昨今,世界英語 (World Englishes) について考察したり議論したりする機会が多くなってきた.私は英語史の立場から,世界英語現象を伝統的英米諸方言の話題の延長線上にあるものとしてとらえている.平たくいえば,世界英語は英語方言という広いテーマの1つであり,その点では英語史上のイギリス方言やアメリカ方言の話題と異ならない,という立場だ.単に方言展開の舞台が数カ国という狭い空間から世界という広い空間に拡大しただけで質的な違いはない,とみている.
もちろんこれは見方の問題であるし,すべてが見方次第である.世界英語の多様性と,例えばイギリス英語の多様性を比べるとき,相違点を列挙していくことはたやすい.
1. 世界英語にあっては,諸方言が展開する舞台は世界全体であり,狭いブリテン諸島のみとはわけが違う.
2. 世界英語にあっては,諸方言がいかにして発達してきたか,その方法や経路が明らかに多様である.
3. 世界英語にあっては,言語接触の果たす役割が段違いに大きい.
4. 世界英語にあっては,母語方言のみならず非母語方言も考慮に入れる必要がある.
5. 世界英語は20世紀後半から21世紀にかけての現代的な話題である.
5点のみ挙げたが,他にもいろいろと指摘することができるだろう.上記5点はそれぞれ興味深い論点ではあるが,異議を唱える(あるいは少なくとも議論の再考を促す)ことも同じくらい容易である.
1'. イギリス英語にあっては,諸方言が展開する舞台はブリテン諸島全体であり,狭いイングランドのみとはわけが違う.
2'. イギリスにあっては,諸方言がいかにして発達してきたか,その方法や経路が明らかに多様である.(古英語から現代英語に至るまでイングランド諸方言の発達を巡って未解決の問題が山積している.方言発達の方法や経路は十分に複雑で多様である.)
3'. イギリス英語にあっては,言語接触の果たす役割が大きい.(世界英語における言語接触の果たす役割が本当に「段違いに」大きいかどうかは慎重な議論を要する.というのは,そもそも英語史は言語接触の歴史といってもよいほどだからだ.)
4'. イギリス英語にあっては,母語方言のみならず非母語方言も考慮に入れる必要がある.(ウェールズやアイルランドの英語方言は,非母語方言として始まり発展してきた.)
5'. イギリス英語は20世紀後半から21世紀にかけての現代的な話題で「も」ある.(もちろん,それ以前の話題でもあったが.)
議論する上で2つの問題を切り分ける必要がない,と主張しているわけではない.見方を変えれば切り分けずに議論することもできるということを,英語史の立場から述べておきたい次第.
ちょうど1ヶ月後のことになりますが,2022年10月1日(土)15:30--18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて全4回のシリーズ「英語の歴史と世界英語」の第3回講座「英米の英語方言」を開講します.対面・オンラインのハイブリッド講座として開講される予定です.ご関心のある方は,ぜひ参加をご検討ください.シリーズ講座ではありますが,毎回独立した講座となっていますので,第1回,第2回に参加されていない方もご安心ください.詳細とお申し込みはこちらの公式ページよりどうぞ.第3回講座の概要は以下の通りです.
現代の「世界英語」を構成するさまざまな変種は,英語の諸方言とみることができます.実際,英語の歴史において方言は常に多様な形で存在し続けてきており,決して現代に特有の現象ではありません.アメリカ英語にも多くの方言が,イギリス英語にはさらに多くの方言がありましたし,今もあります.つまり「世界英語」は,歴史的な英語諸方言の延長線上にある現象なのです.英米方言,および諸方言の対極にある標準語の役割にも注目します.
21世紀の世界英語 (World Englishes) も,英語史を通じて存在し続けてきた英語諸方言も,様々な英語の集合体という点では変わりありません.多様性が展開する舞台こそ,狭いブリテン島から広い地球へと拡がってきましたが,本質的に新しいことが生じているわけではありません.現代世界で英語に生じている出来事は,歴史的には必ずしも特別なものではないのです.
とはいえ,もちろんすべてが同じわけでもありません.そのような異同を考えることで,現代の世界英語現象の特殊性をも浮き彫りにしていきたいと思います.かつての英語の多様性を振り返るに当たって,2大英語国である英米の諸方言に焦点を当てます.
第3回講座についてもう少し詳しく知りたい方は,予告編として Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」を通じて「#454. 朝カル講座の第3回「英語の歴史と世界英語 --- 英米の英語方言」」を配信していますので,そちらをお聴きください.
シリーズ講座の第1回,第2回については,以下の hellog や heldio でも取り上げています.こちらも参考までにどうぞ.
・ hellog 「#4775. 講座「英語の歴史と世界英語 --- 世界英語入門」のシリーズが始まります」 ([2022-05-24-1])
・ heldio 「#356. 世界英語入門 --- 朝カル新宿教室で「英語の歴史と世界英語」のシリーズが始まります」 (2022/05/22)
・ heldio 「#378. 朝カルで「世界英語入門」を開講しました!」 (2022/06/13)
・ hellog 「#4813. 朝カル講座の第2回「英語の歴史と世界英語 --- いかにして英語は拡大したのか」のご案内」 ([2022-07-01-1])
・ heldio 「#393. 朝カル講座の第2回「英語の歴史と世界英語 --- いかにして英語は拡大したのか」」 (2022/06/28)
昨日の記事「#4063. なぜ are はこのスペリングで「エァ」ではなく「アー」と発音するのですか?」 ([2020-06-11-1]) に引き続き,類似の問題です.were は,英語の正書法規則に則って発音すれば here, mere, sphere などと脚韻を踏んで [wɪə] となるか,あるいは ere, there, where などと脚韻を踏んで [wɛə] 辺りになりそうですが,実際には [wəː] などと発音されます.これはなぜでしょうか.
これは,昨日の are と同様に were もまた超高頻度の機能語として弱化と強化を繰り返してきた結果として説明されます.対応する古英語の形態は,標準的とされる West-Saxon 方言で wǣre や wǣron でした(cf. 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])).これが中英語にかけて [wæːrə] → [wɛːrə] → [wɛːr] と規則的に発達しました.ここまでは there や where などと同じ経路をたどっています.
しかし,この後 were は袂を分かちます.例の超高頻度の機能語としての性(さが)で,弱化が生じ,母音が短化して [wɛr] となります.ここからは -er をもつ多数の語と足並みを揃えて母音が規則的に発達し,[wə] となりました.現在,弱く発音されるときの発音が,この [wə] です.一方,これをもとに新たに強化(長化)した発音も生まれ,現在の通常の発音 [wəː] が定着したというわけです (Jespersen (130; §4.432)) .
歴史のある段階で were が there や where と袂を分かったと述べましたが,実は必ずしもそうだったわけではありません.袂を分かたずに発達したとおぼしき,there や where と脚韻を踏む [wɛə] の発音も,マイナーとはいえ現在でも行なわれているからです.LPD の Preference poll によると,この発音は,イギリス英語で強形として使用される場合に6%という割合ではありますが,確かに行なわれていることがわかります(←私もイギリス滞在中にこの発音をよく聴きました).
昨日の記事のシメの部分を were に関して繰り返したいと思います.were は,超高頻度の機能語であるがゆえに,歴史を通じて弱化と強化の過程にさらされてきました.様々な形態が現われては消えるというプロセスを繰り返し,結果として,そのなかのいずれかの形態が現代標準英語にまで生き延びてきた,ということになります.場合によっては,実に「ウィア」だったかもしれないのです(「ウェア」は実際に6%の現行発音).現在でも非標準発音を探してみれば,様々な形態が残っているはずです.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
何年も英語史のレポートや卒論を見てきましたが,英語の英米差に関する話題は常に人気のあるテーマです.英語史の授業でも,英米差の話題となると学生の反応が明らかに異なります.多くの英語学習者にとって,英語の英米差はそれくらい身近で興味を引かれるトピックなのだろうと思います.
本ブログでも英語の英米差に注目した多数の記事を書いてきました.以下にサブテーマごとに記事をグループ化し整理しましたので,順に読んでいけば英語の英米差を巡る様々な視点を体系的に学習することができます.そこから,ぜひ英語の英米差についての新しい問題を提起し,調査していってもらえればと思います.なお筆者一押しの記事は,英語史連載企画の一環として執筆した「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」です.
その他,アメリカ英語やイギリス英語の個別の話題について,ame や bre の多くの記事もご参照ください.
[まず英語の英米差クイズで腕試し]
・ 「#357. American English or British English?」
・ 「#359. American English or British English? の解答」
[英語の英米差の概論]
・ 「#1343. 英語の英米差を整理(主として発音と語彙)」
・ 「#3948. 『英語教育』の連載第12回「なぜアメリカ英語はイギリス英語と異なっているのか」」
・ 「#3472. 慶友会講演 (1) --- 「歴史上の大事件と英語」」
[発音の英米差]
・ 「#211. spelling pronunciation」
・ 「#406. Labov の New York City /r/」
・ 「#419. A Mid-Atlantic variety of English」
・ 「#945. either の2つの発音」
・ 「#964. z の文字の発音 (1)」
・ 「#965. z の文字の発音 (2)」
・ 「#3573. accomplish と one の強勢母音の変異」
[スペリング・表記の英米差]
・ 「#240. 綴字の英米差は大きいか小さいか?」
・ 「#244. 綴字の英米差のリスト」
・ 「#305. -ise か -ize か」
・ 「#1097. quotation marks」
・ 「#2093. <gauge> vs <gage>」
・ 「#2437. 3文字規則に屈したイギリス英語の <axe>」
・ 「#3182. ARCHER で colour と color の通時的英米差を調査」
・ 「#3247. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第5回「color か colour か? --- アメリカのスペリング」」
・ 「#3934. イギリスの er とアメリカの uh」
[文法の英米差]
・ 「#312. 文法の英米差」
・ 「#325. mandative subjunctive と should」
・ 「#3351. アメリカ英語での "mandative subjunctive" の使用は "colonial lag" ではなく「復活」か?」
[語彙・語法の英米差]
・ 「#510. アメリカ英語における whilst の消失」
・ 「#880. いかにもイギリス英語,いかにもアメリカ英語の単語」
・ 「#1754. queue」
・ 「#2916. 連載第4回「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」」
・ 「#2925. autumn vs fall, zed vs zee」
・ 「#3448. autumn vs fall --- Johnson と Pickering より」
・ 「#982. アメリカ英語の口語に頻出する flat adverb」
・ 「#1346. 付加疑問はどのくらいよく使われるか?」
・ 「#4036. stay at home か stay home か --- コーパス調査」
[英語の英米差の類型]
・ 「#627. 2変種間の通時比較によって得られる言語的差異の類型論」
・ 「#628. 2変種間の通時比較によって得られる言語的差異の類型論 (2)」
・ 「#1331. 語彙の英米差を整理するための術語」
・ 「#2268. 「なまり」の異なり方に関する共時的な類型論」
[英語の英米差に関する歴史的背景]
・ 「#3087. Noah Webster」
・ 「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」
・ 「#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い」
・ 「#851. イギリス英語に対するアメリカ英語の影響は第2次世界大戦から」
・ 「#1855. アメリカ英語で先に進んでいた3単現の -th → -s」
・ 「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」
・ 「#2262. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (2)」
・ 「#2270. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (3)」
・ 「#3089. 「アメリカ独立戦争と英語」のまとめスライド」
・ 「#3953. アメリカ英語の non-rhotic 変種の起源を巡る問題」
[英語の英米差を巡る社会言語学とイデオロギー問題]
・ 「#315. イギリス英語はアメリカ英語に比べて保守的か」
・ 「#1266. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (1)」
・ 「#1267. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (2)」
・ 「#1268. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (3)」
・ 「#1304. アメリカ英語の「保守性」」
・ 「#1318. 言語において保守的とは何か?」
・ 「#2926. アメリカとアメリカ英語の「保守性」」
・ 「#3201. アメリカ英語の「保守性」について --- Algeo and Pyles の見解」
・ 「#2672. イギリス英語は発音に,アメリカ英語は文法に社会言語学的な価値を置く?」
・ 「#3280. アメリカにおける民族・言語的不寛容さの歴史的背景」
・ 「#1010. 英語の英米差について Martinet からの一言」
[英語の英米差を調査するためのツールやその他の情報]
・ 「#428. The Brown family of corpora の利用上の注意」
・ 「#607. Google Books Ngram Viewer」
・ 「#1305. 統語タグのついた Google Books Ngram Corpus」
・ 「#1730. AmE-BrE 2006 Frequency Comparer」
・ 「#1739. AmE-BrE Diachronic Frequency Comparer」
・ 「#2186. 研究社Webマガジンの記事「コーパスで探る英語の英米差 ―― 基礎編 ――」」
・ 「#2216. 研究社Webマガジンの記事「コーパスで探る英語の英米差 ―― 実践編 ――」」
・ 「#1321. BNC Frequency Extractor」
・ 「#1322. ANC Frequency Extractor」
・ 「#773. PPCMBE と COHA の比較」
[英語の英米差を超えた諸変種間の比較]
・ 「#2388. 世界の主要な英語変種の音韻的分類」
・ 「#2668. 現代世界の英語変種を理解するための英語方言史と英語比較社会言語学」
・ 「#1743. ICE Frequency Comparer」
18--19世紀の Industrial Revolution (産業革命)は,英国社会の構造を大きく変えた.その社会言語学的な帰結は,端的にいえば伝統方言 (traditional dialects) から都市変種 (urban varieties) への移行といってよい.交通・輸送手段の発達により,人々の行動様式や社会的ネットワークが様変わりし,各地域の内部における伝統的な人間関係が前の時代よりも弱まり,伝統方言の水平化 (dialect_levelling) と共通語化 (koinéization) が進行した.一方で,各地に現われた近代型の都市が地域社会の求心力となり,新しい方言,すなわち都市変種が生まれてきた.都市変種は地域性よりも所属する社会階級をより強く反映する傾向がある点で,伝統方言とは異なる存在である.
Gramley (181) が,この辺りの事情を以下のように説明している.
[The Industrial Revolution and the transportation revolution] were among the most significant social changes of the eighteenth and nineteenth centuries. Partly as a prerequisite for and partly as an effect of industrialization there were fundamental changes in transportation. First, in the period after 1750 there was the establishment of turnpikes, then canals, and finally railroads. Among their consequences was the development of regional and supra-regional markets and, concomitant with this, greater labor force mobility in a money rather than barter economy with the potential for consumption. It hardly seems necessary to point out that this led to a weakening of the rural traditional dialects and an upsurge of new urban varieties in the process of dialect leveling or koinéization.
As industrialization continued, new centers in the Northeast (mining) and in the Western Midlands (textiles in Manchester and Birmingham and commerce in Liverpool) began to emerge. Immigration of labor from "abroad" also ensured further language and dialect contact as Irish workers found jobs in the major projects of canal building in the eighteenth and nineteenth centuries and then in the building of the railways. Enclaves of Irish came into being, especially in Liverpool. Despite linguistic leveling the general distinctions were retained between the North (now divided more clearly than ever between the English North and Scotland), the East Midlands and the now industrializing West Midlands, and the South. The emergence of a new, mostly working-class, urban population in the North in the nineteenth century was accompanied by a literature of its own. Pamphlets, broadsides, and almanacs showed local consciousness and pride in vernacular culture and language. As the novels of Elizabeth Gaskel demonstrate, language --- be it traditional dialect or working-class koiné --- was a marker of class solidarity.
このように,英国の近現代的な社会言語学的変種のあり方は,主として産業革命期の産物といってよい.
関連する話題として,「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]),「#2028. 日本とイングランドにおける方言の将来」 ([2014-11-15-1]),「#2023. England の現代英語方言区分 (3) --- Modern Dialects」 ([2014-11-10-1]) も参照.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
英語圏では,前世紀後半より言語上の性差別を廃する傾向が強まってきている.日常的言語使用の慣習ともなってきているが,それを支える法的な基盤もある.イギリスでの性差別を違法とする法律は1975年に制定されている(Sex Discrimination Act 1975 を参照).この法律は,その後廃止され,2010年の Equality Act 2010 に受け継がれている.
Crystal (314--15) によれば,
Legal changes, such as the Sex discrimination Act in Britain (1975), have caused job titles and much of the associated language to be altered. The written language has been most affected, but there have been signs of change in speech behaviour too. Plainly, the last quarter of the 20th century saw a general raising of consciousness about the issue of linguistic sexism, and this is likely to have a permanent effect upon the language.
このような言語上の性差別廃止の傾向は,上のような法律が駆動しているというよりは,すでにある社会的なトレンドを同法律が後押ししているとみなすほうが適切だろう.というのは,法律が明言しやすいのは書き言葉における非性差別表現使用の徹底だと思われるが,法律がいかに話し言葉にまで影響を及ぼし得るかは自明ではないにもかかわらず,実際には日常の話し言葉においても非性差別の方向での「慣行の変化の兆し」が確認されるからだ.これは,程度の差はあれ,昨今の日本語の環境においても見られる潮流だろう.
関連して,言語使用における性差別の解消について,以下の記事も参照.
・ 「#2655. PC言語改革の失敗と成功」 ([2016-08-03-1])
・ 「#1709. 主要英訳聖書年表」 ([2013-12-31-1]):特に The New Revised Standard Version (1990) の性差別表現の忌避は徹底的
・ 「#1048. フランス語の公文書で mademoiselle が不使用へ」 ([2012-03-10-1])
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
日本の英語教育では,アメリカ英語が主流となっている.20世紀後半からはアメリカの国力を背景に,世界的にもアメリカ英語の影響力が増し,アメリカ英語化 (americanisation) が進行してきたことは疑いえない(「#851. イギリス英語に対するアメリカ英語の影響は第2次世界大戦から」 ([2011-08-26-1]) を参照).しかし,一方で歴史的に培われてきた世界におけるイギリス英語の伝統も根強く,「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」 ([2010-05-08-1]) の地図でみたように,その効果はいまだ広範にして顕在である.
このように,米英2大変種はしばしば対立して示されるが,今後発展していくと想定される英語の世界標準,いわゆる "World Standard (Spoken) English" (wsse) が,米英2大変種のいずれかに一致するということはないだろう.勢いのあるアメリカ英語がその中心となっていくだろうとは予想されるが,あくまでその基盤となるだろうということであり,その上に様々な独立変種あるいは混合変種の要素が加えられ,全体として混交・中和した新たな変種へと発展していくと予想される(関連して,「#426. 英語変種のピラミッドモデル」 ([2010-06-27-1]),「#1010. 英語の英米差について Martinet からの一言」 ([2012-02-01-1]) などの記事を参照).
このような状況を考えると,何が何でもアメリカ英語をマスターするとか,あるいはイギリス英語にこだわるとか,英語学習において力む必要はなくなってきていると言えるだろう.聴く・読むという受動的な英語能力の観点からいえば,有力な変種に特有な表現などについて,よく学習しておくに越したことはないが,話す・書くという能動的な能力に関しては,それほど「○○英語での言い方」にこだわる必要はない,少なくともその必要性は薄れてきているのではないか.
上の提案の妥当性を判断するのに,世界における英語使用の展望を要約した Baugh and Cable (394) の文章が参考になる.
The global context of English . . . makes the traditional categories [= American English and British English] more problematic and the choices more complex than they were previously perceived to be. American English may be the most prominent source of emerging global English, and yet it will be American English derancinated and adapted in a utilitarian way to the needs of speakers whose geography and culture are quite different. To the extent that Americans think about the global use of English at all, it is often as a possession that is lent on sufferance to foreigners, who often fail to get it right. Such a parochial attitude will change as more Americans become involved in the global economy and as they become more familiar with the high quality of literature being produced in post colonial settings. Many earlier attacks on American English were prompted by the slang, colloquialisms, and linguistic novelties of popular fiction and journalism, just as recent criticism has been directed at jargon in the speech and writings of American government officials, journalists, and social scientists. Along with the good use of English there is always much that is indifferent or frankly bad, but the language of a whole country should not be judged by its least graceful examples. Generalizations about the use of English throughout a region or a culture are more likely to mislead than to inform, and questions that lead to such generalizations are among the least helpful to ask. In the United States, as in Britain, India, Ghana, and the Philippines, in Australia and Jamaica, one can find plentiful samples of English that deserve a low estimate, but one will find a language that has adapted to the local conditions, usually without looking over its shoulder to the standards of a far-away country, and in so adapting has become the rich medium for writers and speakers of great talent and some of genius.
もちろん,あえて諸変種のちゃんぽんを学ぶことを心がけるというのも妙なものなので,緩やかに学習のターゲットとなる変種を定めておいた上で,他変種からの混合も自由に受け入れるという柔軟な態度が最良なのかもしれない.そして,そのような英語学習の結果として,世界的で格調高い新しい英語変種の使い手になることが望ましいと考える.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
世界の主要な英語変種を分類する試みは,主として社会言語学的な視点から様々になされてきた.本ブログでも,model_of_englishes の記事で取り上げてきた通りである.言語学的な観点からの分類としては,Trudgill and Hannah による音韻に基づくものが知られている.概論的にいえば,大きく 'English' type と 'American' type に2分する方法であり,直感的で素人にも理解しやすい.この常識的に見える分類が,結論としては,専門的な見地からも支持されるということである.この 'American' type と 'English' type の2分法は,より積極的に歴史的な視点を取れば,大雑把にいってイングランド内の 'northern' type と 'southern' type の2分法に相当することに注意したい.
Trudgill and Hannah (10) は,音韻論的に注目すべき鍵として以下の10点を挙げて,英語諸変種を図式化した.
Key
1. /ɑː/ rather than /æ/ in path etc.
2. absence of non-prevocalic /r/
3. close vowels for /æ/ and /ɛ/, monophthongization of /ai/ and /ɑu/
4. front [aː] for /ɑː/ in part etc.
5. absence of contrast of /ɒ/ and /ɔː/ as in cot and caught
6. /æ/ rather than /ɑː/ in can't etc.
7. absence of contrast of /ɒ/ and /ɑː/ as in bother and father
8. consistent voicing of intervocalic /t/
9. unrounded [ɑ] in pot
10. syllabic /r/ in bird
11. absence of contrast of /ʊ/ and /uː/ as in pull and pool
10 9 8 7 6 5 6 7 8 9 11 10 11 5 1 2 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | Northern | | | | | | | | | | | Canada | | | | | Ireland | Scotland | | | | | | | | | | | | | | `----------+----------' | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | `--------+---+---+---+--------------+--------------' | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | `----------, | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | USA | | | ,----------+---+------------------' | | | | | | | | | | Republic | | | | | | | `------------' | | | of | | ,------------------' | | | | | | | Ireland | | | | | | `--------------------' | | | | | England ,--------------------------------- 3 | | | | | | | | | | | | | | | | | Wales | ,----------------------- 4 | | | | | | | | | South | Australia New | | `----------------------------' | | | | | Africa | Zealand | | | | | | | `----------------------- 4 | | | | | | | | `------------------------------------+----------' | | `--------------------------------- 3 | | | | `----------------------------------------+--------------' `--------------------------------------------- 2 | `---------------------------------------------------------------- 1
We have attempted to portray the relationships between the pronunciations of the major non-Caribbean varieties in [this] Figure 1.1. This diagram is somewhat arbitrary and slightly misleading (there are, for example, accents of USEng which are close to RP than to mid-western US English), but it does show the two main types of pronunciation: an 'English' type (EngEng, WEng, SAfEng, AusEng, NZEng) and an 'American' type (USEng, CanEng), with IrEng falling somewhere between the two and ScotEng being somewhat by itself.
最後に触れられているように,Irish English が2大区分にまたがること,古い歴史をもつ Scots English が独自路線を行っていることは興味深い.
・ Trudgill, Peter and Jean Hannah. International English: A Guide to the Varieties of Standard English. 5th ed. London: Hodder Education, 2008.
「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」 ([2015-07-06-1]),「#2262. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (2)」 ([2015-07-07-1]) に引き続いての話題.[2015-07-07-1]では,Fisher を参照した Gramley による具体的な数字も示しながら,初期移民の人口統計を簡単に確認したが,この Fisher 自身は David Hackett Fischer による Albion's Seed (1989年) に拠っているようだ.さらに,この D. H. Fischer という学者は,アメリカ英語史研究者の先達である Hans Kurath, George Philip Krapp, Allen Walker Read, Albert Marckwardt, Raven McDavid, Cleanth Brooks 等に依拠しつつ,具体的な人口統計の数字を提示しながら,イギリス英語とアメリカ英語の連続性を主張しているのである.
Fischer の記述を信頼して Fisher がまとめた(←名前の綴りが似ていて混乱するので注意!)初期移民史について,以下に引用しよう (Fisher 60) .初期植民地への移民の95%以上がイギリスからであり,それは4波にわかれて行われたという.
1. 20,000 Puritans largely from East Anglia to to New England, 1629--41, to escape the tyranny of the crown and the established church that led to the Puritan revolution;
2. 40,000 Cavaliers and their servants largely from the southwestern counties of England to the Chesapeake Bay area and Virginia, 1642--75, to escape the Long Parliament and Puritan rule;
3. 23,000 Quakers from the North Midlands and many like-minded evangelicals from Wales, Germany, Holland, and France, to the Delaware Valley and Pennsylvania, 1675--1725, to escape the Act of Uniformity in England and the Thirty Years War in Europe;
4. 275,000 from the North Border regions of England, Scotland, and Ulster to the backcountry of New England, western Pennsylvania, and the Appalachians, 1717--75, to escape the endemic conflict and poverty of the Border regions, and especially the 1706--7 Act of Union between England and Scotland, which brought about the "pacification" of the border, transforming it from a combative society in need of many warriors to a commercial and industrial society in need of no warriors, with the consequent large-scale displacement of the rural population.
Fischer は伝統的なアメリカへの初期移民史の記述を人口統計によって補強したということだが,これは英語変種の連続性を考える上では非常に重要な情報である.
イギリス変種からアメリカ変種への連続性を論じる際に必ず話題になるのは,non-prevocalic /r/ である.この話題については「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) と「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]) で合わせて導入し,「#1267. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (2)」 ([2012-10-15-1]) で問題の複雑さに言及したとおりだが,Fisher (75--77) も慎重な立場からこの問題に対している.確かに,250年ほど前に non-prevocalic /r/ の消失がロンドン近辺で始まったということと,アメリカへの移民が17世紀前半に始まったということは,アナクロな関係ではあるのだ.それでも,歴史言語学的な連続性に関する軽々な主張は慎むべきであるものの,一方で英語史研究において連続性の可能性に注意を払っておくことは常に必要だとも感じている.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
・ Fisher, J. H. "British and American, Continuity and Divergence." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. English in North America. Ed. J. Algeo. Cambridge: CUP, 2001. 59--85.
昨日の記事「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」 ([2015-07-06-1]) に引き続いての話題.「#1301. Gramley の英語史概説書のコンパニオンサイト」 ([2012-11-18-1]) と「#2007. Gramley の英語史概説書の目次」 ([2014-10-25-1]) で紹介した Gramley の英語史書は,地図や図表が多く,学習や参照に便利である.イギリスからアメリカへの初期の移民のパターンについても,"Major sources and goals of immigration" (248) と題する有用なアメリカ東海岸の地図が掲載されている.Gramley の地図では,ブリテン諸島からの移民のルートのほか,ドイツ,カリブ諸島,ドイツからの移民の流入の経路なども示されている.
いずれの移民もアメリカ英語の方言形成に何らかの貢献をしていると考えられるが,昨日の記事 ([2015-07-06-1]) および「#1700. イギリス発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-22-1]) を参照してわかるとおり,ブリテン諸島からの移民がとりわけ重要な役割を果たしたことはいうまでもない.ブリテン諸島からの移民について,人口統計を含めた要約的な文章が Gramley (246) にあるので,引用しよう.
The English language which the settlers carried along with them was, of course, that of England. The colonists surely brought various regional forms, but it is generally accepted that the largest number of those who arrived came from southern England. Baugh (1957) concludes --- on the limited evidence of 1281 settlers in New England and 637 in Virginia for whom records exist for the time before 1700 --- that New England was predominantly settled from the southeastern and southern counties of England (about 60%) as was Virginia (over 50%). Fisher's figures indicate that 20,000 Puritans came between 1629 and 1641, the largest part from Essex, Suffolk, Cambridgeshire, and East Anglia with fewer than 10% from London, and that 40,000 "Cavaliers" fled especially from London and Bristol during the Civil War and went to the Chesapeake area and Virginia (Fisher 2001: 60). The Middle Colonies of Pennsylvania, new Jersey, and Delaware probably had a much larger proportion from northern England, including 23,000 Quakers and Evangelicals from England, Wales, Germany, Holland, and France. Over 250,000 from northern England, the Scottish Lowlands, and especially Ulster settled in the back country . . . . In each of the areas settled the nature of the language was set by speech patterns established by the first several generations.
アメリカの New England や南部への移民には,イングランド南部の出身者が多く関与し,アメリカの中部諸州そしてさらに奥地へは,イングランド北部,ウェールズ,スコットランド,アイルランドからの移民が多かったことが改めて確認できるだろう.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
・ Baugh, A. C. A History of the English Language. 2nd ed. New York: Appleton-Century-Crofts, 1957.
・ Fisher, J. H. "British and American, Continuity and Divergence." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. English in North America. Ed. J. Algeo. Cambridge: CUP, 2001. 59--85.
標題は「#1701. アメリカへの移民の出身地」 ([2013-12-23-1]) で取り上げた話題だが,今回は地図を示しつつ解説する.
アメリカ英語の方言形成過程を理解するには,17世紀に始まるイギリス諸島からの初期の移民と,その後のアメリカ内での移住の歴史が大きく関わってくる.イギリス人によるアメリカへの植民は,1607年の Jamestown の建設に始まるが,この植民に携わったのは主としてイングランド南部出身者だった.最初の入植者として彼らの言語的な役割は大きく,イングランド南部方言が Jamestown にもたらされ,後にアメリカ南部に拡がる契機が作られた.
1620年に Plymouth にたどり着いた "Pilgrim fathers" にも,イングランド南部(および東部)出身者が多かった.彼らは,先の入植者と同様に,およそイングランド南部の方言特徴を携えて新大陸に渡ったのであり,New England を中心とした北東部海岸地域にその方言特徴を定着させた.
一方,1680年代からはイングランド中部・北部やウェールズからのクエーカー教徒 (Quakers) が大挙して Pennsylvania へ入植した.Pennsylvania などの中部へは,さらに18世紀の半ばにスコットランド系アイルランド人 (Scots-Irish) が数多く流入し,後の西部開拓の原動力となった.また,19世紀半ばにも多くのアイルランド人が押し寄せた.中部諸州に入り,西部へと展開したこれらイングランド南部以外の地域からやってきた移民たちは,いわば非標準的といえるイギリス諸方言を携えて新大陸にやってきたのだが,この諸方言こそが,後のアメリカにおける主たる方言となる中部方言 (Midland dialect) の種だったのである.
イギリス諸島からの移民の出身地と方言を念頭に,上記をまとめると次のようになる.標準的なイングランド南部方言を携えたイングランド南部出身者は,その標準変種をアメリカの New England や南部諸州へと伝えた.一方,非標準的なイングランド中部・北部,ウェールズ,スコットランド,アイルランドの諸方源を携えた地方出身者は,その非標準変種をアメリカの Pennsylvania や中部諸州,そして西部へと広く伝えた.大雑把に図式化すると,以下の地図の通りである.
このようなアメリカ英語形成期 (1607--1790) における初期移民の効果は,現代アメリカ英語の non-prevocalic /r/ の分布によく反映されていると言われる.「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]) の地図に示した通り,大雑把にいってアメリカ中部・西部の広い地域では car, four などの語末の /r/ は発音される,すなわち rhotic である.これは,「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) で見たように,現代のイングランド周辺地域の方言が non-rhotic であることに対応する.一方,アメリカの New England と南部諸州では,およそ non-rhotic である.これは,イングランドの中心部がおよそ rhotic であることと符合する.[2010-07-24-1]で触れたとおり,この分布は偶然ということではなく,歴史的な連続性を疑うべきだろう.
移民先の方言の形成や分布を論じるにあたっては,移民の出身地と携えてきた方言に注目することが肝要である.関連して,以下の記事も参照.
・ 「#1698. アメリカからの英語の拡散とその一般的なパターン」 ([2013-12-20-1])
・ 「#1699. アメリカ発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-21-1])
・ 「#1700. イギリス発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-22-1])
・ 「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1])
・ 「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1])
昨日の記事「#2026. intrusive r (2)」 ([2014-11-13-1]) で現代イングランドで分布を拡大させている現象の1つに注目したが,もう1つの急速に分布を拡げている音韻変化である [l] の母音化を紹介しよう.ある音韻環境において [l] が母音の音色を帯びる傾向がイングランド南東方言で顕著となってきており,拡大している (Trudgill 63--66; 地図は Trudgill 64 をもとに作成したもの) .
その代表例として挙げられるのが,milk の発音である.従来の [mɪlk] の発音が,[mɪʊlk] を経て [mɪʊk] へと変化してきている.[l] (特に dark l; cf. 「#1817. 英語の /l/ と /r/ (2)」 ([2014-04-18-1])) のもつ後舌性が直前の母音に影響を与えて,[ɪ] を [ɪʊ] に変え,さらに [l] 自らは消えて行くという過程である.母音の後に [l] が続く環境で広く起こっており,hill, roll, ball などでも同じ現象が確認される.音声学的には同化 (assimilation) の1例であり,さほど珍しいことでもないが,ロンドンで特に顕著に起こっており,南東イングランドを中心に影響力をもち始めているという点が興味深い.そこでは,fill と feel がともに [fɪʊ ? fɪʊl] に合一しており,doll と dole は [dʌʊ] へ収斂し,pull と Paul も [pʌʊ] へ融合してしまっている.
250年ほど前に non-prevocalic /r/ の脱落がロンドン周辺で起こり,勢力を拡大してきたことを考えると,現在 non-prevocalic /l/ の脱落がロンドンを中心に始まっているということは示唆的である.今後,イングランドのより広い地域の方言へ拡大し,イングランド現代方言における標準と目されるようになる可能性がある.
・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
「#1029. England の現代英語方言区分 (1)」 ([2012-02-20-1]) 及び「#1030. England の現代英語方言区分 (2)」 ([2012-02-21-1]) で現代イングランドの英語区分を示した.そこで示したのはいわゆる伝統方言 (Traditional Dialects) である.伝統方言は20世紀半ばにはすでに減退しており,21世紀の現在ではその減退が続き,消滅しかかっているといっても過言ではない.一方で,新しいタイプの方言,いわゆる現代方言 (Modern Dialects) が取って代わって若い世代に影響力を及ぼしており,方言としては主流のタイプとなっている.このイングランドの Modern Dialects は,日本語方言学者の井上史雄先生が日本語の伝統方言を置換しつつあるものとして提起した「新方言」に,いくつかの点で比較され,興味深い.
Trudgill (5--6) は,Traditional Dialects に対置するものとしての Modern Dialects あるいは Mainstream Dialects という新種の方言に注目し,その区別を次のように表現している(伝統方言の定義については,[2012-02-20-1]の記事の引用を参照).
Mainstream Dialects, on the other hand, include both the Standard English Dialect and the Modern Nonstandard Dialects. Most native English speakers speak some variety of Mainstream Dialect. These dialects are associated with native speakers outside the British Isles, especially in recently settled areas which speak mixed colonial dialects, such as Australia and most of America and Canada. In Britain, they are particularly associated with those areas of the country from which Standard English originally came --- the southeast of England; with most urban areas; with places which have become English-speaking only relatively recently, such as the Scottish Highlands, much of Wales, and western Cornwall; with the speech of most younger people; and with middle- and upper-class speakers everywhere. The mainstream Modern Nonstandard Dialects differ much less from Standard English and from each other, and are often distinguished much more by the pronunciation --- their accent --- than by their grammar.
以下に示すのは,Trudgill (66--67) による Modern Dialects の区分である.ノードの開閉もできる Flash 版も作成しみたのでこちらもどうぞ.
*
・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Blackwell: Malden, MA: 2000.
本ブログでは,中英語方言に関して,特定の語,形態素,音素の分布に注目した記事として,方言地図とともに「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]),「#790. 中英語方言における動詞屈折語尾の分布」 ([2011-06-26-1]),「#1320. LAEME で見る most の異形態の分布」 ([2012-12-07-1]),「#1622. eLALME」 ([2013-10-05-1]) などを書いてきた(ほかにも,me_dialect の記事を参照).また,一般的な中英語の方言区分図を「#130. 中英語の方言区分」 ([2009-09-04-1]) で示した.
中英語方言に限らないが,方言間を区別する音韻対応と方言線 (isogloss) の複雑さはよく知られている.中英語では LALME や LAEME という詳細な言語地図が出版されているので,その具体的な地図を覗いてみれば一目瞭然である.そこで,大雑把にでも主たる変異や音韻対応(及びそれを反映していると考えられる綴字対応)を理解していると便利だろう.そのような目的で「#1341. 中英語方言を区分する8つの弁別的な形態」 ([2012-12-28-1]) が役立つが,Lerer (92) の示している簡易方言図も役に立ちそうだ.Lerer は,高い弁別素性をもつ6語 ("stone", "man", "heart", "father", "them", "hill") を選んで,中英語5方言を簡易的に図示した.以下は,Lerer のものを参照して作った図である.
じっくり眺めていると,架空の方言線があちこちに走っているのが 見えてきそうだ.hill -- hell -- hull に見られる母音の変異については,関連して「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]) を参照.
当然ながら,中英語の方言区分は,現代イングランド英語の方言区分とも無縁ではない.8つの語による現代の区分は,「#1030. England の現代英語方言区分 (2)」 ([2012-02-21-1]) を参照されたい.
・ Lerer, Seth. Inventing English. New York: Columbia UP, 2007.
イギリス人の習性として,何事にも列を作るということがしばしば言われる.例えば,NTC's Dictionary of Changes in Meanings によると,George Mikes は How to Be an Alien (1946) のなかで,"Queueing is the national pastime of an otherwise dispassionate race. The English are rather shy about it, and deny that they adore it" と評している.
イギリス人のこの習性を反映し,いかにもイギリス英語的と言うべき語が上にも出た「行列(を作る)」を意味する queue である.アメリカ英語ではこの意味では line を用いるのが普通である.先日,オーストラリアに出かけていたが,そこでは予想通りイギリス的な queue が用いられている.queue がイギリス英語的であることを具体的に確認すべく,「#1730. AmE-BrE 2006 Frequency Comparer」 ([2014-01-21-1]) や「#1739. AmE-BrE Diachronic Frequency Comparer」 ([2014-01-30-1]) に,^queu(e[sd]?|ing)$ と入れて検索してみると,統計的に検定するまでもなく,明らかに分布はイギリス英語への偏りを示す.AmE-BrE 2006 Frequency Comparer による検索結果を以下に掲げておこう.
ID | WORD | FREQ | TEXTS | RANK | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
AME_2006 | BRE_2006 | AME_2006 | BRE_2006 | AME_2006 | BRE_2006 | ||
1 | queue | 2 | 19 | 2 | 12 | 26348 | 5149 |
2 | queued | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 39987 |
3 | queues | 0 | 9 | 0 | 9 | 0 | 8971 |
4 | queuing | 0 | 9 | 0 | 9 | 0 | 8972 |
昨日の記事「#1699. アメリカ発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-21-1]) を受けて,今日はイギリス版を.昨日と同様,Gramley の英語史のコンパニオンサイトより,7章のための補足資料の p. 6 を転載する.イギリス諸島のどの地域から,世界のどの地域へ人々と英語が移動したかを時代順に示したものである.
FROM | TO |
---|---|
Southwest England | Southeastern Ireland (from 1556 to well into the 17th century) |
Scotland + England | Ulster (from 1606 to the 1690's) |
England + Scotland | North America (from 1607) |
Britain + Ireland | the Caribbean (esp. Barbados) (from 1627) |
Britain + Ireland | Australia (from 1788) |
England | South Africa (from 1820) |
Britain + Australia | New Zealand (from 1820) |
Britain (exploration, trade, colonial administration) | West Africa: Gambia (1661, 1816); Sierra Leone (1787); Ghana (1824; 1850); Nigeria (1851, 1861); Camero on (1914) |
East Africa: Uganda (1860's); Malawi (1878); Kenya (1886); Tanzania (1880's) | |
Southern Africa: South Africa (1795); Botswana (19th century); Namibia (1878); Zambia (1888); Zimbabwe (1890); Swaziland (1894) | |
South Asia: India (1600); Bangla Desh (1690); Sri Lanka (1796); Pakistan (1857) | |
Southeast Asia: Malaysia (1786); Singapore (1819); Hong Kong (1841) |
社会階級によって言語使用に差があることは,社会言語学の得意とする話題である.本ブログでも折に触れて取り上げてきた話題だが,いくつかの記事へのリンクを「#1504. 日本語の階層差」 ([2013-06-09-1]) の冒頭に張ったので,参照されたい.
現代イギリス英語における社会階級の差に関する議論で,とりわけ論争の的になったのは,イギリスの言語学者 Ross による U(pper) vs non-U(pper) という区別である.最もよく知られているのは,食卓用ナプキンを指示する table-napkin と serviette の例だろう.上流階級は前者を用い,非上流階級は後者を用いると言われる.語彙の選択が,生まれ育ちによる品や,洗練と粗野の問題に関わってくるというのだから,人々の関心の対象となるのも無理からぬことだった.
Ross (3) は,次のように述べ,議論を巻き起こした.
Today, in 1956, the English class-system is essentially tripartite---there exist an upper, a middle, and a lower class. It is solely by its language that the upper class is clearly marked off from the others. In times past (e.g. in the Victorian and Edwardian periods) this was not the case. But, today, a member of the upper class is, for instance, not necessarily better educated, cleaner, or richer than someone not of this class. Nor, in general, is he likely to play a greater part in public affairs, be supported by other trades or professions, or engage in other pursuits or pastimes than his fellow of another class.
つまり,現在のイギリスでは,階級差は,事実上,言語使用によってのみ標示されるという.社会言語学では社会的な区分と言語的な差異の対応を調査し,両者の入り組んだ相互関係を考察しようと腐心しているのだが,Ross は後者が前者を決定しているのだと平然と断じたわけである.そう簡単な問題ではないはずだが,人々の興味を引きつけるには十分だった.
Ross は書き言葉と話し言葉における U vs non-U を区別し,後者では発音と語彙(表現)の U vs non-U をさらに区別しているが,以下では語彙(表現)における U と non-U の対立を示す例を列挙しよう (20--24) .なお,いずれかの変種に対応表現がない場合も多々ある.
U | non-U |
---|---|
jerry, pot | article |
have one's bath | take a bath |
civil | |
bus | coach |
stays | corsets |
counterpane | coverlet |
salt-cellars, pepper-pots | cruet |
crust, crumb | |
civilized | cultivated, cultured |
Have some more tea? | How is your cup? |
bike, bicycle | cycle |
dinner | evening meal |
dinner jacket, short coat, etc. | dress-suit |
excuse my glove | |
greatcoat, topcoat | |
vegetables | greens |
They've a very nice house | They've a lovely home |
riding | horse-riding |
I was very sick on the boat | I was very ill on the boat |
knave | jack |
la-di-da | |
hall, dining-room | lounge |
mad | mental |
a matter of business | |
If you don't mind my mentioning it | |
looking-glass | mirror |
writing-paper | note-paper |
What?, Sorry! | Pardon! |
pass a (nasty) remark | |
Pleased to meet you. | |
posh | |
jam | preserve |
wireless | radio |
rude | |
table-napkin | serviette |
work for an exam | study for an exam |
master, mistress | teacher |
lavatory-paper | toilet-paper |
rich | wealthy |
昨日の記事「#1355. 20世紀イギリス英語で集合名詞の単数一致は増加したか?」 ([2013-01-11-1]) で取り上げた,Bauer の集合名詞の数の一致に関する調査について,紹介を続ける.The Times の社説のコーパスによる通時的な調査を通じて,Bauer は群を抜いて最頻の集合名詞である government が,20世紀の間に,数の一致に関して興味深い分布を示すことを発見した (Bauer 64--65) .
20世紀の前期には,government は複数一致が多いものの,従来から指摘されているとおり,とらえ方に応じて単複のあいだで変異を示していた.ところが,中期になると,単複一致の違いが指示対象の違いに対応するようになった.複数として用いられるときには英国政府を指し,単数として用いられるときには他国政府を指すという傾向が現われてくるというのだ.文法の問題というよりも,意味(指示対象)の問題へと移行したかのようだ.以下に,Bauer (64) の "Concord with government by meaning from The Times corpus, 1930--65" のデータを再掲しよう.
Year | British government | Non-British government | ||
---|---|---|---|---|
Singular | Plural | Singular | Plural | |
1930 | 3 | 15 | 12 | 3 |
1935 | 2 | 13 | 1 | 12 |
1940 | 2 | 14 | 4 | 2 |
1945 | 2 | 7 | 2 | 2 |
1950 | 1 | 26 | 26 | 0 |
1955 | 2 | 2 | 8 | 0 |
1960 | 0 | 23 | 8 | 0 |
1965 | 1 | 13 | 4 | 1 |
Total | 13 | 113 | 65 | 18 |
主語と動詞の数の一致については,「#930. a large number of people の数の一致」 ([2011-11-13-1]) ,「#1144. 現代英語における数の不一致の例」 ([2012-06-14-1]) ,「#1334. 中英語における名詞と動詞の数の不一致」 ([2012-12-21-1]) の記事で扱ってきた.一般に,現代英語において government や team などの集合名詞の数の一致は,アメリカ英語ではもっぱら単数で一致するが,イギリス英語ではとらえ方に応じて単数でも複数でも一致するとされる.この一般化は概して有効だが,数の一致に関して変異を示すイギリス英語についてみると,20世紀を通じて単数一致の傾向が強まってきているのではないかという指摘がある.Bauer (61--66) の The Times の社説を対象としたコーパス研究を紹介しよう.
Bauer は,1900--1985年の The Times corpus の社説からなるコーパスを対象に,集合名詞が単数で一致する比率を求めた.Bauer は,本調査は The Times 紙の社説という非常に形式張った文体における調査であり,これが必ずしもイギリス英語全体を代表しているとはいえないと断わった上で,興味深いグラフを与えている.以下は,Bauer (63) のグラフから目検討で数値を読み出し,再作成したものである.
回帰直線としてならせば,毎年0.3178%の割合での微増となっている.数値が安定しないことやコーパスの偏りなどの理由によりこの結果がどこまで信頼できるのかが問題となるが,Bauer は細かい情報を与えておらず,判断できないのが現状である.
Bauer はさらに,コーパス内で最も頻度の高い集合名詞 government が特殊な振る舞いをすることに注目し,この語を除いた集合名詞について,単数一致の割合を再計算した.上のグラフと同じ要領で,Bauer (66) のグラフに基づいて下のグラフを再作成した.ならすと毎年0.1877%の割合での微増である.
この結果は多くの点で仮の結果にとどまらざるを得ないように思われるが,少なくともさらに調査を進めてゆくためのスタート地点にはなるだろう.
なお,Bauer は1930年代にこの傾向に拍車がかかったという事実を根拠に,アメリカ英語が影響を与えたと考えることはできないだろうとしている([2011-08-26-1]の記事「#851. イギリス英語に対するアメリカ英語の影響は第2次世界大戦から」を参照).
government の数の一致に関するおもしろい振る舞いについては,明日の記事で紹介する.
・ Bauer, Laurie. Watching English Change: An Introduction to the Study of Linguistic Change in Standard Englishes in the Twentieth Century. Harlow: Longman, 1994.
昨日の記事「#1029. England の現代英語方言区分 (1)」 ([2012-02-20-1]) でイングランドにおける現代英語の方言区分を示した.方言区分は,なるべく弁別力の高い語を選び出し,その等語線 (isogloss) の重なり具合で線引きしてゆくのが伝統的な手法だが,どの語を選び出すかについての客観的な基準を設けることは難しい.多かれ少なかれ方言学者の主観が入るものだ.
では,昨日の Trudgill の方言区分は何に基づいているか.Trudgill は,以下の8個の単語を選び出し,その等語線によって13の区分を設けた.等語線が複雑に入り組んでいることは,以下の分布表から容易に知れるだろう (Trudgill 33) .
Long | Night | Blind | Land | Arm | Hill | Seven | Bat | ||
older form | lang /læŋ/ | neet /niːt/ | blinnd /blɪnd/ | land /lænd/ | arrm /aːrm/ | hill /hɪl/ | seven /sevn/ | băt [bat] | |
newer form | long /lɒŋ/ | nite /naɪt/ | blined /blaɪnd/ | lond /lɒnd/ | ahm /aːm/ | ill /ɪl/ | zeven /zevn/ | bæt [bæt] | |
1 | Northumberland | lang | neet | blinnd | land | arrm | hill | seven | bat |
2 | Lower North | lang | neet | blinnd | land | ahm | ill | seven | bat |
3 | Lancashire | long | neet | blined | lond | arrm | ill | seven | bat |
4 | Staffordshire | long | nite | blined | lond | ahm | ill | seven | bat |
5 | South Yorkshire | long | neet | blinnd | land | ahm | ill | seven | bat |
6 | Lincolnshire | long | nite | blinnd | land | ahm | ill | seven | bat |
7 | Leicestershire | long | nite | blined | land | ahm | ill | seven | bat |
8 | Western Southwest | long | nite | blined | land | arrm | ill | zeven | bat |
9 | Northern Southwest | long | nite | blined | lond | arrm | ill | seven | bat |
10 | Eastern Southwest | long | nite | blined | land | arrm | ill | seven | bat |
11 | Southeast | long | nite | blined | lænd | arrm | ill | seven | bæt |
12 | Central East | long | nite | blined | lænd | ahm | ill | seven | bæt |
13 | Eastern Counties | long | nite | blined | lænd | ahm | hill | seven | bæt |
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