この GW 中は毎日のように Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて khelf(慶應英語史フォーラム)メンバーとの対談回をお届けしています.一方,khelf では「英語史コンテンツ50」も開催中です.そこで両者を掛け合わせた形でコンテンツの紹介をするのもおもしろそうだ思い,先日「#5115. アルファベットの起源と発達についての2つのコンテンツ」 ([2023-04-29-1]) を紹介しました.
今回も英語史コンテンツと heldio を引っかけた話題です.4月20日に大学院生により公開されたコンテンツ「#7. consumption の p はどこから?」に注目します.
今回,このコンテンツの heldio 版を作りました.作成者の藤原郁弥さんとの対談回です.「#700. consumption の p はどこから? --- 藤原郁弥さんの再登場」として配信していますので,ぜひお聴きください.発音に関する話題なのでラジオとの相性は抜群です.
コンテンツや対談で触れられている語中音添加 (epenthesis) は,古今東西でよく生じる音変化の1種です.今回の consumption, assumption, resumption の /p/ のほかに epenthesis が関わる英単語を挙げてみます.
・ September, November, December, number の /b/
・ Hampshire, Thompson, empty の /p/
・ passenger, messenger, nightingale の /n/
そのほか she の語形の起源をめぐる仮説の1つでは,epenthesis の関与が議論されています(cf. 「#4769. she の語源説 --- Laing and Lass による "Yod Epenthesis" 説の紹介」 ([2022-05-18-1])).
epenthesis と関連するその他の音変化については「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1]) もご参照ください.
対談中に私が披露した「両唇をくっつけずに /m/ を発音する裏技」は,ラジオでは通じにくかったので,こちらの動画を作成しましたのでご覧ください(YouTube 版はこちら).音声学的に味わっていただければ.
昨日の記事「#4798. ENL での言語変化は「革新」で,ESL/EFL では「間違い」?」 ([2022-06-16-1]) で引用した Jenkins (37) は,ELF (= English as a Lingua Franca) の核となる言語特徴(発音)を一覧している.これは,調査の結果,様々な英語母語変種に認められた特徴であり,相互理解のための ELF 使用においてきわめて重要な項目ということになる.
The Lingua Franca Core (LFC)
1. Consonant sounds except for substitutions of 'th' and of dark /l/
2. Aspiration after world-initial /p/, /t/ and /k/
3. Avoidance of consonant deletion (as opposed to epenthesis) in consonant clusters.
4. Vowel length distinctions
5. Nuclear (Tonic) stress production and placement within word groups (tone units)
一方,次の特徴は EFL において核とはならないものである (Jenkins 37) .
Non-core features:
1. Certain consonants (see Lingua Franca Core no. 1)
2. Vowel quality
3. Weak forms
4. Features of connected speech such as elision and assimilation
5. Word stress
6. Pitch movement on the nuclear syllable (tone)
7. Stress-timed rhythm
日本語母語話者に典型的にみられる英語発音の例を上記の「コア」に当てはめてみると,read と lead はともに「リード」と発音してしまいがちだが,語頭の /r/ と /l/ の区別は Core no. 1 に含まれるので,コア特徴としてぜひとも発音し分ける必要がある,ということになる.一方,語末に母音が挿入 (epenthesis) されて /ri:d/ ではなく /ri:do/ と発音されたとしても,コア特徴には含まれないため,許容され得る (cf. Core no. 3) .
・ Jenkins, Jennifer. "Global Intelligibility and Local Diversity: Possibility or Paradox?" English in the World: Global Rules, Global Roles. Ed. Rani Rubdy and Mario Saraceni. London: Continuum, 2006. 32--39.
昨日の記事「#4769. she の語源説 --- Laing and Lass による "Yod Epenthesis" 説の紹介」 ([2022-05-18-1]) で,英語史における積年の問題に対する新説を簡単に紹介した.Laing and Lass 論文の結論箇所を引用すると,次のようになる (231) .
(a) For the history of she, we posit an approximant epenthesis of a type already found in OE, spreading to further items in ME, and occurring in all periods of Scots as well as PDE. This turns the word-onset into a consonant cluster with its own history, independent of that of the nuclear vowel (though it seems primarily to occur before certain nuclear types).
(b) The nuclear vowel derives in the normal way from OE [eo], with no need for 'resyllabification' or the creation of 'rising diphthongs'.
(c) This account allows an etymology with no interim generation of trimoric nuclei, or the problem of maintaining vowel length when the first element of the nucleus is the first vowel of the diphthong that constitutes it. It therefore allows for the unproblematic derivation of both [ʃe:] (required for PDE [ʃi:]) and [ʃo:] (required for some regional types such as [ʃu:]).
(d) We claim that the so-called 'she problem' has been a problem mainly because of a misconception of the kind of etymology it is. The literature (and this is true even of Britton's account, which is clearly the best) founders (sic) on the failure to separate the development of the word-onset and the development of the nuclear vowel.
The mistake has been the attempt to combine a vocalic story and a consonantal story and at the same time make phonological sense. We suggest that in this case it cannot be done, and that by separating the two stories we arrive at a clean and linguistically justifiable narrative.
ここで議論の詳細に立ち入ることはしないが,この新説に対する私自身の評価を述べるならば,これまで提案されてきた他の説よりも説得力があるとみている.
まず,LAEME という最新のツールを利用しつつ,圧倒的な質・量の資料に依拠している点が重要である.大きな視点からこの問題に取り組んでいるとよく分かるところからくる信頼感といえばよいだろうか.視野の広さと深さに驚嘆する.
上記と関連するが,LAEME と連携している CoNE (= A Corpus of Narrative Etymologies from Proto-Old English to Early Middle English) および CC (= the Corpus of Changes) の編纂という遠大な研究プロジェクトの一環として,she の問題を取り上げている点も指摘しておきたい.CoNE は,初期中英語に文証される単語のあらゆる異形態について,音変化や綴字変化の観点から説明尽くすそうという野心的な企画である(「初期中英語期を舞台とした比較言語学」と呼びたいほどだ).she についていえば,その各格形を含めたすべての異形態に説明を与えようとしており,[ʃ] を含む諸形態の扱いもあくまでその一部にすぎないのである.scha, þoe, þie, yo のような例外的な異形態についても,興味深い説明が与えられている.
そして,"Yod Epenthesis" 説の提案それ自体がコペルニクス的転回だった.she の語源を巡る論争史では [j] をいかに自然に導出させるかが重要課題の1つとなっていた.しかし,新説は [j] を自然に導出させることをある意味で潔く諦め,「ただそこに [j] が入ってしまった」と主張するのである.ただし,新説による [j] の挿入が必ずしも「不自然」というわけでもない.散発的ではあれ,類例があることは論文内で明確に示されているからだ.
理論的前提が多く,一つひとつの議論については著者らに問いただしてみたい点もあるのだが,全体として説得力があり,かつ刺激的な好論と評価したい.
・ Laing, Margaret and Roger Lass. "On Middle English she, sho: A Refurbished Narrative," Folia Linguistica Historica 35 (2014): 201-40.
・ Lass, Roger, Margaret Laing, Rhona Alcorn, and Keith Williamson. A Corpus of Narrative Etymologies from Proto-Old English to Early Middle English and accompanying Corpus of Changes, Version 1.1. Edinburgh: U of Edinburgh, 2013--. Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/CoNE/CoNE.html.
3人称単数女性代名詞 she の語源を巡って100年以上の論争が続いてきた.この問題については,hellog でも次の記事で取り上げてきた.
・ 「#792. she --- 最も頻度の高い語源不詳の語」 ([2011-06-28-1])
・ 「#793. she --- 現代イングランド方言における異形の分布」 ([2011-06-29-1])
・ 「#827. she の語源説」 ([2011-08-02-1])
・ 「#829. she の語源説の書誌」 ([2011-08-04-1])
この古い問題に LAEME という最新のツールを用いて挑んだのが,2014年の Laing and Lass の論文である(LAEME については,「#4086. 中英語研究における LAEME の役割」 ([2020-07-04-1]),「#4396. 初期中英語の方言地図とタグ付きコーパスを提供してくれる LAEME」 ([2021-05-10-1]) をはじめ laeme の各記事を参照).
she を巡る問題は,端的にいえば,初期中英語期より確認される異形態(現代の標準形 she に連なる形態も含む)に現われる (1) 子音 [ʃ],(2) [eː] および [oː],をどのように説明するのかという2点に集約される.とりわけ,問題解決の鍵となると目されている異形態 [hjoː] などに含まれる [j] が,どのように導出されるかが重要な問題となる.
従来の説では,問題の [j] は既存の音連続のなかから内在的に導出されることを前提としていた.一方,Laing and Lass の新しさは,[j] は内在的に導出されたのではなく,外在的に挿入されたにすぎないとしたことだ.簡単にいえば,ただそこに [j] が入ってしまったのだ,という説だ.これを前提とすれば上記の (1), (2) のも無理なく解決できるし,LAEME が示す異形態の方言分布の観点からも矛盾は生じないという.
「ただそこに [j] が入ってしまった」説は,同論文内では "Yod Epenthesis" (= YE) と名付けられている.古英語 [heo] が YE を経由して [hjeo] となり,その後 "eo-Monophthongisation/Merger" (= EOM) を通じて [hjeː] あるいは [hjoː] が導出されるという経路だ(実際には,この最後の過程の背景に中間的な [hjøː] が想定されているらしい).さらに,語頭の [hj] が "Fusional Assimilation" (= FA) を経て [ç] となり,最後に "Palatal Fronting" (= PF) の結果,[ʃ] が出力される,という道筋だ.
古英語からの流れを図示すれば次のようになる (Laing and Lass 217) .
*heo ((YE)) > *hjeo ((EOM)) >
1 *hjo: ((FA)) > [ço:] ((PF)) > [ʃo:]
2 *hje: ((FA)) > [çe:] ((PF)) > [ʃe:]
・ Laing, Margaret and Roger Lass. "On Middle English she, sho: A Refurbished Narrative," Folia Linguistica Historica 35 (2014): 201-40.
昨日の記事「#3490. dreamt から dreamed へ」 ([2018-11-16-1]) と関連して,標記の話題について.両形の用法の差を調べた研究があるようだが,明確な差はないようである.用法の差というよりも英米差といわれることが多い.アメリカ英語では dreamed が好まれ,イギリス英語では両形ともに用いられるといわれる(小西,p. 422).
一方,Fowler's (231) によると "Dreamed, esp. as the pa.t. form, tends to be used for emphasis and in poetry." とあり,使用域による差があり得ることを示唆している.
中英語の状況を MED で覗いてみると,過去形として「規則的な」 drēmed(e と「不規則的な」 drempte の両形が用いられてことがわかるが,過去分詞形としては規則形の記載しかない.なお,不規則形に語中音添加 (epenthesis) の p が加えられていることに注意 (cf. 「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1])) .
初期近代英語で興味深いのは,Shakespeare では両形が用いられているが,AV には dreamt の例はないという事実だ(『英語語源辞典』).AV は Shakespeare に比べて文語的で古風な語法をよく保持しているといわれるので,当時は dreamed のほうが正統で正式という感覚があったのかもしれない.逆にいえば,dreamt が口語で略式的にすぎ,聖書にはふさわしくないと考えられたのかもしれない.
なお,1775年の Johnson の辞書では "preter. dreamed, or dreamt" とあり,dreamed が筆頭に挙げられていることに触れておこう.
・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.
・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
年の瀬に November (11月)の話題というのも妙だが,11月に書き忘れていたので,お許し願いたい.
この英単語は,ラテン語の数詞 novem (9)に基づいた November あるいは Novembris (mēnsis) が,フランス語を経由して1200年頃に Novembre として英語に入ってきたものである.ラテン語での語形成は *novem-ri-s の子音間に b が添加されて -mbr- となったものだろう(このような語中音添加 (epenthesis) については「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1]) を参照).「月」を表わすこの語の後半要素の起源については,「#3073. 9月,September,長月」 ([2017-09-25-1]) の説明を参照されたい.
ラテン語novem の印欧語根は *newn̥ であり,英語本来語としてはもちろん nine が関係する.ラテン語からの借用語としてこの語根を保持している単語には nonagenarian (90歳代の), nones (ローマ暦で9日前の日(月によって第5日か第7日に相当する)), noon ((午前6時から数えて)第9時;後に正午の意へ), novena (9 日間の祈り) がある.また,ギリシア語からの借用語としては ennead (九つ一組)がある.
古英語では Blōdmōnaþ (blood month) と呼ばれ,何やら穏やかではないが,これはアングロサクソン人が冬支度として動物の生贄を捧げた風習と関連するという.
日本語で陰暦11月を表わす「霜月」は,ストレートに霜降月(しもふりつき)に由来するとも考えられるが,様々な語源説がある.ヲシモノツキ(食物月)の略ともされるし,10月を上の月と考えて11月を下の月としたという説もある.
音変化は言語の宿命ともいえるほど普遍的なものであり,古今東西,これを免れた言語はない.それくらい遍在していながらも,その原因がいまだに明らかとされていないのが不思議といえば不思議である.そもそも,「意味」を伴わない音(韻)が変化するというのはどういうことなのか.語彙や意味が変化するというのは理解しやすいが,音が変化することで誰が何の得をするというのか.言語学の最も難解かつ魅力的な問題である.
音変化の原因については,古くから様々な説が唱えられてきた.Algeo and Pyles (34--35) を参照して,いくつか代表的なもの を紹介しよう.
まず,2つの言語AとBが接触し,言語Aの話者が言語Bを不完全に習得したとき,Aの発音の特徴がBへ持ち越されるということがある.換言すれば,新しく獲得される言語に,基層言語の発音特徴が導入されるケースだ.これは,基層言語仮説 (substratum_theory) と呼ばれる.逆に,上層言語の発音特徴が基層言語に持ち越され,結果的に後者に音変化が生じる場合には "superstratum theory" と呼ばれる.
なるべく音が互いに体系内で等間隔となるよう微調整が働くのではないかという "phonological space" (音韻空間)の観点からの説もある.日本語のように前舌母音として [i, e] をもち,後舌母音として [u, o, ɑ] をもつ母音体系は,よく均衡の取れた音韻空間であり,比較的変化しにくいが,均衡の取れていない音韻空間を示す言語は,均衡を目指して変化しやすいかもしれない.
音の同化 (assimilation) や異化 (dissimilation),脱落 (elision) や介入 (intrusion),ほかに「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1]) で示したような各種の音韻過程の背後には,いずれも "ease of articulation" (調音の容易さ)という動機づけがあるように思われる.古くから唱えられてきた説ではあるが,もしこれが音変化の唯一の原因だとすれば,すべての言語が調音しやすい音韻の集合へと帰着してしまうことになるだろう.したがって,これは,いくつかありうる原因の1つにすぎないといえる.
話者の意識がある程度関与する類の音変化もある.「#192. etymological respelling (2)」 ([2009-11-05-1]) で語源的綴字 (etymological_respelling) の例として触れたように,comptroller の中間子音群が [mptr] と発音されるようになったとき,ここには一種の spelling_pronunciation が起こったことになる.また,「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]) でみたように,chaise longue が chaise lounge として発音されるようになったのは,民間語源 (folk_etymology) によるものである.
威信ある発音への意識が強すぎることによって生じる過剰修正 (hypercorrection) も,音変化の1要因と考えられる.talkin' や somethin' のような g の脱落した発音を疎ましく思うあまり,本来 g が予期されない環境でも g を挿入して [ɪŋ] と発音するようなケースである.例えば chicken や Virgin Islands が,それぞれ chicking, Virging Islands などと発音が変化する.関連して,rajah, cashmere, kosher などの歯擦音に,本来は予期されなかった /ʒ/ が現われるようになった過剰一般化 (overgeneralization) もある.
様々な仮説が提案されてきたが,いずれも単独で音変化を説明し尽くすことはできない.常に複数の要因が関与していること (multiple causation of language change) を前提とする必要があろう.
音変化の原因に限らず,より一般的に言語変化の原因に関しては「#442. 言語変化の原因」([2010-07-13-1]) を参照されたい.
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.
harbinger (先駆け), messenger (使者), passenger (乗客), porringer (雑炊皿), scavenger (腐肉を食べる動物), wharfinger (波止場主)のような語には,後ろから第2音節にn がみられる.しかし,message, passage, porridge などの語形と比較すればわかる通り,この n は非語源的である.g の前位置の n は epenthesis (語中音添加;[2011-05-06-1]の記事「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」を参照)の例と考えられる.
OED によると,messenger については,Anglo-Norman や Picard にも n の挿入された形態がみられるというから,必ずしも中英語における独立の変化ではなく,これらのフランス語方言綴字からの影響によるものと考えることもできるかもしれない.
以下は,6語について n のない形態の初出時期と,n が初めて挿入されたおよその時期を,OED や語源辞典を参照してまとめたものである.
Word | First without n | First with n |
---|---|---|
harbinger | ?lateOE | ME |
messenger | ?a1200 | lateME |
passenger | 1337 | C15 |
porringer | 1467 | 1601 |
scavenger | ME | 1530 |
wharfinger | 1552--53 | 1642 |
'INTRUSIVE' [n] and [ŋ]
則438. The 'intrusive' [n] in messenger, papenjay, &c. and [ŋ] in nightingale and paringale 'equal' (<paregal) is a species of consonantal glide easing the passage between the preceding vowel and the following [ʤ] or [g], and is found chiefly in adopted words; it is perhaps, as has been suggested, associated with a desire to make weightier the middle syllable so as to avoid syncope . . . . It appears to develop at various dates from the thirteenth century (nightingale) onwards. In words in which it is an established feature of StE, e.g. nightingale and messenger, it is regularly shown by the orthoepists.
<g> に対応する音価こそ異なるが,nightingale においても g の前位置に n が挿入されている事実への言及が興味深い.「#797. nightingale」 ([2011-07-03-1]) の記事で類例があまり見られないと述べたが,messenger や passenger と同様に扱ってしかるべきということだろうか.
・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500--1700. 2nd ed. Vol. 2. Oxford: OUP, 1968.
[2011-05-06-1]の記事「glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」でわたり音 (glide) を含んだ例の1つとして触れた number と,その省略表記 no., No., no, No について.名詞 number はラテン語 numerus に由来し,フランス語 no(u)mbre を経由して1300年頃までに英語に借用されていた.動詞 number もほぼ同時期に英語に入ってきている.いずれの品詞においても,わたり音 /b/ の挿入はフランス語の段階で起こっていた.
一方,ラテン語 numerus の奪格形 numerō は "in number" の意味で用いられていたが,この省略表記 no., No. が17世紀半ばに英語に入ってきた.発音は英語形に基づき,あくまで /ˈnʌmbə/ である.複数形は Nos., nos. と綴り,記号表記では "#" が用いられる(この記号は number sign あるいは hash (sign) と呼ばれるが,後者は格子状の模様を表わす hatch(ing) の連想による民間語源と言われる).フランス語では no,ドイツ語では Nr. と綴られる.
つまり現代英語の number と no. は語源的には厳密に完全形と省略形の関係ではないということになる.むしろラテン語 numerus に起源を一にする2重語 ( doublet ) の例と呼ぶべきだろう.
なお,わたり音 /b/ の挿入されていない「正しい」形態は,ラテン語 numerus の派生語という形で英語にも多く借用されている.
denumerable, enumerate, enumeration, innumerable, numerable, numeral, numeration, numerator, numerical, supernumerary
[2011-04-21-1]の記事「thumb の綴りと発音 (2) 」で,thumb の <b> がかつて発音された可能性があることを話題にした.<b> の綴字を示す初期中英語期の最も早い記録として,地名 Thomley を表わす Tvmbeleia が文証されているが,ここで <b> が挿入されていることを説明するのにわたり音 (glide) という用語を導入した.わたり(音)とは「音声器官がある音の調音から他の音の調音へと移行する際に必然的にとる運動,およびそれによって生じる音をいう」(『新英語学辞典』, p. 496 ).
/m/ に /l/ が続く環境では,/m/ の出わたり (off-glide) と /l/ の入りわたり (on-glide) に生理的必然として有声両唇破裂音の /b/ が発せられる.Tvmbeleia の場合には,<e> の母音が間に介在しているが,弱音節における曖昧母音なので,調音の効果としては無音に等しいと考えられる.重要な類例として,thimble 「指ぬき」がある.この語は,古英語では þȳmel ( þūma "thumb" + -el "small" ) という形態だったが,15世紀にわたり音の /b/ が挿入されて現在の形態をとるようになった.このような例は,bramble, mumble, nimble, shamble など少なくなく,/r/ の直前でも number などの例がある.þūma 単独では,/b/ がわたり音として挿入される可能性はないが,Tvmbeleia などの例が単独形に影響を与えたと考えることはできそうだ.
わたり音による音の挿入は,音の添加 (addition) のメカニズムの1つである.音が挿入される位置という観点から添加を区分すると,3種類に分けられる.
(1) 語頭音添加 (prosthesis) :英語史からの例は多くないが,OE cwȳsann > ME queisen > ModE squeeze における /s/ の添加がある.フランス借用語では非語源的な語頭の e の例が多く見られる (ex. especial, escalade ) .
(2) 語中音添加 (epenthesis) :典型例は,上記の thimble その他における /b/ の挿入である.OE ǣmettig > ME empty などもある.
(3) 語尾音添加 (paragoge) :語末の /n/ や /s/ の後に /t/ や /d/ が挿入される例が多い.[2010-09-17-1]の記事「Dracula に現れる whilst」で触れたような against, amidst, amongst, betwixt, whilst や,その他 ancient, tyrant, parchment, sound などの例がある.
ついでに関連用語を導入すると,添加された音は,余剰的 (excrescent) ,寄生的 (parasitic) ,あるいは非有機的 (inorganic) といわれる.また,添加の反対は脱落 (elision) である.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
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