9月8日(日)に khelf(慶應英語史フォーラム)主催で開かれた「英語史ライヴ2024」の1セッションとして,『文法化する英語』(開拓社,2014年)の著者である保坂道雄先生(日本大学教授)と初の heldio 対談が実現しました.
文法化 (grammaticalisation) の入門となる音声コンテンツとなっていますが,そればかりでなく保坂先生の言語(変化)観をお聴きする貴重な機会ともなっています.対談の際,私の収録態勢が不十分だったために,途中部分を録音できなかったという痛恨のミスを犯してしまいましたが,全体としては一貫したコンテンツとなっております.ぜひお聴きいただければと思います.「#1245. 保坂道雄先生との「文法化入門」対談 --- 「英語史ライヴ2024」より」です(本編は20分弱です).
第2チャプターでは,言語変化における文法化の位置づけ,および迂言的 do (do-periphrasis) の文法化のイントロについてお話ししていただきました.続く第3チャプターでは,完了形 (perfect) の文法化を導入していただきました.(収録に失敗してしまった do 迂言形の話題につきましては,後日,改めて保坂先生にじっくりお話しいただきたいと思っています.)
今回の対談でご紹介した『文法化する英語』や,そこで扱われている個々の文法化の事例については,これまでも hellog および heldio で様々に取り上げてきました.文法化に関わるとりわけ重要なコンテンツを以下に一覧しておきます.
【 hellog 記事 】
・ 「#1972. Meillet の文法化」 ([2014-09-20-1])
・ 「#1974. 文法化研究の発展と拡大 (1)」 ([2014-09-22-1])
・ 「#1975. 文法化研究の発展と拡大 (2)」 ([2014-09-23-1])
・ 「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1])
・ 「#2146. 英語史の統語変化は,語彙投射構造の機能投射構造への外適応である」 ([2015-03-13-1])
・ 「#2490. 完了構文「have + 過去分詞」の起源と発達」 ([2016-02-20-1])
・ 「#2575. 言語変化の一方向性」 ([2016-05-15-1])
・ 「#2576. 脱文法化と語彙化」 ([2016-05-16-1])
・ 「#3272. 文法化の2つのメカニズム」 ([2018-04-12-1])
・ 「#3273. Lehman による文法化の尺度,6点」 ([2018-04-13-1])
・ 「#3281. Hopper and Traugott による文法化の定義と本質」 ([2018-04-21-1])
・ 「#3669. ゼミのグループ研究のための取っ掛かり書誌」 ([2019-05-14-1])
・ 「#5124. Oxford Bibliographies による文法化研究の概要」 ([2023-05-08-1])
・ 「#5132. なぜ be going to は未来を意味するの? --- 「文法化」という観点から素朴な疑問に迫る」 ([2023-05-16-1])
・ 「#5411. heldio で「文法化」を導入するシリーズをお届けしました」 ([2024-02-19-1])
・ 「#5420. 保坂道雄(著)『文法化する英語』(開拓社,2014年) --- 英語の文法化の入門書」 ([2024-02-28-1])
【 heldio コンテンツ 】
・ 「#988. ぎゅうぎゅうの単語とすかすかの単語 --- 内容語と機能語」
・ 「#989. 内容語と機能語のそれぞれの特徴を比較する」
・ 「#990. 文法化とは何か?」
・ 「#991. while の文法化」
・ 「#992. while の文法化(続き)」
・ 「#1001. 英語の文法化について知りたいなら --- 保坂道雄(著)『文法化する英語』(開拓社,2014年)」
・ 「#1003. There is an apple on the table. --- 主語はどれ?」
英語史の視点からの文法化の入門書として,改めて保坂先生著『文法化する英語』を推します.
・ 保坂 道雄 『文法化する英語』 開拓社,2014年.
先月,知識共有サービス Mond にて5件の英語に関する質問に回答しました.新しいものから遡ってリンクを張り,回答の要約も付します.
(1) なぜ数量詞は遊離できるのに,冠詞や所有格は遊離できないの?
回答:理論的には数量詞句 (QP) と限定詞句 (DP) の違いによるものと説明できそうですが,一筋縄では行きません.歴史的にいえば,古英語から現代英語に至るまで,数量詞遊離は常に存在していましたが,時代とともに制限が厳しくなってきているという事実があります.詳しくは新刊書の田中 智之・縄田 裕幸・柳 朋宏(著)『生成文法と言語変化』(開拓社,2024年)をご参照ください.
(2) have got to の got とは何なのでしょうか?
回答:have got は本来「獲得したところだ」という現在完了の意味でしたが,16世紀末から「持っている」という単純な意味に転じました.文法化 (grammaticalisation) の過程を経て,口語で have の代用として定着しています.「#5657. 迂言的 have got の発達 (1)」 ([2024-10-22-1]),「#5658. 迂言的 have got の発達 (2)」 ([2024-10-23-1]) を参照.
(3) 英語では単数形,複数形の区別がありますが,なぜ「1とそれ以外」なのでしょうか?
回答:「1」が他の数と比べて特に基本的で重要な数であるためと考えられます.古英語には双数形もありましたが,中英語以降は単数・複数の2区分となりました.世界の言語では最大5区分まで持つものもあります.「#5660. なぜ英語には単数形と複数形の区別があるの? --- Mond での質問と回答より」 ([2024-10-25-1]) を参照.
(4) 完了形はなぜ動作の継続を表現できるのでしょうか?
回答:完了形の諸用法の共通点は「現在との関与」です.継続の意味は主に状態動詞で現われ,動作動詞では完了の意味が表出します.また「時間的不定性」も完了形の重要な特徴と考えられます.「#5651. 過去形に対する現在完了形の意味的特徴は「不定性」である」 ([2024-10-16-1]) を参照.
(5) subjunctive mood (仮定法・接続法)の現在完了について
回答:仮定法現在完了は理論上存在可能で実例も見られますが,比較的まれです.仮定法の体系は「現在・過去・過去完了」の3つ組みとして理解するのが妥当で,その中で完了相が必要な場合に現在完了形が使用される,と解釈するのはいかがでしょうか.
以上です.11月も Mond にて英語(史)に関する素朴な疑問を受け付けています.気になる問いをお寄せください.
昨日の記事「#5657. 迂言的 have got の発達 (1)」 ([2024-10-22-1]) に引き続き,現代では日常的となったこの迂言的表現について.
Rissanen (220) が,初期近代英語期の統語論を論じている文献にて,同表現の発生について言及している.
The perfect have got, which is almost a rule, instead of the present tense have, in colloquial present-day British English, is attested from the end of the sixteenth century. The periphrastic form here is possibly due to a tendency to increase the weight of the verbal group, particularly in sentence-final position. The association of have with the auxiliaries may have supported the development of the two-verb structure.
(173) Some have got twenty four pieces of ivory cut in the shape of dice, . . . and with these they have played at vacant hours with a childe ([HC] Hoole 7)
(174) Bon. What will your Worship please to have for Supper?
Aim. What have you got?
Bon. Sir, we have a delicate piece of Beef in the Pot . . .
Aim. Have you got any fish or Wildfowl? ([HC] Farquhar I.i)
迂言形の出現の背景として考えられる事柄を2点挙げている.1つめは,複合動詞とすることで韻律的な「重み」が増し,語呂がよくなるということだ.とりわけ文末において動詞(過去分詞)の got が現われると口語では好韻律になるということだが,これはどこまで実証されるのだろうか,気になるところである.
もう1つは,have が助動詞として振る舞うようになっていたために,後ろに got のような別の動詞が接続し,2語で複合動詞として機能することは,統語的に自然なことだ,という洞察である.ただし,「have + 過去分詞」が現在完了を表わすというのは,すでに中英語期から普通のことだった.とりわけ have got の迂言形が発達してきたはなぜかを積極的に説明するような洞察ではない.
17世紀(以降)の口語における用例と文脈を詳しく調査していく必要がある.
・ Rissanen, Matti. "Syntax." <i>The Cambridge History of the English Language</i>. Vol. 3. Cambridge: CUP, 1999. 187--331.
知識共有サービス Mond に寄せられていた「迂言的 have got」に関する素朴な疑問に,先日回答しました.こちらよりお読みください.本当はもっと詳しく調べなければならない問題で,今回はとりあえずの回答だったのですが,これを機に考え始めてみたいと思います.
最初の一歩は,いつでも OED です.迂言的 have got は,OED の get (v.) の IV の項に,完了形の特殊用法として記述があります.
IV. Specialized uses of the perfect.
In this use, the perfect and past perfect of get (have got, has got, had got) function as a present and past tense verb, which, owing to its formation, does not enter into further compound forms (perfect and past perfect, progressive, passive, or periphrastic expressions with to do), or have an imperative or infinitive.
In colloquial, regional, and nonstandard use, omission of auxiliary have is frequent in the uses at this branch (e.g. I got some, you got to): see examples in etymology section. An inflected form gots is also sometimes found in similar use (e.g. I gots some, he gots to), especially in African American usage: see further examples in etymology section.
IV.i. In senses equivalent to those of the present and past tenses of have.
Often, especially in early use, difficult to distinguish from the dynamic use 'have obtained or acquired'.
IV.i.33.a. transitive. To hold as property, be in possession of, own; to possess as a part, attribute, or characteristic; = have v. I.i
[1600 What a beard hast thou got; thou hast got more haire on thy chinne, then Dobbin my philhorse hase on his taile.
W. Shakespeare, Merchant of Venice]
1611 The care of conseruing and increasing the goods they haue got, and the feare of loosing that which they enioy.
J. Maxwell, translation of Treasure of Tranquillity xvii. 144
a1616 Fie, th'art a churle, ye'haue got a humour there Does not become a man.
W. Shakespeare, Timon of Athens (1623) i.ii.25
c1635 My lady has got a cast of her eye.
H. Glapthorne, Lady Mother (1959) ii.i.22
1670 They have got..such a peculiar Method of Text-dividing.
J. Eachard, Grounds Contempt of Clergy 113
. . . .
have got が本来の動作的な意味を表わすのか,現代風の状態的な意味を表わすのか,特に初期の例については判別しにくいケースがあると述べられてはいますが,17世紀中に頻度を高めていったことは EEBO corpus で調べた限り間違いなさそうです.なぜ,どのような経緯でこの表現が現われ,一般的になっていったのか,深掘りしていく必要があります.
英語の時制・相の体系はそこそこ複雑で,とりわけ初学者にとって障害となるのが現在完了 (present perfect) である.過去 (preterite)とはどう異なるのか,いまいち本質がつかみにくい.様々な説明があり得るが,英語統語史の研究者 Visser によれば,現在完了が過去と異なる要諦はその「不定性」 (indefiniteness) にあるという.例外がないわけではないと述べつつ,現在完了の本質を次の3点にまとめている (III, §2004 [p. 2193]) .ここで Visser が念頭においているのは,現代英語の規範文法というよりも,通時態を意識した歴史英文法であることに注意されたい.
The present perfect is generally preferred to the preterite
(a) when in the sentence there is no past-time adjunct and at the same time any definite idea of past-ness of the action is excluded as e.g. in 'I have been in Brasil';
(b) when there is a temporal adjunct in the sentence which does not clearly refer to a definite point of time but rather to a certain space of time, such as 'long ago', 'in my youth', 'before this time', 'once', 'often', 'ere now', 'recently', 'formerly', etc.
(c) when there is a temporal adjunct in the sentence referring to a period of time that stretches from a point in the past to the moment of speaking, e.g. 'this month', 'ever since', 'hitherto', 'of late', 'this twelvemonth', 'for many years', 'the whole afternoon', etc.
(a) によれば,現在完了は,過去のいつ起こったのかは明示しないけれども,現在までに完了していることを含意する.ここから「完了」「結果」「経験」などの用法が流れ出ている.
(b) によれば,現在完了は過去の1点ではなく範囲をもった時間を念頭においているという.これも「経験」用法に関係する.
(c) は (b) の特殊版と考えられるだろう.過去から現在までの期間が念頭に置かれ,ここから「継続」の用法が染み出てくる.
「完了」「結果」「経験」「継続」などの用語を並べると,そこには必ずしも一貫したものが感じられないが,過去に対する現在完了の特徴は「不定性」,とりわけ時間に関する不定性,つまり時間軸上の明確な1点を念頭においていないことに帰せられるのではないか.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
10月が始まりました.大学の新学期も開始しましたので,改めて「hel活」 (helkatsu) に精を出していきたいと思います.9月下旬には,知識共有サービス Mond にて10件の英語に関する質問に回答してきました.今回は,英語史に関する素朴な疑問 (sobokunagimon) にとどまらず進学相談なども寄せられました.新しいものから遡ってリンクを張り,回答の要約も付します.
(1) なぜ英語にはポジティブな形容詞は多いのにネガティヴな形容詞が少ないの?
回答:英語にはポジティヴな形容詞もネガティヴな形容詞も豊富にありますが,教育的配慮や社会的な要因により,一般的な英語学習ではポジティヴな形容詞に触れる機会が多くなる傾向がありそうです.実際の言語使用,特にスラングや口語表現では,ネガティヴな形容詞も数多く存在します.
(2) 地名と形容詞の関係について,Germany → German のように語尾を削る物がありますが?
回答:国名,民族名,言語名などの関係は複雑で,どちらが基体でどちらが派生語かは場合によって異なります.歴史的な変化や自称・他称の違いなども影響し,一般的な傾向を指摘するのは困難です.
(3) 現在完了の I have been to に対応する現在形 *I am to がないのはなぜ?
回答:have been to は18世紀に登場した比較的新しい表現で,対応する現在形は元々存在しませんでした.be 動詞の状態性と前置詞 to の動作性の不一致も理由の一つです.「現在完了」自体は文法化を通じて発展してきました.
(4) 読まない語頭以外の h についての研究史は?
回答:語中・語末の h の歴史的変遷,2重字の第2要素としてのhの役割,<wh> に対応する方言の発音,現代英語における /h/ の分布拡大など,様々な観点から研究が進められています.h の不安定さが英語の発音や綴字の発展に寄与してきた点に注目です.
(5) 言語による情報配置順序の特徴と変化について
回答:言語によって言語要素の配置順序に特有の傾向があり,これは語順,形態構造,音韻構造など様々な側面に現われます.ただし,これらの特徴は絶対的なものではなく,歴史的に変化することもあります.例えば英語やゲルマン語の基本語順は SOV から SVO へと長い時間をかけて変化してきました.
(6) なぜ come や some には "magic e" のルールが適用されないの?
回答:come,some などの単語は,"magic e" のルールとは無関係の歴史を歩んできました.これらの単語の綴字は,縦棒を減らして読みやすくするための便法から生まれたものです.英語の綴字には多数のルールが存在し,"magic e" はそのうちの1つに過ぎません.
(7) Let's にみられる us → s の省略の類例はある? また,意味が変化した理由は?
回答:us の省略形としての -'s の類例としては,shall's (shall us の約まったもの)がありました.let's は形式的には us の弱化から生まれましたが,機能的には「許可の依頼」から「勧誘」へと発展し,さらに「なだめて促す」機能を獲得しました.これは言語の主観化,間主観化の例といえます.
(8) 英語にも日本語の「拙~」のような1人称をぼかす表現はある?
回答:英語にも謙譲表現はありますが,日本語ほど体系的ではありません.例えば in my humble opinion や my modest prediction などの表現,その他の許可を求める表現,著者を指示する the present author などの表現があります.しかし,これらは特定の語句や慣用表現にとどまり,日本語のような体系的な待遇表現システムは存在しません.
(9) 英語史研究者を目指す大学4年生からの相談
回答:大学卒業後に社会経験を積んでから大学院に進学するキャリアパスは珍しくありません.教育現場での経験は研究にユニークな視点をもたらす可能性があります.研究者になれるかどうかの不安は多くの人が抱くものですが,最も重要なのは持続する関心と探究心,すなわち情熱です.研究会やセミナーへの参加を続け,学びのモチベーションを保ってください.
(10) 英語の人称代名詞における性別区分の理由と新しい代名詞の可能性は?
回答:1人称・2人称代名詞は会話の現場で性別が判断できるため共性的ですが,3人称単数代名詞は会話の現場にいない人を指すため,明示的に性別情報が付されていると便利です.現代では性の多様性への認識から,新しい共性の3人称単数代名詞が提案されていますが,広く受け入れられているのは singular they です.今後も要注目の話題です.
以上です.10月も Mond より,英語(史)に関する素朴な疑問をお寄せください.
英語史において時制カテゴリーの成因や対応する表現はしばしば変化してきた.例えば,未来のことを指示するのにどのような表現が用いられてきたかを歴史に沿ってたどってみると,古英語から中英語にかけては現在時制を用いていたが,中英語から現代英語にかけては shall/will などを用いた迂言的な表現を用いるようになった等々.
Görlach (100) は,時制カテゴリーをめぐる英語史上の変化の概略を表にまとめている.以下に引用する.
ざっくりとした見取り図として参考にされたい.
・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.
多くの言語には,時間 (time) に関連する概念を標示する機能があります.まず,日本語にも英語にもあって分かりやすいのは時制 (tense) という範疇 (category) ですね.過去,現在,未来という時間軸上のポイントを示すアレです.
もう1つ,よく聞くのが相 (aspect) です.aspect という英単語は「局面,側面,様態,視座,相」ほどを意味し,いずれで訳してもよさそうですが,最も分かりにくい「相」が定訳となっているので困ります.難しそうなほうが学術用語としてありがたがられるという目論見だったのでしょうかね.あまり感心できませんが,定着してしまったものを無視するわけにもいきませんので,今回は「相」で通します.
さて,aspect や「相」について参考書を調べてみると,様々な定義や解説が挙げられていますが,互いに主旨は大きく異なりません.
動詞に関する文法範疇の一つで,動詞の表わす動作・状態の様相のとらえ方およびそれを示す文法形式をいう.(『新英語学辞典』, p. 96)
The grammatical category (expressed in verb forms) that refers to a way of looking at the time of a situation: for example, its duration, repetition, completion. Aspect contrasts with tense, the category that refers to the time of the situation with respect to some other time: for example, the moment of speaking or writing. There are two aspects in English: the progressive aspect ('We are eating lunch') and the perfect aspect ('We have eaten lunch'). (McArthur 86)
A grammatical category concerned with the relationship between the action, state or process denoted by a verb, and various temporal meanings, such as duration and level of completion. There are two aspects in English: the progressive and the perfect. (Pearce 18)
半年ほど前のことですが,オンライン授業の最中に,学生よりズバリ「相」って何ですかという質問がチャットで寄せられました.そのときに次の即席の回答をしたことを思い出しましたので,こちらに再現します.授業中ということもあり,その場での分かりやすさを重視し,カジュアルで私的な解説にはなっていますが,かえって分かりやすいかもしれません.
相が時制とどう違うか,という内容の問題でしょうかね? そうするとけっこう難しいのですが,よく言われるのは「相」は動詞の表わす動作の内部時間の問題,「時制」は動詞の表わす動作の外部時間の問題とか言われます.
例えば jump 「跳ぶ」の外部時間は分かりやすくて「跳んだ」「跳ぶ」「跳ぶだろう」ですね.内部時間というのは,「跳ぶ」と一言でいっても,脚の筋肉を緊張させて跳び始めようかなという段階(=相)もあれば,実際跳び始めてるよという段階(=相)もあるし,跳んでいて空中にいる最中の段階(=相)もあれば,跳び終わって着時寸前の段階(=相)もあれば,跳び終わっちゃった段階(=相)もあるというように,今の例では少なくとも5段階くらいあるわけです.スローモーションの画像のどこで止めようかという話しです.この細かい段階を表わすのが「相」です.時間が関わってくる点では共通していますが,「時制」とは別次元の時間の捉え方ですよね.
言語における「相」の概念の一部のみをつかんだ取り急ぎの解説にすぎませんが,参考になれば.
もう少し本格的には「#2747. Reichenbach の時制・相の理論」 ([2016-11-03-1]) も参照.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
・ Pearce, Michael. The Routledge Dictionary of English Language Studies. Abingdon: Routledge, 2007.
英語史では,早くも古英語期より,完了を表わすのに have 完了と be 完了の2種類が行なわれてきた.ただし,be 完了は自動詞,およそ移動動詞に限定され,have 完了に比べればもとより目立たない存在ではあった.近代英語期にかけて have 完了がますます勢いを増すにおよび,移動動詞も have 完了へと乗り換えていった.
上記は,be 完了の衰退の歴史の教科書的な概観である.関連する記事として「#1653. be 完了の歴史」 ([2013-11-05-1]),「#1814. 18--19世紀の be 完了の衰退を CLMET で確認」 ([2014-04-15-1]),「#3031. have 完了か be 完了か --- Auxiliary Selection Hierarchy」 ([2017-08-14-1]) も参照されたい.
最近 be 完了と have 完了の比率の通時的推移を明らかにした Smith (2012: 1537) の調査をみつけたので,紹介しておこう.時代ごとに type 頻度と token 頻度の比率(および括弧内に頻度)が示されている(基となっているのは Smith の別の2001年の "Role" 論文).
Type | Token | |||
Be | have | Be | have | |
OE | 16% (11) | 84% (57) | 21% (18) | 79% (85) |
EME | 11% (12) | 89% (92) | 24% (69) | 76% (214) |
LME | 11% (9) | 89% (70) | 11% (12) | 89% (96) |
EModE | 8% (10) | 92% (115) | 4% (13) | 96% (319) |
19th C | 3% (8) | 97% (311) | 4% (38) | 96% (839) |
標題は皆さんの考えたこともない疑問かもしれません.ago とは「?前に」を表わす過去の時間表現に用いる副詞として当たり前のようにマスターしていると思いますが,いったいなぜその意味が出るのかと訊かれても,なかなか答えられないのではないでしょうか.そもそも ago の語源は何なのでしょうか.音声解説をお聴きください.
いかがでしたでしょうか.ago は,動詞 go に意味の薄い接頭辞 a- が付いただけの,きわめて簡単な単語なのです.歴史的には "XXX is/are agone." 「XXXの期間が過ぎ去った」が原型でした.be 動詞+過去分詞形 agone の形で現在完了を表わしていたのですね.やがて agone は語末子音を失い ago の形態に縮小していきます.その後,文の一部として副詞的に機能させるめに,be 動詞部分が省略されました.XXX (being) ago のような分詞構文として理解してもけっこうです.
この成り立ちを考えると,I began to learn English many years ago. は,言ってみれば I began to learn English --- many years (being) gone (by now). といった表現の仕方だということです.この話題について,もう少し詳しく知りたい方は「#3643. many years ago の ago とは何か?」 ([2019-04-18-1]) の記事をどうぞ.
日曜日なので気軽に英語史ネタを.ということでhellog ラジオ版の第4弾です.今回は学校文法でも必ず習う,現在完了形と yesterday のような時の副詞との相性の悪さについて,なぜなのかを考えてみました.
英語の(現在)完了というのは,イマイチ理解しにくい文法事項の代表格ですね.現在完了は「?した」とか「?してしまった」と訳すことが多いので,過去と区別がつきにくいのですが,両者は時制・相としてまったく異なるのだと説諭されるわけです.だから,過去の世界に属する yesterday のような時の副詞は,現在完了と同居してはいけないのだと説明を受けるわけですが,やはりよく理解できません.
この問題は,理論的にも厄介で "Present Perfect Puzzle" とも呼ばれています.私たちがピンと来ないのも無理はないといえます.今回の音声でも,スッキリと解決ということにはなりませんので,あしからず.その上で,以下の音声をどうぞ.
今回の内容を含め,そもそも完了形とは何かという問題について詳しく知りたいという方は,ぜひ##2633,2492,2749,534,2750,2763,2747,2490,2634,2635の記事セットをご覧ください.
印欧語比較言語学と印欧諸語の歴史をみていると,文法カテゴリーやそのメンバーの縮減や再編成が著しい.古英語とその前史を念頭においても,たとえば動詞の過去時制の形態は,前史の印欧祖語における完了 (perfect) と無限定過去 (aorist) の形態にさかのぼる.動詞の時制・相カテゴリーにおける再編成が起こったということだ (cf. 「#2152. Lass による外適応」 ([2015-03-19-1]),「#2153. 外適応によるカテゴリーの組み替え」 ([2015-03-20-1]),「#3331. 印欧祖語からゲルマン祖語への動詞の文法範疇の再編成」 ([2018-06-10-1])).
ほかには,印欧祖語の動詞の祈願法 (optative) と接続法 (subjunctive) ではもともと異なる形態をとっていたが,古英語までに前者の形態が後者を飲み込む形で代表となった.その新しい形態に付けられた名称が「接続法」だから,ややこしい(cf. 「#3538. 英語の subjunctive 形態は印欧祖語の optative 形態から」 ([2019-01-03-1])).
名詞にも同様の現象がみられる.古英語の与格 (dative) は,前代の与格,奪格,具格 (instrumental),位格などを機能的に吸収したものだが,形態上の起源には議論がある.古英語の形容詞,決定詞,疑問代名詞などにわずかに痕跡を残す具格も,形態的には前代の具格を受け継いだものではないという (Marsh 14) .変遷が実にややこしいのだ.
Clackson (114) は,印欧語において動詞カテゴリーの再編成は名詞よりも起こりやすかったという.その理由は以下の通り.
In the documented history of many IE languages, the verbal system has undergone complex restructuring, while the nominal system remains largely unaltered. . . . It appears, in Indo-European languages at least, that verbal systems undergo greater changes than nouns. If this is the case, it is not difficult to see why. Verbs typically refer to processes, actions and events, whereas nouns typically refer to entities. Representations of events are likely to have more salience in discourse, and speakers seek new ways of emphasising different viewpoints of events in discourse.
It is certainly true that . . . the verbal systems of the earliest IE languages are less congruent to each other than the nominal paradigms. The reconstruction of the PIE verb is correspondingly less straightforward, and there is greater room for disagreement. Indeed, there is no general agreement even about what verbal categories should be reconstructed for PIE, let alone the ways in which these categories were expressed in the verbal morphology. The continuing debate over the PIE verb makes it one of the most exciting and fast-moving topics in comparative philology.
ということは,意味論的にも動詞カテゴリーのほうが複雑で扱いが難しいということが予想されそうだ.確かに一般的にいって,静的な名詞より動的な動詞のほうが扱いにくそうだというのは合点がいく.
・ Marsh, Jeannette K. "Periods: Pre-Old English." Chapter 1 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1--18.
・ Clackson, James. Indo-European Linguistics. Cambridge: CUP, 2007.
現代英語の副詞 ago は,典型的に期間を表わす表現の後におかれて「?前に」を表わす.a moment ago, a little while ago, some time ago, many years ago, long ago などと用いる.
この ago は語源的には,動詞 go に接頭辞 a- を付した派生動詞 ago (《時が》過ぎ去る,経過する)の過去分詞形 agone から語尾子音が消えたものである.要するに,many years ago とは many years (are) (a)gone のことであり,be とこの動詞の過去分詞 agone (後に ago)が組み合わさって「何年もが経過したところだ」と完了形を作っているものと考えればよい.
OED の ago, v. の第3項には,"intransitive. Of time: to pass, elapse. Chiefly (now only) in past participle, originally and usually with to be." とあり,用例は初期古英語という早い段階から文証されている.早期の例を2つ挙げておこう.
・ eOE Anglo-Saxon Chron. (Parker) Introd. Þy geare þe wæs agan fram Cristes acennesse cccc wintra & xciiii uuintra.
・ OE West Saxon Gospels: Mark (Corpus Cambr.) xvi. 1 Sæternes dæg wæs agan [L. transisset].
このような be 完了構文から発達した表現が,使われ続けるうちに be を省略した形で「?前に」を意味する副詞句として再分析 (reanalysis) され,現代につらなる用法が発達してきたものと思われる.別の言い方をすれば,独立分詞構文 many years (being) ago(ne) として発達してきたととらえてもよい.こちらの用法の初出は,OED の ago, adj. and adv. によれば,14世紀前半のことである.いくつか最初期の例を挙げよう.
・ c1330 (?c1300) Guy of Warwick (Auch.) l. 1695 (MED) It was ago fif ȝer Þat he was last þer.
・ c1415 (c1395) Chaucer Wife of Bath's Tale (Lansd.) (1872) l. 863 I speke of mony a .C. ȝere a-go.
・ ?c1450 tr. Bk. Knight of La Tour Landry (1906) 158 (MED) It is not yet longe tyme agoo that suche custume was vsed.
MED では agōn v. の 5, 6 に類例が豊富に挙げられているので,そちらも参照.
「行く」は go であり,「?したことがある」という経験の意味は現在完了「have + 過去分詞」で表わすということであれば,「?に行ったことがある」は普通に考えて have gone to . . . となりそうだが,一般的には have been to . . . であると習う.これは私もずっと不思議に思っていた.だが,フレーズとして,構文としてそのようになっているのだと言い聞かされてきたので,それ以上の質問はしてこなかった.だが,改めて考えてみて,やはり謎である.
have gone to . . . は「行ったことがある」という経験ではなく,「行ってしまった(その結果,ここにはいない)」という結果の意味になると,しばしば言われる.ここから,現在完了の経験用法と結果用法の形式がバッティングしないよう,前者には区別された形式 have been to . . . が用いられるのだ,という理屈が成立しそうである.もちろんこの説明はある程度まで納得できる.しかし,構文上の "blocking" とでも呼ぶべき,このような共時的かつ機能的な説明原理は,アドホックのきらいがあるように思われる.1つの機能に対して1つの形式を対応させようという言語の一般的指向については理解できるとしても,その形式がなぜとりわけ have been to . . . でなければならなかったのかという個別の問題については,何もヒントを与えてくれないからだ.また,アメリカ英語における事実として,have gone to . . . が経験の意味を表わすケースもある.たとえば,小西 (568) より I took a scuba course in college and I've gone a few times to the Caribbean. なる例文をあげておこう.
もちろん,歴史的にひもとけば疑問が解消するかといえば,ことはそう簡単ではないようだ.今のところ,(少なくとも私には)答えらしきものは見出せていない.しかし,歴史の事実を与えられれば,疑問をみる視点は明らかに変わってくる.というのは,そもそも「?に行ったことがある」を意味する have been to . . . という形式は比較的新しい18世紀の産物であり,それ以前には用いられていなかったようだからだ.なぜ18世紀に現われたのか,そしてなぜとりわけその形式が選ばれることになったのか.これは共時的な理論英語学ではなく通時的な歴史英語学の話題である.
OED は be, v. の 8c に,この用法が取り上げられている.
c. With to and a noun: to have been present (in a place, esp. for some purpose, or at an event or special occasion); to have gone to visit (and returned from) a place.
Apparently rare before the second half of the 18th cent. (when it occurs frequently in the usage of Fanny Burney).
1712 R. Laurence Bishop of Oxford's Charge Consider'd 則xlviii. 73 Publickly Baptiz'd a Child in the Meeting-house; which was carried thither in as great Form and Order, as if it had been to Church.
1763 F. Brooke Hist. Lady Julia Mandeville I. 178 We have been to the parish church, to hear Dr. H. preach.
1773 F. Burney Early Diary (1889) I. 186 She had been to these rehearsals.
1778 F. Burney Evelina I. xvii. 115 Miss will think us very vulgar..to live in London, and never have been to an Opera.
1802 C. Wilmot Irish Peer on Continent (1920) 39 We have been to the Opera Buffa or the Italian Opera.
1829 R. Sharp Diary 21 June (1997) 209 This understrapping Parson of ours has been to Cambridge the last week to vote for who? why for Mr. Bankes.
1892 E. Reeves Homeward Bound 205 Hadji is his title, and means that he has been to Mecca.
1902 Westm. Gaz. 25 Aug. 2 His Majesty has been to Westminster Abbey, and the Crystal Palace,..and Madame Tussaud's.
1915 T. S. Eliot Let. 3 Jan. (1988) I. 77 I have just been to a cubist tea.
1977 J. Lees-Milne Diary 27 Sept. in Through Wood & Dale (2001) 195 I have not been to the lav since I left Salonika on Friday.
2007 S. Worboyes Lipstick & Powder iii. 91 This wasn't the first time she had been to the flat so she knew where everything was kept.
説明にあるとおり,18世紀後半に Fanny Burney (1752--1840) が頻繁に用いたことが,この用法の実質的な走りとなったようだ.これは今後追いかけていく必要がありそうだ.いずれにせよ,静的な be と,移動およびその目的地を含意する動的な to とが直接結びつくという違和感はぬぐいきれない.当面の仮説として,顕在化していない go の亡霊を想定せざるを得ないのではないかとだけ述べておきたい.
・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
標題は,英語史における完了を表わす構造の変異と変化を巡る大きな問題の1つである.本ブログでも「#2490. 完了構文「have + 過去分詞」の起源と発達」 ([2016-02-20-1]),「#1653. be 完了の歴史」 ([2013-11-05-1]),「#1814. 18--19世紀の be 完了の衰退を CLMET で確認」 ([2014-04-15-1]) などの記事で取り上げてきた.英語に限らず他の言語にも,have 完了と be 完了の分布やその変化を巡って類似した状況があり,「#2634. ヨーロッパにおける迂言完了の地域言語学 (1)」 ([2016-07-13-1]) で紹介したように通言語的な研究もなされてきた.
もう1つの通言語的で類型論的な研究として,Sorace を挙げよう.Sorace は西ヨーロッパの諸言語を比較し,have 完了と be 完了の変異や変化はランダムではなく,動詞の意味的特性により予測できるとして "Auxiliary Selection Hierarchy" を提案した.手短にいえば,相 (aspect) と主題 (theme) の観点から,自動詞に関して "controlled process" (統御された過程)を表わす動詞であればあるほど完了の助動詞として have を取りやすく,統御性が低いと be を取りやすくなるという.Sorace (863) のオリジナルの図を見やすくした Los (76) による改変版を再現しよう.
change of location verbs (arrive) | most likely to select be |
change of state verbs (become) | ↑ |
continuation of pre-existing state (remain) | | |
existence of state (be, sit, lie) | | |
uncontrolled process (tremble, skid, sneeze) | | |
controlled process (motional) (swim, run, cycle) | ↓ |
controlled process (nonmotional) (work, play) | most likely to select have |
「#2750. "Present Perfect Puzzle" --- 中英語からの過去形と現在完了形の並列の例」 ([2016-11-06-1]) に引き続いての話題.Visser は,中英語における過去形と現在完了形の並列について,フランス語などからの影響もありうるとは述べているものの,主たる理由は詩的許容 (poetic_license) にあると考えている.というのは,両者の並列や交替が脚韻 (rhyme) や韻律 (metre) に動機づけられているとおぼしき例が,実際に少なくないからだ.脚韻の動機づけが感じられる例として,Visser (713) の挙げているものの中からいくつかを抜き出してみる.
・ c1386 Chaucer, C. T. H264: His bowe he bente, and sette ther-inne a flo, / And in his ire his wyf thanne hath he slayn, - / This is theffect, ther is namoore to sayn.
・ c1390 Gower Conf. Am. (ed. Morley) V p. 245: Wherof this lord hath hede nome / And did hem bothe for to come.
・ c1390 Gower Conf. Am. (ed. Morley) V p. 277: whan it came unto the grounde, / A great serpent it hath bewounde.
・ c1400 Syr Tryamowre (ed. Erdman Schmidt) 1030: The messengere ys come and gone. / But tydyngys of Tryamowre herde he none.
同様に,韻律によると考えられる例のいくつかを Visser (717--18) より示す.
・ c1250 Floris & Bl. 985: Clarice, joie hire mot bitide, / Aros up in þe moreȝentide, / And haþ cleped Blauncheflur.
・ c1386 Chaucer, C. T. B628: This gentil kyng hath caught a greet motyf / Of this witnesse, and thoghte he wolde enquere / Depper in this.
・ c1386 Chaucer, C. T. H203: And so befel, whan Phebus was absent, / His wyf anon hath for hir lemman sent.
・ c1390 Gower, C. A. (ed. Morley) p. 277: And he, which understood his tale, / Betwene him and his asse all softe / Hath drawe and set him up a lofte.
過去形と現在完了形の並列が主として詩的許容に起因するという説は,それが現われる時期や環境によっても支持される.このような並列の例は,14--15世紀の韻文にほぼ限られているのである.それ以前の古英語や初期中英語では,韻文にせよ散文にせよ,ごく僅かな例しか確認されない.また,後期中英語でも,散文では普通みられない.さらに,過去形と現在完了形の並列がみられる環境では,過去形と現在形の並列も同様にみられるという事実も,詩的許容による説に追い風となる.近現代にかけて,時制・相は論理的なカテゴリーとして重視されるようになり,過去と現在(完了)の区別もうるさくなっていくが,後期中英語では,時制・相のカテゴリーとその形式の問題は,韻律上の要請があれば,当面は棚上げしてもよい程度の重要さでとらえられていたのだろう.
では,近現代にかけて,この寛容さが失われ,理詰めになっていったのはなぜなのだろうか.これは,言語と社会をめぐる非常に大きな英語史上の問題である.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
「#2492. 過去を表わす副詞と完了形の(不)共起の歴史 」 ([2016-02-22-1]),「#2633. なぜ現在完了形は過去を表わす副詞と共起できないのか --- Present Perfect Puzzle」 ([2016-07-12-1]),及び昨日の記事「#2749. "Present Perfect Puzzle" --- 近現代英語からの「違反」例」 ([2016-11-05-1]) に引き続き,"Present Perfect Puzzle" について.中英語には,このパズルと関連する事例として,過去形と現在完了形の動詞が統語的あるいは文脈的に並列・共起して現われるケースが散見される.両者の間に際立った機能的な区別は感じられないことから,いまだ現代英語のような明確な区別はなかったことを示す例と解釈できる.Visser (2198) から,いくつか例を挙げよう.
・ c1386 Chaucer, C. T. E 1956, Adoun by olde Januarie she lay, That sleep til that the coughe hath hym awaked.
・ c1386 Chaucer, C. T. F 1082, His brother . . . Up caughte hym, and to bedde hath hym broght.
・ c1386 Chaucer, C. T. E 2132, er that dayes eighte Were passed . . . Januarie hath caught so greet a wille . . . hym for to pleye In his gardyn . . . That . . . unto this May seith he: Rys up, my wif!
・ c1390 Gower, Conf. Am. (Morley) II p. 107, And whan it came into the night, This wife with her hath to bedde dight Where that this maiden with her lay.
・ c1430 Syr Tryamowre (ed. Erdman Schmidt) 830, [he] bare hym downe of hys hors, And hath hym hurted sare.
これらは,"epic (present) perfect" という事例とも解することができるし,韻律の要請による詩的許容 (poetic_license) も関与しているかもしれない.Visser (2198) は,フランス語にも同様の揺れが見られることから,その影響の可能性もありそうだと述べている.
It is not difficult to concur with 1960 Mustanoja and 1970 Bauer in assuming French influence as very likely. (As a matter of fact Modern colloquial French often prefers the type 'Je l'ai vu tomber' to that with the 'passé défini': 'Je le vis tomber.)'
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
「#2492. 過去を表わす副詞と完了形の(不)共起の歴史 」 ([2016-02-22-1]),「#2633. なぜ現在完了形は過去を表わす副詞と共起できないのか --- Present Perfect Puzzle」 ([2016-07-12-1]) で紹介したように,現代英語には,現在完了と過去の特定の時点を表わす副詞語句は共起できないという規則がある.ところが,近代英語やとりわけ中英語では,このような共起の例が散見される.現代英語にかけて,なぜこのような制限規則が定まったのかという問題,いわゆる "Present Perfect Puzzle" については,様々な提案がなされてきたが,完全には解明されていない.
Visser (2197) より,近代英語期,さらに20世紀を含む時代からの例をいくつか引こう.
・ 1601 Shakesp., All's Well IV, iii, 3, I have delivered it an hour since.
・ 1669 Pepys's Diary April 11th, which I have forgot to set down in my Journal yesterday.
・ 1777 Sheridan, School f. Sc. I, i, I am told he has had another execution in the house yesterday.
・ 1820 Scott. Monastery XXX, The Englishman . . . has murdered young Halbert . . . yesterday morning.
・ 1847 Ch. Brontë, Jane Eyre XVI, Indeed I have seen Blanche, six or seven years ago, when she was a girl of eighteen.
・ 1912 Standard, Aug. 16, Prince Henry has decided to travel to Tokio by the overland route. Twice already he has visited Japan, in 1892 and 1900 (Kri).
・ 1920 Galsworthy, In Chancery IV, I have been to Richmond last Sunday.
・ 1962 Everyman's Dictionary of Literary Biography p. 609--10, He [sc. Shakespeare] is, of course, unmeasurably the greatest of all English writers, and has been so recognized even in those periods that were antipathetic to the Elizabethan genius.
このような現代的な規則から逸脱している例について,Visser (2197) は他の研究者を参照しつつ次のように述べている.
Several scholars (e.g. 1958 F. T. Wood; 1926 Poutsma) account for these idioms by suggesting that the writer or speaker has embarked on the given form before the idea of a temporal adjunct comes into his mind, and then adds this adjunct as a kind of afterthought. Another explanation is based on the assumption that instances like those quoted here may be seen as survivals of a usage that formerly---when there was not yet the strict line of demarcation between the different uses---occurred quite normally.
ここでは2つの提案がなされているが,前者の "afterthought" 説は理解しやすい.しかし,上記の例のすべてが,後から思いついての付け足しとして説明できるかどうかは,客観的に判断できないように思われる.第2の「古くからの残存」説は,その通りなのかもしれないが,現代英語にかけてくだんの共起制限が課されたのはなぜかという "Present Perfect Puzzle" に直接に迫るものではない.
このパズルは未解決と言わざるを得ない.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
言語における時制・相を理論化する有名な試みに,Reichenbach のものがある.3つの参照時点を用いることで,主たる時制・相を統一的に説明しようとするものだ.その3つの参照時点とは,以下の通り(Saeed (128) より引用).
S = the speech point, the time of utterance;
R = the reference point, the viewpoint or psychological vantage point adopted by the speaker;
E = event point, the described action's location in time.
この S, R, E の時間軸上の相対的な位置関係を,先行する場合には "<",同時の場合には "=",後続する場合には ">" の記号で表現することにする.例えば,過去の文 "I saw Helen", 過去完了の文 "I had seen Helen",未来の文 "I will see Helen" のそれぞれの時制は,以下のように表わすことができるだろう.
"I saw Helen" ───┴───────┴───> (R = E < S) R, E S "I had seen Helen" ───┴───┴───┴───> (E < R < S) E R S "I will see Helen" ───┴───────┴───> (S < R = E) S R, E
Simple past | (R = E < S) | "I saw Helen" |
Present perfect | (E < S = R) | "I have seen Helen" |
Past perfect | (E < R < S) | "I had seen Helen" |
Simple present | (S = R = E) | "I see Helen" |
Simple future | (S < R = E) | "I will see Helen" |
Proximate future | (S = R < E) | "I'm going to see Helen" |
Future perfect | (S < E < R) | "I will have seen Helen" |
昨日の記事 ([2016-07-13-1]) で,ヨーロッパ西側の諸言語で共通して have による迂言的完了が見られるのは,もともとギリシア語で発生したパターンが,後にラテン語で模倣され,さらに後に諸言語へ地域的に拡散 (areal diffusion) していったからであるとする Drinka の説を紹介した.昨日の記事で (3) として触れた,もう1つの関連する主張がある.「フランス語やドイツ語などで,迂言形が完了の機能から過去の機能へと変化したのは,比較的最近の出来事であり,その波及の起源はパリのフランス語だった」という主張である.
ここでは,まずパリのフランス語で迂言的完了が本来の完了の機能としてではなく過去の機能として用いられるようになったことが主張されている.Drinka (22--24) によれば,パリのフランス語では,すでに12世紀までに,過去機能としての用法が行なわれていたという.
It is here, then, in Parisian French, that I would claim the innovation actually began. In the 12th century, the OF periphrastic perfect generally had an anterior meaning, but a past sense was already evident in vernacular Parisian French in the 12th and 13th c., connected with more vivid and emphatic usage, similar to the historical present . . . . During the 16th c., perfects had already begun to emerge in French literature in their new function as pasts, and during the 17th and 18th centuries, the past meaning came to replace the anterior meaning completely in the language of the French petite bourgeoisie . . . .
他のロマンス諸語や方言は遅れてこの流れに乗ったが,拡散の波は,語派の境界を越えてドイツ語にも広がった.特に文化・経済センターとして早くから発展したドイツ南部都市の Augsburg や Nürnberg では,15世紀から16世紀にかけて,完了が過去を急速に置き換えていった事実が指摘されている (Drinka 25) .フランスに近い Cologne や Trier などの西部都市では,12--14世紀というさらに早い段階で,完了が過去として用いられ出していたという証拠もある (Drinka 26) .
もしこのシナリオが事実ならば,威信をもつ12世紀のパリのフランス語が,完了の過去機能としての用法を一種の流行として近隣の言語・方言へ伝播させていったということになろう.地域言語学 (areal linguistics) や地理言語学 (geolinguistics) の一級の話題となりうる.
・ Drinka, Bridget. "Areal Factors in the Development of the European Periphrastic Perfect." Word 54 (2003): 1--38.
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