,書き言葉の「型」によって,読者の耳と目の戦略的バランスは相当に変わるのではないだろうか.
関連して「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) を参照.英語史的には,「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]) も関わってくるだろう.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
・ 鈴木 孝夫 『日本語と外国語』 岩波書店,1990年.
「#1518. 言語政策」 ([2013-06-23-1]) や language_planning の各記事で,応用社会言語学とも呼ばれる言語政策の話題を取り上げてきた.そもそも言語政策とは何か.カルヴェを参照しつつ,3対の概念を用いてこの分野への導入を図りたい.
(1) 言語政策 (language policy) と言語計画 (language planning)
(諸)言語と社会生活とのさまざまな関係に関する意識的な選択のまとまりを言語政策と呼び,言語政策の具体的実践の開始,あるいは何らかの行動への移行を,言語計画と呼ぶことにする.いかなる集団といえども,言語政策を練ることができる.たとえば,「家族の言語政策」について語れるし,離散する人びと(耳の不自由な人びと,ロマ人,イディッシュ語の話し手)が会議に結集して言語政策を決定するということも想像できるのである.しかし,言語と社会生活の様々な関係という重要な領域においては,〔言語政策を〕言語計画の段階へ移行させ,みずからの政治的選択を実践に移す権限と手段を唯一有するのが,国家である.(『社会言語学』, pp. 158--59)
(2) 多言語状況の管理に関するインヴィヴォ (in vivo) な方法とインヴィトロ (in vitro) な方法
多言語状況を管理する1つの方法は,社会的実践から生じる方法,すなわち多言語状況におけるコミュニケーションの様々な問題に日々直面している人々が生活の中で解決してゆく方法である.インヴィヴォな管理と呼ばれるこの管理方法は,ピジン語などの媒介言語が自然発生する場合,時間をかけてカタカナ語の取捨選択がおこなわれる場合などに相当する.
もう1つの方法は,権力側からの,インヴィトロ(試験管内)でのアプローチである.典型的には,言語学者が研究室のなかで多言語状況の分析をおこない,将来についての仮説を立てた上で,問題解決のための提案を出し,政策決定者にゆだねるという段階を経る.l'Academie française の各種の言語に関する法案,「#1545. "lexical cleansing"」 ([2013-07-20-1]) で紹介したトルコの政府主導の語彙統制などが,インヴィトロな管理方法の例となる.インヴィヴォとインヴィトロは反対向きの方法であり,必ずしも相容れないというわけではないが,衝突しがちであることは確かである(『社会言語学』, pp. 159--61).
(3) コーパス計画 (corpus planning) とステータス計画 (status planning)
問題への介入が,表記法の創設,新語の導入,語彙や文法の標準化など,各種の言語項目にかかわる場合,これをコーパス計画と呼ぶ.一方,ある言語の地位を公用語へと昇格させたり,学校教育に導入するなど,言語の社会的ステータスを修正しようとする場合,これをステータス計画と呼ぶ.Haugen は,このコーパスとステータスという対立に,形態と機能という対立を掛け合わせて,言語計画の類型を図式化した(以下,『言語政策とは何か』, p. 25 の図より).
コーパス計画とステータス計画は互いに乗り入れるので厳密には不可分だろうが,概念的には対立項としてとらえておくと便利である.
・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),萩尾 生(訳) 『社会言語学』 白水社,2002年.
・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.
現代英語で「be + 動詞の過去分詞」は典型的に受動態を作る構造だが,一部の変移動詞 (mutative verb) では完了を表わす.
・ The cookies are all gone.
・ All my lectures are finished.
・ The sun is set.
・ How he is grown up!
・ Babylon is fallen.
・ Everything is changed.
共時的にはこれらの例文の gone や finished などは形容詞と考えられており,完了を表わす統語構造の一部とはとらえられていない.be の代わりに have を用いることができることからもわかるとおり,be 完了は絶滅したとはいわずとも,相当に周辺的な構造といわざるを得ない.だが,be と have が対立する場合には,be 完了は状態を表わし,have 完了は行為を表わすといわれる.be 完了はこのように瀕死の状態ではあるが,「#752. 他動詞と自動詞の特殊な過去分詞形容詞」 ([2011-05-19-1]),「#1347. a lawyer turned teacher」 ([2013-01-03-1]) で見たように,過去分詞形容詞の用法のなかにも一定の命脈を保っている.以下,be 完了の歴史を,『英語史IIIA』 (432--33) に拠って概説しよう.
英語における be 完了の例は古英語期から広く見られる.古英語では,自動詞,とりわけ変移動詞について wē sindon ȝecumene のような構造は一般的だった.後期古英語になると,よくいわれるように「have + 目的語 + 過去分詞」→「have + 過去分詞 + 目的語」の語順変化を経て have 完了が文法化 (grammaticalisation) し,他動詞一般に広がった.すでに早いこの時期に have 完了はまれに自動詞にも拡張していたので,be 完了が圧迫されてゆく歴史はすでに始まっていたともいえる.しかし,変移動詞の be 完了は,その後も18世紀後半に至るまで優勢を保っていた.18世紀末になってようやく,be は have に優位を明け渡すこととなった.現代における be 完了が状態を表わしているように,歴史的にも状態を表わす用法が主だったが,一方で行為を表わす用法も少なくなかった.現代的な状態の用法は,初期近代英語にかけて確立したものである.
中英語から近代英語にかけての時期のスナップショットを見てみよう.以下は,Fridén による,Spenser の全作品,Marlowe の5作品,Shakespeare の全戯曲を対象にし,7個の主要自動詞 (come, go, arrive, fall, flee; become, grow) について,be 完了と have 完了の分布を調査したものである.なお,表下段の 's は,has あるいは is のいずれかの操作詞の前接形 (enclitic) を指す.(表は,G. Fridén. Studies on the tenses of the English Verb from Chaucer to Shakespeare: With Special Reference to the Late Sixteenth Century. Uppsala: Almqvist & Wiksells Boktryckeri Ab., 1948. Rpr. Nendeln/Liechtenstein: Kraus, 1973. に基づいた『英語史IIIA』,p. 432 より.)
動詞 | come | go | arrive | fall | flee | become | grow | ||||||||||||||
作家 | Sp | Mar | Shak | Sp | Mar | Shak | Sp | Mar | Shak | Sp | Mar | Shak | Sp | Mar | Shak | Sp | Mar | Shak | Sp | Mar | Shak |
be | 92 | 88 | 78 | 91 | 95 | 79 | 92 | 89 | 83 | 67 | 67 | 65 | 65 | 67 | 82 | 86 | 50 | 90 | 100 | 89 | 90 |
have | 8 | 6 | 13 | 9 | 0 | 9 | 8 | 11 | 11 | 33 | 33 | 27 | 35 | 0 | 7 | 7 | 0 | 3 | 0 | 11 | 3 |
's | 0 | 6 | 9 | 0 | 5 | 12 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 0 | 33 | 11 | 7 | 50 | 7 | 0 | 0 | 7 |
「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]) の記事で,communicative competence を linguistic competence と対比させたが,広い意味での communicative competence は,linguistic competence をはじめ,言語活動に必要な諸能力を含む.実際に第2言語習得 (Second Language Acquisition) の分野では,第2言語について習得すべき能力は,理想的には "communicative competence" を頂点とする以下のすべての能力とされている(下図は O'Grady et al., p 395 の "A model of communicative competence" を参考にして作成した).
改めて考えてみると,言語学の諸分野はこれらの諸能力に対応する言語の諸体系を解明するために存在しているといえる.しかし,ここでは生きている話者の共時的なコミュニケーション能力を問題にしているのであり,通時的な次元の能力 (?) は当然ながら話題にされていない.したがって,歴史言語学や言語史のような分野は,この図に入り込む余地はない.しかし,だからといって言語学の枠から外されるべきだということにはならないだろう.言語学は言語に関するあらゆる側面を話題にするものであり,通時態も共時態と同じ資格で研究されるべき対象である.共時的な能力を示す上の図と並列的に,隠れた通時的な営みの図を想定したい.
この図に関してもう1つ付け加えたいことは,「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]),「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]), 「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1]) で取り上げてきた,狭い意味での "communicative competence" はこの図のなかではどこに位置づけられるのだろうか,という疑問である."Sociolinguistic competence" の "Cultural references" に含まれるように思われるが,そうだとすれば,話すタイミング,沈黙すべきタイミング,挨拶の仕方,直接的に言ってよいかどうか,会話に割って入る際の規範等々が,枝葉としてその下へ追加されることになるのだろう.
・ O'Grady, William, John Archibald, Mark Aronoff, Janie Rees-Miller. Contemporary Linguistics: An Introduction. 6th ed. Boston: Bedford/St. Martin's, 2010. (Companion Site based on the 5th edition available here.)
昨日の記事「#1650. 文字素としての j の独立」 ([2013-11-02-1]) のために <j> の歴史を調べていたときに,Scragg (66--67fn) に記されていた <j> と <g> の相補的関係についての洞察に目がとまった.
In Old French orthography, the sound /dʒ/ (Mod. Fr. /ʒ/) was represented <i> (<j>) before <a o u> and <g> before <e i>. The convention was carried into Middle English in French loanwords, and survives, for example, in jacket, join, July, germ, giant. The resulting confusion with <g> for /g/ has sometimes been avoided by extending <j> to positions before <e> and <i>, e.g. jet (cf. get), jig (cf. gig), or alternatively the French convention of using <gu> for /g/ was adopted (guess, guide). In the sixteenth century, <gu> for /g/ was more widespread than it is today (e.g. guift, guirl 'gift, girl'), and some printers followed Caxton, whose long association with the Netherlands led him to use <gh> for /g/ very frequently (e.g. gherle, ghoos, ghes, ghoot 'girl, goose, geese, goat'). Sixteenth-century books often have <gh> where modern spelling has <gu> (e.g., ghess, ghest), and the Oxford English Dictionary even records ghuest. Sixteenth-century familiarity with Italian literature may have contributed here, as Italian has <gh> for /g/. In English it survives only in ghost, ghastly and gherkin.
この説明を私なりに整理すると次のようになる.フランス借用語を大量に入れた中英語では,フランス語の綴字習慣をまねて,/ʤ/ に対する綴字を,後続母音の前舌性・後舌性によって <g> か <j> かに割り当てた.一方,<g> は従来 /g/ を表わしていたので,<g> と <j> の音の対応は原則として以下のようになっていた.
<i> | <e> | <a> | <o> | <u> | |
---|---|---|---|---|---|
<g> | /ʤi/, /gi/ | /ʤe/, /ge/ | /ga/ | /go/ | /gu/ |
<j> | /ʤa/ | /ʤo/ | /ʤu/ |
<i> | <e> | <a> | <o> | <u> | |
---|---|---|---|---|---|
<g> | (/ʤi/, /gi/) | (/ʤe/, /ge/) | /ga/ | /go/ | /gu/ |
<gu> | /gi/ | /ge/ | |||
<j> | /ʤi/ | /ʤe/ | /ʤa/ | /ʤo/ | /ʤu/ |
現代英語でアルファベットの第10番目の文字 <j> は,生起頻度としては「#308. 現代英語の最頻英単語リスト」 ([2010-03-01-1]) でみたとおり,<z>, <q> に続いて最低である.それほどまでに目立たない文字だが,それもそのはず,独り立ちししてから長めに数えても400年と経っていないのだ.
<j> は <i> を下にのばし鉤をつけてできた文字である.歴史的には <j> はローマ時代から存在したが,機能としては <i> と重複しており,文字素 <i> の変異形にすぎなかった.つまり,<j> は独立した文字素としてはみなされていなかったのである.中世英語を通じて,<j> は典型的にはローマ数字におけるように,<i> が連続する際の最後の <i> の代わりに用いられた (ex. iiij) .
ところが,1630--40年に,<i> を母音字として,<j> を /ʤ/ に対応する子音字として用いる現代風の慣習が始まりだす.だが,慣習が始まりだしただけで,すぐに <j> が <i> と区別される独立した地位を獲得したわけではない.それにはさらに時間がかかった.例えば,1755年の Johnson の辞書でも,"I is in English considered both as a vowel and consonant; though, since the vowel and consonant differ in their form as well as sound, they may be more properly accounted two letters" と区別が示唆されてはいるが,実際には <i> で始まる語と <j> で始まる語が同じ見出しのもとに配列されている.つまり,jar, jaw, jay, ice, idol, jealous, jerk, ill などがこの順序で見出しとして現われるのである (Upward and Davidson 184--85) .大文字 <J> と <I> の区別はさらに遅れ,混用は19世初期まで続いた (Crystal 260) .なお,1828年の Webster の辞書では,両文字は完全に区別されている.
<j> が /ʤ/ に対応する子音字として用いられるようになったのは,古フランス語においてその対応があったからである.ラテン語 iacere, iunctus iuvenis などの語頭の <i> は半子音 /j/ を表わしたが,古フランスに至る過程でこの /j/ は音韻過程を経て,最終的に破擦音 /ʤ/ となった.こうして成立した <i/j> = /ʤ/ の対応関係が中英語にも移植され,17世紀前半に,ある程度安定的に現代風の分布で用いられるようになった (Upward and Davidson 133--34) .また,15世紀のスペイン語における母音字 <i> と子音字 <j> の使い分けの慣習も,英語における両文字の分化に関わっている.これについては,<i>, <j> の上の点 (dot) とも関連して,「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1]) を参照.さらに詳しくは,OED の "J, n. の項を参照されたい.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
現代英語の形容詞・副詞 long の比較級の形態は規則的な longer だが,古英語から中英語にかけては lenger (副詞としては leng も)のように語幹に前母音をもつ諸形態が用いられていた.ゲルマン祖語の比較級を表わす形態素 *-iþo が契機となって直前の語幹母音に i-mutation が生じ,本来の語幹の後母音が前母音へと変化した.その効果は,古英語 leng(ra) や中英語の leng(er) に現れている.
ところが,原級は古英語でも中英語でも lang, long などと常に後母音を示していたので,やがて類推作用 (analogy) により比較級も原級に -er を付けるだけの規則的な形態を取るようになった.かつての i-mutation という音韻変化の効果が,類推という形態変化の効果により打ち消されたといえる.
さて,類推により longer につらなる形態が現れたのがいつ頃のことかが気になったので,調べてみた.OED では longer として見出しは立っていないので,long の項で例文を探してみると,a1533 に longer が現れている.MED でも同じ事情だったので lōng (adj. (1)) の例文を探すと,a1400 (a1325) に langer が初出する.しかし,例文検索から得られる初出年の情報だけでは心許ない.
一方,leng(er) の最終使用年代を調べるという逆方向の調べ方もしてみた.OED によると,副詞 leng の最終は Chaucer で c1386,形容詞・副詞の lenger は,副詞の用法としての Spenser の1590年が最終例だった.以上を総合すると,14--15世紀頃に longer が現れ,16世紀には歴史的な leng(er) を置き換えたという筋書きになりそうだ.
だが,先に述べたように longer の見出しが立っていない以上,OED の例文に頼るのみで新旧形態の交代過程を結論づけるわけにはいかない.このような目的には,補助的に歴史コーパスが有用である.Helsinki Corpus により,ざっと新旧それぞれの異形態を拾い上げてみた.古英語では第2音節の r は原級の屈折形であることを考慮し,また取りこぼしや雑音混入の可能性にも気をつけたが,完璧ではないかもしれないことを断りつつ,以下に数字を示す.
LONGER | LENG(ER) | |
---|---|---|
O1 | 0 | 1 |
O2 | 0 | 14 |
O3 | 0 | 45 |
O4 | 0 | 7 |
M1 | 0 | 14 |
M2 | 0 | 21 |
M3 | 11 | 26 |
M4 | 3 | 25 |
E1 | 11 | 6 |
E2 | 19 | 0 |
E3 | 46 | 0 |
LONGER | LENG(ER) | |
---|---|---|
CEECS1 | 31 | 6 |
CEECS2 | 37 | 0 |
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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