「#5576. 標準語の変遷と方言差を考える --- 日本語史と英語史の共通点」 ([2024-08-02-1]) で紹介した,今野真二氏による『日本語と漢字 --- 正書法がない言葉の歴史』(岩波新書)より.以下の序章での洞察は,実に傾聴に値する (6) .
本書においては「日本語の歴史」を,変化していないこと,一貫していると思われることの側からよみなおすことを試みたい.「日本語の歴史」の中で一貫していること,それは漢字によって日本語を文字化し,漢語を使っていることだ.
したがって,本書は「漢字・漢語」という「定点」を設定し,その定点から「日本語の歴史」を照射してみると何が見えてくるかを述べることを目的としていることになる.「何が見えてくるか」というと「漢字・漢語」が「日本語の歴史」の中でどう使われてきたか,ということを観察するように思われるかもしれない.もちろんそうした観察はしっかりする必要があるが,そうした観察をいわば超えて,「漢字・漢語」がどのように日本語という言語そのものの内部に入り,日本語に影響を与えてきたか,というところまで述べたい.
文字である漢字が日本語という一つの言語にそんなに影響を与えることがあるのか,と思われるかもしれないが,それがあった,ということを述べていきたいと考えている.
このように個別言語史を記述する際の視座として文字を基本に据えるというのは,ありそうでないことである.現代の言語学も言語史も不均衡なほどに音声を重視するからだ.
しかし,こと言語史に関する限り,過去の言語状態を知るためのメディアは,ほぼもっぱら文字だったことに注意する必要がある.とすれば,言語史を定点観測で記述するに当たって,その「定点」に文字を据えるのは自然のはずだ.使用されている文字種が歴史を通じて比較的安定しているような言語にあってはとりわけ,文字ベースの言語史というものは十分に構想し得る.さらにいえば,著者の述べるとおり,「言語のなかの文字」という外から内への目線ではなく,「文字からみる言語」という内から外への目線をもてば,新鮮な洞察が得られるに違いない.
上記の引用の「日本語」を「英語」に,「漢字・漢語」を「スペリング」に読み替えても,かなりの程度通用するのではないだろうか.
・ 今野 真二 『日本語と漢字 --- 正書法がない言葉の歴史』 岩波書店〈岩波新書〉,2024年.
今年4月に出版された日本語史の新著です.Voicy heldio の先日の配信回「#1158. 今野 真二 『日本語と漢字 --- 正書法がない言葉の歴史』 岩波書店〈岩波新書〉,2024年.」で簡単に紹介しました.
序章から重要な議論が様々に展開しているのですが,ここでは pp. 9--10 より1段落を引用します.
これまでは,奈良時代の日本語について「音声・音韻」「語彙」「統語(文法)」「文字・表記」のように,分野を分けて記述し,平安時代,鎌倉時代も同様に記述していくというやりかたがとられてきた.奈良時代,平安時代はたしかにある時間幅をもっているので,それぞれを別の「共時態」とみることはできる.しかしそれをつなげてとらえていいかどうかはわからないともいえる.なぜならば,奈良と京都では,空間が異なるからだ.つまり奈良時代の日本語と思っている日本語はいわば「奈良方言」であり,平安時代の日本語と思っている日本語はいわば「京都方言」であり,異なる方言なのだから違うのは当たり前という可能性が完全には排除されていないからだ.こうした語り方が不都合とまではいえないかもしれないが,そうしたことにも目を配る必要がある.しかし,あまりそうした配慮はなされてきていないと思われる.
この指摘は日本語史のみならず英語史にもそのまま当てはまる点で,注目に値します.英語史でも,古英語期の「標準語」はイングランド南西部のウェストサクソン方言でしたが,後期中英語期以降のそれは,イングランド南東部を基盤としつつ他の方言特徴も取り込んだロンドン方言となりました.
古英語と後期中英語の言語的差異を説明する際に,通時的な変化を思い浮かべるのが普通だと思います.しかし,比べているのが古英語のウェストサクソン方言と後期中英語のロンドン方言だということに注意する必要があります.問題の差異は,通時的変化ではなく方言差を反映している可能性があるのです.もちろん通時的変化と方言差の両方が関わっているケースも多いでしょう.ポイントは,時間軸だけではなく空間軸をも考慮しなければならないということです.これは○○語史を読む際に常に注意したい点です.
・ 今野 真二 『日本語と漢字 --- 正書法がないことばの歴史』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉,2024年.
先日の記事「#5268. 大石晴美(編)『World Englishes 入門』(昭和堂,2023年)」 ([2023-09-29-1]) で紹介したこちらの本,一般発売が開始となったようです.
これまで本ブログでもWorld Englishes (世界英語')については多く取り上げてきました (cf. (world_englishes)) .21世紀に入ってから英語学・英語史でも驚くほど注目されるようになった今をときめく話題です.この15年ほどを振り返ってみても,英語学・英語史を専攻する大学生の研究テーマとして大人気のトピックといってよいでしょう.この World Englishes の人気の高まりには,間違いなく社会的な背景があると考えています.この問題についていろいろな機会に書いたり話したりしてきましたが,今後も注目していく予定です.
そんな折りに,この『World Englishes 入門』が出版されました.これから,本書を参照しつつ本ブログや Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,関連する話題を取り上げていくつもりですので,ぜひ伴走していただければ.
大石晴美・梅谷博之氏による「序章 World Englishes---世界諸英語」では,世界の言語や英語に関する最新の事実や統計が示されています.いくつか引用します.
・ 現在,世界には196か国が存在し,7000以上の言語が使われている.(p. 6)
・ 2022年11月,世界の総人口は80億人を超えた(世界人口推計 2022).そのうち英語を使用する人口(母語,第二言語,外国語としての英語使用者)は約14億5000万人,そのうち母語話者が約3億7000万,第二言語,外国語としての使用者は約10億8000万人である (Ethnologue 2022) .このことから非母語話者の数が母語話者の数をはるかに上回っていることがわかる.(p. 9--10)
・ 世界で,英語を公用語もしくは準公用語と定めている国は54か国である.4か国のうち1か国が英語を公用語や準公用語にしていることになる.(p. 10)
・ 世界のインターネット総人口は,約41億6000万人(全人口の69%)である (Internet World Stats 2023) .そのうち,26%が英語仕様人口であり,インターネット普及率が英語の広がりにつながっている.(p. 10)
・ 世界で上映されている映画のうち英語が用いられているのは8割以上である. (p. 10)
本書はコラムも充実しています.例えば,序章のなかの2つめのコラムにおいて「世界の英語を映画で学ぶ研究会」(京都府立大学)が紹介されています.すべての映画が観たくなってしまい,たいへん困っています.
・ 大石 晴美(編) 『World Englishes 入門』 昭和堂,2023年.
待望の世界英語 (World Englishes) に関する最新の入門書が,来週半ばに出版されます(税込定価2,640円;Amazon で予約受付中).私自身,とりわけここ数年間,英語史の観点から世界英語の現象に関心を寄せ,いろいろと考えたり執筆・講演などをしてきました.手に取りやすく読みやすい本書の出版は,この現代的な問題のおもしろさが広く一般に知られる好機となると期待しています.関係者よりご献本いただきまして,目下楽しく拝読しています(ありがとうございました!).
本書は,2012年に昭和堂より出版された『World Englishes---世界の英語への招待』(田中春美・田中幸子(編))の続編に当たる本です.前著から,執筆メンバー,文献,データなどにおいて大きく刷新が加えられています.考察対象とされる世界英語変種も幅広さを増し,知りたくても知り得なかった,盲点というべきアジア地域の英語変種 --- 例えば中東地域,韓国,中華世界,モンゴル,ミャンマー --- なども取り上げられています.
以下,目次と各章の執筆者を掲載します.
序章 World Englishes --- 世界諸英語(大石 晴美・梅谷 博之)
第I部 母語としての英語
第1章 イギリスとケルトの英語(和田 忍)
第2章 アメリカとカナダの英語(今村 洋美)
第3章 オーストラリアとニュージーランドの英語(岡戸 浩子)
第II部 公用語・第二言語としての英語
第4章 インドの英語(榎木薗 鉄也・加藤 拓由)
第5章 東南アジアの英語(大石 晴美)
第6章 アフリカの英語(山本 忠行)
第7章 カリブ海の英語(山口 美知代)
第III部 国際語・外国語としての英語
第8章 ヨーロッパと中東の英語(高橋 真理子)
第9章 日本の英語(今村 洋美)
第10章 韓国の英語(小林 めぐみ)
第11章 中華世界の英語(山口 美知代)
第12章 モンゴルの英語(梅谷 博之)
第13章 ミャンマーの英語(大石 晴美)
終章 World Englishes の未来(大石 晴美)
発音について(梅谷 博之)
これまでも繰り返し述べてきましたが,世界英語はすぐれて現代的なトピックのように見えますし,実際にそうなのですが,実のところ英語史との親和性が非常に強い領域です.むしろ歴史的次元を抜きにして世界英語を論じることはできないだろうと私は考えています.英語史の国際学会でも世界英語に関する研究発表部屋が特別に用意されることは珍しくなくなってきていますし,世界英語に関するハンドブックの章なども英語史研究者が執筆していることが多いです.さらにいえば,本書の序章と第1章は,合わせて事実上の英語史概説となっていると言ってよいでしょう(第1章の著者は英語史を研究している和田忍先生(駿河台大学)です).
これから熟読した上で,今後も本書から話題を取り上げつつ,本ブログ記事を執筆したり,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で紹介していきたいと思っています.ご著者の先生方で,もし heldio 対談などをお受けくださるようであれば,ぜひよろしくお願いいたします!
本ブログの世界英語に関する記事群へは world_englishes よりご訪問ください.
・ 大石 晴美(編) 『World Englishes 入門』 昭和堂,2023年.
4月1日に『英語史新聞』創刊号が発行されましたが,早くも新年度号外が出ました(笑).khelf(慶應英語史フォーラム)の顧問である泉類尚貴さん(福島高専)による,選りすぐりの英語で書かれた英語史概説書3冊のカジュアルな書評です.「#4722. 新年度の「英語史スタートアップ」企画を開始!」 ([2022-04-01-1]) を受けての,皆さんの英語史の学び始めを応援するための号外発行です.
号外で推薦している3冊は,以下のものです.「#4727. 英語史概説書等の書誌(2022年度版)」 ([2022-04-06-1]) でも紹介している推しの概説書です.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
本ブログの文章で推薦するだけでは推しが弱いと思い,泉類さんと Voicy 「英語の語源が身につくラジオ」 (heldio) にて対談してしまいました.「泉類尚貴先生との対談 手に取って欲しい原書の英語史概説書3冊」です.ぜひお聴きください.
泉類さんとの昨年度の Voicy 対談として,「対談 英語史の入門書」および「対談 英語史×国際英語」(2021年10月19日)も関連しますので,どうぞ.
方言学 (dialectology) と聞けば,ある言語の諸地域方言について調査し,それぞれの特徴を整理して示す分野なのだろうと思われるだろう.もちろん,それは事実なのだが,それだけではない.まず,「方言」には地域方言 (regional dialect) だけではなく社会方言 (social dialect) というものもある.また,私自身のように歴史言語学の観点からみる方言学は,さらに時間という動的なパラメータも考慮することになる.より具体的にいって英語史と方言学を掛け合わせたいと考えるならば,少なくとも空間,時間,社会という3つのパラメータが関与するのだ.
この話題について「#4168. 言語の時代区分や方言区分はフィクションである」 ([2020-09-24-1]) で論じたが,そこで引用した Laing and Lass の論考を改めて読みなおし,もっと長く引用すべきだったと悟った."On Dialectology" (417) という冒頭の1節だが,上記の事情がうまく表現されている.
There are no such things as dialects. Or rather, "a dialect" does not exist as a discrete entity. Attempts to delimit a dialect by topographical, political or administrative boundaries ignore the obvious fact that within any such boundaries there will be variation for some features, while other variants will cross the borders. Similar oversimplification arises from those purely linguistic definitions that adopt a single feature to characterize a large regional complex, e.g. [f] for <wh-> in present day Northeast Scotland or [e(:)] in "Old Kentish" for what elsewhere in Old English was represented as [y(:)]. Such definitions merely reify taxonomic conventions. A dialect atlas in fact displays a continuum of overlapping distributions in which the "isoglosses" delimiting dialectal features vary from map to map and "the areal transition between one dialect type and another is graded, not discrete" (Benskin 1994: 169--73).
To the non-dialectologist, the term "dialectology" usually suggests static displays of dots on regional maps, indicating the distribution of phonological, morphological, or lexical features. The dialectology considered here will, of course, include such items; but this is just a small part of our subject matter. Space is only one dimension of dialectology. Spatial distribution is normally a function of change over time projected on a geographical landscape. But change over time involves operations within speech communities; this introduces a third dimension --- human interactions and the intricacies of language use. Dialectology therefore operates on three planes: space, time, and social milieu.
歴史社会言語学的な観点から方言をみることに慣れ親しんできた者にとっては,この方言学の定義はスッと入ってくる.通時軸や言語変化も込みでの動的な方言学ということである.
・ Laing, M. and R. Lass. "Early Middle English Dialectology: Problems and Prospects." Handbook of the History of English. Ed. A. van Kemenade and Los B. L. Oxford: Blackwell, 2006. 417--51.
・ Benskin, M. "Descriptions of Dialect and Areal Distributions." Speaking in Our tongues: Medieval Dialectology and Related Disciplines. Ed. M. Laing and K. Williamson. Cambridge: D. S. Brewer, 1994. 169--87.
私は英語史を学習し,研究し,教える立場にある.教える立場から「英語史教育」という表現をしばしば用いるのだが,この表現は実際には多義的だと考えている.通常は「英語史を教えること」と解釈されるが,「英語史で(何か別のことを)教える」と解釈することもできる.後者の典型は「英語史の知見を活用して英語を教える」ことだろう.教わる立場からすれば「英語史を教わるのか」あるいは「英語史で教わるのか」という違いである.
この2つの区別を念頭に置きつつ,「誰が,何を通じて,何を,誰に,何のために,教えるのか」という文の各項に語句を流し込んでいくと,私が思いつく限り,議論に値するとおぼしき組み合わせが5種類あった.
(1) 英語史研究者が 英語史を 英語史専攻学生に 英語史研究のために 教える.
(2) 英語史研究者が 英語史を 英語教員に 英語教育のために 教える.
(3) 英語史研究者が 英語史を 英語学習者に 英語学習のために 教える.
(4) 英語史研究者が 英語史を 一般の人々に 教養のために 教える.
(5) 英語教員が 英語史を通じて 生徒・学生に 英語を 教える.
英語史研究者でもあり英語教員でもある私の私的な見解にすぎないので,他にも様々な組み合わせの可能性があるだろう(あれば教えてください).私自身としては5つのすべてについて多かれ少なかれ何らかの教育経験がある.本ブログや「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」も,ランダムではあるが,およそ5つのすべてに関わっている.とはいえ,普段の活動の基本は (1), (3), (4) 辺りに置いていると自己分析している.
(4) で「教養」という表現を敢えて用いたが,これが指す範囲はきわめて広い.言語,文学,歴史,文化,思考法,等々.英語史が専門科目であると同時に教養科目でもあることについては,「#3641. 英語史のすゝめ (1) --- 英語史は教養的な学問領域」 ([2019-04-16-1]),「#3642. 英語史のすゝめ (2) --- 英語史は教養的な学問領域」 ([2019-04-17-1]) を参照されたい.また「#4329. 「英語史の知見を活かした英語教育」について参考文献をいくつか」 ([2021-03-04-1]) もご覧ください.
英語史のミニマムエッセンシャルを挙げなさいといわれたら,どのような項目を挙げるか.「#4084. 英語史のために必要なミニマルな言語学的知識」 ([2020-07-02-1]) や「#4143. 英語史のキーワードを10個挙げなさいといわれたら?」 ([2020-08-30-1]) でも似たような話題を取り上げてきたが,今回は私自身が試しに考えたものを掲げたい.
キーワードというよりはフレーズでの項目列挙となったが,第1階層だけ考えれば見出しは5項目までに圧縮される.第2階層まで数えると,見出しは20項目となる.第3階層まですべて含めると,見出しは34項目.
30分ほどで作ってみた暫定版の私案だが,今後これを精緻化してアップデートいくのもおもしろそうだ.ここで行なっていることは,要するに,英語史概説の講義や本を作るとなったら,どのような章立てを設けるかということである.各人の英語史観や狙いが如実に反映されたものになるはずで,皆で出し合ってみるとエキサイティングだろう.皆さんの英語史ミニマムエッセンシャルはいかがでしょうか?
先週より,NHK連続テレビ小説(朝ドラ)の新シリーズが始まっています.『カムカムエヴリバディ』です.「カムカム英語」として名をはせたラジオ英会話の昭和史とともに,3世代にわたるヒロインの人生を描く朝ドラです.斜めからではありますが日本における英語受容史を描いているという点で,本ブログの読者の皆さんにも一推ししておきたいと思います.第2週目ですので,まだ見ていない方も十分に追いつけます.なお,今後登場してくるはずのラジオ英会話の平川唯一は,英語受容史上に名を残す重要な存在です (cf. 「#3695. 日本における英語関係史の略年表」 ([2019-06-09-1])) .
日本における英語受容史ということですので,大きくいえば日本の言語文化史の話題となりましょうか.もう少し言語学に寄せていえば,日本における諸言語使用の歴史というところかと思います.
しかし,見方によっては英語史の話題ともなり得ます.近現代において英語が世界的拡大を進めるなかで,○○国にはどのような過程で英語が食い込んでいったのか,という観点からみると,周辺的ではありますが一応英語史のテーマとなり得ます.昨今の英語史では近現代の世界英語 (world_englishes) への関心が著しく高まっていますが,この機会に,日本を舞台とする英語拡大史の一環を「カムカム英語」を通じて振り返ってみるのもおもしろいと思います.
ということで,私としては向こう半年ほど,日本の英語受容史の観点と英語史の観点を織り交ぜて意識しながら,この朝ドラを追いかけていきたいと思っています.脚本家も役者も素晴らしいですしね.皆さんも,ぜひどうぞ.
ちなみに,朝ドラと連動する形で,NHKラジオではこの11月1日より新講座として「ラジオで!カムカムエヴリバディ」も開講されているようです.テキストでは「日本人と英語講座の100年の歩み」と題する連載も始まっており,実に楽しみです.朝ドラ,英会話学習,英語受容史の記事で,3倍(以上)楽しめるのではないでしょうか.それはそうと,私自身がNHKラジオの別の講座『中高生の基礎英語 in English』のテキストに毎月寄稿している連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」もよろしくお願いしますね(笑).
それにしても,朝ドラの第1週目は展開が甘酸っぱすぎて,オジサンの私には刺激が強すぎました,しかも朝から(泣).第2週も引き続きキツそうですので,昭和らしく正座してテレビに向かおうと思います.
英語史の知見を活かして英語を教えるには(あるいは学ぶには)どのような方法がよいのか.英語史と英語教育の接点を探る試みは,古くて新しい課題である.近年も,英語史を学ぶ意義は何かという問題意識と関連して,日本でも世界でも,再びこの課題が注目されるようになってきている.
私自身が英語史研究者であると同時に英語教員でもあり,私の大学ゼミには英語教員を目指す学生が一定数いるということもあり,この問題には常に関心を抱いてきた.この分野についてまとまった論考を読むことのできる,近年出版された論文集や書籍を4点ほど紹介したい.
(1) 家入葉子(編)『これからの英語教育――英語史研究との対話――』 (Can Knowing the History of English Help in the Teaching of English?). Studies in the History of English Language 5. 大阪洋書,2016年.
(2) Heyes, Mary and Allison Burkette, eds. Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Oxford: OUP, 2017.
(3) 片見 彰夫・川端 朋広・山本 史歩子(編)『英語教師のための英語史』 開拓社,2018年.
(4) 「特集 英語史教育を考える――なぜ・どのように英語史を教えるのか」 Asterisk 第28巻,2020年.66--180頁.
まず (1) について.英語史研究会の企画による論集.私も寄稿させていただいており,「#2566. 「3単現の -s の問題とは何か」」 ([2016-05-06-1]) に目次なども掲げたのでご参照ください.
(2) は,本ブログでも何度か参照して関連する記事を書いてきた論集だが,英語圏での様々な英語史教育の理論と実践が紹介されている.日本とはまったく異なる観点・発想からの英語史教育論として,これはこれで新鮮.
(3) は,英語史の分野の一線で活躍する論者たちによる論集で,タイトルが表わしている通りの内容.英語史の知識の具体的な活用事例が紹介されている.
(4) は,古田直肇氏が企画した Asterisk 誌の特集記事群で,私も寄稿させていただいた.執筆者に現役教員や教員経験者が含まれており実践的な内容となっている.論考のラインナップを以下に示しておきたい.
・ 英語の授業に必要な英語史の基礎知識 (江藤 裕之)
・ リベラル・アーツとしての英語史 (織田 哲司)
・ 疑問解決手段としての英語史 (黒須 祐貴)
・ 英語史という“実学” (下永 裕基)
・ 大学で英語を学ぶということ (高山 真梨子)
・ 国際社会における英語史教育の必要性 (田本 真喜子)
・ 現代英語に重きをおいた英語史教育 (寺澤 盾)
・ 中学校・高等学校における英語史教育 (鴇崎 孝太郎)
・ 広い視野を教えてくれた英語史 (長瀬 浩平)
・ 故きを温ねて,文法のうつろいやすさを知る (中山 匡美)
・ 英語史教育における日英対照言語史の視点 (堀田 隆一)
・ 卓越は線の細部から (安原 章)
この Asterisk の特集は,2019年9月22日に開かれた,駒場英語史研究会シンポジウム「これからの英語史教育を考える――英語史をトリビアに終わらせないために」(コーディネーター:古田直肇氏氏)の成果を部分的に取り込んだものとなっている.私自身が同シンポジウムで「英語史教育における日英対照言語史の視点」と題する発表を行なっているので,参考までにこちらにその時のハンドアウトを公開しておこう.
以上の文献を参考に「英語史の知見を活かした英語教育」について考えてもらえれば幸いである.また,関連して「英語史を教える・学ぶ意義」について,次の記事も参照.
・ 「#4021. なぜ英語史を学ぶか --- 私的回答」 ([2020-04-30-1])
・ 「#3641. 英語史のすゝめ (1) --- 英語史は教養的な学問領域」 ([2019-04-16-1])
・ 「#3642. 英語史のすゝめ (2) --- 英語史は教養的な学問領域」 ([2019-04-17-1])
・ 「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1])
・ 「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1])
・ 「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1])
・ 「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1])
・ 「#2984. なぜ英語史を学ぶか (5)」 ([2017-06-28-1])
・ 「#4019. ぜひ英語史学習・教育のために hellog の活用を!」 ([2020-04-28-1])
・ 「#2470. 2015年度,英語史の授業を通じて何を学びましたか?」 ([2016-01-31-1])
・ 「#3566. 2018年度,英語史の授業を通じて何を学びましたか?」 ([2019-01-31-1])
・ 「#3922. 2019年度,英語史の授業を通じて何を学びましたか?」 ([2020-01-22-1])
・ 「#4045. 英語に関する素朴な疑問を1385件集めました」 ([2020-05-24-1])
・ 「#4073. 地獄の英語史からホテルの英語史へ」 ([2020-06-21-1])
・ 家入葉子(編)『これからの英語教育――英語史研究との対話――』 (Can Knowing the History of English Help in the Teaching of English?). Studies in the History of English Language 5. 大阪洋書,2016年.
・ Heyes, Mary and Allison Burkette, eds. Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Oxford: OUP, 2017.
・ 片見 彰夫・川端 朋広・山本 史歩子(編)『英語教師のための英語史』 開拓社,2018年.
・「特集 英語史教育を考える――なぜ・どのように英語史を教えるのか」 Asterisk 第28巻,2020年.66--180頁.
・ 堀田 隆一 「英語史教育における日英対照言語史の視点」(ハンドアウト) 駒場英語史研究会シンポジウム「これからの英語史教育を考える――英語史をトリビアに終わらせないために」 於東京大学駒場キャンパス,2019年9月22日.
OED のサイトには当然ながら英語史に関する情報が満載である.じっくりと読んだことはなかったのだが,掘れば掘るほど出てくる英語史のコンテンツの宝庫だ.OED が運営しているブログがあり,そこから英語史概説というべき記事を以下に挙げておきたい.
OED らしく語彙史が中心となっているのはもちろん,辞書編纂の関心が存分に反映されたユニークな英語史となっており,実に読み応えがある.とりわけ古い時代の英語の evidence や manuscript dating の問題に関する議論などは秀逸というほかない(例えば Middle English: an overview の "Our surviving documents" などを参照).また,終着点となる20世紀の英語の評論などは,今後の英語を考える上で必読ではないか.
是非,以下をじっくり読んでもらえればと思います.
・ Old English --- an overview
- Historical background
- Some distinguishing features of Old English
- The beginning of Old English
- The end of Old English
- Old English dialects
- Old English verbs
- Derivational relationships and sound changes
- cf. Old English in the OED
・ Middle English: an overview
- Historical period
- The most important linguistic developments
- A multilingual context
- Borrowing from early Scandinavian
- Borrowing from Latin and/or French
- Pronunciation
- A period characterized by variation
- Our surviving documents
・ Early modern English --- an overview
- Boundaries of time and place
- Variations in English
- Attitudes to English
- Vocabulary expansion
- 'Inkhorn' versus purism
- Archaism and rhetoric
- Regulation and spelling reform
- Fresh perspectives: Old English and new science
・ Nineteenth century English: an overview
- Communications and contact
- Local and global English
- Recording the language
- A changing language: grammar and new words
- The science of language
・ Twentieth century English: an overview
- Circles of English
- Convergence: the birth of cool
- Restrictions on language
- Lexis: dreadnought and PEP talk
- Modern English usages
拙訳『スペリングの英語史』について,もちろん好きなように読んでいただけば,それだけで嬉しいわけでして,実におせっかいな記事のタイトルなのですが,原著 Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013. の日本人読者の1人として,また英語の学習者・研究者の1人として,次のようなことを考えながら読み,訳してきたということを文章に残しておきたいと思いました.ポイントは3点あります.
1つ目は,本書が日本の英語学習者にスペリング学習に際しての知識を与えてくれるということです.とはいうものの,著者は意外なことに,序章の最後で,本書はスペリング学習に役立つ実用書ではないことを示唆しています.そのような目的で本書を手に取った読者がいたとすれば,おそらく幻滅するだろうと.確かに,本書で英語のスペリングの波乱の歴史を知ってしまうと,むしろなぜ現在のスペリングがこれほど無秩序であり,少数の規則で説明しきれないのかがよくわかってしまいます.言語的には英語のスペリングのすべてを説明づけられるような少数の規則はないといってよく,それに気づいた読者は,英語のスペリングを学習する上での絶対的な便法はやはりないのか,と悲観的に結論づけざるをえないかのようです.
しかし,著者は(そして訳者も)英語のスペリングがそこまで無秩序で不規則だとは考えていません.おそらく,スペリングの規則というものがあるとすれば,スペリングの歴史全体がその規則であるという立場をとっています.現在のスペリングだけを観察して,そこから何らかの規則を抽出しようとしても,たちどころに例外や不規則が現われてしまい,むしろ最初から個別に扱ったほうがよかった,という結果になりがちです.しかし,スペリングの歴史をたどってみると,確かに無数の込み入った事情はあったけれども,その事情のひとつひとつは多くの場合納得して理解できるものだとわかります.余計な文字をスペリングに挿入したルネサンスの衒学者の気持ちも説明されればわかりますし,ノア・ウェブスターがスペリング改革を提案した理由も,アメリカ独立の時代背景を考慮すれば腑に落ちます.このような個々の歴史的な事情を指して「規則」とは通常呼びませんが,「e の前の音節の母音字は長い発音で読む」のような無機質な規則に比べれば,ずっと人間的で有機的な「規則」と言えないでしょうか.このような歴史に起因する「規則」は必然的に雑多ではありますが,それにより現在のスペリングの大多数が説明できるのです.歴史を学ぶことは遠回りのようでいて,しばしば最も納得のゆく方法です.本書では,便法としての規則は必ずしも得られなくとも,納得のゆく説明は得られます.説得力,それが本書のもつ最大の価値です.
また,歴史こそが規則であるという著者のスタンスは,著者のスペリング改革に対する懐疑的で批判的な立場とも符合します.完全に表音的なスペリングへ改革してしまうと,スペリングの表面から歴史という規則の痕跡が消し去られてしまうからです.
本書が日本の読者にとってもつもう1つの意義は,英語の書記体系を鑑として,私たちの母語である日本語の書記体系について再考を促してくれる点にあります.読者は本書を読みながら,英語のスペリングと比較対照させつつ日本語の書記体系にも思いを馳せるでしょう.日本語は珍しく唯一絶対の正書法がない言語といわれます(cf. 「#2392. 厳しい正書法の英語と緩い正書法の日本語」 ([2015-11-14-1]),「#2409. 漢字平仮名交じり文の自由さと複雑さ」 ([2015-12-01-1])).ニャーニャー鳴く動物を表記せよと言われれば,「猫」「ネコ」「ねこ」「neko」のいずれも可能です.もちろん用いる文字種が指定されれば1つの書き方に定まりますが,原則としてどの文字種を用いるかは書き手に委ねられています.書き手のその時の気分によって,求められている文章の格式によって,想定される読み手が誰かによって,あるいはまったくのランダムで,自由に書き分けることが許されます.ここには,書き手の選択の自由があり,正書法上の「遊び」があります.
本書の第4章で触れられるように,1100年から1500年の英語,中英語では同じ単語でも書き手個人ごとに異なるスペリングがあり,さらに個人においても複数の異綴りを用いるのが普通でした.ここにも「遊び」があったのです.日本語と中英語では「遊び」の質も量も異なり,一概に比較できませんが,書き手に選択の自由が与えられていることは共通しています.正確に発音を表わすことが重要な場合,単語の意味が同定できさえすればよい場合,書き手が気分を伝えたい場合,読み手に対して気遣いする場合など,様々なシーンで,書き手は書き方を選ぶことができます.文字は言葉の発音や意味などを伝える手段であると同時に,使用者が自らの気分やアイデンティティを伝える手段でもあります.確かに唯一絶対の正書法は,広域にわたる公共のコミュニケーションのためには是非とも必要でしょう.しかし,公表を前提としない個人的な買い物リストのメモ書きや,字数制限のあるツイッターの文章を含めたあらゆる書き言葉の機会において,常に唯一絶対の正書法に従わなければならないとすれば,いかにも息苦しいし,書き手の個性を消し去ることにならないでしょうか.
後期古英語の標準的なスペリング体系のもとではそれほど許されなかった「遊び」が,中英語期にはいきいきと展開しましたが,続く近代英語期には再び制限を加えられていきました.このような歴史を学ぶことは,いまだ「遊び」を保持している日本語書記体系の現在と未来を考え,議論する上で貴重な洞察を与えてくれます.英語のスペリング改革史においてほとんどの提案が失敗に終わったという事実も,日本語の書記体系の行く末を考える上で示唆的です.逆に日本語の立場から英語をみると,日本語は1つのモデルケースということになるかもしれません.というのは,著者は英語について「1つの正書法」 (the orthography) ではなく「複数の正書法」 (orthographies) の可能性を探っている節があるからです,
本書の3つ目の意義は,文字にも歴史があるという当たり前の事実を再認識させてくれる点にあります.本書は,現在ある文字や言葉は,それがたどってきた歴史の産物であるという事実を改めて教えてくれます.文字という小さな単位を入り口に,言葉の歴史という広い世界へと案内してくれる書だと思います.英語に関する読み物にとどまっておらず,言葉に関する教養の詰まった本となっています.この点は,一般読者だけではなく,言葉を専門とする言語学者や英語学者に対しても力説しておきたいポイントです.
20世紀の言語研究では,歴史的視点が欠如していました.また,音声を重視するあまり,文字が軽んじられてきました.つまり,スペリングの歴史という話題は,20世紀の主流派の言語研究において,最も軽視されてきたテーマの1つといってよいでしょう.本書を通じて,一般読者と専門の言語学者が,文字の言語学および歴史的な視点をもった言語学のおもしろさと価値を再認識してくれることに期待したいと思います.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.
昨日の記事「#3079. 拙訳『スペリングの英語史』が出版されました」 ([2017-10-01-1]) で拙訳書の目次を挙げた.今回は章ごとの概要を示しつつ,『スペリングの英語史』のガイドとしたい.事実上,英語スペリング史の概略となっている.
1. 「序章」.正書法(正しいスペリング)を巡る近年の議論を参照しながら,多くの人が当然視する唯一絶対のスペリングは本当に必要なのかという問題提起がなされる.たとえば,元アメリカ合衆国副大統領ダン・クウェールの potato 事件に象徴されるように,スペリングを1文字間違えるだけで社会的制裁が加えられるような現代の風潮は異常ではないかと.このような問題の背景には,英語のスペリングが無秩序で不規則であるという世間一般の評価がある.有意義な議論のためには,英語のスペリングの歴史を知っておくことが重要である.
2. 「種々の書記体系」.人類の文字の起源から説き起こし,世界各地の書記体系を紹介しつつ,文字と意味あるいは文字と発音の関係について理論的に考察する.中世ヨーロッパの文字理論を援用し,またベル考案の視話法や『指輪物語』の架空の文字に言及しながら,英語表記に用いられているローマン・アルファベットが原則として表音的な性質をもちつつも,必ずしも理想的な表音文字としては機能していないことを指摘し,英語のスペリング体系が発音との間にギャップを示す「深い正書法」であると説く.最後に,スペリングが言語において最も規制の対象となりやすい側面であることを指摘しつつ,標準的なスペリング体系のもつ社会的役割を論じる.
3. 「起源」.6世紀末に英語にローマン・アルファベットがもたらされる以前からアングロサクソン世界で用いられていた,もう1つのアルファベット体系,ルーン文字が紹介される.最古の英文は,実にルーン文字で書かれていたのである.やがてローマン・アルファベットがルーン文字に取って代わったが,文字の種類や書体は現在われわれが見慣れているものと若干異なっていた.古英語アルファベットの示す文字と発音の関係は,それに先立つラテン文字,エトルリア文字,ギリシア文字などから受け継いだものと,古英語での改変を反映したものの混合であり,古英語のスペリングもすでに複雑ではあったものの,後期古英語にはウェストサクソン方言を基盤とした標準的なスペリング体系が整えられていった.古英語のスペリングの実例が,聖書や『ベーオウルフ』からの引用により示される.
4. 「侵略と改正」.1066年のノルマン征服により後期古英語の標準語が崩壊し,続く中英語期には多種多様な方言スペリングが花咲いた.これにより,through や such のような単語は,写字生の方言によってきわめて多様に(約500通りにも)綴られることになった.また,中英語期には,フランス語の習慣の影響を受けて書体やスペリングに少なからぬ改変が加えられた.初期中英語には,標準的なスペリングらしきものが芽生えた証拠もあるが,それらは特定の個人や集団に限定されており,真の標準とはなりえなかった.しかし,後期中英語になると現代に連なる標準的なスペリングの原型が徐々に現れだした.このような自由奔放で変異に満ちた中英語のスペリングは,唯一絶対のスペリングを当然視する現代のスペリング観に真っ向から対立するものである.
5. 「ルネサンスと改革」.初期近代英語期は,異綴りが減少し,標準的なスペリング体系が形成されていく時代である.人々がスペリングの問題を意識するようになり,特にスペリング改革者,教育関係者,印刷業者が各々の思惑のもとにスペリングのあり方を論じ,実践した.ルネサンスの衒学者たちは,ラテン語の語源を反映するスペリングを好み,たとえば doubt のスペリングに b を挿入し保存すること主張した.理想主義的な理論家たちは,文字と発音の関係が緊密であるべきことを説き,新たな文字や記号を導入する過激なスペリング改革を提案した.もっと穏健な論者たちは,従来から行なわれてきたスペリングの慣習を,必ずしも合理的でなくとも許容し,定着させようと努力した.結果的に,穏健派のリチャード・マルカスターの提案が後世のスペリングに影響を与えることとなった.
6. 「スペリングの固定化」.18世紀は,スペリングをはじめ英語を固定化することに腐心した時代だった.スウィフトによる英語アカデミー設立の試みは失敗したものの,1755年にはジョンソンが後世に多大な影響を及ぼすことになる『英語辞典』を世に送り出し,標準的なスペリングを事実上確定させた.しかし,スウィフトやジョンソンも,印刷された公の文書においてこそ標準的なスペリングを用いていたものの,私信などの手書き文書においては非標準的なスペリングも用いており,個人のなかでもいまだ異綴りが見られた.続けて,19世紀後半から20世紀前半にかけての『オックスフォード英語辞典』 (OED) の編者マレーやブラッドリーのスペリングに対する姿勢が概説され,20世紀の「カット・スペリング」「規則化英語」「ショー・アルファベット」「初等教育アルファベット」といったスペリング改革案やスペリング教育法の試みが批判的に紹介される.
7. 「アメリカ式スペリング」.ノア・ウェブスターによるスペリング改革の奮闘が叙述される.この英語史上稀なスペリング改革の成功の背景には,提案内容が colour を color に変えるなど穏健なものであったこと,スペリング本が商業的に成功したこと,そして新生アメリカに対する国民の愛国心がおおいに関与していたことが指摘される.そのほか,アメリカにおけるスペリング競技会の人気振りやトウェインのスペリング観に言及するとともに,アメリカの単純化スペリング委員会の検討したスペリング改革案について,規範的発音を前提とする誤った言語観に基づいているとして批判を加えている.
8. 「スペリングの現在と未来」.近年の携帯メールにみられる省略スペリングの話題が取り上げられる.著者は,省略スペリングの使用者が使い分けをわきまえていることを示す調査結果や,中世にも同様の省略スペリングが常用されていた事実を挙げながら,省略スペリングが多くの人が心配しているように教育水準が下がっている証拠ともならなければ,規範的なスペリングがないがしろにされている証拠ともならないと反論する.綴り間違いに不寛容な態度を示す現代の風潮を批判し,英語のスペリングは英語がたどってきた豊かな歴史の証人であり,今あるがままに保存し尊重すべきであると述べて本書を結ぶ.
以上,現代英語のスペリングが壮大な歴史の上に成り立っていることがわかるだろう.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.
昨日の記事「#2608. 19世紀以降の分野としての英語史の発展段階」 ([2016-06-17-1]) で取り上げたように,英語史記述の伝統は19世紀に始まる.通史はおよそヴィクトリア朝に著わされるようになり,1つの分野としての体裁を帯びてきた.Cable (11) によると,ヴィクトリア朝を中心とする時代に出版された初期の英語史書(部分的なものも含む)の主たるものとして,次のものが挙げられる.
・ Bosworth, J. The Origin of the Germanic ans Scandinavian Languages and Nations. 2nd ed. London: Longman, Rees, Orme, Brown, and Green. 1848 [1836].
・ Latham, R. G. The English Language. 5th ed. London: Taylor, Walton, and Maberly. 1862 [1841].
・ Marsh, G. P. Lectures on the English Language. Rev. ed. New York: Scribner's, 1885 [1862].
・ Mätzner, E. Englische Grammatik. 3 vols. 3rd ed. Berlin: Weidmann, 1880--85 [1860--65].
・ Koch, K. F. Historische Grammatik der englischen Sprache. 4 vols. Weimar: H. Böhlau, 1863--69.
・ Lounsbury, T. R. A History of the English language. 2nd ed. New York: Holt, 1894 [1879].
・ Emerson, O. F. The History of the English Language. New York: Macmillan, 1894.
・ Bradley, H. The Making of English. Rev. ed. Ed. B. Evans and S. Potter. New York: Walker, 1967 [1904].
・ Jespersen, O. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. London: Harcourt, 1982 [1905].
・ Wyld, H. C. The Historical Study of the Mother Tongue. London: Murray, 1906.
・ Jespersen, O. A Modern English Grammar on Historical Principles. 7 vols. London: Allen & Unwin, 1909
・ Smith, L. P. The English Language. London: Williams and Norgate, 1912.
・ Wyld, H. C. A Short History of English. 3rd ed. London: Murray, 1927 [1914].
・ Baugh, A. C. A History of the English Language. 2nd ed. New York: Appleton-Century Crofts, 1957 [1935]. (Co-authored with Thomas Cable (1978--2002). 3rd--5th eds. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall.)
Cable (11) によれば,現在の英語史記述の伝統に連なる最初期のとりわけ重要な著作は Latham と Lounsbury である.ことに後者は1879年に出版されてから,その後の Smith (1912) に至るまでの類書のモデルとなったといってよい.ただし注意すべきは,Lounsbury では,英語史記述の開始がいまだ現在でいうところの中英語期に設定されており,"Old English" あるいは "Anglo-Saxon" はむしろ大陸のゲルマン語の歴史の一部をなすと考えられていた点である.しかし,15年後の Emerson (1894) は,"Old English" を英語史記述の一部として位置づける姿勢を示している.
20世紀が進んでくると,上に挙げたもののほかにも多数の英語史書と呼ぶべき著作が出版されたし,21世紀に入ってもその勢いは衰えていないどころか,ますます活発化している.このことは,英語史という分野が展望の明るい活気のある学問領域であることを示すものである.Cable (15) 曰く,
A casual observer might imagine that 200 years of modern scholarship on 1,300 years of the recorded language would have covered the story adequately and that only incremental revisions remain. Yet the subject continues to expand in fructifying ways, and interacting developments contribute to the vitality of the field: the recognition that cultural biases often narrowed the scope of earlier inquiry; the incorporation of global varieties of English; the continuing changes in the language from year to year; and the use of computer technology in reinterpreting aspects of the English language from its origins to the present.
英語史はおおいに学習し,研究する価値のある分野である.関連して,以下の記事も参照.「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1]),「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1]),「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1]),「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1]).
・ Cable, Thomas. "History of the History of the English Language: How Has the Subject Been Studied." Chapter 2 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 11--17.
今回は,英語史 (history of the English language) という分野が,19世紀以来,言語学やその周辺の学問領域の発展とともにどのように発展してきたか,そして今どのように発展し続けており,今後どのような方向へ向かって行くのかという,メタな問題について考えたい.参照したいのは,Momma and Matto により編まれた大部の英語史手引書の導入部である.
19世紀と20世紀初頭には言語学の関心は専ら音韻や形態の歴史的発達を厳密に探ることだった.比較言語学と呼ばれる専門的な領域が数々の優れた成果をあげ,近代言語学を強力に推し進めた時代である.英語史のような個別言語の歴史も必然的にその勢いに乗り,そこで記述されるべきは,英語の音韻や形態などが経てきた変化の跡であることが当然視されていた.現在いうところの英語の「内面史」 (internal history) である.Matto and Momma (7) によると,
. . . the study of language in the nineteenth and early twentieth centuries was almost exclusively philological. Sound shifts, developments in vocabulary, and syntactic changes were of primary interest, while historical events were at best secondary.
20世紀が進んでくると,比較言語学の伝統とは異なる構造主義的な言語の見方が現われ,言語の内的な体系への関心は相変わらず継続したものの,一方で言語の形式的な要素が社会やその歴史といった言語外の環境によっていかに条件付けられるのかといった問題意識も生じてきた.そして,英語史記述にも言語と社会環境の関係を意識した観点が反映され始めた."emphasis on the social function of language" (Matto and Momma 8) という視点である.ここで,英語史に「外面史」 (external history) という新次元が本格的に付け加わってきたのである.
英語史における内面史と外面史の相互関係を重視する記述の態度は当然の視点となってきたが,その傾向に乗る形で,20世紀後半から,英語史という分野の発展の第3段階ともいえる新たな時代が始まっている.それは,標準英語という主要な1変種の年代記という従来の英語史記述を脱して,非標準的な変種を含めた "Englishes" の歴史を総合しようと試みる段階である.一枚岩ではなく多種多様な英語変種の歴史の総合を目指す,新たな英語史への挑戦である.Matto and Momma (8) は,従来の現代標準英語への接続を意識した古英語,中英語,近代英語の3時代区分という発想は,新しい英語史記述にとっては,あまりに直線的すぎると感じている.
[The tripartite history of Old, Middle, and Modern English] is linear, tracing a straight-line trajectory for a well-defined, unitary language, thus denying a full history to the offshoots, the non-standard dialects, the conservative backwaters, or the avant-garde neologisms of a given historical period. But even if we grant that the "standard" language has until recently had enough momentum to pull along most variants in its wake, such a single straight-line trajectory is insufficient to capture the current global spread and multidimensional changes in the world's Englishes. It may be time to consider the "Old--Middle--Modern" triptych as complete, and to seek new models for representing English in the world today as well as for the processes that led to it.
そのような新しい総合的な英語史記述が容易に達成できるはずはないということは,編者たちもよく理解しているようだ.しかし,これは現在そして未来の英語史のあるべき姿であり,然るべき段階だろう.Matto and Momma (8--9) 曰く,
We cannot offer here a unified image that captures all aspects of the history of English; the result would of necessity be a schematic chimera of chronological lines, branching trees, holistic circles, interactive networks, and evolutionary processes. Such a chimera cannot be easily imagined . . . .
上記の「分野としての英語史の発展段階」について異論はない.しかし,各々の発展段階において共通しているが,触れられていないことが1つある.それは,英語史記述が,社会的な側面をもつ言語という現象の歴史記述である以上,(例えばイギリスという)国にとって英語とは何か,(現在英語を国際的に用いている)世界にとって英語とは何か,人類にとって言語とは何かという問題とは無縁ではあり得ないという事実である.英語史記述とは,常に,このような問いに対して記述者が持論を開陳する機会だと考えている.
・ Matto, Michael and Haruko Momma. "History, English, Language: Studying HEL Today." Chapter 1 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 3--10.
「#2306. 永井忠孝(著)『英語の害毒』と英語帝国主義批判」 ([2015-08-20-1]) で紹介した書籍の出版とおよそ同時期に,施光恒(著)『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』という,もう1つの英語帝国主義批判の書が公刊されていた.ただし,力点は,英語帝国主義批判そのものというよりも日本の英語化への警鐘に置かれている.この分野の書籍の例に漏れず挑発的なタイトルだが,著者が言語学や教育学の畑ではなく政治学者であるという点で,私にとって,得られた知見と洞察が多かった.
現代日本のグローバル化と英語化の時勢は,近代史がたどってきた流れに逆行しており,むしろ中世化というに等しい,と著者は主張する.西洋近代は,それまで域内の世界語であったラテン語が占有していた宗教的・学問的な特権を突き崩し,英語,イタリア語,スペイン語,フランス語,ドイツ語など土着語の地位を高めることによって,人々の間に分け隔てなく知識を行き渡らせることを可能にした.人々は母語を通じて豊かな情報に接することができるようになり,結果として階級間の格差が小さくなった.これが,近代化の原動力だという.具体的には,聖書の各土着語への翻訳の効果が大きかった.
もし現代世界で進行している英語化がやがて完了し,かつてのラテン語のような特権を享受するようになれば,英語を理解しない非英語母語話者は情報へのアクセスの機会を奪われ,社会のあらゆる側面で不利益を被るだろう.つまり,多くの人々が中世の下級民のような地位,つまり「愚民」の地位へと落ちていくだろう,という.確かに,日本人にとって,日本語という母語・土着語を通じて情報にアクセスするのが,物事の理解・吸収のためには最も効率がよいはずであり,その媒体が英語に取って代わられてしまえば,能率は格段に落ちるはずだ.
著者は,今目指すべきは英語化ではなく,むしろ土着語化であるという逆転の発想を押し出している.では,世界中で英語やその他の言語により発信される価値ある情報は,どのように消化することができるだろうか.その最良の方法は,土着語への翻訳であるという.明治日本の知識人が,驚くべき語学力を駆使して,多くの価値ある西洋語彙を漢語へ翻訳し,日本語に浸透させることに成功したように,現代日本人も,絶え間ない努力によって,英語を始めとする外国語と母語たる日本語とのすりあわせに腐心すべきである,と (see 「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1])) .
英語が無条件に善いものであるという神話や英語化を前提とする政策の数々が,日本中に蔓延している.この盲目的で一方的な英語観の是正には,英語史を学ぶのが早いだろうと考えている.施 (215) の次の主張も傾聴に値する.
英語の隆盛の一因は,さかのぼれば,イギリス,そしてアメリカの植民地支配の歴史にある.また,第二次世界大戦後,イギリスやアメリカが,植民地を手放す際,旧植民地における実質的な政治力やビジネス上の有利さを残すため,国家戦略の一端として英語の覇権的地位を保ち,推進するよう努めてきた「成果」でもある.
『英語化は愚民化』よりキーワードを拾ったので,次に示しておこう.英語教育改革,英語公用語化論,オール・イングリッシュ,グローバル化史観,啓蒙主義,新自由主義(開放経済,規制緩和,小さな政府),TPP,ボーダレス化,リベラル・ナショナリズム,歴史法則主義.
・ 施 光恒 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 集英社〈集英社新書〉,2015年.
6月に出版された標題の新書がよく読まれているようだ.出版されて間もない時期に書店に平積みになっているところを購入し,読んでみた.一言でいえば英語帝国主義批判の書である.この種の書物には著者のイデオロギーが前面に出ており,挑発的で,毒々しく,痛ましい読後感をもつものが多い.この著書にもその色が感じられるが,現代日本社会の英語にまつわる事情をうまく提示しながら読者を説得しようとしている点が注目に値する.ただし,著者が,書籍というメディアでこの主張を広めることは難しいと吐露するくだり (p. 169) は,類書と同様,ある種の痛ましさを感じさせずにはおかない.いや,私自身もこの点ではおおいに同情する一人である.
私も英語帝国主義の議論には関心をもっているが,この問題については,原則として歴史的な観点から迫る必要があると思っている.その理由は,英語が帝国主義的になってきた(とらえられてきた)のは近代以降の歴史においてであり,現代の視点に立っていくら説得しようとしても,根拠が弱いために説得力が持続しないだろうと思うからだ.『英語の害毒』は,現代日本人の多くの直感的な英語観を指摘したり,あるいはその裏をかくような事実を豊富に挙げ,それを起点にして英語帝国主義批判を繰り広げているが,歴史への言及はほとんどない.したがって,瞬発的な説得の効果はあるかもしれないが,持続的な効果はないのではないかと思う.よく読まれているだけに,そこが残念である.だが,突破口としてはよいのかもしれない.この突破力を積極的に認め,読みやすい新書として世に出たことを有意義と評価したい.
本ブログでは,英語帝国主義の問題に関連して「#1606. 英語言語帝国主義,言語差別,英語覇権」 ([2013-09-19-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1073. 英語が他言語を侵略してきたパターン」 ([2012-04-04-1]),「#1194. 中村敬の英語観と英語史」 ([2012-08-03-1]) ほか,linguistic_imperialism の各記事で触れてきた.私は,この問題に対して,日本を含めた現代世界において,英語には全肯定も全否定もありえないという立場に立っている.ただし,永井氏の主張するように,現代日本の英語観の圧倒的なデフォルトが「英語万歳」であり,バランスが著しく肯定側に偏っているという現実がある以上,バランス是正を念頭に,否定側を擁護する必要があると感じる機会は多い.この意味でも,上にも述べたとおり,読みやすく,かつ突破口を開く新書として本書が出版された意義を認めたい.
なお,英語帝国主義批判と関連して,英語史という分野が,英語の光と影を浮かび上がらせる貴重な機会を提供してくれる分野であることを添えておきたい.英語の言語内的な変化と言語外的な発展を学ぶことにより,どの点が英語帝国主義の賛成論あるいは反対論において利用されやすいかが見えてくるし,その議論の当否についても自分なりの判断を下すことができるようになる.
・ 永井 忠孝 『英語の害毒』 新潮社〈新潮新書〉,2015年.
Hughes (xvii--viii) は,著書 A History of English Words で,語彙史と辞書史を念頭に置いた,外面史を重視した英語史年表を与えている.略年表ではあるが,とりわけ語彙史,辞書との関連が前面に押し出されている点で,著者の狙いが透けて見える年表である.
410 | Departure of the Roman legions |
c.449 | The Invasion of the Angles, Saxons, Jutes and Frisians |
597 | The Coming of Christianity |
731 | Bede's Ecclesiastical History of the English People |
787 | The first recorded Scandinavian raids |
871--99 | Alfred King of Wessex |
900--1000 | Approximate date of Anglo-Saxon poetry collections |
1016--42 | Canute King of England, Scotland and Denmark |
1066 | The Norman Conquest |
c.1150 | Earliest Middle English texts |
1204 | Loss of Calais |
1362 | English restored as language of Parliament and the law |
1370--1400 | The works of Chaucer, Langland and the Gawain poet |
1384 | Wycliffite translation of the Bible |
1476 | Caxton sets up his press at Westminster |
1525 | Tyndale's translation of the Bible |
1549 | The Book of Common Prayer |
1552 | Early canting dictionaries |
1584 | Roanoke settlement of America (abortive) |
1590--16610 | Shakespeare's main creative period |
1603 | Act of Union between England and Scotland |
1604 | Robert Cawdrey's Table Alphabeticall |
1607 | Jamestown settlement in America |
1609 | English settlement of Jamaica |
1611 | Authorized Version of the Bible |
1619 | First Arrival of slaves in America |
1620 | Arrival of Pilgrim fathers in America |
1623 | Shakespeare's First Folio published |
1649--60 | Puritan Commonwealth: closure of the theatres |
1660 | Restoration of the monarchy |
1667 | Milton's Paradise Lost |
1721 | Nathaniel Bailey's Universal Etymological English Dictionary |
1755 | Samuel Johnson's Dictionary of the English Language |
1762--94 | Grammars published by Lowth, Murray, etc. |
1765 | Beginning of the English Raj in India |
1776 | Declaration of American Independence |
1788 | Establishment of the first penal colony in Australia |
1828 | Noah Webster's American Dictionary of the English Language |
1884--1928 | Publication of the Oxford English Dictionary |
1903 | Daily Mirror published as the first tabloid |
1922 | Establishment of the BBC |
1947 | Independence of India |
1957--72 | Independence of various African, Asian and Caribbean states |
1961 | Third edition of Webster's Dictionary |
1968 | Abolition of the post of Lord Chancellor |
1989 | Second edition of the Oxford English Dictionary |
標題は「#747. 記述と規範」 ([2011-05-14-1]) でも取り上げた話題だが,きわめて重要な区別なので改めて話題にしたい.規範文法 (prescriptive grammar) と記述文法 (descriptive grammar) は,Crystal (230--31) によれば,次のように説明される.
A prescriptive grammar is essentially a manual that focuses on constructions where usage is divided, and lays down rules governing the socially correct use of language. These grammars were a formative influence on language attitudes in Europe and America during the 18th and 19th centuries. Their influence lives on in the handbooks of usage widely found today, such as A Dictionary of Modern English Usage (1926) by Henry Watson Fowler (1858--1933), though such books include recommendations about the use of pronunciation, spelling, and vocabulary, as well as grammar.
A descriptive grammar describes the form, meaning, and use of grammatical units and constructions in a language, without making any evaluative judgements about their standing in society. These grammars became commonplace in 20th-century linguistics, where it was standard practice to investigate a corpus of spoken or written material, and to describe in detail the patterns it contains.
さらに,記述文法が包括的になると「参考文法」というカテゴリーに移行するという指摘がある.これは規範主義的な目的で参照されることもあるため,そのような場合には,規範と記述の中間点にあるともいえる.
When a descriptive grammar acts as a reference guide to all patterns of usage in a language, it is often called a reference grammar. An example is A Comprehensive Grammar of the English Language (1985) by Randolph Quirk (1920--) and his associates. Such grammars are not primarily pedagogical in intent, as their aim --- like that of a 'reference lexicon', or unabridged dictionary --- is to be as comprehensive as possible. They provide a sourcebook of data from which writers of pedagogical grammars can draw their material.
「文法」を語る場合には,いずれの意味の文法かを常に区別しておく必要がある.ただし,規範と記述は,概念上は峻別すべきだが,個人のなかで同居しうることにも注意したい.
言語学者は記述を規範に優先させるのが原則であり,その原則に異存はないが,規範がいかにして生じ,育ち,根付くかという問題は社会言語学の最重要テーマの1つであり,規範それ自体が記述対象になりうるということは忘れてはならない.「英語史」という分野は,狭い意味では記述英語文法の歴史に限定されるが,広い意味では規範英語文法の歴史をも含む.後者は「英語学史」という分野に入れられることが多いが,規範と記述が相互乗り入れを許容するものであるとするならば,初めから広い意味での「英語史」を前提とし,志向するのが適切のように思われる.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
言語学や英語学は専門化が進み,分野も細分化されている.英語史や歴史英語学という分野は時間軸を中心にして英語を観察するという点で通時的 ( diachronic ) であり,現代英語なら現代英語で時間を止めてその断面を観察する共時的 ( synchronic ) な研究とは区別される.しかし,通時的に言語変化を見る場合にも,言語のどの側面 ( component ) に注目するかというポイントを限らなければないことが多く,共時的な言語研究で慣習的に区分されてきた言語の側面・分野に従うことになる.一口に言語あるいは英語を観察するといっても,丸ごと観察することはできず,その構成要素に分解した上で観察するのが常道である.
理論言語学で基本構成部門 ( the core components ) として区別されている主なものは,以下の5分野だろうか.
・ 音声学 ( phonetics )
・ 音韻論 ( phonology )
・ 形態論 ( morphology )
・ 統語論 ( syntax )
・ 意味論 ( semantics )
言語能力を構成する部門としては確かにこの辺りが基本だが,英語史研究を考える場合,特に近年の言語学・英語学の視点の広がりを反映させる場合,扱われる話題はこの5分野内には収まらない.例えば以下の構成要素を追加する必要があるだろう.
・ 語彙論 ( lexicology )
・ 語用論 ( pragmatics )
・ 筆跡・アルファベット・綴字 ( handwriting, alphabet, and spelling )
・ 書記素論 ( graphemics )
・ 方言学 ( dialectology )
・ 韻律論 ( metrics )
・ 文体論 ( stylistics )
さらに英語史の周辺分野を含めるとなると,控えめにいっても[2009-12-08-1]の関係図にあるような諸分野がかかわってくる.分野の呼称だけであれば,○○学や○○論などと挙げ始めるときりがないだろう.今回,分野の呼称をいくつか列挙してみたのは,いずれの分野においても通時的な変化は観察されるのであり,したがって英語史や歴史英語学においては話題が尽きることはないということを示したかったためである.2年目に突入した本ブログでは,引き続き英語史に関する話題を広く提供してゆきたい.
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