「#5219. あなたにとって英語とは? --- 明後日8月13日(日)19:00--20:00 の Voicy heldio 生放送企画のお知らせ」 ([2023-08-11-1]) でご案内した通り,昨晩,khelf(慶應英語史フォーラム)協賛のイベントとして,heldio 生放送をお届けしました.ライヴで聴取・参加いただいたリスナーの皆さん,ありがとうございました.英語は世界の多くの人々が共有するコミュニケーションの道具ではありますが,それを学び,用いている個々人の英語に対する思いは本当にそれぞれですね.皆さん一人ひとりが異なる英語観をもって英語と付き合っていることがよく分かりましたし,何よりも各回答の心に関心してしまいました.
1時間弱の生放送の様子は,今朝の通常配信としてアーカイヴに置いてあります.「#805. 「英語は○○である」 ― あなたにとって英語とはなんですか?(生放送)」をお聴き下さい.
今回の呼びかけと関連する最近の関連過去回も挙げておきます.
・ 「【英語史の輪 #18】「英語は(私にとって)○○です」企画の発進」
・ 「【英語史の輪 #19】「私にとって英語は○○です」お披露目会
・ 「#800. 「英語は(私にとって)○○です」を募集します --- (日)の生放送に向けたリスナー参加型企画」
・ 「#803. 中山匡美先生にとって英語とは何ですか? --- 「英語は○○です」企画の関連対談回」
・ 「#804. 今晩7時の生放送を念頭に英語学者4名に尋ねてみました「あなたにとって英語とは何?」 --- 尾崎萌子さん,金田拓さん,まさにゃんとの対談」
今回リスナーの皆さんから寄せられた回答(とその心)は,主にこちらとこちらのコメント欄に集まっています.以下にざっと回答を一覧しておきます(本当はもっと書き込まれているので,ここに示したのは抜粋にすぎません).回答の多くには「私にとって」が付されていましたが,ここでは一律に省いて提示しています.
・ 英語はナビゲータである
・ 英語は手がかりである
・ 英語(学習)は大ベストセラー本である
・ 英語は料理である
・ 英語はアクセサリーである
・ 英語とは飴玉の一つである
・ 英語は対岸の街である.
・ 英語は「気になるアイツ」である
・ 英語は「自己肯定感」である
・ 英語は「宿命」である,あるいは「神様のいたずら」である
・ 英語は腐れ縁の幼なじみである
・ 英語は言葉の捉え方を激変させた「味変(あじへん)スパイス」のような存在である
・ 英語とは「終わりのない旅~Never Ending Journey」である
・ 英語とは「日本刀」のようなものである
・ 英語は好奇心への扉である
・ 英語は「未知との遭遇」である
・ 英語はA語である
・ 英語はバイキング料理である
・ 英語は二台目の捨象装置である
・ 英語は「第二母語」である
・ 英語は私のこどもたちの第一言語である
・ 英語は「人生を変えたもの」である
・ 英語は多くの日本人にとって「眠れる獅子」である
・ 英語は鍵である
・ 英語は人間が世界を頭で理解するのではなく心で感じる経験を与えてくれるものである
・ 英語は使っている言語の語彙の説明を上達させてくれるものである
・ 英語学習は下りエスカレーターを登る様なものである
・ 英語とは「生きる糧」である
・ 英語は筋肉である
・ 英語は歴史的存在である
・ 英語は糊である
・ 英語は海苔である
・ 英語はノリである
・ 英語は則(のり)である
・ 英語は宣り(のり)である
・ 英語は,大木の奥まったところから細々と生えていたのに途中から急にどんどん太く成長して,先端は一番日当たりのいいところまで伸びている妙な枝である
・ 英語学習はダイエットである
・ 英語は不思議な樹である
・ 英語は「ずっと気になっているカッコいい同級生」である
・ 英語は親友である
・ 英語は憧れであり葛藤であり片思いである
・ 英語は打ち込めるゲームである
・ 英語は杖である
・ 英語は永遠の憧れである
・ 英語は現代日本人の教養である
・ 英語は私にとって生涯の趣味である
・ 英語はコンプレックス商法の恰好の商材である
・ 英語は人格である
・ 英語(学習)とは鏡である
・ 英語はアイドル(偶像)である
・ 英語は会いに行けるアイドル」 (AKB48) である
・ 英語は(日本語話者にとって)一番やさしい第二言語です
・ 英語とは美空ひばりである
・ 英語とは人生の中で見つけた青い鳥である
・ 英語は徳川家康である
・ 英語はピアノである
・ 英語は「別れても好きな人」である
・ 英語は許嫁である
・ 英語は人間関係である
・ 英語はドイツ語の姉妹言語である
昨晩7時より60分ほど Voicy チャンネル「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送をお届けしました.参加いただいたリスナーの皆さん,ありがとうございました.生放送を収録したものを,今朝のレギュラー放送として配信しています.「#776. 「言語は○○である」 --- 初のリスナー参加の生放送企画」をお聴き下さい.
この生放送企画は,先日の「#5188. 「言語は○○のようだ」 --- 言語をターゲットとする概念メタファーをブレストして楽しむ企画のご案内」 ([2023-07-11-1]) を受けたものです.あらかじめリスナーの皆さんに「言語は○○である」のメタファーとその「心」を考えてもらい,Voicy のコメント欄にて寄せてもらった上で,それを生放送で紹介し,鑑賞するという企画でした.
実は今回の企画に先立ち,プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) のほうで,一度「予行演習」を行なっていました.2回の企画を通じてインスピレーションをかき立てる,優れたメタファーが数多く寄せられ,たいへん有意義な機会となりました.リスナーの皆さんには重ねてお礼申し上げます.関連する4回の配信を一覧しておきます.
・ 「【英語史の輪 #10】言語は○○のようだ --- あなたは言語を何に喩えますか?」: 【第1ラウンド】 企画を公開しブレストを呼びかけた回
・ 「【英語史の輪 #11】言語は○○のようだ --- 生激論」: 【第1ラウンド】 上記を受けて,寄せられた概念メタファーを読み上げながら鑑賞した生放送回
・ 「#771. 「言語は○○のようだ」 --- 概念メタファーをめぐるリスナー参加型企画のご案内」: 【第2ラウンド】 企画を公開しブレストを呼びかけた回
・ 「#776. 「言語は○○である」 --- 初のリスナー参加の生放送企画」: 【第2ラウンド】 上記を受けて,寄せられた概念メタファーを読み上げながら鑑賞した生放送回
・ (2023/07/17(Mon) 後記)「#777. 「言語は○○のようだ」--- 生放送で読み上げられなかったメタファーを紹介します」: 【第2ラウンド】 生放送で取り上げ切れなかったものを改めて読み上げる回
以下に,今回の企画のために寄せられてきた「言語は○○である」メタファーを列挙します(cf. 「#4540. 概念メタファー「言語は人間である」」 ([2021-10-01-1]) とそこに張ったリンク先も参照).それぞれのメタファーの「心」を言い当ててみる,という楽しみ方もできるかと思います.
・ 言語は絵の具である
・ 言語は眼鏡である
・ 言語は生物である
・ 外国語学習は生まれ変わることである
・ 言語は壁ではなく階段である
・ 言葉は可能性である
・ 外国語の習得は思考法のインストールである
・ ことばはサーチライトである
・ 概念メタファーはサーチライトである
・ 言語はリフォームを繰り返す家である
・ 言葉は品物である
・ 言葉は食べ物である
・ 言語は扉である
・ 言語(認識)は恋に似ている
・ 言葉は川の流れのようだ
・ 言語は惑星である
・ 言語は自転車である
・ 言語は筋肉である
・ 言語空間はメタバースである
・ 言葉は声かけによる手当である
・ 言葉は玉手箱である
・ 言語は多面体である
毎朝6時にお届けしている Voicy チャンネル「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」のなかで,先月よりプレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) を始めています(原則として毎週火曜日と金曜日の午後6時に配信).新チャンネル開設の趣旨については,本ブログでは「#5145. 6月2日(金),Voicy プレミアムリスナー限定配信の新チャンネル「英語史の輪」を開始します」 ([2023-05-29-1]) で詳述しており,heldio でも音声で「#727. 6月2日(金),Voicy プレミアムリスナー限定配信の新チャンネル「英語史の輪」を開始します」として説明していますので,ぜひご確認いただければと思います.基本的には,英語史活動(hel活)をますます盛り上げていくための基盤作りのコミュニティです.
「英語史の輪」 (helwa) の過去2回の配信回では,リスナー参加型企画を展開しました.前もって「言語は○○のようだ」の概念メタファー (conceptual_metaphor) をプレミアムリスナーの皆さんより寄せていただき,それを話の種として,生放送で一部のプレミアムリスナーもゲストとして音声参加してもらいつつ盛り上がろうという企画でした.ご関心をもった方は,ぜひプレミアムリスナーになっていただければと.
・ 「【英語史の輪 #10】言語は○○のようだ --- あなたは言語を何に喩えますか?」: 企画を公開しブレストを呼びかけた回
・ 「【英語史の輪 #11】言語は○○のようだ --- 生激論」: 上記を受けて,寄せられた概念メタファーを読み上げながら鑑賞した生放送回
この企画は大成功のうちに終了しましたが,非常におもしろかったので,これで終わらせるにはもったいない,heldio のレギュラー配信でも同じことをやってみよう,と思い立った次第です.今朝の heldio レギュラー回「#771. 「言語は○○のようだ」 --- 概念メタファーをめぐるリスナー参加型企画のご案内」で,企画を案内しコメントを募りましたので,ぜひお聴きいただければ.
集まってきたコメントを回収した上で,それを話の種として,今週末の晩(目下,日程を調整中です)に heldio 生放送を実施する予定です.生放送の日時を含め,企画の最新情報は明日以降の heldio レギュラー回でお知らせいたします.奮ってご参加ください.
概念メタファーについては,conceptual_metaphor の各記事,および heldio より「#598. メタファーとは何か? 卒業生の藤平さんとの対談」をどうぞ.
参考までに「英語史の輪」 (helwa) の同企画で寄せられた「言語は○○のようだ」「言語は○○である」のアイディアを箇条書きで挙げてみます(cf. 「#4540. 概念メタファー「言語は人間である」」 ([2021-10-01-1]) とそこに張ったリンク先も参照).それぞれのメタファーの「心」は何かを考えてみるとおもしろいですね.なお,主語(ターゲット)は「言語」からぐんと狭めていただいてもかまいません.以下の通り「語学」「音読」「声」「言語変化」など,狭めた例は多々あります.ブレストですので質よりも量で行きましょう.
・ ことばは鏡である
・ 言葉は血液である
・ 言語は決して揃うことのないルービックキューブである
・ 言語は競争である
・ 言語は色である
・ 言葉は雪のようである
・ 言葉はスノーボードのようである
・ 言語は思考の立体断面図である
・ 外国語学習は精神的な海外旅行である
・ 語学は心の海外旅行である
・ 音読は心のストレッチ体操である
・ 音読は心のラジオ体操である
・ 声は楽器である
・ 語源はタイムカプセルである
・ 言葉は液体である
・ 言葉は食べ物である
・ 言語はカクテルである
・ 言語は万華鏡である
・ 言語はファッションである
・ 言語は武器である
・ 言語は新陳代謝である
・ 言語は南極である
・ 言語は実践である
・ 言語はパッチワークである
・ 言語は手がかりである
・ 言語は呼吸である
・ 言語変化は発芽である
・ 言語(教育)は商品である
・ 言語は海である
・ 言語は四季である
・ 言語は風のようである
・ 言語は過去との握手である
・ 言語は音楽である
・ 言語は異性である
・ 言語は化学反応である
・ 言語は波紋である
「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) と「#4575. and が表わす3種の意味」 ([2021-11-05-1]) に引き続き,接続詞 (conjunction) の意外な多義性 (polysemy) に関する第3弾.or という基本的な接続詞にも「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種の用法が確認される (Sweetser (93--95)) .
(1) Every Sunday, John eats pancakes or fried eggs.
(2) John will be home for Christmas, or I'm much mistaken in his character.
(3) Have an apple turnover, or would you like a strawberry tart?
上記 (1) は「現実世界の読み」の例である.or の基本義といってよい論理的な二者択一の例となる.毎日曜日にジョンがパンケーキ,あるいは目玉焼きを食べるという命題だが,現実にはたまたまある日曜日にパンケーキと目玉焼きをともに食べたとしても,特に矛盾しているとは感じられないだろう.ただし,毎日曜日に必ず両者を食べるという場合には,or の使用は不適切である.
(2) は「認識世界の読み」となる.話者はジョンがクリスマスに帰ってくることを確実であると「認識」している.もしそうでなかったら,話者はジョンの性格を大きく誤解していることになるだろう.文の主旨は,ジョンの帰宅それ自体というよりも,それに関する話者の確信の表明にある.
(3) は「発話行為世界の読み」の例となる.話者はアップルパイかイチゴタルトを勧めるという発話行為を行なっている.いずれかを選ぶように迫っている点で,一見すると論理的な二者択一のようにもみえるかもしれないが,そもそも or で結ばれた2つの節は何らかの命題を述べているわけではない.形式としては命令文,疑問文で表現されていることから分かるとおり,勧誘という発話行為(=勧誘)が行なわれているのである.
or の多義性について上記のような観点から考えたことはなかったので,とても興味深い.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) でみたように,because という1つの接続詞に「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種があり,英語話者はそれらを半ば無意識に使い分けていることをみた.3つの世界の間を自由自在に行き来しながら,同一の接続詞を使いこなしているのである.
まったく同じことが,さらに基本的な接続詞である and についてもいえるという.Sweetser (87--89) より,3つの世界の読みを表わす例文を引用しよう.
(1a) John eats apples and pears.
(1b) John took off his shoes and jumped in the pool.
(2) Why don't you want me to take basketweaving again this quarter?
Answer: Well, Mary got an MA in basketweaving, and she joined a religious cult. (...so you might go the same way if you take basketweaving).
(3) Thank you, Mr Lloyd, and please just close the door as you go out.
(1a) と (1b) は,and の最も普通の解釈である「現実世界の読み」となる例文である.(1a) と (1b) の違いは,前者はリンゴと梨を単純に接続しており,通常の読みでは順序を反転させても現実の命題に影響を与えないのに対して,後者は and で結ばれている2つの節の順序が重要となる点だ.(1b) においては,ジョンは靴を脱いだ後にプールに飛び込んだのであり,プールに飛び込んだ後に靴を脱いだのではない.この and は,時間・順序の観点から現実と言語の間の図像性 (iconicity) を体言しているといえる.だが,現実世界における何らかの接続が and によって示されている点は,両例文に共通している.
(2) では,答えの文においてコンマに続く and が現われている.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,(私が考えるところでは,それが原因となって)カルト宗教団体に入団した,という読みとなる.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,その後でカルト宗教団体に入団した,という時間的順序は,確かに (1b) と同様に含意されるが,ここでは時間的順序に焦点が当てられているわけではない.むしろ,話者が2つの節の間に因果関係をみていることが焦点化されている.話者は(コンマ付き) and により認識上のロジックを表現しているのだ.
(3) では,感謝と依頼という2つの発話行為 (speech_act) が and (やはりコンマ付き)で結びつけられている.ここでは現実世界や認識世界における何らかの接続が言語化されているわけではなく,あくまで発話行為の接続が表わされている.
前回の because のケースに比べると,and の「3つの世界の読み」の区別は少々分かりにくいところがあるように思われるが,それぞれ and の「意味」が異なっていることは感じられるのではないか.Sweetser の狙いは,1つの接続詞で「3つの世界の読み」をまかなえることを because だけではなく and でも例証することによって,この分析の有効性を高めたいというところにあるのだろう.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
because は理由を表わすもっとも普通の接続詞だが,具体的な用例を観察してみると,そこに表わされている理由の種類にも様々なものがあることが分かる.ここで因果関係の哲学に入り込むつもりはないが,語用論や認知言語学の観点に絞って考察してみるだけでも,3種類は区別できそうだ.Sweetser (77) からの例文を挙げよう.
(1) John came back because he loved her.
(2) John loved her, because he came back.
(3) What are you doing tonight, because there's a good movie on.
3文における because が表わす理由の種類は明らかに異なる.(1) はもっとも普通で,現実世界の因果関係が表わされている.ジョンは彼女のことを愛していた,だからジョンは戻ってきたのだ.これを仮に「現実世界の読み」と呼んでおこう.
しかし,(2) の because の役割は,現実世界の因果関係を表わしているわけではない.ジョンが戻ってきた,そのことが理由でジョンが彼女を愛するようになったという読みは成り立たない.この文の言わんとするところは,ジョンが戻ってきた,そのことを根拠としてジョンが彼女を愛していたのだと話者が悟った,ということだ.because 節は,話者がジョンの愛を結論づける根拠となっている.この趣旨でもとの文を拡張すれば,"I conclude that John loved her, because he came back." ほどとなろうか.これを仮に「認識世界の読み」と呼んでおこう.
(3) は,主節が命題を表わす平叙文ですらなく疑問文なので,because が何らかの命題に対する理由であると解釈することは不可能だ.そうではなく,「今晩何してる?」と私が尋ねている理由は,いい映画が上映されているからであり,映画に誘おうと思っているからだ.もとの文を拡張すれば,"I am asking you what you are doing tonight, because there's a good movie on." ほどとなる.主節が表わす発話行為 (speech_act) を行なっている理由が because 以下で示されているわけだ.これを仮に「発話行為世界の読み」と呼んでおこう.
3文において because 節が何らかの理由を表わしているとはいっても,その理由が属する世界に応じて「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」と各々異なるのである.3つのパラレルワールドがあると考えてよいだろう.because は3つの世界を股にかけて活躍している接続詞であり,この語を混乱せずに使いこなしている話者もまた3つの世界を股にかけて言語生活を営んでいるのである.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
「#4564. 法助動詞の根源的意味と認識的意味」 ([2021-10-25-1]) に引き続き,法助動詞の2つの用法について.may を例に取ると,「?してもよい」という許可を表わす根源的意味と,「?かもしれない」という可能性を表わす認識的意味がある.この2つの意味はなぜ同居しているのだろうか.
この問題については英語学でも様々な分析や提案がなされてきたが,Sweetser の認知意味論に基づく解説が注目される.それによると,may の根源的意味は「社会物理世界において潜在的な障害がない」ということである.例えば John may go. 「ジョンはいってもよい」は,根源的に「ジョンが行くことを阻む潜在的な障害がない」を意味する.状況が異なれば障害が生じてくるかもしれないが,現状ではそのような障害がない,ということだ.
一方,may の認識的意味は「認識世界において潜在的な障害がない」ということである.例えば,John may be there. 「ジョンはそこにいるかもしれない」は,認識的な観点から「ジョンがそこにいるという推論を阻む潜在的な障害がない」を意味する.現在の手持ちの前提知識に基づけば,そのように推論することができる,ということだ.
つまり,社会物理世界における「潜在的な障害がない」が,認識世界の推論における「潜在的な障害がない」にマッピングされているというのだ.両者は,以下のような同一のイメージ・スキーマに基づいて解釈することができる.今のところ潜在的な障害がなく左から右に通り抜けられるというイメージだ.
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1. In both the sociophysical and the epistemic worlds, nothing prevents the occurrence of whatever is modally marked with may; the chain of events is not obstructed.
2. In both the sociophysical and the epistemic worlds, there is some background understanding that if things were different, something could obstruct the chain of events. For example, permission or other sociophysical conditions could change; and added premises might make the reasoner reach a different conclusion.
この分析は must や can など,根源的意味と認識的意味をもつ他の法助動詞にも適用できる.must についての Sweetser (64) の解説により,理解を補完されたい.
. . . I propose that the root-modal meanings can be extended metaphorically from the "real" (sociophysical) world to the epistemic world. In the real world, the must in a sentence such as "John must go to all the department parties" is taken as indicating a real-world force imposed by the speaker (and/or by some other agent) which compels the subject of the sentence (or someone else) to do the action (or bring about its doing) expressed in the sentence. In the epistemic world the same sentence could be read as meaning "I must conclude that it is John's habit to go to the department parties (because I see his name on the sign-up sheet every time, and he's always out on those nights)." Here must is taken as indicating an epistemic force applied by some body of premises (the only thing that can apply epistemic force), which compels the speaker (or people in general) to reach the conclusion embodied in the sentence. This epistemic force is the counterpart, in the epistemic domain, of a forceful obligation in the sociophysical domain. The polysemy between root and epistemic senses is thus seen (as suggested above) as the conventionalization, for this group of lexical items, of a a metaphorical mapping between domains.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
must, may, can などの法助動詞 (auxiliary_verb) には,根源的意味 (root sense) と認識的意味 (epistemic sense) があるといわれる.通時的にも認知的にも前者から後者が派生されるのが常であることから,前者が根源的 (root) と称されるが,機能に注目すれば義務的意味 (deontic sense) を担っているといってよい.
must を例に取れば,例文 (1) の「?しなければならない」が根源的(あるいは義務的)意味であり,例文 (2) の「?にちがいない」が認識的意味ということになる (Sweetser 49) .
(1) John must be home by ten; Mother won't let him stay out any later.
(2) John must be home already; I see his coat.
一般的にいえば,根源的意味は現実世界の義務,許可,能力を表わし,認識的意味は推論における必然性,蓋然性,可能性を表わす.Sweetser (51) の別の用語でいえば,それぞれ "sociophysical domain" と "epistemic domain" に関係する.一見して関係しているとは思えない2つの領域・世界への言及が,同一の法助動詞によってなされているのは興味深い.
実際,英語に限らず多くの言語において,根源的意味と認識的意味の両方をもつ語が観察される.印欧語族はもちろん,セム,フィリピン,ドラヴィダ,マヤ,フィン・ウゴールの諸語でも似た現象が確認される.しかも,歴史的に前者から後者が派生されるという一方向性 (unidirectionality) の強い傾向がみられる(cf. 「#1980. 主観化」 ([2014-09-28-1])) .
とすると,これは偶然ではなく,何らかの動機づけがあるということになろう.認知言語学では,"sociophysical domain" と "epistemic domain" の間のメタファーとして説明しようとする.現実世界の因果関係を認識世界の因果関係にマッピングした結果,根源的意味から認識的意味が派生するのだ,という説明である.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
「#1578. 言語は何に喩えられてきたか」 ([2013-08-22-1]) で見たとおり,「言語は○○である」の○○には様々なものが入る.言語を生き物に喩えるのは日常茶飯だが,生き物のなかでもとりわけ人間に喩えるという発想,つまり「言語は人間である」という概念メタファー (conceptual_metaphor) は意外と見過ごされてきたかもしれない.Watts (13--14) より "A LANGUAGE IS A HUMAN BEING" を体現する表現をいくつか拾ってみよう.
- <A language is born>
- <A language dies>
- <A language grows old>
- <A language is mature>
- <A language at time point x is the same language as at time point y>
- <A language has a character>
- <A language is a potential actor> (i.e. has the ability to initiate and carry out actions)
- <A language is corrupt>
- <A language is noble>
- <A language is perfect>
- <A language is homogeneous>
- <A language is polite>
- <A language is hesitant>
- <A language is bold>
- <A language is great>
- <A language is healthy>
- <A language is sick/ill>
- <A language is fit>
- <A language is ailing>
- <A language is dying>
- <A language is weak>
- <A language recovering/reviving>
この一覧には,character (性格)に関する表現がいくつか含まれている.言語を一般的に生き物に喩えるのではなく,とりわけ人間に喩えるポイントは「性格づけ」にありそうだ.人間一人ひとりに性格があるのと同様に,各言語にも特有の性格があるという点に引っかけた比喩ということだ.
様々な概念メタファーを通じて言語の性質,あるいは言語のとらえ方のパターンを見いだしていくのは,なかなかおもしろそうである.関連する過去の記事として,以下を挙げておきたい.
・ 「#1578. 言語は何に喩えられてきたか」 ([2013-08-22-1])
・ 「#1579. 「言語は植物である」の比喩」 ([2013-08-23-1])
・ 「#1722. Pisani 曰く「言語は大河である」」 ([2014-01-13-1])
・ 「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1])
・ 「#2743. 貨幣と言語」 ([2016-10-30-1])
・ 「#3771. Wittgenstein の「言語ゲーム」 (1)」 ([2019-08-24-1])
・ Watts, Richard J. Language Myths and the History of English. Oxford: OUP, 2011.
英語でも日本語でもスポーツに起源をもつ表現がスポーツ以外の領域で日常的に用いられるということが多々ある (cf. 「#4480. テニス用語の語源あれこれ」 ([2021-08-02-1])) .政治の言説においても,スポーツに由来する表現は豊富だ.
例えば Polzenhagen and Wolf (157) からの引用となるが,2006年に George W. Bush が,中間選挙についてアメフトの表現を借りて,次のように表現したという.
And they [the Democrats] just --- as I said, they're dancing in the end zone. They just haven't scored the touchdown, Mark, you know; there's a lot of time left.
この種の表現は日常的であり,"POLITICS IS SPORTS" という概念メタファー (conceptual_metaphor) を立てて差し支えないだろう.この概念メタファーが成立する理由として,Polzenhagen and Wolf (157--58) は次のように述べている,
There are obvious reasons why these sports lend themselves as source domains for conceptualizing the political scene, and elections in particular: They highlight notions like competition, strategies, teamwork, and winning and losing. They are played in seasons. Furthermore, sports events are public events involving players and supporters, and they have a strong emotive component. They hence provide a rich conceptual structure that can be readily mapped onto the domain of politics, and the various mappings have been worked out in the literature referred to above. However, from a CS [= Cognitive Sociolinguistics] perspective, it is not merely the structural properties of the source domain and the enormous popularity of these sports that need to be considered in order to account for the pervasiveness of the metaphors under analysis. . . .
. . . .
The baseball creed hooked up with American cultural keywords . . . like the American Dream (success through perseverance), the myth of classlessness of American society (a supposedly democratizing sport that is open to anyone regardless of social standing), the belief of American exceptionalism (an allegedly genuine American sport), and others. This way, baseball was made a perfect embodiment of American freedom and the American way of life.
引用の後半は,野球がアメリカの政治文化においてどのように位置づけられているかを評したものとして読みごたえがある.
・ Polzenhagen, Frank and Hans-Georg Wolf, "World Englishes and Cognitive Linguistics." Chapter 8 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 147--72.
「英語史導入企画2021」も終盤に差し掛かってきました.本日紹介するコンテンツは「視覚表現の意味変化 --- 『見る』ことは『理解』すること」です.Lakoff and Johnson は,認知の仕方にせよ言語表現にせよ,身の回りには私たちが思っている以上に多くメタファー (metaphor) が潜んでいることを喝破し,世を驚かせました.今回のコンテンツは,「見る」と「理解する」を意味する英単語に焦点を当て,Lakoff and Johnson の認知言語学的なモノの見方を易しく紹介したものです.
人間は視覚がよく発達した動物です.視覚から入ってくる大量の情報こそが認知活動の大部分を支えていると考えられます.すると,「見る」を意味する語がメタファーにより「理解する」の意味に応用されるのも自然に思われます.もし洞穴のコウモリのような超音波を感知できる動物が言語を発明していたとしたら,むしろ「聞く」を意味する語が「理解する」に応用されていたかもしれません.また,嗅覚の優れた動物だったら,「匂う,嗅ぐ」を「理解する」の意味で用いていたことでしょう.
人間は実は聴覚も悪くはないので「聞く」を「理解する」にメタファー的に応用する事例はあります.「聴解する」にせよ Listen carefully. にせよ,高度な理解に関わる表現です.しかし,人間が比較的弱い嗅覚についてはどうでしょうか.「匂う,嗅ぐ」の「理解する」への転用例はあるでしょうか.日本語の「嗅ぎつける」「嗅ぎ分ける」にも,ある種の理解の気味が入っていると言えるかもしれませんが,もしそうだとしても「見る」や「聞く」よりは単純な種類の理解のように感じます.さらに味覚,触覚についてはどうでしょうか.
今回のコンテンツで「『見る』ことは『理解』すること」として提示された種類のメタファーは,概念メタファー (conceptual_metaphor) と呼ばれています.単発のメタファーではなく,体系的なメタファーとして認知や言語の隅々にまで行き渡っているものだということを主張するために作られた用語です.この辺りに関心をもった方は,ぜひ以下の記事群をお読みください.
・ 「#2187. あらゆる語の意味がメタファーである」 ([2015-04-23-1])
・ 「#2548. 概念メタファー」 ([2016-04-18-1])
・ 「#2551. 概念メタファーの例をいくつか追加」 ([2016-04-21-1])
・ 「#2568. dead metaphor (1)」 ([2016-05-08-1])
・ 「#2569. dead metaphor (2)」 ([2016-05-09-1])
・ 「#2593. 言語,思考,現実,文化をつなぐものとしてのメタファー」 ([2016-06-02-1])
・ 「#2616. 政治的な意味合いをもちうる概念メタファー」 ([2016-06-25-1])
・ Lakoff, George, and Mark Johnson. Metaphors We Live By. Chicago and London: U of Chicago P, 1980.
科学用語に限らず,宗教的な用語など普遍的・文明的な価値をもつ語彙とその意味は,言語境界を越えて広範囲に伝播する性質をもつ.ある言語から別の言語へと語彙がほぼそのまま借用されることもあれば,翻訳されて取り込まれることもあるが,後者の場合にも翻訳語が帯びる意味は,たいていオリジナルの語と等価である.というのは,言語境界を越えて伝播するのは,語それ自体というよりは,むしろその意味 --- 問題となっている普遍的・文明的な価値 --- だからだ.
さらにいえば,単一の語のみならず関連する語彙がまとまって伝播することが多いという点では,実際に伝播しているのは,一見すると語彙やその意味のようにみえて,実はそれらの背後に潜んでいる概念メタファー (conceptual_metaphor) なのではないかという考え方もできる.
以上は,Meillet (20--21) の著名な意味変化論を読んでいたときに,ふと気付いたことである.その1節を原文で引用しておきたい.
Le fait est particulièrement sensible dans les groupes composés de savants, ou bien où l'élément scientifique tient une place importante. Les savants, opérant sur des idées qui ne sauraient recevoir une existence sensible que parle langage, sont très sujets à créer des vocabulaire spéciaux dont l'usage se répand rapidement dans les pays intéressés. Et comme la science est éminemment internationale, les termes particuliers inventés par les savants sont ou reproduits ou traduits dans des groupes qui parlent les langues communes les plus diverses. L'un des meilleurs exemples de ce fait est fourni par la scholastique dont la langue a eu un caractère éminemment européen, et à laquelle l'Europe doit la plus grande partie de ce que, dans la bigarrure de ses langues, elle a d'unité de vacabulaire et d'unité de sens des mots. Un mot comme le latin conscientia a pris dans la langue de l'école un sens bien défini, et les groupes savants ont employé ce mot même en français } les nécessités de la traduction des textes étrangers et le désir d'exprimer exactement la même idée ont fait rendre la même idée par les savants germaniques au moyen de mith-wissei en, gothique, de gi-wizzani en vieux haut-allemand (allemand moderne gewissen). Souvent les mots techniques de ce genre sont trduits littéralement et n'ont guère de sens dans la langue où ils sont transférés; ainsi le nom de l'homme qui a de la pitié, latin misericors, a été traduit littéralement en gotique arma-hairts (allemand barm-herzig) et a passé du germanique en slave, par example russe milo-serdyj. Ce sont là de pures transcriptions cléricales de mots latins.
英語における科学用語については「#616. 近代英語期の科学語彙の爆発」 ([2011-01-03-1]),「#617. 近代英語期以前の専門5分野の語彙の通時分布」 ([2011-01-04-1]),「#3166. 英製希羅語としての科学用語」 ([2017-12-27-1]) などで取り上げてきたが,今回の話題と関連して,とりわけ「#1694. 科学語彙においてギリシア語要素が繁栄した理由」 ([2013-12-16-1]) を参照されたい.
・ Meillet, Antoine. "Comment les mots changent de sens." Année sociologique 9 (1906). 1921 ed. Rpt. Dodo P, 2009.
昨日の記事「#4088. 古英語で「年」を意味した winter」 ([2020-07-06-1]) のために周辺を調べていたら,現代英語のおもしろい表現に行き当たった.a girl of eighteen summers (芳紀18歳の娘),a child of ten summers (10歳の子供),a youth of twenty summers (20歳の青年)などである.
古英語の winter は複数形で長い年月を表わすのに用いられるのが通常だった.そこから,an old man of eighty winters (八十路の老人)のような「老年」を表わす表現が生まれてきたわけである.昨日の記事では「年のなかの1季節である冬=年」という部分と全体のメトニミーが作用していることに触れたが,一方で「人生の winter =老年」というメタファーが存在することも間違いなさそうだ.すると,対比的に「人生の summer =若年」というメタファーが類推により生まれてくることも,さほど不可解ではない.summer は,部分と全体のメトニミーはそのままに,とりわけ若年を喚起する年・歳のメタファーとして新たに生じたのである.
実際,OED の summer, n.1 and adj. の語義4によると「年,歳」を意味する用例の初出は,古英語ではなく,ずっと後の後期中英語である.初期の例とともに引用する.
4. In plural. With a numeral or other quantifier, as two summers, five summers, etc.: used to measure a duration or lapse of time containing the specified number of summers or years; esp. used to denote a person's age. Now chiefly literary and rhetorical.
Frequently applied particularly to younger people, perhaps with intended contrast with WINTER n.1 2, although cf. e.g. quots. 1821, 2002 for application to older people.
c1400 (?c1380) Cleanness (1920) l. 1686 Þus he countes hym a kow þat watz a kyng ryche, Quyle seven syþez were overseyed someres, I trawe.
1573 T. Bedingfield tr. G. Cardano Comforte ii. sig. E.ii Wee maruaile at flees for theyr long life, if they liue two Sommers.
. . . .
a1616 W. Shakespeare Comedy of Errors (1623) i. i. 132 Fiue Sommers haue I spent in farthest Greece.
若年を喚起する summer の用法は,したがって古英語以来の winter の用法を参照しつつ,メタファーとメトニミーと相関的類推作用 (correlative analogy) を通じて中英語期に作り出された刷新用法ということになる(相関的類推作用については「#1918. sharp と flat」 ([2014-07-28-1]) を参照).多層的な概念メタファー (conceptual metaphor) の例でもある.
ところで,この summer は winter との対比であるとすれば,季節としては「夏」と解釈してよいのだろうか.そのようにみえるが,実は「春」ではないかと考えている.というのは,「若年=人生の春」のほうが解釈しやすいし,何よりも「#1221. 季節語の歴史」 ([2012-08-30-1]),「#1438. Sumer is icumen in」 ([2013-04-04-1]) で見たように,歴史的には summer は夏ばかりでなく春をも指し得たからだ.冬の反意 (antonymy) は夏なのか,春なのか.そんなことも考えさせる話題である.
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