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9月25日,白水社の月刊誌『ふらんす』10月号が刊行されました.この『ふらんす』にて,今年度,連載記事「英語史で眺めるフランス語」を書かせていただいています.今回は連載の第7回です.「フランス語は英語の音韻感覚を激変させた」と題して記事を執筆しました.以下,小見出しごとに要約します.
1. 子音の発音への影響
フランス語からの借用語が英語の発音に与えた影響について導入しています.特に /v/ の確立や,/f/ と /v/ の音素対立の形成について解説します.
2. 母音の発音への影響
フランス語由来の母音や2重母音が英語の音韻体系に与えた影響を説明しています./ɔɪ/ の導入など,具体例を挙げながらの解説です.
3. アクセントへの影響
フランス語借用語によって英語の強勢パターンがどのように変化したかを論じています.異なる強勢パターンの共存など,英語史の観点から興味深い事例を提供します.
4. 英語らしさの形成
英語はフランス語の影響を受けつつも,独自の音韻体系を発達させてきました.その過程で形成されてきた発音の「英語らしさ」について批判的に考察します.
今回の記事では,フランス語が英語の(語彙ではなく)発音に与えた影響を,具体例を交えながら解説しています.フランス語の語彙的な影響については知っているという方も,発音への影響については意外と聞いたことがないのではないでしょうか.通常レベルより一歩上を行く英語史の話題となっています.
ぜひ『ふらんす』10月号を手に取っていただければと思います.過去6回の連載記事も hellog 記事で紹介してきましたので,どうぞご参照ください.
・ 「#5449. 月刊『ふらんす』で英語史連載が始まりました」 ([2024-03-28-1])
・ 「#5477. なぜ仏英語には似ている単語があるの? --- 月刊『ふらんす』の連載記事第2弾」 ([2024-04-25-1])
・ 「#5509. 英語に借用された最初期の仏単語 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第3弾」 ([2024-05-27-1])
・ 「#5538. フランス借用語の大流入 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第4弾」 ([2024-06-25-1])
・ 「#5566. 中英語期のフランス借用語が英語語彙に与えた衝撃 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第5弾」 ([2024-07-23-1])
・ 「#5600. フランス語慣れしてきた英語 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第6弾」 ([2024-08-26-1])
・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第7回 フランス語は英語の音韻感覚を激変させた」『ふらんす』2024年10月号,白水社,2024年9月25日.54--55頁.
以前に「#1511. 古英語期の sc の口蓋化・歯擦化」 ([2013-06-16-1]) で取り上げた話題.古英語の2重字 (digraph) である <sc> について,依拠する文献を Prins に変え,そこで何が述べられているかを確認し,理解を深めたい.Prins (203--04) より引用する.
7.16 PG sk
PG sk was palatalized:
1. In initial position before all vowels and consonants:
OE Du sčēap 'sheep' schaap WS sčield A scčeld 'shield' schild sčēawian 'to show' schouwen G schauen sčendan 'to damage' schenden sčrud 'shroud'
2. Medially between palatal vowels and especially when followed originally by i(:) or j:
þrysče 'thrush'
wysčean 'to wish'
3. Finally after palatal vowels:
æsč 'ash'
disč 'dish'
Englisč 'English'
古英語研究では通常,口蓋化した <sc> の音価は [ʃ] とされているが,Prins (204) の注によると,本当に [ʃ] だったかどうかはわからないという.むしろ [sx] だったのではないかと議論されている.
Note 2. In reading OE we generally read sc(e) as [ʃ], but there is no definite proof that this was the pronunciation before the ME period (when the French spelling s, ss is found, and the spelling sh is introduced).
In Ælfric sc alliterates with sp, and st. So s must have been the first element. The second element cannot have been k, since Scandinavian loanwords (which must have been adopted in lOE) still have sk: skin, skill.
The pronunciation in OE was probably [sx]. Cf. Dutch schoon [sxo:n], schip [sxip], which in the transition period to eME or in eME itself, must have become [ʃ].
・ Prins, A. A. A History of English Phonemes. 2nd ed. Leiden: Leiden UP, 1974.
古英語の人名には,現代の family name や last name に相当する「姓」はない.「#590. last name はいつから義務的になったか」 ([2010-12-08-1]) で触れたように,姓が現われるようになるのはノルマン征服後のことである.
しかし,家系や所属を標示する発想がまるでなかったわけではない.特に王家の系統については,男性の名前を同じ子音で始める頭韻 (alliteration) の傾向が見られるという.いわば音象徴 (sound_symbolism) で家系を示唆してしまおうという,なんとも雅びで奥ゆかしい伝統ではないか.
Clark (458) が次のように説明し,例を挙げている.
Despite the lack of 'family-names' in the modern sense, kinship-marking was a main motive behind old Germanic naming . . . . Thus, royal genealogies, whose partly mythical character makes them likely to show idealised forms, regularly exhibit runs of alliteration, as in the West Saxon sequence: Cerdic, Cynric, Ceawlin, Cuða, Ceada, Benbeorht, Ceadwalla . . . .
ほかに,男性名について,規則的ではないものの,父や兄弟の名前に含まれる要素を共有する傾向がみられるという (cf. 父称 (patronymy)) .
女性名については,いかんせん記録が少なく,一般的な傾向は指摘しにくいようである.例えば Bede に挙げられている名前一覧でいえば,古英語女性人名は全体の1/7以下にとどまるという.
・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 452--89.
先日「#5194. 7月29日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」」 ([2023-07-17-1]) でご案内した通り,昨日,朝日カルチャーセンター新宿教室にてシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回となる「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」を開講しました.多くの方々に対面あるいはオンラインで参加いただきまして感謝申し上げます.ありがとうございました.
古英語期中に,いかにして英語話者たちがゲルマン民族に伝わっていたルーン文字を捨て,ローマ字を受容したのか.そして,いかにしてローマ字で英語を表記する方法について時間をかけて模索していったのかを議論しました.ローマ字導入の前史,ローマ字の手なずけ,ラテン借用語の綴字,後期古英語期の綴字の標準化 (standardisation) ,古英詩 Beowulf にみられる文字と綴字について,3時間お話ししました.
昨日の回をもって全4回シリーズの前半2回が終了したことになります.次回の第3回は少し先のことになりますが,10月7日(土)の 15:00~18:45 に「中英語の綴字 --- 標準なき繁栄」として開講する予定です.中英語期には,古英語期中に発達してきた綴字習慣が,1066年のノルマン征服によって崩壊するするという劇的な変化が生じました.この大打撃により,その後の英語の綴字はカオス化の道をたどることになります.
講座「文字と綴字の英語史」はシリーズとはいえ,各回は関連しつつも独立した内容となっています.次回以降の回も引き続きよろしくお願いいたします.日時の都合が付かない場合でも,参加申込いただけますと後日アーカイブ動画(1週間限定配信)にアクセスできるようになりますので,そちらの利用もご検討ください.
本シリーズと関連して,以下の hellog 記事をお読みください.
・ hellog 「#5088. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」が4月29日より始まります」 ([2023-04-02-1])
・ hellog 「#5194. 7月29日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」」 ([2023-07-17-1])
同様に,シリーズと関連づけた Voicy heldio 配信回もお聴きいただければと.
・ heldio 「#668. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」が4月29日より始まります」(2023年3月30日)
・ heldio 「#778. 古英語の文字 --- 7月29日(土)の朝カルのシリーズ講座第2回に向けて」(2023年7月18日)
新年度の始まりの日です.学びの意欲が沸き立つこの時期,皆さんもますます英語史の学びに力を入れていただければと思います.私も「hel活」に力を入れていきます.
実はすでに新年度の「hel活」は始まっています.昨日と今日とで年度をまたいではいますが,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて「英語史クイズ」 (helquiz) の様子を配信中です.出題者は khelf(慶應英語史フォーラム)会長のまさにゃん (masanyan),そして回答者はリスナー代表(?)の五所万実さん(目白大学; goshosan)と私です.ワイワイガヤガヤと賑やかにやっています.
・ 「#669. 英語史クイズ with まさにゃん」
・ 「#670. 英語史クイズ with まさにゃん(続編)」
実際,コメント欄を覗いてみると分かる通り,昨日中より反響をたくさんいただいています.お聴きの方々には,おおいに楽しんでいただいているようです.出演者のお二人にもコメントに参戦していただいており,場外でもおしゃべりが続いている状況です.こんなふうに英語史を楽しく学べる機会はあまりないと思いますので,ぜひ hellog 読者の皆さんにも聴いて参加いただければと思います.
以下,出題されたクイズに関連する話題を扱った hellog 記事へのリンクを張っておきます.クイズから始めて,ぜひ深い学びへ!
[ 黙字 (silent_letter) と語源的綴字 (etymological_respelling) ]
・ 「#116. 語源かぶれの綴り字 --- etymological respelling」 ([2009-08-21-1])
・ 「#192. etymological respelling (2)」 ([2009-11-05-1])
・ 「#1187. etymological respelling の具体例」 ([2012-07-27-1])
・ 「#580. island --- なぜこの綴字と発音か」 ([2010-11-28-1])
・ 「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1])
[ 古英語のケニング (kenning) ]
・ 「#472. kenning」 ([2010-08-12-1])
・ 「#2677. Beowulf にみられる「王」を表わす数々の類義語」 ([2016-08-25-1])
・ 「#2678. Beowulf から kenning の例を追加」 ([2016-08-26-1])
・ 「#1148. 古英語の豊かな語形成力」 ([2012-06-18-1])
・ 「#3818. 古英語における「自明の複合語」」 ([2019-10-10-1])
[ 文法性 (grammatical gender) ]
・ 「#4039. 言語における性とはフェチである」 ([2020-05-18-1])
・ 「#3647. 船や国名を受ける she は古英語にあった文法性の名残ですか?」 ([2019-04-22-1])
・ 「#4182. 「言語と性」のテーマの広さ」 ([2020-10-08-1])
[ 大文字化 (capitalisation) ]
・ 「#583. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった」 ([2010-12-01-1])
・ 「#1844. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった (2)」 ([2014-05-15-1])
・ 「#1310. 現代英語の大文字使用の慣例」 ([2012-11-27-1])
・ 「#2540. 視覚の大文字化と意味の大文字化」 ([2016-04-10-1])
[ 頭韻 (alliteration) ]
・ 「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1])
・ 「#953. 頭韻を踏む2項イディオム」 ([2011-12-06-1])
・ 「#970. Money makes the mare to go.」 ([2011-12-23-1])
・ 「#2676. 古英詩の頭韻」 ([2016-08-24-1])
映画『グリーン・ナイト』が公開中です.その原作『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) は14世紀末の中英語ロマンスですが,ほぼ同時代に書かれたジェフリー・チョーサー (Geoffrey Chaucer) の『カンタベリ物語』 (The Canterbury Tales) とは,あらゆる面で異なっています.前者はコテコテのイングランド北西部の英語方言で頭韻 (alliteration) によって書かれており,後者は後に標準英語へと発展していくロンドン英語で脚韻 (rhyme) によって書かれています.
チョーサーはもっぱら大陸由来の脚韻で詩作し,ゲルマン語としての英語に伝統的に受け継がれてきた頭韻には関心がなかったようです.現代の日本の歌謡界になぞらえていえば「私はポップス歌手だけれど民謡や演歌はやりませんよ」といった雰囲気です.このことは,チョーサー自身が本気では頭韻を利用していないこと,また『カンタベリ物語』の「教区主任司祭の話の序」 (ll. 42--47) にて,次のように述べていることからも間接的に知られます (The Riverside Chaucer より).
But trusteth wel, I am a Southren man;
I kan nat geeste 'rum, ram, ruf,' by lettre,
Ne, God woot, rym holde I but litel bettre;
And therfore, if yow list --- I wol nat glose ---
I wol yow telle a myrie tale in prose
To knytte up al this feeste and make an ende.
これを日本語に訳すと次のようになります.
ですが,ぜひともご理解いただきたいのですが,私は南の出身です.ですから "rum","ram","ruf" という具合に言葉の頭で韻を踏むことなどできません.また,神もご存知ですが,私は脚韻も踏むこともまずできません.ですから,よろしければ --- 注釈する気はさらさらないのですが --- 皆様に散文で楽しい話をいたしましょう.それでこのお楽しみの会で編まれるべきものをすべて編み上げて締めくくりましょう
チョーサーは,教区主任司祭という登場人物にやや軽んじた口調で 'rum, ram, ruff' と発言させています.文字通りには頭韻も脚韻もやりませんと読めますが,頭韻を脚韻より劣るものと見なしていると読むことも可能かもしれません.いかがでしょうか.ここでは,池上 (144) の読みを紹介しておきたいと思います.引用で「彼」とは詩人チョーサーのことです.
彼はどうもアーサー王物語の頭韻詩があまり好きでないらしい.時どき頭韻調を使ってみたり,『教区司祭の話 前口上』では,「私は南部の人間なので,ルム・ラム・ルフ (rum, ram, ruf) なんて頭韻を踏む吟唱などは出来ません」(X 四二ー四三)という有名な台詞がある.当時から見ても古くさい,異質の,田舎くさい,違ったジャンルの詩物語と見ているらしいのである.
このような時代と状況下で,なぜガウェイン詩人は主に頭韻を用いて詩作したのか.この辺りがおもしろい問題です.
・ Benson, Larry D., ed. The Riverside Chaucer. 3rd ed. Oxford: OUP, 1987.
・ ジェフリー・チョーサー(著),池上 忠弘(監訳) 『カンタベリ物語 共同新訳版』 悠書館,2021年.
・ 池上 忠弘(訳) 『「ガウェイン」詩人 サー・ガウェインと緑の騎士』 専修大学出版局,2009年.
英語には「#4415. as mad as a hatter --- 強意的・俚諺的直喩の言葉遊び」 ([2021-05-29-1]) で紹介したような,俚諺的直喩 (proverbial simile) や強意的直喩 (intensifying simile) と呼ばれる直喩がたくさんあります.その多くは「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1]) でも指摘した通り,頭韻 (alliteration) を踏む語呂のよい表現です.
しかし,これらはあまりに使い古されている "stock phrase" であることも事実で,不用意に使うと独創性がないというレッテルを張られかねません.皮肉屋の Partridge はこれらを "battered similes" であると否定的にみなし「使う前に再考を」を呼びかけているほどです.Partridge (303--05) より列挙してみましょう.
・ aspen leaf, shake (or tremble) like an
・ bad shilling (or penny), turn up (or come back) like a
・ bear with a sore head, like a
・ black as coal - or pitch - or the Pit, as blush like a schoolgirl, to
・ bold (or brave) as a lion, as
・ bright as a new pin, as [obsolescent]
・ brown as a berry, as
・ bull in a china shop, (behave) like a
・ cat on hot bricks, like a; e.g. jump about caught like a rat in a trap
・ cheap as dirt, as
・ Cheshire cat, grin like a
・ clean as a whistle, as
・ clear as crystal (or the day or the sun), as; jocularly, as clear as mud
・ clever as a cart- (or waggon-) load of monkeys, as
・ cold as charity, as
・ collapse like a pack of cards
・ cool as a cucumber, as
・ crawl like a snail
・ cross as a bear with a sore head (or as two sticks), as
・ dark as night, as
・ dead as a door-nail, as
・ deaf as a post (or as an adder), as
・ different as chalk from cheese, as
・ drink like a fish, to
・ drop like a cart-load of bricks, to
・ drowned like a rat
・ drunk as a lord, as
・ dry as a bone (or as dust), as
・ dull as ditch-water, as
・ Dutch uncle, talk (to someone) like a
・ dying like flies
・ easy as kiss (or as kissing) your hand, as; also as easy as falling off a log
・ fight like Kilkenny cats
・ fit as a fiddle, as
・ flash, like a
・ flat as a pancake, as
・ free as a bird, as; as free as the air
・ fresh as a daisy (or as paint), as
・ good as a play, as; i.e. very amusing
・ good as good, as; i.e. very well behaved
・ good in parts, like the curate's egg
・ green as grass, as
・ hang on like grim death
・ happy (or jolly) as a sandboy (or as the day is long), as
・ hard as a brick (or as iron or, fig., as nails), as
・ hate like poison, to
・ have nine lives like a cat, to
・ heavy as lead, as
・ honest as the day, as
・ hot as hell, as
・ hungry as a hunter, as
・ innocent as a babe unborn (or as a new-born babe), as
・ keen as mustard, as
・ lamb to the slaughter, like a
・ large as life (jocularly: large as life and twice as natural), as
・ light as a feather (or as air), as
・ like as two peas, as
・ like water off a duck's back
・ live like fighting cocks
・ look like a dying duck in a thunderstorm
・ look like grim death
・ lost soul, like a
・ mad as a March hare (or as a hatter), as
・ meek as a lamb, as
・ memory like a sieve a
・ merry as a grig, as [obsolescent]
・ mill pond, the sea [is] like a
・ nervous as a cat, as
・ obstinate as a mule, as
・ old as Methuselah (or as the hills), as
・ plain as a pikestaff (or the nose on your face), as
・ pleased as a dog with two tails (or as Punch), as
・ poor as a church mouse, as
・ pretty as a picture, as
・ pure as the driven snow, as
・ quick as a flash (or as lightning), as
・ quiet as a mouse (or mice), as
・ read (a person) like a book, to (be able to)
・ red as a rose (or as a turkey-cock), as
・ rich as Croesus, as
・ right as a trivet (or as rain), as
・ roar like a bull
・ run like a hare
・ safe as houses (or as the Bank of England), as
・ sharp as a razor (or as a needle), as
・ sigh like a furnace, to
・ silent as the grave, as
・ sleep like a top, to
・ slippery as an eel, as
・ slow as a snail (or as a wet week)
・ sob as though one's heart would break, to
・ sober as a judge, as
・ soft as butter, as
・ sound as a bell, as
・ speak like a book, to
・ spring up like mushrooms overnight
・ steady as a rock, as
・ still as a poker (or as a ramrod), as
・ straight as a die, as
・ strong as a horse, as
・ swear like a trooper
・ sweet as a nut (or as sugar), as
・ take to [something] like (or as) a duck to water
・ thick as leaves in Vallombrosa as [Ex. Milton's 'Thick as autumnal leaves that strow the brooks In Vallombrosa']
・ thick as thieves, as
・ thin as a lath (or as a rake), as
・ ton of bricks, (e.g. come down or fall) like a
・ tough as leather, as
・ true as steel, as
・ two-year-old, like a
・ ugly as sin, as
・ warm as toast, as
・ weak as water, as
・ white as a sheet (or as snow), as
・ wise as Solomon, as
・ Partridge, Eric. Usage and Abusage. 3rd ed. Rev. Janet Whitcut. London: Penguin Books, 1999.
「英語史導入企画2021」より本日紹介するコンテンツは,院生による「発狂する帽子屋 as mad as a hatter の謎」です.なぜ帽子屋なのでしょうか.文化と言語の歴史をたどった好コンテンツです.
コンテンツ内でも触れられている通り,同種の表現としては /m/ で頭韻を踏む as mad as a March hare のほうが古いようです.この種の表現は俚諺的直喩 (proverbial simile) や強意的直喩 (intensifying simile) と呼ばれます.「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1]) で取り上げたように,特に頭韻を踏む as cool as a cucumber, as dead as a door-nail, as bold as brass の類いがよく知られています.ただし,今回の as mad as a hatter のように頭韻を踏まないものもあります.韻律上の口調に基づいていなくとも,何らかの「故事」(今回のケースでは帽子屋と水銀の関係)に由来するなど,結果としてユーモラスな文彩を放つ喩えであれば,広く受け入れられるものかもしれません.
それでも今回のコンテンツで EEBO から引き出された類義表現を眺めているうちに,やはり多くの表現に何かしら韻律上の要因が関与しているのではないかと思いつきました.あくまで speculation にすぎませんが,述べてみたいと思います.
as mad as a March hare は初期近代英語に初出した比較的古い表現で,頭韻を踏んでいます.それと対比して,19世紀前半に現われた as mad as a hatter は頭韻を踏んでいません.しかし,hare と hatter は /h/ で頭韻を踏んでいます.古い表現が広く知られて陳腐になると,新しい表現が作られることになりますが,そのような場合,よく知られた古い表現に何らかの形で「引っかける」ことも少なくないのではないかと思いました.この場合には,hare の /h/ と引っかけて hatter を採用したのではないかと疑われます(もちろん帽子屋と水銀の故事は前提としつつ).as mad as a March hare のような通常の頭韻を "syntagmatic alliteration" と呼ぶのであれば,hare と hatter のような関係の頭韻は "paradigmatic alliteration" と呼べるかもしれません.いわば「裏」の韻律的引っかかりのことですね.
そうすると,as mad as a hart なども,hare との "paradigmatic alliteration" からインスピレーションを得た表現かもしれないということになります.また,as mad as a bear という表現もあったようですが,これなどは hare と脚韻で引っかかっているので "paradigmatic rhyme" の例と呼べるかもしれません.ベースとなる表現がしっかり定着していればいるほど,それをもじって新しい表現を作り出すこともしやすくなるのではないでしょうか.後期近代英語のコーパス CLMET3.0 からは mad as a herring や as mad as Marshal Stair といったユーモラスな例が見つかりましたが,同種のもじりとみたいところです.
俚諺的直喩も一種の言葉遊びですし,「裏」の韻律的引っかかりが関与しているのではないかと考えてみた次第です.関連して「#1459. Cockney rhyming slang」 ([2013-04-25-1]) のことが思い浮かびました.
目下開催中の「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,学部生よりアップされた「犬猿ならぬ犬猫の仲!?」です.日本語ではひどく仲の悪いことを「犬猿の仲」と表現し,決して「犬猫の仲」とは言わないわけですが,英語では予想通り(?) cats and dogs だという興味深い話題です.They fight like cats and dogs. のように用いるほか,喧嘩ばかりして暮らしていることを to lead a cat-and-dog life などとも表現します.よく知られた「土砂降り」のイディオムも「#493. It's raining cats and dogs.」 ([2010-09-02-1]) の如くです.
これはこれとして動物に関する文化の日英差としておもしろい話題ですが,気になったのは英語 cats and dogs の語順の問題です.日本語では「犬猫」だけれど,上記の英語のイディオム表現としては「猫犬」の順序になっています.これはなぜなのでしょうか.
1つ考えられるのは,音韻上の要因です.2つの要素が結びつけられ対句として機能する場合に,音韻的に特定の順序が好まれる傾向があります.この音韻上の要因には様々なものがありますが,大雑把にいえば音節の軽いものが先に来て,重いものが後に来るというのが原則です.もう少し正確にいえば,音節の "openness and sonorousness" の低いものが先に来て,高いものが後にくるという順序です.イメージとしては,近・小・軽から遠・大・重への流れとしてとらえられます.音が喚起するイメージは,音象徴 (sound_symbolism) あるいは音感覚性 (phonaesthesia) と呼ばれますが,これが2要素の配置順序に関与していると考えられます.
母音について考えてみましょう.典型的には高母音から低母音へという順序になります.「#1139. 2項イディオムの順序を決める音声的な条件 (2)」 ([2012-06-09-1]) で示したように flimflam, tick-tock, rick-rack, shilly-shally, mishmash, fiddle-faddle, riffraff, seesaw, knickknack などの例が挙がってきます.「#1191. Pronunciation Search」 ([2012-07-31-1]) で ^([BCDFGHJKLMNPQRSTVWXYZ]\S*) [AEIOU]\S* ([BCDFGHJKLMNPQRSTVWXYZ]\S*) \1 [AEIOU]\S* \2$
として検索してみると,ほかにも chit-chat, kit-cat, pingpong, shipshape, zigzag などが拾えます.ding-dong, ticktack も思いつきますね.擬音語・擬態語 (onomatopoeia) が多いようです.
では,これを cats and dogs の問題に適用するとどうなるでしょうか.両者の母音は /æ/ と /ɔ/ で,いずれも低めの母音という点で大差ありません.その場合には,今度は舌の「前後」という対立が効いてくるのではないかと疑っています.前から後ろへという流れです.前母音 /æ/ を含む cats が先で,後母音 /ɔ/ を含む dogs が後というわけです.しかし,この説を支持する強い証拠は今のところ手にしていません.参考までに「#242. phonaesthesia と 遠近大小」 ([2009-12-25-1]) と「#243. phonaesthesia と 現在・過去」 ([2009-12-26-1]) をご一読ください.対句ではありませんが,動詞の現在形と過去形で catch/caught, hang/hung, stand/stood などに舌の前後の対立が窺えます.
さて,そもそも cats and dogs の順序がデフォルトであるかのような前提で議論を進めてきましたが,これは本当なのでしょうか.先に「英語のイディオム表現としては」と述べたのですが,実は純粋に「犬と猫」を表現する場合には dogs and cats もよく使われているのです.英米の代表的なコーパス BNCweb と COCA で単純検索してみたところ,いずれのコーパスにおいても dogs and cats のほうがむしろ優勢のようです.ということは,今回の順序問題は,真の問題ではなく見せかけの問題にすぎなかったのでしょうか.
そうでもないだろうと思っています.18--19世紀の後期近代英語のコーパス CLMET3.0 で調べてみると,cats and dogs が18例,dogs and cats が8例と出ました.もしかすると,もともと歴史的には cats and dogs が優勢だったところに,20世紀以降,最近になって dogs and cats が何らかの理由で追い上げてきたという可能性があります.実際,アメリカ英語の歴史コーパス COHA でざっと確認した限り,そのような気配が濃厚なのです.
「犬猫」か「猫犬」か.単なる順序の問題ですが,英語史的には奥が深そうです.
古英語の詩 (Old English poetry) は,現存するテキストを合わせると3万行ほどのコーパスとなる古英語文学の重要な構成要素である.古英詩の「1行」は「半行+休止+半行」からなり,細かな韻律規則,とりわけゲルマン語的な頭韻 (alliteration) に特徴づけられる.
現存する古英詩の大半は以下の4つの写本に伝わっており,その他のものを含めた古英詩のほとんどが,校訂されて6巻からなる The Anglo-Saxon Poetic Records (=ASPR) に収められている.
・ The Bodleian manuscript Junius II (ASPR I): Genesis, Exodus, Daniel, Christ and Stan などを所収.
・ The Vercelli Book, capitolare CXVII (ASPR II): The Dream of the Room,Andreas と Elene の聖人伝などを所収.
・ The Exeter Book (ASPR III) (ASPR III): 宗教詩,Guthlac と Juliana の聖人伝,説教詩,The Wanderer, The Seafarer, The Ruin, The Wife's Lament, The Husband's Message, riddles (なぞなぞ)などを所収.
・ The British Library Cotton Vitellius A.xv (ASPR IV): Judith, Beowulf などを所収.
Mitchell (75) によれば,古英詩を主題で分類すると次の8種類が区別される.
1. Poems treating Heroic Subjects
Beowulf. Deor. The Battle of Finnsburgh. Waldere. Widsith.
2. Historic Poems
The Battle of Brunanburh. The Battle of Maldon.
3. Biblical Paraphrases and Reworkings of Biblical Subjects
The Metrical Psalms. The poems of the Junius MS; note especially Genesis B and Exodus. Christ. Judith.
4. Lives of the Saints
Andreas. Elene. Guthlac. Juliana.
5. Other Religious Poems
Note especially The Dream of the Rood and the allegorical poems --- The Phoenix, The Panther, and The Whale.
6. Short Elegies and Lyrics
The Wife's Lament. The Husband's Message. The Ruin. The Wanderer. The Seafarer. Wulf and Eadwacer. Deor might be included here as well as under 1 above.
7. Riddles and Gnomic Verse
8. Miscellaneous
Charms. The Runic Poem. The Riming Poem.
この中では目立たない位置づけながらも,7 に "Riddles" (なぞなぞ)ということば遊び (word_play) が含まれていることに注目したい.古今東西の言語文化において,なぞなぞは常に人気がある.古英語にもそのような言葉遊びがあった.古英語版のなぞなぞは内容としてはおよそラテン語のモデルに基づいているとされるが,古英語の独特のリズム感と,あえて勘違いさせるようなきわどい言葉使いの妙を一度味わうと,なかなか忘れられない.
10世紀後半の写本である The Exeter Book に収録されている "Anglo-Saxon Riddles" は,95のなぞなぞからなる.その1つを古英語原文で覗いてみたいと思うが,古英語に不慣れな多くの方々にとって原文そのものを示されても厳しいだろう.そこで,昨日「英語史導入企画2021」のために大学院生より公表されたコンテンツ「古英語解釈教室―なぞなぞで入門する古英語読解」をお薦めしたい.事実上,古英詩の入門講義というべき内容になっている.
・ Mitchell, Bruce. An Invitation to Old English and Anglo-Saxon England. Blackwell: Malden, MA, 1995.
何年も大学で英語史ゼミを担当してきたが,毎年度のように卒業論文の話題として人気のテーマがある.日英語間の色彩語に関するギャップである.「色」という身近な関心事から日英語文化の差異に迫ることのできるテーマとして,安定的な需要がある.先行研究も豊富なだけに,オリジナルな研究をなすことは決して易しくないのだが,それでも引きつけられる学生が跡を絶たない.
昨日学部ゼミ生より公表された「英語史導入企画2021」のためのコンテンツは,この人気のテーマに迫ったもの.タイトルは「信号も『緑』になったことだし,渡ろうか」である.多くの読者はすぐにピンとくるだろう.日本語の「青信号」は英語では the green light に対応するという,あの問題である.信号機の導入の歴史や,人口に膾炙している諺 (proverb) である The grass is always greener (on the other side of the fence). 「隣の芝は青い」を題材に,青,緑,blue,green の関係について分かりやすく導入してくれている.
日々の学生からのコンテンツは私のインスピレーションの源泉なのだが,今回は上記コンテンツでも取り挙げられている先の諺に注目することにした.この諺の教えは「他人のものは自分のものよりもよく見えるものである」ということだ.日本語では,ほかに「隣の花は赤い」とか「隣の糂汰味噌」という諺もあるそうだ.日本語「隣の芝は青い」は,英語 The grass is always greener (on the other side of the fence). をほぼ直訳して取り入れたものであり,本来は日本語の諺ではない.
では,この英語諺のルーツはどこにあるかといえば,OED によると意外と新しいようで,初出はアメリカ英語の1897年の Grass is always greener であるという.西洋文化を見渡すと,近似した諺としてラテン語に fertilior seges est aliēnīs semper in agrīs ("the harvest is always more fruitful in another man's fields") というものがあるそうだが,一般に諺というのは普遍的な教えであるから,英語版がこのラテン語版をアレンジしたものかどうかは分からない.むしろ grass と green を引っかけている辺り,少なくとも形式には,英語オリジナルといってよさそうだ.
grass と green の引っかけというのは,もちろん頭韻 (alliteration) を念頭において述べたものである.また,The grass is always greener. は,きれいな「弱強弱強弱強弱」の iambic となっていることも指摘しておきたい.いや,頭韻を踏んでいるというのもある意味では妙な言い方で,そもそも grass も green も印欧祖語で「育つ」 (to grow) を意味する *ghrē- に遡るのだから,語頭子音が同じだからといって驚くことではない.The grass grows green. という文は,したがって,語源的に解釈すれば「育つ草が草のような草色の草に育つ」のようなトートロジカルな文なのである.
色彩語は,一般言語学でも集中的に扱われてきた重要テーマである.基本色彩語 (Basic Color Terms) については,"bct" のタグのついた記事群を参照されたい.
おまけに,信号機の歴史について補足的に『21世紀こども百科 もののはじまり館』 (p. 80) より引用しておく.へえ,そうだったのかあ.
世界ではじめての信号機は1868年,ロンドンにできた.ガス灯の信号機だった.日本では,1919年に東京・上野広小路交差点に手動式がはじめてできた.電気を使った信号機は,1918年にニューヨークにでき,日本では1930年に東京・日比谷交差点にアメリカから輸入されたものが使われた.
関連して,重要な参考文献として小松秀雄著『日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか』も挙げておきましょう.
・ 『21世紀こども百科 もののはじまり館』 小学館,2008年.
・ 小松 秀雄 『日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか』 笠間書院,2001年.
教会を揶揄する風刺詩を書いた John Skelton (1460?--1529) は,文学史上,押韻するが不規則な短行を用いた詩型 "Skeltonics" で知られる(ただし文学的に評価されるようになったのは20世紀になってからのこと).歯に衣着せぬ物言いながらも,Henry VIII の家庭教師となり宮廷でも地位を得た.主作品の1つに Colyn Cloute (1522) がある.当時の実力者 Thomas Wolsey 卿を軽口をたいて風刺するリズムが小気味よい.近代英語期最初期の生き生きとした口語的リズムを伝えるテキストとしても興味深い.
Bergs and Brinton (303) が,初期近代英語に関するハンドブックのなかで当時の「言葉遊び」 (language play) の1例として,Skelton のテキストを挙げている.
His hed is so fat
He wotteth neuer what
Nor wherof he speketh
He cryeth and he creketh
He pryethh and he peketh
He chydes and he chatters
He prates and he patters
He clytters and he clatters
He medles and he smatters
He gloses and he flatters
Or yf he speake playne
Than he lacketh brayn (1545 Skelton, Colyn Cloute A2v)
詩的技巧としては,脚韻 (rhyme) はもちろんのこと,頭韻 (alliteration) も目立つし,オノマトペ (onomatopoeia) に由来すると考えられる動詞も多用されている.3単現の語尾として従来の -eth と新興の -s が共存しているのも,当時の英語の変化と変異を念頭におくと興味深い.とりわけ調子が乗ってきた辺りで口語的な -s が連発するのも,味わい深い.詩である以上に言葉遊びであり,言葉遊びである以上に当時の生きた口語を映し出すものとして読むことができる.
・ Bergs, Alexander and Laurel J. Brinton, eds. The History of English: Early Modern English. Berlin/Boston: Gruyter, 2017.
年末年始,そしてクリスマスの季節が近づいてきた.後者は英語では Christmastime というが,少々古風ながら Christmastide も用いられる.後者の複合語の第2要素としてみえる tide は,通常は「潮の干満」を意味するが (cf. tidal wave 「津波,高潮」),キリスト教の暦と関連して「季節」の意味でも用いられる (ex. Yuletide, Eastertide) .
tide の本来の意味は,事実,「時」だった.古英語 tīd は「時,潮時」を意味する普通の語だったし,ゲルマン諸語にも同根語が確認される (cf. オランダ語 tijd, ドイツ語 Zeit, 古ノルド語 tíð) .もっとさかのぼればゲルマン祖語 *tīðiz に,さらには印欧祖語の語根 *dā- (to divide, cut up) にたどり着く.印欧祖語の話者にとって,時間とは,切り分け,区分する対象だったのだろう (cf. 「#70. second には「秒」の意味もある」 ([2009-07-07-1])) .
古英語 tīd は,やがて一般的な「時」の語義を time に明け渡し,「潮」の語義に限定されていくこととなった.ちなみに time 自身も tide と同じ印欧祖語の語根に遡り,古英語では tīma としてやはり「時間;時刻」の語義で用いられていた.つまり,tide と time はもとより類義語だったのである.
現在では「時」に近い意味の tide は,上記の Christmastide, Eastertide などの少数の表現に化石的に残るにすぎないが,もう1つ重要な化石として,よく知られた諺を挙げておこう.Time and tide wait for no man. (歳月人を待たず)である.日本語でも英語でもそうだが,諺 (proverb) というものには異なるバージョンがあるものだ.Robert Green (1560--92) の A Disputation Betweene a Hee Conny-catcher and a Shee Conny-catcher (1592) からのバージョンを示すと,Tyde nor tyme tairieth no man. とある.wait for の代わりに同義の tarry を用いることで,t による頭韻が強化されていて,標準版よりも印象的である.
・ Editors of the American Heritage Dictionaries, eds. Word Histories and Mysteries from Abracadabra to Zeus. Boston and New York: Houghton Mifflin, 2004.
ゲルマン語の韻律上の伝統としての頭韻 (alliteration) は,英語史においても古英語から現代英語まで連綿と続いている.しかし,韻文の技巧という観点からみると,韻律論的にも文学的にも,古英語と中英語の間に明確な断絶があるとされている.この過渡期には,表面的には同じ頭韻が行なわれ続けているようにみえても,頭韻を司る抽象的な韻律上の規則に注目すれば,伝統は忠実には保持されておらず,せいぜい「崩れた」形で継承されているにすぎない.継承か断絶かという議論は古くからあるが,少なくとも「そのままの継承」でないことは明白だ.
では,かりに断絶とみたとき,その分水嶺はいつ頃なのか.まさか,お約束のように,かの1066年ではないだろうと思っていたところ,「いや実に1066年なのだ」という Minkova (339) の記述に出会い面食らった.
The 1065 poem The Death of Edward is the last composition that can be described reasonably as belonging to the Classical metrical tradition of Anglo-Saxon versification. Very revealing in this respect are the statistics and the comments presented in Cable (1991: 54--5). He notes one single metrically dubious verse (soþfæste sawle 'soothfast soul' (28a)) in the sixty-eight verses of The Death of Edward, while on the other side of the 1066 chronological divide the next extant poem with prominent alliteration, Durham, composed c. 1100, shows a very high level of unmetricality. In Durham 38.1 per cent of the forty-two verses fail to conform to the classical rules. Thus, while the cataclysmic effect of the Norman Conquest with respect to changes affecting phonology and morphosyntax can be questioned, the demarcation line in terms of versification modes is clearer, at least within the inevitable limitations imposed by the surviving texts.
さすがにピンポイントに1066年ということを強調しているわけではないが,象徴的にはやはりこの年代のようだ.引用でも述べられている通り,英語も自然言語である以上,音韻論や形態統語論がある年代にガクンと変わるということは考えにくい.その点では韻律論も同じだろう.しかし,韻律論と関係は深いが韻律論そのものではない韻文の技巧として頭韻規則を眺める場合,ある年代を境に1つの規則から別の規則にガクンと変化するということはあり得るかもしれない.この場合の規則とは社会制度に近いもので,社会制度とはある日を境にして人々が一方から他方に意識的に乗り換えることができる代物だからだ.
古英語末期の The Battle of Maldon などでも伝統的なリズムからは逸脱していると言われており,分水嶺としての1066年を額面通りに受け入れることはできないにせよ,象徴的な意義は認めてよいだろう.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
・ Cable, Thomas. The English Alliterative Tradition. Philadelphia: U of Pennsylvania P, 1991.
岡崎 (71) によれば,古英語以来,英詩の形式は,リズム,押韻方法,詩行構造,種類という点において大きな変化を遂げてきた.
a. リズム:強弱から弱強へ
b. 押韻:頭韻から脚韻へ
c. 詩行構造:不定の長さ(音節数)から定まった長さ(音節数)へ
d. 種類:単一の形式から多様な形式へ
古英語期から中英語期へ,そして近代英語期以降へと,英詩の形式は確かに大変化に見舞われてきた.背景には,英語の音変化や外来の詩型からの影響というダイナミックな要因が関与している.それぞれの時代の代表的な詩型の種類と特徴を,岡崎の要約により示そう.
[ 古英語頭韻詩 ](p. 71)
a. 1行(長行,long-line)は,二つの半行 (half-line) から構成されている.
b. 半行の音節数は3音節以上だが,一定していない.
c. 頭韻する分節音は,第1半行(前半)に最大二つ,第2半行(後半)に一つ.
d. 半行中で頭韻する分節音を含む音節が強音部となり,強弱の韻律が実現される.
[ 中英語頭韻詩 ](p. 73)
a. 音節数不定の長行が基本単位(の可能性が高い).
b. 頭韻する子音を含む語が1行に最小で二つ,最大で四つ.三つの場合が多い.
c. 頭韻詩ごとに個々の独自の詩型がある.
[ 中英語の様々な脚韻詩 ](p. 75)
a. 8詩脚の脚韻付連句:1行16音節.弱強8詩脚.2行1組.第4詩脚のあとに行中休止 (caesura) .半行末で脚韻.
b. アレグザンダー詩行 (Alexandrine) :1行12音節.弱強6詩脚.行末で脚韻.
c. 弱強5歩格 (iambic pentameter) :1行10音節.弱強5詩脚.行末で脚韻.
d. 弱強4歩格 (iambic tetrameter) :1行8音節.弱強4詩脚.行末で脚韻.
e. 弱強3歩格 (iambic trimeter) :1行6音節.弱強3詩脚.アレグザンダー詩行を二分割したもの.
f. 連 (stanza) :複数行からなる詩行の意味上のまとまり.
g. 2行連 (couplet) :2行から構成される詩行の意味上のまとまり.
h. 尾韻 (tail rhyme) :6行1組で脚韻型が aabccb の詩.ラテン語の賛美歌から.
i. 帝王韻 (rhyme royal) :7行連の弱強5歩格の詩で,脚韻型が abcbbcc.
j. ボブ・ウィール連 (bob-wheel stanza) :5行の脚韻詩行で,第1行のボブは1強勢,それに続く4行のウィールの各行は3強勢.脚韻型は ababa.
k. バラッド律 (ballad meter) :4行連 (quatrain) が基本の詩型.弱強4歩格と弱強3歩格の2行連二つから構成される.3歩格詩行の行末が脚韻.
[ 近代英語以降の脚韻詩 ](pp. 76--79)
・ 弱強(5歩)格 (iambic pentameter) を中心としつつも,弱弱強格 (anapestic meter),強弱格 (trochaic meter),強弱弱格 (dactylic meter),無韻詩 (blank verse),自由詩 (free verse) など少なくとも11種類の詩型が出現した.
・ 詩脚と実際のリズムの間に不一致 (mismatch) がある.詩脚のW位置に強勢音節が配置される不一致型には規則性があり,統語構造をもとに一般化できる.
・ Shakespeare のソネット:弱強5歩格「4行連×3+2行」という構成で,ababcdcdefefgg の脚韻型を示す.
・ 句またがり (enjambment) の使用:詩行末が統語節末に対応しない現象.行末終止行 (end-stopped line) と対比される.
英詩の種類の豊富さは,歴史のたまものである.これについては「#2751. T. S. Eliot による英語の詩の特性と豊かさ」 ([2016-11-07-1]) も参照.
・ 岡崎 正男 「第4章 韻律論の歴史」 服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.71--88頁.
「塵も積もれば山となる」に対応する英語の諺について「#564. Many a little makes a mickle」 ([2010-11-12-1]) で取り上げた.強弱音節が繰り返される trochee の心地よいリズムの上に,語頭音として m が3度繰り返される頭韻 (alliteration) も関与しており,韻律的にも美しいフレーズである.
この諺には標記の「崩れた」ヴァージョンがあり,そちらもよく聞かれるようだ.muckle は語源的には mickle の異なる方言形にすぎず,同義語といってよい.
「#1557. mickle, much の語根ネットワーク」 ([2013-08-01-1]) で述べたように,古英語の myċel と同根だが,中英語では方言によって第1母音と第2子音が様々に変異し,多くの異形態が確認される.大雑把にいえば,mickle は北部方言寄り,muckle は中部方言寄りととらえておいてよい(MED の muchel (adj.) の異綴字を参照).
だが,mickle と muckle が同義語ということになると,標記のヴァージョンは「山も積もれば山となる」ということになり,諺として意味をなさない.これが有意義たり得るためには,mickle と little が同義語であると勘違いされていなければならない.そして,このヴァージョンは,実際にそのような誤解のもとに成り立っているに違いない.民間語源 (folk_etymology) の1例とみなせそうだ.
しかし,この誤解なり勘違いに基づく民間語源は,なかなかよくできた例である.まず,結果的に正しいヴァージョンよりも1つ多くの頭韻を踏んでいることになり,リズム的には完璧に近い.さらに,mickle が「小」で muckle が「大」という理解(あるいは誤解)は,「#242. phonaesthesia と 遠近大小」 ([2009-12-25-1]) で触れたように,英語の音感覚性 (phonaesthesia) に対応している.英語には,前舌母音の /ɪ/ が小さなものを, 後舌母音の /ʊ/ (現在の /ʌ/ はこの後舌母音からの発達)が大きなものを象徴する例が少なくない.かくして,「崩れた」ヴァージョンは,英語話者の音象徴 (sound_symbolism) の直感にも適っているのである.こちらのヴァージョンは初例が1793年となっており,正しいヴァージョンの1250年(より前)と比べればずっと新しいものだが,今後も人気を上げていく可能性があるかも!?
Worcester Cathedral, Dean and Chapter Library F 174 という写本の Fol. 63r, lines 14--28 に,緩い頭韻を示す短いテキストが収められている.オリジナルは古英語で書かれていたようだが,このテキストの言語はすでに初期中英語的な特徴を示している.写本はおそらく13世紀の第2四半世紀 (C13a2) に成立した.このテキストの直前には Ælfic の Grammar と Glossary が,直後には "Body and Soul" に関する頭韻詩が収められている.写本全体が "Worcester tremulous hand" として知られる写字生によって書かれている.
テキストの内容は,標題に示唆したように,ノルマン征服後に教育などの公的な場面で英語が用いられなくなってしまったことへの嘆きである.征服前の古英語期には英語で教育が行なわれ,イングランドは文化的に反映していたのに,今や英語を話さないノルマン人が教師となってしまっている,嗚呼,嘆かわしいことよ,という趣旨だ.
ポイントは,l. 15 と l. 18 の対比である.古英語期にはアングロサクソン人の教師が英語で人々を教育していたが (l. 15),ノルマン征服後の今では「他の人々」,すなわち大陸から渡ってきたノルマン人が(他の言語で)人々を教育していると,書き手は嘆いている.英語が公的な地位から振り落とされ,学問からも遠ざけられた様子がわかる.Dickins and Wilson 版 (2) のテキストを示そう.
[S]anctus Beda was iboren her on Breotene mid us, And he wisliche [bec] awende Þet þeo Englise leoden þurh weren ilerde. And he þeo c[not]ten unwreih, þe questiuns hoteþ, Þa derne diȝelnesse þe de[or]wurþe is. 5 Ælfric abbod, þe we Alquin hoteþ, He was bocare, and þe [fif] bec wende, Genesis, Exodus, Vtronomius, Numerus, Leuiticus, Þu[rh] þeos weren ilærde ure leoden on Englisc. Þet weren þeos biscop[es þe] bodeden Cristendom, 10 Wilfrid of Ripum, Iohan of Beoferlai, Cuþb[ert] of Dunholme, Oswald of Wireceastre, Egwin of Heoueshame, Æld[elm] of Malmesburi, Swiþþun, Æþelwold, Aidan, Biern of Wincæstre, [Pau]lin of Rofecæstre, S. Dunston, and S. Ælfeih of Cantoreburi. Þeos læ[rden] ure leodan on Englisc, 15 Næs deorc heore liht, ac hit fæire glod. [Nu is] þeo leore forleten, and þet folc is forloren. Nu beoþ oþre leoden þeo læ[reþ] ure folc, And feole of þen lorþeines losiæþ and þet folc forþ mid. Nu sæiþ [ure] Drihten þus, Sicut aquila prouocat pullos suos ad volandum, et super eo[s uolitat.] 20 This beoþ Godes word to worlde asende, Þet we sceolen fæier feþ [festen to Him.]
l. 20 のラテン語は,Deuteronomy 32:11 より.The King James Version から対応箇所を引用すると "As an eagle stirs up her nest, flutters over her young, spreads abroad her wings, takes them, bears them on her wings: / So the Lord alone did lead him, and there was no strange god with him." (ll. 11--12) とある.よそから来た「神」が疎ましい,という引っかけか.
この写本については,LAEME よりこちらの情報も参照.
・ Dickins, Bruce and R. M. Wilson, eds. Early Middle English Texts. London: Bowes, 1951.
「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1]) や「#3097. ヤツメウナギがいなかったら英語の復権は遅くなっていたか,早くなっていたか」 ([2017-10-19-1]) に続き,歴史の if を語る妄想シリーズ.ノルマン征服がなかったら,英語はどうなっていただろうか.
まず,語彙についていえば,フランス借用語(句)はずっと少なく,概ね現在のドイツ語のようにゲルマン系の語彙が多く残存していただろう.関連して,語形成もゲルマン語的な要素をもとにした複合や派生が主流であり続けたに違いない.フランス語ではなくとも諸言語からの語彙借用はそれなりになされたかもしれないが,現代英語の語彙が示すほどの多種多様な語種分布にはなっていなかった可能性が高い.
綴字についていえば,古英語ばりの hus (house) などが存続していた可能性があるし,その他 cild (child), cwic (quick), lufu (love) などの綴字も保たれていたかもしれない.書き言葉における見栄えは,現在のものと大きく異なっていただろうと想像される.<þ, ð, ƿ> などの古英語の文字も,近現代まで廃れずに残っていたのではないか (cf. 「#1329. 英語史における eth, thorn, <th> の盛衰」 ([2012-12-16-1]) や「#1330. 初期中英語における eth, thorn, <th> の盛衰」 ([2012-12-17-1])) .
発音については,音韻体系そのものが様変わりしたかどうかは疑わしいが,強勢パターンは現在と相当に異なっていたものになっていたろう.具体的にいえば,ゲルマン的な強勢パターン (Germanic Stress Rule; gsr) が幅広く保たれ,対するロマンス的な強勢パターン (Romance Stress Rule; rsr) はさほど展開しなかったろうと想像される.詩における脚韻 (rhyme) も一般化せず,古英語からの頭韻 (alliteration) が今なお幅を利かせていただろう.
文法に関しては,ノルマン征服とそれに伴うフランス語の影響がなかったら,英語は屈折に依拠する総合的な言語の性格を今ほど失ってはいなかったろう.古英語のような複雑な屈折を純粋に保ち続けていたとは考えられないが,少なくとも屈折の衰退は,現実よりも緩やかなものとなっていた可能性が高い.古英語にあった文法性は,いずれにせよ消滅していた可能性は高いが,その進行具合はやはり現実よりも緩やかだったに違いない.また,強変化動詞を含めた古英語的な「不規則な語形変化」も,ずっと広範に生き残っていたろう.これらは,ノルマン征服後のイングランド社会においてフランス語が上位の言語となり,英語が下位の言語となったことで,英語に遠心力が働き,言語の変化と多様化がほとんど阻害されることなく進行したという事実を裏からとらえた際の想像である.ノルマン征服がなかったら,英語はさほど自由に既定の言語変化の路線をたどることができなかったのではないか.
以上,「ノルマン征服がなかったら,英語は・・・?」を妄想してみた.実は,これは先週大学の演習において受講生みんなで行なった妄想である.遊び心から始めてみたのだが,歴史の因果関係を確認・整理するのに意外と有効な方法だとわかった.歴史の if は,むしろ思考を促してくれる.
宇野重規(著)『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』を読んでいて,次の文章に出会った.T. S. Eliot (1888--1965) が英語の詩の特性と豊かさについて述べている箇所である.
一国の文化は多様な階級や地域の文化によって構成されると同時に,さらに上位の世界文化と接続していなければならない.エリオットにとって,アイルランドやスコットランド,ウェールズの文化がイングランド文化と結びついた上で,さらにより大きなヨーロッパの文化の一端を担うことが重要であった.逆に言えば,ヨーロッパ文化とは画一的なものであってはならないというのが,エリオットの確信であった.
このことは詩人であるエリオットにとって,本質的な重要性をもっていた.というのも,彼の見るところ,英語の詩の特性と豊かさは,英語がヨーロッパの多様な言語から合成されたものであることに由来するからである.作存続(アングル族とともにブリテン島に侵入したゲルマン民族の一つ,英国の基礎をつくる)の韻律,ノルマンフランス(ノルマン・コンクェストの中心となったフランス化したノルマン人)の韻律,ウェールズの韻律,さらにはラテン語やギリシア語の詩の研究によって,英国の詩は豊かなものになったことをエリオットは強調する. (75)
英語の雑種性は,語学的には特に語彙,綴字,韻律に色濃く反映されているが,韻律を接点として韻文文学にもおおいに反映している.上で述べられている「ノルマンフランス」の影響は特に大きく,古英語以来の頭韻 (alliteration) の伝統を,中英語以降に脚韻 (rhyme) の伝統に事実上置き換えるという大転換をもたらすことになった.ここでは,フランス語における脚韻詩が英語の詩作に直接影響を及ぼしたということはいうまでもないが,そのほかにも,「#796. 中英語に脚韻が導入された言語的要因」 ([2011-07-02-1]) で触れたように,中英語期にフランス借用語が大量に流入したことにより,フランス語式の強勢パターンがもたらされ,脚韻に都合のよい条件が整ったという事情もあった.
しかし,頭韻の伝統も,水面下において中英語期以降,現代まで脈々と受け継がれてきたことも事実である (see 「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1]),「#1560. Chaucer における頭韻の伝統」 ([2013-08-04-1])) .とすれば,近現代の詩の形式について,アングロ・サクソンの伝統とノルマン・フレンチの伝統が混合していると表現することは,まったく妥当なことである.
・ 宇野 重規 『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』 中央公論新社〈中公新書〉,2016年.
英語には,主に語頭の子音を合わせて調子を作り出す頭韻 (alliteration) の伝統がある.本ブログでは,「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1]) をはじめ,alliteration の各記事で,主に現代英語に残る頭韻の現象を扱ってきた.
しかし,英語史で「頭韻」といえば,なによりも古英詩における韻律規則としての頭韻が思い出される.頭韻は,古英語のみならず,古アイスランド語,古サクソン語,古高地ドイツ語などゲルマン諸語の韻文を特徴づける韻律上の手段であり,ラテン語・ロマンス諸語の脚韻 (rhyme) と際立った対比をなす.すぐれてゲルマン的なこの韻律手段について,古英詩においていかに使用されたかを,Baker (124--26) に拠って概説したい.
古英詩の1行 (line) は2つの半行 (verse) からなっており,前半行を on-verse (or a-verse),後半行を off-verse (or b-verse) と呼ぶ.その間には統語上の行間休止 (caesura) が挟まっており,現代の印刷では長めの空白で表わされるのが慣例である.各半行には2つの強勢音節(それぞれを lift と呼ぶ)が含まれており,その周囲には弱音節 (drop) が配置される.このように構成される詩行において,on-verse の2つの lifts の片方あるいは両方の語頭音と,off-verse の最初の lift の語頭音は,同じものとなる.これが古英詩の頭韻である.
頭韻の基本は語頭子音によるものだが,実際には語頭母音によるものもある.母音による頭韻では母音の音価は問わないので,例えば e と i でも押韻できる.また,子音による頭韻については,sc, sp, st の子音群に限って,その子音群自身と押韻しなければならず,例えば stān と sāriġ は押韻できない (see 「#2080. /sp/, /st/, /sk/ 子音群の特異性」 ([2015-01-06-1])) .一方,g と ġ,c と ċ は音価こそ異なれ,通常,互いに韻を踏むことができる.
頭韻が行に配置されるパターンには,いくつかのヴァリエーションがある.基本は以下の3種類である.
・ xa|ay: þæt biþ in eorle indryhten þēaw
・ ax|ay: þæt hē his ferðlocan fæste binde.
・ aa|ax: ne se hrēo hyġe helpe ġefremman
時々,以下のような ab|ab の型 (transverse alliteration) や ab|ba の型 (crossed alliteration) も見られるが,特別に修辞的な響きをもっていたと考えられる.
・ ab|ab: Þær æt hȳðe stōd hringedestefna
・ ab|ba: brūnfāgne helm, hringde byrnan
古英語頭韻詩の詩行は,上記の構造を基本として,その上で様々な細則に沿って構成されている.関連して,「#1897. "futhorc" の acrostic」 ([2014-07-07-1]),「#1560. Chaucer における頭韻の伝統」 ([2013-08-04-1]) も参照.
・ Baker, Peter S. Introduction to Old English. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2012.
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