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meme - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-22 17:50

2020-03-03 Tue

#3963. 「英語は時間とともに古英語から現代英語へ変化した」とは何がどう変化したことなのか? [language_change][meme]

 標題は,英語でなくとも日本語でも何語でもよいのだが,素朴でありながら難しい問題である.「時間を経て古英語が現代英語になった」「歴史的に古英語から現代英語へと変化してきた」というのは日常的な言葉使いとして自然だが,具体的に何が変わったのかと問われると,立ち止まって考えざるを得ない.英語が変わったのだといっても,英語の何が変わったというのだろうか.英語の文法や語彙や発音等々が変わったのだと言えるかもしれない.しかし,変わっていない項目も多々ある.そもそも変わっていない部分がなければ,前の段階と後の段階が英語という同一の言語として存在し続けてきたと主張することはできなさそうだ.英語には変わってきた部分と変わらなかった部分があるのだ.とすると「古英語が現代英語になった/変わった」という言い方は,変わった部分にのみ注目した言い方ということになるのだろうか.
 一方,英語の文法や語彙や発音等々が変わったのではない,変わったのは英語を話す話者集団の言語使用である,と解釈することもできる.この見方は,言語そのものではなく話者を主体に置く言語変化観といっていだろう.私自身は,こちらの後者の見方に親近感を覚えている.
 結局のところ標題の問題は,英語とは何か,言語変化とは何かという根本的な問いへと還元され,回答者は自らの言語(変化)観に従って何らかの答えを出すことになるのだろう.
 Ritt (37--38) は,物議を醸しかねない "selfish sounds" の言語観に基づいて,言語変化を次のように解説している.非常に丁寧な解説ではある.

What is usually called 'Old English' represents a heterogeneous (yet most probably inherently ordered) pool of competences 'in' Old English. These competences will each have been different from one another, but will have shared a sufficient number of properties for making communication among 'Old English' speakers possible. 'Present Day English' represents another pool of competences, once again heterogeneous in an orderly way. Importantly, the mix of competence properties that characterises the pool constituting 'Present Day English' differs considerably from the mix of properties that characterises the 'Old English' competence pool. Some properties that can be found in one pool are absent in the other, and of those which are present in both some will be distributed differently. We assume that these differences are due to 'language change'. This implies that some causal link can be established between the 'Old English' competence pool on the one hand and the 'Present Day English' pool on the other. Most probably, such a link is established via behavioural and textual manifestations of language, as well as by competences of 'intermediate' stages of English. It is supposed that temporally later competences assume their characteristic properties by interpreting the textual output produced on the basis of earlier competences. Linguistic change happens because later competences do not always appear to assume quite the same properties as earlier competences. Thereby, the mix of properties that characterises the competence pool of a speech community is continually altered --- albeit only slightly --- as one new competence after the other assumes first its adult, and ultimately its final state. At the same time earlier competences are continually removed from the pool as the speakers who host them die. Over time, these processes may amount to such differences as those which distinguish 'Present Day English' from 'Old English'. This, then, is what we refer to when we say that 'Old English' has become, or changed into 'Present Day English'.


 Ritt は「言語能力素の一溜まりが宿主である話者に寄生している」という言語観をもっている.ここから,言語変化についても独特な見方をもつに至った.言語項を "meme" に見立てる Neo-Darwinian 的な言語観については,以下の記事も参考にされたい.

 ・ 「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1])
 ・ 「#1403. drift を合理的に説明する Ritt の試み」 ([2013-02-28-1])
 ・ 「#3215. ドーキンスと言語変化論 (1)」 ([2018-02-14-1])
 ・ 「#3216. ドーキンスと言語変化論 (2)」 ([2018-02-15-1])
 ・ 「#3217. ドーキンスと言語変化論 (3)」 ([2018-02-16-1])

 ・ Ritt, Nikolaus. Selfish Sounds and Linguistic Evolution: A Darwinian Approach to Language Change. Cambridge: CUP, 2004.

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2018-02-16 Fri

#3217. ドーキンスと言語変化論 (3) [evolution][biology][language_change][semantic_change][bleaching][meme][lexicology]

 この2日間の記事 ([2018-02-14-1], [2018-02-15-1]) に続き,ドーキンスの『盲目の時計職人』より,生物進化と言語変化の類似点や相違点について考える.同著には,時間とともに強意語から強意が失われていき,それを埋め合わせる新たな強意語が生まれる現象,すなわち「強意逓減の法則」と呼ぶべき話題を取りあげている箇所がある (349--50) .「花形役者」を意味する英単語 star にまつわる強意逓減に触れている.

〔言語には〕純粋に抽象的で価値観に縛られない意味あいで前進的な,進化のような傾向を探り当てることができる.そして,意味のエスカレーションというかたちで(あるいは別の角度からそれを見れば,退化ということになる)正のフィードバックの証拠が見いだされさえするだろう.たとえば,「スター」という単語は,まったく類まれな名声を得た映画俳優を意味するものとして使われていた.それからその単語は,ある映画で主要登場人物の一人を演じるくいらいの普通の俳優を意味するように退化した.したがって,類まれな名声というもとの意味を取り戻すために,その単語は「スーパースター」にエスカレートしなければならなかった.そのうち映画スタジオの宣伝が「スーパースター」という単語をみんなの聞いたこともないような俳優にまで使いだしたので,「メガスター」へのさらなるエスカレーションがあった.さていまでは,多くの売出し中の「メガスター」がいるが,少なくとも私がこれまで聞いたこともない人物なので,たぶんそろそろ次のエスカレーションがあるだろう.われわれはもうじき「ハイパースター」の噂を聞くことになるのだろうか? それと似たような正のフィードバックは,「シェフ」という単語の価値をおとしめてしまった.むろん,この単語はフランス語のシェフ・ド・キュイジーヌから来ており,厨房のチーフあるいは長を意味している.これはオックスフォード辞典に載っている意味である.つまり定義上は厨房あたり一人のシェフしかいないはずだ.ところが,おそらく対面を保つためだろう,通常の(男の)コックが,いやかけだしのハンバーガー番でさえもが,自分たちのことを「シェフ」と呼び出した.その結果,いまでは「シェフ長」なる同義反復的な言いまわしがしばしば聞かれるようになっている.


 ドーキンスは,ここで「スター」や「シェフ」のもともとの意味をミーム (meme) としてとらえているのかもしれない(関連して,「#3188. ミームとしての言語 (1)」 ([2018-01-18-1]),「#3189. ミームとしての言語 (2)」 ([2018-01-19-1])).いずれにせよ,変化の方向性に価値観を含めないという点で,ドーキンスは徹頭徹尾ダーウィニストである.
 強意の逓減に関する話題としては,「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]),「#2190. 原義の弱まった強意語」 ([2015-04-26-1]) などを参照されたい.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.

Referrer (Inside): [2020-03-03-1]

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2018-01-19 Fri

#3189. ミームとしての言語 (2) [anthropology][biology][meme][teleology]

 昨日の記事 ([2018-01-18-1]) に引き続き,ドーキンスのミーム論について.先の記事で言語をミームと捉える視点を導入したが,注意すべきは,ここに目的論 (teleology) は一切含まれていないことだ.ドーキンスの説を目的論と結びつけるのは,「利己的な遺伝子」 (selfish genes) というキーワードがしばしば引き起こしてきた誤解である.同説を言語に応用する場合にも,この点には気をつけておかなければならない.ドーキンスも何度となく念押ししているが,ミームに関する箇所から引用しよう (303--04) .

ミームと遺伝子の類似点をもっと調べてみることにしよう.本書の全体を通じて私は,遺伝子を,意識をもつ目的志向的な存在と考えてはならないと強調してきた.しかし,遺伝子は,盲目的な自然淘汰のはたらきによって,あたかも目的をもって行動する存在であるかのように仕立てられている.そこで,ことばの節約という立場からは,目的意識を前提にした表現を遺伝子に当てはめてしまったほうが便利だというわけだった.たとえば,「遺伝子は,将来の遺伝子プールの中における自分のコピーの数を増やそうと努力している」と表現した場合,実際の意味は「われわれが自然界においてその効果を目にすることができる遺伝子は,将来の遺伝子プール中における自分の数を結果的に増加させることのできるような挙動を示す遺伝子だろう」ということなのだ.自己の生存のために目的志向的にはたらく能動的な存在として遺伝子を考えることが便利だったのとまったく同様に,ミームに関しても同じように考えれば便利なのではあるまいか.いずれの場合も,表現を神秘的に解釈されては困る.目的の観念はいずれにおいても単なる比喩にすぎないのだ.しかし,遺伝子の場合にこの比喩がどんなに有用だったかはすでに見たとおりである.われわれは,それが単なる比喩であることを十分承知した上で,遺伝子に対して,「利己的な」とか「残忍な」とかいう形容詞をさえ用いたほどである.これらの場合とまったく同じ心構えで,利己的なミームや残忍なミームを物色することができるだろうか.


 ドーキンスは最後の自問に,Yes だろうと答えている.ミームは意識も先見能力ももたない自己複製子であり,あくまで非目的論的な存在である.したがって,ミームとしての言語を想定するならば,それもまた非目的論的に振る舞うだろうと推測される.
 言語変化における teleology については,「#835. 機能主義的な言語変化観への批判」 ([2011-08-10-1]),「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]),「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]),「#1979. 言語変化の目的論について再考」 ([2014-09-27-1]),「#2837. 人類史と言語史の非目的論」 ([2017-02-01-1]) などを参照.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),日高 敏隆・岸 由二・羽田 節子・垂水 雄二(訳) 『利己的な遺伝子』増補新装版 紀伊國屋書店,2006年.

Referrer (Inside): [2018-02-16-1]

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2018-01-18 Thu

#3188. ミームとしての言語 (1) [anthropology][biology][meme][teleology]

 生物観に革命を起こしたリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』 (1976年)は,生物における遺伝子 (gene) に対応するものが,人間の文化にも存在するとして,人文科学にも強烈なインパクトを与えてきた.言語は文化の最たるものであるから,ドーキンスの説は言語観にも影響を及ぼしている.実際,ドーキンスには言語について触れている箇所がある (291--92) .

人間をめぐる特異性は,「文化」という一つのことばにほぼ要約できる.もちろん,私は,このことばを通俗的な意味でではなく,科学者が用いるさいの意味で使用しているのだ.基本的には保守的でありながら,ある種の進化を生じうる点で,文化的伝達は遺伝的伝達と類似している.ジェフリー・チョーサーは,連綿と続く約二〇世代ほどの英国人を仲立ちとして,現代英国人と結びつきをもっている.仲立ちとなっているそれぞれの世代の人々は,ごく身近な世代の人々となら,息子が父親と話をする場合のように互いに話ができたはずだ.しかし,チョーサーと現代英国人との間で会話を交すのは不可能にちがいない.言語は,非遺伝的な手段によって「進化」するように思われ,しかも,その速度は,遺伝的進化より格段に速いのである.


 ドーキンスは,言語を一例とするこのような文化における利己的な自己複製子をミーム (meme) と名付けた.ドーキンスより,この名付けに関する重要な箇所を引用しよう (10) .

私の考えるところでは,新種の自己複製子が最近まさにこの惑星上に登場しているのである.私たちはそれと現に鼻をつき合わせているのだ.それはまだ未発達な状態にあり,依然としてその原始スープの中に不器用に漂っている.しかしすでにそれはかなりの速度で進化的変化を達成しており,遺伝子という古参の自己複製子ははるか後方に遅れてあえいでいるありさまである.
 新登場のスープは,人間の文化というスープである.新登場の自己複製子にも名前が必要だ.文化伝達の単位,あるいは模倣の単位という概念を伝える名詞である.模倣に相当するギリシャ語の語根をとれば <mimeme> ということになるが,私のほしいのは <ジーン(遺伝子)> ということばと発音の似ている単音節の単語だ.そこで,このギリシャ語の語根を <ミーム (meme)> と縮めてしまうことにする.私の友人の古典学者諸氏には御寛容を乞う次第だ.もし慰めがあるとすれば,ミームという単語は <記憶 (memory)>,あるいはこれに相当するフランス語の <même> という単語に掛けることができるということだろう.なお,この単語は,「クリーム」と同じ韻を踏ませて発音していただきたい.


 言語も(その他の文化現象も)遺伝子と同じく利己的に(しかし非目的論的に)自己複製して進化する実体というわけだ.そして,遺伝子が生物を遺伝子機械たらしめているように,言語というミームも話者である人間をミーム機械たらしめているということになるだろうか.そうすると,言語は確かに人類史上かなり成功しているミームといってよさそうだ.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),日高 敏隆・岸 由二・羽田 節子・垂水 雄二(訳) 『利己的な遺伝子』増補新装版 紀伊國屋書店,2006年.

Referrer (Inside): [2018-02-16-1] [2018-01-19-1]

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