01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
戦争,飢餓,疫病など苦難の時代には,言語も荒波に揉まれてきた.目下のコロナ禍では言語の何が変わるのだろうか.すでにいくつか候補が挙げられるようにも思う.
たとえば,英語でいえば,「#4105. 銅像破壊・撤去,新PC,博物館」 ([2020-07-23-1]) でみたように,BLM運動との関連で人種差別を喚起させる特定の語句や表現が槍玉にあげられたり,自主的に置換されるという事態が生じている.これは厳密にいえばコロナ禍の直接的な影響によるものではないが,既存の社会問題がコロナ下の不安と憤懣のなかで増幅して爆発した結果とみなすならば,間接的には関与しているといえる.
日本語では,様々なコロナ関連表現が,きわめて短期間のうちに生まれ定着してきたことは,肌身に感じられるだろう.7月25日(土)の読売新聞朝刊の特別面(11面)に「コロナ時代の言葉たち」と題する特集が掲載されていた.出現順に挙げるとおもしろそうだが,順番は意識せずに一覧を掲げてみる.
3密,8割削減,10万円給付,Go To トラベル,PCR,Skype,WHO,Zoom,あつ森,アクリル板,アビガン,アベノマスク,アマビエ・アマビコ,ウーバーイーツ,ウィズコロナ,ウェブ面接,エクモ,エッセンシャルワーカー,オーバーシュート,オンライン授業,クラスター,クルーズ船,コロナ (COVID-18),ステイホーム,スペイン風邪,チャーター便,テレワーク,ドライブスルー,ニューノーマル,パンデミック,フェースシールド,ライブハウス,リモートマッチ,ロックダウン,医療崩壊,一世休校,院内感染,屋形船,感染経路不明,緩み,休業要請,緊急事態宣言,県をまたぐ移動,抗原検査,抗体検査,行動変容,再生産数,持ちこたえている,自粛警察,社会的距離(ソーシャル・ディスタンス),手作りマスク,手指消毒,手洗い,収束/終息,出口戦略,新しい生活様式,瀬戸際,正念場,接触確認アプリ,接触感染,専門家会議,巣ごもり,大阪モデル,第2波,置き配,昼カラオケ,転売ヤー,東京アラート,濃厚接触,買い占め,飛沫感染,不要不急の外出自粛,武漢,分散登校,無観客,夜の街,臨時休講
新語(句)の形成法としては,和製英語あり,借用あり,漢熟語あり,省略ありと,なかなかに新旧の方法が入り交じった賑やかな様相を呈している.新語(句)というよりは,既存の語(句)に新たな語義が付け加えられたり,ニュアンスが変化したりという,意味変化の事例も多い.この一覧を用いて語形成や意味論の基本を論じる講義を準備できるのではないかとすら感じた.
hellog ラジオ版の第11回.今回は,昨年の英語史の授業から飛び出してきた,驚くほどセンスのよい素朴な疑問です.こういうセンスが欲しいと羨ましくなるほどの良問.これについて簡単に音声で解説してみました.
つまり,語源をひもとけば,形容詞(の比較級) less と接尾辞 -less とはまったくの別物ということになるのです.これは驚きですね.類例として,かの形容詞の able と接尾辞 -able もなんと別物です.まさにひっくり返りそうな驚愕の事実.
この辺りの話題を文章でじっくり読みたい方は,##3699,4071の記事セットをどうぞ.
昨日の記事「#4110. dare --- 助動詞なのか動詞なのかハッキリしなさい」 ([2020-07-28-1]) に引き続き,法助動詞とも一般動詞ともいえない中途半端な振る舞いを示す dare について.Shakespeare の Macbeth より,I dare do all that may become a man, Who dares do more, is none. という文を参照したが,この語法は現代でも確認される.Partridge (87) は,これを明らかに誤用とみている.
dare is used in two ways: as a full verb (dares to, dared to, didn't dare to) and as an auxiliary like can or must. The latter occurs correctly only in negatives ('I daren't go'), in questions, and in subordinate clauses ('whether I dared go'). The two patterns are not to be mixed. Write either 'whether she dares to go' or 'whether she dare go' but not 'whether she dares go'.
一方,小西 (363) は次のように述べている.
本動詞用法で後に続く不定詞の to は省略することができる: Nobody dares (to) criticize his decision.---OALD5 (だれひとりとして彼の決定にとやかく言おうとしない).これは助動詞用法と混交した型なので,例えば Partridge-Whitcut (1994) などは誤用と見なしているが,今では標準的な語法 [Benson et al. (1997); Quirk et al. (1985: 138)].類例: I wouldn't dare have a party in my flat in case the neighbours complain.---CIDE (隣近所から苦情があるといけないので,僕のアパートでパーティーをやろうとは思わない).なお Eastwood (1994: 128) は,米国人は概して to を伴う方の型を用いると述べている.
つまり,論者にもよるとはいえ,共時的には2つの構文の混交 (contamination) であるとして,特に stigma が付されているわけではないようだ.BNCweb で "dares _V?I" などと検索してみると17例がヒットしたが,確かにすべてがインフォーマルという文脈でもない.
通時的な観点からいえば,法助動詞から一般動詞へと転身しつつある最中の中途半端な状況ということになろうか.目下変化している最中とはいえ,遅くとも16世紀に始まった変化であることを考えると,すでにかれこれ500年ほどの時間が流れていることになる.構文の変化も,なかなか息が長い.
直3単現などでしっかり人称屈折し,かつ原形不定詞を従える(助)動詞というのは,現代英語ではいくつかのイディオムを別にすれば,dare(s) のほかには do(es) と help(s) くらいだろうか.いずれにせよレアである.
・ Partridge, Eric. Usage and Abusage. 3rd ed. Rev. Janet Whitcut. London: Penguin Books, 1999.
・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
法助動詞 dare は,現代の法助動詞のなかでも need や used to と並んで影の薄い存在である.歴史的にみれば非常に古い過去現在動詞 (preterite-present_verb) であり,その点では can, may, shall などの仲間ともいえるのだが,比較すると圧倒的に忘れられがちな日陰者である.
もともとは過去現在動詞であるから,古英語でも直説法3単現形では現在の -s に相当するような子音語尾をいっさい取らなかった.実際,不定形 durran に対して,直3単現では dear(r) などの形態を示した.また,直後に別の動詞の目的語が続く場合には,そちらは動詞の不定形(いわゆる現代英語の原形不定詞に相当する形)を取った (ex. c1000 Ælfric Genesis xliv. 34 Ne dear ic ham faran. (= "I dare not go home.")) .つまり,can, may, shall などとまったく同じ振る舞いを示していたのであり,厳密にはアナクロな言い方かもしれないが,現代英語的な観点から言えば純然たる法助動詞だったのである.
しかし,16世紀以降,直3単現で daryth や dares のような,法助動詞らしからぬ「3単現の -s」を示す形態が現われ,一般動詞へと部分的に転身していく.たとえば,OED によると Shakespeare の Macbeth (1623) の i. vii. 46--7 に,I dare do all that may become a man, Who dares do more, is none. のような事例が確認される.「部分的に転身」といったのは,現代でも dare は一般動詞でもあるし,特に否定文や疑問文では法助動詞としての用法も保っているからだ.
この Shakespeare からの例文でおもしろいのは,「3単現の -s」の存在が示唆するように法助動詞から一般動詞へと転身を遂げていたかのようにみえるものの,続く目的語としての動詞の形態はあくまで原形不定詞 do であり,to 不定詞 to do ではないことだ.つまり,dare は形態的には一般動詞化しているが,統語的にはいまだ法助動詞の性質を保っていたということである.
そして,驚くことにその状況は現代でも大きく異ならない.現代英語では一般動詞としての He dares to do . . . が普通であることはもとより,法助動詞としての He dare do . . . も稀だがあり得る.しかし,それに加えて Shakespeare 張りの中途半端な He dares do . . . も可能なのである.
『ジーニアス大辞典』の dare の項から引用した下図の中間列を参照されたい.共時的には文法的 contamination というべき例なのだろうが,いやはや不思議な(助)動詞である.
昨日の記事「#4108. boy, join, loiter --- 外来の2重母音の周辺的性格」 ([2020-07-26-1]) で触れたように,2重母音 /ɔɪ/ は歴史的に注目すべき背景を有している.この話題について,もう少し掘り下げてみたい.
現代英語の /ɔɪ/ に連なる中英語での実現形は, [oi] あるいは [ui] だった.これらが結果的に現代の /ɔɪ/ へ一本化していったわけだが,特に中英語 [ui] についてはスペリングとの関係でも興味深い歴史的背景がある.Minkova (269--70) を引用しよう.
The original [ui] has an unusual history in that, like the more recent history of /h-/ . . . , it is one of the rare well-documented instances of a sound change in progress inhibited and partially reversed by the influence of spelling. Many of the words with PDE <oi> --- loin, boil, coy, oil, join, point, choice, poison --- had variant pronunciations with [oi] and [ui], the latter commonly from Anglo-Norman. The 'normal' development of [ui], involving lowering and centralisation of the first element of the diphthong . . . , was towards [əi], which in the seventeenth and into the eighteenth century was also a possible realisation of historical [iː]. That the two etymologically distinct entities were treated as identical is shown by rhymes like loin: line, boil: bile, point: pint as late as the second half of the eighteenth century. In spelling the [ui] > [əi] words alternated between <ui> and <oi>. Eventually the centralised pronunciation [əi] for historical [ui] was abandoned in favour of [ɔi], no doubt supported by the spelling and pronunciation of the majority of the loanwords in that group.
中英語 [ui] は通常の音変化のルートに乗っていれば,近代では [əi] となっていたはずであり,実際にそうなっていたのだが,後期近代以降,綴字が <oi> として保たれていたこと,そして <oi> ≡ [ɔi] が多くの単語において確立していたことから,ある種の人為的な [əi] > [ɔi] という変化が生み出されたという.要するに,綴字発音 (spelling_pronunciation) の例である.
標記の単語に含まれる2重母音 /ɔɪ/ は,現代英語ではかなりマイナーな母音である.「#1022. 英語の各音素の生起頻度」 ([2012-02-13-1]) で確認するかぎり,母音音素としては /ʊə/ につぐ最低頻度の音素である.boy, choice, enjoy, join, poison などの日常語に現われるため,あまり実感はないかもしれないが,統計上はマイナーである.
このマイナー性の歴史的背景としては,この音素がそもそも外来のものである点を指摘できる.choice, employ, loin, moist, turmoil, soil, join, poison のようにフランス語に遡るものが圧倒的多数だが,ほかにオランダ語からの buoy, foist, loiter などもある.ギリシア語 hoi polloi,ベンガル語 poisha,中国語 hoisin,それから擬音語 ahoy, boink, oink もある.擬音語の起源にまつわる問題は別として,一般的な本来語にはルーツをたどることのできない音素なのである.
共時的にみても,この音素はマイナーな匂いを放っている.Minkova (270) は,Vachek や Lass に言及しつつ,その周辺性を次のように紹介している.
The incorporation of the new diphthong in boy, join, coin into the English phonological system is commonly described as incomplete. Vachek (1976: 162--7, 265--8) argued that lack of parallelism with the other diphthongs ([eɪ-oʊ], [aɪ-aʊ], but not *[ɛɪ-ɔɪ]) and lack of morphophonemic alternations involving [ɔɪ] in the PDE system, makes [ɔɪ] a 'peripheral' phoneme in SSBE. He hypothesised that the survival of [ɔɪ] is associated with its pragmatic function of differentiating synchronically foreign words from native words, especially polysyllabic words. Lass (1992a: 53) also emphasises the 'foreignness' of [ɔɪ] and its structural isolation, and concludes that it . . . 'has just sat there for its whole history as a kind of non-integrated "excrescence" on the English vowel system'.
一方,確かに周辺的な匂いはするものの,現代英語の体系に取り込まれていることは確かだという議論もある.(1) 他の2重母音と同様に音声実現上の変異を示す (ex. [ɔɪ], [oi], [ui]),(2) 接尾辞 -oid はこの2世紀の間,高い生産性を誇る,(3) 20世紀に入ってからの造語として oik (1917), oink (1935), boing (1952), boink (1963); droid (1952), roid (1978) などが現われてきている,などの事実だ.
いろいろな観点から興味をそそる2重母音音素といえるだろう.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
・ Vachek, Joseph. Selected Writings in English and General Linguistics. Prague: Academia and the Hague: Mouton, 1976.
・ Lass, Roger. "Phonology and Morphology." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Cambridge: CUP, 1992. 23--154.
hellog ラジオ版の第10回目です.標題は,学生から素朴な疑問を募ると必ずといってよいほど寄せられてくる問いです.hour, honour, honest, heir その他で h が発音されないという問題ですが,何といっても初級英語で習う hour が代表格であり,当然ながら(ネイティブを含め)英語を学ぶ皆が不思議に思う問題ですね.
ところが,この問題は英語史のなかでも一,二を争うといってよいくらい難解なトピックなのです.学術的には未解決といってよいでしょう.しかし,背景はすこぶるおもしろい.そのおもしろさのエッセンスだけでも伝えようと,音声化してみました.
改めて,英語史研究においても「無音の h」は厄介な問題です.複雑ながらも魅力的な世界の一端を覗きたいという方には,##3941,461,462,1292,1675,1899,1677の記事セットをお薦めします.そもそも英語において歴史的に h は存在してきたのかという「h 幽霊説」まで登場し,百家争鳴.たかがハ行音,されどハ行音なのです.
歴史的に /a(u)NC/ の音連鎖をもっていた借用語は,標題に例示した通り,現代英語において4種類の発音(と揺れ)を示し得る.[ɔː ? ɑː], [ɑː ? æ(ː)], [æ(ː)], [eɪ] である.4種類間の区別は,音環境により,そしてある程度までは借用のソース方言により説明される.歴史的な /a(u)NC/ 語がたどってきた4つのルートをまとめた Minkova (241) による図表を,多少改変した形で以下に挙げよう.
Source | Output | Examples |
---|---|---|
/aNC/ (AN <-aunC>) | [ɔː ? ɑː] | gaunt, haunt, laundry, saunter |
/aNC/ (OFr <-anC>) | [ɑː ? æ(ː)] | aunt, grant, slander, sample, dance |
/aNC#/ | [æ(ː)] | lamp, champ, blank, flank, bland |
/aNC (palat. obstr.)/ | [eɪ] | danger, change, range, chamber |
BLM 運動が,世界で雪崩をうったように拡がっている.英米などでは,黒人差別への抗議のジェスチャーとして,奴隷制に関わる歴史的(英雄的)人物の銅像を破壊・撤去する動きが繰り広げられている.平行的に,言葉の問題への波及も見逃せない.7月13日のウェブ上の記事「IT用語も『奴隷』廃止の動き 『slave』は『フォロワー』や『レプリカ』にを読んで,おっと思った.master, slave, whitelist, blacklist などの表現が不適切であるとして,IT業界において leader, follower, allowlist, denylist 等の別の表現に置換される動きが起こってきているという.
銅像破壊・撤去と,この「新しいPC」 (political_correctness) というべき2つの現象は,とてもよく似ている.まず,社会の潮流により,既存の伝統的な表現形式が,部分的に自主的に取り下げられているという点が共通している.
もう1つの共通点は,もとの表現形式が取り下げられたことにより,確かに一見すると問題はなくなったようにみえるが,決して問題が解決されたわけではないということだ.ネガティブにいえば,そのモノが見えなくなることでかえって何が問題だったのかが思い出せなくなるわけであり,時間をかけて意識的な問題解決が試みられなかっただけに,いつか容易に再燃する可能性もあるという点だ.
一方,銅像破壊・撤去と「新しいPC」には簡単に比較できない点もある.銅像はいったん取り下げられば,確かに人々が目にする機会はなくなる.しかし,master や slave という表現は,IT用語としては控えられるようになるかもしれないが,別の(本来の)語義としては現役であり,今まで通り人々の口にものぼるし耳にも入ってくる.換言すれば,銅像は視界から消えればその意義(歴史的英雄性)も同様に見えなくなる(ように思われる)が,言葉はすぐに完全に消えることはなく,別の語義としてではあれ,相変わらず用いられ続けるということだ.むしろ,言葉自体は根強く生き残ることが多い(cf. 「#1338. タブーの逆説」 ([2012-12-25-1])).
目下の銅像破壊・撤去に関して,その銅像を博物館に保管・展示することで教育・研究の素材として活かすべきだと論じている識者もいる.これは良案だと思う.
では,言葉についてはどうだろうか.IT用語における master と slave の置換については,別の表現に置換して「ハイ終わり」では,やはり満足できない.銅像を博物館に保管・展示するのと同様に,言葉の博物館が欲しい.それは,英語の場合でいえば OED のような歴史的原則に基づいた辞書に「差別的」語義を記録しておくことだろう.私は OED は専門的には奇跡的なレベルの辞書だと思っているが,それでもやはり物理的存在感のある博物館とは異なり,一般的にいえば存在感が薄い.英語に限らずだが,もっと物理的な存在感のある「言葉の博物館」が本当にあるとよいなと常々思っている.
hellog ラジオ版,第9回目です.be to blame は受験英語では「責めを負うべきである,責任がある,悪い」の意で熟語として暗記することになっているので,普通は深く考えないと思いますが,よく考えると変です.主語の He は誰かに非難される人であって,誰かを非難する人ではないからです.英語は interesting と interested のような分詞形容詞においてもそうですが,動詞の意味について能動と受動を厳しく区別するというのが建前ではなかったのでしょうか.
関連してややこしいのは,やはり受験英語で暗記することになっている be to do という熟語との関係です.「予定」「運命」「義務・命令」「可能」「意志」などの用語で種々の用法が説明されますが,この熟語では,いずれの用法においても,確かに文の主語が do するという「態」 (voice) の関係なのです.
・ 「予定」用法: The concert is to be held this evening.
・ 「運命」用法: He was never to see his family again.
・ 「義務・命令」用法: You are not to smoke in this room.
・ 「可能」用法: The camera was not to be found.
・ 「意志」用法: If we are to get there by noon, we had better hurry.
ということは「彼は責めを負うべきだ」は,やはり He is to be blamed. のほうが適切で,He is to blame. はおかしいということになりそうです.
しかし,歴史的にみれば,後者で正しいのです.英語は能動態や受動態など「態」にうるさいと述べましたが,古い英語では,特に今回のような不定詞(および動名詞)に関するかぎり,態の意識はずっと緩かったのです.では,こちらの音声をどうぞ.
熟語というのはたいてい古くから固定化されてきた定型句であることが多いので,今回の be to blame も,「態」に緩かった古き良き時代の名残だったわけです.ぜひ関連する以下の記事もご覧ください(##3611,3604,3605の記事セット).
ゲルマン語の韻律上の伝統としての頭韻 (alliteration) は,英語史においても古英語から現代英語まで連綿と続いている.しかし,韻文の技巧という観点からみると,韻律論的にも文学的にも,古英語と中英語の間に明確な断絶があるとされている.この過渡期には,表面的には同じ頭韻が行なわれ続けているようにみえても,頭韻を司る抽象的な韻律上の規則に注目すれば,伝統は忠実には保持されておらず,せいぜい「崩れた」形で継承されているにすぎない.継承か断絶かという議論は古くからあるが,少なくとも「そのままの継承」でないことは明白だ.
では,かりに断絶とみたとき,その分水嶺はいつ頃なのか.まさか,お約束のように,かの1066年ではないだろうと思っていたところ,「いや実に1066年なのだ」という Minkova (339) の記述に出会い面食らった.
The 1065 poem The Death of Edward is the last composition that can be described reasonably as belonging to the Classical metrical tradition of Anglo-Saxon versification. Very revealing in this respect are the statistics and the comments presented in Cable (1991: 54--5). He notes one single metrically dubious verse (soþfæste sawle 'soothfast soul' (28a)) in the sixty-eight verses of The Death of Edward, while on the other side of the 1066 chronological divide the next extant poem with prominent alliteration, Durham, composed c. 1100, shows a very high level of unmetricality. In Durham 38.1 per cent of the forty-two verses fail to conform to the classical rules. Thus, while the cataclysmic effect of the Norman Conquest with respect to changes affecting phonology and morphosyntax can be questioned, the demarcation line in terms of versification modes is clearer, at least within the inevitable limitations imposed by the surviving texts.
さすがにピンポイントに1066年ということを強調しているわけではないが,象徴的にはやはりこの年代のようだ.引用でも述べられている通り,英語も自然言語である以上,音韻論や形態統語論がある年代にガクンと変わるということは考えにくい.その点では韻律論も同じだろう.しかし,韻律論と関係は深いが韻律論そのものではない韻文の技巧として頭韻規則を眺める場合,ある年代を境に1つの規則から別の規則にガクンと変化するということはあり得るかもしれない.この場合の規則とは社会制度に近いもので,社会制度とはある日を境にして人々が一方から他方に意識的に乗り換えることができる代物だからだ.
古英語末期の The Battle of Maldon などでも伝統的なリズムからは逸脱していると言われており,分水嶺としての1066年を額面通りに受け入れることはできないにせよ,象徴的な意義は認めてよいだろう.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
・ Cable, Thomas. The English Alliterative Tradition. Philadelphia: U of Pennsylvania P, 1991.
反意 (antonym) は,語の意味論 (semantics) における1つの重要なトピックである.一口に反意語といっても様々なタイプがあり,「#1800. 様々な反対語」 ([2014-04-01-1]) でみたとおりである.また,英語の最も典型的な反意語ペアの1例である old と young をとってみても,How old are you? は普通(=無標)だが, How young are you? はやや変(=有標)という点で,バランスの取れた単純な反意ではなさそうであることが窺われる.反意というのは思ったよりも奥が深い.
典型的な反意に備わっている特徴の1つに polarity (極性)がある.論理学的,意味論的には,主に3種の polarity が区別される.論理,量,評価の polarity だ.Allan (130--31) より説明を引こう.
polarity This is displayed when one term of a binary opposition is described as 'positive' and the other as 'negative'. The most obvious cases are where one term carries a negative affix which the other lacks: possible: impossible, happy: unhappy, obey: disobey, dress: undress, and so on. But other types of opposition are said to have positive and negative terms. The main ones are as follows:
1. Logical polarity is based on the principle that 'two negatives make a positive'. For instance, It's true that it's true is equivalent to It's true, but It's false that it's false changes polarity and is equivalent to It's true. From this we can conclude that false is the negative term and true is positive.
2. Quantity polarity applies particularly to antonym pairs, where the positive term indicates 'more of' some property and the negative term 'less of', as with long (positive) and short (negative).
3. Evaluation polarity is where the positive term expresses approval and the negative term disapproval, as with good: bad, polite: rude.
真・大・善の polarity というところか.反意(語)に向き合う際には,この3点を意識すると混乱せずに済む.
・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
先日,大学の英語学の授業で議論が盛り上がった標題について,hellog 記事セットを公開しておきたい.
・ 「和製英語を含む○製△語」の記事セット
しばしば話題として取り上げられる現代日本語の「和製英語」は,歴史的にも通言語的にもまったく珍しい現象ではない.豊かな語彙借用の歴史をもつ日本語や英語などにおいては,むしろきわめて普通の過程なのではないか.日本語には明治期に「和製漢語」があった.英語史を振り返っても,近代英語期には「英製羅語」「英製希語」「英製仏語」などがあった.
このように時代も言語も異なれど似たような過程が起こっており,しかもその過程の周辺には比較できる点が認められる.1つは,受け入れ言語が,ソース言語に威信を認めており,かつ十分に馴染んでいること(逆に,ある程度馴染んでいなければ「○製△語」の造語は起こらないだろう).もう1つは,「○製△語」が後にソース言語に逆輸入しているケースがあること.
一方,現代日本語の「和製英語」に特有とおぼしき点もある.たとえば,他の「○製△語」は作り出した主体はソース言語に精通した同時代の知識人といってよいが,「和製英語」については作り出した主体は必ずしも英語を駆使する知識人ではなく,英語を完全には習得していない普通の人々のように思われる.むしろ,英語を操る知識人は,そのように造語された「和製英語」を否定的に見ているケースも少なくなさそうだ.実は,これは授業での議論を通じて学生から指摘を受けた点である.現代日本語事情についての鋭い批評になっていると思う.授業というのは本当に勉強になる.
今ひとつ付け加えておくべきは,そもそも英語には「英製羅語」のような的確な表現がないことだ.せいぜい「新古典主義的複合語」 (neo-classical compounds) のように,専門的かつ説明的に表現される程度である.それに比べると日本語の「和製英語」とは非常によくできた熟語だと感心する.一方,なぜ日本語には「和製英語」のような熟語がずばり存在し,人口に膾炙しているのかという別の興味深い疑問が湧いてくる.
hellog ラジオ版の第8回目として,英語(史)の専門家にも意外と知られていない事実を紹介します.前回の第7回 ([2020-07-15-1]) でも実は少し触れたのですが,今回は詳しく取り上げます.
現在,世界の約20億人によって話されるともいわれる lingua franca たる英語.現代における威信が注目されるあまり,その最古の姿がいかなるものだったかについては関心をもたれません.しかし,調べてみるとメチャクチャおもしろいのです.英語の現存する最古の証拠の1つに "Undley bracteate" があります.これは1982年に Suffolk の Undley で発見された直径2.3cmの金のメダルに付けられた名前で,年代は紀元450--80年のものとされます.メダルの円周に沿って,ルーン文字で反時計回りに,つまり「右から左に」書かれています.まさにロマンを掻きたてるメダルです.
実におもしろいでしょう."gægogæ mægæ medu" とは何なのか? 呪文? 祈祷? 無味乾燥な散文? 今を時めく英語という言語が,いわば少数民族の言語だった最初期の時代の証拠です.
関連する記事を挙げておきましょう.ぜひ##572,1435,1453の記事セットをじっくりご覧ください.
Geeraerts による,英語史と認知言語学 (cognitive_linguistics) のコラボを説く論考より.本来語 sore の歴史的な意味変化 (semantic_change) を題材にして,metaphor, metonymy, prototype などの認知言語学的な用語・概念と具体例が簡潔に導入されている.
現代英語 sore の古英語形である sār は,当時よりすでに多義だった.しかし,古英語における同語の prototypical な語義は,頻度の上からも明らかに "bodily suffering" (肉体的苦しみ)だった.この語義を中心として,それをもたらす原因としての外科的な "bodily injury, wound" (傷)や内科的な "illness" (病気)の語義が,メトニミーにより発達していた.一方,"emotional suffering" (精神的苦しみ)の語義も,肉体から精神へのメタファーを通じて発達していた.このメタファーの背景には,語源的には無関係であるが形態的に類似する sorrow (古英語 sorg)との連想も作用していただろう.
古英語 sār が示す上記の多義性は,以下の各々の語義での例文により示される (Geeraerts 622) .
(1) "bodily suffering"
þisse sylfan wyrte syde to þa sar geliðigað (ca. 1000: Sax.Leechd. I.280)
'With this same herb, the sore [of the teeth] calms widely'
(2) "bodily injury, wound"
Wið wunda & wið cancor genim þas ilcan wyrte, lege to þam sare. Ne geþafað heo þæt sar furður wexe (ca. 1000: Sax.Leechd. I.134)
'For wounds and cancer take the same herb, put it on to the sore. Do not allow the sore to increaase'
(3) "illness"
þa þe on sare seoce lagun (ca. 900: Cynewulf Crist 1356)
'Those who lay sick in sore'
(4) "emotional suffering"
Mið ðæm mæstam sare his modes (ca. 888: K. Ælfred Boeth. vii. 則2)
'With the greatest sore of his spirit
このように,古英語 sār'' は,あくまで (1) "bodily suffering" の語義を prototype としつつ,メトニミーやメタファーによって派生した (2) -- (4) の語義も周辺的に用いられていたという状況だった.ところが,続く初期中英語期の1297年に,まさに "bodily suffering" を意味する pain というフランス単語が借用されてくる.長らく同語義を担当していた本来語の sore は,この新参の pain によって守備範囲を奪われることになった.しかし,死語に追いやられたわけではない.prototypical な語義を (1) "bodily suffering" から (2) "bodily injury, would" へとシフトさせることにより延命したのである.そして,後者の語義こそが,現代英語 sore の prototype となった(他の語義が衰退し,この現代的な状況が明確に確立したのは近代英語期).
・ Geeraerts, Dirk. "Cognitive Linguistics." Chapter 59 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 618--29.
<ou> ≡ /ʌ/ の例は,挙げてみななさいと言われてもなかなか挙がらないのだが,調べてみると標題のように案外と日常的な語が出てくる.country, couple, courage, cousin, double, flourish, nourish, touch, trouble 等,けっこうある.
これらの共通点は,いずれもフランス借用語であることだ.古フランス語から現代フランス語に至るまで,かの言語では <ou> ≡ /uː/ という対応関係が確立していた.英語では中英語期以降にフランス単語が大量に借用されるとともに,この綴字と発音の対応関係も輸入されることになった.中英語の /uː/ は,その後,順当に発展すれば大母音推移 (gvs) により /aʊ/ となるはずであり,実際に現代英語ではたいてい <ou> ≡ /aʊ/ となっている (ex. about, house, noun, round, south) .しかし,中英語の /uː/ が何らかのきっかけで短母音化して /u/ となれば,大母音推移には突入せず,むしろ中舌化 (centralisation) して /ʌ/ となる.その際に綴字が連動して変化しなかった場合に,今回話題となっている <ou> ≡ /ʌ/ の関係が生まれることになった(母音の中舌化については,「#1297. does, done の母音」 ([2012-11-14-1]) と「#1866. put と but の母音」 ([2014-06-06-1]),「#2076. us の発音の歴史」 ([2015-01-02-1]) の記事を参照).
ただし <ou> ≡ /ʌ/ を示す上記の単語群は,中英語では <o> や <u> で綴られることが多く,現代風の <ou> の綴字は少し遅れてから導入されたようだ (Upward and Davidson 146) .このタイミングの背景は定かではないが,もし意識的なフランス語風綴字への回帰だとすれば,一種の語源的綴字 (etymological_respelling) の例ともなり得る.
なお,本来語でも <ou> ≡ /ʌ/ の事例として southern がある.固有名詞の Blount も付け加えておこう.変わり種としては,アメリカ英語綴字 mustache に対してイギリス英語綴字の moustache の例がおもしろい.Carney (147--48) も参照.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
hellog ラジオ版の第7弾.当たり前すぎて,むしろほとんど誰も問わないのではないかという素朴な疑問ですが,よく考えると眠れなくなるほど不思議です.
日本語は伝統的に縦書きなので,私たちは,まずもってなぜ英語は横書きなのかという疑問を抱いてしかるべきです.百歩譲って横書きを容認するにせよ,次になぜ右から左ではなく左から右なのかという疑問が浮かんできます.というのは,過去にも現在にも,右から左に書く習慣をもつ書記体系がいくらでも存在するからです.
上記は取りとめもない疑問のように思いますが,これが実に奥深いのです.ということで,手軽な音声コンテンツを心がけると宣言しながら,10分を超える録音になってしまいました.ですが,ぜひ聴いてください.なんと最古の英文は右から左に書かれていたという,驚くべき事実があるのですから!
いかがでしたか.縦書きか横書きか,横書きだとしたら右から左なのか,左から右なのか.これは相当におもしろい問題です.
音声の後半で触れましたが,日本語にも戦前から戦中にかけて右から左への書字方向があり得ました.ここには興味深い社会言語学的な背景があったのですね.
種々の論点を含めて,関連する記事を挙げておきましょう.関心のある方は##572,2448,2449,2482,2483,2688の記事セットをご一読ください.英語史や言語学では,当たり前のことを掘り下げていくのが最もおもしろい,ということが分かったかと思います.
昨日の記事「#4094. 2重語の分類」 ([2020-07-13-1]) で取り上げた2重語 (doublet) の上を行き,3重語,4重語,5重語などの「多重語」の例を,『新英語学辞典』 (344) よりいくつか挙げたい.本ブログ内の関連する記事へのリンクも張っておく.
(a) 3重語 (triplet)
・ hale (< ME hal, hale, hail 〔北部方言〕 < OE hāl), whole (< ME hol, hool, hole 〔南部方言〕 < OE hāl), hail (← ON heill) (cf. 「#3817. hale の語根ネットワーク」 ([2019-10-09-1]))
・ place (← OF place < L platēa), plaza (← Sp. plaza < L platēa), piazza (← It. piazza < L platēa)
・ hotel (← F hôtel < OF hostel < ML hospitāle), hostel (← OF hostel < ML hospitāle), hospital (← ML hospitāle) (cf. 「#171. guest と host (2)」 ([2009-10-15-1]))
・ a, an, one (cf. 「#86. one の発音」 ([2009-07-22-1]))
(b) 4重語 (quadruplet)
・ corpse (← MF corps < OF cors < L corpus), corps (← MF corps < OF cors < L corpus), corpus (← L corpus), corse (← OF cors < L corpus)
(c) 5重語 (quintuplet)
・ palaver (← Port palavra < L parabola), parable (← OF parabole < L parabola), parabola (← L parabola), parley (← OF parlée < L parabola), parole (← F parole < L parabola)
・ discus, disk, dish, desk, dais (cf. 「#569. discus --- 6重語を生み出した驚異の語根」 ([2010-11-17-1]))
・ senior, sire, sir, seigneur, signor
なお,日本語からの4重語の例として,カード,カルタ,カルテ,チャートが挙げられている (cf. 「#1027. コップとカップ」 ([2012-02-18-1])).
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
同一語源にさかのぼるが,何らかの理由で形態と意味が異なるに至った1組の語を2重語 (doublet) と呼ぶ.本ブログでも様々な種類の2重語の例を挙げてきた(特に詳細な一覧は「#1723. シップリーによる2重語一覧」 ([2014-01-14-1]) と「#1724. Skeat による2重語一覧」 ([2014-01-15-1]) を参照).2重語にはいくつかのタイプがあるが,『新英語学辞典』 (343--44) に従って,歴史言語学的な観点から分類して示そう.
(1) 借用経路の異なるもの.
・ sure (← OF sur < L sēcūrus), secure (← L sēcūrus)
・ poor(← OF povre, poure < L pauper), pauper (← L pauper)
・ filibuster (← Sp. filibustero ← Du. vrijbuiter), freebooter (← Du. vrijbuiter)
・ caste (← Port. casta < L castus), chaste (← OF chaste < L castus)
・ madam(e) (← OF ma dame < L mea domina), Madonna (← It. ma donna < L mea domina)
(2) 本来語と外来語によるもの.
・ shirt (< OE scyrte < *skurtjōn-), skirt (← ON skyrta < *skurtjōn-)
・ naked (< OE nacod, næcad), nude (← L nūdus)
・ brother (< OE brōðor), friar (← OF frere < L frāter)
・ name (< OE nama), noun (← AN noun < L nōmen)
・ kin (< OE cynn), genus (← L genus)
(3) 同一言語から異なる時期に異なる形態あるいは意味で借用されたもの.
・ cipher (← OF cyfre ← Arab. ṣifr), zero (← F zéro ← It. zero ← Arab. ṣifr)
・ count (← OF conter < L computāre), compute (← MF compoter < L computāre)
・ annoy (← OF anuier, anoier < L in odio), ennui (← F ennui < OF enui < L in odio)
(4) 同一言語の異なる方言からの借用によるもの.(cf. 「#76. Norman French vs Central French」 ([2009-07-13-1]),「#95. まだある! Norman French と Central French の二重語」 ([2009-07-31-1]),「#388. もっとある! Norman French と Central French の二重語」 ([2010-05-20-1]))
・ catch (← ONF cachier), chase (← OF chacier)
・ wage (← ONF wagier), gage (← OF guage)
・ warden (← ONF wardein), guardian (← OF guardien)
・ warrant (← ONF warantir), guarantee (← OF guarantie)
・ treason (← AN treyson < OF traison < L traditionis), traditiion (← OF tradicion < L traditionis) (cf. 「#944. ration と reason」 ([2011-11-27-1]))
(5) 英語史の中で同一語が,各種の形態変化により分裂 (split) し,二つの異なる語になったものがある.本来語にも借用語にも認められる.
・ outermost, uttermost
・ thresh, thrash
・ of, off
・ than, then (cf. 「#1038. then と than」 ([2012-02-29-1]))
・ through, thorough (cf. 「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]))
・ wight, whit
・ worked, wrought (cf. 「#2117. playwright」 ([2015-02-12-1]))
・ later, latter (cf. 「#3616. 語幹母音短化タイプの比較級に由来する latter, last, utter」 ([2019-03-22-1]),「#3622. latter の形態を説明する古英語・中英語の "Pre-Cluster Shortening"」 ([2019-03-28-1]))
・ to, too
・ mead, meadow
・ shade, shadow (cf. 「#194. shadow と shade」 ([2009-11-07-1]))
・ twain, two (cf. 「#1916. 限定用法と叙述用法で異なる形態をもつ形容詞」 ([2014-07-26-1]))
・ fox, vixen
・ acute, cute
・ example, sample (cf. 「#548. example, ensample, sample は3重語」 ([2010-10-27-1]))
・ history, story
・ mode, mood (cf. 「#3984. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (2)」 ([2020-03-24-1]))
・ parson, person (cf. 「#179. person と parson」 ([2009-10-23-1]))
・ fancy, fantasy
・ van, caravan
・ varsity, university
・ flour, flower (cf. 「#183. flower と flour」 ([2009-10-27-1]))
・ travail, travel
上記の2重語の例のいくつかについては,本ブログでも記事で取り上げたものがあり,リンクを張っておいた.その他の2重語についても両語を検索欄に入れればヒットするかもしれない.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
hellog ラジオ版の第6弾.非常によく尋ねられる素朴な疑問です.確かに go と went では重なるところがまったくないわけで,頭の上にハテナが飛ぶのは無理もないところです.まずは,こちらを聴いてください.
音声でも触れているように,go のような「超」のつく高頻度語には,補充法 (suppletion) をはじめ,とかく不規則なことが起こってしまうものです.これは古今東西の言語で普遍的にみられる現象といえます.
ということは,残念ながらどんな語学も学び始めの時期がとりわけキツいということになります.初級段階でこそ,go -- went のような理不尽な暗記項目がやたらと出てくることになるからです.
では,このようなことがどの言語にも普遍的にみられるというのは,なぜなのでしょうか.その議論も含め関連する記事を集めてみました.関心のる方は##43,1482,764,67,2600,2090,765,3254,694の記事セットをご覧ください.深い(社会)言語学的な背景があることがわかるかと思います.
英語史において,現代の標準英語 (Standard English) の直接の起源はどこにあるか.「どこにあるか」というよりも,むしろ論者が「どこに置くのか」という問題であるから,いろいろな見解があり得る.書き言葉の標準化の兆しが Chaucer の14世紀末に芽生え,"Chancery Standard" が15世紀前半に発達したこと等に言及して,その辺りの時期を近代の標準化の嚆矢とする見解が,伝統的にはある.しかし,現代の標準英語に直接連なるのは「どこ」で「いつ」なのかという問題は,標準化 (standardisation) とは何なのかという本質的な問題と結びつき,なかなか厄介だ.
Crowley (303--04) は,標準英語の形成に関する論考の序説として "Renaissance Origins" と題する一節を書いている.標準化のタイミングに関する1つの見方として,洞察に富む議論を提供しているので,まるまる引用したい.Thomas Wilson, George Puttenham, Edmund Spenser という16世紀の著名人の言葉を借りて,説得力のある標準英語起源論を展開している.
The emergence of the English vernacular as a culturally valorized and legitimate form took place in the Renaissance period. It is possible to trace in the comments of three major writers of the time the origins of a persistent set of problems which later became attached to the term "standard English." Following the introduction of Thomas Wilson's phrase "the king's English" in 1553, the principal statement of the idea of a centralized form of the language in the Renaissance was George Puttenham's determination in 1589 of the "natural, pure and most usual" type of English to be used by poets: "that usual speech of the court, and that of London and the shires lying about London, within lx miles and not much above" (Puttenham 1936: 144--5). In the following decade the poet and colonial servant Edmund Spenser composed A View of the State of Ireland (1596) during the height of the decisive Nine Years War between the English colonists in Ireland and the natives. In the course of his wide-ranging analysis of the difficulties facing English rule, Spenser offers a diagnosis of one of the most serious causes of English "degeneration" (a term often used in Tudor debates on Ireland to refer to the Gaelicization of the colonists): "first, I have to finde fault with the abuse of language, that is, for the speaking of Irish among the English, which, as it is unnaturall that any people should love anothers language more than their owne, so it is very inconvenient, and the cause of many other evils" (Spenser 1633: 47). Given Spenser's belief that language and identity were linked ("the speech being Irish, the heart must needes bee Irish), his answer was the Anglicization of Ireland. He therefore recommended the adoption of Roman imperial practice, since "it hath ever been the use of the Conquerour, to despise the language of the conquered, and to force him by all means to use his" (Spencer 1633: 47).
There are several notable features to be drawn from these Renaissance observations on English, a language which, it should be recalled, was being studied seriously and codified in its own right for the first time in this period. The first point is the social and geographic basis of Wilson and Puttenham's accounts. Wilson's phrase "the king's English" was formed by analogy with "the king's peace" and "the king's highway," both of which had an original sense of being restricted to the legal and geographic areas which were guaranteed by the crown; only with the successful centralization of power in the figure of the monarch did such phrases come to have general rather than specific reference. Puttenham's version of the "best English" is likewise demarcated in terms of space and class: his account reduces it to the speech of the court and the area in and around London up to a boundary of 60 miles. A second point to note is that Puttenham's definition conflates speech and writing: its model of the written language, to be used by poets, is the speech of courtiers. And the final detail is the implicit link between the English language and English ethnicity which is evoked by Spenser's comments on the degeneration of the colonist in Ireland. These characteristics of Renaissance thinking on English (its delimitation with regard to class and region, the failure to distinguish between speech and writing, and the connection between language and ethnicity) were characteristics which would be closely associated with the language throughout its modern history.
英国ルネサンスの16世紀に,(1) 階級的,地理的に限定された威信ある変種として,(2) 「話し言葉=書き言葉」の前提と,(3) 「言語=民族」の前提のもとで生み出された英語.これが現代まで連なる "Standard English" の直接の起源であることを,迷いのない文章で描き出している.授業で精読教材として使いたいほど,読み応えのある文章だ.同時代のコメントを駆使したプレゼンテーションと議論運びが上手で,内容もすっと受け入れてしまうような一節.このような文章を書けるようになりたいものだ.
上記の Puttenham の有名な一節については,「#2030. イギリスの方言差別と方言コンプレックスの歴史」 ([2014-11-17-1]) で原文を挙げているので,そちらも参照.
・ Crowley, Tony. "Class, Ethnicity, and the Formation of 'Standard English'." Chapter 30 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 303--12.
いかがでしょう.汚いですが,英語の3層構造を有便雄弁に物語る最強例の1つではないかと思っています.日本語の語感としては「クソ」「糞尿」「排泄物」ほどでしょうか.
英語語彙の3層構造については,本ブログでも「#3885. 『英語教育』の連載第10回「なぜ英語には類義語が多いのか」」 ([2019-12-16-1]) やそこに張ったリンク先の記事,また (lexical_stratification) などで,繰り返し論じてきました.具体的な例も「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]),「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) で挙げてきました.
もっと挙げてみよと言われてもなかなか難しく,典型的な ask, question, interrogate や help, aid, assistance などを挙げて済ませてしまうのですが,決して満足はしておらず,日々あっと言わせる魅力的な例を探し求めいました.そこで,ついに標題に出くわしたのです.Walker の swearing に関する記述を読んでいたときでした (32) .
A few taboo words describing body parts started out as the 'normal' forms in Old English; one of the markers of the status difference between Anglo-Norman and Old English is the way the 'English' version became unacceptable, while the 'French' version became the polite or scientific term. The Old English 'scitte' gave way to the Anglo-Norman 'ordure' and later the Latin-via-French 'excrement'.
これに出会ったときは,(鼻をつまんで)はっと息を呑み,目を輝かせてしまいました.
shit は古英語 scitte にさかのぼる本来語ですが,古英語での意味は「(家畜の)下痢」でした. 動詞としては接頭辞つきで bescītan (汚す)のように長母音を示していましたが,後に名詞からの影響もあって短化し,中英語期に s(c)hite(n) (糞をする)が現われています.名詞の「糞」の語義としては意外と新しく,初期近代英語期の初出です.
ordure は,古フランス語 ordure から中英語期に入ったもので,「汚物」「卑猥な言葉」「糞」を意味しました.語根は horrid (恐ろしい)とも共通します.
excrement は初期近代英語期にラテン語 excrēmentum (あるいは対応するフランス語 excrément)から借用されました.
現在では本来語の shit は俗語・タブー的な「匂い」をもち,その婉曲表現としては「匂い」が少し緩和されたフランス語 ordure が用いられます.ラテン語 excrement は,さらに形式張った学術的な響きをもちますが,ほとんど「匂い」ません.
以上,失礼しました.
・ Walker, Julian. Evolving English Explored. London: The British Library, 2010.
世界の諸英語 (world_englishes) の種類は数あれど,スコットランド英語 (scots_english) は英語史において特別な位置づけにある.というのは,イングランド英語を除けば,スコットランド英語は,直接的に古英語に由来する唯一の英語変種だからである.一般的にはイギリスで話される英語の(訛った)1変種にすぎないという見方が普通だろうが,歴史的にみればイングランド英語と並んで最長の連続性を誇る由緒正しい変種なのである.その略史については「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) を参照されたい.
この由緒正しい Scots English については,OED に匹敵する堂々たる歴史的な辞書が編纂されている.2つ紹介しよう.1つめは,DOST こと Craigie et al. 編の A Dictionary of the Older Scottish Tongue である.カバーする時代は,スコットランド英語がイングランド英語とは異なる独立した変種として発展した中世後期から,独立性を失っていった1700年頃までである.ただし,情報収集方針は時代によって異なっており,1600年までは包括的に収録されているといってよいが,17世紀分についてはスコットランドに特化した地域変種の辞書となっている.
また,編纂方針について変遷が重ねられてきたという事情もある.編纂の前半期には,同一の語源に遡るものでも語形が異なる場合には,異なる見出しを立てるという方針が採られていたが,R の項に差し掛かってからは新編集長の Dareau のもとで to と till を同じ見出しのなかで扱うなど異なる方針が採られることになった.背景には,編纂作業に関わる時間やリソースの逼迫があったようだ.
一方,1700年以降のスコットランド英語を担当しているのが,もう1つの辞書,SND こと Scottish National Dictionary である.こちらも歴史的原則に立って編纂されているが,スコットランド英語がすでに独立性をほぼ失っていた時代を対象としていることもあり,1地域変種辞書というべき位置づけとなっている.
この DOST と SND を合わせて,スコットランド英語版の OED とみなしてよいだろう.実際,両者は Dictionary of the Scots Language の名のもとに統合され,オンラインでアクセスできるようになっている.
ちなみに,LALME や LAEME に対応する,古いスコットランド英語についての方言地図も作成されており A Linguistic Atlas of Older Scots (LAOS) としてこちらからアクセスできる.
以上,Durkin (1152--53) を参照して執筆した.
・ Craigie, William A., Adam Jack Aitken, James A. C. Stevenson, and Marace Dareau, eds. A Dictionary of the Older Scottish Tongue. Oxford: OUP, 1931--2002. Available online as part of Dictionary of the Scots Language at https://dsl.ac.uk/ .
・ Grant, William and David D. Murison, eds. The Scottish national Dictionary: Designed Partly on Regional lines and Partly on Historical Principles, and Containing All the Scottish Words Known to be in Use or to have been in Use Since c. 1700. Edinburgh: Scottish National Dictionary Association, 1931--76. Supplement 2005. Available online as part of Dictionary of the Scots Language at https://dsl.ac.uk/ .
・ Williamson, Keith. A Linguistic Atlas of Older Scots, Phase 1: 1380--1500 (LAOS). 2007. Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laos1/laos1.html .
・ Durkin, Philip. "Resources: Lexicographic Resources." Chapter 73 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1149--63.
hellog ラジオ版の第5弾.不規則動詞に関する素朴な疑問は多く寄せられますが,そのなかでも標題の put のような無変化の動詞は,とりわけ異端な雰囲気を放っています.英語には過去形や過去分詞形などいろいろとうるさい変化があって,そのポイントは,原形(現在形)と異なっている点にあったはず.それなのに,なぜ変化しないのか,と二重の憤りをもって突っ込みたくなる気持ちはわかります.
みなさんも put をはじめ,このような異端な動詞をいくつか暗記してきたはずです.put, cut, hit, hurt, let, set, shut, etc. しかし,これらの共通点について考えた人は少ないのではないでしょうか.わりと日常的な動詞が多いという点には気づくと思いますが,音韻形態的な共通点についてどうでしょうか.何となく分かってきましたか? では,音声をどうぞ.
じっくり文章で読んで理解を深めたい方は,ぜひ##1854,1858,3777,3339の記事セットをご覧ください.
昨日の記事「#4088. 古英語で「年」を意味した winter」 ([2020-07-06-1]) のために周辺を調べていたら,現代英語のおもしろい表現に行き当たった.a girl of eighteen summers (芳紀18歳の娘),a child of ten summers (10歳の子供),a youth of twenty summers (20歳の青年)などである.
古英語の winter は複数形で長い年月を表わすのに用いられるのが通常だった.そこから,an old man of eighty winters (八十路の老人)のような「老年」を表わす表現が生まれてきたわけである.昨日の記事では「年のなかの1季節である冬=年」という部分と全体のメトニミーが作用していることに触れたが,一方で「人生の winter =老年」というメタファーが存在することも間違いなさそうだ.すると,対比的に「人生の summer =若年」というメタファーが類推により生まれてくることも,さほど不可解ではない.summer は,部分と全体のメトニミーはそのままに,とりわけ若年を喚起する年・歳のメタファーとして新たに生じたのである.
実際,OED の summer, n.1 and adj. の語義4によると「年,歳」を意味する用例の初出は,古英語ではなく,ずっと後の後期中英語である.初期の例とともに引用する.
4. In plural. With a numeral or other quantifier, as two summers, five summers, etc.: used to measure a duration or lapse of time containing the specified number of summers or years; esp. used to denote a person's age. Now chiefly literary and rhetorical.
Frequently applied particularly to younger people, perhaps with intended contrast with WINTER n.1 2, although cf. e.g. quots. 1821, 2002 for application to older people.
c1400 (?c1380) Cleanness (1920) l. 1686 Þus he countes hym a kow þat watz a kyng ryche, Quyle seven syþez were overseyed someres, I trawe.
1573 T. Bedingfield tr. G. Cardano Comforte ii. sig. E.ii Wee maruaile at flees for theyr long life, if they liue two Sommers.
. . . .
a1616 W. Shakespeare Comedy of Errors (1623) i. i. 132 Fiue Sommers haue I spent in farthest Greece.
若年を喚起する summer の用法は,したがって古英語以来の winter の用法を参照しつつ,メタファーとメトニミーと相関的類推作用 (correlative analogy) を通じて中英語期に作り出された刷新用法ということになる(相関的類推作用については「#1918. sharp と flat」 ([2014-07-28-1]) を参照).多層的な概念メタファー (conceptual metaphor) の例でもある.
ところで,この summer は winter との対比であるとすれば,季節としては「夏」と解釈してよいのだろうか.そのようにみえるが,実は「春」ではないかと考えている.というのは,「若年=人生の春」のほうが解釈しやすいし,何よりも「#1221. 季節語の歴史」 ([2012-08-30-1]),「#1438. Sumer is icumen in」 ([2013-04-04-1]) で見たように,歴史的には summer は夏ばかりでなく春をも指し得たからだ.冬の反意 (antonymy) は夏なのか,春なのか.そんなことも考えさせる話題である.
古英語の授業で,当時は winter が「冬」に加えて「年」を意味することがしばしばあったことに触れた.具体的には「#3317. The Anglo-Saxon Chronicle にみる Hengest と Horsa」 ([2018-05-27-1]) で引用した,件の年代記の449年の記述の第1文について解説していたときである.
Martiānus and Valentīnus . . . rīcsodon seofon winter. (= Martianus and Valentinus ruled seven years.)
年代記ではこのように統治者の統治年数などがよく言及されるが,そのような場合,年を数えるのに winter という中性名詞がしばしば使われる.中性名詞の一部は複数主格・対格形が対応する単数の形態と同形となるため,この箇所でも「7年間」の意にもかかわらず形態は winter となっている(ここでは期間を表わす「副詞的対格」の用法で用いられている.cf. 「#783. 副詞 home は名詞の副詞的対格から」 ([2011-06-19-1])).現代英語の year の古英語形である ġēar (これも中性名詞で単複同形)が用いられることも多いが,winter も同様によく用いられるのである.
「冬」をもって「年」を表わすという上記の事情を授業で説明したら,多くの学生から「詩的」「風情ありすぎ」など多くの反響があった.ということで,以下にもう少し詳しく解説しておきたい.
確かに本来 winter は1年 (year) を構成する季節の1つにすぎない.しかし,寒冷な彼の地では,冬を越すことこそが1年を無事に過ごすことであり,越冬した回数をもって年や歳を数えるという慣習が発達したものと想像される.古ノルド語や古アイスランド語でも,案の定,事情は平行的である.気候と文化に基づいたメトニミーの好例といえる.
「年」を意味する winter を用いた表現は,古英語から中英語を経て,近現代英語でも詩的あるいは古風な表現として健在である.いくつか挙げてみると,many winters ago (何年も前に),an old man of eighty winters (八十路の老人),pass two winters abroad (外国で2年過ごす)などとなる.
中英語からの例は,MED winter (n.) より確認できるが,the age of fifti winter, fif-tene winter of age, o fif-tene winter elde, of eighte-tene winter age, the wei of five hundred winter, fourti winter, yeres and winteres など枚挙にいとまがない.
なお,動詞 winter は中英語での発達だが「越冬する」を意味する.また,今では廃用となっている過去分詞形容詞 wintered は1600年頃まで「年老いた」の意味で用いられていた.さらに,イングランド北部やスコットランド方言に限られるようだが,現在でも2歳の牛・馬・羊を指して twinter (n., adj.) という言い方が残っている.
日本語でも「幾星霜」と霜の降りる冬に引っかけた歳月の数え方がある.一方で「幾春秋を経る」という表現もある.言語によってどの季節を代表に取るかは異なり得るとしても,この種のメトニミーは通言語的に普通にみられるのだろう.
関連して,季節を表わす語については「#1221. 季節語の歴史」 ([2012-08-30-1]) を参照.
日曜日なので気軽に英語史ネタを.ということでhellog ラジオ版の第4弾です.今回は学校文法でも必ず習う,現在完了形と yesterday のような時の副詞との相性の悪さについて,なぜなのかを考えてみました.
英語の(現在)完了というのは,イマイチ理解しにくい文法事項の代表格ですね.現在完了は「?した」とか「?してしまった」と訳すことが多いので,過去と区別がつきにくいのですが,両者は時制・相としてまったく異なるのだと説諭されるわけです.だから,過去の世界に属する yesterday のような時の副詞は,現在完了と同居してはいけないのだと説明を受けるわけですが,やはりよく理解できません.
この問題は,理論的にも厄介で "Present Perfect Puzzle" とも呼ばれています.私たちがピンと来ないのも無理はないといえます.今回の音声でも,スッキリと解決ということにはなりませんので,あしからず.その上で,以下の音声をどうぞ.
今回の内容を含め,そもそも完了形とは何かという問題について詳しく知りたいという方は,ぜひ##2633,2492,2749,534,2750,2763,2747,2490,2634,2635の記事セットをご覧ください.
昨日の記事「#4085. 中英語研究における LALME の役割」 ([2020-07-03-1]) に引き続き,LALME の姉妹版である初期中英語の方言地図 LAEME についても,研究史上の重要な位置づけを紹介しておこう.
LAEME は,時代としては LALME よりも古い時代を扱うが,プロジェクトとしてはそのの後継として開始されたために「後発の利点」を活かしうる立場にあった.とはいえ,編者の1人 Laing は,初期中英語の呈する特殊事情ゆえに深い悩みを抱えていた.後期中英語よりもテキストの量がずっと少なく,分布も偏っており,そもそも方言同定の最初の頼みとなる "anchor texts" が得にくい.とりわけ初期のテキストは,古英語の West-Saxon Schriftsprache に影響されたものが多く,そのスペリングを方言同定のために利用することはできない.しかし,Laing はテキスト産出に貢献した写字生を丁寧に選り分け,どの写字生の関わったどの部分のスペリングがその写字生の出所を示している可能性が高いか,等の知見を粘り強く蓄積していった.結果として,何とか少数の "anchor texts" を得ることに成功し,それをもとに LALME 以来洗練されてきた "fit-technique" を適用して,他のテキストを地図上にプロットしていった --- 今回はデジタルの力を借りて --- のである.
LAEME の新機軸は,LALME に付随する積年の問題だった質問項目 (questionnaire) の設定を放棄したことにあった.語彙・文法的タグを付しながらテキストを電子コーパス化し,即席の質問項目に対応できるように準備したのである.もっとも,対象としたテキストの全文に対して完全なるタグ付けを行なったわけではなく,時に写字(生)に関する込み入った事情ゆえに不完全にとどまるなど困難な経緯もあったようだ.プロジェクトの時間上の制約もあり,最終的には初期中英語の網羅的なコーパスとはならなかったものの,タグ付けされた65万語からなる,堂々たる研究ツールに仕上がった.とりわけ同時代の英語の正書法,音韻論,形態論のためには,なくてはならない必須ツールである.
研究ツールとしての LAEME の最大の長所は,テキストが徹頭徹尾 "diplomatic" であることだ.デジタルでありながら写本の綴字に限りなく忠実であろうとする,この原文に対する "diplomatic" な態度は,他ではほとんど例を見出すことができない.私自身も博士論文研究で大変お世話になった,ありがたいツールである.以上,Lowe (1126) に依拠して執筆した.
・ Lowe, Kathryn A. "Resources: Early Textual Resources." Chapter 71 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1119--31.
30年以上にわたり,LALME は中英語研究に甚大な役割を果たしてきた.そこから派生した他の研究プロジェクトも合わせて,この分野を決定づけ,牽引する役割を演じてきたといってよい.直接的には中英語方言学への貢献を目指したものだったが,結果としていえば LALME が対象とした中英語テキストの一覧は,最大にして包括的な中英語写本のリストともなったし,その効果は綴字や音声の研究を超えて語彙や文法の研究へも波及している.
LALME は,35年間の歳月をかけ,ICT技術に頼らずに千を超える写本の分析を施した成果物である,事実上 McIntosh と Samuels の2人の手になる快挙だ.しかし,このような制作背景を考えれば,少なからぬ不備が指摘されるのも無理からぬことである.
たとえば,南部(とりわけ Wash 南部)では,プロジェクトの時間上の都合で,精度がよくないとされる.調査が進むとともに,質問項目 (questionnaire) も変化や補足を加えられていったため,南部における掲載情報に不均衡がもたらされることになったという事情もある.しかし,2007--10年に公開された LALME をデジタル化した eLALME では,これらの問題への配慮もなされた(cf. 「#1622. eLALME」 ([2013-10-05-1])).
方法論上の問題も多々ある.先にも触れた質問項目については,Gilliéron の言葉で知られているように "L'établissement du questionnaire [...] pour être sensiblement meilleur, aurait dû être fait après l'enquête" という頭の痛い難問が常に待ち構えている.ほかには,テキストの種類によっては文証されない言語項があるという,やはり現実的には見過ごせない問題もある.たとえば,物語では動詞の現在形を多く得ることは難しいし,逆に使用説明書からは過去形を拾い出すことはできなさそうである.短いテキストや特別なジャンルのテキストからは,広範囲の語彙の使用は期待できないだろう.
そのような問題はあれ,やはり LALME の影響力は大きかったし,いまだに大きい.ある中英語テキストの方言を同定するのに,LALME の280のチェックリストはいまだに繰り返し使われているし,いまだ現役選手である.
本ブログでの LALME の使用例や関係する話題については,lalme の各記事を参照されたい.以上,Lowe (1127) に依拠して執筆した.
・ LALME = McIntosh, Angus, Michael Samuels, and Michael Benskin, with Margaret Laing and Keith Williamson. A Linguistic Atlas of Late Mediaeval English (LALME). Aberdeen: Aberdeen UP, 1986. Available online as eLALME at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/elalme/elalme_frames.html .
・ Gilliéron, Jules. Pathologie et thérapeutique verbales. Bern: Beerstecher, 1915.
・ Lowe, Kathryn A. "Resources: Early Textual Resources." Chapter 71 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1119--31.
英語史は教養的な科目であり,英語学や言語学を専攻とする学生にも広く開かれている.とはいっても,英語史のおもしろさを理解するためには,ある程度の言語学の知識があったほうがよいことは間違いない.では,どのくらい言語学を知っていればよいのか.この問題について Blockley (18) が論じており,"the minimal amount of linguistics needed to convey change in English over at least the last thousand years" について考える必要性を説いている.論考の冒頭部分を,省略しながら引用する.
My approach in this overview is rather to direct attention to a few disparate linguistic objects of various sizes, from the phoneme to the sentence, and a few terms for the linguistic descriptions that are claimed to affect such objects. . . .
These topics are therefore "essential" not so much in representing core concepts of linguistics as a science, but rather in the paramedic sense of indispensable --- whether or not these perceived units and processes turn out to be central to the history of English, you cannot describe the set of language changes that encompass English without knowledge of and reference to them. . . . The selection here is therefore relentlessly practical . . . . I hope that even those who find this cross-training teasingly minimalist may consider these and other combinations that raise questions of definition. Such questions lead us across disciplines, theoretical orientations, and sub-periods of English. (Blockley 18--19)
Blockley が自身の提案として以下の10のキーフレーズ・概念を示している.
・ Palatalization
・ Allophones
・ Regularized DO
・ Stress Shift
・ Grammaticalization
・ Phonemic Length
・ Complementation
・ Diphthongization
・ "You was" Declared Ungrammatical Though Not Plural
・ Raising and Fronting
いずれも英語史の異なる時代の異なる現象を説明する際に,繰り返し使わざるを得ない重要な語句あるいは概念であるとして,Blockley が自らの「英語史」の背骨として設定したベスト10というわけだ.
やや音声学的知識にウェイトがかかっているリストだが,私自身も英語史のおもしろさの半分以上は音声(とその周辺)にあると考えているので,共感はできる.もちろん,英語史を教える(学ぶ)者が10人いれば10通りのベスト10のキーフレーズがあがってくるだろうし,各々考えてみることが重要であり,おもしろいのだと思う.英語史の通史を書く場合や,講義を準備する場合にも,多かれ少なかれこのような少数の要点をくくり出すことがどうしても必要となってくるはずだろう.
・ Blockley, Mary. "Essential Linguistics." Chapter 3 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 19--24.
hellog ラジオ版の第3弾.英語を学んでいる多くの大学生からも質問自体がなるほどと思った,というコメントが寄せられた興味深い素朴な疑問です.私たちは <qu> のスペリングには読むときにも書くときにも頻繁に触れているわけですが,あまりに慣れすぎているために,<q> の後にはほぼ必ず <u> が続くというこの事実に,意識的に気づいたことがあまりなかったのだろうと思います.
6分間の音声にまとめました.以下からどうぞ.
今回は /kw/ という子音連鎖を表わすのにどのようなスペリングをもってするかという話題でしたが,/k/ という1つの子音を表わすにも,英語には <q(u)> だけでなく <c> もあれば <k> もあり,意外とややこしいことになっています.この発展的な問題も含め,今回の内容を文章でじっくり読みたいという方は,ぜひ##3649,1599,2249,2367,1824の記事セットをご覧ください.
今回の疑問のように,当たり前すぎて見過ごしてきた事実は意外に多いものです.このような疑問を発掘するのも,楽しい知的作業です.
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
最終更新時間: 2024-11-26 08:10
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow